Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2018年 9月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


9月
主の十字架を賞賛しましょう。
意向:カトリック教会が聖伝に立ち返るため
実践すべき徳:苦行
守護の聖人:聖ピオ十世

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2018年 9月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセス EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

    9月1日(初土)聖母の土曜日(4級)白
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

    9月9日(主)聖霊降臨後第16主日(2級)緑 ←キャンセルされました
    9月10日(月)【日本】日本205福殉教者(3級祝日)赤 ←キャンセルされました

    9月21日(金)使徒福音史家聖マテオ(2級祝日)赤
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭(歌ミサ)

    9月22日(土)四季の斎日 土曜日(2級)紫
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭(歌ミサ)

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」
    9月2日(主) 聖霊降臨後第15主日(2級)緑 
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

    9月3日(月) 証聖者教皇聖ピオ10世(聖ピオ十世会では1級祝日)白
            午前7時 ミサ聖祭

    9月23日(主) 聖霊降臨後第18主日(2級)緑 
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

    9月24日(月) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
            午前7時 ミサ聖祭

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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ローマ公教要理【使徒信経の部】をご紹介します(3)

2010年08月31日 | カトリックとは
第二章
第一条 天地の創造主、全能の父である神を信じます


1 第一条の概要

 神を信じるとは、私は全能の力をもって無から天と地およびそこにあるすべてのものを造り、保ち、支配しておられる神である父すなわち三位一体の第一のペルソナを固く信じ、何らの疑惑をもつことなく告白し、またただ心で信じ口で宣言するだけでなく、最大の努力と敬虔をもって完全な最高の善として認めこれに向かう、という意味である。
 これが第一条の概要である。しかしその一つ一つの言葉には深遠な奥義が秘められているのであるから司牧者は細心の注意をもってこれらの奥義を正しく把握し、神のお望みならば信者たちがおそれとおののきのうちに神の無限の栄光を仰ぎ見ることができるようにすべきである。

2 「信じる」ことの意味

 ここでいう「信じる」とは、考える、思う、見解をもつ、というような意味ではない。信じるとは聖書が教えているように、ご自分の奥義を啓示する神に対してゆるぎない不変の賛同を示す、確固とした心からの同意のことである。したがって信仰者とは、あることを何のためらいもなく確かなものとして確信しているもののことである ( そのような人についてここでは述べるのである )。
 ところで信仰による知識は、信ずべき事柄は目に見えないところから、それだけ確実性が少ないと考えてはならない。信ずべき事柄を啓示する神の光はその事柄に自明性を与えるものではないが、しかし私たちがそれを疑うことをゆるさない。なぜなら「闇から光が輝き出せとおおせられた神」(コ②4:6)は滅びる人々にとってそうであったように私たちにとっても福音がおおわれていないように私たちの心を照らしてくださったからである。(コ②4:3参照)

3 信経の内容をすなおに信じること

 したがって、信仰による天来の知識をもっている人は単なる好奇心によるせんさく欲から解放されている。実際、神は私たちに信じるようお命じになったときご自分の考えをせんさくしたり、その理由や動機を調べるよう頼んだのではなく、不動の信仰をお命じになったのである。そしてこの信仰によって私たちの魂は永遠の真理を知りそこにいこうのである。実際聖パウロは、「神は真実であり、人はみないつわりものだといわねばならない」(ロ3:4)と言っている。もし聡明な人の断言を信用せずその理由や証拠を要求することが傲慢なことであり無礼であるとするならば、神ご自身の御声を聞きながら救いに関する天来の真理についてあえて証拠を求めるものは、どれほど無謀で愚かなものであろうか。したがって何の疑問もさしはさまないだけでなく、証明を求めることもせずに、信ずべきである。

4 信じるだけでなくその信仰を公けに告白すべきこと

 司牧者はまたつぎのことを教えるべきである。つまり、「私は信じる」という人は、内的に同意するだけでなく( それは信仰の内的行為である )信仰を公然と告白することによって自分の心にあることを外に表明し、喜びと熱心さをもってそれを告白し述べ伝えなければならない。すべての信者は、「私は信じた、だから私は話した」(ヴルガタ訳詩114:10)と言った預言者の精神をもつようにしなければならない。またイスラエルのかしらたちに向かって「私たちとしては見たこと聞いたことを黙っているわけにはいきません」(使4:20)と答えた使徒たちを模倣すべきであり、「私は、福音を恥としない、福音は、すべての信仰者、まずユダヤ人、そしてギリシャ人を救う神の力だからである」(ロ1:16)といま述べたことをとくに証明する、「人は心で信じて義とせられ、ことばで宣言して救いを受ける」(ロ10:10)ということばを聞き奮い立つべきである。

5 キリスト者の信仰の卓越性

 「神を」信じる。このことばはキリスト教的英知の卓越性と尊厳とを示しており、それはまた私たちがどれほど神のご好意に負うところが多いかと教えている。神はいわば信仰の階段を登るかのようにしてもっとも崇高なまたもっとも望ましい事柄を私たちにお教えになったのである。

6 神に関する哲学的知識とキリスト教的英知との相違

 キリスト教的英知と哲学的知識とは大いに異なっている。哲学的知識は自然的な理性の光だけをたよりに、感覚によって把握されるものと事物の結果をもとに、多くの努力を重ねながら徐々に上昇し、ついにどうにか神の見えない事柄を見いだし、神を存在するすべての事物の原因、創造者として認め理解する。これに対してキリスト教的英知は、精神の自然的力を高め難なく天にまで引き上げ照らす神の光によって、まずすべての光の永遠の源を観想し、またその光に照らされたほかのものを観想する。それによって私たちは使徒たちのかしらが言っているように、闇から輝かしい光に呼ばれた(ペ②2:9参照)と言う完全な心からの喜悦を味わい、また私たちの信仰は言い尽すことのできないほどの喜びをもたらすであろう(同書1:8参照)。
 信者たちが神に対して信仰の態度をとるのはもっともなことである。なぜなら神はイエレミヤが言っているように(イエ32:19参照)理解を超えた尊厳をもち、使徒聖パウロによると、近づけない光のうちに住み、だれも見たこともなくまた見ることもできないお方であり(ティ①6:16参照)、また神ご自身がモイゼにおおせられたように、かれをながめて生きながらえる人はだれもいない(出33:20参照)ほどのお方であって、私たちの魂がすべてを超越する神にまで到達するためには感覚から完全に離脱することが絶対に必要であるが、このことは人間にとってこの地上では不可能なことである。
 とはいえ聖パウロが言っているように、神は「ご自分がなにものであるかを、絶えず証しておられた。すなわち恵みをくだし、天から雨とみのりの時を与え、糧と喜びをもって、人々の心を満たしてくださった」(使14:17)。そのため哲学者たちは神には卑俗なものは全くないと考え、物体および混合物や合成物は一切神にふさわしくないとしてしりぞけた。そして神はあらゆる善の充満であるとし、私たちが見る善や完全さを被造物の上に及ぼす善と愛の尽きない永遠の泉であると考えていた。そして神を知者、真理の源、真理の友、義者、最高の恩人など最高の絶対的な完全さを示すあらゆる呼び名で呼んでいた。また神にはあらゆる事物、あらゆる場所に及ぶ測り知れない無限の力があると言っている。
 しかしこのようなことは聖書で一層確実にまた明白に立証されている。たとえば「神は霊である」(ヨ4:24)、「あなたたちの天の父が完全であるように、あなたたちも完全なものになれ」(マ5:48)と言われており、また「神のみ前に、すべては明らかであり、ひらかれている」(ヘ4:13)と書かれており、「神の富と上知と知識の深さよ」(ロ11:33)とも言われている。さらに、「神は真実である」(ロ3:4)、「私は道であり、真理であり、命である」(ヨ14:6)、「あなたのおん右は正義に満ちている」(詩48:11)とある。また、「あなたはみ手を開いて、人を飽かせる」(詩145:16)とあり、さらに、「あなたの霊を、遠くはなれられようか?み顔からどこに逃げられようか?天にかけ上っても、あなたはそこにおられ、冥土を床にしても、あなたはおられる。私が暁の翼を駆って海のはてに住もうとしても、そこでも、み手は私におかれる」(詩139:7~9)と言われ、「私は天と地とをみたすものではないか?――主のお告げ――」(イエ23:24)とも書かれている。
 これらはすばらしい崇高な概念で、哲学者たちは造物界に関する考察からそれを得たのであった。そしてこれらの概念は神の本性に関する聖書の教えと合致している。しかしこれらの点でも上からの啓示が必要であることは、すでに述べたように信仰は学問や教養のないものに学者が長い年月をかけてはじめて身につけた知識をすぐに難なく解き明かすだけでなく、信仰による知識は人間の学問による知識よりもはるかに確実で、決して誤ることがないことをみれば分かるであろう。さらに信仰による知識がすぐれていることは、神の実体に関する概念をみれば明らかである。自然界の考察による方法ではずべての人が一様に神の実体を知るようにはならない。これに反して信仰の光は信じる人々にそれを教える。
 さて信仰が神について教えることはすべて信経の箇条の中に含まれている。そこでは神の本質の単一性、三つのペルソナの区別、さらに「神を求めるものに報いをくださる」(ヘ11:6)と聖パウロが言っているとおり、神は私たちの究極目的であり、超自然的な永遠の幸福はかれから期待すべきことが述べられている。聖パウロよりずっと以前に預言者イザヤはこの至福がいかに大きいか、また人間がそれを知ることができるかどうかをつぎのように表現している。「そのことについては、昔から、話をきいたこともない。あなた以外の神が、自分により頼むもののために、これほどのことをされたと耳に聞いたこともなく、目で見たこともない」(イ64:3)。

