Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ベネディクト十六世は、現地時間で今日の午前9時34分に永眠されたとのことです。

2022年12月31日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ベネディクト十六世は、現地時間で今日の午前9時34分に永眠されたとのことです。その霊魂が安息に憩わんことを。永遠の安息のためにお祈りいたしましょう。

【追記】2023年1月5日午前9時30分、聖ペトロ大聖堂の大広場で葬儀ミサが執り行われるとのことです。




聖カリスト教皇殉教者はどういう人だったのか?聖カリスト教皇は私たちに何を教えているか?聖なる教皇殉教者は何を命がけで伝えてきたのか?

2022年12月31日 | お説教・霊的講話

2022年10月14日(金)大阪での説教

トマス小野田神父

聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン 。

愛する兄妹姉妹の皆様、今日は聖カリスト教皇殉教者の祝日です。

(1) この教皇様はどういう人だったのでしょうか。

元々はローマの人で、一世紀に生まれた方です。教皇カリストは222年にローマで殉教しました。5年間教皇職を務めました。

この5年間という間になさったことというのは、まず重要なことは、四季の斎日を全教会に義務として定めたということです。これは使徒の時代から、聖ペトロ聖パウロの時代から伝えられた習慣でしたけれども、それを義務として1年に4回大小斎を捧げることと定めました。

またトランス・チベルの、つまりチベル川を越えたところにある聖マリア聖堂を作りました。迫害中でしたので、公の教会としてではなかったと思います。しかしその基礎を作りました。また殉教者や死者を葬るためにアッピア街道にあった墓地を拡張しました。そのために今ではその地下の墓地は「カリストのカタコンベ」と言われています。

特に有名だったのは、司祭殉教者であったカレポドスの遺体を、チベル河で投げ捨てられたその遺体を探し出して、そしてそれを荘厳に埋葬して祝った、その記念を祝った、ということです。

また有名なことはパリマリウスという執政官(コンスルとよばれた共和政ローマ時代の最高の地位)、あるいはシンピチウスという元老院議員、あるいはその当時指導的立場にあったフェリックスあるいはドランダという指導的な人々を、カトリックに改宗させて洗礼を授けたことで有名です。

知恵のある政界をリードするあの人がカトリックの洗礼を受けたのか、迫害の最中にあるにも関わらずそのような人々がカトリックに続々となっていたということは、反キリストの勢力にとって大きな脅威でした。そのためにカリスト教皇様は捕らえられて拷問を受けて、ついには井戸に捨てられて殉教しました。

この最初はカレポドス司祭殉教者が葬られた墓地に葬られたのですが、後にカリスト教皇殉教者が建てたトランス・チベリの聖マリア大聖堂の主祭壇に荘厳に葬られて、今でもそこにあります。聖カリストに対する典礼あるいは尊敬があり、教会で祝っていたことがすでに教会が平和になったその直後からその記録が残っています。

この聖カリストが最初に埋葬された墓地も、1960年に再発見されました。もちろん聖カリストという教皇殉教者が本当に実在して、その記録をその行事を全てなさったということは全く確実な歴史的な出来事です。

(2) 聖カリストは私たちに何を教えているのでしょうか?

これは私たちに何を教えているかというと、私たちが今聖伝の典礼で聖伝のミサで行なっているほぼ全てが、既に一世紀からこの時代からずっと行われてきたことであるということです。

四季の斎日であったり、あるいは私たちが捧げられているこのミサ聖祭であったり、あるいは司祭、助祭、副助祭、のみならず、下級品級、七つの品級がすでにあったということです。そして私たちはそれを続けているに過ぎないということです。

私たちは、後の教皇様が「二千年間やってきたけれども現代要らないからやめる」、「ああそうですか」ということはできない、ということです。
教皇様達が命がけで伝えてきたこのこれを私たちも今実行していると言うということです。

(3) 遷善の決心

是非教皇カリスト殉教者にお祈りいたしましょう。私達も同じ信仰、同じ信心、同じ愛を保ち続けることができますように。マリア様にお祈りしましょう。マリア様の御取り次ぎでこれを後世に、未来の世代に伝えることができますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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元教理聖省のミュラー枢機卿の警告「シノドス性のためのシノドスは教会に対する敵対的な乗っ取り行為である」。そのために私たちは何をしなければならないのか。

2022年12月31日 | お説教・霊的講話

2022年10月22日(土)修道院での説教

トマス小野田神父

聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン。

今日は土曜日の聖母のミサを行っております。

最近のニュースによると、元教理聖省のミュラー枢機卿がアメリカでのインタビューに答えて 、今シノドス性のためのシノドスが行われているけれどもこれは教会に対する敵対的な乗っ取り行為である、教会を新しいものに変えようとしている、教会は天主の御言葉を聞かなければならない、人間の声に耳をすますのではない、シノドスは特にこれは同性愛を認めさせるためのそれを目的としたものだ、と強く警告しています。

この世界は、イエズス・キリストを失いつつあります。イエズス・キリストの教会の敵は、2033年のイエズス様の贖いの業の二千年を祝うことをどうしても阻止したいかのような印象を受けます。その前に教会を何とかして弱体化させて、別の物にさせようとしているかのようです。その時、私たちはイエズス様を失うということがどれほど苦しいことかを私たちは体験することでしょう。

しかし、カトリック教会は天主の建てた教会ですから、人間の手によって滅ぼされることはありえません。聖伝のミサは必ず勝利します。どのようなことがあっても生き延びます。

教会も全く同じです。苦しむことはあっても、必ず特別の保護があります。これからもしかすると一見この地上から姿を消してしまったかのように見える時があるかもしれませんが、しかし必ず復活があります。

今、そのために私たちは何をしなければならないでしょうか。ロザリオをお祈りいたしましょう。ロザリオの祈りは私たちに主の神秘を深く教えてくれるからです。

喜びの玄義の第一は、天主が謙遜になって、マリア様の御胎内に宿られるほど謙遜になられたことを教えています。そしてそれは十字架の上で苦しみを受けて私たちの代わりに贖いを果たすためでした。マリア様もその天主のご謙遜にならって全てを協力する、どのような苦しみも全てみ旨のままに受け入れる、ということを答えました。

