Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ礼拝し希望し御身を愛します!御身を信ぜぬ人々礼拝せず希望せず愛さぬ人々のために赦しを求めます(天使の祈)

教皇の不可謬性を宣言した第一バチカン公会議に関する教会公式の解釈:ヴィンチェンツ・ガッサー司教:教皇が個人として異端に陥ることが出来ることについて神学者や教会法学者たちは一致していない

2019年08月31日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

教皇が異端に陥ることがあり得るか?という問いは、一見、おもしろくない問いかけです。

何故なら、カトリック教会は教皇の不可謬性(infaillibility)を信仰箇条としているからです。

ところで、教皇の不可謬性を誤解することによって、もっと悲惨なことを信じるようになってしまいます。

たとえば、エコロジー問題とか、同性愛容認とか、女性聖職者とか、死刑反対についてとか、エキュメニズムとか、司教団体制とか、今、現在、カトリック教会で流行している内容についてです。聖書と聖伝とによらない教えで第二バチカン公会議以後に流行している新しい教えについてです。

教皇が教えたからと言って、あるいは、第二バチカン公会議が宣言したからと言って、聖書と聖伝とによらない(さらには聖書と聖伝とに反対する)教えを、「不可謬」と考えることができるのか?という問題です。

カトリック聖伝の立場は、はっきりしています。第二バチカン公会議には「不可謬宣言」が無かった、です。従って、第二バチカン公会議以後の新しい教えは、私たちには信じる義務がありません。

カトリック教会の「保守派」と呼ばれる人々は、教皇の不可謬性、あるいは公会議の不可謬性を御旗に、カトリック聖伝を「不従順」であると攻撃します。

あるいは、教皇の不可謬性、あるいは公会議の不可謬性を御旗に、教皇は教皇ではない、と主張する人々もいます。教皇座空位論を主張する人々です。彼らも、カトリック聖伝を攻撃します。

そこで、では一体、カトリック教会は、教皇の不可謬性について、どのように理解しているのでしょうか?


第一バチカン公会議は、その憲章『パストル・エテルヌス Pastor Aeternus』で、教皇の不可謬性を宣言しました。

この公文書に関するカトリック教会の公式の解釈はどのようなものでしょうか?

公会議の公式スポークスマン(代弁者・報告長官)の任務についていたヴィンチェンツ・ガッサー司教(Bishop Vinzenz Gasser, 1809 - 1879)は、第一バチカン公会議の間、有名な四時間にわたる話しをしました。

このラテン語の講話の内容は、英語に訳されて出版されています。The Gift of Infallibility: The Official Relatio on Infallibility of Bishop Vincent Ferrer Gasser at Vatican Council I – July 1, 2008 by James T. O'Connor

あるいは、別の場所でもインターネット上でも読むことが出来ます。Official Relatio of Bishop Vincent Ferrer Gasser delivered at the First Vatican Council

この中で、ガッサー司教はこう発言します。

「(…)この議場で為された最も重大な反対意見は、私たちが、神学の特定の学派の極端な意見をカトリック信仰のドグマとすることを望んでいるのではないか、という意見である。じつにこれは極めて重大な反対意見であり、私はそれを立派な極めて尊敬されている発言者の口から聴いた時、悲しく頭をうなだれ、話す前に何を言おうかと考えた。天主よ、御身は私たちの心と舌とをそれほどまでに混乱させ、特定の学派の極端な意見、ベラルミンがフランスの聖職者のした宣言の第四命題の著者として出したものをドグマの尊厳までに挙げようと推進していると私たちが思われているほどなのだろうか?(…)

公会議草案の中に入れられた教義いついて言えば、代議は不当にも極端な意見をドグマの尊厳にまで高めようとしていると告発されている。この極端な意見とは、すなわち、アルベルト・ピギウスのものであり、ベラルミンが「敬虔で蓋然的」と呼ぶピギウスの意見によると、「教皇は、個人として、或いは、私的な教師として、無知の一種からは誤りうるが、しかし異端に陥ることや異端を教えることは決して出来ない」というものである。

別の諸点について何も言わず、発言者の教父によって為された引用でも、また、ベラルミン自身が次の言葉でピギウスの意見について発言していることからも、つまり『教皇は教皇として誤ることが出来ないのみならず、さらに特定の人としてさえ、信仰に反対の何かを頑固に信じることによって異端であることはできない。」というベラルミンの言葉からも、このことが明らかであると言わせてもらいたい。

ここから、公会議憲章のこの章に提示されている教義は、アルベルト・ピギウスの教えでもなければ、いかなる学派の極端な意見でもない。そうではなく、発言者の教父によって引用された場所においてベラルミンが教え、またベラルミンが第四の場所に主張し彼が最も確かで確実であると呼んだ、いやむしろ、ベラルミンが自分を訂正して、最も共通で確かな意見であると呼んだその同じ一つの教えであります。」

040. (…)Now before I end this general relatio, I should respond to the most grave objection which has been made from this podium, viz. that we wish to make the extreme opinion of a certain school of theology a dogma of Catholic faith. Indeed this is a very grave objection, and, when I heard it from the mouth of an outstanding and most esteemed speaker, I hung my head sadly and pondered well before speaking. Good God, have you so confused our minds and our tongues that we are misrepresented as promoting the elevation of the extreme opinion of a certain school to the dignity of dogma, and is Bellarmine brought forth as the author of the fourth proposition of the Declaration of the French Clergy? (…)

As far as the doctrine set forth in the Draft goes, the Deputation is unjustly accused of wanting to raise an extreme opinion, viz., that of Albert Pighius, to the dignity of a dogma. For the opinion of Albert Pighius, which Bellarmine indeed calls pious and probable, was that the Pope, as an individual person or a private teacher, was able to err from a type of ignorance but was never able to fall into heresy or teach heresy.

To say nothing of the other points, let me say that this is clear from the very words of Bellarmine, both in the citation made by the reverend speaker and also from Bellarmine himself who, in book 4, chapter VI, pronounces on the opinion of Pighius in the following words: "It can be believed probably and piously that the supreme Pontiff is not only not able to err as Pontiff but that even as a particular person he is not able to be heretical, by pertinaciously believing something contrary to the faith."

From this, it appears that the doctrine in the proposed chapter is not that of Albert Pighius or the extreme opinion of any school, but rather that it is one and the same which Bellarmine teaches in the place cited by the reverend speaker and which Bellarmine adduces in the fourth place and calls most certain and assured, or rather, correcting himself, the most common and certain opinion.

つまり、

公会議憲章のこの章に提示されている教義は、アルベルト・ピギウスの教えでもなければ、いかなる学派の極端な意見でもない、です。

カミロ・マゼッラ枢機卿(Cardinal Camilo Mazzella, 1833-1900)も、次のように言います。

「ローマ教皇が聖座から(エクス・カテドラ)話すとき異端を教えることが出来ないということ(第一バチカン公会議が定義したこと)と、個人として教皇が異端に陥ることが出来ない、つまり、異端になることが出来ない、ということとは別のことである。この最後の問いについて、第一バチカン公会議は何も言わなかった。神学者や教会法学者たちはこのことについて一致していない。」

“(…) it is one thing that the Roman Pontiff cannot teach a heresy when speaking ex cathedra (what the council of the Vatican defined); and it is another thing that he cannot fall into heresy, that is become a heretic as a private person. On this last question the Council said nothing, and the theologians and canonists are not in agreement among themselves in regard to this.”

"Notari secundo esset, aliud Romani Pontificem ex cathedra loquentem non posse haeresin docere (quod Vat. Con. definivit) ; aliud eum non posse in hearesim incidere seu uti privatam personam haereticum fieri. De hac quaestione nihil dixit Concilium. Theologi autem et Canonistae non conveniunt inter se."

[Card. C. Mazzella, De religione et Ecclesia, Sixth Edition, (Prati: Giachetti, filii et soc., p. 817, n. 1045]

この項は続きます。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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【ユーモア】ジャガイモにできるなら… 

2019年08月31日 | カトリック・クイズ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
次のような画像を頂きましたので、ご紹介いたします!




【おまけ】
フィリピンのなぞなぞ
「ジャガイモのようで7つの穴があるもの、なあに?」

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田神父
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教皇は個人的に異端に陥り得るか? 教皇は公然と異端を主張し得るか? 教皇インノチェンテ三世、教皇アドリアノ六世、ドミンゴ・デ・ソト、サレジオの聖フランシスコらの主張は?

2019年08月30日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

セデヴァカンティズム(教皇聖座空位論)と言われている主張があります。

この教皇聖座空位論によると、その結論は、今現在、あるいは、第二バチカン公会議以後、バチカンで教皇として世界中で認識されている人(つまり、パウロ六世や、ヨハネ・パウロ二世や、ベネディクト十六世、あるいは、教皇フランシスコ)などについて、「教皇ではない」と個人的に判断しなければならない、とされます。

その結論に至る理論は、セデヴァカンティズムを主張する人によって、異なります。

ある教皇座空位論によると、第二バチカン公会議後の教皇らは、教皇となる前から異端者だったので、もともと真の教皇ではない、とされます。

別の教皇座空位論は、第二バチカン公会議後の教皇らは、有効に教皇として選ばれて真の教皇たちだったけれども、公の異端を唱えることによって、教皇の職を失った、と主張します。

ある教皇座空位論によれば、異端の罪によって、教皇は自動的に教皇職を失う、とします。

他の教皇座空位論は、真の教皇は異端に陥ることがあり得ない、と言います。

私たち聖ピオ十世会は、第二バチカン公会議後の教皇たちは、真の教皇たちであった、と認識し主張します。
私たち聖ピオ十世会は、セデヴァカンティストではありません。

何故なら、教皇が教皇職を失ったと判断するのは私たちの義務でも力の範囲でもないからです。

さて、ここでは、まず話の内容を限定して、真の教皇が異端に陥ることがそもそもあり得るのか、その可能性について、考察します。

つまり、真の教皇に異端になる可能性があるのか、あるいは、異端に陥ることが出来ないか、という問いです。

もしもそうである場合、教皇が、自動的に教皇職を失うか、否か、という問題ではありません。それについては、ここでは、話を簡単にするために、取り上げません。

以下に、ジョン・サルザとロバート・シスコウ共著の『教皇は本物か偽物か?』TRUE OR FALSE POPE? Refuting Sedevacantism and Other Modern Errors by John Salza and Robert Siscoe の、第8章「教皇は異端に陥ることがあり得るか」Can a Pope Fall Into Heresy? からの内容をご紹介いたします。

ジョン・サルザとロバート・シスコウは、これについて二つの問いを立てます。

1)教皇は個人的に自分の頭の中で(言い換えると、心の中で内部的に)異端に陥ることがあり得るか?

2)教皇は個人的に外部に対して異端を主張することがあり得るか?

神学者たちの共通意見によれば、教皇は個人的に、内部的に自分の中で異端に陥ることがあり得るし、さらに、外部に対して公然(publicly and notoriously)と異端を主張することがあり得ます。

【これに反対する少数意見もありますが、それについても後に見てみます。】

カトリック教会は、教皇が「不可犯罪性 impeccability」を持っているとは主張したことがありません。教皇が不可謬であるためには、限定された条件を満たす必要があります。従って、その条件を満たさない場合、異端の罪を個人的に犯すことも可能であれば、公に異端を教えることも可能です。

【教皇インノチェンテ三世】
教皇インノチェンテ三世は、1198年、教皇になる時の説教の中で、教皇は異端者になりうると言いました。

「教皇は、自分の権力について思い上がるべきではないし、自分の名誉や高い地位について性急に光栄に思うべきでもない。何故なら、人間からより少なく裁かれるほど、より多く天主によって裁かれるからだ。また、ローマ教皇はより少なく栄光を自分に期すことが出来る。何故なら、人間によって裁かれることが出来る、あるいはもしも、例えば、彼が異端に流されたとすれば、すでに彼は裁かれているということが示されるからだ。(…)」

“Truly, he [the Pope] should not flatter himself about his power, nor should he rashly glory in his honor and high estate, because the less he is judged by man, the more he is judged by God. Still the less can the Roman Pontiff glory because he can be judged by men or rather, can be shown to be already judged, if, for example, he should wither away into heresy; because he who does not believe is already judged. In such a case it should be said of him: ‘If salt should lose its savor, it is good for nothing but to be cast out and trampled underfoot by men.’”[Pope Innocent III, Sermon IV, Between God and Man: Sermons of Pope Innocent III(Washington, D.C.: Catholic University of America Press, 2004), pp. 48-49.]

「信仰が私にとって必要であり、他の罪については天主だけによって私は裁かれるだろうが、信仰について犯された罪ついてだけは、私は教会によって裁かれることが出来るだろう。」

« Intantum fides mihi necessaria est ut cum de ceteris peccatis solum Deum judicem habeam, propter solum peccatum quod fide commttitur possem ab Ecclesia iudicari »
[Serm. Consecrat. Pontif. Rom., P. L. CCXVII, col. 656.]

【教皇アドリアノ六世】

教皇アドリアノ六世(1522-1523)は、教皇は信仰に関して間違いうるし、異端を教えうるとさえ言いました。

「もしも "ローマ教会" ということで、その頭あるいは教皇のことを意味するのなら、教皇は信仰に関することについてさえ誤りうるのは言わずもがなだ、と私は言おう。教皇は自分の判断あるいは教令によって、異端を教えるとき、そうする。真実に、多くのローマ教皇らは異端者だった。彼らの最後は、教皇ヨハネ二十二世だった。(…)」


“Ad secundum principale de facto Gregorii, dico primo quod si per Ecclesiam Romanam intelligatur caput ejus, puta Pontifex, certum est quod possit errare, etiam in his, quae tangent fidem, haeresim per suam determinationem aut Decretalem asserendo; plures enim fuere Pontifices Romani haeretici. Item et novissime fertur de Joanne XXII, quod publice docuit, declaravit, et ab omnibus teneri mandavit, quod animas purgatae ante finale judicium non habent stolam, quae est clara et facialis visio Dei.”

“I say: If by the Roman Church you mean its head or pontiff, it is beyond question that he can err even in matters touching the faith. He does this when he teaches heresy by his own judgment or decretal. In truth, many Roman pontiffs were heretics. The last of them was Pope John XXII († 1334)...”
[3 The text is taken from IV Sentent, Quaestio de confirm. Quoted by De Bossuet (d. 1704) in“Oeuvres complètes,” Tome XVI (Paris: Adrien Le Clère, imprimeur-libraire, rue; Lille: L.Lefort, imprimeur-libraire, 1841), p. 686.; Original Latin also cited in “Paus Adriaan VI,”by Andreas Franciscus Chrisstoffels (Stoomdrukkerij Loman, Kirkerger and Van Kersteren, Amsterdam, 1871), p. 96.]


