Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2018年 6月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


6月はイエズスの聖心の月です。イエズスの御心の連祷を毎日唱えましょう。
意向:多くの司祭・修道者の召命が与えられるため
実践すべき徳:御聖体への愛徳と頻繁な霊的聖体拝領
守護の聖人:ゴンザガの聖アロイジオ

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2018年 6月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセス EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

    6月1日(初金) 童貞聖アンジェラ・メリチア(3級祝日)白
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭

    6月2日(初土) 聖母の土曜日(4級)白 殉教者司教聖マルチェリノ、ペトロ、エラスモの記念
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    6月10日(主) 聖霊降臨後第3主日(2級)緑
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭

    6月11日(月) 使徒聖バルナバ(3級祝日)赤
            午前6時 ミサ聖祭

    6月15日(金) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭

    6月16日(土) 聖母の土曜日(4級)白
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」
    6月3日(主) 御聖体の荘厳祭 白  
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

    6月4日(月) 証聖者聖フランシスコ・カラッチョロ(3級祝日)白 
            午前7時 ミサ聖祭

    6月17日(主) 聖霊降臨後第4主日(2級)緑  
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

    6月18日(月) 教会博士証聖者助祭シリアの聖エフレム(3級祝日)白 
            午前7時 ミサ聖祭

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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日本での聖伝のミサのご案内【2018】

2018年05月23日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します。

2018年の御ミサのスケジュールをお知らせいたします。

スケジュールについては、やむを得ず予定の変更がある場合があるかもしれません。

いつものように、左のカレンダをクリックして、最新のミサ日程で、ご確認できますが、

修正がある場合は、この『日本での聖伝のミサのご案内【2018】の記事も更新いたしますので、随時どうぞご確認ください。

この記事はスマートフォンでも、【カテゴリ】聖伝のミサの予定 でいつでもご確認できます。

聖ピオ十世会 年間の予定はこちら


【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」
大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002
(アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

【東京】「聖ピオ十世会 聖なる日本の殉教者巡回聖堂」
東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図


**** 5月の予定  ****

聖ピオ十世会公式秋田巡礼
5月2日(火)~5月6日(主)

 【大阪】
 5月13日(主)
 御昇天後の主日(2級)白
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 5月14日(月)
 平日(4級)白 殉教者聖ボニファチオの記念
 午前6時 ミサ聖祭

 5月18日(金)
 殉教者聖ヴェナンチオ(3級祝日)赤
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 5月19日(土)
 聖霊降臨の前日(1級)ミサは赤
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 【東京】
 5月20日(主)
 聖霊降臨(1級及び1級の八日間付き)赤
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 5月21日(月)
 聖霊降臨の月曜日(1級)赤
 午前7時 ミサ聖祭


**** 6月の予定  ****
 【大阪】
 6月1日(初金)
 童貞聖アンジェラ・メリチア(3級祝日)白
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 6月2日(初土)
 聖母の土曜日(4級)白 殉教者司教聖マルチェリノ、ペトロ、エラスモの記念
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 6月10日(主)
 聖霊降臨後第3主日(2級)緑
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 6月11日(月)
 使徒聖バルナバ(3級祝日)赤
 午前6時半 ミサ聖祭

 6月15日(金)
 聖霊降臨後の平日(4級)緑
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 6月16日(土)
 聖母の土曜日(4級)白
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 【東京】
 6月3日(主)
 御聖体の荘厳祭 白
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 6月4日(月)
 証聖者聖フランシスコ・カラッチョロ(3級祝日)白
 午前7時 ミサ聖祭

 6月17日(主)
 聖霊降臨後第4主日(2級)緑
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 6月18日(月)
 教会博士証聖者助祭シリアの聖エフレム(3級祝日)白
 午前7時 ミサ聖祭


**** 7月の予定  ****
 【大阪】
 7月6日(初金)
 聖霊降臨後の平日(4級)緑
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 7月7日(初土)
 証聖者司教聖チリロとメトディオ(3級祝日)白
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 7月13日(金) ←日付が変更されました
 聖霊降臨後の平日(4級)緑
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 7月14日(土)←日付が変更されました
 教会博士証聖者司教聖ボナヴェントゥーラ(3級祝日)白
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 7月15日(主)
 聖霊降臨後第8主日(2級)緑
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 7月16日(月)
 聖霊降臨後の平日(4級)緑  カルメル山の童貞聖母マリアの記念
 午前6時 ミサ聖祭

 【東京】
 7月8日(主)
 聖霊降臨後第7主日(2級)緑
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 7月9日(月)
 聖霊降臨後の平日(4級)緑
 午前7時 ミサ聖祭

 7月15日(主)←日付が変更されました
 聖霊降臨後第8主日(2級)緑
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 7月16日(月)←日付が変更されました
 聖霊降臨後の平日(4級)緑  カルメル山の童貞聖母マリアの記念
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭  ←時間が変更されました


**** 8月の予定  ****
 【大阪】
 8月3日(初金)
 聖霊降臨後の平日(4級)緑
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 8月4日(初土)
 証聖者聖ドミニコ(3級祝日)白
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 8月17日(金)
 証聖者聖ヒヤチント(3級祝日)白
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 8月18日(土)
 聖母の土曜日(4級)白
 デ・ガラレタ司教様による堅振式
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 8月31日(金)
 証聖者聖ライムンド・ノンナート(3級祝日)白
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 【東京】
 8月5日(主)
 聖霊降臨後第11主日(2級)緑
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 8月6日(月)
 私たちの主イエズス・キリストの御変容(2級祝日)白
 午前7時 ミサ聖祭

 8月19日(主)
 聖霊降臨後第13主日(2級)緑
 デ・ガラレタ司教様による堅振式
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 8月20日(月)
 教会博士大修院長聖ベルナルド(3級祝日)白
 午前7時 ミサ聖祭


