Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2019年 8月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


8月 聖母の被昇天を祝いましょう。
意向:聖母の汚れなき御心の凱旋のため
実践すべき徳:心の柔和と謙遜
守護の聖人:聖母の汚れ無き御心

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2019年 8月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセスEG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 
〒532-0002 (JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

  8月2日(初金)教会博士証聖者司教聖アルフォンソ・デ・リグオリ(3級祝日)白
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月3日(初土) 聖母の土曜日(4級)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月11日(主)聖霊降臨後第9主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月12日(月) 童貞聖クララ(3級祝日)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月18日(主)聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月19日(月) 証聖者聖ヨハネ・ユード(3級祝日)白
          午前6時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図)「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

  8月4日(主)聖霊降臨後第8主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月5日(月)  雪の聖母の大聖堂の奉献(3級祝日)白
          午前7時 ミサ聖祭

  8月18日(主)  聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 11.4.2. チュールにさらば

2008年02月29日 | ルフェーブル大司教の伝記
チュールにさらば

 残念ながら! 1962年 7月には、聖霊司祭会の総会があった。総会では 7月 26日予想どおりルフェーブル大司教が新任総長に選出された。 5月 14日から 6月 7日まで司教は自分の司教区で堅振の秘蹟を授けに司教区を巡回しており、2,000人以上の子供達と青少年たちにキリストの軍人となる秘蹟を施していた。

 総会が終わると直ちに、すなわち 8月 14日にコレーズに戻って来た。15日にはラカバンで別れの挨拶をし、16日にはボリュウで送別式をした。17日にはチュールの知事と市長に別れのあいさつをして司教座大聖堂参事会 (chapitre cathedral) 及び小教区主任司祭たちのための集まりを開いた。そしてルフェーブル大司教は遂に 8月 18日司教区を去ってパリに赴いた。

 しかし自分の約束を守る彼は、コレーズ出身である教皇インノチェンテ六世 (Innocent VI) 逝去 600周年をの折りにコレーズから来た永遠の都市ローマまでやって来た巡礼団を喜んで迎え入れた。
 ルフェーブル大司教は 8月 29日カステル・ガンドルフォ (Castel Gandolfo) にて彼らのためにヨハネ二十三世の教皇謁見を取りつけた。謁見の終わりに、ルフェーブル司教は巡礼団長であったモンシニョール・モネージェ (Moneger) とともに教皇に近づいてこう言った。

「教皇聖下、聖下は私をチュールに任命されましたが、私は死ぬまでそこで余生を過ごすことになるのだと思っていました。しかしご覧下さい、聖下は私が聖霊司祭会総長に選出されたことを承認なさいました。」

 ヨハネ二十三世は答えていった。
「それがあなたの同僚たちの望みですから、この望みを尊重しなければなりません。」
[1997年4月8日、モンシニョール・モネージェ (Moneger) とのファブリス・デレストル神父との会話より]

 モンシニョール・モネジェ (Moneger) の証言がこの章を締めくくるのに役に立つだろう。巡礼団がローマのオスティエンセ (Ostiense) を去る時、ルフェーブル大司教が別れのあいさつをしに来た。彼らが汽車に乗車する時、お土産をあまりにも多く買いすぎたのだろう或る女性が一人、えっちらおっちら自分のかばんを持って、司教の近くを通った。大司教は彼女かばんを持ってやり、彼女の客車番号を尋ねた。そしてデリケートで親切な愛徳に満ちた態度で、列車の彼女を席まで荷物を運んであげていた。

(第11章 了 第12章に続く)

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【関連記事】
第11章 チュール時代の小さなエピソード

I. 美しく小さい司教区

II. シテ・カトリックと司教

III. 信頼回復

IV. 特別な存在

コメント

聖ピオ十世会 大聖年ローマ巡礼の記念写真(その3 ラテラノ大聖堂にて)

2008年02月28日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 2000年の大聖年に聖ピオ十世会が行ったローマへの巡礼の記念写真をご紹介します。

聖ピオ十世会のローマ巡礼(2000年大聖年)



ラテラノ大聖堂
聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼


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【関連記事】
コメント (3)

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 11.4.1. 「現場の」素晴らしい司教

2008年02月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
IV. 特別な存在


「現場の」素晴らしい司教

 ルフェーブル大司教がその司祭たちと「とても良い関係」を維持していた例を幾つか挙げてみよう。[以下は、1997年4月8日にファブリス・デレストル神父(聖ピオ十世会)が、ブリーヴの元司祭長であったモンシニョール・マルセル・メシニャック(Mgr Marcel MEYSSIGNAC, ancien archipretre de Brive)としたインタビューの内容である]

 二名の信者が疑わしい状況で死亡すると、ブリーヴの小教区司祭が司教館に電話をした。司教はすぐに電話を取りこう言った。

「神父様、あなたは現場にいます。神父様がよく見極め、判断して決めてください。神父様が決めたことはどんな決定でも私は神父様を支持するつもりです。」

 後にその主任司祭はこう言うだろう。
「私は本当に司教様のこの返事に感謝しました。それは現実的であり、司祭が自分の司教から期待する権利がある内容にまさにふさわしいものでした。」

 7月 7日、ルフェーブル大司教はブリーヴの使徒職を自分で見に行く事にした。彼は夕方の約束の時間に到着した。
 主任司祭がルフェーブル大司教に言った。

「モンシニョール、申し訳ありません. アルジェリアから来た難民のための接待と臨時収容所を設立するための会議があるんです。ブリーヴには毎日 2,000名もなる難民が到着しています!」

