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Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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決して廃止されたことのないこの古い典礼を求める新しい刷新された関心

2007年07月05日 | ミサ聖祭
アヴェ・マリア!

■聖伝のミサは廃止されているか?

【答え】パウロ六世によって新しいミサの典礼様式が導入されました(1969年)。しかしこの導入で、聖伝のミサ(Traditional Mass, La messe traditionnelle)を廃止することも禁止することもなされませんでした。何故なら、聖伝のミサを廃止や禁止することは教会の精神に全く反していることなのでほとんど不可能のことであったからです。何故なら教会は常に数世紀にわたって行われ続けてきた典礼様式を尊重してきたからです。更に聖ピオ五世は1570年7月14日の大勅書『クォー・プリームム』によって聖伝のミサに永久の特権を付けたからです。この永久の特権によって全ての司祭はこの聖伝のミサの典礼様式に忠実であることを誰からも決して妨害されたり禁止され得ないからです。

◆聖ピオ五世の1570年7月14日の大勅書『クォー・プリームム』の決定は、パウロ六世が新しいミサを発布した時に出した使徒憲章『ミサーレ・ロマーヌム』(1969年4月3日)によって廃止になったのではないか?

【答え】いいえ。1969年4月3日の使徒憲章『ミサーレ・ロマーヌム』は、聖ピオ五世によって与えられた特権を廃止するということを主張しなかったからです。従って、聖ピオ五世から付与された特権は現在でも有効であることは全く確かです。従って、全ての司祭は聖伝のミサの典礼様式に忠実である権利があります。

◆聖伝のミサが廃止されていないと言うことは確かか?

【答え】聖伝のミサが廃止されていないという事実は確かです。何故なら、たとえばベネディクト十六世のブラジル訪問の際に開かれた南米司教総会で、聖座を公式に代表して、カストゥリヨン・オヨス枢機卿は2007年5月16日に「1962年に福者ヨハネ二十三世によって発布された典礼書に従ってミサ聖祭と秘蹟を執行すること(celebrating Holy Mass and the Sacraments according to the liturgical books promulgated by Blessed John XXIII)」についてこう言っているからです。「今日、決して廃止されたことのないこの典礼を求める新しい刷新された関心が存在する」(There is today a new and renewed interest for this liturgy, which has never been abolished)と。

 更に、カストゥリヨン・オヨス枢機卿は同時に、シュティックラー枢機卿が12年前(1995年)にインタビューの時にリークした事実を聖座を代表して再確認したからです。

 つまり21年前(1986年)に、ヨハネ・パウロ二世によって作られた9名の枢機卿たちからなる秘密の「第一委員会」(そしてエクレジア・デイ委員会はそれを引き継ぐ「第二委員会」となる)のことです。ヨハネ・パウロ二世はこの1986年の「第一委員会」に、(1)パウロ六世が聖伝のミサを廃止したか否か、また(2)司教は自分の司祭が聖伝のミサを捧げるのを禁止することができるか否か、ということについて研究するように求めたのでした。その時、9名の枢機卿のうち8名が、聖伝のミサは廃止されていないと回答し、9名全てが一致していかなる司教といえどもカトリック司祭をして聖伝のミサを捧げることを禁止することができない、と答えました。

 やはり聖座の公式見解としてカストゥリヨン・オヨス枢機卿が5月16日に南米司教総会で「教皇様は、1986年の第一枢機卿委員会がそうすることを望んだように、この典礼へ近づくことを容易にさせる時が来たと信じておられます。」(The Holy Father believes that the time has come to ease, as the first Cardinalatial commission of 1986 had wished to do, the access to this liturgy.)



