Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2019年 8月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


8月 聖母の被昇天を祝いましょう。
意向:聖母の汚れなき御心の凱旋のため
実践すべき徳:心の柔和と謙遜
守護の聖人:聖母の汚れ無き御心

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2019年 8月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセスEG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 
〒532-0002 (JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

  8月2日(初金)教会博士証聖者司教聖アルフォンソ・デ・リグオリ(3級祝日)白
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月3日(初土) 聖母の土曜日(4級)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月11日(主)聖霊降臨後第9主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月12日(月) 童貞聖クララ(3級祝日)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月18日(主)聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月19日(月) 証聖者聖ヨハネ・ユード(3級祝日)白
          午前6時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図)「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

  8月4日(主)聖霊降臨後第8主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月5日(月)  雪の聖母の大聖堂の奉献(3級祝日)白
          午前7時 ミサ聖祭

  8月18日(主)  聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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私たちの主イエズスキリストの御復活おめでとうございます

2013年03月31日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私たちの主イエズス・キリストの御復活のお慶びを申し上げます。

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!!

トマス小野田神父
コメント

「共贖者である聖母について」:聖ピオ十世会司祭 レネー神父様

2013年03月27日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様の「共贖者である聖母について」の日本語訳をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2013年3月23日 大阪でのお説教
「共贖者である聖母について」


「イエズスの十字架のかたわらには、イエズスの母と、母の姉妹、クロパの妻マリア、そしてマグダラのマリアが立っていた」(ヨハネ19章25節)。これほど苦しむとは、彼らは何をしたというのでしょうか。こんなことが起こるのは、不正義ではないのでしょうか。

しかし、十字架そのものを見上げるならば、さらに驚くべき情景が見えます。キリストは罪のない小羊であり、「聖霊によって、汚れのないご自分を天主に捧げた」(ヘブライ9章14節)のです。

ここに偉大な神秘があります。罪の無い者が苦しむこと。天主はなぜ、罪の無い者を苦しませられたのでしょうか。天主は不正義なのでしょうか。決してそうではありません。それどころか、天主は正義なるがゆえに、罪なき者を苦しませられたのは、その代償として素晴らしい偉大な報酬を与えるためだったのです。すなわち、世の救いです。これは、聖アウグスチヌスによる贖いの神秘の説明です。キリストがご受難と十字架上の死によって獲得した代償です。

これが、私たちの主イエズス・キリストにとって真実であり、童貞聖マリアにとっても真実なのです。マリア様もまた完全に罪がなく、そのため、天主がマリア様を苦しませられたのは、マリア様に素晴らしい報酬、共贖者となる報酬を与えるためだったのです。

実際、聖書で「汚れなき(罪のない)」の言葉が使われているのを調べると、驚くべき答えが出ます。汚れない者であるということは、犠牲のいけにえのために必要な条件なのです。小羊は汚れない(傷のない)ものでなければならないし、子牛もその他の動物も神殿で捧げられるものは汚れないものでなければなりません。このことは、贖いの完全な犠牲のいけにえ、すなわち私たちの主イエズス・キリストが完全に汚れのない小羊であるということの前表であるのは確実です。しかしながら、このことは、汚れなき(無原罪の)御宿りがいけにえの光であることをも示しています。教会は、御託身の神秘の観点から、御言葉の器にふさわしくなるために、聖母が無原罪であると教えています。これは真実ですが、さらに加えて、聖母は贖いの神秘の観点からも無原罪であると言わなければなりません。聖母は、十字架につけられたイエズスとともに、いけにえになるために、つまり共贖者となるために無原罪なのです。

(聖母が共贖者であることは)私たちにとって、一つで二重の意味を持つ教訓です。第一に、童貞聖マリアの御取り次ぎに大きな確信が与えられます。実際、聖母は、その祈りがかなえられるべき確かな権利をお持ちです。聖母は、キリストとともに(贖うことで)私たちを「買い取って」くださったので、私たちは聖母の所有物なのです。聖母はいつも完全に天主の御意思を行っておられます。聖母の全生涯は、ご託身から十字架の下まで、すべて「フィアット=天主に、はい」でした。その見返りに、善き主は聖母のお願いになることは何も拒否なさいません。

第二に、聖母は、苦しみが私たちを襲うとき、大きな励ましになります。

カルワリオには三つの十字架がありました。私たちの主イエズス・キリストの十字架と、悔い改めた盗賊の十字架、悔い改めなかった盗賊の十字架の三つです。ここには三種類の苦しみがあります。地獄行きの者の苦しみ、悔い改める者の苦しみ、そして罪の無い者の苦しみです。

地獄行きの者の苦しみは、私たちの反逆によって無駄になってしまう苦しみです。なぜなら、自分の罪によって私たちがその苦しみにふさわしいということだけでなく、罪を知ることを拒否するという傲慢から苦しみが来るときに、それを拒絶するからです。苦しみのために天主を冒涜さえする者もいます。そうすると、逆に苦しみが減ることはありません。彼らには、これは地獄の始まりに過ぎません。中には自殺する人もいます。でもこれはこの世で最もばかげたことです。なぜなら、地上の苦しみから永遠の苦しみに移るのですから。天主に対して反逆し、天主の御意思を拒否し、天主に従わないという究極の結果なのです。兄弟姉妹の皆さん、私たちは苦しみをそんなふうに無駄にしないようにしましょう。

悔い改める者の苦しみは、もっと良いものです。悔い改めた盗賊をお赦しになったキリストの寛大さを見てください。この盗賊は自分に罪があることを知りました。そして痛悔を行いました。公に王たるキリストへの信仰告白をし、哀れみをこい求めたのです。彼は、生命の終わりに煉獄にとどまる準備ができました(「あなたが王国へ入られるとき、私を哀れんでください」、王国へ入られるときとは、すなわち世の終わりのことです)。しかし、私たちの主イエズス・キリストは、すぐに彼に報酬を与えました。「きょう、あなたは私とともに天国にいるであろう」。その後、彼はキリストのそばで、脚を折られるまで忍耐強く苦しみを捧げました。そして直接天国に行きました。このように、私たちが苦しむとき、いつもまず自分を告発すべきです。私たちは罪なき者ではありません。キリストの苦しみと一致するならば、私たちの苦しみは罪を償う価値があるのです。過去において、私たちが天主に不従順だったのなら、天主が送ってくださる十字架を従順に受け入れることで、私たちは贖いの犠牲と一致し、過去の不従順を償うことができます。悔い改める者の苦しみは、霊魂の贖いにとって実り多いのです。

さて、聖トマス・アクィナスの教えによれば、天主は私たちに十分な苦しみの機会をお与えになります。それは、私たちが苦しみを受け入れる従順さをもって、「悔い改める者の苦しみ」として苦しみを捧げるならば、私たちは罪という負債を返すことができ、この苦しみが罪なき者の苦しみの価値を得る始まりになりうるからです。たとえば、幼きイエズスの聖テレジアは、ただ一つの大罪も犯さず、小罪はすぐに償いました。その後、結核の苦しみはすべて、キリストのあわれみ深い愛に対するいけにえとして自分を捧げたとき、罪なき者の苦しみとなり、降り注ぐような大きな御恵みを得ました。ですから、彼女は宣教者の保護聖人となったのです。

罪なき者の苦しみは、さらに称賛に値します(利益があります)。キリストと一致することで、他の多くの霊魂の贖いに実りあるものとなります。聖テレジアのように罪なき者であればあるほど、多くの霊魂がそのいけにえから利益を得ます。聖母は完全に罪のない方で、小罪さえありませんでしたから、聖母の苦しみは私たちの主イエズス・キリストのいけにえと完全に一致しており、共贖者としてすべての人にとって実りあるものです。聖母はまことに新しいエバであり、まことの「生きている者の母」(創世記3章20節)です。キリストの命、永遠の命に生きる者です。「御言葉に命があり、この命は世の光であった」(ヨハネ1章4節)。