マリア様がその答えをした瞬間天主の御言葉は人となって私たちの内に住み給いました。永遠が時のうちに、全能の力がかよわさの小さなご胎内に、お留まりになりました。

喜びの玄義の第二は、マリア様はこのイエズス様を、すぐに聖エリザベトのもとにお運びになったことを教えています。

マリア様の挨拶の声を聞くと、聖エリザベトはすぐにマリア様がどんな方かを、お分かりになりました。天主の御母、真(まこと)の主の契約の櫃、旧約時代に預言されてきた現実が、今この目の前にあるとわかりました。

そのマリア様の声を聞くと、胎内の御子・胎内の子ども・洗者聖ヨハネも喜び踊りました。

喜びの玄義の第三は、マリア様はイエズス様をお産みになりますが、その時には第二のエヴァとして 第二のアダムをお産みになったことを教えています。

第一のエヴァは、原罪の汚れなき第一のアダムの脇腹から、原罪の汚れもなく痛みもなく生まれてきました。第二のアダムは、今度は、原罪の汚れなき第二のエヴァの胎内から痛みもなく産まれてきます。

イエズス様はマリア様の初子(ういご)でしたが、しかしマリア様が霊的に生むイエズス・キリストの兄弟たちは、つまり私たちは、十字架のもとの痛みのうちに霊的に生まなければなりません。

イエズス様は、マリア様のもとにまったく全てを与えになりました、委ねました。私たちにもそれを真似るように教えています。

喜びの玄義の第四は、マリア様は、受けたイエズスさまも全て天主にお返しになったことを教えています。神殿でイエズス様を奉献されます。マリア様は、私たちをもイエズス様とともに奉献してくださいます。 

喜びの玄義の第五は、マリア様は罪のない方でしたが、しかしイエズス様を失うということがどれほど苦しいことかを、ご体験になりました。ですから罪びとの、イエズス様を失ってしまった罪びとの気持ちがよく理解できます。私たちがイエズス様を見出すことができるように祈ってくださる方です。この世界が、イエズス様を失った世界が、イエズス様を見出すことができるように祈りましょう。

2033年にはイエズス様の贖いの二千年を祝うことができますように。教会の敵にマリア様の御保護のもとに私たちが信仰を守り続けるように、お祈りいたしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


「汝の天主なる主を心を尽くし霊魂を尽くして精神を尽して愛せよ」の愛の対象とは? この愛の効果と影響は?この愛の掟を守るためには?

2022年12月30日 | お説教・霊的講話

2022年10月2日 大阪での説教

トマス小野田神父

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2022年10月2日聖霊降臨後第17主日です。

このミサの直後、司祭が退場する前に、聖ピオ十世会日本を大天使聖ミカエルに奉献することをもう一度繰り返そうと思っております。これは聖フランシスコ・ザベリオに倣って、聖フランシスコ・ザベリオが日本でのミッションの最初に大天使聖ミカエルに日本での全ての活動をお捧げしたのに倣って去年私たちも行ったものです。

それから今日は聖ピオ十世会のオブレートのシスター達のために、ダバオでの修練院のために特別献金があります。寛大なご協力を感謝いたします。

今日、福音で私たちの主は、掟の中で最も大切なものは何かと言われて、最も正確な答えをその御口から言われました。
「汝の天主なる主を心を尽くし霊魂を尽くして精神を尽して愛せよ、そしてこれが第一の最大の掟である。第二はこれと似ていて、隣人を自分のごとく愛せよ。この二つに全律法と預言がかかっている。」この掟を一緒に黙想いたしましょう。

私たちが命じられている愛の対象とはいったいどれほど素晴らしいものか。
またこの愛によって私たちにどのような効果が起こるのか、どのような影響があるのか、
最後にこの愛の掟を守るためには、掟を果たすためにはどうするのが良いだろうか、ということを簡単に黙想いたしましょう。

(1)私たちが命じられている愛の対象とはいったいどれほど素晴らしいものか。
私たちが愛せよと言われている対象、愛すべきものは、最も貴重で最も私たちにとって大切で、私たちを本当に幸せにしてくれるものです。私たちにとって最も貴重であるというのはこれが最も高貴であるからで、この世界中のすべてを探しても天主に勝るほど高貴で貴重なものはあり得ません。全ての善の源が天主であるからです。この全ての善の源を愛せよ、と言われています。

私たちは、両親から命や教育やいろいろな援助を受けました。あるいは、友人から喜びや友情を分かち合いました。恩人からは、いろいろな恩を受けました。しかし私達は天主からそれら全てを受けました。天主は、この世で、私たちがこの地上で探すことのできる最も価値のあるものをはるかに超えています。永遠の超自然の霊的な善であるからです。この天主は、私達に善を与えるのみならず、究極の永遠の愛で愛しておられます。そして私たちのなしたほんの少しの事に対して、何百倍もの礼で感謝をしようと準備されています。天主は私たちに何を求めているかと言うと、ただ一つ私たちが主を愛することだけを求めておられます。

(2)この愛によって私たちにどのような影響があるのか
ではこの天主を、このような素晴らしい天主を愛することによって、私たちにはどのような効果があるのでしょうか。天主を愛することによって私たちには辛いことが辛くなくなります。あるいは辛いことがあったとしてもその辛いことを愛するようになります。聖人たちは、天主を愛することによって全てが甘美になって全てが優しくなって全てが喜びに変わる、たとえ辛いことがあってもそれは喜びだ、と言っています。愛によって、つらいがあまいになります。主を愛することによって、私たちのいろいろな善徳が完成させられます。

聖アルフォンソ・デ・リゴリは、聖パウロの書簡コリント人への書簡を引用してそう言います。「愛がなければ全てが無に等しい。しかし天主を愛することによって、全ての徳が完成させられる」。ですから、天主を愛するというのは全てに勝る、徳の全てに勝るものの中の最も優れた徳であると言います。
(3)愛の掟を守るためにはどうすべきか
では、私たちはその天主を愛するために心を尽くして愛するためにはどうしたらよいのでしょうか。聖アルフォンソ・デ・リゴリは言います。「心を尽くして愛するというのは、つまり愛の対象は天主がすべてである。」と。隣人を愛するのも天主を愛するがゆえに愛する、隣人において天主を愛する、ということだからです。ですから、天主への愛は分裂されずに全ての心がそのまま主に向かわなければならない、と言います。