【ドミンゴ・デ・ソト】
十六世紀のドミニコ会士の神学者ドミンゴ・デ・ソト(Domingo de Soto (+1560))は次のように教えている。

「現代の教師の中には、教皇は異端者にはなり得ないと教えている者もいるが、しかし共通意見は、その反対である。教皇としては、間違い得ないかもしれないが、すなわち、かれはある誤謬を信仰箇条として定義することは出来ないとしても(何故なら聖霊がそれを許さないだろうから)、しかし、個人としては彼は信仰において間違いうる、それはその他の罪を犯すことが出来るのと同じやり方でそうだ。何故ならかれは不可犯罪性を持っていないからだ。」

“(…) though some masters of our time sustain that the Pope cannot be a heretic in any way, the common opinion is however the opposite one. For though he might not be able to err as Pope – that is, he could not define an error as an article of faith, because the Holy Spirit will not permit it – nevertheless as a private person he can err in faith, in the same way that he can commit other sins, because he is not impeccable.”
[5 Soto, Comm. in IV Sent., dist. 22, q. 2, a. 2, p. 1021.]


【サレジオの聖フランシスコ】

サレジオの聖フランシスコは、『カトリック論争』という本の中で次のように書いています。

「旧法のもとでは、大司祭は大司祭の祭服を来て主の御前[の至聖所]に入る時以外は、エフォドを身に着けなかった。従って、ヨハネ二十二世がそうだったように、教皇は自分の個人的な意見において間違い得ないと私たちは言うことが出来ない、あるいはおそらくオノリウスのように異端者でありえない、と。」

“Under the ancient Law, the High Priest did not wear the Rational except when he was vested with the pontifical robe and was entering before the Lord. Thus we do not say that the Pope cannot err in his private opinions, as did John XXII; or be altogether a heretic, as perhaps Honorius was.”
[St. Francis de Sales, The Catholic Controversy (Charlotte, North Carolina: TAN Books and Publishers, Inc., 1986), pp. 305-306.]

"En l'ancienne loy le grand pretre ne portait pas le rational si non quand il estoit revestu des habits pontificaux et qu'il entroit devant le Seigneur. Ainsi ne disons nous pas que le pape en ses opinions particulieres ne puisse errer comme fit Jean XXII, ou etre du tout heretique comme peut etre fut Honorius."

その他、

マテウス・コンテ・ア・コロナタ(Mattheus Conte a Coronata)[Institutiones Iuris Canonici (Rome: Marietti, 1950), vol. 1, p. 3I6.]
ヴィルヘルムとスカネル(Wilhelm and Scannell)著『教義神学の手引き』[A Manual of Catholic Theology, vol. I, 3rd ed. (New York; Cincinnati; Chicago: Benzinger Bros., 1906), pp. 45-46]
ポール・レイマン(Fr. Paul Laymann)[Theol. Mor., bk. 2, tract 1, ch. 7, p. 153.]

なども、教皇は個人の資格で誤りを教えうる、と主張しています。


ところで、反対に、教皇は個人の資格でさえ誤り得ない、と主張している著者もいました。
聖ロベルト・ベラルミンとアルベルト・ピギウス(Albert Pighius)がそうでした。

聖アルフォンソ・デ・リグオリの意見も、ベラルミンに従ったものだったようです。何故なら、S. Alfonso Maria de Liguori "Verità della Fede" に次のようにあるからです。

10. Che poi alcuni pontefici sieno caduti in eresia, taluni han cercato di provarlo, ma non mai l'han provato, né mai lo proveranno; e noi chiaramente proveremo il contrario nel fine del cap X. Del resto, se Dio permettesse che un papa fosse notoriamente eretico e contumace, egli cesserebbe d'essere papa, e vacherebbe il pontificato. Ma se fosse eretico occulto, e non proponesse alla chiesa alcun falso dogma, allora niun danno alla chiesa recherebbe; ma dobbiamo giustamente presumere, come dice il cardinal Bellarmino, che Iddio non mai permetterà che alcuno de' pontefici romani, anche come uomo privato, diventi eretico né notorio né occulto.

上の文章のGoogleによる英訳(少し手を付けた)は次の通りです。

10. Then that some popes have fallen into heresy, some have tried to prove it, but they have never proved it, nor will they ever prove it; and we will clearly prove the contrary in the end of chapter X. Moreover, if God permitted a pope to be notoriously heretical and contumacious, he would cease to be pope, and he would deserve the pontificate. But if he were a hidden heretic, and did not propose any false dogma to the church, then no damage to the church would bring; but we must rightly assume, as Cardinal Bellarmino says, that God will never allow any of the Roman pontiffs, even as a private man, to become heretical, not well-known or hidden.

これについては、別の機会に改めて書きます。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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敬虔な同意(assensus relisiosus)が求められる「正真の(authenticum)教導権」とは?教皇ヨハネ二十二世、教皇ホノリウスの例。教皇は、誤りを教えることが出来るか否か?

2019年08月29日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛するM君、お元気ですか?
「O神父様によるセデヴァカンティズム批判論駁 第三回」を拝見させていただきました。

M君(Veritas liberabit vos!さん、と呼ぶのは、あまりによそよそしいので、いつものように霊名で呼びます)も忙しい中を書いてくれているので、私もできる限り時間を見つけて、体力の許す限りお返事をしようと思います。

M君によると、今現在、バチカンで教皇として世界中で認識されている人(つまり教皇フランシスコ)を教皇と認めることが「似非カトリック教会のメンバーと化す」ことであって、
彼を教皇ではないと個人的に判断することが、「真のカトリック教会へと方向転換」することだと主張していますね。

私の理解が正しければ、M君にとって、二つの点が問題になっているようです。

(1)なぜO神父は、「荘厳/特別教導権」にも「普遍通常教導権」に属さない、教導権の第三レベルである「正統[ママ]教導権(Authentic Magisterium)」のことに言及しないのか。例えこの教導権が不可謬性を有していないとしても、キリストの権威を有する性質上、カトリック教皇は、それを教える際「霊魂にとって有害な」発言や命令を公布する事が出来ないはずだ。何故言及を避けたのか?知りながらそれに言及しなかったとすれば、それは聖ピオ十世会の過ちを隠蔽する為だ。

(2)O神父が『教皇がかつて、発言したあるいは命令した言葉が、すべてがすべて不可謬で誤りがない、とは明らかに言えない場合が歴史上存在しているからです』と主張するなら、主張を擁護する歴史上の例をいくつか挙げるべきだった。しかし、例を挙げないのは、そうすることが出来ないからだ。何故なら『キリストの権威を有する教皇には、どんな形式であれ、霊魂にとって有害な教えを公布する事など不可能』だからだ。教皇の教えは、荘厳教導権以外では、全て「正統[ママ]教導権」であり、その教えは不完全であり得ても、決して霊魂を害する教えであり得えない。

【回答】
(1)の点については、Authentic Magisteriumについては、「第2バチカン公会議とは --- 第2バチカン公会議の権威 --- 」という論文の要旨を日本語にした時に、言及しました。ただし authentic(正真正銘・真正の)は、orthodox(正統の)という言葉を区別するために、「正真の(authenticum)教導職」と訳しました。

例えば、福者の列福がこれにあたります。そのとき、これに敬虔な同意(assensus relisiosus)をする必要があります。(Thesis 15. Salaverri, Sacrae Theologiae Summa, Tomus I: Theologia Fundamentalis, Madrid, BAC, 1962, p. 705)

「正真の(authenticum)教導権」には、敬虔な同意(assensus relisiosus)が求められますが、信仰(fides)ではありません。

信仰は対神徳で、信仰の同意(assent of faith)は絶対的です。

敬虔な同意(religious assent)は、従順の徳に属するもので倫理徳です。つまり、やり過ぎと欠如との間の中庸に成立する徳です。つまり、絶対的でもなければ無条件でもありません。

正真の教導者、つまり、教会において本当の権威を持っている者(すなわち教える権利と義務を持つ当局)が、自分が持っている権威の充満を行使せずに(つまり厳格な決定的な判断を下すことを意図せずに)、教える職務を行使する時、敬虔な同意が求められます。ただし、「敬虔な同意」という「従順の徳」だけです。

たとえば、第二バチカン公会議について、どのような「同意」が求められているか、と言う質問に、第二バチカン公会議の事務総長であったフェリチ枢機卿はこう言いました。

「第二バチカン公会議は、司牧公会議であり、教義決定の公会議ではないので、不可謬の公会議ではありません。総会の終わりに私たちはフェリチ大司教にこう質問しました。「神学者たちが公会議の "神学的性格" と呼んでいるものを私たちに与えてくれることができないでしょうか?」
フェリチ大司教はこう答えました。「過去、既に教義的に定義の対象になったものを、草案や章ごとに従って、区別しなければなりません。ところで、新しい性格を持った宣言については、私たちは留保しなければなりません。」
(ルフェーブル大司教「教会がどうなってしまったか分からなくなってしまったカトリック信徒たちへの手紙」第14章)

A non-dogmatic, pastoral council is not a recipe for infallibility. When, at the end of the sessions, we asked Cardinal Felici, “Can you not give us what the theologians call the ‘theological note of the Council?’” He replied, “We have to distinguish according to the schemas and the chapters those which have already been the subject of dogmatic definitions in the past; as for the declarations which have a novel character, we have to make reservations.”
Open letter chapt 14

(2)については、『キリストの権威を有する教皇には、どんな形式であれ、霊魂にとって有害な教えを公布』した例として、ヨハネ二十二世、ホノリウスを挙げます。

ここでは、以上、簡単に回答をするにとどめます。

「正真な教導権」が、教皇が誤りを教えることが出来るか否かについて、何を教えていたか、について
また、
教皇ヨハネ二十二世、教皇ホノリウスの例について、
などについては、時を改めて、詳しくご紹介いたします。

さらに「真正な教導権」についても、将来、紹介する予定です。

最後に、M君は、聖アルフォンソ・デ・リゴリオの言葉を引用していますね。

『もし何時の日か教皇が、個人として、異端に陥るとしたら、彼は直ちに教皇職から転落するだろう。しかしながら、もし悪名高く反抗的な異端者となる事を神が教皇に許す事となれば、彼はこの様な事実によって(自動的に)教皇ではなくなり、使徒座は空位となるだろう。』
“If ever a Pope, as a private person, should fall into heresy, he should at once fall from the Pontificate. If, however, God were to permit a pope to become a notorious and contumacious heretic, he would by such fact cease to be pope, and the apostolic chair would be vacant.”

これを見て、M君らしくないなと思いました。何故なら、

(1)聖アルフォンソのどの本の何ページから引用したのか、出典を出さないで引用しているから。

(2)「キリストの権威を有する教皇には、どんな形式であれ、霊魂にとって有害な教えを公布する事など不可能」と主張しておきながら、いきなり、「キリストの権威を有する教皇が、個人としてという形式で、異端に陥るなら」という可能性について話しているから。

M君は、教皇が、個人として、異端に陥ることが出来ると考えているのだろうか? 
それとも、教皇は、個人としても、異端に陥ることは出来ないと考えているのだろうか? 

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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栄えの玄義 第4玄義「聖母の被昇天」黙想 2019年8月3日(初土)御聖体降福式にて

2019年08月29日 | お説教・霊的講話
栄えの玄義 第4玄義「聖母の被昇天」黙想
(2019年8月3日(初土)御聖体降福式にて 聖ピオ十世会司祭 小野田神父)

今日は初土曜日ですので、15分間、ロザリオの15の玄義の1つを黙想致しましょう。
特にマリア様が受ける侮辱、冒涜、屈辱を償うという意向の為に、マリア様の汚れなき御心を慰めするという意向で、お捧げ致しましょう。

特に今回は、「聖母の被昇天」を黙想する事を提案します。

御聖堂のステンドグラスにもありますように、マリア様が天に上げられ、諸聖人天使の更に上に、天地の元后として、肉体も御霊魂も上げられ、人類が、人間が受ける事のできる最高の名誉、栄光をお受けになり、イエズス様のすぐその傍にお座りになって、坐されておられる、被昇天を黙想致しましょう。

マリア様に、私たちの人生の本当の意味、イエズス様に仕える事の素晴らしさ、イエズス様と共に苦しむ事の価値、この儚い命が終わった後に待つ栄光、マリア様と天使、聖人たちの喜び、私たちの喜び、この世の虚しい事、本当の栄光や本当の誉れがどこにあるのかを理解する事ができる御恵みを乞い求めましょう。

マリア様の威厳あるその美しい御姿、永遠の若さ、完璧な美しさ、マリア様の栄光の前では、大自然のどんな美しい花々も、山も、湖も、大自然の美しさも、オーロラも、夜の星々も、その前では霞んで、しおれてしまった花のように思います。輝くマリア様の御姿、イエズス様から受ける報いの数々、イエズス様から委ねられた権限の数々。

マリア様のお望み一つ一つは、イエズス様にとって、御命令であるかのように、イエズス様にとって、マリア様を喜ばせる事、これが永遠の楽しみ。

聖母の被昇天は、天主の大傑作、天における凱旋の大行進、天主の大勝利。マリア様は、これほどまでの名誉と、威厳と、力と、栄光を受けて、それを全て私たちの為に、母親として使おうと、今も、いつも、思っておられます。

マリア様は同じ栄光を、子供である私たちに与えようと、この栄光に導きたい、と待っておられます。私たちがマリア様の元に行く事は、マリア様にとっての大きな喜び。マリア様を離れてしまう事は、しかも永遠に離れてしまう事は、マリア様にとって大きな悲しみです。

「聖母よ、特に誘惑を受ける時、この地上の危険をくぐり抜けて巡礼をしている私たちが、その究極の目的地であるマリア様の事を忘れる事がないように、マリア様がいつも、私たちの辿り着くのを待っている事を思い出す事ができるように、マリア様の御取り次ぎで、私たちが誘惑や、罪の危険から逃れる事ができますように、地獄の悪の手からすり抜けて守られますように、私たちの肉体を、理性の下に支配する事ができますように、今も、私たちの死の時も、いつもお祈り下さい。」

コメント

聖母の被昇天は2つの事を教える。私たちは地上に永久に留まらない巡礼者であること、私たちのこの地上での人生の最終目的は天国であること。

2019年08月29日 | お説教・霊的講話
2019年8月3日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年8月3日、聖母の土曜日、土曜日の聖母、そしてマリア様の汚れなき御心の随意ミサをしています。

初土曜日ですから、今日この御聖体拝領を、マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償う為にお捧げ下さい。
ミサの後の感謝の祈りの後に、15分間、マリア様のロザリオの黙想を致しましょう。

特にこのロザリオを、この御聖体降福式を、教皇様の来日の為にもお捧げ致しましょう。
教皇様が今年の11月に日本に来られる、キリストの代理者が日本に来られるという事で、これは非常に特別な機会です。
「この機会に、日本の多くの方が、イエズス様の福音を知るきっかけとなりますように、イエズス様の事を知り、愛する御恵みが頂けますように」お祈り致しましょう。