私たちの主イエズス・キリストは、30年間隠れた人生を送られ、3年半の間、公の生活をなさいましたが、十字架の上には3時間おられただけでした。しかし、この3時間がキリストの全生涯の中で最も実り多いものでした。なぜなら、3時間のいけにえにより、世を贖われたからです。しばしば、人の最後の時期は、年齢や病気で苦しみの時期になりますし、十字架のキリストと一致するという真のキリスト教的精神で過ごすとき、そのような期間は人生で最も実り多いものとなります。十字架のいけにえと一致して苦しみを忠実に捧げることによって、自分の過去の罪を償うだけでなく、家族や子どもたち、孫たち、友人たちや親せき、そして多くの他の霊魂のとっても、多くの恵みを得ることになります。

私たちがミサに出席するとき、いつも思い起こしましょう。私たちは十字架の下にいるように、祭壇の下にいることを。キリストは、私たちの救いのために、ご自分を御父にお捧げになります。私たちは自分を十字架の下におられる聖母と一致させ、キリストのいけにえとともに捧げるいけにえとして、苦しみを受け入れ、お捧げしましょう。そうすれば、キリストのいけにえにおいて、キリストとともにいけにえになるのです。「キリストとともに栄光を受けるために、キリストとともに苦しむ」(ローマ8章17節)。共贖者である無原罪の童貞が、力強い御取り次ぎによって、私たちをお助けくださいますように。 アーメン
コメント

天主様に感謝!聖母に感謝!

2013年03月25日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖月曜日です。また、今日は聖ピオ十世会の創立者ルフェーブル大司教様の命日でもあります。日本での聖伝のミサの報告をいただきました。

【報告】
 大阪では、3月22日金曜日は、15名が、23日土曜日は、23名が御ミサに与るお恵みをいただきました。両日とも、レネー神父様が素晴らしいお説教をして下さり、信徒会長会長が翻訳して下さいました。御ミサの後、レネ-神父様のお気に入りのスタバト・マテルを、神父様のキ-ボ-ド演奏付きで教えて頂きました!デオグラチアス!!!

【報告】
 東京の主日の典礼は2階にしつらえられた祭壇の前での枝の祝福と枝の授与から始まりました。聖歌と共に1階へ行列した後、レネー神父による枝の主日のミサがあり、神父の歌われるご受難の聖福音を聞き、主が息を引き取られた箇所では皆で跪いて祈りを捧げました。お説教では、主の十字架を愛することについて、特にヨブの例にならって苦しみを受け入れること、マリア様のようにキリストとともにあることの重要性をお話しくださいました。

 近くのレストランでの昼食の後、午後2時半過ぎからレネー神父の霊的講話があり、カトリックの信仰はまず信じることによって理解が進むこと、カトリックが他の宗教と違い真に天主の手によるものである証拠があること、とりわけ預言と奇跡とがカトリックが真の宗教であることを示していること、そしてカトリックの信仰の本質はキリストを真似て生きることにあること等をいろいろな例を挙げて説明してくださいました。

 短い休憩を挟んだ後、4時過ぎからレネー神父と共に晩課を歌いました。

ミサの参列者数
男: 18人(内、子供1人)
女: 15人(内、子供1人)
計: 33人(内、子供2人)

レネー神父の霊的講話の参加者数
男: 7人
女: 7人
計: 14人

晩課の参列者数
男: 4人
女: 5人
計: 9人

 また、いただいた御報告によると、今日の聖月曜日のミサは、計9名でした。天主様に感謝!

【お説教】
 レネー神父様の東京でのお説教の日本語訳をご紹介します。そしてこのお説教を日本語に訳す労を執って下さった信徒会長に心から感謝します。

2013年3月22日のお説教
親愛なる兄弟の皆さん、

今日は主に次の3点についてお話ししたいと思います。新しい教皇、ご受難をともにされた聖母の祝日と、来る聖週間のことです。この3点に共通する事は、わたしたちの主の十字架を愛することです。

私が前回こちらに来てから、教会には新しい教皇が誕生しましたーフランシスコ教皇です。教皇の最初の説教は非常にすばらしいものでした。「私たちが、イエズス・キリストを告白しなければ、悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性を告白しているに等しいのです。」「私たちが十字架なしで旅するとき、十字架なしで建てようとするとき、十字架なしでキリストを告白しようとする時、私たちは主の弟子ではなく、世俗的になっているのです。わたしたちは、司教、司祭、枢機卿、教皇かもしれませんが、主の弟子ではないのです。」この言葉は本当に歓迎すべきものです:今こそこのような言葉を聞かねばならないときです。というのは、キリストの十字架を愛する者の数は少なく、むしろ数多くの「キリストの十字架の敵達」に取り囲まれているからです。このような十字架の敵達について聖パウロはこのように言っています。『かれらの行く先は亡びである。かれらの神は自分の腹であり、自分の恥にほこりをおいている。かれらは、この世のことだけにしか興味をもたない。』(フィリッピ人3:19)と。しかし、残念ながら新しい教皇の典礼は、天主の礼拝の美しさに対する敬意に欠けており、この敬意の欠如は近代的な司祭の典型です。教皇のために祈りましょう。

残念ながら、現在の教会内にさえ、キリストの十字架の敵が数多くいます。私たちは十字架を愛しているでしょうか?私たちは、様々な小さな苦しみを、主に捧げものをする機会として捉え、喜んで犠牲をお捧げしているでしょうか?そして小さな苦しみだけではなく、時には大きな苦しみもお捧げしているでしょうか?このような苦しみを、聖人ヨブがしたように、天主の御手から来るものとして受け入れているでしょうか?悪魔が、ヨブの持ち物全てにおいてヨブを苦しめるため、ヨブの子供達10人を殺してしまう許可をも求めたとき、ヨブは、『主が与えられ、主が取り去られた。主のお喜びになることであったから、そのようになったのである:主のみ名はたたえられますように。』(ヨブ記1:21)と言いました。聖書ではこのような害は悪魔が全て行なったと書かれているのに、ヨブが『主が取り去られた』と言っているのは、驚くべき事です。その理由は、悪魔の後ろには天主の許可があるのをヨブが悟り、天主の許可なしには悪魔も何もすることができないことを知っており、悪から善を生み出す以外の目的で善き主である天主が悪魔に害を行なう事をお許しにはならないことを理解しているからです。従って、ヨブはこれら様々の苦しみを天主の御手から受けました。私たちもまたいつも、苦しみをこのように受け取らなくてはなりません。つまり天主が完全に万物を支配しておられ、天主が私たちの苦しみを知っておられ、悪から善を生み出す以外の目的で天主がそのような苦しみをお許しになることがない、という信頼をもって苦しみを受け取らなくてはなりません。

加えて、わたしたちは苦しみを受け入れるだけではなく、私たちの苦しみをキリストの捧げものと、キリストの犠牲と一致させなければなりません。これはまさにあがないの神秘の本質です。キリストは全ての人のために死なれました。聖パウロは、『すべての人のためにキリストが死なれたのは、生きる人々が、もう自分のためではなく、自分のために死んでよみがえったお方のために生きるためである。』(コリント後5:15)と言います。聖パウロはまた、ティモテオ(ティモテオ2:6)に対しても、ヘブライ人(ヘブライ人2:9)に対しても同じ事を言っています。それでも、聖書に何度も書かれているように、また主ご自身が何度も私たちに警告されたように、全ての人が天国に行く訳ではなく、地獄に行く人たちもいるのです。キリストが全ての人のために死なれたのに、全ての人が実際天国に行く訳ではない、というのはどうしてでしょうか?その理由は、主の死が私たちの益となるためには、私たちが主の犠牲と結びついていなくてはならないからです。これこそが秘蹟の目的です。例えば洗礼について聖パウロは、『私たちは、その死における洗礼によって、イエズスとともに葬られた。それは、おん父の光栄によってキリストが死者の中からよみがえったように、私たちもまた、新しい命にあゆむためである。』(ローマ人6:4)と言っています。このように、洗礼は私たちをキリストの死と復活とに一致させます。聖パウロは少し後、ローマ人に次のように言っています。『私たちが神の子である...私たちが子であるのなら、世つぎでもある。キリストとともに光栄をうけるために、その苦しみをともに受けるなら、私たちは、神の世つぎであって、キリストとともに世つぎである。』(ローマ人8:16-17)と。ここでの鍵は「キリストとともに」という言葉にあります。「キリストとともに」というのがキリスト者の生活の全てだからです。

