Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2019年 8月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


8月 聖母の被昇天を祝いましょう。
意向:聖母の汚れなき御心の凱旋のため
実践すべき徳:心の柔和と謙遜
守護の聖人:聖母の汚れ無き御心

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2019年 8月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセスEG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 
〒532-0002 (JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

  8月2日(初金)教会博士証聖者司教聖アルフォンソ・デ・リグオリ(3級祝日)白
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月3日(初土) 聖母の土曜日(4級)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月11日(主)聖霊降臨後第9主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月12日(月) 童貞聖クララ(3級祝日)白
          午前10時 ロザリオ及び告解
          午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月18日(主)聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午後5時半 ロザリオ及び告解
          午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月19日(月) 証聖者聖ヨハネ・ユード(3級祝日)白
          午前6時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図)「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

  8月4日(主)聖霊降臨後第8主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

  8月5日(月)  雪の聖母の大聖堂の奉献(3級祝日)白
          午前7時 ミサ聖祭

  8月18日(主)  聖霊降臨後第10主日(2級)緑
          午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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【グレゴリオ聖歌】聖土曜日の朝課の答唱Plange quasi virgoをご紹介します。

2019年04月20日 | グレゴリオ聖歌

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、

聖土曜日の朝課の答唱Plange quasi virgoをご紹介します。

 

 

R. Plange quasi virgo, plebs mea: ululáte, pastóres, in cínere et cilício: 私の民よ、乙女のように涙せよ、牧者たちよ、灰と毛衣で歎け
* Quia venit dies Dómini magna, et amára valde. 何故なら主の偉大な日が、極めて苦い日が来たからだ。
V. Accíngite vos, sacerdótes, et plángite, minístri altáris, aspérgite vos cínere. 司祭たちよ、おまえたちは帯を締めよ、そして祭壇の奉仕者たちよ、涙せよ、自分にはいを振りそそげ。
R. Quia venit dies Dómini magna, et amára valde. 何故なら主の偉大な日が、極めて苦い日が来たからだ。
R. Plange quasi virgo, plebs mea: ululáte, pastóres, in cínere et cilício: * Quia venit dies Dómini magna, et amára valde. 私の民よ、乙女のように涙せよ、牧者たちよ、灰と毛衣で歎け。何故なら主の偉大な日が、極めて苦い日が来たからだ。

 

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【グレゴリオ聖歌】聖土曜日の朝課の答唱Ierúsalem, surgeをご紹介します。

2019年04月20日 | グレゴリオ聖歌

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、

聖土曜日の朝課の答唱Ierúsalem, surgeをご紹介します。

R. Ierúsalem, surge, et éxue te véstibus iucunditátis: indúere cínere et cilício, エルサレムよ、起きよ、喜びの服を脱げ、灰と毛衣を着よ、
* Quia in te occísus est Salvátor Israël. 何故なら、おまえのためにイスラエルの救い主は屠られたから。
V. Deduc quasi torréntem lácrimas per diem et noctem, et non táceat pupílla óculi tui. 激流のように涙を流せ昼も夜も、おまえの目のまぶたを黙らせるな。
R. Quia in te occísus est Salvátor Israël. 何故なら、おまえのためにイスラエルの救い主は屠られたから。
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【グレゴリオ聖歌】聖土曜日の朝課の答唱Sicut ovis ad occisiónemをご紹介します

2019年04月20日 | グレゴリオ聖歌

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、

聖土曜日の朝課の答唱Sicut ovis ad occisiónemをご紹介します。

R. Sicut ovis ad occisiónem ductus est, et dum male tractarétur, non apéruit os suum: tráditus est ad mortem, 羊が屠所に引かれていったように、残酷に取り扱われた間も、彼は自分の口を開かなかった。死に渡された、
* Ut vivificáret pópulum suum. 御自分の民を生かすために。
V. Trádidit in mortem ánimam suam, et inter scelerátos reputátus est. 御自分の霊魂を死に渡した、悪人どもの間に(その一人だと)考えられた。
R. Ut vivificáret pópulum suum. 御自分の民を生かすために。
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2月2日の聖母マリアの御潔めの祝日:Adorna thalamum tuum, Sion:Κατακόσμησον τὸν νυμφῶνά σου Σιών

2018年01月24日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2月2日は聖母マリアの御潔めの祝日です。大阪で聖伝のミサがあります。

 イエズス・キリストのご降誕から40日目にあたり、ルカの福音書の次の個所のことを記念します。

「そして、モイゼの律法にしたがい、かれらが清められる日になったとき、子を主にささげるためにイエルザレムにつれて行った。それは、「はじめて生まれる男の子は、みな、主に聖別されたものといわれねばならない」と主の律法にしるされているし、また主の律法にあるとおり、「山鳩一つがいか、あるいは鳩のひな二羽」をいけにえとしてささげるためであった。ところで、イエルザレムには、義人で、敬虔で、イスラエルのなぐさめを待ちのぞんでいるシメオンという人がた。聖霊はその人の上にあった。かれは、聖霊によって、主のキリストを見るまでは死なないと啓示されていたが、この時、霊にみちびかれて神殿にきていた。両親がその子イエズスをつれて、この子のために律法の慣習をおこなおうとしてきたとき、シメオンはその子をだき、天主を賛美していった。「みことばどおり、主よ、今こそ、あなたのしもべを安らかに死なせてください。私の目は、もう主の救いを見ました。その救いは、あなたが万民のためにそなえられたもの、異邦人をてらす光、み民イスラエルのほまれであります。」
おさな子についてこういわれたので、両親はおどろいたが、シメオンはかれらを祝福してから、母のマリアに、「この子は、イスラエルの多くの人が、あるいはたおれ、あるいは立ちあがるために、さからいのしるしとして立つ人です。そうして、多くの人のひそかな思いが明らかにされるのです。あなたの心も、剣で貫かれるでしょう」といった。
また、アゼル族ファヌエルの娘で、大へん年老いたアンナという預言者がいた。乙女の時をへて、七年間夫とともに生活し、やもめになって八十四歳になるまで神殿をはなれず、断食と祈りとをおこなって、夜ひるとなく天主に奉仕していた。この人もこの時に来て、天主に感謝し、イエルザレムの救いを待ちのぞんでいる人々に、その子のことを話していた。」


 福者ヘンリコ・スソに倣ってこの祝日を準備しましょう
 福者ヘンリコは、この祝日の前の三日間は、霊的に三本のロウソクを準備しました。
(1)聖母の童貞としての汚れない清さ、
(2)聖母のはてしなき深い謙遜、
(3)聖母の母としての尊厳

 毎日三回「マグニフィカト(Magnificat)」を唱え、これをロウソクとしました。

 その祝日の夜明けに、信者等が聖堂に集まる前に、中央祭壇の前に跪いて聖母の御生涯を黙想し、聖母が幼きイエズスを抱き聖殿に奉献するのを観想しました。

 大阪の「聖母の汚れなき御心聖堂」では、典礼が午後6時から始まります。



 まずローソクの祝別と配布があります。司祭は次の5つの祈りをもってローソクを祝別します。

Oremus. Domine sancte, Pater omnipotens, æterne Deus, qui omnia ex nihilo creasti, et jussu tuo per opera apum hunc liquorem ad perfectionem cerei venire fecisti : et qui hodierna diepetitionem justi Simeonis implesti : te humiliter deprecamur, ut has candelas ad usus hominum, et sanitatem corporum et animarum, sive in terra, sive in aquis, per invocationem tui sanctissimi nominis, et per intercessionem beatæ Mariæ semper Virginis, cujus hodie festa devote celebrantur, et per preces omnium Sanctorum tuorum bene+dicere, et sancti+ficare digneris : et hujus plebis tuæ, quæ illas honorifice in manibus desiderat portare, teque cantando laudare, exaudias voces de cælo sancto tuo, et de sede majestatis tuæ : et propitius sis omnibus clamantibus ad te, quos redemisti pretioso sanguine Filii tui : qui tecum vivit.

