Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え! 聖ヨゼフの特別聖年(2020年12月8日〜2021年12月8日)

2022年6月26日のカトリック聖伝のミサの予定 Traditional Latin Mass Schedule on Sunday, June 26, 2022, SSPX Japan

2022年06月26日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(これは「トリエント・ミサ」「ラテン語ミサ」とも言われています)にご招待します。

2022年6月26日(主日)前後のミサの予定をお知らせいたします。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

06月24日(金) 18:00 ミサ聖祭
06月25日(土) 10:30 ミサ聖祭
06月26日(日) 09:45 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

【東京】 「聖ピオ十世会 聖なる日本の殉教者巡回聖堂」 東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図

06月26日(日)主日ミサが3回捧げられます。
午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。二階です。
09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live
https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ
それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。二階の告解の部屋に司祭は待機しております。
【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

【「暁の星の聖母」修道院】
修道院では平日(月曜から金曜まで)は毎朝7時15分から聖伝のミサを捧げています。
土曜日は原則的に修道院で午前11時からミサが捧げられます。

修道院では7月4日の7時15分のミサで毎月一回捧げられる「亡くなった会員と恩人の方々のための追悼ミサ(Monthly Requiem Mass for the members and benefactors)」を行います。毎月一回、7月4日、8月1日、9月1日、10月5日、11月3日、12月1日に、追悼ミサを捧げます。

【名古屋】

名古屋においても毎月最終主日に、聖伝の典礼を信徒の皆様に体験していただくためにも愛する兄弟姉妹の皆様を全てご招待いたします。

場所:愛知県名古屋市中村区名駅南1-3-14 石原ビル6階
日時:6月26日(日) 16:30 ロザリオ及び告解  17:30(午後5時半) ミサ聖祭
場所は松屋の入っているビルの6階です。
OGPイメージ

松屋 納屋橋店 · 〒450-0003 愛知県名古屋市中村区名駅南1丁目3−14 石原ビル 1F

★★★★☆ · 牛丼屋

松屋 納屋橋店 · 〒450-0003 愛知県名古屋市中村区名駅南1丁目3−14 石原ビル 1F

Google マップ ★★★★☆ · 牛丼屋

恒例のマーチフォーライフの集いは、

東京では2022年7月18日(いつも通りの「うみの日」)に行います。大阪では7月3日(主日)です。

Ave Maria Immaculata!
My dearest Brethren!
I would like to reconfirm the Mass schedule for Sunday, June 26, 2022.

*****Mass times in Tokyo:*****
June 12th (Sunday) : three Masses.
09:00 - Sung mass Facebook live
https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
It would help us maintain proper social distancing if you consider spreading your mass attendance among the three masses.
Mass location:
"Holy Japanese Martyrs' Mass Center"
Akebonocho Jido-kaikan
1-12-5 Honkomagome, Bunkyo-ku, Tokyo
Map: http://g.co/maps/nxeh5

*****Mass schedule in OSAKA:*****
Fri, June 24 : Holy Sacrifice of the Mass at 18:00
Sat, June 25 : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30
Sun, June 26 : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

*****Holy Masses at Stella Matutina Priory*****
On weekdays (Monday to Friday), holy Masses are offered at 7:15 am at the Priory.
On Saturdays, normally the Mass will be offered at the priory from 11am.

July 4th, we will offer a Montly Requiem Mass for the members and benefactors. The dates of Requiem Mass will be July 4th, Aug 1st, Sept 1st, Oct 5th, Nov 3rd, and Dec 1st.

*****Mass schedule in NAGOYA: [Last Sunday of the month] *****
Sun, June 26th : Holy Sacrifice of the Mass at 17:30

松屋 納屋橋店 · 〒450-0003 愛知県名古屋市中村区名駅南1丁目3−14 石原ビル 1F

★★★★☆ · 牛丼屋

松屋 納屋橋店 · 〒450-0003 愛知県名古屋市中村区名駅南1丁目3−14 石原ビル 1F

Let us make the March for Life

on July 18th, public holiday, in Tokyo (4 pm); on Sunday July 3rd in Osaka (3 pm).

Let us walk with Our Lady of Fatima for life!








ルフェーブル大司教が1989年11月19日、叙階60周年の記念にパリ近郊ル・ブルジェで行った説教

2022年06月24日 | お説教・霊的講話

ルフェーブル大司教が1989年11月19日、叙階60周年の記念にパリ近郊ル・ブルジェで行った説教

秘密結社の目標は世界政府であって、それは、人間の権利、平等、兄弟愛、自由といったメーソンの理想を、反キリスト教的な意味で理解し、私たちの主に反対するものだということです。これらの理想は、世界政府によって推進され、すべての国に対して一種の社会主義を確立し、次に、ロシア正教がソビエトに奉仕しているように、カトリックの宗教を含むすべての宗教を包含する宗教会議が、この世界政府に奉仕するようになるのです。二つの会議ができるでしょう。それは、全世界を支配する普遍的な政治会議と、この世界政府を傭い人のように支援する宗教会議です。

Sermon given by Archbishop Lefebvre at Paris, Le Bourget, on the occasion of the celebration of his 60th anniversary of ordination, November 19th, 1989.

司教様方、親愛なる同僚の皆さん、親愛なる神学生の皆さん、親愛なる兄弟の皆さん。

この叙階60周年の記念式典に、これほど多くの皆さんが集まってくださったことに、深い感慨を覚えずにはいられません。皆さんの多くは、困難な旅をして来られました。中には、遠く離れた別の大陸から来た方もおられます。しかし、この式典はその努力に値するものであったと思います。

実際、私たちはなぜ、ここに集まったのでしょうか? それは、カトリックの司祭職を尊ぶためです。それこそが、今日、皆さんがここに集まった深い動機だと思います。

【天主に感謝しよう】

至聖なる三位一体に、そして永遠の司祭職を制定してくださった、人となられた私たちの主イエズス・キリストに、私たちはいくら感謝してもしきれません。そうです、私たちの主は本質的に仲介者、司祭です。私たちのために司祭となられ、御父に聖なる犠牲を捧げられたのは主なのです。天主の知恵において、主は、主によって選ばれた幾人かの人々に、主の司祭職を分け与えることを望まれました。天主の愛、私たちに対する天主の愛の何という偉大な神秘でしょうか。私たちは司祭職という大きな恩寵を受けるのに、いかにふさわしくない存在であると感じていることでしょうか。天主は祝されんことを! 私たちの主イエズス・キリストは祝されんことを! 童貞マリアも祝されんことを! なぜなら、マリアがおられなければ、私たちは、大司祭と、分け与えていただいた彼の司祭職を持つことはなかったからです。司祭の母、司祭職の母であるマリア、そうです、聖母は実際に私たちの母、特に私たち司祭にとっての母です。この60年の司祭の年月、この42年の司教職、その間、私がいただくにふさわしくない天主の聖なる恩寵により、私が司教聖別と多くの司祭叙階を授けることができたことのために、天主がかたじけなくも私に授けられた司祭職のために、主は感謝され、祝されますように。――私は毎日、ミサの聖なる犠牲を捧げることができ、秘跡、特にご聖体の秘跡を通して、霊魂たちに私たちの主イエズス・キリストご自身を与えることができたのです。何と多くの恩寵でしょうか! 何と多くの賜物でしょうか!

親愛なる兄弟の皆さん、私は、この感謝の歌に、この状況に最もふさわしいと思われる、司祭が毎日唱えている奉献の祈りの言葉の翻訳を付け加えたいと思います。

「聖なる父、全能永遠の天主、我は卑しき僕(しもべ)なれども、願わくは活ける真(まこと)の天主に捧ぐるこの汚れなき犠牲(いけにえ)を受け納れ給え。今これを我が無数の罪と主に対する侮辱(はずかしめ)と怠慢(おこたり)とのため、すべてここに集まれる人々のため、またすべてのキリストの信者、生ける者と死せる者と、我と彼らとの救霊(たすかり)のため、永遠(とこしえ)の生命に至らんために主に捧げ奉る、アーメン」。

これは、奉納の祈りであり、司祭が毎日祭壇で唱えるものです。何という壮大な祈りでしょうか! この司祭職の崇高な神秘を前にして、私たちは自分がいかにそれに値しない者であるか、いかにあわれな者であるかを感じないわけにはいきません。

【多くの聖なる司祭を準備し、見分け、教える】

親愛なる司祭職の同僚の皆さん、特に将来の司祭の養成を担当している皆さんに申し上げます。私たちのために、深い信仰、聖性へのあこがれ、宣教師になりたいという願いをもった多くの司祭、多くの聖なる司祭、多くのカトリック司祭を準備してください。これこそ、皆さんがしてくださっていることであり、真のカトリック司祭、真のもう一人のキリストを持つ必要性をよく理解しているすべての信者の名において、皆さんに感謝申し上げます。