【参考資料】

質問:教皇パウロ6世は古いミサを禁止されたのでしょうか。

スティックラー枢機卿:ヨハネ・パウロ教皇は1986年9人の枢機卿からなる委員会に次の2つの質問をしました。まず、教皇パウロ6世或いはその他の権限を持ったものが法的に現在トレント・ミサを世界中で捧げることを禁止したのか?禁止しませんでした。教皇はベネリ(枢機卿)にはっきりこう聞かれました。「パウロ6世は古いミサを禁止したのか?」と。ベネリ枢機卿は何も答えませんでした。ハイともイイエとも言いませんでした。
 なぜでしょうか?「はい、パウロ6世は古いミサを禁止しました」とは言うことができませんでした。なぜなら、パウロ6世は最初から有効であったしかも数万の聖人や信者たちのミサであったそのミサを禁止することはできなかったからです。パウロ6世にとっての難しかったところは、彼はそれを禁止できなかったけれどもそれと同時に彼は新しいミサが立てられ受け入れられることを望んだのです。だから、彼は「私は新しいミサが立てられることを望む」と言うことができるだけでした。これが枢機卿たちが教皇様から出された質問に答えた回答でした。彼らは、教皇様は皆が新しいミサに従うことを望まれたと答えました。
 さて、1986年に枢機卿のうち8人はこう答えました。「聖ピオ5世のミサはかつて廃止されたことはありません」と。私は次のことを打ち明けることができます。私はそう答えた枢機卿のうちの一人でした。反対だったのは一人だけでした。その他の枢機卿は自由の許可を支持していました。つまり、誰でも古いミサを選択することができる、ということです。教皇様はこの回答を受け入れた、と思います。しかし、司教会議のうちいくつかはこの許可の危険に気が付くようになり教皇様のところに行って「これは絶対に許すべきではありませんなぜなら信者の間での論争の機会、更には原因となるでしょうから」と言いました。この議論の耳にされて、と私は思うのですが、教皇はこの許可にサインをするのを控えたのです。しかし、私は自分自身の体験して知っていることですが、委員会としては大多数の答えが古いミサに対して肯定的でした。
 また、次のように非常に興味深い質問もありました。「司教は誰でも正当な司祭にトレント・ミサを捧げるのを禁止することができるか」というものでした。9人の枢機卿は9人とも満場一致でいかなる司教といえどもカトリック司祭にトレント・ミサを捧げることを禁止することは許されない、ということで同意しました。私たちにはいかなる公的禁止もありませんし、私の思うには教皇様も今後公的禁止を出すことがないでしょう・・・。
(Cardinal Stickler, Latin Mass Magazine, May 5, 1995)

 個人的には、2003年にメディナ枢機卿(当時、典礼秘跡聖省長官)は『自分はこのミサが禁止されたとはどこにも見たことがない』と記事(ラテン・ミサ誌2003年 春号の記事)を書いて、それを再確認しています。また、2005年9月には、上述のカストゥリヨン・オヨス枢機卿も、個人的にトレンタ・ジョルニ誌に「聖ピオ五世のミサは廃止されたことがない」と宣言しています。

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聖ピオ十世会韓国のホームページ
トレント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

ミサ聖祭とは何か?ミサがいけにえであるということを誰が否定したのか?

2007年07月05日 | ミサ聖祭
アヴェ・マリア!

■ミサ聖祭とは何か?

【答え】ミサ聖祭とは、十字架のいけにえの再現・再現在化です。司祭の仲介を通してキリストはミサ聖祭で聖父に、既に十字架の上で流血のやり方で屠られたご自分の御体と御血とを、無流血のやり方で捧げます。ミサ聖祭は真実のいけにえであり、このいけにえを通して十字架のいけにえの功徳が私たちに適応されるのです。

◆ミサ聖祭に関する教会の教えはどこに見つけることができるか?

【答え】トリエント公会議はこう教えている。
「私たちの天主であり、主であるキリストは、十字架の祭壇の上で死に、「一度で永久に」(ヘブライ10・14)父である天主に自分をささげて、救いのわざを完成した。しかしキリストの司祭職は死によって消去るものではなかったので(ヘブライ7・24、27)、敵の手に渡される夜(1コリント11・13)、最後の晩さんにおいて、自分の愛する花嫁である教会に目に見える供え物を残したのである(人間のためにはこれが必要であった)(第1条)。この供え物によって、十字架上で一度血を流してささげたものが表わされ、その記憶が世の終りまで続き(1コリント11・23以下)、その救いの力によってわれわれが毎日犯す罪が赦されるのである。キリストは「メルキセデクの位にひとしい永遠の司祭」(詩編109・4)であると宣言して、自分の体と血をパンとブドー酒の形色のもとに父である天主にささげた。そして、使徒たちを新約の司祭として制定し、パンとブドー酒の形色のもとに拝領するように自分の体と血を与えた。使徒たちとその後継者たる司祭職に、「私の記念としてこれを行え」(ルカ22・19;1コリント11・24)という言葉で、それをささげるように命じた。これはカトリック教会が常に理解し、教えてきたことである(第2条)。」(DzS 1740)
トリエント公会議、第二十二総会

◆ミサが本当に固有の意味でいけにえであることは確かなのか?

