Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

【参考資料】ベネディクト十六世の自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム 』の日本語訳

2007年07月14日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
 参考資料として、ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳を紹介します。

 この日本語を作成に当たりブログ「カトリック的」さんの極めて良くこなれたセンスの良い日本語訳を参考にさせて頂いたことを感謝して記したいと思います。

 日本語を訳すに当たってラテン語の表現をできるだけに大切にしながら訳すことにしました。カトリック教会では、聖人や歴代教皇の名前を日本語にする場合、ヘブライ語系の固有名詞など一部の例外を除いて、奪格で音を写しますので、それに従いました。


自発的に与えられた
ベネディクト十六世教皇の使徒書簡
『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』


 現代に至るまで常に諸教皇の配慮であったことは(SUMMORUM PONTIFICUM cura ad hoc tempus usque semper fuit)、「主の聖名の賛美と栄光のため」また「主の聖なる全教会の利益のため」にキリストの教会が天主の御稜威にふさわしい礼拝を捧げることができるようにとの気遣いである。

 いつ始まったかも分からない昔から将来に至るまで守られなければならない原理は「信仰の教義や秘蹟のしるしに関することのみならず、使徒から継続して伝えられた聖伝から普遍的に受けいれられた習慣 (usus) に関することさえもそれぞれの地方教会が普遍教会と調和を取らなければならない、そのような習慣は、誤謬を避けるためのみならず、信仰の完全性を伝えるためにも守らなければならない、何故なら教会の祈りの規範はその信仰の規範に対応するからである」(1)ということである。

 このような然るべき気遣いを払った教皇たちのうち、大聖グレゴリオの名前はとりわけ抜きん出ている。彼はヨーロッパの新しい人民たちに、カトリック信仰およびローマ人たちによって以前の時代に蓄積された礼拝の宝かつ文化が伝えられるようにと配慮した。彼は、ミサ聖祭と聖務日課の聖なる典礼の形式が、ローマにおいて執行されている通りに定義され保存されるように命じた。彼は、聖ベネディクトの規律の下で生活する修道士および修道女を最大に促進した。その生活においては、福音を宣教することによると同時に更に救いをもたらす規律のかの命題「天主の御業(=聖務日課と典礼のこと)よりも優るものがないように」ということを自分たちの生活によって、彼らは示した。このような方法でローマの慣習に従う聖なる典礼は信仰と敬虔のみならず多くの民族の文化を豊饒にした。またラテン典礼は教会の様々な形式においてキリスト教時代のいつの時でも霊的生活において極めて多くの聖人達を生みだし、そして同時にかくも多くの民族を宗教の徳において強めまた彼らの敬虔を豊かにしたことが認められている。

 聖なる典礼がこの権能をより効果的に発揮することができるように、その他の多くのローマ教皇たちは長い歴史の間、特別の注意を払ってきた。それらの教皇たちの中でも抜きん出ているのが聖ピオ五世であり、彼は多くの司牧的努力をもって、トリエント公会議の勧告を受けて、全教会の礼拝を刷新し、改正され「教父たちの規律に基づいて復興された」様々な典礼書を出版するように注意しそれらをラテン教会の使用のために与えた。

 ローマ典礼様式の典礼書の中でもローマ・ミサ典書が明らかに優位に立つ。これはローマ市で発展し長い世紀にわたって徐々に形を取ったが、その形は最近それが持っていた形と極めて似ている。

 「この同じ目的のために歴代のローマ教皇たちは、その後数世紀にわたり、典礼様式や典礼書を新しい時代に合わせて定めた。そしてその後、今世紀の初めから教皇たちはより一般な改革(redintegratio)に手を付けた」(2) 私の先任者たちであるクレメンテ八世、ウルバノ八世、聖ピオ十世 (3)、ベネディクト十五世、ピオ十二世、そして福者ヨハネ二十三世たちもこのように行動した。

 つい最近では、第二バチカン公会議が天主の礼拝にふさわしい奉仕(observantia)と崇敬とが再び復興し現代の必要性に適応するようにという望みを表明した。この望みに動かされ、私の先任者であるパウロ六世教皇は1970年に復興され一部革新した典礼書をラテン教会のために認可した。これらの本は全地で各国語に訳され、司教や司祭そして信徒たちによって喜んで受け入れられた。ヨハネ・パウロ二世は、ローマ・ミサ典書の第三版規範版を認可した。このようにローマ教皇は「この典礼という建物のようなものが・・・もう一度尊厳と調和(concinnitas)によって輝かしく」(4) 現れ出るように働いた。