司牧の場におられる親愛なる同僚の皆さん、私は、皆さんにも目を向けます。皆さんの周りの若者の心の中にある召命の芽を見分けること、また、修道生活への召命を見分けることは、皆さんの義務です。ですから、天主は皆さんに、司祭となるために、あるいは、修道生活を通して天主の司祭職に別の形で参加するために、天主はご自身のために選ばれた霊魂たちに気を配り、世話をする恩寵をお与えになっておられます。

そして、カトリックの親御(おやご)さんである親愛なる兄弟の皆さん、皆さんは司祭や修道者の召命が形成される聖域です。皆さんがおられなかったら、私たちはどうすればいいのでしょうか? 司祭、修道士、修道女の召命がどこで見つかるというのでしょうか? ですから、私は皆さんにお願い申し上げます、この聖域を世の腐敗と悪の影響から遠ざけておいてください。皆さんの家庭に世俗の精神が入り込まないようにしてください。教区や教会の真の延長線上にあるものにしてください。子どもたちには、生涯にわたって、霊魂を汚すようなものでなく、健全なイメージだけを見させましょう。彼らの心を堕落させるものを目に入れないようにしてください。そうすれば、天主さまが皆さんの家庭からエリートの霊魂を選び出されるでしょう。家庭における司祭召命ほど、修道院や修道院への召命ほど、美しいものはないのです。家庭全体が、兄弟姉妹が、どれほどの保護を受けていることでしょうか! これを確信してください。

ですから、この聖なるミサの間、私たちは共に祈りましょう。善き召命に対する、カトリック司祭職に対する、この世や地獄の攻撃にもかかわらず、天主さまがカトリック司祭職を継続させられますように。司祭のいない教会はどうなるのでしょうか? 現代の教会では、まもなく司祭のいない集会祭儀だけが行われるようになるでしょう。そのような集会とはいかなるものになるのでしょうか? それはもはや、祭壇の上で再現される主の犠牲ではありません。それに皆さんはそれにあずかり、私たちはそれにあずかるのでしょうか。違います、カトリック教会は、そのような集会のための教会ではありません。カトリック教会はカトリック司祭の教会です。カトリック司祭がいなければ、もはやカトリック教会は存在しません。

【カトリック司祭を得るためには、カトリック司教が必要である】

そして、カトリック司教がいなければ、カトリック司祭は存在できません。ローマとの話し合いの結果、ご存じのように、一人の司教を作ることはできました。しかし、その司教はどのようなものだったでしょうか? 彼らは、司教が「バチカンが望む中身」を持っていることを要求したのです。それはどういう意味でしょうか? それは、公会議の精神、第二バチカン公会議の精神を持っていることです。天主の精神ではない精神、カトリックの精神ではない精神、そのような精神から自分たちを守るためにこそ、私たちはこの愛する四人のカトリック司教をつくり、次の世代の神学生たちにカトリックの司祭職を伝えることにしたのです。このようにして、皆さんや子どもたちに真のカトリック信仰を教え、真の秘跡と真のミサの聖なる犠牲によって恩寵を伝える司祭が存在し続けることが、皆さんには保証されているのです。

【悪の根源:キリスト教一致推進事務局】

親愛なる兄弟の皆さん、私は、教会内の現状についても少しお話ししたいと思います。

もし誰かが私に、「しかし、教皇ピオ十二世までちゃんとしていたカトリック教会が、一体どうしてリベラルな近代主義の教会になってしまったのでしょうか?」とお尋ねになるなら、私はこうお答えするでしょう。あなたは公会議の歴史を十分に知っておられるし、十分に説明を受けてこられたし、私たちカトリックの心にとってとても悲しい、この悲しいテーマに関する多くの本を読んでこられたはずです。私たちは、過去からの逸脱、聖伝からの逸脱、公会議以前の諸教皇からの逸脱を感じていたのです。

公会議の歴史を特徴づける多くの事実のうち、私は次の事実を強調したいと思います。教会の方向性の間違いへと天秤を傾けたもの、教会を活気づける精神がリベラルな精神に完全に方向転換するように重石(おもし)を置いて傾けたもの、公会議の前、間、後に重要視されたものは、キリスト教一致推進事務局【訳注:現在はキリスト教一致推進評議会】です。

最近、非常に有益な3冊の本が出版されました。
◇モンシニョール・ブニーニの伝記、これは膨大な自伝で、彼の死後に出版されました。
◇ベア枢機卿に関する本、これも膨大な本で、公会議の前、間、後に彼が及ぼしたすべての影響を教えています。
◇そして最後は、ヴィヨ枢機卿の伝記、これは公会議中とその後の彼の方向性と、彼が行使した影響力を教えています。

これらすべてのことが教えているのは、教会の精神を変え、「アジョルナメント」(aggiornamento)、つまり、教会の現代化を行い、信仰を共にしないすべての人々にその扉を開き、彼らと私たちの間に違いはないという印象を彼らに与えようとする明確で確固たる意志があったことです。これは、教会の立場の根本的な変化です。

公会議以前は、――個人的にも私は実際にこの経験しました――私たちは海外の宣教に派遣されていました。私は30年間をアフリカで過ごしました。ここにいるガボン出身の信者の方がそれについて証言できます――30年もの間、何のために過ごしたのでしょうか? 洗礼によって霊魂たちをカトリック教会に回心させるためです。聖ペトロはエルザレムで最初の説教をした後、何をしましたか? 4000人に洗礼を授けました。聖ペトロは知っていたのです。洗礼によって自分が教会を教化するということを、また今後、教会に入りたい人、救いの道に入りたい人、私たちの主イエズス・キリストに従って救いの天主の贖いの御血にあずかりたい人はすべて、カトリック教会で洗礼を受けなければならないということを。これが、20世紀を通じて教会が行ったことなのです。

ところが、突然、私たちはこう言われました。「だめです! 皆さんは今、対話すべきです。回心させてはいけません。皆さんは、すべての人の意見を尊重しなければなりません。彼らが間違っているという印象を与えてはなりません」。

しかし、それでは、教会の使命はどこにあるというのでしょうか?

この根本的な変化は、まさにキリスト教一致推進事務局のメンバーであった人々のグループによる圧力によってもたらされました。

実際、少し考えてみましょう。なぜキリスト教一致推進事務局があるのでしょうか? まだ信仰を持っていないすべての人々に信仰をもたらすことを担当するのは、すでにプロパガンダ聖省(Congregation of the Propaganda)、すなわち布教聖省(Congregation of the propagation of Faith)ではなかったでしょうか?【訳注:当時はすでに福音宣教象省に名称を変更されていた】異教徒、精霊信仰者(animist)、無神論者、仏教徒、イスラム教徒、プロテスタントといったすべての霊魂を回心させるために世界中に宣教師を送り込んだのは、この布教聖省だったのです。布教聖省は、カトリックの洗礼によって、これらのさまよえる霊魂を教会に連れてくるために、宣教師を送ることを担当していたのです。

では、なぜ、布教聖省のほかに、あらゆる偽りの宗教や偽りのイデオロギーと「友好的」に接触するだけの新しい省を設立するのでしょうか? 教会は今、まさにこのことで苦しんでいるのです。もちろん、教会が死ぬことはあり得ません。皆さんは、教会が継続し続けることの証人であってまた執行人であり、皆さんが教会であり、皆さんが維持する信仰を通して、また皆さんが継続する教会の聖性を通して、教会を継続させています。そうでなければ、私たちの聖なる教会はどこへ行こうとしているのだろうと、私たちは疑問に思うことでしょう!

ベア枢機卿は、公会議の前に、全世界を回り、司教らを集め、彼らに公会議をエキュメニズム的な(ecumenistic)会議にするように頼みました。私は、エキュメニカル(ecumenical)とは言いません。公会議は常にエキュメニカルな会議と言われています。エキュメニズム的とは、つまり、すべての宗教の間に絆を作るということです。

これは不可能なことです。これは、私たちの主イエズス・キリストの神性に反しています。これが、この「事務局」が教皇の支持と励ましを受ける限り、ローマと同じ道を進むことが不可能である理由です。現状では、この事務局のメンバーは、教会と私たちの主イエズス・キリストの社会的統治を破壊する行動を続けることが可能なのです。

ウィレブランズ枢機卿の名前は、十分よく知られています。彼は、教会の教理、教会の信仰の責任者は他には誰もいないかのように、どこにでも行き、誰とでも接触するのがまさに彼の役目であるという事実を自覚しているということで有名です。

デ・スメット司教は、キリスト教一致推進事務局の次官として、公会議で信教の自由に関する草案を擁護した人物です。モンシニョール・ブニーニはキリスト教一致推進事務局のメンバーでした。彼は聖なるミサおよび秘跡の典礼を破壊し、新しい典礼に置き換えた人であり、典礼の進化の終わりがどこに導かれるかを誰か知っている者がいるでしょうか? その典礼は常に変化しています。

このような状況に直面すると、間違いなく、私たちはローマと定期的に連絡を取ることができません。なぜなら、これまでローマは、聖なるミサや典礼、神学校のための特別許可など、いかなる譲歩のためにも、公会議とその結果の受け入れを明確に含む新しい信仰告白―昨年2月にラッツィンガー枢機卿が作成した―に署名しなければならないと要求してきたからです。

私たちは、自分たちが何を望んでいるのかを知らなければなりません 聖なるミサを破壊し、 信仰やカテキズム、市民社会における私たちの主イエズス・キリストの社会的統治を破壊したのは、公会議です。それなのに、どうして私たちは公会議を受け入れることができるでしょうか?