【答え】「ミサにおいて真実の供え物が天主にささげられないとか、これをささげるのはわれわれにキリストを食べさせるためだけであると言う者は排斥される。」(DzS 1751)
トリエント公会議、第二十二総会決議文

■ミサがいけにえであるということを誰が否定したのか?

【答え】千年以上、西方教会東方教会の誰一人としてミサ聖祭がいけにえであることを否定しようと考えた人はいませんでした。カトリック信者はこの真理を平和に享受していました。十二世紀になるとミサ聖祭を攻撃し始めるセクト(党派)が出現しだしました。ミサ聖祭がいけにえであるということを否定した主要な人は、マルチン・ルターとそのプロテスタント主義です。これは多くのキリスト者たちにこのドグマを捨てさせました。

◆ミサに関してマルチン・ルターは何と言ったか?

【答え】マルチン・ルターは、カトリック教会の心臓を攻撃するためにミサを破壊することを望んでいると明確に述べていた。
「ミサを転覆させるなら、私たちは教皇制度を転覆させたことになると私は考える。何故なら、巌の上に立てられたかのようにミサの上に全教皇制度はその修道院、司教、大学、祭壇、聖務者、教義などが立てられており、その上に全ての重量が寄りかかっているからだ。これら全ては、冒涜的で厭わしいミサが倒れると共に全て倒れるに違いないからだ。」
(「英国王ヘンリーに反対して」)
Martinus Lutherus contra Henricum Regem Angliae

◆ルターはある意味でミサがいけにえであり得るとも認めていたのではないか?

【答え】ルターは確かにミサのことを「いけにえ」という言葉を時々使っていたが、「聖なるもの」という極めて広い意味でのみ使っていた。ミサが、固有の意味でいけにえであると言うことを断固として拒否せいていた。
 「彼らのうちの諸悪のなかでそれ以上のものはないものは、彼らの酷いミサである。それをもっていけにえとなし、善行とし、・・・」
(修道誓願について)
127 Atque ut aliud nihil malorum apud eos sit, ipsae execrabiles Missae eorum, quibus in sacrificia et opera bona uersis abominanda peruersitate retribuunt suis benefactoribus spiritualia, id est, faciunt eos fidere in mendacia, et secum trahunt in profundum, caeci caecorum duces,
(De votis monasticis)

◆ルターにとってミサとは何なのか?

【答え】ルターにとって、ミサとは御受難の単純な記念にすぎず、ミサの目的は信徒に教えること、内的に信仰を起こさせるためにカルワリオのいけにえを信徒に思い出させることです。ルターが「いけにえ」とか「犠牲」とかと言う場合には、賛美のいけにえ、感謝のいけにえという意味であって、贖いの価値を持つものではありません。

◆ルター自身は何と言っていたのか?

【答え】ルターはこう教えていました。
「従って、罪のため、天主の正義を満足させるため、死者のため、或いは自分と他人のあらゆる必要のためにミサを捧げる、或いは適応させるというのは、明らかに不敬な誤謬である。」
189 Vnde manifestus et impius error est, Missam pro peccatis, pro satisfactionibus, pro defunctis, aut quibuscunque neccessitatibus suis aut aliorum offere seu applicare.
(De captivitate babylonica)

◆ルターのミサに関する誤謬は、典礼においてどのような結果を生み出したのか?

【答え】ルターにとって「御言葉の祭儀」が第一に重要なものであり、聖体拝領は二次的なものでなければなりません。ミサの儀式を少しずつ変えながら、ルターは信徒らの信仰を少しずつ変えることに成功しました。ルターは「この目的に確実にうまく到達するために、あまりにも突然の変化によって躓いてしまうかもしれない弱い信徒らのために古いミサの儀式を幾らか残すべきである」(ルター全集 第十二巻 p. 212)と言っています。

