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ダ・ヴィンチ・コードについてカトリック香港司教区で反論のDVD

2006年10月26日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!


 兄弟姉妹の皆様、
 ダ・ヴィンチ・コードについてカトリック香港司教区で反論のDVDを出しています。
 
くわしくは、次のサイトをご覧下さい。

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梵蒂岡當案 I (創刊號,06年4月號)
The Vatican Files I (April 06)
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* 獨家專訪:陳日君樞機談中梵及台灣...... (繁/簡體中文及英文字幕)
* Exclusive Interview with Cardinal Joseph ZEN: Sino-Vatican relationship and Taiwan (Cantonese, Tradition/Simplified Chinese and English Subtitle)
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 その他、同シリーズは次をご覧下さい。

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「ダ・ヴィンチ・コード現象」が、プロテスタント諸教派の方々に提示した聖書とその権威の問題

2006年07月08日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア! 聖エリザベトの祝日にて

ダ・ヴィンチ・コードが提示した問題



 あれほど騒がれた『ダ・ヴィンチ・コード』も、既にワールド・カップとテポドンとに話題が移ってしまったようだ。今さら、何をという感じだが、私には「ダ・ヴィンチ・コード現象」が、プロテスタント諸教派の方々に次の疑問を提示したと思われる。



 それは、

聖書とはいったい誰がこれを聖書と決めたのか? 
どれが本物の福音でそれが天主の霊感を受けて書かれたというは、どうして私たちに知られたのか? 
聖マテオ、聖マルコ、聖ルカ、聖ヨハネの四福音は正典の本物の福音だけれど、その他が正典ではないとはどうして分かるのか? 

ということだ。

 


 そんな中、以前 Mr.James と言う方からコメントをいただいた。その方のブログへの招待の書き込みだった。そこでそこを訪問させていただいたところ、この方は「北国のこひつじ」さんという名前でブログを作っておられ、20代でプロテスタントのクリスチャンになり今は60代半ばの方だ。難病の奥様を看病をなさっておられ、さぞかし大変だろうなぁと思った。とても良い方のようにお見受けした。



【聖書の権威について】


 「北国のこひつじ」さんはそのブログでこう断言する。

「聖書こそ、神が人類に与えた最大のプレゼント。」
「なんとひとりよがりな人だろうと思われるかもしれません。しかし、私は確信をもって、みなさんに聖書こそ、人生の道しるべであり、人生の大海原を航海する者にとって、安全な羅針盤であると断言することが出来るのであります。」

「絶対的な権威を持って人生のすべてに解答を与える唯一の書物があります。すなわち、それは「聖書」(BIBLE)であります。「聖書」は人間的な目ではなく、全知全能なる神(創造者)の視点から、記されている永遠の真理の書であります。ですから、100%間違いのない書物であります。」



 「北国のこひつじ」さんはその理由を聖書を引用して次のように説明する。

「下に記したみことばにありますように、神の霊感によって記されたのは「聖書」のみであります。
●「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(Ⅱテモテ3:16)
●「‥‥すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。 なぜなら、預言(聖書のことば)は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。 」(Ⅱペテロ1:20,21)。」



 上は「北国のこひつじ」さんの長年の確信だから、おそらく疑問に思ったこともないかもしれない。おそらく私の上記の疑問も、考える余地もないに違いないだろう。

 


 ▲しかしここで次のような疑問がわき起こるではないか?


(1)「聖書はすべて、神の霊感による」「聖書の預言はみな、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語った」ということが聖書の中に書かれていたとして、これが真理であるという保証がどこにあるのだろうか? 


 言い換えると、もしも万が一(どうか荒唐無稽な譬えと空想を許して下さい)、誰かが自分の書いた本の中で、ここで書かれているものはすべて「霊感による」と主張しかつ断言し「聖霊に動かされて書いた」などと言ったとし「全て事実で真実だ」、「この本こそ、神が人類に与えた最大のプレゼント」、「この本こそ、人生の道しるべであると断言する」と言ったとていもそれが正しいという保証では全くない、ということだ。


 つまり、現実に起こった話をすると、ダン・ブラウンはダ・ヴィンチ・コードの巻頭で「芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述はすべて事実に基づいている」と断言している。しかし、それだけではその主張が正しいという保証には全くならないのと同じだ。


 もしかしたらダン・ブラウンは次の本で「ここに書かれている内容は、天主からの霊感による」と自分を主張するかもしれない。しかし、それだけではその主張が正しいという保証には全くならないと言うことだ。



(2)さらに「聖書はすべて、神の霊感による」ということからは、必ずしも「聖書以外には、霊感のものがない」とは主張できないのではないか?という疑問だ。例えば私が「日本人はみな素晴らしい」が真だったとしても、必ずしも「日本人以外は、素晴らしい人はいない」が真とは言えないのと同じだ。だから聖書のこの語句からの引用だけからでは「絶対的な権威を持って人生のすべてに解答を与える唯一の書物」であるとは言えないのではないか。




【聖書に含まれる書について】


 さらに「北国のこひつじ」さんはそのブログでこう断言する。


「『ユダの福音書』なるものが神の霊感による書であるかのように言いふらす人がいるならば、全く話にならない馬鹿げたことであります。」


「真のクリスチャンは(『ユダの福音書』などによって)、聖書が神の唯一の啓示の書であり、永遠の真理であるという確信が揺らぐようなことはなく、惑わされるはずがありません。」


「聖書は旧約39巻と新約27巻の66巻で、今から約2,000年前に既に完成(完結)されたものであります。この「聖書」66巻のみが、神の霊感によって記された「聖書」として存在しているのであります。」


「既に完結された聖書66巻のみが、神の唯一の啓示の書であります。」




 「北国のこひつじ」さんはその理由を次のように説明している。



「これらの聖書のみことばは、「聖書」こそ神が人類に与えられた唯一の啓示の書であるということを力強く語るものであり、これを決して忘れてはならないのであります。
●「私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令を、守らなければならない。」(申命記4:2)。
●「神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。 」(箴言30:5,6)。
●「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。 」(ヨハネの黙示録22:18,19)。」

 



 ▲しかし私たちには次のような疑問がわき起こるではないか。


「申命記」と「箴言」と「ヨハネの黙示録」にそう書いてあるのは分かった。しかし


(1)いったい誰が「聖書は旧約39巻と新約27巻の66巻」と教えているのか? 何故、聖書は旧約が47巻とか27巻ではなく、また新約は17巻でも37巻でもないとはどうして分かったのか? この「聖書」66巻のみが、神の霊感によって記された「聖書」として存在している、とは聖書に書いてあるのか? もし聖書に書いてないのなら、誰が決めたのか? 誰からそれを教わったのか?


(2)いったい誰が「聖書は今から約2,000年前に既に完成(完結)された」と教えているのか? そのように聖書に書いてあるのか? もし聖書に書いてないのなら、誰が決めたのか? 誰からそれを教わったのか?


(3)いったい誰が「既に完結された聖書66巻のみが、神の唯一の啓示の書であります」と教えているのか? 何故、それ以外には啓示の書がない、と言えるのか? そのことは聖書に書いてあるのか? もし聖書に書いてないのなら、誰が決めたのか? 誰からそれを教わったのか?


(4)何故、『ユダの福音書』なるものが神の霊感による書であるかのように言いふらす人がいるならば、全く話にならない馬鹿げたことであると言えるのか? その根拠は何なのか? そのことは聖書に書いてあるのか? もし聖書に書いてないのなら、誰が決めたのか? 誰からそれを教わったのか?

 


 残念ながら
「聖書は旧約39巻と新約27巻の66巻」とも
「聖書は今から約2,000年前に既に完成(完結)された」とも
「既に完結された聖書66巻のみが、神の唯一の啓示の書であります」とも
「『ユダの福音書』なるものが神の霊感による書ではない」とも、
聖書には書かれてはいない。


 今、世界中で売られている聖書の目次にはそう書かれているかもしれないけれど、もともとそのような目次は、聖書にはついていなかったし、聖書の一部でもない。後世の人が便宜のために付けたものだ。



 では、これは誰が決めたのか? 「私が読んでそう思った」から、それが正しくなるのか? もし「私が読んで、霊感を受けて(?)そう思った」なら、『ユダの福音書』なるものを読んだ人が「これが聖書であると私が決めました、私はそう思います、私はそういうフィーリングを受けました、しかし、私は確信をもって、『ユダの福音書』こそ、正しい聖書であると断言することが出来るのであります。」と言ったら、いったい何と言って答えるのか?



 もしも「私が読んで霊感を受けて、そう思った、私にはそうする権威がある」と主張するなら、その権威の正当性はどこにあるのか? その権威を主張し出してしまったのなら、どこかの新興宗教の教祖と同じではないのか?


 つい最近ダ・ヴィンチ・コードに入れ知恵を受けた、どこかの新興宗教の教祖(?)が、全く客観的な根拠もなく独りよがりな、言いたい放題のトンデモ発言をしているのを耳にした。極めて「民主主義的な」主張で、「数が多ければ正しい」的な発言をしている。例えば、この教祖はこう主張していた。「聖書だけ」という原理を推し進めるとこう言うところまでに行き着いてしまうのではないだろうか。あまりにも荒唐無稽な発言であるが、実は悲しいことに、現代日本では多くの日本人の方々が、この種のトンデモ宗教にはまり込んでいるので、一部引用するのをお許し願いたい。



「紀元4世紀までは、福音書と呼ばれるものは全部で37本ありました。その中には、ピリポやマリア、トマスの福音書などが含まれていました。しかし、そのうち33本が禁書扱いになり、伝えた者は張り付けの刑に処され、弾圧されました。それゆえに、全世界の人々が、現代のキリスト教の教えに飢え、乾きを覚えるのです。・・・ しかし、そういう中でも、グノーシス派と呼ばれる人々が隠れて真実のイエスの教えを細々と広げていました。今は失われた霊的な部分です。そこにはヘルメスやトスの指導が為されていました。いつの時代もひどい迫害を受けながらも、ある者はエジプトに、スペインに、インド、ギリシャ、マケドニアに広げてゆき、またイスラム教の中にも生き延びていきました。そういう意味で、マグダラのマリアは真実のキリスト教の主たる一つを担っていたといえます。最近表に出てきたこの話、~中略~時代が証明しようとしています。自分たちは37分の37を知っているんだという強さがあるんですよ。大多数の人々は37分の4~中略~マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書の4つだけなんです。、このダヴィンチコードの書籍の前書きには、「これは小説だが、真実に基づいている」というくだりがありまして、これにバチカンが驚いたんです。SONYピクチャーズに、映画化された際にこのくだりは載せないでしょうね?とバチカンが聞いてきたんですね。もちろんSONYピクチャーズは、いえ、載せます、と剣もほろろに回答したんです。これが現在のキリスト教に関してのパワーバランスですね。みんなは、誰が正しいのかを知りたいのではなく、何が正しいのかを知りたいんだ、ということが分かります。」

「イエスを通じて説いた愛の教えの中には、現在の教会を通して伝わっているものと伝わっていないものがあるということです。新約聖書の福音書は紀元4世紀までは37種類あったということが確認されています。それだけ宗教の自由な時代があったということです。しかし、西暦383年の宗教会議により37種類の福音書のうち33種類が地下へもぐってしまった。それらを教え広めた者は打ち首に処する、ということになってしまった。・・・34/37という、かなりのものが伝わっていないのが現状です。当時信仰告白したら火あぶりでしょうから。この異変をなんとなくわれわれも感じてきた2000年間だったわけです。なぜ私たちは全世界伝道をしなければならないのか、それは主の教えを伝えていくことは勿論のことですが、37/37をきちんと伝えられるのは私たちだからです。実はイエスはここまで説いていたんだよ、と伝えていけるのですから。」

 


 これらの新興宗教の教祖は「私が霊感を受けてそう思った」と同じ論理をつかって主張しているのだ。実際に自称「福音」とか「聖典」というトンデモ本は、古代にもあったし、現代にも作られている。

 


 では何故四聖福音だけが本物の福音で、その他多数の自称「福音」は偽物だと言えるのか? 



 四聖福音だけが本物の福音で、その他多数の自称「福音」は偽物だとは聖書に書いてもなく、私たちが決めたのでもないなら、私たちはだれからそれを教わったのか? 聖書自体、私たちに、神感に関するなんらの証明をも与えないし、内容の真偽をも証明してはいないから、聖書をだけをもって説明しても主観的思い込みの独りよがりになるだけだないだろうか。だから、私たちには、聖書以外に、《聖書とはいう本は、これこれの部分からなっているもので、その主要著者は天主である》とおしえてくれる生きた権威が必要だ。書物それ自体には、こういう勤めをはたす力はないからだ。




【何故私たちは聖書を天主の御言葉であると信じるのか?】


 では、いったい誰から?


 それでは、聖書とはいったい誰がこれを聖書と決めたのか? どれが本物の福音でそれが天主の霊感を受けて書かれたというは、どうして私たちに知られたのか? 聖マテオ、聖マルコ、聖ルカ、聖ヨハネの四福音は正典の本物の福音だけれど、その他が正典ではないとはどうして分かるのか? 



 私たちはキリストの創立した唯一の教会からそれを教えてもらった。教会の生きた権威が、初代において、いま私たちがもっている新約聖書の27巻をこのように纏め、天主から霊感を受けて書かれた書であると宣言したした。


 それは、生きる教導権であるカトリック教会が初代から私たちに、教会の権威をもって、四福音書を含める全二七巻の新約聖書を、天主の霊感によって記録された天主の御言葉であると保証しているからだ。


 したがって、たとえば、教会がそれらをうけいれず、また、認めなかったとするなら、天主からの霊感の有無すら認められることがなく、いま、新約聖書として知られている本は存在もしないにちがいない。


 つまり私たちキリスト者が、聖書を天主の御言葉であると信じる理由は、私たちがカトリック教会の不可謬の教導権を信じるからである。そして、それ以外には単なる思い込みと独りよがりになってしまう。


 では、何故、カトリック教会の不可謬の権威を信じるのか? 何故なら、私たちは真の天主であり真の人間である私たちの主イエズス・キリストの証言を信じるからだ。何故なら、キリストはペトロの上に自分の教会を建て、地獄の門もそれに打ち勝たないと約束され、世の終わりまでこの教会と共にいる、と約束されたからだ。


 では、何故、イエズス・キリストを証言を信じるのか? 何故なら、イエズス・キリストはこの世を創造した天主、人となった天主であるということを証明されたからだ。


 何故、天主を信じるのか? 何故なら、天主は真理であり私たちを騙すことも騙されることも間違えることも無いからである。


 そして天主イエズス・キリストの権威を持って、キリストの創立した教会はこう宣言した。



====引用開始====



 聖霊において合法的に召集された、この神聖にして侵すべからぬトレント世界教会会議は、誤謬を取除き、教会の中に福音の純粋性そのものを保存するため、常に次のことを目前に置き、すなわち、かつて預言者たちを通して聖書の中で約束されしものを、天主の御子なる私たちの主イエズス・キリスト御自身の口によって公布し給い、次にご自分の使徒たちを通して、全ての救いの真理と道徳律との源泉として「全ての被造物に述べ伝え」(マルコ16・15)られるように命じ給うたということを念頭に置き、更には、キリスト自身の口から使徒達らが受けた、または聖霊の口述によってその使徒達自身からあたかも手から手へ渡すようにして伝えられたこの真理と規律とは、我々にまで辿り伝わってきたが、それらは、書かれた書物と、書かれていない伝承とに含まれていることを知り通し、正統信仰を持つ教父たちの模範に従って、旧約と新約の全ての書物を、唯一の天主が両聖書の著者である故に、そしてまた同じように、キリストによって口授されたものであれ、聖霊が書取らせたものであれ、カトリック教会において絶えず受継がれて保存されている、信仰或いは道徳に関する伝承そのものを、同じ敬虔の愛情と尊敬の心をもって受入れ、尊ぶものである。


 公会議は、誰一人として疑いが起こり得ないように、この公会議によって受け入れられた聖なる書の目録がこの教令に書き加えられるべきであると判断した。受け入れられた聖なる書は以下の通りである。



旧 約 聖 書 は、

モーセの5書、すなわち、創世、脱出(=出エジプト)、レヴィ、荒野(=民数)、第2法(=申命)、
ヨシュア(=ヨズエ)、判事(=士師)、ルト、列王1、2(=サムエル上、下)、列王3、4、歴代上、下(=年代記前・後)、エスドラ、ネへミヤのと言われる書、トビヤ、ユディト、エステル、
ヨブ、ダビドの150詩篇、格言(=箴言)、コへレット(=伝道)、雅歌、知恵、シラ(=集会)、
イザヤ、エレミヤ(哀歌を含む)、バルク【エレミアの手紙を含む】、エゼキエル、ダニエル、12の小預言者達の書、すなわち、ホゼア、ヨエル、アモス、アブディア、ヨナ、ミケア、ナホム、ハバクク、ソフォニア、ハガイ、ザカリア、マラキア、
マカベオ前、後である。


【注:カトリック教会は、七〇人訳ギリシア語聖書のままを正典目録として霊感の書であり、天主の御言葉として尊ぶべきことを教え、(エレミアの手紙とバルクの書とを区別すれば)旧約には四七巻があることを認めている。】



新 約 聖 書 は、

マテオ、マルコ、ルカ、ヨハネによる四つの福音書と
福音記者ルカによる使徒行録、
使徒パウロの14の書簡(ローマ、1、2コリント、ガラチア、エフェソ、フィリッピ、コロサイ、1、2テサロニケ、1、2ティモテオ、チト、フィレモン、ヘブライ)、
使徒ペトロ2書簡、使徒ヨハネの3書簡、使徒ヤコボの書簡、使徒ユダの書簡、使徒ヨハネの黙示録である。


====引用終了====



 だから私たちには次の疑問は既に回答が与えられている。


聖書とは、カトリック教会がこれを聖書と決めた。

どれが本物の福音で、それが天主の霊感を受けて書かれたというは、カトリック教会の教導権によって私たちに知られた。

聖マテオ、聖マルコ、聖ルカ、聖ヨハネの四福音は正典の本物の福音だけれど、その他が正典ではないとは、カトリック教会がそう教えているから私たちに知らされた。



 つまり、カトリック教会なくしては、聖書もなかった。

 

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100年ほど前に、西インド諸島(les Antilles)であったことを考える

2006年06月22日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

ダ・ヴィンチ・コードと世界の反応

 


 100年ほど前に、西インド諸島(les Antilles)でおよそ次のようなことがあった。


 約100年前の或る聖金曜日に、西インド諸島の或る町で、フリーメーソンの会員が、十字架を持って冒涜し、それを近くの休火山の山頂の火口に棄てたことがあった。その当時、一人の小教区の司祭を除いて、だれもそれに抗議の声を上げなかった。


 その数ヶ週間後の早朝、誰にも夢にも思っていなかったことが起こった。その火山は突然噴火し、大量の土砂を吐き出してその町を一瞬にして埋め尽くしてしまった。その町から生きて逃れることが出来たものは、たまたまその町を離れていた用事があった人などで、数えるほどしかいなかった。西インド諸島の人たちは、この火山の噴火を聖金曜日の冒涜の天罰であったとすぐに理解した。


 ノエの方舟の時代も、ソドマとゴモラの時も同じように、例え少数でも誰かが悪に対して抗議する人がいれば、町全体は救われただろう。たとえ多くの人々が黙っていようとも、残念ながら抗議が理解されなかったとしても。



 おそらく日本の司教様たちは、お忙しくて、ダ・ヴィンチ・コードの凶悪さにお気づきにならなかったのだろう。その他のお仕事がたくさんありすぎたのだろう。だから、誰かそれに気がついた人々が、代わりに、出来る限りをして補うべきではないだろうか。


 天主の御恵みによって、その危険さに気づかされた私たちは、不幸なことが私たちの愛する祖国日本に起こらないように願って償いを捧げたい。だから私たちは、司教様たちのためにも続けてお祈りを捧げたい。



 主よ、憐れみ給え!
 イエズスの至聖なる聖心よ、我等を憐れみ給え!
 聖母の汚れ無き御心よ、我等のために祈り給え!

