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私は御身を信じ礼拝し希望し御身を愛します!御身を信ぜぬ人々礼拝せず希望せず愛さぬ人々のために赦しを求めます(天使の祈)

アジアの無原罪の聖母の騎士への手紙 第7号 ― 聖母の汚れなき御手の道具となった約束を忘れないために、ファティマ2017に向けて

2015年08月31日 | M.I.(無原罪の聖...
アジアの無原罪の聖母の騎士への手紙第7号

*** 聖母の汚れなき御手の道具となった約束を忘れないために ***


親愛なる無原罪の聖母の騎士の皆さん、

皆さんが無原罪の聖母の騎士として誓約したことに関する古典的問題について皆さんにお示しすることをお許しください。

皆さんは、無原罪の聖母の小さな軍隊に所属するというこの特権に、どのようにして到達したのかを考えてください。皆さんが長い間にわたって聖母を愛してきたのは確かであり、聖母の信じられない御力を信じていました。多分、皆さんは黙想会への参加や静修をしたり、書物や文章を読んだりしたのでしょう。特別な恩寵が皆さんの心に触れ、炎となり、火となり、大きな望みとなったのでしょう。「天の御母、私はあなたのためにもっと(なすべきことを)行うべきです」。

皆さんがファチマでの聖母の汚れなき御心のメッセージを知ったのなら、またそれと共にレジオマリエや無原罪の聖母の騎士のことを知ったのなら、これを私たちの天の御母が皆さん一人一人のためにくださる大きな愛の、まことに特別な恩寵でありかつしるしであるとみなしてください。皆さんは深い感謝をもって思い出すでしょう、皆さんが聖母への美しい奉献によって入会した日のことを。聖母を知らなかったり、御子から離れてしまったりして、罪の中に生き、永遠の地獄への道にある多くの子どもたちを聖母が救うのを助けるために、聖母の汚れなき御手の道具となる約束をしたその日のことを。

しかし、熱心だった最初の数週間のあと、私たちはしばしば、あの誓約を忘れたり脇に置いていたりします。日々の必要とするものや試練のため、光はさえぎられ、炎は小さくなってしまいます。一度、少しの間、司祭のニュースレターや説教を読めば、少しの間はあの望みが目覚めますが、一般的には長くは続きません。

私たちのうちに炎を燃えさせ続け、あの誓約を継続させるには、私たちは何をすべきなのでしょうか。私たちが受けたものを保存するだけでなく、成長し、聖母にもっと近づき、聖母によって導かれ、聖母のあふれる愛によってもっともっと魅了されるために。

第一に、私たちが理解しなければならないのは、この最も高い価値について「忘れる」というこのこと、少しの間の熱心さのあとで怠けるというこのこと、最も偉大な愛に対する無関心というこのこと、これらは、原罪の傷によって起こされた私たちの堕落した本性に受け継がれているということです。この事実に驚いてはいけません。あたかも最悪の罪を犯したかのように、失望に陥ってはいけません。まったく正常なものだからです。私たちは堕落してしまった取るに足りないものですから、私たち自身の力によって、私たちの弱い手や心で天の宝を維持することはできないのです。

第二に、理解しなければならないのは、霊的生活を保ち、私たちのマリア様に対する愛や、誓約への忠実を保つことができるのは、天主の恩寵だということです。しかし、聖性において成長し、天主の栄光への熱意、救霊についての熱意が成長するには、天主の十倍の恩寵が必要です。主がマリア様を通してこれらの恩寵を私たちに与えたがっておられますが、すべての恩寵を得るためには、私たちがそれらを求めなければならないと確信しなければなりません。私たちが主の扉をたたくだけで、主は私たちのために扉を大きく開けてくださり、主のすべての宝で私たちをいっぱいにしてくださるでしょう。ですから、朝夕の祈りは重要なのです。朝はより大きな熱意を請い求め、一日の間忘れないようにと願うのです。「御母マリア様、私はあなたの子です。あなたの奴隷です。あなたの騎士です」。また夕には赦しを願います。私はたびたび忘れ、無視しました。強い決意をもって、次の日はもっとよくなるようまた頑張ります。皆さんの無原罪の聖母の騎士会への入会証明とともに行った奉献の祈りを時々更新することもまた、大変助けになります。

第三に、私たちの約束と誓約を守る最も重要な手段は、それらを心に留め、内省し、考え、黙想することです。これは私たちの知性が行うことであって、私たちは天主の光でそれを育てていかなければなりません。私たちが時々「聖母マリアの栄光」について読んだり、考えたり、黙想したりするだけで、私たちの精神は照らされるでしょうし、その結果として心に炎が燃え上がるでしょう。ですから、聖マキシミリアノ・コルベは月刊誌「無原罪の聖母の騎士」や他の本を出版すると大変強く主張したのです。ですから、聖コルベは最も現代的な伝達手段を使いたがったのです。そうすれば、聖母の御心に基づく信じられないほど多くの何百万もの事実、出来事、奇蹟、御出現、回心の恩寵、成聖の恩寵(の話)で(多くの)精神を養うことができるでしょう。人々はこれらのニュースを読むことによって、熱意が高まって、時には英雄的行為にまで至ったのです。

ですから、皆さんはこのニュースレターに感謝し、そして皆さんのために私たちがすでに発行し、また発行を計画中の小冊子やカテキズム、書物にも感謝すべきです。将来には、皆さんのための特別な書店、非常識な(ほど安い)価格でそれらの書物を注文できる書店を持ちたいと思います。そのために私たちは、無原罪の聖母の騎士のウェブサイトも準備しています。以下のリンク先は補足的情報を皆さんに提供します。皆さんが関心を持ってくださればと思います。

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これらのサイトを毎日十分間読んでくださるなら、皆さんは聖母について決して忘れないと確信することができるでしょう。

第四に、知性を養うだけでは十分ではなく、自分の意志によって実行もしなければなりません。これが意味するのは、黙想したことを少なくとも一日に一度、行ってみなければならないということです。たった一つの小さな犠牲によって、どれほどのものを得るのか、皆さんは想像もできないことでしょう。例えば、皆さんが誰かについて怒りたいならば、皆さんは「自分の怒りを殺す」という犠牲を捧げてください。誰かについて悪く思ったり話したりする代わりに、その人のために回心の恩寵と成聖の恩寵を願う小さな祈りをしてください。そうすれば皆さんは、天主に栄光を捧げ、自分を聖化し、効果的に隣人を助けたことになるのです。

聖なる良い行いとは、誰かに贈り物として良い本(小冊子、カテキズム、御絵、ロザリオ、メダイなど)をあげること、不必要なものを買うのをやめて本当に必要としている人(黙想会に参加する支払いのためなど)にお金をあげること、自分の義務を特別な愛と熱意とほほ笑みをもって果たすことです。

これらはまったく簡単な「思い出させてくれるもの」ですが、これらを通して皆さんは聖母を大変お慰めし、聖母が霊魂を救うのを助けるのです。試してみてください。



アジアの無原罪の聖母の騎士会に関するニュース

ご存じのように、私たちは、2017年のファチマのご出現の記念日に向けて、聖母の旗のもとに十万人の騎士を集めるために無原罪の聖母に助けをお願いしています。聖母の汚れなき御手に十万の道具を集めて、悪魔の頭を砕き、非常に多くの生ぬるい霊魂を救うためです。彼らは、天主の恩寵から離れてしまったか、天にあわれみ深い御父と素晴らしい御母がいることを全く知ることがなかった人々です。

ですから、私たちは無原罪の聖母の騎士会がほとんど毎週発展するのを見て大変感謝しています。しかし、忘れてならないのは、最も重要なのは騎士の数ではなく、その質なのです。無原罪の聖母の騎士の中に、熱心で従順で忠実な騎士が一人いれば、あまり熱心でなかったり無関心だったりする騎士たち千人にまさる勝利を獲得するのです。

この日(2015年6月30日)、私たちはアジアで1,918人の騎士を数えるのなら、こんな美しい「成績」が得られたことを聖母に必ず感謝すべきです。前回のニュースレター以来、騎士の数がほとんど倍になったことになります。私は特にティム・ファイファー神父様に感謝します。フィリピンの無原罪の聖母の騎士会のモデレーターとして、私たちの聖母の軍隊に入会するよう、ミンダナオの多くの信者に準備してもらっていたのです。また、アジアのほかの二つの国、中国とインドネシアの信者も、この数週間で無原罪の聖母の騎士会に加わりました。

私はこれらの騎士たちから手紙を受け取りました。彼らは孤立したところに、カトリックの信仰、特に聖伝のカトリックに敵対的な人々の中に住んでいます。彼らは自分たちが聖母のこの小さな軍隊に今属していることに大変感謝していますし、もう自分たちだけ孤立しているとは感じていません。彼らは、他の多くの人々が同じように孤立していて、聖母のために霊魂たちを勝ち取る同じ闘いに霊的に加わっているということを知っています。そして、このことは彼らを信仰においてより強くするのです。これが、忠実な騎士たちに対する聖母の愛の美しいしるしではないでしょうか。

将来、2―3カ月以内に、私たちのアジアのチャペルすべてで入会式が行われ、騎士の数は増え続けることを期待しています。テラジアン神父様はもうすぐ、南インド(ナーガルコーイル、クリスティラヤプラム、シンガンパライ、クーノア、トリチ=ティルチラッパリ=)の私たちのチャペルで新たな騎士を受け入れるでしょうし、私自身は9月にもう一度フィリピンを訪問して、イロイロ、バコロド、セブでの誓約の儀式に参加します。フォルティン神父様はタナイ、バギオ、アグーで入会式を行ないます。

そのあと、今度は皆さんの番です。私たちには皆さんの努力が必要です。皆さん一人一人が最初に、無原罪の聖母の騎士会へ入会する少なくとも2人の人を見つけてください。今からこのことについて考慮してください。聖母の道具として皆さんが行動するための小冊子や他の書物を求めてください。



*** ファチマ2017に向けて ***


ファチマの重要性を理解するために、1917年の出来事に直接関係したシスター・ルチアへの聖母の最後のご出現から始めることができるでしょう。1917年7月13日、天主の御母は、ファチマで「私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、月の第一土曜日の償いの聖体拝領を求めるため」もう一度やって来ることをお告げになりました。事実、天主の御母は、幼子イエズスと共に1925年12月、ポンテヴェドラの修道女志願者だったシスター・ルチアにご出現になり、聖母の汚れなき御心への奉献の本質を説明されました。1929年6月13日の夜の11時から12時の間には、トゥイでご出現があり、その中でマリア様は聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献をお求めになりました。シスター・ルチアはこの幻視を次のように説明しています。「突然、チャペル全体が超自然の光で明るくなり、祭壇の上に天井まで伸びた光り輝く十字架が現れました。さらに明るい光の中で、十字架の上方に男性の顔が現れ、その体は腰まで見えました。その胸の前には全体が光の鳩がいて、 また、十字架に釘づけられたもう一人の男性がいました。その臀部の少し下には空中に浮いているカリスと大きなホスチアがあり、その上に十字架のつけられた男性の顔と傷ついた脇から血のしずくが流れ落ちていました。血のしずくはホスチアの上に流れ、そこからカリスの中へ落ちていました」。

「十字架の下の右側には、ご自分の汚れなき御心を手にもった聖母がいらっしゃいました。(それはご自分の汚れなき御心を左手にもち、剣や薔薇ではなく茨の冠に囲まれ、火のついた、ファチマの聖母でした。)」