7 神は唯一である

 すでに述べたことからして、多くの神があるのではなくただ御一体の神があることを告白すべきである。私たちは、神は最高の善で、完全さそのものであると知っている。さて絶対的な完全さを多くのものがもつことは不可能である。最高、絶対者であるためにわずかでも欠けるところがあるならば、そのものは不完全であり神ではありえない。神が唯一であることは聖書の多くの箇所で言明されている。「イスラエルよ、聞け、われわれの神、主は唯一のものである」(第6:4)。さらにそれは神の掟でもある。「私以外の、どんなものも、神にするな」(出20:3)。そして神はしばしば預言者イザヤをとおしてこうおおせられた。「私ははじめのもの、最高のもの、私のほかに神はない」(イ44:6)。最後に、聖パウロもまたはっきりと、「主は一つ、信仰は一つ、洗礼は一つ」(エ4:5)と言っている。

8 時として被造物が神と呼ばれるわけ

 聖書は時として被造物に対して神という名称を用いているが、これに驚いてはならない。なるほど聖書は預言者や士師たちを神と呼んでいるが、それは不敬虔をもって愚かにも多くの神々をつくり出した異教徒に倣ったのではなく、普通の言い方に従って神から与えられたすぐれた才能や働きを言い表わすためである。したがってキリスト教信仰はニケア公会議の信経に言われているように神はその本性において、実体において、本質において唯一であると信じ宣言する。(1) さらに高くのぼってこのキリスト教信仰は神の唯一性と同時に、その唯一性における三位を認めまた三位における唯一性を認めている。(2) つぎにこの奥義について説明することにしよう。

9 神はすべての人の父であるが、特別にキリスト者の父である

 信経にはつぎに、「父」という語がある。神は多くの理由から父と呼ばれる。したがってここではどのような意味で父と呼ぶのかそれを説明すべきであろう。信仰の光によってやみを取り払ってもらえなかったものでもある人々は、神とは永遠の実体ですべてはかれに由来すること、すべてのものはかれの摂理によって支配され各自の秩序と状態を保っていることを理解していた。そしてかれらは家族の発展の基になりその家族を自分の助言と権威をもって指導していくものを父と呼んでいるところから、すべての事物の創造者で支配者である神を同じように父と呼んだのである。
 聖書も、万物の創造や全能の力、感嘆すべき摂理が神のものであることを示すために父ということばを用いている。実際つぎのように書かれている。「主はあなたを生んだ、あなたの父ではないのか?あなたをつくり支えるのは、主ではないのか?」(第32:6)。また「私たちはみな、ただひとりの父をもっている。私たちをおつくりになったのはただおひとりの神ではないか?」(マラ2:10)とも書かれている。
 しかし神は新約聖書においてよりひんぱんに父と呼ばれ、特別にキリスト者の父と呼ばれている。かれらは恐れの中に生きさせる奴隷の霊を受けたのではなく養子の霊を受け、これによって神を「アッバ、父よ」と呼ぶのである(ロ8:15参照)。「私たちは神の子と称されるほどおん父からはかりがたい愛を与えられた。私たちは神の子である」(ヨ①3:1)。「私たちが子であるのなら、世つぎでもある。キリストとともに公栄をうけるために、その苦しみをともに受けるなら、私たちは、神の世つぎであって、キリストとともに世つぎである」(ロ8:17)。「多くの兄弟の長子とするためである」(ロ8:29)、「私たちを兄弟と呼ぶのを恥とされなかった」(ヘ2:11)。
 したがって神と創造や摂理との関係づける一般的な面から言っても、あるいは特別にキリスト者の霊的養子関係の面から言っても、信者が神を父として認め宣言するのは当然のことである。

コメント (1)

ローマ公教要理【使徒信経の部】をご紹介します(2)

2010年08月30日 | カトリックとは
第一章
信仰と信経について


1 本書でいう信仰とは何か

 信仰という語は聖書では多くの意味に使われているが、本書では、神が啓示された真理に全き同意を与えること、という意味にとる。このような信仰が救いを得るために必要であることに疑いをさしはさみうる人はだれもいないであろう。聖書にも「信仰がなければ、神によろこばれることはできない」(ヘ11:6)と書かれているからである。実際、人間の至福のために啓示された目的は、人間精神の力で知り尽くすには余りに高すぎる。そのため神ご自身からそれに関する知識をさずかる必要があった。さて信仰とはこの知識にほかならず、これによって私たちはためらうことなく、聖なる母である教会が神から啓示されたものとして認めたすべてのことを確かなものとして受け入れるのである。なぜなら真理そのものである神が啓示されたことについて何らかの疑いをさしはさむことは不可能だからである。そこからして、神への信仰と一般の歴史家に対する信仰がどれほど異なっているかが分かる。
 信仰はその広さ、深さにおいて段階があり、聖書ではつぎのように言われている。「信仰のうすい者よ、なぜうたがったのか」(マ14:31)、「あなたの信仰は深い」(マ15:28)、「私たちの信仰を増して下さい」(ル17:5)、「信仰もそれと同じく善業がともなわなければ、死んだものである」(ヤ2:17)、「愛によって働く信仰」(ガ5:6)。しかし種類はただ一つで、同じ定義の意味内容がすべての段階にあてはまる。信仰から生じる果実と私たちにもたらされる利益については、信経の各箇条の説明の中で述べることにしよう。
 
2 使徒たちから伝えられた十二箇条の教え

 キリスト者がまず知らなければならないことは、信仰における私たちの師にして案内者である使徒たちが、聖霊の導きのもとに、信経の十二箇条にまとめている事柄である。主の使者として(コ②5:20参照)全世界に行きすべての人に福音を述べ伝える命令を受けたかれらは(マ28:18~20、マル16:15~18参照)すべての人が同じことを考え語るようにするため、また同じ信仰に召されている人々が互いに分裂せず、同じ心、同じ考えをもって完全に一致するように(コ①1:10参照)、キリスト教信仰の決まった表現をつくる必要があると考えた。

3 それが信経 ( Symbolum ) と呼ばれるわけ

 使徒たちは自分たちがつくりあげたこのキリスト教信仰と希望の宣言を「信経」と呼んだ。それは使徒たち各自が作成し持ち寄った種々の文章から成り立っているからであり、またキリストの軍隊のしるしをもつ真の兵士と教会に忍び込み福音を腐敗させる逃亡兵や偽の兄弟とを見分けるしるしおよび合ことばのようなものだからである。

4 信経は何箇条に分けられるか

 キリスト者が個別的にまた総括的に固く信じるように義務づけられているキリスト教の真理はたくさんある。しかしそのうちいわば真理の基礎であると同時に頂点になるもので、必ずすべての人が第一に信じなければならないのは神ご自身が教えられたように、神の本質は一つであること、三つのペルソナがあること、特別の理由から各ペルソナに帰せられる働きは異なること、である。そして司牧者はこれらの奥義に関する教えは使徒信経の中に要約されていることを説明しなければならない。実際、信心をこめて入念にこれらのことを取り上げた先祖たちが指摘しているように、この信経はおもに三部に分けられるようである。第一部は神の第一のペルソナとその感嘆すべき御業について、第二部は第二のペルソナと人類のあがないの奥義について、第三部は私たちの聖化の原理であり泉である第三のペルソナについて述べている。これら三部は互いに関連をもっているとはいえ区別されている。
 私たちは教父たちがしばしば用いているたとえをかりて、それを箇条 ( Articulus ) と呼んでいる。実際、私たちの肢体はいくつかの関節 ( Articulus ) によって分けられているが、それにならってこの信仰告白においても、特別にそれとして信じなければならない真理を箇条 ( Articulus ) と呼ぶのはきわめて正しくまた当然のことであろう。

コメント

ローマ公教要理【使徒信経の部】をご紹介します(1)

2010年08月29日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 私たちは聖伝のミサの後にローマ公教要理を一緒に学んでいます。とてもよい公教要理です。一部ご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ローマ公教要理 【使徒信経の部】
Catechismus Romanus

序文
教会における司牧者の必要性と権威および役務について
またキリスト教のおもな教義について


1 人は自分の力だけで真の英知を知り、至福に至ることはできない

 人間の知性や思考というものは、多大の努力と労苦を重ねて探求することにより、神について多くのことを知りうるようにできている。さて人間は永遠の救いのために、神のみ姿に似せて造られたのであるが、その救いを得るための手段全般についていうと、人間本来の力だけでは決して知ることも手に入れることもできない。
 もっとも聖パウロが教えているように、「神の不可見性すなわちその永遠の力と神性とは、世の創造の時以来、そのみわざについて考える人々にとっては、見えるものである」(ロ1:20)。しかし代々にわたって隠されていた奥義は人間の知性を超えるもので、もし神が信仰をとおして、キリストという異邦人への奥義の光栄の富を聖徒たちに知らせようとされなかったならば(コロ1:26~27参照)、人間がどれほど努力しても、この英知を知ることはできなかったであろう。

