Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2019年 9月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


9月 主の十字架を賞賛しましょう。
意向:カトリック教会が聖伝に立ち返るため
実践すべき徳:苦行
守護の聖人:聖ピオ十世

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2019年 9月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセスEG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 
〒532-0002 (JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

  9月1日(主)聖霊降臨後第12主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  9月2日(月)証聖者聖ステファノ王(3級祝日)白
          午前6時半 ミサ聖祭

  9月6日(初金) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  9月7日(初土) 聖母の土曜日(4級)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  9月29日(主)大天使聖ミカエル(1級祝日)白
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  9月30日(月) 教会博士証聖者司祭聖ヒエロニモ(3級祝日)白
          午前6時 ミサ聖祭

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図)「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

  9月8日(主)聖霊降臨後第13主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

  9月9日(月)日本205福殉教者(3級祝日)赤
          午前7時 ミサ聖祭

  9月29日(主)大天使聖ミカエル(1級祝日)白
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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新しいミサは新しい信仰、新しいイデオロギーを表明している。カトリックの宗教とは別の概念を、ある別の宗教を前提としている。新しいミサを捧げるのは、民主主義的な会衆だ。司祭は民の単なる代表となりさがった。

2019年09月21日 | カトリックとは
新しいミサは、近代主義者の信仰のシンボル、表現、イメージだ。


ルフェーブル大司教の説教 1976年6月29日

 愛する兄弟の皆さん、あらゆる国々、四方の彼方から来て下さった兄弟たちよ、私たちは、今、私たちの聖ピオ十世会にとって、又、教会にとって、非常に重要なこのときに、兄弟たちを歓迎することが出来て、又、兄弟たちをこれほど身近に感じることができ、大きな喜びを感じています。

 私は思います。巡礼者の皆さんが非常に遠く離れたところから、この儀式に参加するために、夜昼と無く旅をする犠牲を払ったのは、皆さんに、信念があったからであると。それは、教会の儀式に参加するために、心を喜ばせる儀式に参与するために来た、と言う信念です。なぜなら、皆さんが帰路につくときには、カトリック教会は続いていると安心するであろうからです。

 はい、私はよく知っています。このことをするに困難はたくさんあることを。こんなことをするのはむちゃだと私は言われました。私たちは行き止まりの道を歩んでいるとも、言われました。なぜなら、3ヶ月前から、3月19日の聖ヨゼフの祝日から特に、ローマから懇願や要請、命令、威嚇などがありました。それは、私たちの活動を止めるように、この司祭叙階式を中止するようにとのことでした。これらの要請は、ここ数日、緊迫したものでした。特にここ12日間というもの私たちは絶え間なくローマからのメッセージや使者を受けました。この叙階式を敢えてしないようにと、言われました。

 しかし、全く客観的になって、私たちにこの司祭叙階式をするなと求める人たちを動かす本当の動機は何なのかと言うことを探してみると、その深い動機を探ってみると、それは私たちがこの司祭たちを叙階するのは、彼らが永遠のミサを捧げるためであるから、と言うことがわかります。

 彼らは知っています。これらの新しい司祭たちが教会のミサに、聖伝のミサに、永遠のミサに忠実であることを。だからこそ私たちに叙階するな、と圧力をかけるのです。私にはその証拠があります。6回、ここ3週間というもの6回にわたって私たちは、ローマと通常の関係を結ぶようにと求められました。そして、その証拠として新しい典礼様式を受け入れ、私自身これを捧げるようにと言われました。私が新しい典礼様式で共に共同司式をして、私が喜んでこの新しい典礼を受け入れたと言うことを示せ、そして、それさえすれば、ローマと私たちの関係は平らになると言われました。

 私は、手に新しいミサ典書を手渡され、「ほら、これが、あなたがしなければならないミサです。そして、あなたの全ての修道院で、捧げなければならない新しいミサです。」と言われました。また、今日この6月29日、皆の前で、私たちが新しい典礼様式でミサを捧げれば、ローマと私たちの関係は、何もなかったかのようになる、とも言われました。

 ですから、ミサの問題でエコンとローマとの間のドラマが展開されていることは、明らかではっきりとしています。

 永遠の典礼様式を守ろうと望む私たちは誤っているのでしょうか。確かに、私たちは祈り、相談し、考察し、黙想し、私たちこそが誤りのなかにいるのではないか、あるいは、新しい典礼様式を受け入れない私たちには十分な理由がないのではないかと言うことを知ろうとしました。ところが、まさにそのローマからの使者たちが私たちに典礼様式を変えるようにと要求するその要求の仕方が、私たちをして考えさせました。

 そして、私たちには確信があります。まさに、この新しいミサの典礼様式が新しい信仰を表明していると言うことを。この新しい信仰は私たちの信仰ではないこと、カトリック信仰ではないことを。この新しいミサは、新しい信仰の、近代主義者の信仰のシンボル、表現、イメージです。なぜなら、聖なる公教会が長い歴史のなかで、私たちに下さったこの貴重な宝、すなわち、聖ピオ五世によって聖別されたミサ聖祭の典礼様式を守ろうと望んだのは、きわめて重大な意味があったからです。

 何故かというと、このミサのなかに私たちの信仰が全て含まれているからです。全てのカトリック信仰が、すなわち、聖三位一体への信仰、イエズス・キリストのご神性にたいする信仰、私たちの主イエズス・キリストの贖いへの信仰、私たちの罪の赦しのために流された私たちの主の贖いの御血にたいする信仰、ミサ聖祭、十字架、全ての秘跡から来る超自然の聖寵への信仰が、すべてあるのです。これら全てを私たちは信じています。そして、これが永遠のミサ聖祭を捧げながら信じていることなのです。

 ミサは私たちに信仰を教えるものであり、信仰の源です。ありとあらゆる方面から私たちの信仰が攻撃にあっている現代において、私たちにとって必要不可欠のものです。私たちには、この本当のミサが、この永遠のミサが、私たちの主イエズス・キリストのいけにえが必要なのです。それは、私たちの霊魂を聖霊と私たちの主のおん力によって満たすためです。


 ところで、次のことは明らかです。新しい典礼様式は、知っているか知らないかに関わらず、カトリックの宗教とは別の概念を、ある別の宗教を前提としています。つまり、ミサ聖祭を捧げるのは、もはや司祭ではありません。それは会衆です。このことのために、全てはプログラムされています。金輪際、教会の権威に取って代わるのは、会衆です。司教たちの個人的な権力に取って代わるのは、司教団です。教区のなかの司教の権力に取って代わるのは、司祭たちが集ってつくる司祭諮問会です。今後、教会を動かすのは、数です。そして、そのことはミサのなかで明らかに表明されています。ミサでは、会衆が司祭の代わりになっているからです。それは、今では多くの司祭が会衆のない時にはもはやミサを捧げようともしないと言うところまでいっています。

 徐々に、聖なる教会のなかに、ミサに関するプロテスタントの考え方が導入されています。そして、このことは現代人の考え方に、近代主義者の考え方にぴったりなのです。全く一致しています。なぜなら、民主主義の理想が、現代人の考え方だからです。つまり、権力は会衆のうちに、権威は人間、民衆のうちにあり、天主にではない、と言うことです。

 これは非常にゆゆしきことです。なぜなら、私たちは、天主は全能で、天主に全ての権威があり、全ての権威が天主から来ること Omnis potestas a Deoを信じているからです。私たちは、権威が人民から、底辺から由来するとは信じません。しかし、これが現代人の考え方なのです。そして、新しいミサは、この考え方を、底辺に権威があり、天主にではないと言うことをはっきりと表明しているのです。このミサは位階制度的なものではなく、民主的です。これは、非常に重大なことです。新しいミサは、新しいイデオロギーのまったき表明なのです。私たちのもっとも神聖な典礼様式によって、私たちをして現代人のイデオロギーのなかに入らせようとしているのです。

 そして、これが現在、教会を全て腐敗させてしまっています。なぜなら、ミサ聖祭において底辺に権力を認めるというこの考えによって、司祭職を崩壊しています。司祭職を崩壊するのです。司祭は何をするのでしょうか。司祭に叙階の秘跡の時に授与される個人的な権力、そしてこの権能を彼らこの将来の司祭らはしばらくすると受け、天主の民の上に立つべく刻印を霊魂に受けるのです。叙階の後、彼らはもはや、自分たちは他の人々と同じだと言うことが出来なくなります。そんなことは出来ません。彼らは、もはや他の人々は全く違う人になるのです。彼らは、天主の人になるのです。彼らは、敢えて言えば、司祭の刻印によって、イエズス・キリストの天主性に参与する人となるのです。なぜなら、イエズス・キリストは、永遠の司祭、メルキセデクの位による大司祭であり、イエズス・キリストは、すなわり天主の本性がお受けになった人間の本性と一致し、いとも聖なる童貞女マリアのご胎内で、人性を受けたその瞬間、イエズスは司祭となったのです。

 これらの若い司祭たちがが参与する聖寵は、成聖の聖寵ではありません。洗礼の聖寵によって、私たちをしてイエズス・キリストに参与させるその成聖の聖寵ではありません。司祭の聖寵は、一致の聖寵です。この一致の聖寵は、イエズス・キリストだけの独自のものです。彼らは、この一致の聖寵に参与するのです。なぜなら、天主の神性、御言葉の天主性に一致することによって、イエズス・キリストは司祭となり、イエズス・キリストは王となり、イエズス・キリストは審判官となったのですから。

 これゆえに、この地上でいかなる被造物も受けたことのない崇高な聖寵である一致の聖寵のために、イエズス・キリストは、全ての人々によって礼拝されなければならないのです。ちょうど聖なる油を受ける者が聖別されるように、この天主性の聖寵自体が、イエズス・キリストの人性の中に油を注がれる如く、天から降り、イエズス・キリストの人性は天主の御言葉の天主性によって浸透され、イエズス・キリストは司祭となった、すなわち、天と人との間に立つ仲介者となったのです。そして、まさしくこの聖寵にこの若い司祭たちは参与するのです。そしてこの聖寵のために、彼らは天主の民の上に立つのです。彼らも天主と天主の民との間に立つ仲介者となるのです。