Oremus. Omnipotens sempiterne Deus, qui hodierna die Unigenitum tuum ulnis sancti Simeonis in templo sancto tuo suscipiendum præsentasti : tuam supplices deprecamur clementiam; ut has candelas, quas nos famuli tui in tui nominis magnificentiam suscipientes, gestare cupimus luce accensas, bene+dicere, et sancti+ficare, atque lumine supernæ benedictionis accendere digneris : quatenus eas tibi Domino Deo nostro offerendo digni, et sancto igne dulcissimæ caritatis tuæ succensi, in templo sancto gloriæ tuæ representari mereamur. Per eundem Dominum.

Oremus. Domine Jesu Christe, lux vera, quæ illuminas omnem hominem venientem in hunc mundum: effunde bene+dictionem tuam super hos cereos, et sanctiüfica eos lumine gratiæ tuæ, et concede propitius; ut, sicut hæc luminaria igne visibili accensa nocturnas depellunt tenebras; ita corda nostra invisibili igne, id est, Sancti Spiritus splendore illustrata, omnium vitiorum cæcitate careant : ut, purgato mentis oculo, ea cernere possimus, quæ tibi sunt placita, et nostræ saluti utilia; quatenus post hujus sæculi caliginosa discrimina, ad lucem indeficientem pervenire mereamur. Per te, Christe Jesu, Salvator mundi, qui in Trinitate perfecta vivis et regnas Deus, per omnia sæcula sæculorum.

Oremus. Omnipotens sempiterne Deus, qui per Moysen famulum tuum, purissimum olei liquorem ad luminaria ante conspectum tuum jugiter concinnanda præparari jussisti : bene+dictionis tuæ gratiam super hos cereos benignus infunde;quatenus sic administrent lumen exterius, ut, te donante, lumen Spiritus tui nostris non desit mentibus interius. Per Dominum ... in unitate ejusdem Spiritus Sancti ...

Oremus. Domine Jesu Christe, qui hodierna die in nostræ carnis substantia inter homines apparens, a parentibus in templo espræsentatus : quem Simeon venerabilis senex, lumine Spiritus tui irradiatus, agnovit, suscepit, et benedixit: præsta propitius; ut ejusdem Spiritus Sancti gratia illuminati atque edocti, te veraciter agnoscamus, et fideliter diligamus : Qui cum Deo Patre in unitate ejusdem Spiritus Sancti ...

私たちの主イエズス・キリストを象るローソクを司祭の手から受け取りながら、聖シメオンの歌をグレゴリオ聖歌で歌います。

Ant.:Lumen ad revelationem gentium : et gloriam plebis tuæ Israel.
異邦人をてらす光、み民イスラエルのほまれ。

Nunc dimittis servum tuum, Domine : secundum verbum tuum in pace.
今こそ、あなたのしもべを死なせてください、主よ、みことばどおり、安らかに。
Ant.Lumen.

Quia viderunt oculi mei : salutare tuum.
私の両目は、主の救いを見ましたから。
Ant.Lumen.

Quod parasti : ante faciem omnium populorum.
あなたが万民の眼前にそなえられた救いを。
Ant.Lumen.

(以上をローソクの配布が続いている間は何度も歌い続けます。そろそろ終わりそうになると次を歌って締めくくります。)

Gloria Patri, et Filio : et Spiritui Sancto.
願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを
Ant.Lumen.

Sicut erat in principio, et nunc, et semper: et in sæcula sæculorum. Amen.
始めにありし如く、今も、いつも代々に至るまで。アメン。
Ant.Lumen.





あるいは



 最後に次のアンティフォナを歌います。

Exsúrge, Dómine, ádiuva nos : et líbera nos propter nomen tuum. etc.

 次の祈りを持ってローソクの祝別と配布を終わります。

Exáudi, quǽsumus, Dómine, plebem tuam : et, quæ extrinsécus ánnua tríbuis devotióne venerári, intérius asséqui grátiæ tuæ luce concéde. Per Christum, Dóminum nostrum.
R/. Amen

 次に司祭は次のように言って行列を始めます。
Procedámus in pace.
平和のうちに出発しよう。

In nómine Christi. Amen.
キリストの聖名において。アメン。

 行列が始まるとロウソクに火を灯します。

 聖母が自分の心にともされた天主の光と愛のこの炎が決して消されることがないように願いつつ、この神秘的行列にお伴する諸聖人に向って、自分と一緒に「アドルナ・タラムム(Adorna thalamum tuum)」を歌いましょう。

Adorna thalamum tuum, Sion, et suscipe Regem Christum:
amplectere Mariam, quae est coelestis porta:
ipsa enim portat Regem gloriae novi luminis.
Subsistit Virgo adducens manibus Filium ante luciferum genitum:
quem accipiens Simeon in ulnas suas praedicavit populis Dominum eum,
esse vitae et mortis, et Salvatorem mundi.

シオンよ、汝の花嫁の部屋を飾れ、しかして王たるキリストを迎え入れよ:
天の門なるマリアを抱擁せよ。
マリアは実に、新しき光の栄光の王を運び給い、
明けの明星の上る前に生み給いし御子を手にしつつおとめにとどまり給う。
その御子をシメオンは両腕の抱え人々に予告せり、
この聖子は生と死の主にして、世の救い主なり、と。



あるいは

あるいは



この祝日は元々はエルサレムで、キリスト教の迫害が終わった4世紀(386年)から行われ、ローソクの行列は五世紀(450年)から加えられて執行していました。
六世紀にはコンスタンチノープルでも「出会い」(ヒュパパンテー「聖シメオンと私たちの主イエズス・キリストとの出会い」)という名前で祝われました。
七世紀にはローマでも祝われるようになりました。次のように記録があります。
Ypapanti Domini, id est obviatio seu appresentatio Domini nostri Iesu Christi secundum carnem.