2 どのようにしてこの素晴しい信仰の賜物は得られるか 

 信仰は聞くことからはじまる(ロ10:17参照)。したがって永遠の救いを得るためには、正統信仰をもつ熱心な教師の努力と奉仕が必要であることは明らかである。実際、つぎのように書かれている。「宣教するものがなければどうして聞けよう、遣わされなかったら、どうして宣教できよう」(ロ10:14~15)。そして慈愛深く寛大な神は、世の初めから、ご自分に属する人々を決してお見捨てにならなかった。むしろ何度も、いろいろな方法で、預言者を通じて先祖にお語りになり(ヘ1:1参照)、それぞれの時代の状況に応じて、天の祝福に至るためのまっすぐで確実な道をお示しになった。

3 キリストと使徒たちおよびその後継者たちによる教え

 さらに神は、国々を照らす光となり地の果てまで神の救いをもたらす、正義の教師を遣わす約束をされていたが(イ49:6参照)、ついに御子を通じて私たちにお語りになった(ヘ1:2参照)。そしてかれの言うことを聞き、その命令に従うよう、厳かな栄光のうちに天からの御声をもってお命じになった(ペ②1:17参照)。その後、御子はある人々を使徒にし、ある人々を預言者にし、ある人々を牧者や教師にして(エ4:11参照)生命のみことばを伝えさせ、私たちがいろいろな教えの風に吹き廻されほんろうされる子供のようになることなく(エ4:14参照)、神の住まいとなるために信仰を土台 に聖霊によって建てられるようにされた。

4 司牧者たちの教えを聞く態度について

 教会の司牧者たちが説教する神のみことばは、人間の言葉としてではなくむしろまことのキリストのみことばとして受け入れなければならない。私たちの救い主は、「あなたたちの言うことを聞く人は私のいうことを聞く人である」(ル10:16)とおおせられて、かれらの教えにそれだけの権威をお与えになっている。この主のみことばは使徒たちだけについて言われているのではなく、かれらの正統な後継者として教職を引き継ぐ人々についても言われており、主はかれらとともに世の終りまでいると約束されたのである(マ28:20参照)。

5 司牧者たちによる教えの必要性

教会は神のみことばの説教を決して絶やしてはならないのであるが、とくに今の時代にあってはより一層の敬虔と熱心さをもって健全な教えの食物を信者たちに与え、かれらを養い強めていかなければならない。というのは、主が「私はそんな預言者を送らなかったのに、かれらは走り寄って来た。私はかれらに話さなかったのに、かれらは預言する」(イエ23:21)とおおせられた偽預言者たちが出て、さまざまな変った教えをもって信者たちの心を惑わせようとしているからである。このようなかれらの不信仰は、悪魔のあらゆる奸策に助けられて、どこにも封じ込めえないほどに広まっている。そして、ご自分の教会を堅固な基礎の上にお建てになり、地獄の門もこれに勝てないとおおせられた(マ16:18参照)救い主の力強いお約束に支えられないかぎり、これほどの敵にあらゆる方面からいろいろの武器をもって攻め立てられる今日の教会は、打ち倒されるのではないかと大いに気遣われるほどである。実際、昔は先祖から真のカトリックの教えを受け継ぎ熱心にそれを守っていたが、今は正しい道を捨てて迷い先祖の教えから遠ざかりながら、自分は信仰を守っていると公言する有名な地方もあるが、そのような地方は言うに及ばず、キリスト教国のどのような片すみでも、このような疫病が忍び込むには余りに遠いとか、または十分に防禦されているとか言えるような場所は全くない。

6 異端者による要理教育

信者たちの心を腐敗させようともくろむ人々は、公の説教をもって有害な教えを吹き込むことが不可能であると知っているので、ほかの方法を用いてはるかにたやすくまた広く、不信仰の誤謬を広めようとした。かれらはカトリックの信仰を覆そうとして大著作をあらわしただけでなく(これらははっきりとした異端を含んでいるので用心しなければならないが、それを見分けるためにはおそらく大した努力も技倆も必要としないであろう)、無数の小冊子を書いている。それらはまことの信仰の外見をもっていて、無防備で単純な人々をどれほどやすやすとだましたことか、信じられないほどである。

7 トリエント公会議がとった対策

 そのためトリエント公会議の教父たちは、これほどまでに有害な悪に対して何らかの救済手段を講じようと切に望んだ。そのためにはカトリック信仰のおもな項目を確認するだけでは不十分と考え、信仰の基本的な事柄を信者たちに教えるための、一種の大要と理論を含んだ書を著わし、それを全部の教会で正統な司牧者や教師に使用させるようにした。

8 教理提要の作成

 これまでにも多くの人が深い信仰と学識を傾けて、そのような書物を著わした。しかし教父たちは、主任司祭その他教えの役務にたずさわる人々が信者の教育のために確実な教えをくみ取ることができるような本を、聖なる公会議の権威のもとに出版することはきわめて大切なことであると考えた。それは「主は一つ、信仰は一つ」(エ4:5)であるように、信者たちに信仰と信仰によるあらゆる務めを教えるための方法や基準も一つにするためである。

9 提要は教え全部を含まない

 さて、キリスト教信仰告白に関する事柄は数多くあるのであるから、公会議が一冊の本でキリスト教教義全部をくわしく説明しようとしているなどと思ってはならない(そのような説明は、キリスト教全体の歴史および教義の説明を専門にしている人々によってなされるはずであり、またそのような仕事はいわば際限のないもので、公会議の手に余ることは明らかである)。公会議は主任司祭やその他、霊魂の司牧にたずさわる司祭たちに、司牧に適した事柄で信者たちが理解できる程度のものを教えることを目的としている。したがって、神に関する事柄でより難解な点について自信がなく、熱心に研究しようとする司牧者たちの助けとなる事柄だけを取り上げたのである。

10 司牧において心すべきこと

 この教えの大要を含む各条の考察に入るまえに、ものの順序として、司牧者たちが眼前にし黙想しなければならない、いくつかの点について述べなければならない。それによってかれらは、自分たちの教え、努力、熱意すべてをどこに向けなければならないか、またどのようにすれば目指していることをより容易に達成し実現できるかを知るようになるであろう。
 まず常に記憶しておくべきことは、キリスト者のもつべきすべての知識はつぎの主のみことばに要約されているということである。「永遠の命とは唯一のまことの神であるあなたと、あなたがおつかわしになったイエズス・キリストを知ることであります」(ヨ17:3)。したがって教会の教師たちは信者たちに、十字架に付けられたお方イエズス・キリストを知りたいという熱い望みを起こさせるよう努力すべきである(コ①2:2参照)。またかれらが深い信仰と敬虔をもって、「全世界に、私たちが救われるこれ以外の名は、人間にあたえられなかったこと」(使4:12)、かれだけが私たちの罪のためのいけにえであることを納得し確信するようにしなければならない。
 さらに、「私たちが掟を守るなら、それによって、かれを知っていることがわかる」(ヨ①2:3)のであるから、上述したことと関連して言えることは、キリスト者は無為と怠惰のうちに日々を送ってはならず、主が歩まれたように自分も歩むべきで(ヨ①2:6参照)、あらゆる努力をもって正義、敬虔、信仰、愛、寛容を身に付けるようにしなければならない。聖パウロは、「イエズスは、私たちを罪からあがない、善業に熱心な民を、ご自身のために清めようとして、私たちのためにご自分をお与えになった」(ティト2:14)と言い、司牧者たちがこのことを教え勧めるように命じている。
 私たちの主なる救い主は、律法も預言者も愛の掟に基づいていること(マ22:40参照)を、ことばだけでなく身をもってお示しになった。また聖パウロは、愛は掟の目的であり(ロ13:8参照)律法の完成であると確言している(ロ13:10参照)。つまり信者たちが、私たちに対する神の無限の慈愛を愛をもって受け入れ、神的熱心さに燃えて、あの最高、完全無欠の善へと駆り立てられ、この善を得ることが真の確かな幸福であることをはっきりと悟り、預言者と一緒に、「天には、私にとってあなた以外の何ものもなく、あなたと共にあれば、地は私を楽しませない」(詩73:25)と言うことができるようにすることこそ、司牧者のおもな務めであることを疑ってはならない。これこそ聖パウロが示したよりすぐれた道であり、自分の教えと説教全体の要約として示した、決して絶えることのない愛である(コ①12:31~13:8参照)。信ずべきこと、希望すべきこと、また実行すべきことを述べるにしても、いつも私たちの主への愛を強調しなければならない。それはだれもがキリスト教的完徳のすべての業は愛以外の起源をもたず、また愛以外の目的をもたないことを悟るようにするためである。