「そうして下さい! ところで私がこの会議に行っても役に立ちましょうか? そうしたらチュールでも私が同じことをする時のために良い経験となりますから。」

「司教様に来て頂きたかったのですが、そこまでを敢えて申し上げることができませんでした・・・。」

 司教は会議中、熱心に傾聴し、討論の主題に対して適切で控えめながらも現実的で手腕溢れる意見を出した。

 当時、1961年 4月 22日アルジェで起きたクーデターの責任者であった 15人の将軍と高位将校たちが、チュールの刑務所に投獄されていた。

 ルフェーブル大司教は個人的に彼らを面会する事を望み、法務省と内務省に申請した。残念ながら!許可はルフェーブル大司教が司教区を去った後でようやく届いた・・・。という言い方は婉曲的な言い方で、事実は、政府は彼らに会いたい要請した大司教が投獄された将校と面会することはいかなるものでも拒否したのだった。

 ルフェーブル大司教は後にこう書くだろう。
「私が彼らに面会できたら嬉しかっただろう、しかし三人の大臣は私がこれらの英雄と面会するのを拒絶したのです。彼らのいた刑務所は司教館の目の前に見えていたのに。」
[1984年3月15日付のアンドレ・フィグラ(Andre Figueras)への手紙。フィグラは、Les funerailles de l'honneur (1984) という秘密軍事組織を主題とした小説の中で、この司教と将校たちとの会見がもし実現したらどのようなものになったであろうかという想像を描いている。(pp. 137-139)]

 彼の後継者であるドンズ司教(Mgr Donze)は、将校たちと面会できた。しかし会見はうまく行かなかった。何故なら新任司教はほとんど沈黙を守っていたからだった。

 そのときである、マルセル・ルフェーブルは収監者たちのために何かすることができた。チュールにある病院及び刑務所の施設付指導神父はロリ (R. Lory) 神父で、良心的兵役拒否者の軍隊に反対している変わり者の司祭だった。そして 1962年 12月 7日には、サラン (Salan) 及びジュオ (Jouhaud) 将軍たちが到着して、収容されている将校たちの数字が 17人に増えており、これらの将校たちは、実質的に霊的援助を奪われていた。

 ラウル・サラン (Raoul Salan) は、パリにあるサンテ(Sante) 刑務所でイエズス会のジョゼフ・ヴェルネ (Joseph Vernet) 神父が指導した聖イグナチオの霊操を行い「回心」した。[Edmond JOUHAUD, O mon pays perdu, Fayard, 1969, pp. 495 & 513; Helie de SAINT-MARC, Memoires, Les champs de braises, Perrin, 1995 参照]

 サランは、チュールからイエズス会士の友達[Pere Robert-Marie LOUISGRAND] に手紙を書いた。この友人は、この手紙をルフェーブル大司教に転送して伝えた。大司教はドンズ司教を説得して、新任の刑務所付指導神父としてメシニャック (Meyssignac) 神父を任命させた。この司祭は、彼らの残りの収容期間の間、献身的に彼らの面倒を見た。

 メシニャック神父は、ブリーヴの北西部地方(レ・ロジエ Les Rosiers) に新しい教会 (イエズスの聖心教会)を建築する責任を負っていたが、彼は少し難しい立場にあった。何故なら、その町にいる四人の建築家の中には、その誰もそのような建築物を設計する能力が無かったからだ。

 ルフェーブル大司教は、建物を立て替える代替地の現場に視察に来て、十五分の内に、この場所に教会を立てる妥当性の理由を詳細に整理分類した。次に、コルマール (Colmar) の建築家であるジョゼフ・ミュレに頼むことを助言した。ミュレは、既にアフリカの教会を、無料で三十五件も建築デザインしたことのある建築家だった。こうして聖心教会は 1965年に完成し、聖別された。

 公式的なカトリック・アクションに対してあまり乗り気ではなかったにもかかわらず、ルフェーブル大司教は、司教区顧問 (chancelier) であったカノン・ポール・グイグー (Chanoine Paul Gouygou) 神父の説得を受けて、ACGH (男性カトリック・アクション Action catholique generale des hommes) のための教区会議の議長を引き受けることができるように、予定変更を受け入れた。司教は、1962年 6月 24日ユセルで一日中 ACGH の議長を務めた。

 会議の間、彼の講話の主題はもちろん、「祈り、勉強、行動」であり、とりわけ祈ること、教皇たちの回勅を勉強すること、そして何よりも超自然的な行動を薦めた。

 モンシニョール・メシニャックは後にこう言うだろう。
「チュールで私が知り合った八名の司教様たちの中で、本当の司教とは何かという基準に最高に対応していたのが、彼でした。司牧現場では、彼は「素晴らしかった」。たった六ヶ月の間しかチュールの司教でいただけでしたし、司教区にとどまった期間はひっくるめてやっと 31日でした。しかし、彼はチュールにおいて、卓越した現場の司教であり、非凡な存在感をもつ司教でした。---- 私は彼がどうやってそんなに自分の存在感を与えることができたか分かりません ---- そして、自分の司祭たちと非常に親密な司教でした。私はこれが真理だからこう言います。たとえそれが皆を喜ばせることではないとしても、本当のことだから。」

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【関連記事】
第11章 チュール時代の小さなエピソード

I. 美しく小さい司教区

II. シテ・カトリックと司教

III. 信頼回復


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聖伝のカトリック信仰(永遠のローマ) vs 第二バチカン公会議の革新(近代主義のローマ)

2008年02月27日 | 第二バチカン公会議
アヴェ・マリア!

