Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え! 聖ヨゼフの特別聖年(2020年12月8日〜2021年12月8日)

【参考情報】ヴィガノ・テープ質問8と9:ヴィガノ大司教「私たちを憂慮させているのは、大衆が自ら専制体制下に置かれるのを許していることです。」

2021年10月21日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ・テープ:「子どもを守れ」
質問8

The Vigano Tapes: “Protect the Children”
Question #8

【質問8】つまり、大司教様が本当におっしゃりたいのは、混沌には二つのタイプがあり得るということですね。一つは合法的でない命令に対する卑屈な服従というタイプで、もう一つは合法的な命令に対する反逆的な不従順というタイプです。この二つをどのようにして区別するのでしょうか? そして、この二つを区別するとき、濫用に抵抗するために私たちにできることは何でしょうか? 具体的にどのようにして、これらの濫用に抵抗することができるでしょうか?

【回答】世俗の領域では、現在のパンデミックのナラティブ(物語)や、すぐにパンデミックに代わるかもしれない「気候変動の緊急事態」への協力を、拒否する必要があります。違法な規制や、市民を具体的な健康リスクにさらすような規制を無視することは、道徳的に合法であり、状況によっては義務でさえあります。報復の恐れに直面していても、自分や自分の子どもの命や健康を危険にさらすことは決してできません。なぜなら、その場合、私たちが参加することは、私たちが天主の御前で有罪となり、天主の罰を受けるに値するからです。実験的な遺伝子血清の投与は、絶対に認められません。その血清の製造の過程で子どもたちが妊娠三カ月で殺されています。その子どもたちの血は、それを製造する人々、それを押し付ける人々、そしてそれを受ける人々に降りかかるでしょう。

犠牲者の数がワクチンとされるものの犠牲者よりも少ない疑似パンデミックが、天賦の自由や市民の権利に規制や制限を加えるためのアリバイとなることは、いかなる場合でも容認されるべきではありません。そして、権力の奴隷であり、この陰謀の共犯者であるメディアが、反対意見をすべて検閲するならば、ジョージ・オーウェルが描いたディストピア社会が、単一の方向性のもと、正確な台本に沿って実現されていることを確信させるはずです。私は昨年の「訴え」でそのことを非難しましたが、今日それを読み返しても、私が不当に警鐘を鳴らしたと告発できる人はいないでしょう。

忘れてはならないのは、2010年以降、ロックフェラー財団がこの数年間の四つのシナリオを予測し、そのうちの一つがパンデミックの「ロックステップ」(lockstep)【足並みをそろえる】だったことです。これらすべてのシナリオについてロードマップが研究されていますが、パンデミックに関係するロードマップが本質的に予測通りの結果となっているのは憂慮すべきことです(「テクノロジーと国際開発の未来のためのシナリオ」[Scenarios for the Future of Technology and International Development]はこちら)。

ここ数日、世界各地で発生した何千もの火災は、主流メディアに気候変動の緊急事態について叫ぶ口実を与えています。その緊急事態の名の下に、彼らはすでに、新たな都市封鎖や、新たな形の自由・権利の制限に備えなければならないだろうと私たちに警告しています。しかしその後、世界的なサイバー攻撃や経済危機など、すでに研究され、綿密に計画され、その最初の兆候を私たちが観察できるものもあります。これらの戦略はすべて、個人への攻撃を目的としています。つまり、個人の情動性や日々のリズム、仕事において、孤立させられ、攻撃されるのであり、また、均一かつ匿名の方法で大衆を攻撃するのです。

反対する人々、つまり、モルモットにされることを受け入れず、世界の人口が慢性病患者の集団に変えられて一割が減少するのを見ることを受け入ない人々は、前世紀の他の独裁政権の時代と同じように、いや、それ以上に不従順が必要であることを理解しなければなりません。第二次世界大戦後のレトリックを反ナチズムに基づいて構築してきたのに、強制収容所を可能にしたのと同じ差別が、より冷酷な形でいま再び発生していることを誰も認識していないのは憂慮すべきことです。20世紀の全体主義体制は、イスラエル国家をはじめとする今日起きている事態の準備実験ではなかったのだろうかと疑問に思われるでしょう。

そして、私たちを憂慮させているのは、大衆が自ら専制体制下に置かれるのを許していることです。しかも、現代はまさに、革命が近代性の重要なテーマの一つであるにもかかわらず、さらには、この革命の原理が、第二バチカン公会議によって、まさに聖なる領域に入り込んだ時代であるにもかかわらず、です。しかし、純粋なカトリックの見方からすれば、混沌(カオス)は、良き権威への反抗と、悪しき権威への卑屈な従順の両方で、いま私たちの目の前にある転覆において、自ら姿を現しているのです。これは、その時代錯誤的な傲慢さを見せて、私たちを信じられない気持ちにさせます。

 

ヴィガノ・テープ:「私たちは決して受け入れない」
質問9

The Vigano Tapes: “In no way can we accept”
Question #9


【質問9】大司教様、大司教様はもう一度、人々がモルモットとして使われていること、健康対策のために人間が慢性的な病気になっていることについて、非常に劇的な言葉で語っておられます。また、大司教様が一種の新しい全体主義と呼んでおられるものに抵抗することを私たちに求めておられます。しかし、本当の事実を理解することができず、自分たちの立場が本当のところはどうなのかを実際に知ることができない状態で、私たちが直面している脅威について、本当に統一された結論を出すことができるでしょうか? 大司教様は何を提案なさいますか? 大司教様、例を挙げていただけますか?

【回答】私は、私たちが直面している欺瞞を指し示して人々の目を開かせることが重要だと考えています。それは、誤った前提に基づく欺瞞であって、あらかじめ巧みに作られ、ドグマ的(教条的)に押し付けられたものです。それは、すでに計画され・実行された誤った解決策を正当化するためのものでした。

パンデミックは、通常の状況であれば大衆に軽蔑をもって拒否されるような社会的統制を押し付けることを目的としていましたが、メディアによるテロリズムと、医師、政治家、裁判官、法執行機関の共犯のおかげで、多くの国々で、さらには教会施設そのものにも、導入ができるようになりました。サンタマルタ(ベルゴリオが住む住居)では、グリーンパスがなければカフェテリアで食事をすることができず、多くのカトリック学校や大学では、すべての職員と学生にワクチンの接種が義務付けられています。まもなく、私たちは、旅行や官公庁への入館、投票、教会へ行くために、ワクチンパスポートの提示を求められるようになるでしょう。

私はこの点を明確にしたいと思います。問題の次元を理解することがなければ、問題の作者を認識してその目的を見極めることがなければ、私たちは決してその問題から抜け出すことはできません。なぜなら、主は私たちを助けに来られるために、私たちが、自分を苦しめている悪を認識し、その原因を理解し、その後、主に赦しを願って償うことを望んでおられるからです。

ですから、この地上が地獄のようになってしまった原因は、天主を捨ててしまったことであり、この世的・霊的な主権において天主を否定してしまったことであり、王冠を奪って敵【悪魔】に与えてしまったことです。現在の社会が、キリストの十字架を踏みにじることができるという錯覚の中で、自らをサタンの奴隷にしてしまったことを理解したとき、初めて私たちは天主の御あわれみを請い求め、天主のご介入を懇願することができるのです。

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ヴィガノ・テープ 質問6と7:「権威の限界」「混沌が姿を現わす」:ヴィガノ大司教「誰も、本質的に邪悪な命令への従順を押し付けることはできません。」

2021年10月20日 | カトリック・ニュースなど

【参考資料】ヴィガノ・テープ:権威の限界
質問6

The Vigano Tapes: The Limits of Authority
Question #6


【質問6】大司教様は、教会でも世界でも、私たちは行き詰まりを感じているとおっしゃいました。大司教様は、ディープ・チャーチとディープ・ステートとの間にある一種の同盟について述べておられますが、これは聖伝のキリスト教の教えや、民主的な西洋の自由な人々の自由に対する伝統的な願望に沿ったものではないと感じています。しかし、もし大司教様がこの行き詰まりや袋小路を説かれるのであれば、人々に何を示唆なさっているのでしょうか? ある種の不従順、ある種の反抗をするよう示唆なさっているのでしょうか? 大司教様のお言葉は、不従順を誘っているように聞こえるかもしれないとは思われませんか?

【回答】カトリック信者は、自然に秩序を重んじ、権威や位階階級を尊重します。なぜなら、この秩序と権威は天主の知恵から生まれたものであり、教会だけでなく公務を統治するのに必要なものだからです。

しかし、人間の権威が天主に由来するものであるからこそ、カトリック信者は、一般市民と同様に、その権威が制定されている理由そのものに反する目標を設定する人々による権威の簒奪を受け入れることはできません。主は、使徒のかしらの後継者を教会のトップに置き、その人を主の代理者として指定なさいました。それは、主がその人にお委ねになった羊を散らすためではなく、牧するためです。そうでないならば、主は聖ペトロではなくユダをお選びになったことでしょう。同様に、この世の統治者の権威は、自らの正当性を良き統治に見いだすものであり、市民を奴隷にして悪事を強要ししてはならないし、「誠実な生き方」という直近の目的と「永遠の救い」という最終的な目的とを追求するのを妨げてもなりません。もし権威がその義務を果たさず、さらにはその義務を裏切って目的を転覆させるならば、その権威にはもはや臣民の従順を要求する資格はありません。

従順とは、正義と結びついた聖徳であって、権力に無批判に服従することではありません。なぜなら、そうしてしまえば、従順は悪を行う者への隷属および共謀に堕するからです。誰も、本質的に邪悪な命令への従順を押し付けることはできません。悪をほしいままにするために権威を濫用する者に権威を認めることもできません。このように、不法な命令に抵抗する人々は、明らかにその命令を下した人に従わず、天主に従います。何故なら、天主の権力が、代理の権威によって、その目的に反して、つまり、天主ご自身に反して行使されているからです。


ヴィガノ・テープ:「混沌が姿を現わす」
質問7

The Vigano Tapes: “Chaos Manifests Itself”
Question #7


【質問7】大司教様、大司教様は、正当な権威と正当でない権威の区別、すなわち、従うべき正当な命令と、従うべきではなく抵抗すべき正当でない命令の区別についてお話しになりました。しかし、どのようにして区別することができるのでしょうか? 聖パウロがローマ人への手紙の中で、キリスト信者が制定された権威に従う必要があることについて非常に明確に語っているのは、その通りではないでしょうか。大司教様はどのように言われますか? 聖パウロの勧告(ローマ13章)に従って、やはり権威を擁護し、尊重すべきではないでしょうか?

【回答】聖パウロはローマ市民でしたから、後に西洋諸国の法の基礎となり教会にも採用された法によって規制された権力というもののの例が目の前にありました。今日、私たちを統治している権威は、何千年にもわたるギリシャ・ローマおよびキリスト教の文明を取り消し、私たちをアッシリア人の野蛮状態に、つまり権威自身でさえ遵守することが義務付けられている法律および絶対的原則さえもがない状態に、引き戻しているのです。権力を持つ人々は、自らを国民の代表として提示していますが、実際には国民に反対して行動しており、上からも(統治する人々の権力が天主に由来するという起源を取り消しているため)、下からも(自分に有利になるように投票を操作できると確信しない限り、市民に自分の代表者を選ばせないため)、何の制約もなく、制限もないのです。

私はこの法の野蛮化を強調したいと思います。私の意見では、この野蛮化こそが、権威の危機の原因、その倒錯と図々しい傲慢さの原因です。これらの専制君主はたち、武装した警備員に守られた宮殿に閉じこもり、センナケリブ【アッシリア帝国の王】のように振る舞い、財政的、政治的、メディア的手段を利用できることで保証された全能感の錯覚の中で、自分の権威を神格化しているのです。

そして、私たちを憂慮させているのは、大衆が自ら暴政に支配されるのを許していることです。まさに現代、革命を近代の主要なテーマの一つとし、革命の原理を第二バチカン公会議で聖域に導入した時代に、暴政を許していることです。しかし、純粋なカトリックの視点では、混沌は、良き権威への反抗と悪しき権威への卑屈な従順の両方で姿を現します。この転覆状態は、まさに私たちの目の前にあって、時代錯誤の傲慢さで私たちを信じられない気持ちにさせているのです。

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ヴィガノ・テープ質問4と5「2007年にベネディクト十六世が教会に復活させた聖伝の典礼を廃止するという決定は他と関係のない出来事ではなく、より広い視野に立って考えなければなりません。」

2021年10月19日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教(ビガノ大司教)は、カトリック教会の大司教でバチカンの高位聖職者で、在アメリカ合衆国の教皇大使も務めました。聖ピオ十世会の大司教ではありません。ヴィガノ大司教は、インサイド・ザ・バチカン誌の編集長(これは聖ピオ十世会の雑誌ではありません)のインタビューに答えています。ヴィガノ大司教の言葉は厳しいものです。フランシスコ教皇が私たちに求めているパレーシア(はっきり言う)を実践していると理解しています。愛する兄弟姉妹の皆様に参考情報を提供するというためだけにご紹介いたします。

ヴィガノ・テープ:教令「トラディティオーニス・クストーデス」
質問4

The Vigano Tapes : The Decree Traditionis Custodes
Question #4

【質問4】最近の教皇の教令「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes、聖伝の守護者)は、世界レベルで起きていることとどのように関連しているとお考えですか? 言い換えれば、教皇フランシスコは7月16日に、千年以上の歴史を持つ教会の古い典礼を取り消すという、驚くべき予想外の教令を発表して、こう言っています。「私たちはこれから、唯一の典礼、1960年代に書かれ、導入された典礼を持つべきです」と。多くのカトリック信者は、古い典礼との深いつながりを持っているため、心を痛めました。大司教様は、教皇フランシスコのこの決定と、グレート・リセットにおける、この新世界秩序に教会が味方する準備をしていることとの間には関連性があると考えておられます。教会の祈りがグレート・リセットとどのように関係しているのか、説明していただけますか? 大司教様のご意見では、最近の自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」は、世界レベルで起こっていることの文脈にどのように適合しますか?

【回答】2007年にベネディクト十六世が教会に復活させた聖伝の典礼を廃止するという決定は、他と関係のない出来事ではなく、より広い視野に立って考えなければなりません。ベルゴリオは二つの戦線で行動しています。一つはイデオロギー的な戦線であり、新しい公会議の道の失敗に関する反対意見の表明を防ぎたいというものです。もう一つは霊的な戦線であり、ミサの聖なる犠牲という客観的な善が広まるのを防ぐことを目的とするものですが、その理由は、このミサが新世界秩序(Novus Ordo Sæculorum)、つまり反キリストの支配の確立に対する恐るべき障害物だとみなす人々を支持するためです。

ベルゴリオが自分の決断がもたらす結果を明確に理解していない、とは思えませんし、教会から使徒継承のミサを奪うことが、キリストの敵と悪魔自身への援助であることを理解していない、とも思えません。それはあたかも、戦闘の真っ最中の師団長が兵士にパチンコで戦車と戦えと命令するようなもので、敵に勝利することのできるであろう最も効果的な武器を捨てることなってしまうでしょう。

私は、聖伝のミサという問題が、単に典礼に関する意見の相違ではないことを、信者や多くの司祭、一部の司教が理解し始めていると確信しています。そういうわけで、彼らが疑問に思っていることは、ベルゴリオが千年以上前の神聖な典礼に対してこれほど激しい怒りを示すことは、それを自分が支持するグローバリストの計画の実現への脅威とみなしていない限り、あり得ないのではないか、ということです。天主の恩寵により、教会の運命はこのアルゼンチン人の手中にはありません。すでに彼の遺骸の上を、バチカンのハゲタカは飛び回っています。

ヴィガノ・テープ:「袋小路に陥る」
質問5

The Vigano Tapes: “Trapped in an Impasse”
Question #5

【質問5】ヴィガノ大司教様、大司教様は、典礼を変更し、古い典礼を廃止するという決定が、この全面的な危機と新世界秩序に関係があるとおっしゃっています。教会の外にいる人々によって組織された計画に、教会がますます適応しているように見える状況に対して、教会の中の人々はどのような反応をすべきでしょうか? 市民や信者の反応はどうあるべきでしょうか?

【回答】私たちは、袋小路、行き止まりに陥っており、それが何なのかを認識しない限り、それから抜け出すことはできません。もし私たちが、現在の危機が、あたかも相対的に正常な状態にあるかのように、世俗的あるいは宗教的な権威に訴えることで解決できると考えるならば、この危機の責任が、まさに権威を持つ人々が実行した裏切りにあることを、私たちは理解しないでいるということになります。

私たちの権利を侵害した人々を断罪すべき裁判官が彼らの共犯者であるならば、私たちは自分が苦しめられた不正行為に対する正義を求めることはできません。政治家らが、自分にお金を出したり、自分を脅迫したりする人々に従っているせいで、議会でこれらの侵害に有利に投票しているならば、私たちは、政治家に頼んで、私たちの基本的な自由の侵害を取り除いてくれることを期待することはできません。また、司教たちやバチカンが、私たちの要請を自分たちの持つ権力や擁護する破綻したイデオロギーに対する脅威と考えているのであれば、私たちは司教たちや、ましてや聖座に、信者の権利を守るように求めることはできません。

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ヴィガノ・テープ:インサイド・ザ・バチカンの編集長ロバート・モイニハンによるヴィガノ大司教への質問その1:現在のパンデミックと、教皇フランシスコの指導の下にあるカトリック教会の現在の混乱と危機について

2021年10月15日 | カトリック・ニュースなど

The Vigano Tapes : Introduction and Question #1
【参考情報】ヴィガノ・テープ 紹介と質問1

紹介

私はロバート・モイニハンです。米国人ジャーナリストです。30年以上にわたってバチカンを取材してきました。ヨハネ・パウロ二世の教皇在位期間、彼のソ連との戦いや文化をめぐる戦い、教皇ベネディクトの選出とその教皇在位期間、その後は教皇フランシスコの選出とこの8年間です。私は教会内にさまざまな接点や友人を持っていますが、その中にカルロ・マリア・ヴィガノ大司教がおられます。大司教と知り合ったのは何年も前のことです。しかし、この3年間で、この大司教、現在80歳のイタリア人大司教は、おそらくローマ・カトリック教会の中で最も議論を呼ぶ人物になっていることでしょう。そのため、私は、教会の高官であった大司教が、教会内の腐敗だけでなく、教理上の混乱や教皇フランシスコの教皇在位期間全体、さらにはここ数カ月の世俗世界の展開やウイルス、ワクチン、単一の世界的な共同体のための世界的な計画をも批判するようになった理由を理解する必要があると考えています。大司教は、ご自分の従来の専門分野を超えて進み、今日の世界で最も説得力があり、最も論議を呼び、最も関心を引く声の持ち主の一人となっています。ウイルスが発生してから一年半が経過し、何十年にもわたって近代主義化が進んだ結果、カトリック教会だけでなく、プロテスタント教会やユダヤ教、イスラム教も変わってしまった2021年のいま、私たちがどのような状況にあるのかを理解するためです。私たちは、議論を呼び、非常に関心を引くイタリア人のカルロ・マリア・ヴィガノ大司教に幅広い範囲のインタビューを行いました。

【質問1】ヴィガノ大司教様、またお目にかかれてとてもうれしいですし、私たちの質問に快くお答えいただきとても喜んでおります。今回の重要な質問は、二つの部分に分けられます。一つは世界について、もう一つは教会についてです。私たちは、地球規模のパンデミックと、新世界秩序に向けた地球規模の動きを目にしているところですが、同時に、この新世界秩序にどのように対応するか、聖伝を捨てるか、あるいは聖伝をしっかり守るのかについて、混乱し、分裂し、懸念を抱えている教会も見ているところです。現在のパンデミックとローマ・カトリック教会の現在の危機、この二つの問題についてコメントや洞察がおありだと思います。では、現在のパンデミックと、教皇フランシスコの指導の下にあるカトリック教会の現在の混乱と危機について、どう思われますか? 大司教様、パンデミックと教皇フランシスコの統治下にある教会の危機は、多くの信者にとって大きな不安の原因となっています。現在の状況をどのように評価なさっていますか?

