Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え! 聖ヨゼフの特別聖年(2020年12月8日〜2021年12月8日)

2022年5月22日前後のカトリック聖伝のミサの予定 Traditional Latin Mass Schedule May 22, 2022, SSPX Japan

2022年05月22日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(これは「トリエント・ミサ」「ラテン語ミサ」とも言われています)にご招待します。

2022年5月22日(主日)前後のミサの予定をお知らせいたします。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

05月20日(金) 18:00 ミサ聖祭
05月21日(土) 10:30 ミサ聖祭
05月22日(日) 09:45 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭
05月23日(月) 06:30 ミサ聖祭

05月28日(土) 18:00 ミサ聖祭
05月29日(日) 09:45 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

【東京】 東京ではミサの会場を入谷ホールに変更してミサを捧げる予定です。ご注意下さい。

住所: 東京都台東区入谷1-27-4 
会場の名前:プラーズ入谷 『入谷ホール』Mass Location (Iriya Hall 3F)-2021.pdf

05月22日(日)主日ミサが3回捧げられます。
午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。
09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live
https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ
それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。告解のために司祭は待機しております。
【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

【「暁の星の聖母」修道院】
修道院では平日(月曜から金曜まで)は毎朝7時15分から聖伝のミサを捧げています。土曜日は原則的に修道院で午前11時からミサが捧げられます。

❕❕❕ 修道院では5月24日(火)から28日(土)までのあいだ例外的にミサがない予定です ❕❕❕ 5月23日(月)から28日(土)まで司祭黙想会を行う予定のためです。その間、緊急の場合を除きご連絡はできませんのでご了承ください。

【名古屋】

名古屋においても毎月最終主日に、聖伝の典礼を信徒の皆様に体験していただくためにも愛する兄弟姉妹の皆様を全てご招待いたします。

場所:愛知県名古屋市中村区名駅南1-3-14 石原ビル6階
日時:5月29日(日) 16:30 ロザリオ及び告解  17:30(午後5時半) ミサ聖祭
場所は松屋の入っているビルの6階です。
 
恒例のマーチフォーライフの集いは、

東京ではいつもの通りに2022年7月18日(うみの日)にあります。大阪では7月3日(主日)です。

Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

I would like to reconfirm the Mass schedule for Sunday, May 22, 2022. In Tokyo, the Masses will be offered at Iriya Hall [!]

*****Mass times in Tokyo:*****
May 15th (Sunday) : three Masses.
09:00 - Sung mass Facebook live
https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
It would help us maintain proper social distancing if you could consider spreading your mass attendance among the three masses.

Mass location:

Address: Plars Iriya 3F, 1-27-4, Iriya, Taito-ku, Tokyo (near Metro Iriya, JR Uguisudani and JR Ueno stations)
Map and directions: Please see the pdf file.

*****Mass schedule in OSAKA:*****
Fri, May 20 : Holy Sacrifice of the Mass at 18:00
Sat, May 21 : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30
Sun, May 22 : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30
Mon, May 23 : Holy Sacrifice of the Mass at 06:30

Sat, May 28 : Holy Sacrifice of the Mass at 18:00
Sun, May 29 : Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

*****Holy Masses at Stella Matutina Priory*****
On weekdays (Monday to Friday), holy Masses are offered at 7:15 am at the Priory.
On Saturdays, normally the Mass will be offered at the priory from 11am.

From Tuesday May 24 - 28, there will be no Masses at the priory because of the priestly retreat. Thank you for your kind understanding.

*****Mass schedule in NAGOYA: [Last Sunday of the month] *****
Sun, May 29th : Holy Sacrifice of the Mass at 17:30

Photo Credit

Let us make the March for Life on July 18th, public holiday, in Tokyo (4 pm); on Sunday July 3rd in Osaka (3 pm). 

Let us walk with Our Lady of Fatima for life!


シスター・ルチアの1957年のフエンテス神父とのインタビュー:私たちは最後の救いの手段を拒絶しているのか?

2022年05月19日 | ファチマ

シスター・ルチアの1957年のフエンテス神父とのインタビュー:私たちは最後の救いの手段を拒絶しているのか?

2022年5月3日(火曜日)

Sister Lucia’s 1957 Interview with Fr. Fuentes: Are We Now Rejecting the Last Means of Salvation?

