Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2018年 11月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


11月
死者の月です。煉獄の霊魂たちのために祈りましょう。死について黙想しましょう。
意向:死せる信者のため、よき死を迎えるため
実践すべき徳:祈り
守護の聖人:聖アンドレア

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2018年 11月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセス EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

    11月2日(初金)全ての死せる信徒の記念(1級)黒
            午後4時半~ ミサ聖祭を2回捧げます ←追加されました 
            午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

    11月3日(初土)聖母の土曜日(4級)白
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

    11月6日(火)聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

    11月7日(水)聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午前6時半 ミサ聖祭

    11月11日(主)聖霊降臨後第25主日(2級)緑(御公現後第5主日)
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

    11月23日(金)殉教者教皇聖クレメンテ1世(3級祝日)赤
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

    11月24日(土)教会博士証聖者十字架の聖ヨハネ(3級祝日)白
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

    11月30日(金)使徒聖アンドレア(2級祝日)赤
            午後4時半 ミサ聖祭(読誦ミサ) 
            午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」
    10月22日(月) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午前7時 ミサ聖祭

    11月4日(主) 聖霊降臨後第24主日(2級)緑(御公現後第4主日) 
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

    11月5日(月) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午前7時 ミサ聖祭

    11月25日(主) 聖霊降臨後第27主日(2級)緑(聖霊降臨後第24主日) 
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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レジス・アルノーの「「妊娠中絶後進国」の日本女性に感じる哀れさ」という上からの目線の日本人女性を馬鹿にしている記事を読んで

2018年11月13日 | プロライフ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

レジス・アルノーというフランス人男性が「「妊娠中絶後進国」の日本女性に感じる哀れさ」という記事を上からの目線で書いて、日本人女性を馬鹿にしている。その論調はあたかも彼が製薬会社から金をもらって書いたかのようだ。確かに、最も多く「いいね」をつけたコメントは、薬の話をしている。

【日本は「中絶後進国」?】

日本は、第二次世界大戦直後すでにアメリカの占領下のもとに1948年に「妊娠中絶」が合法化した。旧ソ連が世界で初めて1920年に人工妊娠中絶を合法化したのに続いたのが日本だ。フランスは1975年に合法化した。

米民間団体「グローバル・ライフ・キャンペーン(GLC)」「中絶世界報告書」の発表によれば、過去1世紀で10億を超える胎児が母親の胎内で殺された。累計の1位中国で、2位はロシアで、3位は米国、4位はウクライナだ。日本は5位だ。更に言えばベトナムが6位、インドが7位、ルーマニアが8位、韓国が9位、カザフスタンが10位だ。

しかし、堕胎は犯罪だ。何故なら胎内の胎児は立派な人間だからだ。たとえ胎児が目も見えず話すことも出来ないとしても。堕胎は殺人だ。無辜の命を奪う極悪の行為だ。私たちにはこの小さな命を守る義務がある。

1988年にフランスでは世界で最初の経口妊娠中絶薬(アボーション・ピル)と呼ばれる堕胎のための毒薬がフランスの厚生大臣によって認可された。「ミフェプリストン」別名 RU-486だ。きれいなお母さんのお腹の中を、恐ろしい砂漠のような荒地に変化させて赤ちゃんがそこに住めなくする毒薬だ。女性の体にとって健康なものであるはずがない。

最近日本で話題になった避妊ピル(モーニングアフターピル)「ノルレボ錠0.75mg」も同じだ。受精の瞬間から立派な一人の人間だが、この避妊ピルは受精卵が子宮内膜に作用し、お母さんのお腹を荒らして受精卵を着床しにくくして堕胎をさせる毒薬だ。政府が使用を認めたとしても、殺人は殺人だ。

【日本の女性はアジアの発展途上国と比べても後れを取っている?】

レジス・アルノー氏は宣言する。「日本の女性は、現代的な避妊薬の使用に関して多くの先進国に後れを取っている。… 日本の女性はアジアの発展途上国と比べても後れを取っている。2015年の国連の調査によると、タイの女性のピルの使用率は33.7%で日本の女性の1.1%を大きく上回る。云々」

ピルの使用率が低い=後れている、とは誰が決めたのか?製薬会社か?

アメリカのCIAのレポートによると、フランス(人口67,106,161人)では、200,000人がHIV/エイズに罹病している。一万人のフランス人のうち29.8人がこの病気にかかっている。Index Mundiによると、フランスの罹病数は世界で30位だ。
同じレポートによれば、タイ(人口68,414,135人)ではHIV/エイズにかかっている人々は440,000人いる。タイの一万人のうち64人がこの病気にかかっている。Index Mundiによると、タイの罹病数は世界で16位だ。
日本(人口126,451,398人)でHIV/エイズにかかっている人々は28,000人だ。日本人一万人にたった2人だ。

アルノ―氏から日本はHIV/エイズでも、アジアの発展途上国と比べても確かに後れを取っていると言う声が聞こえてくる気がする。(なるほど多くの人がHIV/エイズになれば製薬会社がもうかるだろう。)

HIV/AIDS - people living with HIV/AIDS TOP 100

【日本の女性の美しさ】

日本人は昔から子供を大切にしてきた。母親が自分の子供を愛さないわけがあるだろうか?日本の女性たちは子供を産んで育てるのを幸福だと考えている。

アルノー氏は「フランスの女性と比較して、日本の女性は性と生殖に関する権利に関する限りいまだに縄文時代に暮らしていると言える」と侮辱して挑発しようとする。

フランス人女性は、自分の胎内に宿った別の生命を自分勝手に殺すことを「権利」だと考えているから美しいのか? それは身体障害者や優生学的に劣った者たちの生命を殺害していったナチスと同じ考えだ。ナチスの信奉者がそれほど美しかったのか? それともナチスについて行けない私たちはあまりに大きな暗闇の中にいるので、自分たちが暗闇にいることがわかっていないとでも言うのか?

