Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ礼拝し希望し御身を愛します!御身を信ぜぬ人々礼拝せず希望せず愛さぬ人々のために赦しを求めます(天使の祈)

「助産婦の手記」23章 常に繰り返される一つの歌、悩みの歌

2020年08月11日 | プロライフ
「助産婦の手記」

23章

『マルガレーテさん。』 郵便局の窓口にいたその娘は、驚いて耳をそばだてた。郵便局長が、 彼女に、そのように姓ではなく名を呼んで、話しかけたことは、これまでにないことであった。局長は、いつも非常に形式張って固苦しかった。――『あんたは、今晚、僕と一緒に町へ行きませんか。僕は芝居の切符を二枚持っているんです。ところが、きょうは、家内は都合が悪いんです。女というものは、妊娠すると、そうなるんですね……』

町へ! 劇場へ……長い間の熱烈な憧れ! まだ劇場へ行ったことがなく、それをただ聞いたり、読んだりして知っているに過ぎない若い娘にとつては、そういうところには、一体、どんなあらゆるものがあると思えるのであろうか。素晴らしい幻像が電光のような速さで、そびえ立った。戦争前の幾年間というものは、小さな村の娘たちは、独りでそんな探検旅行をあえてしようとはしなかった。

マルガレーテの家には、一緒に行く人は誰もいなかった。父母は、静かに暮していたかった。恐らくまた、そんな新しい事物に対しては、あまりにも不安な感じがしたのであろう。弟や妹は、まだ小さすぎた。――彼女は、ただもう一緒に行きたくて堪らなかったので、大喜びで、はいと言った。これが一つの運命になるか知れないという考えは、全然、彼女には起らなかった……それは、一つの譲歩であったということ――および、乙女が、生存のための戦いにおいて、道德的に身を守るために絶対に必要とするところの「人格的自由」を失う最初の譲歩であるということを。――

昼食のとき、マルガレーテは言った。『私は今晚、郵便局長さんと一緒に町へ芝居を見に行くんです、局長さんが私を招待して下さったの、奧さんはきようは都合が悪いというんで……』
『それやお前、いけないよ。』 と父親が答えた。彼は昔風の正直な職人気質(かたぎ)の指物師である。『娘というものは、贈物をもらってはいけないんだよ。芝居の切符だってそうだ。きょう昼行ってから、こう言いなさい、御招待下さって有難うございますが、お断わりせねばなりません、と。』
悲しげに、娘は頭をうな垂れた。ところが、母親が口をさしはさんだ。『あんた、お願いですよ! もし局長さんの御機嫌を損じたら、娘は首になるかも知れませんよ。いつか、町からわざわざ一人の女を雇おうとしたことがあったのを、あなたはもう忘れたのですか? この村の娘たちは、まだ殆んど自由を認められていなかったので、あの頃、言われたことには……』
『何ももらっちゃいけない。』と父親は、頑固に言いはった。『もらうと、義理が出来る。今度の場合は、恩返しができないんだから、それこそ二重に不愉快なんだよ。』
『そんなに昔風にしないで、娘を喜ばしてやりなさいね。』と母親は弁護した。『今日では、もうそのことを、そんなに生真面目に取る人はありませんよ。郵便局長さんは、結婚していらっしゃるのです。局長さんが、いま持っていらっしゃる切符を無駄になさる代りに、娘を連れて行って下さっても、それは局長さんにとっては別に何ということもないでしょう……』
『結婚していようが、いまいが……全く同じことだ。娘よ、このことを決して忘れないように、よく覚えておきなさい、人は何ももらってはいけない、と。全く何も。人に支払ってもらってはいけない。汽車の切符でも、コーヒー代でも……お前がこのことを知らないために、行きますと、もう言ってしまったのなら、仕方がない、ぜひ一緒に行きなさい。 だが、将来のために、このことをよく心に銘じて置きなさい。そして、もしお前たちが今晚、飲食店にはいるようなことがあっても、支払ってもらってはいけないよ。卒直に言いなさい、私は自分で払いますと。そして、この次にまた招待されたら、お礼を言って断ってしまいなさい。』
『まあ、あんた、何を言うんです。相手は局長さんですよ。私は、ほんとにあんたの気持が知れませんよ。あの娘が、大変上役の気に入っていることを喜びなさいよ。あのお方は、部下を昇進させる権力を握っていらっしゃるんですよ。ほかの親なら喜ぶだろうに……』
『よその家庭を御覧よ、お母さん。きょうまでに工場の事務所に務めていた十人の娘のうち、もう三人が私生児の母となっているのだよ。これは、「娘たちが、大変気に入られている」ということから来たことなんだ。残念ながら、以前とは経済事情が変わった。しかし、だからといって、昔からの賢いことまでが、変わるものではない。我々は、悪魔に小指をさし出すような危険なことは、してはならないよ。それどころか、誤ちの機会が大きければ大きいだけ、それだけ娘は、自分の廻りに砦(とりで)を高く築かねばならないんだよ……』

しかし、母と娘は、ついに勝利を占めた。マルガレーテは、日曜日の晴着を着、そしてサンドウィッチを持って出て行った。彼女は郵便局の窓口を閉めた後、すぐ駅へ行かねばならなかった。
『よく楽しんでお出でよ、お前!』と母親が言った。
『お父さんは、私の喜びにけちをつけたのよ……』
『お前知っての通り、お父さんは旧式な人なんだからね。今日では全く世の中のことは、いろいろ変わって来ているんだよ。そして、人は、時代と一緒に進んで行かねばならないものだね。』
その憐れむべき母親は、自分の娘の成功を非常に誇っていたので、そのことを私に話して聞かせた。
私は、その父親の意見の正しいことを主張しようと試みた。しかし、それは失敗した。『そんなことは、私の娘に限ってありませんよ! あんたは一体、何を考えていらっしゃるの……それに、相手は郵便局長さんですよ、結婚なさったお方ですよ……よくお考えなさいな!』

その夜、父親の指物師は、駅で終列車を待っていて娘を迎えた。郵便局長は、驚いて機嫌を悪くした。マルガレーテは、満足しきって輝いていた。このようにして人生の中に初めて巣立って行った若い娘が、そういう気持になったことは、よく判る。彼女は、その晩、非常に多くの新しいものを一度に経験したので、もはやそれを全部思い出すことはできなかった。父親の戒めは、もちろん全部、忘れてしまっていた。人は、時代と一緒に進んでゆかねばならないよと、お母さんもほんとに言ったのだ……『あんたは、今夜は、僕のお客さんですよ。』と郵便局長は言った。彼は、汽車の切符を買い……そして当時一般に行われていた観劇客の悪習にならって、チョコレート菓子を買い……それから、なおブドー酒を飲んだ……時代はまさに変わり、そして父親は旧式になったのだ。
その翌朝、郵便局のマルガレーテの席には、チョコレートが一枚置いてあった。『きのうの残りですよ。』と局長は言った。『あなたのお父さんは、いつもあなたのことを心配していらっしゃるんですか? 全く敬服ですね! しかし、今日では、生活は変って来たのです。古いお方は、変わった時代の中では、もう勝手がよく判らないのですよ……』