そこで、8月から11月まで4ヶ月の間、私たちは特にこの意向で、教皇様の来日の意向で、ロザリオのお祈りをしたいと思っています。私たちが教皇様の為にどれほどお祈りしたか、というそのそれはもちろん数で測る事はできませんし、イエズス様のみが御存知の事です。

しかし私たちは非常に弱いものですから、励みになるものが必要で、目に見える何かが必要ですので、ぜひ私たちも、それによって私たちが、それが多いからそれだけ、その数でもちろん測る事はできません。
けれども、私たちの励みとして、ロザリオの報告を皆さんにお願いしたいと思っています。会長が準備をして下さると思うので、8月・9月・10月・11月、4ヶ月、11月の終わりまで、この意向でたくさんお祈り下さい。後で報告をお願い致します。

今日はもう1つお祈りのお願いをします。ワリエ神父様の膝の調子が非常に良くないそうです。手術を受けたのですが結果が良くなく、お医者さんの特別の審査や検査を受けている最中なのだそうです。もしかしたら、お医者さんのドクターストップがかかってですね、もしかしたら次の来たる8月10日・11日のこのミサに神父様がこれなくなるかもしれないという事で、今日その連絡があるとの事です。その時にはどうぞご容赦願います。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、

今日は8月の初土曜で、私たちは15分間の黙想をしようとするそのテーマとして、また8月15日には予定されていたミサが残念ながらできなくなってしまったので、既にこの8月15日の聖母の被昇天を祝う為に、その準備の為に、今日この御ミサの中で、「マリア様の被昇天について」一緒に黙想する事を提案します。

「マリア様の被昇天された」というのは、信仰の真理です。必ず私たちが信じなければならないという事実であり、真理であり、これは使徒から私たちに伝えられた、啓示の一部です。

このマリア様の被昇天は私たちに、2つの本当の事を教えてくれます。この2つの事は、私たちが今囲まれている嘘の仮面を暴いてくれます。「私たちは、天主様へと辿り着こうとする、天の国に行こうとする巡礼者である」という事を、もう一度教えてくれます。

2つの事というのはどういう事かというと、
1つは「私たちがこの地上で肉体を持って生きている」という事の意味についてです。
もう1つは、「私たちの人生の、この地上での人生の最終目的」です。


1つの最初の事について考えます。
「私たちの、この肉体を持ってこの地上で生きているという意味」は何でしょうか?

私たちの周りは、色んな嘘がたくさんあります、「私たちは、ただ物体だけだ。物質だけだ。だからこの体を、あたかも偶像のように、その体の要求の通りに、要求するがままにする事こそが良い事だ。だからこの体がどのような悪い事を要求しても、それを叶えてあげる事が良い事だ。」あるいは、「この体を肉体を偶像化させて、もっと美しく、もっと健康に、もっとかっこよくする事だけが良い事だ」であるかのように、色々な広告や、色々な宣伝がなされています。

大阪ではおそらく違うんじゃないかな、名古屋でも違うんじゃないかなと思うんですけれども、東京で電車に乗ると、大体あるのが、一年中続けてあるのが、「脱毛しよう」とか、「脱毛をするのは今非常に、人生で一番大切な事だ。男も女もそうするべきだ」と、何かそれだけが一番大切な事だと思っていて、それだけをすれば全てが解決するような感じのコマーシャルがたくさんあります。一年中あります。日本の人はそれほど毛深くて困っている、そういう事を思っているのかなぁ?と錯覚するほどです。

あるいは、「何とかを食べると健康になる」あるいは、「何とかをすると痩せる。驚くほど痩せる。あっという間に痩せる。」
そんなに日本に太ってる人がいるのかなぁ?と思うほどの広告があります。

そしてできる事ならば、面白おかしく、自由自在に、この体の要求するがままに、どんな事でも、それが罪に当たるような事でも、それを犯して、そして今、この今のこの地上を、この肉体の生活だけを、今ここで面白おかしく刹那的に生きるのが、一番大切であるかのように言っています。「それをそうすれば、楽しくなる、幸せになる」と約束しています。

ただそれには条件が付いていて、「私たちには永遠という次元がない。霊魂というものが、あたかもないという事を受け入れる」という条件の下で、それが約束されます。

でもマリア様の被昇天は「そうではない!」という事を私たちに教えてくれます。

「私たちのこの地上での生活というのは、限りがある。地上での私たちは、どうしても避ける事ができない『現実』というものがある」という事を教えています。それは、「年を取る」という事であり、そして「病」があり、そして「死」がある。「私たちの体は弱り、この地上にもはや生きて行かれる事ができなくなる」という事です。「この私たちの肉体は、遂には腐り果ててしまう」という事です。

「地上のこの生活だけを考えればいい。肉体だけを考えれば良い」という嘘は、この事実の前に、遂にその正体を現してしまいます。つまり、「もしもそうしたら、私たちに待っているのは、ただの絶望であり、これだけ拝め奉った肉体が、遂には不可避的に、どうしても避ける事がなく、どのような技術を使っても、どのような薬を使っても、大金を払っても、何をしても、遂には、腐って、無くなって、滅んでしまう」という事実を突きつけられるからです。


第2に私たちにこの教えている事は、「私たちのこの地上での生活の究極の目的は、この地上ではなくて、天国にある」という事です。「永遠の生命にある」という事です。

これもこの世のマスメディアや、あるいは新聞は、一切語らない事です。広告は一言も言わない事です。この地上だけが全てであって、それで全てが終わるかのように話しています。でもそれは、全くの嘘です。

「実は、私たちのこの地上での人生が終わった後には、永遠が待っている」という事を、マリア様が教えています。

しかも私たちの肉体は、ただこの腐ってしまう、年を取ってしまうというのが、実は本当のあり方ではなかったのです。罪の為にそうなってしまった、今、罪の結果を受けているだけだ、という事です。でも本当はこの肉体は、天主様の考えでは、「いつも若々しく、いつもみずみずしく、いつも健康で、永遠の命を持つように」望んでいるという事です。

しかしマリア様が、その天主の計画を私たちに実現させる道を知らせてくれています。もしもマリア様の通った道を私たちが通るならば、マリア様が示して下さる道を通るならば、つまりイエズス様といつも一致しているならば、イエズス・キリストの御旨を果たすならば、たとえ一旦は腐り果てて、一旦は見苦しくなった、この辱めを受けるこの肉体も、実はもう一度、復活の美しさを、若さを、健康を、命を、取り戻すという事です。「マリア様の被昇天が受けたその栄光に、私たちも与る」という事です。

でも一つ条件があります、「マリア様と同じ道を通る」という事です。つまり、「イエズス様と同じ道を通る」という条件です。

本当は私たちは、肉体も霊魂も、もう一度合わさって、「死」という肉体と霊魂の分離というのは、あまりにも不自然な、私たちが自然には受け入れる事ができない状態であって、実は肉体と霊魂はもう一度結合するのを待っている、「肉身のよみがえりを信じ奉る」という真理である、という事を私たちに教えています。

ではこの被昇天の時に、マリア様の栄光を少し想像してみる事に致しましょう。

マリア様のご生涯の重要な時には、天使たちがいつもその側におられました。御告げの時に、大天使は来ました。イエズス様をお生みになった時にも、天使が、天群の大天使たちが歌っていました。

諸聖人によれば教父たちによれば、「マリア様が被昇天を迎えた時にも、天使たちがマリア様を迎えに来た事だろう。天群の天使たちが、マリア様を天高くお運びになった事だろう。肉体も霊魂もお運びになっただろう」と言います。

「おそらく、そればかりではない」と言います。「イエズス様御自身が、マリア様を迎えに来ただろう」と。「ちょうどマリア様が、イエズス様の十字架を運んでいた時に、イエズス様が十字架をお運びになっていた時に、イエズス様に会いに行ったように、たった一人の、苦しまれた、捨てられた、私たちの為に血を流されておられるイエズス様を出迎えに行ったように、そしてマリア様も共に苦しまれて、悲しまれたように、栄光を受けたイエズス様が今度は、そのマリア様をお慰めに迎えに天から来られて、そしてマリア様をお連れして、天に昇られた。」まさに、ここに被昇天の神秘があります。

「もしも私たちも、イエズス様と共に苦しみや、悲しみや、あるいは辱め、その他十字架を担うならば、イエズス様とマリア様は、私たちを迎えに来られるだろう。そして天国に連れて行って下さるだろう。」

「そして世の終わりには(私たちはこの世の終わりまで待たなければなりませんが)、世の終わりには、遂には、イエズス様とマリア様と同じ栄光を分かち合う事ができる。そして永遠に喜ぶ事ができる。本当に私たちのこの人生の目的に到達する事ができる。巡礼の終わりを告げる事ができる」と教えています。

その為にも、そして私たちのみならず、私たちの知っている多くの方々が、この究極の目的を到達する事ができる為にも、今日御ミサと、御聖体降福式を御捧げ致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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聖アルフォンソ・デ・リグオリによるイエズス様の聖心についての黙想:イエズスが私たちの為にしなかった事が無いほど全てをした。それにもかかわらず、イエズスは愛されていない。却って軽蔑と侮辱を受けている

2019年08月29日 | お説教・霊的講話
2019年8月2日(初金)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年8月2日、8月の初金曜日、イエズス様の聖心のミサをしています。

今日御ミサの後で、聖時間を行ないます。御聖体の前で1時間、イエズス様の聖心をお愛し致しましょう。特に、今世界で必要とされているたくさんの御恵みを乞い求めましょう。
日本に教皇様がいらっしゃる、その教皇様の訪問が、日本にとって恵みの多いのものである事を、特にお祈り致しましょう。

また教皇様の日本の来日の為に、皆さんからのロザリオの十字軍、祈りの十字軍をお願いしたいと思っています。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日、8月の初金曜日で、ちょうどアルフォンソ・デ・リグオリの祝日にも当たっています。
そこで、聖アルフォンソ・デ・リグオリは、イエズス様の聖心について何を教えていたのか?これを一緒に黙想致しましょう。彼は、イエズス様の聖心に対して、「9日間のノヴェナ」という本を書きました。特にその内容を、特にその最初の日に何を言っているのか?という事を一緒に黙想したいと思います。


その前に、聖アルフォンソ・デ・リグオリというその人はどういう人なのか?という事を少しだけお話させて下さい。

1696年、アルフォンソ・マリア・デ・リグオリ、聖アルフォンソは、イタリアのナポリのとても高貴な家に生まれました。長男でした。
小さな時に、イエズス会の聖フランシス・デ・イエロニモという方の元に連れて行かれると、この聖人は幼子を見て、ちょうどシメオンのように預言しました、「この子は、90歳以上まで生きるだろう。司教になるだろう。そして教会の為に、とても大きな善を為すだろう。」

教会の為に天主は、特に教会が危機に陥る時に天主様は、色々な聖人を送りました。中世にはアシジの聖フランシスコ、あるいは聖ドミニコ、という特別な聖人を送りましたが、近代にはアルフォンソ・デ・リグオリを送りました。

お父さんの願いで、非常に頭の良かった子供だったので、法律の勉強をしました。法律で非常に優秀な成績を収めて、大成功を収めるには全く問題がありませんでしたが、しかし法律家という、あるいは弁護士という仕事をするという事は、その弁護士の職務をするという事について、「もしかしたら、嘘をつかなければならないのか、顧客から頼まれた時に、偽証を頼まれるかもしれない。もしかしたらその法律を運用するにあたって、自分の救霊を危うくするかもしれない」という事を、真剣に悩みます。

そして、前途有望とされていた、その大成功を約束されていた職務でしたが、それを自分の救霊の為に放棄します。そしてお父さんから、父親から準備されていたとても素晴らしい結婚も相手がいたのですけれども、とても身分の高い素晴らしい女性だったのですけれども、それも放棄します。そして自分が長男であったので、家を継いで裕福な生活をする事を約束されていたのですけれども、それも放棄します。

家宝と自分の持っていた剣も、マリア様の祭壇に捧げて、そして司祭になろうとします。

30歳で司祭に叙階されて、特に貧しい人や農民たち、単純な人々に対して、特別の憐れみと愛情を注ぎます。

その後に、「至聖なる贖い主の修道会」を創立し、そして特に「多くの霊魂たちを、イエズス様の元に引き寄せよう、集めよう、自分の時間を全て使おう」という誓願を立てます。「霊魂たちを最も高い完徳まで引き寄せる為に、全てをしよう。」

イエズス様の為に特別の信心を持っていました。特に御聖体に対する、またイエズス様の御受難に対する信心を非常に持っていました。マリア様の信心についての熱さは非常に有名で、有名な「聖母マリアの栄光」という本を書きました。日本でも訳されています。

この聖アルフォンソ・デ・リグオリは、やはりイエズス様の信心についても知らされていました。聖マルガリタ・マリア・アラコックの事も知っていました。そしてこのイエズス様の聖心に対する信心を、皆に勧めていました。

第2に、聖アルフォンソ・デ・リグオリの言うには、「カトリック教会の最も中心は、イエズス様の、イエズス・キリストを愛する事にある。イエズス様が人となったのは、御自分を愛させる為である。御自分の愛に引き寄せる為である。」

「福音書を見るとこう書かれている。天主は、聖子を私たちが愛するが故に、私たちを愛する。私たちが聖子を愛するその度合いに対して、愛すればするほど、聖父も私たちを愛して下さる。なぜかというとイエズス様はこう言っているから、『聖父よ、御身は彼らを愛しています。なぜなら彼らは、私を愛したからです。』」

「あるいは聖父は、私たちがイエズス様の御名によって祈れば、イエズス様の御名により頼めば頼むほど、私たちの祈りを叶えて下さる。『今までお前たちは、私の名によって祈らなかった。しかし祈れ。そうすれば叶えて下さる。』あるいは私たちが恵みを受けるのは、イエズス様に似通った者であればあるほど、私たちは救われる事ができる。」

「聖パウロがローマ人への手紙に書いている。『キリスト教の核心は、イエズス様が人となって来られたのは、私たちがイエズス様を愛する為、私たちをしてイエズス様を愛させる為、聖子を愛させる為である。』ところが、イエズス様が私たちの為に、私たちが愛する事ができるように私たちの為に様々な事をして、それ以上しなかった事があるだろうか?これにもかかわらず、イエズス様は愛されていない。却ってそのお礼として、軽蔑と侮辱を受けている。」


もしも普通の人でありましたら、次のような態度をどう思うでしょうか。ここからは、私の考えたことです。

"はるばるやって来て、これだけ優しく教えてあげたのに、これだけ莫大なお金を尽くして、貧しい人の為には孤児院を、病気の人のためには病院を造り、学校を造り、そして技術も教えてあげて、色々な知識を伝達したのに、あれだけわがままを言ったにも関わらず「分かった分かった」と言って、「よしよしこうしてあげよう」とわがままを聞いてあげたのに、「お礼ぐらいを言うんじゃないか」と思ったけれども、お礼も言わなかった。"
普通なら、がっかりすることでしょう。