**** 9月の予定  ****
 【大阪】
 9月1日(初土)
 聖母の土曜日(4級)白 大修院長聖エジディオの記念
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 9月9日(主)
 聖霊降臨後第16主日(2級)緑
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 9月10日(月)
 日本205福殉教者(3級祝日)赤
 午前6時半 ミサ聖祭

 9月14日(金)
 聖なる十字架の称賛(2級祝日)赤
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 9月15日(土)
 童貞聖マリアの7つの御悲しみ(2級祝日)白
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 【東京】
 9月2日(主)
 聖霊降臨後第15主日(2級)緑
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 9月3日(月)
 証聖者教皇聖ピオ10世 (聖ピオ十世会では1級祝日) 白
 午前7時 ミサ聖祭

 9月16日(主)
 聖霊降臨後第17主日(2級)緑
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 9月17日(月)
 聖霊降臨後の平日(4級)緑
 午前7時 ミサ聖祭


**** 10月の予定  ****
 【大阪】
 10月5日(初金)
 聖霊降臨後の平日(4級)緑  殉教者聖プラチドとその伴侶の記念
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 10月6日(初土)
 証聖者聖ブルノ(3級祝日)白
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 10月14日(主)
 聖霊降臨後第21主日(2級)緑
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 10月15日(月)
 童貞聖テレジア(3級祝日)白
 午前6時半 ミサ聖祭

 10月19日(金)
 証聖者アルカンタラの聖ペトロ(3級祝日)白
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 10月20日(土)
 証聖者ケンティの聖ヨハネ(3級祝日)白
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 【東京】
 10月7日(主)
 聖霊降臨後第20主日(2級)緑  ロザリオの聖母の記念
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 10月8日(月)
 寡婦聖ビルジッタ(3級祝日)白
 午前7時 ミサ聖祭

 10月21日(主)
 聖霊降臨後第22主日(2級)緑
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 10月22日(月)
 聖霊降臨後の平日(4級)緑
 午前7時 ミサ聖祭


**** 11月の予定  ****
 【大阪】
 11月2日(初金)
 全ての死せる信徒の記念(1級)黒
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 11月3日(初土)
 聖母の土曜日(4級)白
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 11月11日(主)
 聖霊降臨後第25主日(2級)緑(御公現後第5主日)
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 11月12日(月)
 殉教者教皇聖マルティノ1世(3級祝日)赤
 午前6時半 ミサ聖祭

 11月16日(金)
 童貞聖ジェルトルード(3級祝日)白
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 11月17日(土)
 証聖者司教奇跡家聖グレゴリオ(3級祝日)白
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 11月30日(金)
 使徒聖アンドレア(2級祝日)赤
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 【東京】
 11月4日(主)
 聖霊降臨後第24主日(2級)緑(御公現後第4主日)
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 11月5日(月)
 聖霊降臨後の平日(4級)緑
 午前7時 ミサ聖祭

 11月18日(主)
 聖霊降臨後第26主日(2級)緑(御公現後第6主日)
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 11月19日(月)
 寡婦聖エリザベト(3級祝日)白
 午前7時 ミサ聖祭


**** 12月の予定  ****
 【大阪】
 12月1日(初土)
 聖母の土曜日(4級)白
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 12月9日(主)
 待降節第2主日(1級)紫
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 12月10日(月)
 待降節の平日(3級)紫
 午前6時半 ミサ聖祭

 12月14日(金)
 待降節の平日(3級)紫
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 12月15日(土)
 待降節の平日(3級)紫
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 12月21日(金)
 使徒聖トマス(2級祝日)赤
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 12月22日(土)
 待降節の四季の斎日 土曜日(2級)紫
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 12月24日(月)
 平日の主の御降誕の前日(1級)紫
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭

 午後11時 クリスマスキャロル

 12月25日(火)
 主の御降誕(1級祝日、八日間付き)白
 午前0時  ミサ聖祭(真夜中のミサ)

 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭 (あかつきのミサ)


 【東京】
 12月2日(主)
 待降節第1主日(1級)紫
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 12月3日(月)
 証聖者聖フランシスコ・ザビエル (宣教地日本では1級祝日) 白
 午前7時 ミサ聖祭

 12月16日(主)
 待降節第3主日(1級)バラ色(或いは紫)
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 12月17日(月)
 待降節の平日(2級)紫(12月17日から12月23日)
 午前7時 ミサ聖祭

 12月23日(主)
 待降節第4主日(1級)紫
 午前10時  ロザリオ及び告解
 午前10時半 ミサ聖祭

 12月24日(月)
 平日の主の御降誕の前日(1級)紫
 午前7時 ミサ聖祭

 12月25日(火)
 主の御降誕(1級祝日、八日間付き)白
 午後5時半 ロザリオ及び告解
 午後6時 ミサ聖祭 (日中のミサ)
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【緊急のお願い】アイルランドの生まれない子供たちの命が守られるために多くの祈りと犠牲をお願いいたします

2018年05月21日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 緊急の祈りのお願いです。

 アイルランドでは、アイルランド憲法40条の3の3項によって胎児の生命が法律によって保護されています。

 しかし来たる2018年5月25日(木)には、この条項を廃止するか否かで国民投票が行われます。

 アイルランドの生まれない子供たちの命が守られるために、愛する兄弟姉妹の皆様の多くの祈りと犠牲をお願いいたします。

 聖ピオ十世会カナダでもこのために、アイルランドのためにアイルランドと共に、熱烈な祈りが捧げられています。私たちもこれに合わせて祈りましょう!

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


SSPX Canada prays with and for Ireland

On Thursday May 25th, there will be a referendum in Ireland asking the people whether or not to remove Article 40, 3, 3 from the Irish Constitution, an article which protects the life of unborn children. This is an iniquitous proposal as man does not have the right to decide on the life of any innocent person As with all diabolical attacks, it should be met with supernatural weapons, the chief of which are prayer and penance. In this regard, SSPX Canada urges all the faithful to pray and to do penance for the defeat of the proposal. For this purpose, you could include in your Rosary intentions the intention of the defeat of the abortion referendum in Ireland.