聖伝のカトリック信仰(永遠のローマ) vs 第二バチカン公会議の革新(近代主義のローマ)

愛する兄弟姉妹の皆様、

 私たちは、極めて異常な時代に生きています。

 第二バチカン公会義以来、カトリック信者たちは真理とカギ括弧付きの「従順」(=真理を犠牲にしてまでの追従、本当の従順ではなく見かけ上の「従順」)とのどちらかを選ぶ必要に迫られています。言い換えると、真理を選んだがためにカギ括弧付きの「離教徒」(誤解されて誤って「離教者」と非難される存在)となるべきか、それとも異端となるべきか、との選択です。・・・

 例えば、あるいは、レオ十三世が不可謬権をもって聖公会の叙階の無効性について『アポストリチェ・クーレ』(1896年9月13日)において宣言し既に明らかにされたように英国聖公会の司祭叙階が無効であることを信ずるか、あるいは現今の教会の風潮を信じるか、という選択です。


レオ十三世


 1982年5月29日には、教皇ヨハネ・パウロ二世は、歴代始まって以来カンタベリーのカテドラルで聖公会の典礼に与かり、この異端かつ離教の分派の平信徒の最高長上(Dr. Robert Runcie) とともに王冠を祝福しました。

 この最高長上は、自分のことを「カトリック英国」のカトリックの宣教者であるカンタベリーの聖アウグスチヌスの後継者としてはばからりませんでした。この歓迎の演説を聞いておられた教皇は何の反対もされなかったのです。

The Pope and Runcie prayed together in Canterbury

The visited Canterbury Cathedral on 29 May to say prayers with Robert Runcie

(例えば、バチカン・サイトの COMMON DECLARATION OF POPE JOHN PAUL II AND THE ARCHBISHOP OF CANTERBURY を見よ、「THE ARCHBISHOP OF CANTERBURY」というタイトルを認めている。)


 更に、例えば、マルチン・ルターを Exsurge Domine にて不可謬的に(ex cathedra)排斥したレオ十世を選ぶか、現今の教会の風潮を選ぶかのどちらかです。

レオ十世


 現在の教会では、このドイツの異端者の生誕500周年を祝い、教皇聖下ヨハネ・パウロ2世はその手紙(Letter for the 500th anniversary of the birth of Martin Luther, November 5 1983)の中で、「カトリックとプロテスタントとの学者らの共同の研究により、ルターの深い宗教性が現れてきた。」とはっきり言っています。

John Paul II with the World Council of Churches, Orthodox, Swiss Reformed, Catholic, Lutheran, Methodist

 私たちはまた、聖福音が歴史的に真理を語っていると信じるか、それとも、現今の教会の指針に従い、声高らかにそのことを否定するか、のどちらかです。「聖にして母なる公教会が決定的にかつ絶対的に、常に変わらず肯定して来た」ように聖福音が歴史的に真理であることを認めるべきか、それとも、ユダヤ教徒との宗教関係に関する、教皇庁立委員会が1985年6月24日に発表したように、それを否定するべきなのか、という選択です。聖福音に従い無信仰のユダヤ教を「天主から憎まれたもの」と宣言する聖書を取るか、あるいはユダヤ会堂を歴代最初に訪れた教皇聖下の演説にあるとおりに、無知なるカトリックの「兄」と呼ぶのか、の選択です。


Pope John Paul II visiting a synagogue in Rome in April 1983

John Paul II with  Jewish B'nai B'rith on March 22, 1984

John Paul II with the Trilateral Commission, on April 18, 1983


 あるいは、天主の十戒の最初の戒律である「汝我が前に異国の神々をもつなかれ。」を選ぶか、それとも、アシジのカトリック教会においてなされたように、ひどいことにも、迷信さえも含めた全ての形式の礼拝を認めるべきなのか、という選択です。


アシジの祈祷集会


 この聖寵の満ちみてる新約の時代において、キリストを選ぶか、或いはキリストを否定していながらも真の天主を礼拝しているとうそぶく偽りの礼拝を認めるべきなのか、また、御聖体ランプが灯り、主の現存が明らかなのにもかかわらず、仏像を祭壇に載せることを許し、仏教とがその己の偶像を礼拝するのを認めるべきなのか、の選択です。

On October 27, 1986, with due permission of John Paul II, the Dalai Lama and Tibetan Buddhist monks of his sect placed a small statue of Buddha over the tabernacle of St. Peter Church in Assisi. The statue was encased in a glass cylinder.

 「教会の外に救いなし」とする聖会の教義を信ずるか、それとも、非キリスト教さえも天主への運河であり、救いの手段であり、多神教さえも敬うべしとする今の教会の第二バチカン公会議後の指針に従うべきか、という選択です。

 《異端者》、あるいは/かつ、《破門されたもの》は「カトリック教会の外にいる」のか、それとも、「さまざまなキリスト教と呼ばれる団体」は「深さが」異なるのみで、交わり (communion) の中にいるのか、したがって、これらさまざまな異端の、あるいは/かつ、破門された党派も、「教会(Churches)として、又は、教会的団体(ecclesial comunities)として」「尊敬すべき」なのか、という選択です。

「離教にあらず、破門にあらず」より

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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 11.3.5. 復旧は可能だった

2008年02月27日 | ルフェーブル大司教の伝記
第11章 チュール時代の小さなエピソード

III. 信頼回復


復旧は可能だった

 すべてが失われていたわけではなかった。最も長い間試された伝統的な手段をもう一度使えば良い問題だった。まず司祭たちは地区ごとに新しく再編された。司教は地区長会議でそれを提案した。それは、聖ピオ十世会の未来の小修道院という構想の発芽だった。