【回答】いま、私にとって明らかなのは、私たちが社会的にも宗教的にも包囲されているということです。いわゆる緊急のパンデミックが偽りの口実として利用され、世界の多くの国々でワクチン接種とグリーンパスが一斉に、そして協調して押し付けられています。同時に、別の面では、教会当局は、公務を司る人々による権力の乱用を少しも非難しないばかりか、この邪悪な行為において彼らを支援しています。ましてや、中絶された胎児の遺伝子が使われているということは、カトリック信者にとっては、ワクチンを拒否する十分な理由になります。

私たちは戦時下にいます。公然と宣戦布告されたものではなく、通常兵器で戦われているものでもありませんが、侵略する者と侵略される者、処刑人と犠牲者、不正な裁判と囚人が存在する戦争です。市民や信者の権利を侵害するために、表向きは合法的な形で暴力が行使される戦争です。これは、聖書で語られている終末の時代と大いなる背教の前触れとなる歴史的な戦争です。

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ヴィガノ大司教(ビガノ大司教)「恐れるな。キリストへ扉を開きなさい。イエズス・キリストは歴史の王にして主であり、私たち一人一人の、すべての国の、聖なる教会の運命はその手中にある。」

2021年10月11日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教、反ワクチンパスポートのデモ参加者に語る。「パンデミックはグレート・リセットをもたらすために利用されている」

Viganò to anti-vax passport protesters: ‘The pandemic is being used to bring about the Great Reset’

「私たちが目にしている出来事は、体の健康だけでなく、何よりも霊魂の救いを憎む勢力による非人間的なプロジェクトに一致している」。

【イタリア・トリノ、LifeSiteNews】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は日曜日、トリノの広場に集まった反ワクチンパスポートのデモ参加者を前に、事前に収録されたビデオメッセージで、「グレート・リセット」をもたらすために権力者たちがパンデミックを利用していることを非難しました。

ヴィガノ大司教の10分間のビデオメッセージは、トリノのカステッロ広場に設置された巨大スクリーンに映し出されました。この広場には、反ワクチンパスポート派が集まっており、日曜日には「No Paura day」(「恐怖のない日」)が行われました。前駐米教皇大使は、イタリアにおける「グリーンパス」の導入と、これまで何度も警告してきた「グレート・リセット」の確立との関連性を示しました。

ヴィガノ大司教はまず、カステッロ広場をはじめとするイタリアの多くの広場に集まった人々への支持を表明し、主流メディアの「嘘のナラティブ(物語)」に抵抗する彼らの決意を祝福しました。

そして、信者と聖職者の両方が関与した健康独裁体制の確立を非難し、聴衆に良きキリスト教徒としての生活を送るようにと呼びかけました。

「しかし何よりも、皆さんに請い願います。天主の恩寵の状態で生き、秘跡に頻繁にあずかり、聖徳を実践し、洗礼の約束に忠実でキリストの真の証人である良きキリスト信者に立ち返りましょう」。

メッセージの最後には、大司教が出席者に「天にまします」を一緒に唱えるように呼びかけました。

以下は、ヴィガノ大司教のメッセージの英語訳から日本語に翻訳したものです。

ヴィガノ大司教のメッセージ

親愛なる友人の皆さん、
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

私も皆さんの仲間に入れていただき、私が霊的に皆さんの近くにいることを、そして私の皆さんへの支持を表明します。この広場に、そしてイタリア中の多くの広場に、皆さんがおられることは、いまでも自分の知性を使うことをいとわず、自由を手放すつもりがない人々がいることの証明です。

皆さんは、主流メディアが広める欺瞞や嘘のナラティブ(物語)、ソーシャルメディア・プラットフォームやテレビによる検閲、実験的な遺伝子血清を皆さんに受けさせようとする巧妙なテロリズムに抵抗する決意を表すために、再び集まっておられます。これらの実験的な遺伝子血清は、毎日新たな重篤な副作用を引き起こし、中には死に至る場合もあり、パンデミックを抑える効果がないことが証明されています。

このパンデミックが、長年にわたって非常に綿密に計画されてきた「グレート・リセット」を実現するための手段として利用されていることは、誰もが理解していることだと私は思います。この健康独裁体制の確立に反対すると皆さんが思っていた政治勢力も含めて、すべての政治勢力が犯罪的陰謀家のエリートの共犯者となっていることには、不快感を覚えます。

統治者、裁判官、警察、医師、科学者、官僚、ジャーナリスト、さらには司教や司祭、そしてバチカンの指導者たち自身など、世界中のあらゆる場所で、単一の指導勢力のもと、全員が同じ脚本に従っているのです。

私たちは、彼らのイデオロギー的な狂気がどこまで続くのかを見てきました。それは、巨大な経済的利益と、反人間的な、反キリスト的でもある計画によって推し進められている、この大量実験プログラムに参加しないことを選択した人々を差別し、犯罪者にすることです。

しかし、この一年半の間に起こったことの不条理さと絶対的な重大さを皆さんが認識し、新型コロナウイルス感染症が市民の天賦の自由を制限し、私たち全員の活動を追跡・管理するオーウェル的な体制の確立に貢献してきたことを多くの方が理解しているのであれば、さらに踏み込んで、私たちが目にしている出来事は、体の健康だけでなく、何よりも霊魂の救いを憎む勢力による非人間的なプロジェクトに一致していることを認識する必要もあります。

皆さん一人一人、私たち一人一人は、天主によって創造され、私たちの主イエズス・キリストによって十字架の犠牲で贖われた不滅の霊魂を持っています。私たち一人一人のために、主は御血を流してくださいました。そして、まさに、現在教会を統治しているにもかかわらず敵の側についている人々によってさえも、深刻な脅威にさらされているとき、天主の恩寵の中で不滅の霊魂を守り、天主の掟に従い、勇気を持って信仰を証しすることが、私たちと皆さんの義務です。

私たちがこのような段階にまで陥ったとすれば、それは私たち自身の不忠実に大部分の原因があり、何が正しくて何が正しくないかを天主の代わりに他人に決めさせたこと、寛容の名の下に母親の胎内の子どもの殺害【妊娠中絶】、病人や高齢者の殺害【安楽死】、キリスト教道徳の退廃【同性愛など】、子どもや若者の堕落を許してしまったことにあると認識しなければなりません。

今日、私たちが目にしているのは、何十年にもわたる解体、何十年にもわたる主の法に対する反逆、何十年にもわたる天主の前での復讐を叫ぶ罪や悪徳という毒の入った実なのです。

天主の御摂理は、この世がイエズス・キリストの主権を放棄し、サタンの奴隷状態の下に置かれたときにどうなるかが示されることを許しています。私の言葉は、一部の人が言うような黙示録的な言葉ではなく、一人のカトリック教会の牧者からの厳しい警告であって、天主のもとに立ち返るように招きつつ、王たるキリストとマリアが統治しておられないところでは、それに代わって、悪魔の残酷で冷酷な専制政治が統治することを認識するように求めるものです。悪魔は、人間に普遍的な兄弟愛を約束しながら、私たちの破滅しか望んでいないのですから。

私は、ヨハネ・パウロ二世が1978年の教皇就任当初に発した言葉を自分の言葉としたいと思います。

「恐れることはありません。キリストへの扉を開いてください、本当に開いてください。その救いの力に対して」。

恐れることはありません。キリストへの扉を開いてください。本当に開いてください。イエズス・キリストは歴史の王にして主であり、私たち一人一人の、すべての国の、そして聖なる教会の運命はその手中にあります。私たちが人類の敵の猛攻に屈することを、主はお許しにはなりません。立ち返るのです。謙虚に父に赦しを請い、家に迎え入れられる放蕩息子のような信頼をもって、私たち全員が主のもとに立ち返りましょう。私たちの信仰と、宗教が二千年の歴史の中で築き上げてきた文明、そして私たちの愛する祖国イタリアがそれらのゆりかごであったことに誇りを持って、キリスト信者に立ち返りましょう。否定され、踏みにじられているのを私たちが今日目にしているこれらの譲れない価値観を、市民生活や政治生活において守ることに戻りましょう。しかし何よりも、皆さんに請い願います。天主の恩寵の状態で生き、秘跡に頻繁にあずかり、聖徳を実践し、洗礼の約束に忠実でキリストの真の証人である良きキリスト信者に立ち返りましょう。

そして、差し迫った暴政に反対することを公に勇気を持って表明するこの日が、超自然的な光を欠いた不毛なものにならないように、私は皆さんに、主が私たちに教えてくださった言葉を私と一緒に唱えていただきたいと思います。私たち全員に、私たちの家族に、私たちの祖国に、そして全世界に、主とその至聖なる御母のご保護を請い願いながら、熱意をもって、湧き起こる愛徳をもって祈りましょう。

天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

+ Carlo Maria Viganò, Archbishop
+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

イタリア語テキスト

OGPイメージ

Viganò al NO Paura Day: Non Abbiate Paura! Aprite le Porte a Cristo!

Marco Tosatti Cari amici e nemici di Stilum Curiae, riceviamo e volent...

STILUM CURIAE

 

 

 

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ヴィガノ大司教「カトリック信者は、司教たちの暴政によって迫害されている司祭たちに、自分たちの家を開放し、ミサのために利用できるようにしてください。司祭の霊的な支援から恵みを受けてください。」

2021年10月06日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教(ビガノ大司教)報道発表「米国の複数の教区における最近のワクチン接種義務の導入について」

PRESS RELEASE: ABOUT THE RECENT IMPOSITION OF THE MANDATORY VACCINATION IN SOME AMERICAN DIOCESES

2021年10月3日

米国の複数の教区、特にシカゴ大司教区では、教会当局が聖職者や信者の従業員に対して、ミサや典礼活動、司牧活動に参加する条件として、また役務をもった司祭であるという事実だけであっても、ワクチン接種を義務付けていることを、私たちはみな知るようになりました。また、イタリアや他の国々でも同様の専制的な措置が課せられています。

教区長の規定に従わない司祭たちは、司祭としての働きと生活の手段を奪われるでしょう。その結果、多くの教会が閉鎖され、実験的な遺伝子血清の接種を受けない人々の代わりとなり得る聖職者がいないために、「salus animarum」(霊魂の救い)に非常に深刻なダメージを与えることになるでしょう。知られている限りでは、米国市民として、またカトリック信者としての正当な権利として、冒涜的で正当化されない規定を明確に拒否することに反対する霊魂の牧者が少なからず存在するのです。その規定は、無効で、関係者を死のリスクを含む具体的で即時の危険で深刻な副作用にさらしてしまうにもかかわらずです。製造に人工妊娠中絶による胎児の細胞株が使用されている医薬品の接種を受け入れることの道徳的意味合いについては言及しません。

パンデミックという茶番劇へベルゴリオの位階階級が従属していることと、いわゆるワクチン接種の押し付けは、天主の役務者たちをパンデミックの導師(guru)に、司教たちを実験的血清のセールスマンに、教会の体全体を集団実験のいけにえに変えてしまったのです。これは、キリストの教会の神聖な使命、牧者の権能、司祭の任務に対する前例のない裏切りであり、啓示された宗教を、偶像崇拝に近い疑似科学的なカルトに置き換えるプロセスです。これらの濫用が、その腐敗と利益相反が今や世界的に知られ、糾弾されている世俗の権威からもたらされたものであるならば、教会の権威によるこの世界的犯罪への協力はさらに深刻なものです。

このような法律違反に直面したとき、グレート・リセットという悪魔的なグローバリストの計画に位階階級が意図的に加担していることを躊躇なく糾弾し、聖座によって批准されたこの抑圧に断固として勇気をもって抵抗することが必要です。

ダビューク(アイオワ州)で開催された「任務を解かれた司祭のための連合」を支持する先日のイベントで私が打ち出したアピールを私はもう一度強く訴えます。また、調整された取り組みで司祭たちを支援するよう信者の皆さんをお招きします。「国際的な財団」を設立して、信者の皆さんから寄付金を集め、ベルゴリオの現体制と共謀している教区や小教区から迂回させることが必要です。司教たちが銀行口座に影響を受けていることに気づけば、おそらく良き司祭たちを追放する仕事を控えめにするように誘導されるでしょう。「任務を解かれた司祭のための連合」やその他の類似したプロジェクトのような取り組みは、この迫害の時代に緊急に必要とされています。私たち一人一人が、それぞれの手段に応じて、具体的な貢献をすることができます。金銭的な貢献だけではなく、単に、献金を良き聖職者への嫌がらせに使う人ではなく、献金に値する人に割り当てるだけでもいいのです。

カトリック信者は、グローバリズムと同盟した司教たちの暴政によって迫害されている司祭たちに自分たちの家を開放し、ミサの聖なる犠牲のために利用できるようにしてください。このような家庭の祭壇の周りに集まることで、強固な共同体は、聖三位一体にふさわしい礼拝を続け、司祭の霊的な支援から恩恵を受けることができます。そして、一つの信仰と祈りを分かち合うことによって育まれる兄弟愛的な愛徳が、今日、傭い人や裏切り者によって見えにくくなっている聖なる教会の再生の始まりとなりますように。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
前駐米教皇大使
2021年10月3日
聖霊降臨後第十九主日

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ヴィガノ大司教「私は、迫害されている修道女たちに、私の絶え間ない祈りを保証し、彼女らが断固として抵抗し、迫害者の回心のために自分たちの苦しみを捧げるように招きます。」

2021年10月05日 | カトリック・ニュースなど

Archbishop Viganò Defends Traditional Convents

ヴィガノ大司教、聖伝の女子修道院を擁護する

2021年10月1日

【編集者注】真のカトリックのミサの最終的な消滅を宣言したフランシスコの自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)を受けて聖伝への攻撃が加速する中、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は聖伝の女子修道院や男子修道院を支持する力強い声明を発表しました。今週の「News Roundup」でお伝えしたように、ペンシルバニア州フェアフィールドにある聖伝のカルメル会女子修道院は、すでに彼らに迫害をもたらたす一つの動きである「訪問」を受けています。この訪問は、無原罪の聖母のフランシスコ会(Franciscan Friars of the Immaculate)に対する最初の動きを彷彿とさせます。

暴君的なバチカンのなすがままである聖伝の小さき者たちに対する大司教の司牧的配慮とお気遣いに感謝申し上げます。―編集長ブライアン・M・マッコール


観想生活の修道女の修道院を擁護する声明

私は、深い悲しみと強い憤りをもって、バチカンの奉献・使徒的生活会省が、米国のさまざまな観想的な女性修道者の修道院で行っている使徒的訪問に関連する出来事に注目しています。

これらの使徒的訪問は、教会法上の規範と法の最も基本的な原則に違反して行われており、修道女たちが受けている尋問を特徴づける威嚇と脅迫、そしてこれらの女子修道院のメンバーに対して行使されている心理的な暴力は、教皇庁の省の役人たちの行動をなさしめるべき愛徳と正義の原則に反しています。これらすべてが、その不安を与える証拠のすべてにおいて明らかにしているのは、ベルゴリオ【教皇フランシスコ】の正確な指示に従って、同省長官のジョアン・ブラス・ジ・アビス枢機卿と次官のホセ・ロドリゲス・カルバーヨ大司教によってすでに与えられている命令の皮肉な実行者である訪問者たちが、迫害の意図という偏見を持っていることです。どの共同体が標的になっても、修道女たちを分裂させる目的で行われる訪問者たちによる騒ぎ立てや集団いじめはいつも同じで、修道女の個人的な良心に反するという段階に至るまで強い心理的圧力をかけて、沈黙、祈りによる黙想、償いの生活に慣れている人々にとって深刻な妨害をつくり出そうとしているのです。

この粛清作戦の背後には、ベルゴリオの教会の活動を特徴づけるすべてのものと同様に、観想生活の共同体に対する、特に聖伝と古代の典礼に結びついた人々に対する憎悪と聖像破壊的な怒りがあります。このような憎悪は、悪名高い指示書「コル・オランス」(Cor Orans)【女性の観想生活に関する使徒的憲章「Vultum Dei Quaerere」の補足指示書。2018年】とその残酷で無慈悲な適用によって一般的になりました。また、目立つことは、これらの共同体が受け取る資金や寄付金に異常なほどの強い関心を持ち、バチカンがそれらの金銭を可能なあらゆる口実を使って自分のものにしようとしていることです。

このような憎悪は法的にも規律的にも正当化されません。なぜなら、バチカンに標的にされるこれらの修道院は、その修道会のカリスマ【天主からの賜物である特別な力】にしたがって、聖なる創立者たちに忠実に、また教会との真摯な交わりの精神で生活することに自らを限定しているからです。創立者たちの規則を実践し、トリエント典礼を行っているすべての団体で起きているように、彼らの召命の数は増加しているところです。これらの修道女たちの「過ち」は、教会の不変の教導権とその二千年の聖伝、そしてその由緒ある典礼に忠実であり続けたいと思っていることです。結局、ベルゴリオの冷酷な破壊行為に直面して、男女を問わず、世俗的・宗教的共同体のすべての「過ち」はただこれだけなのです。

奉献・使徒的生活会省によって行われている組織的な解体作業を、はっきりとした言葉で糾弾することが、まさに牧者としての私の義務であると考えています。同省は、あらゆる形態の奉献生活への嫌悪感を秘密に持っている指導者たちを擁し、彼らに命令を与えた者【ベルゴリオ】と完全に調和しており、さらには神秘体の最も貴重で最も弱い部分を今も将来も守ることができない教区長たちは、最も不愉快で無関心な沈黙を保っているのです。

