Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2018年 5月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


聖母聖月です。聖母の連祷を毎日唱えましょう。
意向:聖母の汚れなき御心にロシアが奉献されるため
実践すべき徳:実践すべき徳:聖母に対して犯される罪を償う精神
守護の聖人:秋田の聖母マリア

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2018年 5月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセス EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

    5月13日(主) 御昇天後の主日(2級)白
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭

    5月14日(月) 平日(4級)白 殉教者聖ボニファチオの記念
            午前6時 ミサ聖祭

    5月18日(金) 殉教者聖ヴェナンチオ(3級祝日)赤
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭

    5月19日(土) 聖霊降臨の前日(1級)ミサは赤
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」
    5月20日(主) 聖霊降臨(1級及び1級の八日間付き)赤  
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

    5月21日(月) 聖霊降臨の月曜日(1級)赤 
            午前7時 ミサ聖祭

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい

============

聖ヨゼフへのノベナ

2012年02月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖ピオ十世会アジア管区では、昨年のように3月に聖ヨゼフのノベナを三回することになりました。


愛する兄弟姉妹の皆様も、どうぞ一緒になさってください。

3月1日から第1回目の聖ヨゼフに対するノベナをはじめましょう。

私たちのノベナは、次の二つの祈りを毎日のロザリオに九日間付け加えることにあります。

(1)ロザリオの祈り
(2)大天使聖ミカエルにする祈り
(3)聖ヨゼフに向かう祈り
(4)三月なので聖ヨゼフの連祷【ここまではいつもの3月のロザリオの祈りの通り】

(5)聖ヨゼフへのメモラーレ(聖ヨゼフの御保護を求むる祈)

 童貞マリアの極めて貞潔なる浄配よ、御(おん)助けを求め、あえて御取次を願える者、一人として棄てられしこと、いにしえより今にいたるまで、世に聞えざるを思い給え。われ御身の力にまったき信頼を置きて走(は)せ来(きた)り御身の御保護を請い求め奉る。ああ贖い主の守護者よ、わが卑しき祈りを軽んじ給わず、寛大にこれを聴き給え、これを聴き容れ給え。アーメン。

(6)聖ヨゼフに対する奉献の祈り

 聖ヨゼフよ、我は御身の名誉に我が身を奉献し、御身に捧げ奉る。そは御身が常に我が父、我が保護者、かつ救いの道における我が道案内たらんがためなり。
 我がために、心の清さと内的生活を愛する心を与え給え。御身の模範に従い、天主のより大いなる栄光のために、イエズスの至聖なる聖心と聖母の汚れなき御心との一致のうちに、我が全ての行動をなさしめ給え。
 おお、至福なる聖ヨゼフよ、我がために祈り給え。我をして御身の聖なる死の平和と喜びに与るものとならしめ給え。アメン。

(7)召命を求める呼祷【これもいつもの通りです。】
主よ、我らに司祭を与え給え
主よ、我らに聖なる司祭を与え給え
主よ、我らに多くの聖なる司祭を与え給え
主よ、我らに多くの聖なる修道者の召命を与え給え
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え
聖ピオ十世、我らのために祈り給え
聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え
日本の尊き殉教者、我らのために祈り給え


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

明日は灰の水曜日

2012年02月21日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

明日は灰の水曜日、四旬節の始まりです。

大斎と小斎の日です。
大斎は、一日に一回だけ十分な食事をすることが出来ます。満18才から義務があります。但し、満60才からは義務の免除が認められています。

小斎は温血動物の肉食を断つことです。但し、卵は許されています。満14才から(旧教会法においては満7歳から)小斎を守る義務があります。これは義務の年齢制限がありません。

愛する兄弟姉妹の皆様の善き四旬節を祈ります。


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2月の日本での聖伝のミサの報告

2012年02月19日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今月の聖伝のミサの報告を有りがたくいただきました。私たちのシャザル神父様には心から感謝します。

こちらマニラでは、スエロ神父様と私とで「勝利の聖母」の教会で聖務を果たしました。

日本からの大切な報告をご紹介します。


────────────────────
大阪の御ミサのご報告

金曜日
19人の方が御ミサに与りました。聖十字架の御ミサでした。

神父様のブログをみて、愛媛からはるばる、初めて聖伝の御ミサ来られた方がいらっしゃいました。小野田神父様にお会いしたかったとおっしゃっており、未信者とのことで、又来られますとおっしゃっていました。

お帰りの時に、公教要理の本を2冊差し上げました。小野田神父様がいらしたら、きっと差し上げるのではと思いました。

土曜日
27人の方が、御ミサに与りました。聖母の土曜日の歌ミサでした。♪

御ミサのあと、公教要理で、スコットランドのマリア・スチュアートのお話を伺いました。
スコットランドの女王でありながら、19年の獄中生活を送り、その間に聖性を養い、カトリックの信仰を守って処刑されたお話に、ローズ・フーさんが重なりました。


※金曜日はシャザル神父様を大阪城にお連れしました。素晴らしいお天気に恵まれ、颯爽と歩かれる神父様のお姿を、観光客の方がたが注目されていたのが印象的でした。土曜日は、新幹線の中から大きな素晴らしい富士山をご覧になってお喜びだったそうです。

日本の為に、はるばる御ミサを捧げに来て下さる神父様方に心からの感謝を申し上げます。
天主様が神父様方の上にたくさんのお恵みを下さいますように。
マリア様が、神父様方を、お守りくださいますように。
ヨゼフ様が、神父様方をお助けくださいますように。

感謝のうちに

────────────────────
東京の聖伝のミサ

今日、曙町児童会館の1Fホールの壇上には立派なお雛様の飾り付けがあって動かせなかったため、急遽ミサのための祭壇は壇の下の畳の上にしつらえられました。

Chazal神父はお説教で今日の五旬節の主日の聖パウロの書簡にある愛を取り上げられ、愛は真実、超自然、犠牲の三条件があって初めてキリスト教的な真の愛と言えるものである、ということを、他宗教や第二バチカン公会議後のカトリック教会での状況と対比しながら教えて下さいました。

Chazal神父と近くの回転寿司店でお昼をとった後、2時過ぎからChazal神父によるスコットランドのメアリー・スチュアート女王の生涯に関するお話がありました。メアリー・スチュアート女王の英雄的な殉教が、100年後のフランス革命や、また現在に至るまでの英国におけるカトリック運動や国教会信徒のカトリックへの改宗にも影響しているというお話しが印象的でした。

その後夕べの祈りを捧げて終了しました。

ミサの参列者数
男: 11人(内、子供0人)
女: 20人(内、子供3人)
計: 31人(内、子供3人)

霊的講話の参加者数
計: 12人

夕べの祈りの参加者数
計: 8人


P.S.
1. エレーナさんが秋田の巡礼のパンフレットを配っておられました。

2. 今日はフィリピン人のマリアンの高校生の娘さんとそのクラスメートがいらっしゃっていました。

────────────────────
天主様に感謝します。愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

天皇陛下のために

2012年02月17日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

明日は、天皇陛下が手術を受けられるそうです。手術が成功しますようにお祈りします。
天皇陛下の国民を思うお心に感謝します。天皇陛下と皇室に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

秋田巡礼へのお誘い

2012年02月16日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今年も5月に秋田巡礼が予定されています。

 ところで、主催者の都合で、予定日を一日ずらして、今年は、5月3日(木)集合、5月7日(月)解散となりました。ご迷惑やご不便をお掛けすることになってしまうかもしれませんが、よろしくご了承お願いいたします。

 また、3月には私自身が日本に行けることを期待しておりましたが、フィリピンでの都合があり、シャザル神父様にお願いすることになりそうです。行きたかった日本に自由に行けないのは辛いことですが、天主様にお捧げ致します。どうぞ私のためにお祈りください。

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

カトリック教会のためのロザリオの十字軍、現在20,953環のロザリオが集まりました

2012年02月16日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 さて、2011年の復活祭からフェレー司教様が発動した第4次ロザリオの十字軍の報告を申し上げます。
 2011年4月23日から2012年1月31日までの分として、現在日本から、総計
 ロザリオ 20,953 環

 の報告を頂きました。深く感謝します。

【報告】
聖母の愛して居られます司祭トマス小野田圭志修道院長様! ♪

十主の平安!!!♪♪♪
アヴェ・マリア!!♪♪ 吾主 御公現の大祝日!!!♪♪♪
               おめでとうございます!♪
聖イグナチオ様の霊操!♪お祈りしております!