【私たちはカトリックの信仰を守り、擁護しなければならない!】

このような状況に直面したとき、親愛なる兄弟の皆さん、私たちには何ができるでしょうか? 私たちはカトリックの信仰を守り、あらゆる手段でカトリック信仰を擁護しなければならないのです!

奥のテーブルにはたくさんの本が並んでいますが、その中には、私たちが苦しんでいる危機について見識を深め、信仰を守るために役立つ本がたくさんあります。

二冊の新しい本が出版されたばかりです。マルジアック神父の本とギユー神父の本です。特にギユー神父の本は、ミサのローマ典文、また、全時代の典礼の典文と新しい典礼の典文の違いを取り扱っています。これは非常に貴重で、非常に勉強になる本です。

聖ピオ十世会はまた、今世紀初頭のレデンプトール会士であるフィリップ神父様の「諸国民の王たるイエズス・キリスト」などの非常に興味深い本を再版しています。彼はこの素晴らしい小著をカテキズムとして書きました。この本は、諸教皇の回勅からの引用でいっぱいで、これが私たちの祖先の信仰、公会議以前の諸教皇の信仰である、と示しています。これは現在教会で教えられていることとは相容れません。つまり、国家や市民社会は宗教を持たないとする世俗化とは相容れません。彼らはこう言います。「これは許されない。主イエズスはもはや社会の上に君臨することはできない。イエズスはもはや社会の上に立つ者ではない」と。主は、創造主ではないのでしょうか? 主にはもはや統治する権利がないのでしょうか?

良い読書によって皆さんの信仰を守って、養ってください。私は、天主の恩寵によって、信者がカトリックの信仰を守るのを助ける必要性を理解していた熱心で知的な霊魂たちによってなされた、すべての出版物、すべての雑誌、などのすべてを引用することはできません。しかし、皆さんはそれらを知っています。皆さんが許してくださるなら、司教の聖別について確固たる立場を保った「モンド・エ・ヴィ」(Monde et Vie)を一つだけ引用しましょう。また、「ラジオ・クルトワジー」(Radio-Courtoisie)を通して、私たちのメッセージ、聖伝のメッセージを伝えることができると思います。これらは貴重な手段であり、「フィデリテール」(Fideliter)やシレ・アン・モントルイユ(Chiré-en-Montreuil)、またベルギーの「ディスマス」(Dismas)などの出版社には言及するまでもありません。すべての名前を挙げることはできません。しかし、私たちがカトリック信者であり続けるのを助けてくれる、この祝福された数多くの手段から利益を得なければなりません。

さらに、私たちは信仰を擁護するだけでなく、信仰を告白しなければなりません。以下に、聖ピオ十世の近代主義の誤謬に反対する誓いの終わりの部分があります。私たちがこの言葉をしばしば繰り返すことができますように。

「我は、使徒達に由来せし司教座の継承の内にあり、今もあり、また未来においても常にあり続くべき真理の確実なる徳能(カリスマ)に関する教父らの信仰を最も堅く守り、これを最後の息まで堅く守り抜かん。そは各時代の文化により良く似つかわしく見ゆる事が信ぜらるる為にあらず、むしろ初めより使徒達によりて説かれし不変の真理が、別様に信ぜられ或いは別様に理解さるる事決してあらざらんが為なり」。

参考:https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/b6f192b820013624a4b6733b4d21f19e

これは、聖ピオ十世が、全時代の信仰、使徒の信仰を守るために、福音書に手を置いて誓うようにすべての司祭に要求した誓いです。私たちには、他の信仰はありません。これが、私たちが告白する信仰です。この信仰は、皆さんが小さなカテキズムの中で告白し、皆さんの子どもたちに伝えているものです。これらの古いカテキズムを大切に守ってください。

もしある家族が遠くに住んでいて、私たちの司祭の世話になることができない場合は、彼らに、サン・ミシェル・アン・ブレンヌのシスターたちに手紙を書くように勧めてください。彼女たちは通信教育でカテキズムの授業を行い、それによって家族に真のカテキズムを教えることができるのです。彼女たちは現在、800人の登録者を抱えています。私は、司祭から遠く離れている人々が信仰を守り続けるのを助けるために、登録者がもっともっと多くなることを望んでいます。

最後に、私たちは天主の恩寵である聖性を守るべきであり、イエズス・キリストなしにはこれを行うことはできません。実際、私たちが天主の恩寵を受けるのは、主の犠牲を通して、主の十字架を通して、主の御血の分けていただくことを通してです。これを、私たちは、すべての秘跡、特にご聖体において受けるのです。ですから、全時代のミサに忠実でありましょう。そうすれば、私たちは天主の恩寵を心に保ち、私たちの霊魂は変容し、天主さまにお会いする用意が、永遠の命への用意ができるのです。

【国際情勢】

さて,国際情勢について少しお話ししてもよろしいでしょうか? そこに黙想の材料があり、私たちが今生きている出来事から、まさに黙示録的な性格を持つ出来事から、引き出される一つの結論があるように思います。

皆さんは、起こっていることをご存じです。偽りの宗教による[ヨーロッパ]侵略です。特にイスラム教です。フランスだけでなく、英国、ベルギー、ドイツでも、私たちを脅かしています。2年前、10万人のトルコ人がミュンヘンの街路を行進し、ドイツとキリスト教に反対するスローガンを叫びました。これらの事実は、一つの警告です。もし私たちの政府が何の注意も払わず、キリスト教世界がイスラム教徒によって侵略されるままにしておくならば、これは予想できることです。聖ピオ五世をはじめとする諸教皇が、イスラムの大津波を食い止めようとしたのは、理由がないわけではありませんでした。そうしていなければ、キリスト教世界はすでに消えてしまっていたことでしょう。

もう一つの注目すべき出来事があります。これらの運動を、私たちは認識しなければなりませんが、必ずしも完全には理解していません。鉄のカーテンの向こう側にあり、そして今、鉄のカーテンを通ってやって来る、例外的な運動です。これらの運動に際し、私たちは、教皇ピオ九世が発表したメーソンの計画を忘れてはなりません。100年以上前、この計画は、メーソンの思想を押し付ける世界政府について述べていました。この計画は、教皇ピオ九世の命令に基づき、ジャック・クレティノー=ジョリー(Jacques Crétineau-Joly)によって公にされました。

至聖なる童貞マリアの予言も忘れてはなりません。聖母は、「ロシアの回心がなければ、この世の回心がなければ、祈りと償いがなければ、共産主義は全世界を侵略するでしょう」と警告なさいました。これはどういう意味でしょうか? 

秘密結社の目標は、メーソンの理想による世界政府であるということを私たちはよく承知しています。メーソンの理想とは、人間の権利、平等、兄弟愛、自由を、反キリスト教的な意味で、私たちの主に反対して理解することです。これらの理想は、世界政府によって推進されるでしょう。世界政府は、すべての国々に一種の社会主義を確立し、次に、宗教会議を作るでしょう。この宗教会議は、カトリックの宗教を含むすべての宗教を包含し、ちょうどロシア正教がソビエトに奉仕しているように、この世界政府に奉仕するために創立されます。こうして二つの会議ができるでしょう。全世界を支配するような全世界の政治会議と、この世界政府を傭い人のように支援する宗教会議との二つです。

これらのことは私たちを威嚇しています。私たちは覚悟を決めなければなりません。このような事態に直面して、私たちは何をすべきなのでしょうか?

教皇レオ十三世はフリーメーソンに関する回勅の中で、次のように述べました。「彼らは全てのキリスト教の組織を完全に破壊することを望んでいる。これが彼らの目標である」と。彼らは目論見にますます近づいています!

ですから私たちは、私たちは再び建て直さなければなりません! この破壊に反対して立ち上がらなければなりません。これこそ皆さんがなさっていることです。

ですから、私は皆さんに祝福の言葉を申し上げます。私は皆さんを十分に称賛することはできません。天主、私たちの主、聖母が皆さんにお伝えになりたいことを、私は確信をもって申し上げます。「続けなさい、皆さんがしていることを続けなさい」と。

あらゆるところで、学校や、修道院が生まれ続けています。多くの国々で、小教区が増え続けています。あらゆるところで、聖伝のための教会が入手されています。私たちは、消えつつあるこのキリスト教世界に、もう一度、私たちの主イエズス・キリストの社会的統治を打ち立てなければなりません。

皆さんはこう言われるでしょう。「しかし、大司教さま、これはダヴィドのゴリアトに対する戦いです!」と。そうです、確かに私は承知しています。しかし、ゴリアトとの戦いで、ダヴィドは勝利を収めました! どのようにして勝利を得たのでしょうか? 小川から取った小石によってです。私たちが持っているこの小石は何でしょうか? イエズス・キリストです! 私たちの主イエズス・キリストです! 