 彼らは天主の民の単なる代表ではありません。彼らは、天主の民が委任した代理人でもありません。彼らは集会の座長ではありません。彼らは永遠に司祭なのです。永遠に司祭の刻印を押された司祭なのです。彼らを敬わないと言う権利は誰にもありません。たとえ彼ら自身がこの刻印を敬っていなかったとしてもです。彼らは常にこれを持ち続けるからです。これこそが私たちの信じていることです。これが私たちの信仰です。これが、私たちのミサ聖祭を構成するものです。ミサを捧げるのは司祭です。そして信者はこの捧げものに心から霊魂を込めて参与します。ミサを捧げるのは信者ではありません。その証拠に、司祭はたった一人でもミサ聖祭を捧げ、数千人が参与すると同じように同じ価値でミサを捧げるのです。そのミサには無限の価値があります。司祭によって捧げられたイエズス・キリストの犠牲は、無限の価値があるからです。これが私たちの信じていることです。


 だからこそ、私たちは考えます。私たちにはこの新しい典礼様式を受け入れることが出来ないと。この新しい典礼は、別のイデオロギーの作品だからです。別のイデオロギー、新しいイデオロギーの作品です。この世の考え方を身につけたら、皆を引きつけることが出来ると思ったのです。

信じない人々の考え、現代人の考えを身につけたら、教会に人を、信じない人を、引きつけることが出来ると思ったのです。現代人の考えとは、リベラルで、複数の宗教を受け入れ、そして、イエズス・キリストの社会的王国を受け入れない考えです。

このことは私自身が、聖座から送られた使者の口から2回も聞きました。彼らは私に「イエズス・キリストの社会的王国は現在不可能だ、今後は、絶対的に複数の宗教を受け入れなければならない」と言いました。これが彼らの言ったことです。

 教皇ピオ11世によってイエズス・キリストの社会王国についてこれほど美しく書かれた回勅、「回勅Quas Primasを、今日では、教皇様は書かないだろう」と聖座の公式の使者が私に言いました。

 私たちはこの宗教を受け入れません。私たちはこの新しい宗教を受け入れません。私たちは永遠の宗教を信じるものです。私たちの宗教は、カトリックの宗教です。私たちの宗教は、現在人々の言うところの「普遍宗教」ではありません。こんなのはカトリック宗教ではありません。

私たちの宗教は、このリベラルな近代主義の宗教ではありません。この新しい宗教には、それの礼拝様式、それの司祭、それの信仰、その公教要理、その聖書、エキュメニカルな聖書があります。私たちは、エキュメニカル聖書を受け入れません。エキュメニカル聖書などというものはありません。天主の聖書だけがあります。聖霊の息吹によって書かれた聖霊の聖書、天主の言葉だけがあります。私たちには天主の言葉を人の言葉と混ぜ合わせる権利などありません。エキュメニカル聖書などというものはありえません。唯一の聖霊の言葉だけです。私たちは私たちの信仰宣言をもはや公言しない公教要理を受け入れません。などなど。私たちはこれらのことを受け入れることが出来ないのです。私たちの信仰と矛盾するからです。

 私たちは本当に非常に残念です。量り知ることの出来ないほど大きな悲しみです。私たちにとって大きな悲しみです。私たちの信仰のゆえに、私たちがローマと問題があるなどと考えただけでも、悲しみです。どうしてこんな事が可能なのでしょうか。これは、私たちの想像を遙かに超えたことです。私たちはに考えることもできません。私たちはそんなことがあるなどと信ずることもできませんでした。特に私たちの子供のころ、全ては画一的で、全ての教会で一致を信じ、同じことを信じ、同じ秘跡を行い、同じミサ聖祭を捧げていました。どこでも同じ公教要理を教えていました。そして、突然、分裂のなかにあります。引きちぎられる思いです。

 ローマから来た人たちに私は申しました。教会の中で、教えられ実践されている新しい宗教によるこの分裂によって、キリスト信者は家庭の中で引きちぎられ、子供たちは分断され、心は引き裂かれている、と。司祭たちは心と霊魂のうちに大きな苦痛を感じて若死にしています。彼らは何をしてよいかわからないのです。彼らは誰に従順に従ったらよいのかわからないのです。そして、従順に従うことによって子供のころからの信仰を失い、また、叙階の時に反近代主義宣誓をした約束を反故にするか、あるいは、私たちの聖父でおられ、聖ペトロを代表する教皇様と離れてしまっているような印象を受けるか、どうしたらよいのかと。なんと司祭の心は引き裂かれていることでしょうか。多くの司祭は若くして苦しみのあまり死に至っています。司祭たちは今ではその教会から追放され、迫害を受けています。なぜなら彼らが永遠のミサを捧げているからです。

 私たちは今、本当に劇的な状況にいます。私たちは、選ばなければなりません。敢えて言えば見かけ上の不従順か、あるいは私たちの信仰を捨てるかのどちらかです。ところで、教皇様は私たちに信仰を捨てるようにと命じることは出来ません。それは不可能です。ですから私たちは、信仰を捨てないことを選びます。なぜなら、そうすることによって私たちは間違うことがないからです。なぜなら、教会が2000年間教えてきたのです。教会がその間ずっと誤っていたと言うことはありえません。全くありえません。

 だから、私たちはこの聖伝にしがみつくのです。聖伝は、素晴らしく、決定的に、そうです、教皇聖ピオ五世がうまく言ったように決定的に、ミサ聖祭において表明されているからです。

 もしかしたら、明日、新聞紙上に、私たちを排斥する記事が載ることでしょう。全くあり得る話です。それは今日のこの叙階式のためです。私自身、多分に聖職停止の罰を受けることでしょう。これらの若い司祭たちは、「不規則」の罰を受け、原則的にはミサ聖祭を捧げることが出来ないとされることでしょう。あり得ることです。

 それなら、私は聖ピオ五世に訴えます。聖ピオ五世はその勅書のなかで、永久にいかなる司祭もこのミサを捧げるためにいかなる教会法上の罰を受けることが出来ない、と言っているからです。従って、これらの罰則と破門など、もしそのような話が出たとしても、全く無効です。それらの罰則は、聖ピオ五世がその勅書の中で永久に有効なこととして荘厳に宣言したことと反対だからです。

 この聖なるミサを捧げた、と言うことによりいかなる司祭にも、いかなる場合でも、いつでも、いかなる刑罰も課すことが出来ない、決して出来ない、との言葉に。何故でしょうか?なぜなら、このミサは列聖されたからです。聖ピオ五世は、このミサを決定的に列聖したのです。ところで、教皇様といえども、以前列聖されたものを、聖でないと言うことは出来ません。教皇様は新しい典礼様式を造ることは出来ます、しかし、列聖されたものからその列聖を取り消すことは出来ません。教皇様は、列聖されたミサを禁止することは出来ません。ですから、ある人が列聖された場合、別の教皇様がでてきてこの聖人は聖人ではないと言うことは出来ないのと同様です。そのようなことはありえません。

 この聖なるミサは、聖ピオ五世によって列聖されました。ですから、私たちは全く平安に、安全に、このミサを捧げることが出来るのです。そして、このミサを捧げることによって、私たちの信仰を宣言し、それを維持し、又、信者たちの信仰を維持させることが出来るのだと、私たちは確信しています。これこそが、信仰維持のための最良の方法です。

 だからこそ、私たちは今しばらく後に、この叙階を執行するのです。勿論、私たちは出来ることなら、昔のように、聖座から祝福をいただけることを期待していました。昔は、新しく叙階を受ける司祭たちのためにローマからの祝福がありました。私たちは、よき天主様がいらっしゃり、全てをご覧になり、私たちのするこの叙階式を祝福されておられ、将来、確かにお望みになっておられるその実りを得ること、そして、私たちを維持し、教会を維持されることを考えます。

 特に聖母マリア様に、又、今日の聖ペトロとパウロにお願いいたしましょう。

 司祭職の母である聖母マリア様に祈りましょう。これらの若き司祭たちに、真の司祭職の聖寵をお与え下さいますように。聖霊降臨の日にご自分の取り次ぎによって使徒たちに聖霊を与えたように、彼らに聖霊を下さるように。

 聖ペトロのパウロに、私たちにおいて聖ペトロにたいする信仰を維持するように、求めましょう。おお、そうです。私たちには、ペトロにたいする信仰があります。ペトロの後継者に対する信仰が。しかし、教皇ピオ9世が教義憲章の中で、よく言ったように、教皇が聖霊を受けたのは新しい真理を作り出すためではなく、永遠の信仰において私たちを維持するためである、と。これが、第1バチカン公会議の時に教皇ピオ9世によってなされた、教皇様の定義です。

 だからこそ私たちは確信しているのです。この聖伝を維持しながらこそ、私たちは、ペトロの後継者に対する私たちの愛と素直さと従順を表すのであると。

 聖父の聖子と聖霊との聖名によりて、アーメン。
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癒やされた十人のライ病患者たち:天主様から受けた御恵みを認識致し、口で、態度で、受けた恵みに対して感謝をし、恩を返すために愛を以て償いを捧げよう

2019年09月20日 | お説教・霊的講話
2019年9月8日(主日)聖霊降臨後第13主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父様御説教

日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年9月8日、聖霊降臨後第13主日のミサをしています。

今日は第1主日ですので、このミサの後で、御聖体降福式をお捧げしたいと思います。

特に11月は教皇様が日本に訪問されますので、教皇様の訪問によって、日本の多くの方がカトリックの信仰に導かれますように、特別の御恵みを、その教皇様の訪問の実りが、霊的な実りがありますように、お祈り致しましょう。

明日も朝7時からミサがあります。

次のミサは少しイレギュラーになっておりまして、9月29日に予定されております。
9月29日の大天使聖ミカエルの祝日で、主日です。どうぞお間違えのないようになさって下さい。特にこの日には、フォルティン神父様がいらっしゃる予定です。