11 すべての人に適した教え方をすること

 何を教えるにしても、その教え方がきわめて大切であるが、キリスト者に教えるにあたってはなおさらそうである。実際、かれらの年令、知能、生活、身分を考慮しなければならない。教職にたずさわる人は、すべての人をキリストのものにするためにすべてとなり(コ①9:21参照)、忠実なしもべ、分配者として行動し(コ①4:1参照)主人から多くのものを任せられた、善良で立派なしもべになるようにしなければならない(マ25:23参照)。
 さらに、自分にはただ一種類の人々だけが任されていると思い、命じられた確実な方法をもってすべての信者にまことの信仰を教える必要はないなどと考えてはならない。むしろその反対で、ある人々は新たに生まれたみどり子のようであり(ペ①2:2参照)、ある人々はキリストにおいて成長しはじめており、またかなり多くの人々はいわば成人である。そのためにある人々には乳が、ある人々には固い食物が必要であり(コ①3:2参照)、それぞれの人に適した教えの食物を与え、「ついに信仰の一致と神のおん子の深い知識に達し、みちみちるキリストの背丈にまでいたる、完全な人間をつくるために」(エ4:13)霊魂の生命を育てていかなければならない。この点について聖パウロは、自分はギリシャ人にも蛮人にも、知者にも無学者にも借りがあると言い(ロ1:14参照)、自分をまねるように勧めている。かれはまた、教職に召された人々は信仰の奥義と生活の掟を教えるに当って、それを聴衆の知能と知識に合わせなければならないことを示しているのである。それは成熟した知能をもつ霊魂を霊的食物をもって飽かせるためであり、また幼児がパンを願っているのにそれを分け与える人がいないために餓死させることのないためである(哀4:4参照)。
 また時として、単純で初歩的な事柄を教えなければならず、しかもそれはより高度な内容の研究にたずさわりそれに喜びを見いだしている人々にとっては苦痛であるが、だからといってそのために教える熱意を冷めさせるようなことがあってはならない。永遠の御父の英知そのものであるお方が、天上の生命の掟を教えるため私たち人間の弱さをおとりになりこの地上に来られたのであれば、このキリストの愛に動かされて自分の兄弟たちの間における子供のようになろうとしないもの、あるいは子供たちを養い育てる乳母のように隣人の救いをあつく望まないものはだれもいないであろう(テ①2:7参照)。
 聖パウロは、神の福音だけでなく自分の命までも与えようと思うと言っている(テ①2:8参照)。

12 教えの源泉は聖書と聖伝である

 さて信者たちに教えなければならない教えの内容は、すべて神のみことばに含まれており、このみことばは聖書と聖伝に分けられる。したがって司牧者は日夜これらを黙想すべきであり、聖パウロがティモテオに書き送った勧告は、霊魂の世話を任された人々全部に向けられていることを忘れてはならない。「読書、いましめ、教えをおこなえ」(ティ①4:13)。「聖書はみな神の霊感を受けたものであって、教えのために、いましめのために、矯め直すために、正義を教えるために有益である。こうして神の人は完成し、すべての善をするために備えられる」(ティ②3:16~17)。
 しかし神が啓示されたことは数多くいろいろあって、教える際その準備や説明が十分できるほど理解することも、また理解したことを記憶しておくことも容易ではない。そのため私たちの先祖は賢明にも救いの教えの全内容を、使徒信経、秘跡、十戒、主祷文の四項目に分けて編纂したのであった。実際、神に関する知識や世界の創造と支配、また人間のあがない、善人に対する報いと悪人の罰に関するキリスト教信仰はすべて、信経の中に含まれている。
 また神の恩恵を受けるためのしるしと道具は、七つの秘跡の部に含まれている。
 愛を目的とする掟については、十戒のところで説明される。
 そして人々が望み、希望し、また救いのために願い求めることのできるものは主祷文に含まれている。
 したがって、いわば聖書と共通の源泉であるこれら四項目を説明することによって、キリスト者は知っておくべき事柄をほとんど全部知ることができるであろう。

13 福音の説明と要理教育との併用

 そのため司牧者は、福音のある箇所または聖書のほかの箇所を解釈するにあたって、必ず右に上げた四項目のうちの一つに当てはめ、そこから説明の内容を取り出すようにすることを勧めたい。
 たとえば待降節第一日曜の、「日、月、星に、しるしが現われ……」(ル21:25)という福音の箇所を説明する場合、これについては、「主は生ける人と死せる人とを裁くために来られる」という信経の箇条ですでに説明されている。司牧者はそれらの説明を用いることによって、福音と信経とを同時に教えることができる。であるから司牧者は教えたり聖書を解釈したりするときはいつも、聖書の意味内容全体を含むと思われるこの四項目にすべてあてはめて説明する習慣を守るようにすべきである。
 教える順序については、聴衆とその場に適していると思われる順序に従うべきである。教父たちは主キリストとそのみ教えを人々に手ほどきするにあたって信仰に関する事柄からはじめているが、私たちもそれにならい、本書ではまず、信ずべきことから説明していくことにした。

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記7.6.予想外の任命

2010年08月28日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅵ.予想外の任命


  ルフェーブル神父は、このより大いなる愛徳 majorem caritatemを試す機会を手に入れることになる。

 1947年6月の半ばは、7月20日から8月17日までは隠遁し、数日間は亡き母の“聖人のような霊魂をもう少しばかり知らしめる為”、彼女の伝記の概略を書き留めつつ過ごそうと計画している夏の休暇について彼は考え中であった。 ところが、一回の通話がこの計画を狂わした。
6月25日、修学院長代理のマシェ神父は彼の事務室の扉をノックすると、非常にあっさりと伝えくれた。
「神父様、貴方はダカール代牧区の長に任命されましたよ!」
直ちにルフェーブル神父はパリのル・アンセック司教に電話を入れた。
 「もしもし?」
 「もしもし、神父様ですね、私はに電話をしたかったんですよ。落ち着いてください!貴方は . . . 貴方はダカール代牧区の長に任命されました!」
(ルフェーブル神父の沈黙)
「いいですね、神父様?」
 「ダカールですって!おお!何て言う事でしょう!」
ルフェーブル神父は密かに思った。「何か予想はしていたけれども、以前はガボンについて彼らは検討していたじゃないか。今度はダカールだ。. . . イスラム教徒の縄張りのど真ん中だ. . . 誰も知人がいない。」
 ル・アンセック司教は言った。「貴方は誓願宣立された修道者ですから、従わなければいけませんよ!選択の余地はありません。ハイと言うべきです。」
 彼は「ハイ」と答えなければならなかった。この知らせを隠す必要などなかった。その結果、その夜の夕食時、朗読者が聖福音の一節を読み終えると【通常はここから霊的書籍の朗読が続く‐訳者】、そこで司祭テーブルからベルが鳴り渡った。マシェ神父が立ち上がると不安な空気が漂った。

 感激に震える声で彼が伝えた。「親愛なる友人の皆さん、親愛なる友人の皆さん。素晴らしいお知らせを私に幾つかさせて下さい。それは大いなる喜びであると共に大いなる誇りです。私たちの修学院長神父様がダカール代牧区の長に任命されました!」

 するとそこで拍手が突然湧き起こった。ルフェーブル神父は何時もの気取らない父親らしい口調で語った。確かに彼はダカールへの任命によって驚きはしたが、決して自分の義務の遂行を拒む事はなかったであろう。しかし彼はこう言い加えた。
「聖福音書にある次の聖言葉を思い出します:‘Duxerunt eum ut crucifigerent:」 この任務を突きつけられて、彼はかつて自分がこの修学院に到着した日と同じ言葉を繰り返した。
「差し上げられるものは何でも差し上げます!」


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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 7.5.思いやりある指導者

2010年08月27日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅴ.思いやりある指導者


 同じ神学生はこうも言っている。「私たちは彼を非常に高く評価していました。彼はとても素朴で率直でしたから、皆は本当に彼のことが大好きでした。」音を外して歌うルフェーブル神父は、素晴らしい声を持った神学生の1人に、御ミサ中の序章の歌唱練習を手伝ってくれるように依頼した。別の神学生によれば、
「彼は何時も喜んで神学生たちと面会しては話し、その小さく穏やかな声で語りながら、伝える必要のある事は伝えて下さいましたよ。」

  1946年の夏休みの接近に伴い、修学院長神父は生徒たちに相応しい休暇計画を練った。一部の生徒は神学校に残り、残りは修道会の家に行くか、夏休みのキャンプを手伝うかというものだった。通常、生徒たちには家族に会う為に帰省が許されていなかったからだ。

 それでも「非常に寛大で、或る意味で少しばかり時代に先んじてさえいたルフェーブル神父は、‘彼らの大半が戦争を切り抜けて来たのだから、もし彼らが家族と面会しに帰省出来るとしたら、それは彼らにとって多少とも良い事だろう。’と考えました。そして彼は多くの生徒たちの帰省を許したのです。」

 「戦争を切り抜けた」と言われるには当てはまらなかったスイス人の生徒たちは、この基準ゆえに帰省の許可を余り期待出来なかった。ルフェーブル神父は彼らに伝えた。「考えて見なければいけませんね。おそらく、健康がそれ程思わしくない人は許可をもらう事が出来るかも知れません。」

 ある日、2人のスイス人神学生エマニュエル・バラ(Emmanuel Barras)とオギュスト・フラニエール(Auguste Fragnière)は、いたって健康ではありながら彼の扉の前で待っていた。エマニュエルは言った。
「オギュスト、もし誰かがこの休暇中に残るとしたら、それは私たち2人だぞ!」
エマヌエルは事務室に入って着席すると、ルフェーブル神父がこう言うのを聴いた。
「バラ君、どうも貴方には幾分休息が必要のようですね。」
するとこの熱烈な神学生は言った。
「ですが神父様、私は何時でも絶好調です!」
「いえ、いえ、いえ、貴方はやせましたし、私にはあなたが疲れている様に見えますよ!」
後日、バラはこう言っている。
「私は彼に抱き付くところでしたよ。とても感謝で一杯だったからです。彼はとても思いやりのある方で、とても理解があったのです。」

  別の休暇期間中、ルフェーブル神父はこのスイス人たち(再た彼ら!)にモン・サン・ミシェル まで歩いて行く許可を与えた。アンドレ・ビュテは説明する。
「それは珍しい事でした。彼は2人のフランス人修学院生を入れて私たちと時間を過ごしてくれました。このフランス人の内の一人はフランソワ・モルヴァン(François Morvan)でした。私たちは自転車とテントを持っていて、自転車に乗る者は先に行っては良く農場を見つけたものです。それは一週間私たちを楽しませてくれました。」