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2018年5月20日聖霊降臨の祝日:聖伝のミサの固有文を羅和でご紹介いたします

2018年05月19日 | カトリックとは

聖霊降臨の主日
ミサ聖祭

ユダヤ教の五旬祭(ペンテコステ)は、収穫を感謝する祝いであり、また、シナイ山において律法を授けられたことを記念する祭でもあった。キリスト教の聖霊降臨(ペンテコステ)は、新生の生命をつくり出すために、キリストの若き教会に下った聖霊を祝うのである。故に聖霊降臨は、霊的収穫の祝いとも言うべきで、キリストの贖いの初穂が収穫されたのである。また、これは、霊的な、内的な律法、すなわち、愛の律法の祝いでもある。なぜならば、新約の掟は、もはや、石の板に刻まれたものではない。その掟は、生きた言葉で、人々の霊魂に刻みつけられているのである。
歴史的に見ると、聖霊降臨は、救い主の復活後、五十日目に当たる。この日、高間に集った弟子らの上に聖霊が下った。こうして、使徒たちは、イエズスより委託された使命、洗礼を授け宣教を行う任務についた。この日、聖ペトロ(指定巡回聖堂)は、真に地上のおける教会のかしらたることを示した。
初代教会は、使徒らへの聖霊降臨と、教会の誕生を祝うために、早くもこの祝日を定めた。この祝日は、御復活の祝日と並んで典礼暦年の最も重大な祝日となった。しかし、八日間が定められたのは、十世紀になってからである。聖霊降臨の期節の典礼は、聖霊が人の霊魂に燃やす火をかたどって、赤が用いられる。
 ローマの公教会は、この大祝日を、聖ペトロの大聖堂で行う。「創造の霊」は、地上あまねくひろまり〈入祭文〉、聖霊降臨のかの日に行われたことは、たえず教会と聖霊との上にくり返され、新にされていることである。教会は、これを、アレルヤと続誦とによって、主に祈願する。聖霊は、主がわれらに残し給うた平和の泉として、われらの行いの成聖のもととして、たえず、われらの心に住み給う。