いくつかお願いがあります。
フォルティン神父様はマニラで学校を経営しておられます。もしも神父様がいらした時に、第2献金をして、この学校の援助の為に、もしも皆さん寛大な心をお示し下さる事ができれば非常に嬉しく思います。きっとフォルティン神父様も日本に来る事を楽しみにしていらっしゃると思います。どうぞよろしくお願い致します。

次はお祈りのお願いです。
先ほど申しましたように、教皇様が来日されるという事で、この実りが多いこの訪問となりますように、私たちはそれをお祈りしたいと思っています。カトリック信徒として当然と言えば当然ですけれども、皆様から、もしもできましたら、祈りの励みとなる為にも、霊的花束を頂戴したいと思っています。
その11月までたくさんのお祈りを教皇様の為にお願いします。

もう1つの祈りのお願いですけれども、今日、今回休暇で帰っておられる私たちのアグネスさんが、天主様からの御恵みによって、来年フランスで、復活祭の後の白衣の主日に着衣式をなさる予定です。

皆さんからの寛大なたくさんの熱いお祈りをお願いしたいと思っています。良き、聖なる、天主様に奉献された霊魂となりますように、天主様の御旨が果たされますように、皆さんのお祈りを、今日からお願いしたいと思います。


「すると、引き戻して、大きな声で天主を讃美して、顔を地面に平伏して付けて、平伏して、そして感謝した。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日、有名な「10人の癩病」の描写が、「イエズス様に謙遜な祈りをした事によって、癒された」という歴史的な事実を、私たちにミサで思い出させてくれます。

今日その典礼の精神に従って、

⑴この「癩病の10人が癒された」この事について、教父たちは一体何を言っているか?をまず簡単に黙想します。

⑵でも特に、今日私が是非強調したい点は、この最後のサマリア人が、感謝しに帰って来た、「感謝」と、そしてそれに反対する「忘恩」について、一体何なのか?を見て、

⑶そして最後に、私たちもこの典礼の精神に従って、遷善の決心を立てる事に致しましょう。


⑴簡単に今日の、この「10人の癩病の患者が癒された事が、なぜ出てくるのか」、「教父たちは何を言ってるのか」を、簡単におさらいしてみます。
これについては皆さん毎年聞かれた話です。

教会は、私たちの聖母の被昇天を境に、私たちに霊魂の準備を、死の準備を、世の終わりの、裁きの日の準備をしようとしています。そしてそれと同時に、イエズス様の憐れみの業を強調しようとしています。私たちがイエズス様に信頼するように。

先々週は、目の見えない人と口のきけない人が癒された話を見ますが、その時に「エフェタ」という言葉が出た事から、「洗礼」の事が象徴されました。

あるいは良きサマリア人が、傷付けられた半死半生の人に、ブドウ酒を与え、油を捧げて、教会に連れて行って、「治してほしい」と言ったところから、「御聖体」の秘跡の事が暗示されました。

今日は、10人の癩病人が、「司祭に、その病気の事を見せに行きなさい」といった事によって治った、「告解の秘跡」の事を暗示しています。

特に教父たちは、「この『癩病』というのが、『罪』のシンボルであって、恐るべき伝染病であって、不治の、もうどうしても隔離する事しか身を守る事ができない病気であった、その恐るべき体の癩病よりも、更に重い病が、罪である。」

しかし人々は、この罪に対して、天主に対する公然の反乱について、あるいは感覚と霊魂を全てを総動員しての、全面戦争に対して、至高の天主に対する反逆に対して、裏切りに対して、あまりにも無関心であって、霊魂の癩病については、何の注意も払おうとしていない。そして罪は、罪を呼び、悪い模範を呼び、そして多くの人々を汚染して、そして罪が広がっている、という事を教父たちは教えています。

あるいは、この10人の癩病たちが癒されるその為に、イエズス様に謙遜に願った、その「謙遜」、「イエズス様に対する信頼」、その「祈り」を指摘する教父たちもたくさんいます。

あるいは、「イエズス様が治す為に、自分はその場ですぐに瞬間的に治す事ができるのに、『綺麗になれ』と言う事ができたにもかかわらず、あえて『司祭の元に行け。』、そして行っている間に治した、この意味は何か?」「罪の場所から離れるべきだ」とか、あるいは「司祭に見せに行くという事で、『悔悛の秘跡』の前兆である」とか、と言われています。

あるいは、「旧約の司祭たちも、『イエズス様によって治された』という事が認識できるように、『イエズス様こそがメシアである』という事が分かるように、という事を示す為に」と指摘しています。

しかしこの10人の内、きれいに癩病が癒されて、きれいになった事に気付いて、そのおそらく10人は喜んだ、喜びに満ち溢れたに違いません。

しかしその内に、道を引き返して、イエズスの元に帰って来て、大きな声で讃美して、感謝して、そして平伏して、「ありがとう」と言いに来たのは、たった一人のサマリア人でした。

教父たちはこれによって、これを取って、イスラエルの聖なる民族が、天主に対してお礼もしなかった、イエズス様に対してお礼もしなかったけれども、この異教徒は外国人は、イエズス様に感謝した。

そして、徳の進歩を妨げるものは、『忘恩』である。私たちがもしも聖徳に進もうと思うならば思うほど、受けた御恵みを感謝しなければならない、ということも言います。

これが、教父たちがこの10人の癩病たちの癒しについて言っている事ですけれども、特に私たちは、徳に対してますます前進したいと願っています。このサマリア人に倣いたいと思っています。

⑵ですから第2のポイントは、今日是非、このサマリア人のやった事を、もう一度分析してみる事を提案します。

聖トマス・アクィナスによると、「『謝恩』あるいは『感謝』というのには、3つの段階がある」と言います。

「まず最初は、頭の中で。認識で。」
「第2は、口で。あるいは注意で。」
「最後には、行動で現れる」と言います。

まず、聖トマス・アクィナスによれば、「まず、受けた御恵みを認識する事」から始まります。
次に、それを口に出して讃美したり、「あぁ、素晴らしい御恵みだ。」あるいは「感謝します」と、表現する事によって、第2の段階に行きます。
第3の段階は、自分の持っているものを、何かそのお礼を、恩をして下さる方に与えて、返礼をする、お礼をする。
「これが謝恩であり、感謝だ」と言います。

では、この私たちも、もしもサマリア人になろうとするならば、一体どのように恩を返答したら良いでしょうか?

もちろん、「感謝」というのには、相手によって名前が付いています。色々段階があります。
「天主」に対する感謝は、もちろん「宗教」の徳であります。
「親」に対する感謝は、これは「忠孝」の「敬愛」の徳です。
「目上」や、あるいはこの立派な方々に対する感謝は、これは「尊敬」の徳に入ります。
そして「友情」関係の間でも感謝があります。

しかし全ては、まず「受けた恵みを認識する事」から始まります。私たちは特に今日、天主様に対して、天主様から受けた御恵みを認識致しましょう。

洗礼の恵み。罪をきれいに赦された恵み。罪という腐敗の伝染病、癩病を、霊的な癩病から癒された恵み。あるいは御聖体の恵み。イエズス・キリストの流された御血。そのイエズス様が、私たちの霊魂を救う為に命を捨てられた事。私たちに命を与えられた事。十字架で命を私たちに下さった事。その燃え尽きるような、燃え盛る愛。死をも恐れない愛。全てを私たちに与えようというその寛大な愛。

私たちはそれを、何度も何度も認識しようと黙想してきました。

まず「御恵みを知る」事から、そして「それを受けたという事を認める」事から始まります。

次に、口で、あるいは態度で、その受けた恵みに対して感謝をします。

このサマリア人は、大きな声で天主を讃美しました。
そして額突いて、礼拝して、そして態度で表しました。

私たちも、天主から受けた御恵みを、礼拝や、あるいは讃美を行なう事によって、それを認めます。私たちが今日ミサに来たという事も、今日サマリア人の真似をしたと同じです。私たちがイエズス様の前でこうやって、イエズス様の前にやって来て、そして跪いて礼拝する、大きな声で讃美する、感謝する。これはまさしくサマリア人の真似です。

更に、私たちの持っているものを使って、何かできる事を与えます。聖トマス・アクィナスによれば、「対象によって、もちろん私たちの与える物が大切な時もあれば、あるいは私たちの持っている愛情を以てお礼をするのが大切な時もある」と、その場所、機会を区別しています。

私たちは天主に対して、その恩を返し尽くす事ができないので、少なくとも私たちの愛を以て、償いを捧げます、私たちの犠牲を捧げます。

私たちはミサにやって来て、そしてミサの中のカリスの中に、司祭が一滴の水を入れるのは、皆さんの日々の犠牲と、そして祈りと、そのイエズス様の贖いの業への一致のシンボルです。

私たちもただ単に、「ありがとう」感謝するのみならず、一歩進んで、私たちの持てる苦しみや辛い事、あるいは十字架、あるいは暑さ、寒さ、あるいは人に対する許し、人に対する寛大な心、愛徳を以て、イエズス様のカリスの中に、イエズス様の御血に、私たちの一滴を入れて、お礼をします、「私たちの犠牲も、祈りも、使って下さい。」ファチマの子供たちもこれを学びました。

では、もしも私たちがお礼をしない、謝恩しないという事は、何と言われるでしょうか?「忘恩」と言われます。「恩知らず」と言います。

聖トマス・アクィナスによると、「忘恩には2つの方法がある」と言います。「やり方がある。そしてその2つのやり方にも、程度がある。

1つは、『感謝をゼロにして、何もしない』というやり方。
もう1つは、『受けた御恵みを否定する』やり方だ」と言います。

「0のやり方は、まず一番程度の軽いのが、頭では認識したとしても、態度でお礼をしない、行動でお礼をしない。0の態度。」
「次に」聖トマス・アクィナスによれば、「受けた御恵みを讃美しない、賞賛しない、あるいは口に出して感謝しない。0の態度。」
「そして更にその酷いのが、受けた御恵みを忘れる、あるいは認識しない、あるいは認知しない。『そんなもの受けたか?』」

しかし更に悪い態度は、受けた御恵みを否定する事です。
聖トマス・アクィナスによると、「まず行動で、受けた善を、悪で返す。」
「第2の段階は、受けた御恵みを非難する。」
「あるいは第3の一番悪いのが、受けた御恵みを、『害である』と思う。『彼は加害者で、私は被害者だ!』」

天主様に対する忘恩も、あるいはここまで悪魔的になってしまう危険もあります。

私たちは是非、このサマリア人に倣って、感謝の念を持とうと願います。おそらく私の思うには、この10人の癩病者は、受けた御恵みを認識して、喜んだに違いありません。ただおそらく、戻って来るのがあまりにも面倒くさかったり、あるいは冷淡であったのかもしれません。

もしかしたら主日のミサに来ないという方々も、あるいは正当な理由がある、あるいはもしかしたら冷淡な、そしてあるいは御恵みを感謝するのをサボってしまっている霊魂なのかもしれません。私たちは是非、そのような霊魂たちの為にも、代わりに、彼らに代わって、感謝をしたいと思っています。

⑶では今日は、どんな決心を取れば良いでしょうか?