ですから、私たちにとって被造物を愛するのも隣人を愛するのも主のためである、ということです。これを見ると、私たちにとって、エキュメニズムとかあるいは今流行りのリベラリズムとかいうのは全くの天主の愛の掟に反するものだ、ということが分かります。なぜかと言うと、真(まこと)の天主を心を尽くして私たちは愛さなければならないからです。

そのためにはどうしたらよいのでしょうか。同じ聖アルフォンソ・デ・リゴリは、三つのことが必要だと言います。

一つは日々の黙想、特に主のご受難を黙想することが私たちにとって主への愛を萌え立たせる最も大切な手段だと言います。

第二に、ご聖体拝領です。ご聖体拝領をすることによって、主の愛が私たちに燃え立たされるようになる。なぜかと言うと、私たちがご聖体拝領をすればするほど、主と一致することができるからです。

第三には、祈りによって主の愛を求めることだと言います。私たちが天主を愛することができるように、愛の炎をいや増してしてくださるようにお願いする。あるいは主を愛するということを、何度も射祷で唱えることによって、主の愛をいや増してもらえるようにお願いすること。「主よ、御身を愛し奉る、されどさらに愛させ給え。」

最後に、マリア様にお祈りいたしましょう。ロザリオの祈りをもって、ロザリオの祈りを通して、主の愛を燃え立たせてくださるよう、お祈りいたしましょう。マリア様の御心に燃えていた愛を私たちにもくださるようにと、お祈りいたしましょう。

また、私たちの守護の天使にも、天におられる全ての天使たちに、そして大天使聖ミカエルに、お祈りいたしましょう。天使達も主への愛に燃えて主のみ旨を果たそうとされました。守護の天使たちも私たちに取り次いでくださいますように、お祈りいたしましょう。


2022年、多くの愛する兄弟姉妹の皆様からのご支援とご協力とお祈りを感謝いたします。

2022年12月29日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今年のクリスマスに、東京での聖伝のミサをFacebookのオンラインでご覧になっていた方が、使徒信経の Et incarnatus est de Spiritu Sancto etc. のところの聖歌隊の歌があまりに美しく、涙が流れでて感動したと、おっしゃって下さいました。天主に感謝!

2022年、多くの愛する兄弟姉妹の皆様からのご支援とご協力とお祈りを感謝いたします。侍者の方々、聖歌隊の方々、香部屋を手伝ってくださる方々、聖堂の設営や掃除などの協力をしてくださる方々、物質的な霊的な援助を多く受けました。心から感謝申し上げます。

2022年は恵みの年でした。カトリックの聖伝信仰がますます広がりを見せたからです。今年の御復活祭には東京と大阪を合わせて180人が聖伝のミサに与りました。秋田巡礼には40人の巡礼者たちが毎日荘厳ミサに与りました。聖ピオ十世のシスター会で日本から最初の修道女が初誓願をフランスで立てました。今年は、6名の方々が日本で洗礼を受けました。クリスマスには、東京のミサ参列者と大阪の夕方のミサ参列者の数を合わせると191人でした。

2022年には、レネー神父様が日本と韓国で宣教の手伝いをしてくださいました!レネー神父様が指導してくださり司祭黙想会が日本で行われました。また、アジア管区長のサマース神父様、聖ピオ十世会総長のパリャラーニ神父様、事務局長のル・ルー神父様の訪問がありました。アジア管区の司祭たちの研修会がマニラを行うことができ、アジア管区の司祭たちがすべてマニラに集まりました。すべてのお恵みを主に感謝いたします。

◎お知らせ:修道院では、明日の12月29日(木)からは、いつものように朝のミサがあります。07:15 ミサ聖祭です。

◎お知らせ:大阪の聖堂では、2023年1月から
通常の金曜日のミサの時間が午後6時から午後6時30分【初金曜日の御聖体顕示による聖時間はミサのまえの午後5時20分から午後6時20分】に変更される予定です。
しかし、通常の土曜日のミサの時間は、しばらくの間、午前10時30分のままの予定です。時間変更はありません。【毎週土曜日はこれまで通りミサの後に御聖体顕示式があります】よろしくお願いいたします。


【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 :JR「新大阪駅」より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分

2023年
 1月01日(日) 【大阪】18:00 ミサ聖祭
 1月02日(月) 【大阪】10:30 ミサ聖祭

 1月08日(日)  【大阪】18:00 ミサ聖祭
 1月09日(月)  【大阪】08:00 [!] ミサ聖祭 (国民の休日)

 1月15日(日) 【大阪】18:00 ミサ聖祭
 1月16日(月) 【大阪】06:30 ミサ聖祭

 1月22日(日)  【大阪】10:30 ミサ聖祭

 1月27日(金) 【大阪】18:30 ミサ聖祭
 1月28日(土) 【大阪】10:30 ミサ聖祭
 1月29日(日) 【大阪】10:30 ミサ聖祭

 2月03日(金) 【大阪】18:30 ミサ聖祭
 2月04日(土) 【大阪】10:30 ミサ聖祭
 2月05日(日) 【大阪】18:00 [!] ミサ聖祭(午後のミサ)
 2月06日(月) 【大阪】06:30 ミサ聖祭

 2月12日(日) 【大阪】18:00 ミサ聖祭
 2月13日(月) 【大阪】06:30 ミサ聖祭

 2月17日(金) 【大阪】18:30 ミサ聖祭
 2月18日(土) 【大阪】10:30 ミサ聖祭
 2月19日(日) 【大阪】10:30 ミサ聖祭

 2月25日(土) 【大阪】10:30 ミサ聖祭
 2月26日(日) 【大阪】10:30 ミサ聖祭

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天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


私たちがクリスマスの恩寵を受けるのを妨げる、4種類の障害物:谷、丘や山、曲がった道、荒れた道

2022年12月28日 | お説教・霊的講話

クリスマスの準備についての説教

2022年12月18日 ドモルネ神父

はじめに

間もなくクリスマスです。それぞれの祝日には、お祝いすることに関連した、特別な恩寵がもたらされます。クリスマスには、私たちの主イエズス・キリストの、地上へのご来臨をお祝いします。クリスマスの特別な恩寵は、私たちの主が、私たちの霊魂にご来臨になることです。このことが意味するのは、私たちの主が、私たちの霊魂にさらに豊かにお住まいになるということ、私たちと主を一致させる結びつきを強めてくださるということ、私たちが聖人となるための豊かな恩寵を与えてくださるということです。