バチカンの無慈悲な迫害がすでに他の栄えていた女性修道者たちの共同体を襲い、今では完全に破壊されていることを、私たちは忘れてはなりません。私が思い浮かべているのは、少し例を挙げれば、無原罪の聖母のフランシスコ会(イタリア)、サン・テニャン・シュル・ロエのマリアの小さき修道女会(フランス)、アウエルバッハの修道女会(ドイツ)、聖霊のドミニコ修道女会(フランス)などです。

私は、今回の行動の責任者たちこそが、最初に懲戒処分を受けるべき者たちであるとも言及します。カルバーヨが小さき兄弟会(フランシスコ会)の総長として関与した、非常に深刻な財務スキャンダルにかかわっているためです。カルバーヨの地位は非常に評判を落としたため、省の次官は通常レオニーナの壁【バチカンの壁】の外に住んでいるにもかかわらず、奉献・使徒的生活会省の次官はバチカン内に住まなければなりませんでした。

解放神学の悪名高い信奉者であるブラス・ジ・アビス枢機卿は、ベルゴリオのディープ・チャーチの統治を特徴づけるスターリン主義的な方法に従って、奉献生活の団体のメンバーをまさに「再教育」するために、ベルゴリオによって奉献・使徒的生活会省のトップに任命されました。これは、2013年以降、バチカンを支配している恐怖政治という環境に沿った、最悪の独裁体制にふさわしい粛清です。

私は、兄弟である司教、司祭、そして何よりも忠実な信者の皆さんに、観想生活の女子修道院や聖伝の修道共同体の破壊に反対する声を上げてくださるように要請します。迫害されている修道女たちを守り、天主と教会共同体全体の目に憎むべきこの迫害に責任ある者たちを暴露するために、自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」が公布された後、ここ数週間で悪化してきている攻撃の犠牲者に、霊的・道徳的な支援だけでなく、物質的・メディア的な支援をすることが必要です。

教会の権威の変質に直面して、長上たちへの荘厳な従順の誓いと、長上たちが追求する邪悪な目的の証拠とを両立させることがいかに難しいか、また私たちの主の御名によって権威を行使すべき人々に抵抗しなければならないことがいかに苦痛であるか、私はよく理解しています。それにもかかわらず、長上たちに協力することは、一種の共謀や罪深い黙認に問われることになるでしょう。天主への従順と教会への忠実は、両者の敵であることを自ら示している人々への盲目的な追従につながることはあってはなりません。つまり、聖ペトロの言葉によれば、「私たちは人間よりも天主に従わねばなりません」(使徒行録5章29節)。このことは、修道者だけでなく、世俗の聖職者にも当てはまります。教会の体の解体に直面しているとき、彼らの沈黙がこれ以上続くことはあってはならないのです。

修道女を悩ませているこの重大な良心のジレンマを考慮して、私は信心深い信者および女子修道院の後援者の皆さんに、修道院とその財産の独立性を保証し保護するために、適切な法的手段によっても積極的に働くよう、特に訴えかけます。

私は、迫害されている修道女たちに、私の絶え間ない祈りを保証し、彼女らが断固として抵抗し、迫害者の回心のために自分たちの苦しみを捧げるように招きます。この沈黙しているキリストの花嫁たちが、【フランス革命の】恐怖政治のときにカルメルの誓願すなわち修道誓願を捨てなかったためギロチンにかけられた16人の修道女 --- コンピエーニュのカルメル会殉教者たち --- の痛みに満ちたカルワリオに霊的に一致しますように。血に飢えた革命家たちにより、「信仰への憎悪によって」(in odium fidei)迫害されたこれらの奉献された女性たちの英雄的な抵抗が、この背教の時代において彼女らのお手本となりますように。

この背教の時代には、教会の最も貴重な宝物であり、敵の攻撃に対する最も効果的な障壁である観想生活の共同体を保護すべき人々によって、反カトリック的な迫害とイデオロギー的な怒りが引き起こされているのです。これらの祝福された霊魂たちの絶え間ない祈りがなければ、この歴史的な戦いが最も激しくなるまさにその瞬間に、教会の体はさらに武装解除されてしまうことでしょう。

福音のたとえ話に出てくる賢い乙女たち(マテオ25章1-13節)のように、修道女たちが自分たちの天主なる浄配に忠実であり、灯火をともして天主を待ち望むことができますように。この暗黒の時代は過ぎ去り、それに伴って彼らに対して怒りを見せる反逆者たちも過ぎ去るでしょう。

バチカンの最高位の人々、特にホルヘ・マリオ・ベルゴリオは、奉献・使徒的生活会省のこれらの非常に重大な罪について、天主にお答えしなければならないでしょう。これらの罪には、イデオロギー的な良からぬ意味合いが無いとは言えぬ上に、教会の善と霊魂の救いに反して権威を濫用しているからです。主が、カトリック位階階級を苦しめている背教をまだ認めたくない多くの人々の目を開いてくださいますように。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
前駐米教皇大使
2021年10月1日

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ヴィガノ大司教「キリストの教会が非常に深刻な危機にさらされていることこの危機と背教の起源は、今では最も穏健な人にとっても明らかだ。その起源は教会をこの世のメンタリティーに合わせようと望んだことにある。

2021年10月02日 | カトリック・ニュースなど

現在の悪の原因は、私たちの主イエズス・キリストの普遍的王権に対する反逆である。私たちがイエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心に奉献することで、災いに終止符を打つことができる。

Archbishop Viganò Addresses Cancelled Priests
ヴィガノ大司教、任務を解かれた司祭たちに語りかける

Archbishop Viganò addresses the Aquinas Communications Sept 22, 2021 Fundraiser from Coalition for Canceled Priests on Vimeo.

2021年9月23日

親愛なる司祭である兄弟の皆さん、
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

キリストの教会が非常に深刻な危機にさらされていることや、カトリックの位階階級が使徒継承の使命という重大な義務を果たしていないこと、その大部分が堕落していることを私が述べても、皆さんがすでにご存じのことを言っているだけです。この危機と背教の起源は、今では最も穏健な人にとっても明らかなものです。その起源は、教会をこの世のメンタリティーに合わせようと望んだことにあります。忘れないでください、この世のかしらとはサタン、「princeps mundi hujus」(この世のかしら)(ヨハネ12章31節)です。

カトリック信者として、私たちは聖なる教会が決して崩壊しないということを知っており、信じています。つまり、聖なる教会は、「portæ inferi non prævalebunt」[地獄の門も勝てぬ](マテオ16章18節)という主の約束によって、地獄の門に圧倒されることはありません。しかし、私たちが目の当たりにしているのは、位階階級の腐敗した部分(簡潔のために私はこれをディープ・チャーチと呼んでいます)が完全にディープ・ステートの言いなりになってしまっている恐ろしい状況という現実です。

これは裏切りであり、これによって、牧者たちや教会の最高位にある人々は非常に重大な道徳的責任を負うことになり、司祭や信者は、他の時代では採用したり正当化したりするのが難しいであろう勇気ある選択をすることが必要になっています。私たちは、歴史的な衝突である一つの戦争に直面しているのですが、この戦争で私たちの将軍たちは軍隊を率いて敵に立ち向かわせようとしないだけでなく、実際には武器を捨てて無条件で降伏するよう命じており、最も勇敢な兵士たちを追い出し、最も忠実な役人たちを罰しているのです。カトリック教会の参謀本部全体が敵と同盟していることが明らかになっており、自らが本来守るべき人々の敵、すなわち、キリストとその御旗の下で奉仕することを誇りとする人々の敵となっているのです。

教会の歴史全体の中で、途方もなく、またこれまでにないこの状況を、黙示録に照らしてどのように理解すればよいでしょうか。私たちはまず第一に、超自然のまなざしを持たなければなりません。これによって、現在の出来事が起こるのを天主がお許しになっていること、そしてこの出来事がどんな場合でも決して教会を圧倒するのに成功することはないことを理解します。大いなる背教は聖書で予言されており、私たちは準備できないままではありません。聖ヨハネの黙示録の言葉と、認可された私的な啓示によって照らされた私たちは、最終的に麦と毒麦を分けるために終末の時代が必要であることを理解し、誰がキリストの味方で誰がキリストの敵であるかを認識することができます。

同様に、私たちが直面していると知っている艱難は、何十年、あえて言えば何世紀にもわたって行われてきたカトリック信者と一部の位階階級の不信仰に対する正当な罰でもあることを理解しなければなりません。世間体、恐怖、道徳的・教理的な逸脱、世俗的なメンタリティーや私たちの主の敵との妥協に根ざした私的かつ公的な不信仰です。フランス革命は、ルイ十四世が王国の国旗を主に奉献しなかったことに対する天主の罰であったことを考えると、このフランス王の不従順が欧州の未来にもたらした結果を私たちはよく理解します。

私たちの主が1689年に、フランス王ルイ十四世に伝える任務とともに、聖マルガリータ・マリア・アラコックに委託なさったメッセージを思い起こしてみましょう。

「わが聖心の長男に知らせよ。彼のこの世における誕生が、わが聖なる幼少期の功徳への信心のおかげで得られたように、彼の恩寵と永遠の栄光への誕生は、彼が自らをわが崇むべき聖心に奉献することによって得られるであろう。わが聖心は、彼の心に勝利し、それによって地上の偉大な者たちの心に勝利することを望んでいる」。
【注:イエズス・キリストの聖心はフランス王のことを「長男」と呼ぶが、それはフランスがカトリック教会の長女と呼ばれているからである。ルイ十三世はなかなか子供を得ることができずに、幼きイエズスに対する信心によってようやく生まれたのがルイ十四世であった。】

「聖心は、彼の宮殿に君臨し、彼の旗に描かれ、彼の紋章に刻まれることを望んでいる。それにより、彼はすべての敵に勝利し、思い上がった傲慢な敵を彼の足元に置き、教会のすべての敵に勝利することができる」。

「聖心は、受難の時に侮辱され、屈辱を受け、軽蔑されたのと同じほど、今日、王侯の宮殿に栄華を極めて入り、大いに尊ばれることを望んでいる。また聖心は、自分が滅ぼされたのと同じように、地上の偉大な者たちが地にまで低くされ、自分の足元で辱められるのを見たいと願っている」。

しかし、3世紀以上も前に、公務を司る者たちの不従順が、王の中の王であるイエズス・キリストの厳しい罰に値するものであったならば、教会を司る者たちの不従順が、どれほどの災難を引き起こしたかを想像してみましょう。

世俗社会が、フランス革命によって、自由主義と社会主義の誤謬を広めるために、普遍的な王をその天主なる主権から追い出したのならば、教皇と司教たちは、公会議革命によって、神秘体のかしらとその代理者から三重冠を取り除き、キリストの教会を司教団体制(collegiality)と司教会議[シノドス]中心制(synodality)の名の下に、一種の議会制共和国にしたのです。

このことに注意しましょう。私たちの主イエズス・キリストは、もはや諸国家の主権者として認められていないだけではありません。今では教会の主権者としても認められておらず、教会では、天主の栄光と霊魂の救いという目標が、人間の栄光とその結果としての霊魂の破滅に置き換えられています。昨日は悪徳だったものが、今日は聖徳なのです。バチカン、教区、修道会にはびこる「近代主義的セクト」の今の行動はすべて、これまで教えられ、私たちに伝えられてきたものを覆すという特徴があるのです。

このような反逆と不信仰という状況の中で、忠実であり続け、これまで常に行ってきたことをし続けようと努力する人々は、本当の正式な迫害の対象となっています。この迫害は、聖伝主義者をルフェーブル派とか前公会議派と指定して嘲笑することから始まりました。そして、全体主義体制で使われていた慣習に従って、良きカトリック信者は、社会学者が「異論の病理学化」(pathologization of dissent)と呼ぶように、狂気や病気であると定義されてきました。

私が大げさな表現を使っていると思わないでください。つい先日も、コスタリカのある司祭【Father Sixto Varela】が、彼の司教であるバルトロメ・ブイゲス司教(Bishop Bartolomé Buigues)が禁止しているにもかかわらず、パウロ六世のミサをラテン語で捧げたというだけで、聖職停止になり、精神科の治療を強制的に受けさせられたばかりです(こちら)。

今日、私たちは反体制派が「犯罪化」(criminalization)されているのを目撃しています。彼らが物理的に排除されるのはまだ見られないとしても、彼らの多くが「divinis」(聖職)を停止され、支援の手段そのものを奪われ、教会生活から追放されていることを私たちは知っています。

その一方で、つまずきを与える人物たちや、あらゆる種類の姦淫者たちが処罰されず、職務から追放されないだけでなく、昇進さえし、ベルゴリオの隣に立って写真に納まり名声を得ているのです。ベルゴリオは、彼らを自分の近くに置いていますが、それは、自分に都合のいい方法で彼らを使うことができると知っているからです。では、なぜ高位聖職者たちの堕落が公会議派の計画の役に立っているのかを理解しましょう。彼らの弱点は、教会と信者に対する最悪の残虐行為を実行する上で、彼らの従順と共謀を得るための優れた手段なのです。

「任務を解かれた司祭のための連合」(Coalition For Canceled Priests)の取り組みは、今起きていることへの反応であるのは確かです。なぜなら、このプロジェクトは、不忠実で反逆的な司教による迫害や教会法上の濫用の犠牲者である司祭を支援することを目的としているからです。自分に委ねられた群れを知恵と愛徳をもって治めず悪事を働くために、司教たちの権威は奪われ、その権威が制定された目的に反して彼らが使用した瞬間に消滅してしまうのです。

彼らが権力を握っていることは事実ですが、この権力は専制的に濫用されていて、これについて人は黙ったままでいることができず、また、黙ったままでいてはいけないのです。飢えた狼とまでは言わないにしても、自らが傭い人であることを明らかにした牧者たちの違法行為を断固として非難するために声を上げることは、私たちの義務です。そして、違法で無効な命令に従わないだけでなく、良心的な異議申し立てを行い、これらの羊の皮を被った狼の犠牲者を保護することを目的とした取り組みを作り出すことも、私たちの権利です。

また、この賞賛すべき取り組みと並行して、国際的な財団を設立して、信者からの献金や寄付を、ベルゴリオの現体制と共謀している教区や小教区から転用して集めることを提案させてください。司教たちは、自分たちの銀行口座が打撃を受けていることを知れば、良き司祭を追放するというアプローチをやめるように説得されるはずです。また、民事上あるいは教会法上を問わず、裁判所が迫害されている人々の側に立つならば、迫害者は権力の濫用に気をつけるようになるでしょう。

一方、「任務を解かれた司祭のための連合」やその他の同様のプロジェクトのような取り組みは、憐れみのわざを実践し、天主の御前で功徳を積むという機会を与えてくれます。私たち一人一人が、自分の力に応じて、具体的な貢献をすることができます。それは必ずしも金銭的なものだけではありませんが、自分の献金を、良き聖職者を弾圧するために使う人々に与えるのではなく、献金に値する人々に割り当てるだけでよいのです。

しかし、物質的な援助に加えて、私たちは皆、共同体の感覚を再発見するように求められていることを忘れないようにしましょう。共同体とは、公会議の位階階級が好んで口にする言葉ですが、彼らはカトリック的な意味で実践することはありません。もし私たちがキリストにおける真の兄弟であるならば、兄弟として、司祭たちを歓迎し、宿泊場所を提供し、友人を集めることができる家庭の祭壇を準備することによっても、お互いに助け合うべきです。

今日、司祭館を追い出されて路上生活をしている人々のために、料理の作り方、壁を作ったり屋根を修理したりする方法など、最も謙虚なものであっても、自分の能力を司祭たちのために提供すべきです。私たちは、聖伝の心で司祭や修道者の召命に寛大に応えてきたにもかかわらず、今日公会議派によって押し付けられている教理的・道徳的な逸脱を受け入れなければ、叙階や修道誓願が危険にさらされているのが分かっている若者たちのことを考えなければなりません。私たちは、教導権に忠実であり続ける数少ない司教たちや枢機卿たちに、敵と同盟していることを十分に証明した人々とは対話する可能性がないことを、明確に理解してもらわなければなりません。

そして私たちは、天の元后にして司祭職の母の取り次ぎを通して、天主の御稜威(みいつ)に祈り、今日、頂点から堕落してしまった位階階級の回心のために、私たちの苦しみとこれらの良き司祭たちの苦しみを受け入れてくださるようにお願いしなければなりません。

多くの、あまりにも多くの司祭、修道者、そして聖職者(その中には多くの女性修道者、観想修道会の修道女、活動修道会の修道女がいることを忘れてはなりません)に対して、私は愛情を込めた記念を表し、彼らの苦しみを分かち合い、教会の役務者たちの罪を償うために自らを犠牲として捧げるように、彼ら全員に勧めます。ミサの聖なる犠牲において、天主の、清らかな、聖なる、汚れなきいけにえの奉献に自らを一致させてください。皆さんの人生が、真の司祭の精神をもって、天主をお喜ばせする犠牲となりますように。そして、皆さんが最後の日まで、シメオンの賛歌の言葉 quia viderunt oculi mei salutare tuum[私の目はもう主の救いを見た](ルカ2章30節)を繰り返し唱えることができますように。

私は先に、現在の悪の原因が、私たちの主イエズス・キリストの普遍的王権に対する反逆であることを思い起こしました。私たち一人一人、家族、共同体、国家、そして聖なる教会を、イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心に奉献することで、至聖なる三位一体に御あわれみを起こしていただき、この恐ろしい災いに終止符を打つことができ、少なくともその期間を短縮し、人類の敵に対する王の中の王の勝利を早めることができるのです。これが私の最も切実な願いであり、これが私たちのすべての行動に活力を与えなければならない崇高な意向であり、これがサタンの計画を素晴らしく、かつ避けられない形で終わらせるための土台なのです。Christus vincit, Christus regnat, Christus imperat!(キリストは勝利し、キリストは統治し、キリストは君臨し給う!)。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

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ヴィガノ大司教「キリストの天主の王権が違法となるような世界政府の構築を望むことは、決して成功しない。キリストが統治しないところでは、サタンが暴君となる。

2021年09月27日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】Abp. Viganò on the Great Reset and New World Order

ヴィガノ大司教「グレート・リセットと新世界秩序について」(後半)

【参考情報として、ヴィガノ大司教「グレート・リセットと新世界秩序について」の続きをご紹介いたします。前半はここにあります。この続きは、直視するにも言葉にするにも、恐ろしい内容が含まれています。しかし、アダムとエワの時から人類が直面している、天主とサタン(ルチフェル)との戦い、光りと闇との闘いの最終の戦いにたどり着こうとしているという思いさえ抱かせます。大天使聖ミカエルの祝日を前に、天軍の総帥にひたすら保護を祈りならがら、愛する兄弟姉妹の皆様に、参考資料としてご紹介いたします。】