ロバート・モリソン(レムナント・コラムニスト)

シスター・ルチアの1957年のフエンテス神父とのインタビュー

「私たちは最後の救いの手段を拒絶しているのか?」

1957年12月26日、アウグスティン・フエンテス神父(ファチマの幻視者フランシスコとジャシンタの列福の申請代理人)は、ファチマの幻視者の最年長者シスター・ルシアにインタビューしました。カール・シュテーリン神父(聖ピオ十世会)が「ファチマの大いなる秘密」(第3巻)で以下のように記しているように、その後すぐにローマの進歩的な当局がフエンテス神父とそのインタビューの信用を落とそうとしていますが、このことは、このインタビューが今日において重要であることを示唆しています。

「なぜ、この【インタビューの】文章にそれほど強い反応があるのでしょうか? 第一に、この文章のために、シスター・ルチアは、ヨハネ二十三世が公会議開会の演説で非難した破滅の予言者の一人として位置づけられたのです。ですから、教皇は、彼女の述べていることを好ましく思っていなかったに違いありません。それに関係なく…シスター・ルチアは、このインタビューの中で、第三の秘密の特定の詳細を明らかにしたのです」。

以下のインタビューの抜粋から分かるように、シスター・ルチアは、第二バチカン公会議とそれに続く数十年の間にまったく明らかになった、信仰の大危機について語っていたのです。私たちにとってさらに重要なことは、1957年のシスター・ルチアの言葉が、直近の未来について私たちが得ている最も重要な警告であるということです。

1957年当時、そして現在におけるこの世の悲惨な状況。「神父様、至聖なる童貞は、善人も悪人も、誰もそのメッセージに注意を払わなかったため、非常に悲しんでおられます。善人は、メッセージを重要視せず、自分の道を歩み続けています。悪人は、天主の罰が自分たちに実際に下るのを知らず、メッセージについて関心を持たずに、罪の生活を続けています。でも、私を信じてください、神父様、天主はこの世を罰せられます。天からの罰は差し迫っています…」

この世は、1957年当時も悪かったのですが、今日では比較にならないほど悪くなっています――私たちは、このことを至るところで見ています。今日では、私たちはもっと多くの天罰を受けるに値するのですが、自分の生活を改める必要があることにほとんど気づいていません。1957年に天罰が差し迫っていたとすれば、2022年(あるいは5月)になっても天主から懲罰を受けずに済むと誰が確信できるでしょうか?

聖職者の堕落はイエズスとマリアを苦しめ、信者の地獄行きにつながります。「マリアの汚れなき御心とイエズスの聖心を苦しめるものは、修道者や司祭の霊魂の堕落です。悪魔は、美しい召命から堕落した修道者や司祭が、多くの霊魂を地獄に引きずり込むことを知っています…。悪魔は、奉献された霊魂を自分のものにしたいと欲しています。悪魔は、信者の霊魂を眠らせ、それによって信者を最終的な背信に導くために、聖職者の霊魂を堕落さようと欲するのです。その結果、内的生活が不毛になり、信者の間では、楽しみを捨てて自らを天主に奉献するというテーマに対して冷淡になるのです」。

聖職者の堕落は何十年も前から完全に明白になっていましたが、パンデミック時に教会が閉鎖されたことで、それはさらに明らかになりました。重大なのは、この堕落の及ぼす影響のうち、ほとんど認識されていないのが信者に関するものだということを、シスター・ルチアがはっきりさせたことです。つまり、「楽しみを捨てて天主に完全に自らを奉献するというテーマに対する冷淡さ」です。マリアの汚れなき御心とイエズスの聖心が、私たちが楽しみを捨てて天主に自らを完全に奉献することに冷淡であることに苦しまれるというのは、驚くべきことでしょうか? もしそうなら、シスター・ルチアが指摘するように、悪魔が、すべてのカトリック信者に天主に対して寛大であるよう呼びかけるべき聖職者を堕落させることに成功したからかもしれません。天主と聖母のメッセージを無視し続けた原因および結果として、私たちの牧者たちはしばしば、まるで聖人のように天主に立ち返らなければならないと説教すれば、私たちをつまずかせてしまうかのように振る舞うのです。悲劇的なことに、この天主に立ち返ることこそが、今日私たちが切実に必要としているメッセージなのです。

私たちが終末の時代にいるという三つの理由――第一の理由。「神父様、至聖なる童貞は、私たちがこの世の終末の時代にいると私にお告げにはなりませんでしたが、三つの理由から私にこのことを理解させられました。第一の理由は、悪魔が聖母に対して決定的な戦いを挑むつもりになっていると、聖母が私にお告げになったからです。そして、決定的な戦いとは、一方が勝利し、他方が敗北する最終決戦のことです」。

第二バチカン公会議以降、またフランシスコがローマを占拠している間にますます、私たちは、教会内部の戦線が明確に区分されていることを目の当たりにしてきました。彼のパチャママの導入、特に「トラディティオーネス・クストーデス」(Traditiones Custodes)における聖伝のカトリシズム(すなわちカトリシズム)への直接的な攻撃、そして「シノドス(司教会議)中心主義」(Synodality)に関するシノドスによって、フランシスコは、見る目のある者に対して、正当なカトリックの宗教と、今や事実上、新世界秩序の霊的部門となり、第二バチカン公会議の精神によって活発になった悪魔的な偽りの宗教のどちらかを選択するしかないということを、明白にしているのです。私たちは確かに、最終決戦の真っただ中にいるように思えます。中立を保とうとする人々は、しばしば、マリアとその軍隊に対する悪魔の攻撃において、悪魔の最大の道具となるのです。

