Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2019年 8月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


8月 聖母の被昇天を祝いましょう。
意向:聖母の汚れなき御心の凱旋のため
実践すべき徳:心の柔和と謙遜
守護の聖人:聖母の汚れ無き御心

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2019年 8月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセスEG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 
〒532-0002 (JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

  8月2日(初金)教会博士証聖者司教聖アルフォンソ・デ・リグオリ(3級祝日)白
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月3日(初土) 聖母の土曜日(4級)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月11日(主)聖霊降臨後第9主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月12日(月) 童貞聖クララ(3級祝日)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月18日(主)聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月19日(月) 証聖者聖ヨハネ・ユード(3級祝日)白
          午前6時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図)「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

  8月4日(主)聖霊降臨後第8主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月5日(月)  雪の聖母の大聖堂の奉献(3級祝日)白
          午前7時 ミサ聖祭

  8月18日(主)  聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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天国の栄光の為に走れ

2017年02月28日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年2月17日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年2月17日(金)七旬節の平日のミサ
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年2月17日、平日で主日のと同じミサをしております。今日の御ミサの後に、一緒に終課を唱える事に致しましょう。

シュテーリン神父様と会って直接お話をする機会がフィリピンでありました。神父様によると、フルーガー神父様は第一補佐として総長様の名前で日本を回って、そして日本での私たちの活動に非常に良い印象を受けられた。「日本の為に何かをするべきではないのか」とシュテーリン神父様に仰って、そしてこのとてもご満足であった、と嬉しい報告を頂きました。

皆さんの一生懸命のお祈りと、日頃のいつものご様子を神父様はご覧になって、「一生懸命やっている。イエズス様とマリア様の心をお喜ばせしようとしている」という事がよく分かったのだと思っています。このお恵みをマリア様に特に感謝致します。そして皆様にも感謝致します。

どうぞますますこの教会が発展しますように、マリア様の御心を愛し、そしてお慰めする霊魂たちがますます増えますように。お友達や、知っている方や、この同僚の方や職場の方や、隣人お住まいの近くの方や、色々な方法でどうぞ聖伝のカトリックのミサに来るように誘って下さい。多くの霊魂にマリア様の事が知らされるように。日本で修道院ができますように。それの準備の為にも、どうぞたくさんのお友達をお誘い下さい。

またこの教会は、一生懸命私たちの善意と寛大な心で、こんなにますます綺麗になっています。この綺麗になる計画はまだまだ続いております。そこでもしも、この教会で今度は実はきれいな燭台とか、きれいなミサ典書を立てる書見台とか、或いはその他色々な物をますます荘厳に相応しい物にしたいと思っておりますので、もしもそれにお手伝いしたいという寛大な方がいらしましたら、ぜひ心からお願い致します、感謝致します。

3月1日は灰の水曜日です。カトリック教会によると掟によって、私たちは大小斎を守らなければならないので、ですから既に3月1日の事を皆さんに申し上げておきます。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は七旬節のミサを行っています。そこで七旬節、実は新しいミサではこの七旬節・六旬節・五旬節が無くなってしまっているのです。しかし教会は母の心をもって、私たちが四旬節に心の準備を持って、ちゃんと入る事ができるように、四旬節ほどの厳格さはなかったとしても、少なくとも霊的に四旬節へと準備するようにウォーミングアップするように、私たちに既に、「さぁ四旬節が始まる、だからそれの良い準備をしなさい」と呼び掛けています。

特に今日、四旬節の準備の為に教会は、2つの朗読を私たちに提案しています。

1つは聖パウロの書簡でコリント人への手紙で、「私たちの人生には目的がある。その目的は王冠を得る事だ」という事を言っています。

第2の福音でもやはり同じ事を主は言います、「さぁ、お前も行って私のブドウ畑で働け。そしてブドウ畑で働けば給料をあげよう。1日の終わりに報いを与えるから、さぁ行け、働け。」

「私たちの今の人生は、この働きには報いが与えられる。給料日が来る、必ず来る」という事を思い出させています。「私たちは給料を取る為に働いているんだ」と。

では私たちの得るべきその最後の俸給とは何なのか?これを教会は思い出させています。

私たちが最後に受けるべき、最後に私たちの人生の最後にあるのは、死と、裁判と審判と、そしてそれの私たちの人生の報いです。或いは天国、或いは地獄。これが必ず私たちに起こるという事を教えています。

ですから私たちは、「この給料日が来る、裁判の日が来る、この終わりが来る」という事をいつも念頭に置かなければなりません。

「ブドウ畑で働く」という、この『ブドウ』というのは、私たちの『霊魂』の事なのです。私たちの霊魂を私たちが世話をして、そして主に奉献する事ができるようにする、という事です。

でも残念ながら、この「給料日がない、終わりがない、私たちが何をやっても、私たちがどんなに働いているかを誰も見ていない」と思っている人は、本当ならばブドウ畑で霊魂をきれいに世話をしなければならないところを、ブドウ畑で働かなければならないところを、別の事をしています。ブドウの世話以外の事を、霊魂の世話以外の事をして、そして主から言われたものを守らないでいます。

聖パウロは今日言います、「お前たちは知らないのか。競技場で走る人々は王冠を得る為に走っているのだ、金メダルの為に走っているのだ、王冠の為に走っているのだ、名誉の為に走っているのだ。だからお前たちも、天国の栄光の為に走れ」と。「はい。」

この頃は受験の季節ですから、高校入試や大学の入試の為に、学生さんたちは一生懸命「あぁ」試験準備をしたり、或いは公務員試験をしたり、或いはピアノを練習してピアノで卒業できるように準備をしたり、或いはもちろんオリンピックの為に準備をする人がいたり、スキーやスケートの為にいつも準備をしたり、水泳の為に金メダルの為に1日に10時間泳ぐとか、そういう人たちが色々います。

そればかりではりません。この世の商品を売る為に、このマーケットで一番になる為に、裁判に行ってこの敵の会社に負けないように行ったり、或いはちょっとしたこう地位を得る為に一生懸命夜も寝ずに働いたり、競争や色々な競争をして激しいダイエットをしたりとか、或いはトレーニングをしたり、夜も寝ずに夜中まで働いて残業して残業して、朝早く起きて、それから国際電話で夜中に起こされて、それで飛行機で回って、というのはこの世の利益を、この世の地位を、この世で一番を取る為に、この世で製品を売る為に、一生懸命やっています。

ところが聖パウロは言っています、「私たちが今一生懸命生きているのは、そのような朽ちる為の、儚い名誉の為のものではなくて、私たちは永遠の朽ちない、永遠の命の為に働いているのだ。だからその為に行って働け。その為に走れ。その為に鍛えろ。その為に一所懸命準備しよ。私たちの救霊という、最も一番大切な事業の為に心を砕け。もしもこれさえ成功すれば、他のものはどんなに失敗しても大した事はない。でも命を失ってしまったら、永遠の命を失ってしまったら、救霊を失敗してしまったら、天国に行き損ねてしまったならば、この世でいくら面白おかしく過ごしたとしても、この世で一番だとしても、この世で金メダルを取ったとしても、この世で何であったとしても、ある一国の王様であったとしても、何の、何の利益もない。」

つい最近、ある私たちの日本の近くにある国の独裁者の子供が、どこかで暗殺されたという話を聞きました。何かその兄弟のその権力闘争の争いで、政治の敵だったので邪魔者だったらしく、そしていきなり暗殺された。そのたとえスイスと中国を行ったり来たり、或いは美味しいワインを飲んで、ディズニーランドで遊んで、或いは世界中を面白おかしくやって、或いはお酒と肉体の喜びに耽っていたとしても、でも本当の平和と喜びはありませんでした。「いつ殺されるか、いつ政権が襲われるか、」不安で不安で、更に悪事を進めているのではないでしょうか。

私たちはそのような事よりももっと大切なものを、永遠のものを勝ち取らなければなりません。永遠の救霊です。

つい最近高山右近の人生を黙想しましたし、高山右近は、「この永遠の命の為に全てを失っても、これだけは引き換える事はできない」とされました。

では私たちはそれに引き換え、どうでありましょうか?私たちは一体どのように救霊の為に働いているでしょうか?

お祈りをする、「あイタタ、ちょっと頭が痛いし、あぁ熱が出てるし、あぁゴホンゴホン、咳は出てるし、あぁ今日は、今日はちょっとお祈りは、…」
でもテレビを見ると、「あっ、いやぁテレビはOK、テレビは大丈夫だ!インターネットも大丈夫!うん、YouTubeも大丈夫!」「お祈り?お、お祈りはちょっと…」

霊的読書、「霊的読書はちょっと頭が痛いし、目もちょっと、あぁ…」
でもどこかの歌手が何かこうした、或いはどこかの何かニュースが、ニュースはトランプがこうだ、「あぁそれは、それはもちろん読まなきゃ!」

イエズス様に関して十字架の黙想をする、「あぁ…、めまいがする。」

私たちの良心の究明をする、「あぁ…、別の用事がある。」

それの為には腰は重いし、頭は痛いし、熱は出るし、しかしその他以外の事であればもう喜んで、寒い冬もミニスカートで行く事もできるし、どんな辛い事でもやる事ができる。

私たちは今日教会によって、「さぁ、私たちが走っているのは、私たちが今生きているのは、報いの為だ。報いの日が必ずやって来る。その時には必ず私たちに朽ちない王冠が与えられる。だからそれを目指して走りなさい」と私たちにモーニングコールを、私たちにもう一度その事を確認するように、「四旬節がすぐやって来るから、四旬節を良く過ごすように」と教会は私たちに招いています。

では、どのような遷善の決心をしたら良いでしょうか?

教会の招きに従って、どうぞ七旬節の中に深く入って下さい。四旬節の準備をなさって下さい。「私たちの究極の目的は、永遠の命である」という事をもう一度確認する事に致しましょう。この世の苦しみは短いという事、そしてこの世の苦しみは永遠の命の為にある、という事を確認する事に致しましょう。

それでは最後に、マリア様の汚れなき御心にお祈りする事に致しましょう。マリア様は約束されました、「私の汚れなき御心は罪人たちの避難所であって、天国に行く道である」と。「私は天から来ました。」

マリア様は子供たちに地獄を見せました。多くの霊魂を救う事を訴えました。祈りと犠牲を捧げる事をお願いしました。まさにマリア様は私たちに、「良く四旬節を過ごしなさい」と仰っているかのようです。マリア様の御取り次ぎで、良い四旬節を迎えるその準備をする事に致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
コメント

2017年2月17-20日の聖伝のミサの報告(続き):聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2017年02月27日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

前回のミサの報告を更にいただきましたので、レポートの続きをご紹介いたします。ご報告を書いて下さった方々に心から感謝します。


【報告】
+Ave Maria! Immaculata!

2/17-18の御ミサでの所感をご報告申し上げます。

【所感】
小野田神父様のお説教で「ファチマ100周年の四旬節をマリア様の汚れ無き御心のお望みのとおりに過ごすためには、
苦しみや犠牲をマリア様の汚れ無き御心の見方によって、汚れ無き御心の考えられるように考える事によって、この四旬節がより効果的に、
より意味が深く、意義のある四旬節になる。」とおっしゃられたことがとても心につきささりました。

天主様から送られる十字架を愛し、受け入れ、喜んで担うこと。その苦しみを自分と隣人の救霊のために捧げること。

特に「イエズスよ、これは御身への愛のため、罪人の回心のため、聖母の汚れ無き御心に加えられる冒涜を償うためです」といって苦しみを
お捧げすることこそ、ファチマ100周年に生きるカトリック信者の任務だと思いました。

でも私を振り返ると、天主から送られる小さな十字架に文句をいったり、たびたび良く担えないのだろう!と反省いたします。

私たちの真の母でいらっしゃり、私たちの永遠の生命のために、最善の方法しかとられない御方、マリア様の汚れ無き御心のお考えに
全く信頼し、イエズス様とマリア様に倣って、全てを「フィアット」と申し上げ、子の忠孝さで従うことを決心しました。
またその御助けをお願いいたしました。

ファチマのマリア様は、天主を無視し、侮辱し、地獄に落ちようとしている罪人のために、自分の全てをその「償い」のために犠牲として捧げるようにおっしゃいました。

「償い」について少し黙想してみました。

「償い」こそがカトリックの真髄だと思います。

イエズス様こそが、天主でありながら、人となってご自分を十字架上の死に至るまで、御血を一滴残らず流し尽くして、私たちに代わって「贖われ」ました。おびただしい聖人がた、殉教者がたは、みなイエズス様に倣って、自分を天主に捧げつくして、天主に栄光を帰しました。

レネー神父様の「悔悛の秘蹟について」の霊的講話でおっしゃったお言葉が思いだされました。
「イエズス様の『償い』は、私たちの『償い』に価値を与え、イエズス様を愛するならば、イエズス様おひとりだけ苦しませていることはできず、十字架(苦しみ)を避けずに、イエズス様と共に苦しむことを望む。」と

カトリックは、自分だけが救われれば良いのではなく、自分が好きな人達が救われれば良いのではなく、
天主を愛するがゆえに、自分に害を為す人のためにも、全ての人の救霊を祈り、天主に対してなされた罪を自分と自分以外の人の代わりにも、
天主に赦しを願い、償うのだと思いました。

「あなたが天主を信じ愛することを、あなたのために天主に願う。あなたが天主の永遠の生命に入るように、そのために私たちが苦しみを代わりに捧げる。自分の命までも捧げる。」と言ってくれる宗教がほかにあるでしょうか?

フェレイラ神父が棄教したときにも、公教会はその償いのために、どれほど多くの祈り、犠牲を天主にお捧げしたことでしょうか?

フェレイラ神父と一緒に穴吊るしにされて殉教した福者ジュリアン中浦神父様も、「フェレイラ神父の回心のために自分の命を献げる」とおっしゃったそうです。天主様はこれらの多くの祈りと償いによって、フェレイラ神父に回心と殉教の憐れみをお与えになられました。
これをカトリックでは「諸聖人の通功」と言います。

フェレイラ神父は、自分が天主を否んだ同じ穴吊るしで自分の命をお捧げすることになって、
その壮絶な苦しみの中にあっても、心はどれほど痛悔と感謝と平安に満たされていたことだろう・・・と想像しました。
最期には殉教者なったにもかかわらず、その栄誉が史実から隠され、その棄教だけが歴史に残っているのは
「棄教」の重い償いでもあったように思えました。

乱文をお赦しください(^_^;)

聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

こんばんは☆・゚:*:(*´∀`人

今回、マリア様の観点から「苦しみ」というものを見る、という御説教をして下さりありがとうございます!!
聖人方は皆このようにマリア様の観点から苦しみを見ておられたので、「苦しむ事を愛する」「苦しむ時に喜ぶ」「苦しむ事を望む」ということを口を揃えて仰っておられますね!

本当に私は弱い者ですので、マリア様の汚れなき御心に入る事によって、苦しみ、十字架の本当の価値を理解する事ができるお恵みが頂けますように!

ファチマ100周年のこの四旬節は、とても貴重なボーナスバーゲンの時期という事で、罪の償い、祈りと犠牲、霊魂の救いの為に、苦しみが来ると、「ヨォォシ!キタ━━ o(゚∀゚o)━━!!」という風に思って御捧げする事ができますように!
何か俗的な文章になってしまってすみません…(‥;)

デオ・グラチアス!


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

こんばんは!

六旬節の主日の御ミサをありがとうございました。
聖フランシスコが「宣教のため仕事に行き夜帰ってきたとき、修道院長から閉め出されて寒さのために苦しむ、これが至福だよ」と兄弟レオに答えた、「キリストのために苦しむこと これが喜びだよ」と答えた、というお話が胸に浸みました。

入祭文の「主よ あなたは寝ているのですか?起きて私たちを助けてください。」という問いかけのその答えを 使徒聖パウロのコリント第二の書簡で見てみましょうと 神父様はお説教の中でお話しくださいました。そのなかで先ほどの「キリストのために苦しむ」という答えが与えられました。書簡の中の使徒聖パウロは宣教の中で受けた数々の苦しみや艱難を述べています。 

いったい問いと答えがどのように結びつくのか その答えの意味が何のことか 簡単には腑に落ちないままでしたが、一晩も二晩も寝ておきたあとで、ようやく 私の心に浮かんできたことがありました。

イエズス様が困っている者を敵の手から救い出してくださらず黙って何もなさらないでいるかのようにも思えるのは、私たちがキリストのためにお捧げする小さな犠牲があわさり 主から恩寵が注がれるようになるためなのかもしれません。まるで ミサの時に 一滴の水が加えられた葡萄酒が御血に変えられるかのようです。

小さな犠牲・苦しみをお捧げすることは 至福のご聖体拝領のように聖寵恩寵をいただくことと、どこかつながるのでしょうか。

本当は 四旬節のまえの準備段階として 七旬節・六旬節・五旬節があるのです、というお話でしたが、しっかりウオーミングアップして四旬節にお捧げする苦しみと犠牲には特別な価値がつけられていますよというお話でしたが、そしてそれは永遠の命という朽ちぬ栄冠をいただくためとのこと。そのためにそれではどうやって走るかということについてこの六旬節では詳しく述べられているとのことでした。人間的な喜びや楽しみを得るためにではなくキリストのために苦しむことを求めて走るなんて、普通に人が考えることとは まったく逆のことです。  

そういえば 午後の公教要理の時の、「沈黙」の映画(小説)のことに関連して 天主様がなぜ沈黙しているのかという問いへの答えは (苦しむという)十字架の木のことだよという神父様の以前のミサでのお説教のお話も思い浮かびました。 

一見何の関係もなかったようにおもわれたその日のミサ典書の内容と 午後の公教要理が こんなふうに結びついてきて とても不思議です。

フェレイラ神父が背教したという知らせを受けた後に、ヨーロッパではたくさんの祈りや犠牲がささげられたのだそうです。なかでもマストリッリ神父のお話は格別に感動しました。聖フランシスコ・ザビエルから奇跡的治癒を受け.フェレイラ神父を回心させるためのお恵みとともに、イエズス様からも日本に必要なお恵みのためにお前が殉教しろと告げられ、その言葉どおりに日本にやってこられて残酷な拷問により殉教されたマストリッリ神父。

ただ その命をお捧げするためだけに日本にやって来られて、奇跡的に助かった命を捧げて苦しむためだけに遠い日本にやって来られたのですから。そして あえなくむごたらしい残虐な拷問を受けて命を落としたのですから。そのマストリッリ神父のみならず、それ以後にも幾人もの神父様たちがフェレイラ神父の回心のために命を捧げたり直接相見まえ(つまりフェレイラ神父は通訳として間に立たされた)説得されたりしたのですというお話でした。

フェレイラ神父が背教後に回心してもう一度天主様の子として信仰をもって亡くなるという恵みは たくさんのカトリック信者と殉教者の祈りと犠牲が天主の恩寵を呼び寄せて起こった天主の御業なのだと 教えられました。

神父様が丁寧の説明してくださったことにたいする私の理解は不十分だと思いますが、それでも天主様の計り知れない愛が 私には はっきり伝わってまいりました。愛徳とはこのような理解を超えた美しいものと思いました。何の意味も持たない犬死にのようなただ殺されるためだけに洗礼を授けることもなく宣教をすることもなくむごたらしさしか見えなかったマストリッリ神父の殉教! そこには深い祈りと犠牲があったということ。そしてそのほかの当時の数々のたくさんの殉教のなかに、ようやくそこにある天主様の恵み働き恩寵聖寵をみることができるようになりました。

神父様 ありがとうございます。

私には どうしても 日本で殉教した人の血が日本の土地に蒔かれたということにどんな意味があるのかわからなかったのです。当時のあれほどの悲惨な残虐な痛ましく人間の尊厳をも損なうほどのひどい出来事の悪い面しか見えなかったのです。ただ苦しむだけ苦しんだカトリック信者がいただけなのかと。

しかし 殉教者の功徳が合わさっていたからこそ、250年間の厳しい弾圧と宣教師もいないなかカトリック信仰が続いたと教えられ 当時の人達の血と苦しみには そのような意味があったのだということに 目が開かされました。

その殉教者の方々が流した尊い血と苦痛がもたらしてくださった恵みは もう尽きてしまったのでしょうか。いま 私たちが曖昧なカトリックの姿勢のなかで本当のカトリック信仰を求めるという苦しみとその中で自分の信仰をどのように育て守っていったらよいかわからなくて苦しんでいるたくさんの人へも お恵みがもたらされますように。

でも今 この今というときに 恩寵を呼び寄せるために私たち自身の苦しみをお捧げするように ファチマのマリア様が祈るよう教えてくださったのでしょう。

その「苦しみの中にある計り知れない価値があるその宝」とは 「超自然の恵み(恩寵)」であると信じる、それがカトリック信仰である、ときっぱりと神父様が説明をしてくださり、とても感動しました。

神父様 ありがとうございます。

デオ・グラチアス!


【お返事】

聖フランシスコ「完全な喜び」の逸話を、興味深く受け止めて下さって嬉しく思います。このお話を、日本語でご紹介いたします。次の英語を参考にしました。HOW ST FRANCIS, WALKING ONE DAY WITH BROTHER LEO, EXPLAINED TO HIM WHAT THINGS ARE PERFECT JOY

冬のある日、聖フランシスコは兄弟レオと共に、ペルジアから天使の聖マリア修道院へ向かったが、大変な寒さでひどく苦しんでいた。

少し前を歩いていた兄弟レオを呼んで言った。

「兄弟レオよ、小さい兄弟ら(=フランシコ会の修道者たち)が全ての地で、聖性の偉大な模範を示して人々を聖徳に導くことを天主が嘉し給うたとしても、--- 良く書き留めておきなさい ---、これは完全な喜びではないのだ。」

少し行くと、聖フランシスコはもう一度彼を呼んだ。

「兄弟レオよ、小さい兄弟らが歩けぬ人を歩かせ、背骨が曲がった人をなおし、悪魔を払い、眼の見ぬ人を見えるようにし、耳の聞こえぬ人を聞こえるようにし、口の聞けぬ人に話させ、さらにもっと偉大な事でさえある、死人を4日後に生き返らせたとしても、これは完全の喜びではないのだ、と書きなさい。」

少し行くと、聖フランシスコはまた叫んだ。

「おお!兄弟レオよ、たとえ小さい兄弟らがあらゆる言語を知ったとしても、たとえ彼らがあらゆる学問に精通したとしても、たとえ彼らが全聖書を説明できたとしても、たとえ彼らが預言の賜物を持ち、彼らに未来のことを全て明らかにすることができるばかりか、全ての良心の秘密と全ての霊魂の秘密を暴くことが出来たとしても、これは完全な喜びではない、と銘記しなさい。」

数歩さらに行くと、聖フランシスコは大きな声でまた叫んだ。

「おお 兄弟レオよ、天主の小さな子羊であるおまえ! たとえ小さい兄弟らが天使の言葉を話せたとしても、たとえ彼らが星々の動きを説明することが出来たとしても、たとえ彼らが全ての植物の効果を知っていたとしても、たとえ地上のあらゆる宝が彼らの前に明らかにされたとしても、たとえ彼らが全ての鳥、全ての魚、全ての動物、人間、木々、石、根、水の様々な性質に深く熟知していたとしても、これは完全な喜びではない、と書きなさい。」  

少し後に、彼はまた叫んだ。
「おお 兄弟レオよ、たとえ小さい兄弟らが説教の賜物を持っていて、全ての未信者らをキリストの信仰へと改心させたとしても、これは完全な喜びではない、と書きなさい。」  

さて、このような話しは2マイルを歩く間ずっと続いたが、兄弟レオはひどく不思議がった。ついに聖人に尋ねて聞いた。

「父よ、お願いです。では一体どこに完全な喜びがあるのか、教えて下さい。」

聖フランシスコは答えた。

「私たちが、雨でずぶ濡れになり、寒さに震え、泥にまみれ、飢え、疲労し尽くして、天使の聖マリア修道院に到着するとしよう。修道院の玄関を叩くと、門の当番が怒って私たちにいったい誰だ尋ねるとしよう。私たちが、兄弟の二人です、と答えた後、門番は怒って、おまえが言うことは本当ではない、おまえたちは偽物だ、世間をだまし、貧しい人々から施しを取り去るためにうろつき回っている輩だ、出て行け、と言うとしよう。門番は、私たちに門を開くことを拒否し、私たちを、外に閉めだしたまま、雪と雨に晒されたまま、寒さと飢えに苦しむまま、夜がくるまでほっぽり出すとしよう。その時、私たちがこのような不正を受け入れ、怒ったり、ぶつぶつ言ったりせずに、謙遜と愛徳とを持って、この門番は私たちのことをよく知っていて、天主がそのように私たちに反対することを言わせておられるのだと信じて、忍耐強くこのような残酷と軽蔑とを受け入れるなら、おお、兄弟レオよ、これこそが完全な喜びだ、と書きなさい。

もしも、私たちがまた戸を叩くと、門番は怒って出て来て、私たちを呪って、殴って、私たちをあたかも悪しき偽物であるかのように追い出してこう言ったとしよう、出て行け、あわれな泥棒どもよ、扶養施設に行け。だがここではおまえらに食わせも泊めもせぬからな!と。もしも私たちがこれを全て忍耐強く、喜びと、愛徳とを持って受け入れるとするなら、おお、兄弟レオよ、これこそ実に完全な喜びであると銘記しなさい。

そしてもしも、寒さと飢えとにどうしても堪えられず、もう一度戸を叩き、門番を呼び、多くの涙を流しながら門を開けて私たちに身を寄せるところをくれるように、天主への愛ゆえに懇願するとしよう。こんどは彼が以前に増してさらに怒って叫んでこう言うとする、これらは、うるさいごろつきだ、やつらにふさわしいように取り扱ってやろう!彼はごつごつした棒を手にとって、私たちをずきんを持って捕らえ、私たちを地面に投げ倒し、雪の中を転がし、節くれた棒で私たちを殴り傷つけるとしよう、もしも私たちがこれらの仕打ちを全て忍耐強く、喜びを持って、私たちの聖なる主キリストの御受難を思い、キリストへの愛ゆえに私たちがその受難を分かち合うと考え、全てを堪え忍ぶなら、書きなさい、おお、兄弟レオよ、ここに、ついに、完全な喜びがあるのだ、と。
さあ、兄弟よ、結論を聞きなさい。

キリストがご自分の友人らに与える聖霊のあらゆる聖寵と全ての賜物よりもさらに上にあるものは、自分に勝ち、キリストへの愛ゆえに喜んで全ての苦しみと不正と、不快と軽蔑とを受け入れる聖寵である。何故なら、天主のその他の全ての賜物においては、私たちは何も誇ることが出来ないからだ。何故なら、それらは私たちからではなく、天主から来るものだからだ。使徒聖パウロの言葉の通り、いったいあなたのもっているもので、天主から受けなかったものがあるだろうか、もし、それを受けたのなら、なぜ受けなかったかのようにして誇るのか(コリント前4:7)。

しかし、私たちは、艱難と苦しみの十字架において、誇ることが出来る。何故なら、使徒聖パウロがまた次のように言っているとおり、私たちの主イエズス・キリストの十字架においてでなければ、私は誇らない(ガラ6:14)、と。」アーメン。

以上が、聖フランシスコの「小さき花」という逸話集に載っている話です。

えっ?聖ピオ十世会のようですって?えっ?何故ですか?

