Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?

2007年01月30日 | カトリックとは

アヴェ・マリア!


法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?


 法は、それが神法であれ、人定法であれ、人間に目指すべき目的を提示し、それに達するための手段を定めます。したがって、法、とりわけ国家の法律(loi civile)は、自由の敵であるどころか精神的自由の保証となります。


「自由がこのような性質のものである以上、自由には保護が必要でした。自由には、その全ての動きを善へと方向付け、悪から遠ざけるための援助と力添えが必要だったのです。これなしには自由は人間にとってきわめて有害なものであったでしょう。まず第1に法、すなわち何を為すべきで何を為すべきでないかについての規則が人間に必要でした。(教皇レオ13世回勅『リベルタス・プレスタンティッシムム』 http://fsspxjapan.fc2web.com/papal/leo_13_libertas.html  Actus II p.179 /  PIN185)


「自由とは、国家の法の助けを得て私たちがより容易に永遠法の定めるところにしたがって生きることができることに存します。」(レオ13世 『リベルタス・プレスタンティッシムム』 http://fsspxjapan.fc2web.com/papal/leo_13_libertas.html   Actes II p.183 / PIN 185)


「共同体を統治する者によって公布される、理性による共通善への秩序付け」(神学大全 I-II 第90問第4項)に他ならない法は、本質的に理性のはたらきによって生ずるものです。しかし原罪を負った本性の状態においては、手段と目的の秩序を認知させるだけでは、これを守らせるのに充分ではありません。ですから、立法を為す権力が同時に強制力を有していることが重要となってきます。したがって法的強制は合法的であり、共通善にとって必要なものです。


「しかるに厚顔で悪徳への傾きをもつ者らがおり、また言葉は 容易に人を動かし得ないなので、その種の人々が物理的力や懲罰の恐れによって、悪に陥るのを抑止されることが必要であった。それは、少なくとも悪を行なうことを止めることをとおして彼らが他の者たちの平和を妨げず、このように習慣づけられることにより、以前は罰の恐れのみのためにしていたことを自発的に行なうように導かれ、こうして有徳の人になることができるためである。苦痛に対する恐れによって強制するこのような規律は、法の規律に他ならない。こういうわけで、人々の平和と徳とのために、法をつくることが必要だったのである」(神学大全第2巻第1部第95問4節)


「それゆえ、法は人間の行為の指針であり、報償をもって人を善へと向かわせ、悪から遠ざけるものです。」( 教皇レオ13世回勅『リベルタス・プレスタンティッシムム』 http://fsspxjapan.fc2web.com/papal/leo_13_libertas.html  Actes II p.181 / PIN 180)


結論:法は自由にとって敵であるどころか、特に法的強制をとおしてこれを助け支えるかけがえのないものです。

 

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