私たちは終末の時代にいる――第二の理由。「第二の理由は、聖母がこの世に二つの最後の救済策を与えておられるからです。それは聖なるロザリオとマリアの汚れなき御心への信心です。これは、最後の二つの救済策であり、今後ほかにはもう何もないという意味なのです」。

インタビューの後半で、シスター・ルチアは直接ロザリオについて語っています。

「見てください、神父様、私たちが生きているこの終末の時代に、至聖なる童貞は、私たち一人一人の個人的な生活、家族、世界の家族、修道会、あるいは民族や国家の生活において、どんなに難しい問題であっても、ロザリオによって解決できないものはないというところまで、ロザリオを唱えることに新しい効力を与えてくださったのです。ロザリオで、私たちは自分を救い、自分を聖化します。ロザリオで、私たちは主をお慰めし、多くの霊魂の救いを得るのです」。

ロザリオへの信心を持つ人々は、天主がロザリオを唱えることに特別な効力を与えておられることを、経験を通じて理解しています。聖母とロザリオへの信心を批判する人々は、天主がどのような救済策を選ぶかを決めることがおできになるという、この重要な事実を取り違えています。天主は、【救済策として】聖なるロザリオとマリアの汚れなき御心への信心を選ばれたのです。自分がカトリック信者だと思っているほとんどの人々は、この救済策をほとんど、あるいは全く利用していません。つまり、この救済策の重要性を認識している人は、それを最大限に利用するよう求められているのです。

私たちは終末の時代にいる――第三の理由。「第三の理由は、天主の御摂理の計画において、天主は常に、世を懲罰しようとされる前に、すべての救済策を使い尽くされるからです。いま、この世が全く注意を払わないのを天主がご覧になると、私たちの不完全な言い方で言えば、天主は、ある種のおののきをもって、最後の救いの手段である至聖なる御母を私たちに差し出されています。『ある種のおののきをもって』(with certain trepidation)というのは、もし私たちがこの最後の手段を軽んじ、拒絶するならば、私たちは福音が聖霊に対する罪と呼ぶ罪を犯すため、もはや天からの赦しを何も受けられなくなるからです。その罪は、聖霊が差し出される救いを、十分な知識と同意のもとに公然と拒絶することなのです」。

フランシスコがローマにパチャママを迎えて以来、天主は、この世の邪悪な勢力が、天主と天主のみ旨を果たそうとする人々に対して公然と結束していることを、これまで以上に明らかにしてくださいました。大多数の人々は、「何か」が間違っていることに気づいていますが、自分たちのパンとサーカスがある限り、言われたとおりにすることにおおむね満足しています。天主はまた、私たちが次の選挙でどれだけ良い結果を出そうとも、イーロン・マスクがツイッターを支配したらどれだけ真実のツイートを許そうとも、助けが来るわけではないことを私たちに分からせてくださいました。世俗の勝利は、この世の邪悪な支配者たちが私たちを檻に押し込めるために必要な支配力のすべてを得るまでの時間を、もう少し稼ぐのに役立つだけなのです。

天主は私たちに、救いの最後の手段である至聖なる御母を利用することが唯一の方法であることを理解させてくださっているのです。そして、私たちがマリアを通して天主に立ち返らなければならないことが明確であればあるほど、そうしないことで私たちは、さらに罪深い存在となるのです。シスター・ルチアが指摘したように、私たちは「主が与えてくださる救いを、完全な知識と同意をもって公然と拒絶する」段階に近づいているのです。ですから、聖人になりたいと願いながら、今、マリアを通して天主に立ち返ることは、単に数ある良いことの中の一つではなく、必要な一つのことなのです。私たちがそうするなら、天主は他のものも与えてくださいます。私たちがそうしなければ、どんなに政治的にうまくいっても、私たちの助けにはなりません。

償いの大いなる必要性。「私の使命は、私たちが頑固に罪を犯し続けるなら、永遠に霊魂を失うという差し迫った危険にさらされていることを、すべての人に指摘することです。神父様、私たちは償いをするために教皇様の呼びかけを待っていてはいけません。また、教区の司教や修道会から償いの呼びかけが来るのを待っていてもいけません。そうではありません! 私たちの主は、すでに何度もこれらの手段を用いておられますが、この世は全く注意を払ってきませんでした。ですから今、私たち一人一人が霊的に自分を改革し始めることが必要なのです。一人一人が自分の霊魂を救うだけでなく、天主が私たちの前に置かれたすべての霊魂を救わなければならないのです」。

第二バチカン公会議以降、ノブス・オルドに従うカトリック信者の間では、償いの実践が著しく減少しています。私たちの信仰に対する感謝が教えているように、償いの不足は罪を増やし、その罪はさらに多くの償いを必要とするのです。その結果、私たちは霊的な死のスパイラルに陥っており、一人一人が天主に立ち返る必要があることに目覚めなければならないのです。「一人一人が霊的に自分を改革し始めることが必要です」。この聖性への呼びかけを牧者から聞くことができそうにないという事実は、聖人になるために全力を尽くすべき、さらに大きな理由になるはずです。