小さなかけがえのない生命を大切にしない人々こそ、縄文時代以前の野蛮ではないのか。自分たちが遅れているのかを自覚していないのはどちらだろうか。

日本の女性は自然を愛する。日本の女性の中には、お産婆さんのところで自然なお産をしたいという方もいる。麻酔出産だけが良いとは誰が決めたのだ?私の友人のフランスの女性も日本で産婆さんによって自然にお産をすることを選んでそれを喜んでいる。フランス人女性が日本の良さを知って感謝したのだ。

フランス人が日本人に、フランスではそうしているから日本人女性もそうしなければならない、という上からの目線での論理はおかしい。日本人は自分たちが自覚的に自分たちのものとして大切にしているものがあるからだ。

【フランスの人々の美しさ】

私は日本人だ。しかしフランス人の友人たちがいる。確かにフランスの女性の美しさに驚嘆する。しかし、彼女たちの本当の美しさとは彼女たちの信仰と貞潔の美しさだ。フランスに住む私の友人たちは、聖伝のカトリック信仰を守っている。彼女たちはお母さんになると、7~9名の子供たちを産んで幸福な母親となっている。彼女たちはフランスを愛している。子供たちをたくさん育てることは、容易なことではない。自分の自由も子供たちのために犠牲にしなければならないからだ。しかし愛によって、あえて多くの子供を育てることを自ら進んで多くの子供たちの母親となることを望み選んでいる。マスコミに左右されずにより気高い理想のために自分の人生を送っている。

女性だけではない。フランスでは若者たちがいま「生き残った者たち」Survivants というグループを作っている。なぜなら堕胎が女性だけの問題であるとはウソだということに若者たちが気が付いたからだ。堕胎「天国」(地獄?)の現代社会に今生きている私たちはみな「生き残った者たち」だからだ。

フランスの統計では、お母さんのお腹に身ごもった5人のうち一人は、お腹の中で殺されて生まれてくることが出来なかったからだ。もしかしたら私たちもそのうちの一人だったかもしれない。私たちには本当は、お姉さんが、お兄さんが、妹が、弟がいたはずだった。私たちは皆、たまたま中絶されていなかったことという意味での生き残りだからだ。

しかも、もしも私たちが「体外授精」の赤ちゃんだったとしたら、私は生き残ったけれども、その陰で、私の知らない多くの兄弟姉妹たちが殺された、どこかで冷凍されている、何かの変な実験材料の対象になって虐殺されている、という事実に気づいたからだ。マスコミの世論操作から独立して、立ち上がっている気高い青年たちがフランスに多く存在しているのは本当に美しい。

日本では公式の統計によると、2017年に16万4621人の赤ちゃんが、2016年には16万8015人が堕胎された。2017年に生まれた子どもの数(出生数)は94万6060人、2016年の出生数は97万6979人だった。2017年には本当なら16万4621+94万6060=111万0681人生まれるはずだった。2016年には114万4994人が生まれるべきだった。日本では15%が、7人に1人が殺されている。7人のうち6人が生き残って生まれてきたのだ。

フランスでは多くのそしてますます増え続けるイスラム教徒のフランス人たちもいる。彼女たちは堕胎をしない。

フランスでは中絶手術が払い戻されて、無料でできるようになったのかもしれない。フランスでは簡単に避妊薬を得ることができて、血税がそれを支払っているのかもしれない。統計によると、数十年後には、フランスでは第一言語がアラビア語になる、シャリーア(イスラム法)の支配するイスラム共和国になるだろうと読んだことがある。

ワシントン・タイムズによると2057年にはイスラム教徒が多数派になるそうだ。

何故ならフランスに元々いたフランス人たちの出産率は女性一人あたり1.4人だが、フランスのイスラム教の女性は一人あたり3.4から4人の子供を産むからだ。現在、フランスの人口は6800万だが、その内10%はイスラム教の人々だ。

イスラム教徒のフランス人たちは将来、ますます姿を消そうとしている元々のフランス人たちについて何と言うのだろうか?「白人のフランス人女性は、堕胎と避妊をして性と生殖に関する「権利」を謳歌して自由奔放に子供を殺していたから美しかった」と言うのだろうか? それとも「フランス人女性たちは野蛮時代にいた遅れた人々だった、イスラム化したお陰で、彼女たちは堕胎や避妊から守られるようになった」と言うのだろうか?

アルノー氏のいう「自立」といのは、とどのつまり「妊娠しないための薬を安く合法的に簡単に手に入れたい」ということだ。こんなのは自立ではない。何故なら「自分の運命を自分で決める力」とか「自立」というのは、薬物(避妊薬・麻酔・堕胎の薬)の力に簡単に依存することができるようになりたいということだからだ。とどのつまり「自分で」とか「自立」ではなく、女性をより簡単に薬漬けにして薬物に依存させることだ。これでは薬の奴隷ではないか。

もしも本当に美しさというものが、「自立」や「自分の運命を自分で決める力」に由来して、製薬会社のロビー活動によるものでないとしたら、日本人は、フランス人が何をしようと私たち自身の価値を大切にする。

日本人は、日本の将来である自分たちの子供の命を自立して守る、日本の運命を自分で守る、日本を製薬会社に売り飛ばさないことを選ぶべきだろう。

もちろん、お金の誘惑や貞潔に反するものの誘惑の力は大きい。誘惑に負けないように、私たちは天主の聖母、終生童貞なる聖マリアに祈る。

聖母よ、日本の女性たちとフランスの女性たちを守ってください。

聖母よ、日本の女性とフランスの女性たちが、聖母マリア様のように、本当の意味で美しくありますようにお祈り下さい!