私たちは、[フランス革命時代の]ヴァンデの先祖たちとともに、こう言いましょう。

「イエズス・キリストの名誉でなければ、私たちにはいかなるものも名誉ではない。イエズス・キリストを[罪を犯して]侮辱することでなければ、私たちにはこの世に恐れなど何もない!」と。彼らはこれを歌いながら、自分たちの天主を守るために死地に赴いたのです! 私たちも、勇気をもって、心の底から歌いましょう。

「私たちの主イエズス・キリストを愛するのでなければ、私たちにはそれ以外の愛はない、主を侮辱こと以外、私たちには恐れなど全くない!」と。

この戦いにおいて、私たちを助けてくださるよう、至聖なる童貞聖マリアに祈りましょう。この目的のために、この聖なるミサの後、私たち、ここにいる五人の司教は集まり、聖母の汚れなき御心への世界とロシアとの奉献を更新します。

いつも戦いの中心におられる私たちの良き母である至聖なる童貞が、私たちを励ましてくださっていることを、私たちは確信しています。聖母は、私たちが恐れずに戦うよう求めるために地上に来られたのです。聖母は私たちとともにおられるのですから。

私たちの家族、私たち自身、私たちの町、私たちの国、私たちの故郷を、聖母マリアの汚れなき御心に奉献することで、聖母が私たちを助けるために来てくださること、また、聖母が、なんとかして私たちを、ご自身とともに、いつの日か永遠の命に到達させてくださることを、私たちは確信しています。

父と子と聖霊の御名によりて。アーメン。

Sermon de Mgr Lefebvre - Jubilé sacerdotal - 60 ans - 19 novembre 1989 • La Porte Latine

1989年11月19日パリでの叙階60周年奉祝ミサでルフェーブル大司教様が行われた説教 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

1989年11月19日パリでの叙階60周年奉祝ミサでルフェーブル大司教様が行われた説教(2) - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

 


【ジェイソン・モーガン准教授の記事】世界戦争の最前線で:カトリックのプロライフ活動家ウィル・グッドマンとのインタビュー

2022年06月22日 | プロライフ

世界戦争の最前線で:カトリックのプロライフ活動家ウィル・グッドマンとのインタビュー

もし普通の米国人が「中絶」という言葉の裏にある残酷な現実を見ることを許されたなら、彼らは憤慨し、この暴力を絶対に終わらせることを要求することでしょう! この厳しい真実は、正直で、誠実で、善意のあるすべての人を完全な中絶廃止論者にするでしょう。

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2022年6月8日(水曜日)

On the Front Lines of the Global War: An Interview with Catholic Pro-Lifer Will Goodman

ジェイソン・モーガン(レムナント東京特派員)

私の友人ウィル・グッドマンの名前が、3月下旬のニュースで取り上げられました。グッドマンは、3月30日(水)に首都ワシントンで起訴された9人のうちの1人です。2020年10月22日に行われたプロライフ救出作戦の際に、「クリニック入り口へのアクセスの自由」(FACE)法に違反したとされたのです。ウィルと仲間はその日、悪名高い首都ワシントン外科クリニックに入り、そこにいる中絶医のチェーザレ・サンタンジェロ医師が、お金のために子どもたちをバラバラにするという日常的で陰惨な仕事を遂行するのを止めようとしたのです。

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通常、ウィルのようなプロライフ活動家が逮捕されると、たとえ連邦犯罪容疑であっても、ニュースとして取り上げられ、その後、一般市民の関心はすぐに他のことに移ってしまうものです。しかし、今回は、多くの米国人がその報道にくぎ付けになりました。その理由は、今年3月末のその起訴が、ウィルとともに連邦犯罪に問われた9人のうちの1人、ローレン・ハンディのニュースと重なったからです。ハンディと他の人々は、首都ワシントンにある同じワシントン外科クリニックから115人の中絶された子どもの遺骨を回収し、首都ワシントンの当局にこの事件を報告していたのです。その子どものうちの5人は、明らかに後期中絶であり、出産後の嬰児殺しの可能性がありました。

私はウィルに連絡を取り、彼がこの事件について何か知っているのか、また彼の起訴や彼が関わっている国中の他の事件についての彼の考えを聞きました。ウィルはフルタイムのプロライフ活動家です。つまり、ウィルが「米国のホロコースト」と呼ぶ、胎児とその母親に対する「世界戦争」から女性とその子どもを救い出すために、キャリアと物質的な快適さを放棄しているのです。以下のインタビューは4月に「Human Life Review」に掲載されたものですが、ウィル・グッドマンは「レムナント」の読者に、プロライフ活動家の仕事と、死の文化に支配された政府と社会というねじれた現実についての一つの内幕を提供してくれています。

カトリックのプロライフ活動家ウィル・グッドマンとのインタビュー

【問い(ジェイソン・モーガン)】明らかにできる情報の範囲で、首都ワシントン地区での人間の遺体の発見と丁重な埋葬について教えてください。

【ウィル・グッドマン】私はこの直近の救助と埋葬に立ち会っていません。しかし、以前には、そのような任務に携わったことがあります。その中には、殺された赤ん坊の遺体を入手するために生物災害の恐れのある廃棄物の処理業者を買収して、中絶クリニックの外のゴミ箱から小さな殺人被害者を見つけましたことがあります。また、体外受精の研究室や、出生前殺人によって殺された小さな子どもたちの死体を利用している大学の研究施設で、こういう殺された人間を埋葬するための交渉に従事したこともあります。

これは困難で、しばしば秘密裏に行われる仕事です。通常、大きな勇気とともに、コンタクトを取った死の文化に参加する従業員の側に対する信頼が必要であり、彼らが進んでプロライフ活動家と協力してくれなければなりません。したがって、このような任務は、多くの忍耐と我慢強さを必要とする一方で、多くの失敗と心痛を生み出しがちな、非常にもどかしい取り組みです。それでも、気にかけている人々にとっては、あわれみ深い目標はどんな犠牲をも払う価値があることは明らかです。

私は、この分野でのモニカ・ミラー博士シスター・メアリー・ラングの先駆的な仕事を大いに賞賛していますし、首都ワシントンでチェーザレ・サンタンジェロによる115人のあわれな犠牲者の遺体を救い出すのを手伝った私の友人ローレン・ハンディの勇気と献身にも、もちろん感謝しています。

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【問い】子どもたちの切断された遺体がどこにあるか、どうやって知ったのですか? また、彼らが苦しんだ恐怖の後、どうやって彼らを人間にふさわしく取り扱うことができたのでしょうか?

【グッドマン】殺人カルテルの施設で長い時間を過ごすプロライフの擁護者と調査員は、お金のためにこれらの残忍な犯罪についての身体の証拠を持ち去って破壊する契約組織のスケジュールを発見します。時折、中絶産業内部やその契約仲間から内部告発者が現れ、被害者の遺体を密かに入手するために必要な情報を教えてくれることがあります。しかし、これは非常にまれなことです。大型ゴミ容器や放棄されたトラックヤード(荷物の積み降ろしの場所)が、遺体を発見する典型的な場所となっています。

母親の胎内で殺され、ゴミ箱に捨てられたこれらの小さな子どもたちは、それぞれが全能の天主の似姿として創造された唯一無二で二度と現れない人間なのです。

【問い】主流メディアは、何が起こったのか真実を伝えてきたのでしょうか?