Adorna thalamum tuum, Sion, et suscipe Regem Christumの歌は、
ギリシア語の典礼で歌われていたものです。

Κατακόσμησον τὸν νυμφῶνά σου Σιών, καὶ ὑπόδεξαι τὸν Βασιλέα Χριστόν, ἄσπασαι τὴν Μαριάμ, τὴν ἐπουράνιον πύλην· αὕτη γὰρ θρόνος Χερουβικὸς ἀνεδείχθη, αὕτη βαστάζει τὸν Βασιλέα τῆς δόξης, νεφέλη φωτὸς ὑπάρχει ἡ Παρθένος, φέρουσα ἐν σαρκὶ Υἱὸν πρὸ Ἑωσφόρου, ὃν λαβὼν Συμεὼν ἐν ἀγκάλαις αὐτοῦ ἐκήρυξε λαοῖς, Δεσπότην αὐτὸν εἶναι, ζωῆς καὶ τοῦ θανάτου, καὶ Σωτῆρα τοῦ κόσμου.

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【グレゴリオ聖歌】待降節第一主日のミサの入祭唱 Ad te levavi を黙想しましょう

2017年12月07日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 待降節第一主日のミサの入祭唱 Ad te levavi を黙想しましょう。

典礼暦の最初の歌は詩篇24から取られています。信頼の詩篇です。天主と私たちの霊魂との関係を歌う詩です。

Introit : Ad te levavi

Ad te levavi animam meam! Deus meus, in te confido; non erubescam. Neque irrideant me inimici mei : etenim universi, qui te expectant, non confundentur.
Vias tuas, Domine, demonstra mihi, et semitas tuas edoce me.

御身に向かってわれは我が霊魂を上げ奉る、我が天主よ、御身に信頼し奉る、私は顔を赤らめることなからん。また我が敵どもは我を侮辱せぬことを、何故ならば御身に期待する者たちはすべて困惑することなからんがためなり。
主よ、我をして御身の道を知らしめ給え、御身の小道を我に教え給え。(詩篇24:1-4)
詩篇とは、聖霊によって息吹かれて書かれた祈りの本です。天主の御前において人間の持つべき態度と感情とを教えるものです。人間の言葉で書かれていますが、天主によるものです。イエズス・キリストのご降誕の約1000年前に、ダヴィド王の時代にかかれたものです。イエズス・キリストも詩篇で祈りました。

私たちの最大の悪とは、天主に対して罪を犯すこと、天主を忘れること、創造主である天主と無関係であろうとすることです。

そこで、教会は典礼暦年の初めに、ちょうどファチマの天使が教えてくれたように「我が天主よ!」と祈るように教えます。

御身に向かってわれは我が霊魂を上げ奉る、
我が天主よ、御身に信頼し奉る!

入祭唱のメロディーのクライマックスは、この「我が天主よ」Deus Meus です。メロディーは、「御身に向かってわれは我が霊魂を上げ奉る、我が天主よ」と上に上がっていきます。

歌の中で、non さらに neque という否定の言葉が力強く歌われます。キリストの敵が存在し、敵は強く私たちに反対します。そこで戦いがあることがメロディーによって表されます。

Non erubescam. Neque irrideant ... non confundentur. 私は顔を赤らめることなからん。また我が敵どもは我を侮辱せぬことを。... 御身に期待する者たちはすべて困惑することなからん。

主に期待する霊魂たちのことを表す内容はほぼ同じようなメロディーで歌われます。それは次の部分です。
Non erubescam. 私は顔を赤らめることなからん。
Non confundentur. 困惑することなからん。

しかしもっとも美しいメロディーは、動詞 exspéctant (彼らは期待する)です。あたかも完璧な信頼をこめて待ち望んでいるかのような感じがします。ここがこの歌の頂点です。


更におもしろい点は、入祭唱の最初の部分は一人称単数(levávi, confído) ですが、後半部になると複数になります。典礼暦の最初において、個人的にも、団体的にも、私たちに祈らせています。典礼で歌われる歌は、霊魂の歌であり、キリストの歌であり、教会の歌であり、私たちの歌です。私たちは祈るとき、一人であっても教会と共に祈り、特に全世界の戦闘の教会の全ての霊魂たちとともに祈っているのです。

待降節は、待望の時期であり、希望の季節です。「御身に期待する者たちはすべて困惑することなからん」と。私たちの待望は、騙されることがありません。期待が外れることがありません。約束の通り、私たちを救うメシアが来られます。もうすぐ生まれる幼子イエズスにおいて全ての約束が含まれているからです。何故なら、この幼子は真の天主であるからです。

待降節は、待ち望む時であり、喜びのときです。何故なら、すでに聖母の御胎内に救い主はおられるからです。この幼子は成長すると、私たちに道を示してくださるでしょう。天国へと導く道、ご自身へと導く道を、真理、命を。主よ、御身こそ、道、真理、命であります。ですから、御身に向かってわれは我が霊魂を上げ奉る、我が天主よ、御身に信頼し奉る、私は顔を赤らめることなからん!



【参考】修道院では、典礼暦の最初の歌なので、入祭唱を歌う前に、「聖グレゴリオのトロープス」と呼ばれている、Sanctissimus namque Gregoriusを歌ってから、入祭唱を歌います。



天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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聖霊降臨後第24主日 アレルヤ、主よ、深い淵々から私は御身に向けて叫んだ Allelúia De profúndis clamávi ad te, Dómine

2017年11月14日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖霊降臨後第24主日の固有文のアレルヤ唱を黙想しましょう。(これは聖霊降臨後第23主日から聖霊降臨後最終の主日まで同じアレルヤ唱です。)

Allelúia, allelúia.
De profúndis clamávi ad te, Dómine : Dómine, exáudi vocem meam. Allelúia.

アレルヤ、アレルヤ、主よ、深い淵々から私は御身に向けて叫んだ。主よ、私の声を聞き入れ給え。

詩篇 De profundis は、死者の典礼に関係があります。そこで、深い淵々というのは、死の淵のことで、至福直感を待つ霊魂たちの待望の状態のことで、煉獄のことです。

煉獄では、愛徳と希望とうちに天主に呼び求めます。
地獄では、憎しみと反乱と逆恨みと呪いと罵りの叫びです。地獄には痛悔はなく、そこから抜け出ることもできません。天主からあれだけの恵みを受けていながら、地獄ではそれを感謝するのではなく、それを憎むのです。自分のせいではなく、他者のせいだ、と罵るのです。

ところで、ここではこの「深い淵」とは現在の人間の条件を意味します。天国へと旅する私たちの今ある世界の条件です。

天主は人となって私たちのうちに住み給い、辱めを甘んじ受け、私たちの「深い淵」を自分のものとし、これに福音を告げ給いました。天主が人となり、童貞女聖マリアの御胎内に宿りたもうた、という想像を絶することが起きました。

この人間としての条件で、人となった天主御子は御父に祈りを上げます。天主が人となってくださらなければ、私たちの天主への叫びも無駄だったことでしょう。御托身の神秘において、私たちのこの祈りの叫びは十字架の上でのイエズス・キリストの叫びに吸収され、祈りに力が与えられます。

この主日に歌われる「深い淵」は、地獄ではなく、単なる煉獄でもなく、天主の愛による浄めを受けている私たちのいるこの世界です。罪によって傷つきながら天主に向かって祈る力をもつ人類の霊的な・道徳的な・物理的な・心理的な深い淵です。私たちが祈ることができるのも、天主からの賜物であるお恵みをいただいているからであり、深い憐れみの淵を呼び求める深い憐れさの淵です。