世界の人口減少化計画

この「邪悪な合意」(pactum sceleris)の仲間には、教皇庁生命アカデミーの何名かのメンバーも含まれなければならないはずです。同アカデミーは、最近、ベルゴリオがその組織構造を覆し、教導権に最も忠実なメンバーを排除し、代わりに人口減少、避妊、中絶を支持するメンバーを配置したからです。聖座がワクチンを支持していることに驚きはないでしょう。

2011年6月、「ソブリン・インディペンデント」(Sovereign Independent)紙は一面に次のような見出しを掲げました。「強制ワクチン接種による人口減少。炭素排出量ゼロの解決法!」(こちら)。
その見出しの横には、ビル・ゲイツの写真と彼の次の言葉が掲載されていました。「現在、世界の人口は68億人です。それが約90億人に向かっています。今もし私たちが新しいワクチン、ヘルスケア、リプロダクティブ・サービス(中絶や避妊)などで素晴らしい仕事をすれば、おそらく10〜15%は下げることができるでしょう」。これは、ビル・ゲイツが11年前に言ったことです。今日では、彼は、ワクチンを製造する複数の製薬会社に資金を提供するブラック・ロック・グループの株主の一人であり、世界保健機関(WHO)のメイン・スポンサーの一人であり、健康に関連する無数の公私の団体のスポンサーでもあります。奇妙なことに、彼のそばには、「オープンソサエティー財団」の「慈善家」であるジョージ・ソロスがいます。同財団は、「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」とともに、最近、新型コロナウイルス感染症検査用の綿棒を製造する英国企業に投資しています(こちら)。

また、私たちは経済問題について話題にしていますから付け加えますと、聖座は、避妊薬を製造した二つの製薬会社に約二千万ユーロ相当の株式を保有していることを思い起こしたいと思います(こちら)。さらに最近では、聖座は、地政学的危機やパンデミック危機の発生時に、国際通貨への投機によって非常に高い利益を保証するファンド --- メリルリンチ投資銀行が運営する「ジオ・リスク」ファンド --- に、聖座は投資しました。しかし、パンデミック発生後の最初の数カ月間で利回りが急上昇したため、「ジオ・リスク」ファンドは閉鎖しなければなりませんでした(こちら)。その他にも、「聖ペトロ使徒座への献金」収集から得られた資金は、さまざまな取り組みに使われ、エルトン・ジョンの自伝的映画「ロケットマン」などを手がける(イタリアの)ビジネスマン、ラポ・エルカン氏との協力関係(コラボレーション)さえも実現しました。不動産投機や、ロンドンのスローンアベニュー60番地のビルを購入については、私たちは報道で十分に知っていますから言うまでもないのですが、信頼できる筋からの情報で私は知っているところでは、その購入はベルゴリオ自身が決定したとのことです。

そして、中国です。ベルゴリオが大切にしている「一貫性(coherence)」と「貧しい者のための貧しい者の教会」の名の下に、イエズス会とセオドア・マカリック元枢機卿が用意した秘密の協定は、カトリック信者の迫害や人権侵害に対するバチカンの沈黙と引き換えに、北京の共産主義政権から多額の資金を得ていたのではないかと考える人々がいます(こちら)。

同じことが、移民騒動についても当てはまります。移民を受け入れることで利益を得ているのは、各国が不法移民の受け入れのため多額の資金を提供しているバチカンの諸委員会や各国の司教協議会です。ベルゴリオがサン・ピエトロ広場に建立したブロンズ製のボートの恐ろしいモニュメントは、この教皇職の特徴的なしるしである偽善を造形で表現したものです。最近の水曜日の謁見では、私たちはこのような言葉を聞かされました。「偽善者とは、顔に仮面をかぶって生活し、真実を直視する勇気がないために、偽りの見せかけを示したり、お世辞を言ったり、だましたりする人々のことです。[・・・]教会での偽善は特に憎むべきものであり、残念ながら教会には偽善が存在し、多くの偽善的なキリスト信者や役務者がいます」(こちら)。コメントの必要はないと思います。


ディープ・ステートの干渉

教会の生活にディープ・ステートが干渉した例は数多くあります。ジョン・ポデスタとヒラリー・クリントンのメールを忘れることはできません。そこには、ベネディクト十六世を教皇座から追放し、進歩主義的かつグローバリスト的な新しい「教会の春」を始めようとする意図が表れていました。これは後にベネディクトの辞任と、かのアルゼンチン人の選出によって実現しました。

また、「ブナイ・ブリス」(B'nai B'rith)のような宗教に近いとは言えない団体や組織が、第二バチカン公会議後の教会の「刷新」の方向付け、とりわけ今の教皇職の下での方向付けを決定するために干渉していることも見逃すことはできません。最後に、一方で保守的な政治家や組織の要人を軽蔑して謁見を断り、他方で左派や進歩主義の指導者たちと情熱的な笑顔で接し、彼らが当選した際には熱狂的な満足感を示していることを私たちは思い出すべきです。

彼らの多くは、イエズス会が運営する大学、あるいはイタリアで「ドセッティアン」[1]と呼ばれるカトリックのサークルで学んだことが成功の要因となっています。そこでは、社会的・政治的な関係のネットワークが一種の進歩的なフリーメーソンを構成しており、いわゆる「大人のカトリック」、つまり公務に従事する際にキリスト教の信仰や道徳と一貫性のある行動を取ることなく「キリスト信者」の名を使う人々に、まばゆいばかりのキャリアを約束しているのです。ジョー・バイデンやナンシー・ペロシ、またロマーノ・プロディ、マリオ・モンティ、ジュゼッペ・コンテ、マリオ・ドラギらがそのごく一部の例です。このように、「ディープ・ステート」と「ディープ・チャーチ」の協力関係は長年続いており、国家と宗教の両方に深刻なダメージを与えながら、その関係の支持者が期待した結果を今、生み出しているのです。

「世俗の当局が都市封鎖を押し付ける以前であっても行われた、2020年初頭の教会の閉鎖」「パンデミック緊急事態の間のミサの挙行や秘蹟の執行の禁止」「2020年3月27日にサン・ピエトロ広場で行われたグロテスクな儀式(こちら)」「中絶された胎児に由来する細胞株で作られたにもかかわらず、ワクチンと、その道徳的正当性の宣伝へのこだわり」「遺伝子の血清はすべてのキリスト信者にとって『道徳的な義務』であるとするベルゴリオの宣言」「バチカン、そして最近ではカトリック学校や一部の神学校への健康パスポート『グリーン・パス』の導入」「いくつかの司教協議会が速やかに支持したワクチン接種義務に反対する司教の発表の聖座による禁止」。
これらはすべて、「ディープ・チャーチ」が「ディープ・ステート」の命令に従属していることを示す要素であり、ベルゴリオ教会がグローバリストの計画に不可欠な部分であることを示しています。

「平和神学のエキュメニズムや平和主義、貧困主義を主張すること」「状況倫理の支持や『アモーリス・レティチア』での姦淫と同棲の実質的な正当化」「死刑は道徳的に違法であるという宣言」「左派の政治家や革命指導者、妊娠中絶活動家の支持」「LGBT問題や同性愛、性転換に理解を示す言葉」「同性愛の結合の正当化についての沈黙や、さらにはドイツの司教や司祭による同性愛カップルの祝福に関する沈黙」「そして、ベネディクト十六世の自発教令『スンモールム・ポンティフィクム』の廃止によるトリエント・ミサの禁止」。

これらのすべてを、聖ペトロ大聖堂のアーチの下での「パチャママ」の偶像崇拝と組み合わせれば、私たちは次のように理解します。ホルヘ・マリオ・ベルゴリオはグローバリストのエリートから委託された任務を遂行しているのであって、このエリートは、ベルゴリオをカトリック教会の清算人にするとともに、彼を、新世界秩序を支える「普遍的宗教」を設立することを目的とする、フリーメーソンの触発を受けた慈善活動的でエキュメニカルなカルトの創設者とするのを望んでいる、ということです。このような行為が行われているのが、十分に認識した上なのか、恐怖心からなのか、あるいは脅迫されているのかにかかわらず、起きていることの重大性や、それを推進する人々の道徳的責任を減じるものは何もありません。

新世界秩序のルチフェル的母体

この段階で、明らかにしておく必要があるのは、「新世界秩序」とは何を意味するのか、すなわち、表向きには何と言っていようとも、その創造者たちにとっては何を意味するのか、です。なぜなら、一方では、プロジェクトが存在し、特定の人々がそれを構想し、実行する責任を負っていることは事実ですが、他方では、プロジェクトに着想を与えた原理が常に開示されているわけではなく、少なくとも、今日起こっていることと密接に関係していることを彼らは公に認めることができないことも、また事実です。なぜなら、このように認めれば、最も平和的で穏健な人々からさえも反対が起こるであろうからです。パンデミックを口実に「グリーン・パス」を押し付けることと、パスポートの目的が私たちに追跡されることに慣れさせることであることを認識することは全く別のことであり、さらに、この完全な管理が黙示録で語られている「獣のしるし」(黙示録13章16-18節)であると言うことも別のことです。私の主張を証明するために、戸惑いと恐怖を覚えるほどの重大で邪悪な引用を用いなければならないことを、読者の皆さんは許してくださるでしょう。しかし、この陰謀の立役者(architects)の真の意図が何であるかを理解し、また彼らがキリストとその教会に対して行っている歴史的な戦いの真の本質を理解するためには、このようなことが必要なのです。

ジュゼッペ・マッツィーニ(19世紀のイタリアの政治活動家)が悲願としていた国際連合の基礎となる思想の秘教的根源を理解するためには、アルバート・パイク、エリファス・レヴィ、ヘレナ・ブラヴァツキー、アリス・アン・ベイリーや、ルシフェリアン(ルチフェル崇拝者)のセクトの他の弟子たちを考えないわけにはいきません。19世紀末から出版されている彼らの著作は、非常に興味深いものです。

マッツィーニの友人であり、フリーメーソンの仲間であったアルバート・パイクは、1889年にフランスでフリーメーソンの最高レベルの人々に向けて演説を行い、その内容は1935年1月19日に英国の雑誌「ザ・フリーメーソン」(The Freemason)で再出版されました。パイクはこう宣言しました。

「われわれが群衆に言わなければならないことは、われわれは神を礼拝しているが、その神は人が迷信を伴わずに礼拝する神だということである(…)。メーソンの宗教は、最高位の秘伝伝授者であるわれわれ全員が、ルシフェリアン(ルチフェル崇拝者)の教理の純粋さを維持すべきものである。もしルチフェルが神でなかったとしたなら、アドナイ(ママ)【キリスト教信者の天主のこと】は --- その行為が人間への残虐性や背信性、憎悪、また科学の野蛮性や反発だと証明している --- 、アドナイとその司祭は、ルチフェルを【神でないと】中傷するだろうか?」。
「そう、ルチフェルは神であり、残念ながらアドナイもまた神なのである。永遠の法則とは、影のない光はなく、醜さのない美はなく、黒のない白はないということであり、絶対的なものは二つの神として存在することしかできないのであり、像に台座が必要であるように、機関車にはブレーキが必要であるように、その箔としての役割を果たすために、光には闇が必要であり、…サタニズムの教理は異端である。真にして純粋な哲学的宗教とは、アドナイと同等のルチフェルを信じることであるが、光の神にして善の神であるルチフェルは、暗黒と悪の神であるアドナイ(ママ)に対抗して人類のために戦っているのである」。

サタンの神性への信仰告白は、フリーメーソンが礼拝する真の大建築家(Great Architect)が誰であるかを認めているだけでなく、フリーメーソンを最初の理論家とする第二バチカン公会議のエキュメニズムを貫通している冒涜的な政治プロジェクトでもあるのです。

「キリスト信者、ユダヤ教徒、イスラム教徒、仏教徒、孔子やゾロアスターの信者は、兄弟として団結し、他のすべての神々の上に立つ唯一の神に一緒に祈りを捧げるのである」(Albert Pike, Morals and Dogma, ed. Bastogi, Foggia 1984, vol. VI, p. 153を参照)。

そして、「他のすべての神々の上に立つ唯一の神」の正体が何かは、直前に引用した文でよく説明されています。

パイクは別の手紙で、マッツィーニにこう書いています。

「われわれは虚無主義者や無神論者を解き放ち、恐るべき社会的大変動を引き起こし、絶対的な無神論の影響、野蛮と血塗られた破壊の起源を、その恐ろしさの全てにおいて、諸国民にはっきりと示すであろう。そうすれば、世界の少数の革命家たちから自らを守ることを余儀なくされた世界中の市民は、(…)最終的に公衆の目に明らかにされたルチフェルの純粋な教理の普遍的な表れを通して、真の光を受けることになるであろう。この表れは、キリスト教の破壊と無神論の破壊に続くもので、キリスト教徒無神論は同時に征服され、粉砕されるであろう」(Letter of 15 August 1871 to Giuseppe Mazzini, Library of the British Museum, Londonを参照)。

「分離性(separativeness)の大異端」という表現は、ピオ十一世が回勅「モルタリウム・アニモス」(Mortalium Animos)で断罪したエキュメニズムと、奇妙なことに一致しているように聞こえます。また同様に、第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(Dignitatis Humanae)で採用され、最近では聖ペトロ大聖堂でのパチャママへの偶像崇拝を許した人々が提唱した「包括性」(inclusivity)の教理に融合したエキュメニズムと一致しているのは、見落とすことができません。

「分離性」という言葉が、人間の行動を道徳的に判断する基準となる、善と悪、真と偽、正と誤という必要な分離を否定的な意味で表すことを意図しているのは明らかです。「包括性」とは、この区別に反対するもので、善に混ぜ物をするために意図的に悪に汚染されることを許し、真理を堕落させ誤りに正当性を与えるために真と偽を等しくすることです。


エキュメニズムの思想的根源の共有

エキュメニズムの思想的な根源が、メーソン的・ルシフェリアン的な秘教(esoterism)と本質的に結びついていることを理解していなければ、第二バチカン公会議の教理上の逸脱を新世界秩序の計画と結びつける関連性を把握することはできません。1968年の革命は、それらの平和主義者とエキュメニズム信奉者の野望を表わす悲しむべき例でした。この革命で、「水瓶座の時代」は、ミュージカル「ヘアー」(1969年)、そしてジョン・レノンによる「イマジン」(1971年)によって祝われました。

Imagine there’s no heaven. It’s easy if you try.
No hell below us. Above us only sky.
Imagine all the people, living for today.
Imagine there’s no countries. It isn’t hard to do.
Nothing to kill or die for, and no religion too.
Imagine all the people, living life in peace.
You may say I’m a dreamer, but I’m not the only one.
I hope someday you’ll join us, and the world will be as one.
Imagine no possessions. I wonder if you can.
No need for greed or hunger, a brotherhood of man.
Imagine all the people, sharing all the world.
天国がないと想像してくれ。やってみれば簡単だ。
僕らの下には地獄はない。僕らの上には空があるだけだ。
すべての人もが今日のために生きていることを想像してみよう。
国がないことを想像してくれ。それは難しいことではない。
殺すことも死ぬこともないし、宗教もない。
すべての人もが平和に生活していることを想像してくれ。
君は僕のことを夢想家だと言うかもしれないが、それは僕だけではない。
いつの日か、君も僕らの仲間になって、世界が一つになることを願っている。
何も持っていない状態を想像してくれ。君にできるかな。
欲も飢えも必要ない、人間の兄弟愛を。
すべての人が、すべての世界を共有することを想像してくれ。

このメーソンの虚無主義を表明したマニフェストともいえる歌詞は、グローバリズムと新しい普遍的な宗教の賛美歌と考えられます。2012年のロンドン五輪、そして最近では東京五輪のテーマソングとして使われたのは偶然ではありません。迷えることのない霊魂は、このような冒涜的な言葉に恐怖を感じるしかありません。同じことが、レノンの同じくらい冒涜的な歌「ゴッド」(1970年)の歌詞にも言えます。

God is a concept by which we measure our pain. […]
I just believe in me.
神とは、僕らの痛みを測るための概念だ。(…)
僕はただ、自分を信じているだけだ。

教会の霊魂ともいえる中核そのものに触れる問題で、位階階級が敵に騙されて、敵の要求を自らのものにするのを許してしまったかもしれない、ということを受け入れるのは、多くの人にとって苦痛であると私は理解しています。自分たちの考えを偽装させて公会議に導入することに成功し、その考えが宗教の破壊の実現に必ずつながることを十分に認識していたメーソンの高位聖職者たちがいたのは確かです。宗教の破壊は、社会から主キリストを追放して反キリストを迎える新時代(水瓶座の時代)を確立するための前提でした。そうすると、多くのカトリックの著名人(私は多くの人々のうちでもマルティーニ枢機卿やラヴァシ枢機卿を思い浮かべます)がフリーメーソンに好意を示して寛容な態度を取っていることや、教皇たちがこのセクトに対して破門を新たに発することに反対していることが理解できます。また、ベルゴリオが選出されたときにメーソンのロッジが熱狂した理由や、逆に排除されるべき「カテコン」(kathèkon)(「とどめている者」(テサロニケ後書2章7節参照))とみなされていたベネディクト十六世への隠しきれない憎しみも理解できます。

また、忘れてはならないのは、恥ずかしいことですが、ラッツィンガーの以下の言明が、グローバリストのプロジェクトを、反キリスト的かつ反キリスト教的なものとして断罪することなく、「キリスト教化する」試みを提案していることです。

「ベトレヘムの幼子イエズスが、手をとってあなたを連れて行くがままにしてください。恐れることなく、彼に信頼を置きましょう。主の光の生命を与える力は、新しい世界秩序を構築するための動機となります(こちら)」。

この言葉は、残念ながら、このチュービンゲン出身の教授が教皇座に就くまで影響を受けていたヘーゲル思想という誤った考えをもっていたことを裏付けるものです。確かに、イタリア大統領ジョルジョ・ナポリターノが2006年の年末にイタリア国民に向けて行った演説で、「新世界秩序を支持するという点で、教皇ベネディクトと私の間は調和がとれている」(2006年12月31日)と断言することができたとしても、教皇はどんな意味でもグローバリストの計画の味方であるとみなされるような立場の表明をしませんでした。他方で、テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼというヘーゲル的なプロセスは、フリーメーソンやルシフェリアンの秘教が採用した錬金術のモットー「溶かして固めよ」(Solve et Coagula)と呼応しています。それは、メーソン・セクトの最も中心となるメンバーが認めたように、メーソンの最高レベルのメンバーが礼拝する地獄の偶像、バフォメットの腕に描かれているモットーです。フィリップ・ジョーンズは「ルシファー・ライジング」(Lucifer Rising)というエッセーの中で、ヘーゲル的弁証法は「テーゼとしてのキリスト教とアンチテーゼとしての異教の心霊主義を組み合わせたものであり、その結果、バビロニアの神秘宗教に非常によく似た総合物【ジンテーゼ】となっている」と述べています。