 



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■どなたからか次のような書き込みをいただいた。


> 罪!悪!冒涜!などとヒステリックになじったり、不買やら上映反対などといった動きがあり、また、信者のそういった言動を教会幹部がセーブするどころか逆に煽り立てるという...。
> そういうのを見聞きするにつけ、非カトリック・非キリストで良かったなと思うのが、日本人の多数意見だと思います。



▲コメント▲


 「日本人の多数意見」・・・、また出たか。



 今の流行がミニスカートで、平気で下着を見せるのが普通なのに、もしもキリスト教信者が「それは慎みがない」といってそうしないとすると、「日本人の多数意見」がおかしく思うから、みんなと同じことをするべきだ。



 みんなが下品な冗談を言って笑っているのに、自分だけカトリックだからといって笑わないのは、「日本人の多数意見」がおかしく思うから、みんなと同じように下品な冗談をするべきだ。



 みんな子供は少ないのに、たくさん子供に恵まれると、「日本人の多数意見」に、だからカトリックは、とおかしく思われるから、みんなと同じことをするべきだ。



 他の日本人がみんなこうしているから、みんなやっているから、みんな読んでいるから、そうしないと、「日本人の多数意見」におかしく思われる、「だからカトリックは、ああなんだ」と変に思われるから、みんなと同じことをするべきだ。・・・ そう言いながら、日本のカトリックは、カトリックであることを止めてしまうのではないか。塩が塩の味を失うのではないか。光を升に隠してしまうのではないか。


 「日本人の多数意見」・・・、もうたくさんだ。
 私たちは、「みんなの多数意見」ではなく、良いことは何か、真理は何か、を考えてすべきではないだろうか。

 


 更に、良く考えてみよう。

 例えば自分の母親について、悪意を持って、讒言し名誉を毀損し、不倫や不誠実と欺瞞を並べ立てる小説を書き映画を作ったとする。それについて母親の真理を知っている子供が抗議も何もしなかったとしたら、「日本人の多数意見」は、おかしな子供だ、と思うのだろうか? それとも抗議して当然だ、と思うのだろうか?
 子供であるにもかかわらず、その讒言について、出来たにもかかわらず何も抗議しなかったら、子供は無関心・親不孝だと馬鹿にされるだろう。「寛容だ」と褒める人はいないだろう。口では褒めるかもしれないけれど。



 日本の領土であるにもかかわらず、例えば、或る外国が天然資源を発掘したり、外国政府が選挙の投票箱を設置したり、外国が領有権を主張したり、主権を侵害したりしたとしよう。そのようなことに対して、政府責任者が抗議したら、「日本人の多数意見」は、おかしな政府責任者だ、と思うのだろうか?
 日本政府の責任者が何も抗議しなかったら、日本国政府は無能・無関心だと自国民からも外国からも馬鹿にされるだろう。「寛容だ」と褒める人はどこを探してもいないだろう。利益を受ける外国の新聞の社説では賞賛されるかもしれないけれど。



 もしも例えば、誰かが今度は、ホロコーストは無かったという映画を作ったとしよう。そうしたらおそらく、多くのユダヤ人たちが抗議をして、不買やら上映反対などといった動きがあるだろう。「日本人の多数意見」は、ユダヤ人に同情するのではないだろうか?



 結局、「日本人の多数意見」とやらいうものも、マスメディアに操作されて作られているんではないだろうか?

 



> なんていうかねえ、せっかく聖書に愛とか寛容の精神が書いてあるんだから、教会も信者も実践して欲しいものですね。


 「愛」というのは、まず天主への愛、真理への愛だ。全てはそこに基づく。真理への愛があれば、ウソに対して憎むのが当然だ。


 「寛容」というのは「罪人」に対するものであって、「罪」と「誤謬」に対するものではない。


 聖書には、天主への冒涜については極めて恐ろしい天罰の話がよく載っている。




> 映画と事実は異なるということを論理立てて地道に反論すればいいのに、わざわざ悪・罪・冒涜といった言葉を使うと、不寛容で攻撃的な印象が広まってかえって逆効果ですよ。



 まず「映画と事実は異なるということを論理立てた反論」については、私たちなりに反論を準備してネット上に掲載している。

http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/b19dc2128e644a3446f0dc164642d1ff


 しかし、人間がどう思おうとも、悪・罪・冒涜は存在する。だから悪・罪・冒涜を悪・罪・冒涜と呼んでいるのだ。


 悪・罪・冒涜は、まず第一にそして主要に、天主の御稜威を傷つけ犯す。次に副次的に、社会と人間と自分自身を傷つける。


 悪・罪・冒涜は、それに対する償いを要求する。誰かが償いを支払わなければならない。何故なら、天主は、憐れみであると同時に、正義であるからだ。


 誤謬を誤謬として指摘する必要はある。しかし、悪・罪・冒涜については償う必要がある。

 



 そうしている間に、日本では悪魔崇拝やオカルトがエスカレートしているようだ。主よ、憐れみ給え!



============



 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!


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ダ・ヴィンチ・コード:世界の反応:日本

2006年06月22日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!


ダ・ヴィンチ・コード:世界の反応:日本


★日本★



■日本のカトリック司教たちはいかなる公式の宣言もせず



【以下はグリム神父様(Maryknoll Father William Grimm)のコメント「ダ・ヴィンチ・コードは回心への呼びかけ」の要約


 他の国々の司教らや教会の指導者は、ボイコットを呼びかけ上映禁止申請を提出し、時に、その国ではそれが成功して上映が禁止されたけれど、日本の司教たちは本についても映画についてもいかなる公式の宣言をしなかった。


 関心がなかったためなのか、やっても無視されるだけで無駄だと思ったのか、宣伝の一部に使われたくないと思ったのか、あるいはその他の理由なのか、私には分からない。・・・・


 私は司教たちが何もしなくて嬉しい。何故なら、これが本や映画の宣伝になるだけだから。・・・


 人々はイエズス・キリストに魅せられている。その神秘的なことを知りたいと思っている。・・・ それがうまく伝えられていないのは、伝える人がうまく伝えていないからだ。・・・・


 この小説と映画がそのような大衆を動員出来たという事実は、現代のカトリック教会の生き様についての悲しい解説である。


 現代の人々に挑戦し・激励し・魅惑することの出来るような、知的な・芸術的な・心情的な、そして最終的に霊的な完全性(integrity)が私たちにはあるのだろうか? もしそれがあるならそれらはどこにあるのか? 私たちは光をマスの中に隠してしまったのではないか? 人々のイエズスに関する関心を、私たちが答える代わりに、ダン・ブラウンが答えているというのは、この世のせいか? 悪魔のせいか? それとも私たちの過ちなのか?


 ダ・ヴィンチ・コードは、月並みなフィクションである。しかしこれは、同時に、生ぬるい月並みなキリスト教徒らへの回心への呼びかけだ。


グリム神父は、日本カトリック新聞の編集長

 原文は英語で次にある。
http://www.ucanews.com/html/ucan/f_dishpatch.asp?ucalang=English_../news_report/english/2006/06/w2/fri/JA00515Kg.txt


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▲コメント▲


>  私は司教たちが何もしなくて嬉しい。何故なら、これが本や映画の宣伝になるだけだから。・・・



 私たちは、司教様たちが何もしなかったのを悲しく思う。何故なら、司教様がイエズス・キリストが罵られて、あたかも何でもないかのように思われてしまうからだ。


 世界中のカトリック司教らの反応を見て見ると、おそらく公式に何もしなかったのは日本のカトリックだけだろう。


「抗議が、本や映画の宣伝になるだけ」? 何故、最初から敗北主義に浸っているのだろうか?


 何故、キリスト者が人口の1%にも満たない日本で、「ダ・ヴィンチ・コード」がキリスト教に対するウソの「宣伝」をしているのだから、抗議をすることで、カトリック教会がイエズス・キリストに対して別の見方をしているということを知らせることが出来たではないか。


 何故、この機会に、イエズス・キリストについての正しい知識を日本の兄弟姉妹に伝えるチャンスにしないのだろうか?


 私たちが悲しい理由は、それだけではない。

 日本に今、平和を与えているのは、平和の君である私たちの主イエズス・キリストだ。日本国憲法第9条ではない。私たちの愛する祖国の平和にとって、イエズス・キリストの名誉と真理を守る方が、その他の政治活動に優って有益なことである、と私たちは固く信じている。何故なら、イエズス・キリストは天地を統宰するまことの天主だからだ。

(日本国憲法に私たちは台風を放棄する、と書いてあったとしたら、台風は来なくなるのだろうか?)


 だから、政治的なロビー活動では活発な司教様たちが、私たちの主イエズス・キリストの名誉のために何もされなかったのを見て、私たちは悲しい。



>  この小説と映画がそのような大衆を動員出来たという事実は、現代のカトリック教会の生き様についての悲しい解説である。
>  現代の人々に挑戦し・激励し・魅惑することの出来るような、知的な・芸術的な・心情的な、そして最終的に霊的な完全性(integrity)が私たちにはあるのだろうか?
> もしそれがあるならそれらはどこにあるのか? 私たちは光をマスの中に隠してしまったのではないか?
> 人々のイエズスに関する関心を、私たちが答える代わりに、ダン・ブラウンが答えているというのは、この世のせいか?
> 悪魔のせいか? それとも私たちの過ちなのか?



 何故、かつて2000年間にわたって教会は、ギリシア・ローマの人文学術の高度な人々に挑戦し・激励し・魅惑することの出来るような、知的な・芸術的な・心情的な、そして最終的に霊的な完全性を持っていた。そして、その完全性によって、多くの博士、聖人、童貞女らを生み出してきた。


 それにもかかわらず、いったい何故、現代になって急激にそれが出来なくなってしまったのか? その完全性はどこにあるのか? 


 私たちはよく知っている。その完全性は、カトリック教会の聖伝にある、と。第二バチカン公会議後のカトリック教会は、その聖伝の完全性の光を升の中に隠してしまった。これは、この世のせいか? 悪魔のせいか? それとも私たちの過ちなのか? 

 