12月分のフェレー司教様の御意向の!♪
聖なるロザリオ!♪の御報告を致します。

*シスター   93環
*ヨゼフ・マリア  御ミサ5回 67環
*ヨゼフ・パウロ    93環
*マリア       296環
*ヨゼフ         8環
*マリア        10環
*マリア        51環
*バルナバ        2環
*テレジア       94環
*マリア        49環
*マリア        25環
*マリア・ローザちゃん 34環
*マリア・エリザベト  40環
*マリア・ローザ   116環
*アンナ        31環

以上です、合計1009環です。

アメリカ大統領選の分、リチャード・ジョン・サントラム上院議員様の当選を!のお祈りを、お願いしました、他の立候補者の方だと、とても大変ですよね!

毎月、至福の聖伝御ミサ!♪が捧げられますのは、本当に大きな大きな御恵みだと思っています!
神父様!♪御配慮!♪本当に有り難うございます!!
今月も与れますように!御祈り御願い致します!
いつも、御祈り有難うございます!

デオ・グラチアス!!

御公現なされました我らの主なるイエズス様!♪
御母聖マリア様!♪
聖会の保護者なる聖ヨゼフ様!♪
どうぞ、大切な司祭トマス小野田圭志修道院長様を!♪
有難いシャザル神父様を!♪
御護り下さいませ!!


【報告】
アヴェ・マリア!
トマス小野田神父様

ロザリオの十字軍のご報告をさせていただきます。
12月5日から1月29日20時(日本時間)まで
私と子供2人あわせて72環でした。

天主様の祝福が豊かにありますように!

【お便り】
†御降誕おめでとうございます。

☆ ~ ☆ ~
今年は色々お世話になりました。
来年は良い年となりますように...
ロザリオ記憶にあるのは10環ぐらい。
いつも数えるの忘れてしまうので

☆ ~ ☆ ~
Merry Christmas!
May God bless each and every one of you,
and may God continue to bless this wonderful country of ours.

I wish you a peaceful christmas and a happy new year.

【お便り】
神父様、皆様、

夜半のごミサから帰って心よりクリスマスのご挨拶をお送り致します。
天主様の祝福が豊かにありますように。
添付の写真で見えるクリスマスカードは今夜中国の留学生に頂いたので。イエズス・キリスト様本当に世界を救うのにいらっしゃいました。

Gloria in excelsis Deo!
お祈りのうちに、

【報告】
修院長様。

御降誕と新年のお慶びを申し上げます。

 今年も大変お世話になりました。
どうもありがとうございました。

 御ミサに行く時の電車の窓から、地平線から昇るオレンジ色の太陽が見えます。
上空にたなびく雲は、薄い紫とオレンジ色に彩られています。
御ミサから帰る時の電車の窓からは、地平線に沈むオレンジ色の太陽が見えます。

 毎月の御ミサの時に見る光景は、いつも同じようですが、もう修院長様も十分ご存知のとおり、今年は多くの悲しみと困難がございました。

 一方、良いニュースもございました。
今年は管区長様をはじめ、外国人の神父様方が来て下さり、特に新しい信者の方々もお見えになり、去年の修院長さまのご両親様の受洗に続き、洗礼が今年はフィリピンでございます。何と素晴らしいお恵みでございましょうか。

 修院長様は、雪原にただ1人だけで立たれた事はございますか。
見渡す限りの大地は真っ白い雪に覆われ、木々も、遠くに見える山々も雪に覆われています。吐いた息が白く、視界を遮ります。
歩こうとしても雪が靴にくっつき簡単に歩けず、靴の中まで入り込み、足は凍るようです。雪で全ては覆い隠され、音も雪に吸収され、何も聞こえません。
ただ聞こえるのは、はるか遠くから聞こえる、雪交じりの風のゴォー・・・という音だけです。動く物はただ、雪混じりの風に揺れる木々の枝だけです。
何と身も心も冷え冷えする光景でしょうか。

 V II は、春だと期待されていましたが、それは教会の中の異端者や危険思想を持つ者達だけであり、善意の神父様方や信者にとっては永遠の冬の始まりでした。
伝統的な翻訳の聖書、祈り、御ミサ、信心行、聖務日課・・・、全ての霊的生活はその冬の中で急速に凍りつきました。
まるで液体窒素に浸した薔薇のように、それは粉々に砕かれました。
人間は、まるでCreatio ex nihilo が可能かのように・・・。
聖書も聖伝も全ては凍る雪に覆われ、自分の手で雪を掘り出す、すなわち自分で聖伝の信仰を捜さねばならないようになりました。
雪と氷の大地、これがV II 体制なのです。
その中にいるのは、頭が春で、赤いお花畑のリベラル派と、これが春だと自己暗示をかけ続けているコンサバと、哀れにもこれが冬だと知らない無知の信者だけです。

 しかしこの冬は"自然な冬" でなく、"不自然な冬" なので終わらせる事が可能です。
Ecclesia Dei Comittee は雪原の中だと知っていながら、ただ自分達を守るだけの為にこれが春の野原だと洗脳しています。
これが不自然である事を自覚し、公言してこの冬を終わらせようとしているのは、聖ピオ十世会だけでございます。

 私は聖伝の御ミサに与り、聖伝の本を読む度に、寒さで身が凍りそうでも、心は凍りません。
2012年はV II 50周年にあたり、この世の春を謳歌しているV II の盲信者達はこれを盛大にお祝いするでしょう。
しかしこれはこの冬を終わらせ、聖伝の太陽で全ての雪を溶かすきっかけとなる、大きな機会になり得ます。

 騙されて雪の中で力尽きつつある多くの信者達が救われますよう、私も熱心に祈り、良い御本や信心を見つけてご紹介したいと存じます。
どうかよろしくお願い致します。
霊的花束を修院長様と聖ピオ十世会の為にお捧げ致します。

聖母のロザリオ・・・1環
聖ブリジッタのロザリオ・・・1環

【報告】
アヴェマリア。小野田神父様、遅くなってごめんなさい。ロザリオの十字軍11月分の報告です。
フランシスコ   30環
モニカ      90環
テレジア    120環

良いクリスマスを迎えられますように。神様からの祝福とお恵みと平和が、私達みんなの上に、豊かにありますように。
祈りのうちに。デオグラチアス。


【報告】
勝利の聖母修道院長
トマス小野田神父様

アヴェ・マリア

 お忙しいところ大変失礼致します。念の為、2011年12月分と2012年1月分のロザリオ数を報告します。

2011年12月:53環
2012年1月:31環

【お便り】
おはようございます、修院長様。

 1、1月の御ミサ報告。
今年最初の御ミサの御報告を致します。人数は32人でしたが、御ミサの始まる直前に素早く数えたので間違いがあるかもしれません。御ミサはMissa Cantata でございました。

 説教は、アグネス、ジャンヌ・ダルク、デボラとバラクの例を取って、人間の弱さの中で天主様の強さが発揮されるから、例え自分が弱くても泣かずに天主様におすがりするように、しかし罪を犯す事は天主様を心から追い出す事である、祈りはマリア様のようにいつも絶えず祈る事が必要である、という内容でした。