三日後、彼は彼女の方に菓子を一箱押しやって、『これで一日中、あまり退屈しないように。』と言った。その際、彼は彼女に非常に接近して、彼女の手をそっと撫でることができるような段取りにすることを知っていた。小さな御機嫌取り……小さな愛撫……厚かましさ……もし、それに触れると、無邪気さが葬り去られるところの縄(なわ)が、どのように綯(な)われているかということを、誰が知らないであろうか……それなのに、その娘は、一たび誤った道に第一歩を踏み出した後、見かけ上の幸福のために、非常に心を奪われていたので、いかに男女の境界線が、おもむろに、いよいよ遠くへ押しやられ、そして消滅してしまったかということに気がつかなかった。――
『お母さん、わたし今夜、音楽会へ行けるといくんだけど。でも、お父さんが……お母さんは、よく判っていて下さるんだけれどもね……』二週間後には、こういう調子であった。
『お前、多分お断わりはしなかっただろうね?』
『そうよ、局長さんに向っては、断われないわ。私がはじめに一緒に行って、そしてあのお方がとても親切にして下った後ではね――もし断わると、ほんとに侮辱だと思うわ。』
『お父さんには、こう言っておいていいだろうね、 お前はあるお友達のところへ行きました――なぜなら、クリスマスが近づいたのだからって……』父親が、そんなに分らず屋であるなら、どうしたらいんだろうか? と母親は、自己弁護をした。世間の人のするようにしておれば、どんな場合でも、うまい具合に行くものだと……
二人だけでの楽しみは、お定(きま)りのこととなった。交際はますます濃やかな形をとっていった。御機嫌取りはますます大きくなった。 新しい財布だの、絹のブラウスだの……母親は、それらの品物は、自分が調達してやったものだということにして、家庭でのごたごたが起らないようにした。もう娘にとって、そういうものが、似つかわしくなって来たからには、娘にもそれを当てがってやらねばならないと母親は言った。ああ、その母親は、娘が大へん局長の気に入っていることを非常に誇りとしていたのである!……

二月に郵便局長は、誕生日を迎えた。『マルガレーテさん、誕生日のキッスをして頂けないでしょうかね?』娘は当惑した。警戒心が起った、電光のように速く――父の姿が。お父さんは、何と言うだろうか? しかし、彼女はそんな小さな害のない願いを断わることはできなかった。――そんなに親切にしていただいた後は……? 何がまたそこに潜んでいるであろうか。――
『なるほど、僕は結婚した男です。しかし、そこには本当に何もないのです。僕は、いつもあなたに親切ではなかったですか? ですから、いま僕もまた、あなたが少し僕によくして下さることを一度見せていただきたいんです、そう、小さな誕生日のキッスを……』
黄金の鎖――それは、どんなに堅く縛りつけることか……
それは、誕生日のちょっとしたキッスだけに止まっていなかった。いな、それからは、さらに敬意を表わすキッスが要求された。しかし、そこには一体、何があるか? 間もなく、キッスは、每日の勤務上の義務となった。そして……然り、そして――

ある晩、彼らは町へ行ったが、もう劇場へは、はいらずにヴァライエティーへ行った。そこでは、いろいろな刺戟的なものがあった。多かれ少なかれ、ただ一つしか意味のないものが。半裸体の女が、現われて踊った。二人は、強い酒を飲んだ――終列車に乗りおくれた。そこで、その娘は大へん昂奮した。お父さん! もし彼女が家に帰らなかったなら、どうなることであろうか? 停車場で彼らは自動車を拾った。村へ車を走らす途中、郵便局長は、興奮、アルコール、目覚めた官能を利用して、最後のものへの大胆な攻撃を敢行した。そして多くの抵抗なしに勝った。何が一体あったのかということは、もはや全然、娘の意識に上らなかった。――
翌朝、マルガレーテは、しかし、相当な二日酔を押して出勤した。『僕たちは、きょうは、少し長く働かねばなりませんよ、』と局長は言った。そして午後おそく、強い赤ブドー酒をお八つに出した。
『マルガレーテさん、きょうは大へん顔色がよくないですね。 赤ブドー酒を沢山飲まねばいけません。さもないと、具合が悪くなっても、僕は責任を負いませんよ……』
なるほど、その通りに彼らは、 窓口を閉めた後、一緒に居残っていたが、食事はしなかった。娘は、涙を抑えようと努めた。『マルガレーテさん、いま僕は、あなたが僕を愛していることを知っています。きのう、あなたはそれを僕に示して下さったのです。僕の結婚は、あまりにも不幸でした……家内は、全然僕に適していません……僕を全然理解しないんです。もしあなたと一緒になれたら、どんなに幸福になれるでしょう! そうすると、生活は全く違ったものとなるでしょう。』

もうすでに、いかに多くの娘たちが、この鳥黐(とりもち)の上に足を踏み入れたことであろうか!
もちろん、局長は、離婚しようと思った。そうすれば、道は新しい幸福に向って自由に開けるわけであった。もっとも、当分の間は、彼らは結婚せずに、ただ愛し合っていなければならないのであったが。しかし、この相愛は、今はもはや変更することのできないものであった。彼らは、互いに相手のものとなっていた……
『リスベートさん、男というものは、よくも美しいことがしゃべれるものですね。それなのに、私たちは馬鹿で、それを信じこむんですね。そしてそれは、全くその通りだと考えるんですね…… あの人は、いまお前を掌中に握っている……お前は、あの人にしっかりすがっていようとする以外には、もうどうすることもできないのだ、とね。人間は実に馬鹿なもので、もし自分で愛を感じるなら、その愛を信じこんでしまって……心変わりすることなんか、考えることができないんですね……』