もしかしたら、お礼を言われなかったとしても「まぁ、仕方がないか」と思うかもしれません。お礼をしない代わりに、馬鹿にして、敵のように扱かったら、普通の人は、「一体何なんだ?」と思ってしまいます。これは普通の人の対応です。何も驚くに当たりません。

しかしイエズス様は、私たちに愛を込めて、そして色々御恵みを注いで、そして私たちから冒瀆や、侮辱や、罪を何度も受けて、そして裏切られて、そして馬鹿にされて、それにもかかわらず、私たちを変わらずに愛して下さって、御恵みを与え続けて下さいます。


聖アルフォンソ・デ・リグオリは、そのノヴェナの本の第1日目に、イエズス様の事を一般的に考察します。

「もしも誰かが、とても美しい人がいて、とても徳に溢れていて、そして謙遜で、優しくて、そして優雅であったとしたら、そのような素敵な人を私たちは愛さずにいられるだろうか。」

「例えば誰か、どこか遠くで外国で、立派な君主がいて、王子がいて、そしてその王子はとても優雅で、美しく、そして優しく、知恵が深くて、力があり、そして多くの善を行なっている。たとえその王子の事を私たちが直接知らなかったとしても、あるいはその王子様は私たちの事を直接知らなかったとしても、その素敵な方の事を聞いて、『あぁ、素晴らしい!』と、敬愛の念を抱かずにいられるだろうか。そのような素晴らしい人を尊敬せずにいられるだろうか。これが普通だ。」

「しかしイエズス様は、その全てを御自分で持っておられる。全ての聖徳と、全てを、私たちの愛を受けて当然の、そしてその私たちを惹き寄せるような全てのものを、魅力を持っているにもかかわらず、イエズス様は愛されていない。」

聖アルフォンソは言います、「多くの聖人たちが嘆いてるのはまさにこれである、『天主様の愛は、愛されていない。』『イエズス様は愛されていない。』」

聖アルフォンソの声に今日は耳を傾けて、聖アルフォンソが私たちに訴えたように、そしてイエズス様が私たちに訴えているように、イエズス様をお愛しする事ができるように、お祈り致しましょう。

私たちは今までイエズス様の愛を知りながらも、イエズス様の愛の呼びかけを聞きながらも、それにもかかわらず、すぐに生温くなって、すぐに冷たくなって、イエズス様を全く無視したような、あるいはイエズス様を悲しませるような言動や、考えや、その態度を取ってしまいました。

イエズス様のその愛に応える事ができませんでした。

今年は、この8月からは、イエズス様の愛を愛で返す事ができますように、聖アルフォンソ・デ・リグオリにお願い致しましょう。マリア様にお願い致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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主日のミサとは復活祭のミサのミニチュア版で、聖体拝領と洗礼とを荘厳に行う聖木曜日・聖金曜日・復活祭を毎週主日に記念している

2019年08月29日 | お説教・霊的講話
2019年7月21日(主日)聖霊降臨後第6主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父 説教

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年7月21日、聖霊降臨後第6主日の御ミサをしております。

最初にお礼を申し上げます。
先週の主日には、フランスの二人の神父様たちの訪問の為に特別献金をさせて頂きました。
皆さんから、第2献金として、108,062円の温かいサポートを頂きました。今回の経費として大切に使わせて頂きたいと思っています。ありがとうございました。
今日は晩課が15時からあります。
明日も朝7時からミサがあります。

次のミサは、8月4日第1主日と、8月18日です。予定されていた大阪での黙想会は残念ながら今年はできなくなってしまいました、申し訳ありません。

それから私たちの姉妹の一人は、もうすぐ、その第3番目の赤ちゃんの予定日が近付いております、お母さんも子供も、健康に、安全な出産ができ、子供も元気に産まれてきますように、お祈り下さい。おそらく今度の8月の最初のミサの時には、洗礼式が待っているのではないかと期待しております。

8月5日のミサの後に、翌日月曜日に、ここでのミサの後に、私は岩国の海兵隊の所に行く予定です。そこでも赤ちゃんが産まれたという事で、洗礼を授けに行く事になりました。どうぞこの生まれた赤ちゃんの為にも、生まれつつ赤ちゃんの為にもお祈り下さい。多くの命が私たちに与えられて、本当に感謝致します。


“Misereor super turbam.”
「私は、この群衆を憐れむ。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、先週の主日は私たちは、非常に貴重な「荘厳ミサ」を行ないました。司式司祭、そして助祭、副助祭、そして侍者の素晴らしい奉仕の元で、そして素晴らしい聖歌隊の歌の元で、香を焚き、そして助祭が北を向いて福音書を読み、副助祭が書簡を読んだ。実はこれこそが、ミサの元々の形でした。

「ミサ」というのは、元々は司教様がなさって、そしてその下に司祭、副助祭などがこう奉仕して、一人で捧げました。共同司式というのはありませんでした。

これを見ると、この今の主日のミサというのは、この荘厳ミサのミニチュア版というのでしょうか、その荘厳ミサを本当ならしたいのだけれども、する事ができないのでその代わりに、助祭の代わりに、助祭や副助祭ができるような事を、侍者がやる、という事をしています。

ですから本当ならば助祭が、あるいは副助祭がこう準備しなければならないカリスを、あるいはブドウ酒や水を、侍者が今やっています。

これは何を意味しているかというと、「私たちはいつも毎週の主日で、本来ならばある荘厳ミサ、司祭、副助祭たちが集まってされる荘厳ミサのミニチュア版を、毎週やっている」という事です。

司祭や副助祭たちがそうやって集まる事ができるのは、特に聖週間です。特に聖木曜日、あるいは復活の徹夜祭、あるいは聖金曜日などは、他にはミサが捧げられない、一つの教会にたった一つなので、多くの聖職者たちが一堂に会して荘厳ミサをします。主日はその象りです。

今日の実はミサを見ると、まさに主日のミサというのが、復活のミサ、復活の徹夜祭と、復活祭のミニチュア版だ、そのミニチュア版を毎週主日にやっている、という事がよく分かります。

例えば聖福音では、イエズス様の元に群衆がやって来ます。これは何かというと、教会のイメージです。

「主日に、多くのキリスト教徒信者たちがイエズス様の元にやって来る」という、生き生きとしたイメージです。4000名がやって来ました。これを7つのパンとちょっとの魚でイエズス様は養います。

イエズス様はまず御説教をします。群衆はその話を、シーンと耳を澄まして聞いています。イエズス様は霊的な糧を、御説教を与えたのみならず、パンでも養います、「もしもこのまま家に帰ったら、彼らはお腹が減っているので、倒れてしまうかもしれない。遠くから来た者もいる。」

ミサでも聖福音を読み、そして書簡を読み、そして説教があり、そしてイエズス様の御言葉を聞き、私たちはイエズス様の御聖体によって養われて、帰路に着きます。なぜかというと、次のミサまで、まだ長い時間が待っているからです。私たちはこの家に、家の道を辿るまでの栄養分を、霊的にも、そして御聖体によっても養われます。

ところで私たちの「家」、つまり究極に至らなければならない家というのは何でしょうか?それは「天国」の故郷です。今日聖パウロの美しい書簡をぜひ何度もお読み下さい。どうぞこれを黙想なさって下さい。

復活祭の時に、普通は洗礼式があります。復活の徹夜祭に洗礼水を祝福して、復活のローソクによって祝福して、そして洗礼式がよくあります。霊的に復活するという事です。聖パウロはその事を思い出させます。

「私たちは、キリストの死において、キリストに接木されたものだ。私たちは新しい人を着ている。古い人を十字架に付けた。私たちはだから、新しい命を歩まなければならない。復活の命を歩かなければならない。キリストと共に行列をして、司祭を先頭にキリストに向かって行列しなければならない。天国に向かって巡礼の旅に出なければならない。罪には死んだ者として、天主にのみ生きる者として、歩まなければならない。」

主日のミサの時に、教会は“Asperges me”「灌水式」を行ないます。これも、「イエズス様の洗礼を受けた、イエズスに接木された、イエズス様と共に洗礼の中に入って葬られて、そしてキリストと共によみがえったものである」という事を意味しています。

聖水を作るのは、「水」と「お塩」です。
「水」は、人間の本性を、イエズス・キリストの「御人性」を表しています。
「塩」は、イエズス・キリストの「御神性」「天主性」を表しています。
その二つが結合して、「イエズス・キリスト」となります。

そして聖水で、キリストをシンボルとする聖水を、もう一度私たちは受けて、洗礼の約束を更新します。ですから詩編でも、“Miserere mei Domine”「主よ、私を憐れみ給え」と、罪を痛悔する詩編も唱えます。

私たちはキリストによって洗礼によって、主の民の一部となりました。主の遺産の一部となりました。これこそ今日入祭誦で歌われて、そしてこれこそ祈祷文で歌われているものです。

なぜ私が今、こういう事を申し上げたかというと、天主様の御恵みによりて、マリア様の御取次ぎによりて、そして皆さんの多くの世界中の方々からのご支援や、皆さんの寛大な支援によって、できれば聖ピオ十世会の修道院を、来年東京に造りたいと思っているからです。それが与えられるように願っているからです。そうすると、日本で最初の聖週間を、皆さんと共に祝う事ができる、と期待しています。

そしてその聖週間のその典礼こそが、この主日の典礼の頂点に立つものであって、そのカトリックの聖伝の典礼の原型であって、その最高の姿であるので、是非この聖週間の典礼に、皆さんにぜひ与って頂きたいと願っております。

ただ物理的に、あるいは肉体的に、ただ座ってボーッと見ているのではなくて、その聖週間の典礼、聖木曜日・聖金曜日・復活の徹夜祭・あるいは復活の日中のミサなど、そのなぜこういう儀式があるのか?何がどのような事が意味されているのか?そのシンボル、その象徴が意味するものは何なのか?この行動の深い意味は何なのか?なぜこうなのか?という事をしみじみと味わって、そしてその復活の神秘の中に深く入って頂きたいと思っています。

ちょうど先週荘厳ミサが行なわれたという事は、それの良い前兆であるかのように私は感じています。

まさに教会の全ての、最も芸術的な、天才的な、グレゴリア聖歌や、あるいは教会の建物、聖人、諸聖人の御像、あるいはステンドグラス、あるいは教会の絵画、全ては、このイエズス様の神秘を、ミサ聖祭の祭壇で行なわれている目に見えない神秘を表す為に、これを守る為に、これを私たちが生きる為に、私たちがこれによって養われる為に、作られました。

2000年間、天才たちが、大聖人たちが、そして歴代の教皇様たちが、博士たちが、神学者たちが、祈りを以て、学術を尽くして、そして聖霊に導かれながら完成させた、この典礼のその「花」である聖週間、これをぜひ私たち皆さんが深く味わう事ができますように、と願っています。

その為にも今日この主日、小さな復活祭の主日のミサの中に深く味わって下さい。イエズス様は私たちを見て仰るに違いありません、「あぁ、この群衆を憐れむ。彼らは遠くから来ている。何とかして養わなければならない。」

マリア様にお願い致しましょう。私たちのこの拙い願いが、しかし熱烈な願いが、聞き届けられますように。そしてマリア様の憐れみによって、イエズス様のその御憐れみによって、私たちに多くの、より多くの御恵みが与えられ、司祭の常駐が、聖伝のミサが毎日捧げられる事が、自由にこのミサが挙げられる事がなされますように、お祈り致しましょう。

“Misereor super turbam.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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聖ピオ十世会マニラ 近況報告

2019年08月29日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

聖ピオ十世会のマニラ修道院では、フィリピンの修道院長のミーティングがありました。










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フランス革命で一体何が起こったか?国民に対する犯罪は全て、「国民の名」によって正当化された。人口削減、虐殺、全ては「国民の幸せの為」だった。

2019年08月20日 | お説教・霊的講話
2019年7月20日(土)聖ピオ十世会司祭 小野田神父 霊的講話
「フランス革命で一体何が起こったか」

最初のフランス人権宣言は、1789年8月26日に宣言されて、ルイ16世によって批准され、そして1791年に採決されます。

フランス革命の第一憲法の序文になっています。そして世界中の宣言の模範となっています。ですからこの人権宣言によって、1789年から国民が至上の権威として位置付けられています。天主の玉座の代わりに、人間が最高の権威者として立つようになりました。

ところが、この「国民」というのは、代表者を通じて、代表者たちによって、自分の意思を表示しようとします。ですから「代議者、あるいは代表者、代議人が行なう事」が、「国民の名」においてなされます。

人権宣言は、自然の権利を確認して、そして全ての皆の為の幸せの為に、この「最高存在」(天主という名前ではないのですけれども)、最高存在の保護の元に置く、と言います。

そしてこの1789年8月26日に宣言された人権宣言第一条は、
「人間は、自由かつ、権利において平等な者として生まれ、生存する」と言います。
第二条は「全ての政治的結合の目的は、人の時効によって消滅する事のない、自然的諸権利の保全にある。これらの諸権利とは、自由、所有、安全及び圧制への抵抗である。」

1793年5月には、4年間の激しいフランス王国の大混乱の中で、新しい人権宣言が出て、そして「圧政への抵抗という権利はある」という事を確認します。

人権宣言第十三条で「政府が人民の権利を侵害する時は、反乱が、自分にとって且つ、人民の各部分にとって、最も神聖な権利であり、最も欠くべからず義務である。」

つまり圧制への抵抗は、権利であり義務となります。

以上が今日の話の第一部です。これがフランス革命の言った事です。

では、これから第二部として、いくつか事例を挙げます。実際にあった事です。
国王を倒す為に、国民の間で行なわれた事を幾つかの事例を挙げます。

1792年6月20日、オルレアン公によって買収された、パリの郊外から集まった反逆者たちは、チュイルリー宮殿を占領して、独裁者である国王の発動した「拒否権」を撤回するように要求しました。

これは、国王は2つの法案に対して拒否権を発動していました。
1つは、「『フランス革命に忠誠を誓う』という事を拒否した司祭たちは、カトリック司祭たちは、国外追放する」というのを王は拒否しました。
そして2番目の、「パリの周辺に革命軍を、2万名の革命軍が住むという事を許可する」という法案を王は拒否しました。

この「拒否権」というのは、国王の憲法上の権利でした。そしてこの拒否権というのは、非常に正当なものであって、公安上も必要であって、宗教の、カトリック教会を守って、パリを守る為の非常に正当なものでした。「革命政府の言いなりにならない」と言いました。

これに対して革命政府は、撤回するように求めました。なぜかというと、もしもそのような敵が革命軍が2万名もいれば、王は実は無防備だという事です。憲法上保障されている近衛兵たちが、実は無断で解体させられていたからです。

そのような時に国民は何をしたでしょうか?