3つ提案したいと思います。

それは、主日のミサが、復活のミサのミニチュア版だという事から、私たちはこの霊的な復活を受けた、御聖体と洗礼の御恵みをこのミサで感謝して、サマリア人のように跪いて礼拝し、そして感謝致しましょう。

そして私たちの御聖体拝領を、また今日のミサの後の御聖体降福式を、イエズス様に感謝しない人々に代わって、感謝致しましょう。

第3に最後に、この10人の癩病者が癒しを受けるようになったその最初は、謙遜に、自分の事を、自分の卑しさを、イエズス様に言う事でした。そのそれによって、この癒しを受けられ、そしてサマリア人は感謝しました。

ところでマリア様は、その自分のご謙遜を、マニフィカトでこう言っています。
「主は、私の卑しさを見られたので、私は主を讃美する。」
マリア様はご自分の卑しさを感謝しています。

ですから最後に、マリア様に、私たちにもその感謝の気持ちをいつも持つ事ができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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喜びの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、聖母が御告げを受け給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、謙遜の徳をこい願わん

2019年09月20日 | お説教・霊的講話
喜びの玄義 第1玄義黙想
2019年9月7日(初土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 小野田神父様

『喜びの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、聖母が御告げを受け給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、謙遜の徳をこい願わん。』

今日は初土曜日ですので、15分間、ロザリオの15の玄義の1つを黙想致しましょう。今日は、マリア様の御誕生日を前に控えておりますので、大天使聖ガブリエルがマリア様に御告げをなして、天主のメッセージを告げた、「聖寵に充ち満てる方、主は御身と共に在す」と言った、その玄義を黙想致しましょう。



マリア様、マリア様は永遠の昔から、この全宇宙の創造主によって、特別に選ばれて、特別の御恵みを受け続けてきた方です。私たちに救世主を、メシアを、贖い主を与える為に、その母となる為に、お生まれになりました。

マリア様が16歳の時に、大天主聖ガブリエルの御告げを受けて、「救い主の母となるか?」つまり、「救い主と共に、苦しみの道を歩む事ができるか?」という問いに、マリア様は、「はい」と答えられました。

「苦しみは嫌だ!罪を犯していないのに、なぜ苦しむのか!」とお答えになる事もできたのですが、マリア様は、「主の婢女はここにおります。仰せの如く我になれかし。」全てを受け入れる事を宣言されました。

ナザレトでの30年間の貧しいご生活。公生活の3年間、見守る生活。イエズス様の御受難を、母としてご覧になるその苦しみ。

未亡人として一人残され給うマリア様は、全てを、第2のエヴァとして、御捧げ下さいました。

マリア様こそ、イエズス様を最も深くよく知り、最も一致して生活された方です。「代々、人々は私の事を幸せな者と呼ぶでしょう。」

仰った通りです。大天主聖ガブリエルも、聖エリザベトが言う通り、「女のうちにて、特別に祝福された方」です。

救世主の母、天主の母、マリア様。天主の言葉の実現を信じた方。御謙遜、主の御旨のみを望んだ方。

このような救世主の母、天主の御母が、私たちの母として、イエズス様によって十字架の上から与えられた事を感謝します。

マリア様の御謙遜があればこそ、天地の創造主、イエズス・キリストが人となって、そして御聖体となって、私たちと共に、パンの形で、パンの外見で、代々この世の終わりまで、共にいらっしゃる事ができるようになりました。

マリア様の御謙遜な、「はい」という従順に、感謝します。

イエズス様、イエズス様はマリア様を通してのみ、私たちの元に来られる事を御望みになりました、永遠の昔から。その深い知恵に感謝致します。

三位一体の聖父は、聖子をイエズス様を、マリア様を通してのみ、この世に御与えになる事を御望みになりました。選びになりました。その深い知恵を讃美致します。

三位一体の聖霊は、マリア様にのみ、その聖寵の充満を、充ち満てる御恵みを与えようと御望みになりました。「聖寵に充ち満てるマリア、主はマリア様と共に在す。」その特別の御恵みをマリア様に与えたその愛の前に、深い礼拝を表します。

イエズス様は私たちに、その御自分の生涯を真似るように、模範を示されました、「私はお前たちに、模範を示した。」

その最大の模範は、30年間、マリア様の子供として、従順に生きておられた事でした。そのイエズス様の模範に、感謝致します。

これは全て、マリア様の御謙遜な「はい」から可能になった事でした。大天使聖ガブリエルがマリア様に告げたその御言葉は、何と聖なる尊い言葉だったでしょうか。

「聖母よ、主の御旨の前に、いつも『はい』という事ができるように助けて下さい。自分の都合や、自分の事ではなく、主の御旨を選ぶ事ができますように。」
コメント

新しいミサとルターのした典礼の革新とがどれほど似ているか:

2019年09月20日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ルターのミサから新しいミサへ(ルフェーブル大司教の講話より)

 今晩わたしはルターのミサとルターのした典礼の革新とが、どれほど新しいミサと似通っているかということを話したいと思います。


 なぜこのことを話す必要があるのでしょうか。なぜなら、典礼の改革を司った委員会の委員長自身が言うところによれば、この改革の根本には教会一致の考えがあり、わたしたちはこの改革について考察せざるを得ないからです。なぜならもし新しいミサと、ルターの典礼とのこの親子関係が本当に存在することが証明できれば、神学上の問題すなわち信仰の問題が、有名な“Lex orandi, lex credendi"(祈りの法は、信仰の法)と言う格言に従って、問題にならざるを得ないからです。

 さて、ルターのした典礼の改革の歴史的書類は現在の改革を照らし出すうえで大変参考になります。

 ルターのした典礼の改革の目的が一体何であったかということを理解するために、今簡単に司祭職とミサ聖祭に関する教会の教えをもう一度見ることにしましょう。

 トレント公会議はその第22総会においてこう私たちに教えています。我々の天主であり主であるイエズスキリストは、その司祭職を終わらせることを望まれず、その死にあたって、最後の晩餐において自分の愛する花嫁である教会に目に見えるいけにえを制定された。これはご自分の贖いの救いの力を我々が毎日犯す罪に適応させるためのものであった。この目的のためにご自分の使徒らを、彼らとその後継者らを、新約の司祭と制定し、新しい契約のこれらの司祭に聖なる消すことのできない印をつける品級の秘跡を制定した。

 この目に見えるいけにえは、現在我々の祭壇のうえでいけにえを捧げる行為によって捧げられている。これにより、我らの主は現実にパンとブドウ酒の形相の下に実在され、ご自分を天主御父にいけにえとして捧げられるのである。そしてこのいけにえを食することにより我々は主の御体と御血と交わり我々も自己を主と一致して捧げるのである。

 したがって教会は次のことを私たちに教えています。

司祭の司祭職は、叙階の秘跡を受けていない平信徒の司祭職と本質的に異なっていること。平信徒は司祭職を絶対的に必要とする教会の一部をなしてはいますが、(秘跡的)司祭職をもっていないのです。そしてこの司祭職には極めて独身がふさわしく、司祭用の服装などによって平信徒と外的に区別することがふさわしいのです。 この司祭職によって行使される礼拝式の本質的行為は、ミサ聖祭です。これは十字架のいけにえが流血のいけにえでありましたが、ミサにおいては無流血のいけにえであるということのみが異なるだけです。司祭は聖変化の言葉によって実現されるいけにえを捧げる行為によってミサを執行するのであって、ご受難のあるいは最後の晩餐の記念を単に朗読することによってミサをたてるのではないのです。

 この崇高で神秘的な行為によって私たちの霊魂と煉獄の霊魂の各々に贖いの功徳が適応されるのです。そしてそのことは奉献文においてすばらしく表明されています。

 したがって、いけにえが現実に存在することは必要であり、この実在はパンとブドウ酒の実体が我らの主の御体と御血に変化することによってなされるのです。したがって御聖体を私たちは礼拝しなければならないのです。そして御聖体に対して非常に大きな尊敬を払うべきです。それゆえにこそ司祭だけが御聖体を取り扱うという聖伝が生まれたのです。「司祭がただ一人だけで捧げるミサ」、そして「司祭一人だけが聖体拝領をするミサ」は、それだけで公の行為であり、ミサ聖祭としての全く同じ価値をもっています。そしてこのミサは司祭にとってもすべての信者らにとっても有益なのです。「司祭一人が立てるミサ」をこうして教会は勧め、望んでいるのです。

 ラテン語のミサの正に中核を構成する祈り、聖歌、典礼儀式(そしてその「宝石」はカノンですが)それらの起源にはこれらの信仰の原理があるのです。私たちはトレント公会議の言うところを読むと感動を覚えずにはいられません。「聖なるものを聖なるものとして取り扱うことはふさわしいことであり、このいけにえはすべての中で最も聖なるものであるのであるから、このいけにえがふさわしくかつ尊敬をもって捧げられ受けられるために、カトリック教会は数世紀以前より、そのうちに成聖を息吹かせ、外的信心を催し、このミサを捧げるものの精神を天主に上げるような、これに反するもののまったくないすべての誤謬から免れた純粋な、聖なるカノンを制定した。このカノンは実に主のみ言葉それ自体、使徒らの聖伝、聖なる教皇らの敬虔な指導からできている。」(第22総会第4章)