>  ダ・ヴィンチ・コードは、月並みなフィクションである。しかしこれは、同時に、生ぬるい月並みなキリスト教徒らへの回心への呼びかけだ。


 そうだ。これは全てのカトリックと全てのキリスト教への、聖伝への回心の呼びかけだ。私たちのカトリック教会が持つ、現代の人々に挑戦し・激励し・魅惑することの出来るような、知的な・芸術的な・心情的な、そして最終的に霊的な完全性(integrity)への回心の呼びかけだ。聖伝への回心の呼びかけだ。


~~~~~~~

 私たちカトリックの指導者がダ・ヴィンチ・コードについて沈黙している間に、日本では悪魔崇拝がエスカレートしている。主よ、憐れみ給え!

 

■2006年05月24日、日本のロック・グループは冒涜のCDを発売。


5月24日発布 悪夢の3枚組教典『恐怖の復活祭』
昨年の12月26日、東京国際フォーラムでの最終「黒ミサ公演」を中心に、全会場即日SOLD OUTとなった各地での模様も収録。

http://music.livedoor.com/feature/demon/
【↑ここには、過激な画像があるので、敏感な方はご覧にならないことを勧めます。】


■悪魔の恐ろしさを知らずに悪魔と遊ぶ危険をおかす日本人


 <666>の日(?)である2000年6月6日(火)に全世界同時に公開される映画 『オーメン』の公開を記念して、梅田ナムコシティ前(旧アムラックス)に期間限定の《ダミアンの懺悔室》なるものが登場。(懺悔室のオープンは3日から7日まで)
 この懺悔室は、映画のヨハネ聖堂をモチーフにデザインされたもので、「悪魔のプリクラ」が設置されてしている。
 「ダミアン餃子」も販売。悪魔の黒い皮が売り物の6個入りでこちらはソフトドリンクとセットで666円(3日~17日)。

http://osaka.nikkansports.com/news/p-on-tp5-20060603-40763.html

 



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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!




悪魔もダ・ヴィンチ・コードも、もう要らないよ!と思った方、クリックで応援して下さいね。↓
http://blog.with2.net/link.php?269452

 


 


ダ・ヴィンチ・コードの誤りを指摘してくれる日本語のウェッブ・サイトの紹介。

2006年06月14日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい


ダ・ヴィンチ・コードの誤りを指摘してくれる日本語のウェッブ・サイトの紹介。


□ダ・ヴィンチ・コード一般

■ダ・ヴィンチ・コード一般

「マニラの eそよ風」第346号 2006/05/30 『ダ・ヴィンチ・コード:冒涜の仮説とデタラメな歴史』マリアン・ホーヴァット(Marian T. Horvat, Ph.D.)
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila346.html


■邪悪なダ・ヴィンチ・コードはどうカトリック信仰に対立するのか
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/026fc761d1f48883466f54fd733c08f9

■ダ・ヴィンチ・コードは、どこが冒涜とデタラメの極みか
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/11698063a6df3faa896784456904be01

■ダ・ヴィンチ・コードのカトリック教会に対する讒言と虚偽(カトリック教会は反女性的か?)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/e18bbec2042bc23465ca813b239dafa0

 


□新約聖書について:新約聖書は史料として信頼に値する

■福音書を歴史的記録書として信頼することが出来るか?(その2)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/856184fa04d7812752d3868aa109eed4

■福音書を歴史的記録書として信頼することが出来るか? (その1)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/ffaa4ad46c23534b51341d79f063bad8

■新約聖書は、西暦五〇年から一〇〇年までの間に成立した
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/0be2cf4c20be24804805be3d1c2bb60a

■仏教経典の成立と比較して

「マニラの eそよ風」第345号 2006/05/26 カトリック教と仏教
「私は、なぜカトリック教を信ずるか」 ピオ吉井滴水 著
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila345.html

■現代主義の誤謬に対して

「マニラの eそよ風」第127号 2003/04/30 第一部 福音書の史実性について
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila127.html

 



□イエズス・キリストについて

■歴史は、イエズスがした多くの印、奇蹟、言葉、教え、教会の制定などが歴史上の事実であると認める
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/976ecc2c5f8690e1440adcd6b8431571

■イエズス・キリストは天主か? (その1)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/00ddcebecf13faafd2073e14ca30ea18

■イエズス・キリストは天主か? (その2)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/f33eccd179fa6d789dec5d84bad35886

■イエズス・キリストは天主か? (その3)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/1e271f6523019865380c382c25c72ffb

■キリストは復活したか?(反対論に答える)
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/aad681fcb7295120df81527102cba3bd

 


□キリストの妻帯説について

■古来には、キリスト妻帯説は存在しなかった。これは20世紀になって登場した。
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/ba73ddc8f772f4311bbf0cac5e98dff0

■ダ・ヴィンチ・コード: イエズス・キリストはマグダラのマリアと結婚していたか?
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/7151340430c7af0d5c8df37cddecaaa2


■イエズス・キリストの聖福音を生き、キリストの生き写しといわれたアシジ聖フランシスコの教えるイエズス・キリスト
「マニラの eそよ風」第348号 2006/06/01 八巻頴男著『アッシジの聖フランシスコ』第一章 聖福音の行者 聖フランシスコ
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila348.html


■聖杯を追求する「聖杯の騎士」とは何を意味するのか。
「マニラの eそよ風」第349号 2006/06/03 八巻頴男著『アッシジの聖フランシスコ』第二章 キリストの騎士 聖フランシスコ
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila348.html

 

□日本での私たちの対応

「マニラの eそよ風」第344号 2006/05/25 聖ピオ十世会が日本で行ったダ・ヴィンチ・コードの冒涜に対する償いの行動 
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila344.html

 


兄弟姉妹の皆様、もしも皆様の中で、ダ・ヴィンチ・コードに反論する日本語のウェッブ・サイトをご存じの方がおられましたら、是非私たちに教えて下さい。よろしくお願いします。


天主様の祝福が豊かにありますように!

 

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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 

ダ・ヴィンチ・コード、もう要らないよ!と思った方、クリックで応援して下さいね。↓
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ダ・ヴィンチ・コード:世界のカトリック教会の反応

2006年06月14日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!


ダ・ヴィンチ・コード:世界の反応


★フランス★

2006年6月1日 「ル・ジュルナル・ド・ミロ」紙

聖伝のカトリック信徒は「ダ・ヴィンチ・コード」に反対する


「ペピニエール通り、映画館の前の主日」
 約30名の聖伝のカトリック信者らが、映画「ダ・ヴィンチ・コード」に反対して祈りのデモをした。

 祈りと跪きで、聖ピオ十世会のこれらの聖伝カトリック信者らは「ダ・ヴィンチ・コードによる、多くの憎悪と虚偽と様々な誤りを前に不満」を表明することを意図した。・・・

「キリスト教徒は、祈りとともにポスターやビラを配ることによってキリスト教を守らなければならない。それは、現代の宗教的無知の時代において、このグノーシスのおとぎ話は多くの人を騙すかもしれず、その危険について注意を喚起するためだ。」と、聖フランシス・ド・サール修道院長のベルノワ神父は考える。・・・

http://www.laportelatine.org/communication/presse/2006/davincipresse2/presse2.php

 

★中国★

ダ・ヴィンチ上映中止 中国当局
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060609-00000139-kyodo-ent
より

 【北京9日共同】9日付の中国英字紙チャイナ・デーリーは、公開中の人気米映画「ダ・ヴィンチ・コード」の上映が8日で打ち切られたと伝えた。・・・当局の政治的判断による中止の可能性が高い。・・・5月19日の封切り以降、全国で1億400万元(14億6000万円)の興行収入を上げ、外国映画としては歴代2位の「パール・ハーバー」を抜くのは時間の問題とみられていた。
(共同通信) - 6月9日12時57分更新



中国のカトリックは、ダ・ヴィンチ・コード上映中止を歓迎する。

【HONG KONG (UCAN) 】


 中国のカトリック教会は、3週間の上映の後、中国大陸ではダ・ヴィンチ・コードが上映中止されることを歓迎する。

 この上映中止は、夏の映画ピークシーズンに中国産の映画を優先させるためらしい。また中国内の教会のことを考えて、この映画が社会的不安定をもたらさないための措置とも言われている。

 Shijiazhuang(Hebei province)にある信仰出版は、そのウェッブ・サイトに上映中止を歓迎すると述べた。

 カトリック情報筋によると「地方のカトリック信者らの怒りと不満は、エスカレートした。中国内のカトリック信者らは、映画館に反対行動をとる準備をしていた。これが地方行政府の注目を惹いた。」

 5月18日に中国のカトリック教会司教評議会【Bishops' Conference of Catholic Church in China (BCCCC) 】は、中国の全てのカトリック信者にこの映画をボイコットするよう全国的に訴えていた。・・・

http://www.ucanews.com/html/ucan/f_dishpatch.asp?ucalang=English_../news_report/english/2006/06/w2/fri/CH00519Rg.txt

 

★ローマ★

 5月18日、アマト司教(教理聖省秘書)は再び、ラジオ・バチカンでダ・ヴィンチ・コードを告発した。ダ・ヴィンチ・コードの背後に「カトリック教会に対する真の名誉毀損」が潜んでいる。「現代では、ドイツの風刺アニメであったように、教皇様の悪口を言っても罰を受けないでいられる。しかしキリスト教の歴史を捏造して罰を受けないわけにはいかない。」と述べた。

 フランコ・パトルノはこう語った。「映画館は青少年で一杯だった。彼らはマスメディアの爆撃を受け、好奇心に駆られ、あたかも自己の存在の目的が達成されるかのように映画館に行った。」

★イタリア★

 チェッカーノの2名の司祭が、公衆の前でダ・ヴィンチ・コードの本を焼いた。


★ベルギー★

 司教らは、ダ・ヴィンチ・コードの映画を恐れるべきではなく、「宗教的教養の欠如を恐れるべきだ」と言った。
 司教評議会は、正確なキリスト教の情報を提供するために一つのウェッブ・サイトを創った。


★フランス★

 フランスの司教評議会はそのウェッブ・サイトで、またパリ司教区の青年もその特別のウェッブ・サイトで「ダ・ヴィンチ・コードで明らかにされた真理」を提示している。
 ストラスブルクの司教は、ダ・ヴィンチ・コードを非難する宣言を発した。


★カナダ★

 司教評議会とケベックの司教会議は、それぞれのウェッブ・サイトで「ダ・ヴィンチ・コードについて、どう考えるか」という問いに答えている。


★白ロシア★

 「宗教に関する国家委員会」は映画を禁止した。この決定は首都の3つの主要な映画館の前で上映の日の5月19日に、カトリック信者らがデモを行った直後でなされた。


★インド★

 上映の前に「これはフィクションである」という但し書きを付ける要求がなされ、これが義務づけられた。そのために上映が遅れた。


★タイ★

 最後の10分の部分が「冒涜的」であると判断されそこはカットされた。


★モスクワ★

 この映画は冒涜であると判断された。

http://www.dici.org/actualite_read.php?id=1275

 


★インド・ニューデリー★

 インド・カトリック司教評議会を含めてキリスト教教会は、検閲機関に映画の一部をカットすることを要求した。しかし「ノーカット、編集無し、ただし最初と最後にフィクションであるとの但し書きを挿入すること」とされた。

URL:http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/05/w3/fri/IA00360Rg.txt

 

★インド・バンガロー★

 バンガローの大司教ベルナルド・モラスは、全教区で公式に読まれた司牧書簡で、カトリック信者はこの映画をボイコットすべきであると訴えた。

URL:http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/05/w4/fri/IB00415Rg.txt


★スリランカ★

 スリランカ大統領、マヒンダ・ラジャパクサはダ・ヴィンチ・コードの上映禁止命令を発した。これはスリランカのカトリック司教らの要請に応えてのことであった。
 スリランカ・カトリック司教評議会は、大統領に何故緊急に上映禁止命令を求めるかの理由を説明する書簡を送った。
「これは、事実とフィクションとの区別が付かず混乱を引き起こす。これは操作的であり、厭わしく、欺瞞的であり、正しくなく、イエズス・キリストとカトリック教会の姿を不敬に歪めるものだ。・・・」

 この書簡で司教らはこの映画は「全く邪悪な考えから」作られているとし、道徳的腐敗の深みを現している、と述べた。

 コロンボ大司教区の報道委員長、スリヤナンダ・フェルナンド神父は、スリランカでこの映画が上映された場合「教会が、容易にウソと欺瞞の攻撃対象となっていただろう」と言う。「私たちは何故、私たちの信仰が公に辱められ、信用を失墜させられているのを、何もせずにそのままにさせておかなければならないのか? イスラム教徒や仏教徒が自分たちの信仰を守るためにするように、カトリックも自分の信仰を擁護する権利がある。」


http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/05/w4/fri/SR00409Rg.txt


★スリランカ・パキスタン★

 カトリック信者らの抗議行動で、スリランカとパキスタン、およびインドの幾つかの州の政府は、上映を禁止した。

http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/06/w2/wed/AS00498KA.txt

 

★シンガポール★

 カトリック信者は、講話会、小冊子、DVD、メールで、ダ・ヴィンチ・コードにたいして闘う。

 弁護士でカトリック真理使徒会の会員であるケルヴィン・チアは「ダ・ヴィンチ・デセプション」という題で講演会を開いた。

 マルタ騎士会のシンガポール支部では「ダ・ヴィンチ・コード:事実とフィクションとの区別」の小冊子とDVDを5万部つくり、シンガポールの30の教会で配布した。マルタ騎士会は、有益な情報をメールでも流した。

http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/05/w3/wed/SG00322Rg.txt


★シンガポール★

 小教区レベルでの講演会が開かれた。映画のウソと史実と、信仰の真理についての明らかにする講話会である。

【シンガポール】
http://www.ucanews.com/search/show.php?q=Da+Vinci+Code&page=archives/english/2006/05/w5/wed/SG00435Rg.txt

★フィリピン★

 フィリピン司教団は『ダ・ヴィンチ・コード』に関する司牧声明を発表。(5月12日付)

A PASTORAL STATEMENT ON "THE DA VINCI CODE"

http://www.cbcponline.net/html/davincicode.html

 


★ソニー・ピクチャーズ(Sony Pictures)★
 次はダン・ブラウンの「天使と悪魔」を映画化する計画。

 


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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 

え?! 次はダン・ブラウンの「天使と悪魔」を映画化するの? 
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古来には、キリスト妻帯説は存在しなかった。これは20世紀になって登場した。

2006年06月06日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

キリスト妻帯説は、本当に古来からあった考え方か?


 古来には、キリスト妻帯説は存在しなかった。これは20世紀になってようやく登場したものでしかない。


 グノーシスの所謂自称「福音」と言われる、古代異端のトンデモ本の中にも、キリスト妻帯説は存在していない。


 初期のグノーシス文書においては、マグダラのマリアはほとんど登場せず、彼女に言及があるわずかな文書も、彼女をむしろ「男(完全な人間)」として描いている。結婚の話は、全くない。


 「マリアの福音」

 ナグ・ハマディの文書は、自称「福音」という題を持つテキストがあるが、本当の福音ではない。そこにはイエズスに関する一つのエピソードしかない。

「マリアの福音」は、1896年以来、エジプトのカイロの博物館にある。

 そこに載せられているエピソードはこうだ。イエズスが説教した後に、弟子達は説教に出るのを恐れた。そこでマグダラのマリアは「自分の兄弟ら」を励ました。「泣くな。悲しむな。何故なら、主の聖寵はあなたたちを保護するだろうから。むしろ主の偉大さを賛美しよう。何故なら主は私たちを準備し、私たちを男(人間)にして下さったから。」(マグダラのマリアの女性らしさは疑わしい。)


 ペトロはマグダラのマリアに、彼女が主から受けた啓示を教えてくれるように頼む。「主は、彼女をその他の女性よりも愛していた。」(結婚の話は無い。)


 マグダラのマリアは、主から受けた啓示を語る。その内容は、全くくだらないものだ。メッセージは、宇宙空間を遊泳する霊魂が4つの敵の力と論争し、ついに霊魂は「アエオンが沈黙する季節に」休むことが出来るように解放される、というもの。
(訳していてアホらしくなる・・・。)


 そこでアンドレアとペトロが何故、マグダラのマリアのメッセージを信じないのか?と問われる。ペトロはただ嫉妬するだけ。「何故主は、私たちにではなく、たかが一人の女に個人的にこの話しをしたのか? 主は私たちよりも彼女をひいきしたのか?」


 マグダラのマリアはペトロに言う。「私の兄弟、ペトロよ、これを私が自分の心で考えついたと思うのか? 或いは私が主の言葉についてウソを言っていると思うのか?」 すると弟子の一人レヴィが彼女を擁護する。「ペトロよ、おまえはいつも汚い性格を持っている。主は彼女のことをよく知っているに違いない。だから主は彼女を私たちよりも愛するのだ。」


 グノーシス文書では、マグダラのマリアは女性であると言うよりも完全な男(人間)として描かれ、嫌々ながら女性である。イエズスの妻であるとは全く言及がない。(正典の聖福音が、マグダラのマリアの女性らしさを強調するのとは全くの正反対。)



 「トマスの福音」

 グノーシス文書の一つ、トマスのといわれる自称「福音」は、イエズスの生涯を語るものではない。イエズス・キリストの言葉(と主張するもの)を集めたものだ。その中には、シモン・ペトロが弟子達に言う。「マリハム(=マグダラのマリア)が私たちを離れるままにさせよう。何故なら、女は命に値しないからだ。」イエズスは言う。「見よ、私は彼女を男とするために導くだろう。それは彼女もまた、あなたたち他の男らのように似て生きる霊となることが出来るためだ。何故なら、男となる女は誰でも、天の国にはいることが出来るからだ。」


 ここには正典の聖福音にあるような、女性に対する敬意など全くない。


「フィリッポの福音」

 フィリッポの「福音」も本物の福音ではない。その中には次のようなテキストがある。カギ括弧は推定して補ったところっである。「マグダラのマリアは、その連れ(= koinwos)に呼[ばれた]。救[い主は]、マ[グダ]ラの[マ]リアをその他の[すべての]弟子らよりも[愛し]ていた。そしてしばしばその[口]に接吻をした。その他[の弟子ら]は、彼女に言った。あなたは何故私たちよりも彼女を愛するのですか?と。」