 モルタンを訪れる同僚たちは、修学院の司祭たちと生徒たちの間に築かれた相互の信頼に驚いた。それは生徒たちがしばしば自発的に行動するのを可能にした信頼だった。 思いやりのあるフランス人修学院長の指導力の成果がまさにこれであった。

 こうやってルフェーブル神父は権威と従順の間の当然の関係を考察した。解放後のフランスは、自由フランス内の従順の危機によってもたらされた権威の危機に苦しんでいた。権威の真の意味を復興する事は、権威が持つ真の特質を教える事を意味した。この修学院長神父は模範を通して導いた。神学生たちはこの模範という言葉を理解した。ある日、彼は権威についての小論文を書き、彼が与えた権威に関する定義を、例を挙げて説明することを彼らに求めた。
「権威とは、天主にその起源を有する天主的なものであり、本質的に甘美で力強いもの、驚くほど豊穣なものであるし、もしそれが賢慮の賜物によって動かされ、賢明に支えられるならば、この権威は、秩序や繁栄や平和をもたらすものとなると言う事が出来る。」

  彼は修学院付近に収容されていたドイツ人捕虜に対して、この平和の実際的な例を見せてくれた。アンドレ・ビュテはその情景を思い出す。
「ある捕虜たちは公園で働いていましたが、着ている服装でそれが誰であるか知る事が出来ました。私たちは彼らにグーテン・ターク!(こんにちは)と挨拶していました。

 クリスマスには、彼らの収容施設に歌いに行く事になっていたことを私は覚えています。彼らの従軍司祭だったディボルド(Diebold)神父様がフランス当局からの【収容所への訪問の‐訳者】許可を得ると、ルフェーブル神父様はそこに行く事を了解したんです。例え御自分のお父様がドイツにあるナチの強制収容所で苦しみに打ち勝ってのち亡くなっていたとしても!特殊な状況において隣人を愛する事は英雄的になるものです。非常に沢山の記憶は、友情と敬意から成る結束を作ってくれます。」
 それから、かつてモルタンで生徒だったもう一人が言った。「私は彼が大好きでした。」

 大人しい彼の性質も、【職務である‐訳者】修学院長神父としての生徒たちに対する炯(けい)眼(がん)を妨げはしなかった。司教聖別された日に、彼はル・アンセック司教に言った。
「この生徒たちの中に、私は寛大さや善意それから真理と学問への愛を見い出しました。その全ては私に心からの満足を与えてくれました。彼らの内に、私は精鋭に相応しい霊魂を発見したのです。」

 しかしながら、もし私たちがシヴィリのコーム・ジャフレ(Côme Jaffré)神父の発言を考慮に入れるとするならば、時折、モルタンからシヴィリに行く修学院の生徒たちに関して彼が持っていた意見はむしろ厳しかった。
「仮にルフェーブル神父様がお持ちの意見を全て受け入れていたとしたら、我々は生徒たちの多くを追い出さなければならなかったでしょうね。」

 シヴィリが革新的思想をかなり受け入れていた事を彼は確かに知っていたからいっそう一部の生徒たちのことを心配していたのだろう。結局、彼は与えられるものは与えた。そして、大部分の生徒たちは、彼が原理の人に一変させようと自分たちの為に払ってくれた努力に答えたのである。

 それから50年が経過しても、この証人たちは、愛情に満ち、自分たちにとって最愛の【存在だった‐訳者】1人の司祭を覚えているのだ。しかし、彼の事を余りにも思いやりがあり、それでいて非常に強い人柄であることの深い同一性を、彼らは理解する事が出来なかった。【彼らがモルタンでマルセル神父と知り合ったその時とその思い出を語っている今との】その間に、第2バチカン公会議があった、というのは事実である。彼らにとって、修学院長のあの“小さく穏やかな声”は、その彼が自分たちに教え込んでくれた“信念に従って強く生きる”ということと釣り合うようには見えなかった。その中の1人は言っている。
「ルフェーブル神父様について私が持っている記憶は、とても対照的です。同時に霊的・人間的な偉大な素質を持ち、暖かさ、組織力、知性を備えていました。同時に彼は、カトリック教会や政治の問題に関してとても確固とした意見を持った方でした。」

  マルセル・ルフェーブルが如何にして最高に親切で父親らしい愛と、究極の結論にいたるまで教義における最も卓越した堅固さとを結合させたのかを理解する者は幸いである。Fecit illud caritas:これを成し遂げたのは愛である 。愛の要求に最後まで応える愛である。ルフェーブル神父の愛しい昔の友人の方々よ、皆さんの【霊的な‐訳者】父親が持っておられた“カトリック教会の真理”‐‐‐とそれの全ての結論において‐‐‐に対する揺るぐことのない信義は、愛や善意の欠如からはほど遠く、より卓越した愛といっそう深い愛徳の表れだったのだ。

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ルフェーブル大司教の伝記 7.4.2.「哲学は、天主との一致なる生活に向けて準備してくれます。」

2010年08月26日 | ルフェーブル大司教の伝記
「哲学は、天主との一致なる生活に向けて準備してくれます。」

  一部の神学生たちは、健全な自由のあるモルタンを、厳しく難しい修練院での養成と比較した。
「やれやれ、ようやく俺たちは修練院から遠く離れることが出来たよ!」と彼らは言っていた。この心の叫びの中に、ルフェーブル神父は熱誠の欠如、あるいは霊的養成や聖性探求における熱意の弱まりを見取っていた。哲学(受講)生たちが専ら知的過ぎる勉強への取り組み方は、重大な罠であった。そこで彼は注意するよう彼らに注意した:

 「これは普通ではありません。この正反対であるべきです。修練院での養成の後、勉強は霊的生活に必要となる糧を供給するべきであって、それを減らす事はない筈です。結局、それを理解し愛するならば、哲学は、“何処にでも現存され、私たちの弱い知性を越えている限り把握不能な天主”に導いてくれるからです。ここに辿り着いたら、今度は信仰の扉が開くのです。」「哲学とは、聖性並びに天主との一致なる生活に向けて準備してくれます。(…)真の知識というものは必然的に謙遜へと案内します。その途上で立ち止まってしまう不完全で偽りの知識は、高慢と自惚れに導くのです。」

 それ【高慢と自惚れ】に対応する薬は、容易に入手が可能だ。つまりそれは聖トマスである。修学院長神父は、霊的講話の中で聖トマス・アクイナスの『神学大全』を駆け巡って論じた。彼は“霊的生活の三部作”を考案した。それは3年間に亘って彼が詳説しようと計画したものであり、後年になってエコンで講話したものだった。

「一年目は、原罪のあらゆる結果を持っている“不義なる人間”についての研究に当てられました。二年目は恩寵により聖化され、諸徳と聖霊の賜物、さらに至福八端を持った“義なる人間”を扱ったのです。三年目は‐もしも私が3年留まったとしたら‐人間を不義の状態から義の状態に移行させる手段を私は説明していたことでしょう。それは先ず、聖主ご自身[彼が成し遂げた贖罪の業]、それから次は彼が制定された聖化の手段である。この聖化の手段とは、御ミサ、諸々の秘蹟、祈り、天主の聖旨を行う事、私たちが持つ弱点と戦い、徳において成長する手段などである。私は人間の四終【死・私審判・天国・地獄‐訳者】、つまり充ち満ちた義化、という内容を取り扱ってこの3年のコースを終えたことでしょう。 」

  かつての生徒の一人が上述の講話を思い出している。
「それは毎回、聖トマス、また聖トマス、そして聖トマスでしたよ!私たちは聖トマスには余り触れなかった修練院から来ていましたが(…)モルタンに来たら、実際聖トマスにどっぷりと漬かったんです。私はと言えば、それが好きでしたね。」

  この修学院長神父は穏やかな声で語り、アフリカの記憶が散りばめられたそのトマス的講話は、修辞的な光沢もなく行われた。「彼は雄弁家ではありませんでしたよ。ですから彼の講話を聴くのはちょっとばかり苦痛でした。」と思い出してくれたのは、もっと“魅力的な話し振り”を好んでいただろう彼の生徒の一人だった。もう1人の生徒は言っている。「彼は雄弁家ではありませんでしたが、私たちは彼に耳を傾けてしまいました。」
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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 7.4.1.カトリック教会の外に一切の救い無し

2010年08月25日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅳ.正統な教義、霊的生活、宣教の熱意


カトリック教会の外に一切の救い無し


 “カトリック教会の真理”とはまず、救われる為には全ての人間がカトリック教会の一員となるという必要性である。“カトリック教会の外に一切の救い無し”という教義は、ルフェーブル神父にとって“宣教の使徒職が有する存在理由”だった。何故なら天主の通常の御摂理に従って、水の洗礼とイエズス・キリストへの明白な信仰は、カトリック教会への入り口だからである。

 更に彼は、『宣教基礎神学』‐Le fondement théologique des missions‐という小冊子を出版したド・リュバック神父を批判した。 この著作の中で、このイエズス会士は“全ての人々を照らす御言葉の光”と“無数の匿名の恩寵を与える形式”とを持ち出して、こう結論を下している。
「宣教師がいなければ、‘異教徒’は必ず地獄へ行く運命にあると主張するのは誤りである。」