産褥で、私は彼女から、その「人生の懺悔」を聞いた。しかし、残念ながらその懺悔は、この種類の唯一のものではない。それは、常に繰り返される一つの歌である、誤った道に第一歩を踏み出した悩みの歌である……
郵便局長は、転任を命ぜられた。女の郵便助手は、局内での妊娠が知れわたったとき、免職となった。今や、その娘の母親は手を揉み、髮をかきむしった。『何という不名誉! 信仰が、ぐらついて来る。每日、私は娘の守護の天使にお祈りしたのに! 每晚! それなのに、今この恥辱……』と、母親は私のところで嘆き悲しんだ。
『目を覚まし、そして祈れ、と救い主は、おっしゃいました。キリストは、目覚めることを第一位に置かれましたが、それは何故かということを御存知だからでした。あんたがなさったように、お子さんを危険の真中に送りこむということは、天主を試みることです。このような瞞着(まんちゃく)【ごまかし】を、救い主は、お護り下さるわけには行きません……』
母親は、娘を家から出そうとした。しかし、父親が執りなした。 いつもと同じように、彼は単純で、真直ぐで、正しかった。『お前に責任があるんだ、』と彼は妻に言った。『だから、お前は、今お前のやり方の結果を引きうけたらいいだろう。』
郵便局長は、もちろん、真面目に結婚しようという気は毛頭なかった。以前その家にいた女中も、局長の子供を一人生んだことがあるということを知ったとき、父親はきっぱりと一切の関係を断ち切った。なるほど、彼の娘は、一度その自由を売った――しかし、局長のような人間の屑に対して娘がそうしたことは、父親としては、今なお勿体なさ過ぎたことに思われたであろう。――
数年後に、世界戦争が勃発したとき、マルガレーテは再び郵便局に雇われた。そして今や自分で子供の世話をすることができるのである。



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2020年8月16日は、聖霊降臨後第十一主日(二級祝日 典礼色:緑)です。聖伝のミサのラテン語と日本語・中文・韓国語の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年08月11日 | ミサ聖祭

聖霊降臨後第十一の主日(二級祝日 典礼色:緑)
【ミサ聖祭】<入祭文>は、天主の唯一なる教会の偉大さを歌う。天主が唯一にて在すように、天主の民も一つであり、教会も一つである。神秘的なこの事実の原因は、キリストの神秘、すなわち、聖パウロが明らかに語っているその奥義である<書簡>。

每个主日便是一周的复活节,它唤醒我们追忆复活了基督的胜利(书信),及我们由圣洗中所得精神的复活。过去基督怎样开了聋哑者的耳及解了他的舌,同样祂藉着我们对祂的信仰,脱去我们罪恶的桎梏(福音)。祂又凭藉圣体圣事,欲继续祂圣宠的活动于我们心中。为这个缘故,一般的基督民众在每个主日,该会集包围自己的元首,即复活的基督,以便向祂呼吁(进台咏)。我们应结合于祂的圣祭之中,为沾得宽宥及勇敢的恩宠(密祷经)。在领圣体时,我们的神灵魂获沾各种所需要的恩惠,为引导它获享天上的永生;至于我们的肉身,也得将来光荣复活的保证(领后经)。

『귀먹고 벙어리된 자 하나를 주께 데려오고…곧 그의 귀가 열리고…그 혀의 맺힌 것이 풀려 분명히 말하는지라』(복음) 네 귀는 천주의 말씀을 듣게 하라.(왼편에 무릎을 꿇은 모습이 이를 상징함) 네 혀는 천주의 복음을 전파케 하라. (바른편『강론자』의 모습으로 상징됨) 곧 너의 본당 활동이라는『성소』에서, 너의 가정이라는『집』에서, 또 너의 친지인『민중』가운데서, 주의 복음을 전파할 것이다.(초입경) 『귀먹고 벙어리』된 자를 치료하기 전에 예수께서는 그를 따로 떼어 놓으셨다. 만일 우리가 천주의 말씀을『듣고자』한다면『무리들로부터 떠나』적어도 계속해서 한 시간 동안은, 주일 미사에 참예하여야 한다. 그렇게 함으로써만 그 완치된 농아처럼 우리는 돌아와 기꺼이 진리를『전파』할 것이다.(복음) 성 바오로께서는 어떻게 그가 복음을 받으셨으며, 어떻게 그 복음을 다른 사람들에게 전하셨는지를 말씀해 주신다.『내가 너희에게 전한대로 이를 지키라』(서간경) 