そこで、この聖週間に大いに努力すべきことは、私たちもキリストのご復活にあずかるに値するよう、私たち自身をキリストの死に一致させることにあります。聖パウロは、『たがいに、イエズス・キリストの心を心とせよ。』(フィリッピ人2:5)と言いますが、聖パウロはどのような「心」、すなわちどのような霊魂の準備を勧めているのでしょうか?『かれは、本性として神であったが、神と等しいことを固持しようとはせず、かえって奴隷のすがたをとり、人間に似たものとなって、自分自身を無とされた。その外貌は人間のようにみえ、死ぬまで、十字架上に死ぬまで、自分を卑しくして従われた。』(フィリッピ人2:6-8)私たちの主は反乱者ではありません。私たちの主は反乱を勧められません。かえってわたしたちの主は、極めて不正な裁判官にも従われたのです。もし私たちの目上の人が不完全であったとしても、間違いをおかしたとしても、善き目上の人にはどれだけしっかり従わなければならないことでしょうか!反乱を説く人々は、十字架につけられた私たちの主、イエズス・キリストの教えを説いてはいないのです!

では、この謙遜と従順の実りはなんでしょうか?『そこで、神はかれを称揚し、すべての名にまさる名をお与えになった。』(フィリッピ人2:9実に『神は高ぶる者にさからい、へりくだる者に恵みをお与えになる』(ローマ人6:23)方で、また、『神の恵みは永遠の命である』(ペトロ前5:5)のです。

この聖週間の間、四つの福音書の各々のご受難に関するくだりを注意深くお読みになることを強くお勧めいたします:マテオ、マルコ、ルカの福音の最終章はご復活に関する節で、その前の2章がご受難に関する箇所です:ヨハネの福音では、最後の2章がご復活に関する節で、その前の2章がご受難に関する箇所です。この福音を朗読するときには単に黙想するだけではなく、よくお考えになってください:私たちの主、イエズス・キリストに愛徳の目を向け、(主がご自分のお体で苦しまれた)外面に愛徳の目を向けるだけではなく、主の霊魂の中に愛徳の目を向け、よく考えることが最も重要なことです:主は何を思っていらっしゃったのか、主は何を感じていらっしゃったのか、主がこのように大きな苦しみを受け入れ、捧げられたその大きな愛とは何であったのか、と。

数日前の朝課にある聖アウグスティノの説教によれば、ご受難の間、私たちの主は誰によってこの苦しみを受けているのかよりも、むしろ誰のために苦しみ、誰の救いのためにご自身全てを捧げていらっしゃるのかを考えておられた、ということです:『父よ、かれらをおゆるしください。かれらはなにをしているかを知らないからです。』(ルカ23:34)

聖パウロは、ご受難の間のキリストの思いについて、『私は生きているが、もう私ではなく、キリストが私のうちに生きておられる。私は肉体をもって生きているが、私を愛して、私のためにご自身をわたされた神の子への信仰によって生きている。』(ガラツィア人2:20)としています。おん子が私たちを愛されただけではありません、おん父も私たちを愛されたのです:『ご自分のみ子を惜しまずに私たちすべてのためにわたされたお方が、かれとともに他のすべてを賜わらないはずがあろうか。』(ローマ人8:32)そして聖霊は『父と子より出ずる』(使徒信経)共通の愛徳の霊ご自身なのです。

しかし、どうして主が苦しまなければならなかったのでしょうか?それは、私たちの罪が罰を受けるべきものであって、主がその罪を償うため、罪をご自身で担われたからです。このことが教えるのは、私たちの罪が天主をいかに深く傷つけるか、天主は無限に幸福な方でありますから天主ご自身において傷つけるのではありませんが、罪によって傷つけられた私たちに対する天主の愛において、天主がいかに深く傷つけられるか、ということです。そこで私たちの主、イエズス・キリストは、私たちが聖なる一生の中で生ける天主にお仕えできるよう、私たちを罪から救うことをお望みになられました。罪を嫌い、なによりも罪を避け、十字架につけられたキリストを愛し、主に対する全ての忘恩について主をお慰めし、多くの霊魂を主のもとにお連れすることといたしましょう。

私たちの主、イエズス・キリストの霊魂に誰よりも深くお入りになった方はマリア様です。主のお苦しみにおいて誰よりも「主と一致」しておられ、主の栄光において誰よりも主と一致しておられるのはマリア様です。誰よりも私たちを十字架の下に導いてくださるのはマリア様です。マリア様は十字架の下に最初においでになり、イエズスのおそばにおられ、イエズスの犠牲のおそばにおられ、イエズスのお捧げもののおそばに、いえ、イエズスのお捧げものと一致しておられたのです。

ルフェーブル大司教は、十字架の下でご受難をともにされた聖母に対する大きな信心をお持ちで、私たちの修道女会の保護聖人とされました。ルフェーブル大司教が教えてくださったのは、マリア様こそが大司祭の母、すなわち十字架上でご自身をお捧げになったキリストの母であり、また、マリア様こそが新司祭の母、すなわちその前日最後の晩餐の席で叙階されたばかりの聖ヨハネの母であることです。私たちが主のご受難、死とご復活の実りを全て受け取れるよう、ご受難をともにされた聖母が、キリストの苦しみの神秘の中に私たちが入ってゆくのをお助けくださいますように。

十字架の実りはご聖体:すなわち、最も苦いご受難から生まれた最も甘い実りです。これに類するものをもっている宗教は他のどこにもありません:人が発明したものは天主の作られたものにはかなわないのです!これこそが、私たちには想像も及ばないような天主との緊密な一致をすでにこの世で実現するための天主のなさり方なのです。そしてこの実りは十字架の犠牲の実り、ミサ聖祭の犠牲の実りです:主こそが「世の罪を除き給う天主の子羊」です。私たちは喜んで、ご聖体における私たちの主、十字架の実り、生命の木のことを考えましょう。『私の肉を食べ、私の血をのむ人は永遠の命を有し、終りの日に、その人々を私は復活させる。私の肉はまことの食べ物であり、私の血はまことの飲み物であるから、私の肉を食べ、私の血をのむ人は、私におり、私もまたその人のうちにいる。』(ヨハネ6:55-57)
アーメン


 次にレネー神父様の大阪でのお説教の日本語訳をご紹介します。日本語に訳す労を執って下さった信徒会長に心から感謝します。

聖ピオ十世会 フランソワ・レネー神父様説教(2013年3月23日、大阪)
共贖者である聖母について

「イエズスの十字架のかたわらには、イエズスの母と、母の姉妹、クロパの妻マリア、そしてマグダラのマリアが立っていた」(ヨハネ19章25節)。これほど苦しむとは、彼らは何をしたというのでしょうか。こんなことが起こるのは、不正義ではないのでしょうか。

しかし、十字架そのものを見上げるならば、さらに驚くべき情景が見えます。キリストは罪のない小羊であり、「聖霊によって、汚れのないご自分を天主に捧げた」(ヘブライ9章14節)のです。

ここに偉大な神秘があります。罪の無い者が苦しむこと。天主はなぜ、罪の無い者を苦しませられたのでしょうか。天主は不正義なのでしょうか。決してそうではありません。それどころか、天主は正義なるがゆえに、罪なき者を苦しませられたのは、その代償として素晴らしい偉大な報酬を与えるためだったのです。すなわち、世の救いです。これは、聖アウグスチヌスによる贖いの神秘の説明です。キリストがご受難と十字架上の死によって獲得した代償です。