聖母よ、お母さんの胎内にいる罪なき小さな命たちを、堕胎という大人の自分勝手な犯罪行為から守ってください!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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2018年9月23日 聖霊降臨後第18主日のミサ 「立ち上がって、床を取って、家に帰れ」の深い意味を黙想する

2018年11月12日 | お説教・霊的講話
2018年9月23日(主日)聖霊降臨後第18主日のミサ
小野田神父 説教


日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。

今日は2018年9月23日、聖霊降臨後第18主日です。

今日この午後は特別のプログラムがあります。聖ピオ十世会のシスターがいらしており、14時半からシスター会のどのような生活をしているか、という事をスライドショーで皆さんにお見せしたいと思っています。14時半からです。どうぞなるべく多くの方が、シスターの特別のご紹介にいらして下さる事を期待しています。よろしくお願いします。

そして今日は16時から主日の第2晩課があります。明日は休日ですが、7時からミサがあります。次のミサは、10月7日です。



“Surge, tolle lectum tuum, et vade in domum tuam.”
「起きて床を取りなさい。そしてお前の家に帰りなさい。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日聖霊降臨後第18主日のこのミサでは、イエズス様が奇跡を行なった事を、この史実を読みました。なぜでしょうか?

なぜかというと、今日のこの福音書に出てくる中風の半身不随の人は、皆さんであり、私であります。私たちは今日、教会に運ばれて来ました。今日イエズス様と会って、イエズス様からこの言葉を聞かなければなりません、「さぁ、起き上がって、床を取って、家に帰りなさい。」

この奇跡が今日起こらなければなりませんが、

⑴なぜ一体、今日こんな話が出るのか?

⑵次に、この奇跡が起こる為には、私たちはどうしなければならないのか?一体何が起こるのか?という事を黙想して、遷善の決心を立てる事にします。


⑴では一体、今日何でこの話が出たのでしょうか?

なぜかというと、8月15日、聖母の被昇天、マリア様が天に上げられた祝日の次、9月14日、イエズス様の十字架が天高くに上げられて、称讃させられた事を見ました。教会はこの2つの祝日から、「主の来臨は近い。世の終わりは近い」としるしを、時のしるしを見ています。

なぜかというと、世の終わりには、人の子のしるしが、十字架のしるしが、空に現れるからです。なぜかというと、世の終わりには、十字架によって私たちは裁かれるからです。

ですから教会は既に、私たちの祖国である天国での、私たちの本当の家に帰る事を予感しています。ですから、私たちが天国に天の家に帰る事ができるように、私たちを既に準備させようとしています、「十字架のしるしはもう現れた。世の終わりは近い。さぁ、主の裁きを受ける準備をしなさい」と。

そこで今日この教会は、「教会」というのはつまり「天のエルサレム」の象りでもあります。「エルサレム」というのはヘブライ語で「平和のビジョン」という意味です。「サレム」というのは「平和」という意味です。「平和を、私たちがこの目で見る事。」つまり天主の至福直観を、顔と顔を合わせて見る事、天国の象りでもあります。

教会はですから、私たちが教会に入るやいなや、司祭が教会に入場するやいなや歌った、歌う歌が、「主よ、私たちに平和を下さい。平和のビジョンを下さい。本当の天国での至福直観の平和を下さい」と歌っています。「主の家に行こうと言われて、」つまり、「天国に行こうと言われて、天国での幸せを一緒に味わおうと言われて、私は喜んだ。」「あぁ、主の、天主の家に行くというのは、天国に行くという事は、どれほど嬉しい事でしょうか。」私たちは喜びに満ちています。

では、この事が起こる為に、一体教会は何を祈っているかというと、「主の憐れみの力がありますように。」“tuae miserationis operatio.”これがありますように、と言いますが、つまりこれは、「主の憐れみの働き」というのは、「ミサ聖祭」の事であります。

ミサ聖祭によって、私たちがイエズス様と出会って、イエズス様を目の前にして、イエズス様が私たちの現前に来られて、そして私たちの心の中にも、聖体拝領によって来られる、という憐れみの御業が行なわれるところだからです。

聖パウロは今日は、私たちが主の裁きを受ける準備をする事ができるように、2つの事を提案しています。

まず、「感謝」をする事。私たちが受けた全ての御恵みを感謝する事。

私たちがこの目で美しい世界を見る事ができるというのも、指がこうやって動く事も、健康である事も、この自然の御恵みだけでもものすごい御恵みです。私たちが生きているという事だけでも御恵みです。

しかしイエズス様は、それよりもはるかに超えた、超自然の御恵みを下さいました。洗礼の御恵み。罪の赦しの御恵み、告解の秘跡の御恵み。聖体拝領の御恵み。堅振の御恵み。この超自然の御恵み一つ一つは、大自然、全宇宙の創造全部の美しさをはるかに超える御恵みです。それを私たちは次から次へと受け続けてきました。

聖パウロは私たちの名前によって感謝しています、「私たちの受けた御恵みによって感謝する。これが、主の現れる日まで、最後の日まで、私たちがこの御恵みによって固められるように祈る。イエズス・キリストの御来臨の時まで祈る」と「固められるだろう」と言っています。

この聖パウロの2つの提案を受けて、「感謝」と、そして「最後までこの御恵みを守る」という事を「裁きの日まで堅忍する」という事を、2つの事を思うと、教会はあたかも聖パウロの話を聞いた言葉を、こだまして歌っているかのようです。

まずGradualでは昇階誦では、「あぁ、『主の家に行こう』と言われて、喜んだ。『天国に行こう』と言われて、喜んだ。『天主の家に行く』というのは、何という御恵みだろうか。感謝する。」