 では今から一体どうやってルターがその宗教改革を成し遂げたか、つまり彼自身がそう呼んだその『福音的ミサ』をどう作り上げ、それは一体どんな精神に基づいていたのか見てみましょう。このために1910年にレオン・クリスチアーニの書いた本を見ることにします。この本は現在の典礼改革の影響を受けていないはずですから。この本は「ルター主義からプロテスタンティズムへ Du Luthéranisme au Protestantisme, évolution de Luther de 1517 à 1528 Léon Cristiani」と言う題がついています。この本は典礼改革についてのルター自身の言葉やその弟子らの言葉を引用しているので大変興味深いのです。

 この研究は大変多くを教えてくれます。なぜならルターは自分を動かしていたリベラル(自由放埒)な精神を明かすことを躊躇していないからです。かれはこう書いています。「何よりもまず私は友としてこう懇願する。…神に対する「サービス」に関するこの命令を調べ、それに従いたいと思うものは、自分を束縛する法律のようにこれを読み取ったり、またいかなる良心も捉えられないようにしていただきたい。各々自分の好きなように自分の好きなときにそれを取り入れていただきたい。それがキリスト者の自由というものです。」

 「神に対する称賛としての礼拝式は、今後からは、人を慰め人を照らすために人に対してなされることになります。したがって今までは、いけにえが第1に重要な場所を占めていましたが、今度からは説教がそれに取って変わることでしょう。」

 では、ルターは司祭職についてどのような考えをもっていたのでしょうか。彼の「一人でのミサ」に関する本の中にはカトリック司祭職は悪魔の発明であることを証明しようとやっきになっています。そのためにこそ、彼はそれ以後基本的になるこの原理を持ち出すのです。「聖書にないことはサタンの付け加えたことである」と。さて聖書には目に見える司祭職については書かれていません。聖書には唯一の司祭唯一の大司祭、キリストのことについてしか書かれていません。さらにはキリストと共にわたしたちはすべて司祭である、と。司祭職は唯一であると同時に普遍的である、と。そこでルターは「司祭職を誰かのために独占するのは何という愚かなことか…。キリスト者の間のすべての位階的区別をつけるのは反キリストにふさわしい…。いわゆる『司祭』は災いなことよ。」と言うのです。

 1520年には、彼は「ドイツのキリスト教貴族への宣言」と言う本を書いていますがその中で彼は「ローマ主義者」に戦いを挑み自由公会議を求めています。

 「ローマ主義者が作った最初の高い壁」は聖職者と平信徒との区別である。「教皇、司教、司祭、修道者、が聖職者の身分を構成し、他方で君主、領主、職人、農民が世俗の身分を作り成す、ということに気づいたが、これは全くの作り事でありウソにすぎない。すべてのキリスト者は真実に聖職者の身分に属しており、役割の違いのほかキリスト者の間にいかなる区別もない。…もし教皇あるいは司教が塗油をし、剃髪式、叙階式、聖別式をし、平信徒とは違った服を着るとしたら、見せかけを作り上げ、塗油を受けた偶像を作ることはできるが、キリスト者も聖職者をも作ることができない。洗礼を受けたものはすべてすべて聖別された司祭、司教、教皇ということができる。ただしすべてがこの役割を果たすことがふさわしいとは言えないが。」と言っているのです。

 この教義から、ルターは聖職者の特別の服と独身制とに対し反対するのです。彼自身、また彼の弟子らもその模範を示し彼らは独身をやめ結婚するのです。

 バチカン公会議の改革から出た事実は、ルターの結論とどれ程似ているでしょうか。修道服の廃止、聖座によって認められた数多くの結婚、司祭と平信徒とを区別するすべての印の欠如。この平等主義は、今まで司祭にしか認められていなかった典礼の役職を平信徒にまで認めることによって明らかにされるほどです。

 下級品級の廃止、副助祭の廃止、結婚した助祭、これらは司祭は全く純粋に役職・役目でしか過ぎないという考えを生み、司祭職の秘跡的印を否定するのを促しています。叙階式は共同体へのサービス[奉仕の司祭職]という方向に向けられ、司祭職のカトリック的概念を唯一正当化する『いけにえ』のためではもはやなくなっています。

 労働司祭、組合活動主義者、あるいは国家によって俸給を受ける別の内職を求める司祭など、すべての区別を無くしてしまっています。彼らはルターのやったことよりはるか先を行っています。

 ルターの犯した第2に重大な教義上の誤謬は、この第1の誤謬の続きでありその第1原理に基づいています。すなわち、信仰あるいは信頼が救うのであって、業ではないということ。そしてこれはカトリックミサにおいて最も基本的であるいけにえを捧げる行為を否定することなのです。ルターにとって、ミサは賛美のいけにえ、すなわち賛美、感謝の行為ではありうるけれども、決して償いのためのいけにえ、十字架のいけにえを更新し適応させる贖罪のいけにえなどではないのです。

 修道院内の礼拝式の「退廃」について彼はこう言います。

「彼らの礼拝式の基本的要素、すなわちミサは、不敬虔、忌まわしさのすべて度を過ぎている。彼らはいけにえを捧げ良い業をしているという。これ[=ミサのこと]以外に修道服を脱ぎ捨て、修道院を出、誓願を破る動機はなかったではないか。ミサはそうするのに全く十分である。」

「ミサは『シナックス(集い)』であり交わりである。御聖体は3重のそして嘆かわしい捕虜となってしまった。平信徒の手からカリスを取り上げてしてしまったこと、トミストらが思いついた全実体変化に関する意見をドグマとして押し付けたこと、ミサをいけにえとしてしまったこと、これである。」

 ルターはここで最も重要な点に触れています。しかし彼は少しも躊躇してはいません。「したがって罪のために、罪の償いのために、死者のために、ミサを捧げ・適応するのは明らかなるそして不敬虔な誤謬である。…ミサは神によって人に捧げられたものであり、人によって天主に捧げられたものではない。」と彼は書いています。

 御聖体に関しては、「何よりもまず信仰を駆り立てなければならないものなのであり、俗語で捧げられなければならない。それはすべてが彼らに言われている約束の偉大さをよく理解することができるためである。」

 ルターはこの異端の結論として、いけにえの贖罪とあがないの目的をはっきりと表明している奉献文を廃止するのです。彼はカノンの大部分を廃止し、基本的な所のみを保存するのですがしかしそれもただ最後の晩餐の叙述としてだけです。最後の晩餐において成し遂げられたことに、もっと近づくために彼はパンの聖変化の言葉に「quod pro vobis tradetur(あなたたちのために渡される)」と言う言葉を付け加えるのです。そして「mysterium fidei(信仰の神秘)」という言葉と「pro multis(多くの人のために)」という言葉を廃止するのです。彼は、パンとブドウ酒の聖変化の前の言葉、そしてそれに続く文章を叙述の基本的な言葉として考えるのです。

 彼はミサをまず第1にみ言葉の典礼、第2に聖体拝領(交わり)と考えるのです。

 新しい典礼改革はルターのと全く同じ変化をもたらし、本当に信者たちが手にする現代のテキストにはもはやいけにえについては語られず、ただみ言葉の祭儀、最後の晩餐の叙述、パンあるいは御聖体の分かち合いしか語らない、というのを目前にし驚愕せざるをえません。

 新しいミサを導入する総則の第4項を見ると既にプロテスタントの考え方を表しています。それの発表の後になされた訂正は満足のいくものでは全くありあせん。

 祭壇石の廃止、ただ1枚の祭壇布しか覆われていないテーブルの導入、会衆の方に面する司祭、コルポラーレではなく常にパテナのうえにおかれたままのホスチア、普通のパンを使うことの許可、金銀の貴金属以外のいろいろな材質でできた器、そしてその他数多くの詳細な革新は、基本的にそして非常に重大にカトリックの教えに反したプロテスタントの概念を、新しいミサに与かる人に教え込んでいるのです。

 ミサ聖祭よりもカトリック教会が生き残るために必要なものはありません。ミサを打ち捨てることは教会の基礎それ自体を揺るがすことに等しいのです。キリスト教生活、修道生活、司祭生活はすべて十字架のうえに、祭壇上に新しくされる十字架の聖なるいけにえの上に築かれているのです。

 ルターはそのことからカトリック教会が教えているような全実体変化及びキリストの現存を結論として否定したのです。彼にとって、パンはそのまま残るのです。したがって彼の弟子で、御聖体の礼拝に反して強烈に立ち上がったメランクトンが言うように、「キリストは聖体を自分の受難の記念として制定した。聖体を礼拝することは偶像崇拝である」のです。

 そこから、手による聖体拝領、両形色の聖体拝領が生まれ、それは我らの主の御体、御血の現存をその両形色において否定しているのです。ですから、一つの形色だけによる聖体拝領は不完全だと考えられるのです。

 ここでもさらに現在の典礼改革とルターの典礼改革との奇妙な一致を計ることができます。御聖体の取り扱いに関する新しい許可はますます尊敬を欠かせ、忘れさせ、礼拝をさせないように向いているのです。手による聖体拝領、平信徒が、しかも女性が聖体を配ること、跪く回数を減少させ、数多くの司祭は既に跪くことをしなくなってしまったこと、普通のパンを使ったり、普通の容器をカリス替わりに使ったりすること、これらのすべての改革はカトリック教会が今まで教えてきた御聖体における現存を否定するのに役立っているのです。

 《Lex orandi lex credendi》と言う格言の通り、原理は実践と分かち難く結び付いているので、ルターの典礼改革をミサの典礼において真似ることは、少しづつ、しかし確実に、ルターの考えそのものを受け入れるようにと導いているのです。新しいミサが発表されて後ここ6年の経験はこのことを十分によく証明してくれます。このような、宗教統一的といわれるやり方の結果はまず信仰の領域に於いて壊滅的であり、特に司祭職の腐敗、召命の希少化に於いて特にひどく、全く身近なこの典礼に関する問題についてどこにおいてでもカトリック信者の一致を破壊し、プロテスタントやギリシャ正教会の信者との関係に悪影響を与えています。