 ドミニコ会司祭、ラブルデット(Labourdette)神父とニコラ神父は、このイエズス会士ド・リュバック神父の議論を引用して、正統的ではないことを論駁した。しかしルフェーブル神父は、ド・リュバックの論に見向きもせずに、簡単な言及をする事さえしなかった。彼はアフリカにおける自らの経験による現実主義でこう断言した。
「ド・リュバック神父の説は全宣教師たちの熱意を削ぐものです。仮に、ある異教徒たちが回心の最初の恩寵と協力する事が可能であったとしても、自分たちの生活する環境の中で聖寵の状態に堅忍するのは非常に困難である事は事実であると思われますし、経験によってその正しさが裏付けされる事実なのです。」

 マルセル・ルフェーブルの中で「ジャングルに住む人」の知識は、神学的定式表現の正しさと見事に融合していた。彼は、超自然の秩序は任意ではないと言明し、聖母マリアの中に、“超自然の秩序の支柱、つまり信仰の盾”を認めた。彼が良く言っていた様に、無知は、原罪が人間にもたらした最も深刻な傷であり、霊魂から明かりを奪い取るのだ。
「無知が霊魂を不道徳と利己主義との中にどっぷりと浸してしまい、死がその何百万という霊魂を地獄に送り出すのです。」

 ルフェーブル神父はこれらの原理の力を理解させた。宣教師を招いてモルタンを訪れ、自分たちの経験を神学生たちに話してくれるようにと望んだ。1947年の御復活主日の夜には、彼の妹マリア・ガブリエル修道女が神学生たちを相手に、カメルーンの病院や養護施設、そして混乱した学校についての講話を行った。聖霊降臨後の火曜日5月27日には、ピエール・ボノ(Pierre Bonneau)司教が、土着民聖職者について話をした。彼はムヴォルイェ(Mvolyé)にいた時以来ルフェーブル神父は会っておらず、2月16日にはリエナール枢機卿によってドゥアラ(Douala)で司教に聖別されていた。

 翌日早く、マルセルはボノ司教と共に、近頃ロアンゴ(Loango)代牧区長に任命された友人ジャン・バティスト・フォレ(Jean-Baptiste Fauret)の司教聖別に出席する為、ルルドに向けて出発した。ボノはこの旅行中に言った。
 「ところで、順々に【区長を‐訳者】補充すべき代牧区が幾つもあるんですよ。」
 「ええ、バンギ(Bangui)ですよね。それから現在ではドゥアラ(Douala)やロアンゴ(Loango)があります。」とルフェーブル神父が言った。
 「ダカールもそうですよ。グリモ司教様が辞任されたからです。」
 「はい、それから1月28日にタルディ司教様がお亡くなりになったので、リーブルヴィルもそうですね。」
 そこでボノが言った。「その通りです。ただ彼らは貴方の事を考えていますよ!」
 ボノ司教が“様子を探っている”のは明らかであった。しかしながら、持ち前の謙遜によってマルセル神父は考えた。「彼らは一体どうして私の事など考えられるのだろうか?それに、私は直接の宣教の分野から取り除かれたのではないのか?」結局、彼は自分の長上たちが望む事は何でも遂行するだろう。

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記7.3.4.ルフェーブル神父と政冶

2010年08月24日 | ルフェーブル大司教の伝記
ルフェーブル神父と政冶

  ルフェーブル神父は、上述した政治的原理の適用を1945年のフランスにおいて鮮明に見た。ペタン元帥は聖母マリア被昇天の大祝日である8月15日に不当にも死刑を宣告され、11月15日、イル・デュ(Ile d’Yeu)のラ・ピエール・ルヴェの要塞(Fort de la Pierre-Levée)に移送された。マルセル神父は当時、この問題に対して心を締め付けられる感情を表したのだろうか? いずれにせよ、彼は後年そのような感情を表明し、神学生たちに説明している。
「ド・ゴールは、フランスからペタン元帥が駆逐して清めた物を一つ残らず元に戻させました。あらゆる物が再び破壊され、カトリックのそしてキリスト教的秩序擁護の運動は無力化されたのです。」

  1987年4月13日、イル・デュに建つペタン元帥の墓の前で、彼は祖国の為に勇敢にも自分を勇敢にも犠牲にしてくれたこの軍人に対して次のような弔辞を述べた。
「貴方は二度フランスを救って下さったのですが、ただそれを救うだけに留まらず、フランスが有している最も深遠な信仰の伝統や、労働、さらに家族への愛を、もう一度見いださせ、霊的かつ精神的に再建して下さいました。(…)本来なら、貴方は祖国の父という敬称を授与されて然るべき極めてまれな英雄的な功徳を証明されたのです。」

  これに対して、一部の聖職者たちは共産主義者らとの協力について言及したが、共産主義の内情に通じている司祭たちは共産主義者なる潜入者であり、、レーニン同様に“階級闘争こそが、単なる無神論についての説教よりも百倍も好ましくキリスト教徒労働者たちを社会主義と無神論に至らしめるだろう”と理解していた。

 この罠を感知した修学院長神父は、ピオ十一世と共に率直に意見を述べた。
「共産主義は本質的に邪悪であり、キリスト教文明と社会秩序とをその破滅から救おうと思う者は誰であれ、些細な事業においてさえそれと協力してはならない。」

 そしてルフェーブル神父は結論を下した。「Roma locuta est, causa finita est‐ローマの発言だ、一件落着だ。」これこそが、彼の言い方だった。

  同様に、1946年の議会選挙の間、修学院長は神学生たちに選挙に関する非常に明確な助言を与えるのを躊躇しなかった。マルセル神父はPRLに投票するよう勧めた。かつての生徒が言うようにこれは「本当に右翼」の党だった。何故なら、彼は左翼でも、急進派でも、さらにはキリスト教民主政体論者でもなかったからだ。

 1946年10月の第四共和制憲法に関する国民投票期中、ルフェーブル神父は生徒たちに対し“否”に投票するよう求めたが、その理由はド・ゴールのそれとは完全に異なっていた。
「教育や結婚、財産などに関わる事柄に関して、天主とカトリック教会はこの憲法から除外されています。従って、倫理全体が危険に曝されているのです。」
 
 その上、修学院長神父は“ミサに与りに来る信徒たちに話をする時”も、断言的であった。このことは他の司祭たちを驚嘆させた。
「おお、ルフェーブル神父様、少しばかり強烈じゃありませんでしたか?」

 ところが彼らの注意は何時も微笑みと解りやすい答えに直面しただけだった。
「私たちは真実を言わなければなりません。」
 
 サンタ・キアラで学んだ真理全体に対する愛について、彼はどれ程天主に感謝したことだろうか!Sentire cum Ecclesia‐教会と共に判断せよ‐とは彼の掟だったので、神学生たちに対してはこの勧告を与えた。
「カトリック教会の真理に合わないような考えは、もう持ってはいけません。」


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天主に感謝!

2010年08月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今月の日本での聖伝のミサのハイライトは、8月22日の聖母の汚れなき御心の祝日でした。私たち自身を聖母の汚れなき御心に奉献しました。大坂と東京と合わせて62名がこの奉献式に与りました。

 今回は、聖ピオ十世会神学生、日系カナダ人のロバート鈴木さんが東京で聖伝のミサに与りました。日本語はまだカタコトですが、愛する兄弟姉妹の皆様は大変嬉しく歓迎しました。日本から多くの召命が出ますように!愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします!!

天主に感謝!聖母の汚れなき御心に感謝!愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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お祈りください

2010年08月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 こんにちは!聖ピオ十世会アジア管区長のクチュール神父様のためのお祈りを感謝します。フィリピンでのメディカル・ミッションで過労され、抵抗力が衰えてしまってようです。8月8日の主日のミサをマニラでなさってくださったのですが、ミサの後、昼食にも来られなかったので、心配しておりました。夕方に私の携帯にクチュール神父様からのメッセージが届き体調が悪いと教えられました。
 翌日の月曜も夕方まで休まれていました。しかし、夕食後にメディカル・ミッションのスタッフのアドバイスにしたがって神父様を緊急に、病院にお連れしました。ほんとうは入院するように勧められましたが、どうしてもシンガポールに戻らなければならない、と翌日、神父様はシンガポールに行かれたのですが、シンガポールで入院されてしまいました。

 私はソウルに行き、聖母の被昇天を祝いました。しかし、すぐにマニラに戻って、司祭やブラザーたちを集め最初のミーティングをしました。さっそく、多くの指令と決定を下しました。

 日本では、多くの愛する兄弟姉妹の皆様と会ってうれしく思いました。21日には大坂で16名が御聖体拝領をされました。

 22日には東京の聖伝のミサにおいて、36名が聖体拝領をされました。求道者が3人、遅れて聖伝のミサの後に来られた方、聖体拝領をなさらない方々を入れると少なくとも41名が来られました。天主に感謝します!