◆プロテスタントは典礼儀式を少しずつ変更しながら自分たちが新しく信じだした内容を信徒らに故意に押しつけたのか。

【答え】英国聖公会が特にこの作戦をとって信徒たちに新しい教義を押しつけました。1549年に出された最初の祈祷書(Prayer Book)は、奉献(offertorium)を廃止し、典文(canon)を変更し、聖体制定の叙述をルター式に変えました。罪の償いのためのいけにえということは直接はっきりとは否定はされずに、沈黙に伏せられました。ただしそれは第一段階に過ぎませんでした。祈祷書の第一版が至るところで受け入れられると、1552年に改訂版の祈祷書が出され、カルヴァン派の晩餐式に多く似通ったものとなりました。
 ルター自身もこのやり方についてははっきりと提示していました。
「司祭は一般民衆がミサの中に変化が加えられたことを気づかないまま躓くことなくそれに与ることが出来るようにうまく変えていくことができる。」
(quoted by Jacque Maritain in "Trois reformateurs" Paris, 1925. p.247)

◆ルターはどのような変化を典礼に取り入れたのか?

【答え】ルターは特に聖伝のミサの奉献文(Offertorium)と聖伝のミサの典文(canon)を攻撃していました。この奉献文とは典文の前にある祈りで、新しいミサの「奉献文」(Prax Eucharistica)とは別ものです。そこで、ルターはミサの奉献文(Offertorium)を無くしてしまい、典文を大幅に変更してしまいました。ルターは、ミサの一般的な構造は残しましたが、その本質は骨抜きにしてしまいました。
 1521年、ルター派のクリスマスの儀式は次のように執り行われました。告白の祈り(confiteor)、入祭誦(introitus)、栄光頌(Gloria)、書簡の朗読、福音、説教、奉献文が無く、三聖頌(Sanctus)、晩餐の聖体制定の叙述をドイツ語で大きな声で唱える、両形態での聖体拝領(パンは手で、ブドウ酒はカリスから、ただし聖体拝領の前に告解をする必要はない)、神羔誦(Agnus Dei)、最後に「ベネディカムス・ドミノ」。ラテン語は本当に少しずつ少しずつしか無くなりませんでした。

◆ルターがカトリックのミサ聖祭に対して抱いていた憎しみについてどう考えるべきか?

【答え】ルターはこの点を正しく理解していました。つまり、無流血の仕方で祭壇の上で繰り返し再現されているカルワリオのいけにえの上に、カトリック教会の全ての生活は成り立っている、ということです。従って、カトリック教会を破壊するには、ミサ聖祭を変質化することが最も効果的であるということです。カトリックの著者らはこれこそが反キリストの業であるだろうと書いています。

 たとえば聖アルフォンソ・デ・リグオリはこう言っています。
「ミサは教会でもっとも良いものであり最も美しいものである・・・悪魔は常に、異端者達を通してミサをこの世から取り除こうと常に努力してきた。そうすることによって彼ら異端者達は、反キリストの先駆者となった。・・・」
La messa e il piu buono e piu bello della chiesa, secondo predisse il profeta... E percio il demonio ha procurato sempre di toglier dal mondo la messa per mezzo degli eretici, costituendoli precursori dell'Anticristo, il quale, prima d'ogni altra cosa, procurera d'abolire, ed in fatti gli riuscira d'abolire, ...
S. Alfonso Maria de Liguori
Messa e officio strapazzati

◆ルターは何故聖伝のミサの奉献文を憎んでいたか?

【答え】ルターがカトリックのミサ聖祭を憎んでいたのは、ミサの「奉献文」(OFFERTORIUM)によって、ミサ聖祭が罪の償いのためのいけにえであることを明らかに表しているからです。
「聖なる父、全能永遠の天主、不肖の下僕である私が、活ける真の天主に捧げるこの汚れなきホスチアを受け容れ給え。私は私の数知れぬ罪と侮辱と怠りとの為、又、ここに列席する人々の為、そして生きる者、死んだ者、全てのキリスト信者の為にこれを御身に捧げ奉る。願わくは、これを私と彼らとの永遠のたすかりに役立つものと成らせ給え。アメン。」
Suscipe, sancte Pater, omnipotens aeterne Deus, hanc immaculatam hostiam, quam ego indignus famulus tuus offero tibi Deo meo vivo et vero, pro innumerabilibus peccatis, et offensionibus, et negligentiis meis, et pro omnibus circumstantibus, sed et pro omnibus fidelibus christianis vivis atque defunctis: ut mihi et illis proficiat ad salutem in vitam aeternam. Amen.

