Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2019年 8月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


8月 聖母の被昇天を祝いましょう。
意向:聖母の汚れなき御心の凱旋のため
実践すべき徳:心の柔和と謙遜
守護の聖人:聖母の汚れ無き御心

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2019年 8月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセスEG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 
〒532-0002 (JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

  8月2日(初金)教会博士証聖者司教聖アルフォンソ・デ・リグオリ(3級祝日)白
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月3日(初土) 聖母の土曜日(4級)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月11日(主)聖霊降臨後第9主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月12日(月) 童貞聖クララ(3級祝日)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月18日(主)聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月19日(月) 証聖者聖ヨハネ・ユード(3級祝日)白
          午前6時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図)「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

  8月4日(主)聖霊降臨後第8主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月5日(月)  雪の聖母の大聖堂の奉献(3級祝日)白
          午前7時 ミサ聖祭

  8月18日(主)  聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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“カトリックが左翼化することは我慢できない”

2011年10月29日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 韓国の東亜日報に掲載されたフェレー司教様とのインタビューの記事をご紹介します。韓国の全国版に大きく取り上げられたと言うことで、韓国の方々の関心の深さを物語っているように思われます。その内容については、聖ピオ十世会について正確ではないところもありますが、記者の書いたままを日本語で紹介します。

 


 

“カトリックが左翼化することは我慢できない”

21年間の破門を味わった"聖ピオ十世会"総長のフェレー司教、18年ぶりに韓国訪問
"教会の純粋性を守るために、教皇庁と引き続き対話中"

 

장승윤 記者

最近、国際カトリック世界の"珍しいお客"が韓国を訪れた。 1988年ローマ教皇庁によって破門を味わった聖ピオ十世会(Society of Saint PIUS X · SSPX)の総長ベルナール・フェレー(53才)。 この団体は1971年の設立以来、カトリックの中で、ラテン語のミサを固守するなど、典礼と教理において保守的なグループとされる。 この団体の創設者、マルセル・ルフェーブル大司教は教皇庁の同意なしに、フェレー神父など4人を司教として聖別し、教皇庁は、これらを破門したが2009年にローマ教皇ベネディクト16世がこれを撤回した。

今年7月、中国のある司教は、教皇庁の承認なしに神父を司教に聖別し、二人とも破門されている。2006年には、ザンビアのエマニュエル・ミルリンゴ大司教が結婚や司教聖別の問題でも、破門されたことがあるが、SSPXのように、個人ではないカトリック団体が、教皇庁と対立して破門されたのは異例だ。 この団体は、司祭500余名が、世界約60カ国で、宣教と神学校の運営などの活動をしている。 韓国聖ピオ十世会は、ソウルの忠信洞の聖母無原罪の御宿り聖堂で100余名が参加し、毎週の最後の日曜日、ラテン語でミサをたてている。 韓国SSPXを視察するために訪韓したフェレー司教を23日、帰国の前に会った。

- 今は撤回されたが、破門は、聖職者としての恐怖ではないか。

"(笑い)鴨の羽に水が一滴落ちたかのように何の感じがなかった。 教会の純粋性を守る私たちの信仰の努力が正しい方向だからだ。"

-18年ぶりの訪韓だ。

"戻ってきてうれしい。 韓国には、月に一週間、聖ピオ10世司祭が訪問する。 司祭が常駐すれば成長することができるのが、残念だ。"

- カトリ​​ック・ソウル大教区の人々と会う機会があったのか。
"訪問期間が短く会うことができなかった。"

- ローマとの対立の理由は何か。
"二つの面がある。 まず、私たちが、ローマの同意なしに司教聖別を行ったからだ。 二つ目は、第二バチカン公会議(1962~65)だ。 第二バチカン公会議は、教会内に大きな変化をもたらしたが、私たちは、これらの変化が正しくないと考える。"

- 現実に合わせて自国語のミサと典礼などを認めた第二バチカン公会議は、肯定的に評価されている。 教会の解放性と開かれた姿勢が悪いのか。
"もちろん、教会は、カトリックを信じていない人々ともこの世界で平和に住まなければならない。 しかし、カトリックが唯一の真の宗教であることを言わないのは悪いことだ。"

- イタリアのアシジで教皇が参加する中で、"世界宗教の平和のための大会"(27、28日)が開かれる。 韓国の曹渓宗の院長も出席する。
"自然的な人間のレベルでは、多宗教間の平和に住まなければならない。 しかし、信仰の次元で、カトリックだけが真実であることを隠してどのように一致を達成できるか? これは誤りだ。"

現在、教皇庁は、破門は撤回したが、完全に一致以前にSSPXの法的地位は認められないという立場だ。 これにより、双方は司祭叙階など、さまざまな問題について対話を交わしている。 教皇の傾向に応じて、SSPXの位置づけが変わったりもした。 ヨハネ・パウロ2世は彼らを破門した一方で、保守的に評価されるベネディクト16世は、これを撤回した。

- 司祭叙階問題の結論は...。
"今、ローマで、私たちに解決策を提示しており、対話が進行中だ。 しかし、ローマの、非常に進歩的な聖職者たちは、カトリック教会の左翼化するのを望んでいる。我々はこれを我慢できない。"

김갑식 기자



“가톨릭이 좌파로 가는 건 참을 수 없다”

21년간 파문당했던 ‘성 비오 10세회’ 수장 필레 주교, 18년 만에 한국 찾아
“교회 순수성 지키기 위해 교황청과 계속 대화중”

장승윤 기자

최근 국제 가톨릭계의 ‘진객(珍客)’이 한국을 찾았다. 1988년 로마 교황청에 의해 파문(破門)당했던 성 비오10세회(Society of Saint PIUS X·SSPX) 수장 버나드 필레 주교(53·사진). 이 단체는 1971년 설립 이후 가톨릭 내에서 라틴어 미사를 고수하는 등 전례와 교리에서 보수적인 그룹으로 꼽힌다. 이 단체의 창시자 마르셀 르페브르 대주교가 교황청의 동의 없이 필레 신부 등 4명을 주교로 서품하자 교황청은 이들을 파문했고 2009년 교황 베네딕토 16세가 이를 철회했다.

올 7월 중국의 한 주교가 교황청의 승인 없이 신부를 주교로 서품해 두 사람 모두 파문됐고, 2006년에는 잠비아 에마뉘엘 밀링고 대주교가 결혼과 주교 서품 문제로 역시 파문된 바 있지만 SSPX처럼 개인이 아닌 가톨릭 단체가 교황청과 대립해 파문당한 것은 드문 일이다. 이 단체는 사제 500여 명이 세계 60여 개국에서 선교와 신학교 운영 등의 활동을 하고 있다. 한국 성 비오10세회는 서울 충신동 성모무염시태 성당에서 100여 명이 참석해 매주 마지막 일요일 라틴어로 미사를 올리고 있다. 한국 SSPX를 둘러보기 위해 방한한 필레 주교를 23일 귀국에 앞서 만났다.