今日は、洗者聖ヨハネの示しにしたがって、クリスマスの準備をする必要があることと、その方法についてお話しします。

準備が必要

私たちの主イエズス・キリストは卓越したお方ですから、私たちには、クリスマスの準備をする必要があります。ある人の尊厳が高ければ高いほど、私たちは、その人に敬意を表さなければなりません。もし重要な人物が、私たちの家を訪ねてくるならば、家がきれいで整理整頓されているのを確認して敬意を表し、その人をできる限り歓迎しようとします。私たちの主は、天主の御子でいらっしゃいます。主は、無限の尊厳をお持ちであり、クリスマスの日には、特別な方法で私たちの霊魂に入ろうと望んでおられます。主は、ザケオに言われたように、私たちにも、こう言われます。「私は今日、あなたの家に泊まる」(ルカ19章5節)。ですから、クリスマスの前に、私たちは自分の霊魂を清め、天主を不快にさせるものをすべて、取り除いたり正したりし、天主をお喜ばせするものをすべて身につけるように努力すべきです。私たちは皆、罪によって自分の霊魂を汚しています。私たちは皆、悪い習慣を持っています。洗者聖ヨハネが言うように、私たちは皆、「自分の道を正しくする」必要があります。つまり、自分の中にある、私たちの主のご来臨を妨げる可能性のあるものを、正すのです。

洗者聖ヨハネは、私たちがクリスマスの恩寵を受けるのを妨げる、4種類の障害物を示しています。それは、谷、丘や山、曲がった道、荒れた道です。

クリスマスへの障害物:谷

谷とは穴のようなもので、平らな土地が欠如していることです。人は、谷を下ってから上らなければなりませんから、谷は人の通行を止めたり、妨げたりします。ここで、霊的な意味において、谷とは、天主や永遠の命に対する関心、愛、望みが欠如していることを意味します。主(おも)に、官能的な望み、野心、物質的な望みを満足させるのに忙しくしている人が、そのような「谷」です。私たちの主イエズスは、誰にもご自分に従うよう強制されることはありません。イエズスを無視することを選んだり、人生においてイエズスのことを第一に考えなかったりする人にとっては、ベトレヘムに行くことを怠ったエルザレムの人々のように、クリスマスの恩寵は無益なものになってしまうでしょう。

クリスマスの準備をするために、私たちは、自分の谷を埋めなければなりません。このことが意味するのは、私たちの人生において、主のことを第一に考えるようにし、私たちのうちに永遠の幸福への希望と願いを育むことです。では、どうすればいいのでしょうか? 毎日規則正しく祈り、一日のうちにたびたび私たちの主と聖母に祈り、毎日少しずつ霊的読書をし、罪の機会をすべて捨てる決心をするのです。

クリスマスへの障害物:丘や山

クリスマスの恩寵を妨げる第二の障害物は、丘や山です。丘や山は、岩が多すぎるようなもので、通行の妨げになります。「丘や山」とは、ゆがんだ自己愛、自分を高く評価することを意味します。高慢な人、うぬぼれの強い人、利己的な人、天主と教会の掟に逆らう人、天主の御摂理に不平を言う人が、そのような「山」です。山は高ければ高いほど、越えるのが難しくなります。同じように、高慢な人ほど、私たちの主の恩寵が入り込むのが難しいのです。聖ヤコボは手紙の中で、「天主はおごる者に逆らい、へりくだる者を恵まれる」(ヤコボ4章6節)と言っています。

クリスマスの準備をするために、私たちは、自分の丘や山を、もっと低くしなければなりません。私たちは、へりくだらなければなりません。このことが意味するのは、天主と教会の掟を忠実に守り、私たちの主のすべての恩寵にたびたび感謝し、私たちの罪に対する正当な罰として、試練に忍耐強く耐え、すべてのことにおいて、自分の栄光ではなく、天主の栄光を求める、ということです。

クリスマスへの障害物:曲がった道

クリスマスの恩寵を妨げる第三の障害物は、曲がった道、すなわち、曲り角の多い道です。この道は、危険で長いため、通行を妨げたり、遅らせたりします。曲がった道とは、正義が欠如していることを意味します。偽善者、嘘つき、泥棒、お世辞のうまい人、悪意を隠している人が、そのような「曲がった道」です。私たちの主イエズスは、「私は真理である」(ヨハネ14章6節)と言われました。主は、嘘とは無縁のお方です。聖ナタナエルを、「見よ、偽りのないイスラエル人を」(ヨハネ1章47節)と賞賛されたことを思い出してください。また、私たちの主が、このように言われたことを思い出してください。私たちは鳩のように無邪気で、蛇のようにさとくなければなりません(マテオ10章16節)。

クリスマスの準備をするために、私たちは、自分の曲がった道を正しくしなければなりません。このことが意味するのは、犯した不正を償い、あらゆる偽善や二枚舌を自分の心から追い出し、自分の意向に正直になる、ということです。

クリスマスへの障害物:荒れた道

クリスマスの恩寵を妨げる第四の障害物は、荒れた道です。この道は、通行を困難にし、つらくさせ、遅らせるものです。荒れた道とは、柔和さが欠如していることを意味します。怒りやすい人、せっかちな人、きつい人、根に持つ人、復讐心の強い人が、そのような「荒れた道」です。このような人は、主を受け入れることができません。なぜなら、主はこう言われたからです。「私は心の柔和な、へりくだった者であるから、私に習え」(マテオ11章29節)。柔和とへりくだりは、私たちの主イエズス・キリストの二つの特徴であり、主と一致するために必要な二つの心構えなのです。

クリスマスの準備をするために、私たちは、自分の荒れた道を整えなければなりません。このことが意味するのは、自分に対して罪を犯した人を赦し、怒りの感情を抑え、兄弟愛を実践する、ということです。

結論

親愛なる信者の皆さん、あと一週間でクリスマスです。しっかりと良い準備をしましょう。良い告解をして、私たちの霊魂を罪から清めましょう。今週は、自分の悪い習慣を直すために特別な努力をし、そうすることで、私たちの霊魂に、私たちの主のための道を開けましょう。最後に、しばしば童貞聖マリアのことを黙想しましょう。私たちの主イエズスが、ご降誕の日に私たちに求めておられる贈り物は、このような準備なのです。

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【参考情報】ヴィガノ大司教はトランプの「LGBTQイデオロギーの是認」を糾弾する:天主の法に背く国は、主の祝福を受ける望みは持てない。