懲罰の道具としてのロシア。「神父様、彼らに伝えてください。至聖なる童貞は、私のいとこのフランシスコとジャシンタと私に、多くの国が地上から姿を消すでしょう、と何度も言われました。聖母は言われました。ロシアが全世界を罰するために天によって選ばれた懲罰の道具になるでしょう、そのあわれな国【ロシア】の回心をあらかじめ得られなければ、と」。

ロシアやウクライナに対する思いはともかく、ロシアが「天が全世界を罰するために天によって選ばれた懲罰の道具」となる事態が、これまで以上に近づいているように思われます。人間が聖人のように天主に立ち返らないならば、大いなる懲罰のためのすべてが用意されているのです。

「司教や司祭はこのことを広く知られるように説教すべきです。しかし、たとえ彼らがそうしなくても、カトリックの心でそれを知っている私たちは、キリストの約束にふさわしい者となるために、童貞聖マリアに御取り次ぎを願うべきです。

残された時間を使って、私たちは生活を改め、聖人になることにすべてがかかっているかのように行動しなければなりません。シュテーリン神父が、以下のように書いているように、聖母はあわれみの御母であり、私たちが聖母に叫びさえすれば、私たちの声を聞いてくださいます。

「例えば、ある子どもがいて、とても悪くて悪質で、おそらく多くの犯罪に手を染め、全世界から拒絶されていると想像してみてください。もし、その子どもの母親が良い母親であったなら、その子どもを見捨てたりはしないでしょう。聖モニカが息子の聖アウグスティノのためにしたように、その子どもの回心を生涯天主に願い続けるのではないでしょうか? そして、その子どもが少しでも後悔の念を示したら、急いで母性愛を見せるのではないでしょうか? そして、その子どもが絶望の中で「お母さん」と叫んだら、母親の心はその助けを求める叫びに耳を貸さないことができるでしょうか? 母親のところへ行くのに怖がる人がいるでしょうか? しかも、ここにおられるのはただの母親ではなく、むしろその本質があわれみの御母である、すべての母親の中で最高の母親なのですから」。

天主は、私たちが愛に満ちたあわれみの御母を「切実に」必要としていることを、今、はっきりと分かるようにしてくださったのです。司教や司祭は、このことを広く知られるように説教すべきです。しかし、たとえ彼らがそうしなくても、カトリックの心でそれを知っている私たちは、童貞聖マリアに、私たちがキリストの約束にふさわしくなるように御取り次ぎを願うべきです。明日では遅すぎるかもしれませんから、今、そうしなければならないのです。いと尊きロザリオの元后、われらのために祈り給え。

シスター・ルシア 「ロザリオの祈りによって解決できない問題などありません。」 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2021年「秋田巡礼」へのお招き - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた


使徒たちは、イエズス・キリストと三年間共に生活をした後に全世界を回心させた。聖ヨゼフはイエズス・キリストと三十年間共に生活をした。聖ヨゼフはどれほど聖なる方であることか!

2022年05月19日 | お説教・霊的講話

2022年5月1日(主日)勤労者聖ヨゼフの祝日
聖ピオ十世会司祭 レネー神父様メッセージ

使徒たちは、イエズス・キリスト様と三年間一緒に生活を共にされました。そうするとその結果、使徒たちはとても聖化されて、そして熱心になって、全世界に行って全世界を回心させました。

ところが聖ヨゼフは、三十年間イエズス・キリストと共に生活をしました。聖ヨゼフはどれほど聖なる方であり、どれほど熱心な方であり、どれほど恵みを受けた方でしょうか。今日は聖ヨゼフの祝日です。聖ヨゼフにお祈り致しましょう。アーメン。

 

Arata Nunobe

From the Fathers

 


私たちには天主が必要であり、私たちの主イエズス・キリストを通して、光の父なる天主から来る恩寵が必要である

2022年05月17日 | お説教・霊的講話

2022年5月15日 東京での説教 御復活後第四主日

レネ神父様

親愛なる兄弟の皆さん、

今日の書簡について、簡単な解説をしたいと思います。

天主のみ言葉は、いつも、私たちの霊魂のための、霊的な糧や恩寵に満ちています。ですから、聖ヤコボは、まず、教義と道徳に関する、美しく、非常に重要な原理を示すことから始めます。「すべてのよい贈り物と、すべての完全な贈り物は、変わることなく、変化の影さえもない光の父から、上からくだる」(ヤコボ1章17節)。