 御ミサ後の授業に出たかったのですが、私は野暮用がございまして、後ろ髪引かれる思いで失礼致しました。いつもは、行きは電車の窓から昇る朝日を見、沈む夕日を見ながら帰るのですが、今回は夕日を見る前に帰りました。

 2、聖ピオ十世会のDVD について。
1月1日に、Angelus Press から"Forty Years of Fidelity: A History of The Society of St. Pius X (DVD)" の広告メールを受け取りました。
値段はイントロプライスで、$14.95 です。

 修院長様はもう御覧になられましたか。興味がございましたが、残念ながらDVD にはRegion cords と、NTSC/PAL system という二つの問題がございます。
例えば、アメリカ、カナダはRegion 1、日本、ヨーロッパ、アジアは Region 2 です。日本のBlu-ray 、DVD レコーダーはRegion 1のBlu-ray 、DVD を受け入れません。一方、同じRegion 2 のヨーロッパのBlu-ray 、DVD も受け入れません。なぜなら日本、アメリカはNTSC system ですが、ヨーロッパではPAL system だからです。

 どうしても諦めきれずにAngelus Press に問い合わせをした所、スタッフのJohn Rydholm さんがこのDVD はRegion-Free で、NTSC system 採用である事を教えて下さいました。このDVD を日本でも見る事が出来る可能性があります。
何と素晴らしい事でございましょう。

 更にRydholm さんはご自分のラップトップで、Region 1-8である事を再確認して下さいました。何と有難い事でございましょう。

 再確認なんて、当たり前のサービスだと思われるかもしれませんが、海外ではそんなにきめこまやかなサービスはありません。修院長様もご存知の通り、日本のサービスは最高でございます。個人輸入をすると、本当に、本当に良く分かります。

 しかしどうしても"相性"という事がございますので、本当に見れるかどうか、今週中に1 copy だけ注文するつもりでございます。大体40日ぐらいで届きますが、税関でDVD の内容チェックをされると更に到着が遅れるので、欲しい本と別に注文致します。おお、主よ、どうか私にもこのDVD が見れますように。
届き次第、又御報告致します。


【お便り】
+Ave Maria !

小野田神父様、黙想会は終わられましたでしょうか?
良い、実りある黙想会を過ごされた事とお察し申し上げます。
いつか、是非、日本でもイグナチオの霊操にそった黙想会をご指導ください!
楽しみにしています。

 ・・・日本にミッションに来てくだる神父様方に心から感謝申し上げます。毎回神父様には、失礼やご無理を申しあげているかもしれませんが、どうぞお赦しください・・・。シャザール神父様にも、よろしくお伝えください。来月も、お楽しみにお待ちしております。

聖務が山のように待っておられるのではないでしょうか?
どうぞご無理なさいませんように、お体ご自愛ください。

至聖なるイエズスの聖心よ、日本を憐れみ給え。
聖母の汚れなき御心よ、日本のために祈り給え。
聖ヨゼフ、日本のために祈り給え。


【お返事】
シャザル神父様は、携帯電話を持たないで、メールのアドレスもなく、清貧に貞潔に従順に司祭として生活したいという主義の方です。マニラには二名の修道士の方々もいます。そこで、私がマニラに修道院の代表として、その他の神父様やブラザーたちに代わって、飛行機のチケットやその他のこともお世話しているのですが、1月2日に始まる黙想会までに終えるべき仕事がいろいろあったのですが、1月と2月のシャザル神父様の飛行機の到着便を間違えて予約してしまいました。(以上が言い訳でした。)1月には、関空で長い間お迎えを待たせてしまって申し訳ありませんでした。
 2月の飛行機については、間違いに気が付き、本日、予定通りのチケットに変更しました。
 ご安心下さい。

【報告】
アヴェマリア。
小野田神父様、新年おめでとうございます。すっかり遅くなってしまいましたが、先月分のロザリオの十字軍の報告をさせていただきます。
フランシスコ   31環
モニカ      93環
テレジア    124環

ローズフーさんの苦しみの中にある喜びという貴重な手記、とても感銘を受けました。過酷な迫害の中で、よく信仰を保ってこられたと思います。中国人の中に、しかも私たちと同じ時代を生きていらっしゃる方の中に、こんな崇高な魂を持っていらっしゃる方がいらっしゃると言うことに感動を覚えます。

日本語訳が出版されるのを楽しみにしています。英語訳もどうやってインターネットで買えるのか分からないので、ミサの時持ってきていただけたら助かります。

もう一つ御願いがあります。フランス語で祈る主祷文、天使祝詞、詠唱などの祈り、私のパソコン文字化けしてしまうようなので、教えてくださいませ。どうかよろしく御願いします。

小野田神父様と聖ピオ十世会のうえに、神さまからの祝福とお恵みがありますように。祈りのうちに。デオグラチアス。


【報告】
今日のミサは久しぶりに曙町児童会館の2階で行われました。Chazal神父はお説教でまず御公現祭の歴史的事実と意義について、その後、祈りとつぐのいの重要性についてお話しになりました。

ミサの後には、土曜日にグレゴリオ聖歌に親しむ会で練習したAve maris stella(聖母マリアの祝日の晩課より)を皆で歌いました。

Chazal神父と近くの中華料理店でお昼をとった後、2時頃から聖トマス・アキナスのスンマ(神学大全)に基づいたカテキズムがありました。Chazal神父は実際のスンマに従って神学とは何であるか等々について解説して下さいました。

その後夕べの祈りを捧げて終了しました。

ミサの参列者数
男: 19人(内、子供0人)
女: 20人(内、子供1人)
計: 39人(内、子供1人)

霊的講話の参列者数
計: 17人

夕べの祈りの参列者数
計: 10人

P.S.
今日は日本に住んでいるフィリピン人のグループ(女性3名、男性1名、計 4人)が初めてミサに参列されました。できれば来月も来たいとのことでした。


【お便り】
アヴェマリア。
小野田神父様お元気ですか?昨日は、シャザール神父様が大阪に来てくださって、聖アグネスのミサを奉げてくださいました。いつもよりミサに与る人は多かったようです。

お説教で神父様は、私たちの心は神さまの神殿になっていて、私たちはみんな、神さまの忠実な配偶者でなければいけないのだと言うお話をしてくださいました。

午後からの講話では、シャザール神父様は、主の祈りのトマス・アクイナスの解釈(主の祈りがいかに完璧であるか)を、図式にして教えてくださいました。
はじめの神さまに対する『天にまします我等の父よ』という呼びかけに続く。3つの祈りは神ご自身に対する祈り。その後に続く4つの祈りは神によって来るものに対する祈りだとおっしゃっています。・・・

ところで、小野田神父様、シャザール神父様のお話に関連して、私は考えました。私たちの心は神様の神殿であるとすれば、そして祈りというものが神さまから来るちからある恩寵や助けを得る大いなる手段となるということは、祈ると言う事は神様と交信すると言うことで、心の中の神殿で、神さまと交流すると言う事だと言い換える事ができるのではないか?そして神さまからの恵みを心に受け取ると言う事ではないか?