そこで、これは典礼暦の最後のアレルヤ唱ですが、それと同時に新しい典礼暦(主の御降誕への準備)につながっています。

メロディー的には、このアレルヤは昇階唱と分けることができません。アレルヤの出だしが、紹介唱の最後の言葉 confitebimur et in sæcula のメロディーにつながっているからです。
このアレルヤは、新しい典礼暦の幼子としての主の到来の喜びをも表し、同じメロディーが三回繰り返されます。

トニックのソの音で始まり、ドミナントのレまで上がり、三回のモティーフが繰り返されます。

歌詞の最初の言葉 de profundis のメロディーは、アレルヤの歌いだしと全く同じで、昇階唱 Liberasti nos のなかにモティーフが入っています。
「私は叫んだ」clamavi は、熱烈な表現となっています。美しい力強いクレッシェンドで歌わねばなりません。

「主よ」Domine という呼びかけは二回繰り返されます。最初は謙遜に、愛を込めて、二回目は懇願するように熱烈に歌います。

この曲の頂点は「聞き入れ給え」exaudi で、この単語のアクセントが力強く最も高く上がります。これは霊魂の叫びで、人類の苦しみ全てを合わせた主への祈りの叫びです。十字架の上でのイエズス・キリストの叫びを思い起こさせます。

このあと、「私の声を」vocem meam で全ては静かになります。あたかも何事もなかったかのようにアレルヤのモティーフが繰り返されます。

ミサ天書では orationem meam (私の祈りを)となっていますが、グレゴリオ聖歌の楽譜には vocem meam (私の声を)となっており楽譜の通りに歌います。

いくつかの音源をご紹介いたします。聞き比べてくださいね。

リギュゲの大修道院による録音
Alléluia : De profundis Abbaye de Ligugé

トリオルの大修道院による録音
Alléluia : De profundis Abbaye de Triors




ソレムの大修道院による録音


シロスの聖ドミニコ大修道院による録音





【下の記事を参考にしました】
L'Alléluia "De profundis"

Découvrir le grégorien : l'Alleluia De profundis
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聖霊降臨後第23主日の固有文 昇階唱 Liberasti nos, Domine を黙想する 「主よ、御身は私たちを解放し給うた」

2017年11月11日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖霊降臨後第23主日の固有文の昇階唱を黙想しましょう。

昇階唱: Liberasti nos は、詩篇43からとられています。

Liberasti nos, Domine, ex affligentibus nos : et eos qui nos oderunt, confudisti. In Deo laudabimur tota die, et nomini tuo confitebimur in sæcula.

「主よ、御身は私たちを苦しめる人々から私たちを解放し給うた。御身は私たちを憎む人々を恥ずかしめ給うた。私たちは天主において一日中賛美されるだろう。そして私たちは代々に御身の聖名に賛美するだろう。」

これは六旬節の主日の入祭唱の祈りに答えているかのようです。

六旬節ではこう歌いました。

Exsúrge, quare obdórmis Dómine
Exsúrge, et ne repéllas in finem.
Quare fáciem tuam avértis, oblivísceris tribulatiónem nostram ?
Adhǽsit in terra venter noster exsúrge.
Dómine, adjúva nos, et líbera nos.

起きてください、主よ、なぜ眠りこけておられるのですか?
起きてください、終わりまで私たちを押しのけないでください。
何故御身の御顔を背けるのですか?私たちの艱難を忘れ給うたのですか?
私たちの腹は地にひっ付いています、起きてください。
主よ、私たちを助けてください、そして私たちを解放してください。



そこで典礼暦最後ではこう歌います。

Liberasti nos, Domine, ex affligentibus nos : et eos qui nos oderunt, confudisti. In Deo laudabimur tota die, et nomini tuo confitebimur in sæcula.

主よ、御身は私たちを苦しめる人々から私たちを解放し給うた。御身は私たちを憎む人々を恥ずかしめ給うた。私たちは天主において一日中賛美されるだろう。そして私たちは代々に御身の聖名に賛美するだろう。

私たちは感謝することを忘れてはなりません。私たちがうけた恵みを。あたかも恵みを受けて当然であるかのそぶりを見せるのはなりません。

私たちは、試練の最中でも主に信頼を置きましょう。

特に第2の部では、一日中、つまり天国での永遠の間、果てしもなく、主において、私たちは栄光を受けるだろうと歌います。



Graduel : Liberasti nos
Abbaye Sainte-Anne de Kergonan – Les Saints dans la Gloire – (Dir. Dom Gaston Le Nézet)
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聖霊降臨後第23主日の固有文 入祭唱を黙想する(その2)「主は言い給う 私は平和の考えを考える」

2017年11月11日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖霊降臨後第23主日の固有文を続けて黙想しましょう。

「主は言い給う。私は、平和の考えを考えるのであり、苦しみの考えではない。あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。そして私はあなたたちの捕囚を全ての場所から元に連れ戻そう。」
「主よ、御身は、御身の地(主の民)を祝福し給うた。御身はヤコブのために捕囚を避けさせ給うた。」

Dicit Dominus : ego cogito cogitationes pacis, et non afflictionis : invocabitis me, et ego exaudiam vos : et reducam captivitatem vestram de cunctis locis.
Benedixisti Domine terram tuam : avertisti captivitatem Jacob.

この入祭唱は、典礼暦年の最後の歌であり、夕べの歌です。
私たちの霊魂の歴史の最期の歌であり、人類の歴史の最終がうたわれるので、同時に希望の歌でもあります。

普通、入祭唱はよく詩篇からとられますが、時にして今回のように、詩篇以外からも取られます。この例外は、それだけ重みと意味を持ちます。私たちの主が私たちのことを気にかけている、私たちに注目している、注意を払っている、というメッセージです。

典礼暦の終わりに、教会がこの言葉を特に取り出したのは、私たちが天に心を上げるためです。天主が私たちに語りかけているからです。

「主は言い給う。私は、平和の考えを考えるのであり、苦しみの考えではない。あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。そして私はあなたたちの捕囚を全ての場所から元に連れ戻そう。」

主のお考えは、平和の考えであり、苦しみの考えではない。天主は永遠のお方であり、考えを変えることはありません。永遠にただ一つの考えしかありません。この抱かれた一つの思い・考えは、一つの言葉となりました。それが、天主のみ言葉、天主の御一人子であり、人と成った天主の聖子、キリストです。キリストは、天主の唯一の永遠の知恵なる考えそれ自体です。私たちのために人間となり、平和の考えとなりました。全人類を照らす光、愛の考えです。

キリストと聖母とは、人類のために、罪の結果の苦しみを全て自分たちの身に負いました。その交換に私たちに平和を与えるのです。

天主のみ言葉が人と成って私たちのうちに住み給うたのは、私たちが人類の歴史の終わりに天国にたどり着くためです。天主のお考え、すなわちキリストは、究極の考えでもあります。永遠の幸福が私たちを待っています。天国こそが私たちのほんとうの祖国です。