―지금은 철회됐다지만 파문은 성직자로서 공포 아닌가.

“(웃음) 오리의 깃털에 물이 한 방울 떨어진 것처럼 아무런 느낌이 없었다. 교회의 순수성을 지키는 우리의 신앙적 노력이 올바른 방향이기 때문이다.”

―18년 만의 방한이다.

“다시 와서 기쁘다. 한국에는 한 달에 한 주씩 성 비오10세 사제가 방문한다. 사제가 항상 같이 있어야 성장할 수 있는데 아쉽다.” ―천주교 서울대교구 인사들과 만날 기회가 있었나.

“방문 기간이 짧아 만나지 못했다.”

―로마와의 갈등 이유는 무엇인가.

“두 가지 면이 있다. 우선, 우리가 로마의 동의 없이 주교 서품을 시행한 것 때문이다. 두 번째는 제2차 바티칸 공의회(1962∼65)다. 제2차 바티칸 공의회는 교회 내에 큰 변화를 초래했지만 우리는 이 변화가 맞지 않는다고 생각한다.”

―현실에 맞는 자국어 미사와 전례 등을 인정한 제2차 바티칸 공의회는 긍정적으로 평가받고 있다. 교회의 개방성과 열린 자세가 나쁜 것인가.

“물론 교회는 가톨릭을 믿지 않는 사람과도 세상에서 평화롭게 살아야 한다. 그러나 가톨릭이 단 하나의 참종교라는 것을 말하지 않는 것은 나쁜 일이다.”

―이탈리아 아시시에서 교황이 참석한 가운데 ‘세계 종교 평화를 위한 대회’(27, 28일)가 열린다. 한국 조계종의 원장 스님도 참석하고 있다.

“자연적인 인간 차원에서는 다종교 간에 평화롭게 살아야 한다. 그러나 믿음의 차원에서 가톨릭만이 진리라는 것을 감추고 어떻게 일치를 이룰 수 있나? 이것은 잘못된 일이다.”

현재 교황청은 파문은 철회했지만 완전한 일치 이전에 SSPX의 법적 지위는 인정할 수 없다는 입장이다. 이에 따라 양측은 사제 서품 등 다양한 문제에 관해 대화를 나누고 있다. 교황의 성향에 따라 SSPX의 입지가 바뀌기도 했다. 요한 바오로 2세는 이들을 파문한 반면 보수적으로 평가받는 베네딕토 16세는 이를 철회했다.

―사제 서품 문제의 결론은….

“지금 로마에서 우리에게 해법을 제시하고 있고 대화가 진행 중이다. 그러나 로마의 매우 진보적인 성직자들은 가톨릭교회가 좌파로 가길 원한다. 우리는 이를 참을 수 없다.”

김갑식 기자

 

コメント (1)

カトリック教会の信仰の遺産 完全に守り通すこと '韓国訪問' 聖ピオ十世会 総長ベルナール・フェレー司教

2011年10月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言

アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 京畿日報に載ったフェレー司教に関する記事を紹介します。記事をそのまま日本語に訳してみます。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



カトリック教会の信仰の遺産 完全に守り通すこと
'韓国訪問' 聖ピオ十世会 総長ベルナール・フェレー司教

2011年 10月 25日 (火) 강현숙 記者 mom1209@ekgib.com

   

ローマ・カトリック聖伝のラテン語ミサと教理を守る聖ピオ十世会の総長ベルナール・フェレー司教(53歳・スイス出身)が、22-24日、韓国を訪問した。
昨22日午前に為されたインタビューにてフェレー司教は韓国人たちにはよく知られていない聖ピオ十世会に関して「ローマ・カトリックは1965年第二バチカン公会議を開いて、ミサにおいてラテン語の代わりに各国語を使用しい、各地域の伝統と慣習に合わせて典礼を実行することを許可したが、聖ピオ十世会は、第二バチカン公会議の典礼改革に反発し、フランス人大司教であるルフェーブル大司教が1970年に創立した修道会により、ラテン語ミサと教理を固守している」と紹介した。
更に、フェレー司教は、"聖ピオ十世会は、本部があるスイスをはじめ、フランス、ドイツ、オーストリア、イギリス、イタリアなどヨーロッパ地域やアメリカ、オーストラリア、アジア、アフリカ、南米、カナダなどに管区を置き、アジア管区には、韓国をはじめ、日本、香港、フィリピン、インド、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどが所属している"と説明した。
フェレー司教は、また"全世界35ヶ国に550余名の司祭が活動しており、フランス、ドイツ、スイス、米国、アルゼンチン、オーストラリアでは6つの国際神学校を運営し、ローマカトリック教会が常に信じ、愛し、実践してきたことをそのまま信じ愛し実践している"と付け加えた。

ラテン語ミサ・教理を固守
霊的生活の重要性強調

いまだにラテン語ミサを固執する理由を尋ねると、フェレー司教は"教皇パウロ6世は1969年に新しいミサを公表することはしたが、この書簡のラテン語原文のどこにも、新しい様式を使用しなければならないとは言っておらず、ただ新しい部分を導入しても良いという自由を与えただけで、いかなる司祭にも新しいミサを捧げなければならない義務は全くない"とし、"ラテン語の使用は、カトリック教会の信仰の遺産を完全に守るためのもので、宗教は、ファッション(流行)の上にあるものであることを明確に知らなければならない"と述べた。

最後に、フェレー司教は"宗教の第一の目的は、人間を天国に導くことであって、世俗のことに愛着せずに霊的なことを大切にして人生を生きなければならない"と助言した。

一方で、1987年に設立された韓国聖ピオ十世会(主任司祭トマス小野田神父)は、ソウル鍾路区忠信洞に所在する聖母の無原罪の御宿り聖堂で、毎月最終日曜日の午前にラテン語ミサをささげており、約100人の信者が活動している。

“카톨릭교회 신앙 유산 온전히 지켜낼 것”
‘한국 방문’ 성비오 10세회 총장 베르나르 필레 주교

2011년 10월 25일 (화) 강현숙 기자 mom1209@ekgib.com

   

로마 가톨릭 전통의 라틴어 미사와 교리를 지켜온 성비오 10세회의 총장인 베르나르 필레 주교(53·스위스)가 22~24일 한국을 공식 방문했다.