 しかし、もしもマグダラのマリアとイエズス・キリストが結婚していたら「あなたは何故私たちよりも彼女を愛するのですか?」と聞くマヌケな弟子達がどこにいるだろうか?? 


 ダン・ブラウンによると「アラマイ語の専門家は皆」"連れ(= koinwos)" という言葉の意味は「妻」という意味であると知っている、と主張する。しかし、フィリッポの福音はアラマイ語で書かれているのではない。実はこれはコプト語で書かれている。コプト語とは、ギリシア文字で書かれたエジプト語のことだ。(「コプト」という言葉の語源は「エジプト」にある。) コプト語を知らない限り、アラマイ語の専門家は、フィリッポの福音の一字一句も理解できないだろう。


 しかも、その同じ文献のすこし先を読むと、男が「妻」(= gyne) と並んで座っているという文章が書いてある。男が"連れ(= koinwos)" と一緒に座っていたのではない。つまりコプト語では、「妻」と「連れ」とは別の言葉であり、マグダラのマリアは、イエズス・キリストの「妻」ではなく単なる「連れ」である、と書いてあるのだ。



 「ヤコボの第二黙示録」


 では何故グノーシス文書によると、イエズスはマグダラのマリアの口に接吻をしたことになっているのか? これはグノーシス文書によると、恵みと啓示の伝達の印であったからだ。


 「ヤコボの第二黙示録」といわれるナグ・ハマディのグノーシス文書によると、イエズスが義人と呼ばれるヤコボに秘密の知識を授ける。ヤコボは言う。「そして主が私に口づけをして私にこう言って教えてくれた。”私の愛するものよ、見よ、私はおまえに天が知らないことを啓示しよう”と。」

 この文章は「マリアの福音」の中の秘密の伝達と全く同じである。グノーシスによれば、口による接吻は「霊的な教えを親密に受けること」の象徴であるといえる。(Karen King The Gospel of Mary of Magdala p.146).



 ナグ・ハマディのグノーシス文書は秘密だった?


 ナグ・ハマディのグノーシス文書は、秘密でも、新しい発見でもない。既に、聖イレネオ(紀元後200年)に論駁していた。



 上のグノーシス専門家によるグノーシス文書の分析については、次を参考にした。


DEFI CULTUREL - Le "feminin sacre" - Commentaires historiographiques sur le DA VINCI CODE - Argumentaires
http://www.deficulturel.net/modules/news/article.php?storyid=40

 

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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 

ダ・ヴィンチ・コード、もう要らないよ!と思った方、クリックで応援して下さいね。↓
http://blog.with2.net/link.php?269452

 

 

 


[ダ・ヴィンチ・コード]映画に揺れる世界、日本と韓国の現象は!

2006年06月02日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

[ダ・ヴィンチ・コード]映画に揺れる世界、各地の現象は!



 カトリックの「オプス・デイ」から、「話は事実ではない」というただし書きを字幕に挿入するよう要求されたが、フィクションであることを理由に拒否した。



●日 本●本も映画も絶好調


 国外では反発も目立つが、日本ではどこ吹く風。公開と同時に大ヒットし、配給元のソニー・ピクチャーズエンタテインメントによると5月20日の公開から2日間で約93万人を動員、興行収入は約12億8119万円。今年度の開幕興行収入ではトップを記録した。


 邦訳本の売れ行きも絶好調で、同月末現在、単行本と文庫本合わせて1007万部を達成。出版元の角川書店は「驚異的な売れ行き。文庫は毎回100万部ずつ増刷している」とうれしい悲鳴を上げている。


http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2029050/detail?rd
より


【コメント】


「オプス・デイ要求:”事実ではない”というただし書き挿入は、フィクションであることを理由に拒否された。」


「国外では反発も目立つが、日本では反発など全く無かった。」

「日本では公開と同時に大ヒット」

「公開から2日間で約93万人を動員」

「興行収入は約12億8119万円。今年度の開幕興行収入ではトップを記録」

「邦訳本の売れ行きも絶好調」

「単行本と文庫本合わせて1007万部を達成」

「驚異的な売れ行き。文庫は毎回100万部ずつ増刷とうれしい悲鳴」



 ふむふむ。メモしておこう。



 私は「ダ・ヴィンチ・コードに抗議するべきではない」という理由の一つに「ダ・ヴィンチ・コードの宣伝になるから、じっとおとなしくしていれば良い」と言うのを聞いた。しかし、これでこれが全くのウソであったことが分かった。


 これで、次回、ダ・ヴィンチ・コードに類するものが出たら、私たちは日本で、何も恐れることなく出来る限りの抗議を行うことができる。抗議が宣伝になるという人々の主張はまったく聞くに値しないことが分かった。


 オプス・デイの「事実ではない」というただし書き挿入の要求は、馬鹿にされて無視されただけだった。オスプ・デイ式の「フィクション」ということが分かるようにすれば、人々が私たちの主イエズス・キリストを冒涜し侮辱しても良い、などという主張は全く聞くに値しないことが分かった。

 


●韓国●冷ややかな対応


 因みに、韓国では「韓国キリスト教連合会・映画『ダヴィンチ・コード』特別対策委員会」が同映画の国内公開禁止を要求し仮処分申請を提出したが、ソウル中央地裁・民事捜査部は上映禁止仮処分棄却した。


 韓国でも映画は公開されたが、統一地方選挙とワールド・カップで話題が持ちきりで、ほとんど話題になっていなかった。


 私たちの聖堂のある場所は、朝から夜の9時まで、いろいろな候補者の選挙カーがひっきりなしに来て各自のテーマソングをスピーカーで流し、様々な候補の選挙運動員が十名ほど道の両脇に並び、通行人が通るたびに、「○番の 金△△です。」と一斉に挨拶。アイグー! ノム シックロソ、キドド モッテソヨ! 



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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

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ダ・ヴィンチ・コード: イエズス・キリストはマグダラのマリアと結婚していたか?

2006年06月02日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!


ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい


 イエズス・キリストはマグダラのマリアと結婚していたか?


 ダ・ヴィンチ・コードの主張「キリストは妻帯者であった。キリストはマグダラのマリアと結婚していた。キリストは彼女との間に子孫を残した。当時のユダヤ人のメンタリティーではキリストが独身であることは不可能であった。何故なら当時は独身が習慣として禁止されていたからだ。教会はマグダラのマリアを娼婦として作り上げた。それは彼女の高貴な血統の跡を消すためである。」



 歴史の主張「イエズスの結婚に関してはいかなる痕跡も存在していない。聖書はイエズスの結婚について完全に沈黙している。もしもキリストに妻がいたとしたら、この沈黙は全く説明がつかない。キリスト時代のユダヤ人のメンタリティーにおいて、メシアの待望という歴史的文脈の中で自発的に童貞を守る人々が存在していた。イエズスの結婚ということは、歴史的根拠が全く存在しない。」



 イエズス・キリストが結婚していたということは、新約聖書は勿論、古代の文献もそれを語らない。初代教会は、イエズス・キリストの独身を疑ったことが一度もなかった。



 肉体や性を悪と考えるグノーシス主義者らの書いた文献は、イエズスの結婚の可能性についてどう考えていたのか? ダン・ブラウンは、グノーシスの「福音」こそが、新約聖書よりも古い時代に編纂されより信頼に値する、と主張する。しかし歴史的事実は、グノーシスの「福音」は、四福音書よりもずっと後世に書かれたものであり、信頼に全く値しない。しかもグノーシスの「福音」は、キリストがマグダラのマリアと結婚していたというようなことを暗示さえしていない。グノーシス文献の最も古いものにおいては、マグダラのマリアは殆ど登場しない。


 二世紀の「トマスの福音」によると、ペトロはイエズスにマグダラのマリアと距離を置くように求める。ペトロは言う「女は生命に値しない。」 イエズスは答えて言う「見よ、私は彼女を男(人間)とするために保護している。すべて男(人間)となる女が、天主の王国に入るだろう」(ロギオン114)


 クムランの「死海文書」のセクトの共同体は、結婚を放棄することを説教していた。


 マグダラのマリアは二、三世紀の「マリアの福音」「フィリッポの福音」においてのみ重要な役を演じる。それによると、イエズスはマグダラのマリアに特別な啓示を示す。ただしそこではいつも霊的な親しさという描写である。何故なら、グノーシス派は肉体を悪と見ていたので、性や結婚を罪としたからである。グノーシス文献において、確かにマグダラのマリアは、霊的にイエズスと近しい者だったかもしれないが、妻であったとは想定されていない。



 イエズス・キリストがマグダラのマリアと結婚していたという考えは、二〇世紀末に始まった話しである。これはダ・ヴィンチ・コードが取り上げる前に、ある映画で話題になった。この様な考えは、現代のフェミニズム神学、ジェンダーフリーの思潮にマッチし、人生を官能と恋愛とだけしか見ない現代人の「理想」によく受けた。ただしこのような考えは、二,三世紀のグノーシス思想が考えていたことでは全くなかった



 ダン・ブラウンの論理はこうだ。

当時のユダヤ人のメンタリティーでは独身が習慣として禁止されていた。
キリストは、当時のユダヤ人だったからそのメンタリティーに従っていたはずだ。
だから、キリストが独身であることは不可能であった。


 しかしイエズス・キリストは、しばしば当時のユダヤ人の習慣に全くとらわれていなかった。そのためにファリザイ人からは厳しく非難されていた。キリストは、隣人への愛のためなら、自分は安息日の上に立つ、と宣言した。当時のユダヤ人は断食をしていたのに、イエズス・キリストは弟子には断食をさせていなかった。キリストは現行犯で捕まえられた売春婦を石殺しからかばった。キリストは離婚を禁止した。キリストは税吏や罪人とともに食事をした。イエズス・キリストは、当時の習慣から全く自由であった。


 福音書はイエズスのために奉仕する婦人達の存在に言及するが、妻のことを書いていない。ヨハネの福音(4:27)によると、弟子達は、イエズスがある日、サマリアで婦人と二人きりで話しているのを見て、極めて驚いた。イエズス自身、「天の国のために」独身を守ることの素晴らしさを教えた。厳格なファリザイ人であった聖パウロは、自分が独身であると宣言し、皆が自分のように独身を守るようにと勧めている(一コリント7:7)。旧約時代では、預言者エレミアは独身であった。洗者ヨハネもそうであった。



 聖書の主張「マグダラのマリアはイエズスの弟子の女性らの一人である。彼女はイエズス・キリストを深く尊敬し、復活の主日には、最高の敬称である「ラボニ」(尊師)という称号で呼んだ。福音はイエズス・キリストとマグダラのマリアとの結婚関係について全く語らない。ただし新約聖書において、キリストは教会の花婿であり、教会はキリストの花嫁である。それは旧約において、ヤーウェがイスラエルの民の花婿であり、イスラエルの民がヤーウェの花嫁であったことと全く同じ意味においてである。

 マグダラのマリアについて言えば、福音はイエズス・キリストが彼女から七つの悪魔を追い出したと言い、聖伝によればイエズス・キリストの足下でナルドの香油を塗った罪の女が彼女であり、姉妹にマルタ、兄弟にラザロがいる。」



 聖書は、使徒達がユダヤ人を畏れて隠れていたことやイエズス・キリストを裏切ったこと、マグダラのマリアを含めて女性たちだけが(使徒聖ヨハネを例外として)十字架の下に留まったこと、使徒達の間で口論があったこと、など率直に使徒達の弱さを描く。しかしマグダラのマリアと使徒達の間の対立関係については、全く言及がない。


 聖パウロは、イエズスの結婚についてはっきりと書く。キリストは教会の花婿である(エフェゾ5:25-32)。


 イエズス・キリストも自分自身を花婿と例えている。「ほら、花婿が来た!」 ただし救われる民と救う天主との一致という霊的な意味での婚姻関係における、花婿である(マテオ22:1-14、25:1-13)。イエズス・キリストは、旧約のヤーウェとユダヤの民の霊的婚姻関係の契約を取り上げたのだ。(イザヤ54:5,ホセア2:16-19)



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イエズス・キリストは天主か? (その3) 

2006年06月01日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

キリストは天主か?


【キリスト教の急速な普及と、殉教者たちの勇気とによる、キリストの天主性の証明】


 タティトゥスは、ネロ皇帝治下における最初の教会迫害のとき(六四年~六八年)、「きわめて多くのキリスト教徒」が殺された、といっています。それから五〇年後に、小アジアのビティニアの総督をしていたプリニーが、トラヤヌス皇帝に報告しているところによると、彼の地域とその近傍、ポント地方にいるキリスト教徒の数と、影響と、その強情には呆れ果て、全く驚いている、と記しています。一五〇年頃のものと見られているが、殉教者ユスユスティヌス異邦人も、ギリシア人も、いかなる人種の人びとも、幌馬車でくらしている人たちも、テントを張って移動していく人びとも、あるいは羊飼いたちも、あらゆる人たちが、十字架にかけられたキリストの名において、父なる創造主に、祈願と感謝との生贄をささげています。この生贄がささげられていないところはない」といっています。


 三二四年、コンスタンチヌス大帝が改宗した当時、ローマ帝国におけるキリスト教徒は十二分の一という比率でしたが、四〇〇年頃には、比率が二分の一に上昇し、それから三〇年後のローマ帝国の記録には、異教徒が全くいなくなった、と記されています。新しい信仰が、旧来の信仰に勝利を得たといっても、それは決して数のうえだけのことではなく、社会的な革新だったのです。その当時、かるく見られていた労働者階級から、高位の官吏へ、教育のないユダヤの庶民層から、哲学者たちの世界へと新しい福音はひろがっていきました。こういう急速な、しかも全世界におよぶ精神革命は、自然的な原因にたよるだけでは説明できるものではありません。


 なぜなら、(1)キリスト教の創設者は、人間的に見たなら、ガリラヤのひとりの職人だったからです。彼の使徒たちといっても、そのうち、四人は漁夫で、税吏が一人でした。ペトロとヨハネとが、キリストの名において、第一の奇跡をおこない、そのために衆議所にひかれたとき、彼らが「無学な、ただの人」たちであることをよく知っていた一般の人びとは、彼らが臆面もなく、福音を伝えているのを見て、すっかり驚いています。そののちも、これに似たことが幾度も繰り返されました。対者たちは口をそろえていったものです。「おろかなキリスト教徒たち、・・・人間の屑にもひとしい愚民ども、彼らは、財産をつくるすべも知らず、市民生活のしかたもわからないのに、どうして神々のことがわかるでしょう。・・・彼らは、天国のことを説くために、火鋏も、鉄床も、ハンマーをもなくしてしまったのだ」と。キリスト教の宣教者たちは、みな、こういう悪口を甘受しなければならない人たちでした。そのうえ、こういう無力な人たちの行く手には、ローマ大帝国の偉大な権力と富と英知とが、障壁となって立ちはだかっていたのです。

(2)使徒たちが説いた教義といえば、それは新しいもので、世俗的な人びとの反感をかう内容を持っていました。唯物主義、享楽主義、高慢、貪慾などに沈んでいて、高尚な天主の思想など、とうていうけいれそうもない人たちに、彼らは信仰と従順と兄弟愛とを説き、死をも意味する自己放棄を要求したのです。そのうえ、彼らの説くところによると、長い間、神聖なものとして崇められてきた神々の像は、単なる自然の力とか、人間的劣情の具現にすぎないものなので、拝んではいけないとされていました。その教えはまた、昔からの宗教の非を指摘し、神々にささげられた素晴らしい神殿を認めず、当時においては国家の祭典になっていて、公にたのしむ機会を人びとに提供してくれていた行事を、みなすててしまえと命じ、そのかわりに、目を来世にそそぎ、十字架の刑罰をうけた人の像の前にぬかずく人たちと、おもしろくもない同盟をむすべ、とすすめるものです。


 しかし、この時代は、一般的に道徳が低下していたので、罪悪に対する嫌悪が人びとの心にきざしてきて、道徳の革新という憧れが強くなり、従って、高い道徳を唱道するキリスト教に、自然の道がひらかれるようになったとも考えられる、という反対意見を提唱する人びともいます。


 私達は、次の諸点をあきらかにし、この反対意見に答えることができます。


(1)当時、ローマにはストイック学派があって、純粋な道徳律を唱道しました。しかし、彼らは一般庶民に、これといってとりたてるほどの影響を与えてはいません。

(2)キリスト教の高い道徳といわれていますが、これはキリスト教の教義に対する信仰と、キリスト教が要求する種々の掟との実践にともなう結果として現れるもので、高い道徳だけが表面に現れていたわけではありません。

(3)この教義の中心になっているもの、すなわち、ガリラヤのひとりの職人が天主の子であるという、おかしな、そして冒涜的にも見える、ある意味での矛盾を克服して、人びとがキリスト教徒になったということは、聖霊のおん助けなくしては、とうてい不可能なことであったということを、私達は白状せざるをえないのです。


 ところが、別な面から、ある人びとは、キリスト教に急速な普及をもたらした原因が、ローマ帝国領内における、完備した交通網である、とします。以下簡単にこの点に答えてみます。

(1)こういう条件は、ほかの宗教にとっても好都合な条件であったはずです。たとえば、ミトラ教イシス教などにとっても、同様によい条件であったわけです。ところが、これらの宗教はみな、完全に失敗して、世界的な進展を見せてはいません。

(2)ローマ帝国支配下における交通網は、海陸にまたがるものであったから、キリスト教の宣教者たちが、いわゆる地のはてまででかけるためには、もちろん好都合でした。しかし、この有利な条件も、ローマ帝国がもっていた、剣の勢力を考えると、むしろ相殺されてかえって不利になったことが分かります。すなわち、ローマ大帝国の権力が、総力をあげて、胎動を始めたキリスト教会を抹殺するために帝国内のすみずみまではたらきかけることができたからです。事実、このような迫害は十回にもおよんでいます。しかし、不思議なことには、十回ながら、ガリラヤ人、キリストの信奉者たちが、ある意味で勝利をおさめています。


 キリスト教に対する迫害は、その過酷さと、期間と、回数と、迫害の方法と、また、迫害をうけた人たちの示した殉教精神などによって、人間の歴史に稀有の史実をのこしています。ローマ帝国のキリスト教に対する攻撃は三世紀にわたって、執拗にくりかえされ、十回に及びましたが、一回ごとに、あらたな過酷さを加味しながら、揺藍時代の教会に襲いかかりました。青年たちも老人たちも子供たちもいました。血気にあふれた青年たち、思慮分別のある中年の人たち、家庭の母や娘、農民、奴隷たちも、哲学者や貴族、痛悔者、孤独の隠者たち、男女の友人たちまで、彼らはみな、暗黒の権力にむかって、自分たちに最悪の処置をとるがよい、と宣言しているかのように見えました。戦線を死守する勇敢な兵隊のように、拷問の道具から彼らは一歩もしりぞこうとはしませんでした。彼らは、陽気に、攻撃する者にたちむかっていったのです。いって見れば、彼らの同志たちがやってのけたように、そうしようと思えば、最前線をはばむ敵を抹殺してしまうことができるかのように。ところが、彼らの勇気は、興奮した兵隊の勇気とは違いました。兵隊たちは勇猛になるために、特別な訓練をうけているのです。兵隊は戦場にいくが、場にひかれていく羊とは違います。また、犠牲祭の供物のように、くるしめられて殺されるためにつれていかれるわけでもありません。手には立派な武器があります。攻撃には反撃をもってこたえるすべを知っているのです。また、責任を完遂する場合には、その位置をまもることが、退却するよりむしろ安全であるという確信があってするのです。あるいは、卑怯者といわれる恥辱を知り、人びとの喝采を受けることができるという希望にささえられています。ところが、殉教者たちはこれとは違います。人間的な見解にたつと、一切をうしなうのであって、その勇敢な行為からは、なんらの利益も受けませんでした。彼らは、・・・そのなかには、かわいそうな子供たちもたくさんいたのですけれども・・・樹脂をからだにぬりつけられ、火をともされ、よろこんで生きたタイマツにしたてられていきました。煮えたぎった大釜になげいれられた人たちもいます。円戯場で、猛獣の餌食になげだされた人びともいました。彼らの頑迷をののしる人たちも、呪誼のかたわら、殉教者たちが一歩だけでも譲歩しさえしたなら、ありあまる報酬を与える約束をしていたのです。殉教者たちの力は、ただひとつの思いから出て来ました。彼らが情熱をこめて、心から愛していた、十字架につけられた救世主のその映像からくみとられた力であったのです。とはいえ、天主が特別の感動と助けとを与えなかったとするなら、こういう思想がどうして人びとの心に、しかも、あらゆる階級の男性・女性の心に子供の心にまで根をおろすことができたでしょうか。特に、教養のない人びとの心にうえつけられることが出来たでしょうか。また、この思想が、人間がもって生まれたわがままと、罪悪に勝つ偉力を発揮させ、過酷な拷問にさえ、平然とたえていく力を与えたでしょうか。また、七世代あるいは八世代にもわたる影響力をのこすほどの旺盛な力が、どこからでてくることができたでしょうか。・・・そのうえ、世界最強の帝国の、最も賢明な政略を敵にまわして、しかもそれをものりこえていく力をどこからくみとることができたでしょうか。


 以上の推論を要約すると、次のようになるでしょう。



【全世界にわたる各階級におよぶキリスト教の急速な普及は、奇跡です。】


なぜなら、

(1)キリスト教の宣教者たちは、世俗的には無能な人たちばかりだったからです。

(2)また、主要な教えは、新しいものばかりで、人びとに反発を感じさせ、かたわら、道徳的な掟は厳格で、人間の弱さに少しも妥協しなかったからです。

(3)そのうえ、ローマ大帝国の国権の、しかも長期にわたる弾圧にも屈しなかったからです。



【殉教者たちが示した、不屈の勇気もまた奇跡でした。】


なぜなら、

(1)迫害は三世紀間くりかえしおこなわれたから。

(2)そして、年少者をもふくむ、各階級にわたる多くの数の殉教者をだしたから。