言い換えれば、すべての善は天主から来るものであり、天主はすべての善の第一の原因なのです。天主を第一の原理としない善は、あり得ません。自然の善と超自然の善の両方において、すべての善は天主から来るのです。私たちの存在も、私たちの内にあるあらゆる善も、すべて天主から来るのです。私たちは、まさに天主に依存することによって存在しており、私たちの行動は、天主に依存してのみ、善いものとなり得ます。私たちは、善の第二の原因にはなれますが、善の第一の原因にはなれません。私たちは、天主への依存を認めることによって、正しい謙遜(けんそん)の状態になり、それによって、霊魂は恩寵へと開かれるのです。「天主はおごる者に逆(さか)らい、へりくだる者を恵(めぐ)まれる」(ヤコボ4章6節)。

この原理は、私たちの本性が、善にして高潔(こうけつ)な人生を送るのに十分であり恩寵は必要ない、と主張するペラギウス主義に対する反駁(はんばく)です。これは、「私たちには天主は必要ない」と主張するすべての人々に対する反駁(はんばく)です。

私たちには天主が必要であり、私たちには、私たちの主イエズス・キリストを通して、光の父なる天主から来る恩寵が必要である、というのが真理です。私たちの主が、「私がいないとあなたたちには何一つできぬ」(ヨハネ15章5節)と言うことがおできになるのは、そのためです。

ですから、祈りは必要であり、祈りによって、私たちは、私たちが必要とするすべての恩寵を得るのです。さらに、天主は、私たちが求めるもの以上のものさえも、与えてくださるのです!

この聖ヤコボの一節の中の、次の部分に注意してください。天主は永遠に生きておられるのであり、私たち人間の時間の中で恩寵を与えてくださいますが、天主ご自身は、時間を超越(ちょうえつ)しておられます。「(天主は)、変わることなく、変化の影さえもない」(ヤコボ1章17節)。

聖ヤコボは続けて、父なる天主からの偉大な賜物(たまもの)を指摘しています。父なる天主は、洗礼によって、私たちを、キリストにおけるご自分の子とされました。「天主は、私たちを被造物の初穂(はつほ)とするために、み旨(むね)のままに、真理のみ言葉をもって私たちを生み出された」(ヤコボ1章18節)。

実際、私たちは洗礼を受け、「水を注(そそ)ぐことと、それに伴う(命の)み言葉によって清め」(エフェゾ5章26節)られるのです。この「真理のみ言葉」、「命のみ言葉」が、御父のみ言葉である私たちの主イエズス・キリストであり、洗礼の秘跡の言葉によって、私たちを清めてくださったのは、主イエズス・キリストです。すべての秘跡において、その形相(けいそう)はいくつかの聖なる言葉から成っていますが、洗礼(とご聖体)における言葉は、私たちの主イエズス・キリストご自身によって制定されたものです。

天主の恩寵は、自由に与えられることに注意してください。聖ヤコボは、「み旨(むね)のままに」、と言っています。それはつまり、天主からの最初の賜物(たまもの)は、常に、私たちが受けるに値(あたい)しないものである、ということです。この真理はまた、私たちが天の御父に対していつも謙遜(けんそん)で、感謝を忘れないための助けとなります。聖ヨハネが、「天主が、先に私たちを愛し給うた!」(ヨハネ第一書4章10、19節)と言うのも、このことです。

聖ヤコボが、「私たちを被造物の初穂(はつほ)とするために」(ヤコボ1章18節)と言うとき、聖ヤコボは、初期のキリスト教徒たち、特に聖ヤコボが司教であったエルザレムのキリスト教徒たちを指しています。

このような美しい原理を示した後、聖ヤコボは、この原理を日々の道徳に当てはめます。
「人はすべて、聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅い者でありなさい」(ヤコボ1章19節)。天主のみ言葉を「聞くに早く」とは、つまり、私たちの主イエズス・キリストに従順で、天の教理を学ぶことに熱心であることです。
「語るに遅く」とは、つまり、批判するのが遅いことです。天主のみ言葉をすぐに批判し、自分が理解しなかった内容を非難する人々がいます。そのような人々はむしろ、沈黙のうちに理解しようとすべきです。

この聖ヤコボの言葉は、私たちの隣人についても、当てはまります。私たちは、隣人の話を「聞くに早く」、その人を批判するのに遅くなければなりません。私たちは、しばしば、その人の本当の状況や、動機や、事情を知らないからです。ですから、私たちは、「怒るに遅く」あるべきなのです。この「遅く」という単純な言葉は、怒りを避けるのにとても良い言葉です。憤(いきどお)りや怒りで自分の心臓の鼓動(こどう)が速くなっていると感じたら、いつでも、「遅く」行動することにしましょう。遅く話し、遅く呼吸をしましょう。

話す前に、批判する前に、心の中で小さなお祈りをする時間を取りましょう。これは誰にでも有効なことですが、特に子どもに対しては、そうです。まず、子どもに罰を与える前に、皆さんが子どもに何を期待しているかを、子どもが理解していることを確認しましょう。そうしないと、皆さんの矯正(きょうせい)は、たいしてうまくいきません。それから、子どもに、自分の間違いを直す時間を与えましょう。私の知り合いに、「3まで数える」ということした人がいます。その人は、子どもが何か悪いことをしたら、まず自分の期待を口に出すのです。「これをしてはいけません、『イチ』――これをしてはいけません、『ニ』――…」と。子どもは、「これをしてはいけません、『サン』」になったら自分が罰を受けると分かっていたため、たいていはその前にやめるのです。さて、親が望んでいたのは、子どもが悪いことをするのをやめることです。遅く行うことによって、親は子どもの矯正(きょうせい)を成し遂(と)げたのです。「怒るに遅くあれ」、これを忘れないでください。