지 난 22일 오전 진행된 인터뷰에서 필레 주교는 한국인들에게 조금은 낯선 성비오 10세회에 대해 “로마 가톨릭은 1965년 제2차 바티칸 공의회를 열어 미사에서 라틴어 대신 자국어를 사용하고 각 지역의 전통과 관습에 맞게 전례를 진행하는 것을 허용했는데 성비오 10세회는 제2차 바티칸 공의회의 전례 개혁에 반발, 프랑스 대주교인 르페브르 대주교가 1970년 설립한 수도회로, 라틴어 미사와 교리를 고수하고 있다”고 소개했다.

이어 필레 주교는 “성비오 10세회는 본부가 있는 스위스를 비롯해 프랑스, 독일, 오스트리아, 영국, 이탈리아 등 유럽 지역과 미국, 호주, 아시아, 아프리카, 남미, 캐나다 등에 관구를 두고 있으며 아시아 관구에는 한국을 비롯해 일본, 홍콩, 필리핀, 인도, 싱가포르, 말레이시아, 인도네시아 등이 속해 있다”고 설명했다.

그 는 또 “전 세계 35개국에 550여명의 사제가 활동하고 있으며 프랑스, 독일, 스위스, 미국, 아르헨티나, 호주에 6개 국제 신학교를 운영하고 있고 로마 카톨릭 교회가 늘 믿고 사랑하고 실천해 온 바를 그대로 믿고 사랑하고 실천하고 있다”고 덧붙였다.

라틴어 미사·교리 고수

영적인 삶 중요성 강조

아 직까지 라틴어 미사를 고집하는 이유를 묻자 필레 주교는 “교황 바오로 6세는 1969년 새미사를 공표하기는 했으나 이 서한의 라틴어 원문 어디에서도 새로운 양식을 사용해야 한다고 하지 않았으며 그저 새로운 부분을 도입해도 좋다는 자유를 주었을 뿐, 어떤 사제에게도 새미사를 드려야 할 의무가 전혀 없다”며 “라틴어 사용은 카톨릭교회의 신앙 유산을 온전히 지켜내기 위한 것으로 종교는 패션(유행) 위에 있다는 것을 분명히 알아야 한다”고 말했다.

마지막으로 필레 주교는 “종교의 첫째 목적은 인간을 천당으로 인도하는 것으로 세속적인 것에 연연해 하지 말고 영적인 것을 중요하게 여기는 삶을 살아야 한다”고 조언했다.

한편 1987년 설립된 한국 성비오 10세회(주임신부 토마스 오노다)는 서울 종로구 충신동에 소재한 성모무염시태 성당에서 매월 마지막 일요일 오전 라틴어 미사를 드리고 있으며 100여명의 신자가 활동하고 있다.

강현숙기자 mom1209@ekgib.com
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イエズス様に感謝します

2011年10月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、


 如何お過ごしでしょうか? 愛する兄弟姉妹のしもべは、フェレー司教様とド・カクレ神父様のお供をした後にソウルでクチュール神父様と合流しました。10月25日には、天主様の憐れみで司祭叙階以来、第7000回目の聖伝のミサを叙階式の時の祭服を使ってソウルで立てました。

 26日の夜中にソウルからマニラに戻り、アシジの日は、大斎小斎と一日中の償いの聖体降福式でたくさんお祈りしました。(今日は早く休まないと…。)
 フェレー司教様はソウルで色々な新聞社からインタビューを受けました。まず京畿新聞が、次に今朝は東亜新聞がフェレー司教様のインタビューの内容を記事にしました。天主様に感謝!!


では、愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

日本でもフェレー司教様のお話しが全国紙で紹介される日が早く来ますように!

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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天主様に感謝!! マリア様に感謝!!

2011年10月24日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フェレー司教様は今日ソウルからスイスに戻られました。

 フェレー司教様のアジア訪問について書きたいことは山ほどあります。しかし、それについては後日、パソコンから愛する兄弟姉妹の皆様にお知らせします。(今は、携帯から報告しています。)


 さて、昨日の東京での聖伝のミサについて次のような報告をいただきましたので愛する兄弟姉妹の皆様にお知らせします。

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今日のミサも予定通り執行されました。Couture神父はお説教で今日の聖福音にある王が息子の婚姻に人々を招待するたとえ話についてお話しくださり、特にイエズス様のこのお説教が御受難の数日前に行われたこと、またこのたとえ話が実は世界の歴史の要約となっていること等について解説してくださいました。

ミサの後の祈りの後、Couture神父にAngelusの祈りのメロディーを教えて頂き、皆でお告げの祈りを歌でお捧げしました。

Couture神父を囲んで近くの定食屋でお昼をとった後、2時半頃からCouture神父の講話がありました。講話ではマリア様の全てのお恵みの普遍的仲介者(Universal Mediatrix of All Graces)という称号について、その詳しい内容、第二バチカン公会議の前後における議論等を説明して頂きました。

4時過ぎからは夕べの祈りを捧げて終了しました。

ミサの参列者数
男: 17人(内、子供1人)
女: 13人(内、子供0人)
計: 30人(内、子供1人)

霊的講話の参列者数
計: 14人

夕べの祈りの参列者数
計: 9人

P.S.
今日もCouture神父の講話を聞きながら有志がメダイ(今回は聖ベネディクト)の袋詰め作業を行いました。明日の朝Couture神父の祝福を受けた後、福島県等に送られる予定です。


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アヴェ・マリア!

昨日は先月に引き続いて、クチュール神父様のミサに与る事が出来ました。
天主様に感謝!

お説教も救霊に関する事でとてもためになりました。

その中で27日に行われるだろう教皇様の背教的行為に関しては私も遺憾なので、その償いのために是非断食をしたいと思いますが、正しい断食の仕方をご教示して頂ければと思います。

例えば大斎とは違うようなやり方であれば、1日中断食する覚悟で挑みたいのですが、水を小まめにとることは、断食の行為としてはいかかがでしょうか?
以上よろしくお願いします。

それと来月は小野田神父様は来られますでしょうか?

昨日クチュール神父様がお持ちしたロザリオがありましたが、今まで使っていたロザリオがよく鎖が切れてしまい、何個も買うはめになっています。

今丈夫なロザリオを探しています。

フィリピンでおすすめの丈夫なロザリオがあるのでしたら譲って頂ければと思います。
よろしくお願いします!


質問が多くて恐れいりますが、よろしくお願いします。

会える日を楽しみにしています。

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【御返事】

クチュール神父様のミサに与る事が出来て嬉しく思います。天主様に感謝!