(3)しかも、殉教者たちの不屈の勇気は最も苛酷なかずかずの拷問によって立証されているから。

(4)彼らが迫害に屈服しさえしたならすぐにも与えられたはずの報酬にも、なんら関心を示さなかった殉教者たちの偉大な精神がはっきり現れているから。

(5)殉教者たちは死の苦悶のうちにも、超人間的な、素晴らしいキリスト教的徳の実践を示したから。すなわち、死と苦難とをよろこんでうけ、天使的な愛と、底知れない深い謙遜とをもって、キリストが十字架上で示したように、彼らの敵のたましいのすくいを祈り、自分たちの血で染められた手をあげて、自分たちの肉をひきさく人びとを祝福していったからです。これはなんらの誇張もない、真相の描写なのですが、人間史上にまたとない事柄であって、胎動キリスト教会に見られる奇跡的な性格をもつ強い忍耐力を持つすがたです。迫害をうけた宗教団体はキリスト教だけであるというつもりはないとしても、キリスト教の場合のように、迫害を甘受した宗教団体はありません。また、迫害をうけたときにキリスト教徒のように、素晴らしい不動の美徳を示した例もほかでは見られません。


 以上、私達は、初代キリスト教会史にのこされた、ふたつの偉大な奇跡を見ました。ひとつは、キリスト教の普及という奇跡で、もうひとつは、殉教者たちが示した不動の忍耐という奇跡です。つまり、これらは天主が与えたふたつの証明であって、キリスト教が真の宗教であるということがこれによって立証され、キリスト教の創設者であるキリストが、かれ自身が主張しているように、天主の子であり、父なる天主とひとしい、ということが立証されるわけです。

 

 


【生きた力であるキリスト、キリストの天主性に関する証明】


 獄中でただひとり沈思するナポレオンを描写して、ニューマンは次のように記しています。

「わたくしは、不朽の功績と、人心のうちにいつまでも生きようとする希望とのゆえに、アレキサンダーとカエサルとを、生涯の目のかたきにし、彼らと覇をきそうことにしてきた。しかし、いかなる意味でアレキサンダーが生き、どういう意味でカエサルが人心のうちに座をしめているのだろう。思うに、彼らの名が、多くの人びとに知られているということがせきの山ではないのか・・・彼らの名が、知られているとはいうものの、時には現れ、そして消えていく幽霊のような状態で、ある何かの機会にひきあいにだされ、あるいは、偶然の連想によって引用されるにすぎないのではないか。彼らが住んでいる家はおもに教室。彼らがしめている最先端の地位は、初等科用の文法書か、そうでなければ教科書だ。・・・こうして、英雄アレキサンダーは没落し、カエサル大帝も、子供たちの気にいるように、そして朗読されるようになってしまった。


 ところが、彼らとは全くちがう意味で、世界に生きつづけているひとつの名があるのです。その名というのはほかでもない、生きていたときには、それほど有名ではなかった人の名で、極悪人のように殺された人、すなわち、キリストの名です。その時から、一八〇〇年あまりも経過しましたが、この名は、人心に確固たる地位をしめています。この名は世界を占領し、そして占領しつづけています。非常に多くの国ぐにで、いろいろちがった環境で、文化の高い人びとのうちにも、ひくい人びとにも、知識層にも、すべての社会層においてこの偉大な名の所有者はすべてを支配しているのです。高い地位にいる人も、そうでない人も、金持ちも、貧乏人も、みなこの人を認めています。幾億人の霊魂は、かれとかたらい、彼の言葉に傾倒し、彼の来臨をまっています。善美をきわめた、かぞえきれないほどの宮殿が、彼の光栄のためにたてられ、彼の生涯における、一番屈辱的な時の像が、繁華な都市にも、田舎にも、通路の一角にも、山の上にも、勝ち誇って建っています。それは、先祖からゆずりうけたホールや寝室をも清浄化しています。また、模倣芸術の、最も優れた天才をつくりだす素材にもなっています。彼の像は一生の間、心臓にちかくかけられ、人が死ぬ時には、しだいにかすんでいく目の前にもっていかれます。ここに、名目だけではなく、単なるみせかけでもなく、本当の意味でいまなお生きているひとりの人がいるわけです。彼は確かに死にました。それゆえに過去の人であるはずなのです。しかし彼は生きています。・・生きている人として、生きているのです。生きていて、人の世に、力強い思想になっています。生きていて数千の事件の源動力になっています。彼は、ほかの人たちが一生かかってもできないことを、なんの苦もなく成し遂げました。彼は天主以外の何者であるのでしょうか。創造者自身でなくて、何者でありうるでしょう。彼が、彼の事業のうえに君臨している創造主であるからこそ、私達の目がかれにむかい、心がおのずとかれをしたって動いていくのです。つまり、彼は私達の父であり、天主であるからではないか。」


 以上の論証を要約すると、次のようなります。キリストが、人びとの心におよばす影響力は、自然の現象ではなく、奇跡です。すなわち、キリストの天主性に関する天主の証明です。

 


〔なるほど 〕

 イエズス・キリストという力強い名前は、この名を嫌悪する人びとにも、親しい愛を感じている人びとにも、等しく大きな偉力をもっています。この名を一度きいた人は、キリストが忘れられないのです。この世で、キリストに背いた人びとは、彼らの心からキリストの映像をぬぐいさることができありませんでした。彼らはこの名にとりつかれ、地獄の悪霊のように、その名のために怒りくるうのです。

 


 以上、シェアン司教著 「護教学」 より

この「護教」のこの部分は、

http://www.d-b.ne.jp/mikami/apolog2.htm

にアップされています。ごゆっくりどうぞ


 


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イエズス・キリストは天主か?(その2)

2006年06月01日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

 イエズス・キリストは天主か?

 シェアン司教著 「護教学」 第七章 まことの天主なるイエズス・キリスト 【第三の証明】を見てみよう。


【第三の証明】

 キリストは、ご自分が天主であると主張しているが、人間キリスト、自然宗教の教師として見た、キリストの完全な人格は、キリストが天主であったという証明である



【証明の概観】

 キリストは、単なる人間として見ても 、人間史上にふたりといない、最も完全な人であり、自然宗教に関する、最も優れた教師でした。この点、反対論者たちのあいだにも異論はありません。ところが、この偉大な人物が情熱をこめて、自分は天主である、とくりかえし力説しています。それゆえ、キリストの主張、すなわち、キリストが天主であるという主張は正当であると結論せざるをえありません。そうでなければ、最も崇高な人物が、気違いか、あるいは、天主の冒涜者であった、という矛盾におちいってしまうからです。

 現行の論証をすすめていくにあたって、私達は、不本意ながら、反対論者の立場にたって、キリストを見ていくことになるのです。反対論者たちの主張によれば、キリストは単なる人間であって、自然宗教の教師にすぎないのです。すなわち、キリストとは人間理性の力だけで発見することができる、宗教と道徳とに関する真理の教師であるのです。論証をはっきりさせるために、キリストに関するこういうまちがった見解を、しばらく認容していくことになります。従って私達は、キリストの素描を描きだすにあたっても、キリストが天主であることを示す言葉なり、行動なりには目を閉ざしていくという、きわめて不自然ないきかたをするわけです。キリストの教えを理解する場合に、キリストを単なる自然宗教の教師と見て、超自然宗教の真の教師という面を見ないとしたなら、まちがいなく不完全なものになるということは、あらかじめ承知してとりかかってもらいたい。キリストは、すべてを超自然の光によって見ることを教えているからです。すなわち、人の目にはどんなによく見える行為でも、人間理性では悟るのことの出来ない天主の奥義を信仰によって潤わせていなければ天主の前ではなんら価値がない、と教えているキリストの本当の教えが、そこには浮かび上がらないのです。



【単なる人間として見たキリスト】

キリストの出生地と、人びとに与えた影響。

 キリストの雄弁と沈黙 --- キリストは、パレスチナでも特に文化のおくれた地方、ガリラヤの寒村ナザレからやってきました。そのとき、人びとは愕いて、「ナザレからよいものがでるものか 。・・・彼はマリアの子供で、大工ではないか。彼は勉強したこともないのに、どうして聖書を知っているのだろう 」などと互いに噂しあったものです。ところが、この職人は、誰も、けっして抵抗することができないような、人の心を支配する素晴らしい才能をもっていたのです。彼が人びとを呼ぶと、彼らはだまってついて来ました。家も、両親も、舟も、網も、財産もすててついてきたのです。かれには、不思議な話しかたをする天分がありました。深い世界観を、やさしい言葉で表現するすべを知っていました。彼の唇から流れでてくるものは、本当にわかり易い、したしみぶかい喩えでした。たどえば、銀貨をなくして一生懸命に探す女の人とか、古い袋を繕う人とか、見うしなった羊を探しに出て行く羊飼いの物語などでした。ときにほ、高遠な思想を、単純な、美しい言葉にのせていました。キリストは静かに、野に咲くユリを指さして言いました。「ソロモンですら、その栄華の極みにおいて、この一本のユリの花ほど美しく着かざってはいなかったのだ」と。善良なサマリア人とか、放蕩息子のたとえでは、愛の教えという、キリストの最大の教えを、教育のない聴衆のたましいに植え付けて行きました。また、「労苦して重荷をせおっている人びとよ、わたくしのところにくるがよい。わたくしはあなたたちを回復させてあげよう」という同情にあふれた言葉で、直接人びとの心にふれて行きました。弟子たちに残す最後の談話において、キリストは厳粛に、しかも、別離と死とのかなしみをこめて話しながらも彼の聖業が、けっして失敗したのではないという、確信を、さりげなく吐露しています。人びとが、キリストの講話を聴聞するために、食べることすら忘れて、なん日も跡をついていったということは、少しもおどろくにあたりません。敵にまわっていた人たちでさえ、「これまでに、この人のように話す人はいなかった」と感嘆しているくらいです。キリストは、雄弁という天分ですぐれていたばかりでなく、間髪をいれない論争の逆襲とともに、意味深い応答を与えて、反対者たちがたくらんでいる罠を外し、彼らを狼狽させました。彼らは、なん度も両刀論法といわれる、骨定しても否定しても罠にかかるような質問をでっちあげて、キリストを窮地におとしいれようとたくらんだものです。しかし、キリストは、深い英知をもって、腹黒い彼らのたくらみを洞察し、あげくのはてに彼らをへこませました。キリストは雄弁ではありましたが、また同時に沈黙することを知っていました。法廷審問では、返答することを誓ったときには、はっきり答弁しましたが、、証人たちが偽証をならべたてているときには、ひとことも言いませんでした。話す必要を認めなかったからです。案の定、証言が相互に食い違いひとりが他を困惑させる結果に終わっています。証人たちの証言に失望したピラトは、なおも何かを探しだそうとして返答をうながしたが、「彼は、ひとことも返答しなかったので、総督は、ことのほか賛嘆した」のです。ペトロは、キリストを知らないといったとき、キリストは唇でははなさず、深い瞳でじっとかれを見た。それでたくさんだったのです。ペトロは師の心を読みとって、外へ走りでて、思いのままに泣いています。


 キリストは、誇り高い勇気と純粋な性格のもち主でした。 ---- キリストは強固な意志をもっていたが、だからといって、けっして強情ではありませんでした。ガリラヤ出身の貧乏な大工にはちがいありませんでしたが、高慢で、権力をもっていたファリザイ一派の人びとを、少しも怖れませんでした。キリストは、ファリザイ一派の人びとの偽善と強欲と頑迷とを、真っ向から非難しています。彼らの憤激が、キリストの血を見るまではおさまらないということをよく承知していたにもかかわらず、正義の痛憤にもえて、彼らを打ちこらしました。キリストは、なん度も殺される目にあっています。一度は、熱狂した群集が、かれを断崖につれだし、投げおとそうとしました。ところが最後の瞬間に、キリストは平然と彼らの手から逃れていった。受難のときがきて、敵につかまったときにも、一言の訴えも、弁解もせず、教義の訂正も撤回もしてはいません。呵責ない鞭が、肉をひきさき、とうとい手と足とに釘が打ちこまれ、十字架にかけられたときにも、あわれみをねがう声をあげたりはしありませんでした。みじめだったのは、かえって敵であったようです。キリストが、罪悪のあることを証明せよ、と彼らを難詰しても、一言の返答もできず、みな黙っていた。多くの敵の前で、あらゆる視角からつつかれながらもひとつの欠点、何かのあやまちでもあったなら、指摘し証明せよと反問した人は、人類史上キリストをおいて他にはいないのではないかと思われる。裏切り者のユダでさえ「わたくしは、義人の血を売って罪をおかした」と後悔の叫び声をあげています。法廷では、敵たちが総力をあげて狂奔したのだが、へロデもピラトも、キリストにはいかなる罪をも見いだすことができなかったのです。剥き出しの憎悪の目が、キリストのすべてをあますところなくねめまわしたのだが、キリストの高潔な人格には、一点のシミをもみつけることができませんでした。キリストは利己主義者でもなく、拝金主義者でもありませんでした。熱狂した民衆が、かれを王にまつりあげようとしてさわぎたてたときも、キリストは密かにのがれています。キリストはほどこしをうけなければ、生活していくことが出来ませんでした。それで、奇跡でもおこさない限り、神殿に税金を納入することができなかったのです。もって生まれた天分をつかったなら、どんな地位にでもつくことができたろうに、実際には「頭を休めるところすらなかった」のです。


 実に、キリストは真理を教える人として、貧しく、家もなくさまようことを、むしろよろこんでいたのです。キリストは、確固たる個性のもち主ではあったが、だからといって、強情な人ではありませんでした。財産家の青年を仲間に欲しかったからといって、大切な教義をまげたりはしませんでした。しかし根本的なことが問題にならない場合には、どこまでも譲歩していくことを知っていました。カナンの女の人が、娘の病をなおしてもらいたいといって、うるさくつきまとってきたとき、キリストは、身をかくしてまでのがれようとしたが、結局、この人の深い信仰に感心して、すぐに娘をなおしてやりました。


 キリストは、誰にも好かれる親切な人で、また礼儀正しく、気高く、謙遜で、愛の深い心の持ち主でした。 ------  キリストは、わけへだてなく、誰とでもよろこんで交際したので、敵たちが、「税吏や罪びとたち」と会食するといって、文句をつけているくらいです。当時のユダヤ人たちは、サマリア人とは口をきくことさえしませんでしたが、キリストは井戸のそばで、サマリアの女の人と話しあっています。キリストは、友人マルタ、マリア、ラザロの家によろこんで招待されて行きました。ふたりの使徒、ヤコボとヨハネとには、謙遜でなければならないということを、やさしく諭してきかせました。ニコデモは、ファリザイ人ではあったが、よい意向をもってやってきたので、もちろん、親切にもてなしてやりました。キリストが、謙遜の大切なことを使徒たちに教えたのは一度や二度ではありません。使徒に召されたものは、けっして現世の王のように、人びとに君臨するという態度をとってはなりません。むしろ、下僕のように、人びとにつかえるものでなくてはならない、と諭してきかせました。最後の晩餐では自分自身弟子の足を洗ってやって、下僕となる態度を示しています。またキリストは深い愛情のもち主でした。三年間の宣教生活は、つきることのない愛の流露でした。病人や罪びとは、ひきもきらずにやってきましたが、キリストは、彼らの精神とからだとの病気をなおしてやったのです。キリストの生涯は、罪とかなしみと苦痛とに打ち勝つ日々の凱旋であったといっても良いでしょう。キリストは、破れん恥の罪をおかした、不幸な女をたすけてやりました。キリストは興奮している訴人たちに、「あなたたちのなかで、罪のない人が、まずこの女に石を投げるがよい」とも言いました。そして、彼らの良心の奥底までも見とおしていたので、彼らは恥じひそかに逃げさったのです。寡婦のたったひとりの男の子が、墓にかつがれていくのを見て同情し、生命を返してやりました。また、かわいそうな癩病者たちに、少しのためらいもなく、やさしい愛の手をさしのべています。キリストは、かれ自身にとっても、ユダヤ人全体にとっても、民族精神のささえになっていました。なつかしい都、聖なるイェルザレムを見て、激しく涙を流して言いました。「イェルザレム、イェルザレム、預言者たちを殺し、遣わされた人びとを石で打つものよ、雌鳥が、羽の下に、ヒナをあつめるように、わたくしはいくたびか、おまえの子らを集めようとした、しかしおまえは拒んだのだ」と。おそらく、キリストには、私達に想像もつかないような、あたたかい愛がみなぎっていたのでしょう。でなければ、どうして母親たちが祝福してもらいたいといって、自分たちの幼気な子供たちを、わざわざ彼のもとにつれていったでしょうか。使徒たちが子供たちをおいはらおうとしたとき、キリストは弟子たちを叱って、おさなごたちを抱きあげて、祝福をあたえています。十字架の苦痛が、たえがたいほど激しく迫ってきたときでさえ、彼の心にはかわりない愛がみなぎっていたのです。昔からの友に対する真実の愛、罪びとの改心をまち望む心、迫害者、罵倒する人びとまでもゆるす、いわば大洋にも似た大きな愛にあふれていたのです。十字架上の苦闘のために、全神経がけいれんをおこしているときに、聖なる母をおもい、使徒聖ヨハネに、聖母の子となって仕えてくれるようにたのんでいます。今の今まで、かれに反抗していた泥棒にも、ひとたびまことの痛悔を起こすや、すはらしい希望にみちた言葉を与えて、祝福をおくっています。キリストは、実際に自分を十字架に釘でうちつけた、それらの人びとのために、罪のゆるしを天父に懇願しました。とごろが、当人たちは、その言葉が発音されている同じときに、なおキリストをあざけり、侮辱し、罵り続けていたのです。


 キリストはすべての徳の模範です。 ------ 天主に対する完璧な愛と、天主の聖意に対する完全な服従とに(自分の意志であるからではなく、あなたの意志が行われるように)前にもあとにも、人間にはかつて見られなかったかたちで、キリストは、謙遜、勇気、忍耐、温和と愛などの諸徳を一致させていたのです。彼は勇敢で、意志の人でした。何者をもおそれることなく、自分の内心を披瀝し、提唱する教えに殉じた。彼はけだかく、礼儀ただしく、温和でした。しかし、利己的な人ではありませんでした。どんなに矛盾した言葉をきいても、軽蔑されても、くるしめられても、天から遣わされた人類の教導者としての品格をそこなうような言葉を、発したことはありませんでした。キリストの慈愛には弱さがなく、熱心と誠実には、忍耐がともなっていました。。堅固な性格をもっていたものの意地を張ることはありませんでした。深い思索家であったが、行動の人でもあったのです。目はいつも天にむけられていましたがそれにもかかわらず、弟子たちの弱さにたいしては、いつも同情し、くるしんでいる人や、かなしんでいる人びとには温情にあふれ、罪を激しく憎み、罪びとをいたわる深い愛に燃えていました。キリストは、どのような立場にいる人にも、マテオかなる時代に生活する人のためにも、立派な模範であり、私達には、到達することができないものではありますが、人間として最も崇高な理想を、すべての人に与えるインスピレーションでした。


 合理主義者たちの証言 ------  信仰をもっている人も、もっていない人も、まじめに、福音書を研究した人ならば、誰も、キリストの優れた人格を認めるということに異論を差し込まないでしょう。合理主義者ラッキーは、「世界に、理想の人格者(キリスト)をおくることができるということは、キリスト教の一大特権であろう。彼は、時代がどんなに変わっても、過去十八世紀にわたって、人びとの心に熾烈な愛の感動をおこしてきた。時勢が変わっても、国民性とか環境などがちがっても、この理想的な人格を、誰もが自分に実現しうるものであることを示してきた。キリストは、単に善徳の最高の水準を自分で確保していたというだけではなく、人びとに善徳をおさめさせる強力な刺激でもあった。そうであるからこそ、彼の影響はおおきく、わずか三年間にすぎない、彼の実生活に関する簡単な記録が、哲学者たちのすべての論述や倫理学着たちの説教を全部集録したものよりも、人びとを改心させ、平和を与えてきたのである」といっています。


 単に、自然宗教の教師として見た場合のキリスト ----- 推論をやさしくするために、一段と優れたキリストの教えを、ひとまずさしおいて考察しても、人間として完全であったキリストが、また真理の唱導者として、最も優れた人であったことがわかるのです。反対論者たちの見解によれば、これらの真理は、あるいは自然宗教の分野におさめられてしまうかも知れません。しかし、愛の律法に関する教え、誠実に関する教え、人間の霊魂のなにものにもかえがたい価値に関する教え、人間道徳の優れたことに関する理想などの諸教義を見ても、キリストは全く独創的な人物で、他に匹敵する人はいません。キリストはソクラテス、その他の人びととはちがって、「権威のある人として」教えたので、光を手さぐりしながら教えたのではありません。彼ははっきり、疑う余地がないものとして教え、自分自身が、その教えの生きた手本になっています。


 愛の律法に関するキリストの教え ----- 当時のユダヤ人たちは、律法のうちで、どれが最重要なものであるかについて、はげしく論争していました。ある人びとは犠牲祭の掟が最重要であるとし、他の人びとは、サバトをまもることが最も大切な掟であると言いました。これにたいして、割礼がより重要な掟であると主張してゆずらない人たちもいたのです。ところがキリストは、世間に流布されている、こういう見解は、どれもこれも取るにたりない愚論である、とこれらを一蹴し、成聖の土台は何かをはっきり示しています。すなわち「すべての律法はつまるところ、一つの掟、愛の掟に要約されるのです。天主への愛、隣人への愛である」といっています。キリストは、最初に彼の教えをひろく展開してみせた山上の説教で、愛の掟が広範な内容をもっていることを教えています。「隣人」というのは、当時の常識からすれば、イスラエル人同志か、親しい外国人をさす言葉でした。ところが、キリストは、隣人の意味するものは限定されているものではなくて、すべての人が隣人なのだと教えました。ひとりの例外もなく、善人も悪人も友人も敵もみな隣人です。人びとは相互に愛しあわねばなりません。なぜなら、みな兄弟なのだから。彼等はみな兄弟です。なぜなら、みな同じ天の父の子らだからだ。父は一切の人を愛し、摂理の祝福を与え、正しい人にも不正な人にも、同じように日光をおくり、雨をふらしてくれます。羊飼いが、見えなくなった羊を探しにでかけるように、父は、罪びとを探しに行きます。シナイ山で雷光のなかから話しかけた天主は、愛と慈悲とにあふれている父なのです。人びとは、自分たちがゆるしてもらいたいように、他の人をもゆるさなくてはなりません。なぜなら、兄弟に拒絶したことを、どうして彼らの父に願うことができるでしょう。キリストが教えている愛の掟は、つまり、「天主は、あなたたちの愛する父であるから、天主を愛さなくてはなりません。あなたたちはみな、父なる天主の子らであるから、たがいに愛し、ゆるしあわなくてはなりません。人は誰でも愛されたいし、ゆるしてもらいたいのだから、兄弟たちをも愛し、ゆるさなくてはならない」ということになります。イエズスは、教えを説くほかの人たちとはちがって、人びとを天主と和睦させ、天主に近づけました。キリストは、あたたかい、心からわきでる愛をもって、天主にたちかえることを人びとに教え、また、隣人のうちに、天主のすがたを見いだすように、とさとしています。