DOMINICA PENTECOSTES 聖霊降臨の主日
I classis cum Octava I classis 一級祝日・八日間付
Statio ad S. Petrum 指定巡礼大聖堂。聖ペトロ大聖堂
Ant. ad Introitum. Sap. 1, 7. 入祭文 知恵1:7
Spíritus Dómini replévit orbem terrárum, allelúia : et hoc quod cóntinet ómnia, sciéntiam habet vocis, allelúia, allelúia, allelúia. 主の霊は全地を満たした、アレルヤ、すべてのものを存在させ給う御者は、また、言葉の師にて在す、アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ。
Ps. 67, 2. 詩篇68:2
Exsúrgat Deus, et dissipéntur inimíci eius : et fúgiant, qui odérunt eum, a fácie eius. 天主は立ち給う、敵は敗走せんことを。主を憎む者は、御前から逃げ去らんことを。
Spíritus Dómini replévit orbem terrárum, allelúia : et hoc quod cóntinet ómnia, sciéntiam habet vocis, allelúia, allelúia, allelúia. 主の霊は全地を満たした、アレルヤ、すべてのものを存在させ給う御者は、また、言葉の師にて在す、アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ。
V/.Glória Patri. 願わくは聖父と聖子と聖霊と……。
Oratio. 集祷文
Deus, qui hodiérna die corda fidélium Sancti Spíritus illustratióne docuísti : da nobis in eódem Spíritu recta sápere ; et de eius semper consolatióne gaudére. Per Dóminum . . . in unitáte eiúsdem Spíritus 本日、聖霊の光を注いで、信者の心を照らし給うた天主よ、その同じ霊をもって、われらに真理を悟らせ、善を好ませ、たえず御慰めを受ける喜びを与え給え。その同じ聖霊との一致において、天主として、御身と共に世々に……。
Léctio Actuum Apostolórum. 使徒行録の朗読
Act. 2, 1-11. 2:1-11
Cum compleréntur dies Pentecóstes, erant omnes discípuli pariter in eódem loco : et factus est repénte de cælo sonus, tamquam adveniéntis spíritus veheméntis : et replévit totam domum, ubi erant sedentes. Et apparuérunt illis dispertítæ linguæ tamquam ignis, sedítque supra síngulos eórum : et repléti sunt omnes Spíritu Sancto, et cœpérunt loqui váriis linguis, prout Spíritus Sanctus dabat éloqui illis. Erant autem in Ierúsalem habitántes Iudǽi, viri religiósi ex omni natióne, quæ sub cælo est. Facta autem hac voce, convénit multitúdo, et mente confúsa est, quóniam audiébat unusquísque lingua sua illos loquéntes. Stupébant autem omnes et mirabántur, dicéntes : Nonne ecce omnes isti, qui loquúntur, Galilǽi sunt ? Et quómodo nos audívimus unusquísque linguam nostram, in qua nati sumus ? Parthi et Medi et Ælamítæ et qui hábitant Mesopotámiam, Iudǽam et Cappadóciam, Pontum et Asiam, Phrýgiam et Pamphýliam, Ægýptum et partes Líbyæ, quæ est circa Cyrénen, et ádvenæ Románi, Iudǽi quoque et Prosélyti, Cretes et Arabes : audívimus eos loquéntes nostris linguis magnália Dei. さて、五旬祭の日が来て、かれらがみないっしょに集まっていると、突然、天から、烈しい風が吹いてくるような音が聞えて、かれらが座っていた家にみち、火のような舌があらわれ、分れて、おのおのの上にとどまった。すると、かれらはみな、聖霊にみたされ、霊がいわせるままに、色々の国のことばで話しはじめた。そのころイェルザレムには、天下のあらゆる国から来た敬虔なユダヤ人たちが住んでいたが、その音がひびきわたったので、人々が集まりよってきた。そしてかれらは、それぞれの国語で使徒たちが語すのを聞いて、みな仰天し、おどろき感嘆して、「話しているこの人々は、みなガリラヤ人ではないか。それなのにどうして私たちは、おのおのの生国のことばを聞いているのだろう? パルト人、メド人、エラミト人、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポント、アジナ、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などの人々、ここに住んでいるローマ人、ユダヤ人と改宗者、クレタ人、アラビア人などの私たちは、天主の偉大な業を、私たちの国のことばで話すかれらの話を聞いている」といった。
Allelúia, allelúia. V/. Ps. 103, 30. Emítte Spíritum tuum, et creabúntur, et renovábis fáciem terræ. Allelúia. アレルヤ、アレルヤ。V/.(詩篇 103:30)聖霊を送り給え、新しい創造が行われ、地の面は改められるであろう。アレルヤ。
Allelúia. (Hic genuflectitur) V/. Veni, Sancte Spíritus, reple tuórum corda fidélium : et tui amóris in eis ignem accénde. (ひざまずいて)V/. 聖霊よ、来給え、信者の心を満たし給え。主を愛する火を燃やし給え。
Sequentia. 続誦(聖歌 ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス)
Veni, Sancte Spíritus,et emítte cǽlitus lucis tuæ rádium. 聖霊よ、来給え、天より、御光の輝きを送り給え。
Veni, pater páuperum ; veni, dator múnerum ; veni, lumen córdium. 貧しき者の父、天の賜物の分配者、心の光なる御者よ、来給え
Consolátor óptime, dulcis hospes ánimæ, dulce refrigérium. 御身は、優れた慰め主、霊魂の甘美な客、優しくさわやかな御者に在す。
In labóre réquies, in æstu tempéries, in fletu solácium. 労苦する者の憩い、暑熱の時の涼味、泣く時の慰めにて在す。
O lux beatíssima, reple cordis íntima tuórum fidélium. ああ、いと幸いなる光よ、信者の心にしみ込み給え。
Sine tuo númine nihil est in hómine, nihil est innóxium. 御身の保護なくしては、人には有害なもの以外の何ものもない。
Lava quod est sórdidum, riga quod est áridum, sana quod est sáucium. 汚れたものを清め、荒れた所を潤し、病む者をいやし給え。
Flecte quod est rígidum, fove quod est frígidum, rege quod est dévium. 剛きものを柔らげ、冷えたものを暖め、曲ったものを直し給え。
Da tuis fidélibus, in te confidéntibus, sacrum septenárium. 主に信頼する信者らに、七つの聖なる賜物を下し給え。
Da virtútis méritum, da salútis éxitum, da perénne gáudium. Amen. Allelúia. 善徳の功徳を積ませ、救いに至らせ、永遠の幸福を与え給え。アメン、アレルヤ。
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Ioánnem. ヨハネによる聖福音の続誦。
Ioann. 14, 23-31. 14:23-31
In illo témpore : Dixit Iesus discípulis suis : Si quis díligit me, sermónem meum servábit, et Pater meus díliget eum, et ad eum veniémus et mansiónem apud eum faciémus : qui non díligit me, sermónes meos non servat. Et sermónem quem audístis, non est meus : sed eius, qui misit me, Patris. Hæc locútus sum vobis, apud vos manens. Paráclitus autem Spíritus Sanctus, quem mittet Pater in nómine meo, ille vos docébit ómnia et súggeret vobis ómnia, quæcúmque díxero vobis. Pacem relínquo vobis, pacem meam do vobis : non quómodo mundus dat, ego do vobis. Non turbátur cor vestrum neque formídet. Audístis, quia ego dixi vobis : Vado et vénio ad vos. Si diligere tis me, gaudere tis utique, quia vado ad Patrem : quia Pater maior me est. Et nunc dixi vobis, priúsquam fiat : ut, cum factum fúerit, credátis. Iam non multa loquar vobíscum. Venit enim princeps mundi huius, et in me non habet quidquam. Sed ut cognóscat mundus, quia díligo Patrem, et sicut mandátum dedit mihi Pater, sic fácio イエズスは弟子たちにおおせられた。「私を愛する人は私の言葉を守る。また父もその人を愛される。そして私たちはその人のところに行って、そこに住む。私を愛さない人は私の言葉を守らない。あなたたちがきいているのは、私の言葉ではなくて、私をおつかわしになった父のみことばである。私は、あなたたちといっしょにいる間に、こういうことを話した。しかし、弁護者、すなわち父が私の名によっておつかわしになる聖霊が、すべてを教え、あなたたちの心に私の話したことをみな思い出させてくださるだろう。私はあなたたちに平安をのこし、私の平安を与える。私は、この世が与えるようにして、それを与えるのではない。心配することはない、おそれることはない。"私は去って、またあなたたちのもとに帰ってくる"と私がいったのをあなたたちはきいた。もし私を愛しているなら、私が父のもとに行くのを喜んでくれるはずである。父は、私よりも偉大なお方だからである。私は、ことが起るとき信じるようにと、ことが起るまえに、こうあなたたちに話しておいた。この世のかしらが来るから、私はもう長くあなたたちと話しあわない。彼は私にたいしてなにもできないが、私が父を愛しており、父の命令のままにおこなっていることを、この世は知らねばならない。
Credo 信経
Ant. ad Offertorium. Ps. 67, 29-30. 奉献文 詩篇 67:29,30
Confírma hoc, Deus, quod operátus es in nobis : a templo tuo, quod est in Ierúsalem, tibi ófferent reges múnera, allelúia. 天主よ、われらの民に行い給うたことを果たし給え。エルザレムの神殿で、王たちは主に贈り物を捧げるであろう、アレルヤ。
Secreta 密誦
Múnera, quǽsumus, Dómine, obláta sanctífica : et corda nostra Sancti Spíritus illustratióne emúnda. Per Dóminum . . . in unitáte eiusdem Spíritus. 主よ、願わくは、われらの捧げ物を聖とし、聖霊の光をもって、われらの心を清め給え。その同じ聖霊との一致において、天主として、御身と共に世々に……。
Præfatio, Communicantes et Hanc igitur propria. 聖霊降臨の序誦
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine sancte, Pater omnípotens, ætérne Deus, per Christum, Dóminum nostrum. 聖なる主、全能の父、永遠の天主よ。われらが、われらの主キリストによって、いつも、どこにても、主に感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいことであり、われらの義務と救いである。
Qui ascéndens super omnes cælos, sedénsque ad déxteram tuam, promíssum Spíritum Sanctum hodiérna die in fílios adoptiónis effúdit. 彼は天に昇り、御身の右に座し給い、この日、御約束の聖霊を、家督の子らの上に注ぎ給うた。
Quaprópter profúsis gáudiis, totus in orbe terrárum mundus exsúltat. Sed et supérnæ Virtútes, atque angélicæ Potestátes, hymnum glóriæ tuæ cóncinunt,sine fine dicéntes : Sanctus… 故に、全世界は喜びにあふれ、いさみことほぐ。天においては、力天使と能天使とが、われらと共に、御栄光(みさかえ)の讃歌をきわまりなく歌う。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、…
Communicántes コムニカンテス(聖霊降臨とその八日間の土曜日まで)
Communicántes, et diem sacratíssimum Pentecóstes celebrántes, quo Spíritus Sanctus Apóstolis innúmeris linguis appáruit : sed et memóriam venerántes, in primis gloriósæ semper Vírginis Maríæ, Genetrícis Dei et Dómini nostri Jesu Christi : (...) 聖なる一致において、われらは、聖霊が、数多くの舌の形をとって、使徒らにあらわれ給うた聖霊降臨の、至聖なる日のお祝いを行い奉る。われらは、まず、わが天主なる主、イエズス・キリストの御母、終世童貞なる光栄のマリアの記念を、つつしんで行い奉る。また、……
Hanc igitur oblatiónem servitutis nostræ, sed et cunctæ famíliæ tuæ, quam tibi offérimus pro his quoque, quos regeneráre dignatus es ex aqua et Spíritu Sancto, tríbuens eis remissionem ómnium peccatórum, quǽsumus, Dómine, ut placátus accípias (...) 主よ、主の全教会としもべらのささげ奉るこの供物を、うけいれ給え。われらは、罪をゆるして、水と聖霊とによって御身が生まれかわらせ給うた人びとのためにもこれをささげ奉る。そして主の正義をなだめ、われらを日々主の平安のうちに生きさせ、……
Ant. ad Communionem. Act. 2, 2 et 4. 聖体拝領誦 使徒行録 2:2,4
Factus est repénte de cælo sonus, tamquam adveniéntis spíritus veheméntis, ubi erant sedéntes, allelúia : et repléti sunt omnes Spíritu Sancto, loquéntes magnália Dei, allelúia, allelúia. 突然、天から烈しい風の吹きまくるような音が、彼らの集まっている所に聞こえた、アレルヤ。すると彼らはみな聖霊に満たされ、天主の大いなる御業を語った、アレルヤ、アレルヤ。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈
Sancti Spíritus, Dómine, corda nostra mundet infúsio : et sui roris íntima aspersióne fecúndet. Per Dóminum ... in unitáte eiusdem. 主よ、聖霊を注がれて、われらの心が清められ、天の露に潤って、われらの心が豊かにならんことを。その同じ聖霊との一致において、天主として、……。
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Sermon for Sunday after Assention "Heaven" ―Fr. Benoit Wailliez, FSSPX