 今日の23日には11名が聖伝のミサに来られました。10名が御聖体拝領をされました!!天主に感謝!聖母の汚れなき御心に感謝!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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ルフェーブル大司教の伝記7.3.3.「彼はアクション・フランセーズの本を読ませた!」

2010年08月23日 | ルフェーブル大司教の伝記
「彼は私たちにアクション・フランセーズの本を読ませたのです!」

  ルフェーブル神父は正に核心に触れていた。知らないうちに世俗化した精神に染まった聴講生たちの幾人かは、神聖にして犯すべからず共和制の信条(ドグマ)を自分たちの長上が非難するのを見て不快に思った。ルフェーブル神父はこう主張した。
「ピオ九世に聴いてみてください。そして歴代の教皇たちの教えを勉強して下さい!」

 よく理解させるためにと、彼はある小冊子を食堂で朗読させた。もし生徒たちの内一人の反応を通して判断するなら、この朗読は一部の強情な先入観への挑戦だった。
「食事の時にアクション・フランセーズの本を読んで聞かせていたのを覚えています。私は若かったのですが、それでも少しびっくりしました。私は『あれ、何が起きているんだろう?』と思いました。」

 ところで、その朗読された本は、実際にアクション・フランセーズとは一切関係なかった。それは『フランス革命、1789年から百周年について(La Révolution française, à propos du centenaire de 1789)』という題名で、アンジェのフレッペル(Freppel)司教(1827年-1890年)によって書かれていた。フレッペルは、モラス(Maurras)とは違って、どこにも君主制の廃止を批判していなかった。しかしフランス革命の内にある自然主義の業、つまりイエズス・キリストの社会的君臨の否定を非難した。

 一部の生徒たちが見せる驚きと混乱とに直面すると、ルフェーブル神父ははっきりこの問題の核心をついた。
「この本の朗読が皆さんの中の少なくとも一部に与えた驚きも、特に私たちはフランス革命によって巻き起こされた世俗的な雰囲気の中に生きているのですし、皆さんが学校で受けた教育を考慮すれば人々はそこでキリスト教の歴史概念を偽造する教育課程や教科書に従っているのですから、殆ど私を驚かしはしません。ですから、皆さんは自問しなければならないのです。皆さんは、歴史の本当のとらえ方がある事を理解しなければなりません。それは歴代の教皇と彼らの教えに従う司教たちによって私たちに教えられている歴史観です。皆さんはカトリック教会の光に照らしてその観点から歴史を判断しなければなりません。カトリック教会は拒絶されてしまったのですか?[そうであればカトリック教会を拒絶する]全ての文明は崩壊し、無秩序と奴隷制度に陥ることでしょう。」

  もう一つ同類の反対意見はこのように言っていた。「私たちは神学校にいるのに、神父様は私たちに政治に関する教育を授けたいとお考えです。ですが、司祭は政治をすべきではないと教えられました。」
これに対してルフェーブル神父は明晰な答えを与えた。
 「皆さんはこの真実を正確に理解しなければいけません。司祭は政治をすべきではありません。ただ区別をして置きましょう。もし「政治」ということが、それぞれ異なる良い容認可能な支配や統治の方法などを指して言っているならば、その時は【各自が自由に選べば良いので‐訳者】そのとおり、政治に参加すべきではありません。しかし、もし「政治」が、国家の構造やその起源、組織、更にその目的を指して言っているのならば、その時、それは倫理の分野に入るので、従ってカトリック教会の教義の管轄に入るのです。司祭は、これこれの原理は間違っている、と言えなければいけません。これは大きなことです。皆さんは他の人たちを導く事が出来る助言者でなければなりませんし、原理の人でなければならないのです。」

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記7.3.2.教皇の教えに照らされた熱意

2010年08月22日 | ルフェーブル大司教の伝記
教皇たちの教えによって照らされた熱意

  モルタンでは、一部の神学生たちがこの“新しい空気 ”に説き伏せられてしまったので、ルフェーブル神父は反応してこう勧めた。
「興奮しないで下さい。分裂してはいけません。カトリック教会の社会倫理学を徹底的に勉強して下さい。予め決められたかのように‘民衆の擁護’、あるいは‘金持ちの擁護’ということに気をつけなさい。両者は存在するし、【これからも‐訳者】常に存在します。」

 修学院長は社会倫理を教える教授陣を信頼したが、サンディカリズム や、専門化したカトリック・アクション にある流動的で自惚れた信念に不信を抱いていた。彼はそれについて教え子たちに説明している。「もしも彼らの言うことが本当なら、これらの話題について十分の知識を持ち、深い謙遜を持ってアフリカに行く事が何よりも必要ですね」と。

  彼は“日曜日の朝の研究サークル・グループの会合”の参加者たちに、彼らが教義の勉強をするという条件付きで、大きな自由を与えていた。ルフェーブル神父はこれらの事に対して非常に寛大だったので、1946年、モルタンをパリのカトリック学院と提携させるのに成功した。こうして、優れた才能に恵まれた数名の生徒などは、スコラ哲学の学士号を取得すると、ローマで自分たちの勉強を継続する事が許されたのである。

  図書館では、カトリック思想誌 (La Pensée Catholique)から、民衆行動(Action Populaire)発行の雑誌である『宗教社会呼応道』誌(Cahiers de l’Action Religieuse et Sociale)まで、雑誌トミスト(the Revue Thomiste)を含めての様々な教義関係の定期刊行物を、生徒たちに提供していた。修学院長は、教え子たちの勉強における健全な自由を監督するのは自分の責務であると見做した。一部の生徒たちの中に、“愛徳と位階的な教会を犠牲にしてまで自己満足と活気を捜し求めて、正しくない熱意”があることに気が付いた。この修学院長神父は信頼の空気を駄目にしてしまうようなやり方で振舞う事をせずに、この不健全な態度を矯正しようと試みた。彼は“心の真の喜びと正真正銘の自由とは、権威や真理に対する愛、さらに同僚に対する愛から来る”と簡単に説明することで満足した。

  その原理において間違って土台が置かれた行動の影響を受けたこれら若き知性を助ける為、ルフェーブル神父はカトリック教会の公式な教えを食堂で食事中に朗読させた。その中には、レオ十三世がアメリカ主義についてギボン枢機卿宛に書いた手紙や、ピオ十世による近代主義に関する回勅パッシェンディ、さらに彼が社会近代主義に関するシヨン(運動)について書いた書簡などがあった。

  ピオ十二世は“フランスが、ランス(Reims)での洗礼において受けた驚くべき賜物”をフランス人に対して思い出させると共に、“フランスを誘い、倒そうと目論む‐‐‐これはフランス及び全国家、そして民族の損失の原因となるだろう ‐‐‐破壊主義的な力による攻撃”について警告を与えていた。マルセル・ルフェーブル修学院長神父は、カトリックのフランスが持つ宣教の役割や、“地の塩”としての任務、さらには“信仰の遺産を、真理を、全ての真理をそのまま維持”し、残りの国々を教化するという使命などを生徒たちに想起させていた。
「真理はそのままに留まります。進化などしません。仮に状況が、人による真理の適用方法を変えるとしても、状況は真理の命題も、またその中身も変える事などありません。真理は天主ご自身の様に不変なのです。」

 危険とは、「自分たちを取巻いている自然主義から由来する誤謬を無意識裏に私たちの中に運び込み、この誤謬に従って振舞う事なのです。幾つかの実例を出しましょう。 良心の自由、信教の自由、出版の自由、【政教分離による‐訳者】国家が宗教を持たないこと、さらに1789年の人権宣言などについてどうお考えでしょう? 」

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 7.3.1.様々な思想の動乱

2010年08月21日 | ルフェーブル大司教の伝記
様々な思想の動乱

  “持っているものは何でも”差し上げようと着任して以来、ルフェーブル神父はさらに、誤った思想の矯正と聖職者たちの間に蔓延していた不健全なユートピアの破壊に取り掛かった。ビシー政権を非難する事で、フランス解放はペタン元帥によって承認されたキリスト教的社会秩序の復興という自発的な運動を拒絶すると共に、この元帥がフランスから排除していたもの全てを呼び戻してしまった。

 こうして1945年10月21日の選挙は、ド・ゴール将軍政権の中に共産主義者たちの大臣をもたらす結果になったのである。加えて、この戦争の間、一部の神学生と正しく養成を受けていなかった司祭たちは、共産主義闘士たちとの恒常的な接触により近づいていた。プロレタリア階級の勝利に対する共産主義闘士たちの熱意に感銘を受け、彼らはこの運動をキリスト教化する事は出来ないか、或いは、少なくともそれをキリストに向け直す事は出来ないものかと思った。

  さらに1942年10月5日には、リジューにフランス宣教神学校が開校していた。この神学校校長で、ジャック・マリタン説の信奉者であるルイ・オグロ(Louis Augros PPS)神父が、成人期に達した人間社会は、カトリック教会の指導も含めて、全ての監督を拒絶すること、人間社会固有の領域について自分たちだけで自律することを主張した。彼によれば、本質的に宣教師たちの任務とは、キリスト教の影響力を構築中の新しい文明社会にもたらそうと努める事である。つまり“新しい文明社会に洗礼を授け、キリスト教とこの新文明社会とからの統合体(これは私たちにとって新しいキリスト教世界となるだろう)を創り上げるのに熱心な司祭たち”が必要である、と言う。

  司祭の使徒職のみならず、司祭生活それ自体も、このような思想による堕落の危険に曝されていたのだ。1945年10月は、元の捕虜たち、あるいは活動家国外追放案による犠牲者たちがリジューの神学校に入学し、彼らにより簡略化され“兄弟的な”ミサと、司牧的実験を経験した。これらにより、長上らは典礼様式及び祭服の簡素化や、工場での職業体験学習、あるいは「経済と人文主義協会 Economie et Humanism」により組織された会合に神学生たちを派遣するようになった。