【グッドマン】1965年にレナルト・ニルソンが有名な「ライフ」誌に掲載した胚・胎児期の人間の有名な写真以来、中絶産業と政治、メディア、大学などの彼らの同盟者は、胎内の人間の生命についての真実を隠蔽したり、分かりにくくしたりしてきました。聖ヨハネ・パウロ二世は、その記念碑的な回勅「いのちの福音」(Evangelium Vitae)の中で、この組織的な計画を、「沈黙」によって強制される「生命に対する陰謀」、つまり中絶の犠牲となった生まれる前の子どもとその母親に対する陰謀と呼んでいます。

ありがたいことに、良きカトリック、キリスト教、プロライフのメディアサイトは、事実を徹底的に調査し、チェーザレ・サンタンジェロの恐怖のワシントン中絶施設から救出された115人の犠牲者についての真実を共有するために、「適用かつ相当な調査」(due diligence)を行ってくれました。

【問い】子どもたちの写真を見て、私は胸苦しくなりました。もし可能なら、子どもたちの遺体を回収している間にあなたの心によぎったこと、つまり嫌悪感、悲しみ、怒り、行われている残虐行為を止めようとする決意について教えてください。

【グッドマン】母親の胎内での殺人による無垢の犠牲者の顔、腕、脚、手、つま先、胴体、切断された遺体を実際に見ることは、決して忘れることのできない悲惨な体験です。1990年代半ばに見た犠牲者の写真やビデオは、私を「消極的」から「積極的」なプロライフ活動家へと変えてくれましたが、殺された小さな少年少女の実際の遺体を間近に見ることは、何物にも代えられないものです。言いようのない恐怖です。彼らが立派に成長していること、沈黙の無垢さと同時に、彼ら一人一人が容赦なく受けたグロテスクな拷問やひどい身体的外傷を目の当たりにするからです。

ほんの赤ん坊に放たれた野蛮な暴力を目の当たりにして、人は当然、気持ちの悪い感覚や人間らしい感情をすべて感じます。悲しさ、恐ろしさ、吐き気がする、苦痛、といった感情です。同時に、ひどい不正に対する嫌悪感、このような残虐行為を許している政府に対する真の怒り、そして、言うまでもなく、このような陰湿な人道に対する罪を隠しているメディアや大学などの機関に対する完全な失望感もあります。

もし普通の米国人が「中絶」という小さくて空虚な言葉の裏にある暗くて残酷な現実を見ることを許されたなら、彼らは憤慨し、この恐ろしい死に至らせる暴力を絶対に終わらせることを要求することでしょう! この厳しい真実は、正直で、誠実で、善意のあるすべての人を完全な中絶廃止論者にするでしょう。

中絶産業によって虐殺された兄弟姉妹の目を見つめるたびに、私は、なぜ天主の最も弱い子どもたちに対するこの目に見えない戦争を終わらせるために人生を捧げる人々と自分が行動を共にしているのか、その理由を思い起こします。この世界戦争の無力な犠牲者の血まみれの死体を見るたびに、どうしてこのような悪が起こったのか信じられない思いがします。そして、暴力が無垢の人々を思い通りにするのを許してしまうとは、善き人々はどこに行ってしまったのだろうかと不思議に思います。

殺された赤ん坊の遺体を手にすると、この恐ろしいホロコーストを止めるためには、「普通の生活」をあきらめるだけでは不十分であることが分かります。アシジの聖フランシスコが毎日、目覚めたときに「今のところ、私はキリストのために何もしていない!」と言ったように、私も(そして中絶反対の人も)、無防備な人々を守り、その母親を助けるための私たちのささやかな努力について、次の言葉を繰り返すことができるのです。「私たちは今までほとんど何も、あるいは全く何もしていない」と。

善き人々がなすべきことをしないということは、ある意味で悪質な人々の悪事よりもずっと衝撃的です。沈黙は、恐ろしくも無知と無関心によって培われた、現在進行中の米国のホロコーストに大きく寄与しています。善き人々は、虐殺された何千万人もの生まれる前の子どもたちの叫び声と同じように、沈黙しています。しかし、イエズス・キリストは、この1億人近い小さな米国人の声の合唱を聞いておられます。私たちは、キリストのために、キリストの小さな子どもたちのために、もっと勇敢に、もっと声を上げなければならないのです。

「あなたに100万人の声があるかのように真理を説きなさい。この世を殺すのは沈黙です」(シエナの聖カタリナ)。

死の文化によって殺された赤ん坊や母親の何百万、何千万という声と共に語る恩寵を、天主が私たちに与えてくださいますように。

【問い】司法省は、あなたや回収作戦に携わる人たちに対して、どのような訴訟を起こすつもりなのでしょうか?

【グッドマン】もし中絶産業が思い通りにやるならば、プロライフ活動家が自分たちの産業の犠牲者の遺体を回収して、恐るべき真実を明らかにすることを厳しく罰し、阻止するための過酷な法律が成立するでしょう。現政権では、犠牲者をあわれみ、彼らのために発言する人々は、すぐに攻撃的な訴追を受けるでしょう。

現在の司法省には、そのような攻撃性を確実に見ることができます。2020年10月にサンタンジェロが運営する後期中絶施設で、座り込み中にあえて殺人を止めようとした9人の平和的な救助者たちに対する連邦大陪審の起訴を、メリック・ガーランド司法長官が承認したのですから。70代の4人の祖母を含む各被告は、現在、連邦刑務所に11年の刑と、35万ドルの罰金および3年間の連邦裁判所の監督という可能性に直面しています。非暴力の活動家に対するこの理不尽な攻撃は、50年にわたる米国のプロライフ運動だけでなく、わが国の歴史上の230年の抗議活動においても前例がありません。

この非常識な連邦政府の重罪容疑について誰か知っているのでしょうか? 気にかける人は誰もいないのでしょうか? 司法省は、彼らのイデオロギーの敵―胎児の友人ら―を、収容所に追放することで逃げ切れるのでしょうか? 時間がたてばそれが分かるしょう。

【問い】あなたや他の人々が直面している、あるいは将来直面する可能性のある、他の法的複雑さ(例えば、州や連邦の境界を越えた遺体の移送、他の州での未解決の逮捕状、子どもたちが殺されたクリニックによる訴訟、積み重ねられた容疑など)にはどのようなものがあるのでしょうか?

【グッドマン】米国や州の政府の立法、司法、行政部門を、(自分たちの)さらなる武器とするために、中絶・政治・産業複合体が、どのような不道徳で不正な努力をするのかを、推測することは困難です。プロライフ活動家に対する彼らの集団的攻撃は、彼らが自分たちの悪事にどの程度の労力を費やしたいのかということと、教会関係者、プロライフ運動のリーダーたち、一般市民がどの程度無関心だと予想するかということの間の計算によって決まるのかもしれません。もし彼らの悪意が善き人々の無関心と同じであれば、赤ん坊を救出し、犠牲者の遺体を入手したり埋葬しようとしたりする人々は、まもなく罰に直面し、それによって、プロライフ活動家が愛し、守り、同情を寄せようとする無垢の犠牲者と、ますます運命を共にするようになるかもしれません。

【問い】バイデン政権は、オバマ政権よりも反生命的なのでしょうか?

【グッドマン】1973年以来、全米の民主党は年々過激な中絶推進派になりつつあります。数十年にわたって滑り台のように、「女性の私的な選択」から「安全で合法的で稀な」に変わり、さらに「ヘルスケアの基本的要素」に、ついに「すべての女性の最も基本的な人権を税金で賄う」へとフレーズが移り変わっていくのを見ました。最終的に、現在のいくつかの州の議会が、出生後かなりたってからの嬰児殺しでさても、犯罪ではなくそうとするという病的なところにまで、私たちの国を連れてきてしまったのです。

ビル・クリントンの中絶推進政権は、「オバマケア」政権に中絶擁護で追い抜かれ、これは現在、猛烈な中絶推進派のバイデン・ハリス政権に急速に追い越されつつあります。民主党は、出生前の赤ん坊の殺害を声高に擁護するのを、生後9カ月まで延ばし、いかなる理由であれ、納税者の資金を使うというのは、現政権でその頂点に到達しました。これらの優先順位は、やはり、最近の前例のない連邦大陪審による9人の非暴力的な患者擁護者の起訴に見ることができます。

【問い】トランプ政権下で、反生命の行動に顕著な変化はありましたか?

【グッドマン】完璧とは言い難いものの、オバマおよびバイデンの政権と比較すると、トランプ政権は多くの点でプロライフ運動にとって新鮮な空気のようなものでした。トランプは混迷を極めていました。大規模な全国的で象徴的な証人である「マーチ・フォー・ライフ」には、彼とマイク・ペンス副大統領が自ら参加しましたが、彼の政権は、ワクチン開発を含むバイオテクノロジー研究という広大な分野で、多くのプロライフ保護を提供することができませんでした。彼の保健福祉省は、最も弱い立場の人々を尊重するという点ではオバマ大統領を何光年も上回っていました。しかし、彼の司法省は中絶産業や大学などの機関における多くの不正に無関心なように見えました。

トランプに指名された最高裁判事は、来月にドブス判決でその価値が証明されるでしょう。あるいは、逆でしょうか。(モーガン注:このインタビューの約1カ月後、政治サイト「ポリティコ」は、ロー対ウェイドを打倒する最高裁の多数決判決のリーク原稿を入手しました。この記事を書いている時点では、この判決は正式には発表されていません)。

【問い】米国における一般的な傾向として、文化はさらにプロライフ(生命擁護的)になり、中絶推進者とその支持者は、さらにプロデス(死推進的、pro-death)になっているのでしょうか?