聖ヤコボは、こう説明します。「人の怒りは、天主の正義を実現させないからである」(ヤコボ1章20節)。怒りは、しばしば私的な復讐(ふくしゅう)を求めますが、それは天主のなさり方ではありません。天主のなさり方は、「悪に悪を返すことなく、…善をもって悪に勝て」(ローマ12章17、21節)です。聖パウロもまた、テサロニケ人にこう言っています。「誰も他の人に対して悪に悪を返さぬように気をつけよ。いつも互(たが)いに、すべての人に善をすることを目指せ」(テサロニケ前書5章15節)。また、聖ペトロはこう言っています。「悪には悪を、侮辱(ぶじょく)には侮辱(ぶじょく)を返すことなく、むしろ祝福せよ。あなたたちは祝福の世継(よつ)ぎとなるために、そう召(め)されたからである」(ペトロ前書3章9節)。これが、真の柔和(にゅうわ)です。

柔和(にゅうわ)は、弱さではなく、逆に、まず自己に対する勝利、次に、やがて善が打ち砕く悪に対する勝利です。私たちの主ご自身が、怒りを避けることは第五戒の完成である、と教えておられます(マテオ5章21-22節)。

次に、聖ヤコボは、すぐに第六戒について語ります。「だから、すべての汚(けが)れや、あふれる悪を捨て去り、あなたたちの心に植えつけられたみ言葉を、柔和(にゅうわ)に受け入れなさい。み言葉には、あなたたちの霊魂を救う力がある」(ヤコボ1章21節)。言い換えれば、肉体の快楽ではなく、霊魂の快楽を求めなさい、ということです。

この世は、昔からあらゆる種類の汚(けが)れに満ちてきましたが、今日(こんにち)は、かつてないほどの状況です。そのようなものをすべて捨てない限り、誰も真のキリスト信者になることはできません。同じように、聖パウロはコロサイ人にこう言っています。「したがって、地上にあるあなたたちの肢体(したい)、淫行(いんこう)、汚(けが)れ、情欲(じょうよく)、邪欲(じゃよく)、貪欲(どんよく)を抑(おさ)えよ。これは、偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)である。これらのことのために、天主の怒りが不信仰の子らの上に来るのである。その中に暮らしていたあなたたちも、しばらくはそのようにおこなっていた。しかし、今はすべてこれらのこと、怒り、憤(いきどお)り、悪意、冒涜(ぼうとく)、あなたたちの口から出る不潔(ふけつ)な言葉をすべて捨てよ。互いにうそを言うな。あなたたちは古い人間とその行いを脱(ぬ)ぎ、新しい人間をまとった。この新しい人間は、自分を造ったお方の姿に従い、ますます新しくなって深い知識に進む」(コロサイ3章5-10節)。そして、エフェゾ人に対してはこう書いています。「淫行(いんこう)の者、汚(けが)れた者、貪欲(どんよく)な者はみな、(これは偶像崇拝者(ぐうぞうすうはいしゃ)と同じであり)、キリストと天主の国を継(つ)がない。人のむなしい言葉にだまされるな。不従順な者の上に天主の怒りを呼ぶのは、それらの事柄(ことがら)である。だから、彼らと交わるな。もとあなたたちは闇(やみ)であったが、今は主において光である。したがって、光の子として歩め」(エフェゾ5章5-8節)。

聖パウロと聖ヤコボが対立している、という人々がいますが、これでお分かりの通り、この二人のいうことは、非常によく一致しています。聖ヤコボは、こう続けます。「ただみ言葉を聞くだけではなく、それを行うように努(つと)めよ。そうしなければ自分を欺(あざむ)くのである。み言葉を聞いてそれを行わぬ人は、鏡の中で生まれつきの自分の顔をながめる人に似ている。その人は自分を映(うつ)したが、去ってしまえば自分がどんな姿であったかすぐに忘れてしまう。しかし、自由の完全な法を一心(いっしん)に見つめて離れぬ人とは、聞いて忘れる人ではなく、実際に行う人であって、それを守れば幸せになる」(ヤコボ1章22-25節)。