まず王がこう言います。
「反逆者らの威嚇や罵倒に対して、国王は公に対する愛と良心だけで向かい合う。反逆者がどこまでするかを王は知らない。しかし、フランス国民に対して、次の事を言う義務がある。どれほどの暴力が発揮されても、どれほどの過剰な行為に追い詰められたとしても、公に反対するような事に、私国王が同意する事は一切ないし、させない。」
「フランス国民の世襲上の代表者として、国王は果たすべき厳格な義務を持ち、王は自分の安全を犠牲にする事はできても、国王の義務を犠牲にする事は一切できない。」
「当局が陥っている危機の中で、王は最後まで毅然とした態度と、勇敢の模範を、全ての当局に与える意思である。したがって王は、あらゆる行政上の機関と市町村に、人々の、国民の財産の安全が保証されるように命令する。」

この書簡を発表すると、全地方から国王の支持がありました。
またパリの市民は1万6千人の請願書にサインをして、それを16の公証人に提出します。それでこの撤回の為のこの反乱に対して、国民は、はっきりとして声を上げて、「この撤回を私たちは受け入れない!国王の拒否権を支持する!」と、フランス全国民は表明しました。

ところがこの請願書の提出の2ヶ月後、これにサインをした全ての人々は、公民権が剥奪されて、そしてこの「苦情を言い出した」という意味で、公的な地位に就く事ができなくなり、無能力者として宣言されました。これが国民の名においてなされました。

次に、国民の声はとうやって革命政府に届くように組織されたでしょうか?パリの住民たちは48の地域があって、それは48の小教区でした。その地区では、会長、副会長と、数人の秘書がいます。「国民の声がよく聞こえるように、革命政府は組織した」と言います。

具体的にどういう風に運行するかと言うと、一人が動議を打ち出します。すると、集会はその動議を採決して、一人の役人を任命して、次の地区に同じ動議を運んで、別の地区でも同じ事をします。午後の8時頃、このように動議が打ち出されて、真夜中にこの地域を回って、翌朝国会に届きます。しかしその間は普通は、普通の人は、夜寝てますので、特殊な人しか夜中に起きてはいません。このようにして、「国民の名」によって、「国民の希望」が国会に届けられました。

一般の人々の働いている、あるいは寝ている間に、審議が進められます。例えばこのようにして、王を倒す準備が進められました。

8月4日、Saint-Jacques de l'hôpital教会という所で、次の議事録を残しています。

「600名以上の市民が集まって、祖国の危険について審議したルイ16世が、国民の信頼を失ったという事を考慮して、国家機関は世論によってのみ権力を持ち、この世論を表明する為に、全市民の厳格な神聖な義務を果たす為に、この残酷な王の廃位を宣言する為に団結する」と宣言しました。

そして「8月9日までに王が退位されないなら、周囲の二つの町の革命家が、教会の鐘を鳴らして、大衆を動員して、王の住んでいるチュイルリー宮殿を進撃する」と言います。

ところが、あるその中のこの地区にいたある人たちが、「それは違憲だ!」と言いました。また、なぜかというと、欠席者がいたにも関わらず、欠席者のサインがされて、採決されたからです。それ、この人は怒って、「これは違法だ!!」と言います。

でも、何のためらいもなく、そのまま通ってしまいました。インチキで通ってしまいました。「国民の名」において通ってしまいました。
1792年8月10日、王は倒れます。パリコミューンの専制政治が始まります。

実はその前に、1638年2月10日ルイ13世は、つまりルイ16世の先祖は、フランス国を聖母マリア様に奉献しています。そしてルイ13世の願いによって、「毎年8月15日には、聖母の行列をする。フランスのマリア様に対する奉献を更新する」という決定を勅令を出しています。

ところが、パリコミューンでたった一人の市民が、「これをもうやめよう」と言ったので、このマリア様の行列は廃止されました。国民の名前によって。

殺人と暴動によって権力を牛耳るようになったパリコミューン、これが「国民の声」になりました。「国民の声」というのは実は、「革命者の声」の事でした。一人の声であっても、革命者の声であれば、国民の声になりました。

何万人いても、何千万人いても、革命者の言う通りでなければ、国民の声にはなりませんでした。

1792年8月11日、王様が亡くなると、次々に牢屋が満たされました。多くの王党派の人々が牢屋に入ってきました。逮捕されました。

9月2日には、牢屋はもういっぱいになり、入れる所がないので、ギロチンで虐殺をしなければなりません。牢屋の子供たちと女性たちを含めて、1500人の民間人の囚人が、刃物で殺されます。虐殺されます。国民護衛隊はそのすぐ近くに配属されていましたけれども、何も守りませんでした。殺し屋たちが革命政府からお金をもらって虐殺をしました。

虐殺中止を訴えた全ての試みは、失敗に終わりました。地区の議員の一人のマンダール(Mandar)という人と、新聞記者のプルドン(Prudhomme)という人は、虐殺を止めるように、ロベスピエール(Robespierre)とダントン(Danton)に説得しようとします。しかし5人の殺し屋は血まみれの姿で、パリ市長と大臣の前に現れて、そして「牢屋にいる80人の囚人を処分しなければならない」と言うのです。するとパリ市長は、「じゃあ頑張れ」と言って酒を飲ませます。こうやって虐殺は「国民の名」において遂行されました。

ロベスピエールは後にこう言います、「これは国民運動だった。同類の殺害の為に買収された数人の悪党による反乱だった、と愚かにも想定されたけれども、そうではない。」

でもそれは嘘です。私たちは今、歴史の資料によって、誰が殺したかその名前も知っているし、幾ら貰ったかという事も分かっています。領収書もあります。

虐殺の間に、本当のフランス国民は恐怖によって麻痺していました。町では多くの血が流れていました。殺し屋の名前も、住所も、職業も、サインも、確認されています。国民たちはそれでも抵抗しようとしましたが、何もされませんでした。「国民の名」において。

そのような血が流れて恐ろしい時に、国民公会という議会が開かれます。これは8月10日に制定されました。

「女性を除いて、二十一歳以上のフランス人の皆に投票権がある」とします。まず集会が選挙人を任命して、選挙人が議員を選びます。この恐怖に包まれた空気で開かれます。パリは閉鎖されています。パリを出るには通行証が必要でした。

この選挙の集会は、このように行なわれました。まず、名前が出ます。
「〇〇はいるか!?」
「はい!ここにいます!」
「誰に投票するか!?」
「〇〇です!」
皆の前で、公開の投票をしなければなりません。匿名投票という権利はありませんでした。威嚇、脅しが待っていました。「恐怖」というのは言葉だけではなくて、町では大量の血が流されています。

では一体、このような恐れおののく人々は、誰が誰を投票するのでしょうか?

まず90%が棄権しました。恐ろしくて。投票権のある700万(男性だけです)の内、70万人しか投票しませんでした。ですからこれは、国民の5%です。国会は749人の議員から構成されて、人口の半分のうちの1割を、つまり5%を代表した人々が選ばれました。

ところで、共和国は9月21日に全員一致で宣言されますが、フランス共和国を宣言した時にいたのは、200人しかいませんでした、議員は。なぜかというと、そのフランス共和国を宣言した時に、他の議員たちはまだ議会に到着していなかったからです。つまり1/4の議員で、フランス共和国が成立しました。

これの1/4という事は、この200人というのは、人口の半分の1割の1/4なので、投票可能年齢のフランス人の人口の0.01%でしかありませんでした。ですからこの法律上を見ると、フランス共和国の、最初の共和国の宣言は全く違法でした。恐怖の圧力を受けて束縛されていた200人の議員が、「国民の名」において、12世紀続いた君主制を廃止しました。国民の名前において。

国王は最後に国民に呼びかけをして、「国民の皆さんからの声を聞きたい」という発言をします。動義を発動します。でもそれは拒否されました。国民の名において。

長くなるので最後に1つ、この話をさせて下さい。

リヨンにはその当時、15万人の住民が住んでいました。ところでリヨンの市長は革命家のお友達で、革命家の真似をしようとします。そこでリヨン市長はパリと同じような虐殺を企んで、貴族の200人の容疑者の名簿が作られます。

ところが国民護衛隊が動いて、計画遂行を妨げて、虐殺は実行されませんでした。ただ3人の公務員と、4名のカトリック司祭が、寝ている間に捕まえられて殺されるだけでした。国民護衛隊は彼らを救う事ができませんでした。

でも殺し屋たちは、この殺された人たちの頭を上げて町を行進します。そして王の死刑執行要求請願書を強制的に通させようとします。でもリヨンの人たちは抵抗します。市民選挙が行なわれるのです。しかし皆が棄権するので、結局革命家が絶対多数を占めるようになりました。

そこでその時を同じくして、パリでは国民公会で新しい人権宣言が選択されて、「政府が人民の権利を侵害する時は、反乱が、人民にとって最も神聖な権利であり、最も欠くべからざる義務である」と宣言がされていました。

リヨンではこの人権宣言のその直後、自分たちを圧迫する市長に対して、蜂起します。自分たちを殺そうとする反逆者たちに、皆が住民を守って、リヨンらしい市長や役人を取り戻そうとします。蜂起した人たちは、革命家や市長たちを逮捕します。そして市民たちの一致の元で、この元革命家のリヨン市長シャリエ(Chalier)という人は裁かれて、判決が行なわれます。

リヨンの人々は一致して、「革命は嫌だ!」と言いました。ところがパリの国民公会は、「リヨンに対して弾圧を加えるべきだ!」と宣言して、リヨンの市役所と公務員を全員罷免します。正当な選挙によって選ばれたはずなのに、反逆者として罷免されます。

そしてリヨンに軍隊が送られます。ケレルマン(Kellerman)という将軍が率いる革命軍が、リヨンを包囲します。リヨンに対して宣戦布告をして、降伏を要求します、「リヨンの住民たちよ!国民公会の命令に従って、リヨンにおいて共和国的な秩序を取り戻す為に、我々は諸君の前にいる。共和国に忠誠する軍隊と共にいる。兵士たちは全員、独裁者たちの死を待っている。」
「我々は諸君の解放者である。貴族によって閉じ込められた愛国者たちを解放に来た。ヴァンデの反撃者たちの道を歩むな!」
こうやって、リヨンに対して大砲が打たれました。40日間、大砲の着弾は1日当たり、1万6千200でした。


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リヨンの革命軍の指揮官の次の手紙があります、「この都市には12万人います。そのうち愛国者(つまり革命支持者)は1500人すら、殺さなくて済む1500人すらいません。」リヨンの住民の99%を絶滅する事が要求されています。

つまり、「革命を支持するリヨンの国民は1%もいなかった、99%が革命を拒否していた」という事です。

しかし、午後4時から翌朝8時まで砲撃が続きます。リヨンの人々は対抗します。リヨンの人たちが抵抗するので、何日も何日も何十日も抵抗するので、国民公会の代議者がこれを見て怒って、「リヨンの死体を全て放置せよ!腐ってペスト、疫病が発生するのに任せよ!」と命令します。「捕虜を捕ってはいけない!その場で虐殺せよ!」

8月10日から始まった攻撃は、9月7日8日の夜、そしてその翌日の夜も、爆弾500弾、焼夷弾1000発がリヨンに着弾します。9月の9日から21日まで、攻撃は休まずに継続します。9月の末には、リヨンは食料不足になるので、リヨンの香水の製造に使われる脂肪で雑草を焼いて食べたほどでした。飢餓が始まります。

こうして10月8日、リヨンは降伏します。

すると、反逆したこの都市に対する鎮圧が開始して、まず住民たちは家から追い出されて、全ての財産が没収されます。略奪、殺人、ギロチン、強姦、まだ人が住んでいるにも関わらず、家は破壊されます。

「共和国の為に何もしない消極的な者を、誰であれ罰しないわけにはいかない。」
「国民とその敵との間に、剣以外には共通点は無い。正義を以て統一されない人々は、剣を以て統治すべきだ。」
「リヨンという名前は、共和国の都市のリストから消される。リヨンの廃墟の上に記念碑を立てよ。次の碑文を刻め、『リヨンは自由に敵対して戦った。リヨンはもう存在しない。』そこでは貧困者の家と、人類の教育の為の家しか残らないだろう。」

革命軍の兵士を民間人の家に駐屯させて、夫はギロチンにかけ、その妻と娘たちは思うままに利用されました。リヨンの美しい広場の美しい建物も破壊されました。まだ建物に住んでいて財産を守ろうとしながら、その途中でも建物は壊されます。解体する人たちは「共和国万歳!!」と叫ぶ中、住んでいた人たちは瓦礫と共に窓から落ちます。

このリヨンの破壊、解体作業は半年続きます。多くの略奪がありました。殺人がありました。犯罪がありました。解体の作業員には2万人使われました。大砲も使われました。

若者たちは、そのリヨンの平野で銃殺されたり、刃物でトドメが刺されたりしました。その若者たちの嫁や、母親や、姉妹たちは、革命裁判所に喪服のベールをかぶって容赦を願いますが、彼らを大砲で威嚇して追い払い、そしてリヨンでは女性たちの集会は禁止されます。禁止令を無視して集まっていた女性は捕まえられて、死刑執行され、ギロチンの柱に6時間ほど縛られて辱めを受けます。総計1万7千ほど死刑されて、この中には4歳から7歳までの乳児や犬もいました。証人として一羽のオウムを聞いた裁判もありました。

そうしてリヨンの住民は、15万人から8万以下になりました。
「国民の名前」において、「国民の皆の幸せの為」に。


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以上のようなことをマリオン・シゴーさんは話してくれました。まだそれ以外にもありました。

このような惨事を正当化する理由は、「国民の幸せの為」でした。国民の名において、人口が削減されて、憐れみもなく、全て殺されていきました。

「恐怖から虐殺」という連鎖において、革命家たちは二度も「国民の主権と圧制への抵抗権」というものを宣言します。

でも結局は革命家は、自分の意見に抵抗する人たちを全て排除し続けます。国民に対する犯罪は全て、国民の名によって実行されました。

これがフランス革命で一体何が起こったかのほんの一部です。
では、何故フランス革命が起こったのか、それについては今すぐ話をする事はできないので、また後の機会に致しましょう。

最後に、ルイ16世は、愛徳深く、全ての苦しみを耐え忍んだのです。このフランス王のプリンス王子ルイ17世には、革命家が、その教育のために、娼婦を与えて、非常に虐待を受けて、亡くなっています。

このマリオン・シゴーという人も、元々はフランスの歴史の教科書のまま、そのままを信じていたのですけれども、歴史家で勉強して、勉強して、回心して、それで「実は、フランスのその革命というのは、革命家が嘘で固めたものを皆聞かされているのだけれども、本当の姿は、本当は違う」という事を今、歴史の資料を基に実証して、「これが事実だ」という事を、淡々と求めているという、今すごい研究が進んでいるのです。