 27日の償いは、大斎をしても良いし、1日中断食するのも良いと思います。但し、自分の身分上の義務を果たすことができないような断食は困ります。

 水を小まめにとることは、断食を中断しません。水分は断食の時も良くとって下さい。よろしくお願いします。

来月は、予定では、シャザル神父様と一緒に私が参ります。

フィリピンで丈夫なロザリオを探してみます。会える日を楽しみにしています。


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トマス小野田神父様

 只今クチュール神父様を空港迄無事に送り届け帰りました。何時もの様に台東区の鳥越神社前を通りましたが、神社前を通過する百メートルほど前で、鳥越の刑場で殉教した30名ほどの日本殉教者たちに十字を切ってプライオリーが日本に創立されますようにと心から祈りました。

 すると面白い事に神父様が聖務日課を一段落して一回十字を切りました。それからちょうどその時信号が赤になり、私たちの車は鳥越神社の左前方の、まさに刑場があったと思われる地点付近で停車しました。

クチュール神父様には、聖務日課の邪魔をしたくないので何も言いませんでしたが、本当に面白い偶然があるものだと思いました。停車中、どうか日本にプライオリーを創立して下さいと日本殉教者たちに念を入れて再度祈りました。

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愛する兄弟姉妹の皆様に心から感謝します!!

 また先ほど連絡があり、「ミサのすべて」という漫画が出来上がったそうです。100部印刷しました。愛する兄弟姉妹の皆様もきっと楽しくミサ聖祭について学ぶことができると思います。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
コメント (4)

天主様に感謝します!!

2011年10月22日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

如何お過ごしでしょうか?

愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、フェレー司教様とド・カクレ神父様と共にソウルに来ています。

 クチュール神父様が今、日本訪問中です。次のような報告をいただきました。天主様に感謝します!!


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+アベマリア!

今日の歌ミサには30人が預かりました。(神父様いれたら31人です)デオグラチアス!(^0^)/

御ミサの後、質問にお答え下さり、聖母マリアの連祷の中からいくつかの祈りの説明をして下さいました。また、その後、マリア様の三つの偉大なタイトルについて教えて頂きました。

すべてを受け入れられたマリア様の偉大さ、今も天国で私達の為お祈り下さる愛、そして天守様からのおめぐみを私達におあたえ下さる良き母の姿を思い、心が熱くなりました。

お忙しい中、日本に来て下さる神父様に感謝するとともに、そのまなざしに父親的な愛と、イエズス様を感じました。御ミサにおいて司祭は、やはり本当にイエズス様なんですね。

 沢山のおめぐみをおとりつぎ下さったマリア様、ありがとうございます!!以上ご報告まで
感謝のうちに

──────────

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
コメント

罪の永遠の結果

2011年10月20日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、


 原発の放射能汚染は、一度起こってしまうと、もはや人間にはどうしようにも手がつけられません。プルトニウムなどが漏れたら大変です。半永久的に放射能に汚染されるからです。たとえばプルトニウムの目に見えない放射能は、ほんの少しで人間の命を奪います。


 今回の原発の事故を見て、罪について思いました。目に見えない罪は、人間の永遠の命を奪います。一度でも、たった一回でも、大罪を犯したら、人間にはどうしようにも手がつけられません。罪の赦しを受けるには、天主の御一人子が人間となって十字架の上で天主の血を全て流さなければなりませんでした。大罪の結果は、永遠の地獄です。罪を赦され、罪が清められるには、人間だけの力では、どうすることもできないからです。


 私たちの主イエズス・キリストよ、我らを憐れみ給え!

イエズスの至聖なる聖心よ、原発の放射能汚染に悩み苦しむ日本を憐れみ給え!

イエズスの至聖なる聖心よ、私たちの罪の赦しと罪の清めと同時に、原発の放射能汚染からの清めを与え給え!

イエズスの至聖なる聖心よ、我らを憐れみ給え!私たちが天主の助けによって、罪を避けて生きることができるように聖寵を与え給え!

イエズスの至聖なる聖心よ、私たちが放射能汚染から守られるように、助け給え!

イエズスの至聖なる聖心よ、私たちが罪を避けて聖なる一生を送ることができるように助け給え!


イエズスの至聖なる聖心よ、私たちが本当の故郷、私たちの本当の祖国である天国にたどり着くことができるように我らを憐れみ給え!

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
コメント (4)

フェレー司教様のマニラ訪問

2011年10月18日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、


 日本はもう秋なのですねぇ。秋の夕日、紅葉、トンボやコオロギ。愛する兄弟姉妹の皆様のことを思いだすと目頭が熱くなったりもします。もう歳ですね。

 ところで、インターネットでは、聖ピオ十世会について、ゴミのような色んな憶測や推測がようです。

 特にヨーロッパやアメリカでそうですが、聖ピオ十世会はカトリック教会の信仰を教えているためにいつ何が行っても不思議ではありません。離婚は罪だ、堕胎は罪だ、男色は罪だ、同性愛は罪だ、とカトリック教会の教えを発言するだけで、ヨーロッパでは、逮捕や投獄さえ覚悟しなければなりません。


 バチカンと聖ピオ十世会との話し合いも、私たちは、全てを覚悟しなければなりません。私たちに出来ることは、天主の助けと共に、カトリック教会の聖伝の信仰を守ることだけです。もしも、バチカンがカトリック信仰を棄てるように要求するなら、私たちは信仰を犠牲にすることはできません。


 バチカンと聖ピオ十世会との2年に亘る神学の話し合いは、私たちにとって第二バチカン公会議の誤謬を深く研究し極める良い機会となりました。第二バチカン公会議の問題点について、私たちは更に考察することができました。このことを天主に感謝します。

 バチカンと聖ピオ十世会とは、第二バチカン公会議の問題点について見解が異なると、同意しました。第二バチカン公会議の問題点について、公式に発言することができ、カトリック教会の信仰の証人になることができ、天主に感謝します。


 天主は変わらないから、真理は変わらないから、イエズス・キリストは変わらないから、私たちはこの変わらない永遠の真理を、天主の聖寵の助けによって、守り続けることを選びます。


 愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、真理を守ること、聖伝の信仰を守ることを選び続けるために全力投球をしているフェレー司教様に感謝します。


 愛する兄弟姉妹の皆様にも、変わらない永遠のカトリックの聖伝の信仰を選ぶ天主の聖寵の助けを乞い求めます。


 私たちも、茨の道、真理の証人の道を歩むことができる聖寵を乞い求めましょう。


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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司教荘厳ミサ

2011年10月18日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 こちらマニラでは、昨日の主日に司教荘厳ミサがありました。フェレー司教様のお話を聞き、説教を聞き、大変興味深いと同時に、聖伝のカトリック信仰を守ろうという固い決意を見て、天主に深く感謝しました。


 良き指導者、良き父を持つとは何というお恵みでしょうか!!カトリック教会の聖伝の信仰の遺産をそのまま受け継ぐことができるとは何というありがたい宝でしょうか!!