テイヤール・ド・シャルダンによるグローバリズムの汎神論

エキュメニズムは、グローバリズム思想の重要なテーマの一つです。これを裏付けるのが、国際連合事務次長だったロバート・ミュラーの言葉です。「われわれは、単一世界政府(one-world government)、単一世界宗教(one-world religion)、そして単一の世界指導者(single world leader)に向かって、できるだけ早く進まなければならない」。彼以前には、国際連盟の提唱者の一人であるアーサー・バルフォアが、「単一世界宗教」をつくることを目的とした「総合協会」(Synthetic Society)を設立しました。ピエール・ティヤール・ド・シャルダンは、検邪聖省に断罪されたイエズス会士の異端者で、今日ではたたえられる進歩的神学者ですが、国際連合を「自分の哲学を組織的に具現化した進歩主義的なもの」とみなし、次のように自分の希望を述べました。
「宗教すべてを成就する普遍的なキリストに、諸宗教が全般的に収束することは、…唯一可能な世界の回心であり、将来の宗教が考えられる唯一の形態であるように私には思われる。」それは「汎神論の中にあるキリスト教的な霊魂、あるいはキリスト教にある汎神論的な側面とでもいうべきものを引き出すことによって、汎神論とキリスト教との間の隔たりを縮める」ためであると表現しました。

「パチャママ」や母なる大地にマリア的な意味合いが付与されていることを見ると、ティヤール・ド・シャルダンのこれらの概念が、不安を覚えさせる現実になっていると気づきます。また、それだけではありません。世界政府の理論家であり、神智学者アリス・A・ベイリーの弟子でもあるロバート・ミュラーはこう宣言しています。「ティヤール・ド・シャルダンは、彼の仲間(国連で重要な役職に就いていたイエズス会のエマニュエル・サゲ・ド・ブルヴァリー神父)に影響を与え、その仲間が同僚たちを触発し、その同僚たちが国連の中でグローバルかつ長期的な思考の豊かなプロセスを開始し、それが世界中の多くの国や人々に影響を与えてきたのです。私はティヤールから多大な影響を受けました」。ティヤールは著書「人間の未来」(The Future of Men)の中で、「たとえその形がまだ見えなくても、将来、人類は汎組織化された(pan-organized)世界で目覚めるだろう」と書いています。

ミュラーは「ワールド・コア・カリキュラム」(World Core Curriculum)の創設者でした。このカリキュラムの目的は「21世紀の労働力のために必要とされる、地球市民、地球を中心とした信念、社会主義的価値観、集団的考え方へと子どもたちを方向付ける」ことです(「ニュー・マン・マガジン」)。また、彼が自分に影響を与えた人々の中にアリス・A・ベイリーがいると自慢して主張しますが、ベイリーは、公然たるルシフェリアンであるヘレナ・ブラヴァツキーが創設した神智学運動の弟子であることが、私たちには分かっています。ブラヴァツキーの人物像を正しく理解するために、彼女の著作からいくつか引用してみましょう。

「ルチフェルは生命、思想、進歩、文明、自由、独立などを象徴している。ルチフェルはロゴスであり、ヘビであり、救い主である。」

そして、パチャママのことをほぼ予想しています。

「このようにして天上の童貞は、同時に神々と悪魔の母となる、何故なら永遠の愛に満ちた慈悲深い神であるがゆえに。…しかし、古代においても現実においても、(この神の)名はルチフェルである。ルチフェルは神の光、また地の光であり、聖霊であると同時にサタンでもある」。

そして、最後にこうあります。

「サタンこそが、われらの惑星の神にして唯一の神である」。

「ルシファー出版社」(現在の「ルシス出版社」)を設立したのは、アリス・A・ベイリーであり、同社は国連のNGOに認定されている「ルシス・トラスト」(旧「ルシファー・トラスト」)と密接な関係があります。この地獄のようなとりとめのない堆積物に、国連の地球イニシアティブ・プロジェクト(Planetary Initiative Project)のディレクターであるデヴィッド・スパングラーの次の言葉を加えれば、私たち全員の上につるされている脅威がいかに恐ろしいものであるかが分かるでしょう。

「ルチフェルへの礼拝行為を実行しなければ、誰も新世界秩序の一員にはならないだろう。ルチフェルの入門式を受けなければ、誰も新時代に入らないだろう」(Reflections on the Christ, Findhorn, 1978)。

アリス・A・ベイリーは、ニューエイジについて、こう書いています。

「科学の成果、国家の征服、領土の征服はすべて、理想主義や戦闘性、そして宗教、政治、経済などあらゆる分野における分離性を持つ、魚座の時代(キリストの時代)の方法を示している。しかし、総合の時代、包括性の時代、そして理解の時代が到来しており、水瓶座の時代(反キリストの時代)の新しい教育は、非常に繊細に人間のオーラに浸透し始めなければならない」。

今日では、ミュラーが「ワールド・コア・カリキュラム」で理論化した教育法が、LGBTイデオロギーやジェンダー論など、あらゆる形の教え込みを含めて、ほとんどすべての国で採用されていることが分かります。このことは、WHOの元事務局長であるブロック・チザム博士が、国連の教育方針が何を実現したいのかを、次のように説明していることからも確認できます。

「世界政府を実現するためには、人間の心から、個人主義、家族の伝統への忠実さ、愛国心、宗教的教義などを取り除く必要がある」(Christian World Report, Marzo 1991, Vol. 3を参照)。

クラウス・シュワブやヘルダー・カマラだけでなく、ロバート・ミュラー、アリス・A・ベイリー、ピエール・ティヤール・ド・シャルダン、エマニュエル・サゲ・ド・ブルヴァリーを結びつける「赤い糸」(fil rouge)が、常にグローバリストの鍵となり、ルシフェリアン思想という悪しき霊感の下に存在していることを、いま一度見てみましょう。これらの不安を覚えさせる面を徹底的に分析することで、真実に光を当て、敵の奴隷となっている少なからぬ教会関係者の共犯と裏切りを明らかにすることができるでしょう。

権威の危機への私たちの対応

権威の腐敗は、少なくとも人間の言葉で言えば、平和的な出口を仮定することが非常に難しいものです。歴史を振り返ると、全体主義的な体制は武力によって打倒されてきました。ここ数カ月の間に確立された健康独裁体制は、国家のすべての権力、すべての情報手段、すべての国際的な公的・私的機関、すべての経済的・金融的権力者がこの犯罪に加担しているため、武力とは違う方法で戦いができるとは考えにくいものです。

腐敗と利益相反という暗い脚本に直面したとき、グローバリストの計画に従属していないすべての人々が、天賦の権利と宗教の権利、自分自身と愛する人の健康、自由、財産を守るために、コンパクトでまとまった戦線に団結することが不可欠です。権威がその義務を果たさず、設立された目的を実際に裏切る場合、不従順は合法であるだけでなく、義務でもあります。少なくとも今のところ、非暴力の不従順ですが、断固とした勇気ある行動です。教会の権威自らが新世界秩序という地獄の計画の共犯者であることを見せるのなら、その権威による正当でない専制的な「命令」(diktats)には不従順です。

結論

この考察の最後に、簡単な霊的考えを述べさせていただきます。現在展開されている世界的な陰謀について、私たちが知り、発見し、理解しているすべてのことは、途方もない現実を示していますが、それは同時に、鋭くはっきりとしたものでもあります。二つの側があり、それは天主の側とサタンの側、光の子の側と闇の子の側ということです。敵と折り合いをつけることはできませんし、二人の主人に仕えることもできません(マテオ6章24節)。次の主のみ言葉を、私たちの心に刻まなければなりません。「私の味方でない人は私に背き、私とともに集めぬ者は散らしてしまう」(マテオ12章30節)。

イエズス・キリストの天主の王権が違法となるような世界政府の構築を望むことは、正気ではなく、天主への冒涜であり、そのような計画を持っている人は決して成功しないでしょう。キリストが統治するところでは、平和と調和と正義が統治し、キリストが統治しないところでは、サタンが暴君となります。偽りの平和的共存の名の下に、敵対者と協定を結ぶかどうかを選択しなければならないときはいつでも、このことをよく考えましょう。そして、自分たちの加担が影響するのは経済や健康の問題だけだと考え、このすべての背後にあるものを知らないふりをしているこれらの高位聖職者たちや世俗の指導者たちにも、このことをよく考えてもらいましょう。

心の王、家庭の王、社会の王、そして国家の王であるキリストに目を向けましょう。この方を私たちの王として、そして至聖なるマリアを私たちの元后として宣言しましょう。新世界秩序という邪悪な計画を打ち負かすことができるのは、この方法によるしかありません。裏切り者や反逆者から聖なる教会を浄化することができるのは、この方法によるしかありません。そして、天主が私たちの祈りに耳を傾けてくださいますように。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

司教証聖者教会博士聖アウグスティノの祝日

[1]ジュゼッペ・ドセッティ神父(1913-1996年)は、「進歩的カトリシズム」の「ボローニャ学派」の創始者とされている。第二バチカン公会議では、ボローニャ大司教のジャコモ・レルカーロ枢機卿の専門家(peritus)を務め、公会議の手続きをコントロールする上で大きな影響力を持っていた。

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ヴィガノ大司教「現在の霊的・終末論的な面を認識し、ルチフェルの天主に対する戦争という枠組みで理解する必要がある。サタンと反キリストの敗北と、聖母の勝利は、永遠から決定されていた。」

2021年09月15日 | カトリック・ニュースなど


【参考文献】Abp. Viganò on the Great Reset and New World Order
ヴィガノ大司教「グレート・リセットと新世界秩序について」

【編集者注】教会には、勇気ある司教たちが暴君や悪しき支配者に立ち向かい、その邪悪さを糾弾してきた長い歴史があります。教皇グレゴリオ七世(在位1073~1085年)は、ドイツ【神聖ローマ帝国】の皇帝ハインリヒが教皇の権限を奪って司教を任命したことを糾弾し、破門しました。教皇イノチェンチオ三世(在位1198-1216年)は、邪悪な暴君のイングランド王ジョンを非難しました。教皇聖ピオ五世(在位1566-1572年)は、カトリック信者を殉教させ、迫害した「血まみれのベス」エリザベス一世の退位を宣言しました。カンタベリー大司教の聖トマス・ベケット(1118-1170年)は、かつての友人であった王ヘンリー二世がイングランドの教会の自由を攻撃したときに、王を糾弾しました。

残念ながら、現教皇をはじめとする今日の位階階級のほとんどは、私たちの中の悪を糾弾しません。彼らは悪に協力し、悪に媚び、悪を助長しているのです。しかし、少なくとも一人の使徒の後継者(司教)は、十字架から逃げていません。彼はしっかりと立ち上がり、現代の邪悪な支配者たちを糾弾しています。カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は、徹底的に文書化した、刺激的なテキストを作成し、教会と国家の現在の危機を分析しました。彼はまず、新型コロナウイルス感染症という現象を利用することの偽善と狂気について述べています。彼は、(世俗および教会の)世界の指導者たちの行為が、健康を守るためではなく、抑圧するために設計されていることを示しています。

大司教がテキストを発表する様子はこちらでご覧いただけます(イタリア語)。

以下は、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教が2021年8月28日に行った演説です。

LIBERA NOS A MALO
われらを悪より救い給え

グレート・リセットと新世界秩序に関する考察

「ルチフェル[悪魔のかしら]への礼拝行為を実行しなければ、
誰も新世界秩序の一員にはならないだろう。
ルチフェルの入門式を受けなければ、
誰も新時代に入らないだろう。」

デヴィッド・スパングラー
(国連地球イニシアティブプロジェクトディレクター)
『キリストに関する考察』Reflections on The Christ, Findhorn, 1978

この一年半以上、私たちのほとんどがもっともらしい理由をつけられないような一連の矛盾した出来事を、私たちは、なすすべもなく目撃してきました。パンデミックの緊急事態が特に明らかにしたのは、名目上は伝染を抑えることが目的であるはずの措置が持つ矛盾と非論理性でした。都市封鎖、外出禁止令、商業活動の停止、公共サービスや授業の制限、市民の権利の停止などです。

しかし、これらの措置は、相反する主張によって、効果がないことを示す明らかな証拠によって、同じ保健当局側の間の矛盾によって、日々否定されています。世界中のほぼすべての政府が、約束された結果を得ることなく実施した対策を列挙する必要はありません。実験的に開発された遺伝子血清が地域社会にもたらすとされていた利点、とりわけウイルスに対する免疫と新たな移動の自由に限って考えてみると、私たちが発見するのは、イタリアのマリオ・ドラギ首相をはじめとする世界の指導者たちが「ワクチン接種を受けた者は生き、受けなかった者は死ぬ」と宣言したにもかかわらず、「ランセット」誌(こちら)に掲載されたオックスフォード大学の研究が、2回のワクチン接種を受けた者のウイルス量は最初のウイルス株の251倍である(こちら)、と言っていることです。

遺伝子血清の副作用は、巧妙に偽装されていたり、意図的に国の保健当局に登録されていなかったりしますが、ワクチンを接種することの危険性と、私たちが間もなく直面しなければならなくなる市民の健康への不安に感じる未知な部分を裏付けているようです。

科学から科学主義へ

医学の技術(医術)は科学ではなく、経験と実験に基づいて、その都度異なるケースに科学的原理を適用するというものですが、緊急事態の名の下に、慎重さを放棄したかのように思えます。緊急事態は、医術を一つの「宗教」(実際には科学という宗教です -- 宗教ですから迷信に近い教条主義をまとっています -- )の司祭職のレベルにまでもち上げました。この「カルト」の「役務者たち」は、「不可触民」のカーストとしての役を買って出ており、自分たちの主張が事実の証拠によって否定されても、一切の批判を免除されています。2020年2月まで普遍的に有効であると考えられていた医学の原則は捨てられて、即興的なものに取って代わりました。それは、パンデミックの最中にワクチン接種を勧められたり、役に立たないのにマスクを義務づけられたり、信じがたい距離を恣意的に強制されたり、有効な薬による治療を禁止されたり、通常の安全プロトコルに違反して実験的な遺伝子治療を強要されたりするほど恣意的です。

そして、新型コロナウイルス感染症「宗教」のための新司祭がいるように、新たな異端者、つまり、新たなパンデミック「宗教」を拒否し、ヒポクラテスの誓いに忠実であり続けようとする医者たちもいます。ウイルス学者やその他の多かれ少なかれ肩書のある科学者を包んでいる「不可謬性」の権威のオーラは、彼らの利益相反や製薬会社から受けたかなりの金銭的利益があるにもかかわらず、疑問視されるべきであるとは思われないこともまれではありません。しかし、このことは、通常の条件下であればスキャンダラスで犯罪的なことでしょう。

多くの人が理解できないのは、定められた目的と、それを達成するための手段 -- これは常に変化する方法で採用される -- との間に矛盾があることです。スウェーデンで、都市封鎖やマスクをしないことが、人々が家に閉じこもっていたり、小学校でさえもマスクをしていたりする国々よりも感染率が高くならなかったとしても、この要素は対策の効果がない証拠とはみなされません。イスラエルや英国で大規模ワクチン接種をしたことが、感染を増加させ、感染の毒性を強くしたとしても、その国々の例は他の国々の統治者にワクチン接種キャンペーンに慎重になるよう導くのではなく、むしろワクチン接種の義務性を評価するように促しているのです。イベルメクチンや高免疫血漿が有効な治療法であることが証明されたとしても、それを承認するには、ましてや推奨するには不十分です。このような不合理さを疑問に思う人々は、結局、判断を控え、新型コロナウイルス感染症の「司祭たち」の宣言を一種の信仰主義的に受け入れたり、逆に医師を頼りにならない魔術師と考えたりしています。

単一の方向に向かう単一の脚本(シナリオ)

先に述べたように、私たちは嘘と詐欺に基づいた巨大な欺瞞(だまされ)に直面しています。この欺瞞(だまされ)は、当局が自らの行動を裏付けるために提示する正当な理由が誠実なものであるという前提から始まっています。もっと簡単に言えば、統治者たちが正直であると信じ、彼らが私たちに嘘をつかないと思い込んでいることが間違っていたのです。ですから、私たちこそが細部に至るまで計画された陰謀の対象であることを認識させないようにする目的のためだけであるならば、私たちは多かれ少なかれもっともらしい正当な理由を見つけることが続けてできます。私たちは、一方で不合理な行動を合理的に説明しようとし、他方で、私たちを統治する人々の非論理的な行動が論理的であるとみなそうとするので、「認知的不協和」により、私たちは現実から目をそらし、最も恥知らずな嘘を信じることになるのです。

少し前に私が書きましたが、私たちが理解しなければならなかったのは、「グレート・リセット」計画が、一部の「陰謀論者」の戯言の結果ではなく、何十年にもわたって構想された犯罪計画の大まかな証拠であって、少数の計り知れないほどの富と権力を持つ人々が、全人類をグローバリスト(globalist)のイデオロギーに合わせて奴隷化し、服従させようとする世界的な独裁体制を確立することを目的としているということです。

「陰謀論」という非難は、陰謀がまだ明らかになっていなかった時代には意味があったかもしれませんが、今日、1950年代からエリートが計画してきたことを否定することは正当化できません。カレルギー、ロスチャイルド家、ロックフェラー家、クラウス・シュワブ、ジャック・アタリ、ビル・ゲイツが第二次世界大戦以来言い続けてきたことは、本や新聞に掲載され、国際機関や財団でコメントされ、取り上げられ、政党や政府の多数派によって正確につくり上げられてきました。欧州合州国、無秩序な移民、賃金の引き下げ、労働組合の保証の取り消し、国家主権の放棄、単一通貨、パンデミックを口実とした市民の管理、そして新技術を用いたワクチン使用による人口削減は、最近の発明品ではなく、計画され、組織され、調整された行動の結果であり、その行動は、単一の方向付けの下にある単一の脚本に完璧に従っていることを明確に示しています。

犯罪者の心(mens)

現在の出来事が、特定の結果を得るために、つまり人類の少数派のための特定の利益を追求するために意図されたものであり、大多数の人々には計り知れない損害を与えるものであることを理解したならば、私たちは、この計画の立案者たちの犯罪的な「心」(mens)を認識する正直さも必要です。