2022年12月28日 | カトリック・ニュースなど

【参考資料】ヴィガノ大司教、トランプの「LGBTQイデオロギーの是認」を糾弾

Abp. Viganò Denounces Trump’s “Endorsement of LGBTQ Ideology”

カルロ・マリア・ヴィガノ 2022年12月20日

マール・ア・ラーゴでの最近の祝祭イベントに関する
カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の声明

ドナルド・J・トランプ大統領が共和党の公然の同性愛支持者のために開催した祝祭(gala)イベントのニュースを知って、落胆とともに大きなスキャンダルが生まれました(こちら)。
このLGBTQイデオロギーの是認は、そのわずか2日前に、ジョー・バイデンが、自然法にも天主の法にも反して、米国におけるいわゆる同性婚の法的効力を認める「結婚尊重法」(こちら)に署名したことを考えれば、さらに深刻なことです。

民主党は完全に反キリスト教的であり、グローバリストによる新世界秩序(New World Order)の行動計画(アジェンダ)を実行に移すことを頑なに決意しています。一方、共和党は、掟と共通善に反する生き方にふけっている少数派の有権者を、無謀にも追い求めています。米国のカトリック信者は今日、道徳的・宗教的問題においてカトリックの信念を代表・表現することが全くできないことが明らかになりつつある政治階級に代表されているという、どうしようもない状況に置かれています。このことが有権者の不満の原因となっており、さらに、不正選挙や、メディアの検閲、選挙による合意の操作に関して表面化しているスキャンダルの上に、これが加わるのです。

これまでは、民主党が体現するはるかに深刻な脅威のために、共和党の政治綱領のある側面は、ある程度は見過ごすことができました。しかし、ディープ・ステートの活動は、これまで米国の未来のための希望の源泉であるように思われたドナルド・トランプをも巻き込み、政治エリート全体を無差別に汚染していることが明らかになりました。

天主の法に背く国は、主の祝福を受ける望みは持てず、罪深い生き方を支持する者は、自分たちを待つ審判のことを考えるべきであって、票を得るための計算高い努力で腐敗した者を喜ばせるべきではありません。共和党員によるこのような政治的行動の無頓着さは、民主党員の側による教会の永続する教導権に対する公然の反対と同じくらい有害です。

私は、米国のカトリック信者に対して祈り、主に健全な原則を持つ政治家を照らしてくださるよう願い、彼らに自然法と天主の掟を守るために勇気を持って戦うように促すよう強く勧めます。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
前駐米教皇大使

2022年12月20日

英語版 https://catholicfamilynews.com/blog/2022/12/20/abp-vigano-denounces-trumps-endorsement-of-lgbtq-ideology/

イタリア語版 Dichiarazione dell’Arcivescovo Viganò sul Gala di Trump a Mar-a-Lago.


聖ピオ十世会 カトリック聖伝のミサ報告 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass

2022年12月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私たちの主イエズス・キリストの御降誕のお慶びを申し上げます。

2022年12月25日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計133人でした。大阪の真夜中のミサに来られた方は31人、夕方のミサに来られた方は58人でした。大阪の新記録です。北は青森、南は九州から聖伝のミサに来られたそのお恵みを主に感謝いたします。

愛する兄弟姉妹の皆様からクリスマス特別献金をいただいております。心から感謝いたします。クリスマスの日から愛する兄弟姉妹の皆様のためのミサを始めました。特別献金はまだ受け付けております。イエズス様と聖母と聖ヨゼフが皆様に百倍も報いてくださいますように!

クリスマスの前日(12月24日)大阪では成人の洗礼式がありました。また、施設に入所しているためにコロナの規制があり、長い間オンライン以外面会ができず、そのために洗礼を受けることができなかった方が、12月23日には病院の転院を機会に息子さんと直接お会いになることができ、緊急洗礼を受けることができました。天主に感謝いたします。今年は、日本で、6名の方々が受洗の恵みを受けました。

来年1月3日にも、成人の洗礼式が予定されています。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願い致します。

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天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 133 including children.

09:00 mass
M: 36 (incl. 4 children)
F: 32 (incl. 5 children)
Total: 68 (incl. 9 children)

11:30 mass
M: 30 (incl. 3 children)
F: 38 (incl. 3 children)
Total: 68 (incl. 6 children)

Total of 2 masses (excl. 3 people who participated in multiple masses)
M: 64 (incl. 7 children)
F: 69 (incl. 8 children)
Total: 133 (incl. 15 children)





主のご降誕のお慶びを申し上げます|人類が待ちに待った救い主のしるし。[布につつまれて][まぐさおけに寝かせてある]みどり子を,天使たちも人類も歴史を超えて祝います。

2022年12月26日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2022年12月25日は主のご降誕の大祝日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「主のご降誕の大祝日の説教」の動画をご紹介いたします。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

SSPX JAPAN聖ピオ十世会日本にチャンネル登録もお願いいたします。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


主要な欠点とは何か、主要な欠点を特定する方法と、それに対して戦う方法

2022年12月23日 | お説教・霊的講話

主要な欠点についての説教

2022年12月11日 ドモルネ神父

はじめに

今日の福音の中で、洗者聖ヨハネは、自分について、こう言っています。「『主の道を正しくせよ』と荒れ野に叫ぶ者の声とは、私のことである」(ヨハネ1章23節)。「主の道を正しくする」とは、私たちの主が、私たちの内に来られて留まることができるように、私たちが心を改めることを意味します。私たちの霊魂に、キリストが住まわれ働かれることへの主な障害物は、私たちの「主要な欠点」です。今日、私は、この主要な欠点についてお話ししようと思います。いったい、それは何でしょうか。それをどのようにして特定するのでしょうか。それとどのようにして戦えばいいのでしょうか。