それで、「私たちが聞かされていた歴史」というのは、実は「革命家が作り上げた歴史の話」であって、本当の話ではなかったのです。

この王様の生活が良くなかったとか、王様が残酷だったとかというのは、王様が人民を圧政したというのは全く嘘で、非常に責任感があって、「王の責務を、どんなに犠牲があっても果たす」という、この最後まで、フランスの皆の善と、皆の公安を考えていたのは、王しかいなかったのです。

そして革命家は、自分たちの事と、革命する事しか考えていなくて、全てを破壊して、殺してしまうことしか考えませんでした。

ありがとうございます。

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私たちは罪の鎖に縛られていた。聖母が助けてくれた。カトリック教会こそが、私たちを霊的な子供として養ってくれる孤児院だ。私たちが天国を相続する為に。

2019年08月20日 | お説教・霊的講話
2019年7月20日(土)証聖者聖ヒエロニモ・エミリアノのミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年7月20日、エミリアノの聖ヒエロニモのミサをしています。

今日はこのミサの後に、日本と世界の平和を祈って、また多くの聖なる司祭が与えられますように、日本で聖ピオ十世会の修道院が、1日も早くできますように、特別な短い御聖体降福式を行ないたいと思います。
特にマリア様の汚れなき御心に、これを捧げたいと思っています。

この前7月13日と14日に国際シンポジウムがあって、フランス革命についてのお話が、専門の方々のお話がありました。日本からの教授や、フランスの教授、あるいはアメリカからの代表者の教授、アメリカの教授などが、色々な非常に有益な中身の濃い話をして下さいました。

シンポジウムの内では、私も知らなかった、そしておそらくあまり誰もよく知られていない、日本ではよく知られていないような内容を、マリオン・シゴー(Marion Sigaut)さんいう女性作家で歴史家がお話して下さったのが非常に良い内容でした。

聖体降福式の後、非常に短いものですが、これを皆さんにお話したいなぁと思っております。お昼の前、皆さんがお帰りにならない前に、少し時間を下さればと思います。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日はエミリアノの聖ヒエロニモの祝日です。

では、このエミリアノの聖ヒエロニモという方がどういう人だったのか?どういう聖人だったのか?という事を少し垣間見て、では現代2019年に生きる私たち、日本に生きる私たちに一体どういう意味があるのか?何を教えているのか?その現代的な意味は何か?という事を黙想したいと思っています。

今日、そのエミリアノの聖ヒエロニモの精神を私たちが頂く事ができれば、その精神で帰路に着く事ができればと思っています。

エミリアノの聖ヒエロニモは、イタリアのベネチアという所で生まれて、エミリアノ家の、イタリアで最も高貴な家庭で生まれました。パトリシアという特別の地位があって、貴族の高貴な家系の出です。イタリア、特にベネチアでは莫大な財産を持っていて、政治にも軍事にも非常に大きな力のある家系の生まれです。

若い頃から軍隊に入り、特にカステルノーヴォというお城を守る為に責任者となって戦いました。敵と戦いました。このカステルノーヴォというのは、トレヴィーゾと言う山の所にあります。

ところが、優秀な軍隊を率いていたにも関わらず、敵がこの城壁を陥落させてしまって、そしてヒエロニモ自身も敵の手に捕まり、投獄されます。

足にも鎖、手も鉄の手錠をはめられて、そして非常に惨めな、恐ろしい牢獄で、時を過ごさなければなりませんでした。

ヒエロニモは最早、たとえどんなに高貴な生まれであったとしても、その牢獄の中で、人間の救いは一切ありませんでした。たった一人ぼっちで、味方からもいかなる助けもなく、何をしたでしょうか?

ヒエロニモは、マリア様にお祈りしました。マリア様は、聖ヒエロニモの祈りを聞き入れてくれました。マリア様がある日ヒエロニモに現れて、「さぁ、行きなさい。」牢獄を開けて、そして敵のど真ん中を逃げるように、そしてトレヴィーゾの町まで、マリア様の助けで、敵の間をくぐって、城壁、全ての道という道は敵が占拠していたのですけれども、それをくぐって、無事に、何の傷もなく、何の戦いもなく、するりするり、さらりさらりと、逃げ出す事ができました、命を救う事ができました、九死に一生を得ました。

そこでその町に入ると、すぐにマリア様の教会に行って、マリア様の祭壇に、自分の繋がれていた手錠や足枷や鎖を、マリア様に奉献しました、「今後一切、マリア様のしもべとして、天主のしもべとして、一生を使う。このまま自分は死んでしまうところだったのにも関わらず、マリア様は助けて下さった。この御恩を一生を以て返す。自分の生涯、残る一生はマリア様のものだ。天主の奉仕の為に捧げる」と決心しました。

そして彼はベネチアに戻り、もちろんベネチアには莫大な財産を持った自分のお城や豪邸がありますが、それを全て天主の奉仕の為に使います。

貧しい人、特に捨てられた子供たち、孤児、もうあまりにも哀れで、かわいそうで、助けもない、捨てられた、見放された子供たちを引き取り、それらを養い、子供たちの為の家を借りて、彼らを養います。

そしてベネチアのみならず、ベネチアでは特に福者ガイェターノや、あるいは後に教皇パウロ4世となるペトロ・カラッファという人たちと会い、そしてそのペトロ・カラッファが後に教皇パウロ4世となって、このヒエロニモの作っていた孤児院を、新しいその共同体として認可する事になります。

ヒエロニモは孤児院の子供たちを洗ったり、服を着せたり、養ったり、司祭ではなかったのですけれども、平信徒でした、献身的に奉仕しました。

病院に病気の人を連れて行ったり、あるいは頭のおかしな狂ったような、頭の病気の子供にも世話をしたり、あるいはその愛徳と謙遜の態度は、多くの人々の共感を生み、次にブレシア、あるいはベルガモ、あるいはコモといった所にも孤児院を建てる事になりました。

特にベルガモでは献身精力的に働いて、そしてそのベルガモの所にあったソマスカという所に大きな施設を建てました。聖ピオ5世はこのヒエロニモの働きを見て、この孤児院やあるいはその病院の、その働いている彼らを、修道会として認可します。聖ヒエロニモは全ての人の為に、全てとなりました。隣人の為に全てを尽くしました。自分の事はすっかり忘れていました。

そして自分の為にはどうしていたかというと、貴族の大富豪の生まれだったにも関わらず、ベルガモのソマスカの山のてっぺんにある小さな小屋を見つけて、その中で過ごし、貧しい物を食べ、そしてお祈りをして、体に鞭を打って、断食をし、何日も断食をして、あるいは昼間は働いていたので夜、長いお祈りをしたり、睡眠もほとんどなかったのですけれども、裸の石の上に体を休ませて、それで寝たり、自分の罪と多くの人々の罪の為に、罪の償いの生活をしていました。

この聖ヒエロニモの住んでいた小屋の洞窟からは、水が湧き出して、今でも流れています。この水によって多くの人が、病が癒された、癒され続けている、という奇跡が起こっています。

遂に1537年、その地方でペストが伝染病が流行りました。もちろんヒエロニモはその伝染病の人々を助けて、癒して、そして看病して、そして伝染病で亡くなった人を担いで墓に葬る、その際に、ペストにかかって、病で亡くなります。

聖ヒエロニモが生きていた間にも、あるいは死んだ後にも、多くの、数多くの奇跡が起こりました。57年の人生の間、ヒエロニモは回心して、身寄りのない、特に身寄りのない子供たちの為に一生を費やして、そして天国に霊魂を返しました、天の聖父に霊魂を返しました。

一体これは私たちに、何を言っているでしょうか?

聖ヒエロニモは、確かに、私たちにも「もしも身寄りのない子供たちがいたら、あるいは親から捨てられるような子供たちがいたら、彼らに対して父親となり、母親となり、友となり、兄弟となり、助けるように」という模範を示しています。

それだけではありません。聖ヒエロニモはもっと、肉体的にというよりは、もっと深いところを理解しました。

「実は私たちは、天主の子供だ。しかし残念ながら、敵に負けて、悪魔の手に落ちて、悪魔によって罪の鎖に縛られて、手錠をはめられ、足枷をはめられて、牢獄のような罪と悪徳との間に縛られている。私たちはマリア様によってそれが助けられた。マリア様によって解放されて、そして天主の子供として養子相続された。カトリック教会こそが私たちの、私たちを養ってくれる、霊的に養ってくれる、霊的な子供として養ってくれる孤児院だ。」

「私たちは、聖ヒエロニモのように働く司祭や、教会の奉仕を受けて霊的に養われている。しかし多くの人たちが、自分の本当のお母様マリア様、本当のお父さん天主の聖父三位一体の事を知らない。まだ悪魔の、罪の暗闇の中、牢獄の中にいる。何とかして彼らを早く、天主の聖父の家の中に連れて行くように、私たちの優しい孤児院、私たちを養い育てて、そして本当の子供として育てて、天国に行く準備をしてくれるこの施設、教会まで連れて行かなければならない。」聖ヒエロニモは私たちにこう教えています。

「単なる物質的な孤児ではなく、霊的な孤児たちの為に、霊的な本当のお父さんお母さんを知らなくて探しているこの人たちの為に、本当のお父さんお母さんの元に連れて行ってあげる。そして霊的に養ってあげる。本当の事を教えてあげる。私たちは実は、天主の子供となる為に生まれてきたのだ。天国の家を相続する為に生まれてきたのだ。」これを教えています。

聖ヒエロニモ、私たち現代の日本には、イエズス様の事を知らない、マリア様の事を知らない、孤児のような人々がたくさんいらっしゃいます。ですから聖ヒエロニモとマリア様の御助けによって、私たちが彼らの為に祈り、何とか本当のお父さん、天の聖父を知る事ができますように、彼らが行くべきは、最高存在とか、あるいは理性の女神とか、あるいは宇宙の建築家、ではなく、「聖父なる天主、イエズス・キリスト」であります。

どうぞマリア様が私たちを助けて下さるように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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聖ピオ十世会 聖伝のミサの報告(2019年8月18日聖霊降臨後第十主日)SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2019年08月19日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

8月18日(主日)には、兄弟姉妹の皆様のしもべはマニラでミサを捧げておりました。私の代わりに、毎月一回、マニラからフォルティン神父様が日本に行って下さることになり、老司祭のしもべにとっては肩の荷が少し軽くなった感じがしております。(^^;)

大阪では Our Lady of Victories Catholic School のための第二献金を行ってくださり、八万五千円の寄付金が学校のために集まりました。大変感謝しております。

聖霊降臨後第十主日の福音に出てくる二人について、兄弟姉妹の皆様のしもべもマニラで黙想しました。

税吏は、とても軽蔑されている「非国民」とでも言われているような人でした。現代日本でも、それに相当する人がいるのかもしれません。でも口に出すのがタブーにされるようなレッテルを張られた人でしょう。私たちの主はそのような人を敢えて取り上げた、すごいなぁと思います。
税吏の態度は、謙遜です。
私たちの主と共に十字架に付けられた「良き盗賊」の態度を思い起こさせました。「主よ、御国に至らん時、私を思い出して下さい。」

税吏の言った「天主よ、罪人である私を憐れみください。」この謙遜な一言で、彼は赦されます。謙遜な心からの痛悔の念は、天主になされて、天主が嘉納します。

税吏が、一言、天主に憐れみを乞うている、たったそれだけです。その謙遜な一言で、聖化され、高められて家に帰っていきます。
税吏は、他の人々のことは眼中になかったかのようです。
謙遜は、真実で、真理を真理として認め、受け入れます。ありのままの現実をそうであるとします。

ファリザイ人は、掟を守っていた人々でした。不法なことはしなかった人々です。外の態度では立派でした。
ファリザイ人は、天主に感謝すると言います。何故なら、他の人々のように罪人(つみびと)ではないから、と。ファリザイ人には、他の人々のことだけが眼中にあったようです。自分を肯定して自慢して偉ぶるために、他人をおとしめようとします。
自分の力で自分はこんなにも素晴らしいが、他人は腐っている、と。
もしかしたら、他人が自分に対してやることは全て悪意だ、私は他人の犠牲者だ、他人は私から後で搾取するために善をしているのだ、と言い出すかもしれません。

ファリザイ人の態度は、主と共に十字架に付けられた「悪しき盗賊」の態度を思い起こさせました。
「あなたはキリストではないか。では、自分とわれわれを救え」(つまり、オレは正しい、オレが苦しむのはおまえが無能だからだ。)
あるいは、アダムとエワを思い出します。
ヤーウェから何故食べてはいけない木の実を食べたのかと尋ねられると、アダムは答えます。
「あなたがくださった女が、私に食べろと言いました。」(つまり、自分は正しい、あなたがよこした女のせいだ、つまりあなたのせいだ。)
今度はエワに尋ねると、エワはこう答えます。
「蛇が私に食べろと言いました。」(つまり、自分は正しい、あなたが創った蛇せいだ、つまりあなたのせいだ。)
フランス革命の時も、革命家らは、王や貴族など他人を非難しました。
共産革命の時も、いわゆる人民裁判は、社会正義の名の下に他者を非難しました。

私たちは、ともすると、他者を軽蔑・批判したり自己正当化したりするように流されがちです。「自分を義人と信じ、他人をさげすむ」傾向です。
では、どうしたら良いでしょうか?
書簡では、聖パウロが聖霊の働きがなければ「イエズスが主である」とも言うことが出来ない、とあるので、聖霊の働きを祈りましょう。
聖霊の浄配である謙遜なマリア様にお願いします。
そして、税吏の真似をして、ひたすら「天主よ、罪人である私を憐れみください。」と祈ろうと思います。

愛する兄弟姉妹の皆様にレポートをご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

[Image]

【報告】
Dear Fr Onoda:

今日は予定通り、マニラからピーター・フォルティン神父が来て聖霊降臨後第10主日のミサを挙げてくださいました。

御説教では、今日の聖福音にあった高慢な男と税吏の男のたとえ話を採り上げて、謙遜の徳についてお話しいただきました。サタンの国では高慢しかないが、天主の国を支配するのは謙遜であること、誰よりもイエズス・キリストが謙遜の模範を示してくださったこと、謙遜は他のあらゆる徳の基礎であること、そして私たちと天主の関係、隣人との関係、また自分自身のためにも謙遜の徳が必要であること、などを教えていただきました。さらに、謙遜を学ぶ良い方法は、ミサのいろいろな箇所に現れる謙遜の例を学び、それを倣うようにすることであるということについても、ミサ中の典礼の例を挙げて説明していただきました。

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

男: 26人(内、子供4人)
女: 31人(内、子供4人)
計: 57人(内、子供8人)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

今日8月19日は、102年前の8月19日にValinhosヴァリーニョスで、聖母が、「償いをしなさい、罪人のために祈りなさい、ひらひらと地獄に落ちる霊魂は誰も祈る人がいないから、」と三人の子どもたちに話された日ですね。二年前に見てきた御出現のそこのヒイラギの樹もまだ青々として立派な樹のままでした。