「十字架の下の左側には、透明な水で書かれたような大きな文字があり、十字架に付けられた人の手から祭壇の上に流れていて、『恩寵と御慈悲』という言葉を示していました。」

「至聖なる三位一体の神秘が私に示されていることがわかりました。そして私はこの神秘について、私が明らかにすることを許されていない直観を受けました。」

この後シスター・ルチアは天主の御母がこの幻視の際におっしゃった言葉を書き記しています。それは、教皇が世界の全ての司教達と共に、ロシアを汚れなき御心に奉献することを求められたことと、それによってロシアが救われる、ということです。

この御出現の第一の目的は確かにロシアの奉献であって、ファチマにおける聖母マリアを通した天主の偉大なる御約束の履行でした。しかし、なぜ聖母マリアはこのメッセージと、至聖なる聖三位一体の幻視を結びつけようとされたのでしょうか?それはもちろん、聖母の御出現の究極の目的、最も深遠な意義はこの神秘に基づいているからです。言い換えれば、聖母がファチマ(や他の御出現)を通して世界に与えようとされる個々の聖寵は全て、大変深遠な現実つまり天主の神秘と贖いにおける無原罪の聖母の真の意義に人々の心を向けさせるためのものです。

全てのものは、御子を世に送られ、御子と共に聖霊を息吹かれる御父である天主から来ています。御父こそが、全ての存在するもの、全ての生けるもの、全ての愛の起源です。御父の聖心から御子が生まれ、聖霊が息吹かれるのです。

御子の使命は十字架の上で世を贖うことです。トゥイにおける幻視では、十字架が祭壇から天井に至る部屋全体を占めていました。十字架は天主の愛全体を表しています。十字架に付けられた御子を通じて、全ての『恩寵と御慈悲』が私たちに与えられます。贖い主の傷から流れ出る血はホスチアとカリスの神秘に集められます。つまり、キリストの贖いの業全ては至聖なる御聖体の内に現存し、これによってカルワリオでの犠牲が再現され更新されるのです。

聖霊の使命は、贖いの業全てを『照らす』こと、つまり天主の愛全てを光、恩寵、力として光り輝かせ、天主の御業を完成に至らしめることです。この聖霊の業、天主の自己犠牲、私たちと私たちの救霊のための天主のこの世への御降臨は全て、無原罪の聖母の御心に集められます。無原罪の聖母の御心は全て聖霊の光からの光であって、天主の愛全てを受けいれます。聖母の御心は、聖霊に満たされた聖母の霊魂、底知れない叡智に満たされた聖母の知性、献身と愛に満たされた聖母の意志とから成る聖母の深奥の目に見える現れです。聖母は、キリストと共に人類を贖うため、新しいアダムの側の新しいエバとして、お一人で十字架の下に立っておられます。聖母がそこに立っておられるのは、贖いの犠牲の初穂としてです。聖母の無原罪の御宿りの奇蹟はこの犠牲によってなされたのです。聖母の御心がキリストの茨の冠で刺された形で現れるのは、聖母が全ての被造物の中で最もキリストのお苦しみを共にされた共贖者であることを示しています。聖母はこの御心を手に、その御心を私たちに差し出し、私たちにくださいます。聖母が私たちの御母であるからです。愛の霊に強められ、聖母の御心は子どもたちのために燃えます。聖母はカルワリオの山で子どもたちのために幾多の痛みを忍ばれ、今、子どもたちをなんとか永遠の破壊から救い出そうという望みをいだいておられます。

無原罪の聖母は輝く御心を通して私たちの世界に触れられます。三位一体からの溢れる愛が聖母から霊魂に流れ込みます。これこそが天主の無限の愛の第一の動き、すなわち教会博士たちが『exitus(天主から出る)』と呼んだ、十字架につけられた主の傷から『恩寵と御慈悲』としてこの世に流れ出る、生ける水に例えられるものです。

私たちは、無原罪の聖母を通した天主からのこの『恩寵と御慈悲』の呼びかけに答えなくてはなりません。天主が御光臨されたのは、まさに私たちが天主に帰るためです。これは教会博士たちが『reflexus(天主に帰る)』と呼んだ、被造物が天主に帰ることです。天主が御光臨になったのと同じ道を通じて、私たちは天主に帰るのです。「私の汚れなき御心はあなたたちの避難所であり、天主に繋がる道です!」この御出現の際の聖母のメッセージは、ファチマの主要なテーマである三つの言葉にまとめることができます。それは、consecratio(奉献)、reparatio(償い)とconversio(回心)です。聖母マリアはキリスト世界が困難の内にある時に助けに来られ、人々を聖母の汚れなき御心に呼ばれ(奉献)、天主の下に導き(回心)、キリストの王としての統治の確立に参加するよう呼ばれます(償い)。

「ときがやってきました…」と言って、聖母マリアはトゥイでのメッセージを始められました。今、終わりのとき、被造物が天主に帰る始まりとして、聖母マリアが全ての恩寵の仲介者として世界に知られるよう、天主がお望みになることがファチマにおいて全世界に対して明らかにされました。聖母マリアの御心は天主の子どもたちを集め、暗い世界のただ中で恩寵の光を保つようにされます。私たちは聖母の御心において、最後までキリストの十字架の下で耐え忍ぶことができるのです。このようにして、私たちはマリアを通してキリストへ、聖霊において父なる天主へと帰ることになるのです。

2017年に向けての準備をするため、皆さんの心の中で聖母の言葉を繰り返してください。「ときがやってきました!」「親愛なる騎士のみなさん、みなさんが私を世界に知らせ、限りなく私に信頼し、数多くの霊魂を救うための私の汚れなき手の温和な道具となるときがやってきました。」


聖伝のM.I.(Militia Immaculatae 無原罪の聖母の騎士会)についてのまとめ
コメント

2015年聖母被昇天、シュテーリン神父様の聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語のミサ)でのお説教

2015年08月25日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、


 2015年8月15日、聖ピオ十世会アジア管区長のシュテーリン神父様が大阪で捧げて下さった聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語のミサ)でのお説教の動画をご紹介します。





天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
コメント (6)

エレイソン・コメンツ「間違った議論 Arguing awry」へのフランソワ・レネー神父の回答

2015年08月20日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フランソワ・レネー神父様が、エレイソン・コメンツ「間違った議論 Arguing awry」へ次のように回答しているので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

 ウィリアムソン司教は、現在のローマ当局者たちの新近代主義(neo-modernism)は腐敗の極みに達し、程度の差はあれ、全ての司教、枢機卿らは全く腐敗しきっているので、積極的に彼らを全て避けなければならない、ローマが第二バチカン公会議を完全に棄てるまで、一切コンタクトを取ってはならない、彼らは背教者どもだ、背教のローマが聖ピオ十世会を認めることは出来ない、と主張します。

 しかし、レネー神父様は、それは間違っている、何故なら、カトリックの最も基本原則にあるように「教会内の悪人たち──あるいは彼らは知られていないか、あるいは彼らは、平和の一致の目的のために善人たちによって黙認されている──は、その悪に同意しない善い人々に害を及ぼすことはあり得ない」からだ、と明確に説明します。

 ルフェーブル大司教様は、パウロ六世が第二バチカン公会議を発布し、新しいミサを作った後でも、コンタクトを取り続けました。ヨハネ・パウロ二世によって、新教会法典が発布され、アシジのエキュメニカル集会が行われた後にも、コンタクトを取り続けました。

 聖ピオ十世会は、不当な立場に追いやられています。その悪を是正することは善です。聖伝を代表する聖ピオ十世会こそ、ローマによってはっきりとその正統性を宣言されなければならない存在だからです。カトリック教会は、その2000年の過去と自らの聖伝とを、自分のものであると宣言しなければならないからです。これ以上、過去と断絶しよう、聖伝と断絶しようとすることは出来ないからです。

 聖ピオ十世会が公式な立場を持つことを望まない人々が存在します。一つは、カトリック教会の過去を憎む人々、近代主義者、カトリック教会を改革させようとする人々です。もう一つは「レジスタンス」と自称する人々です。

 ウィリアムソン司教が、these Roman officials, appointees perhaps, apostates certainly (拝命者かもしれないが、確かに背教者である、これらローマからの聖職者ら)と呼ぶ一人に、たとえば、シュナイダー司教様(Bishop Athanasius Schneider)がいます。何故なら、シュナイダー司教様は、教皇様からの拝命を受け、聖ピオ十世会の二つの神学校を訪問したからです。

 ところで、ウィリアムソン司教が、カスパール枢機卿などと同じレベルに見ているシュナイダー司教様は、カトリック教会の聖伝の信仰についてそれを取り戻そうと努力しています。たとえば来るローマでの家族についてのシノドゥスについて聖伝のために闘おうとしています

 シュナイダー司教様は、聖ピオ十世会は第二バチカン公会議を受け入れなくとも、ルフェーブル大司教様が要求していたように聖ピオ十世会の今あるままをそのままに完全な裁治権を与えるべきだ、さもなければ、カトリック教会はその信憑性(credibility)を失い、歴史は将来現在の教会当局を批難するだろう(the history will one day reproach to the ecclesiastical authorities of our days)と言っています。

 シュナイダー司教様は、聖ピオ十世会が何かをするべきだと言うのではありません。ただ、聖ピオ十世会が正当な地位をもっていないように取り扱われているのは、正当な理由がない、聖ピオ十世会が正当な地位をもっていると言うことを宣言するのはローマの義務であり、責任であり、それが必要である、と言うのです。さもなければ「使徒達のやっていた司牧方法に反する」と言うのです。シュナイダー司教様は、もう聖ピオ十世会を妨害するのを止めるときが来た、もしそれをし続けるなら、カトリック教会こそが信憑性を失う、と警告しています。

 このようなカトリック的な主張をする勇気のある司教を、十把一絡げに「背教者」だと断罪することは現実的ではありません。

 次の文章は、レネー神父様が韓国の信徒から質問を受けてお答えになったものです。既に日本語に訳されていましたが、黙想会その他の仕事で時間が取ることが出来ずブログにアップすることが出来ないでいました。今、少し時間が取れて、ようやくご紹介することが出来るようになりました。では、レネー神父様の文書をお読み下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

エレイソン・コメンツ「間違った議論 Arguing awry」へのフランソワ・レネー神父の回答

原文はこちら

いくつもの間違った原則

 今回に限り、ウィリアムソン司教は自身の執筆するエレイソン・コメンツの中で正しい疑問を提示しています。が、間違った原則から始めたために、彼は間違った結論に達しています。

 正しい疑問とは、聖ピオ十世会は自らの教会法的状況を正しくさせるために、ローマ当局者たちと話し合いをするべきかどうか、という正にそのものです。

 この状況は異常ですが、聖ピオ十世会の側に過ちはありません。なぜなら、ルフェーブル大司教の聖伝の信仰と典礼への忠実が原因で、大司教はイレギュラーな状況へと追いやられ、"主流から外され"、不当にも離教であると糾弾されさえしました。1975年、大司教は、あるいはこの戦いから手を引いて神学校を閉鎖し叙階式の執行を断念するか、従ってご自分が受け取ったものを伝えるのをやめるか、あるいは現代主義者たちの激しい怒りと制裁措置を被るか、いずれかの選択を迫られました。この制裁措置の数々は教会法に反していました。なぜならこの制裁措置の根底になったものは、マミー司教による聖ピオ十世会の廃止であり、従って間違いなく教会法に反しているものだからです。ルフェーブル大司教の二つの不服申し立ては、回答もないまま闇に葬られました。この起訴は状況をそのままにとどめる「停止」の効果があるので、聖ピオ十世会は見かけ上非合法であっても、現実には合法的に存続しています。