もしも、神さまとそのような親しい交流をしているのに、もしも他の神神にも(動物の霊や人間の霊(天国にいっている事が定かでない死者や幽霊など)、聖霊に反する霊(悪魔やその他)などにも祈りをささげたら。どうなるのか?全く無害であると誰が断言できるのだろう?私たちの心の中にある神様の神殿に得体の知れない様々なものが、祈ることで侵入してくるということではないのか?教会にも・・・。だから聖霊に対する姦淫だと神さまはおっしゃっていたのではないか?黙示録で歌っている『倒れた、倒れた、大なるバビロン!それは悪魔の住処、すべての不浄な霊とすべての汚れた厭わしい鳥とのすまいとなった。』が実現してしまうのではないか?そんな事を感じます。

天主の十戒で、神さまは私たちに『我を唯一の神として礼拝すべし。』とおおせられています。

それなのに、それを知らずにそういうものを拝んでいる他宗教の人々と,そういう掟を知りながらも、本当の神さま以外に、唯一の神ではないほかの宗教の神々にも祈る人々の罪では、知っている人々の罪のほうが神さまに対してもっと侮辱しているのではないかと思います。

私は、もう一つ心配している事があります。それは、宇宙人と交信したいと願っている人々についてもです。宇宙には私達人間の他にも、私たちより遥かに知恵も力も優れている存在はあることでしょう。しかし、光あるものがすべて金ではないように、人間よりも遥かに知恵も力も優れているからといって、それが善であるかどうかはまったくわかりません。幼児でさえも宇宙には、ウルトラマンもいれば、モンスターもいる事は分かっています。得体の知れない存在を、むやみに信じて交流し、地球に侵入させようとする様な試みは、止めておいたほうがいいと思うのです。

小野田神父様どう思われますか?
祈ると言う事は神様と交信し、交流する事。というわたしの解釈、正しいですか?
私達は心の中にある神様の神殿に於いて、本当の神さまの忠実な配偶者でなければいけないと言う理由が、理解できるような気がするのです。小野田神父様のお考え聞かせてください。

小野田神父様と聖ピオ十世会の上に、神さまからの祝福とお恵みがありますように。祈りのうちに。
デオグラチアス。

【お返事】
 いつも熱心に公教要理のお話を聞いて下さっていてメールをありがとうございます。
 アビラの聖テレジアによると、祈りとは天主様との親しい語り合い、会話であると言っています。通信機械を使わない「交信」なのかもしれません。「交信」というと、親しい友人との間の対話と言うよりは、飛行機と管制塔との間の事務的なメッセージの交換、トランシーバを使った軍事的な情報のやりとりという意味合いが強いのであまりそぐわない感じがします。

【お便り】
アヴェ・マリア!
小野田神父 様

とうとうローズ・フーさんの「苦中楽」も最終回まで掲載していただき、神父様のブログで、日本語で最後まで読ませていただきました。

これほどまでのストックが日本語であるので、英語でも読んでみようと、
1章1章、気になった章を、今度は英語で読み返しております。
(もちろんわからない点は日本語訳を見ながらですが。。)

日本語では、何となくわかっていたつもりのことも英語で読むと、もっと違う角度からよくわかります。

ローズさんは、何年もの投獄生活(苦)のなかで、何人もの聖人に出会って(楽)、日常の生活では得られない連帯感や喜びを見出されていたのだと痛感しています。特に、「卵の話」や「忘れられない集い(34章)」などは、普通の生活をしていたら得られない体験だと思います。・・・

もう少しだけ、ローズ・フーさんの「苦中楽」を英語で読み返す作業と節制を続けようと思う今日この頃です。

【お返事】
 ローズさんの信仰ゆえの投獄生活、殉教の精神を学ばされます。30日間の霊操の間、カナダの初期の宣教師である聖イザアク・ジョグ(Saint Isaac Jogues)の伝記を食事の間の朗読のときに読みました。イロクワ族に捕らえられて拷問を受けたオンデソンク神父(聖イザアク・ジョグのヒュロン語の名前)の信仰にただただすごいと思いました。
 聖イザアク・ジョグの伴侶の平信徒のイエズス会士(donné)として、聖ルネ・グピルやギヨーム・クチュールの名前も出てきました。殉教を免れて生き残ったギヨーム・クチュールは、誓願の免除を受けて後に結婚し、その11代目の子孫が聖ピオ十世会のアジア管区長だそうです。

【報告】
+J,M,J, Ave Maria ☆!

小野田神父様、黙想会のために、
小野田神父様のご健康のために毎日お祈りしております。

大変遅くなりましたが、第四次ロザリオ十字軍の意向で、つたなくも唱えましたロザリオの報告をさせていただきます。
8人で12月分として423環を御捧げしました。

もっと頑張らなければ!!

至聖なるイエズス様の聖心よ、われらをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、われらのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフよ、われらのために祈りたまえ。
ロザリオの聖母よ、日本をあわれみ、日本のために祈りたまえ。


【報告】
聖母の愛して居られます司祭トマス小野田圭志神父様! ♪
十主の平安!!!♪♪♪
アヴェ・マリア!!♪♪   七旬節ですね!
御帰りなさいませ!

ブログに、「霊操!」等、詳しい御伝えを、楽しみにしております!
今年は、本当に御忙しい中、7ヵ月も!!司牧にお帰り下さいます御予定を御立て下さいまして!本当に有難うございます!とてもとても嬉しいです!♪

遅くなりまして申し訳ありません、

まず、12月の、聖なるロザリオ!♪の追加です、
エリザベト  31環 

では、1月分の、フェレー司教様の!♪御意向のための聖なるロザリオの!♪御報告をさせて頂きます♪

*シスター       93環
*ヨゼフ マリア    62環
*ヨゼフ・パウロ    93環
*マリア       314環
*ヨゼフ         8環
*マリア        22環
*マリア        50環
*バルナバ        2環
*エリザベト      31環
*テレジア      109環
*マリア        49環
*マリア        26環
*マリア・ローザちゃん 31環
*マリア        50環
*マリア・ローザ   123環
*アンナ        31環(雪降ろしが大変、と仰っておられました、お怪我なさいませんように、御祈り御願い致します!)

以上です、合計1094環です、どうぞ宜しく御願い致します。


デオ・グラチアス!!

我らの主なる全能の天主なるイエズス様!♪
無原罪の御宿りのルルドの聖母マリア様!♪
聖会の保護者なる聖ヨゼフ様!♪
お祈りのうちに

【報告】
アヴェマリア。
小野田神父様、お元気ですか?たまっていたお仕事は、もうかたづかれましたでしょうか?

遅くなりましたが、ロザリオの十字軍1月分のご報告をします。
フランシスコ   31環
モニカ       93環
テレジア     124環

以上です。
小野田神父様と聖ピオ十世会の皆様の上に、神さまからの祝福とお恵みがありますように。祈りのうちに。
デオグラチアス。

【報告】
+J,M,J, Ave Maria ☆!

小野田神父様のご健康のために毎日お祈りしております。

第四次ロザリオ十字軍の意向で、つたなくも唱えましたロザリオの報告をさせていただきます。(遅くなりすみません)

家族の8人で
1月分として415環を御捧げしました。

もっと頑張らなければ!!
ルルドの聖母マリア様の御祝い日の準備のために、9日間のノベナをお捧げしております。

至聖なるイエズス様の聖心よ、われらをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、われらのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフよ、われらのために祈りたまえ。
ルルドの姫君なるマリア様、日本をあわれみ、日本のために祈りたまえ。
日本の尊き殉教者よ、われらのために祈りたまえ。


【御質問】
質問への返答を見る方法
 つい昨晩神父様のブログを見つけました。大変興味深く、今朝も早々に戻ってきていろいろ読ませていただいているのですが、質問に答えるコーナーの神父さまからのお返事はどうやって見ることが出来るのでしょうか。

【お返事】
 こんにちは!初めまして。ご質問に答える時には、新しくスレッド(と言うのでしょうか?)を立ててお答えしようと思っています。
 まだお答えできていない御質問が多くあり、すまなく思っております。

【報告】
1月のロザリオの数 (てんとう虫クラブ Our lady's bug)

アヴェマリア

1月のロザリオは
てんとう虫クラブ:448環
みつばちクラブ:41環

合計:489環

1月は少なかったので、今月はがんばります。
デオグラチアス


+ + +


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次

========================
いつもこのブログを読んで下さってありがとうございます。

BLOG RANKINGです。クリックで応援して下さい。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい

ルフェーブル大司教の伝記の続きをもっと読みたい
と思った愛する兄弟姉妹の皆様は、
クリックで応援して下さると励みになります。
兄弟姉妹の皆様のご関心と応援とを感謝します。
========================
사랑하올 형제 자매 여러분, 한국성비오10세회(SSPX) 새로운 웹 사이트를 소개합니다.