「私たちが、主イエズス・キリストの御聖体を信じ、礼拝し、愛し、主の真の御体を崇敬と愛と信心を持って捧げ礼拝したいと望み、カトリック教会が二〇〇〇年間捧げ続けてきたやり方で、聖伝のミサを捧げたい、と言うと、教会の門番である司祭が怒って私たちにいったい誰だ尋ねる。

私たちは、カトリック教会の信徒です、ピオ十二世の教皇使節だった大司教から叙階されたカトリック司祭です、と答えると、門番は怒って、おまえらが言うことは嘘だ!おまえたちは偽物だ、コスプレだ、世間をだまし、カネを奪うためにうろつき回っている輩だ、出て行け、だいたい昔のミサは廃止されたのだ、禁止されている、と言う。

そこで私たちが、聖伝のミサは禁止されていません、今でも有効です、歴代の教皇様たちの聖伝のミサが禁止されるわけがありません。私たちは、歴代の公会議の教えと、カトリック教会の不可謬の教えと歴代の教皇様の教えを全て信じています、昔からの教えをそのまま変えずに信じています、過去のキリシタンたちと同じ信仰を持って、天主の御恵みによってその信仰を保ったまま死ぬお恵みを求めています、と言うと、門番は怒り狂って、問答無用、私たちに門を開くことを拒否し、外に閉めだしたまま厳しい顔をして睨みつけ、雪と雨に晒されたまま、寒さと飢えに苦しむまま、ほっぽり出す。

私たちを軽蔑とあざけりの目で睨みつけたまま、それと同時に門番は、カトリック教会を信じないばかりか批判して反対している人々には極めて大きな笑顔で微笑み、イスラム教を信じている人も、ユダヤ教を信じている人々も、仏教を信じている人々も、無神論者も救われている、さあ、教会はあなたたちのものです、さあ入ってきて下さい、使って下さい、禅を一緒にしましょう、あなたたちの祈りを私たちも一緒にお祈りをしましょう、と言う。

もしも、私たちがまた戸を叩くと、門番は怒って出て来て、聖ピオ十世会と聖伝のミサとを呪って、あかたも悪しき偽物であるかのように追い出して、出て行け、あわれなカトリック教会の過去よ、という。聖体におけるイエズス・キリストの現存を信じていない分かれた兄弟姉妹を傷つけてはならぬ、聖体はただの食事であるかのように立って受けるべきだ、カトリック教会の外に救いが無いなどと言うと分かれた兄弟達が傷つく、教会は人類の一致のための原秘蹟だ、と言う。

どうしても堪えられず、もう一度戸を叩き、門番を呼び、多くの涙を流しながら、そうではありません、カトリック教会の不可謬の教えを説明し、歴代の教皇様たちの教えを述べて、過去の公会議はカトリック教会の外に救いが無いと何度も宣言しています、と天主への愛ゆえに懇願すると、こんどは以前に増してさらに怒って叫んで、うるさいごろつきどもよ、おまえらを破門にしてやろう!と叫ぶ。

それにも関わらず、イエズス・キリストの創立した真の教会であるカトリック教会を愛するため、カトリック教会に最高の奉仕をするために、私たちは、永遠のミサ聖祭を捧げ続けます、聖伝のミサは、私たちだけの所有物で自分の自由になるものではなく、カトリック教会の永遠の宝だからです、人間は真理においてでなければ一致できません、と私たちは言う。

すると門番はますます怒りに燃えて蔑みながら、他人の痛みを和らげるために、過去の教会の信仰や道徳など捨ててしまえ、おまえたちのような者がいるから、人々は同性愛者は結婚できないし、重婚者は聖体拝領が出来ないのだ、おまえたちは邪魔者だ!おまえたちのような者がいるから人類は一つになれないのだ、という。

ですから、私たちは、天主の御恵みと御助けと御憐れみにより、聖母の汚れなき御心の御取り次ぎにより、ただただ、全て忍耐強く、喜びと、愛徳と謙遜とを持って受け入れ、怒りもせず、ぶつぶつ言ったりもせずに、私たちの聖なる主キリストの御受難を思い、キリストへの愛ゆえに私たちがその受難を分かち合うと考え、残酷と軽蔑と不正とを堪え忍ぶことができるように聖母に祈り求め、それに努めているのです。」

あれっ?ホントだ。私たちにはふさわしくないけれど、似てる感じがしますね。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

おはようございます\(^-^)/

神父様 「沈黙」の小説・映画について 聖アグネスの祝日のごミサの大阪でのお説教の中で詳しくお話しくださいましてありがとうございました。
私も「沈黙」を読んだ記憶があります。そして それはとても後味の悪い小説だったという印象でした。

それで、何もカトリックの知識のないものが読むのですから、カトリックとはそのようなものなのか?という感覚的な印象が心に強く残ったかもしれません、私はずっと日本の殉教のことを読むとか 見たりするのが嫌でした。長崎に巡礼に行くことになった時も、その気持ちはずっとあったように思います。日本の殉教者に対するイメージがたぶん損なわれていたと思います。最近も「沈黙」の話題を聞くことも嫌でした。心の底にある嫌な感じのイメージがなかなか払拭できないままだったようです。

神父様のお説教を読み 蛇の声と天主の声の違いをはっきりと説明していただいたように感じました。ありがとうございました。ようやくスッキリした感じがいたします。 

「自分で善とか悪を決めれば良い」という考えは、「善と悪の知識の木の実から取って、自分で好きなようにすれば良い」という蛇の声と 同じなのですね。 

また蛇の沈黙と天主の沈黙とは違うということ・・。
十字架の木を取る・・・蛇を足元に踏むマリア様のもとに駆け込む・・・いろいろ黙想します。

遠藤周作氏は晩年の最後の作品で「深い河」を書きました。もうどの宗教でも同じところにいくというように現代は変化しているのだから、自分で好きなものを選んで進んでいけばよいんだよ、という声に従ってしまったのでしょうか。そして そのあとには、どのような死を迎えられたのでしょうか。

もしも 司祭に「そうではない、その考えは間違っている、イエズス様のおっしゃることとは違う」と、はっきりと教えてくれる人がいたなら、そしてそのようなことを教えてくれる人が本当の司祭だと思うことがあったら、回心されていたかもしれませんね。
一人の小説家の作品がこんなにも多くの人に影響を与えるなんて、難しい時代と思います。

どの宗教でも同じところへ導かれるとしたら、どこがよいのか? そういう怖ろしい思考に取り囲まれていたこと、思い出します。その「沈黙」という小説とともに、今も、蛇の声は世間の中で 囁いているのだとおもいます。

私はマリア様に助けられて守られて回心させていただいたと思っています、マリア様の「私の汚れなき御心は避難所であって、天主へと導いている道です、道となるでしょう。」という言葉は、本当ですね!


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

映画「サイレンスー沈黙」に描かれなかった真実を色々更新して下さってありがとうございます!過去のお説教も典礼に合わせてアップして下さってありがとうございます!

七旬節・六旬節・五旬節の意義を分かりやすく説明して下さってありがとうございます!
このファチマ100周年の四旬節という大穴場の馬券を、祈りと犠牲を以て買って、イエズス様の愛と光が全て集まる焦点であるマリア様の汚れ無き御心に合わせて御捧げする事ができますように!

デオ・グラチアス!


【参考資料】

聖ピオ十世会司祭による聖伝のミサ(ラテン語ミサ トリエント・ミサ) 2015年1月、2月の報告

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、 こんにちは!今回、日本での聖伝のミサにおいて多くの兄弟姉妹の皆様とお目に掛かれて幸福でした。 東京での主日のミサ......


そこにはユダヤ人のきよめのために準備されている石がめが六つあった 【ヨハネ2章】 四旬節への準備

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、 2015年2月18日は灰の水曜日、四旬節に入ります。イエズス・キリストは、構成勝に入る直前に40日の断食を荒野で行い......


動画「ユスト高山右近を讃う」歌【河合まり子 作詞・鈴木和之作曲】 みはたかき しろにありとも

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、 ユスト高山右近の、マニラでの帰天400周年を記念して、「ユスト高山右近を讃う」歌【河合まり子 作詞・鈴木和之作曲】を......

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ファチマ100周年の四旬節をどう過ごしたらよいか

2017年02月26日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年2月18日(土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年2月18日(土)聖母の土曜日のミサ
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年2月18日、聖母の土曜日のミサをしております。昨日ミサに来られた方はもうご存じですが、来たる3月1日は灰の水曜日です。四旬節が始まり、そして21歳から59歳までの健康なカトリック信者は、大小斎を守らなければなりません。14歳以上のカトリック信者は小斎を守る義務があります。カトリック教会で大小斎の義務があるのは、年にたったの2回となってしまいました、灰の水曜日と、聖金曜日です。どうぞ寛大な心でこの大小斎の義務をお捧げする事に致しましょう。

今日のこのミサの後に、前回の公教要理の続き、フェレイラ神父、転びバテレンの為に償い作戦をやりました。その償い作戦の続き、第2弾・第3弾を皆さんと黙想して、その後に一体どんな事が起こったのかをお話したいと思っています。


「むしろ、天主の御言葉を聞いてそれを守る人は幸い。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、遂に四旬節がもう少しでやって来ます。そこで聖母の汚れなき御心のお望みのままに、聖母の汚れなき御心の望むような四旬節を送る事ができるように、今日は私たちは何をしたら良いかを黙想する事に致しましょう。

私の思うには、「犠牲」とか「苦しみ」とかというものを、マリア様の見方によって、マリア様の汚れなき御心が考えるように考える事によって、この四旬節がより効果的に、より意味が深く、意義のある四旬節になると思っています。

そこでまず、見方が違うと同じものもどのように違って見えるか、という事を一般の例をまず取って、

次に、それを私たちのいけにえに、私たちの四旬節に当てはめて考えてみる事に致しましょう。

そして最後に、遷善の決心を立てる事に致しましょう。四旬節に向けて遷善の決心を立てましょう。

一般の事にまず目を向けてみます。この事はもう私がいちいち言い立てなくても皆さんよくご存じの事なので、これはあまりにも常識的な事なので私が別に言う必要もない事なのですけれども、言うのを許して下さい。

学生に何か、宿題を忘れた、或いは授業中の態度が悪い、という時に、「腕立て伏せを30回しろ」とか、或いは「腹筋を100回しろ」とか、或いは「ウサギ跳びをして運動場を一周回れ」などと言うと、学生は「えぇ~、なんだ~、え~」と言いますが、ところが、ボディービルディングをしたいという人に、「腕立て伏せをしろ」とか「腹筋をしろ」とか言って下さい。お金を払ってもジムに行って、一生懸命こうやって腕立て伏せを何回もやって、コーチが「あぁじゃあ、あと20回」「はい!分かりました!」と言ってやって、その後で自分の筋肉を見て毎日のように嬉しがっているではないでしょうか。

何故、何故こんな違いがあるかというと、このボディービルディングをしたいという人は、その将来、そのトレーニングの効果が一体何であるかを知っているからです。運動選手は金メダルの為に一生懸命になっています。

ピアニストはコンクールで1位になろうと思って、一生懸命ピアノを練習して、何時間でも何時間でも練習したいと思っています。

ビジネスマンに、「あの、ミサに来たらどうですか?」と言ったら、「あぁ、いやサイドビジネスがあるから、1時間でも時間が欲しいんですよ。お金が儲かるように今一生懸命やっているのです。」

受験生に、「さぁちょっとリラックスして、ちょっと息でも抜いて、ちょっとお茶でも飲んだら?」と言うと、「いや、そんな事はありません!」合格何とか一直線、何とか大一直線、ハチマキをして脇目も触れずに一生懸命勉強しています。自分のこの勉強が、今苦しい辛い勉強も、目的の為なら喜びに変わっています。この苦しい事と比べれば、自分が今得たいと思うそのゴールは目標は、この今の辛い事と思ったら何でもないからです。

日本もちょっと前までは「欲しがりません、勝つまでは」と一生懸命になっていました。どんなに犠牲を払っても、その勝利の為に目的の為に一生懸命になる。これが一般の人です。

そこでこれをこの事を、この同じようにマリア様も私たちの四旬節に対して、苦しみとか犠牲という事の意味を、マリア様の見方で見るように招いています。

私たちが、「苦しみ」とか「十字架」と言うと「辛い事」と言うと、「えぇ~、またか。」私がまだ聖ピオ十世会に入る前に、ある信者さんとお話しすると、ある年季の入ったこのおばさんが時々、「あぁ、四旬節になると何か辛い事が起こるのよね」と言って、「四旬節になるのは嫌だ、辛い事は嫌だ」というのをブーブー言っていたのを覚えています。もう何年も、もう長年の信仰の大先輩ですけれども、「あぁ、四旬節になると何か辛い事が何かあって、う~ん」と。

しかし一般の人は、「十字架、辛い事は避けるべきだ。無い方が良い。」「十字架、苦しみはあってはならない。もっとそういうものを無くす為に努力したい」と思っていますが、しかし、マリア様の見方はそれと反対です。

「私たちに天主様は十字架を、天主様の一番良いと思われる方法で、一番良いと思われるものを送って下さる。それを私たちは愛を込めて、罪の償いの為に捧げなさい。」

これがマリア様の見方です。イエズス・キリスト様もやはり同じでした。十字架で御自分の命を、私たちの罪の償いの為に捧げて下さいました。マリア様も、十字架のふもとでそれをなさいました。

聖パウロも、福音を告げる為に多くの苦しみを受けました。日本の過去の先輩の殉教者たちも、多くの苦しみを捧げました。一体何故だったのでしょうか?

それは無限の価値、永遠の命の為に、永遠の栄光の為に、それを受け取る為への道として、それを捧げたのでした。

公教会は私たちがそれをする事ができるように、日々の祈りと犠牲をトレーニングとして捧げる事ができるように、トレーニングをするように、と招いています。

私たちはもちろん毎日の、もちろん過去の大きな犠牲を捧げた、高山右近や、或いは26聖人、或いは188の福者、或いは205の福者の殉教者たちのように、壮絶な逆さ吊りを何日も耐え忍ぶとか、熱湯をかけられるとか、或いは硫黄をかけられる、或いは海の中に落とされる等という、火炙りをされる、火の点いた衣を着せられる、水責めをされる、等という殉教を私たちはどうやって耐え忍ぶ事ができるか、その力があるのかどうか、本当に自信がありません。

しかし公教会は、私たちが主の為に、主の送られる十字架を私たちがよく担う事ができるように、日々の小さな犠牲と祈りをよく捧げる事ができるように、と特にこの四旬節に於いて、私たちがいつもその苦しみの価値を理解する事ができるように、もう一度目を覚ますように、と招いて下さっています。

特に今年はファチマの100周年ですから、マリア様の御心の観点に従って、この四旬節をお捧げ致しましょう。

マリア様は何と仰っているかというと、「多くの霊魂が地獄に落ちている。何故かというと、誰もこの霊魂の為に祈りと犠牲を捧げる者はないからだ。」「私たちの祈りと犠牲は救霊の為にあって、私たちの霊魂の救いのみならず、多くの霊魂の救いの為にある」とマリア様は言っています。

7月にはこう仰いました、「自分を罪人たちの為にいけにえとして捧げなさい。頻繁に、特に犠牲を捧げる時にこう言いなさい、『イエズスよ、これは御身を愛する為、罪人の回心の為、またマリアの汚れなき御心に対して犯される罪を償う為です。』このいけにえを捧げる時に頻繁にこう言いなさい、『これは御身を愛する為、罪人の回心の為、マリアの汚れなき御心に対して犯される罪を償う為です』と。そうすると多くの霊魂は、特別のお恵みを頂く事になるでしょう。」

見て下さい。フェレイラ神父が転んでしまった時に、多くのイエズス会の司祭たちは修道士たちは、その罪の償いの為に、自分の血を以てそれを償おうと思いました。数え切れないエリートたちが司祭たちが、自分の持っていた地位とか、管区長とか神学校校長とか、神学校教授、或いはそのような地位を捨てても、自分の持っていたその大きな修道院、それを捨てても、日本に行って自分の血を流して殉教したい、と思ったではないでしょうか。

多くの人たちが、例えばマカオでは40時間の聖体礼拝を何度も何度もやって、教会をますます綺麗にして、それを罪の償いの為に、イエズス様にますますの罪の償いを果たしたい、と思ってますます燃え立ったではないでしょうか。

それと同じように、もしも罪の、この世の多くの人々の回心の為に、マリア様は私たちの祈りと犠牲を求めておられます。公教会も四旬節において、その私たちの祈りと償いを求めています。

その時に私たちは、何も知らない学生のように「あぁ何だ、また罰が来た、あぁ何でこんな事、腹筋やるんだ、あぁ、」などと、「ちょっとサボっちゃえ、」「目を眩まして逃げよう」などと思ってはいけません。

「えぇ!?私たちは今、黄金の機会が与えられた!今こそ大きな金貨を、大きな富を積む機会が与えられた!普通ならばこのような商品を得るには、本当は高いお金を払わなければならないのだけれども、今日は公教会はバーゲンセールで、本当ならもっとのところを、ほんのちょっとでそれを受ける事ができる、特別の価値がある!」

本当なら私たちは知らなかった宝くじの当選番号が与えられて、「さぁこれが番号だ、買いなさい。さぁこれだこれだ。」

それを、「またお金を払わなければならない、あぁ、」そう言ってはいけません。今こそがチャンスであって、この当選番号の為に全財産をお金に替えて払ってもこれを得て、そしてその1等賞を、或いはそのものすごい功徳を積まなければなりません。今はその特別のチャンスが来ました。

マリア様はそれを私たちに手を差し伸べて、「さぁ、今こそが私たちの救霊と教会の救いの為のチャンスだ!」と、手を差し伸べています。ファチマ100周年の四旬節です。

イエズス様はこう言いました、ルチアにこう言うのです、ルチアはそれを書いています、「私は巨大な望みを持って、マリアの汚れなき御心に対する信心が広がる事を望んでいる。何故かというと、このマリアの汚れなき御心こそが、多くの霊魂をして私の方にイエズスの方に引き寄せる磁石だから。マリア様の汚れなき御心はちょうど、世界中の全ての光、私の光と私の愛が降り注いだ時のレンズで、焦点が絞られたその焦点だ。そのマリア様の御心の所に行けば、その焦点が合うので燃え立つ。光を全て受ける、愛を全て受ける。」

イエズス様は言います、「燃える焦点だ。そして私の憐れみの水が、生ける水がどくどくと湧き出るその泉である。マリア様の御心にこそ、イエズス様の愛と、光と、憐れみの全てが入っている。だからこの御心への信心が広がるように望んでいる」と仰いました。

ですから私たちは、このマリア様の汚れなき御心に行く事に致しましょう。汚れなき御心は、私たちが祈りと犠牲を捧げて、その汚れなき御心に対して犯される、或いはこの世の罪の償いを求めておられます。そうする事によって慰めを受ける事を求めておられます。これこそがマリア様の汚れなき御心の信心であって、これこそが四旬節の信心です。罪の償い、祈りと犠牲、救霊の為の祈りと犠牲。

ではこの2017年の、今年の四旬節こそがより良い意義のある、深い実りの多い四旬節となりますように、マリア様の汚れなき御心に心からお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった”真実” (その3追記)

2017年02月24日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった "真実" と 映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった "真実"のその2 につづいて、その3をご紹介いたします

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

(続き)

フェレイラが背教から立ち戻るために、彼にコンタクトを取って説得しようとする試みが少なくとも3回ありました。

今回は、第2弾を紹介します。

第二の試み:
その次は、日本人イエズス会司祭であった福者ペトロ岐部がします。ペトロ岐部は江戸で彼と会い、痛悔するように雄弁に勧告したという記録が残っています。
福者ペトロ岐部は、長崎のセミナリオで勉強していましたがキリシタン国外追放でマカオに渡り、司祭になるために他の2名の神学生(マンショ小西とミゲル・ミノエス)とマカオからローマまで巡礼に行きます。マカオからインドのゴアまでは船で行きましたが、ゴアからローマまではペトロ岐部だけは(おそらく船に乗る資金が無く)歩いて行きます。ペトロ岐部はイスラエルに行った最初の日本人となります。ローマではコレジオ・ロマーノで同級生の聖ヨハネ・ベルクマンスが帰天し(1621年8月13日)、同じ聖アンドレア修道院にいた聖ロベルト・ベラルミーノ枢機卿も帰天(1621年9月17日)しています。1622年3月12日、福者ペトロ岐部は、ローマで聖イグナチオと聖フランシスコ・ザベリオとの列聖式に日本人として参列しています。
福者ペトロ岐部は、祖国愛に燃え、同胞の永遠の救いと幸福とのために全てを捧げ、殉教を覚悟でどうしても日本に戻ろうとしました。
長上の許可を得て、福者ペトロ岐部は日本に戻って宣教するために、1623年3月25日リスボンを出航します。日本に到着したときは既に43歳。最初は長崎で、次に京都、東北に入り、イエズス会の式見神父やポロ神父と協力して仙台領で司牧していました。

1639年には、一緒に働いていたイエズス会司祭3名とフランシスコ会士2名は捉えられ江戸に送られます。取り調べを受けることになったのですが、取り調べ人の一人がフェレイラでした。岐部はフェレイラに信仰に立ち戻るように頼むと、フェレイラは部屋から出て行き再び姿を見せることはありませんでした。
福者ペトロ岐部は、評定所に引き出され、老中と奉行と大目付の前で、将軍徳川家光の前で、キリストを証し、そのために命を捧げます。
二人のフランシスコ会士らは品川で火やぶりにされました。三人のイエズス会士らは穴吊りの責めにかけられます。

ポロ神父と式見神父は転びました。しかし岐部は転びませんでした。
ペトロ岐部について、奉行所の公式記録に井上筑後守がこう書いています。
「キベ ヘイトロは転び申さず候。吊るし殺され候。」
福者ペトロは、転ばないどころか、一緒に拷問を受けていた二人の同宿を励まし続けてさえいました。340年後、井上筑後守の言葉はペトロ岐部を褒め称える歌劇の題とさえなりました。

(続く)

【2017年2月23日追記】

福者ペトロ岐部神父については、カトリック東京大司教区のウェブ・サイトの『ペトロ・カスイ岐部神父の生涯』東京教区ニュースに詳しくあります。

これによると、「マルチノ式見神父とジョアン・バプチスタ・ポルロ神父は失神してしまったため、 転んだとされてしまった。 その後しばらくは小日向の山屋敷に収容されていたが間もなく殺されている。」とあります。

そこで「ポロ神父と式見神父は転んだとされました。」と訂正します。
もしも本当に転んだのであれば、反キリスト教のプロパガンダのために活用したはずです。しかしあくまでも転びを拒否したので、小日向のキリシタン屋敷に収容されても、利用価値が無いとみられ、間もなく虐待を受けて殺されてしまったのでしょう。

大分県国東市の世界に誇る偉人ペトロ岐部を扱ったオペラには「ペトロ岐部-転び申さず候」
作曲:原嘉壽子 台本:原嘉壽子 原作:フーベルト・チースリク, 松永伍一、1991年初演、があります。1993年に、中野区民芸術劇場、新宿文化センターや大分県立芸術会館で上演されたことがあるとのことです。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった”真実” (その4)

2017年02月23日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった "真実"
映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった "真実"のその2
映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった "真実"のその3につづいて、

その4をご紹介いたします


天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

(続き)

フェレイラが背教から立ち戻るために、彼にコンタクトを取って説得しようとする試みが少なくとも3回ありました。

今回は、第3弾のその1を紹介します。


第三の試み:
最後の試みはアントニオ・ルビノ神父によってなされました。長年インドでのミッションで働いた後、1638年、ルビノは志願してマカオに送られました。1639年10月に視察師に任命されます。ルビノ神父の日本行きの強い望みは、自分の友人であったジョヴァンニ・バッティスタ・ポロ神父が捕らえられ転んだという噂を聞きさらに強まるばかりでした。

1640年11月、ルビノはフランシスコ・マルケスと日本に行こうとしましたが、嵐によってたどり着くことが出来ずコチンシナの海岸に漂着し、マカオに戻ります。多くのイエズス会士たちの反対があったにもかかわらず、断固として日本行きのために1642年にマニラに出港します。マニラから、司祭9名、修道士1名、カテキスタ数名という大きなグループで日本に行くつもりでした。しかしあまりに大きく目立ってしまう危険があるので、ルビノは二つのグループに分けます。ルビノ自身は1642年7月5日に4名の司祭たちと日本に向けて発ちます。第2のグループはペドロ・マルケスの指導の下に1643年に出航することになっていました。

ルビノはラテン語でフェレイラへの手紙を書き、それを日本に上陸するや彼に送るつもりでした。この手紙は Tu ille Christofihorus で始まり、つぎのような内容です。

【引用開始】
「おまえは、1596年にキリストの誕生という聖なる日に、16歳の時、天主とイエズス会のために生まれ、おまえの名前をこの会に与えた、あのクリストフォロなのか?
おまえは、両親と親類と友人たちを忘れ、この世のことを軽蔑し、1598年の殉教者聖ステファノの祝日にコインブラのコレジオで管区長クリストヴァン・ゴウヴェア神父の前で清貧と貞潔と従順の誓願を立てた、あのクリストフォロなのか?おまえは、キリストのために石殺しにされたかの偉大な殉教者の足跡を、ただ単にキリストを否むために従ったのか?

おまえは、1600年4月4日にポルトガルの祖国とその土地を離れ、東インドに福音の光をもたらすためにその地域へと航海したあのクリストフォロなのか?おまえは、かの光をそこにただ真の天主を否むためにもたらしたのか? おまえは、聖霊の息吹によって、1601年5月1日にゴアから日本への宣教へと旅を始めたあのクリストフォロなのか? おまえは、1608年、私たちの救い主イエズスがお生まれになったその同じ朝の夜明けに初ミサの聖なるいけにえを捧げたあのクリストフォロなのか?おまえは、サタンに捧げられるためにこれらの叙階の秘蹟を乱用したのか?おまえは、日本人の霊魂たちの救いに飢え乾き、1609年5月16日に乗船して日本に出港したあのクリストフォロなのか?おまえは本当に彼らに救いをもたらしたのか、それともおまえの悪しき模範により多くを真の道から迷わしてしまったのか?

おまえは、長崎で1617年10月1日に管区長マテウス・デ・コウロス神父の前で喜んで四つの誓願を立てたあのクリストフォロなのか?それほど多くの証人たちの前で、天主とイエズス会に誓ったこの忠誠をおまえは守らなければならなかったのではないか? 私たちが何を、またどなたにそれほど荘厳に約束したのかを、おまえは覚えていなければならなかったのではないか?

おまえは、1632年12月23日に私たちのイエズス会が、全日本の地区の指導と司教の義務とを大きな信頼をこめて委ねたあのクリストフォロなのか?おまえは、キリストと彼の会とに背を向けることができるようにのみ、それを管理したのか?なんという恐るべき代わりようだろうか!なんとおまえは身を落としてしまったことか!このことを思うと私は涙と嘆息で死んでしまいそうだ!」
【引用終わり】

1642年8月11日、ルビノとその一行の船は日本に到着し、直ぐさま逮捕されて長崎に連れられます。8月22日にそこで厳しく尋問を受け、大村の牢に投獄されます。1643年3月16日に穴吊しの刑を受けて、フェレイラの罪の償いとして殉教します。最後の3名は9日の穴吊しの後でもまだ生き延びていたので、穴から出されて首を切られて殺されます。


(続く)

【参考資料】
過去の記事をご紹介いたします。

「苦しみ」というものが何の為にあるか、それに価値があるものとなる為にはどうすれば良いのか。

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、 2016年2月7日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。天主様の祝福が豊かに......


「人よ、汝は塵であり、塵に戻る事を覚えよ」

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、 2月10日、灰の水曜日に大阪で行った聖伝のミサでのお説教をご紹介いたします。 天主様の祝福が豊かにありますよ......


愛を込めた祈りと、犠牲について。ー「百夫長」の信仰に倣うにはー
アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、 2月11日、灰の水曜日後の木曜日に大阪で行った聖伝のミサでのお説教をご紹介いたします。 天主様の祝福が豊かに......




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2017年2月17-20日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2017年02月22日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今回は、新しいミサの典礼では無くなってしまっている「七旬節」「六旬節」のミサを大阪と東京で捧げることが出来ました。

大阪では2月12日(主日)にレネー神父様が七旬節の主日のミサを捧げて下さり、17日(金)に愛する兄弟姉妹の皆様のしもべが平日のミサを、18日には土曜日の聖母のミサを捧げました。

東京では、19日(主日)に、六旬節の主日のミサを捧げました。御聖体拝領唱は、ミサに与った私たちの霊魂に起きていることを歌うクライマックスの聖歌で、メロディーも簡単なものが多いのですが、聖パウロが自分の苦しみや多くの困難を誇ることを黙想した後に、さあ私たちも四旬節に向けて聖パウロに倣おう、私も自分をいけにえに捧げよう、主と共に自分の十字架のいけにえを捧げよう、と思って十字架の成果・果実である御聖体を拝領したその時、聞こえてくるこの聖歌は、私たちの霊魂にビンビンと響いてくる感じがしました。Introibo ad alatare Dei, ad Deum qui laetificate juventutem meam! 私は天主の祭壇へと入って行こう!私の若さを喜ばせてくれる天主へ!

