Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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フランス革命とカインの罪と新都市エノク、そして、天主の国

2007年07月14日 | 共産主義
アヴェ・マリア!

フランス革命とカインの罪と新都市エノク、そして、天主の国


 7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日だった。7月6日は、『ユートピア』を書いた聖トマス・モアの殉教の日で、イギリスでは7月9日がその祝日だ。
 そして、今日7月14日は、キリスト教世界で世俗の領域でキリストの場所を占める代理者(lieutenant)であったフランス王権を転覆させたフランス革命の始まりの日だ。

 1920年7月25日、第一次世界大戦の終戦数ヶ月後に、教皇ベネディクト十五世は普遍教会の守護者たる聖ヨゼフの制定五十周年を祝うために自発教令(モートゥー・プロプリオ)『ボヌム・サネ(BONUM SANE ET SALUTARE)』(AAS 12 (1920), pp. 313- 317)を発表した。

「戦争の災難は、人類が自然主義(=天主の超自然に頼らずに天主を無視して人間の自然の力だけで充分とする考えのこと)に深く影響されたその瞬間に人類に降り注いだ。」

「社会の全ての反乱的な人々の希望と期待において、人々の絶対的平等と物資の共有性との上に或る世界共和国の到来を待ち望む考えが熟している。この世界共和国においては国籍の区別もなく、子供達に対する父親の権威も認められず、市民に対する公権力もなく、市民共同体において一致団結する人々の上に天主の権威も認められていない。これらのこと全ては、もしもそれが現実のこととなったとしたら、ヨーロッパの少なからずの地域で今体験し感じているような恐るべき社会的大変動を引き起こすだろう。」

 私たちには名前があり、個性があり、性別があり、年齢があり、特技がある。人間は自己充足することが出来ない。人間は創造主に依存している。人間は互いに助け合い、奉仕し合わなければならない存在だ。人間は他の人間によって統治される必要さえもある。天主によって助けられる必要がある。子供達に対する父親の権威も、市民に対する公権力も、天主の権威も存在している。

 そこで、全宇宙を創りそれを保ち給う天主の御子が、人間とその社会問題を解決するために人間となって、ある意味で「国籍の区別のない」聖なるカトリック教会を創った。そこで罪を赦された人々が、全世界どこででも一つの信仰を持ち、一つの言葉を話し、天主にまで到達することができるように。王であるイエズス・キリストがその角石(おやいし)となり基礎をおいた。人類が知る唯一の完璧な国際社会組織だ。何故なら、復活して聖父の右に座し給う私たちの主イエズス・キリストが、ご自分の設立した新統治に、天の王の玉座から聖霊を送り給うたからだ。バベルの塔の建設時に受けた天罰と反対のことが起こった。イエズス・キリストの教会は、「天主が設計し、建造される、たしかな基礎をもっていた」。「かれは、主なる天主によって父ダヴィドの王座を与えられ、永遠にヤコブの家をおさめ、その国は終ることがありません」(ルカ)天主の御子は、人となり、人類社会の問題を解決するために真の平和のための理想社会(ユートピア)を創った。今から2007年前に真の意味での「新世界秩序」を創った。それが聖ペトロの船であり、新約の第二の「ノエの方舟」であり、母にして聖なるカトリック教会だ。

 社会の再建築のために必要なのは会議ではない。天主の創造の秩序だ。キリストの力だ。自然な健全な聖なる家族だ。ベネディクト十五世は言う。

「家庭は人類の基礎をなしているのであるから、家庭生活を貞潔と忠実と和睦とによって強めることにより、新しい力といわば新しい血液が人間社会の全ての成員を通して、キリストの力の生かす影響力のもとで与えられるだろう。その結果は個人の道徳を矯正するのみならず、公的な市民制度も復興させることができるだろう。」『ボヌム・サネ(Bonum Sane)』

 しかし人類は天主の創造の秩序を認めようとしなかった。人類は天主の無き「世界共和国」を作ろうとしてその一歩を踏み出した。だから、ベルサイユ条約にも国際連盟の規約にも、天主の名前は無い。