1988年には同じジレンマがありました。すなわち、大司教様が受け取ったものを伝えていくのをやめるか、いかなる地元の権威を持たない異国人であるにも関わらず、救う必要のある霊魂たちを保護した善きサマリア人の模範に倣うこと、のどちらかを迫られました。これこそ、いつの日か正される必要のある見かけ上の非合法性です。

いや、正されることは善いことです。教会内における秩序はすぐれた善であるからです。そして無秩序のままとどまることは── 一方がそれに対する責任がないとはいえ──正されなければならない悪です。

 この問題こそが、ウィリアムソン司教の反逆のまさに中心なのです。実際のところ、この問題に関する不一致が両者の間になかったならば、ウィリアムソン司教はこれほど多くの間違った非難 [1] をフェレー司教に浴びせかけることはなかったはずです(2013年のウィリアムソン司教による聖ピオ十世会会員への公開書簡に対する私の公開回答を参照のこと)。

 ウィリアムソン司教が軽視した最初の原則、これは聖アウグスティノによって教えられたことです。「教会内の悪人たち──あるいは彼らは知られていないか、あるいは彼らは、平和の一致の目的のために善人たちによって黙認されている──は、その悪に同意しない善い人々に害を及ぼすことはあり得ない」[2] と。

 二年以上前、私は聖アウグスティノのこの原則をすでに指摘し、こう説明しました。「聖アウグスチノの原則を理解するためには、カルメル神父様がたびたび喚起させていた「教会のかしらはキリストであり、教皇はキリストの代理者にすぎない」という偉大な真理を忘れてはなりません。

教会のメンバーたちとの交わりは、まず第一にキリストとの交わりであるがために、善い人々は悪に同意しない限り害を被ることはありません。そして、ある人々は、キリストが教会のかしらであることを忘れてしまい、教会の人間的側面だけに注意を払い、キリストの教会で万事を支配されるイエズスの聖心を忘れ、この交わりをとても恐れています。彼らの苦々しい熱心──ルフェーブル大司教様の精神とは正反対の──は、このイエズスの聖心を軽視していると告白しています。彼らのために祈りましょう」 [3]

 ウィリアムソン司教は次のように書いて、これを「論駁」したつもりになっています。
「腐敗した教会の役人たちの堕落からは、霊的生命を引き出すことは決してできない」と。

 このような非難には欠陥があるとわからない人がいるでしょうか。つまり、霊的生命を与えることのできるのは、腐敗した教会の役人たちの堕落であるなどと誰も主張しておらず、堕落において彼らに従いたいなどとは誰も思っていない、ということです。聖アウグスティノはその反対に、堕落に同意しないことを主張しています! そうではなくその反対に、彼らが使徒の後継者たちである限りにおいて──そして堕落している限りにおいてではなく──彼らとの交わりの中にいることが不可欠だ、と言っています。

 しかし、ウィリアムソン司教が、彼らのことを使徒たちの後継者であると言及している箇所はどこにも見当たりません。結果、司教の結論が間違っていることを驚くにはあたりません。フェレー司教と聖ピオ十世会全体が、教義において一切の妥協なく、ふさわしい関係と教会法上の立場にあることを望んでいるのは、明白に、使徒らの後継者としてのカトリック教会の高位聖職者たちとのことであって、堕落したものとしての彼らとのことではありません。

 そして教会の交わり、教会との一致は、副次的なものでも選択自由な善でもありません。それどころか、救霊のために不可欠な善です。なぜなら「教会の外に救いなし」であり、従って──私たちは自分たちの異常な状況について責任がないとはいえ──これを修正するために、教会の善のために、働くことは善であり不可欠なのです。

 聖アウグスティノの原則は、ここで、このような堕落した高位聖職者の人々とのカトリック教会における交わりは、その堕落に同意しない善人たちに害を与えない、ということを保証しています。

 明らかに、聖アウグスティノが教えたことをウィリアムソン司教は信じていません。司教は実際こう書いています。カトリック信者は絶対的なやり方で「積極的にこのような高位聖職者たちを避けなければならない」と。これは確かに、事実上、教皇聖座空位論者(セデヴァカンティスト)の態度です。実際、あらゆるコンタクトを実際に避けるならば、どうやって現実的に交わりの中にいるのでしょうか?

 もちろん、信者はこのような[堕落した]司祭たちからの直接の接触から守られるべきであり、司祭たちもこのような長上たちから守られるべきです。が、いかなるレベルでも一切のコンタクトを断つならば、まことの交わりはどうやって可能なのでしょうか? ウィリアムソン司教は理論上は教皇を認めていますが、実際には教皇といかなるコンタクトを取ることも望んでいません。ウィリアムソン司教のこの態度に、リベラル主義者たちのやり方を認めることができます。リベラル派は、カトリックの命題を認めていますが、実際には、それとまったく反対の仮説に従うからです。

 同様に、彼は権威の有益性を理論上認めていますが、実際にはあらゆる権威を、自分の上にも下にも拒絶しています! 権威の拒絶はリベラル派の特徴です。ウィリアムソン司教はフェレー司教を批判する前に善き良心の究明をするべきであり、己を正すべきです。私たちはこのために祈ります。

 ルフェーブル大司教がなさったことを、ウィリアムソン司教はフェレー司教にしてもらいたくありません。事実、ルフェーブル大司教はローマ当局者たちと会うことを決して拒絶しませんでした。彼らが要求するたびに、ルフェーブル大司教は聖伝を促進するために──聖ピオ十世会の教会法上の状況のために働くことを含む──ローマに赴きました。もし1988年5月5日のプロトコル(議定書)を受諾したためにルフェーブル大司教が自分は「行き過ぎた」と言ったとしても、ルフェーブル大司教は、試してみること、承認を獲得するために議論することは、良くなかった、などとは決しておっしゃいませんでした。まったくの反対です! 大司教は、ローマとの接触が三年以内に再開することを期待すらしていました。コンタクトは12年後に開始されました。そして、少なくとも私たちは、フェレー司教が早すぎたのではない、フェレー司教は時間をたっぷり使った、と言うことが出来ます。

 ウィリアムソン司教は「ローマの司教たちに聖ピオ十世会の神学校を訪問することを許した」ことを非難しています。司教一人一人の区別をすることもせず、まるで彼らが全員カスパー枢機卿と同じくらいの近代主義者であるかのようにです。これには事実、トミスト的(=聖トマス・アクィナスによる神学的)な現実主義が大いに欠落しています! ですが、ウィリアムソン司教が、2012年12月に「いろいろな『教会』」と題したエレイソン・コメンツ281号で明らかにした、基本的に間違ったこの原則のもとに、彼の言説が存在しています。

「眼に見える教会の、この一部分だけが、聖なる、一なる、カトリックの、使徒継承の教会です。残りは腐敗している種々のその他いろいろです」と。

 別の言い方をすれば、カトリック教会とは腐ったりんごの(小さな)健全な一部分であり、ローマから派遣されたこの司教たちは腐った部分に属しているため、彼らはカトリックではない、ということです。

 ここに基本的に誤った原則、深刻な誤謬が存在します。これがウィリアムソン司教の、そしていわゆる「レジスタンス」の神学全体と現実の行為を蝕んでいるのです。「眼に見える教会の健全な一部分として存在するカトリック教会」という原則です。これは私が新カタリ派と呼ぶ原則です。カトリック教会を眼に見える一部分、少なくとも彼らの信仰において、潔白な部分に縮小してしまうのです(確かに、彼らは自分たちの道徳においてはこのようには主張していません)。これは現実的にカトリック教会を眼に見えるものではない状態にしてしまいます。なぜなら健全な部分と腐った部分との境界の線引きをすることは不可能だからです。従ってこの説は教会が眼に見えるものであるということを否定します。ウィリアムソン司教は現実的に自分たち以外の人々、彼が腐敗していると呼ぶ人々との交わりを拒絶し、この残りの部分はカトリック教会ではないと考えることで自らを正当化しています。

 ですが、ウィリアムソン司教には次のことがわからないのでしょうか? つまり、現在の状況下でウィリアムソン司教は、教皇のいない──彼によれば現在の教皇は腐った残りの部分にいるのであり、健全な部分にいるのではないのですから──「小さな教会 (Petite Eglise)」に結論としてたどり着いていることが。
こうしてウィリアムソン司教は──これと反対のことをいくつもいくつも主張しているにも関わらず──少なくとも事実上、教皇聖座空位論へと陥っています。いわゆるこの「レジスタンス」の苦々しい実りを通して、私たちはこのような間違った原則の悪を理解できるでしょう。つまり、この間違った原則をもとにした司教聖別は正統ではあり得ないということです。

 聖なるカトリック教会は、このような間違った原則を決して教えてきませんでしたし、常に拒絶してきました。聖ピオ十世会はこのような間違った原則を決して教えず、またはっきりと拒絶します。

 聖ピオ十世会の偉大な原則とは、もっととても単純で健全です。つまり、忠実ということです! あらゆる時代の信仰に忠実であること、あらゆる時代の典礼に忠実であること、聖人たちの道徳に忠実であり、かつ、あらゆる時代の教会──聖人たちと罪人たちが聖職者たちの間にさえも入り混じっている──に、彼らの罪には同意することなく、妥協することなく忠実である、ということです。


 聖なる童貞マリアが、このご訪問の祝日に私たちが忠実なままとどまれるよう助けてくださいますように。聖母は、いとも忠実なる童貞女であられました!

 フランソワ・レネー神父

脚注
[1] たとえば、引用すると「聖ピオ十世会の指導者たちは、真理、特にカトリックの真理の首位性について、理解力を失ってしまったかのようです」/2013年のウィリアムソン司教の聖ピオ十世会司祭たちへの公開書簡

[2] « Malos in Ecclesia, qui vel ignorantur vel pro unitate pacis tolerantur a bonis, non eis ad mala consentientibus obesse non posse » Breviculus Collationis cum Donatistas, I:10

[3]2013年3月8日「偽りの反リベラル主義者の錯覚」

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聖ピオ十世会 2015年8月 黙想会と大阪での聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語のミサ)

2015年08月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 8月には、日本での「第5回目」の、聖イグナチオによる霊操の黙想会がありました。第1回目は4名の方々が参加しました。今回は26名の方々が参加するお恵みを得たことを天主様に感謝します。北は北海道から南は長崎まで多くの方々が参加できたことをマリア様に感謝します。
 アジア管区長のシュテーリン神父様は、管区長としてはこれで日本に来られるのが3回目です。最初は昨年の9月、次は今年の秋田巡礼、そして今回の黙想会です。黙想会はシュテーリン神父様が指導してくださり、私はその通訳をいたしました。通訳をしながらその良き指導に感心しながら、黙想会に与っていました。

 この黙想会のために、お手伝いをして下さった方々や経済的にカンパをして下さった方々に心から感謝します。

 黙想会の後には、シュテーリン神父様は大阪で聖母被昇天のミサとその翌日の主日のミサ聖祭を捧げてくださいました。更に、私の実家にも足を運ばれ一日を共に休暇として過ごしました。私の両親に、シュテーリン神父様が子供の頃のころの思い出話をして下さり、そのやんちゃぶりに皆で笑いました。(「総告解」をしていたのかな?)
 極めてお忙しくいろいろな重責をお持ちながらこうやって配慮して下さったことをシュテーリン神父様に感謝します。
 来年の秋田巡礼に、また来て下さるとのことです。来年のこの時期に是非もう一度いらして戴いて、秋田巡礼でお約束なさった「聖母黙想会」を指導されることをお願いいたしました。これが実現することを聖母の汚れなき御心に委ねます。

 幾つかのお便りをご紹介することをお許し下さい。

 多くの霊魂が、私たちの主イエズス・キリストのその御憐れみと私たちに対する愛を知り、聖母マリア様が、罪人である私たちを憐れみ愛して下さるその御心に触れることが出来るように祈ります。

天主様に感謝!聖母マリア様に感謝します!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)




【お便り】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

マリア様の被昇天の大祝日にアジア管区長シュテーリン神父様に大阪で御ミサを上げて頂けた事は大変大きなお恵みでした。
黙想会を指導なさってお疲れの後にも関わらず場所を移動して一人でも多くの方々がマリア様の特別の日を祝う事が出来るよう配慮してくださった神父様方に感謝いたします。

8月15日 (土)聖母被昇天の祝日 の歌ミサには17名が、
8月16日 (主)聖霊降臨後第十二主日 の二つのミサには合わせて48名が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!!