 1940年にドミニコ会司祭、ルイ・ジョゼフ・ルブレ(Louis Joseph Lebret)神父によってマルセイユで創立された「社会学分析統合研究センター」は、資本主義経済を分析し、さらには小教区の使徒職までも調査した。“厳格な理論”や“時代遅れな思想”から解放されて、このセンターは非キリスト教化した農村地域で働く“司祭班”の導入(これは悪い思い付きではなかった)などのような構造的改革を提案していた。1949年になると共産主義の幾つかの価値観を保持しようと切望するルブレは、あまりにも多くのカトリック信徒たちにある“単純で愚かな反共主義”を非難した。

 この職業体験学習期間は独自の成果を挙げている。1946年5月、ルイ・オグロは労働司祭を夢に見ていたが、6月になると数人の神学生は共産党への入党許可を要求した。

「我々にとって、共産主義の扉をキリストに開く事は内側からならそれが可能である。(…)我々の希望と我々の闘争は、彼ら【共産主義者‐訳者】のそれと同じものでなければならない。」


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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 7.2.3.「彼が私たちを養ってくれました!」

2010年08月20日 | ルフェーブル大司教の伝記
「彼が私たちを養ってくれました!」

  食糧配給制に耐えなければならず、白の大修道院の農園や、鶏小屋、そして菜園などから供給出来る以上のものを必要としたこれら百かそこらの飢えた口もとに食べ物を与える事にかけては、ルフェーブル神父はその最高の熱心を使い、修学院の生徒たちからは際限のない感謝を獲得した。破壊されたこの町は、どうにか生き残ろうとしていた。田園地帯は、家畜又は農業への損害以上に、戦争による惨事をより一層表わしていた。燃え尽き破損したドイツ軍やアメリカ軍の戦車が、【戦場と化した‐訳者】野原の至る所に点在するのを目にする事が出来た。さらに半分地中に埋まってしまった迫撃砲の不発弾や地雷は、農民たちの仕事を危険な物にしていた。ここかしこに人骨の断片が、色のくすんだヘルメットの中、あるいは放置されたブーツの中に依然として見受けられた。

 農場の多くは、両軍の大砲による撃ち合いによって破壊されていた。この状況におけるルフェーブル神父の創意は、実に驚くべきものであった。

 弟のミシェルから、彼は誰も使用していない自家用車を一台もらい受け、それを小型トラックへと改造した。朝のミサの後、彼はこのちぐはぐで変わってはいるが、頑丈な乗り物を運転し、農園をしらみつぶし当たりながらノルマンディーの田園地帯を走り抜け、あの農民この農民からの助言に従って食料探索を広げていたのである。そして、彼は沢山の食料を神学校に持ち帰っていた。その中には野菜や、ジャガイモ、バター、カマンベール・チーズ、それからパンまでもあった。多くの肉のかたまりをその為に造ってあった低温室へと大量に持ち返ることすらあった。

モルタンでかつて彼の生徒だった一人が言った。
「彼が本当に私たちを養ってくれました。修学院長でありながら、お金を管理され. . . 彼は組織者でしたよ。私たちも寒い思いはしましたが、それは彼の責任ではありませんでしたし、確かに飢えで死ぬ事などなかったのです。そう、確かに死にはしませんでした!」

  もう一人、かつての生徒がこう言い加えた。「若い時には腹がへるものです。修学院長様がお父様の車 ― 苦しみを受け、国外追放の後に亡くなった工場所経営者だった父親の車 ― で時間を過ごされている時は何時も、何か特別な事が進行中なのです。彼は自分の袖を捲り上げて働いたのです。私達の面倒を見て下さったのでした。私たちは、彼が自分たちに気を配って愛してくれていると感じましたね。」


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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 7.2.2.多様性の内に一致をもたらす

2010年08月19日 | ルフェーブル大司教の伝記
多様性の内に一致をもたらす

 ルフェーブル神父は、ガボンに於ける使徒職によって、それも取り分け、そこで著名なシュヴァイツァー(Schweitzer)と知り合ったランバレネで自分が成し遂げた業績によって功績を建てた状態で赴任したが、様々な素性からやって来た100人以上の人間を指導し一致させる事は依然として彼にとって挑戦であった。

 そこには7月16日にランゴネ(Langonnet)からリオ(Riaud)神父と共に戻っていた24名の生徒と 、ルクボー(Recoubeau)の修練院や、近場のイル・エ・ヴィレンヌ(Ile-et-Vilaine)のピレ(Piré)にある修練院から来た生徒たちや、さらにスイスはブロネ(Blonay)の遥か遠くにある修練院で、最近誓願の宣立を済ませて着いたばかりだった40人ほどの修道士たちがいた。それに加えて、修学院長は、4年間を捕虜収容所で過ごしていた年上の生徒たちや、入学前に2年間の兵役を務めた別の生徒たちを指導しなければならなかった。彼はまた、フランスに於ける戦闘の初めから終わりまでド・ラットゥル軍又はルクレルク第2戦車師団で戦い6ヶ月前までドイツ戦線での戦闘に従事していた生徒たちにも対処しなければならなかった。レジスタンスで戦った神学生たちもいれば、東部戦線から戻ってきたものもあり、ドイツ国防軍(Wehrmacht)に召集されたアルザス人の生徒もいた。

  当時の生徒であったアンドレ・ビュテ(André Buttet)神父は、ルフェーブル神父が如何にこれらの問題に対処したかを説明した。
「修学院長様は、厳しい規律が辛い過去を思い出させて尻込みしてしまう青年たちの落ち着きのなさを優しく訓練する上で、数え切れない心理学的対応方法を持っていました。彼は声を荒げたり、あるいは規則書を見せびらかしたりせず、全く共通点の見出せない集団を、御自分を中心に団結した家族へと一変させたのです。」

  非常に年の若い神学生でありながら、彼らの備える天賦の才能に関してはルフェーブル神父もすぐに評価したモーリス・フルモン(Maurice Fourmond)とロラン・バルク(Roland Barq)の2人が“補佐”に任命され、一人はスコラ哲学の第一学年、もう一人は、同科目の第二学年における生徒たちとその長上の間の連絡線となった。時代の精神に対する自由主義的な容認からは懸け離れて、この大胆な手段は、従順というものがより完全に保たれるのを確実になるように、指導命令を確立しそれをより正確に実現させる為のものであった。かつて彼の生徒だった一人は言っている。「ルフェーブル神父は如何に賢く指揮を執るかを心得ていたので、時折巻きタバコを吸いにこっそり出て行ってしまうと知られていた数人の元軍人の生徒たちをせっかちに叱り付けない事を望みました。」

 彼はただ容認しただけではない。それどころか、ある日ホスピスの管理人が巻きタバコの小包(それは当時極めて珍しく貴重な物であった)を自分に贈呈すると、彼は例の退役軍人たちにそれをまわしさえした事があった。

  ルフェーブル神父がこの共同体にもたらした結束と家族精神は、物理的問題、特に居住と設備の問題に対処する彼の高い能力にかなりの部分起因した。屋根に出来た穴を修理する事は、生徒たちだけではなく町の年配避難者たちの両方が、水漏れしない建物に住む事を意味するのだ。北風が流れ込むガラスのない多くの窓も、ルフェーブル神父が700枚全ての窓ガラスを取り替えるまでは、殆ど全てが防水布によって覆い隠された。教室や寄宿舎の寒さを取り去る為の努力として、彼らは薪のみならず、おがくずでさえもストーブに焼(く)べた。実際に、眠る為の宿泊施設はかなり厳格でスパルタ式であったし、ベッドの間の仕切りは破れ壊れていた。おそらくこれは熱の循環を向上させる為にこれで良かったのだろう。

  修学院長は神学生たちを元気付けた。「我慢して下さいね。状況をあるがままに受け入れて下さい。もう直ぐ、皆さんが二つずつ洗面器を置く台が来るでしょうから。それから、全員が自分自身のタンス棚を持つ事が出来ます。」

  製作所を所有する弟のミシェルを通して 、この修学院長神父は様々な基礎材料と不可欠な商品を手頃な値段で親類及び友人たちから手に入れた。その中には電気発動機や、修道女たちが使うアイロン機械に必要な加減抵抗器、大分量の靴下とストッキング、ついに到着した窓ガラス取り付け用のパテ、大量のペンキ、さらに毛布100枚などが含まれていた。

 地域会計係りの為に、ルフェーブル神父は神学校の修理に必要とされた支出額の見積書を作成した:

改築用必要経費の見積書(*フラン)
神学校区域の塗装(未解決). . . . . . . . . . . . . . . . . .1,500,000
窓 ロレ社‐(まさに全額を支払いつつあった). . . . . . . . . . 280,000
屋根(修理中でほぼ完了、既に30,000支払い済み). . . . . . . . . 150,000
石造 修理作業(作業中であり、ほぼ完了). . . . . . . . . . . . 30,000
漆喰塗り‐寄宿舎(未解決). . . . . . . . . . . . . . . .. . . .40,000
漆喰塗り及びホスピスの塗装(見積額 :塗装、  40,000
                  漆喰塗り 1,000,000). . . . 250,000
ホスピスの階段(未解決). . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .30,000

  支払額は2,280,000フランに達したが、会計係りはどうやって支払うことが出来たのか不思議がった。あれだけの清貧の中にありながら、お金がどくどくと大量に流れ出ていたようだ。しかしながら、既にルフェーブル神父は、お金の使い方を心得た人という評判を獲得していた。それは、最愛の聖トマスが“気前のよさmagnificentia”と名付けた徳であり、そのスピードに合わせて走る地域会計係りは、すこしばかりはぁはぁとあえぎながら引きずられていたに違いない。

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