 マリアの聖心修道女会という司教区立修道会を支援した。この修道会は、トレニャックの孤児院、健康診療所、小規模の小学校を運営し、病者を訪問したり、小教区の司祭たちを物質的に助けており、大きな奉仕の仕事をしていたので、教区の人々から愛されていた。

 大司教は自分の司祭たちにこう言っていた。
「だが、私たちは彼女たちに召命を送らねばなりません。善良な若い女性たちを識別して送らねばなりません。」

 そこで、いくつかの村をまとめて生徒たちを募集して、カトリック小学校を新たに開校した。通学手段を調達して子供達を集め、親はそれに協力した。司教区の若い司祭たちは再編され、この使徒職において熱情を傾けるやりがいある目標を見出していた。

 低学年がとても有望であった 110人もの生徒がいるユセルの小神学校を維持した。しかし大司教はブリーヴの南にあった大きな使われていない建物に付属小神学校を創立することを望んだ。そこでルフェーブル大司教はこう言っていた。「私は "熱心で正統な教義を学んだ司祭たちを準備する神学校" を再開校する、私はそれを、ブリーヴのサン・タントワン (Saint-Antoine de Brive) が相応しい場所であると思う」と。

 それだけではなく、カトリック家族の青少年たちにとって、そこにいるとまるで「貧しい孤児たち」のように感じられていた公立校から、彼らを引き出すために、ルフェーブル大司教は、チュールにカトリック男子中高等学校を新しく開校する予定であった。これは、リュソン (Lucon) の司教であるアントワン・カゾ (Antoine Cazaux) 司教が送ってくれることに約束したヴァンデー地方の司祭たちの助けを借りてのことだった。

 ルフェーブル大司教はこう言っていた。フランス西部の「教育司祭たち」(vicaires instituteurs)は、多く批判されていたが、それは誤った批判だ、何故なら「このような学校をもってこそ、草の根から福音化を再開することができるからだ。何故なら、カトリック校は、その学校が真にカトリック的であるという条件の下で、福音化の大きな一手段だからだ。そのような教育事業は、子供達に宗教を教え込ませるために天主によって望まれている。」「教会とその宣教の未来は、教育にある、特に自分の言葉と模範とをもって説教する司祭あるいは修道者たちによって運営される学校にある。神学校、修道召命、カトリック的聖家族の未来は、カトリック学校にある。」

 ダカールでそうだったように、チュールでもカトリック教育事業を発展させたい望むことは、「現場の人」であった大司教の健全な現実主義を証明するものであった。

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第11章 チュール時代の小さなエピソード

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II. シテ・カトリックと司教

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聖ピオ十世会 ソウル(韓国)の新しい聖堂にてネリー神父様の荘厳ミサ(2008年2月24日)

2008年02月27日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 フェレー司教様の代理としてネリー神父様が2月16日~19日まで来日されましたが、その後、韓国にも行かれ、2月24日主日にソウル(韓国)における新しい聖堂を祝別されました。

 ソウルの信徒の方が、その時の荘厳ミサの模様を編集してYoutubeにアップして下さいました。音声は、午後のネリー神父様の講話の後の質疑応答です。


Fr. Nely answering Catholic FAQ 1 of 6



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聖ピオ十世会 大聖年ローマ巡礼の記念写真(その2 聖ペトロ大聖堂にて)

2008年02月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 2000年の大聖年に聖ピオ十世会が行ったローマへの巡礼の記念写真をご紹介します。


聖ペトロ大聖堂

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

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聖ペトロ大聖堂

聖ペトロ大聖堂

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼


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聖ピオ十世会 大聖年ローマ巡礼の記念写真(その1 聖パウロ大聖堂にて)

2008年02月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 2000年の大聖年に聖ピオ十世会が行ったローマへの巡礼の記念写真をご紹介します。


聖ピオ十世会のローマ巡礼(2000年大聖年)

聖パウロ大聖堂にて
聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

聖ピオ十世会ローマ巡礼

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聖ピオ十世会 ウィリアムソン司教様の講話 「天国に行くには」 (Tokyo)

2008年02月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 数年前にウィリアムソン司教様が来日されたときに私たちのためになさって下さった講話「天国に行くには How to get Heaven」の録画が、PetrusMichaelさんのご協力でYoutubeにアップされました。翻訳は、今は聖伝のドミニコ会の修道士となるために修練中であるブラザー西さんがなさって下さっています。1時間の講話ですが、10分づつに分割されています。どうぞごゆっくりご覧下さい。

Lecture of Bishop Williamson in Tokyo #1


 PetrusMichaelさん、アップをありがとうございます!!感謝!

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【訃報】東京大学名誉教授 渡邊 二郎 先生

2008年02月24日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

【訃報】ドイツ哲学の専門であった東京大学名誉教授 渡邊 二郎(わたなべ じろう)先生は、2008年2月12日に、お亡くなりになったそうです。77才。お悔やみ申し上げ、心から霊魂の永遠の安息をお祈り申しあげます。先生の授業に出てノートをとっていたことが昨日のようです。
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聖伝のミサ(いわゆるトリエント・ミサ、「ローマ式典礼様式のミサ」)にようこそ!

2008年02月17日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア!

■ 聖伝のミサ(いわゆるトリエント・ミサ、「ローマ式典礼様式のミサ」)にようこそ!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します! 