 ジュネーブに本部を持つ国際連盟は、第二次世界大戦を防ぐことはできなかった。既に天主の御母は1917年ファチマで、最初の虐殺が中断する少し前に、第二次世界大戦のことを預言されていた。

 第二次世界大戦は「分解して固める」(Solve et coagula)のモットー通り行われた。天主無き民主主義を世界中に広めるために。国際連合が作り上げられ、「ヨーロッパ合衆国」(United States of Europe)を作り上げる努力もなされ、今、進行中であるた。人類は、天主の無いイエズス・キリストの無い「ユートピア」を作り上げようとしている。


 アダムとエワの最初の子供であるカインは自分の兄弟アベルを殺害した。この地で呪われた(maledictus super terram)カインはこの地を彷徨い逃げ回り(vagus et profugus eris super terram)、地はその実を与えないだろう(non dabit tibi fructus suos)。妻と共に、カインは天主の御顔から遠ざかりエデンの東に逃げて住んだ(egressusque Cain a facie Domini habitavit in terra profugus ad orientalem plagam Eden)。天主から遠ざかり、父の家から離れ、歴史と断絶し、カインはいわば伝統を無視する「進歩主義者」だった。カインは将来の世界にかけた。カインは妻を知り、妻は子供を産んだ。カインは子供をエノクと名付け、自分の創った新都市に子供の名前を付けて「エノク」と呼んだ(cognovit autem Cain uxorem suam quae concepit et peperit Enoch et aedificavit civitatem vocavitque nomen eius ex nomine filii sui Enoch)。

 カインの新都市エノクは、歴史もなく天主もなく自主自立の社会だった。カインの理想は物質的な進歩だった。地上の富をかき集めることがカインの新しい「宗教」だった。親への恩義から郷土愛が生まれ、伝統と歴史への愛着が生まれ、過去の偉人を記念してその名前を町に付ける、ということが人間の普通の心情だ。親に対する命を受けた恩義はお金では計られないものだ。カインはそうではなく革命家だった。新しい都市の名前エノクの意味は「創始」「始まり」という意味だ。だからそれは「革命」の都市だ。

 兄弟を殺したカインは自分だけのユートピアを創ろうとした。現代も「よりよい世界を子供達に残すために」「将来の社会のために」という口実で、堕胎・避妊・安楽死により多くの兄弟姉妹が殺されている。

 エノクはイラドを生み、イラドはマヴィアヘルを生み、マヴィアヘルはマトゥサヘルを生み、マトゥサヘルはラメクを生んだ(porro Enoch genuit Irad et Irad genuit Maviahel et Maviahel genuit Matusahel et Matusahel genuit Lamech)。天主を離れては道徳は腐敗するばかりだった。カインの第五代目ラメクは、重婚を導入した(accepit uxores duas nomen uni Ada et nomen alteri Sella)。正妻はアダだった。そして影という意味を持つ第二の「妻」セラからは、タバルカインが生まれた。カバルカインは真鍮と鉄とを加工する技術を持った(Sella genuit Thubalcain qui fuit malleator et faber in cuncta opera aeris et ferri)。人類最初の新都市「ユートピア」エノクでは、人間の支配力を高める高度技術を重視した。しかし天主が築かない「ユートピア Utopia」は、そのギリシア語源(ウ (ou) +トポス (topos))の通り「無い場所」(Nowhere)である。

 カインが、最初の人工都市作り上げて自分の子供の名前を付けたように、人工国家では、新しいものが良いもので古いものを軽蔑するようになった。古いものを良いと表現するような語彙は人工国家から消えてしまった。年寄りは「生産性がない」、「高度技術についていけない」ので、彼らはむしろ邪魔者となる。革命家にとっては、青少年だけが大切で尊敬の対象だ。何故なら、革命家には過去も現在もないからだ。彼らは将来の革命を夢想し計画し生きる。何故なら、将来は現実ではないからだ。私たちは第二バチカン公会議後の「世界青少年の日」(World Youth Day)を様々な行事を思い出す。