◆新しいミサではこの奉献文はどうなったか?

【答え】新しい典礼様式では、聖伝のミサの奉献文(Offertorium)は廃止され、「奉納の準備」(Praeparatio donorum)に取って代わっている。この「奉納の準備」は、ユダヤ教の食事の前の祈りから取られている。

「神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるパンはあなたからいただいたもの、大地の恵み、労働の実り、私達の命の糧となるものです。」
Benedictus es, Domine, Deus universi, quia de tua largitate accepimus panem, quem tibi offerimus, fructum terrae et operis manuum hominum: ex quo nobis fiet panis vitae.

◆新しい典礼の第一奉献文(Prex eucharistica I)は、ローマ・カノンからそのまま取られたものではないのか?

【答え】 新しいミサでの第一奉献文(PREX EUCHARISTICA 1)は、一見古代のローマ典文から取られたかのように見える。しかし、実際はそのままではなく多くのことがそれに導入された。とりわけ次のことは重要視されなければならない。

(1)もはや聖伝のミサのようにミサのカノン(必ず守らなければならない義務規定)ではなくなり、新しいミサではいろいろある選択肢のうちの一つに成り下がっている。

(2)聖伝のミサのように沈黙のうちに唱えるのではなく、新しいミサでは大きな声で唱えるようになっている。

(3)新しいミサでは、聖変化の言葉に手が加えられている。

(4)聖伝のミサのように聖変化を起こさせるために低くはっきりした声で聖別の言葉を唱えるかわりに、新しいミサでは叙述する(物語を語るように述べる)ことになっている。

(5)聖伝のミサのように聖変化の直後に司祭がする跪きは廃止され、新しいミサでは聖別されたホスチアを会衆に示した後、パテナの上に置いて、跪いて礼拝することになっている。

(6)新しいミサでは多くの十字架の印が廃止されている。

(7)新しいミサでは、真実に「主が来られる」聖変化の直後に「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」と会衆が唱和する。

◆新しいミサにおけるこれらの変更は、本当に悪しきものであるか?

【答え】これらのことは、一つ一つを切り離してみれば必ずしもそれ自体で悪いことだとは言えませんが、その全体としてみると全てがカトリック信仰を弱める方向に創りあげられています。

■新しいミサがプロテスタント化しているのは、故意なのか?

【答え】アカデミー・フランセーズの会員であったジャン・ギトン(Jean Guitton)は、パウロ六世が秘密を打ち明ける大の親友でありましたが、彼はパウロ六世がミサからプロテスタントを不快にさせていた全てのことを全て故意に取り除くことを望んだ、と発表しました。パウロ六世が六名のプロテスタントの牧師達とともに写っている有名な写真もあります。新しいミサは6人のプロテスタントの牧師らとともに作られたからです。



 このうちの一人であるテゼのマックス・チュリアンはこう言っています。
「この新しくなったミサにおいて、福音派のプロテスタントたちを困らせるようなものは全くない。」
"Dans cette messe renovee, il n'y a rien qui puisse vraiment gener les protestants evangeliques."
(Max Thurian dans La Croix du 30 mai 1969)
 マックス・チュリアンはその後1988年に、プロテスタント主義を否んで放棄することなく、そのまま司祭に叙階されました。

◆ジャン・ギトンはいつパウロ六世のこの意向のことに言及したのか。

【答え】1993年12月19日、パリのラジオ局 Radio-Courtoisie で放送されました。ジャン・ギトンはパウロ六世が何故新しいミサを作ったかその意図を次のように説明しています。
「パウロ六世とその名前を持つ新しい典礼の意向は、信徒らにミサに対するより大きな参加をもとめること、聖書にもっと大きな場所を与え、いわゆる『マジック』とか『同一実体の聖変化』とかいわれるもの、全実体変化これがカトリックの信仰ですが、の場所を少なくする、ことだといって間違いはないと思います。言い換えると、パウロ六世には、聖伝の意味においてあまりにも『カトリック』的なものをミサにおいて消し去る、或いは少なくとも訂正するか曲げる、そしてカトリックのミサを、繰り返して言いますが、カルヴィン派のミサに近づけるという意向がありました。」
Aide memoire sur la nouvelle Messe

◆新しいミサがエキュメニカルな傾向をもっていることを証言した人は他にはいるか?