■何故なら、オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ両枢機卿とがパウロ六世教皇聖下へ報告したように、「新しいミサの式次第は、その全体といいまたその詳細といい、トレント公会議の第二十二総会で宣言されたミサに関するカトリック神学から目を見張るばかりに逸脱している」からです。そして「新しい式次第における改革を見ても、そして永遠の価値をもつもの全てが、そしてそれが何らかの形であれそこに止まったとしても、単に隅の方に追いやられているという事実をみても、キリストを信ずる民が常に信じ続けてきた真理を変える、或いは無視する、ということをしても、カトリック信仰が永遠に結びつけられている教義の聖なる遺産に対して忠実であり続けることがあたかも出来るかのような疑いを、(残念なことにこのような疑いは既に多くの所で支配的になっているのですが)確信にすっかり変えてしまう」からです。

■何故なら、「この新しいミサの典礼様式が新しい信仰を表明している」から「この新しい信仰は私たちの信仰ではない、カトリック信仰ではない」(ルフェーブル大司教)からです。

<2008年2月の予定>


【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館511号(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

15日 金 大阪 午後5時半 四季の斎日 金曜日(2級)紫
16日 土 大阪 午前11時 四季の斎日 土曜日(2級)紫

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館2F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

今回は、聖ピオ十世会総長第二補佐のネリー神父様が、フェレー司教様の代理者として来日されます。


16日(土)午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会
     午後8時30分 グレゴリオ聖歌による終課
17日 主日 午前10時  ロザリオ及び告解
午前10時半  四旬節第二主日(1級)紫
     午後2時半  霊的講話 (ネリー神父様の講話)
     午後4時   グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課
18日 月 午前7時 平日(3級)紫(二回)
19日 火 午前7時 平日(3級)紫

それでは、皆様のおこしをお待ちしております。

 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2008.html
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
http://sspx.jpn.org/schedule_tokyo.htm
 などをご覧下さい。

For the detailed information about the Mass schedule for the year 2008, please visit "FSSPX Japan Mass schedule 2008" at
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/tradmass/

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何故カトリック教会にとって聖伝のミサがそれほど大切なのか?
■ ミサ聖祭とは何か?ミサがいけにえであるということを誰が否定したのか?
■ 新しいミサの第二奉献文(Prex eucharistica II)は、極めて古代のものではないのか?
■ カトリック典礼が普通に有するべき三つの性質:新しいミサはこの三つの特徴を満たすか?
■ モンシニョール・クラウス・ガンバー(Msgr Klaus Gamber)の「ローマ典礼の改革」
■ 新しいミサの神学的な問題点: 新しいミサの基礎になっている考えとは何か?
■ 新しいミサについて(第二ヴァチカン公会議が始まるわずか数年まえのピオ十二世の言葉)
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帰正のエキュメニズム vs 新しい第二バチカン公会議のエキュメニズム

2008年02月16日 | エキュメニズム関連情報
アヴェ・マリア!

帰正のエキュメニズム vs 新しい第二バチカン公会議のエキュメニズム


【参考資料】
愛する兄弟姉妹の皆様、
 第二バチカン公会議のエキュメニズムが、聖伝の教えと断絶していることを示す資料を提供したいと思います。

カスパール枢機卿(Walter Kasper)
「...今日、私たちはエキュメニズムを、他の人々が『回心してカトリックに戻る』という意味での帰還とはもはや理解しない。【注:こう言って「教会の外には救いはない」という決定された教義を拒否した】 このことは第二バチカン公会議ではっきりと放棄された。」
Adisti, Feb. 26. 2001.English translation quoted from "Where Have They Hidden the Body?" by Christopher Ferrara, The Remnant, June 30, 2001.

 ウォルター・カスパー(Walter Kasper)枢機卿の最近の声明を取り上げてみましょう。彼はハンス・キュンク(Hans Kung)の元秘書でした。教会中にその近代主義的見解が有名であるカスパーは2001年2月に教皇ヨハネ・パウロ二世によって枢機卿とされました。そして現在キリスト教一致促進のためのヴァチカン教皇庁協議会の長官の地位を享受しています。カスパーはこう言いました。
「...今日わたしたちはもはやエキュメニズムを、それによって他の人々が『回心させられ』『カトリック信徒』であることへ戻るというそういう帰還の意味においては理解していません。これは第二ヴァチカン公会議で明確に放棄されたことです。」

Cardinal Kasper, Pope John Paul II’s (and Pope Benedict XVI’s) Prefect of the Vatican’s Pontifical Council for Promoting Christian Unity, said in February, 2001: “... today we no longer understand ecumenism in the sense of a return, by which the others would ‘be converted’ and ‘return to being Catholics’. This was expressly abandoned at Vatican II.

【注:「放棄された」ということは、第二バチカン公会議以前はそれを信じて行っていた、と言うことを意味する。】


第20回ワールド・ユース・デイの際のケルンへの使徒的旅行
エキュメニカルな会合で、ベネディクト十六世の訓話
ケルンの大司教の家にて、2005年8月19日


愛する兄弟姉妹の皆様、
 大変な一日を過ごした後で座ったままお話しするのをお許し下さい。だからといって、「使徒座から ex cathedra」(不可謬権を行使して)話をするつもりではありません。
 また、遅れてしまってお許し下さい。残念なことに、予想したよりも晩課が長くかかり、想像した以上に交通渋滞で車がゆっくしとしか進みませんでした。...

 この一致はいわゆる「(カトリックへの)帰正のエキュメニズム」と呼ばれうるものを意味しません。「帰正のエキュメニズム」とは、自己の信仰の歴史を否定し拒否することです。絶対にそうではありません!
 この一致は、神学と霊性の全ての表現において、典礼の形式と規律において、同一であると言うことを意味しません。多様性における一致、一致における多様性です、昨6月29日の聖ペトロとパウロの祝日の私の説教において、私は、全くの一致と、言葉のもともとの意味におけるカトリック(普遍)性とが共にはたらくと強調しました。この共存を達成するために必要な条件として、一致への努力が常に浄化され更新されなければなりません。これは常に成長し成熟しなければなりません。この目的のために、対話がその貢献をなしています。単なる考えの交流、学術的訓練以上に、これは贈り物の交換であり、これにおいて諸教会と諸共同体は自分の豊かさを提供することが出来るのです。...