これが、私たちの主イエズス・キリストにとって真実であり、童貞聖マリアにとっても真実なのです。マリア様は完全に罪がなく、そのため、天主がマリア様を苦しませられたのは、マリア様に素晴らしい報酬、共贖者となる報酬を与えるためだったのです。

実際、聖書で「汚れなき(罪のない)」の言葉が使われているのを調べると、驚くべき答えが出ます。汚れない者であるということは、犠牲のいけにえのために必要な条件なのです。小羊は汚れない(傷のない)ものでなければならないし、子牛もその他の動物も神殿で捧げられるものは汚れないものでなければなりません。このことは、贖いの完全な犠牲のいけにえ、すなわち私たちの主イエズス・キリストが完全に汚れのない小羊であるということの前表であるのは確実です。しかしながら、このことは、汚れなき(無原罪の)御宿りがいけにえの光であることをも示しています。教会は、御託身の神秘の観点から、御言葉の器にふさわしくなるために、聖母が無原罪であると教えています。これは真実ですが、さらに加えて、聖母は贖いの神秘の観点からも無原罪であると言わなければなりません。聖母は、十字架につけられたイエズスとともに、いけにえになるために、つまり共贖者となるために無原罪なのです。

私たちにとって、一つで二重の意味を持つ教訓があります。第一に、童貞聖マリアの御取り次ぎに大きな確信が与えられます。実際、聖母は、その祈りがかなえられるべき確かな権利をお持ちです。聖母は、キリストとともに私たちを「買い取って」くださったので、私たちは聖母の所有物なのです。聖母はいつも完全に天主の御意思を行っておられます。聖母の全生涯は、ご託身から十字架の下まで、すべて「フィアット=天主に、はい」でした。その見返りに、善き主は聖母のお願いになることは何も拒否なさいません。

第二に、聖母は、苦しみが私たちを襲うとき、大きく勇気付けてくださいます。

カルワリオには三つの十字架がありました。私たちの主イエズス・キリストの十字架と、悔い改めた盗賊の十字架、悔い改めなかった盗賊の十字架の三つです。ここには三種類の苦しみがあります。地獄行きの者の苦しみ、悔い改める者の苦しみ、そして罪の無い者の苦しみです。

地獄行きの者の苦しみは、私たちの反逆によって無駄になってしまう苦しみです。なぜなら、自分の罪によって私たちがその苦しみにふさわしいということだけでなく、罪を知ることを拒否するという傲慢から苦しみが来るときに、それを拒絶するからです。苦しみのために天主を冒涜さえする者もいます。そうすると、逆に苦しみが減ることはありません。彼らには、これは地獄の始まりに過ぎません。中には自殺する人もいます。でもこれはこの世で最もばかげたことです。なぜなら、地上の苦しみから永遠の苦しみに移るのですから。天主に対して反逆し、天主の御意思を拒否し、天主に従わないという究極の結果なのです。兄弟姉妹の皆さん、私たちは苦しみをそんなふうに無駄にしないようにしましょう。

悔い改める者の苦しみは、もっと良いものです。悔い改めた盗賊をお赦しになったキリストの寛大さを見てください。この盗賊は自分に罪があることを知りました。そして痛悔を行いました。公に王たるキリストへの信仰告白をし、哀れみをこい求めたのです。彼は、生命を終わりに煉獄にとどまる準備ができました(「あなたが王国へ入られるとき、私を哀れんでください」、王国へ入られるときとは、すなわち世の終わりのことです)。しかし、私たちの主イエズス・キリストは、すぐに彼に報酬を与えました。「きょう、あなたは私とともに天国にいるであろう」。その後、彼はキリストのそばで、脚を折られるまで忍耐強く苦しみを捧げました。そして直接天国に行きました。このように、私たちが苦しむとき、いつもまず自分を告発すべきです。私たちは罪なき者ではありません。キリストの苦しみと一致するならば、私たちの苦しみは罪を償う価値があるのです。過去において、私たちが天主に不従順だったのなら、天主が送ってくださる十字架を従順に受け入れることで、私たちは贖いの犠牲と一致し、過去の不従順を償うことができます。悔い改める者の苦しみは、霊魂の贖いにとって実り多いのです。

さて、聖トマス・アクィナスの教えによれば、天主は私たちに十分な苦しみの機会をお与えになります。それは、私たちが苦しみを受け入れる従順さをもって、「悔い改める者の苦しみ」として苦しみを捧げるならば、私たちは罪という負債を返すことができ、この苦しみが罪なき者の苦しみの価値を得る始まりになりうるからです。たとえば、幼きイエズスの聖テレジアは、ただ一つの大罪も犯さず、小罪はすぐに償いました。その後、結核の苦しみはすべて、キリストのあわれみ深い愛に対するいけにえとして自分を捧げたとき、罪なき者の苦しみとなり、降り注ぐような大きな御恵みを得ました。ですから、彼女は宣教者の保護聖人となったのです。

罪なき者の苦しみは、さらに称賛に値します。キリストと一致することで、他の多くの霊魂の贖いに実りあるものとなります。聖テレジアのように罪なき者であればあるほど、多くの霊魂がそのいけにえから利益を得ます。聖母は完全に罪のない方で、小罪さえありませんでしたから、聖母の苦しみは私たちの主イエズス・キリストのいけにえと完全に一致しており、共贖者としてすべての人にとって実りあるものです。聖母はまことに新しいエバであり、まことの「生きている者の母」(創世記3章20節)です。キリストの命、永遠の命に生きる者です。「御言葉に命があり、この命は世の光であった」(ヨハネ1章4節)。

私たちの主イエズス・キリストは、30年間隠れた人生を送られ、3年半の間、公の生活をなさいましたが、十字架の上には3時間おられただけでした。しかし、この3時間がキリストの全生涯の中で最も実り多いものでした。なぜなら、3時間のいけにえにより、世を贖われたからです。しばしば、人の最後の時期は、年齢や病気で苦しみの時期になりますし、十字架のキリストと一致するという真のキリスト教的精神で過ごすとき、そのような期間は人生で最も実り多いものとなります。十字架のいけにえと一致して苦しみを忠実に捧げることによって、自分の過去の罪を償うだけでなく、家族や子どもたち、孫たち、友人たちや親せき、そして多くの他の霊魂のとっても、多くの恵みを得ることになります。

私たちがミサに出席するとき、いつも思い起こしましょう。私たちは十字架の下にいるように、祭壇の下にいることを。キリストは、私たちの救いのために、ご自分を御父にお捧げになります。私たちは自分を十字架の下におられる聖母と一致させ、キリストのいけにえとともに捧げるいけにえとして、苦しみを受け入れ、お捧げしましょう。そうすれば、キリストのいけにえにおいて、キリストとともにいけにえになるのです。「キリストとともに栄光を受けるために、キリストとともに苦しむ」(ローマ8章17節)。共贖者である無原罪の童貞が、力強い御取り次ぎによって、私たちをお助けくださいますように。

アーメン

*****


では、良き聖週間をお過ごし下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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聖会の保護者なる聖ヨゼフに向かいて聖ピオ十世司祭兄弟会を奉献する祈り

2013年03月19日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日、2013年3月19日は、昨年7月に開かれた聖ピオ十世会総会での決議に従い、聖ピオ十世会を公式に聖ヨゼフに奉献する日にえらばれました。そこで、「聖会の保護者なる聖ヨゼフに向かいて聖ピオ十世司祭兄弟会を奉献する祈り」の日本語訳をご紹介します。

原文はフランス語です。
Acte de consécration de la Fraternité Sacerdotale Saint-Pie X à saint Joseph, patron de l’Eglise catholique

ラテン語も作られています。
Actus consecrationis Fraternitatis Sacerdotalis Sancti Pii Decimi Sancto Joseph, totius catholicae Ecclesiae patrono