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

第二バチカン公会議の徹底的検討を求める教皇ベネディクト十六世への嘆願書

2012年02月12日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨日は、ルルドでの無原罪の御宿りの御出現の祝日であり、建国記念日でした。いかがお過ごしでいらっしゃいますか? また昨年の大震災から11ヶ月めでもありました。日本のために、愛する兄弟姉妹の皆様と心を合わせてお祈り申し上げておりました。

 さて、イタリアの知識人たちが昨年9月に第二バチカン公会議の徹底的検討を求める教皇ベネディクト十六世へ嘆願書を提出しました。その日本語訳を作って下さった方がおられますので、ご紹介いたします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

***


第二バチカン公会議の徹底的検討を求める教皇ベネディクト十六世への嘆願書

<>和訳者補足

教皇聖下、

プラート教区司祭であり聖ペトロ大聖堂参事会員、さらに教皇庁立ラテラノ大学の元教会論教授にして、イタリア人神学者たちのうち最年長者として著名なモンシニョール・ブルネーロ・ゲラルディーニ(Mons. Brunero Gherardini)は、2009年に第二バチカン公文書に関する批評的な討論、つまり冷静かつ公な方法で開かれる批評討論会の開始がなされるために、非常に恭しくも切迫した嘆願書を聖下宛に送られました。この嘆願手続きには、ローマ欧州大学の教会史及びキリスト教史の教授であり、国民研究評議会(Consiglio Nazionale delle Ricerche)副議長であるロベルト・デ・マッテイ(Roberto de Mattei)が2010年に加わっております。


 嘆願書の中に、モンシニョール・ゲラルディーニはこう書きました:

「カトリック教会の善の為にこそ‐また特にその中でも、第一にして最高の教会法である、霊魂の救いの実現の為に‐、第二バチカン世界教会会議の名による 聖書解釈学及び神学、さらに史料編纂学及び“司牧活動の”自由創意から成る数十年間を終え、当公会議とそれまでに開かれた諸々の公会議との継続性に関する疑問、つまり当公会議はカトリック教会の聖伝に忠実なのかという疑問に、権威を持って答える事により(今回に関して言えば、単なる宣言ではなく、実際の証明を提出するというやり方に基づく)僅かなりとも明瞭化が施される事は急を要すると私には思えます。(…)

 実際、先ずあの公会議全体や、当公会議の各公文書、当公文書の各テーマ、さらにこれらのテーマ並びに公文書にある直接及び間接的な典拠について、入念かつ学術的な分析を実施せずに、聖下がお望みになっている[これまでの全教導権との]継続性の解釈学を浮上させようとするのは、もし不可能でないのであれば、かなりの無理があるように思えます。公会議についてその内容を繰り返すか、それをあたかも絶対的な新しさでもあるかの様に提示するだけで語り続ける事は、却って無駄骨に終わるでしょう。

 しかしこの様な広範囲に亘る検討は、これと同じ主題が、異なる水準(歴史学的、教父学的、教会法学的、哲学的、典礼学的、神学的、聖書解釈学的、社会学的、学術的水準)に於ける進展を要求するという理由のみならず、各公会議文書が何十もの主題と関係があり、唯一これらの主題の専門家だけが効果的に取り組めるという理由により、一人だけの能力を遥かに超えているのです。

 かなり前から、私には既に先の公会議に関して、要するに当公会議の諸側面とその内容に関して、壮大かつ、出来るなら決定的な<公会議の>確認に関する考え(ここで私が厚かましくも聖下に提案致します)が浮かびました。

 実際に<第二バチカン公会議の>各側面と内容が、それ自体、その他のあらゆる背景との前後関係に於いて、またその典拠となったもの全てを注意深く観察する事を通して、荘厳教導権であれ通常教導権であれ、カトリック教会のこれまでの教導権との継続性という特定の角度から検証される事は筋が通っていると思われますし、私には急務だと思えるのです。カトリック教会の聖伝に基づく教導権との関係に於いて、詳細かつ可能な限り非の打ち所のない学術的で批評的な知的労働から、次に第二バチカンに対する確実で客観的な評価の材料を引き出す事が可能になります。

 こうする事は、数多くある中から抜粋した、特に次の質問への回答を可能ならしめるでしょう:

1) 第二バチカンの真の性質とは何でしょうか?

2) 第二バチカン公会議が持つ司牧的性質(この概念について権威をもって明確化する必要あり)と、場合によっては、帯び得る教義的性質にはどのような関係があるのでしょうか? 司牧的公会議は、教義的なそれと両立可能なのでしょうか?司牧的とは教義的性質を前提とするのでしょうか? 前者は後者に反するのでしょうか? それとも前者は後者を無視するのでしょうか?

3) 第二バチカン公会議を“教義的”として定める事は本当に可能でしょうか? つまりこの公会議を教義的として取り扱う事は可能でしょうか? 第二バチカン公会議に基づいて新しい神学的断言をすることが出来るのでしょうか? どういう意味でそれが可能なのでしょうか? どういう制限の下、それが可能なのでしょうか?

4) 第二バチカンは、ボロ-ニュ学派の観点においての“出来事”、即ち、過去との関係を断ち切り、あらゆる角度に於いて、新しい時代を築くという意味においての“出来事”なのでしょうか? それともあらゆる過去は、第二バチカン公会議に於いて、同じ意味と同じ理解とで eodem sensu eademque sententia (デンツィンガー3020:第一バチカン公会議、第三総会、第四章「信仰と理性」、レランの聖ヴィンセンティウスの規範からの引用‐和訳者)> 生き返っているのでしょうか?

 断絶の解釈学と継続性の解釈学とは、これらの質問への回答にかかっている事は明らかです。しかし、もしこの徹底的検討の学術的結論が、継続性の解釈学を唯一受諾可能で、唯一考えられるものとして認める事に至るなら、その時はこの継続性が現実であり、またそれは 教義の本質的同一性 の内に示されているという事を(あらゆる反対を超えて論駁し)証明する必要があるでしょう。

 全てもしくは一部分に関して、この継続性が学術的に証明され得ない場合には、ほぼ半世紀も前から待たれていた問題の明瞭化への要望に対する答えとして、そのことを平静かつ誠実に伝える事が必要となります。」 (注1 B. GHERARDINI, Supplica al Santo Padre, in appendice a: ID., Concilio Ecumenico Vaticano II. Un discorso da fare, Casa Mariana Editrice, Frigento (AV), 2009, pp. 254-256. Nei testi riportati nella presente Supplica, tutti i passi in parentesi quadre sono del Relatore, non dell’Autore citato.)