この犯罪的な設計はまた、予測できない出来事に対する避けられない対応策としてある種の措置を人びとに提示して行う、世俗の権威がなそうとしている詐欺行為がどのようなものであるかを私たちに理解させてくれます。しかし、その出来事とは、全人類に不利益をもたらすためにエリートが意図した革命(シュワブは「第四次産業革命」と呼んでいます)を正当化することだけを目的として、巧みに作り出され、拡大されたものです。一方、権威の奴隷化は、それよりも前のフランス革命から始まったプロセスの結果です。何故ならフランス革命により、政治階級は、天主(その主権を政治階級はまったく軽視しています)のしもべではないとし、主権者である国民(これを政治階級は軽蔑し、自らを正当化するためだけに利用しています)のしもべでもなく、経済や金融の有力者、つまり銀行家や高利貸による、多国籍企業や製薬会社による国際的な寡頭制のしもべにしたからです。実際には、よく考えてみると、これらの対象はすべて、少数の有名な大富豪の家族に属しているのです。

同じ奴隷化は、メディアにおいても明らかです。ジャーナリストは、良心の呵責もなく、権力者に身を売ることを受け入れて、真実を検閲し、自分たちに信頼性を見せかけることもなく、恥知らずな嘘を広めるというところまで行っています。昨年までは、ジャーナリストは新型コロナウイルス感染症の「犠牲者」の数を数えるに当たって、検査で陽性とされた人を病状末期の患者として紹介していましたが、今日では、ワクチン接種後に死亡した人は、常に、漠然とした「病気」にかかっているだけで、「検死」解剖の前でさえ、人の死と遺伝子血清の投与との間には何の相関関係もないと公式に判断しています。彼らは、自分たちのナラティブ(物語)を裏付けるものでなければ、真実を平気で捻じ曲げ、自分たちの目的に合わせて曲げてしまうのです。

この一年半の間に起こったことは、グレート・リセットの生みの親である彼ら自身が、細部に至るまですでに広く発表していたことであり、採用されるであろう措置も私たちが聞いていたのと同じです。1950年2月17日、著名な銀行家であるジェームズ・ウォーバーグは、米上院での証言で、「あなた方が好むと好まざるとにかかわらず、われわれは世界政府を樹立するでしょう。唯一の問題は、この世界政府がコンセンサスによって打ち立てられるのか、それとも力づくによって打ち立てられるのか、ということです」と述べました。その4年後にビルダーバーグ・グループが誕生し、アニェリ、キッシンジャー、マリオ・モンティ、そして現イタリア首相のマリオ・ドラギらが名を連ねています。1991年、デヴィッド・ロックフェラーは、「世界は世界政府の準備ができている。知的エリートと世界銀行家による超国家的主権は、過去数世紀にわたって行われてきた民族自決よりも確実に望ましい」と書いています。そして、「われわれは、世界的な変革の間際にある。われわれに必要なのは『適切な』世界的危機であり、各国は新世界秩序を受け入れるだろう」と付け加えています。今日、私たちは、この「適切な危機」が、パンデミックの緊急事態と、ロックフェラー財団の文書「技術と国際開発の未来のためのシナリオ」(Scenarios for the Future of Technology and International Development)が2010年以来概要を示している「ロックステップ」(lockstep)と一致していることを確認することができます(こちら)。【リンク切れの場合はこちら

要するに、彼らは「見かけ上の解決策」として人口抑制策を押し付けるために「偽の問題」を作り出し、一部の国際的なグループの利益のために都市封鎖や「グリーン・パス(ワクチン・パスポート)」で中小企業を潰し、遠隔学習を押し付けて教育を解体し、「スマート・ワーキング(テレワーク)」で労働力や従業員のコストを下げ、大手製薬会社の利益のために公衆衛生を民営化し、さらには政府が緊急事態を利用して法を逸脱して立法を行い、全国民にいわゆるワクチンを押し付け、市民のすべての動きを追跡可能にし、慢性的な病気か不妊症にさせることを可能にさせているのです。

エリートたちは、自分たちがやりたかったことは、すべてやってしまったのです。そして理解できないのは、人類に対するこの恐ろしい犯罪が計画されていたという証拠に直面し、人類は、ほぼ全世界の指導者たちが共犯者や裏切り者であると理解しているにもかかわらず、真実を確認し、罪を犯した者や共犯者を断罪するために、彼らに対する訴えを聞く判事が一人もいないことです。反対意見を持つ者は検閲されるだけでなく、公共の敵として、感染を起こす者、権利が認められない非人間として、つまはじきにされるのです。

ディープ・ステートとディープ・チャーチ

さて、犯罪計画に直面した場合、少なくとも論理的には、それを非難し、周知させることで、それを回避し、罪を犯した者を裁くことができるようになります。裏切り者のリストは、政府のトップ、閣僚、選挙で選ばれた公務員から始まり、その後、ウイルス学者や腐敗した医師、共謀した公務員、憲法違反に反対できない軍隊の指導者、売られたジャーナリスト、臆病な裁判官、卑屈な組合に至るまで及ぶはずです。いつか作成されるであろうその長いリストの中には、ベルゴリオや、少なからぬ司教たちをはじめとするカトリック教会の指導者たちも含まれるはずです。何故なら、彼らはキリストから受けた命令に反して、君主の意志を熱心に実行するようになったからです。そして、そのリストを見れば、確かに陰謀の広がり方と陰謀家の人数が分かり、権威の危機と世俗的・宗教的権力の倒錯を裏付けることになるでしょう。つまり、世俗の権威の腐敗した部分である「ディープ・ステート」と、教会の権威の腐敗した部分である「ディープ・チャーチ」は、同じコインの裏表のようなもので、どちらも新世界秩序の確立に役立っていることが理解されるでしょう。

しかし、このような世俗の権力と宗教の権力の連携を理解するためには、現在の紛争の霊的・終末論的な面を認識し、ルチフェルが、自分の堕落以来、天主に対して行ってきた戦争の文脈の枠組みに置く必要があります。この戦争は、サタンと反キリストの容赦ない敗北と、星に包まれた婦人の圧倒的な勝利によって、その結果が「永遠から」(ab æterno)決定されていましたが、今、その結末が近づいています。

この理由により、暗黒の力は現在、非常に荒々しくなり、我慢できなくなっているため、私たちの主の御名を地上から消し去り、教会を破壊したり、十字架を壊したり、キリスト教の祝日を廃止させたりして私たちの都市にある目に見え手で触れる私たちの主の存在を示すものを破壊するだけでなく、記憶を消したり、キリスト教文明を取り消したり、その教えに混ぜ物をしたり、その礼拝を堕落させたりすることによって、そうしているのです。そして、そうするためには、キリスト教の信仰と道徳の教えを守るために殉教する覚悟のある、忠実で勇気ある位階階級の存在が障害となるのは確かです。だからこそ、グローバリストの計画の最初の段階から、位階階級を道徳や教理で堕落させ、位階階級に第五列【スパイ、裏切り者】や潜伏工作員を侵入させ、位階階級から超自然的な熱望を奪い、金融・性的スキャンダルのおかげで位階階級を脅迫されやすい状態にすることが必要不可欠だったのです。つまり、その目的が達成されたならば、確立された慣習に従って、位階階級を排除し、消滅させることが何より目的だったのです。

この浸透作戦は、新世界秩序のプロジェクトが具体化しつつあった1950年代の終わりに始まりました。その数年後、第二バチカン公会議(1962-1965年)で、このプロジェクトは自らの破壊活動を開始しました。

この公会議は、ロンカリ(ヨハネ二十三世)が選出され、パチェリ(ピオ十二世)の「皇太子」(dauphin)すなわち教皇としての後継と目されていたシリ枢機卿が追放されたことで、教会内の進歩主義者や近代主義者にとっても、世俗社会の共産主義者、自由主義者、フリーメーソン主義者にとっても、熱狂的となった理由を表していました。第二バチカン公会議は、教会組織においては、(フランス革命の)テニスコートの誓いが世俗社会にとってそうであったもの、つまり革命の始まりを象徴していました。そして、私が何度も公会議の破壊的な性質に注目してきたとすれば、今日、私が信じているのは、見かけ上は切り離されている事実が不穏な意味を持ち、多くのことを説明しているという、歴史的な分析が注目に値するということです。

「危険な関係」

マイケル・J・マットが「ザ・レムナント」(The Remnant)の最近のビデオ(こちら)で報告したように、今日、私たちはモザイクのすべてのピースを組み立て始めています。そして、私たちは、主人公の一人がまさに認めているように、ブラジルの「オリンダとレシフェの大司教区」のヘルダー・カマラ大司教が、世界経済フォーラムの創設者でありグレート・リセットの理論家である若きクラウス・シュワブと、当時、数年間に会っていたことを発見しました。シュワブは、カマラが伝統的な教会に反対していて、革命的で貧困対策的な理論を持っていることを認識すると、彼をダボス会議に招待し、このイベントへの彼の参加が新秩序のプロジェクトの観点から極めて重要であると考えたのです。

ヘルダー・カマラは、公会議閉会の数日前、1965年11月16日に約40人の超進歩主義者の司教が署名した「カタコンベの盟約」の主催者の一人であったことが分かっています。この文書の異端的なテーゼの中には、正義と平等に基づく「もう一つの新しい社会秩序」(こちらn.9)の確立への協力も含まれています。そして、署名者の中には、「当時のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ神父の模範になった」(こちら)アルゼンチンのコルドバの補佐司教、モンシニョール・エンリケ・アンゲレリも含まれていたことを知っても驚きはありません。ベルゴリオ自身も、教皇就任当初から「カタコンベの盟約」の要求に同意すると宣言していました。2019年10月20日、アマゾンに関するシノドスの期間中、聖ドミティラのカタコンベで、共謀者間の盟約の祝いが繰り返され(こちら)、公会議で始まった計画が、まさにホルヘ・マリオ・ベルゴリオにおいて成就したことを裏付けました。

ベルゴリオは、自分を支持し、前回のコンクラーベでの選出を決定づけた超進歩主義者たちと距離を置くどころか、新世界秩序の計画と完全に一致していることを証明する機会を決して逃しません。まず、バチカンの委員会や部署がマルサス的母体の環境保護主義に協力し、ロスチャイルド家、ロックフェラー財団、大銀行との世界的な同盟である「包括的資本主義のための評議会」に参加していることが挙げられます。つまり、一方ではデヴィッド・ロックフェラーが三極委員会とともにあり、他方ではロスチャイルド家と姻戚関係にあるクラウス・シュワブ(こちら)が世界経済フォーラムとともにあります。

この両者は、1950年代から計画されているように、グレート・リセットによって新秩序を確立するために、カトリック教会のトップと腕を組んでいるのです。

(続く)

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ヴィガノ大司教、トラディティオーニス・クストーデスへの対応で司祭に助言

2021年08月18日 | カトリック・ニュースなど
ヴィガノ大司教、トラディティオーニス・クストーデスへの対応で司祭に助言

2021年8月6日

【編集者注】ヴィガノ大司教が「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)に関するビデオメッセージ

(日本語訳はここ:前半後半)を発表なさった後、LifeSiteNewsとCFNの寄稿者であるマイケ・ヒクソン博士は、聖伝のラテン語ミサをやめさせようとする試みに関して、司祭と信徒へのアドバイスを明確にしてくださるように大司教様にお願いしました。大司教様は8月5日に回答してくださいました。

まず、大司教様は、「聖なるいけにえを捧げる権能を持つ者は誰であれ、古代の儀式で聖なるいけにえを捧げる権利を持っています…」と確認なさっています。ご自分の典型的な慎重さを示されて、大司教様は、ミサに関する制限に対応する際には、「客観的な要素とさまざまな状況の両方を考慮しなければならないのは明らかです…」と助言なさっています。その結果、「司祭は、自分の行動が、公正で直接的な対決をすることでより効果的になるのか、それとも、慎重に隠れて行動する方がより効果的になるのか、を考えなければなりません」としています。しかし、司教のその不当な決定に公に従わないことは「私たちが従わなければならない聖人たちの行いに最も一致するものです」と指摘しておられます。

大司教様はまた、父親のように振る舞おうとする教区長がいる場合、司祭は教区長に聖伝のミサを自分で捧げるように勧めるべきだと助言なさっています。なぜなら、そうすることは「教区長の心とその司祭としての霊魂の最も奥深い琴線に触れることで、教区長に理解してもらう方法となり得」るからです。

この回答は、LifeSiteNewsに掲載されたものです。

*****

2021年8月5日
雪の聖母の大聖堂(聖マリア大聖堂)の奉献の祝日

親愛なるマイケ、

説明を求めるあなたのご依頼について、少し考察をお送りします。それが私の考えをさらに明確にすることを期待しています。次が【あなたが問題にしている】その文章です。
私たちの義務は、天主の役務者としても、素朴な信者としても、このような濫用に対して確固とした穏やかな抵抗を示し、超自然的な精神で私たち自身の小さなカルワリオの道を歩いていくことです。他方で、人々の新しい大司祭と律法学士は、私たちをあざけり、狂信者としてレッテルを貼ることになるでしょう。私たちの謙遜、私たちに対する不正を黙って捧げ物とすること、私たちが告白している信経に矛盾しない生き方という模範こそが、カトリックのミサの勝利と多くの霊魂の回心をもたらす恵みを勝ち取るでしょう。

あなたは私にこうお尋ねになりました。「司教から圧迫されたとき、司祭や信者はどうすべきでしょうか? 密かに行動するのでしょうか、それとも公の不従順をもって公に断ち切るのでしょうか?」。

まず第一に言わせていただくと、教皇聖ピオ五世のミサを捧げ続けることで、司祭は不従順の行いを何もしておらず、それどころか、天主に認められた権利を行使しているのであって、この権利は教皇でさえも取り消すことはできません。聖なるいけにえを捧げる権能を持つ者は誰であれ、古代の儀式で聖なるいけにえを捧げる権利を持っています。これは、トリエント典礼を公布した使徒的憲章「クオ・プリームム」(Quo Primum)で、教皇聖ピオ五世が荘厳に宣言したことです。

このことは、議論の余地のない事実として、自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)によって繰り返し述べられています。これらの条項に反する者は誰であれ、「全能の天主[の憤慨]及び使徒聖ペトロとパウロの憤激をかうと言う事を覚えよ」(クオ・プリームム)。

聖伝のミサを捧げることを制限したり禁止したりすることに対する対応は、客観的な要素とさまざまな状況の両方を考慮しなければならないのは明らかです。司祭がトリエント・ミサを捧げると聖職の停止を平気で科すような、古代の典礼様式の不倶戴天の敵が教区長であるときには、特にそのニュースがメディアで広まった場合には、公の不従順が教区長の権力濫用を明らかにする方法になるかもしれません。高位聖職者たちは、自分の行動についてメディアに取り上げられることを非常に恐れており、新聞に掲載されることを避けるだけのために、教会法上の措置を控えることもしばしばあります。

したがって、司祭は、自分の行動が、公正で直接的な対決をすることでより効果的になるのか、それとも、慎重に隠れて行動する方がより効果的になるのか、を考えなければなりません。私の意見では、第一の選択が最も直線的で透明性が高く、私たちが従わなければならない聖人たちの行いに最も一致するものです。

もちろん、自分の司祭がトリエントの典礼様式を捧げることを自由にさせてくれる理解のある司教の場合もあるでしょう。司教に役人ではなく父親を見いだすことができるのを知っていれば、自分の司教に心を開いて話すことは確かに重要です。残念ながら、ほとんどの場合、それは寛容さの問題であり、聖伝の道についての励ましにはほとんどならないことを私たちはよく知っています。しかし、場合によっては、聖ピオ五世のミサを自分で捧げるように教区長本人を招くことは、教区長の心とその司祭としての霊魂の最も奥深い琴線に触れることで、教区長に理解してもらう方法となり得ます。このミサは、使徒継承の儀式で聖なるいけにえを捧げるという良き機会を得る天主の役務者のために取っておかれた宝なのですから。この「奇跡」が起こると、司教は司祭の味方になります。なぜなら、聖伝のミサを好ましいものとさせる知的かつ理性的な面に加えて、このミサの霊的かつ超自然的な次元を直接体験し、また、このミサがそれを捧げる人々の恩寵の生活にどのように影響するかを体験するからです。

私の言葉によって、前回の演説では展開されなかった点が明確になることを期待しています。



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ヴィガノ大司教「通常の小教区の信徒や遠く離れた信徒までもが聖伝のミサの教会に来るようになっても驚くことではない。私たちの義務は、権力の濫用に対して確固とした抵抗を示すことだ。」

2021年08月17日 | カトリック・ニュースなど

教会の石、祭壇の大理石、円柱、丸天井は叫んでいる。公会議の結果として、天主の礼拝のために奉献されたこれらの石が、今日、放棄され、砂漠化させられ、冒涜され、駐車場やスーパーマーケットに変えられているからだ。私たちも叫ぼう。

【参考資料】ヴィガノ大司教、教皇フランシスコによる全時代のミサの盗みに応える(続き)

Archbishop Viganò Responds to the Theft of the Mass of All Ages by Pope Francis

「ヴィガノ大司教、教皇フランシスコによる全時代のミサの盗みに応える」の続きです。

他の不一致

教会の歴史において、公会議あるいは典礼改革が、それ以前のものとそれ以後のものとの間の断絶点となったことは一度もありませんでした。この二千年の間、ローマ教皇たちは、自分たちより前の教会と自分たちが統治しなければならない教会との間に、意図的にイデオロギー的な境界線を引き、自分たちの前任者の教導権を無効にしたり、それと矛盾させたりしたことはなかったのです! そうする代わりに、教理上の誤謬を慎重に曖昧な表現の背後にほのめかした人々や、勝利を確信した者の大胆さをもって、第二バチカン公会議を「教会の1789年(フランス革命)」、「預言的」で「革命的」なイベントとして宣伝した人々の両方では、「前」と「後」は、強迫観念になりました。

2007年7月7日以前、聖伝の典礼様式の普及に対して、有名な教皇庁の式典担当者は辛らつにこう答えています。「もう後戻りはできない!」と。しかし、「スンモールム・ポンティフィクム」の公布にまで後戻りすることができるのは、フランシスコを見れば明らかです。では、どのようにして! それが権力を維持するため、また善が普及しないようにするために役立つならば、です。それは、パンデミックの茶番劇の「何もかもが以前のようにはならない」という叫びを不吉に繰り返すスローガンなのです。

フランシスコは、トリエント典礼に結びついている信徒と、主に習慣や諦めから改革された典礼に順応している信徒との間の分裂とされるものがあることを認めていることが、明らかになっています。彼は、モンティーニの典礼様式(パウロ六世の新しいミサ)より客観的に優れている典礼様式(聖伝のミサ)に完全な権利を認めることで、この分裂を癒やそうとはしませんが、それは、まさに聖ピオ五世のミサの存在論的な優位性が明らかになるのを防ぐためであり、改革された典礼とそれが表す教理に対する批判が出てくるのを防ぐためです。そして、聖伝のミサを禁止し、分裂を招くものとしてレッテルを貼り、インディアン居留地のようなところに限定して、その普及を可能な限り制限しようとしています。そして、公会議革命が不幸な前身となった「キャンセル・カルチャー」の名の下に、完全に消滅させるつもりなのです。ノブス・オルド(新しいミサ)と第二バチカン公会議が、ヴェトゥス・オルド(聖伝のミサ)および永遠のカトリックの教導権との対決に容赦なく敗れたことに耐えられず、採用できる唯一の解決策は、聖伝の痕跡をすべて消し去り、単純化されない80歳代の人々あるいは常軌を逸した人々の懐古趣味的な避難所に追いやり、あるいは、少数の原理主義者のイデオロギー的マニフェストとして、これを口実として提示することです。