英語訳はここにあります。
Act of Consecration of the Priestly Society of Saint Pius X to Saint Joseph, Patron of the Universal Church

聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖会の保護者なる聖ヨゼフに向かいて聖ピオ十世司祭兄弟会を奉献する祈り


二〇一三年三月十九日

 おお、栄(は)えある聖ヨゼフ、無原罪の童貞女の浄配、天主のおん子の養育者よ、御身は聖家族の長に任じられ、全地にあまねき聖会の天の保護者として挙げられたり。

 御身の信仰は疑念を克服し、御身の正義はその貞潔と等しく偉大なり。御身の従順は上智に奉仕し、その力強さは慎重と共に働き、その寛大さは御身の謙遜と競い給えり。

 御身は労働に打ち込む人々の模範、戦いのさなかにある人々の保証、贖い主のみわざに対抗すべく解き放たれた悪魔の恐れなり。

 御身は、そのあらゆる徳を用いて、天主なるおん子を由々しき危険より救い給いたり。また、敵からのつねに新たにされる攻撃を受けつづけるおん子の神秘体なる公教会を、御身は天よりまことに守り給う。

 願わくは御身、イエズス・キリストの群れのこの小さき部分にまなこを注ぎ給え。天主のはかり知れ得ぬご計画により、カトリック司祭職とカトリック信仰とを守護せんがため立てられたるこの共同体を。

 自らの無力を自覚し、御身の力強きご保護に対する無限の信頼に活気づけられ、おお幸いなる太祖ヨゼフよ、聖ピオ十世司祭兄弟会は、御身の栄光と徳とをいや増さんがため、その全会員と全事業とともに自らを御身に捧げ奉る。

 おお、栄光の王の惜しみなき恵みのいとも寛大なる分配者よ、願わくは御身からの返答として、この小さき共同体に、御身の父性が全教会のために獲得せるその同じ恩恵をかたじけなくも与え給わんことを。本会を御身の所有となし、その会憲に忠実になさしめ、祭壇の犠牲を生き、伝播せしめ、霊的生命もてこれを豊かならしめ、その会員らを身分に固有の聖性と貞潔のうちに確立させ、聖なる使徒的労働においてこれを強め、信仰のための戦いにおいてこれを導き、敵の罠を挫き、教会の利益のために仕えしめ給わんことを、あえて願い奉る。

 おお、我らが忠実なる仲介者よ、さらに、この慎ましき復興の軍隊をして、ローマ教皇の堅固なる支えとなさしめ給え。すなわち、「御身はキリスト、生ける天主のおん子なり」との聖ペトロの明白かつ完全なる信仰告白の内に、その兄弟らを固めるというその使命における、ローマ教皇の堅固なる支えとならんことを。

 おお、御身は、み摂理により我らの元后マリアの傍らに配され給うた御者なり、とこしえの栄光の王且つ最高司祭なるイエズス・キリストにとりてあらがえざる、御身の取り次ぎにより、願わくは、我らが、この同じイエズス・キリストの持ち給う天主性、司祭職及び王権を、その全ての最も具体的な結論において、生き且つ説教するを得んことを。おん父と聖霊とともに世々に生き、かつ統治(しろしめ)し給う天主なるイエズス・キリストによりて。

アーメン。


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ベルゴリオ枢機卿とアルゼンチンの聖ピオ十世会

2013年03月19日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ヨゼフの大祝日、おめでとうございます。
 今日、聖ピオ十世会は聖ヨゼフに奉献されます。
 また、フランチスコ教皇様は、今日その教皇職を始められます。私は、毎日、フランチスコ教皇様のためにミサ聖祭を捧げています。教皇様のために復活祭まで、ロザリオの十字軍でたくさんのロザリオを捧げてください。

 さて、聖ピオ十世会南アメリカ管区長クリスチャン・ブシャクール(Christian Bouchacourt)神父様が持つベルゴリオ枢機卿に関する私見をご紹介します。原文はこちらにあります。

【お便り】
マリアちゃんから、教皇様が決まられておめでとうございます、13環です、のメール頂きましたので、カトリック教会の為に!で、3月いっぱいお願します。とお返事しました。

 フランチスコ教皇様の最初のお説教については、先日ここでご紹介しましたが、全文の日本語訳はこちら「教皇フランシスコの最初の説教」で読むことが出来ます。

「イエス・キリストを告白しなければ、物事は進みません。福祉活動を行うNGOになれるかもしれませんが、主の花嫁である教会にはなれません。・・・イエス・キリストを告白しなければ、わたしはレオン・ブロワ(1846-1917年)の「主に祈らない人は、悪魔に祈る」ということばを思い出します。イエス・キリストを告白しなければ、悪魔の世俗性を、悪霊の世俗性を告白することになります。・・・ イエス・キリストを告白したペトロ自身が、イエスにこういいます。あなたはメシア、生ける神の子です。わたしはあなたに従います。しかし、十字架について話すのはよしましょう。十字架はわたしたちと関係ないことです。わたしは十字架抜きの、別の方法であなたに従います。もしわたしたちが十字架なしに歩み、十字架なしに築き、十字架なしにキリストを告白するなら、主の弟子ではなくなります。世俗的な者となります。司教、司祭、枢機卿、教皇であっても、主の弟子ではなくなるのです。

 願わくは、カトリック教会が、十字架に付けられたイエズス・キリストだけを信仰告白しますように! どの宗教でも良いという折衷主義や間違ったエキュメニズムではなく、私たちの主イエズス・キリストを、私たちのために十字架に付けられたイエズス・キリストを告白しますように! 「イエズス・キリストを告白しなければ、悪魔の世俗性を、悪霊の世俗性を告白することになる」からです。


 良き御受難節をお過ごし下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ベルゴリオ枢機卿とアルゼンチンの聖ピオ十世会
二〇一三年三月十五日


DICI編集部は新教皇選出の当夜、南アメリカ管区長クリスチャン・ブシャクール(Christian Bouchacourt)神父の私見を入手した。それは、次の通りである。

 ベルゴリオ枢機卿は貧しい人々の間で貧しい人間でありたいと願っています。彼は過激なほどの謙遜を養っており、しかし同時に、教会を屈辱させることさえできるほどです。彼が高位聖職者が身に付けるロシェ(rochet)やモゼッタ(mozzetta)なしの質素なスータンを着て聖ペトロ広場のバルコニーに姿を見せたのが完全な証拠です。彼は上品な政治家です……そして一九七〇年代の貧困層の理想的な使徒です。民衆や貧しい人々の方を向いているのは明白ですが、解放の神学の信奉者ではありません。

 自分の配下の聖職者たちの(霊的に)悲惨な状態によく気が付いていましたが、彼は事態の修復のために何もしませんでした。今日ほど、ブエノス・アイレスの神学校には神学生たちがいないことはありませんでした。これは「貧しい者の枢機卿」が主宰したいくつもの典礼がそうであったように、ひどい状態です。彼のもとで、私たちはもう一度パウロ六世の教皇時代にあったさまざまなミサを目にするかも知れなません。ふさわしい典礼儀式の数々にその名誉を回復させようとしたベネディクト十六世の努力とは大違いのものを、です。

 彼は堕胎には断固として反対していました。でも、ブエノス・アイレスのカルメリットたちに同性「婚」の法案──残念ながら最終的には可決してしまいました──に反対する素晴らしい手紙を書きながらも、この法案への反対抗議の間、遺憾な内容の論文を読み上げました。が、その中では主のみ名はただの一度も述べられることはなく、反対に彼の前で民衆を熱狂させようと演説した福音派の牧師たちのほうが、もっと勇気ある講演を行ったのです……。

(アルゼンチンでの同性「婚」の法案可決については、
Argentina: Senators Pass Law in Favor of “Homosexual Marriage”Argentina: the vote on the law on “homosexual marriage” and the reaction of the bishops as analyzed by Father Bouchacourt.Official Letter from the District of South America on the Legalization of “Homosexual Marriage” in Argentina などをご覧下さい。訳者注)