【答え】 新しいミサを作った中心人物アンニバレ・ブニーニ神父は新しいミサについてこう言っています。彼はエキュメニカルな意向を隠そうとは決してしませんでした。
「教会は、霊魂への愛と別れた私たちの兄弟たちが一致の道へと至るように全てをしようと言う望みとに導かれ、躓きや気に入らないかもしれない危険の陰とでもなるかもしれないものは全ての石を取り除いた。」
(Annibale Bugnini, Documentation Catholique du 4 avril 1965)

オッセルバトーレ・ロマーノにも、同じことをこう言っています。
“We must strip from our Catholic prayers and from the Catholic liturgy everything which can be the shadow of a stumbling block for our separated brethren that is for the Protestants.” - Archbishop Annibale Bugnini, main author of the New Mass, L'Osservatore Romano, March 19, 1965
Annibale Bugnini The main author of the Novus Ordo

 もう一度彼の言葉を良く読んで下さい。
躓きや「気に入らない」「かもしれない」「危険」の「陰」とでも「なるかもしれない」ものは全ての石を取り除いた・・・。

◆プロテスタントは、パウロ六世の新しいミサを高く評価しているか?

【答え】聖伝のミサを明らかに拒否する多くのプロテスタントは、プロテスタントの聖餐式として新しいミサを使うことが問題なくできると言っています。特に、次のプロテスタント牧師たちは聖伝のミサを拒否するが、新しいミサは問題なく捧げることができると言っています。
マックス・テュリアン(La Croix, 30 mai 1969)
ジークバルト(Le Monde, 22 novembre 1969)
ロジェ・メール(Le Monde, 10 septembre 1970)
オットフリート・ヨルダン(conference at Maria Laach, 15 June 1975)。

 アルザス・ロレーヌ地方のアウクスブルク信仰告白派の1973年12月8日公式宣言でも新しいミサは問題なく捧げることができると宣言されました。

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■ミサ聖祭はラテン語でなければならないのか?ベネディクト十六世教皇のラテン語奨励はいいアイデアか

2007年07月05日 | ミサ聖祭
アヴェ・マリア!

■ミサ聖祭はラテン語でなければならないのか?濱尾枢機卿様は、ベネディクト十六世教皇のラテン語奨励を”いいアイデアではない”とおっしゃっているそうだ。

【答え】天主の礼拝のために司祭が作業服ではなく特別の祭服を着るように、聖なる典礼の言語も俗の言語ではないことが極めてふさわしいと言えます。何故なら、俗っぽい言葉づかいは聖なる行為にふさわしくないからです。ローマ典礼ではラテン語がほぼ二千年の間、典礼の言語でした。宗教儀式のために俗言語以外の「聖なる言語」を使用すると言うことは、東方教会でも、多くの非キリスト教の宗教でも見られることです。
 歴代の教皇様たちはラテン語をいいアイデアであるとおっしゃっています。


◆非カトリックの諸団体も自分たちの儀式用の「聖なる言語」を使っているのか?

【答え】日常会話の言語が流動し変動していくにも関わらず、宗教儀式に関する言語は固定化するということは全人類にどこでも見られることです。ギリシア離教教会では、古ギリシア語を典礼に使いますし、ロシア離教教会でも古スラブ語を使います。イエズス・キリストの時代ではユダヤ人たちが既に古ヘブライ語を典礼に使っていました。そしてこの古ヘブライ語は、日常生活の言語ではありませんでしたが、それについて私たちの主イエズス・キリストも使徒達も非難したことはありませんでした。イスラム教では祈りの言葉として文語体のアラビア語を使います。この文語体は必ずしも一般大衆に理解されているわけではありません。日本でも仏教のお祈りをお坊さんは普通、日本語では唱えません。一般の日本人はそれを当然のこととしています。異教のローマ人たちも、その神々への儀式を執行する時には、普通の人には理解不可能の古代の言い方を持っていました。


◆宗教儀式のために聖なる言語を使うというのはどうして世界中で認められるのか?