前二十回の公会議との継続性を立証する為に

 きわめて多くの資料を参照した革新的な第二バチカン公会議の歴史の最近の著書の中で、デ・マッテイ教授は、本公会議の起伏に富んだ劇的な展開について、正確で現実に基づく概要を公にし、次の様に締めくくっています:

「本書の終わりに当たり、私が離れられないように結び付けられていると考えるペトロの後継者である教皇聖下ベネディクト十六世に対し、第二バチカン公会議についての真剣な討論に扉を開放して下さった事に関して、心からの謝意を表明しつつ、敢えて恭しく言葉を申し上げます。私はこの討論の中で、神学者としてではなく、歴史学者として協力の手を差し伸べたいと望んでいる事を繰り返し申し上げるのですが、それはやはり、前二十回の公会議とこの公会議との継続性を立証する為、また地獄の門はそれに打ち勝つ事はない(マテオ16:18)との確信を以って、ほぼ半世紀前からカトリック教会を苦しませている闇と疑いを追い払う為に、それに伴うあらゆる複雑さと全発展にも拘らず、第二バチカン公会議の徹底的検討の推進を、地上に於けるキリストの代理者に対して、丁重かつ子として要求しておられる神学者たちの嘆願と一つとなってそうするのであります。
(注2 - R. DE MATTEI, Il Concilio Vaticano II. Una storia mai scritta, Lindau, Torino, 2010, p. 591.)


 そして単なる信徒に過ぎない私たち署名者と致しましては、これらの丁重かつ許された懇願に全く同調致します。聖下に対する子としての敬意を欠く事はないと確信する私たちは、私たちの考えによれば、モンシニョール・ゲラルディーニや公会議後の初期から第二バチカンに関する説明(chiarezza)を得ようと戦ってきた、神学者及び知識人たちの分析から生じるものと同じような明快な回答に確かに値する、数多くの疑問から選んだ幾つかの質問を(この上で致しました四つに)付け加えさせて頂きます:


5) 天啓に関する憲章 Dei Verbum <神の啓示に関する教義憲章>に現れる「生きる聖伝」という概念に与えられている正確な意味とは何でしょうか? カトリック的聖伝の概念に関する最近の根本的な研究論文の中で、モンシニョール・ゲラルディーニは、第二バチカンに於いて、聖伝の教義的価値が明確に定義されなかったが為に(DV, 8)、カトリック教会の聖伝の理解方法に「コペルニクス的革命」が起きてしまったと断言しておりますし、カトリック教会で常に認められたものであり、珍しいやり方でトレント及び第一バチカン教義的公会議により批准されて来た(DV, 9)天啓の二つの典拠(聖書と聖伝)が聖書に一本化(ad unum)されているのが分かります。またそこでは、聖書の無謬性の教義への攻撃(attentato)さえ表明されておりますが(DV, 11.2)、それならどうして「神感を受けた聖書記者たちの主張するものは全て聖霊から来ると宣言して後、<聖書の>無謬性の特質が、(veritatem, quam Deus nostrae salutis causa Litteris sacris consignari voluit:天主が我々の救いの為に聖なる書物に記録される事を望まれた諸真理)全体の一部分として、“救いに役立つ(salutare)”か“救いをもたらす(salvifica)”真理にのみ与えられているのでしょうか? もし聖霊が、聖書記者の書き著したもの全てを霊感したのであれば、聖書の無謬性は救いをもたらす諸真理のみならず、聖書全体に当てはまるはずなのです。従いまして、この文書は非論理的だと思われます。」
(注3 - B. GHERARDINI, “Quod et tradidi vobis”. La Tradizione vita e giovinezza della Chiesa, in ‘Divinitas’, Nova Series, 2010 (53) nn. 1-2-3, pp. 165-186. Corsivi nostri.)


6) カトリック教会に関する教義憲章(しかし教義について定義していない)Lumen gentium <教会憲章>に含まれたカトリック教会に関する新しい定義に与えるべき正確な意味とは何でしょうか?もしこの新しい定義が<常に変わらぬ>永遠のそれと一致するものであるならば、即ち、我らの聖主から伝えられ、さらに聖霊の導きの下で使徒たちから伝えられた信仰の遺産(il deposito della fede)を何世紀にも亘り保ってきた唯一のものという理由で、カトリック教会だけが唯一真のキリストの教会であるとするならば、例え天主の賜物によりキリストの教会に固有のものとして属し、自ずとカトリック的一致を要求する聖化と真理の基本要素<自然徳や助力の恩恵など>が、このカトリック教会の外に数多く見出されるにしても、何故、一般の信徒にとっては殆ど理解不可能で、決して明快に説明のされない手法を用いて(これは申し上げなければなりません)キリストの「唯一の」教会は「ペトロの後継者及び彼に一致する司教たちに統治されたカトリック教会に存する(subsiste)と書く事により、それ<キリストの唯一真の教会はカトリック教会であるという永遠の定義>を変えようと望んだのでしょうか。」この明確な記述に於いて、カトリック教会はキリストの教会の単なる一部分として現れるようには思えないでしょうか?単なる一部分とは、キリストの教会は‐カトリック教会以外に‐カトリック教会の「外に」ある「聖化と真理の基本要素」をも包含するからなのですか?そうなれば、「カトリック教会内に存続する唯一真の宗教(信教の自由に関する宣言Dignitatis humanae)」は、カトリック教会の外に「<聖化と真理の>基本要素」を有する「キリストの教会」の宗教となってしまうことでしょう。さらに考え方によっては、「唯一真の宗教」は、公会議の言に拠れば、「キリストの教会」にある非カトリック的な「基本要素」にも等しく存続しているかのように受け止められはしないでしょうか?


7) 「神の民」(教会憲章、9-17)として全体的に理解されている教会の概念に与えるべき本当の意味とは何でしょうか? この概念は、過去に於いては単に全体の一部分<平信徒のみ>を表わすものでありましたが、それに反して、全体は「キリストの神秘体」と言われていました。


8) 公会議の諸公文書で為された「超自然」及び「全実体変化(transustanziazione)」という用語の省略にはどのような意味があるでしょうか?この省略は、一部の方々が主張する通り、当用語の基本概念の中身も変更するのでしょうか?


9) 団体性(la collegialità)という新しい概念の正確な意味とは何でしょうか? 教会憲章 の冒頭に置かれた Nota explicative praevia (予備解説注釈‐公会議に招集された司教たちの間の議論に決着をつける為に配置された注釈)による解釈をカトリック教会の不変なる教えの光に照らし、どう考えたら良いのでしょうか? 私たちはロマーノ・アメリオ(Romano Amerio)氏が明確に述べている疑問を参照致します:

「“予備解説注釈”(Nota Praevia)は、司教団体性の古典的解釈を拒絶しています。この古典的解釈に拠ると、カトリック教会に於ける最高権力の主体は唯一教皇のみであり、彼が望む時に、自分が公会議へと招集した全司教とこの権限を共有します。最高権力は、教皇によって、教皇の望みのままに(ad nutum)、伝えられる場合のみ、団体的なものとなります。
 さらに“予備解説注釈 ”は、改革者たちの見解をも同時に拒絶しています。彼らの見解に拠ると、カトリック教会に於ける最高権力の主体は、教皇と一致した司教団であり、その中の頭である教皇無しではなく、しかし教皇がたとえ自分一人で最高権力を行使する場合でも、前述した司教団の頭として、またそれ故にこの司教団を代表するものとして、教皇はまさにそれを行使することについて司教たちに意見を表明するように求めざるを得ない。
これは、どんな権威も自分の権力を大衆に由来すると主張する理論を真似たもの<教皇の最高権力は団体としての司教団に由来するという考え方>であって、これは(人民によるのではなく、天主を起源とする位階的)カトリック教会の神的創立と和解し難い理論です。
“Nota Praevia”は、これら二つの理論を否定し、最高権力は頭<教皇>と一致した、団体としての司教団に属していること、ただし、司教団は頭から独立してこれを行使する事は出来ないが頭は司教団から独立してそれを行使する事が出来ること(後者は聖伝への譲歩と取れます)を言明しています。」