ミサに参加する或る方と「沈黙」についておしゃべりする機会がありました。彼は私に感想をこう言ってくれました。
「隣人の苦しみを無くすために、自分の信仰を捨てる、あたかもこれが素晴らしいことであると「沈黙」では描かれている。これと同じことが今目のあたりで繰り広げられている。何故なら、離婚が出来なくて苦しんでいる人がいる、同性愛者が夫婦として認められなくて苦しんでいる人がいる、安楽死が出来なくて苦しんでいる人がいる、自分のやりたいことが出来なくて苦しんでいる、彼らを助けるために「信仰」を捨てるが良い、「キリスト教倫理、道徳、天主の十戒」を捨てるが良い、と主張する人々がいるから。」

このことをずばり見抜いた彼の鋭さに私はうなりました。

例えば「アモーリス・レティチア」を巡って、枢機卿が枢機卿と対立し、司教と司教とが対立しているのを見ると、その戦いの中核にあるのは、まさに「沈黙」のテーマです。

小説「沈黙」のキリストは「踏め」と言ったとしても、歴史上の本当のキリストは「ころべ」とは言いませんでした。キリストは「償いをせよ」と聖フランシスコ・ザベリオを通して、マルチェロ・マストリッリ神父を送りました。

キリスト者は罪なくして虐待されて来ましたが、これらの不当な虐げでカトリック信徒の方々を傷つけてきた残虐な行為について謝罪を要求することには、カトリック教会には全く関心がありませんでした。そうではなく、「彼らの罪を償い、天主を慰める、彼らに代わって罪の償いをする」、これをキリストがお望みになっていました。

「祈り、償い」これが、2000年のカトリック教会の関心事です。

ファチマの天使はこう言います。
「あなたがたができるすべてのことを犠牲とし、それを天主に背く罪の償いの行いとして、また罪人の回心を嘆願して天主に捧げなさい。あなたがたはこのようにして自分たちの国に平和をもたらすでしょう。特に主があなたがたにお与えになる苦しみを従順に受け入れ、忍びなさい。」

「恩知らずの人々によって恐ろしく冒涜されたイエズス・キリストの御身体と御血を受け、飲みなさい。彼らの罪を償い、あなたたちの天主を慰めなさい。」

ファチマの聖母はこう言います。

「あなたたちは、天主に背く罪の償いと罪人たちの回心への嘆願の行いとして、喜んであなた自身を天主に捧げ、天主があなたにお与えになるすべての苦しみを耐えますか?」

「罪人たちのために犠牲をしなさい。たくさんこう言いなさい。特に何か犠牲をするときにこう言いなさい。“イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです”、と。」

殉教者たちは、自分の力だけで殉教したのではありません。天主の聖寵の助けを得て、天主と協力して、天主と共に殉教を果たしたのでした。殉教は、天主の聖寵の傑作であり、弱い私たちを助けて下さった天主様の憐れみの御業です。

罪の償いも、自分の力だけではできません。天主の聖寵の助けを得て、天主と協力して、天主と共に初めて出来ます。償いの業も、弱い私たちを助けて下さる天主様の憐れみの御業です。


3月1日は灰の水曜日です。四旬節がもうすぐ始まります!
私たちは天主の祭壇へと入って行きましょう!私たちの若さを喜ばせてくれる天主へ!

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

大阪でのミッションありがとうございました。
御ミサの報告をお送りいたします。

2月17日 金曜日 七旬節の平日のミサには11名が、
2月18日 土曜日 聖母の土曜日のミサには10名の方々が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!

17日のお説教によると、七旬節のミサの書簡で聖パウロはコリント人への手紙の中で、私たちの人生の目的は、一体なんなのか?を問い、その答えを栄冠、つまり天国での永遠の永福を受けることであると教えています。競技場で走る人が賞を取るために走り、その前には節制 するのであるから、私たちは天の永福を受けるためにこの世で準備をする必要があること、この世でどんな栄誉、富を得ても永遠の命を失ってしまったら何の意味もないことをはっきりと書いています。

また、聖福音は、ブドウ園の主人が働く人を雇って賃金を支払うたとえでした。このブドウ園のブドウは私たちの霊魂の事をあらわしていて、そこで働くという事は霊魂の世話をするつまり、救霊のために働くという意味がある。私たちはきちんと霊魂の世話をしているだろうか?との問いかけには自身の生活を振り返って、反省する事がたくさんありました。七旬節に入り、四旬節をよく過ごすための準備のため、永遠のメダルを獲得するためにも、罪びとのより所、天国への道であるマリア様の汚れな き御心へもっと深く入ってファチマの精神で毎日を過ごそうと思います。

18日のお説教では私達がマリア様の望まれる四旬節を過ごせるようにどうすればよいかを黙想しました。
日々の十字架や苦しみは、マリア様が考えられるようにその意味を考えれば苦しみももはや忌み嫌うもの、逃げ出すべきものではないことがはっきりわかります。
世界中の多くの人はこの世の小さな儚い喜びや栄誉のために苦痛や練習や試練を耐え忍ぶことを知っています。それは目的達成のための手段であり、そのあとに自分のうけるべき幸福のため、目的達成のためであります。

永遠の幸福のために天主様が私に一番良い十字架を送って下さっていることを思い、罪の償いのために喜んでお捧するのは当然の事だといえます。そしてそれこそが、マリア様の苦しみに対する考え方であり、マリア様の御生涯でありました。

ファチマの聖母ご出現の100周年である今年、マリア様が呼びかけられるように、その汚れなき御心と一致して、自分だけでなく、多くの罪びとの救霊のために苦しみを雄々しく耐え忍ぶ覚悟と勇気をマリア様の汚れなきみこころを通して御聖体にましますイエズス様にこいねがいました。

土曜日の公教要理は、
1633年の西坂でのクリストヴァン・フェレイラの背教にたいする「フェレイラ償い作戦2」として大変興味深いお話を伺いました。

天主様が罪に対して、償いの機会をお与え下さっているという歴史的事実には感動してしまいます。
1517年のルターの宗教改革にたいしては、プロテスタントを食い止めるために聖イグナチオ率いるイエズス会が間もなく発足。
1830年のパリ・コミューンに対しては、同年、同じくパリで聖母がカタリナ・ラブレに不思議のメダイをお与えになる。
1917年のロシア革命にたいしては、同年ファチマで聖母かご出現になり、また、聖コルベの聖母の騎士が発足。
1633年のフェレイラの背教に対しては、同じ年にフェレイラの回心の為に日本に渡り、殉教するマストリッリ神父の奇跡的治癒があった。

フェレイラ神父の背教の連絡を受けたイエズス会の同志たちはその回心のために、また償いの為に迫害下の日本へ来ることを志願されました。
最初の4名は全員殉教し、後に来た4人には大きな試練がありました。
小説では描かれていませんでしたが、フェレイラはこれらの償い作戦によって天主から回心の恵みを頂き、信仰を宣言したため最後は殉教します。

その史実と、小説「沈黙」とを比べてみると、大きな違いが見つかりました。

殉教者たちが求めたものは「永遠の命」⇔ 小説では、「この世の建設」
          「超自然の恩寵」⇔      「沈黙」
       「祈りと苦しみの価値」⇔      「苦しみはあってはいけない」
           「十字架の木」⇔      「キリストはすでに贖いをしたのだから、人間は何をしても、もう救われている。」
                         「罪も罰もない。天主は憐れみだ。」 

よく見てみると「史実」と「小説」の決定的な違いは「聖伝」と、「第二バチカン公会議の精神」の違いだとわかります。
フェレイラ神父の回心を描かなかった小説の意図は伺いしれませんが、映画「沈黙」が聖伝を拒否し、第二バチカン公会議の精神を反映するのにひとやく買ってしまったといえると思いました。

償い作戦で、フェレイラ神父の回心の恵みを勝ち取られたように、私たちも、ファチマのマリア様の「償い作戦」に心から賛同して参加しなければいけないと思いました。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

金曜日・土曜日と大阪で御ミサを捧げてくださり、終課と公教要理もして下さりありがとうございました!!(*^▽^*)フィリピンでお風邪を召した直後にこの寒い日本に来られて、早速天主様は小野田神父様に七旬節の犠牲をお望みになっているのだなあと思いました…(ToT)

体調が悪い中、私たちの為にまた日本に帰って来て下さり本当にありがとうございます!

教会は母の心を以て、私たちが四旬節の準備が良くできるように、少しずつ七旬節・六旬節・五旬節とウォーミングアップするように呼びかけて下さっているのに、新しいミサではこの七旬節・六旬節・五旬節が全て無くなってしまっているなんて(;_;)

聖霊の愛の導きをそのまま守り伝えて下さっている、この聖ピオ十世会の聖伝のカトリック信仰に、より多くの方が導かれ、マリア様の汚れなき御心を愛し、お慰めする事ができますように!

そしてマリア様の汚れなき御心にお祈りして、良い四旬節を過ごすための良い準備ができますように、これから六旬節の中に深く入ることができますように!

デオ・グラチアス!



【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 13人(内、子供1人)
女: 25人(内、子供3人)
計: 38人(内、子供4人)
コメント

日本26聖人殉教者

2017年02月18日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年2月5日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年2月5日(主日) 日本26聖人殉教者のミサ
小野田神父説教

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。

今日は2017年2月5日、この巡回教会の守護の聖人である日本26聖殉教者の一級祝日として祝っています。典礼法規によると、教会の守護の聖人は一級で祝わなければならないという事ですので、それに従って今日は守護の聖人のミサをしております。

ミサが終わりましたら、いつもの通りに感謝のお祈りをしますが、今年はファチマ100周年ですので、その時に天使の祈りを付け加えてする事に致しましょう。

8月15日までロザリオの十字軍がなされております。どうぞ、皆さんの多くのロザリオと犠牲のご報告もお待ちしております。

今日は公教要理の時間の時には、明後日の火曜日に大阪城ホールで列福式が行われるユスト高山右近について、その生涯について皆さんにお話をしたいと思っています。どうぞ時間がある方はいらして下さい。



“Dico autem vobis amicis meis ne terreamini ab his qui vos persequuntur. ”
「私の友であるあなたたちに言う、迫害する者を恐れるな。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は日本26聖人の殉教の日であります。そこでその26聖人の殉教に、一体何で殉教する事になったのか、一体何が起ったのか、

ではその殉教の様子はどうだったのか、その殉教した人々の面子は誰だったのかという事を少し見て、

最後に私たちは、何をどんな事を遷善の決心と取らなければならないのか、この黙想からの実りを、どのような実りを取るべきかを黙想しましょう。この26聖人の御取り次ぎによって私たちも、彼らに倣った生活をする事ができる遷善の決心を取る事に致しましょう。

では第1の点は、一体何が起こったのか、という事です。このバックグランドを話させて下さい。

1534年8月15日の聖母被昇天には、聖イグナチオ・ロヨラとその同志たちは、その中に聖フランシスコ・ザヴェリオもいたのですけれども、パリのモンマルトルの大聖堂で集まって、そして誓願を立てました。これが将来教皇様によって認可されるイエズス会の始まりです。

それからたったの15年の後に、そのイエズス会の最初の創立の同志であった一人である聖フランシスコ・ザヴェリオは、何と日本にやって来ます。同じく8月15日、マリア様が聖フランシスコ・ザヴェリオをここに、日本の地に送って下さったとしか考えられません。

そのやはり8月15日に日本に到着した、という事を聖フランシスコ・ザヴェリオは非常に強く感動して、是非マリア様に、特に被昇天のマリア様に特別の信心を持っていました。そして「ぜひ京都に、被昇天のマリア様の、都にそのマリア様の教会を建てたい。そしてぜひ天皇陛下にも会って、都で布教をしたい。」

天皇陛下の所に京都に行くのですけれども、その時には応仁の乱で、京都は荒れ果てて、天皇陛下もタケノコ暮らしのように、何か持ち物を売っては食べ物を得ていたという程に、非常に権力の力の無い状態でした。聖フランシスコ・ザヴェリオは非常に清貧な姿で行ったのですけれども、「そのような姿では天皇と会う事ができない」と言われて、そして「何とかそれでは、平戸に残してきた贈り物とか全てを取り寄せるから、どうしても会わせてほしい」と言ったのですけれども、それも聞き入れてもらえずに、京の都を去らねばなりませんでした。

もしもその時に聖フランシスコ・ザヴェリオが天皇陛下と会っていたら、日本の歴史は、或いはカトリックの歴史は、全く違ったものとなっていたかもしれません。しかし天主様の御摂理は、違う方にそれをお許しになりました。

その時に将軍は足利義輝で、彼はやはり近江に逃げていましたが、この将軍が京都での宣教布教を許可し、居住も許可をしたので、これが1560年、聖フランシスコ・ザヴェリオが到着してから約10年の後には、公式に将軍によって日本からの宣教の許可が得られて、そしてキリシタンたちはパードレたちはキリストの教えを広めていました。

パードレの事は当て字で、伴侶の「伴」に、「天」に「連」れて行くと書いて、それを当て字をやっていました。そこでパードレの当て字が後に、パードレたちを司祭たちを呼ぶ呼び方として、伴天連(バテレン)という風に呼ばれるようになりました。まさに一緒に天国に連れて行くパードレたちには、素晴らしい当て字でありました。

多くの日本人たちが回心して、その中には大名や有名な武将や、織田信長の直々の親族、或いはこの度列福される高山右近、或いは毛利、或いは黒田、有馬など、有名な大名たちが続々キリシタンになりました。

そして1586年には、大阪にいた秀吉の元に、イエズス会の面々としたパードレたち、或いはキリシタン大名たちの勇士たちが、立派な貴族たちをキリシタンの貴族たちを連れて会見しています。約30名が連なって、秀吉は非常に喜んで、武器も持たずに侍者に持たせたまま、普通大名と話す時には何も話さず、無口で睨みつけているこの秀吉が、パードレたちのすぐ近くに寄って来て、にこにこ笑いながら話して、「この土地をあげよう。ああしよう」などと歓談していたのを見ると、「将来日本には、日本のキリスト教会はこれでバラ色の花のようだ」と一見すると思われるようでした。

しかし多くのキリシタン大名や、仏のお坊さんや、或いは神社の主や、或いは山伏などがキリスト教に続々回心していくのを見て、そしてお寺がそのような人たちが回心するのでそのまま管理されなくなるのを見て、一部の身分の高いお坊さんたちが恐れます。

特に豊臣秀吉は病がちであり、それに「加持祈祷を行なって、魔術をお祈りをしてその病を治す」と言っていた施薬院徳運というお坊さんは、このキリシタンの発展を非常に苦々しく思っていました。

そこで秀吉を説き伏かせて、「キリシタンを迫害するように。キリシタンをパードレたちを国外に追放するように。ただし貿易だけはやって、お金儲けはすれば良い。キリスト教はいらないけれども、お金儲けはしなさい」という禁令を出します。それが、秀吉とパードレたちがキリシタンたちが、キリシタン武士たちが会見したその1年の後でした。

あっという間の突然の変化に人々は、「これからどうなるだろうか」と心配しました。しかし秀吉は、ただお坊さんにそそのかされてこの禁令を出しただけで、それを実践するそれを実行するという訳ではありませんでした。パードレたちが宣教していても別にそのそれはそのままであったし、まぁ自分に加持祈祷をしてくれるお坊さんの気に入るように御触れは出したけれども、別にそれを守りたいという思いはないように思いました。

そうこうするうちに、その禁令の9年後、マニラからメキシコに向けていつもの定期船が、サン・フェリペ号が出る事になりました。そのサン・フェリペ号には莫大な富、生地、絹、或いは生きた猿、或いは香辛料、或いは金銭にしたらとても数え切れないほどの物凄い富が積まれて、そしてメキシコに行く途中でした。ところが残念ながら台風にもまれて、それが土佐の浦戸の港に座礁してしまうのです。

ちょうどその1ヶ月前、この座礁したのは10月19日の事でしたが、その8月30日と9月4日には京都で大きな地震があって、秀吉のお城も壊れていたし、お寺も壊れたり仏像も倒れたりなど被害が多かったのです。キリシタンたちはこの被害者の為に救援に行っていましたけれども、しかし心ない人たちは、特にキリスト教を思わないようなお坊さんたちは、「これはキリシタンのせいで起こった地震だ。だからキリシタンがこの償いに看護して救援するのは当り前だ。俺たちは何もしない、俺たちのせいではない」と言っていました。

四国の浦戸に座礁した、莫大な富を持ったそのサン・フェリペ号を見て、欲にくらんだその四国の城主が秀吉に提案します、「これを没収するがよい。」

その当時の日本の法律によれば、或いはそのような難船の荷を没収するのは全く違法でした。本来なら彼らを助けて、また逃がしてやらなければなりません。しかしこの財宝に目がくらんだ秀吉は、何とかして没収する手段を探しました。そこで思いついたのが、この10年前の、唯一の合法化する「キリシタン禁令」でした。「キリシタン禁令を使って、これを没収しよう。」

そこで京都の奉行の石田三成に言い渡して、「キリシタンたちを全て逮捕しろ。」

石田三成は非常にキリシタンに好意を持っていたので、何とかそれをやめさせようとしたのですけれども、それができなかったので、被害を最小限に留めようとしました、「何とかしてイエズス会の司祭たちはしないように、或いは何とかして、」しかしどうしても、名簿を作って24名が逮捕されました。その禁令を決行させる、絶対に行う、としたのが1596年12月8日の事でした。


第2のポイントは、ではこの逮捕連行から殉教まで、どのような事が起ったのか、です。

大阪で17名、京都ではフランシスコ会の天使の聖母(教会)に居た人たちが7名逮捕されて、全て京都にやられて、合計24名が捕まりました。フランシスコ会の神父様と修道士6名、フランシスコ会の教会によく通っていた信徒が14名、イエズス会の関係の方が3名でした。

当時、その24名の中で一番のリーダー格であった指導者であったのは、ペトロ・バプティスタ神父様でした。フランシスコ会の司祭で、フィリピンと日本の友好関係の為にフィリピンから特使として送られて来た方でした。1593年からずっと日本に来て、そして特に京都で貧しい人の為、病気の人の為、特に癩病の人の為、孤児の為に病院を作ったり、世話をして献身的に働いた、福祉と善の為に働いてきた方でした。一体何の悪事を働いたという事でしょうか。

しかしペトロ・バプティスタ神父様は、イエズス様の為にこうやって罪なく悪人とされて、逮捕されて、これで死を受けるという事を非常に喜び、栄光と考えました。唯一心残りだったのは、京都に残していかなければならない癩病の、病院に居る130人の患者さんたち、また別の病院に居た貧しい50人の病人たち、「一体、彼らの事はどのように面倒見るだろうか。彼らの為にはお米の蓄えがない。どうやって食べていけるだろうか。」それだけが心残りでした。しかし全て天主様の御摂理と御憐れみに委ねて、彼らに祝福を与えて、自分は殉教の道を進む事にしました。

こうして24人は、京都の一条戻橋で翌年1597年1月3日に連行されて、耳を1つ削がれます。ちょうどその時奉行の秘書だったのがキリシタンで、その耳を殉教者の耳を取って、そしてイエズス会の神父様に渡すと、「あぁ、何と美しい殉教の初穂であろうか」と、その彼らの勇敢さを讃えた、と伝えられています。

本来ならば秀吉は、「鼻も削げ、耳も両耳も削げ」と言われたのですけれども、しかし奉行は自分の情状酌量で、耳だけにしたとの事です。

そして辱しめと見せしめの為に、京のあらゆる大通りを馬の荷車に乗せて、そしてうねり歩かせました。京都だけではなく大阪にも行きました、堺にも連れて行きました。そして皆が見せしめで「どうだ!」とされました。その中には、12歳のルドヴィコ、或いは13歳のアントニオ、或いは14歳のトマスなどもいました。

しかし彼らは悲しいような様子を見せる事なく、ウキウキと快活に、微笑みを絶やさずに、その「これから殉教する」という事を待ち臨んでいるかのように思いました。

1月10日にはその見せしめが大阪で終わり、1月10日に大阪を長崎まで出発します。秀吉は「長崎にやって十字架に付けよ」と命令したからです。1ヶ月の徒歩の旅でした。800キロを雪の中、寒い冬、凍えながら、着の身着のまま歩かなければなりませんでした。なぜ歩いたかというと、やはりこれも見せしめの為です。

ところで備前では、護送の役人ではキリシタン武士が、明石掃部というキリシタン武士が護送の長に立っていたので、このキリシタンたち24人を助ける事ができました。

京都に居たオルガンティノ神父様はイエズス会の神父様ですけれども、何とかこの連れて行かされる24人を助けようと、ペトロという信者を送ります。フランシスコ会の神父様も、大工のフランシスコを送ります。そしてこの2人は24人の世話をして、道々800キロを歩くのですけれども、遂には自分たちも一緒に殉教の名誉を受ける事になります。名簿には載っていなかったのですけれども、この2人も付け加えられます。

800キロを1ヶ月間歩き通して、ただ長崎の湾に行く時の間だけ、ほんの少しだけ船に乗らなければなりませんでした。その船に乗って時津の湾に着いた時には、2月5日の事でした。その夜、寒い朝を船の中で凍えながら上陸するのを待たされました。

彼等はただ思っていたのは、「イエズス様の為に命を捧げて、天国に行きたい」という事だけでした。「ではここで。天国で会いましょう」と挨拶し合っていたとの事です。

上陸した後に、西坂の丘まで歩かされました。1ヶ月の間、着の身着のまま歩いていたので、もう足が痛くて歩けなかった年寄りの方もいたのですけれども、しかし西坂の丘に行く時は、今までの苦しみが何もなかったかのようにスタスタと歩いて行った、との事です。

特にルドヴィコは、子供のルドヴィコは「私の十字架はどこ!?」と言って、十字架にかかり、「ジェズス、マリア!」「ジェズス、マリア!」と叫びながら、或いは「パライソ!」「パライソ!」或いは、テ・デウムと感謝の祈りを皆で歌いながら、十字架に付けられました。

そして十字架に付けられた後に、一人一人の26の十字架の1つ1つに、2人の兵士が役人が立って、槍でバッテン状にクロス状に胸を突き刺して、そして殺していったのでした。

外出禁令が出ていたにもかかわらず、4000名がこの殉教を見る為に出て来ました。パードレたちもやって来ました。その日本の最初の信仰の証しを捧げた後に、その勲しは世界中に広まり、1862年6月8日にはピオ9世が、福者ピオ9世がこの26聖人を列聖しています。

どんな面影があったかというと、色んな業種の人、色んな立場の人、子供から老人まで色々ありました。国籍も色々でした。

例えば、いつも説教をして病院で働いていたパウロ鈴木。彼は49歳でした。

或いは、17歳で洗礼を受けて、公教要理をよく学び、カテキスタとして働いていたガブリエル、聖ガブリエル。受洗してたった2年で殉教しています。

少しちょっと前に信者となったばかりの、絹を売っていたヨハネ絹屋。28歳で殉教しています。

或いは、薬屋で賄を立てていて、フランシスコ会の天使の聖母の修道院のすぐ隣で薬屋をやっていたのですけれども、フランシスコ会の神父様の影響を受けて洗礼を受けて、薬を入れながら天国への道も教えていた、というトマス談義。彼はその洗礼を受けるまで非常に短気で怒りっぽくて、いつもカッカしていたのですけれども、洗礼を受けてからは非常に温厚になって、36歳で殉教します。

或いは、やはり医者であった48歳の聖フランシスコ。

或いは、元々武士だったのですけれども病気になって、その病気になった時に神父様から洗礼を受けて、洗礼を受けると病気が治り、それから次にはフランシスコ会の修道院で手伝いをして、料理を特にやっていたヨアキム榊原。40歳で殉教しています。

或いは、14歳の子供トマス小崎。これはお父さんでミゲル小崎のその子供で、一緒に殉教しています。お父さんのお手伝をして大工の手伝いをしていました。フランシスコ会の修道院を造る為に一生懸命働いていて、そして全てイエズス様の奉仕の為に捧げていた子供でした。

中には、幼児洗礼を受けたまま、お母さんと一緒に幼児洗礼を受けたままお母さんが亡くなってしまったので孤児になって、そして寺に預けられて、寺に預けられたままお坊さんになって、20年暮らしたのですけれども、「キリシタンが居る」という事を聞いて、実は自分もキリシタンだったという事を知っていて、それでキリシタンの教えをまた聞いて改宗したボナベントゥラ。

或いは、癩病の人の為に一生懸命働いていたレオ烏丸。この殉教者の中で指導的な、平信徒の中では非常に指導的な立場でした。

本当はフランシスコ会の中で料理をやっていた「マチアス」という男を探していたのですけれども、役人が「マチアスはいるか!?料理人のマチアスはいるか!?」と、誰もいないのです。するとこの26聖人の1人のマチアスは、「私がマチアスだ!料理人のマチアスだ!」「違う。」「しかし、でも私が行く!」「あぁそうか、よし。」と役人に受け入れられた、そして殉教したマチアスもいます。天主様もこの殉教を受け入れました。

スペインから来たフランシスコ・デ・サン・ミゲル。53歳。

スペインから来たフランシスコ・ブランコ。30歳。彼は日本語が非常に上手でした。

ポルトガル人のお父さんを持ってインド人のお母さんを持っていた、インドから来たゴンサロ・ガルシア。16歳の時に日本にやって来て、日本語とポルトガルをペラペラ話していたのです。でも、どもりで聞く人は少し大変だったようです。しかしイエズス様の話しをする時には、或いは宗論をする時には、日本語を非常にはっきり話した、と記録が残っています。

或いは、メキシコの裕福な家で生まれた、フィリッポ・デ・ヘスス。彼はフィリピンでフランシスコ会に入り、それからメキシコのお父さんとお母さんの元に行って、そして司祭に叙階になる予定でした。ところが難船で日本に来て、司祭になる代わりに聖人になりました。

スペイン人のマルチノ・デ・ラ・アセンシオン。30歳で、日本語が非常に上手でした。祈りの人でした。いつも夜、お祈りとお祈りとお祈りと苦行をしていました。スペインの貴族の生まれの人です。

ペトロ・バプティスタ。これもスペインの方で、日比友好特使として日本に来た指導者でした。特に貧しい人や、病気の人に特別の愛情を以て捧げた人でした。48歳。

アントニオ君は13歳ですけれども、中国人のお父さんと日本人のお母さんを持っていました。殉教の時に、お母さんがその十字架、自分の十字架のそばで涙を流して、もう嗚咽で言葉が出なかったのを見たのが唯一心残りだった、といいます。聖アントニオはマニフィカトを歌いながら、マリア様を歌いながら殉教していきました。

12歳のルドヴィコ茨木は明るい子で、1年前に洗礼を受けたばかりでした。十字架に付ける前に「自分の十字架はどこですか!?早く付けられたい!」と言って、朗らかに殉教していきました。

19歳のヨハネ草庵。

或いは、元武士であった54歳のパウロ茨木。子供も、ルドヴィコ茨木と共に殉教しています。

イエズス会の33歳のパウロ三木。安土で造られたセミナリオの第1回生でした。高山右近をよく知っていました。

64歳で最年長のディエゴ喜斎。

或いは、弓を打っていて、心が天主様に向かう弓のようだったミカエル小崎。46歳。このミカエル小崎は、自分の宝を全て天主様に捧げました。子供トマス小崎も捧げました。もうこれ以上捧げるものはありませんでした。

ペトロ助四郎は、オルガンティノ神父様から殉教者を助ける為に送られた30歳の男でした。

伝道師のコスメ竹屋。38歳。

そして9ヶ月前に洗礼を受けたばかりで、大工をやっていた、そしてフランシスコ会の神父様によってこの殉教者を助けるように、24人を助けるように送られた、フランシスコ吉。彼も受洗後9ヶ月にして、殉教の冠を得る事になりました。

そのような色々な人々がいますけれども、私たちは今日どのような決心を取らなければならないでしょうか。

まず私の提案するのは、このような殉教者は実は、殉教を避けようと思えば逃げたり避けたりする事は実はできたのです。しかし進んで、「私こそ殉教者だ、私がマチアスだ、私が行く」と。或いは24人に一緒に行ったが為に、逃げようと思えば逃げられたのにもかかわらず、一緒に殉教する事になった2人などいます。

それに比べて私たちは、この世の辛い事、悲しい事、十字架を、或いは誘惑を、どれほど簡単にギブアップしてしまう事でしょうか。少し電話の「新しい電話を買おうと何とかショップに行くと何時間も待たされて、店員の態度は悪い。不親切だ。説明もない」などと少しの事で怒ったり、或いは「自分がお金がないと言ったら店員の顔が変わった。馬鹿にしているのではないか。何か金持ちにはへらへらするくせに、貧しい人にはこんなに冷たい態度を取るのか」、或いは「電車が遅れた」、或いは「飛行機の連結ができなかった」、或いは「乗り遅れた」、或いは「友達から何か嫌な事を言われた」、或いは「意地悪をされた」、或いは「病気になった」、或いは「テレビをこれを見たい、本当はこれを見ちゃいけないのだけれども」、或いは何か友達から「一緒に悪い事をしよう」、「この今の流行はこうだ」、「今はこれをしなければ遅れちゃうよ」などと言うと、私たちは簡単な事で、「あぁ、」イエズス様の十字架、イエズス様の苦しみ、或いはイエズス様の教えをコロッと忘れてしまって、本来なら担うべき十字架を、本来なら天主様から送られた十字架を、あっというまに捨て去ってしまっているのではないのでしょうか。