【答え】宗教儀式のために聖なる言語を使うというのは、人間には自然的に聖なるものに対する感覚を持っているからです。人間は、自然と、宗教儀式は自分の思う通りにするものではないと本能的に理解するからです。つまり人間は受け嗣いだものを尊重してそのまま伝えなければならない、それを歪めてはならない、と理解するからです。何故なら、神聖なことがらは変わらないと理解するからです。宗教において聖なる変わらない言葉を使うということは、人間の心理に極めて合っていることだからです。実際、永遠で完全な天主の本性の現実は不変であります。

■各国語でミサをした方が信徒らが理解しやすいのではないか?

【答え】ミサ聖祭では、いかなる人間も完全に理解できない絶妙な玄義がなされます。天主の玄義のこの神秘的な性格は、全ての人間に完全に理解されるわけではないからです。従って、ミサ聖祭の或る部分は一般の人々には聞けないような司祭の囁くような声で唱えられます。東方典礼では、イコノスタシス(聖画をおいて至聖所と一般会衆とを分ける壁)でその神秘を表現します。天主に対する宗教儀式であるミサ聖祭は、その神秘の部分が必ずしも全ての人々に理解されるとは限らないラテン語で表現されていると言えます。
 それに引き替え、日常生活の言語でミサをした場合、ミサ聖祭をあたかも理解してしまったかのような表面的印象を与えますが、聖なるものを俗化してしまうだけで、ミサ聖祭が一体何か、その本質は何かについて、またミサ聖祭が聖なるものであることについてさえも人々は一般的によく分からなくなってしまいました。

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■ 現在、教会に危機は存在するか?
■ 教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのか?
■ 教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのか?(つづき)
■ イエズス・キリストは、市民社会の王であるか?
■ イエズスは「自分の王国はこの世からのものではない」と言われたのではないか?
■ 第二バチカン公会議はどこが特別なのか?
■ 新しいミサの第二奉献文(Prex eucharistica II)は、極めて古代のものではないのか?
■ どのように御聖体拝領をすべきか?
■ 現在手による聖体拝領を拒むことは、進歩への跳躍と発展をも拒むことであるか?

現在手による聖体拝領を拒むことは、進歩への跳躍と発展をも拒むことであるか?

2007年07月05日 | ミサ聖祭
アヴェ・マリア!

■ 現在手による聖体拝領を拒むことは、教会のもっている進歩への跳躍と発展をも拒むことであると言えないか?

【答え】「進歩」「発展」という言葉は、見方によっていかなる変化をも形容することができます。たとえばある生命体において無秩序に細胞が増殖してしまった場合、癌の病状が進展した、と言うことができます。ただし生命体の生命の進歩ではありません。御聖体拝領のやり方をはかる基準とは、私たちの主イエズス・キリストに対する信仰と尊敬です。その基準から見ると、手による聖体拝領は進歩ではなく退歩・後退です。更に言えることは、このやり方は教会の中に革命的で反乱的なやり方で導入されました。従って、そのように導入されたものを進歩と言うことはできません。

◆手による聖体拝領は教会の中に革命的で反乱的なやり方で導入されたと何故言うことができるのか?

【答え】何故なら、手による聖体拝領は、最初に許可無く実践されてしまったからです。聖なる教会の明確な規律と規則に反して、極めて「進歩」主義的なグループの中に導入されました。1969年5月29日教書『メモリアーレ・ドミニ』(パウロ六世の名前でグート枢機卿(Cardinal Gut)とアンニバル・ブニーニ(Annibal Bugnini)とによって書かれた)は、この不従順を注意し、口による聖体拝領の利点を詳細に説明しました(Documentation Catholique du 29 juillet 1969, p. 669-671)。教書『メモリアーレ・ドミニ』はラテン典礼様式の司教たちのもとでなされたアンケートによれば極めて大きな大多数の司教たちが手による聖体拝領の導入に反対していることを明らかにしています。それによれば、2115の有効な回答のうち、1233名の司教たちが手による聖体拝領の導入に絶対反対であり、567名のみが賛成でした。教書『メモリアーレ・ドミニ』は、聖伝に基づく口による聖体拝領を維持しなければならないと結論し、そして司教・司祭・平信徒らが注意深くこの規律を守るように勧告しています。


◆手による聖体拝領は、どうやって排斥されたにも関わらずその後で教会に広がったのか?