入祭唱は、捕囚について、追放の身について語ります。私たちが、罪を犯し、悪魔の奴隷となり、その犠牲者となり、天の本当の平和を失ってしまったからです。

しかし、天主は聖寵により、その恩恵みにより、私たちを助けてくださいます、私たちが主を呼び求めるのなら。「あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。」

その昔、入祭唱が歌われている間、司祭が侍者らを伴い行列で聖堂に入堂しました。ちょうど天国への巡礼者であることを表すように。天国に多くの人々と一緒に入堂するかのように。

復活祭後第1主日の入祭唱 Quasi modo géniti infántes (「ほぼ生まれたばかりの赤子たちのように」という意味)と同じ第6旋法です。そこから第6旋法は単純さの旋法で、霊的幼子の旋法だと言われています。

「主は言い給う:私は平和の考えを考える」

ここで「言い給う主」とは、人類を愛する聖父です。メロディーを見ると、「平和の考え」(cogitationes pacis)の cogitationes という単語は、「主は言い給う」(dicit Dominus)と同じです。聖父と聖子とが同じ天主であることを表しているかのようです。「平和の」pacis でメロディーの頂点に達したかのようです。

入祭唱の第2部に主の約束があります。「あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。」

典礼の専門家によると、「私を」me がファの一音で、「私は」ego もアクセントがある音節にソの一音が上がるだけで、とても慎ましく、主の謙遜を表しているとされます。その反対に、信徒たちの行動を表現する動詞「あなたたちは呼ぶだろう」invocabitis と、主の行動を言い表す動詞「祈りを聞き入れよう」exaudiam は、発展したメロディーになっています。第2部の終わりがソで終わっているのも、専門家によると確実性を表すソです。

第3部は、第6旋法そのままで、とても軽く、専門家によると新鮮な若葉の牧場に連れられた子羊たちが飛び跳ねているようだ、と表現しています。つまり、捕囚から戻ってきたことを表します。私たちは主の群れの羊たちですから。私たちの主は良き牧者ですから。特に、それぞれの cunctis という単語のアクセントはとても強く、天主の権威に逃れるものは何もないことが歌われています。主の愛は、私たち各々すべてに及ぶからです。

下のリンクはソレムによる録音です。
Introït : Dicit Dominus

次のリンクは聖ピオ十世会のベルギーで録音されたものです。
Introït : Dicit Dominus
Schola Bellarmina – L’année liturgique en chant grégorien – Volume 7 / CD 14

聞き比べてくださいね。


参考までに、復活祭後第1主日の入祭唱 Quasi modo géniti infántesの楽譜は次の通りです。

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主は言い給う 私は平和の考えを考える Dicit Dominus : ego cogito cogitationes pacis 聖霊降臨後第23主日入祭唱

2017年11月10日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖霊降臨後第23主日の固有の聖歌は、聖霊降臨後最終主日まで同じものとなります。

入祭唱は、Dicit Dóminus で始まります。

カトリック教会は「時の終わり」について黙想します。主の来臨について考えます。
その時、信仰は冷え、偽りの預言者たちが立ち上がり、愛徳は弱るだろうと言われています。
そこで主に対して苦悩の呼びかけをします。先週の聖霊降臨後第22主日の入祭唱がそうでした。深い淵から私は叫んだ De profundis(詩篇129)!と。同じ、詩篇は聖霊降臨後第23主日でも、アレルヤ唱で繰り返されます。

ところで、聖霊降臨後第22主日の入祭唱に答えるかのように、聖霊降臨後第23主日の入祭唱では、平和と希望に満ちた主の言葉が返ってきます。

私たちは恐れる必要はない、何故なら、主の考えは平和の考えであるから。もしも私たちが主に忠実であるなら、私たちが主に信頼するなら、何も怖がる必要はない、と。

天主はエレミアの口を通して私たちに語りかけます。その当時エレミアはエルサレムにいました。といっても大部分のユダヤ人たちはバビロンに流刑として流されていました。彼らは絶望し、嘆き、悲しみ、預言者たちは不幸を預言していました。その中でエレミアは彼らを励まし、天主に信頼するように促します。主は彼らを解放してくださるだろう、と。

Dicit Dominus : ego cogito cogitationes pacis, et non afflictionis : invocabitis me, et ego exaudiam vos : et reducam captivitatem vestram de cunctis locis.

「主は言い給う。私は、平和の考えを考えるのであり、苦しみの考えではない。あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。そして私はあなたたちの捕囚を全ての場所から元に連れ戻そう。」

エレミアは、彼らが祖国に戻ることができるようになるだろう、と予告します。

現代も、試練と不安の時を私たちが生きています。しかし主は私たちに呼びかけ、主を信頼するようにと招いています。主は、私たちを捕囚して閉じ込めている罪という異国の場所から私たちを解放してくださるのですから。

そこで、グレゴリオ聖歌もメロディーがとても落ち着いていて平和に満ちています。

天主がお話になっている、という荘厳さがあります。

「平和の」pacis という言葉に跳躍があります。「あなたたちは私を呼ぶだろう」invocabitis me という招きには力強さが感じられます。「私はあなたたちの祈りを聞き入れよう」exaudiam vos には、優しさが感じられます。

これに詩篇84が伴います。イスラエルは、エレミアを通して伝えられた帰国の予告に感謝します。

Benedixisti Domine terram tuam : avertisti captivitatem Jacob.

「主よ、御身は、御身の地(主の民)を祝福し給うた。御身はヤコブから捕囚を避けさせ給うた。」

Introït Dicit Dominus
Schola Bellarmina – L’année liturgique en chant grégorien – Volume 7 / CD 14



天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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Rorate caeli desuper et nubes pluant justum 天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。日本語訳をご紹介いたします。

2016年12月01日 | グレゴリオ聖歌

アヴェ・マリア・インマクラータ!

聖歌 Rorate caeli desuper et nubes pluant justum (天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。)の日本語訳をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

Rorate caeli desuper et nubes pluant justum 天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。
Ne irascaris, Domine, ne ultra memineris iniquitatis.  1. 怒り給うな、主よ、これ以上邪悪を記憶し給うなかれ。
Ecce civitas Sancti facta est deserta, Sion deserta facta est, 見よ、聖なる方の都市は荒れ果てた、シオンは荒れ果てた、
Jerusalem desolata est エルサレムはもの寂しくなった、
Domus sanctificationis tuae et gloriae tuae, ubi laudaverunt te patres nostri 御身の聖化と御身の光栄の家、私たちの祖先が御身を讃美したその家は(荒れ果てた)。
Rorate... 天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。
Peccavimus, et facti sumus tamquam immundus nos 2. 私たちは罪を犯した、そして、私たちは不浄なものであるかのようになった、
Et cecidimus quasi folium universi また、至る所の落ち葉のように私たちは落ちた、
Et iniquitates nostrae quasi ventus abstulerunt nos また、私たちの邪悪らは風のように私たちを取り去った、
Abscondisti faciem tuam a nobis, et allisisti nos in manu iniquitatis nostrae 御身は御顔を私たちから隠し、御身は私たちの邪悪の手において私たちを踏みにじり給うた。
Rorate... 天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。
Vide Domine afflictionem populi tui 3. 見給え、主よ、御民の苦悩を、
Et mitte quem missurus es そして御身が遣わし給う者を遣わし給え、
Emitte Agnum dominatorem terrae de Petra deserti ad montem filiae Sion 地の支配者たる子羊を、砂漠の岩からシオンの娘の山まで遣わし給え、
Ut auferat ipse jugum captivitatis nostrae そはその方が私たちの隷属のくびきを取り除くためなり。
Rorate... 天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。
Consolamini, consolamini, popule meus 4.慰められよ、慰められよ、我が民よ、
Cito veniet salus tua おまえの救いはすぐに来るだろう、
Quare maerore consumeris, quia innovavit te dolor? 何故、おまえは悩みに憔悴するのか、苦しみがおまえをまた新たされるのか?
Salvabo te, noli timere 我は、おまえを助ける。恐れるな、
Ego enim sum Dominus Deus tuus, Sanctus Israel, 我は実におまえの主なる天主、イスラエルの聖なる者、
Redemptor tuus おまえの贖い主である。
Rorate... 天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。
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MISSA PRO DEFUNCTISで歌われる ” Dies irae ” ディエス・イレ