一方で、大衆を教化するために「嫌になるほど」(ad nauseam)何度も繰り返される、システムに合致したメディア用[宣伝]版を構築することは、教会の領域だけでなく、政治や世俗の領域でも繰り返される要素です。それにより、ディープ・ステートとディープ・チャーチが、同じ方向に走る二つの並行した線路にほかならず、その最終目的地は、自らの宗教と預言者を擁する新世界秩序(New World Order)であるということが、当惑にさせる証拠をもって示されています。

分裂は明らかに存在していますが、それは全時代の教理に忠実であり続ける良きカトリック教徒や聖職者からではなく、むしろ正統性を異端に、聖なるいけにえを兄弟愛のアガペーに置き換えた人々から来ています。その分裂は今日では新しいものではなく、1960年代にまでさかのぼります。そのとき、「公会議の精神」、この世への開かれること、諸宗教間の対話ということが、二千年のカトリックをわらくずに変え、教会の全体を革命化させ、言うことを聞かない人々を迫害し、追放しました。しかし、教理的・典礼的な混乱を教会の中心に持ち込むことによって達成されたその分裂は、当時はそれほど嘆かわしいものとは思われませんでした。他方で、完全な背教状態にある今日、第二バチカン公会議とノブス・オルドの明確な断罪を求めるのではなく、大いに謳われている多面的な多元主義の名の下に、「特別の形式の」ミサの単な単なる許容を求める彼らの方が、逆説的にも、分裂的であるとみなされているのです。

重要なことは、文明世界においてさえ、少数派の保護は、彼らが伝統的な社会を破壊するのに役立つ場合にのみ有効であり、他方でそのような保護が誠実な市民の正当な権利を保証する場合には無視されるということです。そして、少数派の保護を口実に、多数派の善良な人々を弱体化させることだけが意図されていたことが明らかになっている一方、多数派が腐敗した人々で構成されている今、少数派の善良な人々を容赦なく粉砕することができるのです。最近の歴史には、この点に関して照らしを与えてくれる前例には事欠きません。

「トラディティオーニス・クストーデス」の専制的性質

私の意見では、自発教令のこの点、あの点が気になるのではなく、押し付けられた決定を正当化するために提出された論拠の実質的な偽りを伴う、全体的な専制的性質が気になります。

権威がその存在意義(raison d’etre)を持っているのは、教会を通して信者に授与される恩寵を妨げたり制限したりするのではなく、むしろそれらの恩寵を促進するためです。権威は、プロテスタントに好意を示すような典礼様式(新しいミサ)によって天主の御稜威から栄光を奪うのではなく、むしろその栄光を完璧に表現するためにあります。また、教義上や道徳上の誤謬をまき散らすのではなく、むしろそれらを断罪し根絶するために、その存在理由があります。そうあるべき権威による権力の濫用によって、つまずきもまた与えられています。ここでも、世俗の世界で起こっていることとの類似性があまりにも明らかです。私たちの世俗の支配者は、私たちの高位聖職者がそうであるように、権力を濫用し、法の最も基本的な原則に違反して規範や制限を課しています。

さらにまさに権力を握った者こそが、聖俗どちらの面でも、市民や信徒といった、一般大衆からの事実上の(de facto)承認にすぎないものを利用することが多いのです。しかも、権力を奪う手段が、法律の文字面はともかく、少なくとも法の精神には違反しているにもかかわらず、です。

イタリアの場合は、選挙で選ばれたわけではない政府が、イタリア憲法とイタリア国民の自然権を侵害して、ワクチン接種の義務とグリーンパス【ワクチン・パスポート】について立法していますが、教会が置かれている状況と、似ても似つかないとは思われません。何故なら、辞任した教皇に代えて、ザンクト・ガレン・マフィアと超進歩的な司教団によって選ばれ、あるいは少なくとも評価され支持されているホルヘ・マリオ・ベルゴリオが教皇に就任したからです。世俗、宗教の両方の権威には、深刻な危機が存在することは明らかであり、その危機において、権力を行使する者は、彼らが保護すべき人々にまったく反しており、何よりもその権威が確立された目的に反しています。

ディープ・チャーチとディープ・ステートの間の類似

世俗社会も教会も、前者をフランス革命で、後者を第二バチカン公会議で襲ったのと同じ癌にかかっていることが理解されてきたと思います。どちらの場合も、制度を組織的に破壊し、外見や位階構造、強制力を維持しながらも、本来の目的とは正反対の目的を持った偽物に置き換えるのですが、その基盤には、フリーメーソン思想があるのです。

この時点で、一方においては市民が、また他方においては信者が、どちらも国家と教会を統治する天主の権威に従うために、地上の権威に不従順でなければならないという状態に陥っています。明らかに「反動派」、つまり、権威の倒錯を受け入れず、キリストの教会と祖国に忠実であり続けたいと願う人々は、いかなる形であれ、容認できない反体制分子とされ、したがって彼らは、「公共の利益」 -- これはもはや共通善(bonum commune)ではなくその逆である -- の名の下に、信用を失わせられ、委縮させられ、脅迫され、権利を奪われなければならないのです。

支配者らが消滅させようとしている世界の少数の生き残りは、陰謀論、聖伝主義、原理主義のいずれで非難されようとも、世界統一計画の実現に向けて最も重要な瞬間に、この計画達成に対する脅威となります。だからこそ、権力はこのように堂々と、大胆に、そして暴力的に反応しているのです。詐欺の証拠は、より多くの人々に理解され、彼らを組織的な抵抗に導き、主流メディアが押し付ける沈黙の壁と猛烈な検閲を打ち破る危険性があるからです。

したがって、私たちは、権威当局の反応の激しさを理解し、強力で断固とした反対運動に備えることができ、濫用的かつ不法に私たちに否定された権利を引き続き利用することができます。もちろん、グリーンパスを持っていないと旅行に行く機会が与えられなかったり、司教が自分の教区の教会で全時代のミサを行うことを禁止したりして、私たちはそれらの権利を不完全な形で行使しなければならないことに気づくかもしれません。しかし、権力の濫用に対する私たちの抵抗は、主が私たちに与え続けてくださる恩寵、特に専制政治の時代には欠かせない剛毅の徳を頼りにすることができるでしょう。

彼らを恐れさせる「普通のこと」

反対派への迫害がいかに組織化され、計画されているかを知る一方で、反対派を断片化させているのを認識しないわけにはいきません。ベルゴリオは、反対派の動きをすべて封じ込める必要があることをよく知っています。特に、内部分裂を引き起こし、司祭や信者を孤立させることによって。教区の聖職者、修道者、エクレジア・デイ団体の間の実りある兄弟愛的な協力関係は、ベルゴリオが回避しなければならないものです。なぜなら、それは古代の典礼様式に関する知識の普及を可能にし、また宣教における貴重な助けとなるからです。しかし、これはトリエント・ミサを信者の日常生活の中で「普通のこと」にすることを意味し、フランシスコにとっては許容できないことです。そのため、教区の聖職者は教区長のあわれみの下に取り残される一方で、エクレジア・デイ団体は「聖職者省」の権威の下に置かれ、すでに決定的になった運命への悲しい前奏曲となっています。まさに憎まれた聖伝の典礼や、規則の忠実な遵守のおかげで、多くの召命に恵まれ、育まれてきた、繁栄している修道会に降りかかった運命を忘れてはなりません。

だからこそ、ミサを捧げる儀式に関するある種のこだわりは、コミッサール【旧ソ連の政治・行政官僚】の規定を正当化し、ベルゴリオのゲームに参加する危険性があるのです。世俗社会においても、反対派の行き過ぎた行動を助長することこそが、権力にある人々が彼らを疎外し、彼らに対する抑圧的な措置を正当化することになります。ワクチン反対運動の事例を考えてみると、少数の人々の風変わりさや矛盾を強調することで、市民の正当な抗議行動の信用を落とすことがいかに容易であるかが分かります。また、憤慨してワクチンセンターに火をつけた少数の人々を非難することはあまりにも簡単で、ワクチン接種を受けなければ健康パスポートに烙印を押されたり解雇されたりするのを避けるために、街頭に出た何百万人もの誠実な人々影を投げかけてしまいます。

孤立化・非組織化の状態にとどまってはならない

私たち全てにとって、もう一つの重要な要素は、私たちの構成した抗議行動を多くの人に見えるようにし、公的な行動へ向けての一種の共同作業を確保する必要があることです。「スンモールム・ポンティフィクム」の廃止により、私たちは20年前に戻ったように感じます。

ベルゴリオがした教皇ベネディクトの自発教令を取り消すという不幸な決定は、失敗する悪い運命にあるのは変わりません。何故ならこれは主ご自身がその最高司祭であり大司祭である教会の霊魂そのものに触れる[敏感な問題だ]からです。そして、私たちがここ数日で安心して見ているように、全司教団が、霊魂に平和をもたらすことには確実に貢献しない権威主義の形態に受動的に喜んで従うとは限りません。教会法は一定の条件の下で、司教たちが自分たちの信徒のために特定のあるいは普遍的な法律を免除することができると保証しています。第二に、天主の民は「トラディティオーニス・クストーデス」の破壊的な性質をよく理解しています。そこで彼らは本能的に、進歩主義者らの中でこのような不承認を起こすものを知りたいと思っています。

そのため、通常の小教区生活を送っている信徒や、教会から遠く離れた信徒までもが、聖伝のミサが行われている教会に足を運ぶようになったとしても、驚くことはありません。私たちの義務は、天主の役務者としても、素朴な信者としても、このような濫用に対して確固とした穏やかな抵抗を示し、超自然的な精神で私たち自身の小さなカルワリオの道を歩いていくことです。他方で、人々の新しい大司祭と律法学士は、私たちをあざけり、狂信者としてレッテルを貼ることになるでしょう。私たちの謙遜、私たちに対する不正を黙って捧げ物とすること、私たちが告白している信経に矛盾しない生き方という模範こそが、カトリックのミサの勝利と多くの霊魂の回心をもたらす恵みを勝ち取るでしょう。私たちが多くのものを受けているからこそ、多くのものを要求されることを忘れないようにしましょう。

原状回復(Restitio in integrum)

「あなたたちの中に、パンを欲しがる子に石を与え、魚を欲しがる子に魚の代わりに蛇を与える…父親はいないだろう」(ルカ11章11-12節)。今、私たちはこの言葉の意味を理解することができ、「霊魂のない典礼」という石、堕落した教理という蛇、混ぜ物の入った道徳というサソリを私たちに与える父の冷笑を、心の痛みと苦悩をもって考えます。そして、主の群れを、ノブス・オルドを受け入れる人々と、父祖たちのミサに忠実であり続けたい人々との間で分断するという段階にまで到達しているのです。

私たちの主がロバの子に乗ってエルザレムに入られ、通過されるとき、群衆が外套を広げて敷いていたため、ファリザイ人が主にこう求めました。「先生、弟子たちをしかってください」。主は彼らにこう答えられました。「私は言う。彼らが黙ったとしても石が叫ぶだろう」(ルカ19章28-40節)。この60年間、私たちの教会の石は泣き叫んでおり、教会から聖なるいけにえが二度も排除されました。祭壇の大理石、バシリカの円柱、大聖堂の高い丸天井も同様に叫んでいます。なぜなら、守ろうと言い張っているあの公会議の結果として、まことの天主の礼拝のために奉献されたこれらの石が、今日、放棄され、砂漠化させられ、あるいは忌まわしい典礼様式によって冒涜され、あるいは駐車場やスーパーマーケットに変えられているからです。私たちも叫びましょう。私たちは、天主の神殿の生ける石です。今日では言葉を発しない主の弟子たちに声を与えてくださるように、また、主のぶどう園の管理者に責任がある耐えがたい盗みが弁償されるように、主に向かって信仰をもって叫びましょう。

しかし、その盗難が弁償返還されるためには、私たちから盗まれた宝に、私たちがふさわしいことを示す必要があります。そのためには、生活の聖性によって、聖徳の模範を示すことによって、祈りや頻繁なご聖体の拝領によって、このことを行うよう努めましょう。そして、聖香油の意味をまだ知っている何百人もの良き司祭がいることを忘れないようにしましょう。その聖香油で、彼らはキリストの役務者、天主の神秘の分配者として叙階されたのです。主は、祭壇がたとえ地下室や屋根裏に建てられていても、私たちの祭壇に降りてきてくださいます。Contrariis quibuslibet minime obstantibus.(妨げになる何事があったとしても)。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

2021年7月28日

殉教者聖ナザリオとチェルソ、
教皇殉教者ヴィクトル一世、
教皇証聖者イノチェンチオ一世の祝日


イタリア語

OGPイメージ

Mons. Viganò Commenta il Motu Proprio “Traditionis Custodes”.

Marco Tosatti Cari amici e nemici di Stilum Curiae, riceviamo e volent...

STILUM CURIAE

フランス語

OGPイメージ

Mgr Viganò commente le Motu Proprio Traditionis Custodes.

Marco Tosatti Chers amis et ennemis de Stilum Curiae, c’est avec...

STILUM CURIAE

スペイン語

OGPイメージ

Monseñor Viganò comenta el Motu Proprio “Traditionis Custodes”.

Marco Tosatti Queridos amigos y enemigos de Stilum Curiae, recibimos y...

STILUM CURIAE

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永遠のミサ【聖伝のラテン語ミサ】についてのドキュメンタリー映画

2021年08月16日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

 
愛する兄弟姉妹の皆様、
 
永遠のミサ【聖伝のラテン語ミサ】についてのドキュメンタリー映画です。
 
第一話 聖伝のミサを発見する
 
 



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ヴィガノ大司教「聖伝のミサは、霊魂の生命、霊的な成長の問題だ。私たちは第二バチカン公会議以前の拒否を特徴とする新しいミサ典書の道具的使用について語るべきではないか?」

2021年08月14日 | カトリック・ニュースなど

ヴィガノ大司教、教皇フランシスコによる全時代のミサの盗みに応える

Archbishop Viganò Responds to the Theft of the Mass of All Ages by Pope Francis

2021年7月31日

【編集者注】フランシスコが「全時代のミサ」を抑圧しようとしている自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)について、ヴィガノ大司教はそれを広範囲にわたって分析した結果を、掲載するようにと送ってくださいました。大司教は、この専制的な行為を鋭く分析した後、締めくくりに「私たちの構成した抗議行動を多くの人に見えるようにし、公的な行動へ向けての一種の共同作業を確保する必要性があること」を確認しておられます。そして、私たちが孤立したり、絶望したりしないようにと呼びかけておられます。大司教は、盗まれたものが完全に復興されることを期待しておられますが、そのためには私たちがその復興にふさわしい存在でなければならないことを念押しなさっています。大司教の文章は、以下の動画で読むことができますし、大司教が演説する様子もご覧いただけます。(ブライアン・マッコール)

LAPIDES CLAMABUNT
石が叫ぶだろう

Dico vobis quia si hii tacuerint, lapides clamabunt.
Lk 19:40
私は言う。彼らが黙ったとしても石が叫ぶだろう。
ルカ19章40節

「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)【聖伝の守護者】。これは、ベネディクト十六世の自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)をフランシスコが強引に破棄した文書の「出だし」(incipit「冒頭の数語」)です。「教会憲章」(Lumen Gentium)からの大げさな引用は、ほとんど嘲笑的な調子であることに、気づかないわけにはいきません。

ベルゴリオが司教たちを聖伝の守護者と認めた矢先に、聖伝の最高にして最も神聖な表現である祈りを司教たちに妨害するように求めたのです。文書を和らげるための「エスカモータージュ」(「言葉の綾」または「策略」)をテキストの行間に見つけようとする人は、教理省に修正のために送られた草案が最終テキストよりも極めて過激だったことを知るべきです。草案の過激さを知ると、トリエント典礼反対者たちからの特別な圧力など必要なかったという確認ができます、もしもそのような確認が必要だったとしたのならば、ですが。つまり、聖アンセルムスに関する学者たちに始まるトリエント典礼の歴史的敵対者が、聖下が得意とする手、すなわち廃止、を試みるように説得する必要など全くなかったのです。Ubi solitudinem faciunt, pacem appellant.[彼ら廃墟を作り、それを平和と呼ぶ。―タキトゥス「アグリコラ」]

フランシスコの手口

フランシスコは、「継続性の解釈法」という敬虔な幻想を再び否定し、「ヴェトゥス・オルド」(古いミサ)と「ノブス・オルド」(新しいミサ)の共存は不可能であると述べています。それは、ヴェトゥス・オルドとノブス・オルドが、両立し得ない二つの教理的・教会的アプローチを表現したものであるからです。一方にはキリストの教会の声である使徒継承のミサがあり、他方には公会議の教会の声であるモンティーニの「聖体祭儀」があります。

これは、改革された儀式や第二バチカン公会議に不安を抱く人々がしている非難ではありません。もちろん非難するのは正当なことですが。そうではなく、むしろ、進歩主義の中でも最も過激な派閥のトップであるフランシスコ自身が、イデオロギーへの固執を認め、誇りを持って肯定していることなのです。ローマ教皇であると同時にカトリック教会の清算人でもある彼は、一方では教令や統治行為によってカトリック教会を破壊し、他方ではその職責に伴う威光を利用して、古い宗教の瓦礫の上に「新しい宗教」を確立し、広めることができるからです。彼が天主に対して、教会に対して、主の群れに対して行っている行為が、「パレーシア」(parrhesia)【包み隠さずすべてを話すこと】、対話、壁を作らずに橋を架けることを訴えることと全く相反するものであっても、ほとんど問題ではありません。「いつくしみの教会」や「野戦病院」とは、利益を受けるのが異端者や私通者ではなくカトリック信者であるべきですから、空虚な美辞麗句であることが分かります。

現実には、私たちの誰もがよく知っていることは、「アモーリス・レティチア」(Amoris Laetitia)が公の同棲者や姦通者に対して示す寛容さは、ベルゴリオが機会があればすぐに矢を放つ「硬直した」人々に対しては、【適用は】考えられません。【フランシスコ教皇は聖伝を支持する人々のことを「硬直している」rigid とよく非難している。】