 一部の地域ではしかしながら少なくない信徒たちが、自分たちの文化と精神とにかくも深く染み込んだ以前の典礼の形式に、多くの愛と愛情をもって執着し、そして執着し続けた。そこでヨハネ・パウロ二世は、これらの信徒たちの司牧の世話に動かされ、1984年に典礼聖省によって発布された特別許可「クヮットゥオル・アビンク・アンノス(Quattuor abhinc annos)」で、福者ヨハネ二十三世が1962年に出版したローマ・ミサ典書を使う許可を与えた。1988年にヨハネ・パウロ二世はもう一度、自発的に与えられた使徒書簡「エクレジア・デイ(Ecclesia Dei)」で、これを求める全ての信徒たちのために、このような許可を広く寛大に与えるようにと司教たちに勧告した。

 これらの信徒たちの絶え間ない願いを私の先任者ヨハネ・パウロ二世はすでに熟考しており、私は2006年3月23日に枢機卿会議で枢機卿たちの意見を聞き、全てのことをよく熟考した上で、聖霊を呼び求めつつ、天主の御助けに信頼しながら、この使徒書簡において次のことを発布する(Decernimus)。

第一条 
 パウロ六世によって公布されたローマ・ミサ典書は、ラテン典礼様式に属するカトリック教会における「Lex orandi(祈りの法)」の通常の表現である。一方、聖ピオ五世によって公布され福者ヨハネ二十三世によって改訂されたローマ・ミサ典書は、教会の同じ「Lex orandi」の特別の表現であると見なされる(habeatur)。そしてその敬うべきまた古代からの使用のゆえに当然の敬意が払われなければならない。教会の「Lex orandi」におけるこれら二つの表現は、決して教会の「Lex credendi(信仰の法)」を分裂させるものではない。実のところ、これらは唯一のローマ典礼様式の二つの執行方法である。
 それゆえ、福者ヨハネ二十三世が1962年に公布した且つ決して廃止されていないローマ・ミサ典書の規範版に従ったミサ聖祭の犠牲(いけにえ)を教会の典礼の特別形式として献げることは許されている。このミサ典書を使用するために以前の文書『Quattuor abhinc annos』と『Ecclesia Dei』で定められた条件に替えて、以下の通り定める。

第二条
 会衆の参加しないミサ(Missa sine populo)において、ラテン典礼様式に属するすべてのカトリック司祭は、在俗・修道を問わず、復活の聖なる三日間を除き、いかなる日においても、福者ヨハネ二十三世によって1962年に出版されたローマ・ミサ典書またはパウロ六世によって1970年に公布されたローマ・ミサ典書を使用することができる。その挙行に当たっては、どちらのミサ典書を用いるにせよ、司祭は使徒座からも教区長からも許可を得る必要はない。

第三条
 聖座または教区の管轄下にある、奉献生活の修道会および使徒的生活の修道会における共同体が、彼らの固有の聖堂で、修道会ないし共同体の祭儀のために1962年に公布されたローマ・ミサ典書の規範版に従ってミサを献げることを望むなら、そのようにすることができる。個々の共同体または修道会ないし団体の全体が、その祭式を頻繁に、継続的に、もしくは永続的に挙行することを望むのであれば、その決定は、法に従いまた彼ら独自の会憲ないし会則に従い、長上らによってなされる。

第四条
 第二条で言及されたミサの祭儀には、――法のすべての規定に従って――自分の意志によって参加を求める場合、信者が参加することができる。

第五条
第一項 小教区 (paroecia) において、従来の典礼の伝統を支持する信者の集団がある場合には、彼らの主任司祭 (parochus) は1962年に出版されたローマ・ミサ典書の典礼様式に従ったミサを献げるという彼らの要求を喜んで受け入れるべきである。彼は、教会法392条に則り司教の指導の下で、不一致を避け全教会の統一性を堅持して、そのような信者の福祉が小教区における通常の司牧的配慮とも調和するということに注意するべきである。

第二項 福者ヨハネ二十三世のミサ典書に従う祭儀は、平日に挙行することができる。主日および祝日においても、そのような祭儀を一回挙行することができる。

第三項 信者や司祭が要求すれば、主任司祭は、婚姻、葬儀、または巡礼など種々の機会の特別な祭儀のために、この特別形式の祭儀を許可すべきである。

第四項 福者ヨハネ二十三世のミサ典書を使用する司祭は、ふさわしくなければならないし、法的に障害があってはならない。

第五項 小教区もしくは修道会に属さない教会においては、上述の許可を与えるのは教会管理司祭 (Rector ecclesiae) の務めである。


第六条
 会衆が参加するミサ(Missa cum populo)が福者ヨハネ二十三世のミサ典書に従って献げられる場合、使徒座の認可を得た翻訳を用いて、聖書朗読を各国語で行うことができる。