【グッドマン】過去8年間における米国の過激な文化的・思想的二極化は、子どもの「合法化」された殺害をめぐる争いの中で増幅された小宇宙を見いだします。かつては「プロチョイス」運動の極端な一派であったものが、今では全国の民主党の指導部と現在のバイデン・ハリス政権の中に居場所を見つけたのです。

「家族計画連盟」(Planned Parenthood)と名乗る国際的な中絶カルテルは絶対的権力として、死を「健康管理の選択肢」として、文化的に普通のこととする(正常化)のおかげで、また、古くからある優性主義者の支援金と若い「進歩派」―彼らはこの身の毛もよだつようなビジネスを、人口削減と二酸化炭素排出量削減の重要な手段とみなしている―の両方からの豊かな支持のおかげで巨大化し続けています。

一方、明るい面では、多くの若い人々が積極的にプロライフ活動家となり、主流メディアや大学などに挑戦し、両政党にも挑戦する創造的な方法を見いだしています。プロライフの母子保健センターの設立、女性やマイノリティーが率いる声高なグループ、プロライフの若者たちの活動の増加、非暴力直接行動キャンペーンの刷新、オンラインメディアやソーシャルメディアでの教育プラットフォームの増加、中絶後の回復とケア活動の増加、斬新な州議会の努力などのうねり。プロライフの勢力がさまざまな面で力をつけていることは希望に満ちています。

とはいえ、米国の積極的なプロライフの中絶廃止論者は、国民総人口の中ではまだ非常に少数派です。さらに、絶望的な状況にある母子をしっかりとケアしようとする良心的な市民も十分にはいません。もし私たちが文化の内部で本当に意味のある永続的なプロライフの傾向を見ることを期待するならば、このすべてを変えなければならないのです。

【問い】この戦いの霊的な次元について、あなたはどのようにお考えですか?(私の見解では、首都ワシントンで発見された子どもたちを切断した人々は、ほぼ確実に悪魔の影響下にあります。その人たちがしたことは悪魔的なことです。)

【グッドマン】生きている人間という天主の象徴に対するいかなる攻撃も、天主ご自身に対する攻撃です。イエズス・キリストは、「あなたたちが、これらの小さな人々の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである」(マテオ25章40節参照)と言われたとき、このことを教えられました。

遠い昔、全能の天主の霊的な敵(堕天使たち:サタンと悪魔たち)が天の国での戦いに敗れたとき、悪魔とその大軍はもはや聖三位一体に対して直接攻撃することができなくなりました。したがって、悪魔たちは堕ちたとき、天主に愛された人々、とりわけ幼い子どもたちに対して不浄の戦いの軍勢を集結させました。

1800年代後半以来、教会のメンバーたちは、信仰、真理、家族、結婚、人間の生命に対する世俗的な攻撃が、20世紀とキリスト教第三千年期の決定的な戦いになることを認識していました。

悪魔崇拝とオカルトの役割は、中絶を非犯罪化し、そのような病的な暴力の隆盛を永続させようとする現代の活動の隠された一部として常に存在してきたのです。今日、この悪はもはや隠されてはいません。「サタンの寺院」(Satanic Temple)と他の悪魔崇拝組織は、母親の胎内の子どものいけにえを維持するために、公の立法のために法的努力をしているところです。これらのグループは、中絶産業による女性への恐ろしい虐待と搾取は言うまでもなく、胎内の人間をバラバラにして死に至らしめることを支持する大規模な中絶推進デモを組織し、公的な広告掲示板やディスプレイを建てているのです。

もし、霊魂と、ほんの少しの信仰でも持つ人が、サンタンジェロの5人の犠牲者について真剣に考えてみるならば、この残忍な悪は、悪魔に他ならないことをすぐに発見することでしょう。

このことは、次の疑問を生じさせます。なぜ、政府はこのような悪を熱狂的に擁護するのか? なぜ力のある文化的勢力がこのような悪を「善」として推進するのか? そして、なぜ私はこの醜い悪を止めるためにもっと多くのことをしないのか?

霊的な戦いにおいて、まず始めるのに良いのは祈りです。しかし、これは出発点に過ぎないはずです。聖ベネディクトが助言しているように、「祈れ、かつ、働け」(Ora ET labora)です。

【問い】今度の最高裁判決は、米国の文化的景観を変えるでしょうか?

【グッドマン】そう望んでいます。全米のプロライフ法学者の間では、最高裁が、有利なドブス多数判決によってロー・ドー事件(ロー対ウェード事件、ドー対ボルトン事件)の範囲を限定するという楽観論が多く見られます。

起こり得る結果には幅があります。一つの可能性は、生まれる前の子どもを保護する国家の利益と能力について、もっと直接的な擁護を最高裁が支持することです。もう一つの可能性は、いわゆる「スカリア・オプション」で、文字通り中絶の犯罪性の問題全体を州に投げ返すというものです。可能性が低いと思われるのは、最高裁がなすべきこと、すなわち、例外なく、受胎の最初の瞬間からすべての人間を保護する憲法修正第14条の保護を支持する決定的な判決を出すことです。

政治的通路の両側の多くのアナリストは、この6月に来る決定が、主に国家のイデオロギーに基づいて、米国で子どもを殺すビジネスのための新しい国家の状況の到来の案内役を務めるだろうと信じています。すでに中絶カルトは多くの新しい戦術を準備しています。その中には、プロライフの州に住む妊娠中の女性が購入したり使用したりするための、人間を殺す薬や器具をその州に輸送する計画もあります。ニューヨークのようないくつかの左翼の州は、旅行、ホテル、食事、赤ん坊の殺害がすべて含まれた中絶ツーリズムパッケージを開発しました。

そのような中絶促進パッケージを医療プランに組み込んでいる企業さえあります。低所得で中絶せざるを得ない家族が、家族の一部のメンバーを清算(堕胎)するために州外に行く費用を支払うために、裕福な個人、企業、そして可能な限りの連邦政府の税金が信託として設立されるかもしれません。中絶を行う「死の船」が、プロライフの沿岸州のすぐ外側の国際海域に停泊し、小さな子どもたちの死を得るために、これらの浮かぶ「医療サービス船」に乗るための無料の海岸線ボートを提供すると約束されています。

一方、このような新しい状況が起こり得る中で、教会とプロライフ運動は、通常なら望まない妊娠の解決策として死を求めるであろう妊娠中の母親への、さらに積極的な支援とさらに大きな連帯を強調するために、プロライフの州でさらに強く働くことになるでしょう。これらの地域では、支援と教育のネットワークの拡大が中心的な行動目標となるでしょう。

中絶推進派の州では、完全に稼働している中絶施設、中絶に友好的な州議会、中絶を支援する文化団体において、現在と同じ種類のプロライフの取り組みが継続され、あるいは規模を拡大する必要があります。国、州、地域のプロライフ団体間の協力は、胎内に生きている人々に対する保護の度合いにおける地理的、地域的変化の中で、新たな次元の相互作用をもたらすでしょう。

最高裁はこの戦いに終止符を打つことはありません。米国のホロコーストは、ある面では継続し、他の面では新たな戦いの始まりを告げるでしょう。継続的な解決策は、小さな子どもたちのための平等と、その両親のための連帯のために、新しい方法で愛情を持って働くことです。

政府のすべての部門は、受胎の自然な始まりから自然な死まで、例外なくすべての人間の生命に対する天主から与えられた権利を擁護し保護する責任、義務、義務があります。最高裁が、生まれる前の米国人の憲法上の権利を守るために司法によって必要とされ、要求されることを行うには、まさに奇跡が必要でしょう。彼らは、なすべきこと、あるいは天主が要求なさっていることを行いそうにはありません。

しかし、ロー判決が見直され、もしかしたら骨抜きにされるかもしれないという希望もあるようです。

とはいえ、どんな裁判所や法律も、母親や父親に胎内の小さな子どもを愛させることはできません。このことが、私たちの国を「命の文化」にするために必要なことなのです。私たちがそこに到達するまで、この運動はこの究極の目標に一致して働き、同時に政府の3部門が、すべての人間が「法の下の平等」として保護されることを保証するために、委ねられた権限のすべてを行使するよう要求しなければなりません。

繰り返しますが、これは主として霊的な戦いですから、子どもをいけにえにする悪魔は、「投票で職を追われたり」「裁判所で覆されたり」「警察に逮捕されたり」することはあり得ません。王たるイエズス・キリストの力によって、彼らを追い出さなければならないのです。

祈り。断食。愛徳。あわれみ。犠牲。連帯。償い。これらは私たちの主要な焦点です…。「御国の来る」まで。

【問い】あなたや、あなたの仲間が行っている愛すべき、命を救う活動を支援するために、人々は何ができるのでしょうか?