 司教評議会制度に対する、法的権能(正当かつ固有の司教団の法的権限)の授与は、司教としての機能を実際に軽視するだけではなく、それを歪曲してしまったと主張する事は間違いないでしょうか? 確かに、今日のカトリック教会では、個別に見た場合、司教たちは事実上ほとんど無視されているように見えます(聖下、私たちの率直さをお許し下さいますように)。
 この点について、再度アメリオ氏を参照します:

「公会議後のカトリック教会の最も際立つ 新しさ とは、栽治権の限定された諮問機関である、教区及び国レベルでのシノドス<司教会議>や、司牧顧問会、司祭顧問会などのカトリック教会のありとあらゆる機関に、参与に門戸を開放した事です。[…]司教評議会の成立は、二つの結果をもたらしました:つまりそれはカトリック教会の 有機的構造 を歪め、司教たちの 権威 の喪失を引き起こしたのです。公会議前に効力を持っていた教会法に拠れば、司教たちは使徒たちの後継者であり、各自が自らの教区に於いて、立法権、司法権、行政権を行使する事によって、霊的かつ現世的事柄に対する通常の権能を持ち、統治します(教会法329及び335条)。
 この権威は正確に定められたかつ個人的に属するものであり、司教総代理の設立の場合は別として、委任の余地がありません(司教総代理の任命は、教区司教の意向に従属する‐ad nutum‐)。[…] 公会議の教令 Christus Dominus <教会に於ける司教の司牧任務に関する教令>は 、「全世界の教会に対する最高かつ完全な権能」を持つものとして(権能の一つの主体としての)団体制(la collegialità)を司教らの団体に帰属させています。このことは、もしも司教団が教皇の同意なしにこの権能が行使し得たとするなら、すべてにおいて教皇の権能と全く等しいということになります。
 この最高権力は、教皇により公会議として招集された司教たちの集いに於いて常に認められて来ました。しかし問題は、上級の決定機関よってのみ実際のものとなり得る権威とは、最高のものと見做され得るのか、さらにそれは単なる潜在能力(mera virtualità)、つまり単なる思考上のみに存在するもの(ens rationis )に帰するのではないのかという事です。
 ところで第二バチカンの精神に従えば、この団体性が具体化される司教権能の行使とは、司教評議会の権能行使です。


「以下は奇抜な言行です:当教令は、同じ国の司教たちが協力して行動する必要性においてこの新しい制度の存在理由を(第37項に)認め、この新しい協力関係だけしか見ていないが、しかしこれは、今後はその教会法上の形態を持ち、司教の代わりに司教らの団体と置き換え、さらに個人の責任を団体責任つまり細分化された責任と置き換え、カトリック教会の秩序を改変させるのです。[…]司教評議会を通して、カトリック教会は多極主義的(polycentrico)団体となってしまいました。[…]従いまして、この新しい組織体がもたらした 第一の 結果とは、[教皇との]一致の絆の弛緩であり、それは最も重大な数々の点[例えば、避妊家族計画法の使用を禁じた1968年7月25日公布の回勅フマーネ・ヴィテ(Humanae vitae)の教え]を巡っての途方もない反乱により示されました。新しい組織体がもたらした 第二の 結果は、司教として個別に考えられた、各司教が持つ権威の喪失です。彼らは自分自身の教区民や聖座の前でもはや責任がありません。何故なら、彼ら個人の責任は集団全体のものに取って代わり、もはやこの集団を構成する様々な構成員たちの責任は問われ得ない団体責任と入れ替わったからです。

今日の司祭は神の民の集会の司会者兼座長役へと還元されているのではないか

10)今日、司祭職というカトリック教会の真の制度に付される正確な意味とは何でしょうか?公会議以降、司祭は、「天主の司祭」から「天主の民の司祭」へと還元されており、それは主として「神の民」の「集会の司会者」かつ「座長」へと、さらに「民生委員(assistant social)」へと還元されたのは本当でしょうか? これに関して、以下のものは批判の対象となっています。
 「職位的」又は「位階的」司祭職と、いわゆる‐かつては単なる敬称と考えられていた‐「信徒らの共通」司祭職とを、両者は「相互に秩序づけられている、ad invicem tamen ordinatur 」(LG、62,2も御覧下さい)という断言をもって、同次元に置こうと望んでいるように思えること(教会憲章, 10項.2)
司祭職を「神の民」の単なる「職務」として描写しているように思えること(教会憲章, 13項.3)
福音の説教を司祭の「職務」の第一に置いていること(司祭の役務と生活に関する教令 Presbytorum Ordinis, 4 項:司祭たちは「司教の協力者として、神の福音を告げる 役目をもっている。」)に対して、トレント公会議はその反対に、司祭の使命を特徴付けるものは、第一に「聖主の御身体と御血を聖別し、捧げ、授ける権能」、また第二には「罪を赦す或いはそれを保留する」権能である事を想起させた(デンツィンガー、1764/957)。第二バチカン公会議が、「キリストから勧められたものである、天の御国にとって完璧かつ永続的な禁欲は、司祭職の本質それ自体から要求されるものではない[にしても]、司祭生活には特に相応しいものであると常にカトリック教会から見做されて来た」(司祭の役務と生活に関する教令, 16項)と主張する事によって、聖職者の独身制を事実上評価しなかったことは本当でしょうか。また今引用したこの主張は、1ティモテ3章2-5節やティト1章6節に対する誤った解釈を用いて初めて正当化されるのではないでしょうか。

11)典礼に於ける「創造性」の原理の正確な意味とは何でしょうか? その創造性は、礼拝の新しい形態を諸民族の特性及び慣習に適応させ、それを最大限に簡素化する事を目的として、これを実験する自由を含んだ、典礼分野に関する広大な権限を司教評議会に与えてしまったという事実から間違いなく生じています。このことは全て、典礼憲章Sacrosanctum Concilium に於いて提案されています。司教評議会の新しい権限に関して(22項2節)、諸民族の特質と慣習への適応及び典礼全般の適応基準に関して(37、39項、さらに40項)、典礼の簡素化に関して(21項と34項)です。
 似たような典礼に関する改革の裁量権というものは、過去において常にカトリック教会の教導権により排斥されてきたのではないでしょうか? 典礼憲章 Sacrosanctum Concilium は、典礼や諸々の刷新を常に聖座の規制下に置いている(典礼憲章22項1節、40項1節と2節)というのは本当であるにしても、この規制は、典礼上に広まる荒廃を防げることができない事を証明しており、この荒廃は信徒たちを教会から遠ざけてしまい、さらに、聖下から要求された、悪弊に対する懲戒行為や除去にも拘らず、今日でも未だに続き、ますます荒れ狂っています。専門の調査こそが、この失敗の理由を白日の下に曝す事が出来るのではないでしょうか?

公会議が宣言した信教の自由と、世俗的良心の自由との間にはどんな違いがあるのか?

 公会議の諸公文書が提起するすべての疑問、またカトリック教会の現状に関連する疑問を一つ残らず表明する事は、もちろん私たちには出来ません。この主題に関して、私たちは次のもののみ付け加えさせて頂きます:

12)教会史上初めて、信奉する宗教は関係なく「人権」もしくは人格の「本性的なもの」として、公会議によって宣言された信教の自由の原理、すなわち、唯一の啓示された真理(私たちのカトリック宗教)が真の宗教として宣言される権利よりも勝る権利であり、啓示されたのではない他の宗教、従って天主に由来しない他の諸宗教、の方がより尊重される権利として宣言された権利、この信教の自由なる原理は、全ての宗教が平等であるという前提に成り立ち、その適用は、宗教無関心主義や不可知論、さらに行き着く先として無神論という結果をもたらすものです。こうしたものとして、信教の自由は公会議によって理解されていますが、そのまま理解されたものとして、それは、反キリスト教的フランス革命の「人権」のうちの一つとして敬意を表される世俗的良心の自由と何を以って区別されるのでしょうか?