 エキュメニズム集会の間、彼は二人の牧師からの祝福を受けようと跪きました。

 彼は意見一致を重んじる人であり、対立を忌み嫌っています。ブエノス・アイレスで開かれた冒涜的展覧会を非難したカトリック信者たちとは距離を置き続けました。

 私は枢機卿と五、六回お会いしたことがあります。いつも親切に迎えてくださいました。私が希望したことを叶えようと模索しながらも、障害を克服するため、ご自分の歩んできた道からはみ出すことなしに……。


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【注】Argentina: the vote on the law on “homosexual marriage” and the reaction of the bishops as analyzed by Father Bouchacourt.によると、次のようにあります。

"The episcopate reacted with a certain firmness, but too late . . . During the large demonstrations the bishops put out diffused and woefully toned-down messages. For example, the day before the vote on the bill, lay Catholics from the territory of Cardinal Bergoglio, Archbishop of Buenos Aires, organized a great demonstration with . . . the evangelicals. There were 120,000 people present. The Cardinal delivered a message which was read by a woman―he was absent. This message argued only from natural law. The name of God was not even mentioned, which is unthinkable in Argentina, a country which is 90% Catholic. Neither was the name of the Virgin Mary mentioned, which is equally incredible in a country that is decidedly Marian as well. In other words, the Cardinal adopted a low profile. By contrast, the evangelical minister’s speech was quite impassioned. In it he defended the rights of God, the Commandments, etc. . . . He gained the sympathy of the crowd. He then voiced a resounding, thundering evangelical prayer, to which the Protestants seem to hold the secret. Sadly, although everyone waited, not one Catholic prayer was recited. One could see not only the disappointment but also the rebellion of many Catholics after the Cardinal’s speech. Numerous Catholics shouted their sense of betrayal. The crowd of Catholics left in distress.

I read in the French press and in the newspapers of the traditional movement that the Argentinean bishops were very courageous. That is false, with few rare exceptions! To come back again to Cardinal Bergoglio, he did send a remarkable letter to the Carmelite nuns of Buenos Aires. But this document was private, although it was posted on the Internet. Everyone awaited a speech of this type during the gathering of July 13th, but it was different― it was very disappointing. He did not attempt either to attack or to shock."


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3月19日の聖ヨゼフの大祝日 聖ピオ十世会は聖ヨゼフに奉献され、新教皇フランチスコは着座式

2013年03月15日 | カトリック・ニュースなど
愛する兄弟姉妹の皆様

 3月19日の聖ヨゼフの大祝日には、聖ピオ十世会は聖ヨゼフに奉献されます。また3月19日には、新教皇フランチスコの着座式が行われます。教皇様のために多くの多くのお祈りをお願いいたします。
 教皇という重責を果たすにおいて、愛する兄弟姉妹の皆様の教皇様のための多くの祈りをひたすらにお願いいたします。ちょうどモーゼの両手を支えているしもべたちのように、祈りで教皇様をお支えいたしましょう。
 「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは、洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教、司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん、たくさん唱えてください。」(1973年7月6日)

教皇フランチスコの最初の説教(2013年3月14日、システィン聖堂にて、イタリア語で、紙に書かれたもの無しにした説教)の一部抜粋
「私たちが十字架無しに歩くとき、私たちが十字架無しに建てるとき、私たちが十字架無しにキリストを告白するとき、私たちは主の弟子ではありません。私たちはこの世的となり、私たちが司教であり、司祭であり、枢機卿であり、教皇であるかもしれませんが、しかし、私たちは主の弟子ではありません。
 私は、誰もが、この恵みの日々の後、主の十字架と共に主の御前を歩き、十字架の上で流された主の御血の上に教会を建て、十字架に付けられたキリストという唯一の栄光を告白するという勇気を、本当にその勇気を持つとよいと思います。そして、このやり方で、教会は前進することでしょう。」

 願わくは、カトリック教会の典礼においても、食卓ではなく、十字架のいけにえの祭壇が戻り、十字架のいけにえのミサ聖祭を中心にカトリック教会が復興しますように!

 聖ヨゼフ、教皇フランチスコのために祈り給え!
 聖ヨゼフ、聖ピオ十世会のために祈り給え!
 聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ピオ十世会は聖会の保護者なる聖ヨゼフに奉献される予定である。
二〇一三年一月十八日


 今年のシャルトルからパリへの聖霊降臨の巡礼のテーマは以下の如くである。すなわち「ヨゼフのところへ行け」。一月六日、パリにおいて、ベルナール・フェレー司教はCourrier de Romeの主催する第11回大会において行った講話の中で、二〇一三年三月十九日、エコンにおいて、聖会の保護者なる聖ヨゼフに聖ピオ十世会を奉献するつもりであると正式に告知した。

 聖霊降臨の巡礼の準備となる教義及び霊的小冊子の中で、ダニエル・ジョゼフ・ラルマン神父(Chanoine Daniel-Joseph Lallement)の著作である「聖ヨゼフの父性の神秘」から採られたこの引用句は、この奉献がどれほど適切であるかを教示している。すなわち、
私たちは、地上的な物事で狂ったように自分を満たし、そうすることで満足を探し求めようとする、そのような時代を生きている。天主の人、童貞マリアの夫なる聖ヨゼフは、物質主義とは正反対の方である。彼は人間中心主義と物質主義の確実な治療薬として与えられるだろう。だが、さらにもう一つの観点から物事を理解してみよう。つまり、み摂理のひそかなご計画において、人間中心主義と物質主義は聖ヨゼフの栄光を宣言する一つの良い機会となるだろう、ということである。 (…) あえてこう付け加えよう。人間中心主義と物質主義の損害を超えた向こうに、天主が用意なさった忘れ去られた賜物の中に、聖ヨゼフへの讃美がある。自分自身に嫌悪を催し、地上的な糧にうんざりした人々は、清貧を守る天主の人へと戻ってくるはずだ、と。」

 聖ヨゼフの連祷の祈りでこのように唱えられる如くにである。「こいねがわくは地上においてかれを保護者と尊敬し奉るわれらをして、かれを天上における代祷者としていただくにふさわしき者たらしめ給え!」


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教皇フランシスコの選出に際し聖ピオ十世会本部よりの公式発表

2013年03月14日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 新教皇フランシスコ一世が選ばれたことを天主様に感謝します。フランシスコ1世のためにたくさんのお祈りをお願いいたします。初めてのイエズス会出身の教皇様です。新教皇フランシスコ一世が天主様の御助けと共に、最優先課題である、信仰の復興に力を注がれますように!
 ベネディクト十六世前教皇が言ったように「私たちの歴史のこの時点において、本当の問題は、天主が人々の水平線から姿を消し、また一方で天主からの光が消えると同時に、他方で人類は方針を欠き、ますます自分の内部に人類を破壊するような結果が現れ出ていることです。人々を天主へと導くこと、聖書において語り給う天主に導くこと、それが今日、カトリック教会とペトロの後継者との最高で基本的な優先課題なのです。」(2009年3月10日

 愛する兄弟姉妹の皆様の教皇様のためのお祈りを感謝します。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


バチカン放送局の記事より:第266代目ローマ教皇にベルゴリオ枢機卿、教皇名はフランシスコ1世

 第266代目のローマ教皇に、アルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が選出された。教皇名はフランシスコ1世。新教皇をいだき、バチカンに集った信者たちは歓喜に包まれた。新教皇の選出を告げる白煙がシスティーナ礼拝堂の煙突から上がった後、1時間以上経過した、午後8時すぎ、期待で胸をいっぱいにした聖ペトロ広場の群集の前に、新教皇の名を告げる役である、プロトディアコノのジャン・ルイ・トーラン枢機卿が大聖堂の中央バルコニーに現れた。
人々の割れるような拍手に、すぐに緊張と沈黙が続いた。
「皆さんに大きな喜びをお伝えします。私たちは新しい教皇をいただきました」