【グッドマン】私は個人的な基金や非課税団体を持っていません。この仕事をするために、1996年以来、天主の御摂理に頼ってきたのです。天主は私にとてもよくしてくださいます…私にふさわしい以上に。

「Red Rose Rescue」の救助者としての私の使命を支援なさりたい方は、「Citizens for a Pro-life Society」のモニカ・ミラー博士(https://bringingamericabacktolife.org/monica-miller/)に寄付をすることができます。(寄付は「Red Rose Rescue」のためと明記してください。)http://www.prolifesociety.net)

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また、邪悪な司法省との巨大な法廷闘争で私たち支援するための大規模な資金調達のプラットフォームを立ち上げたいと希望しています。レスキュー隊員は弁護士を雇うお金を持っていません。また、プロライフの公益法律事務所は、司法長官や米検察庁のように何十億ドルもの資源を持っているわけではありません。大陪審の重罪事件において、私たちは、すべての生まれる前の子どもたちのための憲法修正第14条の保護を主張するために、真実の証拠記録を確立し、最高のプロライフ専門家の証人や弁護人を利用し、2020年にチェーザレ・サンタンジェロの恐怖の後期中絶ハウスで行った私たちの救助活動から生じた不当な重罪容疑に対して、肯定的に「他人の防御」を行いたいと考えているのです。

【問い】他に付け加えたいことはありますか?

【グッドマン】全能の天主は、現代に生きるすべての人に、特別な命令を与えておられます。「死地にひかれる人を救い出し、死に処されようとする人を助け出すのをためらうな」(箴言24章11節)。

この掟にはさまざまな従い方がありますが、母親の胎内に生きる幼い子どもたちに対する黙示録的な攻撃、母性と父性の神聖さに対する攻撃のただ中に生きるすべての人々にとっての規範的な義務として理解されなければなりません。

生と死が天秤にかけられるとき、天主は「勧告」や「提案」をなさることはありません――天主は明確かつ確固たる命令を下されたのです。

今、皆さんはどのような答えをするのでしょうか? 皆さんが死ぬ日に天主の審判を受けるとき、皆さんの答えはどうなるのでしょうか? 皆さんは、天主なる、命の救い主であるイエズス・キリストのように、どのように愛しますか?

これらのことについて祈りましょう。天主に助けを求めてください。天主は皆さんを導いてくれるでしょう。赤ちゃんも、お母さんも、お父さんも、皆さんの助けを必要としています。

「私があなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合え」【ヨハネ13章34節】。(イエズス・キリスト)。

+王たるキリスト万歳!!!


ジェイソン・モーガン(レムナント東京特派員)


【参考情報:WARNING: This article contains disturbing images.】

Aborted babies discovered in DC may indicate infanticide after attempted abortions


御聖体について教会が最初から教えてきたこと:御聖体は、我らの罪のためにお苦しみになり、御父が復活させられた主イエズス・キリストの御体、肉体となられたそのイエズス御自身の御体と御血である

2022年06月21日 | お説教・霊的講話

2022年6月19日 東京での説教 — 御聖体の荘厳祭

レネ神父様

親愛なる兄弟の皆さん、

今日、私たちは至聖なる御聖体の荘厳祭(そうごんさい)をお祝いしています。かくも重大な事柄については、私たち皆、教会が最初から教えてきたことを傾聴(けいちょう)することが、私たち自身の役に立ち、また、私たち自身に有益なことであると思います。

アンチオキアの聖イグナチウスは、聖エボヂウスに続く、アンチオキアの二番目の司教で、西暦108年に亡くなった人です。このように、聖イグナチウスは、教会の歴史でも極(ごく)初期の人ですが、スミルナ人たちに対する手紙で、ある種の異端者(いたんしゃ)たちについて、このように書いています。「この人々は、御聖体が、我らの罪のためにお苦しみになり、御父が、その善性(ぜんせい)のゆえに復活させられた我らの主イエズス・キリストの御体ではない、と主張するのである。したがって、天主からのこの賜物(たまもの)を否定する人々は、死に至(いた)る。」カトリックの信仰、とりわけ天主からの、このように畏敬(いけい)すべき賜物(たまもの)を否定することは、大罪です!

最後の使徒が亡くなってから50年も経(た)たない頃、聖ユスチヌスは、このように書きました。「そしてこの食べ物は、我らがエウカリスティア(即ち、御聖体)と呼ぶものであって、我らが教えることを真実であると信じ、罪の赦(ゆる)しのため、また再生のための浄(きよ)めによって洗われ、そして、キリストがお命じになったように生きている者でなければ、誰も、それにあずかることは許されないのである。なぜならば、我らがこれを受けるのは、普通のパンや普通の飲み物としてではなく、我らの救い主であるイエズス・キリストが、天主の御言葉によって御托身(ごたくしん)になり、我らの救いのために、肉も血も持っておられたように、受けるのである。また、我らが受けた教えによれば、御言葉の祈りによって祝別された食べ物、またその変化によって我ら自身の血と肉が養(やしな)われるその食べ物こそ、肉体となられたそのイエズス御自身の御体と御血なのである。

この最初の文章の中で、御聖体を受ける条件が、「…でなければ、誰も、それにあずかることは許されない」と表現されていることに注意してください。これは、今とまったく同じです。まず最初に、カトリックの信仰を持つことが必要であること:「我らが教えることを真実であると信じ(ていること)」、二番目に、洗礼を受けていることが必要であること:「罪の赦(ゆる)しのため、また再生のための浄(きよ)めによって洗われ(ていること)」、三番目に、成聖(せいせい)の恩寵(おんちょう)の状態で生きていること:「キリストがお命じになったように生きている者で(あること)」。

そして、これらの条件の説明が続きます。それが、「イエズスの御体と御血なのである」からです。そして聖ユスチヌスは、ここで、非常に明確に、こう言っています。「それは普通のパンではない。」それは、パンのように見えるかもしれませんが、普通のパンではありません。では、それは何なのでしょうか?それは、「肉体となられたそのイエズス御自身の御体と御血」です。 聖ユスチヌスは、「御言葉は肉体となられた。」という聖ヨハネの言葉を、そのまま引用しているのです。私たちのために御言葉が取られたこの肉体こそが、私たちが受けるものです。これこそが、私たちと私たちの救いのために、「肉体となられたイエズスの御体と御血」です。この文章が複雑なのは、聖ユスチヌスがここで、私たちが聖体拝領で受ける体は単なる人間の体ではなく、天主の御言葉が、 私たちの救いのためにお取りになった、まさにその体であることを、正確に指摘しようとしているからです。

では、聖ユスチヌスは、いかにして、そのことを知っているのでしょうか?聖ユスチヌスは、「我らが受けた教えによれば」と言っています。誰に教えられたのでしょうか?使徒たちの直接の後継者たちに、教えられたのです。聖ユスチヌスがこの「最初の護教論(ごきょうろん)」を書いたのは、聖ポリカルプスが殉教(じゅんきょう)したすぐ後のことでした。聖ユスチヌスが聖ポリカルプスに直接会っていたかどうかは不明ですが、聖ユスチヌスが、シリアから、小アジア地方を通って、ローマにまで旅行したので、その可能性はあります。いずれにせよ、聖ユスチヌスと使徒たちとの間を介した人は、ほんの数人に過ぎません。これこそが、使徒的な「口頭の」教え、即ち、カトリックの聖伝です。

聖ポリカルプスのことを個人的に知っていたもう一人の教父は、聖イレネウスです。聖イレネウスは、御聖体におけるキリストの御体と御血の現実から、死者の復活を証明する論拠(ろんきょ)を述べます。聖イレネウスは、こう言っています。「したがって、混(ま)ぜられた杯(さかずき)と作られたパンが天主の御言葉(即ち、聖変化におけるキリストの御言葉)を受けるとき、御聖体はキリストの御血と御体になるのであり、これによって我らの体の実体は強められ、支えられるのである。我らの体が、天主からの永遠の命という賜物(たまもの)を受けることができ、主の御体と御血によって養(やしな)われ、主の体(したい)の一部であるということを、この異端者らは、いかに否定することができようか。…我らの体は、主の御血である杯(さかずき)によって養(やしな)われ、主の御体であるパンによって強められるのである。」この文章は、非常に明確です!