13)現在のエキュメニズムも同様に、それが主に目的としているものが、(一人でも多くの)人類のキリストへの改心というよりはむしろ、全民族間に平和と兄弟愛があるメシアの時代を開幕する事が出来る一種の新しい教会、あるいは世界宗教として人類を一致、さらには統一させることであるように見えるゆえに、同様な結果(無関心主義と信仰の喪失)に至らせているとは思われませんか? もし以上のものが、現在のエキュメニズムの究極目的であるならば‐そしてこれらの究極目的が、カトリック教会と現代世界に関する司牧憲章 Gaudium et spes <現代世界憲章> の内に一部見出されるのですが、‐、このエキュメニカルな対話は、ある種の「キリストとベリアルと間の同意」へと危険にも滑り込んでいる様には見えませんか? 公会議後の教会が現代世界と行ったあらゆる対話は、再検討されるべきではありませんか?


教皇聖下へ、

 私たちがこの粗末な嘆願書に於いて大胆にも聖下に表明させて頂きました質問は、既に二年前にモンシニョール・ゲラルディーニによる嘆願書などは評価しないと言明した聖職位階を間違いなく立腹させるかも知れません。この五十年以来、カトリック教会を深く苦しめている危機の例外的な深刻さを未だに理解していないように思われる一部の聖職位階が問題なのです。それは、デ・マッテイ教授の本が示したように、そして彼の前にも、より要約された形で、神言会 (S.V.D.) 司祭のラルフ・ヴィルトゲン神父(P. Ralph Wiltgen) や、ロマーノ・アメリオ教授の著書が証明している様に、公会議の際に公会議前にはその前兆だったものが炸裂した危機なのです。

 私たちが持つ信仰者としての霊魂と良心に於いて、敬意の全てをあげて聖下に書かれましたこの嘆願書は、敢えて申し上げるならば、知らない者もいない、ありとあらゆる抵抗や困難にも拘らず、聖下によって勇敢に開始されました、この戦闘の教会の復興と刷新とそして浄化との仕事に完璧に調和していると私たちには思われます。
 私たちは、一部の聖職者に浸透してしまった道徳の腐敗に対して聖下がお取りになった不屈の行動や、カトリックとは名ばかりとなってしまった、良く知られた福祉事業、愛徳の施設や福祉施設に対して、それを健全化させる活動だけに言及しているのではありません。
 私たちは、(確かな聖伝に拠れば使徒たちの時代にまで遡る典文を見ると、ふさわしくなく「トリエント」典礼と呼ばれている)旧ローマ典礼様式によるミサの執行と、さらに公会議前の儀式書(rituale)に則った諸秘蹟の授与と払魔式の「解放」にも言及します。
 私たちは、マルセル・ルフェーブル大司教によって創立された聖ピオ十世兄弟会の司教たちに(知られている規律上の理由により)重くのし掛かったあの破門宣告の教皇聖下による免除にも言及します。これについては、信徒たちの間で広く賛同を得た「ロザリオの国際十字軍」がその撤回という目的の為に開始され、恭しくも根気強く、聖下に対して懇願していました。

 カトリック教会にとっては間違いなく最重要のものである、聖主の教会全体に対する聖下のpotestas jurisdictionis <裁治権> に由来する教皇の全権限をもってmotu proprio <自発的に> 与えられた、上述した一連の措置の全てにおいて、単純なカトリック教徒としての私たちの sensus fidei <信仰の感覚> は、聖霊による明白な業を認めます。
 私たちは、カトリック世界の中心に於いてキリストがもう一度確立される事業計画に、聖下が望まれている、公会議の見直しをもその中に加える事が出来るように、聖霊の御助けを求めつつ、私たちの粗末な嘆願書を締めくくります。

私たちの忠孝の念をこめた熱意とまた私たちの敬意を保証しつつ、

In Domino et in corde Mariae <聖主とマリアの御心に於いて>

2011年9月24日

 50名近い署名がここに続く。その中には次の名前が見える。

パオロ・パスカルッチ教授(Prof. Paolo Pasqualucci)、哲学教授;
モンシニョール・ブルネーロ・ゲラルディーニ(Mgr Brunero Gherardini)、教会論教授、イタリアの最年長神学者;
モンシニョール・アントニオ・レヴィ(Mgr Antonio Livi)、ラテラン大学に於ける認識哲学の名誉教授;
ロベルト・デ・マッテイ教授(Prof. Roberto de Mattei)、ローマ欧州大学;
ルイジ・コーダ・ヌンズィアンテ教授(Pro. Luigi Coda Nunziante)、個人的かつファミリア・ドマーニ協会(l’association Famiglia Domani)会長として;
パオロ・デオット博士(Dott. Paolo Deotto)、リスコッサ・クリスチアーナ(カトリックニュースサイト、www.riscossa cristiana.it)管理者;
ピエロ・ヴァッサロ教授(Prof. Piero Vassallo)、哲学教授、リスコッサ・クリスツィアーナの共同管理者;
ヴィルジニア・コーダ・ヌンツィアンテ博士(Dr.ssa Virginia Coda Nunziante);
プッチ・チプリアーニ博士(Dott. Pucci Cipriani);
マルチェッロ・スタンズィオーネ神父(Don Marcello Stanzione)及び大天使聖ミカエルの軍団一同(toute la Milizia de San Michele Arcangelo);
ダンテ・パストレッリ教授(Prof. Dante Pastorelli);
フローレンス市、聖フィリッポ・べニズィ(St. Filippo Benizi)の聖ジロラモと聖フランチェスコ・ポヴェリーノの尊き兄弟会の理事、フローレンスのウナ・ヴォーチェ連盟会長;
カロジェーロ・カンマラータ(Calogero Cammarata)氏、トリノのインテル・ムルティプリチェス・ウナ・ヴォックス(Inter Multiplices Una Vox)連盟会長;
クリスティーナ・スィッカルディ博士(Dr.ssa Christina Siccardi)-カスティリオーネ・トリネーゼ町(ピエモンテ州トリノ市);
カルロ・マネッティ博士(Dott. Carlo Manetti)-カスティグリオーネ・トリネーゼ町(ピエモンテ州トリノ市);
アレッサンドロ・ノッキ(Alessandro Gnocchi)氏;
マリオ・パルマーロ(Mario Palmaro)氏;
マリオ・クリスコニオ(Mario Crisconio)氏、マルタ騎士修道会騎士(chevalier de l’Ordre de Malte)、ピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア(ナポリで1601年創設された慈善施設)理事、ナポリのウナ・ヴォーチェ連盟会長;
エンリコ・ヴィッラーリ(Enrico Villari)氏、技師、哲学博士‐ナポリ在住;
マルチェッロ・パラトーレ(Marcello Paratore)氏、哲学教授、ナポリ在住;
ジュゼッペ・デ・ヴァルガス・マクカ(Giuseppe De Vargas Machuca)氏、レアーレ・アルチコンフラテルニータ・エ・モンテ・デル・サクロ・サンクト・サクラメント・デイ・ノービリ・スパニョーリ(Reale Arciconfraternita e Monte del SS. Sacramento dei Nobili Spagnoli)会の理事長‐ナポリ;
ジョヴァンニ・トルテッリ(Giovanni Tortelli)氏、作家、教会法及び教会史研究者(フローレンス)。

 この嘆願書はリスコッサ・クリスティアーナ・<カトリックニュース>サイト(Riscossa cristiana)によって広められており、サイト上でイタリア語原文を読む事が出来ます。

SUPPLICA Al Santo Padre Benedetto XVI,
Sommo Pontefice, felicemente regnante,
affinché voglia promuovere un approfondito esame del
pastorale Concilio Ecumenico Vaticano II


コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加