ルターはこの一節に我慢できず、これが聖パウロのいうことと対立していると考えましたが、それは、間違っています。実際、聖パウロは、こう言っています。「天主のみ前に義とされるのは、律法を聞く人ではなく、律法を守る人である」(ローマ2章13節)。これでお分かりのように、両者のいうことは非常によく一致しています。どちらも、ルターの主張に反するものです!両者とも、天主の恩寵と、人間の行いの価値を、同時に肯定しています。ルターの異端(いたん)は、このふたつを対立させ、あたかも天主の恩寵が私たちの行いの価値をなくすかのように、そして、あたかも私たち人間の行いの価値を認めることが天主の恩寵に反するかのように、主張することにあるのです。 教会は、使徒ヤコボと使徒パウロの両者とともに、むしろ、私たちが善を行うには天主の恩寵が必要であり、天主の恩寵は私たち人間の行いに価値を与える、と教えています。

ですから、私たちが天主の掟(おきて)を忍耐強く守り続けるのを助けてくださるよう天主の恩寵を祈り求めつつ、天主のみ言葉に従順(じゅうじゅん)に、そして心をこめて、み言葉を忠実に実践しましょう。聖ヤコボが、「自分は宗教を行っていると考える人が、自分の舌(した)を抑(おさ)えず心を欺(あざむ)くなら、その宗教の行いはむなしい」(ヤコボ1章26節)と言うように、ルターの異端(いたん)は、まことに人を欺(あざむ)くものなのです。

「父なる天主のみ前に、清く汚(けが)れのない宗教とは、すなわち、貧(まず)しい孤児(こじ)や、やもめを見舞い、世の汚(けが)れに染まらないこと(である)」(ヤコボ1章27節)。悪を避け、善を行い、この世の腐敗(ふはい)を避け、あわれみを実践すること、これこそが真のキリスト教の道徳、真のカトリックの道徳であり、祈りの生活の実りなのです。

私たちが、使徒の元后(げんこう)たる童貞聖マリアが、聖ヤコボとすべての使徒たちとともに、この偉大な使徒聖ヤコボが今日私たちに語ったことを私たちが実践するのを助けてくださり、それによって、私たちがその実りを豊かに刈(か)り取ることができますように。アーメン。


【参考情報】ヴィガノ大司教:「ロー対ウェード」判決に関するリークされた米最高裁の草稿についての宣言

2022年05月17日 | プロライフ

【参考情報】ヴィガノ大司教、米最高裁、中絶、リークについて語る

Viganò. The U.S. Supreme Court, Abortion, and the Pronunciation Leak.

2022年5月12日

マルコ・トサッティ
親愛なる「Stilum Curiae」の友人と敵の皆さん、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教のこの声明を受け取りましたので、喜んで公開します。どうぞ、お読みください。

§§§

「ロー対ウェード」判決に関するリークされた米最高裁の草稿についての宣言

米最高裁から出てきた草案に従って、最高裁判事たちが、1973年1月22日の「ロー対ウェード」判決は違憲であり、破棄されなければならないと宣言しようとしているというニュースを、ここ数日、メディアがリークしています。

第一に、広がっている誤解を解いておかなければならないのは、この最高裁が出す可能性のある判決は、中絶の道徳的正当性を論じるものではなく、むしろ1973年の判決が、個々の州が持っている主権に関して、合衆国憲法に適合しているかどうかを論じるものだということです。したがって、中絶の正当性に関する倫理的、道徳的な問題を扱っているのではなく、憲法の下での最高裁の管轄権に関する問題なのです。

「ロー対ウェード」判決が連邦州の主権に与えた「vulnus」(傷)は憲法上の問題であり、判事たちはそれについて判決を下さなければならないでしょう。

今回の判決のこの側面をメディアは意図的に語ってきておらず、その代わりに判決の具体的な内容を強調して、それをイデオロギーの旗じるしとしたのは重要なことです。また、ディープ・ステートが悪意を持って行ったこのプロパガンダ作戦には、このニュースが世論に巻き起こす議論を先鋭化させ、判事たちがまだ最終決定していない判決の動機づけに影響を与えさせる意図があることは明らかです。判決文の草稿が早々とリークされたことで、中絶推進派やアンティファが組織する暴力的な抗議デモが引き起こされ、同時に礼拝中のカトリック教会に対するスキャンダラスな挑発や冒涜的な攻撃が多発していることに、誰も気づかないでいることはできないでしょう。カトリック信者が勇気ある証しをすることは、キリストの教会の譲れない権利であると同時に、憲法修正第一条の下でのすべての米国人の譲れない憲法上の権利でもある、まさに礼拝と説教の自由の名の下に、教会の牧者たちが励まし支持すべきことです。