第七条
 第五条 第一項で言及された信者の集団が、司牧者に要求を満たしてもらえない場合、かれらは教区司教に通報すべきである。司教は、彼らの願いを実現するよう強く求められている。もし彼がそのような祭儀の挙行を手配することができないのであれば、その問題は教皇庁立「エクレジア・デイ」委員会へ委託されるべきである。

第八条 司教が、そのような要求を満たしたいと望みながら、様々な理由によって不可能である場合、助言と援助を得るために問題を「エクレジア・デイ」委員会へ委託することができる。

第九条
第一項 主任司祭は、あらゆる側面を慎重に検討し、霊魂の善のために必要と思われるのであれば、洗礼、婚姻、改悛、病者の塗油の秘跡の執行に際して以前の典礼を用いる許可を与えることができる。

第二項 霊魂の善のために必要と思われるのであれば、教区長には、以前のローマ司教儀式書を用いて堅振の秘跡を授ける権限が与えられている。

第三項 上級品級を受けた聖職者は福者ヨハネ二十三世によって1962年に公布されたローマ聖務日課書を用いることができる。


第十条 教区長(Ordinarius loci)は適切と思われる場合、教会法518条に則って、ローマ典礼の古来の形式に従う属人小教区を設立することができる、あるいは法のすべての規定を遵守して、聖堂付司祭を任命することができる。

第十一条 
 ヨハネ・パウロ二世によって1988年に設立された「エクレジア・デイ」(5) 委員会は、自分の権能を遂行し続ける。同委員会はローマ教皇がそれに帰属させることを望む形と職務と運営規定を持つ。

第十二条
 同「エクレジア・デイ」委員会は、現在享受している権能の他に、上記の遵守と適応を監督する聖座の権威を行使する。


 この自発的に与える使徒書簡によって私が決定したことは全て、これに反するいかなる以前の規定にもかかわらず、今年の9月14日、聖十字架称揚の祝日から適用され制裁されると命ずる。

ローマ、聖ペトロのかたわらにて
2007年7月7日、
私の教皇職第三年に

教皇ベネディクト十六世

(1) 2002年第三版ローマ・ミサ典書総則 397番
(2) ヨハネ・パウロ二世、1988年12月4日の使徒書簡 "Vicesimus quintus annus," : AAS 81 (1989), 899.
(3) 同上
(4) 聖ピオ十世、1913年10月23日の自発使徒書簡 "Abhinc duos annos," : AAS 5 (1913), 449-450; ヨハネ・パウロ二世使徒書簡 "Vicesimus quintus annus," 3 番: AAS 81 (1989), 899. 参照
(5) ヨハネ・パウロ二世、1988年7月2日の自発使徒書簡 "Ecclesia Dei," : AAS 80 (1988), 1498. 参照

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LITTERAE APOSTOLICAE
MOTU PROPRIO DATAE
BENEDICTUS XVI
SUMMORUM PONTIFICUM



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1 コメント

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教皇様の「急がば回れ」 (M.C.)
2007-07-22 23:29:04
ラッツィンガー枢機卿の時代からその傾向があるのだが、周囲からは一見「もっとストレートな攻め方をすればいいのでは」と「もどかしさ」を感じる議論の進め方をされることがある。遠回し(または婉曲)に議論を進めるのを好むやり方は学者としてのセンスなのかもしれないし、あるいはローマ・クリアで長い年月を過ごすうち身につけた処世術なのだろう。夏期休暇の直前に自発使徒書簡を発してその反響をじっくりと確認するインターバルの取り方など、実はなかなかの「喧嘩上手」でもあられる。とにもかくにも教皇様は聖伝のミサの「解放」と聖ピオ十世会との「和解」に向け、着実に歩を進めておられる。さてあまり知られていないが、教皇様が強く望まれておられるもう一つの事柄として教皇ヨハネ・パウロ1世(誤解されがちだが2世ではなく1世の方である)の列福がある。1977年7月にルチアーニ総大司教(ヨハネ・パウロ1世)は、ファチマでシスター・ルチアから教皇になる未来を知らされたが、8月にはドイツのミュンヘンに赴き、ラッツィンガー新大司教に重要な助言を与えた。ここでヨハネ・パウロ1世にスポットライトに当たることは、現代のカトリック教会に、どのような影響を及ぼすことになるのだろうか? 

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