Dominica Undecima post Pentecosten 聖霊降臨後第十一の主日 降临后第十一主日 성신 강림 후 제11주일 
II Classis 二級祝日 复式【绿】  (2급) 초록색
Ant. ad Introitum. Ps. 67, 6-7 et 36. 入祭文 詩篇 67ノ 6-7, 36 进台咏(咏67:6-7, 36) 초입경(성영 67 6-7, 36)
Deus in loco sancto suo : Deus qui inhabitáre facit unánimes in domo : ipse dabit virtútem et fortitúdinem plebi suæ. 天主は、その聖なる場所に[ましまし給う]。天主は家に[人々の]心を一つにして住まわせ給う方。主は御民に力と剛毅とを与え給うだろう。 天主住在祂的圣所;天主使灰心的人有家可归,祂予百姓以伟大力量。 당신 성소에 거하시는 천주시오, 합심하는 자를 한집에 거하게 하시는 천주시니 저는 당신 백성에게 능력과 용맹을 주시리로다.
Ps. ibid., 2. 詩篇67ノ2 咏67:2 (성영 76․2) 
Exsúrgat Deus, et dissipéntur inimíci eius : et fúgiant, qui odérunt eum, a fácie eius. 天主は起ち給い、その敵らは散らさんことを、主を憎む者は御顔より逃れ去らんことを。 愿天主兴起,使祂的仇敌沦灭;使恼恨祂的,都由祂面前逃遁。 천주 일어나사 당신 원수들을 흩으시고 당신을 미워하는자들을 그 면전에서 피하게 하실지어다. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは、聖父と・・・(栄誦) 光荣归于父……。 영광이 부와 자와... 
Deus in loco sancto suo : Deus qui inhabitáre facit unánimes in domo : ipse dabit virtútem et fortitúdinem plebi suæ. 天主は、その聖なる場所に[ましまし給う]。天主は家に[人々の]心を一つにして住まわせ給う方。主は御民に力と剛毅とを与え給うだろう。 天主住在祂的圣所;天主使灰心的人有家可归,祂予百姓以伟大力量。 당신 성소에 거하시는 천주시오, 합심하는 자를 한집에 거하게 하시는 천주시니 저는 당신 백성에게 능력과 용맹을 주시리로다.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Omnípotens sempitérne Deus, qui, abundántia pietátis tuæ, et merita súpplicum excédis et vota : effúnde super nos misericórdiam tuam ; ut dimíttas quæ consciéntia metuit, et adícias quod orátio non præsúmit. Per Dóminum. 全能永遠の天主よ、御身は、御身の優しさのあふれにより、懇願し奉る人々の功徳と望みとを、はるかに超え給う。願わくは、御あわれみをわれらの上に注ぎ給え、そは、良心が畏怖すること[罪]を赦し給い、祈りが敢えて「乞うことさえ」しないこと[聖寵]を与え給わんためになり。天主として、 全能永在的天主,祢丰盈的仁爱,远超恳求祢者的功德和想望之上;求祢在我们身上倾注慈恩,宽赦我们良心上恐惧不安的罪过,并赐下我们所不敢奢望的恩惠。因我们主……。 전능하시고 영원하신 천주여 네 풍성한 애정은 네게 부르짖는 자의 공로와 원의를 초과하는지라, 네 자비를 우리 위에 부어주사 하여금 양심의 두려워하는 바를 관유하시고 또한 감히 구하지 못하는 바를 태워 주시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corínthios. 使徒聖パウロのコリント人への書簡の朗読。 书信 서 간 경
1. Cor. 15, 1-10. コリント前書 15ノ1-10 (格前15:1-10) (고린토전서 15․1-10)
Fratres : Notum vobis fácio Evangélium, quod prædicávi vobis, quod et accepístis, in quo et statis, per quod et salvámini : qua ratione prædicáverim vobis, si tenétis, nisi frustra credidístis. Trádidi enim vobis in primis, quod et accépi : quóniam Christus mortuus est pro peccátis nostris secúndum Scriptúras : et quia sepúltus est, et quia resurréxit tértia die secúndum Scriptúras : et quia visus est Cephæ, et post hoc úndecim. Deinde visus est plus quam quingéntis frátribus simul, ex quibus multi manent usque adhuc, quidam autem dormiérunt. Deinde visus est Iacóbo, deinde Apóstolis ómnibus : novíssime autem ómnium tamquam abortívo, visus est et mihi. Ego enim sum mínimus Apostolórum, qui non sum dignus vocári Apóstolus, quóniam persecútus sum Ecclésiam Dei. Grátia autem Dei sum id quod sum, et grátia eius in me vácua non fuit. 兄弟たちよ、先に私があなたたちに告げ、あなたたちが受けてそれにふみ止まった福音を、私はふたたび示そう。あなたたちが空しく信じることなく、私が伝えたままを守るなら、それによって救われる。私が第一にあなたたちに伝えたことは、私自身受けたことである。すなわち、聖書にしるされているとおり、キリストが私たちの罪のために死に、ほうむられ、聖書にしたがって三日目によみがえり、ケファにあらわれ、また十二人にあらわれたことである。そののち五百人以上の兄弟に同時におあらわれになった。その中には、死んだ者もあるが、ほとんどは今なお生きている。次にヤコボにあらわれ、それからすべての使徒に、最後には、月足らずのような私にもおあらわれになった。私は天主の教会を迫害した者であって、使徒と呼ばれる値打ちのない、使徒のうちでもっとも小さい者である。しかし、天主の恩寵によって、私は今の私になった。そして私が受けた恩寵は空しくならなかった。 弟兄们:我使你们记忆我所传给你们的福音;你们接受了,也坚固地信了它。如果你们依照我所传给你们的坚心保守,你们便因它得救了;否则你们徒然地信了它。我曾经把别人告诉我的传给你们,作基本的教训,那就是:基督依照经上所记载的,为我们的罪死亡、埋葬,并依照经上的记载,第三天复活了。伯多禄看见了祂,然后十一位宗徒也看见了祂。有一次五百余弟兄同时看见了祂,其中大多数到现在还在世,有的已经去世长眠。以后雅各伯看见了祂,众位宗徒也看见了祂;最后、在一切人以后,我这个像不足月婴儿一般的人也看见了祂。实际说来,我是最卑小的宗徒,不配称为宗徒,因为我曾经迫害过天主的教会。然而我仰赖天主的恩宠,才得成为今日的我。的确,祂施给我的恩宠,并没有枉费。 형제들아 나 너희게 강론하던 복음을 알게 하노니, 너희도 이것을 받아 이 위에 선지라. 만약 너희가 헛되이 믿지 않고 내가 전한대로 지킬진대 너희도 이로써 구함을 얻으리라. 대저 나 특별히 너희게 전한 것은 나도 받은 바로서 그리스도 성경에 의하여 사흘만에 부활하심과 계파에게 발현하심과 그 후에 또한 열두종도에게 발현하심이니라. 다음에는 오백명 이상의 형제에게 한꺼번에 발현하셨나니 그중에는 아직까지 살아있는 이도 많으나 어떤 이는 이미 죽었도다. 다음에는 모든 종도에게 발현하셨으며 나중에는 달이 차지 않은 자와 같은 내게도 발현하셨도다. 대저 나는 천주의 교회를 핍박하던 자인즉 종도라 부름을 받기에 합당치 못한 종도중에 가장 미소한 자로되 천주의 성총으로써 지금과 같이 되었으니 저의 성총은 내 안에 헛되지 않았도다. 
Graduale. Ps. 27, 7 et 1. 昇階誦 詩篇 27ノ7,1 台阶咏(咏27:7,1) 층계경(성영 27․7,1)
In Deo sperávit cor meum, et adiútus sum : et reflóruit caro mea, et ex voluntáte mea confitébor illi. 私の心は天主に希望した、そして私は助けられた。私の肉は咲き返った、私は心を尽くして主を告白し奉るだろう。 我一心倚恃天主,我得了扶助;我的身恢复青春,我必全心颂扬衪。 내 마음이 천주께 신뢰하여 나 도움을 받았도다. 이에 내 살이 다시 왕성하였으니 나 온전한 마음으로 저를 찬송하리로다. 
V/. Ad te, Dómine, clamávi : Deus meus, ne síleas, ne discédas a me. V/. 主よ、私は御身に叫び奉った。わが天主よ、黙し給うな、私から遠ざかり給うな。 上主、我的天主啊!我向祢呼吁,求祢不要对我缄口不语,求祢莫要远离我。 주여 나 네게 부르짖으리니 내 천주여 묵묵하지 말으시고 나를 떠나지 말으소서. 