数日前のSSPXのニュースでその記事を読んでから、私はファチマの子どもたちのそのお話をまた思い出していました。そして、ルルドで御出現になられた聖母も、少女の聖ベルナデッタに同じことを話されたことを思い出しました。
光かがやくお姿であられましたことは、聖母マリア様が被昇天の勝利の栄光をいただいたことを思いました。

102年後の日本の地でまだ御聖体訪問もままならぬ少しも若くない私ですが、8月18日の御ミサには与る御恵みをいただいているので、この貴重な機会をとても大切にしなければと思いながら聖母の言葉を心に留めて御ミサに与りました。

罪人である自分が罪人のために祈ることがどれだけできるのかわからなくても、償わなければならない罪がどれほどたくさんあるかわからない自分に清めの場にいる霊魂や償いの必要がある霊魂のために何ができるかわからなくても、聖母の言葉をよく噛み締めて御ミサでお祈りしたいという望みを持ちました。(もしかしたらこれは前回のお説教のお話のこととつながることかなとふと思いました。)

取り分けてこの世的になにもできないのですが、できるだけどの瞬間も精神と霊魂の注意を内側に向けるよう努めて聖母の御勧めに少しでも適うことができますようにと願うしかありません。望んでも惨めさの極みの自分にはできないことも、ただお恵みによってなんでもできる御方が思いのままにしてくださいますように、と祈りました。
この世の中は悪魔が支配しているのでそれに心を奪われないようにしなければと思いました。たとえ短い時間でもそれができますなら幸いなことと思います。

聖霊降臨後第十主日のミサは、マニラからフォルテン神父さまが来てくださり、御ミサを立ててくださいました。お説教で謙遜のことを詳しくお話しくださいました。カトリック教会の礎はイエズス様ですがそのイエズス様が謙遜そのものの御方でいらっしゃいますことをお話しくださいました。たとえカトリック教会の今の見た目のようすが混乱に陥っている様子に見えてとてもこの舟に乗車するのをためらうという方でも、イエズス様のご謙遜をよく学びたいがためにこの舟に乗るなら、けっしてこの舟が座礁することはないことを発見するでしょうと思いました。そして一番よくイエズス様のご謙遜に学べる機会がこの御ミサですというお話を心に刻みました。

謙遜の練習はどうしたらよいかのことをお話しいただき、小さな子供たちになるようにということ、奴隷の仕事をするほどに他の人に仕えるということを、イエズス様が教えてくださったのですというお話も、心に刻まれました。

ルルドやファチマで小さな子供に言われたことを守ることが、小さな子供のようになることだと思いました。そういえばベルナデッタもヤシンタもフランシスコもルシアもロザリオをたくさん祈っていたそうです。都心の駅の雑踏の中でも、電車の中でもあまりにも多くの霊魂が滅びようとしていますという言葉が思い出され、そのためにもいま教皇様のためロザリオをお祈りしようと思います。
ご謙遜であられるイエズス様と同じくご謙遜であられるマリア様に倣って、この世での生が与えられている限り、その御勧めに従っていつも償いの精神と罪人のために祈ることを忘れないで過ごすことができますようにと思いました。

聖母の汚れなき御心、われらのために祈り給え
聖マリアの汚れなき御心のうちに

【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

8月18日 聖霊降臨後第10主日のミサには23人が、
8月19日 聖ヨハネ・ユードの祝日の早朝ミサには、10人が御ミサに与るお恵みをいただきました。デオグラチアス!

主日のお説教では謙遜について黙想しました。
高い徳の塔を立てたいのならば、その基礎になる謙遜がなければ塔は決して立たないと神父様が仰った事を考えながら、自分の聖徳への進歩があまりにも遅いのは、土台がしっかりしていないからだ、謙遜が足らないからだ、とハッキリとわかりました。

つい最近フランスのシスター会の修練女の方から頂いたお便りで、ルフェーブル大司教様が残されたシスター会の会則に「謙遜を身に付けない修道者は生きる矛盾である」という言葉がある事を伺いました。お説教を聞きながらこの言葉を思い出し、自分も修道者に残されたこの言葉を、(もちろん修道者の方々の様に立派ではないですが)自分にも当てはめて、生活したいと思いました。

神父様の仰る様に謙遜の最高の見本であるマリア様に、お助けとお取次を願いたいとおもいます。

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え
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謙遜について : ピーター・フォルティン神父様 2019年8月18日聖霊降臨後第十主日の説教 

2019年08月19日 | お説教・霊的講話
2019年8月18日(主)聖霊降臨後第十主日の説教 
聖ピオ十世会司祭  ピーター・フォルティン神父様


本日の福音において、私たちの主は、私たちにけんそんについての美しい教訓を与えてくださっています。このメッセージは、このあわれな罪びと、すなわち税吏(みつぎとり)にとって喜ばしいものですが、この高慢な男、すなわち自分のことを実際よりも良い人間だと思っているファリザイ人にとっては警告を与えるものです。このたとえにおいて、私たちの主は、けんそんな罪びとの方が、自分のことを聖にして義であると思っている高慢な男よりも嘉せられるということを明確になさっています。これらの二人の男を見ることで、教会はけんそんの徳の重要性を強調したいと望んでいるのです。

福音にでてくるこの二人の男を比べると、例えば、天主に対する敬意や寛大さのような他の聖徳においては似ているところがあります。しかし、違いのポイントはけんそんであり、けんそんがその差を作り出しているようです。高慢な男はけんそんの徳を、弱いもの、不合理なもの、あるいは誤りと考えています。私たちには、一人が天主の国に属しており、もう一人がサタンの国に属していることがはっきり分かります。サタンの国では高慢とうぬぼれだけしかなく、天主の国ではけんそんが支配しているのです。



サタンは天主に対して反乱を起こすことによって自分の国を造りました。「Non serviam. 私は仕えない」とは、サタンが天主に対して言っていることです。これがサタンの国の標語です。サタンは、高慢とうぬぼれを通して人間を誘惑します。この世は悪魔の支配地であって、天主に対するけんそんも敬意も従順もまったく知らないのです。

他方、天主の国の創立者は、私たちの主イエズス・キリストです。創造においても、その完全さにおいても限りを知らない天主の御子です。それにもかかわらず、主は、人間の本性を、奴隷の本性をお取りになって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまでけんそんに御自らを低くされます(フィリッピ2章7-8節参照)。主は、「私は柔和で心のけんそんな者であるから、私に習え」(マテオ11章29節)と言うことがおできになりました。主は人間に仕えられるためではなく、人間に仕えるために来られました(マテオ20章28節、マルコ10章45節参照)。それは、主がご自分の命令に従う何百万もの天使をお持ちであるにもかかわらずです。私たちには、この二つの国に大きな違いがあるのが分かります。一つには高慢とうぬぼれ、不従順という特徴があり、もう一つにはけんそんと素直、従順という特徴があるのです。

けんそんのことを正しく理解することは最も重要です。これを誤った慎み深さと間違える人たちがいるかもしれません。けんそんは、他のすべての聖徳の基礎です。けんそんとは、簡単に言えば、私たちが自分をありのままに見ることです。私たちは無であり、弱いものでありながら、しかしまた私たちには様々な能力、強み、その他数多くの恩寵が与えられているということを認めることです。けんそんな人は、自分が達成するあらゆる業績があろうとも、そのすべての業績が天主のみから来ることを知っています。聖母の例を挙げるなら、聖母は被造物としてのご自分の卑しさを知っておられましたが、また天主の御母になるためにご自分に授けられた大いなる栄光も知っておられました。聖母はご自分のけんそんを、「主は、はしための卑しきを顧み給えり」(ルカ1章48節)と表現され、それからご自分へのお恵みを、「今よりよろず世に至るまで、人われを幸いなる者ととなえん」(同)と表現されました。この聖母の祈りの最初の部分は、けんそんの祈りです。

けんそんは、力強いキリスト教的生活のための基礎です。私たちが、私たちの主イエズス・キリストの聖徳に倣うことによって天主にもっと近づくために聖徳の塔を打ち立てたいと望むなら、私たちはけんそんという力強い基礎を持たなければなりません。私たちは、天主に対する態度、隣人に対する態度、自分に対する態度において、けんそんでなければなりません。

第一に、私たちの天主に対する関係においてです。天主は創造主であり、私たちは被造物です。天主は父であり、私たちは子どもです。けんそんは、私たちが天主と接触を持つために必要です。私たちが天主に従順であることができ、天主のご意志を遂行することができるのは、けんそんによってです。けんそんによって、私たちは天主に奉献され、私たちは天主を敬い、私たちは自分の意志と知性を服従させることによって天主を信じるのです。高慢な人は信仰を持つことができません。なぜなら、より高い意志に服従することができないからです。これが、私たちの主とファリザイ人の間にあった大きな困難だったのです。祈りはそれ自体、天主とのけんそんな会話です。私たちには、秘蹟を受けるために、特に悔悛の秘蹟を受けるためにけんそんが必要であり、この秘蹟によって、私たちはみじめな罪びとであって天主の御あわれみを必要とすることを認めるのです。

次に、私たちには、私たちの仲間との関係のために、けんそんが必要です。誰も、うぬぼれの強い高慢で自慢したがる人と一緒にいたくはありません。そのような人は自分のことしか考えていません。けんそんな人は、気立てがよく、権威と他人を尊重し、仲間のことを良く思います。隣人愛の基礎はけんそんです。聖パウロが愛について書くとき、その主な特徴は、けんそんであると言っています。「愛は寛容で、愛は慈悲に富む。愛はねたまず、誇らず、高ぶらぬ。非礼をせず、自分の利を求めず、憤らず、悪を気にせず、不正を喜ばず、…」(コリント前書13章4-5節)。

最後に、私たちには、自分自身のためにけんそんが必要です。高慢は、人の性格を駄目にします。高慢な人は、自分のことを知らず、限度を知らず、自分の過ちを認めません。高慢のすぐ先には人間の堕落が待っていますが、けんそんは他の聖徳に到達するのにまず必要なものなのです。


けんそんは、救いに大変必要な聖徳ですから、それを得るにはどのようにすればいいのでしょうか? 他の聖徳のように実践を必要としますが、聖なるミサに参列し、聖なるミサの五つの部において、キリストのけんそんに、じかに接して学ぶことによって、それを得ることができます。

聖なるミサの始まりには、司祭の登壇の前に、大いなる敬意をもって祭壇の下で祈りが唱えられます。すぐに、司祭はおじぎをして、コンフィテオールの祈りを唱えて自分が罪びとであると告白し、そのあと、キリエで天主の御あわれみを願い、グローリアで天主への特別な敬意を表します。書簡と福音からの教えでは大いなるけんそんの意識が必要とされます。それは、天主の知恵という、私たちが持っていないものを受けるからです。書簡のときに座り、聖福音のときに立つのは、私たちがキリストのみ言葉を最高の注意を払って聞くという、このけんそんのしるしです。



聖なるミサの奉献誦においては、私たちは、自分を奉献されるパンとぶどう酒に一致させ、自分を奉献して自分を完全に明け渡すのです。この祈りは、「けんそんの精神によって、痛悔の心をもって捧げ奉るわれらが御前に受け入れられ、われらのいけにえが御身に嘉せられるものとならんことを」というものです。

そのあと、聖なるミサの最も聖なる部である聖変化においては、私たちの主が祭壇の上に現存されますから、私たちには最高の敬意が要求されます。この聖なる神秘を告知するために、「天使らは、御身の天主なる御稜威をほめたたえ、主天使は礼拝し、能天使はふるえおののく」。これは、典文の間、私たちがとるべき態度を表しているのです。



そして、私たちが私たちの主を受けるとき、「Domine non sum dignus!」。主よ、われふさわしからず! 非常に直接的なけんそんの表現です。私たちは、まったくふさわしくないにもかかわらず、私たちの主は非常に良きお方でいらっしゃるので、私たちのところに来てくださるのです。

締めくくりに当たって、私たちの主の生涯における二つの事例を引用することにしましょう。
1)使徒たちは一度、第一の座すなわち名誉ある座[に誰が着くのか]について議論していました。私たちの主は小さな子どもを呼んで彼らの真ん中に立たせ、こう言われます。「まことに私は言う。あなたたちが悔い改めて、小さな子どものようにならないなら、天の国には入れぬ。誰でも、この小さな子どものようにけんそんである人が、天の国でいちばん偉い人である」(マテオ18章3-4節)。

2)第二の事例は最後の晩餐のとき、私たちの主が使徒たちの足を洗うことによって、御自ら奴隷の仕事をなさることです。私たちの主はこう説明されます。「あなたがたは私を先生または主と言う。それは正しい、そのとおりである。私は主または先生であるのに、あなたがたの足を洗ったのであるから、あなたたちも互いに足を洗い合わねばならぬ。私のしたとおりするようにと私は模範を示した」(ヨハネ13章13-15節)。これが、主がご受難を始められる前に教えられた、主の偉大なる掟です。

私たちは、すべての聖徳において主にもっと近づくためには、聖なる典礼および私たちの主の生涯から、主のけんそんにおいて主に倣うことが第一に必要だということを知るのです。私たちの主イエズス・キリストのこの偉大なるけんそんによって、主は私たちに触れることがおできになり、私たちのけんそんによって、私たちは主の方へと高められていくことができるのです。
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聖ピオ十世会日本 聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)の報告 SSPX Japan Traditional Latin Mass

2019年08月15日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖母の被昇天のお慶びを申し上げます。いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 今年は、残念ながら日本での御ミサと聖母行列はありませんでした。ニュースによると、西日本に台風が直撃したとのことで、ミサがあったとしても聖母行列は難しかったかもしれません。

 8月11日と12日には大阪で聖伝のミサを捧げました! ご報告を頂いたのでご紹介いたします。

 愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、8月13日から16日までソウルでのミッションを行っております。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

御ミサの報告をお送り致します。
8月11日 (聖霊降臨後第9主日) には29人、
8月12日 (月) 聖クララのミサには19人が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

月曜日にはミサの後、御聖体降福式をして頂き、日本の歴史を振り返り、聖母に受けた多大な恵みをもう一度思い出し、ご聖体の御前で公式に日本のマリア様の汚れなき御心への奉献を更新しました。この事が、どれ程大きな意味を持つかを私達はあまり理解していないのだろうけれども、同時にマリア様に全てを奉献するしかもう術がないという事はよくわかっているように思います。

このような大きな恵みを受ける資格も価値もない自分ですけれども、マリア様をお与え下さり、このような機会をお与え下さった天主様の御憐みにただただ感謝するばかりです。

主日の御ミサのお説教では、この日のパウロの書簡と、、聖福音について黙想しました。
神父様はお説教の冒頭に、「まず、イエズス様の聖心が涙を出されれいる事を黙想してください。マリア様の汚れなき御心が、涙を流されていることを黙想してください」と仰いました。
涙を流されるイエズス様を黙想しつつ、特別の愛を注がれたイスラエルの民がその沢山の偉大な恵みを無駄にしたこと、その恵みを受け入れようとしなかった事実を聞きながら、イエズス様の涙がどんどん具体化されていくようで、とても悲しくなりました。
イエズス様のおそばの涙を流されるマリア様が自然に想像されました。


私達カトリック信者も、イスラエルの民が受けたように、信仰という大きな恵みを受け、日々沢山の恵みを与えられていいるのだから、これを無駄にすれば滅びたエルサレムのようになってしまうという教訓をしっかり心に刻みました。
また、「自分の心を祈りの家にする」事が出来るように、更にマリア様にお助けをお願いしたいと思いました。

月曜日は聖クララの生涯について黙想しました。
聖クララの修母様としの犠牲と断食と祈りの42年は、「天主のみ旨を行う」、「即ち会則の遵守」によって聖なるものになりました。
マリア様がそうされたように「天主のみ旨のままに」を私も自分の会則として徳を積めるようにお助けをお願いしました。

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

【報告】
Ave Maria Immaculata !
聖母被昇天の祝日おめでとうございます。

今日は大阪のお聖堂でお祈りをして、聖歌を歌い、小野田神父様の被昇天のお説教を朗読してもらって被昇天の黙想を致しました。

イエズス様の御前でマリア様の被昇天をお祝いし、マリア様をお与え下さった天主様の偉大な御摂理に感謝致しました。

マリア様に導いて頂いて、私達もいつも日か同じように天国に上る事が出来るためのお恵みをお願い致しました。(…)

被昇天のマリア様が取次ぎくださいますように!!