そしてその次に、「イエズス様からの裁きが来る。裁きの時には、私たちは御恵みを受けたけれども、しかし異邦人たちは、その裁きの主が来る時には恐れおののくだろう、震えるだろう。そしてこの世でどれほど力のある王であったとしても、その富と、その武力と、武器と、軍隊と、名声と、自分の頭脳に信頼していた、しかし天主に信頼していなかった王たちは、恐れるだろう。しかし私たちは喜ぶ。主の家に行こうと言われた。」これがアレルヤです。

私たちが天主のしるしを見て、主の来臨を準備する。これが為に今日は、私たちは教会に運ばれて来ました。

⑵なぜかというと、第2の点は、私たちは今、裁きを受ける、今、「主の家に行こう」と言われたとしても、その準備ができていないからです。

見て下さい。私たちは全身麻痺しているかのように、道端で動く事もできずに、家に帰る事もできずに、苦しんでいる状態です。なぜ家に帰る事ができないか、なぜ体を動かす事ができないかというと、自分の思う通りに「こうしなければならない」と思っても、体が動かないのです。手が震えてるし、動かそうと思っても動かない。精神は、「天に上がろう」と思っているのですけれども、肉体は地上の事だけを考えています。この地に這いつくばっているのです。その為に私たちは、家に帰る事ができずにいます。

そこでイエズス様は今日、私たちにこう仰って下さいます、人の子が罪を赦す事ができる事を示す為に、奇跡を行ないます、「起き上がって、床を取って、家に帰りなさい。」するとこの男はすぐ起き上がって、床を取って家に帰ります。

これは、過去の私たちの洗礼の象りでもありますし、そして今日この御ミサで、イエズス様が私たちの霊魂に働きかけて下さる事の象りでもあります。

今日では私たちはどうやったら、この起き上がって、床を取って、家に帰る事ができるのでしょうか?

それは、聖体拝領の時の聖体拝領誦に書かれているようです、“Tollite hostias, et introite in atria ejus: adorate Dominum in aula sancta ejus.”

私たちは麻痺していますが、なぜかというと、この地上の事で、天の事を、天を見ようとするのを嫌がっているからです。イエズス様の後に従う事を躊躇しているからです。イエズス様の近くに行く事を躊躇しているからです。でもイエズス様はどこにいらっしゃるかというと、十字架のもとにおられます。「もしも私に従いたいと思うならば、自分の十字架を取って、我に従え。」

ですから私たちも、自分の十字架を取って、いけにえを取って、イエズス様に従わなければなりません。イエズス様に会いに行かなければなりません。

第2には、これがちょうど「自分の床を取る」という事と同じではないでしょうか。そして「立ち上がって家に帰る」と。これはちょうど、「主の中庭に、主の家の中庭に入りなさい」という事と同じではないでしょうか。つまり「私たちは聖体拝領をする時に、主の十字架を取って、イエズス様のいけにいえに合わせて、私たちもいけにえとして自分を捧げて、そして私たちの心の中に主が、イエズス様が入って下さるように、私たちもイエズス様の聖心の中に入ろう。そしてイエズス様を礼拝する。」イエズス様を礼拝する、すなわちこれが天国への幸せの味見であり、前兆であります。

最後に、永遠にイエズス様を礼拝する事ができる為に、天国の家に行く事ができる為に、教会は今日、このリハーサルをするように、私たちを招いています。その時に私たちは、イエズス様からの声を聞くでしょう。最後に、「立ち上がって、床を取って、家に帰れ。」私たちはその時に復活して、そしてイエズス様の準備して下さった私たちの本当の家、天国に帰らなければなりません。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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韓国ナジュ(羅州)の聖母巡礼所に関する通達(日本カトリック司教協議会常任司教委員会)

2018年11月11日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ナジュの「聖母」についての、カトリック中央協議会による参考資料です。

ナジュの「聖母出現」はすでに何度も当地の司教によって排斥されていました。私たちにはこれに反対するようなカトリック聖伝の教えは全くありません。(第二バチカン公会議の幾つかの新しい教えが過去の教導職や歴代の教皇様たちの不可謬の教えと矛盾しているので、どちらかを選ばざるを得ない、ということとは、私的啓示の場合、話は全く違います。)私たちは20年前から一貫して光州教区の大司教の判断に従い、ナジュの「聖母出現」に反対してきました。私的啓示を信じることはドグマではありません。ましてや当地の司教はこれを判断する最良の立場にいます。私たちはナジュの「聖母出現」は非常に危険なものであり、カトリックの信仰によるものではない、と判断します。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2018年11月1日

韓国ナジュ(羅州)の聖母巡礼所に関する通達

日本カトリック司教協議会常任司教委員会

 韓国カトリック司教協議会秘書のキム・ジョンチュル神父は、クワンジュ(光州)教区大司教で韓国カトリック司教協議会会長のキム・ヒジュン大司教の名代として、同国ナジュの聖母巡礼所に関する書簡(2018年9月21日付)と二つの文書を、アジア司教協議会連盟会長オズワルド・グラシアス枢機卿宛てに送付し、それらをアジア各国の司教協議会へ配信するよう要請しました。書簡と一緒に送付された文書は、クワンジュ大司教区の前教区長チェ・チャンム大司教のナジュの聖母像にまつわる現象に関する教令(2008年1月21日)と現教区長キム・ヒジュン大司教のガイドライン(2012年7月6日)です。
 教令とガイドラインによると、1985年6月30日に始まった、ジュリア・ユンの家の聖母像の目から血の涙が流れ出るという現象は、2008年と2011年に発表された教皇庁教理省の公式見解をもって確認できるように、超自然的なものではありません。すなわち神に由来するものでもありませんし、健全なキリスト教信心とも関係がないということです。
 上記書簡は、韓国カトリック司教協議会が、ナジュの聖母巡礼所に関するクワンジュ教区大司教の教令とガイドラインの内容を支持し、アジアの司教、司祭、信者たちにナジュの聖母巡礼所を訪問することのないよう求めています。
 そこで、2018年11月1日に開催された日本カトリック司教協議会常任司教委員会において、日本の教会でも「ナジュへの訪問を控えること」を周知徹底することを申し合わせました。