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 80, 2-3. アレルヤ、アレルヤ。V/.  詩篇 80ノ2,3 阿肋路亚。阿肋路亚!(咏80:2-3) 알렐루야 알렐루야.(성영 80․2,3) 
Exsultáte Deo, adiutóri nostro, iubiláte Deo Iacob : súmite psalmum iucúndum cum cíthara. Allelúia. われらの助け手なる天主を讃え奉れ。ヤコブの天主に歓喜せよ。竪琴をもって喜びの詩を歌え、アレルヤ。 你们当向天主、我们的力量,高声颂扬,向雅各伯的天主欢呼欣乐。你们应当弹着琴奏唱喜乐的歌咏。亚肋路亚。 우리 도움이신 천주를 찬양하고 야곱의 천주께 용약하며 거문고로써 유쾌한 성영을 읊을지어다. 알렐루야. 
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Marcum. マルコによる聖福音の続誦。 福音 복음
Marc. 7, 31-37. マルコ 7ノ31-37 (谷7:31-37) (성말구 7․31-37)
In illo témpore : Exiens Iesus de fínibus Tyri, venit per Sidónem ad mare Galilǽæ, inter médios fines Decapóleos. Et addúcunt ei surdum et mutum, et deprecabántur eum, ut impónat illi manum. Et apprehéndens eum de turba seórsum, misit dígitos suos in aurículas eius : et éxspuens, tétigit linguam eius : et suspíciens in cælum, ingémuit, et ait illi : Ephphetha, quod est adaperíre. Et statim apértæ sunt aures eius, et solútum est vínculum linguæ eius, et loquebátur recte. Et præcépit illis, ne cui dícerent. Quanto autem eis præcipiébat, tanto magis plus prædicábant : et eo ámplius admirabántur, dicéntes : Bene ómnia fecit : et surdos fecit audíre et mutos loqui. そのとき、イエズスは、ティロの地方を去り、シドンを通り、デカポリ地方の中央をへて、ガリラヤの海辺においでになった。人々がまた、どもりで耳の聞こえない人をつれてきて、按手してくださいと願った。イエズスは、その人ひとりを群衆の中から連れだし、その耳に指を入れ、またつばをつけてその舌にさわり、天をあおいで吐息をつき、その人に「エッフェタ!」とおっしゃると・・・それは開けよという意味である・・・その耳はひらけ、すぐ舌のもつれはとけ、正しく話せるようになった。そこで、イエズスは、だれにもいうなと人々をいましめられたけれど、いましめられればいましめられるほど、なおさらますます言いひろめた。人々は大いに感嘆して、「あの方はすべてをよくなさった。聞えない耳を聞えさせ、唖の口をひらかれた」といった。 那时候,耶稣又走出泰尔境界经过西同,向加黎利海去,一直到达卡波利的中心区。有人带来一个又聋又哑的人,求耶稣给他按手。耶稣领他离开群众,走到一边,将手指放入他耳中,用唾沫抹他的舌头,再仰望着天,叹了一声,对他说:“厄弗达”!就是“开了吧”!他的耳开了,舌结也解了,清楚地说话了。耶稣嘱咐在场的人不要向谁告诉;但越是嘱咐他们,他们越是传扬。他们大为惊奇说:“祂一切都做的好:祂叫聋子听见,叫哑巴说话。”  유시에 예수 다시 디로지경에서 나오사 시돈근처로 말미암아 데가볼니지경사이로 지나사 갈릴레아 바닷가에 이르시매 귀막히고 벙어리된자 하나를 주께 데려오고 손으로 만져 주시기를 간구하거늘 예수 저를 백성중에서 따로 이끌어내시고 당신 손가락을 그 귀에 넣으시며 침을 뱉아 그 혀에 바르시고 하늘을 우러러 탄식하시고 가라사대「에패다」하시니 이는 열리란 말이라, 즉시 그 귀가 열리고 그 혀의 맺힌 것이 풀려 분명히 말하는지라, 예수 저들에게 분부하사 아무에게도 말하지 말라 당부하실수록 더욱 전파하며 더욱 기묘히 여겨 이르되「모든 것을 다 잘하사 귀막힌 자를 듣게 하시고 벙어리를 말하게 하셨다」하더라. 
Credo 信経 信经 *신경* 
Ant. ad Offertorium. Ps. 29, 2-3. 奉献文 詩篇 29ノ2-3 奉献咏(咏29:2-3) 제헌경(성영 29․2,3)
Exaltábo te, Dómine, quóniam suscepísti me, nec delectásti inimícos meos super me : Dómine, clamávi ad te, et sanásti me. 主よ、私は御身をあがめ奉る。何故なら主は私を受け入れ給い、私について私の敵どもを喜ばしめ給わなかった。主よ、私は御身に向かって叫んだ、すると御身は私を癒し給うた。 上主啊!我要称颂祢,因为祢救拔了我,也没有使我的仇敌向我矜夸。上主啊!我曾向祢呼号,祢医治了我。 주여 너 나를 받드사 내 원수들로 하여금 나로하여 즐거워하지 못하게 하셨으니 나 너를 찬송하나이다. 주여 나 네게 부르짖으매 너 나를 낫게 하셨나이다. 
Secreta. 密誦 密祷经 묵념축문
Réspice, Dómine, quǽsumus, nostram propítius servitútem : ut, quod offérimus, sit tibi munus accéptum, et sit nostræ fragilitátis subsidium. Per Dóminum. 主よ、願わくは、憐れみ深く我らの奉仕をみそなわし給え。そは、われらの奉献する物が、御身に嘉せられた贈物となり、かつ、われらの弱さの援助とならんためなり。天主として。 主,求祢垂视我们此刻的服役:使我们所献的,成为合乎祢圣意的礼品,并作我们软弱者的扶助。因我们主……。 주여 비오니 우리의 거룩한 봉사를 인자로이 굽어보사 우리 제물을 네게 흡합한 선물이 되게 하시고, 또한 우리 섬약함에 보호가 되게 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 
Præfatio de sanctissima Trinitate  三位一体と主日との序誦 天主圣三的颂谢引 성삼감사경
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… 주여, 성부여, 전능하시고 영원하신 천주여, 우리가 어디서나 항상 주께 감사하는 것이 참으로 당연하고 옳으며, 지당하고 구령에 유익하나이다. 주는 외아들과 성신과 더불어 오직 한분의 천주시요, 오직 한분의 주이시되, 한 위가 아니시고, 한 체로서 세 위시니이다. 주의 계시로 우리가 주의 영광에 대하여 믿는 바를, 성자와 성신에 대하여서도 조금도 다름이 없이 믿나이다. 그리하여 우리는 참되시고 영원하신 천주성을 찬미함에 있어, 위로서는 각 품이시요, 체로서는 하나이시요, 지존하시기는 같으심을 찬송하나이다. 천신들과 대천신들 및 케루빔과 세라핌이 이를 찬양하며, 날마다 간단없이 제창하나이다. 거룩하시다, 거룩하시다, 만군의 천주이신 주는 거룩하시나이다. 하늘과 땅에 주의 영광이 가득하나이다. 천상에 좌정하신이여 호산나, 주의 이름으로 오시는 이는 찬미받아지이다. 천상에 좌정하신이여 호산나.
Ant. ad Communionem. Prov. 3, 9-10. 聖体拝領誦 箴言 3,ノ9-10. 领主咏(箴3:9,10) 영성체경(잠언 3․9,10)
Hónora Dóminum de tua substántia, et de prímitus frugum tuárum : et implebúntur hórrea tua saturitáte, et vino torculária redundábunt. おまえの持ち物から、そして、おまえの収穫の初穂から主に名誉を帰せ。そうすれば、倉はおまえの満足するまで満たされ、酒ぶねは、ぶどう酒であふれるであろう。 要以你的货财和一切初熟之物尊崇上主。如此,你的仓库必然充盈,你的酿酒器必要流溢新酒。  네 재산과 네 숫곡식을 가지고 주를 공경할지니 이에 너 창고가 충만할 것이요 네 포도틀에 포도주가 풍성히 흐르리로다. 
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후 축문
Sentiámus, quǽsumus, Dómine, tui perceptióne sacraménti, subsídium mentis et córporis : ut, in utróque salváti, cæléstis remédii plenitúdine gloriémur. Per Dóminum nostrum. 主よ、願わくは、御身の秘蹟を拝領することにより、われらが心と体の援助を感じんことを。そは、われらが心と体の両者において救われ、天の良薬の充満によって栄光を受けんためなり。天主として、(…)。 主,求祢使我们能以领受祢的圣事,感受身灵的援助;望我们这样神形上获得救援之后,能由此天药的充分效能,感到愉快。因我们主……。