続く3世紀には、聖キプリアヌスが、自らがミサをたてたときのことについて、「nobis sacrificantibus(ノビス・サクリフィカンティブス)」、即ち、「私たちが犠牲をお捧(ささ)げしていたとき」と書いています。また、御聖体のことを、「主の至聖(しせい)なるもの」、「主の御血において聖別された酒」、あるいは、「司祭によって執行される犠牲」の実(み)、と呼んでいます。これでおわかりの通り、御聖体における主の実存とミサの犠牲の教理は、教会の一番最初から存在するものです。

続く4世紀には、数多くの教父や偉大な教会博士たちが現れましたが、その中に、まずアンチオキアで司祭、その後、コンスタンチノープルの司教となった、聖ヨハネ・クリソストムスがいます。エフェゾ人への書簡(エフェゾ第1章22-23節)の解説として、聖ヨハネ・クリソストムスは、このようなことを書いています。「しかし、我らの論題は主の御体に関するものであるから、皆来て、それに思いを致(いた)そう。たとえ、その御体が、十字架に付けられ、釘付(くぎづ)けにせられ、犠牲となられた御体であったとしても。もしお前が、主の御体の一部であるならば、十字架を担(にな)え。主が、十字架を担(にな)われたからである。つばきに耐え、鞭(むち)打ちに耐え、釘付(くぎづ)けに耐えよ。『罪を犯さず、口を偽(いつわ)られなかった』(ペトロ第一第2章22節)主の御体は、まさにそのように扱(あつか)われたからである。主の御手(みて)は、それを必要とする全ての者のために、なし得る全てのことをなされ、主の御口(おんくち)は、ふさわしからざることを、一言(ひとこと)も発(はっ)せられなかった。主は、『お前は悪魔を持っている』と言われても、何もお答えにならなかった。」

聖ヨハネ・クリソストムスは、この最初の部分で、私たちは洗礼と恩寵(おんちょう)とによって主の御体の一部であり、したがって、私たちは、私たちの頭(かしら)である私たちの主イエズス・キリストのように生きなければならない、という事実を述べています。「もしお前が、主の御体の一部であるならば、十字架を担(にな)え。主が、十字架を担(にな)われたからである。」

そして続けて、御聖体について、こう言うのです。「更に、我らの論題はこの御体に関するものであって、我らのうちの多くがこの御体にあずかり、この御血を味わうとき、この御体といささかも違うもの、あるいはこの御体と別のものにあずかっているのではないのである。天にましまし給(たま)い、天使らに崇(あが)められ、永遠に朽(く)ちぬ権勢(けんせい)のお側(そば)におられるその御体を、我らが味わっていることを、考えてみよ。いかに数多くの救いへの道が、我らに開かれていることであろうか!主が、我らを御自分自身の御体の一部とされ、御自分自身の御体を我らにお与えくださったにもかかわらず、我らは、そのいずれをもってしても、悪(あ)しきことから自らの身を引くことができないのである。ああ、何たる闇(やみ)、何たる深淵(しんえん)、何たる冷淡(れいたん)さであろうか!聖パウロはこう述べる。『キリストが、天主の右に座(ざ)しておられる、上のことを求めよ。』(コロサイ第3章1節)しかし、これらすべてのことをもってしても、金銭や放埒(ほうらつ)を好(この)む者がおり、また自らの情欲の虜(とりこ)となる者がいるのである!」

このように、教父たちは、御聖体における私たちの主の現存という偉大なる真理から、わかりやすい道徳的結論を導き出すのです。それは、私たちは、私たちが受けるものにふさわしい生活を送らねばならない、ということです!「天にましまし給(たま)う、その御体を、我らが味わっている!」ですから、聖パウロがコロサイ人たちに言うように、私たちは、「上のことを求め」なければなりません。

聖ヨハネ・クリソストムスは、別の箇所で、聖パウロのエフェゾ人へのこの言葉について解説します。「私たちが祝(しゅく)する祝聖(しゅくせい)の杯(さかずき)は、キリストの御血にあずかることではないか?」(コリント前第10章16節)聖ヨハネ・クリソストムスは、こう書いています。「ここで聖パウロの言うことは、非常に説得的で、かつ、恐るべきことである。なぜなら、彼の言うことは、こういう意味だからである。『その杯(さかずき)の中にあるものは、主の御脇腹(おんわきばら)より出たものであり、我らは、その同じものにあずかるのである。』」

同時期に活躍したイエルザレムの聖キリルスは、「神秘(即ち秘蹟)について」という題名の求道者たちへの指示書の中で、次のように書いています。「聖なる、崇(あが)むべき三位一体(さんみいったい)に対する祈りの前、奉献(ほうけん)されたパンとぶどう酒は、単なるパンとぶどう酒に過ぎないが、その祈りの後、パンはキリストの御体となり、ぶどう酒はキリストの御血となる。」「奉献(ほうけん)されたパンは、聖霊に対する祈りの後、もはや単なるパンではなく、キリストの御体となる。

この聖キリルスはまた、御聖体について、次のように、更に詳細に、非常に明快に説明します。「我らの主イエズス・キリストは、渡された夜、パンを取り、感謝を捧(ささ)げた後、それを割り、ご自分の弟子らに与えて、こう言われた。『これを取り、食べよ、これは我が体である。』また、杯(さかずき)をとり、感謝を捧(ささ)げ、こう言われた。『これを取り、飲め。これは我が血である。』この時、このパンについて、主御自身が『これは我が体である』と宣言されたのであるから、いまや誰が、これを疑おうか?また、主御自身が『これは我が血である』と断言されたのであるから、いまや誰が、『これは主の御血ではない』などと言って、ひるむことがあろうか?」教会によってなされてきたのは、いつも、これと同じ説明です。私たちは、御聖体が本当にキリストの御体と御血であると信じます。それは、天主の御言葉である主御自身が、そうおっしゃったからです!

聖キリルスは、続けてこう書いています。「主は、あるときガリラヤのカナの町で、水をぶどう酒に変えられた。ぶどう酒は血のようなものである。主がぶどう酒を血に変えられたということは、信じがたいことであろうか?主は、この肉体的婚姻(こんいん)に招(まね)かれたとき、この不思議なわざを行われた。では、花嫁の間(ま)に控(ひか)える子供らに、主が、御自分の御体と御血の実(み)をお与えくださったことを、むしろ、我らは認めるべきではなかろうか?」聖キリルスは、ここで、とても強力な議論を行っています。それは、御聖体が、キリストと、キリストの教会との間の婚姻(こんいん)の秘蹟である、ということです。キリストは、カナにおいて、驚くべき全実体変化をなさったのですから、御自分自身の天上(てんじょう)での婚姻(こんいん)に際(さい)して、それを、どれほど超(こ)えるわざをなさったことでしょうか!カナでの全実体変化が事実であったように、祭壇上での全実体変化も事実です!御聖体における主の現存を否定するプロテスタントの人々は、御聖体は単なるシンボルに過ぎないと主張しますが、ではカナでは、水が単なるぶどう酒のシンボルに変えられて、そこにいた人々は、単なる、空虚(くうきょ)なシンボルとして、水を喜んで飲んだと言うのでしょうか?カナにおける全実体変化が事実であったように、御聖体における全実体変化も事実です!

聖キリルスは、続けてこう書いています。「それゆえに、我らは確信を持って、キリストの御体と御血にあずかろう。それは、主の御体が、パンの姿(即ち、外観)のうちにお前に与えられ、主の御血が、ぶどう酒の姿のうちにお前に与えられるからである。お前が、キリストの御体と御血にあずかることにより、主と同じ体、同じ血となされんことを。かくして、キリストの御体と御血が我らの体を通して与えられるがゆえに、我らは自らのうちにキリストを担(にな)うようになるからである。聖ペトロによれば、我らはこうして、神性にあずかる者となるのである。」

最後に、聖アウグスチヌスの言葉を、短く引用します。「主はこの地上を、御体で歩かれ、我らの救いのため、その御体を、我らが食べるよう、お与えになった。誰も、まずその御体を崇(あが)めずして、食べることはない。我らは、その御体を崇(あが)めることによって、罪を犯(おか)さないどころか、その御体を崇(あが)めないことによって、罪を犯(おか)すのである。

私たちのカトリック信仰は、古代教会の信仰と同じです。その信仰は、私たちの主と使徒たちから直接来たもので、決して変わったことがありません。願わくは、聖母、聖なる天使たち、そして全ての聖なる教父や教会博士たちが、私たちがこの信仰を生き生きと保(たも)ち、それに従って生き、もっともっと、御父と聖霊と共にとこしえに生き給う私たちの主イエズス・キリストのようになれるよう、私たちを助けてくださいますように。アーメン。


カトリック聖伝のミサの報告 聖ピオ十世会日本 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass

2022年06月21日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2022年6月19日、日本では御聖体の荘厳祭を祝いました。東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計108人でした。大阪では30人でした。

東京では、ミサは二回だけでした。午前9時の歌ミサの直後に例年の通り、御聖体降福式を行いました。大阪でも去年のように御聖体行列を行いました。

来る6月24日金曜日は、イエズスの至聖なる聖心の祝日です。「暁の星の聖母」修道院では朝7時15分からミサがあります。大阪の聖母の汚れなき御心聖堂でも、午後6時から歌ミサがあります。

【報告】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 108, including children.

09:00 mass and benediction
M: 26 (incl. 4 children)
F: 39 (incl. 6 children)
Total: 65 (incl. 10 children)

11:30 mass
M: 20 (incl. 6 children)
F: 26 (incl. 6 children)
Total: 46 (incl. 12 children)

Total of 2 masses (excl. 3 people who participated in multiple masses)
M: 44 (incl. 10 children)
F: 64 (incl. 12 children)
Total: 108 (incl. 22 children)









--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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