8月15日の被昇天の御ミサでのお説教で、天主様の傑作であるマリア様がいかに偉大な方であったかだけでなく、マリア様に倣ってイエズス様のご受難の玄義に私達が参与すれば、マリア様がその御生涯の偉大な徳の報いとして得られた栄光を私達も聖母の子として受けることが出来る希望もこの被昇天の玄義に含まれていることに大きな希望を持ちました。シュテーリン神父様が何度も仰っていたように、「天主の御業はなんと感嘆すべきものでしょう!」

8月16日の主日のお説教では、この日の聖福音の『善きサマリア人の譬話』を黙想いたしました。今まで、『困った人を助けることは大切だ』という教訓くらいにしか思っていませんでしたが、もっと奥の深い意味があることを知りました。
強盗に襲われた半死半生の人のように、現代では霊魂が半死半生な人々が私達の周りには溢れていること、その人々の救霊のため働かなくではならないことがはっきりとわかりました。
御ミサを終わって帰路、兄弟姉妹達はどれだけ射祷を唱えながら帰ったことでしょうか。

公教要理では、黙想(念祷)の大切さをお話頂きました。
天主様と目と目、心と心をあわせる。天主の真理が現実で、この世こそが儚い夢うつつだと確信してから天主の御前に卑しい自分がいることを意識する。イエズス様の聖心の中に卑しい自分が念祷によって入る事が許されることに感謝と驚きを抱く。ロザリオの祈りを唱える前に5分、黙想してから唱えるともっと祈りに集中できて良い祈りになる。などなど、黙想のコツを沢山教えて頂きました。
帰ってから言われたとおり、ロザリオの前に小さな黙想をしてみましたら本当に集中して祈ることができました。

超御多忙のアジア管区長のシュテーリン神父様に黙想会と被昇天の御ミサをして頂けて本当に感謝いたします。
移動、ミッション、聖務と通訳まで疲労困ぱいされていらっしゃるでしょう小野田神父様、ありがとうございました。
神父様方の天主様への愛と隣人への愛のお手本に刺激されて、私達信徒も本気で天国をめざそうと思います!




【お便り】
+ Ave Maria Immaculata!

トマス小野田圭志神父様
 聖イグナチオ・デ・ロヨラの霊操による黙想会に参加させていただきまして、本当にありがとうございました。
 主が私を愛するためにあれほどの御苦しみを引き受けてくださったのですから、私も主への愛のために十字架を担いたい、主をお愛しして死にたい、そのために聖寵をいただきたいと心から思っています。霊魂を鼓舞するとても素晴らしい内容でした。
 マリア様は私に偶然このお恵みをくださったのではなく、以前から準備をしてくださっていたと感じます。
 日々短い時間でご苦難の黙想をするつもりです。またそれだけでなく、日々全生活をもって主の十字架に与り、主と一致するお恵みを願います。全身全霊で、あたかもイエズス様と化してしまわなければならないと思います。そのためにもマリア様ご自身に私のうちにあって生きてくださいと祈っています。
 言葉に表すのみでなく実行に移し、完遂することができますように、弱い私のためにお祈りをお願いいたします。

 無原罪の聖母の騎士会入会式において、無原罪の聖母の騎士となる誓約をさせていただきまして、ありがとうございました!マリア様の被昇天の大祝日、そして聖母の土曜日に、こんなお恵みをいただけるとは1年前には思ってもいませんでした。これも聖ピオ十世会と、シュテーリン神父様、トマス小野田神父様のおかげです。心から感謝いたしております。(・・・)




【お便り】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

この度は、霊操の準備、莫大な講話の通訳、食事中の読書、25人近くの総告解、霊的指導、その他様々な労をとって下さって、本当にありがとうございました!!m(_ _)m
神父様の労の実として、霊操や御ミサにいらっしゃった方が全員、聖人となる事ができますように!! (・・・)



【お便り】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

黙想会ではご指導と、通訳、告解、御ミサなど本当にありがとうございました。

私は黙想会に参加する前は、「黙想」が大変苦手でした。以前クチュール神父様からも黙想(念祷)の大切さを何度か伺ったことがありましたがどうしても気が散ってしまい、黙想が上手く出来ない自分を不甲斐なく思いまた、信仰の薄さを嘆きながらのこの度のチャレンジでした。
イグナチオの霊操による黙想会では段階をもって黙想の方法を細かく説明して頂き、黙想の助になる色々なお話をお聞きしたりしてその後に黙想してみると、今までと違って深くよく黙想出来ました。あっという間に時間が過ぎて、もう少しこのまま黙想したかったと思う事もしばしばで、今まででは考えられないことでした。

小野田神父様がよく、「イエズス様の聖心に深くお入りになってください」とおっしゃいますが、この黙想会で初めて理解できたように思います。(;´∀`)
まだまだ未熟ですが黙想会を終えてからも今のところの毎朝、毎ロザリオの前に黙想をするのが楽しみになりました。

霊操のプログラムに組み込まれている総告解では大きなイエズス様の憐れみと愛を感じながら告解をする事が出来ました。シュテーリン神父様の総告解にするにあたっての講話では深い安心感と信頼をもって究明と告白に臨む大きな助けを頂けました。
思っていた以上に意味のある黙想会でしたので、私だけでなく参加された方々はきっとそれぞれ大きな御恵みをいただかれたことと思います。

黙想会に参加する御恵みを下さった天主様の御摂理に感嘆せずにはいられません。
貧しい場所にも関わらず驚異の謙遜と愛を持って御聖体としておいで下さるイエズス様に全てをお捧したと思います。
いつもそばにいて私達をイエズス様へと導いてくださる天の優しいお母様に感謝いたします。

シュテーリン神父様、
小野田神父様、
本当にありがとうございました。



【お便り】
+Ave Maria! Immaculata!

小野田神父様、シュテーリン神父様、この度の聖イグナチオの霊操による黙想会と、大阪の御ミサのミッションをありがとうございました。

急遽、ホテルでの黙想会となりましたが、インマクラータは「大逆転の大勝利」をおさめられたと思います。当初の予定の場所であれば、御聖堂と講話会場は別になる可能性がありましたが、ホテルの研修室が御聖堂、兼、講話会場になったことで、神父様が準備してくださった御聖櫃を安置して、御聖櫃の御前で、終日黙想会ができました!
日本のホテルの研修室に、5日間も御聖体にまします天主様が、おいでくださいました!
またインマクラータの騎士が6人増えました!
(最終日の無原罪聖母の騎士の入会式の後、参加した全員26人がインマクラータの騎士でありました!)
インマクラータは御自分の騎士の黙想会ためには、特別に取り計らってくださるのだと思うと、感謝で涙が止まりませんでした。

さらに、黙想会の会場となったホテルには、新大阪とホテル間を送迎するバスがあり、参加者の皆さんが集合に大変便利でした。
送迎バスのおかげで、18:30から被昇天の大祝日の歌ミサを新大阪の巡回聖堂で捧げることができ、たくさんの方が御ミサに与ることができました!

毎日の御ミサ、御聖体の御前での講話、黙想、朝、夕の祈り、ロザリオの祈り、黙想会の締めくくりの御聖体降福式を、天主様に感謝!インマクラータに感謝!申し上げます。

黙想会の始めに、シュテーリン神父様が「聖イグナチオの霊操は、ロザリオや茶色のスカプラリオと同様に聖母マリア様がお与えくださったもの。」と教えてくださり、呆然となりました。聖母マリア様は、ご自分の愛する子供たちに「霊操」までお与えくださったのだと、これまた、感謝で涙が止まりませんでした。

これまで「霊操」の本を読んだだけでは、少し難しく理解できませんでしたが、
シュテーリン神父様の素晴らしい講話で、大変良く理解でき、黙想も集中することができました。心はイエズス様への愛と忠誠心に燃えたちました。
また罪を深く痛悔し、罪を忌嫌って、遷善の決心を固く結びました。
聖母マリア様は「霊操」によって、イエズス様へと深く導かれるからですね。

黙想会後も、教えていただいたとおりに毎日15分以上黙想を続けております(*^_^*)
イエズス・キリスト御国の騎士として、自分と隣人の救霊のために、この世と悪魔に打ち勝つためには、「黙想」も必要不可欠な武器なのだと、痛感しました。

黙想の準備の祈り=「私の思い、行動、言葉、感情は全て、天主の栄光のため。私と私に託された隣人の救霊のために」と、小野田神父様のまねをして「天主の御前に出でて恭しく礼拝せん」を、電車でも、歩いていても、お掃除をしていても、いつも口ずさんでいます。そうするといつも天主様の御前にいることを意識できますね。(*^_^*)

インマクラータは、9回の秋田巡礼の後(ノヴェナにも思える準備期間でしょうか)、日本にインマクラータの騎士たちをおつくりになり、騎士には、「霊操」による黙想会を与えてくださり、「黙想」と「遷善の決心」という武器も装備させてくださったと思います。

どんなにか激務の中、御自分たちのことは二の次で、私たち日本の信徒の救霊のためだけに、はるばる日本に来てくださったシュテーリン神父様と、小野田神父様には、感謝の気持ちをどんな言葉でも表しきれません。
天主様がその善に報いてくださいますように。
インマクラータが神父様がたを、いつも護り、お導きくださいますように。

至聖なるイエズス様の聖心よ、我らをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。

長文お赦しください(>_



【お便り】
この度の聖イグナチオの霊操による黙想会を、天主様に、シュテーリン神父様に、小野田神父様に心から感謝いたします。
天主様の無限の愛と憐れみ、マリア様の愛により、私を今までこの世においてくださり、聖イグナチオの霊操の黙想会に参加させてくださいました。
黙想会の素晴らしさを初めて味わうことができました。
毎日の御ミサに与ることができました。全ての講話は私に語りかけているように思いました。
天主様と一致するための黙想の方法や、悪魔の攻撃に打ち勝つよう祈ることを教えていただきました。
もしもこのまま一度も参加できなかったとしたら、どうなっていたでしょうか?と思います。(・・・)

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聖ピオ十世会 聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ) 2015年8月2日 SSPX Latin Traditional Mass

2015年08月19日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

 愛する兄弟姉妹の皆様、少し遅れてしまいましたが、8月の第1主日の東京でのミサ聖祭のお説教をご紹介します。「祈り」と「痛悔」(改悛)について、お話ししました。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