 教会の生命活動に欠かすことのできないそして教会にとって基本的であるこの「司祭・いけにえ・御聖体」に関するプロテスタントたちの考えはカトリック教会の信仰と全く完全に反対です。トレント公会議が開かれ、4世紀にも亙って教導職のすべての文章がそれについて語っているのは、おもしろ半分でのことではなく、深い意義があることなのです。

 カトリック信者にとって、まさに自分の信仰の表明であり支えである典礼を、異端者どもが思いついた新しい典礼を受け入れるために放棄することは、しかも自分の信仰を最も大いなる危険にさらすことなしに放棄することは、心理的に、司牧的に、神学的に全く不可能なことです。プロテスタントのしていることをプロテスタントにならずに何でもかんでもまねするというのはできない相談です。

 どれ程多くの信者たちが、どれ程の若い司祭たちが、どれ程の司教様たちがこの典礼改革以降信仰を失ってしまったことか! 自然と信仰に真っ向から反対すればそのしっぺ返しは必ず食うものです。

 最初の「福音的ミサ」の様子をそしてその結末をここで皆さんに読んでみるのは2つの典礼改革がいかに奇妙なほど似通っているかということを納得してもらうために役立つと思います。

 「1521年12月24・25日の夜、群衆は教区の教会に押しかける。…「福音的ミサ」は始まろうとしていた。カールシュタットは説教壇に登り、聖体について説教する。彼は聖体を両形色で拝領する義務があると言い、聖体拝領の前の告解は無意味であるという。信仰だけで十分である、と。カールシュタットは普通の服装で祭壇に立つ。コンフィテオールを唱え聖福音の所までは普通のとおりにミサを始める。奉献の祈り、聖体奉挙などいけにえの概念を呼び起こすものはすべて省かれる。聖変化の後に聖体拝領がくる。参列者の中の多くはほとんど告解をしていなかった。彼らの多くは飲み食いし焼酎を飲んでいたものもあった。彼らも他の人と共に祭壇に近づく。カールシュタットはホスチアを配りカリスを差し出す。聖体拝領する人は手で聖別されたパンを受け取り自分で好きなようにカリスから飲む。ホスチアの一つはスルリと落ちて参列者の服に落ちる。司祭はそれを拾う。もう一つは地面に落ちる。カールシュタットは平信徒にそれを拾うようにと命じる。平信徒が尊敬あるいは迷信のしぐさをしてそれを拒むとカールシュタットは「もし誰もその上を歩かないのなら、それではその落ちたところにそのままあればよい」と言うに過ぎなかった。」

 その同じ日に、その付近のある司祭はおよそ50人ほどの人に両形色で聖体を配った。彼らのうちたった5人だけが告解をしていたに過ぎなかった。その他の人達はミサ中に赦しを受け、罪の償いにもう再び罪に落ちるなと勧められただけであった。

 翌日カールシュタットはアンナ・デ・モハウとの婚約式をした。幾人かの司祭たちはこの模範に従い結婚した。

 この時、ツウィングリは自分の修道院を抜け出しアイレンブルクで説教していた。彼は修道服を脱ぎ捨て髭を生やしていた。平信徒の服装で司祭一人だけのミサに反対していた。新年には両形色で聖体を配る。ホスチアは手から手へと配られていた。自分のポケットに入れてもって帰ったものもいた。ある婦人はホスチアを食しながらそのかけらを地面に落としていた。誰もそのことに注意を払わない。平信徒は自分でカリスを取りなみなみと飲んでいた。

 1522年2月29日、ツウィングリはカタリン・ファルキと結婚した。当時まさに「司祭と修道者の結婚」という伝染病がはやっていた。修道院は空っぽになり始めた。修道院に留まった修道者たちは、1つの例外を除いて、祭壇を打ち壊し、諸聖人の聖画を焼き払い、病者のための聖香油さえ焼き捨てた。

 司祭の間には全くの大きな無秩序が支配していた。誰もが自分の好き勝手にしたい放題のミサを立てていた。協議会は典礼の改革のために秩序を取り戻そうと新しい典礼を決定することを決議した。

 それでどうやってミサを立てるかというやり方を決めた。入祭唱、グロリア、書簡、福音、サンクトゥスは残された。その後に説教。奉献文とカノンは廃止された。司祭はただ単に最後の晩餐の制定を朗読する。聖変化の言葉は大きな声でドイツ語でする。聖体は両形色で配られる。アニュス・デイの歌、聖体拝領の歌、そしてベネディカムス・ドミノの歌でサービスは終わる。

 ルターは新しい聖歌を作るのが心配だった。うまい詩を探すのだがなかなか見つからない。聖人の祝日は姿を消す。ルターは典礼の過渡期をうまく乗り越える。彼は古い儀式をできるだけ残そうとする。彼はその方向づけを(なるべく穏やかに徐々に)変えようとやっきになる。ミサは大部分その外見はそのままを保つ。民衆は教会建築の中に同じ装飾を再び見いだす、民衆の気に入るように仕組まれた同じ儀式。今後は今まで以前よりもずっと民衆に訴えるようになる。礼拝式を重要視することにますます気が付く。民衆は、聖歌や声を出しての祈りなどによりますます積極的に礼拝式に参加する。少しづつ、そして決定的にラテン語はドイツ語に席を譲る。

 聖変化はドイツ語で歌われる。聖変化はこの言葉でなされる。「我らの主は渡される夜パンを取り感謝してそれを割き、弟子らに与えてこう言われた。取って食べなさいこれはあなたがたのために渡されるわたしのからだ。あなたがたがこれを行う度にわたしの記念としてこれを行いなさい。同じく食事の後に杯を取りこう言われた。取って皆これを飲みなさい。これは、あなたたちのために流される罪の許しのための私の血におけるカリス、新しい契約。このカリスを飲むたびごとにこれを私の記念として行いなさい。」

 こうして『quod pro vobis tradetur』『あなたたちのために渡される』と言う言葉が付け加えられ、ブドウ酒の聖変化において『信仰の神秘』『多くの人のために』と言う言葉が省かれるのです。

 この「福音的ミサ」似関する叙述は公会議以後の典礼改革に対して私たちが思っているのと同じことを言ってはいないでしょうか。

 新しいミサにおけるこれらの変化は本当に危険です。何故なら、少しずつ、特にいけにえの観念がもはやなく、聖体における現存や全実態変化の観念のない若い司祭にとってこれらは何の意味ももたず、教会がすることをするという意向を失ってしまうからです。そうするともはや彼らのミサは有効ではないのです。

 確かに、もしも年を取った司祭たちはたとえ新しいミサを捧げるときでも今までの信仰を保っており、また更に彼らは長年の間古いローマミサを捧げて来たし、彼らはその意向を保っている、としたら、彼らのミサは有効だと信じることができます。しかし、彼らのこの意向が無くなるに従って、それがどこかに行ってしまうに従って彼らのミサももはや有効ではなくなってしまうのです。

 彼らはプロテスタントに近づこうとしましたがその結果としてカトリックがプロテスタントになり、プロテスタントがカトリックになったのではないのです。そのことは一目瞭然です。

 5人の枢機卿と15人の司教がテーゼの『青年の公会議』に参加したときのこと、これらの青年達はどうやってカトリシズムとは何か、プロテスタンティズムとは何かと言うことを知り得たでしょうか。あるものはプロテスタントのところで聖体拝領し、あるものはカトリックのところで聖体拝領をしました。

 ウィルブランズ枢機教がジュネーブで開かれた教会統一協議会へ行ったとき、こう宣言しました。「我々はルターの名誉を回復させなければならない。」彼は聖座からの勅使としてこう言うのです!

 告解の秘跡を見てください。合同回心式の為にこの改悛の秘跡は一体どうなってしまったのでしょうか! 信者にこう言うのは司牧的でしょうか。「集団的に許しを与えました。聖体拝領することができます。もし機会があったら、そしてもし大罪を犯していたのなら、今から6カ月かあるいは1年のうちに告解を個別的にしてください。」こんなやり方が司牧的なのでしょうか。大罪について人はどのように考えるようになることでしょうか。

 堅振の秘跡も全く同じ状況にあります。今流行の形相はこれです。「我、汝に十字架の印をする、聖霊を受けよ。」しかし、聖霊がこの秘跡によって自分を私たちに与えるその秘跡の特別の聖寵が何であるかを正確に言わなければなりません。もし、この「Ego te confirmo in nomine Patris...」という言葉を言わないとすれば、秘跡ではないのです。私はそのことを枢機卿たちに言いました。なぜなら彼らは私にこう言ったからです。「あなたは堅振の秘跡を授ける権利の無いところでそれをしている」と。「信者たちが自分の子供達が堅振の聖寵を受け取らないのではないかと恐れているから、今の教会で与えられている堅振の秘跡の有効性に彼らは疑いを抱いているので、私は堅振を授けるのです。少なくともその聖寵を確実に得ようと私に堅振を与えてくれと頼むからです。私にとって私に有効な堅振を頼む人々の願を拒むことはできないので、たとえそれが不合法だとしても私はそれをするのです。なぜなら、教会の人定法が天主の自然法・超自然法の運河である替わりにそれに対立しているとき、天主の自然・超自然の法が教会人定法に勝るからであり、我々は今そのときを生きているからです。」

 私たちは今、教会の異常な危機の時代を生きています。私たちはこれらの改革については行けません。これらの改革のよき実りとはどこにあるのでしょうか。私は本当に自問自答します。典礼改革、神学校の改革、修道会の改革、すべての修道会の最高幹部会の改革。これらのかわいそうな修道院を一体どこにやってしまったのですか! みんな跡形もなく消えてしまいました。もはや修練者もなく、召命もありません。

 シンシナッティーの枢機教大司教は、ローマにおける司教らのシノドゥスでやはりこう認めました。「私たちの国々では ─英語を話す国々を指してのことですが─ 司祭とは一体なんであるか皆がよく知らないのでもはや召命が無くなってしまった。」

 ですから私たちは聖伝に留まらなくてはなりません。聖伝だけが私たちに本当に聖寵を与えてくれます。教会における継続性を与えてくれます。もし私たちが聖伝を打ち捨てるとき、私たちは教会の破壊に貢献するときです。