 しかし「社会問題ならびに社会科学は、つい最近になって生まれたものではない。教会と国家は全ての時代にわたって健全な協調のうちにこの目的を達すべく種々の実り豊かな組織を育成してきた。教会は妥協に満ちた協定で一度として人々の幸福に対する裏切りを為したことがなく、したがって、過去をうち捨てる必要がない。また必要なただ一つのことは、真の意味で社会の復興のために働く人たちの助けを借りて、フランス革命がうちくだいた諸々の機構を再び採用し、それらを生み出したのと同じキリスト教的精神において、現代社会の物質的発展に由来する新たな環境にそれらを適合させることである。事実、人民の真の友は革命家でも革新派でもなく、伝統主義者だ。」(教皇聖ピオ十世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務』1910年8月25日 』)

 残念なことにフランス革命によってキリスト教世界が生み出した一種のユートピアであった世界統一秩序は崩壊へと向かってしまった。そして、別のキリストの無い、天主の秩序を無視した新しい人工のユートピアを作ろうとした。

 フランス革命を起こしたの革命勢力は、ベネディクト十五世が指摘するような「国籍の区別もなく、子供達に対する父親の権威もなく、市民に対する公権力もなく、天主の権威もない人間絶対平等と物資共有の世界共和国」を作ろうとしている。

 しかし人工の「ユートピア」は、ソランジュ・ヘルツ(Solange Hertz)が巧く言っているように、言葉の本当の意味でのユートピア、つまり何処にも無い場所(NOWHERE)である。しかし、王たるキリストの統治、母にして聖なるカトリック教会、人類社会の問題を解決するために真の平和のための「天主が設計し、建造される、たしかな基礎をもつ」イエズス・キリストの教会は、真の理想社会(ユートピア)であり、それは幸いなことに、いま、ここに(Now Here)現実にある。

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教皇グレゴリオ十六世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代の誤謬の排斥『クヮンタ・クラ』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
すべてのプロテスタントおよび非カトリック者にあてた教皇書簡『ヤム・ヴォス・オムネス』 1868年9月13日
教皇レオ十三世 フリーメーソンの悪について『フマヌム・ジェヌス』1884年4月14日
教皇レオ十三世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
教皇レオ十三世 フリーメイソンについて『クストディ・ディ・クエラ・フェーデ』1892年12月8日
教皇レオ十三世 聖公会の叙階の無効性について『アポストリチェ・クーレ』(抜粋)1896年9月13日
アメリカ主義について『テステム・ベネヴォレンチエ』1899年1月23日
教皇聖ピオ十世 聖楽に関する自発教令『Inter Pastoralis Officii』(MOTU PROPRIO "TRA LE SOLLECITUDINI" SULLA MUSICA SACRA)1903年11月22日
教皇聖ピオ十世 近代主義の誤りについて『パッシェンディ』1907年9月8日
教皇聖ピオ十世 司祭叙階金祝にあたって、カトリック聖職者への教皇ピオ十世聖下の勧告『ヘレント・アニモ』1908年8月4日
教皇聖ピオ十世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務』1910年8月25日
教皇聖ピオ十世 近代主義に反対する誓い『サクロールム・アンティスティトゥム』1910年9月1日
教皇ピオ十一世 真実の宗教の一致について『モルタリウム・アニモス』1928年1月6日
教皇ピオ十一世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日
教皇ピオ十二世 福者ピオ十世の列福式に於けるピオ十二世の説教 1950年6月3日
教皇ピオ十二世 進化論及びその他の誤謬について『フマニ・ジェネリス』1950年8月12日
教皇ピオ十二世 支那の国民に対し『アド・シナールム・ジェンテム』1954年10月7日
教皇ピオ十二世 日本国民に対するメッセージ 1952年4月13日
教皇ピオ十二世 童貞聖マリアの無原罪の教義宣言の百年祭 回勅『フルジェンス・コロナ・グロリエ(輝く栄光の冠)』 1953年9月8日

【参考資料】ベネディクト十六世の自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム 』の日本語訳

2007年07月14日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
 参考資料として、ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳を紹介します。