 주여 비오니 우리로 하여금 네 거룩한 성사를 영함을 인하여 영육상에 도우심을 받아 그 구원을 얻어 써 천상신약의 풍성한 능력을 누려 찬양케 하시되, 네 아들 우리 주 예수․그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과... 

 

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山に木を切って設置した太陽光発電システムは、土砂崩れで流れ民家を崩壊

2020年08月11日 | 本・新聞・ウェッブ・サイトを読んで

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

韓国では、連日の大雨で、山に木を切って設置した太陽光発電システムは、土砂崩れで流れ民家を崩壊してしまったそうです。

やっぱり、山には木が植えられていないと危険ですね。







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「助産婦の手記」22章 『今日では、結婚した人たちは――殊に上流社会では――別の課題を持っているのです。』

2020年08月10日 | プロライフ
「助産婦の手記」

22章

別荘「こうの鳥の巣」は、教会の傍らに立っている。それは、緑色の鎧戸(よろいど)と、赤い瓦の屋根を持った質素な白い別荘であるが、それはちょうど、窓の飾り縁の上や、その家の周囲に咲いている色とりどりの花と同じように、さも喜ばしげに、世間を眺めている。樅(もみ)と樺(かば)は、今は丈高く成長し、そして外界と区切る白い格子囲いの後ろにある水松(いちい)の生垣は、その家の周囲に広がっている大きな庭の中を、好奇的な人々がのぞき込むのを防いでいる。しかし、その生垣の後ろは、どんな様子であるかということは、村の者はみんな知っている。それは、医者の家である。ウイレ先生、すなわちその地方全体で一番よくはやるお医者さんが、そこに住んでいる。家の後ろには、多くの果樹と、一軒の東屋(あずまや)のある大きな草っ原がある。そこでは、お医者の子供たちが、山羊と駈けっくらべをしている。

ウイレ先生は、殆んど二十五年も、この村に住んでいる。先生のお父さんも、以前からここの医者であった。そのお方が、年をとって隠居しようと思ったので、御子息のウイレ先生が患者を引き継いだのである。戦争の二三年前に、先生は結婚した。二人の快活な上品な人間が、ここに邂逅したわけで、こんなことは珍しいことである。私たち助産婦は、どんな家へでも訪ねていく――しかも、日曜日に、わざわざとりつくろったよい部屋へだけ通されるのではない! それゆえ、人間について何ものかを理解し、人間を見分けることを学んだのであった。

結婚式から二三ヶ月後に、ウイレ先生は、往診の途中で、私と出会い、そして言われた。
『リスベートさん、一度、家内を訪問して下さらねばいけませんよ。』
『承知しました。で私も、誠にお目出とうと申上げます!』私は、喜ばしげに叫んだ。しかし先生は少し狼狽して笑った。
『いや、リスベートさん、それはまだ早すぎますよ。御存知ですかね。家内のマリーレは、ヨゼフ樣のような結婚生活が、我々二人にとっては、一番美しく、一番上品なものだと信じているのですよ。しかし、僕は――僕としては、十人も男の子があれば、もっと美しいものだと思うし、その上、さらに半ダースも女の子があれば……』
『ほんとですよ、先生。さもなければ、独身でいるべきですわ。先生は、そのことをまだ奥さんにおっしゃらないのですか?』
『いや、まだです。あなたがまあ言って見て下さい。偶然のような具合にね、すると耳ざわりが遙かによいと思います。あなたは、御自身、オールド・ミスですから、この問題を両面から明らかにすることができるわけですね。』

まあ、助産婦を何の用に使おうとするのであろう! そこで私は、ある暇な午後、黒い前掛をかけ編物を籠に入れ、そして医者の奥さんのところへ出かけた。奥さんは、私を古い知り合いのように迎えた。『主人は、あなたがお出でになるってことを、私に言っていました。でも、よくいらっしゃいました。』 間もなく、私たちは、庭の中で、湯気の立っているコーヒーの皿の傍らに坐った。婦人というものは、実によくおしゃべりするものである。私たちも、そのように、あらゆることについて話し合った。私はちょうど(故意に)、子供のズボンを編んでいたので話の糸口は、間もなく、思う壺の題材に結びついた。
『もし困ったお母さんを御存知でしたら、早速私のところへ来て下さい。私は喜んで、おむつや、その他いろいろのものを差上げて、助けてあげたいと思いますわ……』
『誠に有難う存じます。私たちは、とても色々な境遇に出くわすのです。赤ちゃんが六十人ほどいますが、いつも何事かが起ります。』
『このような村に、わずか六十人だけですか?』と、医者の奥さんは、驚いて言った。
『そうです。もし以前のようでしたら、大体八十人か九十人かでしよう。しかし、每年二、三人ずつ少くなります。』
『それは、どういうわけですの? 以前より結婚する人が少なくなったのですか?』
『いえいえ、結婚する人は多いんです。しかし、若い奥さんたちは、今日では、もう赤ちゃんをほしがりません。上流の方々は、子供を儲けないことをフランスから学んだのです。そして細民たちは今では、そういう人たちの真似をするんです。まあちょっと、私たちの周囲を御覧下さい。子供を持っているのは、薬剤師は一人、も一人の医者はなし、支配人もなし、森林参事官は一人、酒類問屋は半分、監督は一人……』