2018年05月18日 | お説教・霊的講話
Sermon for Sunday after Assention "Heaven"
Fr. Benoit Wailliez, FSSPX


“Who can be saved then?
With men it is impossible, but not with God; for all things are possible with God” (Mk 10:26b-27).

The Council of Trent (Denz, 805) has declared that we cannot have on earth certitude of our predestination without a special revelation. Aside from this special revelation no man can know if he will persevere in good works to the end.
Nevertheless there are signs of predestination which give a kind of moral certitude that one will persevere.


SIGNS OF PREDESTINATION


1. Virtuous life (in the spirit of the beatitudes)

“Blessed the poor in spirit, blessed the meek, blessed those who weep, blessed those who hunger and thirst for justice, blessed the merciful, blessed the pure of heart, blessed the peacemakers, blessed those who suffer persecution for justice. These possess the kingdom of God”.

1. humility;
2. continuous prayer; “Ask and you shall receive…”
3. love of enemies / mercy toward those who suffer;
4. patience in adversities for love of God;

“To bear patiently and perseveringly a heavy cross is a great sign of predestination” (Garrigou).



2. Indefatigable zeal for souls


“He who causes a sinner to be brought back from his misguided way, will save his soul from death and will cover a multitude of sins” (James 5:20).



3. Holy Eucharist

•We ought to receive OL in H. Euch. in order to be saved;

“Unless you eat the flesh of the Son of Man, and drink His blood, you shall not have life in you” (John 6:54).
All are bound to eat it at least spiritually (i.e., to have the desire or yearning for receiving this sacrament), because this is to be incorporated in Christ (III 80, 11).

•Moreover, pious and frequent reception of H. Euch. is a sign of predestination.

This sacrament does not at once admit us to glory, but bestows on us the power of coming unto glory.
It is called Viaticum, a figure of what we read in III Kgs. 19:8: “Elias ate and drank, and walked in the strength of that food forty days and forty nights unto the mount of God, Horeb” (III 79, 2).