 この日本語を作成に当たりブログ「カトリック的」さんの極めて良くこなれたセンスの良い日本語訳を参考にさせて頂いたことを感謝して記したいと思います。

 日本語を訳すに当たってラテン語の表現をできるだけに大切にしながら訳すことにしました。カトリック教会では、聖人や歴代教皇の名前を日本語にする場合、ヘブライ語系の固有名詞など一部の例外を除いて、奪格で音を写しますので、それに従いました。


自発的に与えられた
ベネディクト十六世教皇の使徒書簡
『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』


 現代に至るまで常に諸教皇の配慮であったことは(SUMMORUM PONTIFICUM cura ad hoc tempus usque semper fuit)、「主の聖名の賛美と栄光のため」また「主の聖なる全教会の利益のため」にキリストの教会が天主の御稜威にふさわしい礼拝を捧げることができるようにとの気遣いである。

 いつ始まったかも分からない昔から将来に至るまで守られなければならない原理は「信仰の教義や秘蹟のしるしに関することのみならず、使徒から継続して伝えられた聖伝から普遍的に受けいれられた習慣 (usus) に関することさえもそれぞれの地方教会が普遍教会と調和を取らなければならない、そのような習慣は、誤謬を避けるためのみならず、信仰の完全性を伝えるためにも守らなければならない、何故なら教会の祈りの規範はその信仰の規範に対応するからである」(1)ということである。

 このような然るべき気遣いを払った教皇たちのうち、大聖グレゴリオの名前はとりわけ抜きん出ている。彼はヨーロッパの新しい人民たちに、カトリック信仰およびローマ人たちによって以前の時代に蓄積された礼拝の宝かつ文化が伝えられるようにと配慮した。彼は、ミサ聖祭と聖務日課の聖なる典礼の形式が、ローマにおいて執行されている通りに定義され保存されるように命じた。彼は、聖ベネディクトの規律の下で生活する修道士および修道女を最大に促進した。その生活においては、福音を宣教することによると同時に更に救いをもたらす規律のかの命題「天主の御業(=聖務日課と典礼のこと)よりも優るものがないように」ということを自分たちの生活によって、彼らは示した。このような方法でローマの慣習に従う聖なる典礼は信仰と敬虔のみならず多くの民族の文化を豊饒にした。またラテン典礼は教会の様々な形式においてキリスト教時代のいつの時でも霊的生活において極めて多くの聖人達を生みだし、そして同時にかくも多くの民族を宗教の徳において強めまた彼らの敬虔を豊かにしたことが認められている。

 聖なる典礼がこの権能をより効果的に発揮することができるように、その他の多くのローマ教皇たちは長い歴史の間、特別の注意を払ってきた。それらの教皇たちの中でも抜きん出ているのが聖ピオ五世であり、彼は多くの司牧的努力をもって、トリエント公会議の勧告を受けて、全教会の礼拝を刷新し、改正され「教父たちの規律に基づいて復興された」様々な典礼書を出版するように注意しそれらをラテン教会の使用のために与えた。

 ローマ典礼様式の典礼書の中でもローマ・ミサ典書が明らかに優位に立つ。これはローマ市で発展し長い世紀にわたって徐々に形を取ったが、その形は最近それが持っていた形と極めて似ている。

 「この同じ目的のために歴代のローマ教皇たちは、その後数世紀にわたり、典礼様式や典礼書を新しい時代に合わせて定めた。そしてその後、今世紀の初めから教皇たちはより一般な改革(redintegratio)に手を付けた」(2) 私の先任者たちであるクレメンテ八世、ウルバノ八世、聖ピオ十世 (3)、ベネディクト十五世、ピオ十二世、そして福者ヨハネ二十三世たちもこのように行動した。