 2015年8月2日 聖霊降臨後第10主日

  小野田神父 説教


 聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。今日は2015年8月2日、聖霊降臨後第10主日のミサをしております。今日この御ミサの後、14時30分から、いつものように公教要理の勉強、今日は、「第5戒 汝殺すなかれ」について。そして16時から第2晩課があります。明日は、朝の7時からミサがあります。

 8月の予定ですが、大阪では、8月15日の夕方の18時30分から、被昇天のミサがある事になりました。これは、今までの予定にはなかったのですけれども、都合で付け加える事になりました。そして8月16日には大阪で、朝の9時と10時30分から、午前中にミサがあります。8月11日から15日までは、黙想会を行います。聖イグナチオの霊操による黙想会で、参加者を募ったところ、満席になりました。どうぞ、実り豊かな黙想会の為にお祈り下さい。

 9月の最初の第1主日は、9月6日ですが、6月のように、13時30分からミサを予定しています。予定が変更になってしまった事を申し訳なく思います。9月6日は、午後の13時30分からです。

 また、お祈りのお願いですけれども、このミサに来られておられる、ピオ大関さんのお母様が、先月、私が病者の訪問と祝福に行って、祝福をしたのですけれども、残念ながら、その数日後に、天主様に霊魂を返されました。どうぞお母様の為にお祈り下さい。また、大阪の信徒会長のお母様も、先週の月曜日に亡くなられました。どうぞ、マリアさんの為にお祈り下さい。


 「天主よ、罪人である私を憐れんで下さい。」
 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
 
 愛する兄弟の皆さん、今日は収税使、税吏人の回心、祈りの話が出ています。ファリザイ人の祈りと、収税人の祈りとを比較して、その収税人の祈りは聞き入れられた。そこで、私たちは今日、その祈りの為に、或いは聖徳の為に、聖化の為に必要な2つの要素をみる事に致します。そしてその要素をみると、まさにここにこそ天主様の憐れみ、本当の憐れみというのが何か分かります。そして、その天主様の憐れみにもかかわらず、その私たちがもしも、良い聖化をするならば、2つの要素をしなければなりません。それをもっと完成させる為に、憐れみをもっと頂く為に、私たちが何ができるか、そして最後に、いくつか具体的な遷善の決心を立てる事に致しましょう。
 
 第1の点は、聖徳の最も基本的な、重要な要素が2つあります。これは、この収税人の祈りをみると分かります。謙遜な祈りであって、痛悔の祈りであって、祈りの内における痛悔です。この収税人は、目を天に上げようともせずに、謙遜の内に、罪人である、という事を認めて祈っていました。「罪人である私を憐れみ下さい。」と、そして胸を打ちながら、その祈りの内に痛悔をしていました。
 
 これをみると明らかに、聖化の為に必要な、そして聖徳を構成する要素の2つが分かります。それは、「祈り」という事と、「痛悔」です。罪の償いという事です。

 この2つの要素があったが為に、十字架に付けられた、イエズス様と共に付けられた良き盗賊、ディスマスは、「主よ、御身が楽園に至る時に、私を思い出して下さい。」という祈りを以って、痛悔の祈りを以って、「汝、今日楽園に我と共にあらん。」という言葉を聞きました。
 
 イエズス様は、またある例えで、「一人の人が痛悔すればそれは、99人の痛悔を必要としない義人たちよりも更に、大きな喜びが天国にある。」と、言ったのと同じです。
 
 「祈り」と「痛悔」、これをこの今日の収税人は示していました。
 
 ところで第2のポイントは、イエズス様は天主は、その全能をどうやって私たちに示すか、という事を、今日の集祷文でいいます。これにも、2つの要素があります。天主の持つ真の憐れみというのは、罪人たちを、痛悔、悔悛、祈りへと呼びかけて、そしてもしも、その罪人たちが、その呼びかけに応えて痛悔するならば、第2の点に、彼らを喜んで受け入れて、そして彼らを義とする、という事です。私たちにとって必要なのは、まさにこの「痛悔する、私が罪人であるという事を認める」というその謙遜の心です、そしてそれと同時に、「私を、罪人である私を憐れんで下さい。」という祈りです。まさにその2つがあると、天主は私たちを憐れんで、私たちを聖化して下さいます。
 
 ですから今日、集祷文にも、「天主はその全能を、私たちを容赦して、そして私たちを憐れむ事によって、全能を最大に表す。“parcendo maxime et miserando manifestas.”」と、あります。
 
 ところで第3の点ですが、この私たちがその痛悔をする、この悔悛を、私たちが罪人である事を認める、という時には、多くの人にとって、それは、それさえもできずにいます。その罪を認める為に跪いて、そして胸を打つ、「私は罪を犯した。主に憐れみを求めなければならない。」という事さえも、拒む人がいます、多くの人々がいます。多くの御恵みを、私たちは頂いているにもかかわらず、それを認めようとしない人々がいます。
 
 ですから、集祷文では更にこう言います、「multiplica misericordiam tuam.“御身の憐れみをもっと増やして下さい”。」ですから私たちもその祈りをしなければなりません。
 
 では、どうやって祈りをしなければならないのでしょうか。それは、罪人、そのような方々の為に、私たちが進んで、罪の償いや犠牲を捧げる事です。そしてこれを、イエズス様が、イエズス様の聖心が私たちに求めています。マリア様も、ルルドで、或いはラサレットで、或いはファチマで、私たちに求めました。「悔悛。悔悛。悔悛。毎日、ロザリオを祈りなさい。そして天主様の栄光が表われるように、どうぞ小さなチャペルをここに造って下さい。」と、ルルドでも、ファチマでも仰りました。
 
 私たちはですから、祈りと償いを捧げなければなりません。私たちの為に、そして多くの方々の救霊の為に捧げなければなりません。
 
 では、結論に、何をどのような遷善の決心を取ったら良いでしょうか。
 
 この私たちの祈りと、そして謙遜のこの収税人の模範が、まさにこの全くこれの祈りをしている、最大の祈りが、まず聖伝のミサです。ミサを、この聖伝のミサには、多くの場所で、私たちが罪人である、という事を、そして私たちは主の憐れみを必要としている、という事を、罪を謙遜に告白させ、そして跪かせ、そして天主に憐れみを乞う祈りがたくさん、宝石の様な祈りが散りばめられています。どうぞこの聖伝のミサをよく、このミサによく与るようになさって下さい。
 
 第2には、私たちは日々、祈りと償いの業を捧げましょう。特に8月は、マリア様の被昇天や、日本の主要の第1の守護の聖人である、マリア様の汚れ無き御心の祝日がありますから、マリア様に対するロザリオの祈り、そしてマリア様に対して犯される罪の償いの為にも、たくさんの小さな犠牲と償いを捧げて下さい。この暑さを捧げたり、或いは、他の人から、嫌な事を受けても、それを捧げたりなさって下さい。或いは、テレビやコンピューターや、その他の娯楽を捧げたり、或いは犠牲を伴うような何か、或いは好きな食べ物を食べずに、それをイエズス様にマリア様に捧げたり等なさって下さい。
 
 最後に、有名なフェデリコ・バラルト (Federico Balart) が、詩の一節にこんな事を言っているのを紹介して、この説教を終わりたいと思います。

 「お前は、謙遜になるだけ、天主に近付く。
 お前が、跪く時ほど、偉大になる時はない。」

Mejor á Dios te elevas cuando te humillas:
¡Nunca es más grande el hombre que de rodillas !

(HUMILDAD in "Dolores: Poesías" by Federico Balart)

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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2015年8月1日(初土)聖母の汚れなき御心のミサ SSPX Traditional Latin Mass

2015年08月11日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 8月15日の聖母の被昇天ですが、いつもミサ聖祭を捧げる新大阪のコロナホテルで、午後6時半からミサ聖祭(歌ミサ)を捧げるように予定が付け加わりました。アジア管区長のシュテーリン神父様が司式される予定です。よろしくお願いいたします。
 8月16日主日には、大阪で聖伝のミサが二回捧げられる予定です。

 また、9月6日の東京でのミサ聖祭ですが、都合により午後1時半からの開始の予定です。お間違えの無いようにお願い申し上げます。

 さて、今回は、8月1日に大阪での初土:聖母の汚れなき御心のミサの時の説教をご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2015年8月1日 初土曜日 聖母の汚れ無き御心の随意ミサ
 小野田神父 説教




 聖母の汚れ無き御心巡回教会にようこそ。今日は2015年8月1日、8月の初土曜日のミサをしています。聖母の汚れ無き御心の随意ミサです。

 8月の次のミサは、8月16日の主日で、いつもは夕方ですけれども、今回に限り、午前中にミサがあります。シュテーリン神父様と私と2つ、2回ミサがあります。8月16日の主日の、朝の9時と10時30分です。どうぞいらして下さい。


 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 愛する兄弟の皆さん、8月15日は、マリア様の被昇天であり、8月22日は、聖伝によれば、マリア様の汚れ無き御心の大祝日であって、日本の第1の主要の守護の聖人であり、また私たちの巡回教会も、マリア様の汚れ無き御心に捧げられた教会であります。今日は、その8月の初土曜日ですから、マリア様の汚れ無き御心、マリア様の御心がどれだけ聖寵が充ち満ち溢れていたのか、という事を黙想する事に致しましょう。

 マリア様の汚れ無き御心の聖寵の満ち溢れの、その偉大さを黙想しつつ、来たる被昇天、聖母の汚れ無き御心の祝日を準備する事に致しましょう。今日このミサを、準備の最初として捧げる事に致しましょう。

 この黙想のポイントは、1つは、「マリア様には、まず罪がなかった。」これはどういう事か。次に「マリア様は、どのようにして聖寵の恩寵を高め、いや増していったのか。」最後に、「私たちはそのようなマリア様に対して、どのような信心をするべきか。」決心を立てる事に致しましょう。

 皆さんもご存知の通り、私たちにとって「洗礼を受ける」という事は、成聖の恩寵の第1のスタートポイントです。洗礼を受ける事によって私たちは、天主様が元々私たちにくださろうとした御計画であった、それを望んでおられた、成聖の恩寵、天主様の命を、私たちが回復する事ができるようになります。原罪が赦され、天主様の命に再び生きる事ができるようになります。ですから私たちは、肉体的に生まれた後に、霊的に、水と霊によって、もう一度生まれ直さなければなりません。

 「霊と水によって生まれない者は、天の国には入れない。」と、イエズス様が仰ったその通りです。私たちにとってそれは、洗礼の儀式を通してきてなされます。が、マリア様は唯一例外でありました。マリア様は、天主御父が既に、御子を、天主御父の最も愛する天主御子を、その方に委ねるべく、その御母となるべく、聖霊の神殿となるべく、特別の準備をして、特別の恩寵で、原罪の1つの汚れも無く、聖アンナ様の胎内に宿る特権を受けた方であるからです。原罪の汚れの無い、受胎をなさった方であるからです。

 これには色々な理由があります。マリア様が原罪の汚れを特別に免れた、という事は、天主様の住まうべき、その天主の聖性と合う方でなければならなかった、天主の聖性がそれを、無限の聖性がそれを要求した事も1つの理由ですが、イエズス様の、御母に対する特別の愛、無限の愛と、イエズス様の全能が、それをさせたのも、もう1つの理由です。また、イエズス様がこの世に来られたその理由というのも、「私たちの、罪の支配からの解放」ですから、マリア様が、まず、罪の支配下に、1つたりとも、一瞬たりとも、あってはならなかった、その解放の目的を、最初からつまずかすわけにはいかなかった。