 新しいミサの教会では、召命が殆どありません。フランスの司祭の平均年齢は70歳です。司祭一人は50の小教区を持っています。フランスもドイツもベルギーもオーストリアも、カトリック教会は消え行きつつあります。この負の遺産は、あまりにも重苦しくのし掛かっています。もとのように戻すには何十年、何百年の時間が必要とされるでしょう!


 子供たちに遺産を遺すことができるのに敢えて与えない場合、あるいは、負の遺産を遺す場合、何という不幸でしょうか。


 そこで考えました。もしも、もしもある親が、自分の生活水準を維持するため、経済的理由のために、莫大な借金を作って、子供たちは30年経ってようやく借金が半分になるとしたら、60年経ってようやく借金が4分の1になるとしたら、90年経ってようやく8分の1になるとしたら、そんな借金をこしらえた親ははたして良き親なのでしょうか。

 もしも、もしも2万年(!!)経ってようやく借金が半分になるとするなら、あまりにも無責任な話しではないでしょうか?


 私たちはフェレー司教様をはじめ、天主の助けと共に、命懸けで、賢明に、力強く聖伝のカトリック信仰を守ろうと固く決心している指導者たちが与えられたことを感謝します。

 私たちはカトリック教会に聖伝の信仰を求めます。そして信仰は私たちに永遠の命を与えてくれるでしょう。この永遠の命こそ、カトリック教会が天主イエズス・キリストから受けた使命ですから。

主よ、我らを憐れみ給え!

ロザリオの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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フェレー司教様、マニラ到着

2011年10月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今朝、フェレー司教様がマニラに到着しました。愛する兄弟姉妹の皆様のしもべが迎えに出ました。

 午後には、司祭やブラザーたちのために講話をしてくださいました。大変興味深いお話でした。

 愛する兄弟姉妹の皆様には改めてお伝えします。愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第二十三章 労改農場に追放される

2011年10月14日 | カトリックとは
第二十三章 労改農場に追放される

 一九五九年九月二十日に、数人の収監者が、彼らが刑務所の看守の机の上で、特別な訪問に関する何枚かの許可書を見たと、私にささやきました。彼らは、私がすぐ国外に追放されるかもしれないと、私に警告しました。通常、特別な訪問のための許可は、囚人が最後に家族する面会に認められました。多くの囚人は労改農場で死に、決して戻っては来ませんでした。ほとんどの囚人が、訪問者と面会を突きあわせることができましたが、カトリック教徒の囚人は、訪問者に話しかけるときは鉄格子に遮られていました。カトリック教徒だけが、特別な面会の為に許可を必要としまた。このことにより、収監者は許可書の中の一枚が、私のためであると推定しました。彼らは正しかったのです。私は翌日に許可を受け、看守は訪問日が二十四日にあると伝えました。そして、私が労改農場に送られるというので、家族に何を持ってきて欲しいかを尋ねました。私は農場の位置について、聞くことが認められていませんでしたし、私がどこに行くかを見ることは許可されませんでした。収監者が、白湖農場からの監督が到着するのを見たときまで、謎解きは続きました。彼らは、そこが私の残りの刑期の年月を勤める場所になるだろうと私に言いました。

 九月二十四日に、私の二人の年老いたばあやがやって来ました。 私を見たとき、2人は涙を流しました。三番目の兄と私の姉が清海に追放され、最後の訪問に厚い掛け布団を彼らに届けてたと私に告げました。私の入獄中、この二人の忠実なばあやが、私たちに救援物資を届けるために奔走しました。最も親愛なる天主様、彼女たちの愛情と忠誠をありがとうございます。おそらく、彼女たちが私の耳元で、香港にいる母が既に私たちの逮捕に気付いているとささやきましたから、あなたは私たちの事情を想像されたのではないでしょうか。母は肝臓癌にかかっていました。

 最後の訪問の二日後に、看守は私の牢屋に現れ、四日間の食物として四個のパンを私に手渡しました。それは、私が四日間の旅をして農場に送られることを示唆しました。多分、それは安徽省の白湖農場でしょう。短い間の後に、私が他の女性の収監者と共に手錠をかけられ、私の左手がその女性の右手に繋がれた場所である牢屋の扉が開けられました。私たちは、船のドックに運ばれて、貨物船の上に乗せられました。窓の無い船倉に約五百人の女性の収監者と共に入れられ、私たちはすし詰めになって床に座ったり、横にならなければなりませんでした。浴室もトイレもありませんでした。部屋の真ん中に、排泄のための大きい容器がありました。真ん中に着くには、人の体を踏んで行かなければなりませんでした。そして、待ち時間は少なくとも二十分でした。容器は大人数のためにすぐにいっぱいになり、排泄物は溢れて、容器の隣で眠った不幸な人の掛け布団に染みつきました。私たちはそれぞれ、四個の硬くてカビの生えたパンだけを食べました。私はパンを水と一緒に食べたかったのですが、トイレに行くのを避けるために、水分の摂取量を制限するよう努めました。飢え、渇き、そして疲労に加え、ついにはトイレに行く衝動を抑える苦しみを経験しました。文字通り、排泄用の容器に辿り着くには、人体の層の上を這って行かなければなりませんでした。 私は、四日間入浴せずに五百人の収監者と同居するのは、地獄にいることだと説明するより他にありません。

 この生き地獄には、数人のカトリック教徒の親切な行為から来た特別な「芳香」がありました。上海地区の聖心堂から来た約十二人のカトリック教徒の囚人がいました。私は彼らを知りませんでしたが、よく他人に自分より前に排泄用の容器を使わせた一人の女性に気が付きました。私は、彼女の親切なジェスチャーを観察し、彼女がカトリック教徒ではないかと疑いました。私たちは、お互いに自分たちを紹介しました。そして入れ替わりに、彼女は修道女と徐簡谷神父様の妹を含む他のカトリック教徒に、私を紹介しました。彼らはかんしゃくを起こした私を心配し、私が苦しみを天主様に捧げるよう励して下さいました。彼らの助けが無ければ、私は地獄で生活する三日間をやり過ごせたでしょうか?
 私たちは四日目に非常に疲れていました。水は無く、排泄物の容器の余裕も全くありませんでした。私は唇がひび割れている収監者を見ました。隊長が下りてきて、間も無く私たちが卵と他の栄養のある食物を買うことが出来る労改農場に到着するので、それ以上眠らないようにと私たちに言いました。収監者からは、応答が全く来ませんでした。黙った方がましでした。私たちが生きて農場に着くとは、誰も確信が持てませんでした。

 とうとう、私たちは岸辺に到着しました。私たちは、自分たちの荷物を取るのではなく、白湖農場へと歩くように言われました。私たちは暗闇の中を約五キロ歩き、屋根がわらで作られているテラスに着きました。地面に横たわって寝るのに、招待状は必要ありませんでした。私たちが目覚めたとき、私たちは荷物を取りに行くために送られました。それは、労改農場における私の生活の始まりでした。