2016年11月12日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

11月2日は、全ての死せる信者の記念を行いました。ミサ聖祭では有名なディエス・イレ Dies Iraeが歌われますが、その中国語訳、韓国語訳、日本語訳をご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ラテン語

Dies irae, dies illa
solvet saeclum in favilla:
teste David cum Sibylla.

Quantus tremor est futurus,
quando judex est venturus,
cuncta stricte discussurus!

Tuba mirum spargens sonum
per sepulcra regionum,
coget omnes ante thronum.

Mors stupebit et natura,
cum resurget creatura,
judicanti responsura.

Liber scriptus proferetur,
in quo totum continetur,
unde mundus judicetur.

Judex ergo cum sedebit,
quidquid latet apparebit:
nil inultum remanebit.

Quid sum miser tunc dicturus?
Quem patronum rogaturus,
cum vix justus sit securus?

Rex tremendae majestatis,
qui salvandos salvas gratis,
salva me fons pietatis.

Recordare, Jesu pie,
quod sum causa tuae viae:
ne me perdas illa die.

Quaerens me, sedisti lassus:
redemisti Crucem passus:
tantus labor non sit cassus.

Juste judex ultionis,
donum fac remissionis
ante diem rationis.

Ingemisco, tamquam reus:
culpa rubet vultus meus:
supplicanti parce, Deus.

Qui Mariam absolvisti,
et latronem exaudisti,
mihi quoque spem dedisti.

Preces meae non sunt dignae:
sed tu bonus fac benigne,
ne perenni cremer igne.

Inter oves locum praesta,
et ab haedis me sequestra,
statuens in parte dextra.

Confutatis maledictis,
flammis acribus addictis:
voca me cum benedictis.

Oro supplex et acclinis,
cor contritum quasi cinis:
gere curam mei finis.

Lacrimosa dies illa,
qua resurget ex favilla
judicandus homo reus.

Huic ergo parce, Deus:
pie Jesu Domine,
dona eis requiem. Amen.

中文

MISSA PRO DEFUNCTIS 追思亡者弥撒

Dies irae 继抒咏

达味圣王,蒙主默示,预言将来,有朝一日:主动义怒,火毁判世。
审判大主,赫赫来临,思言行为,全要审问,人人战栗,个个悔恨。
号角一响,死过众生,闻声而起,出离坟坑,齐集主前,战战兢兢。
复活之人,孤苦伶仃,交代自己,一言一行,或生或死,无不惊恐。
常生记录,摆在眼前,善功罪过,一一在案 ,永福永祸,由此定断。
审判天主,一登宝座,一切隐秘,全要揭破,善有善报,恶有恶果。
义人这时,也难心安,我大罪人,更有何言?又能找谁。替我申辩?
唯有投靠,仁慈君王,人要得救,全靠主赏,我今求主,对我宽让。
仁慈耶稣,念我为祢而赎,祢为救我,走过苦路,求祢来日,再把我救。
祢为救我,疲劳奔走,祢为赎我,受十字苦。但愿这苦,没有白受。
审判大主,公正威严,审判之日,来到眼前,求祢仁慈,救我罪恶。
我今痛苦,犹如囚犯,因我有罪,羞愧满面,求主垂怜,求主宽宥。
从前祢宽恕了玛达肋纳,也饶恕了右盗,祢也给了我得救妙法。
我的祈祷虽不堪当,但祢仁慈宽宏大量,求祢救我免遭永殃。
山羊绵羊分站两边,求将我列绵羊之间,脱离山羊站祢右边。
恶人被骂遭受祸殃,投入永火理所应当,善人蒙召返回天乡。
我今俯首苦苦哀求,真心痛悔一生罪辜,期望末日蒙主宽宥。
审判之日悲惨可怕,尘土之人要从土中复活,带着罪恶去受审判。
无依无靠唯有求主宽宥,仁慈耶稣求世主,求赐炼灵息止安所。阿们。


韓国語

부속가

1. 그 의노의 날이 오매 세상만물 재되리니 다위 시빌 예언이라.
2. 심판장이 강림하사 사언행위 엄밀사핵 놀라움이 어떠할꼬.
3. 만국만방 무덤위에 나팔소리 진동하여 모든이를 모으리라.
4. 만세만민 부활하여 심판장께 대답할제 사망만물 기절하리
5, 서언행위 기록한 책 만민앞에 펼쳐놓고 세상심판 하시리라.
6; 심판장이 좌정하매 모든은밀 탄로되어 벌 없는 죄 없으리라.
7. 의인 겨우 안심커든 불쌍한 나 무슨말까 어느번호 청할쏘냐.
8 지엄하신 대왕이여 구할 자를 구하시니 나를 또한 구하소서.
9.예수여 생각하소서 주 길의 연고된 자를 그날에 멸치마소서.
10. 피곤토록 나를찾고 십자정사 구원하니 이런 수고 무익할까.
11. 공의보수 심판주여 셈바치는 그날 전에 사죄지은 베푸소서.
12. 수치만면 붉어지고 통곡체읍 구하오니 천주여 용서하소서.
13. 마리아를 사하시고 우리기구 들으시고 내게희망 주셨도다.
14. 나의기구 부당하나 지선인자 베푸시고 영원화염 꺼주소서,
15. 산양에서 나를뽑아 면양중에 않히시고 주우편에 세우소서.
16. 악인들을 벽파하여 맹렬화염 던지시고 나는천국 부르소서.
17. 부복하여 간구할새 마음이 부서지오니 내종말을 돌보소서.
18. 저날눈물의 날이니 판단받을 죄인들이 먼지에서 나오리라.
19. 주여죄인 사하소서 인자하신 주예수여 저들에게 쉼주소서. 아멘.