 教皇ピオ9世は、その「無原罪の御孕り」のドグマを制定する前に、全世界の司教、枢機卿たちに書簡を宛てて、委員会を作り、「マリア様の無原罪の御孕りをドグマにする事について、どうするか、どう思うか。」という意見を求めました。答えを出した司教は626名でした。その内、マリア様の無原罪の御孕りの教義に反対する答えは4つでした。その内、この4つは1つになります。ほぼ満場一致で、「このドグマをするべきだ。」、「昔から伝えられたこの、今まではこれを信じるか信じないかは自由であったけれども、これは使徒たちから伝えられた真理であるから、これを必ず信じるべきドグマとして公表しなければならない。」という、絶対多数の、ほぼ全員の意見がそうでした。53名の枢機卿の前、143名の全世界の司教たちの前で、ピオ9世教皇様は、「マリア様が無原罪の御孕りをなさった、原罪の汚れ無く、マリア様は、御母聖アンナ様の胎内に宿った。」という事を、これをドグマとして、全ての信徒が信じなければならないものとして、使徒たちから伝えられた真理、啓示された真理として公表しました。

 その4年後、1858年ルルドで、マリア様はベルナデッタに現れて、「Que soy era immaculada councepciou. “私は実に、無原罪の御孕りである。”」と、ご自分の名前を明かされました。

 ところで、第2に、「マリア様が無原罪で宿られた」という事は、単なる、原罪の為に私たちには聖寵が与えられなかった、私たちは罰を下されたのだけれども、その罰がただ免除された、だけではありません。それよりももっと肯定的な、偉大なものが与えられました。マリア様にとって、原罪が免除された、というのは一面であって、そのもう反面は、天主御父は、そのマリア様に、旧約時代の全ての預言者、王、司祭、義人、太祖たちが受けた全てのものを合わせたよりも、それをはるかに超えるような、ものすごい、今までかつて義人たちが受けた事がなかったような、それを全て合わせてもまだ足りないようなものすごい御恵みを、成聖の御恵みを、来たる御子の母として準備する為に、マリア様に全てを与えたということでした。

 天主御子も、ご自分の御母を愛する、その崇敬する、その敬愛の愛を込めて、マリア様に、「全ての恩寵を、聖寵を与え尽くそう。」と、思いました。

 聖霊も、その神殿として、その淨配として、マリア様に、そのご自分の持てる成聖の満ち充ちを、マリア様に与えようとしました。

 その最初の無原罪の御孕りの瞬間から、マリア様は、とてつもない、私たちが今まで想像した事もなかったような、夢にも思った事がなかったような、はるかに私たちの知性の把握を超えるような、巨大な御恵みを、大洋のような御恵みを頂いたのでした。

 マリア様の御恵みのその多さは、その最初の瞬間から、私たちの想像を超えています。

 つい今週、日本に来る前に、私はフィリピンで、子供たちの公教要理を教える為に、パラワンという田舎の島に行かなければなりませんでした。公教要理を教える人たちと、カテキスタ数名、フィリピンの方を連れて行ったのですけれども、少しミサが、午前中のミサが11時40分からという事で、朝少し時間があるからと言って、数時間、その部落は、川に面した所にある集落なのですけれども、そこから小さなボートを、バンカというのですが、それに乗らせてもらって、向こうにある島の方まで行きました。30分位行くと、その島に近付きます。もう海が非常に綺麗で、澄んでいて、透明で、底が見えるんです。何か、プールの、深いプールの上を舟が浮かんでいるようでした。魚も見えるし、波はほとんどないし、こうガラスのように透いていて、底が見えて、青い澄んだ綺麗な海で、その向かいの島に、ちょっとした白い砂浜があって、そこには人が何ヶ月も踏んだ事がなかったと思うのですけれども、白い砂は、波にこうもまれて、いつも回っているので、私たちが上陸すると、とてもソフトで、足を踏むと、ブクブクブクッと泡を立てて、海の水の中にある砂でも、スポンジのように柔らかくて、誰も踏んだ事が無いような、泡が出るような所で、綺麗に澄んでいて、そんな綺麗な海を見ると、マリア様の受けた聖寵を何か想像出来るような感じがします。マリア様が、最初の、無原罪の御孕りを受けた瞬間、その綺麗な澄んだ海が、この地球上の全ての海の底知れない、綺麗な澄んだ、大洋のお恵みの大海原を想像できるかもしれません。

 サン・スルピスという有名な修道会がありますが、スルピス会の創立者である、オリエ神父様は、こう言っています、「この無原罪の御孕りの瞬間に、天主は、旧約時代、全ての義人の霊魂達が受けた、全ての完徳と、全てのお恵みを、マリア様に集めて与えた」と。このオリエ神父様は、「マリア様の無原罪の御孕りのその最初の瞬間から、聖霊は、最も完璧な、最も高貴な霊魂達が、今まで受けた事がなかったような、今後も受ける事のないような、全てのお恵みをもっと更に、マリア様の霊魂に注ぎ込み出した。」と、言っています。

 第3のポイントは、マリア様は実は、最初のこの無原罪の御孕りのその瞬間、はかり知れない大海原の様なお恵みを受けたのみならず、マリア様が成長するに従って、この受けたお恵みを、更に、ますます、増加させていった、という事です。

 皆さんもご存知のように、私たちが成聖の状態に於いて、何か愛の行いをすれば、イエズス様の為に小さな行いをすれば、それは無限の功徳を積む事ができます。例えば、昨日黙想した聖イグナチオのように、償いの苦行、或いは、告解、或いは御聖体拝領、或いは断食、大斎小斎、或いは巡礼、或いは愛の全ての行い、施し、お祈りによって増加します。全ての過去の大聖人がそうであったように、霊魂に於いて、成聖はますます高められて増加して、そのイエズス様が下さったお恵みに応えれば応えるほど、更に更に、大きな聖徳を、愛徳を、聖寵を得る事ができます。

 まさにマリア様も、その最初の瞬間から、ますます、全ての瞬間瞬間を使って、大きくしていきました。三位一体は、マリア様の霊魂に於いて、いつも常駐しながら、いつも留まりながら、マリア様の霊魂にますます多くの聖寵を与え続けていきました。マリア様はそれに対応して、それに応えて、ますます愛の行いをしていきました。もしも聖イグナチオが、それだけの罪人から大聖人になったとしたら、マリア様の汚れ無き御孕りからは、どれほどの聖寵があったことでしょうか、増加があった事でしょうか。

 マリア様は、聖伝によれば、「3歳、或いは4歳の時に、聖アンナ様とヨアキム様の手によって聖伝に奉献させられた。マリア様は自ら、神殿の中で、天主に祈り、自らを全く捧げた。」とあります。その12年後、15歳、或いは16歳の時に、聖霊のお恵みの、聖寵の益々益々のいや増しを受けたマリア様は、聖ガブリエルからの挨拶を受けます、「めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主は御身と共に在す。」マリア様の心は全て、天主様の為だけのものでした。マリア様の心は、童貞の心であって、主への愛しか知らない方でありました。マリア様は既にその時に、全てを天主様に捧げる婢女として、準備ができていました、「はい、私を必要とするならば、どうぞここにおります。我は主の婢女なり、仰せの如く我になれかし。」

 この愛の一言によって、もちろんマリア様は、ますます聖寵をいや増し続けました。その瞬間イエズス様も、マリア様の御胎内に、人となって、住み給いました。

 もしもマリア様が、その後にイエズス様をお運びして、御胎内に宿しながら、生ける御聖櫃となって、聖エリザベトを訪問して、聖エリザベトの胎内にいた洗者聖ヨハネを挨拶の言葉をもって聖化したとすれば、罪を赦したとすれば、もしも、マリア様の胎内に隠れたイエズス様の力がそれほどであれば、直接、マリア様の中におられたイエズス様は、どれほどの御力をもって、マリア様を聖化し続けたことでしょうか。

 マリア様は、イエズス様を、御降誕、クリスマスの時にお産みになります。マリア様の御心には、御霊魂の中には、どれほどの聖寵と喜びと、平和がいや増し続けた事でしょうか。マリア様は、イエズス様をお連れして、エジプトに避難します。或いはエジプトから戻ってナザレトに住みます。30年間、ナザレトでのイエズス様との生活、イエズス様への愛の生活。或いはイエズス様を、12歳の時に神殿で探された事、福音書には、「マリア様は、全てこれらの事をその心に、汚れ無き御心に留めて、その事を思い巡らせておられた。」と、あります。

 イエズス様の公生活、マリア様を離れての生活。或いはイエズス様の御受難をご覧になるマリア様、御悲しみの聖母。或いは、マリア様がその汚れ無い御心に刺し貫かれたその剣、どれほど御悲しみになられた事か。マリア様がそれまでに、どれほどの功徳を積まれたことか、愛の行いをされた事か。

 私たちは、口で、言葉で表現する能力を既に失っています。ちょうど私たちが言葉で説明するのは、この大宇宙の銀河系、或いは全宇宙の何とか星雲、もう私たちがロケットで飛ばして、はやぶさ号で行ってちょっと土を取って戻って来て、「あぁ、すごい。こんな土を取ってくることができた。」と言うに似ています。私たちがいくら言葉を尽くしても、それにも関わらず、もっと深い神秘が、マリア様の神秘があって、もう言葉で私たちが表現できずに、マリア様に対して、沈黙の内に祈るしかないほどの、ものすごい御恵みをマリア様はお持ちです。それを汚れ無き御心に留めておりました。

 聖霊降臨、マリア様の受けた御聖体拝領。おそらく聖ヨハネが捧げたミサから、マリア様は御聖体拝領をした事でしょう。大聖人たちが御聖体拝領をそれば、そのお恵みは、ものすごいものを聖人たちは受けていました。マリア様の受けた御聖体拝領、一回一回は、ものすごいものだったに違いありません。一回一回がマリア様にとって、おそらく脱魂状態を起こさせるような、愛の御聖体拝領だったに違いありません。一回一回の御聖体拝領が、益々のお恵みの溢れを引き起こしたに違いありません。

 マリア様の被昇天。イエズス様を愛するがあまり、この肉体は霊魂をそのままに留めておく事ができなかった、被昇天。

 そのようなマリア様は、その汚れ無き御心を以って、天主を愛し、私たちを愛しておられます。天主の婢女として、また私たちに対する母として、私たちに、「善を施そう。」と思っておられます。まさにマリア様こそ、私たちの救いであって、私たちの慰めであって、私たちの避難所であります。マリア様の汚れ無き御心こそが、私たちを天国に導く道となるものです。

 ちょうどこのような黙想をすると、私たちは一体どのような遷善の決心を立てなければならないでしょうか。

 まず、マリア様のその汚れ無き御心におかれた、その成聖の満ち溢れの、その私たちの言葉に言う事ができない、その言葉をはるかに超える、その私にとっても無限のようにさえ思える、マリア様の素晴らしさ、聖寵の満ち溢れ、その汚れ無き御心を賛美する事に致しましょう。

 マリア様の汚れ無き御心に対して特別の信心を持つ事に致しましょう。マリア様の汚れ無き御心を、お慰めする事に致しましょう。

 第2回目のファチマでのご出現の時に、6月13日に、マリア様は3人の子供に、ルチア、ジャシンタ、フランシスコたちに現れて、こう言いました、「イエズス様は、この世に、私の汚れ無き御心への信心を確立する事を望んでおられます。私は、その信心を受け入れる全ての人々に、救いを約束します。これらの霊魂たちは、天主によって愛され、私自身によって、天主の玉座を飾る花として、天主に捧げられる、という事を約束します。」