“O sacrum convivium, in quo Christus sumitur, recolitur memoria passionis ejus, mens impletur gratia, et futurae gloriae nobis pignus datur.
O sacred banquet, in which Christ is received, the memory of the passion is recalled, the soul is filled with grace, and a pledge of future life is given to us”.

“The chief effect of a worthy Communion is to a certain extent a foretaste of heaven, in fact the anticipation and pledge of our future union with God by love in the Beatific Vision” (Catholic Encyclopedia).

The Eucharist is the “pledge of our glorious resurrection and eternal happiness” (Council of Trent, Sess. XIII, cap. ii), according to the promise of Christ: “He that eats My flesh and drinks My blood, has everlasting life, and I will raise him up on the last day” (Jn 6).

•Nine 1st Fridays in honor of the Sacred Heart of Jesus. Confession and Communion.

“O sacrum convivium, in quo Christus sumitur, recolitur memoria passionis ejus, mens impletur gratia, et futurae gloriae nobis pignus datur.


4. Devotion to the Blessed Virgin Mary

“Love of Mary and devotion to her are a sure sign of obtaining eternal salvation” (St. Bernard).

“Whoever bears the mark of a servant of Mary is already enrolled in the Book of Life” (St. Bonaventure).

“Devotion to our Blessed Lady is necessary to salvation.
It is an infallible mark of reprobation to have no esteem and love for the holy Virgin;
on the other hand, it is an infallible mark of predestination to be entirely and truly devoted to her” (TDM 40).

“True devotion to Blessed Mary is one of the surest signs of predestination.
But the devotion must be true; for if it is false, it will not serve the purpose. One can compare it with money which, if not genuine, if counterfeit, is worth nothing.
To prevent any misunderstanding or deception in an affair of such surpassing importance, you should reflect very carefully to see if your devotion to Mary has all the requirements needed in order for it to be worthy” (St. A.M. Claret).

“True devotion to Mary leads effectively to salvation, for Mary can obtain the grace of final perseverance for all those who pray faithfully to her for it. For this reason true devotion to Our Lady is commonly looked on as one of the signs of predestination.
This firm hope rests on Mary's great power of intercession and her special love for those who invoke her.

- According to St Alphonsus (The Glories of Mary, Part I, ch.viii), it is morally impossible that they should be lost if who have the desire to amend their lives and who honor the Mother of God faithfully and commit themselves to her protection.
- Those who have no serious desire to amend their lives cannot, of course, look on the fact that they keep up a certain appearance of devotion to Our Lady as a probable sign of predestination.
- But a sinner who tries to give up sin and turns to Mary for assistance will find that she will not fail him” (Garrigou).


• “Devotion of my Rosary is a great sign of predestination” (Given to St. Dominic and Blessed Alan).

• Scapular. To die wearing it.

• Five 1st Saturdays in honor of the Immaculate Heart of Mary. Confession and Communion.


CONCLUSION


1. Predestination is a mystery.
No one is in heaven unless he has died in the state of grace. No one can go to hell except by his own fault.

2. No absolute certainty of salvation, but moral certitude – 4 signs of predestination.

3. Predestination does not make superfluous our own efforts because adults must merit eternal life.

“One day when a certain man who wavered often and anxiously between hope and fear was struck with sadness, he knelt in humble prayer before the altar of a church.
While meditating on these things, he said: ‘Oh if I but knew whether I should persevere to the end!’
Instantly he heard within the divine answer: ‘If you knew this, what would you do? Do now what you would do then and you will be quite secure’” (Imitation of Christ, Bk 1, chap. 25).

Working out our salvation with fear and trembling


“Be faithful unto death, and I will give you the crown of life” (Apoc. 2:10).


Contemplation of heaven, longing for it:


“When shall I come and see the face of the Lord?” (Ps. 41:3).

“Eye has not seen ear has not heard, nor has the heart of man conceivedwhat God has prepared for those who love Him” (I Cor. 2:9).

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第五部 内的生活をいとなむための若干の原理と意見 (続き10)【ドン・ショタール著「使徒職の秘訣」】

2018年05月17日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

恒例のドン・ショタール著「使徒職の秘訣」L'Ame de tout apostolat
第五部 内的生活をいとなむための若干の原理と意見(続き10)
をご紹介します。山下房三郎 訳を参考に、フランス語を参照して手を加えてあります。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


第五部 内的生活をいとなむための若干の原理と意見


 三、典礼生活こそは、わたしの内的生活を、したがって、使徒職を生かす源泉である

(Ⅳ)典礼生活の利益 (1/2)
IV. Avantages de la Vie liturgique.

(a)典礼生活は、わたしのすべての行いを、いつまでも超自然的精神にひたしておく
a) Elle favorise la permanence du surnaturel dans toutes mes actions.

ああ、わが天主よ、いつも超自然的動機に霊感されて行動することは、わたしにとって、どんなにむずかしいことでしょう。わたしはいつもそれを、経験させられています。悪魔と被造物が、わたしの自愛心に加勢し、その結果、わたしの霊魂もその諸能力も、わたしの内に生きてくださるイエズスのおはたらきから、全く独立して行動するのです。
警戒が足りないため、忠実さが足りないために、純潔なる意向は、日中どれほどしばしば、そこなわれることでしょう。純潔な意向こそは、わたしの行為を功徳あるものにし、わたしの使徒職を実りゆたかにしてくれる、唯一のものでありますのに。わたしの行為を、その終局の目的なる天主にむかわせる生ける原理は、天主の恩寵であって、この恩寵によって、わたしの大部分の行為が霊感されるためには、どうしても天主のおはたらきと共に、わたし自身のたえまなき努力が必要なのです。

この努力をかちうるためには、どうしても黙想が絶対必要となってまいります。だが、典礼生活のなかに黙想をおこないますとき、それがどれほど容易に、滋味ゆたかに、そしてちがったものになることでしょう。黙想と典礼とは、あいたがいに助けあう二人の姉妹のようなものです。ミサをささげる前とか、聖務日課をとなえる前に、黙想をおこないますと、わたしの精神は、超自然の世界に雄飛します。典礼生活をいとなみますと、朝の黙想を、日中もつづけておこなうようになります。
[Je fais bien mon Oraison pour bien célébrer ma Messe; et je cétèbre ma Messe et récite pieusement mon Bréviaire pour bien faire le lendemain mon Oraison. (P. OLIVAINT.)]