APOSTOLIC JOURNEY TO COLOGNE
ON THE OCCASION OF THE XX WORLD YOUTH DAY
ECUMENICAL MEETING
ADDRESS OF HIS HOLINESS POPE BENEDICT XVI
Cologne - Archbishop’s House
Friday, 19 August 2005


Dear Brothers and Sisters,

Permit me to remain seated after such a strenuous day. This does not mean I wish to speak "ex cathedra". Also, excuse me for being late. Unfortunately, Vespers took longer than foreseen and the traffic was slower moving than could be imagined.

I would like now to express the joy I feel on the occasion of my Visit to Germany, in being able to meet you and offer a warm greeting to you, the Representatives of the other Churches and Ecclesial Communities. ... (...)

.. this unity does not mean what could be called ecumenism of the return: that is, to deny and to reject one's own faith history. Absolutely not!

It does not mean uniformity in all expressions of theology and spirituality, in liturgical forms and in discipline. Unity in multiplicity, and multiplicity in unity: in my Homily for the Solemnity of Sts Peter and Paul on 29 June last, I insisted that full unity and true catholicity in the original sense of the word go together. As a necessary condition for the achievement of this coexistence, the commitment to unity must be constantly purified and renewed; it must constantly grow and mature.

To this end, dialogue has its own contribution to make. More than an exchange of thoughts, an academic exercise, it is an exchange of gifts (cf. Ut Unum Sint, n. 28), in which the Churches and the Ecclesial Communities can make available their own riches (cf. Lumen Gentium, nn. 8, 15; Unitatis Redintegratio, nn. 3, 14ff.; Ut Unum Sint, nn. 10-14). ...

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ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)

2008年02月16日 | ミサ聖祭
アヴェ・マリア!

聖ピオ十世会は、愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサにご招待します。
何故なら、新しいミサには問題があるからです。


何故新しいミサが問題なのか?

【1】新しいミサはエキュメニズムのために作られたから。
 新しいミサを作った中心人物アンニバレ・ブニーニは新しいミサについてこう言っている。
「教会は、霊魂への愛と別れた私たちの兄弟たちが一致の道へと至るように全てをしようと言う望みとに導かれ、(プロテスタントたちにとって) 躓きや気に入らないかもしれない危険の陰とでもなるかもしれないものは全ての石を取り除いた。」
"L'Eglise a ete guidee par l'amour des ames et le desir de tout faire pour faciliter a nos freres separes le chemin de l'union, en ecartant toute pierre qui pourrait constituer ne serait-ce que l'ombre d'un risque d'achoppement ou de deplaisir."
(Annibale Bugnini, Documentation Catholique du 4 avril 1965)

オッセルバトーレ・ロマーノにも、ブニーニは同じことをこう言っている。
「私たちは私たちのカトリックの祈りから、カトリックの典礼から、別れた兄弟達、つまりプロテスタントたちにとって、躓きの陰となるかもしれないものは全て取り除かなければならない。
"We must strip from our Catholic prayers and from the Catholic liturgy everything which can be the shadow of a stumbling block for our separated brethren that is for the Protestants."
(Archbishop Annibale Bugnini, L'Osservatore Romano, March 19, 1965)

ブニーニ


 ジャン・ギトン(Jean Guitton)はパウロ六世の親密な友人であったが、何故パウロ六世が新しいミサを作ったかその意図を説明している。(これは、1993年12月19日 パリのラジオ局 Radio-Courtoisie で放送された。)

「"パウロ六世の" という名前を持つ新しい典礼の意向は、信徒らにミサに対するより大きな参加をもとめること、聖書にもっと大きな場所を与え、いわゆる『マジック』とか『同一実体の聖変化』とかいわれるもの、全実体変化これがカトリックの信仰ですが、の場所を少なくする、ことだといって間違いはないと思います。言い換えると、パウロ六世には、聖伝の意味においてあまりにも『カトリック』的なものをミサにおいて消し去る、或いは少なくとも訂正するか曲げる、そしてカトリックのミサを、繰り返して言いますが、カルヴィン派のミサに近づけるという意向がありました。

"Je crois ne pas me tromper en disant que l'intention de Paul VI, et de la nouvelle liturgie qui porte son nom, c'est de demander aux fideles une plus grande participation a la messe, c'est de faire une plus grande place a l'Ecriture et une moins grande place a tout ce qu'il y a, certains disent "de magique", d'autres "de consecration consubstantielle", transsubstantielle, et qui est la foi catholique. Autrement dit, il y a chez Paul VI une intention ecumenique d'effacer -- ou du moins de corriger, ou du moins d'assouplir -- ce qu'il y a de trop "catholique", au sens traditionnel, dans la messe, et de rapprocher la messe catholique, je le repete, de la messe calviniste (...)".