 特に、シスタールチアを通して私たちに、「私は、あなたを決して離れません。私の汚れ無き御心は、あなたの避難所となり、天主へとあなたを導く道となる事でしょう。」

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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2015年7月31日 聖イグナチオ・デ・ロヨラの聖伝のミサ SSPX Latin Traditional Mass

2015年08月08日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 8月15日の聖母の被昇天ですが、いつもミサ聖祭を捧げる新大阪のコロナホテルで、午後6時半からミサ聖祭(歌ミサ)を捧げるように予定が付け加わりました。
 8月16日主日には、大阪で聖伝のミサが二回捧げられる予定です。アジア管区長のシュテーリン神父様が訪問される予定です。

 また、9月6日の東京でのミサ聖祭ですが、都合により午後1時半からの開始の予定です。お間違えの無いようにお願い申し上げます。

 さて、今回は、7月31日に大阪での聖伝のミサの時の説教をご紹介します。日本に聖フランシスコ・ザベリオを派遣してくださった大恩人である聖イグナチオ・デ・ロヨラについてお話ししました。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2015年7月31日 証聖者聖イグナチオ・デ・ロヨラの祝日



  小野田神父 説教

 聖母の汚れ無き御心巡回教会にようこそ。今日は2015年7月31日、聖イグナチオのミサを行っています。

 このミサは特に、今週の月曜日に亡くなられた、マリアさんの、信徒会長様のお母様の霊魂の為に捧げられています。会長のお母様は、会長の手によって、緊急の洗礼を受けたい、という事で洗礼を受けて、そしてマリアという霊名で、そして私の訪問をお待ちだったのです。本来なら、今回日本に来た時に、お母様にお目にかかって、できれば終油の秘跡とか、或いは必要な祝福を、病者の祝福を、本当は授ける予定でしたが、一足先に主に召されてしまいました。どうぞ、お母様の為にお祈り下さい。

 
 「聖イグナチオ、我らの為に祈り給え。」
 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 愛する兄弟の皆さん、今日は聖イグナチオの祝日ですので、聖イグナチオの人生について、黙想してみましょう。

 聖イグナチオは、どういう人生を辿って、そして一体何がきっかけで大聖人になって、どんな事業をイエズス様の為になさったのか、そしてそれを見て、私たちがどんな点で、聖イグナチオを真似しなければならないのか、或いは、聖イグナチオの人生を黙想した、何か、私たちに与える教訓は何かを、見てみる事にします。

 聖イグナチオは、1491年にスペインのロヨラ城で、お父さんの名前は、ベルトラン・デ・オナス・イ・ロヨラ、そしてお母さんは、マリナ・デ・リコナ・イ・バルダ、というお父さんとお母さんを持った、夫婦の一番最後の末っ子として生まれて来ました。そして幼い頃は、イニゴという名前で、そのオナ地方にあった、ベネディクト会の修道者の聖人の大修道院長の名前を取ったのですが、後にローマ時代の、イグナチオと名前を変える事になります。

 子供の頃は、その当時の流行に従って、スペインでは非常に流行っていた、『騎士の物語』、エル・シードとか騎士が、イスラム教の、キリスト教に反対する人たちからの戦いに、都市を守って、そして貴婦人を助けて、そして英雄的な生涯を送る、騎士道の精神を守る、そして騎士としての栄光を高める、という本をたくさん読んで、それに憧れていました。

 そして、ちょうどその機会がやってきました、というのは、1517年に、ナヘラという伯爵の騎士として、兵士として仕える事ができるようになったからです。そしてその当時、その上流社会に出入りして、貴婦人を見て、「あぁ、この貴婦人が良いなぁ、好きだなぁ。」とか、或いは、この世の楽しみ、この世の栄華、この世の楽しみなどに非常に大きな憧れを持っていました。そしてそれを追及する為に、「騎士道の道を、ますます歩こう。」と、思っていました。そして彼は、イニゴには、それなりの体力と、勇気と力もありました。

 そのようなイニゴにとって、大きな転換期がやってきました。それは、1521年、フランスのアンドレ・ド・フォアという、ナバラ地方にいたフランス人が、それは力のある貴族だったのですけれども、それをスペインの、そこのイニゴが仕えていた上司に対して攻撃をかけます。そしてそのパンペルーナ城に対する攻撃に対して、イニゴが皆と力を合わせて、それに対抗します。上司はすぐに退却するのですけれども、イニゴたちだけは残って、一生懸命それに反撃するのです。結局5月20日、それは聖霊降臨後の月曜日、大砲の弾がイニゴの足に当たって、足の間で避けて、そして負傷を負って、もう歩く事ができなくなります。骨を折って、そしてイニゴが倒れたのを見て、他の仲間たちは皆、これで降参してしまいます。スペインのパンペルーナ城は負けてしまうのです。一生懸命、敵ながらにあっぱれに戦っていたイニゴを見て、フランス人たちも彼を助けて、治療して、家に帰させるのです。

 療養中、自分の家でいつも読んでいた、ロマンの本を、騎士道の本を、「ないかなぁ。」と、探すのです。しかし、そこにあった本は、『キリストの生涯』と、『聖人伝』だけでした。そこで、その時間に任せて、『聖人伝』、『キリストの生涯』を読んで、時を過ごしましたが、『聖人伝』を読めば読むほど、『キリストの生涯』を読めば読むほど、「自分にはもっと、仕えるべきもっと高貴な王がいる。」と、いう事が分かりました。今まで知らなかった、超自然の、天の王国についての事に目が覚めたのです。

 そこでイニゴは、「あぁ、私はもっと偉大な王に仕えなければならない。私の仕えるべき王は、イエズス・キリストだ。そして、もしもこの聖人たちが、これほどキリストの為に仕えたのならば、私も真似をして、彼らのようになりたい。断食をして、苦行をして、そしてイエズス・キリストに仕えたい。」という望みを多く持つようになりました。そしてイニゴは、「これからは、罪の償いと、悔悛と、苦行の生活を送りたい。」という願いに燃えて、「そして聖人たちに倣って、自分もエルサレムに巡礼に行きたい。そしてキリストの、イエズス様の生涯の色々な場所を訪問して、そこで黙想して、そこで一生を送りたい。そして巡礼者の霊魂の助けをしたい。」という決心を立てるようになります。

 そしてここでイニゴは、この大砲が当たって大怪我をしたおかげで、大回心をする事になります。今まで世俗の事だけに、世俗の栄光だけを夢見たのが、キリストの為に仕える痛悔者となったのです。

 そこでイニゴは、歩けるようになると、すぐにエルサレムの方に巡礼に行く事にします。しかし、そのエルサレムにすぐに行くのではなく、その前に、近くにあったモンセラトというマリア様の巡礼地があって、「そこでまず総告解をしよう。」という事で、そこに巡礼に行って、3日間良心の糾明をして、そして総告解をします。

 そしてその告解をした後に、ちょうどその当時の習慣では、騎士道では、人が青年が騎士になる時には、御聖堂に行って、一晩中寝ずのお祈りをします。そしてその夜通しのお祈りをした後に、特別の儀式があって、騎士に叙任されて、そして騎士の服を受けて、そして正式な騎士とするのですけれども、イニゴは、総告解をした後に、一晩中、モンセラトのマリア様の前でお祈りをして、寝ずのお祈りをして、そしてその翌日、今まで着ていた貴族の服を乞食に与えて、乞食に、「交換しよう。」と、言うのです。そしてこれからは、袋の汚い服を着て、そしてそのマリア様の所の聖堂に、自分の付けていた刀や、短剣を置いて、そして、「これからは、生涯、新しい一生を送るのだ。」という事でミサに与って、ちょうどその日は、1522年3月25日、聖体拝領をして、そして至聖所を、モンセラトの至聖所を出発します。

 かといって、どこに行くという当てもなく、「とにかく主の導きのままに。」と、言って出るのです。ところで、イグナチオと服を交換した乞食は後で逮捕されて、「お前、どっかで盗んで来たんじゃないか。」と。イグナチオがそれを説明するまで、泥棒の疑いをかけられたそうです。

 話は戻りますが、イグナチオがそこのモンセラトの至聖所を出ると、たまたま、非常に心の良いカトリックの婦人がいて、イニエス・パスカルという女性に会います。そしてその方がイグナチオをそこに泊める事をするように招いてくれます。そしてこのような乞食のみそぼらしい彼を、彼女がそれを受け入れて、その間、イグナチオは彼女のところに留まりながら、祈りと黙想に耽ります。マンレサ洞窟に行っては、お祈りをし、そして断食をし、特にイエズス様についての御受難を読んで、黙想し、ミサに与り、そして祈りと償いと苦行の生活を送ります。

 そうしてそういう時に、色々な傷心の問題や、或いは誘惑の問題や、色々な霊的な闘いがあるのですけれども、その時に色々な光を受けて、ある時には一週間、8日間続けて脱魂状態にあった、という記録が残っています、そしてそのような、特に霊的な修練に於いて、メモを取って出来たのが、『霊操』といわれるもので、そのノートが元になって、将来、『黙想をする30日の霊操』というものが成立します。

 最初は、罪の償い、改悛、という事だけしか頭になく、キリストに仕えたい、聖人に倣いたい、という事で巡礼の旅に出た聖イグナチオは、このお祈りの後に、霊的な師となって、大変化をする事になります。

 そしてその後にイグナチオは、そのイニエス・パスカルさんたちの家を出て、いつも黙想していた洞窟、マンレサの洞窟を離れて、とうとうエルサレムに旅立ちます。イグナチオが旅立つ時には、そのイニエス・パスカルさんと家族たちは、「私たちは、天使であり、私たちの聖人である、大きな友人を失ってしまった。」と、非常に悲しんだそうです。

 1523年の2月に聖地に向かって、そして聖地に到着して、聖地の色々な所を訪問して、非常に霊的な大きな慰めを受けます。が、フランシスコ会の管理者の方が、「お前は家に帰れ。お前のような者がいると、誘拐されたり、大きな問題が起こるから、すぐ帰ってもらいたい。」と、言われて、イグナチオはそれに従って、せっかく何年もかけてようやく辿り着いたエルサレムを離れて、スペインに戻ります。かといって、一体何をするべきなのか分からなくて、「とにかく霊魂の為になりたい、イエズス・キリストに倣いたい。」という思いで、その巡礼の地から離れなければなりませんでした。もしもそのような命令が無ければ、イグナチオは一生涯、聖地に骨を埋めていた事だったのです。

 しかし、イグナチオはスペインに戻って、「霊魂を救う為には、霊魂たちの役に立つ為には、キリストについての話をするには、そして自分の見出した、この『霊操』の指導をするには、霊的な話をするには、自分もちょっと学をつけなければならない。」という事で、33歳だったにもかかわらず、学校の小さな子供たちに混ざって、学校で勉強しだします。そして2年間、子供たちと一緒に勉強して、そしてアルカラという所の大学に行き、そこで何か、異端の疑いをかけられたので、次にはサラマンカの大学に行き、そしてそこでもまた、疑いがかけられて、牢獄に入れられ、今度はパリに行きます。

 そしてパリで神学を勉強して、そして多くの良い友人たちと会います。ペトロ・ファベル、聖フランシスコ・ザヴェリオ、ライネス、サルメロン、シモン・ロドリゲス、ニコラス・バディラ、などという6人の同志がいて、そして彼らと一緒に、「イエズス様の為に何かをしよう。」そして話しが合って、そして1534年8月15日、パリのモンマルトルのチャペルで、清貧と、貞潔と、そしてエルサレムに巡礼に行く、という3つの約束をして、それから、「これから自分たちは一緒に、自己聖化の道を捧げよう。」という風になります。