私たちの日常の生活は殉教の生活というよりは、「殉教からどうして逃げようか、十字架からどうして逃げようか、何とか面白楽しく過ごす事はないだろうか」と探しているのではないでしょうか。

26聖人は、祈って、祈って、そして「全て天国の為にこの短い命を捧げたい」と思いました。

子供に役人が聞くのです、役人がパウロ三木の友達であった役人は、この幼い子供が十字架に付けられるのを見てあまりにも不憫でならず、「お前、許してあげるからこの口先だけでも、『キリシタンを捨てる』と言えばいいから、そしたら助けてあげる。」するとこの子供は、「この儚い短い命と、永遠の命をどうして換える事ができるでしょうか。嫌です!」と答えたのです。

それに引き換え私たちは、永遠の命との引き換えに大罪を犯してしまったり、この罪を犯してしまったり、イエズス様の教えを否んでしまったり、この恥ずかしがったり、何と卑怯な事をしてきてイエズス様の心を悲しませてきた事でしょうか。

第2のポイントは、殉教者たちはいつも、永遠の命や、パライソや、イエズス様、マリア様の事を考えていました。ですから最後の最後まで「ジェズス、マリア!」「ジェズス、マリア!」とか「パライソ!」「パライソ!」と「天国!」「天国!」と言ってきました。

まさにカトリックの教えというのは、私たちの来世の永遠の命の為にあるものです。そして私たちが永遠の命を受ける為にこそ、この世を清く正しく誠実に生きなければなりません。この世が目的ではなくて、来世が目的であるが為に、手段であるこの世が良くなければなりません。

ところが私たちは、その「永遠の命」という事をコロリと忘れてしまって、この地上の事だけに、この地上の事だけを考えて、その利益だけを求めてきたのではないでしょうか。

愛する兄弟の皆さん、では今日この26聖人の祝日に、私たちも是非その精神を、罪を忌み憎み、そして罪を犯すようであれば、「イエズス様を、罪を犯して悲しませてしまう事であれば、むしろ命を失った方がマシだ!」という決心が立てる事ができますように。殉教者のこの勲しに倣う事ができますように。私たちはそれから遠いものですけれども、26聖人の、また日本の全てのいと尊い殉教者の御勲しとその取り次ぎによって、私たちにその精神が与えられますように。信仰の、堅固な信仰が与えられますように。そしてイエズス様から、「あぁ、友よ」と言われるその日まで、それを守る事ができますように。

“Dico autem vobis amicis meis ne terreamini ab his qui vos persequuntur.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった”真実” (その2)

2017年02月16日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

映画「サイレンス--沈黙--」に描かれなかった "真実" のその2をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

(続き)

1633年10月18日、36年前に二十六聖人が殉教した同じ長崎の西坂の丘で8人は穴吊しの拷問を受けます。しかし、5時間の逆さの穴吊りの拷問を受け、イエズス会の管区長であったクリストヴァン・フェレイラ(Christovão Ferreira)は、棄教の合図を出しました。

拷問を与えてフェレイラを背教させたのは、幕府の反キリスト教政策の最大の成果でした。転んだバテレン、すなわち背教司祭は、カトリックの「悪」を証明する生ける証拠として、プロパガンダのために最大限に活用されました。幕府はこの絶好の機会を利用したことは多くの記録から伺うことが出来ます。

フェレイラが転ぶとすぐに江戸に呼び出されしばらくの滞在の後に長崎に戻され、生涯長崎で生活することになります。

幕府はフェレイラに結婚を命じます。彼がそれに応じないのを見ると身の回りの世話をする女中として女性と同居することを命じました。フェレイラが転んだ後に苦しむ心理的な意気消沈を利用し、また女性との結婚を通してフェレイラの人格や自尊心を傷つけ、再起不能にさせようと試みたのです。司祭を結婚させることによって、反対の宣伝に役立ちます。これと同じような作戦が後に、ヨゼフ・キアラとその伴侶たちに対してもなされました。フェレイラにあてがわれた女性も、中国人商人との日本人寡婦で、最初は同居に反対しました。しかし1635年にフェレイラを訪問したポルトガル人商人によると、彼の家に女性がいたのを見ています。

マカオでイエズス会の視察師であったパルメイロに代わって視察師となっているマヌエル・ディエスが、日本に行く船の船長や、日本にいた信頼のおけるポルトガル人たちからの証言を元にローマに報告書を書いています。

ディエス神父は、同時に1635年6月22日付けでフェレイラ宛てに優しい長い手紙を書き、マカオのニュース、パルメイロ神父の死、自分が視察師と任命されたことを述べた後に、フェレイラについての不幸な便りを聞いたがそれについての正確な情報を求め、彼の長上としてまた古くからの友人として(ディエス神父はフェレイラがマカオの神学校で勉強していたとき教授でした)、信仰に立ち戻るように、背教の罪を殉教で償うように訴えます。

この手紙は日本行きの船の大船長(capitão mor)ドン・ゴンサロ・ダ・シルヴェイラに委託されます。ダ・シルヴェイラ船長には、この件についての信頼の置ける正確な情報を得ること、出来ることならフェレイラ自身と話しをすること、が求められ、6月25日にマカオを出て8月9日に長崎に到着します。ポルトガル人は船が停泊している2ヶ月の間フェレイラとコンタクトを取ろうとします。船長ダ・シルヴェイラはあまりにも目立ってしまうので不可能でした。そこで部下にディエス神父の手紙を届けさせ、信頼のおける情報を得よう努めました。10月末に長崎を出港する前に、フェレイラに会うことに成功したポルトガル人たちがおり、そのうちの一人は数回面会しています。当時病気で苦しんでいた視察師ディエス神父は彼らが11月12日にマカオに到着するとすぐに日本からの最新ニュースを聞こうとします。確かにフェレイラは背教したことが確認され、ディエスは内容が真実であることを誓いを立てて証言を書いて提出することを求めました。1636年1月26日のローマへの報告書には、その情報を書き写して報告しています。

ローマに報告されたそれらの信頼性のある証言によると、次のことが分かります。ダ・シルヴェイラからのメッセージを受けたフェレイラは、船長が住む住居のところまで夜、人目を忍んで二回やって来たこと、しかし、船長には背を向けて何も話そうとしなかったこと、フェレイラは船長のところに敢えて来なかったことを或る友に理由を説明して、自分が背教してしまったこと、極めて貧しいので物乞いをしないため、と書いたこと、通訳として働いていること、キリスト教信者たちについて密告しなかったこと、司祭たちを裏切らないこと、です。

ディエスは、別のポルトガル人の証言も引用します。マヌエル・メンデス・デ・モウラで、ポルトガルで結婚した男で義理の兄弟にエチオピアのアフォンソ・メンデス総大司教がいるポルトガル人です。デ・モウラはフェレイラと会うと、フェレイラからアンドレ・パルメイロ神父について尋ねられ、パルメイロ神父は死んだこと、医者と皆の信じることにはフェレイラ神父のニュースを知って後に行った多くの断食と苦行の結果であること、マヌエル・ディエス神父がその後を継いだが、高齢で日本に来られないこと、しかしマカオの多くのイエズス会司祭たちは、日本に来て、フェレイラが殉教の高みまで到達することが出来るためにフェレイラのために命を捨てる覚悟があること、などを告げます。フェレイラは何も答えずに涙を流すばかりでした。デ・モウラも共に涙します。

フェレイラはデ・モウラにこう言います。「天主から離れているなら、その男に一体どんな善が出来ようか?(=自分は背教したので何をしても天主から嘉されない。もうダメだ。)」そして40時間の聖体礼拝の信心はまだマカオの神学校で行っているかと尋ねます。デ・モウラはより熱心にやっていること、教会はもっときれいに飾られていること、殉教者の記念にマカオの住民は教会に木を植えていること、最後に植えられたのはセバスティアン・ヴィエイラ神父の殉教の記念でその隣には別の殉教者のために場所が取ってあること、皆はそこにフェレイラ神父の殉教記念の木を植えることを期待していること、を言います。ここでもフェレイラは答えず更に多くの涙を流します。

デ・モウラがフェレイラに面会するとフェレイラは雄弁に天主について語り、背教者であるとは信じられないほどで、極めて驚きます。フェレイラは良心の呵責を大きく受け、恥ずかしさでいっぱいでした。フェレイラは天主に祈りを捧げているし、女性とも罪を犯していないことを証言しています。フェレイラが仏教に与したこともないことをもデ・モウラは誓って証言します。

ディエスは同じローマへの報告書で、フェレイラの家で彼に4回面会したペドロ・コルデイロの証言も記録しています。それによると、クリストヴァン・フェレイラ神父はコルデイロといつも静かに話し、過去の拷問の恐れからこのような状態になってしまったことを多くの涙を持って辛く思っていること、神父が立ち戻って過去の行為を償うだろうという希望の印を見せたこと、コルデイロが最後の別れを告げると、涙ながらに「あなたが来年戻ってくるなら、そうなることだろう」と言って、涙を流して、自分の状況が良くなったことを示さずには帰ろうとしなかったことが報告されました。

1636年にマカオからもう一度日本行きの船が出航したとき、ディエスはフェレイラに最後の訴えをし、痛悔し償いをするようにもう一度勧告する手紙を書きます。船長はやはり同じドン・ゴンサロ・ダ・シルヴェイラでした。しかし彼らが8月8日に長崎に到着したとき、人工的に作られた出島に停泊するように命じられます。船長は江戸に出向いて報告するように、また、翌年のポルトガル船が来るまで長崎に人質として残るように命じられます。ポルトガル船は10月中旬に、日本を追放されたポルトガル人証人とその家族や使用人たち287名を乗せて長崎を出ます。シルヴェイラは日本に人質として残ったので、ディエスはフェレイラについて別の信頼のおける証人たちから情報を得ます。

それらの信頼のおける証言によると、フェレイラは「結婚」したこの女性をは如何なる関係も持たなかったこと、フェレイラは食事のためだけに彼女と一緒にいること、また、彼は(少なくとも最初の内は)、如何なる方法でもキリスト者を迫害したこともなく、他の宗教に与したこともないこと、拷問による傷から回復するために奉行は彼に貧しい小屋を与えたこと、フェレイラが奉行に食べ物を要求したとき、次の答えが返ってきたこと「奉行はおまえに何もやらぬ。おまえは単に弱さの故に転んだだけだからだ。おまえは何の奉仕もしていない。おまえはバテレンもキリシタンも裏切っていないからだ。」などが分かっています。

フェレイラは、沢野忠庵という日本名を与えられ、日本人の着物を着て、その他の日本人のように生活し、翻訳などの仕事の報酬としてわずかな生活費を奉行から受けていました。寺請制度により、住民はどこかの仏寺の檀徒にならなければならず、それが毎年調べられ、宗門改帳とか、宗旨人別帳とか言われるものに記載されるようになりました。旅行するときの往来手形にも仏寺の檀徒であることを証明せねばなりませんでした。フェレイラも仏寺に属することが強制されました。初期は転びキリシタンだけに義務づけられたものでしたが、1660年代以降すべての人びとが檀那寺に所属するようになります。

1636年11月1日、マカオのイエズス会の会員たちは集まり、つまずきと悪い噂を避けるためにフェレイラの退会を決議します。

11月2日にフェレイラ退会の書類が作られ、そこにいた全てのイエズス会司祭たちによって署名されました。京都においてフェレイラの元長上だったモレホン老神父は、震える手で最後に署名しています。

参考までに、フェレイラが「絵踏み」を考え出したと時々言わますが、既に彼の転びの前に存在していました。「絵踏」とは、キリストやマリアの像を踏ませて、キリシタンで無いことを証明させることですが、最初は転びキリシタンに転びの証明として、または転ばせるために行われました。


フェレイラの改心のために

フェレイラが背教から立ち戻るために、彼にコンタクトを取って説得しようとする試みが少なくとも3回ありました。


最初の試み:
イタリア人のイエズス会司祭であったマルチェロ・マストリッリ(1603-1637)が最初に接触を試みます。マストリッリは日本に向かって出航し、上陸するやいなや逮捕され、長崎で穴吊りの拷問を受けます。1637年10月17日、三日間の拷問の苦しみの後に穴から出されて首を切られました。

マルチェロ・フランチスコ・マストリッリ神父(Marcello Francisco MASTRILLI)はイタリア生まれ、ナポリのマストリッリ侯爵の子供で、イタリアで最も位の高いカラッチョロ家の貴族の母親を持ち、1618年に15才でイエズス会に入会しています。

1633年10月18日、日本の長崎の西坂で、ジュリアン中浦、アントニオ・デ・ソウサ、日本人修道士のペドロとマテオ、ドミニコ会員のルカス・アロソノ神父、フランシスコ会日本人イルマン・マテオらが穴吊りの拷問を受け、クリストヴァン・フェレイラが背教しますが、その同じ年、1633年12月8日、日本から遠く離れたイタリアのナポリではブラカッチョ枢機卿は聖母の無原罪の御孕りの大祝日を盛大に祝っていました。

ロウソクの光をともすためのシャンデリアや燭台、豪華なカーテンなどの飾り付けがなされていました。それらの装飾を取り外す際に、重い梁が天上から私たちのイエズス会司祭マストリッリ神父の頭をめがけて落ちてきました。

両親は子供たちのために聖母の取り次ぎを祈ってきました。マルチェロが生まれたときも、すぐに洗礼を授け、天主に捧げ、イエズス会へと約束していました。聖フランシスコ・ザベリオは、頻繁にマルチェロに現れ、ある日彼に巡礼の道具と光の灯ったロウソクを与え、どちらかを選べと言いました。巡礼の道具はインドを、ロウソクは病による死を意味していました。彼は「私は天主様がお望みのものを選びます」と答えます。マルチェロが頭に致命傷を受けたとき、彼は30歳、イエズス会入会後15年のことでした。マストリッリはすぐに医師の元に運ばれますが、彼の回復は不可能だと宣言されました。しかし、瀕死のマストリッリ神父は聖フランシスコ・ザベリオが自分に現れたのを見ます。

聖フランシスコ・ザベリオは、白い服を着て深紅の十字架を胸に付けてこう言います。
「おお!マルチェロ、おまえが望むことを私に言いなさい。私は天国で力ないものでは無いということを知りなさい。」
彼はいつものように「私は天主様がお望みのものだけを選びます」と答えます。同時に、聖フランシスコ・ザベリオの周りにいる白い服を着た人々を見て、彼らは日本の殉教者たちですか?聞きます。聖人は次のように答えます。「彼らはおまえの友人たちであり、おまえのために祈っている。」

マストリッリの死は近づき、管区長デ・サングロ神父がマストリッリ神父の元にやって来ます。そこでマストリッリ神父は、管区長にインドのミッションのために身を奉献する誓願を立てる許可を求め、聖フランシスコ・ザベリオの有名な奇跡の聖画を乞い求めました。インド行きの誓願は許され、御影が寝台のもとに運ばれます。終油の秘蹟を受けますが、飲み込むことが出来なくなっていたので、旅路の糧の聖体は与えられませんでした。それを嘆いたマストリッリ神父は聖フランシスコ・ザベリオの聖遺物を喉に当てると、その後、御聖体を飲み込むことが出来るようになりました。その夜、次のような声を聞きます。
「マルチェロ!マルチェロ!」
彼は巡礼者の姿をした光に輝く聖フランシスコ・ザベリオを見ます。聖人はこう言います。
「おまえは癒やされる。感謝として十字架像の傷に接吻をせよ。首に十字架の聖遺物を付けなさい。自分をすべて主に奉献しなさい。主の聖名のために自分の血を最後の一滴まで流す恵みを乞い求めなさい。主に、主のしもべであるインドの使徒フランシスコ・ザベリオでさえも何年もの労働の後で受けることが出来なかったその御恵みを求めなさい。」
聖人は姿を消し、マストリッリ神父はその時、癒やされます。

起き上がって長上に起こったことを全て報告し、翌日、何の痛みも無く感謝のミサを捧げます。フェレイラが背教したという哀しい知らせがヨーロッパに伝わると、多くのイエズス会士たちは総長に懇願して、日本に行って自分たちの兄弟の転びを殉教で償う許可を求めます。マストリッリ神父がそのもっとも熱烈な懇願者でした。総長は「聖フランシスコ・ザベリオ自身があなたにその許可を与えたのですから、私にその許可を求める必要はほとんどありませんよ。」

ナポリを出るときに特に聖フランシスコ・ザベリオの保護に身を委ねて、「フランシスコ」の名前をつけました。

1635年、23名の修道士がリスボンを出港します。その長に選ばれたのがマルチェロ・フランチスコ・マストリッリでした。

リスボンからインドのゴアに渡り、ゴアからマカオへ来ますが、日本とポルトガルとの貿易断絶のために日本に行く船がありませんでした。そこでマカオからマニラに渡ります。マカオはスペインの貿易のセンターでしたが、日本とスペインも貿易を断絶していました。マニラにいたスペイン人たちは、マストリッリ神父が日本に渡航することに猛烈に反対したので、マストリッリ神父以外は全てマカオに戻ります。

マストリッリはマニラにいた日本人たちを指導しながら日本語を学びます。日本渡航の機会を待っていました。日本人キリシタンたちも多くが同行を希望します。マニラ総督セバスチアン・フルタード(Don Sebastian Hurtado)の特別の計らいで、マレー諸島に出没する海賊に対抗するために出航したスペイン船が、日本の近くを通過するとき、小舟で下船することを許され、マストリッリは乗ってきたスペイン船を降りて、小舟で薩摩の海岸に上陸します。時に1637年9月19日のことでした。

さらにマストリッリは、九州東海岸を北上して、日向のある港に日本人一人を連れて上陸し、森に身を隠します。

別の日本人たちは、九州の海岸沿いに移動している間に発見されて捕らえられています。彼らは拷問を受けるとキリスト者だと自白し、実はマストリッリ神父がいることを告げてしまいます。直ちに捜索がなされ、飢えて弱っていたマストリッリ神父が発見されます。発見されたとき「来なさい、私の子供たちよ、私を連れて行きなさい」と言います。神父は200名の護送兵を付けられて長崎に護送されます。長崎までの移動に1ヶ月がかかりました。

彼は役人に言います。
「将軍に申し上げたいことがあって、聖フランシスコ・ザベリオの使節として来ました。」
「聖フランシスコ・ザベリオとは誰か?」
「聖フランシスコ・ザベリオは、初めて日本人にキリストの福音を伝えた方で、1552年中国の上川島で亡くなりました。この聖人の体は死にましたが、霊魂は生きています。その証拠に、私自身がナポリで致命傷を受けたとき、私を生き返らせてくれました。」

奉行らは、マストリッリ神父の態度と言葉に感服しますが、将軍の命令には従わなければならないと言って、二日間、水責めと梯子責めを加えました。
三日目に「おまえはマニラの総督から遣わされて来たのか?」と尋ねられると「総督の命令できたのではありません。将軍をキリシタンとして、できるなら日本人全部をそうしたいと思って参りました」と答えました。

刑場に連れて行かれ、裸にされ、赤く焼けた焼きごてを陰部に押しつけられました。
「私は、我が身の全てを天主様に捧げておりますから、いかなる苦しみをも拒みはいたしませぬ。しかし、私の手足だけでは足りず、人間の羞恥心を傷つけるこの汚らわしい拷問は、如何なる野蛮人もいたしませぬぞ」と神父は言いました。役人はこの拷問を中止します。その代わりに水責めを開始し、息が絶えそうになるまで続けました。

1637年10月14日水曜日午前11時、説教が出来ないように釘を立てた鉄板を口にかまされて縄と鎖で体を固く縛られて、駄馬に載せられて町中を引き回しに去れながら、刑場に連れて行かれました。穴吊りです。口の鉄板は外され、穴の中に逆さにつり下げられ、足首だけを外に出して蓋をされました。マストリッリ神父は、脱魂状態になって四日間、10月17日の午後3時まで吊されたままでした。

翌日、長崎では祭りだったので、早く殺すために神父は穴から引き上げられました。神父はまだ元気で、「何故、引き上げたのですか?」と尋ねるほどでした。役人は「斬首するためだ」と答えます。神父は跪いて聖フランシスコ・ザベリオの保護を祈り求めると、刑吏の刃の第一撃は、かすり傷さえ与えませんでした。第二撃ではかすかなかすり傷がつきます。刑吏は恐れて太刀を捨てます。「つとめを果たしなされ」というマストリッリ神父の励ましで、刑吏は再び太刀を取り、第三撃で神父の首は地に落ちました。その時、天が暗くなり地が揺るぎ、見物人らは恐れおののいたと報告されています。遺体は寸断され、焼かれ、川にまかれました。

マストリッリ神父は、日本の地に自分の血を流すことしか出来ませんでした。フェレイラ神父と会うことも適わず、日本人に洗礼を授けることも出来ず、祈りと犠牲と苦しみだけの日本滞在でした。彼の聖徳の高さ、知識、霊的生活、犠牲心、愛徳、生まれの高貴さなどは、一見して無駄になったかのように見えます。

1637年10月17日の殉教の日から数えて13年後の1650年11月5日に死を迎えるクリストヴァン・フェレイラ神父は、その霊魂に、この殉教から流れ出る恵みを受けることになるでしょう。

マストリッリ神父については、Japanese Sketches をご覧下さい。


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"On the Sacrament of Penance (continuation) " by Fr. Laisney SSPX

2017年02月16日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様の霊的講話、「悔悛の秘蹟(続き)」の【英語原文】をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

Conference at Osaka, on the Sacrament of Penance (continuation)

My dear brethren,

In the Mass, we studied the sacrament of penance in general. Now we will further study the three acts of the penitent, contrition, accusation and satisfaction.

Sin is opposed to God, it is a creature who rejects the Supreme Goodness of God, it destroys the beauty of a soul, or a spirit. Therefore, God who loves all his creatures, cannot but hate sin: God loves the sinner, but hates the sin. Precisely in hating the sin, God loves the sinner – similarly a medical doctor love his patients but hates their sickness, and he would not truly love his patients if he did not hate their sickness, and do all he can to remove such sickness. God would not truly love the sinners if He did not hate their sins.

Therefore, since God cannot change, it is impossible for the sinner to return into the grace of God and please God again unless he changes, unless he starts hating his own sins. And this is contrition: contrition is a deep detestation of sin. The word contrition comes from a Latin word meaning “to grind, to crush and to pound to pieces.”

Contrition must be interior, supernatural, universal and supreme – and must include the firm purpose not to sin any more. Contrition must be interior: that is, it is not sufficient to have external marks of contrition, even external tears, if the heart is not there, if the mind continues to love sin. It is not merely sentimental – we may even say that sensible feelings are not necessary – but it is a detestation of the mind, that rejects and crushes with the view to destroy the evil will of sin.

Contrition must be supernatural. If a thief is caught and put in prison, it is not a sufficient motive for a true contrition. It should be out of love for God who has been offended by sin, out of a view of Faith that shows the real evil of sin, and shows how much it has cost our Lord Jesus Christ, who died on the Cross because of our sins. It is good enough to be out of fear of hell, because this too is a supernatural motive. The fear of Hell is a great mean to obtain contrition. Many souls are now in Heaven because they had a true fear of hell. The surest way to go to hell is to reject all fear of hell. If the motive is an interested motive, such as the fear of hell, then it is called “attrition” and is sufficient to make a good confession. If the motive is higher and is a true motive of charity, out of love for God, for our Lord Jesus Christ offended by sin, then it is “perfect contrition.”

Perfect contrition obtains the immediate remission of sin, but does not dispense from going to Confession, on the contrary. There would not be true charity unless there were obedience to God’s law and thus the will to go to confession as soon as it is feasible. Hence there cannot be perfect contrition unless there is the will to go to confession without delay.

Contrition must be universal: it is not sufficient to have contrition because of some sins and yet to continue to love other sins. Take the example of a young unmarried person who commits fornication, and then becomes pregnant, and then has an abortion. She may be so afraid of the evil of abortion that she has a true sorrow for having committed such grave sin, but unless she also has detestation of the evil of fornication, she does not have true contrition. Her sorrow would not be universal. Similarly, if a thief enters a house and steals, and then is discovered and shoots the owner, it is not sufficient for him to have sorrow for the murder unless he detests his thievery also. One must detest all the mortal sins he has committed. This is very important.

Contrition must be supreme: that means, we must detest sin as the greatest evil, above any other evil, more than any pain and even death. We must be ready to die rather than to sin. For instance, it happened that in a first wave of persecution, in the early Church, some faithful fell and did deny Christ; then they were so sorry for their apostasy that they corrected themselves and went to the judge telling him that they did believe in Christ and detested their apostasy: they were then put to death by the persecutor and washed their sin in their own blood and are honoured by the Church as martyrs. They truly had a “supreme” sorrow for their sin. St Augustine mentions another situation: suppose someone is sick and dying, and a pagan friend suggests to use some superstitious talisman or potion or other superstitious ceremony, and the dying sick prefers to die rather than to sin: he is right, and St Augustine compares him to a hidden Martyr.

Our contrition should be not only the greatest, but also the most intense, and so perfect that it excludes all apathy and indifference; for it is written in Deuteronomy: “When thou shalt seek the Lord thy God, thou shalt find him: yet so if thou seek him with all thy heart, and all the affliction of thy soul” (Deut. 4:29), and in Jeremias: “Thou shalt seek me and shalt find me, when thou shalt seek me unto all thy heart; and I will be found by thee, saith the Lord” (Jer. 29:13).

Thus, contrition must be interior, supernatural, universal and supreme in order to be true. Moreover, that detestation of sin would not be true if it did not include the firm purpose to sin no more. Our Lord Jesus Christ explicitly requires this of the woman taken in adultery, to whom He says: “Go, and sin no more!” (Jn. 8:11) He also said to the man He healed at the pool of Bethsaida: “Behold thou art made whole: sin no more, lest some worse thing happen to thee” (Jn. 5:14).

The firm purpose also must be universal, efficacious: one must intend to avoid all mortal sins, not just some: in our example above someone who had stolen and killed must intend to avoid both murder and thievery, the young adults who fornicated and aborted must intend to avoid both abortion and fornication, and any other sin.

The firm purpose must be efficacious, that means it must lead us to take the proper means to avoid sin. In particular, one must avoid the occasions of sin. Our Lord Jesus Christ is very explicit and insistent on that matter: “if thy hand scandalize thee, cut it off: it is better for thee to enter into life, maimed, than having two hands to go into hell, into unquenchable fire: where their worm dieth not, and the fire is not extinguished. And if thy foot scandalize thee, cut it off. It is better for thee to enter lame into life everlasting, than having two feet, to be cast into the hell of unquenchable fire: Where their worm dieth not, and the fire is not extinguished. And if thy eye scandalize thee, pluck it out. It is better for thee with one eye to enter into the kingdom of God, than having two eyes to be cast into the hell of fire: where their worm dieth not, and the fire is not extinguished” (Mk. 9:43-47).

Now that does not mean that one should have the certitude he will never fall again. Indeed, one may have the firm purpose not to sin, though he fears he may fall again: however, the sure sign that there is such firm purpose is the real effort that follow the good confession, real efforts not to sin often crowned with success for a good while. If after a confession there is no effort at all to avoid the occasion of sin, and one falls right away back into the old sin, one should question whether he had the firm purpose of amendment, of avoiding sin: his confession might have been invalid for lack of true contrition and thus sacrilegious. Hence it is most important to really make one’s best efforts to avoid sin after confession.

That firm purpose includes the purpose to make restitution of the stolen goods, if one had stolen, or the reparation of scandals or reparation of injuries one may have committed. A good confession is not a permission to get away with sin, but rather it leads to such true penance that even if one is not caught by the police, one willingly gives back the stolen goods and repairs the injuries committed, without waiting to be caught by human law enforcers.

If one wants to obtain forgiveness from God, one should extend forgiveness to one’s neighbour: “For if you will forgive men their offences, your heavenly Father will forgive you also your offences” (Mt. 6:14).

The second act of the penitent is the accusation of his sins. This is – strictly speaking – the “confession” of sins. This is really an accusation: one should not “excuse” oneself, but rather accuse oneself! It is not just the opening of one’s conscience to a psychologist, it is the accusation of a criminal in a court: the Sacrament of Penance is truly the “tribunal of penance”, a tribunal of mercy indeed but a real tribunal.

The accusation should be complete, that is, one should accuse all his mortal sins, with their number. Since mortal sins are big sins, it is not too difficult to count them. If someone returns to God after years away from God and is not able to count all of his sins, then he should indicate the duration and the frequency of the sinful activity, for example “for five years, twice a week.” If one should make an approximation, it is always better to accuse a little more than not enough.