 つい最近では、第二バチカン公会議が天主の礼拝にふさわしい奉仕(observantia)と崇敬とが再び復興し現代の必要性に適応するようにという望みを表明した。この望みに動かされ、私の先任者であるパウロ六世教皇は1970年に復興され一部革新した典礼書をラテン教会のために認可した。これらの本は全地で各国語に訳され、司教や司祭そして信徒たちによって喜んで受け入れられた。ヨハネ・パウロ二世は、ローマ・ミサ典書の第三版規範版を認可した。このようにローマ教皇は「この典礼という建物のようなものが・・・もう一度尊厳と調和(concinnitas)によって輝かしく」(4) 現れ出るように働いた。

 一部の地域ではしかしながら少なくない信徒たちが、自分たちの文化と精神とにかくも深く染み込んだ以前の典礼の形式に、多くの愛と愛情をもって執着し、そして執着し続けた。そこでヨハネ・パウロ二世は、これらの信徒たちの司牧の世話に動かされ、1984年に典礼聖省によって発布された特別許可「クヮットゥオル・アビンク・アンノス(Quattuor abhinc annos)」で、福者ヨハネ二十三世が1962年に出版したローマ・ミサ典書を使う許可を与えた。1988年にヨハネ・パウロ二世はもう一度、自発的に与えられた使徒書簡「エクレジア・デイ(Ecclesia Dei)」で、これを求める全ての信徒たちのために、このような許可を広く寛大に与えるようにと司教たちに勧告した。

 これらの信徒たちの絶え間ない願いを私の先任者ヨハネ・パウロ二世はすでに熟考しており、私は2006年3月23日に枢機卿会議で枢機卿たちの意見を聞き、全てのことをよく熟考した上で、聖霊を呼び求めつつ、天主の御助けに信頼しながら、この使徒書簡において次のことを発布する(Decernimus)。

第一条 
 パウロ六世によって公布されたローマ・ミサ典書は、ラテン典礼様式に属するカトリック教会における「Lex orandi(祈りの法)」の通常の表現である。一方、聖ピオ五世によって公布され福者ヨハネ二十三世によって改訂されたローマ・ミサ典書は、教会の同じ「Lex orandi」の特別の表現であると見なされる(habeatur)。そしてその敬うべきまた古代からの使用のゆえに当然の敬意が払われなければならない。教会の「Lex orandi」におけるこれら二つの表現は、決して教会の「Lex credendi(信仰の法)」を分裂させるものではない。実のところ、これらは唯一のローマ典礼様式の二つの執行方法である。
 それゆえ、福者ヨハネ二十三世が1962年に公布した且つ決して廃止されていないローマ・ミサ典書の規範版に従ったミサ聖祭の犠牲(いけにえ)を教会の典礼の特別形式として献げることは許されている。このミサ典書を使用するために以前の文書『Quattuor abhinc annos』と『Ecclesia Dei』で定められた条件に替えて、以下の通り定める。

第二条
 会衆の参加しないミサ(Missa sine populo)において、ラテン典礼様式に属するすべてのカトリック司祭は、在俗・修道を問わず、復活の聖なる三日間を除き、いかなる日においても、福者ヨハネ二十三世によって1962年に出版されたローマ・ミサ典書またはパウロ六世によって1970年に公布されたローマ・ミサ典書を使用することができる。その挙行に当たっては、どちらのミサ典書を用いるにせよ、司祭は使徒座からも教区長からも許可を得る必要はない。

第三条
 聖座または教区の管轄下にある、奉献生活の修道会および使徒的生活の修道会における共同体が、彼らの固有の聖堂で、修道会ないし共同体の祭儀のために1962年に公布されたローマ・ミサ典書の規範版に従ってミサを献げることを望むなら、そのようにすることができる。個々の共同体または修道会ないし団体の全体が、その祭式を頻繁に、継続的に、もしくは永続的に挙行することを望むのであれば、その決定は、法に従いまた彼ら独自の会憲ないし会則に従い、長上らによってなされる。

第四条
 第二条で言及されたミサの祭儀には、――法のすべての規定に従って――自分の意志によって参加を求める場合、信者が参加することができる。

第五条
第一項 小教区 (paroecia) において、従来の典礼の伝統を支持する信者の集団がある場合には、彼らの主任司祭 (parochus) は1962年に出版されたローマ・ミサ典書の典礼様式に従ったミサを献げるという彼らの要求を喜んで受け入れるべきである。彼は、教会法392条に則り司教の指導の下で、不一致を避け全教会の統一性を堅持して、そのような信者の福祉が小教区における通常の司牧的配慮とも調和するということに注意するべきである。