 トーラン枢機卿のラテン語の告知に喜びに沸いた会衆は、その新教皇の名を知ろうと、バルコニーを見上げながら一心に耳を傾けた。そして、いよいよ第266代目教皇に選出された枢機卿の名が厳かに告げられた。「ジョルジウム(ホルヘ)・マリウム(マリオ)・ベルゴリオ」。新教皇の名は「フランシスコ」。その瞬間、地響きのような人々の歓声が広がっていった。

 十字架を先頭に、枢機卿らと儀式奉仕者たちを伴い、白スータンと短白衣を身につけた新教皇フランシスコ1世がバルコニーに現れた。祝福のしるしをしながら、人々の割れるような拍手と歓声に応えた。そして、新教皇は次のように第一声を述べた。

「兄弟姉妹の皆さん、こんばんは。皆さんもご存知のように、コンクラーベの義務はローマ司教(教皇)を選ぶことです。わたしの兄弟なる枢機卿たちは、その教皇を世界の果てまで探しに行ったようです。しかし、わたしたちはここにいます。皆さんの歓迎に感謝します。ローマ教区の共同体、ありがとう。」

 新教皇は、人々の歓迎に感謝を表し、何よりも先に前教皇ベネディクト16世のために祈りたいと述べ、皆と共に「主の祈り」「天使祝詞」「栄光唱」を唱えた。続いて新教皇は次のように話した。

「これから司教と民の、愛のうちにすべての教会をまとめるこのローマの教会の歩みを始めましょう。それは兄弟愛と相互信頼の歩みです。いつもわたしたちのため、互いのために祈りましょう。全世界のために祈りましょう。そこに大きな兄弟愛がありますように。」

「今日からわたしたちが始めるこの教会の歩み、わたしを補佐するのは、ここにおいでのローマ教区教皇代理司教の枢機卿ですが、この歩みがこの大変美しい街の福音に実りをもたらすよう願っています。」

「今から祝福をおくりたく思いますが、その前に皆さんにお願いがあります。司教が民を祝福する前に、主がわたしを祝福してくださるように皆さんが祈ってください。それは司教の祝福を願う民の祈りです。沈黙のうちにわたしに対するこの祈りをしてください。」

 そして、フランシスコ1世は、「これから、皆さんと全世界、すべての善意の人々に祝福をおくります」と述べ、教皇として最初の「ウルビ・エト・オルビ」(ローマと世界に向けた教皇祝福)をおくった。

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教皇フランシスコの選出に際し聖ピオ十世会本部よりの公式発表


 教皇フランシスコ選出のニュースに対し、聖ピオ十世会は、全能の天主がこの重責の遂行に必要な恩寵を、新教皇に溢れるばかりに垂れ給うようにと祈る。
 願わくは新教皇が天主の御摂理に強められ、聖ピオ十世が自らの教皇職の始めより宣言したその権威とともに「信仰の内に兄弟たちを堅め」[1] 給わんことを。すなわち「私は、人間社会の前で、その権威を私が預かる天主のしもべとしてのみあることを望み、天主の助けを持ってそれ以外の何者でもないであろう。天主の利益が私の利益であり、私は全ての力と私のこの命さえもその利益のために使うことを決心している。」[2]

 新教皇が自らの教皇名に選んだアシジの聖フランチスコは、十字架につけられた救い主が「行け、フランチスコよ、我が教会を建て直せ」と言われるのを聞いた。聖ピオ十世会の司教たち、司祭たち、修道者たちは、そのような精神においてこそ、それぞれの能力に応じて、聖なるカトリック・ローマ教会への愛の故に、「すべてをキリストにおいて復興し、キリストがすべてとなりすべてのうちに在る」[3] ようにするため、という子としての忠孝を込めた望みを、聖父たる教皇に保証するものである。


二〇一三年三月十三日、メンツィンゲンにて

[1] ルカ二十二章三十二節
[2] 聖ピオ十世回勅「エ・スプレミ・アポストラートゥス」 (一九〇三年十月四日)
[3] エフェゾ一章十節、コリント前三章十一節


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明日から教皇選出のためのコンクラーベが始まります。

2013年03月11日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日で、2011年3月11日に起こった東日本の大震災から2年がたちました。被災者の方々やまだその後の影響を被っている方々のために心からお祈りします。

 明日から教皇選出のためのコンクラーベが始まります。天主様のお恵みによって、私たちに一人の聖なる教皇様が与えられることを祈りましょう。私たちはそれを受けるにふさわしくはないものですが、御憐れみによって天主様が私たちに聖なる教皇様を与えてくださいますように!

トマス小野田圭志神父様
十主の平安
アヴェ・マリア
聖ヨゼフ様へのノベナ等のたくさんのお祈りへの御招き、有難うございます!
とてもとても嬉しいです♪
では、聖なるロザリオの十字軍の御報告をさせて頂きます♪喜びです♪
*ヨゼフ、マリア     20環
*ヨゼフ・パウロ     36環
*マリア        129環
*ヨゼフ          4環
*マリア          7環
*アリア         55環
*テレジア        33環
*マリア・クリスティーナ 13環
*マリア         10環
*マリア・エリザベト   40環
*アンナ         12環
*マリア・クララ      3環
*シスター        33環
*マリアちゃん       7環 

 今日までのところで、計402環です、どうぞ宜しく御願い致します。十字架の聖ヨハネ様の「カルメル山登攀」先日読み終わりまして、とても素晴らしい御本だと思って居ります

 教皇様のための多くのお祈りを感謝します。天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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2013年3月12日火曜日に教皇選挙のためのコンクラーベ開催決定

2013年03月09日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 バチカン報道局によると、2013年3月12日火曜日に教皇選挙のためのコンクラーベが始まることが決定されたそうです。
 午前中に「ローマ教皇を選ぶための随意ミサ」が執行され、午後に枢機卿たちがコンクラーベに入るとのことです。

 愛する兄弟姉妹の皆様の多くのお祈りをお願いいたします。

 聖ヨゼフよ、我らのために祈り給え!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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コンクラーベ開催3月12日に、枢機卿総会で決定

 次期ローマ教皇を選出するコンクラーベが、来る3月12日(火)から、バチカンのシスティーナ礼拝堂で開催される。同日朝、聖ペトロ大聖堂で「教皇選挙のためのミサ」がとり行われ、午後、枢機卿たちはコンクラーベへの入場を行なう。

 枢機卿団は今月4日より連日総会を行い、意見発表や討議、祈りを通してコンクラーベに向けての準備を着実に進めていた。8日午後、バチカンで開催された第8回枢機卿総会で、コンクラーベの日程が議題に上がり、その開始を12日とすることが可決された。この決定により、次期教皇選挙は、前教皇ベネディクト16世の2月28日の退位から12日目に開催されることになる。使徒座に空位期間が生じた場合、次の教皇を選ぶまでは通常15日から20日置かれるが、ベネディクト16世が退位前に発した教令により、選挙権を持つすべての枢機卿がすでに揃っている場合には、枢機卿団はコンクラーベの開始を早めることが可能となった。


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「フランス管区の37名の司祭によって署名された」と主張される手紙について

2013年03月08日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会フランス管区長のド・カクレ神父様は、「フランス管区の37名の司祭によって署名された」とされる手紙について、事実を公表しました。以下にその内容をご紹介します。ごく少数の司祭によるこのような行動を非常に悲しく思います。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ピオ十世会フランス管区の通達:匿名の手紙について

 フランス管区の37名の司祭によって署名されたと主張する手紙が、ある匿名ウェブ・サイト上で数日前に公開された。

 事実調査を実施するために時間を割いた後、私たちは、今、これが作り話であったと断定することがでるようになった。

 数名の司祭が、聖ピオ十世会の権威に反対して一連の匿名で重大な破壊転覆行為を、しかも長上の辞任を得ようとさえして、自由に動いていたということは残念ながら本当であるが、彼らはごく少数でしかない。