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ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第二十二章 マクダラのマリアに倣って

2011年10月13日 | カトリックとは
第二十二章 マクダラのマリアに倣って

 私は、カトリック信者となって長くはなかったので、聖書についてあまりよく知りませんでした。しかし、私はマルタとマグダラのマリアの話を知っていました。私の判決の数日後に、私はこの話について考えてみました。彼女の姉マルタが奉仕しているのを助ける代わりに、マリアは、イエズス様の御話を聞くために彼足元に座ることを選びましたが (ルカ 第十章三十九-四十節)。私は、自分の投獄が、ひたすら注意を集中し、イエズス様により近づくようにしたと感じました。私は誇張しているかもしれませんが、投獄されていることはイエズス様を喜ばせているのかもしれません。もし、私がそれをイエズス様の愛ゆえにしたのならば、全ては価値ある物でした。私がイエズス様と共に苦しむように選ばれるという大変な名誉であったのに、なぜ何か心配することが有り得るでしょうか?

 それは約二千年前に起こりました。 イエズス様はファリサイ人の家に招待されました。 香油の入った石膏の壺を保って、実際には罪人であった婦人が来ました。彼女は彼女周り全体を気に掛けませんでした。ファリサイ人は、差別と憎しみに満ちた目で彼女を見ました。この罪人は、なぜイエズス様にやって来たのでしょう? そして、何を求めていたのでしょうか? しかし、マグダラのマリアはたった一つの思いを持っていました。

「私たちの主は善き羊飼いで、私は彼の失われた羊です」
と。何も彼女がイエズス様に近づくのを止めることは出来ませんでした。彼女の罪を許すのは、イエズス様だけでした。彼女は何も言う必要はありませんでした。 愛情を込めて、彼女は、自分の涙でイエズス様の足を洗って自分の髪で拭き、口付けをしました。 そして、彼女は、自分が貴重な軟膏を全部イエズス様の足の上に塗って空にしたことを示すために、大きな音を立てて壺を壊しました。彼女はイエズス様に全てを捧げました。彼女は泣き、自分の罪の為に公けに償いをしました。彼女は私たちの主にすべてを提供しました。
「彼女は多く愛したので、多くの罪が許された」
と、イエズス様は仰せになりました。そして、
「あなたは許されている。信仰があなたを救ったのだ。行きなさい、平和の中に」 (ルカ 第七章四十七-五十節)

  私たちにとって、何と素晴らしい教訓でしょう。
 一九五八年に私が懲役十五年の判決を受けた時、イエズス様にこう語ったのを覚えています。「今、私はマクダラのマリアが壺を壊さなければならなかったように、自分の壺を壊さなければなりません。私は、あなたのために持っている全てを注がなければなりません。あなたの私への愛はとても素晴らしいです! あなたは十字架の上で私のために死にさえしました。私はどうしたら、あなたを十分に愛することが出来ますか?」 愛は愛によって返されるべきです。私が、ユダが自分にこう囁くのを聞いたように思えました。
「あなたはまだ若い。あなたは、教会のためにいろいろな事が出来ます。なぜ、刑務所に留まるのですか? あなたの父は大金持ちです。なぜ遺産を得て、貧乏人に寄付しないのですか?」

 あらゆる邪悪な誘惑は、似通っていました。それは良いように聞こえましたが、妥協することなく信仰を守るのは、私が最優先することでした。私には、一つの霊魂があります。私は、それを失うために少しの危険も冒すことが出来ませんでした。

 イエズス様は、マリアの心と時間が御自分と共にあることに焦点を当てて、マルタに「マリアは良い方を選んだ」(ルカ 第十章四十二節)
と仰せになりました。これは、彼女の人生で最も良い選択でした。天主様は私に最良なものをお選びになりました。何度か、天主様は私をこの世の虚栄から私を連れ去り、私が天主様だけと共にいることをひたすらお望みになりました。癌患者であることは、私には不運であるように思えましたが、実際は、イエズス様の苦しみを共有するための私の最良の時間でした。イエズス様により近付き、深い愛を以て見つめるのは私の特権でした。過去の罪の苦悩と同様に、身体の苦痛を抱えつつも、私はマリアより祝福されていました。この世で他に何か望むことが有り得るでしょうか?

 今、イエズス様はカルワリオへの道の途中におられます。 使徒の大部分がイエズス様を見捨てているのに、どうして、私が道の途中でその恐ろしい十字架にイエズス様を放っておくことが出来るでしょうか?マクダラのマリアは賢明でした。彼女はキリスト様に従うことを望んでいました。恩寵により、彼女の唯一の方法は、私たちの御母と共にいることであるのとを知ることが出来ました。ええ、自分の話のこの時点で、私はマリア様が自分の人生で何度も多く守って下さったのかが分かります。マリア様は、確実にカルワリオの頂上まで私を的確に導びいて下さるでしょう。

 この世での苦しみは一時的です。十字架への磔の後にしか、御復活はやって来ません。 復活祭の日曜日の朝、「マリア!」という甘い呼び声は、彼女に新たな生活と力を与えました。 (ヨハネ 第二十章十六節)天主様の御慈悲を信じ、彼の愛の内に住まわせて下さい。人生の最後の最後に、「ローズ!」とお呼びになるのを聞き、私がいつまでもあなたの腕の中で平らかに休息するのをお許しになるのをどんなに望んでいることでしょう。

 私は、安徽省にある労改農場で刑に服すよう判決を下されました。そしてこの時、私は別の収監者から、姉が既に七年間の投獄で清海省の労改農場に送られたと聞きました。そこは私のより過酷な場所でした。それは、イエズス様が私は姉より弱かったのを御存じだったからです。


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来年2012 年の秋田巡礼の意向

2011年10月12日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ただ今、マニラでは、明後日の朝マニラにいらっしゃるフェレー司教様の歓迎準備と、レジオ・マリエ第一回国際大会がマニラでしあさっての土曜、主日とあるのでその準備で大変です。

 さて、来年の秋田巡礼ですが、私たちはファチマの聖母マリア様、秋田のマリア様のメッセージを受け止め、私たち日本民族がこの地上の面から消え失せてしまわないように、償いの巡礼を行います。

 特に、1974年6月にシスター笹川が見た夢でのエキュメニズムに対する警告を前向きに受け止めて、アシジのエキュメニズム集会に対する警告だと深く理解します。そこで、来年の秋田巡礼はエキュメニズム集会の躓きを償うために特に捧げたいと思います。愛する兄弟姉妹の皆様の多くの参加を期待します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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福島の合唱団の方々の歌うラテン語聖歌