 私はこれらの枢機卿たちにこう申し上げました。「公会議の中の信教の自由に関する概要は矛盾しているということに気が付きませんか。この概要の第1部には『聖伝は何も変えてはならない』と言われているのに、この概要の内部ではすべてが聖伝の反対を言っています。この概要はグレゴリオ16世やピオ9世そしてレオ13世の言ったことと全く反対です。」と。

 ですから、選ばなくてはなりません。公会議の説く信教の自由に賛成し、これらの教皇様がたの言われ続けて来たことに反対するか、あるいは、これらの教皇様の言われることに賛成して信教の自由に関するこの概要の中で言われていることにもはや賛成しないかのいずれかです。この2つに同時に賛成する・同意することは全く不可能です。そして私はこう付け加えて言いました。「私は聖伝を取ります。私は聖伝を支持します。自由放埒主義と言った革新は支持しません。この1世紀半の間、すべての教皇様が排斥して来たのはまさしくこの自由放埒主義以外の何物でもないのです。この自由放埒主義が公会議を通して教会の中に入って来たのです。自由・平等・博愛の自由放埒主義が。」

 自由、それは信教の自由のことです。平等、それは司教団主義です。博愛、それは宗教統一運動です。そしてこれらが自由放埒主義の3つの原理で、これは17世紀の哲学から来たのです。そしてこの原理がフランス革命を生んだのです。

 そしてこの観念があいまいな言葉によって公会議の中に入ったのです。そして今ではこのために私たちは崩壊に、教会の崩壊へと向かっているのです。何故なら、それらの観念は自然と信仰とに反しているからです。私たちの間に完全な平等はありません。私たちは何から何まで全く等しいわけではありません。教皇レオ13世はその自由に関する回勅の中でそのことをはっきりとすばらしく言い表しました。

 それから博愛(兄弟愛)について、もし一人の父がいないのなら、どこから兄弟愛を見つけるのでしょうか。もし天主様がいないのなら、もし天にまします父がいないのなら、どうして私たちが兄弟でありうるでしょうか。共通の父が無くしてどうして兄弟たり得るでしょうか。不可能です。無理な相談です。教会のすべての敵の言うなりにならねばならないのでしょうか。共産主義者、仏教徒、そして教会に反対するすべての人の思いのままにですか。フリーメーソンとか。 今から一週間前に発表された法令によると、フリーメーソンに入会するカトリック信者にはもはや破門の制裁は無いのだそうです。フリーメーソンはポルトガルを破壊しました。一体誰がチリにアレンデと共にいたのでしょうか。そして今では南ベトナムにいます。彼らはカトリック国家をすべて破壊し尽くさねばならないと言います。第1次世界大戦中のオーストリア、ハンガリー、ポーランドなどなど。フリーメーソンはカトリック国の破壊を望んでいるのです。フリーメーソンの活動はスペイン、イタリアではどうでしょうか。何故教会は教会の敵であるこれらの人に両手を広げるのでしょうか。

 ああ、私たちはどれほど祈り、祈らなければならないでしょうか!私たちは今まで見たことも無かったような悪魔の教会に対する攻撃のときを生きています。私たちは聖母に、至福なる童貞マリア様に、私達の助けに来てくださるように祈らねばなりません。何故なら私たちは本当に明日がどうなるか全く分からないからです。天主様が、ご自分の御稜威、その御光栄に対してなされたこれらすべての冒涜、涜聖、汚聖を受け入れるはずがありません。多くの国々で見られるようになってしまった堕胎の法律、イタリアにおける離婚の許可、これらすべての道徳に関する法律の壊滅、真理の壊滅を思ってみてください。ある日、天主様がそれに対して口を開かず、この世を厳しく罰し給う事なくそのまま済まされるなどとは到底思えません。

 それゆえにこそ、私たちは自分たちのためそして私たちの兄弟たちのために天主様に御憐れみを請い求めねばなりません。しかし私たちは戦い勝ち抜かねばなりません。聖伝を守り抜くために戦い恐れてはなりません。とりわけ私達の聖なるミサの典礼を維持しなければなりません。何故ならこのミサこそ教会の基礎であり、キリスト教文明の基礎だからです。もし教会内に本当のミサが無くなってしまうなら教会は姿を消してしまうでしょう。

 私たちはこの典礼を、このいけにえを守らねばなりません。私たちの教会はすべてこのミサのために建てられました。別のミサのためではないのです。ミサのいけにえのためであって、最後の晩餐、会食、記念、交わりのためではないのです。いいえ、違います。私たちの祭壇上で続けられる我らの主イエズス・キリストのいけにえのためです。そのためにこそ私たちの祖先はこれらの素晴らしい教会を建てたのです。決して会食や記念のためではありません。違います!

 私は神学生のために捧げられる皆さんの祈りに期待しています。わたしの神学生たちが本当の司祭になるように。信仰をもち、かくして本当の秘跡と本当のミサのいけにえを与えることができるように。お願いします。

マルセル・ルフェーブル大司教/1975年2月15日イタリア・フィレンツェにて

《De la Messe evangelique de Luther au Nouvel Ordo Missae》
par Son Excellence Mgr Marcel LEFEBVRE Florence, le 15 fevrier 1975
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教皇ヨハネ二十二世は、啓示された「質料的教義」に反する異端説を唱えたが、聖伝の教えを信じる人々が教皇に公に反対して抵抗した。

2019年09月19日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛するM君、

教皇ヨハネ二十二世の件についてお話をします。

これをみると、その当時も、聖伝主義者と「聖座忠誠派」(教皇信奉者)と教皇座空位論者が出てきました。

聖伝主義者とは、今までの正統な教えられ続けてきた教義(聖伝)を信じ、もしも教皇がそれを個人的に否定したとしても、聖伝を支持し続ける人々です。しかし、聖伝主義者は、個人の資格によって教皇を教皇ではないとは主張せず、ただ、間違った教えを説く教皇に抵抗する人々です。

「聖座忠誠派」とは、教皇の言うことなら、それが聖伝に反しても何でもその通りだと信じて、それを支持することがカトリックであるという態度の人々です。

教皇座空位論者とは、教皇が聖伝の教えを否定したとき、自分の個人の判断によって、教皇を教皇ではない、と断言する人々のことです。

さて、教皇ヨハネ二十二世(1316-1334)は、アヴィニョンにいた真の教皇でした。

ヨハネ二十二世は、信徒の霊魂は死後すぐに至福直観を得るのではなく、最後の審判の後でようやく至福直観を得る、と公に教えました。

この異端説を、教皇として、枢機卿たちや高位聖職者や神学者たちを前にして、何度も説教しました。この説によると、

*死せる信者の霊魂は、世の終わりの総審判の後にならなければ、善業の報いである至福直感(天主を顔と顔を合わせて完璧に見奉り天主を享受すること)や天国での至福を得られない。
*肉体のよみがえりがあり、肉身と霊魂とがもう一度合体して初めて、完全な至福が人間に与えられる。
*煉獄で浄められた後、霊魂は「祭壇の下 sub altare」(黙示録6:9)におかれ、肉体のよみがえりと最後の審判を待つ。
*この待っている間、霊魂たちはキリストの人生によって慰めを受け、保護されるが、至福直観は受けることが出来ない。

などと教えていました。

ヨハネ二十二世の説教は記録されて、出版されています。たとえば、次が参考になります。

Marc Dykmans, "Les sermons de Jean XXII sur la vision béatifique", Rome, Gregorian University, 1973
Sermon de Toussaint 1er novembre 1331Sermon du 15 décembre 1331

次の二冊は、情報としてあげておきます。

Fr. V. F. O’Daniel, "John XXII And The Beatific Vision", The Catholic University Bulletin. vol. VIII, Washington, D.C.: The Catholic University of America, 1912

Christian Trottmann, "La vision béatifique. Des disputes scolastiques à sa définition par Benoît XII, Ecole Française de Rome", Rome 1995.

ヨハネ二十二世は、この異端説を枢機卿であるときから、すなわち教皇になる前から唱えており、印刷物として出版しました。

教皇として、これを説教し、自説をパリ大学の神学部に強要しました。しかしこの説に反対する神学者たちは、ヨハネ二十二世の説を異端的だと非難しました。

これについては、Pope John XXII in Catholic Encyclopedia (1913)には次のようにあります。すこし引用しますが、詳しくはリンク先を見て下さい。

Before his elevation to the Holy See, he had written a work on this question, in which he stated that the souls of the blessed departed do not see God until after the Last Judgment. After becoming pope, he advanced the same teaching in his sermons. In this he met with strong opposition, many theologians, who adhered to the usual opinion that the blessed departed did see God before the Resurrection of the Body and the Last Judgment, even calling his view heretical. A great commotion was aroused in the University of Paris when the General of the Minorites and a Dominican tried to disseminate there the pope's view.(…)

歴史家のロベルト・デ・マテイ(Roberto de Mattei)は、A POPE WHO FELL INTO HERESY, A CHURCH THAT RESISTED: John XXII and the Beatific Vision という記事の中で次のように書いています。詳しくは、リンク先をお読み下さい。それによると、

*ヨハネ二十二世の異端説は古くからあったが十三世紀に聖トマス・アクィナスが論破していた。【聖トマス・アクィナス De veritate (q. 8, a. 1) や Summa Theologica ( I, q. 12, a. 1)など】

*ヨハネ二十二世がこの誤謬を再提示すると、多くの神学者たちから公に批判を受けた。

*討論に参加して教皇に反対した人々のなかに、モー(Meaux)司教区の司教であった Guillaume Durand de Saint Pourcain (1270-1334)がいたが、彼は、教皇がカタリ派の異端を再提示していると告発した。

*教皇の説に反対した英国ドミニコ会士 Thomas Waleys (1318-1349)は、公に反論した結果、裁判を受けて投獄された。

*教皇に反論したフランシスコ会 Nicola da Lira (1270 -1349) と ジャック・フルニエ枢機卿 Cardinal Jacques Fournier (1280-1342)は、教皇庁の神学者たちであった。(フルニエ枢機卿は後に教皇ベネディクト十二世となる。)