背景解説

 韓国・クワンジュ(光州)教区において、「聖母の奇跡」として話題を呼んできた「ナジュ(羅州)の聖母像」については、以前からクワンジュ教区から警戒されており、チェ・チャンム(崔昌武)大司教(クワンジュ教区、2001年当時)は、この「奇跡」を信奉するグループに関与または参加しないように警告を発していた。
 このナジュの聖母像は、1985年にユン・ホンソン(尹洪善)氏の所有する聖母像が「泣き出した」として、「啓示」を受けるようになったと主張して以来、一部で話題となり、支持者が集まり、「血の涙を流した」「香油を目から流した」などと話が大きくなっていたが、98年、チェ大司教の前任のユン・コンヒ(尹恭熙)大司教も「奇跡とみなす根拠が存在しない」と宣言しており、当時の韓国司教協議会(CBCK)会長チョン・ジンスク(鄭鎭奭)大司教も、教区の決定は「バチカンとの緊密な連絡を経て」行われたと明言していた。
 以後も、ユン氏は「ナジュの奇跡」を訴え続け、08年には、チェ・ヨンス(崔龍洙)大司教(テグ教区)が、ユン氏の信奉者たちが「ナジュの聖母聖堂での宗教的活動に参加したことにより伴事的(自動的)破門を招いた」が、「真に彼らの過ちを悔い改め、教会に戻るなら」ゆるしを得ることができる、と警告していた。
 09年には、「ナジュの奇跡」支持者を伴事的破門としたクワンジュ教区の決定を、バチカンも支持している。

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2018年9月21日(金) 使徒福音史家聖マテオのミサ 「天主からの召出しを喜び、天主に捧げられた者のために殉教した」

2018年11月10日 | お説教・霊的講話
2018年9月21日(金)使徒福音史家聖マテオのミサ
小野田神父説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2018年9月21日、福音史家聖マテオのミサをしております。

今日は聖ピオ十世会のシスターを迎えて、歓迎します、嬉しく思います。

今日のミサの直後には、終課の代わりに、聖体降福式を行なう事を提案します。なぜかというと、理由は2つあります。

1つは、ノブスオルドの教会ですけれども、ピッツバーグのアメリカの司教区では、司教様が、「このままでは、アメリカの色々なスキャンダルとか、カトリック教会のこの大きな危機を乗り越える事ができない。そこで、ノブスオルドのカレンダーには無いけれども、しかし昔の通りに、聖伝によれば、四季の斎日を行わなければならない。だから断食と祈りをする日をして、罪の償いをしなければならない」という発表がありました。私たちはそういう発表がなくてもしていますけれども、しかしカトリック教会の今大きな、ノブスオルドの教会では大きな危機を迎えているので、この罪の償いの為にも、私たちは今日の祈りと償い、祈りと断食をもって、今日の四季の斎日の精神で、御聖体降福式を行ないたいと思っています。

もう1つは、つい最近韓国で、韓国の大統領と北朝鮮の指導者(なぜ「北朝鮮の指導者」かと言うと、朝鮮半島では本当の正当な国は、南しかないからです。韓国しかないので、北は傀儡政権です。それなので、正当な政権ではありません。それで、「北の指導者」と申しました)が話し合って、これからは二人で、これから朝鮮半島がどうなるか、という事を決める、そうです。

識者によると「韓国は正当な政権であるにも関わらず、北に飲み込まれてしまう。韓国が無くなってしまうのではないか。」この為に、金日成という今の北の祖父に当たる人は、どうやったら南を飲み込む事ができるか、という事を既に計画を立てていました。その通りに行なわれる危険があります。そこで、その事でカトリック教会が自由に活動する事ができる為にも、共産主義という誤謬が絶滅する為にも、今日の聖体降福式を捧げたいと思っています。

明日は9時から、マリアちゃんという生まれたばかりの赤ちゃん、マルティンさんとヨハンナさんの赤ちゃんの洗礼式があります。

明日のミサの後にはシスターが、聖ピオ十世会のシスター会とはどういうものか、という事を紹介するスライドショーを準備してくれました。これは他では見る事が許されていない、シスターのみが紹介する事ができる、という特別なものなので、ぜひ皆さんいらして下さい。その為にシスターが一生懸命準備してくれました。

最後に、シュテーリン神父様が今回来る事ができなくて、非常に残念に思っておられました。しかし天主様の御旨として、私たちはそれを犠牲としてお捧げ致します。シュテーリン神父様の為に皆さんからの霊的花束をお渡ししたところ、私に直接言葉で、「本当に嬉しく思う」と「皆さんの寛大さに感謝する」と「ぜひ、私の気持ちを伝えて欲しい」と直接仰って下さいました。そこで皆さんに、シュテーリン神父様からの感謝の気持ちをお伝えさせて頂きます。

4年間、神父様の指導に従って、多くの祈りと、マリア様の、インマクラータ、無原罪のマリア様の為に道具となって働いて下さった事を感謝する、という事です。ポーランドに行っても、私たちの為に祈り続けて下さるに違いありません。



“Non enim veni vocare justos, sed peccatores.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


シスター、愛する兄弟の皆さん、今日は聖マテオの祝日において、

⑴聖マテオの生涯を少し垣間見て、

⑵聖マテオの生涯から、私たちが何を学ぶ事ができるかを黙想致しましょう。

⑶そして最後に、遷善の決心を立てる事に致しましょう。


⑴聖マテオはユダヤ人でした。本名は「マテオ」、しかしあだ名は、皆からは「レビ」と呼ばれていました。

ユダヤ人にもかかわらず、ローマの手先となって、異教の国々のローマ皇帝の為に、税金をユダヤ人から取り立てていた、つまりある意味では、ユダヤ人にとっては少し汚点のある職業をしていました。その税吏所に、ローマの下で働いていたその所に、イエズス様がやって来る。

イエズス様はその前からも色々な奇跡をして、御自分がメシアである、という事を示していました。マテオもその話を聞いていたに違いありません。その自分の所にやって来て、イエズス様はこう仰るのです、「私に従え。」“Sequere me.”