若い奥さんは、半分の子供というのに少し笑ったが、それから狼狽して臆病げに言った、『ブルゲルさん、それとは違ったゆき方もあり得るわけじゃないでしようか? 理想的な理由から、子供を持たないこともできるものですね。』
今や私たちは、私が行きたいと思っていた所に辿りついた。『確かに、奥さん、それはできます。しかし、大抵はそうではありません。今日では、大抵違ったことをやっています。そして御覧のように、それは害悪を与えます。細民たちは、富んでいる人々を見て言います、もしあの方たちが子供を育てる力があるのに、そうしないのなら、どうして我々は、育児で苦しむ必要があろうか、と。』
『でも、私にとっては、夫婦が兄妹のように生活することは、 とても美しいもののように思われるのです。一体、どうして人間は、そうしては、いけないのでしようか?』
『それは人々に、あなたのお考えのような理想主義と、そのことに対する理解とが欠けているからです。そしてそれは、全く一般の人間の性質に反しているからです。私たちの救世主は、御自分でおっしゃいました。「すべての者がこの言葉を理解するのでなく、むしろこの言葉を与えられた人々のみが、そうするのである。こういう事は、人間が自分自身で解決するものではなく、天主が定め給うのである。」 と。天主は、大抵の人を結婚するようにお定めになりました。それは、人類が生きつづけ、そして天国の人口を増やすためです。そしてそれゆえ、人間はまた、正しい夫婦として、一緒に生活すべきです。もし、そうでなければ、そこには祝福はないわけですね。』
『でも、私たちは、とても幸福に一緒に暮しているんですが……』
『奥さん、何かお尋ねしても宜しいですか? あなたは、結婚式の前に、御主人とそのようなお約束をなさったのですか?』
『いえいえ。その時には、私はそんなことは考えていませんでした。私たちがあの晚、ここにこうして一緒に座ったとき、はじめて私は、このことを思いついたのです。そして私がこのことを言いますと、主人は反対をせずに、まあ試しにやって見てもよかろうと言ったのでした。』
『御主人は、あなたを大変愛していらっしゃるから、あなたのために犠牲を捧げ、そしてあなたが正しい道を見いだすまで、待っていらっしゃるのです。悪いことではありませんよ、奥さん。しかし、御主人が確かに夫婦愛を熱望していらっしゃるのに、あなたがそれを、おあずけにしていらっしゃるということは、御主人に対して一つの不正なことではないかどうかということを、一度お考え下さい。御主人は、子供ができることを、いつも望んでいらっしゃるのですよ……』
『でも私たちは、一緒に天国への道を歩んで行こうとお互いに約束したのです。お互いに聖(きよ)くなるよう助け合おうということを。』
『そのことは、もちろんあなたも、なさるべきです。しかし奥さん、あなたが一たび婚姻の秘蹟をお受けになった以上は、たとえあなたが、その秘蹟を実行し、そして妻としてのあなたの権利を行使されても、それには、あなたと御主人とが、天国への道を辿られるのに何の妨げともならないのです。善良な正しい夫婦も、私たち独身者と同様に、聖くされることができるのです。恐らく、もっとよく。そして、いいですか! もちろん私は主任司祭ではありませんから、このことをそのように言うことはできないのですが――しかし結婚しても処女でいる人は、半端な物に過ぎないのです。処女は、主のものならんことを求むるなりと、使徒聖パウロは書いています。しかし、あなたは、なおもっと御主人のことを思い、御主人と仲良くしようとつとめ、御主人の気に入り、愛せられようと望んでいらっしゃるのです。御主人を慕い、そして、お互いに信頼し合って同棲することと、深い愛情とを望んでいらっしゃるのです。そして、あなたの御主人も確かに、それとは違ったお気持ちではないと思います。御主人は、每日犠牲を捧げ、そして、こう自分で言っておられるのです。私は、いわゆる「妻」を持つことをあきらめ、そして待っているのです、と。そして天なる天主は、こう考えていらっしゃいます。あすこで、またしても二人のものが、私のために一緒に苦しんでいる。あの人たちは、結婚についての私の意向を実行して、一緒に全く幸福になろうとせずに、自分たちの誤った理想主義をもつて、私の計画を妨げている、と。』
『ブルゲルさん、いいですか、私はこう考えたのです。人々が現在ではもう、禁欲というものはできるものではないと考えているものですから、その人たちに向って、これを実際やって見せねばならない、と。』
『純粋な処女生活をして世間の人に見せることは、私たち独身者に任せて置いて下さい。みんなが、まだ子供を持つ喜びをもっと感じており、そして家庭一般に子沢山であった時代ですと、そのような全く禁欲的な夫婦生活は、一つの使命を持つことができたでしょう。しかし、今日では、結婚した人たちは――殊に上流社会では――別の課題を持っているのです。この村では、人々はこうは言わないでしよう。お医者さん御夫婦は、純潔な禁欲生活をしていらっしゃる、我々は御夫婦に倣おうではないかと。そうではなく、人々はこう言うでしよう。あれ御覧、どうすれば子供が出来ないかということを、お医者さん御夫婦も御存知だ。それなのに、私たちは子供を持ち、そしてそのために苦しまねばならないんだと。このことは、医者への信頼を破壊します。あなた方のなさるそれ以外の善いことを、ぶっこわしてしまいます。しかし、私がこんなにお説教したことを、どうかお許し下さい。私は思ったままを言ったばかりです。さて、これから私は、妊婦たちを見に行かねばなりません。』
『あなたは、今、いくたりお世話をしていらっしゃるのですか?』
『二人です――はじめてのお方と、十一人目のお子さんの方とです。このことについては、またこの次ぎにお話しましよう。人は誰でも、それぞれ一篇の小説を持っているものです。』

私たちは、それからなお三十分も一緒に歩きながら、母の悩みと母の喜びとについていろいろ話し合った。 いかにして人生が、それらのものをもたらして見せるかということを。 それから医者の奥さんは、心を改めた。奥さんは、帰宅の途中、教会に行って、長い間、静かに、かつ瞑想に耽りながら、天主の御母の祭壇の前にひざまずいた。 (このことは、奥さんが、後で私に話して下さった)

この晩、アンゼラスの鐘が鳴りわたった時、一つの大きな純粋な光が、この静かに祈っている処女の喜びに満ちた心の中にさし込んだ。『マリア様は言われました、われは主の婢(つかいめ) なり――仰せの如くわれになれかしと。私もまた、天主様の全く忠実な婢となって、私の婚姻上の義務を果すこととします。私が結婚式のとき、祭壇の前でそのことを身に引き受け、そして天主の御前で誓った通りに。もうこれからは、私の意志ではなくて、主よ、御身の御旨です――その御旨は、いま私のために、およそ正しく善い一切の事柄について、私の夫の意志の中に現われるべきなのです。』 子供を得たいという意志が、彼女の心の中に、全く甘美に、かつ大きく目覚めた――子供への熱望が……
あくる年の夏、ちょうどヨハネの祝日に、小さなハンスがこの医者の家で生れた。
『リスベートさん、うんと高い勘定書を差し出しなさいよ。』と当時、多くの人たちが私に言った。
『でも、あんたがそこへ行くのも、これが同時に最後だということは確かですよ。』