 誠実の掟に関するキリストの教え ------  外面だけで聖人をよそおって、内面の罪を軽く見ていた律法学士や、ファリザイ人たちの、いわゆる聖性を、キリストはもちあわせてはいありませんでした。キリストは彼らにいったものです。「なんとおろかな人たちでしょう。そとをつくったお方は、内部をもつくったのではないか」と。天主は、人間の肉体と霊魂とのつくりぬしであるから、人間は双方をもって天主につかえなくてはならないのです。私達は心の庇から、いかりと不潔とを洗いきよめなければなりません。つまり、私達の聖性は、あくまでも健全なものでなくてはならないのです。


 人間の霊魂の価値誼強調するキリストの教え ------ 人間の霊魂は、この世のいかなるものにも比較できないほど、価値あるものです。友だちをうしなうこと、全財産をなくしてしまうこと、生命それ自体をうしなうことでも、霊魂をうしなうことにくらべたなら、たいしたものではありません。「人、もし全世界をもうけたとしても、自分の霊魂をうしなったなら、なんの利益になるか。また、人間は、その生命を何ととりかえることができよう。自分の生命をすくおうと思う人は、それをうしない、わたくしのため、そして福音のために自分の生命をうしなう人はそれをすくうのだ」キリスト以前にも、これらの真理を理解した人が全然いなかったわけではありません。しかし、みな漠然として、いかにもとりとめがなかったのです。霊魂に関して、明瞭な、そして透徹した教えを与えた人は、実にキリストをもって嚆矢とします。


 卓越した人間道徳に関する、キリストの理想 ----  深く天主を尊敬すること、天主の聖意に完全に服従すること、完全な自己放棄という、英雄的な精神をもって、よろこんで天主につかえること、これがキリストの理想とする卓越した人間道徳の理想でした。



むすび


(1) 以上のように、キリストは、単なる人間として見ても、完全な人であったが、宗教の教師としても、卓越した、他に類例を見ない優れた人物であったということがわかりました。ところが、キリストは、天主であるということを情熱をこめて、あくまでも強調しました。従って、私達は、彼の主張が正しいこと、すなわち、キリストが天主であることを認めなくてはなりません。さもなければ、一つの非常に不合理な結論に直面することになります。それは、キリストが、詐欺師か、または、自己欺瞞の犠牲者であったという結論です。換言すれば、人類史上に現れた、最も完全な人が、恥を知らない嘘つきで、天主を汚す、狂人であったと言わねばならなくなります。合理主義者たちは、こういう結論に導かれます。もし、彼らがこの矛盾を知る時がきたなら、彼らの主張がすべて崩壊することを、覚悟しなければならないのです。


(2) キリストの品性 ――― キリストの英知と善、キリストの清浄さ ――― などは、私達には想像もつかないほどすぐれていて、普通人の能力をはるかにこえ、完徳の奇跡と見られるべきものです。従って、天主の特別な干渉に帰すほかには、説明不可能です。ということは、キリストの品性それ自体が、彼の教えの真理性を立証する天主の証明でもあり、キリストは天主であるという証明になる、という意味です。

 

 以上、シェアン司教著 「護教学」 より http://www.d-b.ne.jp/mikami/apolog2.htm

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キリストは復活したか?

2006年06月01日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

キリストは復活したか?

<<反対論者の説>>


【使徒たちはみな嘘つきであった(欺瞞説)】


 この説は、キリストの復活を説明しようとしてつくった、最初の説で、弟子たちの誠実な人格を正面から攻撃しています。墓の番に立った兵隊たちが眠っている間に、弟子たちがきて、死骸を運び出したというものです 。この話はユダヤ人たちの間には相当広くいきわたっていって、本当だと思いこんでいた人もいたようです。


 しかし、番兵が事実いねむりしたとするなら、その間に何がおきたか分る筈がありません。彼らがいいえたことは、目をさましてみると、墓はからであったということでしょう。しいて想像すれは、そのあいだに、弟子たちがぬすんでいったのではないか、ということになります。


 では、彼らが、実際こういう合理的な形式で、自分たちの意見を発表したものと見て、諭をおこしてみよう。キリストが受難をたえしのんでいたとき、恐怖におののいていた弟子たちが、キリストの死骸をぬすみだすというような、命がけの冒険をすることができたでしょうか。そのうえ、世間をあざむくということができたでしょうか。なんの目的があって、いかなる動機から、そのような欺瞞行為をあえてしなければならなかったでしょう。


 もし彼らが、キリストが復活していないということを実際は知っていたものとすれは、キリストが彼らをあざむいたことも知っていたわけですから、キリストが天主ではないということも承知していなくてなりませんでした。そうなると、彼らが世をあざむき、キリストに関するにせの復活を吹聴したとてしても、なんの利益があったでしょうか。迫害を受けるだけでした。たえまない苦しみと死でした。そればかりではなく、良心の呵責があった。


 他方、すくなくとも五百人の人たちを、虚偽宣布のために、仲間入りさせなくてはならありませんでした。不可能なことです。残酷で巧知にたけ、権力をもっていた彼らの敵たちが、その仮面を引き剥がさずにいる事が可能だったでしょうか。ファリザイ人たちが、証人たちの証言をなくそうと少しも努力しなかったという事実は、成功する見込みがなかったからだ。キリストの使徒たちと弟子たちの人柄が誠実なことは、あまりにも明白でした。


 もうひとつのやり方がありました。それは彼らの常套手段であった銀貨で、使徒のひとりに、師を売らせたことがありました。銀貨がもうなくなったわけではなかったのです。黄金は、欲深い人間のためには、迫害とか死が目の前にちらついているときには、さらに大きな魅力になるものです。しかし、キリストの復活を証明する人びとのなかにはもうユダはいませんでした。彼らのうちに、ひとりでもうそつきがいたなら、二重の誘惑に打ち勝つことができなかったにちがいありません。彼は、自分の同輩を信ずるに足りないものとする、ひとつの物語を作り上げさえすれば、自分の名誉を黄金にかえることができ、そのうえ、自分の生命を救うことさえできたからです。



【使徒たちは瞞された(幻想説)】


 現代の反対論者たちは、得意になってこの仮説を提唱します。彼らはいう。キリスト教徒たちは、キリストが十字架につけられたので、精神的に異常な興奮状態におちた。彼らは、愛する主が死を征服して、ふたたび彼らのところへかえってくると信じていた。イエズスが帰えってくればよいという熱狂的な願望が、復活したキリストという幻想を生みだしたのです。


 私達は、こういう説を真面目にうけとることはできません。なぜなら、ある個人の場合であれは、そのような幻想におちることも、あるいは可能であるかも知れありません。しかし使徒たちがみな、何十人という弟子たちまでが、同じ幻想に同時におちいるなどということは、あるべきではありません。


 まず、「熱狂的な願望」をもっていたという主張であるが、これは事実と違います。キリスト信者たちは、キリストの復活をなんら期待してはいありませんでした。キリストがユダヤ人につかまえられたとき、彼らはすっかりおびえてしまい、これで一切はおわったと逃げてしまったではありませんか。キリストは確かに、彼の死と復活とをなんども預言しています。しかし、彼らは、キリストの死という実感をつかみとることができなかったようです。従って、キリストの復活ということにも考えはおよばなかったのです。


 三日目の朝、マリア・マグダレナと他の女の人たちが、キリストの死骸に塗るつもりで、香料をもって墓へ行ったのですから死者のうちからよみがえるキリストと面会しようと期待しながら道をいそいでいたわけではありませんでした。墓が空になっているのがわかったとき、マグダレナの脳裡にうかびあがった考えは、誰かが死骸を盗んだのだ、ということでした。キリストが彼女に話しかけたときでさえ、初めはキリストであるということに気がつかず、園丁であろうと思いました。


 クレオファともうひとりの弟子とが、エンマウスへかえる道すがら、キリストに関する悲惨な会話をとりかわしていたとき、旅人になったイエズスが、彼らと同行して話しあったその様子から考えて見ても、彼らがイエズスをどう考えていたか、また、主はよみがえったと知らせた婦人たちの言葉で、彼らが、どんなにびっくりしたかというような彼らの心境が手にとるようにわかります。この旅人が、実はキリストご自身であるということを、彼らに現したとき、彼らはすぐにひきかえして、使徒たちに事の次第報告しました。ところが、この報告をうけた使徒たちは、前に、婦人たちの言葉を信用しなかったように、彼らの言うことをも信じようとはしませんでした。


 使徒トマはキリストが最初に使徒たちに現れたとき、一緒にはいませんでした。そして、キリストが現れたと言う話をきいたとき、これを否定しわたくしの指を釘のあとにいれ、わたくしの手を「そのわき」にいれてみるまでは、信じられない、と言い張るのです 。このように、キリストの復活に関する証人たちはどう考えても軽信の徒輩とは言ません。むしろ不信の徒と見られる人たちで、幻想がはいりこむ余地がなかったことだけは確かです。



【キリストは策謀家であった(昏睡説)】


 この説によると、キリストは十字架上でほんとうに死んだのではなく、仮死状態におちたにすぎないことになります。キリストは墓の中で蘇生しました。兵隊たちが眠っているすきに、すばやく石を取りのけ、弟子たちに会いました。こうしてキリストは死を征服したという印象を彼らに与えたと言うのです。キリストの精神的な苦悩を考え、鞭でうちのめされたこととか、イバラの冠をかぶせられたこととか、十字架に釘づけにされ、わきを槍でつきとおされたことなどを思いあわせると、昏睡説などなんの意味もないことがよく判ります。


 たとえば、この仮説を認めたとしても昏睡だけではどうにもなりません。多くの血をながして、つかれはてている人がたとえ蘇生したとて、巨大な石をとりのけることはできません 。兵隊のまどろみをやぶることなく、こういう作業を遂行することなどできるものではありません。死を征服したという演出など、とうていおよびもつかないことでした。全身傷だらけで、手にも足にも釘で打ちつけられた傷をうけ、しかも、健康な人と同じように歩行し、ドアがしまっている食堂へ入ることなどどうしてできたでしょうか。好きな時に現れ、好きな時に消えたりすることがどうして出来たでしょうか。多くの弟子たちの前で、天に昇るということを信じさせることが、どうしてできたでしょうか。


 十字架の苦悶をうけてまで、天主の子であるという主張をゆずらなかった偉大な聖人を、単なる策謀家にする仮説はとるにたりないものです。そのうえ、以上述べたいわゆる虚偽の演出を宣布させるために、もえる熱情を弟子たちにふきこむことができたということは、どう説明すべきでしょう。合理主義者シトラウスでさえ、この説には、一顧の価値もないとして軽くあしらっていますが、それはけだし当然です。



 【チェルススの反対論。キリストは、復活ののち、なぜ、おおやけに、彼の敵たちや全民衆に現れなかったのか。】



 この説は最初、異教徒チェルスス(200年頃死)によって提唱されたものですが、近代になってから、またもやルナンその他によってむしかえされたものです。


(1)天主は、人びとが天主にかえる場合、自由な立場から天主に帰依することを望みます。一般的にいえば、天主は悪意ある人びとの意志をまげるために、ある特別な方法や手段をつかうことはありません。天主は、信仰が合理的であることを証明する明らかな、そして、充分な証明を与えることだけで満足します。


 キリストが教えている喩えのなかにでてくる金満家は、地獄からアブラハムをよび求めます。すなわち、五人の兄弟を地獄の苦悶におとさないために、彼らに証明を与えてくれとねがったわけです。アブラハムはこの要求に、「彼らにはモーセと預言者がいる。それに聴けばよい。もしモーセと預言者とにきかないなら、たとえ、死者のなかからよみがえる人がいても、彼らは説得されないだろう 」とこたえています。


 ファリザイ一派の人びとが、天からのしるしを要求しましたが、あきらかに拒否されています。キリストが十字架のうえに釘でうちつけられていたとき、道ゆく人たちが、「もし、あなたが天主の子なら、自分で自分をすくって十字架からおりてこい 」と言ったのにたいして、イエズスは何も答えてはいません。


 キリストが特別な恩恵を与えているのは、ただ一人の反対者だけで、すなわち、キリストは、迫害者であったタルソのサウロすなわち後の聖パウロに現れているだけです 。



(2)たとえ、キリストが一切の人に現れたとしても、彼らは、自分たちに都合のよい口実をみつけて、信仰を拒否したにちがいありません。「キリストではあるまい。悪霊であろう。サタンの使いに違いない」とかたづけてしまったに違いがありません。それから、後世の不信仰者たちは、おそらくこう言ったでしょう。「キリストが復活後」一切の人に現れたのであれば、なぜ、今もすべての人に現れないのか。なぜ、いつも地上にいないのかと。もしまた、キリストが常に地上にとどまっていたとしたなら、彼ら不信の徒輩は、彼らの不信に安住しながら、キリストは欺瞞者のつづきだろう、と言うにちがいありません。



 以上、シェアン司教著 「護教学」 より

この「護教」のこの部分は、

http://www.d-b.ne.jp/mikami/apolog2.htm

にアップされています。ごゆっくりどうぞ


 


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イエズス・キリストは天主か?

2006年06月01日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

 イエズス・キリストは天主か?

歴史の主張「イエズス・キリストは、ご自分が天主の権能をもっていると主張した。キリストは、ご自分が天主から派遣されたこと、また、天主ご自身であることを主張した。自分が天主であることを証明する奇跡(病人の治癒や死者の復活などの物理的奇蹟、また旧約聖書の預言の成就という知的奇蹟、さらに自分の死からの復活という奇蹟)を行った。」

 シェアン司教著 「護教学」 第七章 まことの天主なるイエズス・キリスト を見てみよう。

【ご自分を天主とするイエズス・キリストの主張は、奇跡と預言とによって、正当に裏付けられている】

【第一項 第一の証明】

★ 奇跡と預言とは、イエズス・キリストが主張していること、すなわち、自分が天主であることを立証する

【A キリストの奇跡は、キリストの天主性を立証する】

 キリストはこの世に生活していたときに、多くの奇跡をおこしています。キリストは、単なる言葉だけで、病人や、目の不自由な人々、口の不自由な人々、足の不自由な人々などを治しました。また、別な所に住んでいる人たちの病気をいながらにして治癒したことも少なくありません。特記すべき奇跡として、生まれつきのめくらを癒したこともあります 。キリストは死者を蘇らせました。例えば、ヤイロの娘、ナイムの寡婦の息子、ラザロの蘇りなどをあげることができます。また、悪霊のとりこになっている人から、悪霊を駆逐しているが、こうしてキリストは、ご自分の権能が霊の世界にも及ぶことを、はっきり知らせたのです。キリストは、単なる物質界においても、多くの奇跡をおこしています。水をぶどう酒にかえ、五千人余の人たちを、五個のパンと二尾の魚をふやして飽食させたりしています。ちょっとした命令で、暴風雨を鎮め、また、水の上を歩いています。

 キリストの奇跡は、自然的には説明不可能です。以下、自然的に説明しようとしてでっちあげたいろいろなこころみを検討して見ましょう。

(1)妄想説によると、奇跡は単なる自然的な出来事であったのだが、狂信的な弟子たちが、超自然的なものに妄想した、という。ところが、奇跡はいつも公然と、一般の人たちの目の前で行われたので、その事柄が事実その通りであったことは、キリストの敵たちでさえ認めざるをえませんでした。
(2)悪霊蠢動説によっても説明不可能です。何故ならキリストは、彼の教えから見ても、その人格からいっても、聖なる人だったからです 。つまり、キリストはサタンの僕ではありえなかったのです。キリストは、悪霊を追い出しているのであるから、悪霊の敵ではあったが、悪霊の手先ではありえなかったのです。
(3)催眠術、または、動物磁気説によっても説明がつきません。催眠術とか暗示とかによる治療法は、神経系統のある種の病気には効果があるといわれています。しかし、瞬間的な平癒とか、そこにいない人の病気を治すことは出来ません。キリストは、いろいろな種類の病気を治しています。その上、多くの場合、病人たちが、そこにいあわせないこともあったし、病人たちが、なおしてもらえる立場にあることにさえ気がついていませんでした。いずれにしてもこの説は、死者の蘇りを説明することはできません。

 キリストは、ご自分が天主から遣わされたことを立証するために、奇跡をおこした.。「私のする行いそのものが、私を遣わしたのが父であることを証明している 」のです。従って、キリストの教えは、天主の教えであったのです。ところで、キリストはご自分が天主であると教えています。それゆえキリストは天主です。

【B キリストの預言は、彼の天主性を立証している】

 キリストは、人間が到底予知することができない未来の預言を多くしました。
(1)ご自分の将来について、受難、復活、昇天などの預言 。
(2)彼の弟子たちについては、ユダが師を売ること、弟子たちがみな師を棄てるであろうことなどの預言。
(3)キリストの教会については、教会が、辛子種のような素晴らしい成長力をもっていて、全人類を、その木の葉陰に休ませるようになること、ご自分と同じ待遇を受けるだろうこと、すなわち、世がこの教会を憎み、迫害するであろうこと、しかし教会には、地獄の門も勝つことはできないこと、などの預言。

 以上の預言の完成は、キリストの教えが、天主の教えであることを明白に立証するものです。ところがキリストは、ご自分が天主であると教えています。従って、キリストは天主です。

 イェルザレムの滅亡と、ユダヤ人の将来とに関するキリストの予言は、特記すべき預言であると見られています。
 キリストは言います。「敵がおまえのまわりに塁を築き、とりかこみ、四方からせまり、おまえとそのうちにすむ人びとを地にたおし、石のうえにひとつの石さえのこさないような、ある日がくるだろう 」と。それから「地上には大艱難があり、おん怒りがこの人民のうえにくだるからだ。彼らは、剣の刃のしたに倒れ、あるいは捕虜として、諸国に引かれていくだろう。そしてイェルザレムは、異邦人の時が満たされるまで、異邦人にふみにじられる 」であろうと。これはキリストの預言ですが、この預言が、文字通りに実現したことは、ローマ皇帝ティトスの命によって書かれた、フラビゥス・ヨセフス(三七~九八) 著「ユダヤ戦記」に明らかです。ローマ軍には、攻略した都市、特に神殿などは、そのまま保存しておく習慣があったので、都市の壊滅ということなど、全く予想外のことだったのです。

 ローマ皇帝、背教者ユリアヌス(三六一年~三六三年)は、キリスト教の預言の裏をかこうとし、神殿とユダヤ国との再建とを計画し、ユダヤ教をさかんにしようと計画しました。離散していたユダヤ民衆は、この計画を知ると狂喜して参集し、熱心に協力しました。アンミアーヌス・マルチェリーヌスは、皇帝護衛官で、異教徒の著作家ですが、人類史上において、特に立証された事件のひとつとして、以後のなりゆきを記しています。「ユリアーヌスは、以前ブリタニアの副官であったアンテオキアのアルピヌスに、この大事業をまかせた。アルピヌスは、情熱をこめてこの大事業をはじめ、州の総督を補佐役に任命した。恐ろしい熱火の塊が、基礎の下から吹き上がり、労働者たちがどうしても近づくことが不可能になるまで、猛火の攻撃が止まなかった。こうして猛火が執念深く彼らを追っ払ったので、遂に事業 は放棄された」と書いています。

【C キリストご自身において、預言がすべて完成している】

 多くのユダヤ人たちは、彼らの聖書、すなわち、旧約聖書が教えているメシアに関する預言が、キリストにおいて、完成されていることが分かったので、キリスト教徒になったのです。私達は、ここではただ、誰も否定することができない点、すなわちこの本が、キリストが生まれるはるか以前に書かれた本だということだけをとりあげて論を進めていきます。

 ユダヤ人の宗教は本質的に待望の宗教でした。すなわち、あとでつかわされるメシア、あるいは救世主に対する信仰と待望とが教義の中心になっていた。そして、救世主に関する預言が、すべてキリストにおいて実現したのです。救世主に関する預言の大要を、次にあげてみます。

 彼は、ダビドの正継として生まれるであろう。(イザヤ、11:1, 2)。
そして、ベトレヘムで生まれる(ミケア、5:2) 。
 彼は、聖処女である母から生まれるであろう(イザヤ、7:14) 。
そして天主の子といわれる(詩、2:7)。
 彼はナザレ人・・・すなわち、ナザレの人といわれる(イザヤ、11:1)。
 彼は正義をもって、貧しいものを裁く(イザヤ、11:4)。
 彼の王国は攻撃を受けるであろうが、永遠にほろびることはない(詩、2:1-4)。
 彼は、すべての人びとを裁き、そして、義人には光栄の冠を与える(イザヤ、24章、28章)。
 しかし、彼は悲しみの人であって、軽蔑され、最もさげすまれた人間になる(イザヤ、53章)。
 彼は銀貨三〇枚で売られるが、その銀貨は、やき物師から畑を買う代価につかわれる (ザカリア、11:12,13)。
 自分から望んで犠牲になり、ひとこともいわありません。場にひかれていく羊のように、毛を刈りとる人の前にだまっている羊のように、口をつぐんでいる(イザヤ、53:7)。
 彼の腕と足とはさしつらぬかれ、衣服は分けられ、着物はくじ引きにされる(詩、21:17-19)。
 彼は異教の国々の光明になり、地のはてまで、救いをもっていく(イザヤ、49:6)。
 天の天主は、けっしてほろびない王国をたてる(ダニエル、2:14) 。

 以上あげたような多くの預言が、ある個人において完成された ということは、けっして偶然の符合ではありえないし、人間の作為によるものでもありえません。天主の聖業に帰すべきであるということは、きわめて明瞭なことです。従って、キリストは約束されたメシア、すなわち、救世主です。キリストは天主によって派遣された。キリストは天主の権をもって教え、しかも、ご自分が天主であると教えた。それゆえ、キリストは天主です。

 では、なぜユダヤの全民衆が、キリストにおいて、すべての預言が完成していることを承認しなかったのだろう、ということです。特に、キリスト誕生のときが近づくにつれて、メシアへの待望がますます激しくなっていることがわかると、この疑問がさらに、ときがたいものに見えてくるわけです。