第二項 福者ヨハネ二十三世のミサ典書に従う祭儀は、平日に挙行することができる。主日および祝日においても、そのような祭儀を一回挙行することができる。

第三項 信者や司祭が要求すれば、主任司祭は、婚姻、葬儀、または巡礼など種々の機会の特別な祭儀のために、この特別形式の祭儀を許可すべきである。

第四項 福者ヨハネ二十三世のミサ典書を使用する司祭は、ふさわしくなければならないし、法的に障害があってはならない。

第五項 小教区もしくは修道会に属さない教会においては、上述の許可を与えるのは教会管理司祭 (Rector ecclesiae) の務めである。


第六条
 会衆が参加するミサ(Missa cum populo)が福者ヨハネ二十三世のミサ典書に従って献げられる場合、使徒座の認可を得た翻訳を用いて、聖書朗読を各国語で行うことができる。

第七条
 第五条 第一項で言及された信者の集団が、司牧者に要求を満たしてもらえない場合、かれらは教区司教に通報すべきである。司教は、彼らの願いを実現するよう強く求められている。もし彼がそのような祭儀の挙行を手配することができないのであれば、その問題は教皇庁立「エクレジア・デイ」委員会へ委託されるべきである。

第八条 司教が、そのような要求を満たしたいと望みながら、様々な理由によって不可能である場合、助言と援助を得るために問題を「エクレジア・デイ」委員会へ委託することができる。

第九条
第一項 主任司祭は、あらゆる側面を慎重に検討し、霊魂の善のために必要と思われるのであれば、洗礼、婚姻、改悛、病者の塗油の秘跡の執行に際して以前の典礼を用いる許可を与えることができる。

第二項 霊魂の善のために必要と思われるのであれば、教区長には、以前のローマ司教儀式書を用いて堅振の秘跡を授ける権限が与えられている。

第三項 上級品級を受けた聖職者は福者ヨハネ二十三世によって1962年に公布されたローマ聖務日課書を用いることができる。


第十条 教区長(Ordinarius loci)は適切と思われる場合、教会法518条に則って、ローマ典礼の古来の形式に従う属人小教区を設立することができる、あるいは法のすべての規定を遵守して、聖堂付司祭を任命することができる。

第十一条 
 ヨハネ・パウロ二世によって1988年に設立された「エクレジア・デイ」(5) 委員会は、自分の権能を遂行し続ける。同委員会はローマ教皇がそれに帰属させることを望む形と職務と運営規定を持つ。

第十二条
 同「エクレジア・デイ」委員会は、現在享受している権能の他に、上記の遵守と適応を監督する聖座の権威を行使する。


 この自発的に与える使徒書簡によって私が決定したことは全て、これに反するいかなる以前の規定にもかかわらず、今年の9月14日、聖十字架称揚の祝日から適用され制裁されると命ずる。

ローマ、聖ペトロのかたわらにて
2007年7月7日、
私の教皇職第三年に

教皇ベネディクト十六世

(1) 2002年第三版ローマ・ミサ典書総則 397番
(2) ヨハネ・パウロ二世、1988年12月4日の使徒書簡 "Vicesimus quintus annus," : AAS 81 (1989), 899.
(3) 同上
(4) 聖ピオ十世、1913年10月23日の自発使徒書簡 "Abhinc duos annos," : AAS 5 (1913), 449-450; ヨハネ・パウロ二世使徒書簡 "Vicesimus quintus annus," 3 番: AAS 81 (1989), 899. 参照
(5) ヨハネ・パウロ二世、1988年7月2日の自発使徒書簡 "Ecclesia Dei," : AAS 80 (1988), 1498. 参照

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LITTERAE APOSTOLICAE
MOTU PROPRIO DATAE
BENEDICTUS XVI
SUMMORUM PONTIFICUM



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トレント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
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