1.主要な欠点

主要な欠点とは、私たちの欠点のうち、どの欠点よりも優勢になる傾向のあるものです。その欠点は、私たちの感情や、私たちの思い、私たちの好き嫌いに影響を与えるため、私たちの選択と行動にも影響を与えるという傾向があります。主要な欠点は、私たちを自己中心的にさせます。この主要な欠点は、私たちの気質と、密接な関係があります。例えば、高慢や怒りに傾く気質、怠惰や無責任に傾く気質、妬みや他人への批判に傾く気質、大食や情欲に傾く気質があります。主要な欠点は、私たちの最も深刻な精神的弱点です。これは、壁にできた深いひび割れのようなもので、このひび割れを直さなければ、どんどん大きくなり、最後には、壁を崩壊させてしまいます。同じように、私たちが、自分の主要な欠点を改めることに注意を払わないなら、私たちの内の恩寵の発展は、台無しになるでしょう。別の例えをしましょう。私たちの霊魂は、城壁に守られた城塞のようなものです。主要な欠点は、この壁の弱い部分、敵がやすやすと城塞に入り込むことができる部分です。私たちの主要な欠点は、悪魔が私たちをやすやすと罪に陥らせることができる、私たちの中心となる弱点なのです。すると、自分の主要な欠点に、特別な注意を払い、それを直すために、真剣に取り組むことが、いかに重要であるかが、お分かりになるでしょう。

2.主要な欠点を特定する方法

さて問題は、どのようにすれば、自分の主要な欠点を特定できるか、ということです。第一に、私たちを照らしてくださるよう、聖霊に祈る必要があります。私たちは通常、自分自身について、ほとんどよく分かっていないため、自分の主要な欠点が何なのかを、理解するためには、聖霊の御助けが必要なのです。

次に、自分に質問をいくつか投げかけ、正直に答えてみるべきです。朝起きたとき、あるいは日中一人でいるとき、私の心の中に、いつもどんな思いが浮かんでいるでしょうか? 自分がどう見られているのか、他人が私をどう思っているのかをいつも考えているとすれば、おそらく私の主要な欠点は、虚栄心でしょう。別の質問です。いつも私を喜ばせたり、悲しませたりするのは何でしょうか? 例えば、他人に良いことが起こると、いつも私を悲しませるとすれば、おそらく私の主要な欠点は、嫉妬でしょう。別の質問です。私の決断や行動の動機は、いつもは何でしょうか? 例えば、私がいつも、家事や仕事から逃れようとしているとすれば、おそらく私の主要な欠点は、怠け心でしょう。別の質問です。私が最も頻繁に犯す罪や、最も頻繁に戦わなければならない誘惑は何でしょうか? 例えば、私がいつも情欲の誘惑に襲われているとすれば、おそらく私の主要な欠点は、情欲でしょう。別の質問です。他人がいつも指摘する私の欠点は何でしょうか? 実際、他人は、私たちの欠点が何であるかを、もっと早く、もっと正しく見抜きます。ですから、特に子どものころ、両親やクラスメートから指摘された自分の欠点は何でしょうか? 最後の質問です。祈りのときや聖体拝領の後、私たちは、特にどの聖徳を素晴らしいと思って、実践することに魅力を感じるでしょうか? 特に、どの犠牲や霊的な努力をするように求められていると感じるでしょうか? 聖霊が私たちに求めておられるその聖徳や犠牲は、まさに私たちの主要な欠点が出るのを防いでくれるものなのです。

3.主要な欠点と戦う方法

さて、問題は、私たちは、どのようにして自分の主要な欠点と戦えばよいのか、ということです。第一の行うべきことは、そのような大きな仕事ができるように、天主に祈ることです。そうすることは、私たちの生来の力を超えたものであり、私たちは、恩寵によって強められる必要があるのです。例えば、聖ニコラ・ド・フリューの祈りというものがあります。「主よ、私があなたのもとに行くのを妨げるものを、すべて私から取り除き給え。私をあなたのもとに導くものを、すべて与え給え。私自身を私から連れ去って、あなたに委ねさせ給え」。

第二の行うべきことは、良心の自己吟味です。聖イグナチオは、お金について利益と損失を記録するように、自分の主要な欠点について、勝ち負けを記録するように勧めています。ですから、夕の祈りのときに2分ほど時間をとって、一日を簡単に振り返り、自分の主要な欠点を、ほしいままにしてしまったかどうかについて、チェックすることをお勧めします。

第三の行うべきことは、自分の主要な欠点が出るたびに、償いのわざをすることです。それは祈りであったり、食べ物や飲み物を控えることであったり、隣人を何らかの形で助けることであったりします。このような償いのわざは、罪に対する償いであるとともに、また将来に向けて、私たちをもっと慎重にさせてくれるものなのです。

第四の行うべきことは、私たちの生来の善の傾きを、私たちの主イエズス・キリストに正しく奉仕することに向けることです。福音から引用した例で説明します。聖ヨハネとその兄弟である聖ヤコボは、私たちの主イエズスから、「ボアネルジェス」というあだ名を付けられました。このあだ名は「雷の子」という意味です。このあだ名によって、私たちの主イエズスは、この二人の兄弟が、強くて活発な気質であることを示されました。彼らには生来、熱心であるという傾きがあり、それは、彼らの生来の善の傾きでした。しかし、彼らには、怒りと恨みの傾きがあり、これが、彼らの主要な欠点でした。実際、ある日、町の人々が、イエズスを歓迎することを拒みました(ルカ9章54節参照)。そのため、彼らは腹を立て、この町を滅ぼそうとしました。しかし、私たちの主イエズスは、彼らをこうお叱りになりました。「人の子は、魂を滅ぼすためではなく、救うために来たのだ」。言い換えれば、イエズスは、彼らにこう言われたのです。「あなたたちが持っている力や熱意は、あなたたちの勝手な考えや、個人的な願いを満たすために使うのではなく、私の意志に従って、人々を救うために使いなさい」。使徒たちは、この教えを理解し、十分に心を改めたため、聖ヨハネは愛で非常に有名になりました。私たちのすべきこととは、これです。自分の生来の善の傾きがどのように損なわれて、自分の主要な欠点となったかを見て、その後、自分の生来の善の傾きを、私たちの主イエズスに正しく奉仕するように向けることによって、自分の主要な欠点と戦うべきなのです。

結論

親愛なる信者の皆さん、私たちの霊魂において、主の道を正しくしましょう。私たちの主要な欠点をはっきりと特定し、この待降節の間、寛大に、その欠点に取り組みましょう。祝されし御母、私たちの守護聖人、守護天使が、このことにおいて、私たちを助け、導いてくださいますように。