【答え】手による聖体拝領は、この教書『メモリアーレ・ドミニ』がリベラルな書き方をしていたので全教会に広がってしまいました。聖伝に基づく習慣をそのまま守らなければならないという全ての理由を列挙した後に、教皇様がこれを守ることを望んでおられると断言し、最後にその反対をする許可を与えていたからです。手による聖体拝領はいけないという理由を述べて、伝統的習慣を守れというところで全ての問題は解決されていたのに、教書は手による聖体拝領が既に導入されたところは(つまり、教会の規律に不従順であったところは)、もしも平信徒らがそれを望むのなら、司教評議会は、条件付きで、この新しいやり方を許可することができると付け加えたからです。


◆この教書『メモリアレ・ドミニ』の後はどうなったのか?

【答え】教書『メモリアーレ・ドミニ』は、手による聖体拝領を禁止するかのようなふりをしながら、事実上それを許可してしまいました。西欧と北米では、教書『メモリアーレ・ドミニ』の結果はすぐに実行されました。この新しいやり方は、教皇様が平信徒らからの執拗な要求のために、仕方なく容認しただけという意味で許可したに過ぎなかったものですが、「教皇様への従順」の名前によって、それを要求したことが全くない平信徒にまでもどこでも強制させられたのです。


■手による聖体拝領の結果は?

【答え】手による聖体拝領は、御聖体に対する涜聖を増長させるのみならず、立ったまま手で御聖体を摘んで食し、破片にも不注意であることにより、御聖体における私たちの主イエズス・キリストの現存に対する信仰を弱める機会になります。少なくとも多くの信徒の方々の御聖体に対する信仰を失わせてしまった責任の一つを担っています。何故なら、人間となった真の天主を御聖体拝領によって受けることを真剣に真面目に信じている信者は、愛の天主に対する崇敬と尊敬とを表明せずにこの秘蹟に近づくことはできないからです。従って、手による御聖体拝領は、まず信仰生活における冷淡と生ぬるさへと導き、次に無関心へ、そしてついには信仰の喪失へと導く責任を担っていると言えます。

◆御聖体における私たちの主イエズス・キリストの現存に対する信仰の喪失の責は手による聖体拝領の導入だと本当に言えるのか?

【答え】手による聖体拝領だけが信仰喪失の全ての原因だとは言いきれません。公教要理の不足、公教要理での間違いを教えられてしまうこと、主日のミサの説教の内容などにも責任があるでしょう。何故なら、御聖体の現存は単なるシンボルであるかのように説明されるからです。しかし、手による聖体拝領は、そのような説明を受け入れることができるように条件付け・信徒の方々を準備し、そしてその説明を再確認させるために役立っていると言えます。何故なら、聖別されたホスチアがキリストのシンボルでしかないのなら、聖像や清雅と同じくとりわけ崇敬を持って受け取らなくとも驚くべきことではないからです。

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教皇グレゴリオ十六世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代の誤謬の排斥『クヮンタ・クラ』 1864年12月8日
教皇レオ十三世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
教皇聖ピオ十世 聖楽に関する自発教令『Inter Pastoralis Officii』(MOTU PROPRIO "TRA LE SOLLECITUDINI" SULLA MUSICA SACRA)1903年11月22日
教皇聖ピオ十世 近代主義の誤りについて『パッシェンディ』1907年9月8日
教皇聖ピオ十世 司祭叙階金祝にあたって、カトリック聖職者への教皇ピオ十世聖下の勧告『ヘレント・アニモ』1908年8月4日
教皇聖ピオ十世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務』1910年8月25日
教皇聖ピオ十世 近代主義に反対する誓い『サクロールム・アンティスティトゥム』1910年9月1日
教皇ピオ十一世 真実の宗教の一致について『モルタリウム・アニモス』1928年1月6日
教皇ピオ十一世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日
教皇ピオ十二世 福者ピオ十世の列福式に於けるピオ十二世の説教 1950年6月3日
教皇ピオ十二世 進化論及びその他の誤謬について『フマニ・ジネリス』1950年8月12日
教皇ピオ十二世 支那の国民に対し『アド・シナールム・ジェンテム』1954年10月7日
教皇ピオ十二世 日本国民に対するメッセージ 1952年4月13日
教皇ピオ十二世 童貞聖マリアの無原罪の教義宣言の百年祭 回勅『フルジェンス・コロナ・グロリエ(輝く栄光の冠)』 1953年9月8日

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