するとマテオはその場をすぐ立って、呼ばれたら立って、自分の仕事をそのまま置いて、そこにずっと座っていれば、お金も儲かっていたでしょうし、豊かな簡単な生活もできたに違いありません。ローマの特権階級の公務員でした、エリートコースでした、大学も出ていました、お金の計算もよくできました。しかしこれを捨てて、イエズス様に従いました。

マテオは、イエズス様とそしてその弟子と一緒に食卓に着いた時に、ファリザイ人たちからイエズス様が非難されるのを聞きます。彼らはイエズス様を、「彼は、何だ。罪人と一緒に食事をしている。彼の友達は皆、野蛮な奴だ。」

イエズス様は、「私は義人ではなく、罪人を呼ぶ為に来た。罪人を義人にする為に、召し出す為に、呼び出す為に来た」とお話しになります。

マテオはその事を非常に感銘深く覚えていて、最初の福音をヘブライ語で書きます。イエズス様は、イエズス様が憐れみ深い御方である事。罪人の、罪の最も低いどん底にいたような自分をも、使徒として呼んで下さった、栄光ある使徒として呼んで下さった。そのまさに、卑しいと思われる仕事をしたその所にやって来て、呼んで下さった、「私に従え。」

その憐れみと、その御恵みに感動していました。そして「ぜひ、ユダヤ人たちにイエズス様を知ってもらいたい。真のメシアという事を知ってもらいたい」と、最初のイエズス様の福音を書きました。

マテオは、そのユダヤ人たちに宣教するだけでは物足りず、満足せず、エチオピアにも行きました。伝えられたところによると、エチオピアに行って奇跡をも行ないました。エチオピアの王の娘が死んだ時に、死んでしまったその若いお姫様を、マテオはよみがえらせます。そしてエチオピアの王の友達になり、そしてエチオピアで宣教をします。

ところが、そのよみがえらせたお姫様のお父さんの王が亡くなった時に、ヒルタクス(Hirtacus)が、王の位に着きます。そしてその女王として、あるキリスト教の信者を、しかも王族の高貴な娘と結婚したい、とします。ところがこの娘も高貴な、イフィジェニア(phigenia)という名前でしたが、彼女はカトリックであったのみならず、聖マテオの指導に従って、童貞としてイエズス様に身を捧げていました。そこでイフィジニアは王となったヒルタックスに、「私はイエズス様に身を捧げているので、あなたと結婚はできない」と答えました。そしてその「マテオ様も、私の事を支持して下さっている」と言うと、ヒルタクスはこの女性をお姫様にもらいたくて、非常にその自分の熱情に燃えていたので、邪魔者であったマテオを殺害してしまいました。そして聖マテオは、信仰への憎しみに燃えた王によって、殉教を遂げます。

最初聖マテオの体は、エチオピアからサレルモという所に運ばれて、壮大に埋葬されました。


⑵聖マテオの人生は、私たちに何を教えてくれるのでしょうか?

「イエズス様は、私たちを憐れんで下さって、私たちがどのような罪人であったとしても、どのような惨めな者であったとしても、私たちを呼んで下さる」という事です。

しかしイエズス様がこのように私たちを呼んで下さった時には、聖マテオのように、すぐにその罪の、あるいはイエズス様と反対するようなものを全て捨てて、イエズス様に従わなければなりません。

また「イエズス様のその憐れみの深さ」というものを私たちは是非、マテオのように、近い者たちにできれば伝えたいと思います。

⑶聖マテオは、肉体において王のお姫様をよみがえらせた奇跡を行ないました。霊的なよみがえりはもっと簡単にできるはずです。聖マテオの御取り次ぎによって、ぜひ私たちの知り合いが、あるいは罪に死んでいる多くの霊魂たちがよみがえりますように、信仰に立ち返りますように、霊的に生き返りますように、お祈り致しましょう。

最後に、聖マテオは、天主様に捧げられた霊魂の為に命を捨てました。ある、天主に童貞を捧げようとしたお姫様の為に、命を捧げました。おそらく聖マテオは、多くの修道女の、あるいは修道者の、天主に捧げられた霊魂を守る、特別な取り次ぎをして下さるに違いありません。マテオも本当に、もうユダヤ人から見れば、どうでも良いというような身分だったかもしれませんが、使徒として呼ばれました。ですから、「天主から呼ばれる」という事がどれほど素晴らしい事か、という事をよく理解していました。

聖マテオがぜひ、私たちの為に取り次ぎをして、多くの日本の霊魂たちを召し出しの為に取り次いで下さいますように、日本から多くの、あるいは世界から多くの霊魂たちが、イエズス様に捧げられるように、そしてその声をよく聞くように、マテオのように、すぐに「はい」と答える事ができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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[SSPX JAPAN]聖ピオ十世会の日本での聖伝のミサの報告 【聖伝のミサ・トリエント・ミサ・ラテン語ミサ】

2018年11月09日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

11月2日の死せる信者の記念日には大阪でミサを3回立てました。クリスマスもミサを3回捧げることができますが、死者の記念日は煉獄の霊魂たちにとって天国に生まれることが出来るクリスマスのような喜びの日となりますように!同時に初金でしたので、聖時間も行いました。

11月3日には、遠いところから3人の子供たちも一生懸命にミサに与っているのをみて大変感動しました。子供たちは朝5時に起きて6時半に家を出たそうです!