One needs also to tell the circumstances that add a particular wickedness to a sin: for instance, violence against a neighbour is bad, but if it is against a family member, it is worse: it adds a sin against the 4th commandment. Also a sin against purity can have additional circumstances that make it worse, such as violence (rape), or incest, or unnatural vices, etc. Or the theft of a sacred thing such as a chalice adds a sin of sacrilege to the sin of theft. However it is not necessary to tell the circumstances that are irrelevant to sinfulness, e.g. the colour of the thing stolen… The accusation should be short and to the point, and not dissolve the sin in useless verbiage.

To consciously conceal mortal sins in confession would render the sacrament invalid and consists in an additional sacrilege! The person who did such bad confession must repent from this and from all his past sins and must confess them all again, together with that sacrilege.

However there may be some genuinely forgotten sins: in such a case, one must know that such sins are forgiven together with the others: they were virtually contained in the universal contrition and accusation that was done. If they were mortal sins, then one should confess them the next time he goes to confession. It may also happen that, when some persons return to God after years of non-practicing the faith, they may not be aware of the sinfulness of certain acts (e.g. immodesties) and later when they grows in the spiritual life, they realise that these were sins: they should remain at peace: such sins should then be accused when the person becomes conscious of their sinfulness, but the previous confessions were good, because there was no wilful concealing of sin: there was rather genuine ignorance.

If one cannot accuse oneself with words – because of physical impairment, or because the priest is deaf, or because of a language barrier – it is sufficient to accuse oneself with signs, such as sign language, or pointing out a sin on a sheet of paper. If one is sick at the hospital and cannot speak but can hear, he can answer the priest’s questions by pressing his hand…

For that accusation to be complete, it is very useful to prepare a good confession by an examination of conscience, which is also the occasion to renew and stir up greater contrition. Daily examination of conscience helps a lot for a good weekly confession. This helps also to see the occasions of sins, that one will have to avoid.

Protestants reject the obligation to confess one’s sins to the priest. But that would make useless the words of our Lord Jesus Christ to His Apostles: why would He have given to them the power of absolving sins if people did not need it? By giving to the Apostles, our Lord manifestly implied that He wanted the faithful to go to the Apostles and their successors in order to obtain that forgiveness of sin. He who rejects the duty to confess one’s sins to the priest in fact rejects this institution of our Lord Jesus Christ, and by such opposition to Christ cannot obtain forgiveness of his sins.

After the accusation of sin, the priest often gives some spiritual advices: these are very useful and the faithful should pay attention to them and strive to put them in practice, remembering that the priest in confession takes the place of our Lord Jesus Christ. They should take these advices as from the mouth of Christ Himself.

The priest will then impose a satisfaction to be done by the penitent. This satisfaction should be done without delay and with fervour. The more devoutly such satisfaction is done, the more it goes towards the forgiveness of the remaining debt of punishment due to the sins. One should realise that, given the gravity of sin, the satisfaction that is required by the priest after Confession is not enough to completely pay the remaining debt, and there is need to offer faithfully “all the good that you will do and the sufferings you will patiently bear, unto the remission of sin and the acquisition of eternal life” as is said in the prayer after the absolution. The priest may require the penitent not only to say some prayers, but also some fasting or mortification or even some almsgiving (never to himself!) or some other good works.

One must know that the essential satisfaction for the sins was paid by our Lord Jesus Christ, Who “is the propitiation for our sins, and not for ours only but also for those of the whole world,” as St John says (1 Jn. 2:2). Without Jesus offering His Passion and Death as a Sacrifice of propitiation for our sins, our little penances would be absolutely incapable of obtaining forgiveness of sin. However, the Satisfaction of our Lord far from suppressing any need of satisfaction from ourselves is what gives them their value. God’s goodness does not suppress the goodness of creatures, but is their very source and First Cause. Those who claim that, because Jesus has paid all, we need not pay anything reject that very goodness of God who, far from supressing the goodness of the creatures, is the very First Cause of all goodness in the creatures.

In fact, the First Cause of the forgiveness of sins is the Holy Ghost, the Spirit of Love. Such Divine Goodness does not suppress the efficacy of the Passion of our Lord Jesus Christ, which He suffered in His human nature, since the Divine Nature cannot suffer. Thus the Passion of our Lord is the second cause of the forgiveness of sins. As the First Cause does not suppress the second cause, but is the very source of the efficacy of the second cause, so the First and second causes of forgiveness do not suppress our satisfaction, though very little in itself, but rather are the very source of the efficacy of our satisfaction to obtain that forgiveness of sin.

One should keep that spirit of compunction, that is, the continuous sorrow for having offended God. Such sorrow keeps us in humility, reminding us that we did not deserve the grace of our Lord, that we are unworthy servants. Such sorrow helps us to avoid occasions of sins, lest we fall back in those sins which we now detest from the depth of our heart. So, it is good to keep such continuous contrition, in order to be more faithful henceforth. It is so sad to see certain souls falling back in their old sins, as if they never wept for them! Let us remember that the more we expiate our sins here below, the less we will have to do it in Purgatory! Now is the time of mercy; then, it will be the time of justice: “thou shalt not go out from thence till thou repay the last penny” (Mt. 5:26).

In order to renew the sorrow for all the past sins, and in order to obtain further remission of these temporal penalties that remain after confession, it is good and useful especially on the occasion of retreats, to make a general confession of the whole life (after Baptism). A good retreat often prepares for better contrition, more complete accusation and more fervent satisfaction and reparation.

The key element of satisfaction and compunction is charity: we cannot truly love our Lord Jesus Christ who suffered and died on the Cross because of our sins, and leave Him alone in His sufferings, being “an enemy of the Cross of Christ” (Phil. 3:18)! Therefore, we want to be united with Him, “to suffer with Him, so as to be glorified with Him” (Rom. 8:17). The idea that “Christ suffered sufficiently, we do not have to suffer” at all is a Protestant idea, not Catholic charity!

Therefore it is clear that the Sacrament of Penance is not at all a permission to continue to sin: it is rather “dying to sin, so as to live unto God in Christ Jesus our Lord” (Rom. 6:11). It is “stripping ourselves of the old man with his deeds, and putting on the new” (Col. 3:9-10), that is putting on Christ.

May the Blessed Virgin Mary give us a great devotion and love for the Sacrament of Penance, by which our soul is cleansed again and again, so as to advance towards that perfect purity which our Lady has perfectly kept from the beginning and which is required in order to go to Heaven. Amen.
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「悔悛の秘蹟(続き)」:聖ピオ十世会司祭 レネー神父様

2017年02月14日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様の霊的講話 「悔悛の秘蹟(続き)」(日本語訳)をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年2月12日 七旬節の主日―大阪
「悔悛の秘蹟(続き)」


親愛なる兄弟の皆さん、

ミサのとき、私たちは悔悛の秘蹟を一般的に勉強しました。今度は、さらに進んで、痛悔者の三つの行いである痛悔、告発(告白)、償いを勉強しましょう。

罪は天主と対立するもので、被造物が天主の至高の善を拒否するのであり、罪は霊魂あるいは精神の美しさを破壊します。それゆえに、すべての被造物を愛される天主は、罪を嫌わずにはおられません。天主は罪びとを愛されますが、罪を嫌われます。正確にいえば、天主は罪を嫌うことにおいて、罪びとを愛されるのです。同様に、医者は患者を大切にしますが病気を嫌います。もし医者が患者の病気を嫌い、その病気を治すためにできるあらゆることをするのでないなら、その医者は患者を本当に大切にしていることにはならないでしょう。もしも天主が罪びとの罪を嫌われないとするならば、天主は罪びとを本当に愛してはおられないことになってしまいます。

それゆえに、天主は変わりえませんから、罪びとが変わらない限り、罪びとが自分の罪を嫌い始めない限り、罪びとが天主の恩寵に立ち返り、再び天主をお喜ばせするのは不可能です。この罪を嫌うこと、これが痛悔です。痛悔とは、罪を強く嫌悪することです。痛悔(contrition)という言葉は、「すりつぶす、粉砕する、細かくなるまで打ちたたく」という意味のラテン語から来ています。

痛悔は内的で、超自然的で、全面的で、最高のものでなければならず、また、もうこれ以上罪を犯さないという固い決意を含んだものでなければなりません。痛悔が内的でなければならないというのは、痛悔が外的なしるしを持っていても、たとえ外的に涙を流したとしても、そこに心がなければ、頭が罪に愛着を持ち続けるならば、痛悔は十分ではないということです。痛悔はただ感傷的なものではなく―感覚的な感情は必要ないとさえ言うことができます―痛悔は頭が嫌悪することであって、つまり頭が罪の悪しき意志を打ち砕くという信念を持って拒否し、粉砕することです。

痛悔は超自然的でなければなりません。盗人が捕まって牢に入れられても、それはまことの痛悔のための動機としては十分ではありません。痛悔は、罪によってお怒りを招いてしまった天主への愛から出るものでなくてはならず、罪の本当の害悪を教える信仰から、また私たちの罪のゆえに十字架上で亡くなられた私たちの主イエズス・キリストに対して罪がどれほど傷を負わせたかを教える信仰から出るものでなくてはならないのです。地獄への恐れからという理由でも痛悔は有効です。その理由は、それが非常に超自然的な動機であるからです。地獄への恐れは痛悔を得る素晴らしい手段です。多くの霊魂たちは、地獄への本当の恐れを持っていたため、今は天国にいるのです。地獄へ行く最も確実な道は、地獄への恐れをすべて拒否することです。もし痛悔の動機が地獄への恐れのように自らの利益に基づいた動機であるならば、それは「不完全な痛悔」と呼ばれますが、良き告解をするのには十分です。この動機がもっと高められ、愛徳というまことの動機となり、天主への愛から、罪によって傷つけられた私たちの主イエズス・キリストへの愛から出るものとなるならば、それは「完全な痛悔」となるのです。

完全な痛悔をすれば直ちに罪の赦しを得ますが、それで告解に行くことを免除されるのではありません。全く逆です。天主の法への従順と、そのためにできるだけ早く告解に行くという意志があるのでないならば、まことの愛ではありません。ですから、遅れずに告解に行こうという意志がないならば、完全な痛悔はありえません。

痛悔は全面的でなければなりません。いくつかの罪のために痛悔の念をもっていても他の罪には愛着を持ち続けるのは、十分な痛悔ではありません。私通の罪を犯し、妊娠して、そのあと中絶をした一人の未婚の若い女性を例に挙げてみましょう。彼女は中絶という悪を非常に恐れているため、そんな重い罪を犯してしまったことを本当に悲しんでいます。しかし彼女は、私通という悪をも嫌悪しているのでなければ、まことの痛悔をしていません。その場合、彼女の悲しみが全面的なものではないことになるからです。同様に、盗人がある家に入って盗みをし、そのあと見つかったため家の持ち主を銃で撃った場合、盗人が殺人の罪を悲しんだとしても、自分の盗みも嫌悪するのでなければ、十分な痛悔ではありません。人は、自分がそれまで犯した大罪をすべて嫌悪しなければなりません。このことが非常に重要です。

痛悔は最高のものでなければなりません。この意味は、私たちは、罪を他のあらゆる悪を超えた最も大きな悪として、どんな痛みや死よりさえも、嫌悪しなければならないということです。私たちは罪を犯すよりも死ぬ方を選ぶ用意がなければなりません。例えば、初期の教会において迫害の最初の波が襲ってきたとき、信者の中には迫害に負けてキリストを否んだ人たちがいました。そのあと彼らは背教したことを非常に後悔したため、自らを正そうと裁判官のところに行って、自分たちはキリストを確かに信仰しており、自分たちの背教を嫌悪していると告げました。すると彼らは迫害者によって死刑にされ、自らの血で罪を洗い流し、教会によって殉教者としての栄誉を与えられました。彼らは自分の罪に対する本当に「最高の」悲しみを持っていたのです。聖アウグスティノは別の状況について語ります。誰か病気で死にそうになった人がいたとしましょう。異教徒の友人が迷信的なお守りや水薬、その他の迷信的な儀式を利用するよう勧めましたが、その死にかけた病人は罪を犯すよりもむしろ死ぬ方を選びます。彼のすることは正しいことです。そして、聖アウグスティノは、その人を隠れた殉教者に例えるのです。

私たちの痛悔は最も大きな痛悔であるべきですが、それだけでなく、最も強烈な痛悔でもあるべきであって、無感動や無関心の全くない、完全な痛悔であるべきです。なぜなら、第二法の書[申命記]にこう書かれているからです。「天主なる主を探し求め、心と魂を尽くして求めるなら、必ず主を見いだす」(第二法[申命記]4章29節)。また、エレミアはこう言います。「私を探し求めれば見いだす。心をあげて、私を探し求めるなら私は姿を現す―主のお告げ」(エレミア29章13節)。

このように、痛悔が真実のものであるためには、内的で、超自然的で、全面的で、最高のものでなければなりません。さらに、罪を嫌悪することの中にもう二度と罪を犯さないという固い決意が含まれていなければ、それは真実のものではありません。私たちの主イエズス・キリストは、姦淫の罪を犯した女に、はっきりとこのことを要求され、その女にこう言われました。「行け、これからはもう(二度と)罪を犯さぬように」(ヨハネ8章11節)。主はまた、ベトサイダの池で癒された男にこう言われました。「どうだ、あなたは治った。さらに悪いことが起こらぬように、もう二度と罪を犯すな」(ヨハネ5章14節)。

この固い決意はまた、全面的かつ効果のあるものでなければなりません。大罪のいくつかではなく、すべての大罪を避けるという意向を持たなければなりません。先ほど述べた例で言えば、盗みと殺人を犯した者は、殺人と盗みの両方を避けるという意向を持たなければならず、私通と中絶の罪を犯した若い女性は、中絶と私通の両方、そしてそのほかのあらゆる罪を避けるという意向を持たなければなりません。

この固い決意は、効果のあるものでなければなりません。すなわち、私たちに罪を避ける適切な手段を取らせるものでなければなりません。特に、罪の機会を避けなければなりません。私たちの主イエズス・キリストは、それについてはっきりと強く言われました。「その手があなたに罪を犯させるなら手を切り捨てよ、不具で命に入るのは両手があってゲヘナの不滅の火に入るよりもよい。そこではうじが失せず、その火は消えぬ。その足があなたに罪を犯させるならそれを切り捨てよ、片足で命に入るのは、両足があってゲヘナに投げ込まれるよりよい。そこではうじが失せず、その火は消えぬ。またもしその目があなたに罪を犯させるならそれを抜き取れ、片目で天主の国に入るのは、両眼があってゲヘナに投げ込まれるよりよい。そこではうじは失せず、その火は消えぬ」(マルコ9章43-47節)。

さて、これは、自分は再び罪に陥ることは決してないという確信を持っているべきだという意味ではありません。実際、人は再び罪に陥ることを恐れていても、罪を犯さないという固い決意を持つことができます。しかしながら、その固い決意があるという確かなしるしは、良い告解のあとに続く実際の努力、すなわち、かなりの期間にわたって成果を上げるような、罪を犯さないための実際の努力なのです。告解ののち罪の機会を避ける努力をまったくせず、すぐ昔の罪に戻ってしまうなら、その人が自分を直そうとする固い決意、罪を避けようとする固い決意を持っていたのかどうか疑問に思うべきです。その人の告解はまことの痛悔がないために無効だったかもしれず、そうならば汚聖の罪を犯していたかもしれないのです。ですから、告解ののち罪を避ける最大限の努力を実際に実行することが最も重要なのです。

この固い決意の中には、もし盗みをしたのなら盗んだ物を返還するという決意、あるいは自分が引き起こしたつまずきの償いや負わせた傷の償いをするという決意も含まれています。良い告解は、罪を犯したまま逃げることの許可ではなく、むしろまことの悔悛へと導くものですから、たとえ警察に捕まらなかったとしても進んで盗んだ物を返し、負わせた傷を償うのであって、人間の法律の執行者に捕まるまで待つのではないのです。

天主から赦しを得たいのなら、隣人に赦しを広げるべきです。「あなたたちが他人の過失を赦すなら、天の父もあなたたちを赦される」(マテオ6章14節)。

痛悔者の第二の行いは、自分の罪を告発(告白)することです。これが、厳密に言えば、罪の「告白」です。これは実際には告発なのです。人は「言い訳」をすべきではなく、むしろ自分自身を告発すべきです! これはただ自分の良心を心理学者に対して開くことではなく、法廷で犯罪者を告発することです。悔悛の秘蹟はまことに「悔悛の法廷」であり、実にあわれみの法廷ですが、本当の法廷なのです。

この告発は完全であるべきです。すなわち、自分のすべての大罪をその数とともに告発すべきです。大罪は大きな罪ですから、その数を数えることはそれほど難しくはありません。もし天主から離れて何年もたった人が天主に立ち返って、自分のすべての罪の数を数えられない場合は、その人は罪深い活動の期間と頻度を述べるべきです。例えば、「五年間の間に一週間に二回」のようにです。およその数を言うしかない場合には、不十分な数よりも常に少し多めの数で告発する方がいいでしょう。

また、ある罪に対して特別な邪悪さを加える状況があれば、それを告げる必要があります。例えば、隣人に対する暴力は悪いことですが、自分の家族の一員に対する暴力の場合はさらに悪くなります。この場合第四戒に反する罪が加わります。また、貞潔に反する罪の場合は状況によってさらに悪くなり得ます。例えば、暴力(レイプ)や近親相姦、自然に反する悪徳などです。また、カリスのような聖具を盗むことは、盗みの罪の上に汚聖の罪が加わります。しかしながら、罪深さに対して意味をもたない状況を告げる必要はありません。例えば、盗んだ物の色などです。告発は短くてポイントを突いたものであるべきであり、不必要にくどい言い方で罪を細かく述べるべきではありません。

告白において大罪を意識して隠せば、その秘蹟は無効になり、さらなる汚聖の罪となります! そのような悪しき告白をした人は、それとすべての過去の罪を悔いなければならず、もう一度それらすべてをその汚聖の罪とともに告白しなければなりません。

しかしながら、本当に忘れてしまった罪もあるでしょう。その場合は、そのような罪は他の罪とともに赦されるということを知っておかなければなりません。それらの罪は事実上、行った全面的な痛悔と告発の中に含まれていたのです。それらの罪が大罪であった場合は、次に告白に行く機会にそれらを告白すべきです。また、信仰を実践しないまま何年かののちに天主へと立ち戻る人たちの場合、彼らはその行為(例えば、慎みのなさ)の罪深さを知らずにいて、のちに霊的生活において成長して、その行為が罪であったと気付く、ということもあるかもしれません。彼らは安心していていいのです。そのような罪は、その罪深さを意識するようになるときに告発すべきものですが、以前の告白は良いものだったのです。なぜなら、罪をわざと隠そうとしたのではなく、むしろ本当に無知だったのですから。

言葉で自分自身を告発できない場合は―たとえば体の機能障害のために、または司祭の耳が聞こえないために、または言語の壁がある場合―、手話や、紙に書かれてある罪を指で指し示したりするといったしるしを用いて自分自身の罪を告発すれば十分です。もし病気で病院にいて、しゃべることができないものの聞くことができるならば、その人は司祭の質問に対して司祭の手を押すことによって答えることができます。

告発を完全にするためには、良心の糾明によって良い告解を準備するのが非常に有益です。この糾明はまた、より良き痛悔を更新したり奮い起こしたりする機会にもなります。毎日の良心の糾明は、毎週の良き告解をする大きな助けになります。これはまた、今後避けなければならない罪の機会を知るのを助けてくれます。

プロテスタントは自分の罪を司祭に告白する義務を拒否します。しかし、そうすることは、私たちの主イエズス・キリストが使徒たちに言われた言葉を意味のないものにしてしまうことになります。もし人が罪を赦す力を必要としないのなら、主はなぜ、使徒たちに罪を赦す力をお与えになったのでしょうか? 罪を赦す力を使徒たちにお与えになったことによって、私たちの主が明らかに示されたのは、信者がまさにその罪の赦しを得るために使徒たちとその後継者たちのところに行くように望まれるということです。自分の罪を司祭に告白する義務を拒否する人は事実、私たちの主イエズス・キリストによる罪の赦しの制定を拒否しているのです。またこのようにキリストに反対することによって、自分の罪の赦しを得ることができないのです。

罪の告発ののち、司祭はしばしば、少し霊的なアドバイスを与えます。これは非常に有益で、信者は、告白においては司祭が私たちの主イエズス・キリストの代理であることを思い起こしながら、それを注意して聞き、実行するよう努力すべきです。信者は、これらのアドバイスをキリストご自身の口から出たものであると受け取るべきです。

その後、司祭は悔悛者が行うべき償いを与えます。この償いは遅くならないうちに、また熱意を持ってなされるべきです。その償いをするのに信心深くあればあるほど、罪に対して当然課されるべき罰のうちの残された負い目の赦しに、より役立ちます。罪の重さを考えれば、告白ののちに司祭によって要求される償いでは、残された罰の負い目を完全に返済するのに十分ではないということを理解すべきです。また、そのため、罪の赦しののちの祈りで唱えられるように、「罪の赦しと永遠の命の獲得のため、汝のなすすべての善と汝の堅忍するすべての苦しみ」を信心深く捧げる必要があります。司祭は痛悔者に、祈りを唱えるよう要求するだけでなく、断食や苦行、あるいは施し(決して司祭にではありません!)や他の善業さえも要求するかもしれません。

知っておかなければならないことは、罪に対する必要不可欠な償いは私たちの主イエズス・キリストによって返済されたということです。聖ヨハネは、主は「私たちの罪の取り成しをされるいけにえである。いや、ただ私たちの罪のためではなく全世界の罪のためである」(ヨハネ第一2章2節)と言っています。イエズスが私たちの罪の取り成しをするいけにえとして御受難と死を捧げられなかったなら、私たちの取るに足らない悔悛では罪の赦しを得ることは絶対にできなかったでしょう。しかしながら、主の償いは私たち自身による償いの必要性をなくすどころか、私たちの償いに価値を与えるものなのです。天主の善は被造物の善をなくするのではなく、被造物の善の源であり第一原因です。イエズスがすべてを返済してくださったのだから私たちは何も返済する必要がないと主張する人々は、被造物の善をなくするどころか、被造物にあるすべての善のまさに第一原因である天主の善そのものを拒否しているのです。

事実、罪の赦しの第一原因は聖霊、愛の霊です。その天主の善は、私たちの主イエズス・キリストの御受難の効力をなくするのではないのです。主は御受難を人間の本性において苦しまれたのであり、天主の本性は苦しむことはできないのですから。ですから、主の御受難は罪の赦しの第二の原因なのです。第一の原因が第二の原因をなくすることがなく、むしろ第二の原因のまさに源であるように、罪の赦しの第一および第二の原因は私たちの償いをなくすることはなく、私たちの償いが取るに足らないものだとしても、むしろそれらこそが、罪の赦しを得るための私たちの償いの効力の源そのものなのです。

罪の意識という精神、すなわち、天主のお怒りを招いてしまったという長く続く悲しみ、それを持ち続けるべきです。そのような悲しみは私たちにへりくだりの心を持ち続けさせ、私たちは主の恩寵にふさわしくなかったのだ、しもべに値しなかったのだということを思い起こさせてくれます。そのような悲しみは、私たちが罪の機会を避け、今や私たちが心の底から嫌悪するそれらの罪に立ち戻ることのないように助けてくれます。ですから、今後さらに忠実であるためには、そのような痛悔の気持ちを持ち続けることは良いことです。古い罪をまったく嘆けなかったかのように、その罪に立ち戻ってしまう霊魂たちを見るのは非常に悲しいものです! ここ地上で私たちが自分の罪を償えば償うほど、私たちが煉獄で行わなければならない償いが少なくなる、ということを覚えておきましょう! 今はあわれみの時ですが、いずれ正義の時となるのです。「一厘残らず返すまで、あなたはその牢を出られない」(マテオ5章26節)のです。

過去のすべての罪についての悲しみを新たにするために、また告白ののちに残るこれら一時的な罰のさらなる赦しを得るために、特に黙想会の機会に、(洗礼ののちの)全生涯の総告解をするのは良いことであり有益です。良い黙想会はしばしば、よりよい痛悔、より完全な告発、より熱心な償いの準備をさせてくれます。

償いと罪の意識の鍵となる要素は、愛です。私たちは「キリストの十字架の敵」(フィリッピ3章18節)として主を一人だけで苦しまれるままにさせておきながら、私たちの罪のために十字架上で苦しみを受け亡くなられた私たちの主イエズス・キリストをまことに愛するということはできません!それゆえに、私たちはキリストと一致して、「キリストとともに光栄を受けるために、その苦しみをともに受ける」(ローマ8章17節)ことを望むのです!「キリストは十分に苦しんだので、私たちは全く苦しむ必要はない」というのはプロテスタントの考えであって、カトリックの愛徳ではありません!

それゆえに、悔悛の秘蹟は、罪を犯し続ける許可とは全く違うことは明らかです。悔悛の秘蹟はむしろ、「罪に死んだ者、主キリスト・イエズスにおいて天主のために生きる者」(ローマ6章11節)ということなのです。悔悛の秘蹟は、「古い人間とその行いを脱ぎ、新しい人間をまと」(コロサイ3章9-10節)うことであり、すなわち、キリストをまとうことなのです。

童貞聖マリアが私たちに、悔悛の秘蹟に対する大いなる信心と愛を与えてくださいますように。それによって、私たちの霊魂が何度も何度も清められ、聖母が初めから完全に保たれたその完全な貞潔、天国へ行くために必要とされるその完全な貞潔へ向かって進んでいくことができますように。アーメン。
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"On the Sacrament of Penance" by Fr. Laisney SSPX

2017年02月14日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様のお説教、「悔悛の秘蹟」の【英語原文】をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

Sermon at Osaka, on the Sacrament of Penance

My dear brethren,

Today is Septuagesima Sunday, the beginning of the penitential time preparing for Easter. So, it is very fitting to continue our series of sermon on the Sacraments, speaking now on the Sacrament of Penance. This is a very important Sacrament in the Christian life, very useful to fully overcome sin and live a fervent life.

Indeed, the whole doctrine on the Sacraments is a doctrine of life: Baptism is the new birth, birth to eternal life. Confirmation is the strengthening of that life. The Holy Eucharist is the food of eternal life. I say “eternal life” because that life which we received at Baptism should continue throughout our earthly life unto everlasting life in Heaven. Heaven is the full blossoming of the seed of new life received at Baptism, grown in Confirmation and fed by the Holy Eucharist: “He that eateth my flesh, and drinketh my blood, hath everlasting life: and I will raise him up in the last day” (Jn. 6:54).

However, there is an important, essential difference between the status of the Saints in Heaven, where they cannot lose that eternal life, and our status here below where we can, unfortunately, lose that life received at Baptism. Blessed are those who keep the innocence received at baptism until the Judgement throne of Christ! But unfortunately, there are many who do not keep their baptismal innocence, and by mortal sin precisely fall in spiritual death, losing the spiritual life, Christ no longer living in them (see Gal. 2:20).

But is there no “second chance” for those who have fallen into mortal sin after baptism? There is, and this is the Sacrament of penance. “Then came Peter unto [Jesus] and said: Lord, how often shall my brother offend against me, and I forgive him? till seven times? Jesus saith to him: I say not to thee, till seven times; but till seventy times seven times” (Mt. 18:21-22). Thus it is clear that God offers His forgiveness more than once, but as often as one comes back to God with a humble and contrite heart God offers his pardon again. “A contrite and humbled heart, O God, thou wilt not despise” (Ps. 50:19).

By the Sacrament of penance, sins committed after Baptism are be remitted by the power to forgive sin, which belongs to our Lord Jesus Christ because He is true God and true man. You remember the miracle our Lord did in order to prove this. A man was sick of the palsy; his friends wanted to bring him to our Lord, but could not enter the house where our Lord was because of the pressing crowds. So, they took the man onto the roof, took off the tiles and lowered the man in front of our Lord and all the attendants. It is evident that when these friends were taking off the tiles, everybody was looking at them, saying to themselves: these people are bold! What are they doing? When the man was thus lowered in front of our Lord, “Jesus, seeing their faith, said to the man sick of the palsy: ‘Be of good heart, son, thy sins are forgiven thee’. And behold some of the scribes said within themselves: ‘He blasphemeth’. And Jesus seeing their thoughts, said: Why do you think evil in your hearts? Whether is easier, to say, ‘Thy sins are forgiven thee’: or to say, ‘Arise, and walk’? But that you may know that the Son of man hath power on earth to forgive sins, (then said he to the man sick of palsy,) ‘Arise, take up thy bed, and go into thy house!’ And he arose, and went into his house” (Mt. 9:2-7).