 ああ、聖なるカトリック教会よ、父であって創造主なる天主に、ささげるべき礼拝の習わしを、あなたの学校で教えていただくその課業は、なんとやさしいものでしょう。あなたの天配なるイエズスは、天主にささげるべきいともすぐれた礼拝、感謝、贖罪にいまし、天と地との仲介そのものにいます。あなたは典礼によって、天父のご光栄を発揚しようとの、もえるようなイエズスのお渇きを、わたしの霊魂にも通じてくださいます。天主に光栄を帰すること――これこそは、あなたが典礼をお定めになるとき、お心にもっておられた第一の目的なのです。
 だから、わたしが典礼の生活を送りますとき、敬神徳にひたされるのは当然のことです。なぜなら、典礼はみな、この徳――対神徳――についで、最もすぐれた敬神徳を、たえまなく、そして公けに、実行にうつしたものにほかならないからです。
 典礼の務めを果たすあいだ、もしわたしが信仰の光りをよく利用しますなら、わたしの霊肉のすべての能力を、まったく天主に従わせる絶対従属の誠意を、信心のまごころを、心のたたかいを、それぞれ最高度に発揮して、天主におささげすることができます。だが、永遠の善に精神を向かわせ、それを獲得しようとて、心を熱心の火でもやし、はげしくそれにあこがれさせ、意志をしげきしてこの永遠をしばしば祈求させ、たえまなく追求させるために、霊と肉から成るわれわれ複合体の人間は、どんなに大きな助けを必要とするのでしょう。
 さて、典礼こそは、わたしの全身、全霊、全人格をとらえます。典礼のあいだには、儀式がある、跪拝がある。深い礼がある、表象がある、聖歌がある、聖書の章句がある。――これらは、いずれも、わたしの目に、耳に、感覚に、想像に、知性に、心に、じかに訴えて、わたしの全身全霊を、天主のみもとに運んでくれます。わたしの内にある一切のもの――口も舌も精神も、感覚も、精神力も体力も――これらはみな、天主に属し、天主にささげられるべきものである、という真理を、わたしに思いおこせます。
 教会が典礼によって、わたしに提示する天主のもろもろの権利、天主にたいするわたしの子たるの崇敬と絶対従属の礼拝を要求する天主のもろもろの完徳は、わたしの霊魂に敬神徳と、したがって超自然的要素をつちかい、そして発展させないではおかない。
 典礼のすべては、わたしに天主を語る。
 天主のもろもろの完徳を、そのもろもろの恩恵を語る。
 典礼のすべては、わたしを天主にみちびく。
 典礼のすべては、わたしに、天主の摂理を物語る。――試練によって、お助けによって、おすすめによって、おはげましによって、お約束によって、お光りによって、おどかしによってさえ、たえまなく、わたしの魂にとって自己聖化の手段となる、天主の摂理を物語る。
 典礼はまた、たえまなく天主と語るすべを、わたしに教える。
 わたしの敬神行為を、ひじょうにちがったいろいろのかたちで、天主にあらわすすべを教える。
 典礼をよく利用しよう、との望みを心にいだいて、典礼の務めに身をゆだねさえすれば、“教会人”というわたしの職務からでる、日々の勤行をくり返しているうちに、どうして敬神徳がわたしの霊魂に、深く根をはらないだろうか。どうしてわたしが、敬神の習慣に、敬神徳にひたっている霊魂の状態に、したがってほんとうの内的生活に、到達しないだろうか。



 典礼は、天主の現存の意識を、修得する学校である。――ご托身がわれわれに示したような、人の子らの一員なる天主の現存の意識を。いっそう適切ないい方をすれば、典礼は、イエズスの現存の意識と愛を、修得する学校なのである。
 愛は、愛の対象の愛らしさによって、先方がわたしに示した愛の証拠、わたしのためにした愛のわざによって、とりわけ、聖トマス・アクィナスがいっているように、愛の対象の現存によって、つちかわれ、はぐくまれていく。
 さて、典礼は、われわれの間におけるイエズス・キリストのご生命、われわれと共にお住まいになったその地上生活の種々相を、われわれの内に再現し、われわれにそれを説明し、最後にそれをわれわれに適応させる。典礼は、いわば、イエズス・キリストのご生命を再現し、持続し、愛らしさとやさしさにみちた、その聖心のすべての奥義を、われわれに示すことによって、われわれを、超自然のふんい気、神秘のふんい気の中に、いつまでも、ひたしておく。
 ああ、イエズスよ、典礼によって、あなたの偉大なる教訓と、あなたの大いなる愛の証拠を、いつまでもいつまでも、地上にお続けになるのは、だれでもない、あなたご自身なのです。典礼生活によって、わたしはだんだんハッキリと、あなたがよくわかってまいります。それも、たとえば、歴史家のように、世紀の幕をへだてて、あなたを観察し、理解するのではありません。または、神学者のように、はげしい議論をたたかわせて、あなたの認識に達するのでもありません。
 あなたは非常に近く、ごく近く、わたしのそばにおられます。
 あなたは、いつも、エンマヌエル――われわれと共にいます天主、教会と共にいます天主、それゆえ、私と共にいます天主でいらっしゃいます。あなたは、教会の各肢がそれによって生きている、そのなにものかでいらっしゃいます。典礼がわたしをさそって、あらゆる場合、まっさきに、わたしの手本として、わたしの愛の対象として示してくれる、そのなにものかでいらっしゃいます。