11月4日の主日に、東京では60人がミサに参加しました。そのうち子供たちは13名でした!午後の公教要理には22名が参加しました。

11月6日(火曜日)には特別に大阪でもミサが行われました。全ての死せる信者の霊魂のために死者ミサを歌ミサで執行しました。
翌日の、聖ヨゼフ様の初水曜日にも大阪で早朝ミサがありました。聖ヨゼフの随意ミサをすることが出来たのですが、死者の月なので死者ミサを捧げました。
死に臨める者の擁護者であられる聖ヨゼフが、今世を去りつつある霊魂のために、そして私たちが、良き臨終を迎えることができるように、御取り次ぎをお願い致しましょう。

次回のミサは、イレギュラーになっております。

大阪では
11月11日(主)聖霊降臨後第25主日(2級)緑(御公現後第5主日)
         午後5時半 ロザリオ及び告解 
         午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)
【翌日の月曜日のミサはありません】

11月23日(金)殉教者教皇聖クレメンテ1世(3級祝日)赤
         午前10時 ロザリオ及び告解
         午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

11月24日(土)教会博士証聖者十字架の聖ヨハネ(3級祝日)白
         午前10時 ロザリオ及び告解
         午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

東京では
11月25日(主)聖霊降臨後第27主日(2級)緑(聖霊降臨後第24主日) 
         午前10時  ロザリオ及び告解
         午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)
【翌日の月曜日のミサはありません:ご注意ください!】


【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 30人(内、子供7人)
女: 30人(内、子供6人)
計: 60人(内、子供13人)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

聖霊降臨後第第24主日のミサをありがとうございました。
この日は、今年にまだ読まれていなかったご公現後第4の主日の書簡や聖福音が、司祭によって読み上げられました。

お説教で、「荒れ狂う海に漂うかのような教会という船に乗っているのは私たち自身で、そばにいるはずのイエズス様は眠っておられるかのように何をしているかわからないかのように思える、でも必ずこの教会という船は、船に乗っている私たちを凪という天国へ連れて行ってくださるのです」とお話してくださいました。

少し前に多くの諸聖人が天国で平和を祝っているのを黙想したばかりだけれど、それはイエズス様が最後には本当の平和を与えてくださるということで、それは人生の目的はこの地上の喜びや安逸にはないこと、この人生はほんの短い時間に過ぎなくその間に到達しなければならない地点があること、永遠の幸せは生まれてきたその目的に到達することである、とお話くださいました。

やはりカトリック教会は真実の行き先にたどりつくための唯一のところだと確認することができてうれしく思いました。

前回は正義についてお話くださいましたが、カトリック教会で正義という言葉も平和という言葉も小野田神父様の教えて下さるような意味で使われなくなり、教会なのにこの世の正義この世の平和しか「協議」されないとしたら、さびしく悲しいですから。

お説教では、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録されたのは信仰の遺産が守り抜かれ、そこにキリストへの愛という精神性の高さがみられるということだったということにも、触れてくださいました。

神父様は、いま聖伝のミサが禁止されているかのように見えているとしても、実はイエズス様が一緒にいてくださり最後にはきっと聖伝のミサは勝利する、御聖体への信心・マリア様への信心は、正しかったと言われる日がかならずきます、とも言ってくださいました。

この長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の世界遺産認定を機に、精神性の高さと評された信仰の遺産というべき御聖体への崇拝とマリア信心という二つの宝を、日本のカトリック教会全体でも復興していってくださいますようにと祈りました。

そのマリア様への信心のことですが、いろいろな人と話す機会があるなかで考えさせられています。まだあまり知られていなくて今は聖ピオ十世会の司祭によってだけ推奨され実践されているようの思えるのですが、私は共償者としてのマリア様のことがきっといつかすべてのカトリック信者によって知られるときがくるに違いないと思います。マリア様は共償者として、いまのミサをどれほど悲しく心痛めておいででしょうか。

イエズス様である御聖体が冒涜されていること・ないがしろにされていることには、ノブスオルドのミサに与る方々は本当には気づくことができないのだと思います。ミサそのものをそのようなものに変えてしまっているためです。

ましてや人類の罪の贖いのために御一緒にご受難を受けられたマリア様によるファチマや秋田で警告されたその内容に、きちんと耳を貸す方は少ないからです。もし本当に理解したら、聖伝のミサに立ちもどらなければならないということがわかるでしょうから。もし本当にマリア様のメッセージを理解するなら、教会の危機に対して何をすればよいのかをしっかりと考えて行動したいと望み、その力をくださるようマリア様に祈り求めることでしょうから。

けれど、ファチマや秋田以外から出される最近のメッセージも同じマリア様からのものと思う方々は、華々しさや安易な内容(99%の真実の中に1%の嘘を混ぜ込むとか)とか自分の望みを満たすことに引きよせられてしまい、実際のマリア様のメッセージから離れてしまい、目を眩まされてしまい、本当の敵を見きわめることができなくなってしまい、教会の危機に対して闘えなくされてしまっているかのようです。

いつも小野田神父様には聖母の汚れなき御心のことを深く教えていただいていますが、特に先日の聖ピオ十世会の新しい総長様のインタヴュー記事や小野田神父様の聖母の汚れなき御心のミサ説教(特に2018/9/1など)を拝読して本当のマリア信心とは何かということを、深く考えさせられてしまいました。

今はただ、カトリック教会は第二バチカン公会議に象徴される近代化現代化という荒波に揉まれて敵からの攻撃を受けているというような状態だと思います。でもイエズス様は一緒にこのカトリック教会という船に乗っていてくださっていますし、いつも私たち一人一人のすぐそばにいらしてくださることを信じます。

起きあがって波を鎮めて敵の攻撃から守ってください!私たちの乗るこの船を御守ください!至聖なるイエズスの聖心我らを憐れみ給え!聖母の汚れなき御心我らのために祈り給え!