今は、疑似パンデミックの犯罪的管理に関して浮上しつつあるスキャンダルや、製薬多国籍企業と管理機関によって罪深く隠蔽されてきた、依然として未知の長期的なダメージと深刻な副作用が、まだ不明なヒトゲノムを不可逆的に変更する実験的治療の押し付けに関してのスキャンダルを、米国人がまだ完全に理解していないときです。また、ジョン・ダーラム特別検察官が「ロシアゲート」の調査を終了させる準備をしていて、オバマ、ヒラリー・クリントン、バイデン(その共犯者には当時のイタリア政府の最高レベルのメンバーが含まれています)がトランプの大統領選挙キャンペーンの抑圧に果たした役割について調査を受ける(そしてできれば反逆罪と政府機関への攻撃で断罪される)のがまもなく見られるであろうときです。さらには、ジョー・バイデンが、息子のハンターがウクライナで関わった汚職事件を必死に隠蔽しようとしていますが、この事件は遺憾なことにもバイデン自身のウクライナの生物学研究所への関与を含み、そこではSARS-CoV-2ウイルスの「機能獲得」の研究が行われ、その病原性と感染性を変化させたことが知られつつあるときです。しかも、ホワイトハウスが、インフレと原材料価格の上昇という米国経済の問題を、ロシア・ウクライナの危機のせいにしようと必死になっているときです。NATOが、米国のロビーに仕える武器商人として行動し、プーチンとゼレンスキーの和平交渉を何としてでも妨げようとしているときでもあります。

さあ、今こそ、世論の目をそらし、中絶反対派のプロライフと中絶推進派の「プロチョイス」の間の衝突を過激化させるための作戦が用意されているのです。その前には、パンデミックの茶番劇の間に、さらにその前には、ジョージ・フロイド事件と「ブラック・ライブズ・マター」運動が引き起こした鬱憤によって、同じ手法で大衆操作の実験を行い、成功させていました。

最高裁に非難されるべき点があるとすれば、それは、1973年に連邦各州で中絶が当然禁止されていたにもかかわらず、合法化を各州に押し付けようとしたためです。この権力の濫用が容認されたのは、最高裁が民主党のイデオロギー的な偏見にまみれていたからです。そのために、正義を求めて天に向かって叫ぶ、罪なき子どもたちの大虐殺を生んでしまったのです。「ロー対ウェード」判決は、自然法や天主の法だけでなく、合衆国憲法に謳われている原則そのものに違反する、意図的な偏見による操作だったのです。もし判事たちがこの傷(vultus)を癒やそうとするならば、自分たちが守ることを誓った法[合衆国憲法]を適用することだけに自分をとどめるでしょう。このことは、50年前の彼らの先任者たちが行う方法を知らなかったか、あるいは行いたくなかったことなのです。

5月11日に、米上院が(「女性の健康保護法」を阻止する投票によって)中絶推進派に足並みをそろえずに反対投票をしたのが本当なら、自称「カトリック」の政治家たち、とりわけジョー・バイデンやナンシー・ペロシが、スキャンダルを与えたことを知らされます。彼らは、社会的・立法的領域で自分たちが守るべき道徳を、良心のとがめもなく踏みにじっているのですから。

聖座と米国カトリック司教協議会は、断固たる中絶非難を行うべきです。それとともに、米国のカトリック信者が、教会の教導権と一致しない立場にある選出された下院議員には、投票できず、また投票してはならないことと、そのような教導権と一致しない者たちは破門されるということを再確認すべきです。位階階級の恥ずべき沈黙が明らかにしているのは、自分たちの世話に委ねられている人々を賢明に導くべき人々の持つ劣等感を裏付けるものです。

彼らは、そうする代わりに、前回の選挙キャンペーンで司教たちが支持した政治家たちと一緒になって、崖っぷちから落ちるまで従っているところなのです。ジョー・バイデンが、「女性の健康保護」という偽善的な婉曲表現の下に、中絶を「基本的権利」として主張するのを聞くことは、カトリックの社会的公約の意味を全く理解していないことの証明であり、そのことについての責任は、位階階級だけではなく、その指針を求めて位階階級を見ているカトリック教育制度全体にもあるのです。もし、卒業生がその道徳的重大性を理解することなく、中絶を支持すると宣言することができるならば、カトリックの高校や大学ではどのような教えがなされているのでしょうか? 無罪の被造物(人間の赤ちゃん)を殺すことを、自分の命よりも子どもの命を守るべき母親が決めることができると、どうして言えるのでしょうか? これが、米国人が支持し、広めたい「文明」なのでしょうか? これが、米国人が未来の世代に伝えたい価値観なのでしょうか?

私は、米国人がこのような大衆の注意をそらす作戦に乗せられたり、衝突や暴力的反応を煽るために意図的に行われた中絶賛成派の抗議行動に刺激されたりすることはないと確信しています。子どもの殺害を宣伝する人々は、安楽死、LGBTQイデオロギー、ジェンダー論、グレート・リセット、パンデミックの茶番劇、欧州の国々を弱めてディープ・ステートの犯罪を隠蔽するためのロシア・ウクライナ危機の利用を同様に支持していることを忘れてはなりません。

ですから、私たちが「上智の座」(Sede Sapientiæ)として崇敬する聖母が、最高裁判事たちの心を照らし、正義の感覚を起こさせ、胎児の命の神聖さと不可侵性を認識できるように祈りましょう。そして、創世記で予言された「女(のすえ)」が、中絶という恐るべき罪を引き起こさせる最初の者である蛇のかしらを踏み砕くことができますように。

2022年5月12日

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

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