応答

(1)キリスト降生当時のユダヤ人たちは、一般的に見て、道徳的に非常に頽廃していました。フラビウス・ヨセフスは、ローマ軍が、彼らを罰するためにやってこなかったとしても、地震とか、洪水とか、あるいは、ソドマの雷光が、彼らを罰したに違いない、といっています。思うに、彼らの不義、不徳が、キリストの福音に、耳をひらかせなかったひとつの原因になったと考えられます。
(2)キリストの教えが、彼らにある種の革命的な要素を感じさせた。すなわち、キリストによれば、彼ら、は、もはや天主の選民として他民族より優位な立場におかれることはなく、そのうえ、彼らが忌み嫌っていた異邦人たちもが同じ特権が与えられる という教えを聞き、がっかりしたわけです。
(3)ユダヤ人たちの指導者は、律法学士やファリザイ人たちであったが、キリストは、彼らの高慢と偽善とを真っ向から非難したので、その結果、彼らはキリストをことのほか憎悪しました。それで、キリストの主張と教えとをただしく判断できない精神状態に陥ったのです。
(4)ひとつには、聖書に関するファリザイ人たちのまちがった解釈のためと、もうひとつは、他国の圧迫が絶えず、民族的な自負心が強かったために、ユダヤ人は、メシアを罪から解放する救世主としてではなく、ローマ帝国の重圧から彼らを解放し、世界帝国をつくる現世的な王であると夢想するようになっていました。精神界の王としての勝利が、現世的な王国の勝利におきかえられて誤解されていました。使徒たちでさえ、この種の民族的な考えから脱却することができなかったらしく、キリスト昇天の直前に、祖国愛のために、この希望の完成を見たい願望にかられて、「主よ、あなたがイスラエルのために国を再興されるのはこの頃ですか 」とキリストにたずねているほどです。


【第二項 第二の証明】

 イエズス・キリストの復活は、彼が天主であることを証明している

 キリストは、ご自分が天主であると主張し、この主張が真理であることを立証するために、ご自分が死者のうちから復活するであろうといった。そして、キリストは死者のうちからよみがえったのです。従って、キリストは天主です。キリストの復活を証言する人たちは、みな信頼に値します。

【キリストは、ご自分が死者のうちから復活するといった】

 ユダヤ人たちが、キリストの権力についての証拠を見せてもらいたいといって、奇跡を要求したとき、イエズスは、「この神殿をこわしたら、私は三日でそれを建てなおそう 」と答えました。福音書記者は、キリストは彼のからだの神殿をさしていったのだ、と説明しています。

 あとになってからは、もっとはっきり、「この悪い、邪な世代はしるしを望むが、しかし、預言者ヨナのしるし以外のしるしは与えられないであろう。すなわち、ヨナは三日三晩、海の怪物の腹のなかにいたが、同様に人の子は三日三晩、地のなかにいるだろう 」といっています。
 タボル山の変容ののち、キリストは、ペトロ、ヤコボ、ヨハネをいましめて、「人の子が、死人のうちからよみがえらないうちは、見たことを誰にもいうな 」といっています。
受難のためにイェルザレムにいく前に、キリストははっきり、「私達はイェルザレムにのぼるが、人の子は、司祭長、律法学士たちに渡されるだろう。そして彼らは、人の子に死刑を宣告し、異邦人にわたし、嘲弄させ、むち打たせ、十字架につけるが、しかし、三日目によみがえるだろう 」と言いました。
 復活に関するキリストの預言が、一般の人びとに知れわたっていたということは、キリストの死後、彼らがピラトに進言して、「あのまどわし者は、生きていたときに、私は三日目に蘇る、といっていたのを思いだす 」といっているのを見ても分かります。

【キリストは死んだ、そして墓に葬られた】

 四人の福音書記者は、いずれも、キリストは十字架のうえで死んだと言います。兵隊たちは、キリストが死んでいることがわかったので、彼の足のすねを折りませんでした。ひとりの兵隊が、槍でキリストの脇腹を貫きました。アリマタヤのヨゼフが、キリストを埋葬するためにその許可を願い出ると、ピラトは許可を与える前に、百夫長に命じてキリストの死を確認させています 。考えてみて下さい。キリストの殺害をあれほど執念深くたくらんでいたキリストの敵たちが、自分たちの計画を中途半端でやめることなどありえたでしょうか。前述したように、「生きていたとき」といっていますが、この言葉から考えても、いまは死んでいるという事実があったからこそ、こういう言葉が出てきたことがわかるのです 。
(ローマの歴史家、タキトゥス(西暦55年―120年頃)は、「キリストは、チベリウスの治下、総督ポンテオ・ピラトに依って死刑にされた」と記しています(Annals.ⅩⅤ.44)。)


【キリストは死者のうちから蘇った。】

 福音書記者たちが教えているところによると、墓がからになっていました。それから、キリストはマリア・マグダレナと他の婦人たちとに現れ、次に、使徒たちに現れ、傷のあとを示しています。「私の手と私の足とを見よ、私自身だ。私に触って確かめてごらん。霊には、私にあるような骨や肉はない 」といって、彼らと話したり、一緒に食事したりしています 。キリストは、エマオへ帰る二人の弟子と一緒に歩き行きましたが、「パンをさく動作 」によって、弟子たちは、彼が主であることを知ったのです。コリント人たちに書き送った手紙で、聖パウロは、「五百人以上の兄弟たちが一緒にいるところに、キリストが現れ、最後には、私にも現れた 」と教えています。

【A キリストの復活に関する証人は信頼に値する】

(1)彼らは、決して嘘つきではありません。彼らには、虚偽の証拠をつくりださなければならない少しの動機もありませんでした。彼らの働きと、そのためにうけた苦難とを思いあわせると、それらはみな、彼らの誠実さを証拠だてるものばかりです。また、彼らは、自己欺瞞におちていたわけでもありません。なにしろその数がひとりやふたりではないし、初めからキリストの復活を信じていたわけではなく、むしろ信じたくなかったくらいなのです。また、キリストの死後、キリストが、彼らとともにいた時間が、相当長期にわたっていたことも、自己欺瞞という説を不可能にするもうひとつの理由なります。

(2)天主は奇跡の賜物を彼らに与えて、彼らが人を騙すような人間ではなく、また浅薄な夢想家でもなく、ひたすら真理を宣言する人たちであることを立証しています。彼らの手によって、キリストのみ名において、天主は、多くのしるしと、不思議とをおこしたので、これを見た、「一般の人びとは、畏れを感じた 」程でした。

(3)何千人という、初代教会の改宗者たちが、聖ペトロのもとにあつまっているが、そのなかには、「非常に多くの司祭たち 」がいたという驚くべき事実に注意して下さい。これらの司祭たちは、特別な階級に属する人たちで、つい最近までは、キリストの奇跡を否定していたばかりでなく、キリストを十字架の刑罰におくりだすために、一生懸命になった人たちでした。また今もなお、天主から来る新しい証拠を抹消するために、やっきとなって努力している大司祭たち、その他の指導者たちといさぎよく訣別してきた人たちであったのです 。これら勇敢な改宗者たちは、彼らの司祭職が提供するいろいろな特権を、一生涯続くかも知れない迫害ととりかえなければならないはめにおちいる、自分たちの立場を、よく承知していたにちがいません。彼らは、彼らが属していた社会を混乱させる者、民族の裏切り者として、あるいは焼き殺されねばならないかも知れないということも知っていたにちがいません。それにもかかわらず、こういう未来に敢然とたち向かっていくことができたのは、何のためであったろう。彼らは、ひたすら自分たちの良心が要求する強い命令に従っただけであったのです。キリストの復活という真理が、彼らの心に水晶のような清浄な姿でうつしだされていたにちがいません。

 これは、おそらく次にあげる二つの道のどちらかからきたと思われます。その一つは、使徒たちがおこなう奇跡が、間違いなく起きた奇跡であるということを知り、従ってこれはキリストが復活したと主張する使徒たちがただしいことを、天主ご自身が保証するものだと確信するに至ったか、或いは、もう一つの道に従うと、彼ら自身、復活に関係がある多くの証人たちの話しをきいたり、調べたりして(誰とでも直接話しあうことができた)、それらの証拠には、なんら疑問とするものがないことを確かめて、最後の確信に到達するようになるかしたのです。しかし、上述したふたつの、いずれの道を選んだとしても、彼らの多くの人びとは、もう一歩前進したことは確かです。すなわち、さらに遡って、メシアに関する預言をもう一度調べたにちがいません。その結果、旧約の預言が、すべてキリストにおいて成就したことを知ったのです。すなわち、キリストは人となった天主の子で、苦しみをうけ、十字架に釘づけられて死にました。そして三日目に墓から蘇りましたが、これらはみな預言の完成であることを知ったのです。

【キリストの復活に関する証人としての聖パウロ】

 聖パウロの証言は、それ自体、確固たる証明力をもってはいるが、同時に他の証人たちの証言をも立証する特別な力があります。いかなる批評家も、聖パウロがダマスコ途上で、奇跡的な示現にあった事実を疑問視するものはいません。キリストの死後、三十年以内に、聖パウロが、ローマ、ギリシア、小アジアの諸教会に書きおくった素晴らしい手紙、この書面をもって彼は、彼らの信仰の土台であるキリストの復活を諄々と説いていますが、これらの手紙の文献的な価値を無視していくことができる批評家は、一人もいません。また、前身は教会の迫害者だった聖パウロの、聖者としての風格と、誠実な人格とに、疑問符をうつことができる人もいません。聖パウロのように高潔な人格者で、しかも教養の高い人が、詐欺師とか、またはこれに類する人たちの仲間入りができるものではありません。また、復活の証人たちと話しあったとき、何かの不合理を発見したり、彼らの立証に、うたがわしい点を見いだしたりしていながら、そういうことに関する一切の記事をさし控えたなどとは到底考えられるものではありません 。

【B キリストの復活は、復活に関する全世界に及ぶ信仰という奇跡によっても証明される】

 ペンテコステの日、その日はまだ、イェルザレムにおいて、キリストの惨酷な死刑の記憶が、人びとの脳裡にまざまざと浮びあがってくるときでしたが、使徒たちは、その同じ場所に、素面で立ち上がり、人びとの前に姿を現したのです。講演の冒頭で彼らはキリストの復活を説いたのです。「天主が復活させたのはそのイエズスで、私達はみなその事実の証人である」と聖ペトロは説教したが、この言葉でキリストを信仰し、改宗したユダヤ人たちは三千人もいた。それから間もなく、「天主が、死者の内から蘇らせたのは、生命の君 」であるということについて、聖ペトロが説教したときにはさらに、五千人以上の改宗者がこれに加えられています。パレスチナはいうにおよばず、国境をこえて、各階級と民族とに、改宗者の数は日一日と急速に増加していった。数年にもならないうちに、百万人を突破し、数世紀のあいだに、ローマ大帝国の大半をキリスト教化し、更に前進して行きました。聖アウグスチヌスはキリストの復活が事実でなかったとするなら、ガリレアの名もない少数の漁夫たちが、世界をこの信仰に塗り替えたいうことになり、キリストの復活と同じくらい偉大な奇跡になってしまう、といっています。この信仰の奇跡は、また継続的な奇跡でもあって、時代が経過するにつれて、ますます大きくなりました。四億以上の信者がいる今日の教会においては、カトリック教会外にもこの信仰をもっている人々が二億はいると推定できます。信者は、いろいろな階級にまたがっているが、もちろん最高の知識層に属している人たちもいます。従って、天主は使徒たちが真理を宣言したことをこういう奇跡的な事実によって立証しているのです。天主は私達の主イエズス・キリストが、死者のうちから蘇ったことを立証しているのです。

 上に挙げた積極的な論証の証明力は、復活の日の朝、墓がからであったという疑うことができない事実を説明するために反対論者たちが提唱する多くの説が、どれもこれも、とるにたりないものであることが分かれば、さらに強力に浮かびあがってくるのです。

 以上、シェアン司教著 「護教学」 より。
http://www.d-b.ne.jp/mikami/apolog2.htm


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歴史は、イエズスがした多くの印、奇蹟、言葉、教え、教会の制定などが歴史上の事実であると認める

2006年05月31日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

 イエズス・キリストは天主か?


(ここでは日本語での誤解を避けるために神と言う言葉を避け、天地の唯一の創造主という意味で「天主」という言葉を使っています。何故なら、神というと、例えば、東照宮では徳川家康でも「神」として祀られており曖昧な概念だからです。)



ダ・ヴィンチ・コードの主張「キリストは単なる死すべき人間の預言者であった。あらゆる点において例外的な人間であったが、人間に過ぎなかった。しかし325年のニケア公会議で天主の聖子と宣言された。これは教会とローマ帝国にとって、その権力を保証する手段であった。」


歴史の主張「非キリスト教徒およびキリスト教徒の残した史料によると、イエズスが存在したことは議論の余地のない歴史的事実である。固有の意味での歴史は、イエズスがした多くの印、奇蹟、言葉、教え、教会の制定などが歴史上の事実であると認める。歴史は、キリスト教徒らがその最初からイエズスをメシア、天主の聖子、救い主であると信じていたと断言する。325年のニケア公会議は、原初の信仰の再確認でしかない。」



 イエズス・キリストが天主であることに関する新約聖書の明確な証言とは別に、始めからキリスト教徒がイエズスを天主であると信じていたという非キリスト教徒の証言が存在する。ビトュニアのローマ総督小プリニウスは、西暦112年に、キリスト者らがキリストを天主として褒め称える参加を歌っていると証言している。(L. 10, l. 96)


 ニケア公会議の以前から、アンティオキアの聖イグナチオ(117年没)、ユスティヌス(165年没)、聖イレネオ(200年没)、アレクサンドリアの聖クレメンテ(215年没)、テルトゥリアヌス(225年没)などは、はっきりとイエズス・キリストが天主であることを宣言している。

 


 では以下に、シェアン司教著 「護教学」 第六章 イエズス・キリストは、ご自分が天主であると主張している を見てみよう。


□ イエズス・キリストの、ご自分が天主であると主張した事実に関する証明 □


■第一項■


★ 三福音書は、キリストが天主であると主張した事実を証明する



【キリストは、全人類をさばく天主であると主張している】



 キリストは、「人の子 が、その栄光のうちに、多くの天使をひきつれてきて、・・・諸国の人びとを前にあつめ、次に彼らをひとりひとりわけるだろう 」といっています。こういう宣言をあえてなしうる者は、天主だけです。天主でなければ、全人類のあらゆる人たちの内心の状態を読みとって、各人に相当する至当な賞罰を与えうるものはいません。


 キリストは同所で、さらに強調し、続けていっています。審判の日に、キリストは「王」としてたちあらわます。そして善人にむかって「援助を必要とした人びとをたすけたことは、つまりわたくし自身を助けたことになる 。」それから、次に悪人にむかっては反対に、「他人をかろんじたものたちは、つまり、わたくし自身を軽視したことなのだ」というのです。


 それゆえ、キリストは、善人をよみし、悪人をきらう天主とご自分とを同じものにしているわけです。キリストは、ご自分が天主なる律法者であると主張しています。・・・ファリザイ一派の人たちは、イエズスの弟子たちがサバト、すなわち安息日をけがしたといって非難したとき、イエズスはこたえて、「人の子は、じつに、安息日の主人である 」といっています。その意味は、「わたくしは、安息日を制定した天主であるから、サバトに拘束されなくともよい」ということです。


 山上で説教したとき、「あなたたちもおそわったとおり、昔の人は、殺すな、「殺すものは審判される」と教えられていた。しかし、わたくしはいう、兄弟にたいして怒りをもつ者は、みな裁判を受ける 」と教えています。この談話のなかで、キリストは何度も、「あなたたちは教えられている、しかしわたくしはいう」という表現をつかっています。もしキリストが、単なる人間で天主の特使にすきないということを主張するものとすれば、けっしてこういう宣言をしてはならなかったわけです。なぜなら、もし、そういう意図でこのような表現をつかったとすれば、天主をはなはだしく侮辱する汚聖行為で、途方もないうぬぼれになるからです。


 キリストは心からの尊敬と謙遜とをもってこの表現に固執したのです。「天主はいまこそ、あなたたちに宣言することをわたくしに命ずる」からです。キリストが、実際にここで教えている言葉は、キリストが個人の権力をもって十戒に関するただしい解釈と再吟味とを強調していることを示しています。こういう権能は、シナイ山において律法を与えた天主だけがもつ権能です。

 


【キリストは、ご自分が全能であることを主張している】



 キリストは天主のペルソナで、天主の子であること、また、父と同じ権能をもっていることを主張しています。「わたくしには、天と地との一切の権力が与えられています。・・・すべてのものは、わたくしの父からわたくしにまかせられた。父のほかは、子が何ものかを知っている者はなく、父が何ものかを知っているのは、子と、子が示した人のほかにはいない 」のであると。


 キリストは、天上においても地上においても天使にたいしても、被造物のうえにもおよぶ権力、このような権力は、天主だけがもつものですが、これらの権力をことごとくもっていることを主張しています。こういう主張をあえてすることによって、キリストは、ご自分が、単に天主のペルソナであることを宣言しているだけではなく、天主の子として、父から一切をうけていること、そのうえ、父とは相互の認識において神秘的に一致していること、父に関しては、ご自分だけが、望むときに人に知らせることができるということを強調しているのです。

 

【キリストは、子であるが、天主であること、すなわち、本性においては父とひとつであることを主張している】



(a) ある日イエズスは、カイザリアの近傍で、弟子たちに、「人びとは、人の子を誰だといっているか」とたずねた。弟子たちは、「ある人は洗者ヨハネといい、ある人はエリア、またある人ほイェレミア、あるいは、預言者のひとりだといっている」とこたえた。イエズスが、「ところで、あなたたちはわたくしを誰だと思うのか」というと、シモン・ベトロが、「あなたはキリスト、活ける天主の子キリストである」とこたえた。イエズスは、「シモン・パルヨナ、あなたは幸いな人である、その啓示は、血肉からのものではなくて、天にましますわたくしの父からでたのである 」と。聖書の用語法によると、「天主の子」という言葉は、転義的な意味で、「友人」とか、「天主のしもべ 」という意味でつかわれていることがあります。しかし、ここでは、転義的な意味における天主の子でないことははっきりしています。なぜなら、そういう意味だとすれば、洗者ヨハネも、エリアも、預言者たちもみな、「天主の子」であったはずだからです。また、もしペトロが、同様の意味でこの言葉をつかったものとすれば、父なる天主の啓示など少しもいらなかったわけです。


(b) 司祭長たち、ならびに律法学士たちが、そばできいていたときのこと、イエズスは人びとにひとつのたとえを話しました。すなわち、ある人がぶどう畑をつくって、小作人にその畑を貸し与えた。やがて、ぶどう畑からあがる収入の一部をおさめさせようと思って、しもべを次次と使いにだしました。ところが、小作人たちは使いの人びとに何も与えずにおいかえしました。そこで、主人はついに、「さて、どうしたらよかろう。わたくしの愛する子をおくろう 。かれを見たなら、おそらく尊敬するのではなかろうか」と考えた。ところが小作人たちはその人を見ると、ひそかに、「あれは相続人だから、殺してしまえば財産は私達のものになる」とたがいに相談し、そして、その人をとらえてぶどう畑のそとにつれだして殺してしまった。さて、ぶどう畑の主人は、小作人達をどう処分するだろうか。彼はきて、小作人たちを殺し、ほかの人たちにぶどう畑を与えるだろう、と 。


 このたとえをきいた人たちはみな、キリストが何をいおうとしているのかわかったのです。このたとえは、はっきりした預言で、ユダヤ人が多くの預言者を殺し、最後には、天主の愛子までも殺し、その結果、彼ら自身の破滅をまねくことになるであろうということを話しているということがわかったのです。それで絶叫してこういった。「そんなことがおこらないように」と。キリストをとりまいていた人びとのうちには、多くの友人たちもいましたがほかの司祭長とか、律法学士たちは、キリストのいおうとする事柄の意味をすぐに了解しました。そして、このたとえのなかで、天主のまことのおん子を殺す自分たちのすがたを見たのです。


(c) 聖金曜日の朝、イエズスは衆議所に出廷していた。「大司祭が、イエズスに、あなたはキリストか、祝せられたものの子か、とたずねると、イエズスは、そのとおりです。あなたたちは人の子が、力あるものの右にすわり、天の雲にのってくるのを見るであろう、といった。そのとき、大司祭は自分の服をひきさいて、どうしてこれ以上の証人がいるか、あなたたちは冒涜の言葉をきいたのです。それをどう考えるか、といった。彼らは口をそろえて、その罪は死刑に価すると決定した」のです。何が冒涜であったのか。いうまでもなく、それはイエズスが、天主の真の子であり、父と本性において同じであると宣言したことが、冒涜と見られたのです。この冒涜のゆえに、彼らはキリストを死刑に決定したのです。

 


★ ヨハネ福音書は、イエズスがご自分を天主であると主張していることを立証する


【キリストは天主の特権を主張している】


 ユダヤ人たちが「あなたは、まだ五十才にもならないのに、しかも、アブラハムを見たというのか」といったとき、イエズスは、「まことにまことに、わたくしはいう。アブラハムが存在する以前に、私は存在している」と言った。「父は、すべての人が父を尊ぶと同じように、みなが子を尊ぶように、審判のことをことごとく子にまかせた」のです。キリストはニコデモにいっています。「子を信じる人はさばかれないが、信じない人は、天主のおん一人子の名を信じなかったために、すでにさばかれている」のであると。


 キリストは自分自身を、生命にいたる「門」であるといい、「ぶどうの木」で、私達はすべて、その枝であると教えています。彼は、「道であり、真理であり、生命である」という。キリストは苦難に入る前晩に天父に祈って、「父よ、この世が存在するよりさきに、わたくしがあなたのもとで有していたその光栄をもって、いま、わたくしに光栄をあらわしてください。わたくしのものはみなあなたのもの、あなたのものはみなわたくしのものである」と、いっています。


 以上の真理を証拠だてるテクストは、聖ヨハネ福音書からも、他の福音書からも、たくさん引用することができます。

 


【ユダヤ人たちは、キリストがご自分を天主であると主張していた事実を承知していた】