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ビルコック神父様のこの「命」についてのお話しで、ビルコック神父様は「ヨーロッパでは…」と仰られていますが、堕胎、ジェンダー、あるいは性教育、あるいは罪の教育という地獄の文化は、今の日本にもほぼ当てはまっていて、自然の命のみならず、超自然の霊的な命を守る為に、本当にロザリオによってマリア様の汚れ無き御心からの特別の回心の御恵みの必要を感じました。

ファチマでも秋田でもマリア様は、「ロザリオの祈りを『たくさん』唱えるように」と、この「数量の多さ」について言及されていて、

ふと考えてみますと、以前シュテーリン神父様も聖母黙想会の時に仰っていましたが、マリア様は、私たちの腐ったようなリンゴの贈り物でも、それをマリア様にお捧げすると、マリア様はそれを天主様イエズス様の気に入るようにとてもきれいにして、それを御捧げして下さるので、イエズス様はそのマリア様からの贈り物を非常に喜んでお受け取り下さる。と。

しかしマリア様は、その捧げ物をきれいにする為の、その「材料」は、私たちが御捧げした拙い祈りや犠牲を使ってのみ、それをする事がおできになるので、たとえ私たちが本当に弱さの故に、あまり聖人方のような全く雑念のないロザリオを唱える事ができなかったとしても(もちろん故意に気を散らすのは…ですが)、レベッカがヤコブが捕ってきた本当に小さな山羊を、イサアクの気に入るような絶品料理に仕上げて下さったように、よりたくさんの材料があれば、より多くの天主様イエズス様の気に入る最高の贈り物を御捧げする事ができるので、ロザリオを「たくさん」唱えて下さい、と仰ったのかなぁと思いました。

軍勢を整えた恐るべき軍隊の総指揮官であるマリア様が、「ロザリオをたくさん唱えて下さい」と仰ったのであれば、そのマリア様の騎士でありしもべである私たちは、「はい、マリア様、分かりました!今、〇〇環が私たちの内で集まっております!」とマリア様に報告をし、互いに励まし合うのは、とてもマリア様が御喜びになる事であり、天主様の御旨に適った事ではないかと思います。(今回は霊的花束なので、途中経過などはないと思いますが)

「教皇、司教、司祭の為にたくさん祈って下さい」「毎日ロザリオの祈りを唱えて下さい」「ロザリオの祈りをたくさん唱えて下さい」「もはや既に、祈ろうとする霊魂が集められております」

秋田のマリア様が集められたその霊魂の中に、憐れな私の霊魂も入る事ができますように。

聖母の汚れ無き御心よ、我らの為に祈り給え!
秋田の聖母よ、我らの為に祈り給え!
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聖ヴィンセンチオ・ア・パウロは、愛徳と信仰によってこの世に打ち勝ち、たった一人で、フランス革命が起こるのを遅らせた。

2019年08月15日 | お説教・霊的講話
2019年7月19日(金)証聖者聖ヴィンチェンチオ・ア・パウロのミサ 
聖ピオ十世会司祭 小野田神父説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年7月19日、聖ヴィンセンチオ・ア・パウロ証聖者の祝日を祝っております。今日この御ミサの後で、いつものように感謝のお祈りがあり、その後にいつものように聖務日課の終課を皆さん一緒に祈りましょう。

明日も10時半からミサがあります。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、聖伝の御ミサにようこそ。このラテン語のミサは世界で、キリスト教と名前が付く典礼の中で一番歴史の古いものです。ローマの最も初期の時代から、このミサがこの形で行なわれていました。特にこの中核の典文、「カノン」と言われている部分は、言語学者によれば、「おそらく聖ペトロに由来している」と言われるほど非常に古いものです。

つい最近文化財になった近畿地方の古墳も古いものですけれども、この聖伝のラテン語のこのミサはもっと古いものです。約2000年の歴史を持っています。

これは「ラテン語のミサ」とも言われていますが、本当はラテン語のミサではありません。ラテン語とギリシャ語とヘブライ語の、3つの言葉が入っています。十字架の言葉が使われています。

今日はこのミサでは、聖ヴィンセンチオ・ア・パウロという有名なフランスの聖人の祝日を祝っていますので、今日、

⑴この方がどういう人だったのか?という事を垣間見て、

⑵そしてこの方の事を聖伝のミサでは、どのように描写しているのか?

⑶そして最後に私たちは、一体2019年の今日、この聖ヴィンセンチオ・ア・パウロが私たちに何を教えているのか?という事を黙想したいと思います。


⑴聖ヴィンセンチオ・ア・パウロという方は、生まれた時には貧しい羊飼いでした。しかしこの子供の頃から、貧しい人に対して非常に優しい態度を取る子供でした。この態度は、特に貧しい人、可哀想な人たちに対する特別の優しい愛情というのは、聖ヴィンセンチオ・ア・パウロは一生忘れた事がありませんでした。

大きくなると神学を勉強します。非常に優秀で、司祭になりますが、司祭になるや、トルコ人の手に落ちて、そして奴隷となってしまいます。奴隷となってその主人を、やはり愛徳を以て、カトリック信仰を以て接した結果、この主人がカトリックになります。そして一緒になってローマに逃亡します。

その次にフランスに逃げて戻ってきます。なぜかというと、主人が「イスラム教を捨てた」という事になると、大きな社会的な制裁が待っていたからです。

聖ヴィンセンチオ・ア・パウロはフランスに戻ると、ある小教区の主任司祭になって、そして船を漕ぐ人々の指導司祭、つまりチャプレンになります。

また聖フランシスコ・デ・サレジオの依頼を受けて、40年間、訪問童貞会のシスターたちの霊的指導者、指導を非常に素晴らしく、賢明に行ないます。

この司祭生活の間、聖ヴィンセンチオ・ア・パウロは、イスラム教徒の奴隷となったカトリック信者を贖って、その身代金を払って、それを解放するように努めたり、あるいは捨てられた子供たち、孤児の面倒を見たり、あるいは危険、身の危険のある青少年を守ったり、あるいは不幸にも身を堕としてしまった少女たちが、身を持ち直すように尽くしたり、あるいは巡礼者の世話をしたり、病気の人々の看病をしたり、あるいは施したり、貧しい人には、乞食ものもらいの人々には、何とかその彼らの生活が立ち行くようにと、非常な努力をしました。また頭のおかしい狂ったような人にも優しく尽くしました。

聖ヴィンセンチオ・ア・パウロのその愛徳の行ないは、フランス全国に広まりました。その当時フランスは、フランス革命の前でしたが、飢饉や社会的な気候の悪さなどで、貧しい人もいました。あるいはペストもありました。そのような苦しい人や貧しい人たちを、聖ヴィンセンチオ・ア・パウロは献身的に助けていました。

この愛徳の業によって、特にフランス王ルイ13世の死の床に付き添ったその愛徳の業によって、特にフランスの王家、王室の信頼を受けて、聖ヴィンセンチオ・ア・パウロに、このフランスの司教を誰にするか、あるいはフランスの教会の名誉ある地位モンシニョール、あるいはそのような地位を誰が受けるかという事は、聖ヴィンセンチオ・ア・パウロが承認しなければそれができないほど、権威のある地位を続けていました。

貧しい聖ヴィンセンチオ・ア・パウロですが、その手は、フランスの王の、あるいはフランスの貴族たちの献金や、あるいは援助がスルッと、ものすごく莫大な富が、貧しい人たちの方に流れて行きました。その莫大なお金や、あるいは地位や、その司教様の任命などについての権威を持っていたにも関わらず、自分は非常に謙遜で、清貧で、そして柔和で、いつも特に貧しい人たちに対する優しさと慈しみをたたえていました。

自分が小さい時も貧しかった時も、地位のある今でも、いつも同じ優しさと、謙遜を、清貧を保っていました。

1633年には、愛徳姉妹会を創立しました。また司祭たちの会、ラザリストというミッション会を創ります。特に愛徳姉妹会の創立300周年の時には、1933年、大阪には愛徳姉妹会がシスターたちが最初に日本で修道院を設置して、日本でもその活動を開始しました。

このロザリオの前に会長が私たちに教えて下さったように、聖カタリナ・ラブレに聖ヴィンセンチオ・ア・パウロは現れて、不思議のメダイを受けるその準備をされます。

こうして歴史家によると「聖ヴィンセンチオ・ア・パウロはたった一人で、フランス革命が起こるのを遅らせた」と言われています。


⑵では一体、カトリック教会はこのミサで、どのように聖ヴィンセンチオ・ア・パウロの事を誉め称えているでしょうか?

入祭誦はあたかも、聖ヴィンセンチオ・ア・パウロは主の庭園に咲く大きな棕櫚の木、あるいは杉の木であるかのようです。大木で、その枝は世界中に広がっているかのようです。日本にもその愛の枝が届きました。実りが届いています。

書簡では、聖パウロの言葉を借りて、聖ヴィンセンチオ・ア・パウロが私たちに語りかけているかのようです。
「自分は貧しく、自分は馬鹿にされて、あたかもこの世で死んだかのようであるけれども、悪口を受ければ祝福する、死んだ者であるかのように思われているけれども、実は生きていて、他の人たちに善を施している。」

あたかも聖ヴィンセンチオ・ア・パウロのようです。私たちもその、「この彼に倣うように」と招かれているかのようです。

聖福音ではイエズス様が私たちに、「主の畑で働く人たちが足りない。だから働く人たちが送られるように祈れ」と言っているこの言葉を聞きます。

「まさにこの主が求めているのは、聖ヴィンセンチオ・ア・パウロのような、愛の、主を愛するが故に隣人を愛し、そしてこの世の全ての富を主の為にのみ使う、自分の事は一切忘れる、その奉献の献身的な精神の司祭が必要だ。働き人が必要だ。だから私たちは、そのような聖なる司祭が、聖なる働き手が出るように祈れ」と招いているかのようです。

聖ヴィンセンチオ・ア・パウロは当時の人々から、「ムシュー・ヴァンサン」と、「ヴァンサンさん」と言われて、非常に愛されていました。フランス語で「ヴァンサン Vincent」というのは、ラテン語の「Vincens」と言う言葉に由来しています。「Vincentius」というのは、これは「勝った、勝つ」「愛徳によってこの世に勝った、愛と信仰によってこの世に打ち勝った」という事です。


⑶これは私たちに今日現代、何を教えているでしょうか?

聖ヴィンセンチオ・ア・パウロは、1660年9月27日に亡くなります。フランス革命はその約130年後に起こります。

フランス革命の時に聖職者がやった事と、多くの聖職者たちがやった事と、聖ヴィンセンチオ・ア・パウロのやった事というのは、全く反対だったという事を思いました。

本来ならカトリックの聖職者こそが、革命が起こらないように阻止すべきだったにも関わらず、却って当時の聖職者たちは「啓蒙思想」、啓蒙主義思想というものに犯されて、それに感染して、その毒を飲んで、その思想に染まっていて、その啓蒙思想に従って行動してしまいました。

そこで司祭たちが、本来ならば天主の作ったその秩序を守るように、あるいは天主の御旨を尊重する代わりに、例えば司祭たちが、司祭たちの身分を議会で離れて、第三部会と言われる、「貧しい一般の市民たちの方に、自分は交流する」と言うのです。

司教様たちは司祭たちにそうしてはならないと言いました。確かに貧しいお金のない司祭だったのですけれども、やはり司祭は司祭です。一般市民とは違う、司祭は司祭でした。聖職者でした。

しかし司教様から「彼らに行ってはいけない。お前たちは聖職者だ」といわれても、「いや、私はあなたと同じ市民です」と答えて、第三部の方に行ってしまいました。残念ながら、聖職者がフランス革命を引き起こしてしまった、と言う事ができるかもしれません。

聖ヴィンセンチオ・ア・パウロは私たちに今日、「そうではなくて、」その革命の結果、何を言ったかと言うと、「貧しい人たちを助ける」という名目で、「国民の為」という名目で、「私たちは、その自分の持っている財産を国家にあげる教会」という事で、カトリック教会は財産を持つ事ができなくなりました。

そして今まで教会が持っていた財産、あるいは司祭が持っていた財産、これは「司祭のもの」というよりは、「貧しい人たちのもの」でした。「財産を持ってない人たちを助ける為のもの」でした。

それが全て没収され、国営のものとなり、そして遂には破壊され、「愛徳」という国民を助けていた福祉の、無料の福祉、無料の教育、あるいは人々との繋がりというセメントの絆の役割をしていたものを、全て聖職者たちが放棄してしまい、破壊してしまいました。

聖ヴィンセンチオ・ア・パウロはその反対を行きました、「これは自分のものではない」だから「自分が勝手に放棄するものではなくて、自分が与えられたその地位を使って、それを利用して、貧しい人たちを優先的に助ける。自分の所には何も留まらずに、全て流していた。」

これによってフランスでは多くの方が、そして世界中で、この聖ヴィンセンチオ・ア・パウロの精神を、これを果たそうとする多くの方々が、多くの利益を、霊的な、物体的な物質的な利益を得ました。

では私たちも、このような聖なる聖職者が日本から、世界中から出ますように、お祈り致しましょう。マリア様の御助けと御取次ぎを願って、第2、第3、第4の聖ヴィンセンチオ・ア・パウロが私たちに与えられますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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