Our Lord Jesus Christ himself instituted the Sacrament of Penance when He gave that very same power to His Apostles: “Whose sins you shall forgive, they are forgiven them; and whose sins you shall retain, they are retained” (Jn. 20:23). If our Lord gave that power to His apostles, it is clearly so that they may use it for the benefit of the faithful. Our Lord said these words on the day of His Resurrection, because the Sacrament of Penance is not so much like a birth, but rather like a spiritual resurrection: those who were dead in their sins after baptism can come back to the life of the soul by the Sacrament of Penance.

In order to understand properly the Sacrament of penance, it is necessary to remember the damage that mortal sin causes in a soul. Mortal sin consists in a spiritual being, angel or man, who severs himself from God by loving the creature too much, by putting one’s ultimate end in a creature rather than in the Creator, by preferring the creature over its Creator, by loving the created good more than the Uncreated Infinite Goodness of God. It is clearly unreasonable to prefer the limited, finite good over the Infinite and unlimited Divine Goodness. That disordered will is itself the very evil of sin, the stain of sin, death of the soul, because it takes away Charity, which is “the bond of perfection” (Col. 3:15) that binds the soul with God. It is also called the “stain of sin”, because it is spiritual darkness, refusal of the light of the truth of the transcendence of God.

Such choice is a grave offence to God, it is a refusal to give Him the honour that is due to the Supreme Being, who deserves to be loved supremely by all spiritual natures. Being such an offence, it calls for a certain chastisement, in order to restore the order of justice: sin must be expiated. Hence there is a certain “due chastisement”, and that debt is also called the guilt. Evil cannot prevail; God will not let evil have the last word! Divine Goodness will have the last word. Hence evil will have to be compensated with such chastisement.

Lastly, sin introduces a grave disorder in our nature, in the powers of our nature, which are thus wounded by sin. That wound will need medicine and time to heal. It is easy and quick to destroy; it takes time to heal and to rebuild. If one looks at the history of mankind, it is evident that the great drama of human history is the drama of sin and its disastrous consequences. Thanks be to God the Father Who sent His only-begotten Son to save us from our sins!

Now man can destroy life, but he cannot make up life; he can kill himself spiritually but cannot give himself back spiritual life: there is need of the Mercy of God acting in the soul and changing around the will of the sinner, “converting” him back to God, turning him around from his disordered way back to the right path of life. That divine action within the soul precedes the sacrament of penance; no sinner can merit that grace of conversion. The good faithful can pray to obtain it for the sinners; the ministers of Christ can preach and exhort to penance and conversion; yet unless God gives His grace within the soul itself and changes the heart, their exhortation will only touch the ears and not the hearts. Hence, we see the great saints doing much penance in order to obtain from the Mercy of God such grace for their hearers.

Once a soul is so touched by the grace of God, and starts to see how wrong it was, in its rebellion against God’s Law, then it searches what it can do to obtain forgiveness of his sins and to correct all the evils introduced by sin and heal the wounds of sin. The second chance that is given to such soul is precisely the Sacrament of penance: by a true and deep contrition for the past sins committed after baptism, together with the proper accusation of these sins to the priest and doing the reparation imposed by the priest, such soul can obtain the absolution of its sins and start the healing process.

The Sacrament of Penance is a kind of tribunal: the tribunal of the Mercy of God. The penitent is the accused, the one who has committed the crimes, the sins. The priest is the judge, taking the place of Christ: this is visible in the very words by which our Lord has given that power to his Apostles. The minister of that sacrament indeed must judge whether to forgive or to retain the sins: if he forgives on earth it will be forgiven in Heaven; if he retains them on earth it will be retained even in the next world. No one is a good judge in his own case, because he would have a bias in his own favour. So, one has to submit to the judge appointed by the King. Christ appointed His apostles and their successors as judges in His name, judges of His Mercy, in charge of distributing that merciful judgement that remits sins – but not indiscreetly: the priest must make sure the penitent is properly disposed.

Thus, the minister of the Sacrament of Penance is the priest. Near the end of the priestly ordination ceremony, the bishop had told the newly ordained priest what our Lord Jesus Christ told His Apostles: “Whose sins you shall forgive, they are forgiven them; and whose sins you shall retain, they are retained” (Jn. 20:23). St Thomas Aquinas explains that this power over the mystical body of Christ derives from the power the priest has over the physical body of Christ in the holy Eucharist: the priest can make the Eucharist, make the Body of our Lord really present, transforming the bread and wine into the Body and Blood of Christ; but the priest can also dispose the faithful to receive worthily that Body of Christ by preparing them through the Sacraments of Baptism and Penance.

Now it is very important to note that the matter of the Sacrament of Penance is not so much the sins committed after Baptism themselves, but it is the acts of the penitent with regards to those sins. These acts of the penitent are three: the three are required: contrition, accusation and satisfaction. In other words, the priest absolves the penitent who is truly contrite of heart for the sins he has committed, and who accused them properly and who makes reparation for them which the priest will impose. If the penitent fails to make these acts, especially if he is not truly contrite for his sins, then the sacrament is invalid by lack of proper matter, and it becomes then an additional sacrilege, to make a bad confession.

These three acts, contrition, accusation and satisfaction, are concerning the sins committed after baptism. For sins committed before baptism, sure, one must be contrite for them and it is good to make reparation for them, out of sorrow for having offended God. But it is necessary to know that God in His generosity forgives all sin and all penalty to sins the first time one comes to Him. So, the sorrow for these past sins is good indeed, and comes from the love of Our Lord whom one had offended before Baptism, but it goes with the joy of gratitude for the forgiveness received. The penance one may do for these sins, as coming from that love for God and desire of union with Christ who paid for these sins by His Precious Blood, is good indeed, but it is not necessary to obtain a forgiveness that has already been fully given. Yet it is good to contribute for the healing of the wound of those past sins. If one dies right after Baptism, one would go straight to Heaven.

However, if one is ungrateful to that first grace of Baptism and loses it by mortal sin, he may return to God by true penance, but the work will be harder: God does offer again His forgiveness, but leave a part of the satisfaction to be done by the repentant sinner, so that if one dies after a good confession, he will go to Heaven, but not straight: he will have to complete his expiation in Purgatory. The time God gives us here below after confession is a time when we can make up for our past sins, by union with the sacrifice of our Lord Jesus Christ, and thus escape Purgatory by doing our penance on earth. The Sacrament of Penance elevates our penances to a great efficacy to obtain the forgiveness of sins and of the penalty due to sin and to heal the wounds of sin.

St Thomas Aquinas explains that penance is a virtue, part of the virtue of Justice, by which we repay that which we had somehow stolen, we make up for our past sins. The virtue of penance is a consequence of the true faith, that shows us the ugliness of sin, the deep evil of sin, and how it offends God’s infinite goodness. It is also a consequence of the faith in the Divine Judgement, as we say in the Creed: “I believe … in Jesus Christ… who shall judge the living and the dead.” It is also a fruit of the hope of obtain the remission of sin, for without such hope penance would be useless. And in order to be truly a virtue, penance has to be informed by charity: to be sorry for our past sins not merely because they deserved Hell, but also and foremost because they offend the Divine Goodness.

After the Mass, I will give some details on the three acts of the penitent, which are like the matter of the Sacrament. Now let us continue the study of the Sacrament of Penance. The form consists in the words of the priest, the judgement of mercy, absolving the sinner from his sins: “I absolve thee from thy sins in the name of the Father and of the Son and of the Holy Ghost. Amen.” Note that the efficacy comes from the invocation of the Name of the most holy Trinity, as in Baptism the little child was baptised in the name of the Father and of the Son and of the Holy Ghost. The Most-High God is Holy and the first cause of all holiness! The word “absolve” means to free from sin, “for sins are, so to say, the chains by which the soul is bound, and from which it is freed by the Sacrament of Penance” .

In the old Testament, the priests according to the order of Aaron did not have that power: they could merely declare lepers cleansed from their physical leprosy, but had not the power to actually cleanse them, neither in their body nor in their soul. In the new Testament, the priests according to the order of Melchisedech have the power to absolve from sin, actually cleansing the soul. In the Old Testament, big and expensive sacrifices were required; in the New Testament, God asks only the sacrifice of a contrite heart and a humble soul.

At the beginning of the Church, the penance imposed by the Church often preceded the absolution, and could last several months of severe penitential practices. But throughout the years, the Church has reduced these external penances and even taken the habit of giving absolution upon the simple acceptance of the sacramental penance by the penitent before the actual performance of that penance. Yet, we should not deceive ourselves and think that sin is light since many penances are quite light. No, on the contrary, we should be more grateful to our Lord Jesus Christ for granting His forgiveness so easily, and use more frequently and more devoutly this great sacrament, and offering all our sufferings through life as a continued penance for our past sins and for the salvation of the world.

At the beginning of the Church, public penances were required for the public sins, such as apostasy, denying Christ in front of the judge. In particular, three grave sins deserved great penances: apostasy, murder and adultery. In order to encourage the return of the penitents to God, the Church used more and more private confessions with secrecy and private penances: the confessor is absolutely bound by the “secrecy of confession”, and it would be a grave sin for him to reveal what he heard in confession. There is even a martyr, St John Nepomucene, who was put to death because he refused to reveal the secret of confession.

The traditional rites of penance include an attitude of humility on the part of the penitent, who kneels down to accuse his sins. At the beginning of the confession, the penitent should say the “Confiteor – I confess to Almighty God” and strike his chest. It is recommended to say this prayer before entering the confessional, especially when there is a long line of penitents. This disposes the penitent to a greater humility and contrition.

The penitent should approach this sacrament in a spirit of Faith, seeing truly Jesus Christ in the priest. Indeed, the priest truly acts “in the person of Christ”, and thus when he says “I absolve thee from thy sins in the name of the Father and of the Son and of the Holy Ghost,” it is our Lord Jesus Christ Himself Who speaks, it is He who absolves sins; even if the priest is an unworthy minister, it is still Christ who absolves sins through him for the benefit of the contrite penitent.

The fruits of the sacrament of penance is first of all the remission of the sin itself, restoring the life of the soul, cleaning the stain of sin, pouring the charity of the Holy Ghost in the soul, who now loves God more than anything else and whose contrition is thus transformed into a perfect contrition.

The second fruit is the remission of the everlasting penalty due to sin: the sinner will no longer incur Hell fire; it also remits a great part of the temporary penalty due to sin, but there remains a small part which the penitent must do as his satisfaction, as I shall explain tomorrow.

The third and very important fruit of the sacrament of penance is the healing of the soul. Sin introduces disorder in the soul, a wound in the soul, that needs healing, needs medicine. Now this is the particular fruit of that sacrament, to be a remedy for the soul and helps prevent falling again into sin. Hence it is good to go often to confession, and not to wait to fall into mortal sin, but rather to fight against venial sin through the practice of frequent confession: this will obtain the full victory over sin. It would be certainly unwise to wait death before calling for a doctor! Similarly, one should not wait to fall into mortal sin before one would take the remedy of the sacrament of confession. One does not wait to fall in the mud before one takes a shower! Even without falling into mud, one would not wait months and months before one takes a shower! Similarly, one should go to frequent confession, and not wait to fall into mortal sin in order to go to confession. It is a good practice to go to confession at least every month, for instance for the first Friday and Saturday. It is good to go more frequently. Frequent confession is a great means to heal the wounds of sins and to become truly more fervent.

Only our blessed Mother did not need the Sacrament of confession, because she alone is Immaculate. But anyone who ever had a venial sin after Baptism should go to confession. The Church teaches that the Sacrament of confession is necessary for salvation for all those who have fallen into mortal sin after baptism. If one is caught by time and cannot find a confessor, he would need perfect contrition, which does include the will to go to actual confession as soon as possible, and thus have this sacrament “in desire” at least. This is what happened to the Japanese Catholics during the 200 years when they did not have priests and yet persevered in the faith, but this is a very exceptional situation, and the fruit of a very special grace which the Japanese martyrs obtained for the other faithful.

May the Immaculate Virgin obtain for us a great love of this sacrament which restores the beauty of the soul! May she help us to use frequently this sacrament of penance with fervour, to obtain the deep healing of our soul, and may she help us to live henceforth more faithful to the grace of God avoiding sin more carefully, lest we abuse of the mercy of God, which is so much opposed to true love! Amen.
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「悔悛の秘蹟」:聖ピオ十世会司祭 レネー神父様

2017年02月13日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様のお説教 「悔悛の秘蹟」(日本語訳)をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年2月12日 七旬節の主日―大阪
「悔悛の秘蹟」

親愛なる兄弟の皆さん、

本日は七旬節の主日であり、復活祭を準備する悔い改めの時期の始まりです。ですから、私たちが続けている秘蹟についての一連の説教で、悔悛の秘蹟についてお話しするのに非常に適しています。この秘蹟はキリスト教徒の生活の中で最も重要な秘蹟の一つであり、罪を完全に克服し熱心な生活を送るのに大変有益です。

実際、秘蹟に関する教理全体が命の教理です。洗礼は新たな誕生であり、永遠の命への誕生です。堅振は、その命を強めるものです。ご聖体は永遠の命の食べ物です。私は「永遠の命」と言っていますが、その理由は、私たちが洗礼の時に受けたその命は、地上で生きている間にずっと続いて、ついには天国での永遠の命へと至るはずのものであるからです。天国は洗礼の時に受けた新たな命の種が、堅振によって成長し、ご聖体によって養われて、完全に花開くところです。「私の肉を食べ私の血を飲む者は、永遠の命を有し、終わりの日にその人々を私は復活させる」(ヨハネ6章54節)。

しかしながら、天国の聖人たちの状態と、ここ地上の私たちの状態には、重要で本質的な違いが一つあります。天国の聖人たちはその永遠の命を失うことはありませんが、地上の私たちは洗礼の時に受けたその命を不幸にして失うかもしれないことです。幸いなるかな、キリストの審判の座に至るまで、洗礼の時に受けた無垢の状態を保つ者は! しかし不幸なことに、洗礼による無垢の状態を保つことなく、大罪によって確実に霊的な死に陥り、霊的な命を失い、もはやキリストがそのうちに生き給うことのない(ガラツィア2章20節参照)多くの人々がいます。

しかし、洗礼ののち大罪に陥った人々に「やり直す機会」はないのでしょうか? あります。それが「悔悛の秘蹟」です。「そのときペトロが近づいて、『主よ、兄弟が私に対して罪を犯したら、何度赦さねばなりませんか。七度までですか』と尋ねた。イエズスは答えられた、『私は〈七度まで〉とは言わぬ。〈七度の七十倍まで〉と言う』」(マテオ18章21-22節)。このように、天主は赦しを一度ならず与えてくださいますが、へりくだって悔い改める心をもって天主に立ち返るたびに、天主はまた赦しを与えてくださるのは明らかです。「おお天主よ、あなたは悔い改め、へりくだる魂を軽んじられない」(詩篇50章19節)。

悔悛の秘蹟によって、洗礼ののちに犯した罪は、私たちの主イエズス・キリストがまことの天主にしてまことの人間であるが故に、主がお持ちの罪を赦す力によって赦されます。皆さんは、これを証明するために主が行われた奇蹟を覚えていらっしゃるでしょう。ある男が中風の病気で、彼の友人たちはその男を主のもとに連れて行こうとしましたが、群衆でいっぱいだったため主がおられた家に入ることができませんでした。そこで彼らは、その男を屋根の上に連れて行き、屋根を壊してその男を主とその場にいた人々の前に吊り下ろしました。この友人たちが屋根を壊していたとき、誰もが彼らを見ていて、互いにこう言い合ったのは明らかです。この人たちは大胆だ! 何ということをしているのか? その中風の男が主の前に吊り下ろされたとき、「イエズスは彼らの信仰を見て、中風の人に向かい、『子よ、信頼せよ。あなたの罪は赦された』と言われた。そのときある律法学士たちは心の中で、『この人は冒涜の言葉を吐いた』と思った。イエズスはその人たちの考えを見抜き、『なぜあなたたちは心の中でよからぬことを考えているのか。罪は赦されたと言うのと、起きて行けと言うのと、どちらがやさしいと思うか。人の子が地上で罪を赦す力を持っていることを知らせるために…』と言って、中風の人に向かい、『起きて、床をとって家に帰れ』と言われた。病人は起きて家へ帰った」(マテオ9章2-7節)。

私たちの主イエズス・キリストは、使徒たちにその同じ力をお与えになったとき、御自ら悔悛の秘蹟を制定されました。「あなたたちが罪を赦す人にはその罪が赦され、あなたたちが罪を赦さぬ人は赦されない」(ヨハネ20章23節)。主が使徒たちにその力をお与えになったのは、使徒たちが信者の利益のためにそれを使うためにであったのは明らかです。主はご復活の日にこの言葉を言われましたが、その理由は悔悛の秘蹟が誕生よりむしろ霊的な復活に似ているからです。洗礼ののち自分の罪によって死んだ人々は、悔悛の秘蹟によって霊魂の命に立ち戻ることができるのです。

悔悛の秘蹟を正しく理解するためには、大罪が霊魂に引き起こす害を思い起こすことが必要です。大罪は、霊魂を持つ存在である天使または人間が、被造物に愛着を持ちすぎることによって、自分の究極の目的を創造主よりもむしろ被造物に置くことによって、創造主よりも被造物を好むことによって、天主の創られていない無限の善よりも創られた善を愛することによって、自分を天主から切り離すことです。天主の無限で限りない善よりも限りある有限の善を好むのは、明らかに不合理です。この秩序から外れた意志はそれ自体罪の悪そのものであり、罪の汚れであり、霊魂の死です。なぜなら、それは霊魂を天主と結び付ける「完徳のかなめ」(コロサイ3章14節)である愛を取り去るからです。これはまた、「罪の汚れ」と呼ばれますが、その理由は、それが霊的な闇であり、天主の超越性という真理の光を拒否するからです。

そのような選択は天主の大きなお怒りを招き、霊的な本性を持つものすべてが最高に愛するにふさわしいお方である至高の存在に当然なされるべき敬意を、天主に対して捧げるのを拒否することです。そのようなお怒りを招くことをすれば、正義の秩序を回復させるために、一定の懲罰が要求されます。罪は償われなければなりません。ですから、一定の「ふさわしい懲罰」があり、その負い目は罪責とも呼ばれます。悪は勝つことができません。天主は悪に最終決定権をお渡しにはなりません。天主の善が最終決定権を持つのです。ですから、悪はそのような懲罰によって償われなければならないのです。

最後に、罪は私たちの本性に、私たちの本性の能力に、大いなる無秩序をもたらします。こうして私たちの本性は罪によってを負うのです。この傷を癒やすには薬と時間が必要です。台無しにするのは簡単で早いですが、癒やして再建するには時間がかかります。人類の歴史を見れば、人間の歴史の大きな悲劇は、罪による悲劇とその悲惨な結果であるのは明らかです。私たちを罪から救うために御独り子を送ってくださった天主なる御父に感謝します!

さて、人間は命を破壊することはできますが、命をつくり出すことはできません。人間は自分を霊的に殺すことはできますが、自分に霊的な命を取り戻すことはできません。罪びとの霊魂に働きかけ、罪びとの意志を変えて天主へと「回心させ」、罪びとを無秩序な道から命という正しい道へと向けさせる天主の御あわれみが必要です。霊魂の中での天主の働きは、悔悛の秘蹟に先立って起こります。その回心の恩寵に値する罪びとはいません。良き信者は罪びとたちが回心の恩寵を得られるよう祈ることができます。キリストの役務者は、悔悛と回心を説教し、勧告することができます。でも、天主が霊魂自体の中に恩寵をお与えになり、その心を変えられない限り、彼らの勧告は耳に入るだけで心には届きません。ですから、偉大な聖人たちが、その勧告を聞く人々がそのような恩寵を天主の御あわれみによって得ることができるよう、大変な苦行をするのを私たちは知っています。

霊魂がいったん天主の恩寵によってこのように触発されると、その霊魂は天主の法に反逆している状態である自分がいかに悪かったのかが分かり始めます。そして自分の罪の赦しを得るために、罪によって入ったすべての悪を正し、罪による傷を癒やすために、自分に何ができるかを探し求めます。そのような霊魂に与えられたもう一度やり直す機会こそ、まさに悔悛の秘蹟です。洗礼ののちに犯した過去の罪に対するまことのかつ深い痛悔と、それらの罪を司祭に適切に告白して司祭によって与えられた償いを実行することによって、その霊魂は自らの罪の赦しを得ることができ、癒やしの過程を始めることができるのです。

悔悛の秘蹟は一種の法廷であり、天主の御あわれみの法廷です。痛悔者は被告であって、犯罪、すなわち罪を犯した者です。司祭は裁判官であり、キリストの代理です。これは、主が使徒たちにその力をお与えになった御言葉それ自体から明らかです。この秘蹟の執行者は実際、罪を赦すか残すかのどちらかに裁かなければなりません。司祭が地上で赦せば、その罪は天国でも赦されます。司祭が地上で残せば、その罪は来世においても残ります。自分自身の裁判において良き裁判官である人は誰もいません。なぜなら、自分自身をひいきしてしまうという偏りがあるからです。ですから、王によって指名された裁判官に従わなければなりません。キリストは、使徒たちとその後継者たちを、ご自分の御名における裁判官として、すなわち罪を赦す(それは無分別であってはいけませんが)というあわれみ深い判決を出す担当である主の御あわれみの裁判官として指名なさいました。司祭は、痛悔者が適切な心の準備ができているよう確実を期さなければなりません。

このように、悔悛の秘蹟の執行者は司祭です。司祭の叙階式の最後の近くで、司教は新たに叙階された司祭に、私たちの主イエズス・キリストが使徒たちに言われたことを、ずっと言ってきました。「あなたたちが罪を赦す人にはその罪が赦され、あなたたちが罪を赦さぬ人は赦されない」(ヨハネ20章23節)。聖トマス・アクィナスは、キリストの神秘体に対するこの力は司祭がご聖体にましますキリストの物理的な御体に対して持っている力に由来する、と説明しています。司祭はご聖体をつくることができ、主の御体を実際に現存させ、パンとぶどう酒をキリストの御体と御血に変えることができます。しかし、司祭はまた、洗礼と悔悛の秘蹟を通じて信者を、ご聖体を受けるにふさわしく準備させるようにすることもできるのです。

さて、大変重要で気を付けていただきたいのは、悔悛の秘蹟の質料は、洗礼ののちに犯した罪それ自体ではなくその罪についての痛悔者の行いであることです。この痛悔者の行いは三つあります。三つが必要です。痛悔、告発(告白)、償いです。言い換えれば、司祭は、自分が犯した罪に対する心からのまことの痛悔をし、罪を適切に告発(告白)し、司祭が与える罪に対する償いをする痛悔者を赦します。痛悔者がこれらの行いをしないならば、特に自分の罪に対するまことの痛悔をしないならば、その秘蹟は正しい質料がないことによって無効であり、さらに悪い告白をしたことで汚聖の罪が加わることになるのです。

これらの三つの行い、痛悔、告発(告白)、償いは、洗礼ののち犯した罪に関するものです。洗礼の前に犯した罪に対しては、確かに痛悔しなければならず、天主のお怒りを招いたことへの悲しみから、それを償うのは良いことです。しかし、人が初めて天主のところに行くときには、天主が寛大にすべての罪とその罪に対するすべての罰を赦してくださるということを知っておくことが必要です。ですから、これら過去の罪を悲しむことは実際良いことであり、その悲しみは洗礼の前にその人がお怒りを招いた主への愛から来るのですが、受けた赦しに対する感謝の喜びを伴うのです。これらの罪に対してなされる痛悔は、その天主への愛と、主のいと尊き御血によって罪に対して支払いをなさったキリストとの一致への望みから来るもので、実際良いものですが、すでに完全に与えられている赦しをもう一度得ることは必要ありません。でも、それら過去の罪による傷を癒やすために貢献するのは良いことです。洗礼ののちすぐ死ぬならば、その人は真っすぐに天国へ行くことになります。

しかしながら、洗礼という最初の恩寵に感謝せず、大罪によってそれを失った場合、その人はまことの悔悛によって天主に立ち返ることができますが、それはもっと難しいものです。天主は御赦しを確かにもう一度くださいますが、その償いの一部は悔い改める罪びとが行なうようになさるのです。ですから、人が良い告解をしたのちに死んだ場合、その人は天国に行くでしょうが、真っすぐには行かず、煉獄で償いを果たさなければならないのです。天主がここ地上で告解ののちに私たちにお与えになる時間は、私たちが私たちの主イエズス・キリストの犠牲と一致して、過去の罪を償い、地上で償いを行うことによって煉獄を避けることを可能にするための時間なのです。悔悛の秘蹟は、私たちの償いによって、私たちが罪とその罪による罰の赦しを得て、罪による傷を癒やすことができるという大いなる効果をもたらす秘蹟です。

聖トマス・アクィナスは、悔悛は徳であり、正義の徳の一部であって、これによって私たちは、私たちが盗んでしまったものを返済し、過去の罪を償うのである、と説明しています。悔悛の徳は、まことの信仰の結果の一つであって、私たちに罪のみにくさや罪という悪のひどさ、罪が天主の無限の善をどれほど傷つけるのかを教えてくれます。悔悛の徳はまた、天主の審判に対する信仰の結果の一つです。私たちが信経でこう唱えるように。「われは…イエズス・キリスト…生ける人と死せる人とを裁かんために来り給う主を信じ奉る」。悔悛の徳はまた、罪の赦しを得るという希望の実です。なぜなら、その希望がなければ、悔悛は無益だからです。また、まことの徳であるためには、悔悛は愛によって教えられなければなりません。すなわち、過去の罪を悔やむのは、単にその罪が地獄行きにふさわしいからであるだけでなく、一番の理由はその罪が天主の善を傷つけるからなのです。

ミサののち、私は、この秘蹟の質料に似た痛悔者の三つの行いについて少し詳しく説明します。I今は、悔悛の秘蹟の勉強を続けましょう。この秘蹟の形相は、あわれみの判決であり罪びとを罪から赦す司祭の言葉から成っています。それは、「われ、聖父と聖子と聖霊との御名によりて汝の罪を赦す。アーメン」です。気を付けていただきたいのは、洗礼のとき小さな子どもが聖父と聖子と聖霊との御名によって洗礼を授けられるように、悔悛の秘蹟の効力も、いとも聖なる三位一体の御名を唱えることからもたらされるということです。いと高き天主は聖にしてすべての聖性の第一の原因です。「赦す」という言葉は罪から自由であることを意味していますが、「罪はいわば、霊魂をつなぎとめる鎖のようなものであり、悔悛の秘蹟はその鎖から霊魂を自由にする」(トレント公会議のカテキズム)のです。

旧約においては、アロンの位の司祭たちはその力を持っていませんでした。アロンの位の司祭たちはただ、ハンセン病患者がその体の病気から清められたと宣言することができるのみでしたが、彼らを体においても心においても実際に清める力はありませんでした。新約においては、メルキセデクの位の司祭たちは罪を赦す力、実際に霊魂を清める力を持っています。旧約においては、大きくて高価な犠牲が要求されましたが、新約においては、天主がお求めになるのは、悔い改める心とへりくだる霊魂による犠牲だけです。

教会の初期には、教会によって与えられた償いのわざはしばしば赦しの前に行われましたし、厳しい償いの行いが数カ月続くこともありました。しかし年月を経て、教会はこれら外的な償いの行いを減らし、その償いの行いを実際にするより前に、痛悔者が秘蹟による償いをただ受け入れるだけで赦しを与える慣習さえ導入しました。でも、私たちは自分を偽らず、多くの償いがまったく軽いのだから罪は軽いのだなどと思うべきではありません。いいえ、それどころか私たちは、赦しをこんなに簡単に与えてくださる私たちの主イエズス・キリストにもっと感謝し、この素晴らしい秘蹟をもっと頻繁に、もっと信心深く受け、また過去の罪を継続的に償うため、そして世の救いのために、一生を通じて私たちの苦しみをすべて捧げるべきです。

教会の初期には、裁判官の前でキリストを否定するといった背教のような公の罪に対しては、公の償いが要求されました。特に、大きな償いに値したのは三つの重い罪、すなわち背教、殺人、姦淫です。痛悔者が天主に立ち返るのを奨励するため、教会は個人的な償いと個人的で秘密の告白をより多く使うようになりました。聴罪司祭は「告解の秘密」によって完全にしばられており、司祭が自分の聴いた告解の内容を漏らすことは重い罪になるのです。告解の秘密を漏らすのを拒否したため殺されたネポムクの聖ヨハネという殉教者さえいます。