 そして、その約束の通り、自分たちの立てた誓願の通り、エルサレムに行こうとするのですけれども、その当時トルコと、戦っていたトルコ軍が海を、地中海を占領していた為に、舟は、エルサレムに行くような舟はありませんでした。幾度、何度も待っても待っても待っても、舟はない、という事で、「もしも天主様の聖旨がそうであるならば、エルサレムに行く代わりに、教皇様に、私たちの奉仕を捧げよう。」という事で、ローマに行きます。

 そして、「私たちは、イエズス様の為に戦う騎士であり、イエズス様の為に戦う小さな軍隊だから、この軍隊を教皇様は使って下さい。」そして、イエズス様の軍隊という事で、『イエズス会』という名前を付け出します。

 しかし、このイエズス会も、最初は修道会という明確なものはなかったのですけれども、しかしその当時、カトリック教会全体をみると、イスラム教徒からの危険、或いはプロテスタントによって、多くのカトリックの国々が影響を受けてしまって、教会を離れてしまっている。イギリスはヘンリー8世が、教会を離教状態にしてしまった。或いはフランスとスペインは、互いにバルワ家とハプスブルク家が戦っている。そして残念ながら、ルネッサンスの影響で道徳もゆるんでしまっている。そして多くの人々は、キリスト教について何も知らない、無知がはびこっている。という事で、「私たちは何か、永続的なものをしなければならない。」という事で、「1つの修道会として、従順の誓願を立てる。」という事を決意しました。

 そして、教皇様パウロ3世が、1540年9月27日に勅令を出して、そのイエズス会を公式に認可する事になります。

 すると、もしも従順であるならば、長上を決めなければなりません。そして、「長上を誰か、これから投票をして決めよう。」という事になります。

 ところで、その当時ポルトガルは、とても海洋的に力のある国でした。そしてアメリカにはブラジル、そしてアフリカにはエチオピア、そしてアジアにはインドがあって、その当時ポルトガル人は種子島にもやって来て、そして「日本と是非、そのポルトガルに、その色々な外国の所に、ポルトガルの領地に司祭を派遣して欲しい。」という事で、ポルトガルの王ヨハネ3世が、イグナチオにお願いするので、イグナチオはそこで、「さあ、すぐに是非派遣して欲しい。」という事で、すぐ近くにいた聖フランシスコ・ザヴェリオを送る事にします。本当は、別のロドリゲスを送る予定だったのですけれども、病気で、ザヴェリオがそこのすぐ近くにいたので、「お前、行け。」という事で、「はい。」と、行く事になります。
 イグナチオは、聖フランシスコ・ザヴェリオを送る事になります。

 聖フランシスコ・ザヴェリオは、イグナチオを非常に敬愛していて、イグナチオに手紙を書くには、いつも跪いて手紙を書いていたそうです。そしてイグナチオのサインをいつも胸に置いて、イグナチオの事を慕っていた。その「聖フランシスコ・ザヴェリオとイグナチオは本当に一番の弟子であった。」と、言われています。

 聖フランシスコ・ザヴェリオは、イグナチオができなかったような事を、インドや、或いは日本や、という所でして、そして多くの霊魂たちを回心させます。

 聖フランシスコ・ザヴェリオがインドに旅立つ前に、総長を選ぶ投票を、名前を書いていくのですけれども、そこにはイグナチオの名前が載っていました。総長の投票の時には、全員一致で、イグナチオ以外を除いて、皆がイグナチオが総長をやるように。イグナチオはそれを受けて皆に話をします、自分がやるには相応しくない、という理由をたくさん述べて。「だから3日間もう一度お祈りをして、もう一度投票しよう。」と。皆が同意して、3日間お祈りして、もう一度投票すると、皆がイグナチオを投票します。するとイグナチオはそれを受けて、霊的指導司祭に話をして、「彼に相談する。」そして彼に罪を告白して、その全てを打ち明けて、そして、「私はあなたの指導に従う。」すると、その神父様は手紙を書いて、「皆の前で読むように。」と。その手紙には、「イグナチオに命じて、総長の職を受けるように。」と言われ、そして聖イグナチオは総長になる事になります。

 すると、これからはローマに留まって、イエズス会を監督、指導しなければなりません。全く新しい生活が始まります。戦争の時に受けた足の傷や、断食や苦行で弱っていた体で、非常に健康には恵まれなったのですけれども、しかし総長として、非常に素晴らしい仕事をします。イエズス会は世界中に多くの会員を広め、日本、インド、イギリス、そしてプロテスタントのドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、或いはアメリカ大陸にも広がって、そしてそのイエズス会の基礎を作ります。

 イエズス会は、非常に天主様の聖旨に適った修道会であった、という事は、その実りを見ると分かります。瞬く間に全世界に広まって、多くの人々が、イエズス会の手を通して、カトリックに回心します。そしてプロテスタントによって失われてしまった者よりもはるかに多くの者が、イエズス会の手を通して、イエズス様の元にもたらされました。

 後の時代には、学校教育を通して、宣教を通して、多くの霊魂がイエズス会の宣教師の手を通して、お恵みを受けます。多くの王たちや貴族たちも、イエズス会の素晴らしい知性を通して、霊的な指導を受けたり、そして教皇様は、イエズス会の素晴らしい神学者によって、トリエント公会議を進めたり、或いは、学校教育を通して、多くの子供たちが無料で、非常に高い水準の教育を受ける事ができました。

 「もしも、フランス革命が起こってしまったのは、それは残念ながら、イエズス会が廃止されて、そしてイエズス会によって教育を受ける事ができなかった人々が多くあったからだ。」とも言われます。

 或いは、「もしも、イエズス会が非常にカトリック教会の敵から攻撃を受けたのは、実はイエズス会こそが、カトリック教会を守る、非常に固い砦だったからだ。」

 特に日本は、最初のイエズス会の最も誇る聖人、最も高貴な聖フランシスコ・ザヴェリオをすぐに私たちの宣教師として受けた、特別のゆかりのある地ですから、聖イグナチオには深い恩義があります。

 私たちは、聖イグナチオの生涯をみて、どのような事を考えなければならないのでしょうか。
 イエズス様は、罪人であっても、それを使う事を良しとされる、という事です。聖パウロもそうでした。教会を迫害していたサウロはパウロとなって、教会の為に働く大使徒となりました。
 野心と、この世の栄華と、快楽を追及していた様なイニゴも、回心して、キリストの騎士となって、イエズス・キリストを真似る者となって、そして、全世界をカトリックに戻す為のイエズス会を創立する者となりました。

 聖イグナチオが元々思っていた、「エルサレムの巡礼」とか、「エルサレムに居てその巡礼者の奉仕をする」というのは全く打ち砕かれてしまいましたけれども、それよりも更に素晴らしい計画を、イエズス様は聖イグナチオを通して実現されました。多くの霊魂が、聖イグナチオと、その創るイエズス会を通して、果たされました。

 私たちも是非、聖イグナチオの御取り次ぎによって、例え私たちが罪人であっても、イエズス様の良き道具となる事によって、多くの霊魂を救う事を、イエズス様が望まれる、という事を記憶する事に致しましょう。

 そしてイグナチオの様に、厳しい苦行と、お祈りと、脱魂のお恵みは頂けないかもしれませんが、しかし、罪の償いの精神は、少なくとも真似る事に致しましょう。特にイグナチオは、マリア様の元で回心をしました、お祈りと回心と、そして霊操を受けました。ですから、マリア様の御取り次ぎをもって、私たちもイグナチオの精神を受けるように、キリストに従う精神を受けるように致しましょう。

 私たちはこの夏、霊操を、黙想会をする事ができそうです。ですから、聖イグナチオの御取り次ぎによって、私たちの黙想会を祝福して下さって、そして良い黙想会ができるようにお祈り致しましょう。

 「聖イグナチオ、我らの為に祈り給え。」
 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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2015年8月聖伝のミサ Traditional Latin Mass SSPX Japan

2015年08月06日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 8月の日本での聖伝のミサのご報告を申し上げます。

 7月31日の聖イグナチオ・デ・ロヨラの祝日に大阪でミサ聖祭を捧げることが出来たのは大きなお恵みでした。

 8月2日には、東京で歌ミサを捧げることが出来ました。天主様に感謝!東京では、午後の公教要理で、天主の十戒の第5戒を復習しました。

 ところで、来月の9月6日の東京でのミサは、都合により午後1時半からの開始となります。よろしくお願いいたします。

 The next month, on September 6th, Mass in Tokyo will start at 1:30 pm. I am sorry for the inconvenience which we may cause because of this change.


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
こんばんは。8月の初土曜日のミサの報告をお送りいたします。

7月31日(金) 聖イグナチオの歌ミサには12人が、
8月1日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサの歌ミサには16人が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!

金曜日のお説教では、聖イグナチオ・ロヨラについてお話頂きました。聖イグナチオが改心した後に聖地へ行く前に、マリア様に巡礼してそこで黙想し総告解をしてからエルサレムに向かったという話を聞いて、聖イグナチオのような大聖人でさえそうしたのであれば、私のような者はマリア様に入り浸っていなければどうにもならないと痛感いたしました。 聖フランシスコ・ザビエルが敬愛する聖イグナチオに跪いて手紙を書いていたという逸話を思い出して、ちょっと跪いてこのメールを打ってみようとしましたが・・・無理でした(;´∀`) 聖イグナチオが、 聖フランシスコ・ザビエルを日本へ派遣して下さった事にも感謝申し上げ、残して下さった「霊操」による黙想会に与る人々が良い実をむすぶことが出来るようお取次ぎをお願いしたいと思います。

土曜日のお説教では8月に「聖母被昇天」「聖母の汚れなき御心」の祝日をお迎えする準備として マリア様がどれだけ聖寵に満ち溢れていらっしゃったか、どれほど素晴らしかったかを黙想いたしました。
神父様のお説教を拝聴しながら、マリア様の霊魂の美しさをどんどん想像していて、マリア様の素晴らしさを思うだけで自分まで幸福な気持ちになりました。
ぜひこの素晴らしお説教を沢山の方々に聞いて頂いて一緒にマリア様の大祝日の良い準備をして頂きたいと思います。お説教のアップをお待ちしています。

土曜日の御ミサ後、Veni Creator Spiritus を歌ってから公教要理の続き 「人間」についてでした。 人と動物の霊魂の違い、霊魂が滅びないという理由、アダムとエワの原初の義の状態などを勉強いたしました。

両日大阪では猛暑日で、神父様にはお疲れの事と思います。どうぞご自愛くださいませ。
大阪でのミッション、ありがとうございました。
日本に大きな回心と多くの救霊を祈りつつ


【報告】
Dear Fr Onoda:
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 16人(内、子供1人)
女: 15人(内、子供1人)
計: 31人(内、子供2人)

【お便り】
アヴェ・マリア! トマス小野田神父様
“Circuibo et immolabo hostiam jubilationis”
「私は祭壇に廻って、喜びの生贄を屠ろう。」
聖霊降臨後第6主日の神父様のお説教はとても良かったでした。神学的に一級の内容だと思いました。今まで、キリストに対する愛についていろいろ悩みましたが、これによって益々真にキリストにならい、一致を深め、益々誠にキリストを愛していきたいと思っています。“主が私たちを愛されているように、自分も主を愛し返されるまで心が安らぐことがないのです“といったような聖人の言葉があると思いますが、これと同じ気持ちだと思います。
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アヴェ・マリア・インマクラータ!
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