【ポイント!】 新しいミサからは、およそカトリック的なものは全て取り除かれてしまっている。それはエキュメニズムのためであり、プロテスタントの気に入るようにするため。

【2】新しいミサからは「贖罪のいけにえ」という概念が体系的に排除されているから。

 何故なら、プロテスタントにとって最も目障りでカトリック的な点はミサ聖祭がいけにえであると言うことだから。
 マルチン・ルターに始まってプロテスタントにとって、「ミサ」はいけにえではなく、食事(晩餐)であり、特別に聖別された司祭職というものは存在しなく、全て信徒は「司祭」であるから。

 プロテスタントで最初に典礼改革を行ったのは、カールシュタット(アンドレアス・ボーデンシュタイン・ファン・カールシュタット Andreas Rudolph Bodenstein von Karlstadt)であった。1521年のクリスマスにヴィッテンベルク(Wittenberg)で、アンドレアス・ボーデンシュタイン・ファン・カールシュタットは、最初の「コミュニオン・サービス」(福音的ミサ evangelical mass)を執り行った。
 その時カールシュタットは、
(1)祭服は着ずに世俗の普通服(in weltlicher Kleidung)、
(2)両形色による聖餐式のサービス(Gottesdienst mit Abendmahl in beiderlei Gestalt)、
(3)ラテン語ではなくドイツ語で大きな声による制定の言葉(「これは私の体である」など)、
(4)聖体拝領の前の告白を省略

また、この聖餐式の翌日、カールシュタットは
(5)十五歳の少女アンナ・フォン・モハウ(Anna von Mochau)と結婚を予告、(実際に1522年1月19日、カールシュタットはアンナと結婚)
などで、「聖なるいけにえ」「カトリック司祭職」ということを象徴する全てのシンボルを取り除き、「聖餐式」は単なる食事であること、平信徒とは区別された聖なる司祭職などというものは存在しない、神秘ではない、いけにえではないことなどをシンボル的に示した。

 つまり、新しいミサもプロテスタントにとって受け入れられることが出来るように、ミサから「いけにえ」という性格を取り除いてしまった。つまり、新しいミサをもってカトリックからは「いけにえ」が取り除かれてしまった。ブニーニは、いけにえではないミサ、聖餐式を作り上げたのだった。
 だから、イエズス会司祭であったジョセフ・ジュリノ(Joseph Gelineau, SJ)は、『典礼の明日』でこう言った。
「曖昧さなくこう言う必要がある。私たちが知っていたローマ典礼様式は、もはや存在していない。それは破壊された。」
(Demain la liturgie (Paris: Ed. du Cerf, 1979), p.10.)


【ポイント!】 エキュメニカルな新しいミサは、いけにえではないミサ、聖餐式(食事会)であり、司祭職を否定するものとして作り上げられた。

Cf: Protestant Reaction to the New Mass

【3】第二バチカン公会議の新しい教え(信教の自由、エキュメニズム、司教団体主義【=教会の民主主義化、教皇の大統領化】)は、新しいミサによって、新しいミサを道具として全世界に拡げられたから。

 第二バチカン公会議の新しい教え、つまり、信教の自由、エキュメニズム、司教団体主義は、全世界に瞬く間の内に、新しいミサをその道具として伝わった。第二バチカン公会議の新しいイデオロギーをそれに乗せて伝える手段であった。


第二バチカン公会議以前のベネディクト会修道女たち
第二バチカン公会議の前
Benedictine nuns of the Annunciation Monastery in Bismarck, North Dakota

↓↓↓↓

第二バチカン公会議後のベネディクト会修道女たち
第二バチカン公会議後
Benedictine nuns of the Annunciation Monastery in Bismarck, North Dakota

第二バチカン公会議後
第二バチカン公会議後
Benedictine nuns of the Annunciation Monastery in Bismarck, North Dakota

第二バチカン公会議後のドミニコ会修道女
Dominican nuns celebrate Halloween.
In the Convent of the Dominican Nuns of Summit, New Jersey, Dominican nuns wear witch hats and masks to celebrate the day of Halloween 2006

第二バチカン公会議後
The Benedictine Sisters' ecological party

エコロジカル・パーティー
Tired of their serious and sacral life as spouses of Jesus Christ, the Benedictine Sisters of St. Scholastica in Fort Smith, Arkansas

エコロジカル・パーティー
Sr. Rosalie, the coordinator of the festivity, wears an aqua ecological t-shirt. Sr. Gabriel, the moderator, has a picture of the Noah's Ark hanging from her neck.

ディスコ・ミサ
On March 4, 2007, Fr. Gregor Jansen says a disco Mass for youth in Vienna.

新しいミサ
At St. Pius Church, dedicated to St. Pius X, in the German city of Bad Neuenahr-Ahrweiler, Fr. Peter Dorrenbacher invites bare-legged majorettes and other participants in carnival attire to the altar during the Mass

ワールド・ユース・デイ・トロント

新しいミサ

新しいミサ


【ポイント!】 新しいミサは、第二バチカン公会議の新しいイデオロギーをそれに乗せて伝える手段であった。新しいミサに接触することによって、新しいイデオロギーに染められてしまう虞がある。

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インマクラータ vs エキュメニズム

2008年02月16日 | エキュメニズム関連情報
アヴェ・マリア!