 祝日の典礼によって、福音書や使徒たちの書簡の抜粋からなる読経によって、さらに種々の秘跡――とりわけ、聖体の秘跡が放射する霊妙な輝きによって、教会はあなたのご生活を、われわれの間に再現してくださり、そのおかげでわれわれも、あなたの聖心の鼓動を、ききとることができるのです。
 イエズス・キリストが、わたしの霊魂のなかに生きていてくださる、そしてわたしさえ邪魔をしなければ、イエズスはわたしの霊魂のなかで、おはたらきになろうとしておられる――この真理を、わたしに教え込んでくれる黙想は、わたしの内的生活に、どれほど強力な支えとなることだろう。
 だが、日中しばしば典礼が、わたしに提供するいろいろ違った、そして生き生きとした手段によって、恩寵にかんする真理とか、神秘体の生命であって、その補給者にいまし、同時に、各肢と共に祈り、共に働かれるイエズス・キリストにかんする黙想とか、こんな黙想をもって、わたしの霊魂を養うためには、わたしはどうしても、たえまなく、超自然の影響下に身を置いていなければならぬ。キリストとの一致に生き、キリストへの愛に、わたしを固めていなければならぬ。
 満悦の愛、好意の愛、なにものにも超える愛、希望をうたう愛、――これらの愛はいずれも、典礼のりっぱな集禱文のなかに、詩篇のなかに、儀式や祈願文のなかに、美しい輝きを放っており、それはわたしの霊魂の深部にまで達する。
 このようにして、典礼は、生けるイエズスを、いつも霊魂の内部に現存するイエズスを、わたしに示してくれる。そしてそれは、わたしの内的生活を、どれほど強固にし、どれほど幅広いものにしてくれることだろう。内的生活の途上には、離脱と自己否定の修業がよこたわっている。果たさねばならぬむずかしい義務が待ちかまえている。たえしのばねばならぬ苦しみが、はずかしめがある。

 だが、典礼のおかげで、わたしの心戦、わたしの修得すべき善徳、わたしの忍従せねばならぬ試練――などは、それにつきものの苦しさ、いやらしさを、どれほど失うことだろう。なぜなら、わたしは救い主の十字架をながめるとき、そこにはもはやいかなる残酷さも見ない。わたしの心は、十字架のイエズスに愛着している。イエズスのゆえに、十字架を愛している。苦しみが、わたしの身の上に、雨のようにふりかかってきてもいい。イエズスが十字架の上からわたしに、そのお傷を示しながら、どうかわたしへの愛の証拠に、これらの苦悩を忍耐しておくれ、と嘆願しておいでになるそのお声が、心の耳にハッキリききとれるからである。
 典礼はまた、わたしに貴重な支えをあたえる。典礼は絶えずわたしに、わたしの愛がひとりぼっちでないことを、くり返し教える。たえまなくわたしを溺らせようとする自然主義、この憎むべき主義にたいして戦うとき、わたしはけっして孤立無援ではない。
 教会は、わたしをキリストに、合体させるために、いたって熱心である。そのために、母ごころのありったけを傾けて、わたしの後を追ってくださる。わたしと共同体である無数の霊魂の、功徳にもあずからせてくださる。この霊魂たちは、わたしと同じ愛の言葉を語る。天国の霊魂も、煉獄の霊魂も、わたしと共にいて、わたしを励まし、助けてくれる。このことを確信するとき、わたしの霊魂は、新しい生気にみなぎる。



 “永遠の思い”にもまして、わたしの霊魂のすべての行為を、天主のほうへ向かわせるものはない。
Rien ne contribue plus que le souvenir de l'éternité à garder l'âme dans la direction de ses actions vers Dieu.

 さて、典礼のすべては、わたしに“四終”を思わせる。永遠の生命、天国、地獄、死、世々に至るまで――その他、これに類する表現は、しばしば典礼にでてくる。
Tout dans la Liturgie me rappelle Novissima mea. Les expressions Vita aetema, Caelum, Infernum, Mors, Saeculum saeculi et autres équivalentes reviennent fréquemment.

 死者のための祈り、死者の聖務日課、葬式――これらはみな、わたしの目のまえに、死、審判、天国の終わりなき報賞、地獄の終わりなき苦罰、時間の貴重さ、天国にはいるためには現世または煉獄で、どうしてもおかした罪の償いを果たさねばならぬこと――などを、ちょうどパノラマのように、くりひろげて見せる。
 聖人たちの祝日は、わたしに、自分の先輩であるかれらの光栄を語る。かれらの跡をたどり、かれらの模範に従うなら、わたしのためにも、天国で大いなる光栄の冠が、用意されていることを教える。

 このような教訓によって、教会は絶えずわたしに叫んでいる。「愛する子よ、永遠の天国をながめるがいい。そして“万事において、いつでも、どこでも、ただ天主のみを求める”という、あなた自身の標語に、いつまでも忠実にとどまるがいい」と。
Par ces leçons l'Eglise me crie sans cesse: Chère âme, regarde les siècles éternels afin de rester fidèle à ta devise : Dieu en tout, toujours, partout.

 聖なる典礼よ、わたしはあなたのおかげで頂いた、すべてのお恵みを感謝するために、あなたがわたしにあたえてくれる、一切の善徳について語らなければ、気がすまない。あなたがわたしの目のまえに、たえまなく繰りひろげてくれる、聖書のすばらしい抜粋のおかげで、わたしに天主の奥義のかずかずを伝えてくれる、儀式や表象のおかげで、わたしの霊魂はいつも、地上の空しい事物から離脱して、高く天上に雄飛し、対神徳、天主の畏敬、罪への恐怖、世俗的精神への憎悪、被造物からの離脱、心の痛悔、天主への信頼、精神的喜悦へと、さそわれていくのである。


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