 彼らの内の三名については、すぐにその使徒職を解任しなければならなかった。

 私たちは、この態度がいかなる事実にも基づくものではないので、私たちのますます深くなるばかりの苦痛を表明する。これらの司祭たちは、聖ピオ十世会の権威に対する非理性的な不信に流されて行動したが、聖ピオ十世会の当局はカトリック教会が経験している重大な危機において、信仰を維持し防御するという役割を継続しているだけである。

 聖ピオ十世会が聖ヨセフに奉献されるこのこの三月に、同会は聖なる教会の守護者が助けることを欠いたことが決してない超自然的な援助を下さると、今まで以上に聖ヨゼフに信頼を置く。

 この試練がどのようなものであれ、聖ピオ十世会は、その創立者ルフェーブル大司教が当会に与えた指針に忠実に、キリストにおいて全てを復興させるために、自己の使徒的事業を平和に続ける。

レジス·ド・カクレ神父、フランス管区長

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Communiqué du Supérieur du District de France : mise au point à propos d'une lettre anonyme


Une lettre prétendument signée par 37 prêtres du district de France a été publiée il y a quelques jours sur un site anonyme.

Après avoir pris le temps de procéder à des vérifications, nous sommes maintenant en mesure d’affirmer qu’il s’agissait là d’une affabulation.

S’il est malheureusement vrai que quelques prêtres se sont laissés effectivement aller à des menées anonymes et gravement subversives contre l’autorité de la Fraternité, jusqu’à vouloir obtenir la démission de ses Supérieurs, ils ne représentent qu’un très petit nombre.

Trois d’entre eux ont dû être immédiatement relevés de leur apostolat.

Nous exprimons notre peine d’autant plus profonde de cette attitude qu’elle ne se fonde sur rien d’objectif. Ces prêtres se sont laissés emporter par une méfiance irraisonnée contre l’autorité de la Fraternité lorsque celle-ci ne fait que continuer son rôle de maintien et de défense de la foi dans la grave crise que traverse l’Eglise.

En ce mois de mars où la Fraternité saint Pie X se consacre à saint Joseph, elle place plus que jamais sa confiance dans l'aide surnaturelle que le patron de la sainte Eglise n'a jamais manqué de lui obtenir.

Quoiqu’il en soit de cette épreuve, la Fraternité continue sereinement son travail apostolique, dans la fidélité à la ligne que lui a donnée S. Exc. Mgr Lefebvre son fondateur, pour tout restaurer dans le Christ.

Abbé Régis de Cacqueray, Supérieur du District de France


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コメント (1)

日本の持つ最高の富 : 聖ヨゼフよ、我らのために祈り給え!

2013年03月01日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 日本の持つ最高の富は、日本人自身だと思います。
 日本が生み出すことの出来る製品は素晴らしいと思います。コンピュータや自動車や空気清浄機や日本の農産物なども、素晴らしいと思います。

 しかし、自然のレベルで、日本の生み出すことの出来る最高の富は、自動車でもなく空気清浄機でもなく、それらよりも貴重な日本人です。

 日本は、いえ、どこの国でも、子供がたくさん生まれれば生まれるほど豊かになります。国力の元は人口だからです。子供たちが多いことこそが、国家の本当の活力です。多くの良い子供たちのお母さんやお父さんとなることは、私たちにとってどれほど大きな幸福でしょうか!

 超自然のレベルでも、生まれる子供たちを人工的に制限すると言うことは、罪を犯すことです。天主が私たちに送って下さる賜物の中で、子宝よりも美しい賜物はないからです。だから、子供の多い家庭を築くことができるのは、子供の多い家庭とは、カトリック教会の栄光です。子供の多い家庭は、教会の喜びです。教会の繁栄です。何故なら、子供が多ければ多いほどそれだけ天国に行く人々の数が増えると言うことだからです。

 私たちは、世俗の精神に流されず、婚姻生活を大切にしなければなりません。ルフェーブル大司教様の言葉を聞いて下さい。

「私たちはキリスト教世界を再創造しなければなりません。愛する兄弟の皆様、それはあなたたちです。あなたたちこそが地の塩であり、世の光です。私たちの主イエズス・キリストはあなたたちにこそこう言われるのです。「私の血潮の実りを失うなかれ、私のいけにえを捨て去るなかれ」と。・・・
 世俗的な考えに引き流されないようにしましょう。私たちをして罪へとそして地獄へと流すこの世で流行っている思潮に流されないように。もしも私たちが天国に行こうと望むなら、私たちは私たちの主イエズス・キリストに従わなければなりません。私たちは自分の十字架を担い、私たちの主イエズス・キリストの後に従い、十字架において、苦しみにおいて、いけにえにおいて私たちの主に倣わなければなりません。
 婚姻の秘跡による結婚は、私たちの主イエズス・キリストにおける結婚であり、イエズス・キリストの御血における婚姻です。彼らは私たちの主イエズス・キリストの聖寵の元に結ばれるのです。願わくは彼らが婚姻の偉大さを理解し、純潔と貞潔と祈りと考察とによってふさわしく婚姻の準備をするように。願わくは彼らがこの世を騒がす全ての情念・欲情によって流されないように。真の理想を追求する青年達の十字軍です。
 またキリスト教家庭の十字軍を起こすべきです。ここにいるキリスト教家族たちよ、あなたたちの家庭をイエズス・キリストの聖心に奉献して下さい。聖母の汚れ無き御心に奉献しなさい。家族で祈りなさい。おお、皆さんの家族の中でどれ程多くの家庭がいつも家族で祈っているかを知っています。しかしもっともっと多くの家庭が熱心に一緒に祈るようにしなさい。私たちの主イエズス・キリストがあなたたちの家庭を本当に統治しますように!
 お願いです。子供達があなたたちの家庭に来ることを妨げる全てを遠ざけて下さい。天主様があなたたちの家庭になしたもう賜物中で、沢山の子供達より美しい賜物はありません。子宝にみちた家庭を築いて下さい。子供の多い家庭とは、カトリック教会の栄光です。カナダでも、オランダでも、スイスでも、フランスでもそうでした。世界中どこでも子供の多い家庭は、教会の喜びであり教会の繁栄でした。
 子供が多ければ多いほどそれだけ天国に行く人々の数が増えると言うことです。お願いです。天主様の賜物を制限しないで下さい。家庭を崩壊させ健康を害し家族を壊し離婚へと挑発させるおぞましいスローガンに耳を貸さないで下さい。・・・
 あなたたちの子供達がむしろ貧しい方が、罪を犯すよりもましです。皆さんの子供達がこの世が持つ見せかけの科学から遠ざかっている方がましです。それよりも、彼らがよい子供達であるように、キリスト教的な子供達であるように、カトリックの子供達であり、聖なる宗教を愛する子供達、祈り働くことを愛する子供達であるように、天主様がお作りになった大自然を愛する子供達であるように。」


 多くの若い青年たちが、天主の御助けによって、この聖なる使命を果たす力を得ることが出来ますように! 多くの青年達が、世俗的な考えに引き流されずに、私たちの主イエズス・キリストに従わう道を選びますように!
 多くの青年達が、苦しみにおいて、いけにえにおいて、私たちの主に倣いますように! 多くの日本の若い人々たちが、婚姻の偉大さを理解し、婚姻の真の理想を追求しますように! 多くの日本の方々が、天主のお恵みによって、子宝にみちた家庭を築く勇気を持ちますように!

 このことが出来るように、カトリック教会の聖職者達が若い人々に対して、犠牲といけにえの精神の模範を示すことが出来ますように!

 聖ヨゼフよ、日本のために祈り給え!
 聖ヨゼフよ、日本の若い人々のために祈り給え!
 聖ヨゼフよ、我らのために祈り給え!

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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