聖伝による悔悛の秘蹟の儀式では、痛悔者は自分の罪を告発するためにひざまずくという、へりくだりの態度を示します。告解の初めに、痛悔者は「コンフィテオール(告白の祈り)―全能の天主、終生童貞なる聖マリア…」を唱え、胸を打ちます。告解室に入る前にこの祈りを唱えることが勧められますが、痛悔者の列が長い場合は特にそうです。この祈りを唱えることは、痛悔者により大きなへりくだりと痛悔の気持ちを起こさせます。

痛悔者は信仰の精神によって、司祭のうちにまことのイエズス・キリストを見て、この秘蹟にあずかるべきです。実際、司祭はまことに「キリストの代理として」行うのであり、そのため司祭が「われ、聖父と聖子と聖霊との御名によりて汝を赦す」と唱えるとき、言葉を発するのは私たちの主イエズス・キリストご自身であり、罪を赦すのは主ご自身なのです。司祭がふさわしくない秘蹟執行者であったとしても、痛悔する痛悔者のためになるよう、司祭を通じて罪を赦すのは依然としてキリストご自身なのです。

悔悛の秘蹟の実は、第一に罪自体を赦し、霊魂の命を回復させ、罪の汚れを清め、霊魂に聖霊の愛を注ぐことです。この霊魂は今や他の何ものよりも天主を愛しており、こうしてその霊魂の痛悔は完全な痛悔へと変わるのです。

第二の実は、罪に対して当然あるべき永遠の罰を赦すことです。この罪びとはもはや地獄の火をこうむることはありません。罪に当然あるべき一時的な罰の大部分も赦しますが、明日説明するように、痛悔者が償いをしなければならない小さな部分は残されます。

悔悛の秘蹟の第三にして非常に重要な実は、霊魂を癒やすことです。罪は霊魂に無秩序を、霊魂に傷をもたらしますから、その傷を癒やす必要があり、薬が必要です。さて、これはこの秘蹟による特別な実であり、霊魂の治療薬となり、再び罪に陥るのを防いでくれます。ですから、頻繁に告解に行き、大罪に陥るのを待たずに、むしろ頻繁な告解を実践することを通じて小罪に対して戦うのは良いことです。そうすれば、罪に対する完全な勝利を得るでしょう。死を待ってから医者を呼ぶことが賢くないのは確かです! 同様に、大罪に陥るのを待ってから、告解の秘蹟という治療薬を飲むべきではありません。泥の中に落ちるのを待ってからシャワーを浴びる人は誰もいません! 泥の中に落ちない場合であっても、シャワーを浴びる前に何カ月も何カ月も待つ人は誰もいません! 同様に、頻繁に告解に行くべきであって、大罪に陥るのを待ってから告解に行くべきではありません。少なくとも毎月、例えば初金曜日と初土曜日に告解に行くことは良き実践です。もっと頻繁に告解に行くのは良いことです。頻繁な告解は、罪による傷を癒やすための、本当にもっと熱心になるための素晴らしい手段なのです。

告解の秘蹟を必要としなかったのは、私たちの祝された御母だけです。なぜなら、聖母だけが無原罪の汚れなきお方だったからです。しかし、洗礼ののち小罪を持った人なら誰であれ、告解に行くべきです。教会は、洗礼ののち大罪に陥ったすべての人にとって、告解の秘蹟は救いに必要であると教えています。もし時間に追われ聴罪司祭を見つけられないならば、その人には、できるだけ早く実際に告解に行こうという意志、すなわち少なくとも「望みの」秘蹟を含んだ完全な痛悔が必要です。これは、日本のキリシタンたちに二百年にわたって起こったことです。彼らは、司祭がいなかったにもかかわらず信仰を保ちました。でもこれは非常に例外的な状況で、日本の殉教者たちが他の信者たちのために取り成した非常に特別な恩寵の実なのです。

無原罪の聖母が、霊魂の美しさを回復させるこの秘蹟への大きな愛を、私たちに取り成してくださいますように! 私たちが熱意をもってこの悔悛の秘蹟を頻繁に受け、霊魂の深い癒やしを得るよう、聖母が私たちを助けてくださいますように。またこれから私たちが天主の恩寵にさらに忠実に生き、さらに注意深く罪を避け、まことの愛とまったくの反対である天主の御あわれみの乱用をすることのないよう、聖母が助けてくださいますように! アーメン。
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高山右近がひたすらに求めたものとは

2017年02月12日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年2月4日(初土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年2月4日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年 2月4日、2月の初土曜日のミサをしております、聖母の汚れなき御心のミサです。今日のこのミサの後にいつものようにミサの感謝の祈りと、そしてファチマの天使が教えて下さったお祈りを一緒に含めて御捧げ致しましょう。

ミサの後には公教要理を提案します。これはつい最近映画になった「沈黙-サイレンス」の映画の背景にあったフェレイラ神父について、この神父のフェレイラ神父に一体何が起ったのか、という事を皆さんにご紹介します。この当時キリシタンたちはカトリック信者たちは、一体それを見て何をどのように反応したのか、という事を考察する事を提案します。

次回のミサはいつもの通り、2月の第2主日の日・月と、第3主日の前の金・土です。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、2月の初土曜日で私たちは特に、ファチマのマリア様が私たちに下さったメッセージを黙想したいと思っていますけれども、今日は実は、今から500年前にマリア様は聖イグナチオを通して別の形でメッセージを与えました。

ファチマでのメッセージは、今から100年前ちょうど100年前、今20世紀の今私たちの時代に起こる、或いは20世紀に起こる教会の危機、例えば共産主義、或いは近代主義に対する薬として、それなりの対策としてマリア様はすでに私たちに、「こうしなさい」という事を教えて下さって、「そしてそれを実践すれば、必ず天国に行ける」と約束さえして下さったメッセージです。

今から500年前、ちょうどプロテスタントの宗教革命が起こりました。イエズス・キリストの宗教を変えてしまいました。その時にマリア様は聖イグナチオを通して、それに対抗する手段を与えてくれました。それが『霊操』です。

聖イグナチオを通してマンレサに於いて与えられた霊操で、聖イグナチオはその霊操を通してイエズス会を創り、そしてその霊操を通してこの人生の意味を深く知った、「天国の為に私たちが生きている」という事を深く知った聖フランシスコ・ザヴェリオは日本に来ました。

そして今日私が提案したいのは、霊操を通してこの人生の意味を深く知って、そして遂にはあと3日で福者と列福される、大阪城ホールで福者と列福されるユスト高山右近の人生について黙想する事を提案します。もしもマリア様から与えられたその霊操をやったその高山右近が、その通り忠実に実践した高山右近が400年後に福者となるならば、ファチマのマリア様のメッセージを実践する私たちにも同じ事が起こる、という事を私たちが深く知る為です。

ですから今日の黙想の後に、「やはりマリア様のメッセージを実践しよう」と、「そして高山右近のようになろう」という決心が自然と湧き起これば、私のこの今日の説教の目的は達成される事になります。

皆さんも昨日私たちが黙想した通り、高山右近は11歳の時に、1564年6月にお父さんダリオ高山の影響で洗礼の恵みを受けます。1574年、高山右近がまだ21歳まだ若い青年だった時に、今ではもしかしたら日本では成人式を受けたばかりのほやほやの若僧であるかと思われるかもしれません。しかしすでに、その時すでに高山右近は高槻の城主となって、4万石の領土を管理指導する立場にありました。

高山右近の熱心な真面目な信心と生活によって、高槻の領土にあった領民たちは皆カトリックに惹かれ、そしてカトリックの洗礼を受けて、領主となった10年後には、常駐の司祭はいなかったにもかかわらず20の教会があり、いつも巡回の司祭や修道士たちが高槻にやって来て、そして霊的な指導やミサや秘蹟などを授けて下さっていました。

今日、特に3つのエピソードを紹介したいと思います。

一つは、1582年本能寺の変があった時のことです。織田信長が、自分のトップであった織田信長が暗殺されます。すると織田信長によって土地が与えられて大きなお城があった、安土の所にあったとてもきれいな3階建ての神学校セミナリオは、略奪されてしまいました。これは高山右近にとって非常に大きな苦痛でした。

しかし高山右近はこれを犠牲に、「これをこの損失を何とか善に変えよう」と、「是非、パードレたちによって高槻にセミナリオを作って下さい」と、「安土から高槻に引越して下さい」と提案しました。するとパードレはその提案を受けて、「よし、そうしよう」として、2人の司祭、常駐司祭を送り、修道士たちも数名送り、同宿或いはそこで教会で働くような人たちもいて、そして高槻の最初の神学生の第1回生の中には多くの神学生がいました。そのうちの1人は、後に26聖人となるパウロ三木もいました。

巡回司祭のみならず、常駐の司祭が2人も居たという事で、領民たちはますますキリシタンの教えに接する機会があり、2万名いた領民たちはほぼ全てキリシタンとなりました。そしてお寺のお坊さんや、或いは神社の神主さんやそのような人たちも「キリシタンになりたい」と思ったので、そのようなお寺は誰も管理する人がいなくなって朽ちてしまいました。それほど高山右近の人柄に憧れて、皆が「キリシタンになりたい」と思った事でした。

高山右近は別に仏教を排斥したわけではなくて、仏教のお坊さんに挨拶の手紙を書いたり、「守ってあげるよ」という手紙を書いている書簡も残っています。しかしその高山右近の人柄、生き様に憧れた人々は皆、「高山右近のようになりたい、それと同じ信仰を持ちたい」と思ったのでした。

領民だけではありません。高山右近のその立派な生きざまを見て、今まで放蕩の生活をしていたような伊勢の牧村政治のような大名も、洗礼を受けて生き方をガラリと変えてしまったり、或いは力のあった大名であった蒲生氏郷が洗礼名をレオとして受けて、そしレオ蒲生氏郷と一緒に高山右近は黒田孝高をカトリックに導いたり、カトリック大名の友達をたくさん作っていきました。

また茶道の七哲として、武道文学そして茶道、文武を両立させた素晴らしい男でした。

本能寺の後に秀吉が天下を取るのですけれども、その秀吉のもとに手柄を立てた高山右近は4万石の高槻から6万石の明石に移行を受けて、より大きな領地を豊かな領地を任されるようになりました。すると高槻に居たキリシタンの武士たちは皆、「高山右近と一緒に私も移る!」と言いました。そして聖堂やセミナリオも一緒に移動してしまいました。

高槻に残されたキリシタンの領民たちは非常に悲しく思いました。彼らがどれほど高山右近の影響を受けたかという事は、300年の後に明治の初年に、まだ高山村という村には2000軒キリシタンが居た、隠れキリシタンが居た、或いは清谷村には7000戸のキリシタンの家があった、300年ずっと迫害にもかかわらずキリシタンの信仰を残していた、という事実があります。そして明治の初期までも、「高槻のお殿様はとっても素晴らしかった」という口伝が残っており、高山右近がどれほど良い影響を与えていたかという事は私たちは容易に想像がつきます。


第2のポイントは、そのような高山右近でしたが、そして明石に移ってその翌年、1586年の事だったのです。準管区長であったコエリヨ神父様や或いはその元で働いていたオルガンティノ神父様、或いはイエズス会の最も重要な神父様たちやキリシタン大名たち、或いは重要な貴族たちキリシタンの貴族たちを約30名連れて、長崎から大阪にいた秀吉に会見をします。すると秀吉は、武器も刀も侍者に持たしたまま、そのパードレたちと親しくあまりにも、普通大名に話すならば何も、無口で何も話されないところが、秀吉は非常に親しくパードレたちに笑いながら話して、とても平和なそして友好的な態度をしたので、あたかもキリスト教の将来はこれから良いバラ色の未来が待っているのではないかな、と思われたその矢先の事でした。

実はその前に、高山右近が高槻から明石に移行する時に領土を移す時に、「高山右近、キリシタン大名のあの高山右近が来る」という事で、勝手に憶測をした仏教徒たちが、高山右近をボイコットしようと、或いは反対しようとして、仏像を全て船に乗せて大阪までやって来て、そして秀吉の母に取り次ぎます、「高山右近が来ると困る。そして何とか秀吉に言ってやめさしてもらいたい」と言って懇願に来ます。ところが秀吉はそのようなお坊さんを見て、「これは、そのお寺をどうするかというのは高山右近に任せたのだから、彼がよく取り計らうだろう、心配するな、何も心配する事はない。彼は良い男だ」と言うのです。そして「お前たちは何も知らないうちにそんなに謀反を企てて、悪い奴だ!」と言って、秀吉は、その船に乗せてあった仏像を大阪湾から上陸させて、焼き払ってしまったのです。

そしてそれを見て仕方なく明石に戻ろうとしたそのお坊さんたちは、また戻ろうとしたのですけれども、高山右近が、「このようなお坊さんたちが、まだ自分が来る前からそのような謀反をしている。そして将来一体どのような悪い影響が出るか分からない」という事で、「明石の領内には是非来ないで欲しい」とお願いしたのです。

実はこのそのようなエピソードがあったので、高山右近は秀吉からの寛大な接待を受けながらも、「教会には将来嵐がやって来るのではないか」という事を感じていました。特に秀吉が心を非常にすぐ変えてしまう気まぐれな男である、野心家であるという事をよく知っていたので、その事はますますよく分かりました。

秀吉は病気がちだったので、その病気を治す為にお祈りをしたり魔術をしたり或いはその特別の魔法をするお祈りをして、その病気を治す特別の僧侶がいました、施薬院全宗 徳運です。その施薬院全宗はキリシタンに対して非常な敵害心を持っていたので、そして彼は秀吉のすぐ近くにいて、加持祈祷をする、おまじないをする専門職でした。そこで彼が秀吉にキリシタンの悪口を言って、そしてキリシタンを迫害するようにそそのかしました。コエリヨ神父様やイエズス会の30人のイエズス会やキリシタン30名と寛大に会って歓迎を受けたその1年後、1587年、突如として天正のキリシタン禁令が秀吉によって出されます。施薬院がこの伴天連追放令を起草しました。

秀吉のこの禁令は非常に後々まで歴史に跡を残し、10年後に26聖人の殉教の機会となるサン・フィリペ号の没収の為の、船の積み荷を全て没収する為の口実にも使われたり、或いは徳川のキリシタン弾圧のその法的な根拠として利用されたりします。

この天正のキリシタン禁令が出た時に、1587年7月24日、秀吉は自分の直臣の一番信頼のおける最高の武将であった高山右近に言います、「汝、其方はキリシタンの信仰を捨てよ。」

すると使者からのそのような命令を受けて、高山右近はこう答えます、「私は太閤様に今まで心を込めて、力を尽くしてお仕えしてきました。ただ1つの事を除いて、どのような事でも太閤様の為なら命さえも惜しみません。ただその1つの事という事は、デウス様に背け、という事です。これだけはできません。もしも天主に背くという事であれば、全財産を失ったとしても、この世のものが全て無くなったとしても、名誉が失われたとしても、命が亡くなったとしても、これだけはできません。何故かというと、天主との一致デウスとの一致が私たちの人生の唯一の目的であって、もしもそれをデウスに背いてしまうのであれば、私たちの存在の理由が無くなってしまからです。もうこの世で生きている意味が無いからです。」

すると使いの者は、「まぁまぁそんな事を言わないで。表面的だけでも表向きだけでも服従的に従って、内々でデウス様を信じればいいのだから。ジェズス様を信じればいいのではないか。」

高山右近は、「いや、そうではない。キリシタンは外も内も一致でなければならない。もうそのような事は言うな、言うなかれ」と。

そして秀吉にそれは伝えられました。秀吉は非常に悲しみましたが、利休も送られて高山右近を何とか説得して「キリシタンを捨てるように」と言うのですけれども、高山右近は、「友の願いと言えどもそれだけはできない。もうこれ以上言うな。」

利休はよくその高山右近の心を知っていたので、もう何もそれ以上言う事はせずに言い張らず、その事を秀吉にただ伝えます。

このような事は、高山右近は命さえも失う危険がありました。しかし高山右近にとって何ができたでしょうか。命を失う事、或いは自分が天主の為に財産を失って、この地上のものを奪われてしまうという事は、何とした栄誉である事でしょうか。しかしそれと同時に秀吉、自分のその親しくしてきた秀吉がそのようなデウスに大逆を起こす事、或いは教会に迫害を起こそう、という事だけを非常に悲しく思っていました。

そこでキリシタンの武士たちに言います、「私はデウスには逆らえない。キリシタンの信仰を捨てる事はできない。何故ならば私たちは天国の為に生きているからだ。死後の報いの為に生きているからだ。この地上での面白可笑しく生活する為に生きているのではないからだ。ただ唯一、これほど忠実に仕えてくれたそなた方の、キリシタン武士たちに報いる事ができない、私がそれに感謝する事ができない、それだけが何よりの心残りで、しかし天主様はお前たちに、自分ができないよりももっと報いて下さるだろう。この地上の日本の諸侯たちがお前たちに一体何をするだろうか、永遠の命の為に何をしてくれるだろうか。天主がして下さる。この日本の、自分を含めてこの日本の諸侯に期待するな。今私は地位も財産も全て失うけれども、そしてお前たちはまだそれを失わない。しかしもしも信仰を失ってしまったら、一体誰があなたたちの霊魂を救うのか、アニマを救うのか。」

天主の憐れみに全て高山右近は委ねるのでした。「自分では自分のできるだけの事をしたい。しかし今はできない身となったからは、天主の憐れみとその全能に委ねる。そして私たちはただただ、永遠の命を求めよう、さらば。」

こうして高山右近は、ただ単にイエズス・キリストに従う為に、イエズス・キリストに「はい」と言う為に、信仰を失うわないが為に、イエズス・キリストの教会を信じるが為に、武将という高い地位を捨て、明石6万石の財産と領土を放棄し、秀吉の親しい臣下であるというその身分さえも放棄して、そのまま全て捨て去って、35歳、うらぶれた姿となって明石を発って、そして淡路島のやはりキリシタン大名であった小西行長の元に、淡路の小豆島に隠れ住む事になります。

ところでそうやって隠れ住んでいたのもわずか、小西行長が別の領土に領地に移行されたので、それを機会に1588年、高山右近は有馬に行きます。そして九州の有馬に行ってコエリヨ準管区長に会って、そして霊的な指導を受けます。その時にコエリヨ神父の手紙によると、「高山右近は、かつてあった全ての地位と全ての財産を失ったにもかかわらず、あまりにも快活で朗らかで、そして微笑みを絶やさず、しかもその自分のあと貧困と苦しい生活を忍耐強く耐えている、耐え忍んでいる、という事を見て非常にびっくりした。」

かつてのあの大名の、トップの大名であった者が、たった6人のしもべを連れてやって来て、哀れなその姿でやって来て、そして有馬で霊操をしたのです。聖イグナチオがマリア様から受けた霊操をしました。そして総告解もして、そしてイエズス様の御生涯や御受難、御復活、人生の意味について深く黙想しました。有馬で実はパウロ三木と会っています。

そしてそれが終わると、実は金沢に前田利長がいて、そこでそこの前田家に高山右近は預けられるようになります。金沢ではキリシタンは、高山右近が行ったその1588年には誰一人いませんでした。ところが高山右近が行くようになると、「パードレを送って欲しい。さぁ、修道士を送って欲しい。さぁ、さぁ、」と言って、高山右近が金沢を去るようになる1614年には、既に常駐司祭1人、常駐修道士1人を得て、そしてキリシタンたちもたくさん存在するようになっていました。


なぜ私が今「1614年まで」と言ったかというと、これが第3の点なのです。

1614年1月31日、冬でした。豊臣家を狙う徳川家康は、一挙に全日本に於いてキリシタンの禁令を出します。そして宣教師を国外追放にします。一体なぜこのような事があるかというと、当時は独裁の時代でした、独裁政治の時でした。独裁の君主として立つ為に、その自分の地位を危うくするものを全て妨害しようとしました。ですから今まであった大名が持っていた土地の権威を、土地を所有する権利を否定する為に、知行大名化させたりしました。また独裁政治というのは、自分の周りにいる側近たちの言う事に聞いて、それに操られる側近政治になるのが常です。そして同じように、京都にいた崇伝というお坊さんの僧侶が、慈悲や忍耐を伝える代わりに、キリシタンの迫害の文書を徳川家康に原稿を作って、そしてこのキリシタンの禁令を書きます。

崇伝のその仏僧の側近の言葉だけではありませんでした。当時残念ながらヨーロッパで、プロテスタントとカトリックの、カトリックのスペインポルトガルとオランダや英国のプロテスタントの貿易圏の争いがあり、そしてそれが日本でも、日本もそれに巻き込まれてしまいました。そこでプロテスタントやオランダからの中傷が、カトリック教会に対する中傷があり、そしてそれに徳川家康は動かされました。

また同時に自分の権力を確固とする為に、外国勢力を封鎖させて鎖国政策をする為の口実、他の人たちが貿易をするのを許さず自分だけが貿易の特権を握る為に、鎖国政策をする事が得策でした。その鎖国政策をする為の口実としても、キリシタンを迫害する事は非常に利益になると考えたのでした。

そこで1614年、バテレン追放令、キリシタン禁令が出ます。その当時高山右近は62歳の老人でした。金沢に住んでいました。冬の事でした。そして高山右近はこの禁令を受けて、全てこの金沢を去らなければなりませんでした。皆は、「さぁ、何とか信仰を捨てるなり何とかした方が良いんじゃないか」と言われても、「そうではない。」そして、徒歩で雪の中を皆と一緒に、先頭を切って、特に金沢から京都にかけては雪の多い所ですけれども、その山の道を歩いて行きました。

10日の後に比叡山の麓の坂本に着きます。けれども、そこで足踏みをされました。何故かというと、「もしも京都に入ると、どのような悪い影響があるかわからない。高山右近をどうするべきかを徳川家康に聞こう」と思って、そして後に「彼らは長崎に送られるべきだ」という事を聞いて、ようやく長崎に送られます。

長崎に着いた高山右近は家族たちと着くのですけれども、そこでもやはりもう一度霊操をします。そして総告解をして、殉教の準備を致しました。キリシタン大名の細川忠興はこれを見て、「本当に高山右近は南坊様は、これまでの今までのやってきた行いに最後の鑑印をして判子を押して、キリシタンとして立派に生きた」とさえ感嘆しています。

実は高山右近を長崎に送ったというのは、徳川家康は大阪城を攻める計画があったからです。もしも高山右近が大阪城に行って豊臣側に付いてしまったら、さすがの徳川といえども何が起こるか分からない、敗北を喫するかもしれない。そこで、しかしあまりにも高山右近は人望が高いので殺害する事もできない。そこで国外追放を求めたのでした。

豊臣秀頼も、高山右近を是非自分の元に入れようとしました、「もしもそうすれば、私たちには勝つ見込みがある。」そして使者を長崎に送って、高山右近に「是非来てほしい」と頼む使者を送るのですけれども、しかし使者が長崎に着いた時には、高山右近が既にマニラに向けて出港して2日の後でした。

多くの人たちはキリシタンは長崎にいた人は、「たとえ高山右近は豊臣から頼まれたとしても、潔くデウス様の為に全てを捨ててマニラに行っただろう」と口を揃えて言いました。

長崎から、1614年11月8日に2艘の船が出ます。その2艘の船が350人以上乗せられたボロボロの船で、明らかに人も多過ぎで危険な旅でした。暴風や逆風で、船の底には穴も空いていたし、高山右近の部屋も水浸しになって、とても危険な旅でした。しかし高山右近はそれを忍耐強くそれを耐え忍んで、1614年12月11日にマニラに着くと、マニラ市民たちは非常に喜んで大歓迎をします。

しかし着いて間もなく40日もすると、熱病に侵され、そして「私のアニマを霊魂を、主の御前に導き給え」と祈りつつ、終油の秘跡を受けて、口に最後の最後まで、「ジェズス、マリア、」「ジェズス、マリア、」「ジェズス、マリア、」と唱えながら、1615年2月3日と4日の間の夜、ちょうど今から402年前に、マニラで清い霊魂を天主様の御元にお返ししました。

その時にマニラの市民と総督、全ての貴族や立派な方々が総出で、ものすごいこれまでなかったような大葬儀を致しました。その当時2000人日本人がいましたが、その葬儀を見て「その高山右近がどれほど尊敬されているか、という事を見て非常に誇らしかった」と記録にあります。

高山右近が死んだ、亡くなったという事を知った徳川家康は、「これは大きな損失であった」と嘆いたそうです。そしてキリシタンの事を悪しざまに言った徳川でさえも、高山右近の悪い事は一切言った事がありませんでした。

高山右近は一体、何を求めたのでしょうか?