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

公教要理の講話をありがとうございました。
公教要理では、22人が参加されていましたが、子どもたちが多く、今度から子供のためのカテキズム講座も計画されたようでびっくりしました。

講話では、フルトン・シーン司教様の第二次世界大戦はどうして起こってしまったのかということについての分析を紹介してくださいました。簡単にまとめてみました。
(最初にイエズス様はどうやってこの世を統治するかということについてのお話から始まりました。)
●イエズス様の王権の基礎は二つある。
●それは、1、天主であり創造主であること。2、贖い主であることの二つだ。
●しかしその王権は、精神的なもので超自然で国家を超えるもの。
●教皇様にこの地上での代理者として、ご自分の統治権を委ねた。
●イエズス様の統治は、精神的・霊的なものである。
●カトリック教会は、天主の国へと人間を運ぶという超自然の団体である。
●その頭が教皇様で、超自然の世界へ導くことが役割である。
●教皇が司祭を直接統治して、人間を徳のある人に導いていた。
●教皇が王様を間接に統治して、良い法律ができるよう、国家に影響を及ぼしていた。
●そのようにして、かつてキリスト教世界では愛の文明を築いていた時代があった。
●しかしルネッサンスの時代から異教のことに関心を持つようになり信心深い生活がなおざりになってしまった。信心の否定。
●ルター(1514年)の時代から教会(教会・善業・ミサ)が否定されてしまった。
●フランス革命(1789年)ではキリストが否定されてしまった。(キリストの代理者の王をギロチンで処刑した。フリーメーソンとプロテスタントが背後にある。)
●1914年の革命によって、天主が否定されてしまった。
●現代では現実が否定されてしまうようになった。
●反キリストの流れで、人類はますます苦しんでいる。
●問題を解決しようとして、人類は別の方向に解決を求めようとしている。

以上を踏まえて、その後で、フルトン・シーン司教の分析をもとしたお話をもっと詳細にお話しくださる予定でしたが、途中で時間が足りなくなり最後までお話しいただくことができませんでした。、

今回のお話の中で、“カトリック教会は天主の国へと人間を運ぶ超自然的団体である”ということがとても心に響きました。一般の人には、この世のことこの世の国しか見えていません。天主の国というものが存在するということなど、少しも知らないで生活するばかりでしょう。それでも、生きている意味をさがす人や苦しみや悲しみ打ちのめされてしまった人は、この世だけがあるのではないということに気づかされると思います。その時に宗教の領域へ導かれるかもしれませんが、カトリック教会が“天主の国”のことを言わなくなるなら、たどりつかなければならない唯一の国へ還れないことになってしまうとおもいました。

もう一つは、ルネッサンス以降に、信心→教会→キリスト→天主と次々と否定してきたものが、今の社会ではとうとう“現実”を否定するようになったというお話にすごく考えさせられました。バーチャルな世界という言葉を聞くことがありますが、バーチャルという言葉は、もとの言葉には二重の意味があるようです。惑わされないようにしなければと思います。これは先日のLGBTのお話にも繋がっているようで、教会が“現実”を決して否定しませんようにと祈るばかりです。
続きが楽しみです。神父様、いつも貴重なお話をありがとうございます。

聖マリアの汚れなき御心のうちに

【報告】
個人的な話になりますが、前、「隠されている宝 ミサ聖祭」という本を読む機会が与えられて、
そこには、聖トマス・アクイナス様が、私たちは皆天主に対して義務を負っており、それは特に四つあって、その一つ一つが無限である、と言っておられ、
「第一は、無限の誉れ・無限の讃美にふさわしい、天主の限りない御稜威に讃美と誉れを帰すること。」
「第二は、その限りない御稜威に対して犯された、数々の罪を償うこと。」
「第三は、私たちが頂いた数々の恵みについて天主に感謝すること。」
「第四は、あらゆる恵みの与え主として天主に祈り求めること。」
このような義務を、惨めな被造物である私たちがどのように果たす事ができるかというと、その極めて甘美で易しい方法が、多くのミサに与ること、できるだけ敬虔にあずかること、そして他のところでも私たちに可能な限りしばしば捧げられるようにすることであって、そうする事によって、私たちの負債がいかに大きく、文字通り数え切れないとしても、この宝をもって、そのすべてを完全に支払えるのだと確信できる。

という事が書いてあって、そしてその後に、一つ一つの義務に対して、どのように聖なるミサ聖祭の豊かな宝庫のうちに、支払いのために持っている汲み尽くせないほどの手段があるかという事が詳しく書かれてあり、非常に大きな慰めを受けました。そしてミサは無限の宝だ、という事が深く心に刻まれるようになりました。

自分の負債の大きさに途方に暮れている私に、憐れみの御母であるマリア様は、至聖なるイエズス様の聖心とマリア様の汚れなき御心の無限の功徳に寄りすがるように招いて下さいました。

この世の終わりの裁きの日に、そして私たちの人生の終わりに、「天主に捧げるものを、捧げたか、否か」と、この正義について私たちが裁かれる時、
弁護者であるマリア様と共に、安心してイエズス様の御前に立つことができるように、ますます多くの方が、マリア様の汚れなき御心の信心に、そして聖伝のカトリックのミサ聖祭へと導かれる事ができますように!
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