Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

第二バチカン公会議についての疑問および問題点:真理の宗教? それとも偽りの宗教?

2007年06月21日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

■ 真理の宗教? それとも偽りの宗教?

1- 『信教の自由に関する宣言』 3
「実際、宗教の実践は、その性質上、第一に、人間が自分を神に関係づける任意で自由な内的行為にある。このような行為は、単なる人間的権力によって命じられたり、妨げられたりしてはならない。」

【疑問点 8】 「宗教の実践」という表現を通して第二バチカン公会議は、カトリック宗教の諸々の行為の外に、他の諸宗教の行為をも暗に指しているのか。もしそうであれば、第二バチカン公会議は、諸々の誤った宗教の「内的行為」によって「人間は自らを天主に関係づける」と教えているのか。もしそうなら、かかる主張は諸教皇による宗教無差別主義の排斥から免れ得るのか。


2-『信教の自由に関する宣言』 4
「さらに、宗教団体が、社会に秩序を立て、人間の全行動に活力を与えるために、その教義の特殊な力を自由に発揮することを妨げられないことも、信教の自由に属している。」

【疑問点 9】 これらの「宗教団体」の内に、カトリック教会の他にプロテスタント諸宗派、イスラム教の各派、仏教、統一協会をはじめとする種々のセクト 、フリーメーソン等々をも数えるべきなのか。もしそうなら、第二バチカン公会議は、これらの誤った宗教が説く教えの「顕著な効力」を認めているのか。つまり、人々の霊魂から恩寵を奪い(プロテスタント)、聖戦と不道徳とをいたる所に蒔き広げる(イスラム教)諸々の民を怠惰と無活動に陥らせ(仏教)、道を誤る者らを真の教会から遠ざける(種々のセクト)「特殊な力」を。


3-『信教の自由に関する宣言』 4
「したがって、このような団体は、正当な治安の要求が傷つけられない限り、・・・ 最高の神を公に礼拝する ・・・自由を享有する権利を持っている。」

【疑問点 10】 「最高の神を公に礼拝する」ことは、カトリック教の他に、プロテスタント教、ユダヤ教、イスラム教、さらには仏教、アニミズム、フリーメーソン等々の礼拝をも指すのか。もし、そうであるとすれば、第二バチカン公会議は、これらの礼拝がおよそ「真の天主に対する不適当な礼拝」もしくは「偽りの天主に対する礼拝」ではない、と主張するのか。言葉を換えて言えば、公会議は天主が偽りの信教、礼拝によって正当に崇敬され得ると教えているのか。


4-『信教の自由に関する宣言』 6
「人間の不可侵の権利を保護し、増進することは、本質的にすべての公権の義務である。したがって、公権は、正しい法律と他の適切な手段によって、効果的にすべての市民の信教の自由を保護し、宗教生活を助長するために有利な条件を作る必要がある。それは市民が真に信教の権利を行使し、その義務を果たし、また社会自体も、神とその意志とに対する人間の忠実さによってもたらされる正義と平和の恩恵を享受することができるようにするためである。」

【疑問点 11】
「宗教生活」ならびに「(宗教上の)義務」という言葉は、カトリック教の活動の他に、諸々の誤った宗教の活動をも同様に意味しているのか。もしそうなら、第二バチカン公会議は、(たとえ善意からであれ)自らの信奉する宗教が教える誤謬に固執する、誤った宗教の信者が「天主とその意志とに対して忠実」であると主張しているのか。


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