霊魂の救い、永遠の命、霊魂の救霊。イエズス・キリスト以外に救い主はない。だから皆に洗礼を受けてもらって、イエズス様の御憐れみとその全能によって天国に行く事。ただこれだけを求めたのでした。

その為であれば、地上のものを失ったとしても、どのような苦しみがあったとしても、喜んで潔くイエズス様とマリア様に捧げよう。これが大和男子であって、武将の心である。これがキリシタンであって、これが茶道の生粋の道であって、これこそが大和魂である、と私たちに教えています。

イエズス様に最後まで忠実に仕えたい。霊魂を救いたい、アニマを救いたい。ジェズス、マリアに忠実でありたい。その日本の多くの霊魂が救われる事を祈って、そしてそれだけをひたすら求めてマニラに追放されて、霊魂を天主に返したのです。

その追放したその張本人が住んだ大阪城ホールで、高山右近はあと数日すると、福者として全世界からの名誉と福者の称号を受けるのです。福者ユスト高山は私たちの為にますます取り次いで下さるに違いありません。

私たちも高山右近に倣って、マリア様からの受けた霊操や、或いはファチマのメッセージをよく実行する事によって、霊魂の救霊と、そして隣人の私たちの日本の同胞の霊魂の救いをひたすら乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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高山右近の精神に倣う

2017年02月11日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年2月3日(初金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年2月3日(初金)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年2月3日、2月の初金曜のイエズス様の聖心の随意ミサを行っております。今日のこのミサの後に感謝のお祈りの後には、いつものように初金ですから御聖体礼拝、聖時間を設ける事に致しましょう。もしも聖時間をイエズス様と過ごす事ができる方はいらして、イエズス様の傍で時間を過ごして下さい。イエズス様に対して犯される罪を償う為にも、聖心に対しての侮辱を償う為にも、どうぞ聖時間を致しましょう、日本の為にお祈り致しましょう。


「私は柔和で謙遜であるから私に倣え。そうすればお前たちの霊魂には平和が見い出すだろう。」

聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日初金曜日のミサでいつものようにアレルヤ誦では、「自分の十字架をとって私に従え。そして私は柔和謙遜である者だから私に倣え。そうすれば平和を見出すだろう」というイエズス様の言葉を歌いましたから、私は皆さんにそれを黙想する事を提案します。

何故かというと、このイエズス様の「十字架をとって担って、私のくびきを担って、そして私に倣え」と言った日本を代表する立派な男がいるからです。是非その方の生涯を少し垣間見て、イエズス様のくびきをとってそれに従う、という事の模範を黙想する事に致しましょう。

何故この人を黙想するかというと、実はユスト高山右近のことでが、1615年2月3日と4日の間に、マニラに追放されてマニラで霊魂を天に返しました。あと数日で、今年の2月7日には大阪城ホールで列福式が行われる予定です。

そこで、この日本を代表する福者ユスト高山右近がどのようにイエズス様のくびきをとって、そして霊魂に平和を見出したか、という事を黙想するのはとても時期に合っている、と思います。

特にこの大阪ではそのような人を生み出したという事で、そのような方をもっともっと生み出す事ができるように、この御聖堂を通して生み出す事ができるようにお祈りする事が黙想する事がふさわしいと思ったからです。

時は1534年8月15日、パリのモンマルトルで聖イグナチオとその同志聖フランシスコ・ザヴェリオらは誓願を立てて、イエズス会を発足させます。その15年後には、モンマルトルの誓いから15年目に、ちょうど1549年8月15日は、聖フランシスコ・ザヴェリオがイエズス様の御言葉、永遠の命を与える信仰をこの私たちの日本にもたらしました。

聖フランシスコ・ザヴェリオが直接洗礼を授けた日本人には色々な人がいますけれども、その中で一番有名なのがザヴェリオが山口で洗礼を授けた修道士、めくらの盲人の修道士イルマン・ロレンソでした。

そのロレンソは確かに目は見えなかったのですけれども、非常に有能な方で、頭脳が優秀で、そしてイエズス・キリストの教えを一生懸命、精力的に皆に説いて、多くの人々がロレンソの言葉とその姿を見て、キリストの信仰を受けていました。

さて聖フランシスコ・ザヴェリオは、「どうしてもイエズス様の教えを京の都で伝えたい」と思っていました。ところで、その京都で都でイエズス様のキリストの教えを、新しい宗教を教えるという事には、その当時の最高の、宗教界の最高の権威であった比叡山の延暦寺の許可が必要でした。しかし比叡山の延暦寺はやすやすと商売敵に許可を与える訳はありませんでした。しかし当時将軍が許可を与えたので、キリスト教をあからさまに迫害する訳にはいきませんでした。

そこでもう少しい賢いやり方をしようとして、「バテレンの宗義と教えと、そして仏教の教えを宗論させて論争させて、そしてこのキリスト教の教えを論破しよう」という計画を立てました。「そして論破した後に、キリスト教を禁止すればよい。」

そこでその中で一番、その当時京都を支配していた松永久秀が計画して、仏教に敬虔で熱心でその宗門に非常に秀でている武士たちを3人集めて、彼らに責任を任せて論争をさせようという事になりました。その松永が選んだのは、結城忠正、また清原枝賢、そして高山飛騨守、この3人でありました。特に高山飛騨守は、「もうそのようなものはつまらない!このようなものはさっさと切り捨ててしまえば良いのだ!」と言って非常に堅い、非常に乱暴な禁止の仕方をしようとさえも提案していました。

そうこうしているうちに、一信徒であった老人のディエゴという洗礼名の男が、ある訴訟の関係で松永久秀の元にやって来ました。そしてその訴訟について、キリシタンという事で結城忠正が尋問します。するとそのディエゴは、まだキリシタンになったばかりらしいし、そしてまた老人でただの平信徒にもかかわらず、答える事は立派な事を答えているのです。

例えば、「そんなキリシタンなどの事は禁止してしまうぞ!」と脅すと、「いや、デウス様が許可をしない限り、この世には何も起こりません」などと答えて、1つ1つの事を論理的に正しく答えているので、「あぁ、こんなにただのこのような俗人でさえもこのような知識を持っているという事は、この教えはただものではない」と思うようになりました。

考えてもみて下さい。当時キリシタンは理性を使って合理的に、真理とか、善とか、美を求めるように日本人に教えようとしていました。西洋ではもちろん占星術とか錬金術とか魔術とか占いとかに対して反対して、「私たちは理性を使って、真理を求めなければならない」と教えていたように、日本ではその当時には陰陽、陰説とか或いは占いとか色々な迷信や俗説などが色々あったところを、キリシタンの教えは理性を使って論理的に、「これはこうだから、こうだ」と説明するものでありました。

またその当時は、人々は互いに切り合ったり火を点け合ったり、強い者が勝ちであって下克上の時代でありました。「自分さえ良ければ、他の人はどうなっても良いのだ。」例えば応仁記の中には、「天下破れれば破れよ。世間は滅びれば滅びよ。人はともあれ、我が身さえ富貴ならば」と言って、「この世がどのようであろうと、俺一人さえ良ければ構うもんか」というのが一般の考えでした。
【天下ハ破レバ破レヨ、世間ハ滅ババ滅バヨ、人ハトモアレ我身サヘ富貴ナラバ他ヨリ一段瑩羹様ニ振舞ント成行ケリ】

戦乱であればあるほど、農業も廃れ食べ物も無い、飢餓に苦しむ、貧困と犯罪と、そして貧しい人たちを奴隷に売ってしまうような、「子供も売ってしまえ。食べ物が無いから売ってしまえ」などという事が日常茶飯事の、地獄絵巻きの日本でした。

その中を一般の、何でもないような老人でさえも、道理を勧めて教えているこのキリスト教。もちろんその背後には、イエズス会の神父様たちは西洋医学とか、或いは数学とか物理学、音楽、絵画、芸術、航海術、暦、地理、教育活動に一生懸命で、コレヒヨ(大学)のようなものや、神学校を造ったり、そして当時はヨーロッパでも最高の水準のものを日本でも教えていました。ラテン語でも授業をしていましたし、出版活動もしていました。福祉活動もしていました。そのようなもの受けていたこの平信徒のディエゴがすらすらと答える事ができたのには、驚くにあたりませんでした。

しかし武士たちにとっては非常な驚きでした、「何でこのような者が答える事ができるのか!」そこで是非、結城忠正はこのディエゴに、「是非、お前たちのパードレと話をしたい。お前がこんな事を知っているのなら、パードレたちはもっと知っているだろう。もっとその事を詳しく知りたい」という事で、パードレと会う事ができるように送り返したのです。

その手紙を受けてパードレたちの元に戻ると、人々は心配しました。その時にヴィエラ神父様が堺に居たのですけれども、神父様は「行く!」と言うのですけれども、「あぁパードレ、危ない!これは罠かもしれない。あなたが行ったら捕まって殺されてしまう。或いは何か、何か企みがあるかもしれません。あの人たちは仏教の、ゴリゴリの仏教徒だ。何が起こるか分からないから、さぁそれだけはやめて欲しい!」という事で、そこで出てきたのがロレンソでした。

盲人のロレンソ、聖フランシスコ・ザヴェリオからその手ずから洗礼を受けたロレンソがやって来て、そしてこの一緒にディエゴ老人と行くのです。そして奈良で結城と清原とそして話をするのですけれども、武士たちは話を聞くに従って、「これはおもしろい、あぁそうか、」これを質問すると、パッと答えが出てきて、「おぉ、そうか、」「うん、」「そうか、」「うん、」結局、奈良でこの2人は洗礼を受ける事になりました。

そして京都に帰って来ると、「あぁさぁこの論破して、ロレンソとかキリシタンを逮捕してやって来たのか」と思うと、「何か受洗をして来て、キリシタンになって帰って来た」といって京都の人たちはびっくりしました、「一体何なのだ!」

その時に高山飛騨守は高槻にいてその場にいなかったのですけれども、京都に行くという口実で奈良に行って、そして奈良でやはり受洗をしました。受洗名はダリオでした。その後に家族一同、妻も子供も洗礼を受けさせます。それが1564年6月の事で、長男のユスト高山も11歳で洗礼を受けました。

ユスト高山はその後、宗教教育というものを直接受けたという痕跡はあまりよく分からないのですけが、お父さんのそのダリオは非常に熱心なキリシタンになって、教会を自分の領地に建てて、全て大きな所の一番良い所に、新しい釘さえも材木も全て新しい物を使って、使い回しの物がないように、「天主様にデウス様に与える物は、全て最高の物のを使わなければならない」と模範を示していました。

しかも当時、戦争で両親を失った孤児たちや或いは貧しい人たちは、大体はそのままは捨て去られてしまうのが普通でしたけれども、キリシタンになってこのキリシタン大名のダリオ高山は、非常に彼らの為に憐れみの業や、奉仕や、或いは福祉を行い、領民たちは非常にその行動に感動して、多くがキリシタンなっていきました。

そうこうするうちに、私たちのユスト高山は21歳で1574年に高槻の城主となります。高山右近はその言葉と行いによって多くの模範を見せて、多くその領民たちは高山右近の事がもう尊敬と愛情でいっぱいになりました。このような領主は他にはありません。戦争で荒れ狂うその日本の戦乱の下克上の時代にあって、この高山右近のいたその高槻の領内だけは安心と平和と安全がありました。そして憐れみがあって、助け合いと奉仕の精神と、高山右近自身がカテキズムを教えたり、教えを説いたり、それを実践したりして模範を見せていました。そこで続々洗礼を受ける人がいました。1577年の1年だけで、2400名が受洗したと記録に残っています。

高山右近の人生の中で1つこんな事件がありました。それは自分は確かに高槻の大名ですけれども、その自分の上に荒木村重という偉い大名がいて、その上に織田信長がいました。ですから言ってみれば荒木には、織田信長の命令を受けて、そしてその忠義を尽くさなければならない義務がありました。

そして高山右近は荒木に忠実を尽くさなければならない義務がありましたが、それは領地を受けているからです。ところでその荒木村重は甘い誘惑を受けて、織田信長に反旗を翻そうと、そしてその地位を奪おうという反乱を起こそうとしました。高山右近はそれに対して「それは正義に反している。私たちは忠実に仕えなければならない」という事で自分の上司を諫めます、「それはやってはいけない。」

そしてその諫めて、「しかし私は、これはあなたに反対しているからではなくて、私はあなたを信じています」という事を証明する為に、自分の妹を人質にやって、「私の言葉は本当です。もしもそれが嘘だと思ったら、この妹をどうぞ好きにして下さい」というふうにしました。それでも、「でも上が誰であれ、反乱をしてはいけない」と留めたのです。

そしてその後に色々会議があったのですけれども、「高山右近は織田信長に反乱するのは反対だ」という事を知られていて、会議には呼ばれませんでした。しかしその会議の間では悪知恵を言う人がたくさんいて、そして「やはり反乱しよう、織田信長を攻めよう」という決議がありました。

そこでもう一度、「織田信長に反乱してはいけない。それは正義に反する」という事でそれを説得します。今度は自分の息子を人質にします。何故かというと、「あぁ、高山右近は織田信長から何か指図を受けているのじゃないか。だから、」という色々な悪口とか讒言があったので、「そうではない。自分の心は自分の上司である荒木に忠実である」という事を示す為に、息子さえも人質に与えます。

そしてそのまま反乱はしないかと見えるのですけれども、結局反乱をするように心は変わってしまいます。

そうこうするうちに、今度は大変な事が起こってしまいました。織田信長がそのような事を知って、高槻に攻めようとしてきたからです。何故かというと、高槻は一番の主要な要塞で、高山右近のような武将が守ればこそ、高山右近がどちらに行くかに従がって、この勝ち負けが決まってしまうからです。もしも織田の方に付けば織田が勝つし、織田の方に付かなければ織田は負けてしまう。そこで圧力をかけます、「もしも反乱するような事があったら、バテレンたちのパードレたちを皆、皆殺しにする。そしてキリスト教も皆殺しにする」と脅すのです。そして高槻の前に十字架を付けて、「ここにキリシタンたちを付ける。パードレたちを付ける」と脅すのです。

織田信長は実は、比叡山の延暦寺も火を点けて全部破壊してしまいましたので、もしかしたらこれは口先だけの事ではないかもしれません。政治の事であれば何をしでかすか分からない。高山右近は迷いました。「もしも織田の方に付けば、自分の息子と妹は殺される。しかし付かなければパードレたちは殺される。どっちを取るべきか。」

それだけではありませんでした。今度は、織田の方に付こうとするとパードレたちを守ろうとすると、今度は自分の高槻の侍たちが反乱を起こしました、「私たちには武士の名誉がある!私たちの上司である直接の上司である荒木に付かなければならない!そして名誉を守らなければならない!この屈辱を受ける事ができない!」などと言う人が出てきて、そしてダリオ高山さえも、右近のお父さんさえも自分の味方にするのです。お父さんにとってもダリオ高山にとっても、自分の娘と自分の孫がこのままむざむざ殺されてしまうのはとても耐え難かったのだと思います。

高山右近は、「どうするべきか。もしも織田の方に付くと、これは正義だけれども、しかし親子の愛情に反してしまうではないか。父も亡くなり、父もそうだ、妹もそうだ、息子もそうだ、殺されてしまう。かといって織田の方に付かなければ、パードレたちはキリスト教徒たちは破壊されてしまう。どうしたら良いのだろうか。また、織田の方に反乱する事は正義に反する。」

非常に苦しみました。神父様に、オルガンティノ神父に言うと、「これは非常に難しい問題だ。正義によれば織田の方に付くのは当然だから、しかし非常に苦しい問題だ。よく祈って判断するように。」

祈って、祈って、祈った高山右近は、その時にこう決断します、「自分は高槻の城主だけれども、この城主の権をお父さんにもう返す。私は修道士になる、出家する。そしてもうこのまま身を天主様に捧げて、もう武士はもうやめる。」
そして武器を全て捨てて、下着のままで織田信長の方に行きました。

織田信長がそのような高山右近を受け入れるか受け入れないかは全く分りませんでした。「しかし自分は、もう天主様に捧げられたものとして修道士として、織田信長の前に行く。」そして全てはイエズス様の御摂理のままに、身を投げ出したのでした。「イエズス様の御跡に従おう」と。「御摂理に任せよう」と。

すると、このような考えられなかった意表を突くような高山右近の動きによって、全ては丸く収まり、そしてお父さんも、妹も、子供の命も助かり、高山右近は織田のものとして反乱は失敗に終わり、全てはうまく丸く収まったのでした。これも、高山右近の「イエズス様の教えを尊重しよう。そしてその為なら自分はいかなるものになっても構わない」という精神の結果でした。

高山右近はまた、自分の高槻の領内に教会を建てて、実はその当時常駐の司祭はいなかったのですけれども巡回司祭だけだったのですけれども、高山右近の模範と犠牲と、そしてその献身と、良い勧めとその行いによって、領内の多くの人々がほとんどがキリシタンになっていきました。

愛する兄弟の皆さん、願わくはそのような高山右近のような精神が私たちにも伝えられますように、私たちもイエズス様の御教えの為に、それを御教えを言葉と行いで実践しますように、このイエズス様の御教えが、高山右近のように御教えを多くの人に伝える事ができますように、自分の務めを忠実に良心的に果たす事ができますように、イエズス様の聖心とマリア様の御心を通して、私たちもますます高山右近のようになる事ができますように、そして日本の多くから高山右近のような立派な聖人たちがたくさん出ますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊とに御名によりて、アーメン。
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2017年2月3-6日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2017年02月10日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2月の初金、初土は大阪でミサ聖祭を捧げ、福者ユスト高山の生涯について黙想しました。

初金には、イエズスの聖心の歌ミサの後に、いつものように顕示された御聖体のまで聖時間を過ごしました。

初土のミサの後の公教要理には、映画「サイレンス-- 沈黙 --」の裏にある史実について黙想しました。フェレイラ神父の受けた拷問の穴吊しとその後のカトリック世界の反応を見ました。しかし時間切れになってしまったので、この続きは次回にします。

2月5日には東京で、聖ピオ十世会の東京の守護の聖人である日本二十六聖殉教者のミサを典例法規に従って一級で祝いました。午後の公教要理には、ユスト高山の生涯について黙想しました。

次回の東京での公教要理には、映画「サイレンス-- 沈黙 --」の裏にある史実について黙想します。フェレイラ神父の受けた拷問の穴吊しとその後のカトリック世界の反応をお話しいたします。

以下にミサ聖祭のご報告をいただいたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

大阪でのミッションありがとうございました。
お疲れが早くとれますように、お祈りしています。

2月の初金・初土のミサの報告をお送りいたします。

2月3日(初金) 至聖なる聖心の随意ミサには15名が、
2月4日(初土) 聖母の汚れなき御心の随意ミサには16名が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!

金曜日のイエズス様の聖心の御ミサのアレルヤ唱で
「私は心柔和で謙遜なものゆえ、私のくびきをとって私にならえ、そうすれば心の平安を見出すであろう。」と歌ったように、
2月7日大阪で列福されるユスト高山右近がどのようにイエズス様のくびきをとり、イエズス様にならい、私たちに模範を示されたかを黙想いたしました。
キリシタンを捨てることを拒否したが為に領地も地位もすべてを右近から奪った豊臣秀吉の大阪城で、
400年以上の時を経てその同じ場所で高山右近が福者として列福の栄誉を受けることになったことに天主様の正義と御摂理を感じました。

土曜日には、前日に続いて高山右近の生涯がマリア様のメッセージの関係を黙想しました。
というのは、400年前に高山右近が聖イグナチオの霊操をしていたということです。聖イグナチをの霊操はそこから更に100年前にマリア様が聖イグナチオにマンレッサーで与えられたものでした。
「天主に背けば私の生きている意味がない」「天主と一致する事のみが唯一の人生の目的」と右近にいわしめたのはまさに 、霊操の精神そのものでした。
いつの時代にも、特に困難の時に、マリア様の御介入が私たちの信仰を強め、助け、救ってくださることを強く感じました。

日本でも、一昨年に聖イグナチオの霊操、昨年は聖グリニヨン・ド・モンフォールの聖母黙想会が聖ピオ十世会の神父様の指導で行われました。
私たちに今これらの御恵みが与えられたということをしっかり認識して、霊操とマリア様へのまことの信心をもっともっと自分のものにして、高山右近に倣って霊魂の救いと、天国だけを求めるカトリック信者になりたいと思いました。

土曜日の公教要理では、映画「沈黙」のモデルとなったクリストヴァン・フェレイラについてお話頂きました。
遠藤周作の「沈黙」では、このフェレイラの背教が話の軸となっていますが、残念ながら史実とは少し違っていることも沢山あるようでした。
フェレイラと日本のキリスト教迫害の歴史を大変詳しく知る事ができ、続きがとても楽しみです。

神父様は、聖務と移動だけでも超絶お忙しいのに、こんなに勉強する時間がよくおありだなあと感心していまいました。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

初金・初土の御ミサ、御聖体降福式、公教要理など色々本当にありがとうございました!!(*^▽^*)

新たに素晴らしい御聖体顕示台も寄付されて、御聖体の秘蹟の内に真に在し給うイエズス様を更に讃美する事ができてとても嬉しく思います!

また、ユスト高山右近様が列福される年のこの2月3日・4日に、大阪で初金・初土の御ミサが捧げられ、そして今日は東京の聖なる日本の殉教者教会で、日本26聖人の御ミサが捧げられ、今年も日本へのマリア様と聖なる日本の殉教者の方々の御取り次ぎによる、溢れるばかりのお恵みをひしひしと感じます!デオ・グラチアス!

家族で今日は日本二十六聖殉教者の信仰を求むる祈りも唱えました。
願わくは、二十六聖殉教者の御取り次ぎによりて、堅固なる信仰と迫害に堪うる勇気とをわれらに得しめ給え!

デオ・グラチアス!



【報告】【所感】
+Ave Maria! Immaculata!

大阪での2月の初金初土の御ミサをありがとうございました。
心から感謝申し上げます。

【所感】をご報告申し上げます。

【1】初土曜日のお説教での小野田神父様のお言葉が心に残りました。
「今から500年前にマリア様から与えられた『霊操』をそのとおりに実践したユスト高山右近が福者となることができたのなら、
100年前にファチマのマリア様から与えられた『メッセージ』を忠実に実践するならば、私たちにも高山右近と同じことが起こる。」

フルーガー神父様が、「この現代で聖伝のカトリック信仰を守り、そのとおりに生きることが、天主様からのどれほど大きな恩恵であるか!
この真のカトリック信仰を守り通し、カトリックを生きなさい。」とおっしゃったことが思い出されました。
この現代で、私たちカトリック信者のすべきことは、ファチマのマリア様のおっしゃるとおりに、
「天主と聖母マリア様の汚れ無き御心に対してなされた、人類の忘恩を、自分の忘恩をひれ伏してその赦しを懇願し、天主と隣人への愛ゆえに償うこと」だと思いました。
しかもこの償いの業は、おびただしい日本の尊き殉教者の耐えた拷問や、殉教ではなく、
「私たちの日々の務め、苦しみや困難、その全てを犠牲として償いとして、マリア様の汚れ無き御心にお捧げする」ことです。
シュテーリン神父様のお言葉:「朝起きるときに、自分は何者か?を思い出しなさい。自分はインマクラータの子供であり、奴隷であり、騎士である。隣人の救霊のために、この一日もすべてをお捧げすることを思い出しなさい。」は、毎朝、温かい布団からなかなか出れないときにも、私を助けてくれます(^_^;)

【2】また、小野田神父様のお説教と霊的講話では、列福されるユスト高山右近について、日本の殉教者について、
映画「沈黙~サイレンス」の背景にあるフェレイラ神父について、たくさんのお話を伺いました。

映画「沈黙~サイレンス」の予告篇を観て、感じたことを申し上げてもよろしいでしょうか(^_^;)
この映画は、人間の苦しみだけに焦点をあわせて、背教を勧めているのみならず、
日本のキリシタンに対しても、大きな誤解を与えているように思います。

昨年は聖ピオ十世会日本では、日本の尊き殉教者を讃え、その取り次ぎを願いました。
また秋田巡礼の10周年記念として、長崎秋田巡礼として長崎の各地を巡礼いたしました。
巡礼のパンフレットと2016年のカレンダーで日本の殉教の歴史と殉教者たちについて深く知ることができました。

数多くの文書記録(カトリック以外の外国人による記録もふくむ)では、キリシタンは清潔感があり、礼儀正しく、聡明で、貧富にかかわらず品格があり、柔和で愛徳があり、常に模範となる品行で、潔かったと書かれています。(映画とは全く異なっています) 
また迫害が起こる前に、日本にはすでに印刷機が持ち込まれて「マルチル(殉教)の心得」なども多数配布されて、キリシタンは霊的な準備をしていたそうです。死ぬことになっても天主を否まない。殉教でパライソへ参れる。日本の民の回心を願い、そのために自分の血も命も献げる。
そのために何十万人ともいわれるキリシタンは殉教していきました。キリシタンたちを聖なるミサと秘蹟、公教要理で養った司祭の方がた、ご自分の生き様をもって司牧した司祭、修道士の方がたのおかげでした。その司祭がた、修道者がたも、多くが殉教されてゆきました。

迫害の初期は、禁教のみせしめとしての処刑でしたが、潔く殉教するキリシタンたちのおかげで、逆にキリシタンに改宗する人が増えたので、幕府は方針を変え、拷問して転ばすことにしました。その拷問はあまりにも酷く、数多くの種類があり、戦慄を覚えますが、キリシタンは天主の御助けによりて、殉教者の元后なるマリア様の御取り次ぎで、雄々しく耐えぬき、殉教の栄冠を勝ちとっていきました。
たとえば、江戸の元和の大殉教では、将軍をはじめ、数千人の見物人がキリシタンの火あぶりをみせものとしようとしましたが、
50人全員が、苦痛の顔ひとつみせずに天をあおいで殉教していった姿に、驚愕し、あっぱれと讃えたそうです。
殉教での剛毅の徳は、天主からしか与えられない超自然の恩恵であり、天主に光栄を帰す奇蹟で、
自然法則を超えているため、天主を認めない人には理解も説明もできないと思います。
願わくは、日本人全てが真のカトリックとなりますように、日本の殉教者たちがお取り次ぎくださいますように!

聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
日本の尊き殉教者、我らのために祈りたまえ。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

昨日は高山右近様の列福式おめでとうございました!
今までユスト高山右近の列福を求める祈りを、小学生の聖伝のミサを知る前からさせて頂いておりましたので、(一時期していない時期もあったのですが)高山右近様が亡くなって400年たった今、その列福の歴史を目の当たりにすると、とても感慨深いものがあります。デオ・グラチアス!

残念ながらご遺体は行方不明だそうですが、噂によるとマニラにあるそうなので、小野田神父様をお守り下さっているのかなと思います♪(o^^o)

御説教でも高山右近様のお話をして下さってありがとうございます。

イエズス様の聖心とマリア様の汚れなき御心を通して、高山右近様のような精神が私たちにも伝えられますように!そして日本の多くから高山右近様のような立派な聖人たちがたくさん出ますように!



【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 21人(内、子供2人)
女: 22人(内、子供3人)
計: 43人(内、子供5人)



【報告】講話の感想
アヴェマリア インマクラータ!

トマス小野田神父様

小野田神父様にユスト高山右近の講話をしていただき、わかったこと、もっと知りたかったことを簡単ですが、まとめてみました。

(わかったこと)

ユスト高山右近は大名という社会的にも相当高い位に位置していた人物でありながら、俗塵にまみれることなく、カトリック教徒として、その使命を全うしたという事実は、日本人として誇らしい気持ちになりました。
また、牧村利貞・蒲生氏郷・黒田孝高といったそうそうたる諸大名を強制することなくキリシタン大名に改宗させたということからも、その影響力の強さはしのばれますが、これはカトリックの信仰に深く帰依していたことによるものであり、天主様のご加護があればこそと思いました。
ユスト高山右近が福者に挙げられる今日的な意味は何かと思っておりましたが、本日の講話を伺う中で、ビジネスパーソンとしてのカトリック信徒のひとつの生き方を指し示しているようにも感じました。

(もっと知りたかったこと)

ユスト高山右近は現世的には成功者といってよいと思いますが、現世の成功は必ずしも永遠の生命に結びつくわけではなく、むしろ、往々にして、対立するものを含むと思います。そのあたりの葛藤はなかったのか、本人に聞いてみたいような気もしました。

いつもとても貴重な講話ありがとうございます!

デオグラシアス!



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

トマス小野田神父様 こんばんは!

先日は日本二十六聖人殉教者のための御ミサをありがとうございました。この日は「聖なる日本の殉教者巡回教会」で、「殉教者、聖ペトロ・バプティスタ、聖パウロ・三木等二十六聖人」のミサに与ることができるとのことで、数日前から二十六聖人殉教者に思いを馳せていました。二十六聖人がたは特別な恵みをいただいてこのような殉教を得たと教わりました。天国を望む恵みだったのだかなと思いました。神父様は、まだあどけない小さな子供を含む二十六人の殉教者の方々が 京都で見せしめのために引き回されたあと どのように800kmの道のりを喜んで殉教の地の長崎まで歩きとおし どのような聖なる死を遂げられたかを丁寧にお話下さり、殉教された一人一人のお名前を大切に挙げられて本当に心を込めて紹介してくださって、とても感動しました。一人一人の聖なる霊魂が私たちに 天国から微笑みかけていたかもしれません。

この聖人の方たちは、カトリックの信仰が 永遠の命を得るためにこの世の生活があること、そしてそのこの世の価値や名誉などが永遠の命に比べたらどれほど相対的な価値しか持たないものであるかということを、よく理解していたということでした。それを考えると 私はいったい 永遠の命を得るための努力を いまどれほどしているか 危ういと感じました。もっと真剣にならなければと反省いたしました。
 
日本の殉教者の初穂としての聖人がたは、いまこの時も天国から日本のカトリック信者の様子をご覧になられていらっしゃることでしょう。それに彼らは日本人だけではなく、外国人も含まれていたということ、・・・今の日本の状況もたくさんの国籍の方々とともに住んでいます。取次ぎを祈って、永遠の命がカトリックの信仰にとって最も大切なものであるというクレドの真の意味をもっと良く理解する恵みをいただけるようにと祈りました。なぜこの東京の教会が「日本の聖なる殉教者巡回教会」いう名称を御摂理で与えられたかよくわからなかったのですが、少し感じるものがありました、ありがとうございます。

また 午後の公教要理では、7日今日列福されたユスト高山右近のことをお話しいただきました。11歳で洗礼を受けてから62歳にマニラで客死されたユスト高山右近の生涯とその時代背景を初めて知ることができました。ありがとうございました。戦国時代の日本において まるでアシジの聖フランシスコのようにこの世の富と栄誉を捨てた場面のことや、領民たちがカトリック信仰を持つ慈愛深い城主によって幸せになり自分たちもカトリック信仰を選び長くその信仰が子孫に受け継がれたということ、が印象に残りました。そのようなことをこれまで知らなかったので、ユスト高山右近という方の生きざまが本当にカトリック信仰を持つものとしての生き方であったということ、そのような人が日本に生きていたということを知ることができてとてもうれしく思いました。熱病にかかっての死であったとしても、その生涯は迫害を受け続けた長い殉教の信仰生活であったということを感じさせられました。また、時代背景などのお話で プロテスタントが起こった1517年以降のことであるということも、プロテスタントの国との外交上のことがキリシタン禁令など どれほど影響したのかということもすこし推察することができました。ありがとうございました。

パードレの当て字として使われた伴天連という言葉は「天国に連れて行ってくださるかた・伴ってくださるかた」という意味になるよい当て字とのこと 当時のカトリック信仰がどのようなものか少し伺われたように思います。ファチマのマリア様は 天国に行くことがこの世に生まれて生きる目的であることを 三人の子供たちに思い出させてくださり そして聖寵により深く強く望ませてくださった と教わりました。あの16世紀の日本においてカトリックの信仰が身分の高い人にも庶民においても広まったのは、永遠の命を与えてくださる御方のことをパードレたちが命を懸けて熱心に述べ伝えたからなのでしょうか。また 日本二十六聖人殉教者・福者高山右近の聖人たちは 今この聖なる日本の殉教者巡回教会で与るミサと全く同じミサに 与っておられたのでしょうか。そして当時のカテキズムは 聖ピオ10世教皇様の公教要理と同じ内容なのでしょうか。

至聖なるイエズス様の聖心と汚れなき聖母マリア様の御心により頼み、私も聖なる望みを持つことができますよう お祈りいたしました。

デオ・グラチアス!
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