無原罪の御宿りの祝日は、私たちの霊的生活を向上させるために役立つ、五つのポイントを思い起こさせてくれます。

2022年12月23日 | お説教・霊的講話

無原罪の御宿りについての説教

2022年12月4日 ドモルネ神父

はじめに

次の木曜日は、至聖なる童貞マリアの、無原罪の御宿りの祝日をお祝いします。何人かの聖人は、生まれる前に、原罪から清められました。預言者エレミア(エレミア1章5節)、洗者聖ヨハネ、そしておそらく聖ヨゼフがそうでした。このような生まれる前の清めは、偉大な聖人たちのためだけに定められた特別な恩寵です。しかし天主は、童貞聖マリアに対して、さらにそれ以上のことをなさいました。天主は、マリアを原罪から清められたのではなく、原罪から完全に保護なさったのです。マリアは、原罪の汚れなしに宿られたのです。これが、私たちが無原罪の御宿りの特権と呼ぶものです。マリアは、その存在の最初の瞬間から、完全に清らかなお方、聖なるお方、天主の御心にかなうお方だったです。

今日、私は、この特権についての真理とその偉大さ、そして、私たちに実践的に役立ついくつかの考察について、お話ししようと思います。

1.無原罪の御宿りとの真理と卓越性

無原罪の御宿りの特権は使徒たちに啓示され、使徒たちは、この真理をすべてのキリスト教徒に教えました。この使徒たちの教えは、1854年12月8日に至るまで、代々受け継がれてきました。そしてその日、教皇ピオ九世は、無原罪の御宿りの教義を宣言しました。つまり、この特権が存在することと、すべてのカトリック教徒がこれを告白する義務を持つことを、不可謬的に宣言したのです。聖母は、その4年足らず後、ルルドで、聖ベルナデッタに、「私は無原罪の御宿りです」とお告げになることによって、この教義が真理であることを、御自ら確認されました。

この唯一無二の特権は、原罪の直後、天主がサタンに、「彼女はおまえの頭を踏み砕くであろう」(創世記3章15節)とおっしゃることによって、間接的に、それをお告げになっていました。その後、旧約聖書のさまざまな場面で、この特権のしるしが示されました。例えば、ノアの箱舟は、無原罪の御宿りのかたどりです。箱舟を除いて、すべてのものが洪水によって破壊されたように、童貞聖マリアを除いて、すべての人間は原罪に染まっているのです。雅歌の中で、次の言葉は、教会によって、聖母のことを指すものとされています。「Tota pulchra es, amica mea, et macula non est in te」「私の愛する者よ、あなたは、すべてが美しく、何の汚れもない」(雅歌4章7節)。

無原罪の御宿りの特権は、私たちの主イエズス・キリストの功徳によって、マリアに与えられました。他のすべての人々には、贖いの功徳は、私たち人間の本性にある罪によって生じた傷を癒やし、修復するために、薬として与えられます。しかし、マリアには、私たちの主イエズスの功徳が、罪から保護するものとして、与えられました。マリアの霊魂に罪が入り込んだことは、一度としてありませんでした。マリアは、イエズスのように、本当にこうおっしゃれるのです。「この世のかしらは…私に対して何もできぬ」(ヨハネ14章30節)。

天主がマリアに無原罪の御宿りの特権をお与えになったのは、なぜでしょうか? それは、天主がマリアを、ご托身のみ言葉である私たちの主イエズス・キリストの御母となるように、永遠の昔からお定めになっていたからです。マリアは、御子なる天主をそのご胎内に宿され、地上における神性のご聖櫃となられる定めだったのです。さらに、聖母はイエズスに人間の本性をお与えになり、そしてそのため、聖母と聖三位一体の各ペルソナとの間に、極めて特別な関係が確立される定めだったのです。マリアの美しさが、たとえほんの一瞬であっても、原罪によってその輝きを失うなどということが、どうしてあり得るでしょうか? 聖母が、たとえほんの一瞬であっても、悪魔の支配下に置かれるなどということが、どうしてあり得るでしょうか? それは想像もできないことです。ですから、聖母が、常に天主との友情のうちにあり、常に美しく、常に清らかで、常に聖なるお方、天主をお喜ばせするお方であることは、最もふさわしいことだったのです。聖母が、御子なる天主に伝えることとなるべき肉と血を決して損なわれなかったことは、最もふさわしいことだったのです。

そこで今日、童貞聖マリアにこのような卓越した唯一無二の特権をお与えになった聖三位一体を讃美し、感謝しましょう。天におられるすべての聖人たちとともに、天の御母をたたえ、御母とともに喜びましょう。

2.私たちに実践的に役立ついくつかの考察

無原罪の御宿りの祝日は、私たちの霊的生活を向上させるために役立つ、五つのポイントを思い起こさせてくれます。

第一のポイントは、原罪とその結果という現実を思い起こさせてくれることです。原罪のせいで、私たちは皆、地獄行きを宣告され、霊的に弱くなっています。なぜなら、原罪によって、私たちは過ちを犯しやすく、悪意ある行動をとりやすく、情欲に流されやすく、困難に直面したときに臆病になりやすくなったからです。このことを思い起こせば、私たちが謙遜の徳を身につける助けになるはずです。

第二のポイントは、私たちの洗礼を思い起こすことです。天主は、私たちが原罪なくして宿るようにされたのではなく、洗礼を通して、私たちの霊魂をこの罪から清め、悪魔の奴隷状態から解放してくださるのです。この清めは、永遠の命を私たちへと開くものであるため、天主からの最も重要な賜物です。この賜物を受けたことのない人は何百万人もいますが、私たちはそれを受けたのです…。ですから、私たちに対する天主の御あわれみを思い起こし、私たちに洗礼の恩寵をくださったことを、私たちの主イエズスに感謝しましょう。

考察すべき第三のポイントは、童貞聖マリアが、無原罪の御宿りの恩寵に忠実だったことです。マリアは、生涯を通じて、その恩寵をいささかも汚されなかったのです。私たちはどうでしょうか? 私たちは、自分の洗礼の約束に忠実だったでしょうか? そうではありませんでした。私たちの人生のすべての罪を償うことを忘れないようにし、これからは、自分の洗礼の約束に忠実であろうという決心を新たにしましょう。