 イエズスはユダヤ人たちにいっています。「わたくしと父とはひとつである」と。そこでユダヤ人たちは、ふたたび石をとりあげてイエズスを殺そうとしました。それは、「あなたは人でありながら、自分を天主とするから」という理由によるものでした。イエズスが、安息日に病人をなおしたというので、文句をつけるユダヤ人たちに、「わたくしの父は、いまもはたらいているのですから、私もはたらく」といいました。この言葉を聞いて、「彼らは、イエズスを抹殺しようとする決意をさらにかためた。なぜなら・・・キリストが、天主を自分の父と呼び、ご自分が天主とひとしいものだといったからでした。」


 イエズスは、彼らがどうしても理解しないので、「・・・すべて父のおこなうことは、何によらず、子もまたこれをおこなう。・・・父が死者を復活させて生命を与えるように、子もまた、自分の望む者達に生命を与えるのである 」といっています。ピラトが、イエズスを釈放したとき、ユダヤ人たちは、「私達には律法があります。律法によれば、彼は死にあたる。みずから、天主の子と名乗ったからである」と叫んだのです 。

 

■第二項■
 キリストの行動は、彼が天主であると主張した事実を証拠だてている



 イエズスは、天主から遣わされた単なる使者としてだけではなく、天主ご自身として、多くの奇跡をおこしています。「たとえ、わたくしを信じないでも、わたくしのすることを信じなさい」と言っているが、することというのは奇跡のことです。


「そうすれば父がわたくしにおられ、わたくしが父にいることを知って悟るだろう 」ともいっています。キリストは、人びとがご自分を天主として礼拝することをゆるしています。


 イエズスが、生まれつきの盲に視力を回復してやったとき、「あなたは人の子を信ずるか」といった。彼は「主よ、わたくしが信仰すべき者とは誰のことですか」とたずねると、イエズスは「あなたはそれを見ている、あなたと話している人がその人だ」といった。すると彼は、「主よ、わたくしは信じます」と言って、ひれ伏してイエズスを礼拝したのです 。


 イエズスは、また、かれ自身の権能をもって罪をゆるしています。イエズスは、中風にかかっている人に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」といった。ところが、律法学士がこれをききとがめて、「天主のほかに罪を赦すことができる者はない」と心のうちで考えた。するとイエズスは、彼らがそう考えていることを悟り、すなわち、「天主の他に罪を赦すことができるものはない」という考えを、そのまま肯定して、しかも彼が、すでに罪の赦しを与えたことを知らせるために、「人の子が地上で罪を赦す権力をもっていることをあなたたちに知らせよう」と中風の人に、「たって、床をとり家にかえれ」と命じました。すると、彼は突然立ちあがり、床をもちあげ、人びとの目の前を通って行ったのです。


 イエズスの足に接吻し、涙をもって足を洗ったマリア・マグダレナに、イエズスは、「あなたの罪は赦された」と言いました。それから、食卓についていた人びとにむかって、「かの女は、多く愛したから、多くの罪が赦されたのである」といっています。罪は、天主の愛によって赦されるのです。従って、キリストは、自分に対する愛は、とりもなおさず天主に対する愛であるということを教えているわけです。別な言葉でいうと、イエズスは、ご自身が天主であることを主張しているのです 。



■第三項■
   使徒たちも弟子たちも、キリストが、ご自分を天主であると主張していたことを承知していた



 キリストの死後には、ユダヤ人も異邦人も、キリスト教徒はみな、キリストの天主性を宣言したのですが、これは明白な事実であって、否定することができません。またこれらの人たちは、キリストの天主性を証明するために、苦難を甘受し、生命をかけていた ことも否定できない事実です。こういう事実はまた、キリストがご自分を天主の子である、と主張していたことを、彼らが知っていたということを前提にしてこそ、はじめてわかることです。



 以上、シェアン司教著 「護教学」 第六章 より



【著者紹介】 マイケル・シェアン(Michael Sheehan)は、1870年12月にアイルランドのウォーターフォード市(Waterford)のニュータウンで生まれました。メイヌース(Maynooth)で最高の成績で司祭職の準備をし、1895年6月にウォーターフォードのカテドラルで叙階されました。その後オックスフォード大学、グリーフスヴァルト大学、ボン大学で勉強し学位を取りました。1900年にはメイヌースに戻ります。ラテン語とギリシア語に優れ、1919年にはメイヌース大学の副学頭になります。1922年にはオーストラリアのシドニーの補佐司教として聖別されシドニーで働くのですが、1937年には健康状態が優れないためにアイルランドに戻ります。アイルランドでは、アイル語に興味を覚えてこれをマスターし、アイル語で説教をします。


 シェアン司教は古典語の教授でありつつ、カトリック宗教と教会の基礎を取り扱う「護教」という本を執筆しました。1945年3月ブラックロックにある自宅でシェアン司教は聖なる生涯を閉じました。

この「護教」のこの部分は、

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福音書を歴史的記録書として信頼することが出来るか? シェアン司教著 「護教学」 第五章より

2006年05月30日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

 福音書を歴史的記録書として信頼することが出来るか?

 私たちは、シェアン司教著 「護教学」 第五章

福音書の歴史的価値に関する証明を見てみよう。


【新約聖書、特に四福音書は、単に一般の書として取り上げたとしても、優れた歴史文献と見なくてはならない。】


〔なるほど〕
 新約聖書を、ふたつの観点から見ることができます。

(1) 歴史的記録の集成としての著書。

(2) 主要著者を天主とする神感書の集成、あるいは全集としての聖書。


 「神感」あるいは「霊感」というのは、天主が、聖書記者に書かせようと望むこと、それだけを書かせるために、聖書記者に与える天主の霊感(インスピレーション)です。従って、神感は感覚的にはわからないわけで、神感をうけているという事実は、天主ご自身の立証にたよるほかないわけです。ここでは、神感にはふれません。私達は、新約聖書から、特にあるものをとりあげて、それらの本が、信頼に値する歴史的記録書であるということを、純然たる人間的な見地にたって立証するのです。


新約聖書の歴史的価値を立証するために採用する証明法。

 ある著作を、歴史書、あるいは過去の事件の忠実な記録書と決定するには、次にあげる諸条件が確立されなければなりません。

(a) はたして、その著作が純正であるか。すなわち、著者とされている人によって、実際に書きおろされたものか。

(b) はたして、著者その人が、信頼にあ対する人であるか。すなわち、著者が事件内容に精通しているか、ということと、誠実な人であるか、

(c) 両著作が原典のまま伝わっているか。すなわち、テクストが著者の手をはなれてから、本質的に変わっていないかどうか。

ということがあきらかにされなければなりません。以上は、これからあきらかにされていく事柄ですが、新約聖書に関しては、完全に証明されるのです。


【四福音書に関する歴史的価値の証明】


 福音書の純正性(正真正銘性)--- 四福音書は、それぞれ著者とされている人びとの純正な(正真正銘の)著作


==== Ⅰ 外的な証拠 ====


 最初の二世紀における著述家たちは、キリスト教徒もキリスト教でない人たちも、ひとしく、当時、聖福音書がひろく知られ、克明に研究されていたこと、またキリスト教の世界では、どこでも聖書が大切にとりあつかわれ、尊敬されていたことを証明しています。


 使徒が死んでから百年も経過していない時代に、従って、使徒たちの記憶がはっきり人びとの印象にのこっていた時代に、福音書が大切にあつかわれ、全教会でつかわれていたということは、福音書が純正な書であることを立証する力強い証拠なります。使徒たちにせよ、彼らの後継者たちにせよ、福音書が示す内容の真理を立証するために、いのちがけで努力した人たちであるから、一連の偽造書を刊行して、これらを神感をうけた天主の言葉であるとし、世人をあざむくというような大それた欺瞞をたくらんだなどとは、とうてい考えられないことです。


 またユダヤ教からの改宗者たちにしても、これらの書を少しも詮索することなく、自分たちが深い尊敬をはらっている旧約聖書に比肩する権戒ある本として、そのまま福音書をうけとったなどということも考えられないことです。異教徒たちの中には高い教養を身につけた人たちもけっしてすくなくなかったわけですが[6]、ある意味で、人間性にたいして、苛酷な要求をする宗教、信仰のためには生命をもすてることを要求するような厳格な宗教に、この宗教の土台となる記録述作の純正性についてなんら確かめもせず、しかも、その宗教に帰依したなどと想像することはゆるされないと思われます。


【注】[6] 福音書が書かれた時代が、精神文化の幼年期に属するものという主張はまちがいです。この点に関して、アレンゼン博士はつぎのように記しています。「キリストが生まれた時代は最も洗練された、そして、文化の高い時代であったということは、歴史が承認している。……ギリシア、ローマの世界は、すばらしい平和と安定した生活と、おどろくべき繁栄と政治的な業績などをのこした時代で、優れた文学感嘆すべき芸術作品、深い、休息のない探求の時代であった。降生前40年から、降生後260年にわたる三世紀は、おおくの観点から、これまでにないもっともかがやかしい時代であった。」Dr. Arendzen:  The Gospels’ Fact, Myth or Legend?  part Ⅱ, ch. .


 教養の高い異教徒や異端者たちが、教会を撲滅するために、思いおよぶ限りの、あらゆる反対論をもって抗争をいどんでいた時代に、もしもいくらかでも可能性があったとすれば、神感書といわれている福音書が偽造書であるというような、絶好のえさを見のがすことはなかったはずではないか。キリスト教徒になるということが、殉教者になることを意味するほど、おそろしく厳粛な時代に生活していた全世界のキリスト教徒が、なんら異議をもうしたてるものもなく、これらの本を福音史家の著作なりと捏造し、これら偽造教典を、神聖な永遠の遺産、まもるべき規範として、子々孫々にのこすことをくわだてたということ、またこれに賛同したというようなことが、あり得たでしょうか。上述の考察によって、私達は、福音書を純正な書としてうけいれるか、さもなければ、子供だましにもならない不合理のかずかずを、あまんじてうけなければならないという、どうしようもない状況におちいるわけです。



【初代著述家たちの証言】



(1)

 福音書記者の書いたもののなかから抜粋された多くのテクストが、教皇クレメンス(95年)の手紙、アンテオキアの聖イグナチウス(107年)、スミルナの聖ポリカルポ(150年頃)、それから使徒たちの他の弟子たちの著作などに引用されています。ヘルマスの「牧者」(150年頃)、デオゲネトスへの手紙(150年頃)、それから、95年か、おそく見ても、130年以後ではないと見られている、十二使徒の教え(ディダケ)という重要な著書に引用されています。


(2)


(a) サマリア生まれで、ローマで殉教した聖ユスティヌス[7]は、130年頃キリスト教徒になった人ですが、「福音書は使徒たちと弟子たちによって書かれた。そして、日曜日のキリスト教徒の集会で奉読された。云々」といっています。

[7] Apol.Ⅰ,66,67; Dial, cum Tryph.,n.103.



(b) 小アジア、フィリジアのパピアス[8]は、聖ヨハネの助手であったが、130年頃の書に、マルコ福音書が書かれた当時のありさまを説明し、おそらくはマテオ福音書と思われる聖マテオの著作にも言及しています。

[8] Euseb, H.E.Ⅲ, 39. による引用。



(c) タチアーヌスは170年頃、Diatesseronまたは四福音書の調和を書いた。1888年にアラビア訳が出版されてからは、この著書の純正性の論争は完全になくなりました。


(d) 聖イレネウス[9]は、180年頃こう記しています。「マテオが、ユダヤ人たちのために、ユダヤ人の言葉で福音書を書いたが、ペトロとパウロとは、ローマで宣教しながら教会を建設していた。彼らがわかれてから[10]、ペトロの弟子で、また秘書でもあったマルコは、ペトロから教えられたことを書いて私達にのこしました。それから、パウロの門下生であったルカは、パウロが教えていたことを福音書にまとめました。その後、主の弟子で、主の胸によりかかったヨハネは、小アジア、エフェゾにいたときに、彼の福音書を公にした」と。聖イレネウスがたどった特別な経歴を考えると、彼の証言には大きな力があることが分かります。彼は小アジアで生まれ少年の頃には使徒であり、福音記者であった聖ヨハネの弟子が、聖ポリカルポの説教を熱心にきいた、と彼はいっています。彼は、フランスのリオンの司教になり、ローマにもしばらく滞在したことがあります。従って彼の証言は、その当時、キリスト教界の中心であった、西方と東方との両教会を代表するもので、決定的な証明力をもつものと見られています。

【注】[9] Adv. Haer.Ⅲ, 1.
【注】[10] ギリシア原文がはっきりしません。死を意味するものと思われます。



(e) アフリカのテルトゥリアリアーヌスは、200年頃、異端者マルシオンに反対して、諸教会の教権にうったえ、「使徒の時代から福音書がもちつづけてきたすべてのものは、云々」といっています。彼は福音書に言及して、福音書は、使徒マテオ、ヨハネの書で、それから、弟子マルコとルカの書であるともいっています。


(f) 異端者では、たとえばパジリテス(130年死)、異教徒では、たとえばチエルスス(200年頃死)なども、福音書の純正性を少しも問題にしてはいません。以後の史料はたくさんあります。



 福音書ほどたくさんの証明史料をもつ古典は、おそらくほかにはないでしょう。カエサルが「ガリア戦記」の著者であるということは、議論の余地ないものとされてはいるが、著作に関する最古の引用は、著者の手をはなれてから100年後のプルタークとスェトニウスの書に見られるだけです。

 


==== Ⅱ 内的証明 ====



 テクストの内容をよく検討すると、福音書の著者がユダヤ人であること、また記されている事件と同時代の人か、そうでなければ、同時代の人に接していた人だということがわかります。



(1)著者はみなユダヤ人でした。


(a) 福音書は、ヘレニスティカ[11]といわれるギリシア語が、一般につかわれていた時代のギリシア語口語文体で書かれてはいますが、ヘブライ語の慣用がはっきり現れています[12]。ギリシア語のこういう一般的なかたちが、文章用語としてユダヤ人の間つかわれたのは、特に第一世紀だけで、それ以後はつかわれてはいません[13]。


【注】[11]  聖マテオ福音書は、ヘブライ語かアラマイ語で書かれましたが、まもなく、ヘレニスティカのギリシア語に翻訳されました。
【注】[12]  たとえば、「からだ」のことを「肉」と言いました。「霊」は「生命」という意味でつかわれ、そのうえ現世的な生命をも、永遠の生命をも意味しました。「わたくしのたましい」は、ときどき、第一人称のかわりにつかわれ、抽象名詞はあまり使われませんでした。たとえば「柔和な人」とか「心の清浄な人」などは、それぞれ、柔和、潔白のかわりに使われていました。
【注】[13] Philo Tudaeus (50年ごろ死)や、ユダヤ人の歴史家ヨゼフスの著書は、ヘレニステイカのギリシア語で書かれています。



(b)著者はそれぞれ、ギリシア文学とか哲学には精通してはいませんが、ユダヤ人の宗教、習慣、しきたりなどには大変くわしいことがはっきり現れています。



(2)著者は、記されている内容と同時代の人であるか、そうでなければ、同時代の人びとに接した時代の人たちです。



(a) 現代の批評家たちは、キリストの時代における、パレスチナの地形、政治、社会、宗教などにふれた、かぞえきれないほどの聖書の記述に、少しの誤謬をも見いだすことができません。上述の環境は、ことのほか複雑で[14]、そのうえ一時的なものがおおかったので、当時パレスチナにいなかった外国人とか、後年の著作家には、とうてい正確に描写できない性格のものであったのです。ローマ人にたいしておこした暴動(66年~70年)は、不成功に終わりましたが、全地に戦争の被害をまきおこし、聖なる都イェルザレムを荒廃に帰し、神殿を地上から抹殺してしまった。その結果、庶民生活にも、行政面にも複雑な変化が現れたわけです。それで、キリストと同時代の人か、そうでなければ、キリストと同時代の人びとに直轄関係がある人以外の人が著者であるとしたなら、上述の災害がおこる前の事件をとりあつかう場合に、多くのまちがいをのこしたにちがいません。

【注】[14] たとえば、行政権は、ユダヤ人がにぎっていた地方もありましたし、ローマ人がにぎっていた地方もありました。ユダヤ人の裁判をつかさどっていた最高宗教議会は、その当時まだ権力をもっていたために、世俗行政権との紛争がたえませんでした。税金にはローマ貨幣がつかわれ、商売にもローマ金がつかわれましたが、神殿にはユダヤ貨幣がおさめられることになっていました。ことばは、ヘブライ語とギリシャ語とが併用されていましたが、ラテン語もつかわれていました。一般的に見て、言語と政権の分散とのために、公私の生活が非常に複雑なものになっていました。



(b) また、物語に、いきいきとした精彩が現れている点などを考えると、著者自身が、記されている事件に直接関係があったと見ても差し支えはありません。

 


福音書記者の真実性



 福音書の著者は、信頼に値する人たちでした。彼らは、事実をよく知っていて、それを忠実にかきおろしました。



(1)
彼らは、事実をよく知っていました。聖マテオと聖ヨハネとは、キリストの伴侶で、聖マルコと聖ルカとは、キリストと同じ時代の人たちと交友をたもっていた。


(2)
彼らは、いずれも信頼に値する人たちでした。


(a) 彼らの尊い生涯と、彼らが、福音書に書きおろした真理を立証するためにうけた、くるしい生活などを思いあわせると、うたがいなく誠実な人びとであったことがわかる。


(b) 世俗的な見かたをすれば、キリストの聖性と天主性とを証明したからといって、彼らは損するばかりで、少しのとくにもならなかったのです。


(c) また、彼らは、どうしても不誠実ではありえなかったのです。なぜなら、彼らはいずれも、それらの書を事件と同時代の人びとのために、あるいは、同時代の人びとをよく知っている人たちのために書いたからです。従って虚偽を発表したとすれば、うけいれられることはなく、また、発見されずにはすまされなかったにちがいません。


(d) 記事には、一見、つじつまがあわないように見えるものがあります。しかしよく調べていくと、立派な調和があることが判ります。もし福音書の著者が、サギ師的な人物であったとすると矛盾していると見られる記事などは全部省いてしまったにちがいません。


(e) キリストの人格をつくりだすことなど、彼らには、とうていおよびもつかないことでした。キリストは、あくまでも高尚で、愛にあふれ、悲劇的で、また独創的な人物として、福音書に描きだされているが、福音書が描きだしているキリストの全人格は、はっきりした輪郭とともに、単なる芸術作品と見ていたとしても、福音書の著者のような人たちには、とうていこれをつくりだすだけの能力はありません。そのうえ、当時のユダヤ人たちは・・・福音書の著者もユダヤ人であるが・・・メシアはダビドの国を再建するためにやってくると信じていました。従って、キリストが実際に教えをといて聞かせるまでは、キリストが地上の国を建設するのではなく、霊の王国をたてるためにきたこと、従順と謙虚、兄弟愛と貧困、迫害と十字架の苦難、辱めなどは、ひとつとしておそらく夢想にもしていなかった事でした。



福音書の完全性



 福音書は、もとのまま、現在にいたっています。すなわち、減らされてもいないし、書きくわえられてもいません。テクストが純粋にたもたれてきた事実は、以下の諸点を考えればはっきり判ります。



(1)四福音書に対する、教会の特別な尊敬と偽福音の使用禁止[15]。

【注】[15]  聖ペトロ、聖トマス、聖ヤコボの作とする、いわゆる偽造福音書は、使徒の時代がおわった頃にまわっていましたが、教会は、これらを偽書と決定したのです。


(2)四福音書が、公式の礼拝で奉読されてきた教会初代からの習慣[16]。

【注】[16]  聖書が、一般公衆に披露されていたことに関する保証を確認させるものとして、聖アウグスチニヌスが、かれの同僚アフリカの一司教のもとでおこった事件としてあげていることなど、おおいに参考になるはずです。(Ep. 75,5:82,35)すなわち、ヨナ予言書の翻訳で、聖ヒエロニムスが、「ひょうたん」のかわりに「つた」ということばをつかっていますが、教会で読んだときに、司教は会衆を動揺させるのではないかと憂慮した結果、ぜひ、もとのようにしなくてはならないと決心しました。

 


(3)福音書が、全世界のキリスト教世界に、あまねく普及していた事実。


(4)あらゆる写本が、本質的にはみな一致していて、なかには、四世紀にさかのぼるものもある[17]こと。

【注】[17] Ⅰ しかも、これら写本のもととなった以前の写本が、影もなく消え失せてしまったというのではありません。三世紀に属する福音の断片が、のちに発見されています。それらはみな、現今のテクストとして一致しています。したがって、なくなった部分も同性質のものであったと考えてよいです。(Sir F. Kenyon: The Chester Beatty Biblicae Papyri. London, 1933)。最近、(1935)、聖ヨハネ福音書の小断片が発見されました。それは、現今のテクストとおなじで、年代的に見ますと、100年から150年のものとされ、聖ヨハネが書き下ろした時代に、非常に近いものと見られている (C.H.Roberts, An Unpublished Fragment in the John Ryland's Library)。これらのものが発見されたのはエジプトですが、権威筋のケーニヨン、ロバート、シューバート、イドリス・ベル、その他は、断片の時代に関して、同意見です。エジプトでは、二世紀の初頭に、四福音書が分冊としてつかわれていたということが、決定的な事実と見られています。
   Ⅱ ホラチウスの最古の写本は、七、八世紀のもので、キケロ、チエザル、プラトーのものは、九世紀、タチデイデス、ヘロドトウスは十世紀、エスキルス、ソフオクレスは十一世紀、エウリピデスは十二、三世紀です。しかし、筆者の手をはなれてから何世紀も経過していますが、本質的には変化していないと見られています。これまでに、福音書の完全性に関する疑問をいただいた人は、ひとりもいなかったかも知れませんが、福音書が信仰と道徳との規範を示す本であるところから、宗教的に無関心な人びとのなかには、これをわずらわしい本だと思った人たちがいるかも知れません。



 以上のことから、共観福音書は、歴史的な記録書であることが分かります。新約聖書は、冷酷な批判というルツボにいれられましたが、少しもそこなわれることなく、無傷でそこから出て来たからです。

 四福音書、(a)純正性、(b)真実性、(c)完全性などが、それぞれ証明されると、これらの書は、歴史的記録書としてうけとられなくてはなりません。


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