2011年10月12日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 昨日で、今年の3月11日に起こった東日本の大震災から7ヶ月がたちました。多くの方が未だに苦しまれていることに思いを馳せざるを得ません。

 長崎に原爆が投下された1945年8月9日の真夜中ごろ、長崎大学病院放射線科の小笹富子看護婦たちは、ラテン語で聖歌を歌っている女声合唱を聞きました。

「苦悶の中で絶命したに違いない27人の修道女たちは、近くを流れる小川のほとりで身を寄せ合い、歌いながらこの世から去っていったのでした。」(ポール・グリン『長崎の歌』260ページ)

「その夜、一晩中美しいラテン語の讃美歌の合唱がとぎれとぎれに聞こえてきました。夜が明けてみると、学園の運動場の草むらの中に、7、8人の修道女がひとかたまりになって、手を取り合い冷たくなっていた」(瓊浦女学校『白夾竹桃の下』田崎光枝)。

 長崎純心聖母会の初代学園長であるシスター江角ヤスは、空襲が激しくなったころから毎日校内全員に聖歌を合唱させていたそうです。彼女たちは歌い慣れた聖歌「み母マリア 身も心も とこしなえに 献げまつる」を一節一節歌いながら励ましあい続けて死んでいったのです。

 ところで、福島の方々が、ラテン語で聖歌を歌っている動画のことをクチュール神父様から教えていただきましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。ここで聖歌を歌っている生徒の方々、市民の方々、合唱団の方々が、今回の震災から逃れて安全であっていらっしゃることを心からお祈りします。


O magnum mysterium(Pierre Villette)


Ave Regina Coelorum  福島県立安積女子高等学校


FMC混声合唱団
G.P. da Palestrina"Hymni totitus anni" よりConditor alme siderum


Victoria ; Jesum tradidit impius
(Aizu High School Male Chorus Club) 会津高校合唱団


FMC混声合唱団 
Ildebrando Pizzetti "Messe di Requiem" より "Agnus Dei , Libera me"



愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第二十一章 天主様の二回目の召喚

2011年10月12日 | カトリックとは
第二十一章 天主様の二回目の召喚

 一九五八年に、いわゆる文化革命のもう一つの波が起き始めました。多くの必須である洗脳を目的とした学習班が近所で設立されました。私は学習班に加わるのを避けるために、最善を尽くしました。しかし、私は近付きつつあるトラブルに不安を感じるのを、止められませんでした。 姉と私はカトリック教徒であり、逮捕は避けられないものでした。それは私たちの番を待つための持久戦でした。私たちは、逮捕がいつになるかを知りませんでしたし、私たちが去った時に誰が家の面倒を見るか分りませんでした。家族は崩壊しました。 私たちが再び一緒になるかどうか、確信が持てませんでした。特に気に掛けていたのは、香港に住んでいる母のことでした。どうして、母が私たちの逮捕という悪い知らせを受け入れることが出来たでしょう? 私たち二人は、刑務所への若干の基本的な必需品を荷造りし、心配しつつ待ちました。ついに、一九五八年九月十二日の午後三時、警官は私たちの家にやって来ました。私たちは用意された包みを取り、ばあやにさよならを言いました。私たちは、ばあやに、母を怖がらせるような悪い知らせを隠すよう頼みました。私たちの二回目の逮捕でした。天主様の二回目の召喚において、私たちが苦しむということを知っていました。

 警官は、姉と私を離れ離れにしました。姉が盧湾区に送られる一方で、私は徐匯区に送られました。裁判はありませんでした。場所と時間について触れられた私たちの犯罪の供述書は、まるで本当の事実であるように、私たちの間にいたスパイによってでっち上げられました。私は三ヵ月後、上海市の牢獄に移りました。私は、信仰を守る最高の方法が投獄されることだと知りつつ、移されました。愛国協会は共産党によって確立され、支配されました。私の以前のカトリック教徒の友人の何人かは共産党に入党し、愛国協会の主任委員となりました。彼らは声高に共産主義のスローガンを言いい、上海の龔品梅司教が多くの若者の心を害した最大の犯罪者であったと訴えました。私はめまいを感じ、いつでも彼らのうそを聞いた時に、私の血圧は上がりました。私を最も傷つけたことは、私の最も尊敬する二人の朱神父様と張希斌神父様を含む多くの聖職者が逮捕されていたと聞いたことです。私は、自分がカトリックの信仰を捨てれば、直ぐに釈放されると言われました。たとえ自分の将来、または人生を終えることになったとしても、私はそうしないと心に決めていました。私は十字架を背負い、天主様の御召に従おうと決心しました。私は、天主様が私に苦しみを与えることを褒め称えました。そして、天主様に特別な天の御恩みを祈願しました。天主様が私にどのような道を用意されたとしても、私は後悔せずに歩きます。

 上海市の提籃橋監獄に到着した数日後、私は裁判無しの刑罰に署名するために、刑務所長の事務室に呼ばれました。看守は、最初に署名し、それから読むようにと私に言いました。彼は、私が懲役十五年を宣告され、私は十日以内に控訴出来ると告げました。それから、私が刑罰について、どう考えているか尋ねました。私は、自分は終身刑を予想していたと言いました。懲役十五年と終身刑には、少しの違いもありませんでした。両方の刑期は、同じように長く見えました。いずれにせよ、心臓病を抱えつつ十五年間生き残ることが出来るのか、私には分りませんでした。私は牢屋に戻り、二十代前半から十五年の間、自分が残りの世界から切り離されることのなったのを理解し始めました。もし、私が天主様にすがらなかったのならば、発狂してしまったことでしょう。

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ローズ胡美玉さんの《楽は苦に在り》 第20章:悪いことは重なる

2011年10月10日 | カトリックとは
第20章:悪いことは重なる

 私には、5人の兄弟がいます。 最も賢かったのは3番目の兄である勵詩でした。 幼少の頃から、彼には文章や話術に独特の才能がありました。 彼が僅か15歳であった時、彼の随筆のいくつかは新聞に掲載されました。彼はその傑出した才能のために、多くの賞を受賞しました。 彼の教師の多くが、遅かれ早かれ彼が有名な詩人か作家になることを確信していると語りました。ですが、天主様には勵詩のための御自身の計画がありました。彼の生涯はとても悲惨であり、それは私の表現能力を遥かに超えていました。

 勵詩のことを考えると、いつでも私の心は痛みます。私は、前の章で姉と私が2番目の逮捕を待っていたと書きましたが、その時間はまだ来ていませんでした。勵詩は輸出入の仕事をしていたので、逮捕されました。1958年に、貿易会社の7人の上海のマネージャーは、皆同時に逮捕されました。彼は、「三反五反運動」のときに「大きな虎」であるというレッテルを貼られ、激しい批判にさらされました。