ベルゴリオが高位聖職者や政治家、保守派の知識人との面会を断った理由が、痴漢をした枢機卿や異端の司教、妊娠中絶派の政治家、世界統一主義者(globalist)の知識人には当てはまらないことは、この教皇就任から何年もたった今、誰もが理解しています。つまり、行動に明らかな違いがあり、その違いからフランシスコがカトリックではないあらゆるイデオロギー、思想、プロジェクト、科学的、芸術的、文学的表現を好んでいるという、えこひいきや党派性を把握することができます。このサンタ・マルタ館の住人は、漠然とでもカトリックを連想させるだけのものにさえ嫌悪を抱いているように見え、違和感のあるほどですが、それは彼が座している玉座のおかげです。多くの人が、この乖離(かいり)、つまり、教皇らしくない行動や教皇らしくない発言をする教皇のこの一種の双極性に注目しています。

問題は、病気や高齢の教皇の場合のように教皇職が「不作為」なのではなく、教皇職の本質そのものとは正反対の意味で組織化され、計画された絶え間ない行動に私たちが直面していることです。ベルゴリオは、カトリックの信仰の真理を強く再確認することによって現代の誤謬を断罪するということがないだけでなく(彼はこれまで決してしてきませんでした)、それらの誤謬を積極的に広め、促進し、その支持者を励まし、可能な限り広め、バチカンでその促進イベントを開催しようとし、同時に、これらの同じ誤謬を非難する人々を沈黙させています。【フランシスコ教皇は】私通を犯した高位聖職者たちを罰しないばかりか、嘘をついてまで彼らを昇進させ擁護する一方で、保守的な司教たちを排除し、新路線に沿わない枢機卿たちの心からの訴えにも苛立ちを隠しません。自らをカトリック信者と主張する妊娠中絶派の政治家を断罪しないだけでなく、【フランシスコ教皇は】司教協議会がこの問題について発表するのを妨げるために介入し、「シノドスの道」に反して、逆に少数の超進歩的な人物を使って大多数のシノドスの教父たちに自分の意志を押し付けることを可能にしています。

「トラディティオーニス・クストーデス」において最も大胆かつ傲慢な形で現れているこの態度にある唯一の一貫性は、二枚舌と嘘です。二枚舌は、もちろん、見かけであり、特定のグループを支持するという慎重さだけにはに欠ける立場によって、日々否定されています。そのグループとは、簡潔に言えばイデオロギー的な左派であると特定することができますが、実際にはそのごく最近の進化形態として、世界統一主義者、環境保護主義者(ecologist)、トランスヒューマン(人間改造主義)、LGBTQの鍵です。教理上の問題についてあまり知識のない素朴な人々でも、少なくとも言葉の厳密な意味で非カトリックの教皇がいるということを理解できるようになってきました。このことは、重要でないとはいえない教会法上の問題をいくつか提起しており、それを解決するのは私たちではありませんが、遅かれ早かれ対処しなければならなくなるでしょう。

イデオロギー的な急進主義

「トラディティオーニス・クストーデス」によって極限まで高められた、この教皇職のもう一つの重要な要素は、ベルゴリオのイデオロギー的な過激さです。つまり、他の人に関わる場合は言葉で非難されますが、古代の儀式に関係したり聖伝に忠実だったりする聖職者や信徒対して行動に出るのがベルゴリオ自らである場合には、最も暴力的で冷酷な表現となって姿を見せる過激さです。聖ピオ十世会に対しては、進んで譲歩して「良き隣人」としての関係を築こうという姿勢を見せていますが、ラテン語のミサを懇願するために千回もの屈辱と恐喝に耐えなければならないあわれな司祭や信徒に対しては、理解も思いやりも示しません。この振る舞いは偶然ではありません。ルフェーブル大司教の運動は、独自の自治と経済的な独立性を享受しており、そのために聖座からの報復や検査官を恐れる理由はありません。しかし、教区や修道会に所属する司教たち、司祭たち、聖職者たちは、自分たちの上に、罷免、教会上の身分からの解雇、生活手段そのものの剥奪というダモクレスの剣がつるされていることを知っているのです。

司祭の生活におけるトリエント・ミサの経験

私の演説や宣言を見ておられる方は、公会議やノブス・オルドに対する私の立場をよくご存じだと思いますが、それだけでなく、私の背景、つまり聖座に奉仕してきた私の経歴、そして私たちが直面している背教と危機に対する比較的最近の認識についてもご存じだと思います。このような理由から、私は、まさにこのような状況のために、聖ピオ五世のミサだけを捧げる、あるいはそれだけにあずかるという思い切った選択をすることができない、あるいはまだできていない人々の霊的な道のりへの理解を改めて表明したいと思います。

多くの司祭は、由緒あるトリエント典礼を捧げ、その中に身を置くことによって初めて、その宝を発見します。そして、「特別な形式」に対する最初の好奇心が、儀式の荘厳さゆえに確かに魅力的ではありますが、言葉の深さ、教理の明快さ、そしてそれが私たちの霊魂を生み育ててくれる比類のない霊性への認識へとすぐに変わることも珍しくありません。そこには、言葉では表現できない完璧な調和があり、信者には部分的にしか理解できないものの、天主だけが可能な方法で司祭職の心に触れています。このことは、ノブス・オルドを何十年も従順に捧げてきた後、「古い使用法」(usus antiquior)に近づいた私の同僚たちによって裏付けられています。それは、朝課にある読書の部や教父の解説を含む聖務日課の祈り、ミサのテキストとの相互参照、一時課の殉教録などを含む秩序体系、世界が開かれることです。ドン・ゲランジェが賢明に観察したように、これらは神聖な言葉であり、それはラテン語で表現されているからではなく、むしろ、俗語がこれらの品位を落とし、冒涜するがゆえに、ラテン語で表現されているからです。これは、天主なる花婿に対する花嫁の言葉であり、天主との親密に一致して生きる霊魂の言葉であり、至聖なる三位一体に自らに住んでいただく霊魂の言葉です。本質的には、この言葉の最も深い意味での司祭の言葉であり、このことは、司祭職には、いけにえを捧げる権能だけでなく、自己奉献によって純粋にして聖なる汚れなきいけにえに一致する権能があることを暗示しています。

それは、世俗化されたメンタリティーを喜ばせることに熱心なあまり、天主の御稜威と天上の宮廷に目を向けようとしない「改革された典礼様式」という戯言とは関係ありません。つまり、自らを理解してもらうことにあまりにも夢中で、取るに足らない自明性以外を伝えることを諦めなければならなくなっている新しい典礼、異端者の感情を傷つけないように気を配るあまり、天主なる主が祭壇にご自身を現存させられる瞬間でさえも真理について沈黙することを許す新しいミサ、信者にわずかな真剣な態度を求めることさえ恐れて、聖歌や礼拝に結びついたあらゆる芸術表現を平凡化している典礼様式とは関係ないと言うことです。

ルター派の牧師、近代主義者、有名なフリーメーソン会員がこの儀式の草案づくりに協力したという単純な事実は、悪意や故意の違法行為とまではいかなくても、少なくとも、いわゆる「典礼改革」の作者たちを動かした、超自然的な推進力を欠いた水平的なメンタリティーを、よく理解させてくれるはずです。この作者たちが、私たちが知る限り、古代のローマ・ミサ典礼書(Missale Romanum)のテキストや典礼集全体のテキストを書いた聖なる作者たちが輝かせていたような聖性で輝いていなかったのは確かです。

司祭である皆さんのうちの何人が、そして間違いなく多くの信徒が、聖霊降臨の続誦の素晴らしい詩文を読誦する際に涙を流すほど感動し、聖伝の典礼に対して皆さんが最初に持っていた好みが、不毛な美的満足とは関係なく、呼吸するのと同じように不可欠な真の霊的必要性へと発展するのを理解したことでしょうか? 今日、皆さんからこの貴重な財産を奪おうとしている人々に、皆さんは、そして私たちは、あの祝福された儀式が皆さんに自分の司祭職の真の本質を発見させてくれたこと、そしてそこから、正にそこからのみ、自分の役務への関与に直面するための強さと栄養を得ることができることを、どのように説明することができるでしょうか? この世、肉、悪魔との日々の戦いの中で、自分が無防備になり、打ちひしがれ、強さを失ってしまうというのに、モンティーニの儀式に戻ることが義務付けられることは、皆さんにとって不可能な犠牲を意味していることを、どのようにして明確にすることができるでしょうか?

聖ピオ五世のミサを捧げたことのない人々だけが、それを過去の厄介な金ぴかの飾りとみなし、それをなくすことができるのは明らかです。思春期の頃からノブス・オルドに慣れ親しんできた多くの若い司祭たちでさえ、二つの形式の儀式には共通点がなく、一方が他方よりも優れているために、後者の限界や批判がすべて明らかになり、捧げることがほとんど苦痛になるという段階になるということを理解しています。懐古主義や過去への熱狂の問題ではありません。ここでは、霊魂の生命、その霊的な成長や禁欲・克己、神秘主義についての問題です。司祭職を職業とみなしている人々には理解することさえできない概念です。それはちょうど、パンデミックの茶番の時代の聖体拝領のグロテスクな儀式の際に、両形態のご聖体が冒涜されるのを見て、司祭の霊魂が感じる苦悩を彼らが理解できないのと同じです。

ミサの自由化についての矮小化した見方

だからこそ私は、「トラディティオーニス・クストーデス」の中で、自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」が14年前に公布された理由 -- フランシスコが信じている理由 -- が、ルフェーブル大司教のいわゆる離教を癒やしたいという望みだけにある、と書かれているのを読まなければならないのは、非常に不愉快です。もちろん、「政治的」な計算は、特にヨハネ・パウロ二世の時代には、当時、聖ピオ十世会の信徒が少なかったとしても、その重みがあったかもしれません。しかし、二千年もの間、信徒の聖性を育み、キリスト教文明に命の糧を与えたミサに市民権を回復できるようにしてほしいという要請は、偶発的な事実に矮小化されるものではありません。

ベネディクト十六世は、この自発教令によって、ローマの使徒継承のミサを教会に復活させ、それが決して廃止されたものではないことを宣言しました。間接的には、パウロ六世が自分の儀式に権威を与えるために、聖伝の典礼の挙行を無慈悲に禁じたという濫用があったことを認めたのです。また、この文書には、二つの形式の同じ儀式を共存させるなどの不調和な要素があったとしても、それらは、通常の形式に影響を与えることなく、特別な形式の普及を可能にするために役立ったと考えることができます。教皇の権限で古代の儀式を復活させることができたのに、誤解や省略のあるミサをそのまま放置することは、かつての時代には理解できないことだったでしょう。しかし、第二バチカン公会議の重荷を負い、世俗化した精神が今や蔓延している今日では、許可なくトリエント・ミサを捧げるという単なる合法なことでさえ、否定できない善であり、それを捧げる共同体に豊かな実りをもたらすことで誰の目にも明らかな善であるとみなすことができます。そしてまた、もし「スンモールム・ポンティフィクム」が、そのすべての点において、真の教会的な交わりの精神をもって適用されていたならば【司教たちが聖伝のミサを望む司祭や信徒たちを邪魔せず、自発教令の通りに全くの自由を与えていたのならば】それだけで、さらに多くの実りをもたらしていたであろうことも信じることができます。

ローマ・ミサ典礼書のいわゆる「道具としての使用」

フランシスコは、世界中の司教の間で行われたアンケート調査が否定的な結果をもたらさなかったことをよく知っていますが、質問の構成から、彼がどのような回答を望んでいるかは明らかでした。この調査は、フランシスコが下した決定が必然であり、司教たちからの声をそろえた要請の成果であると人々に信じさせるための口実でした。私たちは、ベルゴリオが結果を得ようとすれば、力ずく、嘘、ごまかしに頼ることを躊躇しないことを知っています。過去のシノドスの出来事は、このことを合理的な疑いなく証明しています。何故なら、「討議要綱」(Instrumentum Laboris)【シノドスの議論の材料】が投票される前にすでに「シノドス後の使徒的勧告」が起草されたからです。ですから、この場合も、あらかじめ設定された目的はトリエント・ミサの廃止であり、「口実」(prophasis)、つまり明らかな言い訳は、「典礼改革の拒否だけでなく、第二バチカン公会議そのものを拒否することをしばしば特徴とする、1962年のローマ・ミサ典礼書の道具的使用」とされなければならなかったのです(「トラディチオニス・クストデス」に付けられた全世界の司教たちへの手紙)。

正直なところ、もしかしたら、この道具的使用について聖ピオ十世会を非難することが可能かもしれません。聖ピオ五世のミサが公会議後の教会論や教理と相容れないという、私たちの誰もがよく知っていることを、聖ピオ十世会が断言するのは当然のことですから。しかし、聖ピオ十世会は【最新の】自発教令の影響を受けませんし、また、まさにベネディクト十六世が認めた不可侵の権利 -- この権利は2007年に無から創造されたものではない -- によって、常に1962年のミサ典礼書を用いてミサを捧げてきたのです。

司教から指定された教会でミサを捧げる教区司祭は、信者にご聖体を授ける前にあえて「コンフィテオール」(confiteor、告白の祈り)を唱えたというだけで、熱心な進歩的カトリック教徒の非難を受けて毎週尋問を受けなければならず、ノブス・オルド(新しいミサ)や第二バチカン公会議の悪口を言ってはいけないことをよく知っています。なぜなら、この単語が出た時点で、彼はすでに教皇庁に呼び出され、山奥の小教区の教会に送られてしまうからです。この沈黙は、常に苦痛であり、ほとんどの場合、多くの言葉よりも雄弁であると誰もが認識していますが、全時代の聖なるミサを捧げる可能性を持ち続けるために、また、教会とこの世に降り注ぐ恩寵を信者から奪わないために、彼が支払わなければならない代償なのです。さらに不条理なのは、第二バチカン公会議の教会論と相容れないためにトリエント・ミサを廃止すべきだと平気で言われているのに、私たちが同じこと、つまりモンティーニのミサ(パウロ六世の新しいミサ)がカトリックの教会論と相容れないと言うや否や、直ちに断罪の対象となり、サンタ・マルタ館の革命法廷で私たちの断言したことが不利な証拠として使われることです。

司牧者たちが、愛情深い父親ではなく、司祭たちの冷酷な検閲官となり、常に監視し、隠そうともしない脅迫によってすべての権利を剥奪しようとする役人になってしまうには、この数十年の間に、どのような種類の霊的な病が司牧者たちを襲ったのでしょうか。このような疑惑の風潮は、多くの良き司祭の平穏には少しも貢献していません。彼らが行う善は、聖伝に結びついた信徒を危険視し、目立ちすぎない限り容認される厄介な存在と考える役人のレンズの下に常に置かれているからです。しかし、善が組織的に妨げられ、誰であれ善を行う者が疑惑の目で見られ、管理されているような教会をどのように考えたらよいのでしょうか? ですから、この「羊の匂いを嗅ぐ代わりに、怒って棒で叩く羊飼い」(こちら)に直面した多くのカトリックの人々、信徒そして少なからぬ司祭のつまずきを私は理解しています。

ある権利を享受できることが、あたかも恵み深い譲歩であるかのような誤解は、公的な問題も見られます。国家は、実験的な遺伝子血清の接種を受ける限り、旅行、学校の授業、活動開始、仕事の遂行を許可しています。このように、「特別な形式」が、公会議と改革されたミサを受け入れることを条件に認められているように、世俗の領域においても、パンデミックのナラティブ(物語)、ワクチン接種、追跡システムを受け入れることを条件に、市民の権利が認められているのです。多くの場合、人々に対して秘跡にあずかるためにワクチン接種を受けるように要求するのが、まさに司祭や司教、そしてベルゴリオ自身であることは驚くことではありません。両方の側の行動が完全に同時発生しているのは、控えめに言っても気になります。

しかし、それでは、このローマ・ミサ典礼書の道具的使用とは、いったいどこにあるのでしょうか? 私たちはむしろ、ベルゴリオの言葉を借りれば、第二バチカン公会議以前の典礼的な伝統だけでなく、第二バチカン公会議以前のすべての公会議をますます拒否することを特徴としている、パウロ六世のミサ典書の道具的使用について語るべきではないでしょうか? 他方で、第二バチカン公会議の教理上の逸脱をすべて否定し断罪する【聖伝の】ミサが捧げられうるという単純な事実を、第二バチカン公会議に対する脅威と考えているのは、まさにフランシスコではないでしょうか?

(続く)

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【参考情報】ヴィガノ大司教、被昇天前日に断食を行い、レオ十三世の悪魔祓いの祈りを唱えるよう司教、司祭を招待

2021年08月12日 | カトリック・ニュースなど
【参考情報】ヴィガノ大司教、被昇天前日に断食を行い、レオ十三世の悪魔祓いの祈りを唱えるよう司教、司祭を招待


2021年8月12日

世界中の司教、司祭に対して
童貞聖マリアの被昇天の前日を
断食とレオ十三世の悪魔祓いの祈りを唱える日とするよう招待

公的権威が新世界秩序(New World Order)の計画を支持し、牧者たちが社会とキリストの教会そのものの破壊に直面して沈黙する共犯者となっている、非常に深刻な霊的・肉体的危機であるこの瞬間に、霊的な戦いに対して一致し、私たちの王であるキリストと元后であるマリアの御旗の下に躊躇することなく整列することは、私たちの神聖な義務です。

主は司教と司祭に、主の御名によって悪魔を追い出す権能をお与えになりました。すでに2020年の聖土曜日には、多くの司教たちが、寛大さと超自然的な精神をもって私の呼びかけを歓迎してくださいました。今日、私はこの呼びかけを再度行うつもりです。したがって、司教職と司祭職にある敬うべき兄弟たちに、至聖なる童貞マリアの被昇天の前日を祈りと断食に捧げ、ローマ時間の正午12時にレオ十三世のExorcismus in Satanam et angelos apostaticos(Rituale Romanum, Tit.XI, Caput III)を唱えることをお願いします。

この準秘跡は、地獄の力を持つ最も恐ろしい敵のマントの下に置かれます。それは、天主の役務者たちの声を合わせた祈りが、今日、社会や家族、個人、そして特にキリストの信者たちを脅かしている人類の敵の罠を教会と世界から取り除くためです。

世俗化した世界と、それに伴って少なからぬ数の牧者たちは、この呼びかけと悪魔祓いそれ自体を、父祖の信仰とともに取り消されるべき過去の遺産であると考えて嘲笑することでしょう。しかし、私たちは、私たちがふさわしくない罪人であるにもかかわらず、地獄の門とそのしもべたちを恐怖に陥れる権能が、主によって私たちに与えられていることをよく知っています。

私たちが天の元后の被昇天の祝日を迎える準備のための沈黙と断食において、「戦列を整えし軍勢のごとく恐るべき」(雅歌6章9節)至聖なる童貞と、聖なる教会の保護者にして天軍の総帥である大天使聖ミカエルに祈りましょう。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

Sanctae Clarae Virginis
2021年8月12日
童貞聖クララの祝日



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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】