*ヨハネ二十二世が自分の謬説をパリ大学の神学部に強要しようとすると、フランス王フィリップ六世はその教えを禁止し、ソルボンヌ大学の総長ジャン・ジェルソンの記述によると、ヨハネ二十二世がその教えを撤回しない限り、彼を火やぶりにすると脅しさえした(threatening John XXII with the stake)。

*聖アウグスティノ隠遁会の総長であるストラスブルクのトマス(Thomas of Strasburg)によると、ヨハネ二十二世の複数の説教は、全キリスト世界を混乱させた(totus mundum christianum turbaverunt)。

*ヨハネ二十二世の死の直前に、教皇は個人の神学者としてのみ発言して、教導権に結びつけることはしなかった(without any binding to the magisterium he held)と述べた。

*ジョヴァンニ・ヴィラ(Giovanni Villani)の年代史によると、ヨハネ二十二世は、自分の甥であったダル・ポジェット枢機卿(Cardinal Dal Poggetto)とその他の親戚の計らいによって、死ぬ前日(1334年12月3日)に自分の主張を撤回した。

*ヨハネ二十二世の死(1334年12月4日)の後、1334年12月20日、ヨハネ二十二世の異端に反対していた前述のフルニエ枢機卿が教皇に選ばれ、ベネディクト十二世(1335-1342)の名前を取った。

*後継者ベネディクト十二世は、1336年1月29日付けで勅令「ベネディクトゥス・デウス Benedictus Deus」によって、死せる信徒の霊魂は、もし必要なら煉獄で浄められた後、最後の審判の前に、すぐに至福直観を受ける、と不可謬的に定義した。

*この信仰箇条は、1439年7月6日に、フィレンツェ公会議の際に、勅令レテントゥル・チェリ(Laetentur coeli)で言及された。 (Denz-H, n. 1305)

*聖ロベルト・ベラルミンは、ヨハネ二十二世は異端的な説を、真理として信徒らに強制しようという意向を持って、それを支持したが、ドグマとして定義することが出来る前に死亡した、と書いている。従って、教皇の不可謬性の原則は揺るがされなかった。
(St. Robert Bellarmine who dealt amply with this issue in De Romano Pontifice (Opera omnia, Venetiis 1599, Book. IV, chap. 14, coll. 841-844) writes that John XXII supported a heretical thesis, with the intention of imposing it as the truth on the faithful, but died before he could have defined the dogma, without therefore, undermining the principle of pontifical infallibility by his behavior.)
【M君のために聖ベラルミンの書いた本をインターネット上で探しました。リンク先にあります。
http://cdigital.dgb.uanl.mx/la/1080015572_C/1080015573_T2/1080015573_10.pdf
P 117 の "Trigessimus sextus est Joannes XXII, Papa"という文章から始まるところです。

*ヨハネ二十二世の正統ではない教え(heterodox teaching)は、教会の信仰に関する通常の教導権(ordinary magisterium)の執行であったが、定義をするものではなかったので、不可謬ではなかった。


ベネディクト十二世の勅令のラテン語原文は、次にあります。
BENEDICTUS DEUS (29 Ian. 1336) -- Pontificia definitio dogmatis de visione beatifica Sanctorum ante iudicium universale in caelo fruentium

(…)hac imperpetuum valitura Constitutione, auctoritate apostolica diffinimus, quod secundum communem Dei ordinationem animae sanctorum hominum(…)mox post mortem suam et purgationem praefatam in illis qui purgatione huiusmodi indigebant, etiam ante resumptionem suorum corporum et iudicium generale, post ascensionem Salvatoris nostri domini Iesu Christi in caelum, fuerunt sunt et erunt in caelo, caelorum regno et paradiso caelesti cum Christo, sanctorum Angelorum consortio aggregatae; ac post domini Iesu Christi passionem et mortem viderunt, vident et videbunt divinam essentiam visione intuitiva et etiam faciali, nulla mediante creatura in ratione obiecti visi se habente, sed divina essentia immediate se nude clare et aperte eis ostendente; quodque sic videntes eadem divina essentia perfruuntur nec non quod ex tali visione et fruitione eorum animae qui iam decesserunt sunt vere beatae et habent vitam et requiem aeternam et erunt illorum, qui postea decedent, cum eandem divinam videbunt essentiam ipsaque perfruentur ante iudicium generale; ac quod visio huiusmodi divinae essentiae eiusque fruitio, actus fidei et spei in eis evacuant, prout fides et spes proprie theologicae sunt virtutes; quodque postquam inchoata fuit vel erit talis intuitiva et facialis visio et fruitio in eisdem, eadem visio et fruitio sine aliqua intervisione seu evacuatione praedictae visionis et fruitionis continuata extitit et continuabitur usque ad finale iudicium et extunc usque in sempiternum.(…)

ヨハネ二十二世のケースを見ると、次のことが言えます。

教皇は、信仰に反する誤謬を公に教えることが出来る、ということです。

ヨハネ二十二世の場合、教会による定義の直前だったとはいえ「ドグマの内容(質料的教義)に反する誤謬」を教えていました。

質料的教義(material dogma)とは、啓示の源泉の中に含まれているので、教会が信仰定義をすることができる真理ですが、教会によってまだ定義されていない真理のことを言います。(Ott, Fundamentals of Catholic Dogma, p. 6; Van Noort, The Sources of Revelation, p. 229.)

死せる義人の霊魂が至福直観を享受することについて、不可謬の定義宣言が彼の死の直後にあったとは言え、これは啓示された真理の信仰の遺産の一部でした。だからこそ、教皇の教えは、すぐに、しかも、強烈に反対を受けました。聖伝に反していたからです。

教皇アドリアノ四世はヨハネ二十二世のことを「異端者」であると呼びました。これについてはラテン語原文を引用して既に述べました。
「(…)実に、複数のローマ教皇らは異端者だった。彼らの最後は、教皇ヨハネ二十二世だった。煉獄の霊魂たちは最後の審判の前にはストラを持たない、つまり、明確な天主の顔と顔とを合わせる至福直観を持たないということを、彼は公式に教え、宣言し、すべての人に信じるように(teneri)命じた。」

教皇ベネディクト十二世によれば、ヨハネ二十二世は死の直前まで自分の意見を信仰定義しようとしていましたが、死によってそれが出来なくなりました。
"Cumque idem praedecessor, ad quem praedictorum determinatio pertinebat, ad decisionem concertationum huiusmodi se pararet in suo Consistorio publico, tam Fratribus suis, sacrosanctae Romanae Ecclesiae Cardinalibus, de quorum numero tunc eramus, quam Praelatis et magistris in Theologia, qui multi aderant tunc praesentes, iniungendo districtius et mandando, ut super materia de visione praedicta, quando requirerentur ab eo, deliberate unusquisque diceret quod sentiret, tamen morte praeventus, sicut Domino placuit, perficere id nequivit."[BENEDICTUS XII, BENEDICTUS DEUS]

ヨハネ二十二世が、自分の異端説を唱えつづけた時、ヨハネ二十二世を教皇と認めつつ、しかしその異端説に抵抗した「聖伝のカトリック」がいましたが、その反対に教皇のいうことであるなら、異端説でも何でも、その先棒担ぎとなって広める「聖座忠誠派」(教皇信奉者)もいました。

その先頭がフランシスコ会のジェラール・オルドン(Gerard Ordon)らです。パリのドミニコ会士らも含めて、オルドンらは教皇の異端説を宣伝し、擁護して、パリ大学では大きな問題となりました。

他方で、異端説を唱えるヨハネ二十二世を、教皇ではないと言う者も出てきました。M君のような人です。最初のプロテスタントと呼ばれたオッカムのウィリアム(William of Ockham)です。

イングランド出身のフランシスコ会士であるオッカムのウィリアムは、異端の嫌疑がかけられていましたが、正式に(formally)異端者として排斥されたことはありません。

Franciscan Institute Publications: Philosophy series, No 1. p. 12 にオッカムのウィリアムが1334年にフランシスコ会総長に宛てて書いた手紙の英語訳が載っています。

あるいは、The Tractatus de successivis, William (of Ockham), The Franciscan institute, St. Bonaventure college, 1944, p. 12 にもあります。

オッカムのウィリアムの手紙を引用します。

At the end of his letter to the General Chapter in Assisi in the spring of 1334, he wrote:
"Because of the errors and the heresies mentioned above and countless others, I turned away from the obedience of the false Pope and all who were his friends to the prejudice of the orthodox faith. For men of great learning showed me that because of his errors and heresies the same pseudo-pope is heretical, deprived of his papacy and excommunicated by Canon Law itself, without need of further sentence ... "

"If anyone should like to recall me or anyone else who has turned away from the obedience of the false pope and his friends, let him try to defend his constitutions and sermons, and show that they agree with Holy Scripture, or that a Pope cannot fall into the wickedness of heresy, or let him show by holy authorities or manifest reasons that one who knows the Pope to be a notorious heretic is obliged to obey him."

あるいは、William of Ockham: 'A Letter to the Friars Minor' and Other Writingsにもあります。

つまり、十四世紀に、オッカムのウィリアムは、ヨハネ二十二世の誤謬と異端のために、偽りの教皇への従順を拒む、ヨハネ二十二世の誤謬と異端のために偽教皇は異端者であり、教会法によって判決の必要もなく、教皇職を失い、破門された、と主張しています。

もちろん、カトリック教会は、オッカムのウィリアムのこの主張に決して同意しません。しかし、教皇が公に誤謬を教えたことがあり、そのために教会が大混乱に陥ったという事実があることを教えています。

歴史は、教皇が誤謬や異端を教えるとき、オーバーな反応をする人々がいたことも教えています。教皇座空位論者です。自分の判断で教皇が教皇職を失ったと宣言する人々です。ただしオッカムのウィリアムの名誉のために少し付け加えると、彼は現代の教皇座空位論者らのように、世界中のすべての司教区を持っている司教らが信仰から離れているので司教職を失ったとは主張していませんでした。

【この項は続きます】
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