日本語

かの日は、怒りの日、
この世が灰燼に帰す日、
ダビドとシビラの証言の如し。

いかばかり恐ろしきたらんや、
審判者が来たり給うて
個々のことが厳格に裁かれんとするとき。

驚きのラッパは音を鳴り散らし、
各地の墓を通して
すべての者を玉座の前に集めんとせん。

死も自然も驚くなり。
被造物がよみがえる時、
審判者に答えんとせんがために。

書かれた本がさしだされん、
そこにすべてが含まれている本が、
それによりてこの世が裁かれる本が。

よりて審判者が玉座に座し給うとき、
何であれ隠されていたことは明らかにされ、
そのまま隠されて残るものは何も無し。

その時哀れな私は何をば言わんや?
如何なる弁護者を頼まんとするや?
義人さえほとんど安全ではなきその時に。

恐るべき御稜威の王よ、
御身は救われるべき者を無償で救われ給う、
憐れみの泉よ、我を救い給え。

思い出し給え、憐れみ深きイエズスよ、
御身がこの世の生を受けたるは、我がためなることを、
かの日に我を滅ぼし給うなかれ。

御身は我を探し求めて疲れ座り給い、
十字架を堪え忍び、贖い給うた、
かくなる苦労が無とならんように。

正義なる最後の審判者よ、
赦しの賜をなし給え、
決算の日の前に

被告として我は嘆き、
罪は我が顔を赤らる、
天主よ、こいねがう者を容赦し給え。

御身はマリア(マグダレナ)を赦し給い、
盗賊の祈りも聞き入れ給いし、
我にも希望を与え給いき。

我が祈りは相応しからず、
しかれども優しき御身、大目に取り扱い給え、
我が永遠の火に焼かれざらんがために。

羊たちの間に場所を与え給い、
牡山羊から私を分離し給え、
右側に置き給え。

呪われし者どもは辱められ、
激しい炎が加えられるとも、
至福者たちとともに我を呼び給え。

我ひれ伏し額づきて願い奉る。
灰の如く砕かれた心もて、
我が最期を計らい給え。

かの涙の日は、
灰からよみがえる日、
裁かれるべき被告なる人間が。

故に、天主よ、この者を容赦し給え、
憐れみ深き主イエズスよ
彼らに安息を与え給え。アーメン。


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O cor Jesu, fons amoris おおイエズスの聖心よ、愛の泉よ、

2016年08月29日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

O cor Jesu の日本語訳をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


O cor Jesu, fons amoris,
caritatis victima,
vocibus te iam sonoris
laudent cordis intima.

Tu perenni gratiarum
rore mentes irrigas,
crucis lignum tu amarum
haustu dulci mitigas.
Amen.

--------------------

おお、イエズスの聖心よ、愛の泉よ、
愛徳のいけにえよ、
御身を心の響きの声で親密に人々が讃美せんことを。

御身は、聖寵のとこしえの露で心を灌漑し給う、
御身は、十字架の苦い木を、甘い飲み物に和らげ給う。
アメン
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聖イグナチオの祈りにインスピレーションを受けた歌「オ・イエズ」

2016年08月27日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

光明社発「公教聖歌集」517番には、オ・イエズという歌があります。
これは聖フランシスコ・ザベリオの作った詩ではなく、聖イグナチオの祈りの内容を詩の形式にしたもので、
聖フランシスコ・ザベリオの詩に似せて作ってあります。

オ・イエズ・・・公教聖歌集 [517番]

O Jesu, ego amo Te,
Nam prior Tu amasti me,
En libertate privo me,
Ut vinctus sponte sequar Te.

ああイエズスよ、我は御身を愛し奉る。
そは御身こそが先に我を愛し給えばなり。
見よ、我は自由を放棄し奉る。
御身の捕虜となりて御身に自由に従わんため。

O Jesu, in Te confido,
quia Tu redemisti me,
En totum Tibi trado me,
Ut solus regnes super me.

ああイエズスよ、我は御身に信頼し奉る。
そは御身こそが我を贖い給えばなり。
見よ、我が全てを御身に委ね奉る。
御身のみが我を統治し給わんため。


これはここで、歌われています。
https://www.youtube.com/watch?v=yYhfQwxnYw0

またここにもあります。



Cantata “Wind to Tomorrow”
《明日的風》清唱劇松下 耕
7:40 ぐらいの所から歌われます。

2番以降は別の歌詞もあります。これは、聖フランシスコ・ザベリオの歌をまねて、
次の「聖イグナチオの祈り」にインスピレーションを受けた歌です。

Suscipe, Domine, universam meam libertatem.
Accipe memoriam, intellectum, atque voluntatem omnem.
Quidquid habeo vel possideo mihi largitus es; id tibi totum restituo,
ac tuae prorsus voluntati trado gubernandum.
Amorem tui solum cum gratia tua mihi dones,
et dives sum satis, nec aliud quidquam ultra posco. Amen.

「主よ、願わくはわが自由を受け入れ給え。
わが記憶、わが智恵またわが意思をことごとく受け入れ給え。
わが持てるものはみな主の賜物なり。
我は全てを主に帰し、主の御旨のままに捧げ奉る。
ただ主の聖寵と共に主の御愛を我に与え給え。
さらば我は満ち足りて、他の何物もあえて願わじ。」


DEUS EGO AMO TE. 【日本語訳】

ああ天主よ、我は御身を愛し奉る。
御身が我を先に愛したが故に。
見よ、我は自由を放棄し奉る。
自らすすんで繋がれて御身に従って行くために。

願わくは記憶が、何も思い出さないことを、
御身の栄光についての他は。
願わくは知性が何も味わわないことを、
御身を理解するため以外は。

私は何も望まないと宣言する
御身が望むことを知ること以外は。
御身の賜物によって私のものとなった全ては
ここの私の捧げによって御身のものなり。

私は御身から全てを受けた、受け取り給え。
御身がそれらに望むことを、命じ給え。
御身のご存じの通り、お望みの通り、統治し給え。
御身が愛する方であると知るが故に。

愛だけによって私に与え給え。
私も御身を愛することが出来るように、
これ[この愛]を与えるなら、御身は全てを与え給う。
何故なら、その他のものは、夢だから。


DEUS EGO AMO TE. 【ラテン語】

O Deus ego amo te,
Nam prior tu amasti me,
En libertate privo me
Ut sponte vinctus sequar te.

Nil suggerat memoria,
Nisi de tua gloria,
Nil intellectus sapiat,
Praeterquam ut te capiat.

Protestor nihil velle me
Nisi quod sciam velle te;
Quae dono tuo mea sunt,
Haec dono meo tua sunt.

A te accepi, recipe.
Quid iis velis, praecipe ;
Guberna sicut scis, et vis,
Nam scio quod amator sis.

Amore solo dona me,
Ut ego quoque amem te;
Haec dando dabis omnia.
Nam cetera sunt somnia.


ところで以前ご紹介した、聖フランシスコ・ザベリオの祈り O Deus, ego amo te ああ天主よ、我は御身を愛し奉るの歌は、Catholic Encyclopedia の「O Deus Ego Amo Te」の項によると、元々はスペイン語の次の歌だったと主張しています。
しかし、このスペイン語の歌はアビラの聖テレジアによるとされたりしています。

No me mueve, mi Dios, para quererte,
el cielo que me tienes prometido;
ni me mueve el infierno tan temido
para dejar por eso de ofenderte.