しかし、彼らは、大間違いだった。ハンスにつづいて、グレーテルとパウロとペーテルレとメヒトヒルドとフランツェル……へえ、とばかりに、村の人々は驚いた! 彼らは、この「こうの鳥の巣」は、教会堂から落っこちて、今そのそばに立っているんだ(だからあんなに、子供が多いんだな)と、低い声で、あざけりはじめた。
その後さらに、ゲルトルードが生れたときには、お医者さんにとっては、その家は小さ過ぎるようになった。そこで彼は、屋根裏を改造して、子供たちのために美しい寝室を作り、そして原っぱにある園亭を遊戯室に改造した。同時に、彼は自宅の門の上に、大きな字で、かつ、ざっくばらんに、次のように書かせて、嘲笑の鋒先きを巧みにくじいた。
別荘 こうの鳥の巣

十羽の幼いこうの鳥が、今日までこの巣の中にいる。そして我々の村は、まだまだ、多くの他所のように、そんなに全く不道徳な、みじめなものではないということは、まず第一に、我々の医者の実例で証明できる。



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新使徒憲章 Praedicate Evangelium プレディカーテ・エヴァンジリウム【福音を宣教せよ】(その2)

2020年08月10日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

今年の12月8日、第二バチカン公会議の閉幕55周年を迎えます。公会議でまかれた種が木になり、実を結び続けています。アマゾン・シノドスは「新たな聖霊降臨」とされましたが、教皇フランシスコは「新たな聖霊降臨」を待望しています。

新使徒憲章 Praedicate Evangelium プレディカーテ・エヴァンジリウム【福音を宣教せよ】公布は間近いとのニュースを耳にします。これにより、バチカン改革と主要枢機卿ポストの交替が目前に迫っています。

第二バチカン公会議以前には、カトリック信仰こそがカトリック教会の宝であり、最も大切なものでした。したがって、検邪聖省(Holy Office)が、最も重要な機関でした。

しかし、第二バチカン公会議以後は、検邪聖省は単なる「教理省」となり、「国務省」が「教理省」より大きい権力を持つようになりました。

新しい使徒憲章によって、教理省は「教理部署」になるか、あるいは、リストの順位が一位になる「福音宣教部署」に統廃合されて飲み込まれて、無くなってしまう可能性もあります。

女性が様々な部署の長官になるでしょう。

世俗の国家のように、国務省と財務部署が、権力を振るうでしょう。

計算し尽くせない結果が新しい使徒憲章から生じると思います。しかし、教皇の使命は「兄弟たちの信仰を固める」ことです。

私たちは、今までに増して、教皇聖下の為に祈ります。

さて、日本語に訳された記事から、以下、要点をご紹介いたします。

カトリック教会の中心にあるバチカン、その官僚機構のメンタリティと構造を改革しようする教皇フランシスコの現在の最も野心的なプロジェクトだ。

フランシスコは2013年3月に教皇に選出されてちょうど一か月後、「枢機卿顧問会議(C9)」を設けた。

当初、世界各地から教皇が選んだ9人で構成され(現在メンバーは6人)、そして、現在のバチカンの体制を規定している使徒憲章『Pastor Bonus』に代わる新使徒憲章によって、バチカンを抜本改革する計画を策定するという具体的な使命も与えられている。

『Praedicate Evangelium』の草案は1年以上前に完成しているが、教皇は世界各国の司教協議会、特定の修道会の総長たち、そして何人かの神学者たちから、追加の提案を受けることを希望された。

今年の2月22日の聖ペトロの使徒座の祝日、遅くとも6月末の聖ペトロ・聖パウロの祝日までに最終文書が発表される、ということが、今年の年初には言われていた。

バチカンの情報筋によると、新使徒憲章『Praedicate Evangelium』は完成し、教皇フランシスコが既に署名を終え、主要言語への翻訳作業に入っている。翻訳が完成すれば、新使徒憲章は正式に公開される、という。

新使徒憲章がいつ発表されようと、それは歴史的なものとなり、影響は多岐にわたると予想される。

新使徒憲章が実施に移されると、バチカン幹部の大規模な人事異動だろう。

間もなく、バチカンを拠点に活動する枢機卿20人以上が司教定年=現職の閣僚ポストからの退職の年令=を迎える。このため、あたらな指導者たちの任命が必要となる。

・司教省長官
教皇フランシスコは、司教省の長官、マルク・ウエレット枢機卿の後任を決めねばならない。

・典礼秘跡省、東方教会省、教育省の長官
典礼秘跡省の長官を務めているロバート・サラ枢機卿も6月15日で75歳になった。

・東方教会省長官のレオナルド・サンドリ枢機卿も76歳で、交替期を迎えている。

・教育省長官も交替するだろう。現長官のジュゼッペ・ベルサルディ枢機卿は今月末に77歳になる。

・聖職者省長官、列聖省次官
聖職者省の長官を務めてきたベニアミノ・ステラ枢機卿も交替が求められている。
聖職者省の次官、ジョエル・メルシェ大司教も交替となる可能性がある。年初に75歳になっているからだ。
列聖省の次官、マルチェッロ・バルトルッチ大司教も、このほど76歳となったため、教皇フランシスコが彼の辞表を受理すると予想される。

・バチカン市国の管理者たち、内赦院長
現在の行政庁長官のジュゼッペ・ベルテッロ枢機卿は2011年からこの職に就いており、あと3か月で78歳の誕生日を迎える。
総務局長を2013年から務めている大司教フェルナンド・ヴェルジェス・アルザガ大司教も定年だ。2人とも交替となる。
内赦院長のマウロ・ピアチェンツァ枢機卿もそうだ。
・教理省長官
教理省長官のルイス・ラダリア枢機卿。スペイン人イエズス会士は今年4月に76歳になった。

・新福音化推進評議会議長サルバトーレ・フィジケッラ大司教
教皇フランシスコは現在、 同評議会の廃止、福音宣教省への機能統合を進めている。教皇は福音宣教省の長官に63歳のフィリピン人アントニオ・タグレ枢機卿を任命したばかりだ。

経済評議会(財務評議会)the Council for the Economyを構成する8人の枢機卿のうち、5人ないし6人が退任する。
経済評議会の座長で66歳のミュンヘン大司教、ラインハルト・マルクス枢機卿は同評議会に残る。

教皇は、バチカン財務の実権握る財務評議会議員に女性6人任命
バチカンは6日、教皇フランシスコが財務評議会の新議員に女性6人を任命した、と発表した。
財務評議会は、教皇庁の各省庁や聖座とバチカン市国に関連する諸機関の財務の管理・運営を監督する機関。
議長に教皇の腹心とされているラインハルト・マルクス枢機卿を置き、教皇がバチカンで最重要視する機関の一つ。これまで全員が男性で占められていた定員15人の議員ポストに一挙に6人の女性任命。

バチカン改革で枢機卿も欠員を補充せねばならないが、対象者はまだ枢機卿になっていない者も含まれる可能性がある。そのような予想の根拠は、近く開かれるであろう枢機卿会議に備えて15個の指輪を発注したことにある。








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