 1957年の反右派運動の間、勵詩は会合で「私の家は住めば住むほど小さくなり、バスは乗れば乗るほど大きくなる」という不注意な冗談を言いました。 共産主義政府は、彼がその言葉で共産主義を攻撃したと判断しました。殆ど裁判無しに、彼は「右派」と呼ばれ、上海市の近くの農場に労働の為に送られました。 彼の仕事は、上海市から農場までの40キロの距離を、ごみのカートを引いて歩くことでした。

 ある日、私は買い物に行っていました。 突然、見慣れた人物が私の視界に入りました。 この人は誰でしょう? 彼はぼろを纏って麦わら帽子をかぶり、肩には擦り切れた手ぬぐいをかけていました。彼の顔はほこりと汗にまみれていました。 ええ、親愛なる読者よ、それは勵詩でした。私は全く涙を抑えられず、遠くから「兄さん、兄さん!」と彼を呼ぶのを自分自身で止めることが出来ませんでした。彼は振り向いて私を一瞥すると、驚きました。 そして、彼は続けて手を振り始めました。それは、彼が私に話しかけることを許されていないことを意味しました。私は彼を見続けました。 彼は全身の力を込めてカートを引いていました。 生まれて以来、彼は2、3キログラム以上の物を一度も運んだことがありませんでした。 今、彼は2トン以上の悪臭のあるごみを運んで、長距離を歩かなければなりませんでした。 どうしてそのようなことが出来たのでしょう。

 数日後、農場から緊急の電話が来て、勵詩の胃からひどい出血があったと私たちは告げられました。そして、彼は病院に連れて行かれました。 私たち家族は、彼の命を救うために、医療費を払っても構わないと思っていました。 そこで、医師は彼に手術を施し、胃の大部分を切除しました。 それにもかかわらず、二週間後に逮捕されました。 彼のいわゆる犯罪は、企業情報を外国に暴露したことでした。 実際には、輸出入の仕事をする際に、必然的に商品の情報を交換しなければなりませんでした。

 勵詩は逮捕されたとき、2人の息子と2人の娘を残しました。 彼の妻は彼と試練を共にすることを望んでいませんでした。そして、彼らは離婚しました。姉と私は子供の世話をするべきでしたが、私たちはまだ自分自身の未来を知っていませんでした。私たちは、囚人の収容所が私たちの場となることを予想しました。そのうえ、私たちは、どうしたら母からこの悪いニュースを隠せるか考えられませんでした。2週間後の1958年9月12日、姉と私は再び逮捕されました。4人の子どもと2人の乳母を残し、家族全体は完全に破壊されました。嵐は非常に激しかったのですが、イエズス様はうたた寝をしていました。彼は天主様です。彼は、少しずつ私の問題を解決する方法を知っていました。私は、自分自身の役目をこなす他にありませんでした。

 勵詩は禁固15年の判決を下されました。遠くて非常に未開の領域である清海徳令哈農場に、彼は送られました。 最低気温は零下35度で、彼はおよそ20年を過ごしました。彼が末期の胃癌にかかっていたとき、収容所の役人は勵詩を上海に戻しました。ほとんどの人々は、人がどこにいようが共産主義者は監視する権力を持っていたことを知っていました。 上海は大きく忙しい都市でした。それは労働改造所と全く異なっていました。 それにもかかわらず、警察官は全くいませんでしたが、共産主義者は周囲に様々な組織とグループを持っていました。 例えば、町内の組織はすべての居住者により構成されていました。 共産主義者は、家族か隣人を含んで互いに監視するよう皆に求めました。もし、人が共産党に報告するならば、共産主義者への忠誠を示したことになり、そして彼らは報酬を与えられました。 1970年代には、勵詩は再び隣人の標的となりました。

 彼らは、勵詩が死につつあることをとてもよく知っていました。 彼らは私たちの家に来続け、彼が批判闘争を聞いている数時間を立ち続けるよう無理強いしました。死の前日には、彼を蹴ったり、引っ張ったりしました。彼らが去った後、彼は多量の血を吐き出し、病院に送られて救急治療を受けましたが、翌日に亡くなりました。 運よく、私の姪が、亡くなる前に洗礼を授けました。洗礼名はヨゼフでした。勵詩が亡くなったのは1976年7月19日でした。

 数年後、上海の法廷は、裁判官が勵詩に誤まった判決を下していたと宣言した通知書を送って来ました。彼は何も間違ったことをしておらず、また多くの外貨を自分の国にもたらしましたが、その時には彼の人生は終わっていました。彼の死後に間違った刑罰を認めることが、何の役に立つのでしょうか?

 天主様に感謝。そして、天主様の賢明の御恵みにより、私は洗礼者聖ヨハネの死について、何度も黙想しました。 私が聖ヨハネの血なまぐさい死を想像する度に、私の心は震えました。私は何度か天主様に尋ねました。「あなたは全能の天主様です。あなたはラザロを蘇らせました。あなたは未亡人の息子を生き返らせました。なぜ、あなたの聖人であるいとこが首をはねられるのをお許しになるのでしょうか?」 私は天主様の御意志を決して理解することが出来ません。ある日、自分の推理、知識、そして理解がどれ程限られているかに気が付くまでの長年の間、それは心の中で全くの謎でした。私はこの世に関して多くの疑問がありました。 私は、全ての謎を理解出来たのではありませんし、全人類を理解出来たのでもありませんでした。私たちは只の小さい砂粒です。天国に着いて初めて、私たちは、天主様の御意志を完全に理解します。聖ヨハネは天主様の御摂理に協力しました。今日、私たちは、祭壇で聖ヨハネを崇敬します。私の兄勵詩は哀れな罪人でした。天主様は、義にして慈悲深くいらっしゃいます。天国で彼を受け入れたというしるしを私に見せて下さるよう頼みつつ、私はより頻繁に天主様に祈らなければなりません。

 デオ・グラチアス!勵詩の息子は、父親の遺骨をカリフォルニアに運んで来ました。そして、それは近くのフォレストローン共同墓地に埋葬されました。彼の妻、4人の子供と私たち姉妹は、時々彼の墓を訪問することが出来ます。私たちは祈りを通して、彼にある贖宥を得られました。 いつか、私たちが天国で永遠に一緒となり、天主様を褒め称えると私は信じています。

 33年後の現在、私の甥フランシスコ胡運羚 (勵詩の息子)は、自分の父の傍で眠りについています。妻と息子を残して、彼もまた胃癌で亡くなりました。幸いにも、彼は死ぬ前にゴンザレス神父様によって洗礼を授かりました。 私が自分の本の中国語版を書いていた時、誰が私の甥がとても若くして亡くなると知ったでしょう? 天主様の御摂理の前では、私たち人間はとても小さいものです。

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