インマクラータ vs エキュメニズム
コルベ神父様

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 コルベ神父様が、そのインマクラータ(無原罪の聖母マリア)の騎士に委ねた使命は、全世界をカトリック教会へと回心させることでした。コルベ神父様は、こう言っていました。
「離教者達とプロテスタントたちが、確信をもってカトリックの信経を宣言するとき、そして全てのユダヤ人たちが自発的に聖なる洗礼の秘蹟を求めるとき、その時始めて、インマクラータ(無原罪の童貞聖母マリア)は、その目的に到達したことになる。」
(Rycerz Niepokalanej, 4 1922, p.78. cited from The Immaculata Our Ideal, Fr Karl Stehlin, p. 37)

「言い換えると、インマクラータ(無原罪の聖母マリア)とその騎士にとって、今日にエキュメニズムよりも大いなる敵はいない。従って全てのインマクラータの騎士たちは、現代のエキュメニズムに反対して闘うのみならず、これと正反対の行動を通して、それを中和させ、これを究極的に破壊し尽くさなければならない。私たちは、インマクラータの騎士(Militia Immaculata)の目的を出来るだけ早く達成させなければならない。つまり、現代存在する、そしてこの世の終わりまで存在するあろう全ての霊魂たちが、インマクラータのために、そしてインマクラータを通してイエズスの至聖なる聖心のために、全世界を征服することである。」
(1933年4月23日付けのコルベ神父様の日記より cited from The Immaculata Our Ideal, Fr Karl Stehlin, p. 37)

「汚れなく宿り給いし聖マリアよ、御身により頼み奉る我らのため、また、全て御身により頼まぬもののため、とくに秘密結社の回心のために、祈り給え。」

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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 11.3.4. 司祭たちを慰めて励ます

2008年02月13日 | ルフェーブル大司教の伝記
第11章 チュール時代の小さなエピソード

III. 信頼回復


司祭たちを慰めて励ます

 ルフェーブル大司教は言葉に行動を伴わせた。着座式があってからしばらく後に、彼は地域ごとの長の小教区主任神父たちを皆集めて会合を開き、次のような提案をした。

「司祭たちを強め励ますために、司教が司祭館に彼らを訪れるが良いと思われますか?」

 率直に話す司祭の一人、地区長のシェーズ (Cheze) 神父(ラ・ロッシュ・カニヤック(La Roche-Canillac) 小教区主任神父)は、その時こう言った。

「大司教様、あなたは口ではそんなことを私たちに質問しますが、実際やることは他の司教様たちと同じでしょうね。私たちが大司教様に会うことは絶対にないでしょう!」

 ルフェーブル大司教は答えた。
「神父様、手帳をお持ちですか?私の訪問の日付を決めましょう。」
「どこかに紙の切れ端があるはずです。」という返事が帰って来た。
 すると大司教は自分の手帳を取り出し、日付が決められた。その数日後、大司教はラ・ロッシュ・カニヤックを訪れ、そこで主任司祭と共に四十八時間留まり、その五つの小教区教会を訪問した。

 ルフェーブル大司教はこう言った。
「宣教師経験を積んでチュールに到着し、私はちょっとした希望を持ち運んでいました。人々はもう一度勇気を取り戻し始めていました。司祭たちもそうです。彼らは私が絶望していないということ、状況は元には戻らないとは思われないということを感じ取りました。

 事実、司教はこうして他の三名の小教区主任神父たちを訪問ができた。彼らに訪問直前に連絡して、自分が一人で自動車を運転して到着し、主任司祭たちと親しく顔を合わせて夕食を取りながら、司祭館で一夜を過ごし、翌日の朝にミサ聖祭を執行し、熱心な信徒の人々と会い、小教区に所属している巡回教会などを訪問した。

 大司教は自分の経験を詳らかに話した。
「私は本当に現実の貧困のうちに生活している司祭たちを見ました。私たちは、アフリカの宣教師としてでさえ、聖霊司祭修道会でアフリカにいたときでさえそこまでは貧しくはありませんでした。惨めに生活している、フランスの或るフランス司祭たちほどは。」

 霊的砂漠におけるこの貧困により、或る司祭たちはやる気を失っていた。ルフェーブル大司教はこう回想している。「私は二,三年前に叙階されたばかりのこの若い司祭が、泣きながら私の執務室にやってきたのを今でも思い出します。
『でも、司教様、私はいったい何の役に立つのでしょうか?何故私は司祭になったのでしょうか?司教様は私に三,四の小教区教会の世話をまかせてくれました。でもそれが何だというのでしょうか?主日のミサに、二,三名の老人が来るだけです。七,八名の子供達が公教要理のクラスにいますが、初聖体と堅振の後でこの子たちは二度と教会に足を踏み入れないでしょう。知っています。私は孤独です。食事をするためには私は喫茶店で外食しなければなりません。こんな風に私は続けることは出来ません。」

 大司教はまず、貧しい司祭が住んでいる物質的な生活条件に対して正確に尋ねた。
「なるほど、そうやって司教区が神父様に与えた自動車の代金を神父様が返済しなければならないんですね? 」「それで神父様はガスストーブを使って煖房するんですか?」

 そうしてからはもっと霊的な問題に話題を移して、大司教は司祭を慰めて安心させた。
「毎日のミサをよく準備してください。ミサを大切にして下さい。司祭がミサを捧げるなら、司祭の聖務の中で一番重要な部分を果たしたことになります。」
「あなたが捧げるミサ聖祭から流れ出る聖寵に対して信仰を持ちなさい。それがたとえ二、三名しか与らないミサ聖祭であったとしてもです。」


 謙遜も重要だ。「はたらくのは私たちの主イエズス・キリストです。私たちはその哀れな道具に過ぎません。これを自分に言い聞かせる人は、たとえ成功のない使徒職を前にしたとしても、落胆することから守られています。」

 司祭一人一人に対する司教とのこのような対話は、司祭たちにとって「巨大な援助」だった。彼らは、司教様が信頼していること、また決して絶望していないこと、諦めていないこと、を感じ取っていた。むしろ司教が「状況を建てなおうことができると確信していることを、何故ならまだ司祭的聖性が残っていたから、聖なる司祭、聖なる修道者達が残っていたから、諦めていない」と感じていた。

(続く)

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第11章 チュール時代の小さなエピソード
I. 美しく小さい司教区

II. シテ・カトリックと司教

III. 信頼回復
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