Tú me mueves, Señor, muéveme al verte
clavado en una Cruz y escarnecido;
muéveme el ver tu cuerpo tan herido;
muévenme tus afrentas y tu muerte.

Muéveme, en fin, tu amor, y en tal manera,
que aunque no hubiera cielo, yo te amara,
y aunque no hubiera infierno, te temiera.

No me tienes que dar porque te quiera;
pues aunque lo que espero no esperara,
lo mismo que te quiero, te quisiera.


私自身は、以前ご紹介した、聖フランシスコ・ザベリオの祈り O Deus, ego amo te ああ天主よ、我は御身を愛し奉るの歌は、聖フランシスコ・ザベリオ自身によるものだと考えています。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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洗者聖ヨハネの祝日の晩課で歌う有名な Ut queant laxis resonare fibris

2015年06月24日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は、聖ヨハネの祝日です。この日に聖務日課の晩課で歌う有名な Ut queant laxis resonare fibris という賛歌の日本語の訳をご紹介します。

この訳は、2年前の記事「聖ヨハネの有名な Ut queant laxis resonare fibris という賛歌」の中からのものです。

Ut queant laxis resonare fibris しもべらがゆるやかな声帯で
mira gestorum famuli tuorum, 御身の驚くべき行為を奏でることが出来るよう
solve polluti labii reatum, けがれた唇の罪を赦したまえ
Sancte Iohannes. 聖ヨハネよ。

Nuntius celso veniens Olympo 高き天より御使いが来たりて
te patri magnum fore nasciturum, 偉大なる御身が生まれることを
nomen et vitae seriem gerendae 御身の名とその一連の生涯を
ordine promit. 正しく御身の父に預言する。

Ille promissi dubius superni 父は天からの預言を疑い
perdidit promptae modulos loquelae, 意のままに話す力を失った
sed reformasti genitus peremptae しかし御身は生まれると
organa vocis. 失われた声の喉を直した。

Ventris obstruso positus cubili 御身は閉ざされし母胎にあるとき
senseras regem thalamo manentem; 寝室にいる王を察知した
hinc parens nati meritis uterque ここから両の親は子供の功徳により
abdita pandit. 秘密のことを明らかにする。

Antra deserti teneris sub annis 御身は少年のとき民の喧騒を避けて
civium turmas fugiens petisti, 荒野の洞穴におもむいた
ne levi saltem maculare vitam 軽薄な会話でその生きざまを
famine posses. せめて汚すことがないように。

Praebuit hirtum tegimen camelus 駱駝が剛毛の衣服を、羊が腰紐を
artubus sacris, strophium bidentes, 聖なる体に与えた
cui latex haustum, sociata pastum 飲物は水であり食物は
mella locustis. 蜂蜜といなごであった

Caeteri tantum cecinere vatum 他の予言者達が予感の心で告げたのは
corde praesago iubar adfuturum, ただの光の到来にすぎなかった
tu quidem mundi scelus auferentem ところが御身は世の罪を取り除くお方を
indice prodis. 指を指して明らかにした。

Non fuit vasti spatium per orbis 広き世界の中でもヨハネに以上に
sanctior quisquam genitus Iohanne, 聖なる人が生まれたことはない
qui nefas saecli meruit lavantem 彼は世の罪を洗い清めるお方を
tingere lymphis. 水で濡らすを許された。

O nimis felix meritique celsi, ああ余りにも幸福で高き功徳の人
nesciens labem nivei pudoris, 白い純潔の汚れ知らず
praepotens martyr eremique cultor, いとも力ある殉教者にして隠遁の信奉者
maxime vatum! 最大の予言者!

Serta ter denis alios coronant 三十の果実をつけた冠が、他の人達を飾り
aucta crementis, duplicata quosdam, 別の人達をその倍の果実の冠が飾る
trina centeno cumulata fructu ところが聖者よ御身を飾るのは
te, sacer, ornant. 三百の果実を盛った冠なのだ

Nunc potens nostri meritis opimis 最善の功徳もて力ある御身は今こそ
pectoris duros lapides repelle, われらの胸の堅き石を除きたまえ
asperum planans iter et reflexos 起伏多き道をならし
dirige calles, 曲がれる小道を伸ばしたまえ

Ut pius mundi sator et redemptor 世の優しき救い主かつ贖い主が
mentibus pulsa livione puris 邪念の去った清い人々の心に
rite dignetur veniens sacratos 正しく聖なる足取りを置いて
ponere gressus. かたじけなくも来給わんことを。

Laudibus cives celebrant superni 天の住民は御身を称賛し奉る
te, Deus simplex pariterque trine, 一にして三位なる天主よ、
supplices ac nos veniam precamur, われらもまた伏して許しを願い奉る
parce redemptis.  贖われた者たちを容赦し給え。

Sit decus Patri genitaeque Proli 聖父および生まれし聖子に
et tibi, compar utriusque virtus, 聖父と聖子との等しく両者の力なる聖霊よ御身にも、
Spiritus semper, Deus unus, omni 唯一の天主よ、常に栄光あれ
temporis aevo. いつの世にも

Amen.アーメン


洗者聖ヨハネよ、我らのために祈り給え!
洗者聖ヨハネよ、日本のために祈り給え!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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アレグリ(Gregorio Allegri)の「ミゼレーレ」 Miserese

2015年05月19日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 私の知人にYouTubeにはまっている方がいます。聖伝のミサに与るようになって下さるといいと願っていますが、まだ知り合いになって間もない友人です。

 彼は毎日、宗教音楽を聞いてから寝るのだそうです。寝る前にテレビのスクリーンにYouTubeを映して、聖歌を聞くのだそうです。彼は、今まで聴いた音楽の中で最高はこれだ!というのを私に教えてくれました。

 彼は、将来「YouTubeの最高の宗教音楽 選曲50」という本を書いて出版したいそうです。

 そうして教えてくれたもののうち最高だ!と彼が思ったのが、アレグリ(Gregorio Allegri)の「ミゼレーレ」です。彼によると、このバージョンがいろいろ聞いたうちで一番よい、とのことです。




 よく知られた話によると、実は、この曲はシスティーナ礼拝堂だけでのみ歌うことが許され、門外不出とされていました。もしもこの掟を破るものがあれば、破門の刑さえ課されていたそうです。

 ところで、当時十四歳であったモーツァルトは、ローマの旅行中バチカンのシスティーナ礼拝堂でこの曲を初めて聞いたそうです。彼は、この曲を一度聴いて覚えてしまい、記憶を頼りにこれを書き取り、数日後もう一度礼拝堂へ行ったとき、細かい間違いに気づいてそれを修正したそうです。

 その後、イギリス人のチャールズ・バーニーは、モーツァルトからこの楽譜を受けて1771年に出版します。ローマ教皇クレメンテ十四世は少年のモーツァルトをローマに呼びつけます。しかし、天童を見ると、破門する代わりに天才的才能を褒めた、とのことです。

 別の聖歌隊(ザ・シックスティーン)が歌っているものもあります。



天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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