考察すべき第四のポイントは、童貞聖マリアが、無原罪の御宿りの恩寵を守るために、いかに気をつけておられたかということです。マリアは、原罪とその結果の影響を受けておられませんでした。それにもかかわらず、聖母は、私たちの主イエズスの教えを黙想され、絶えず祈っておられました。私たちの方は、原罪の結果の影響を受けています。私たちは悪に傾きやすく、常に天主のお怒りを招く危険にさらされています。ですから、私たちの主イエズスのご生涯を頻繁に黙想し、一日中、主とともに祈り続けることに、さらにどれほど多くの努力をすべきでしょうか。このことは、私たちが洗礼の恩寵のうちに耐え忍ぶための必要条件なのです。

最後に、マリアは、天主の御母になるように定められていたという理由から、原罪なくして受胎なさったということを考察しましょう。マリアの完全な清らかさは、そのご胎内に私たちの主イエズスを受け入れるための準備でした。このことは、聖体拝領の前に、良い告解によって、自分の心を大罪から清め、心からの痛悔によって、自分の心を小罪から清めることの必要性を、私たちに思い起こさせてくれます。

結論

この一週間は特に、無原罪の御宿りである聖母に、次のようにお願いしましょう。私たちが常に、私たちの主イエズス・キリストにふさわしい生活ができるよう、また私たちが、永遠に主を見て、愛することができるように、天国の聖母のもとに行けるよう、私たちを助けてくださいますように。


ヴィガノ大司教:もしもこのままキリストに立ち返らないならば、悪や嘘や自己崇拝と共存できると思い続けるならば、この世はどれほど悲惨になってしまうでしょうか。

2022年12月23日 | カトリック・ニュースなど

【参考文献】ヴィガノ大司教から「新型コロナ倫理国際医師団」へ。「パンデミックは最初の一歩に過ぎない」

Viganò to Medical Doctors for Covid Ethics International. Pandemic is Only the First Step.

2022年11月22日

マルコ・トサッティ
親愛なるStilum Curiaeの友人と敵の皆さん、「新型コロナ倫理国際医師団」が主催するイベントでカルロ・マリア・ヴィガノ大司教が行ったこの重要な講話に、皆さんが注目していただければと思います。お読みいただいて、広めてください。

§§§

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の発言

新型コロナ倫理国際医師団 2022年11月20日

「新型コロナ倫理国際医師団」(Medical Doctors for Covid Ethics International、略称MD4CE International)は、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教閣下が、現在の世界的危機について私たちと考えを共有してくださったことに感謝申し上げます。この危機は、詐欺的にでっち上げられた新型コロナウイルス感染症のパンデミック緊急事態に始まり、恐怖と恥のプロパガンダを恥じることなく用いた、軍事目的で使えるほどの悪の心理作戦によって支援・維持されています。この緊急事態は、2020年の初めに全世界の疑うことを知らない人々に対して、自国政府によって一斉に放たれ、予想通りの破滅的結果をもたらしました。

同医師団は、世界中の医師、科学者、弁護士、ジャーナリスト、経済学者、歴史家、政治家、哲学者、データ分析家、銀行家、軍事・諜報専門家、その他の人々からなる国際的グループであり、過去3年間に世界中の人々、その家族、地域社会、国に対して起こったことの恐ろしい真実を暴露し、大きな罪を犯した責任者を適切に追及するために、断固たる決意で協力しています。

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教閣下は、前駐米教皇大使(2011年10月19日~2016年4月12日)です。

Abp. Viganò: The COVID pandemic farce served as a trial balloon for the New World Order - LifeSite

親愛なる著名な友人の皆さん、

最初に、スティーブン・フロスト博士が、私に講話をするよう招待してくださったことに感謝させてください。フロスト博士と同じく、皆さんにも感謝申し上げます。サイコパンデミックのプロパガンダと闘う皆さんの献身は賞賛に値するものです。私は、皆さんが自分の理念を貫くために直面した困難についてよく承知しております。また、皆さんを差別し、仕事と給料を奪い、危険な反ワクチン運動家というレッテルを貼った人たちによって、皆さんが受けた損害が十分に修復されるように望んでおります。

現在の世界的危機について、私の考えをお話しし、皆さんと共有できることをうれしく思います。この危機は、パンデミックの緊急事態から始まったと考えることができますが、非常に具体的な目的を持って、何十年にもわたって有名な人々によって計画されてきたことが分かっています。このパンデミックだけにとどまって考えてしまうのは、重大な間違いです。なぜなら、そうしてしまうと私たちは、このような事件を完全に首尾一貫して、また相互に関連させて考えることができないため、これらの事件を理解することができず、とりわけその背後にある犯罪的意図を特定することができなくなるからです。皆さんも、医学、科学、法律、その他の分野でそれぞれの専門性をお持ちだと思いますが、極めて特殊な自分の専門分野に限定してしまうと、政府、国際機関、製薬会社が行った特定の選択の根拠を十分に説明できない場合があることに同意していただけると思います。例えば、実験用血清の接種を受けた人の血液から「グラフェンのような」物質が見つかったとしても、ウイルス学者にとっては意味がありません。しかし、グラフェンの用途を理解しているナノマテリアルとナノテクノロジーの専門家にとっては意味があります。また、医療特許の専門家であれば、発明の内容を即座に把握し、他の類似特許との関連付けを行うことも可能です。また、強化人間 enhanced man(英国防省の文書では、トランスヒューマン用語で「拡張人間 augmented man」)の研究を知っている戦争技術の専門家にとっても意味のあることであり、そのため、グラフェン・ナノ構造体に軍人の戦闘能力を増強する技術を認識することができるのです。そして、遠隔医療の専門家は、このナノ構造体の中に、生体パラメーターを患者管理サーバーに送信したり、さらにそのサーバーから特定の信号を受信したりするのに不可欠なデバイスを認識することができるでしょう。

もう一度申し上げますが、医学的見地から事象を評価するには、ある種の選択をしたことの法的な意味を考慮する必要があります。たとえば、市民の基本的権利を侵害する形で行われたマスクの押しつけや、さらに悪いことには集団「ワクチン接種」といったものです。また、健康管理の分野では、病気や治療法の分類コードの操作も出てくることでしょう。これは、新型コロナウイルス感染症用の措置による有害な影響を追跡できないように設計されたものであって、集中治療室で人工呼吸器をつけさせることから待機観察プロトコル(watchful waiting protocol)にまで至るものであります。また言うまでもないことですが、欧州委員会(European Commission)によるスキャンダラスな規則違反も同じです。同委員会は、ご存じのように、健康分野では欧州議会から委任を受けておらず、また、公的機関ではなく、むしろ民間の企業連合なのですから。

つい数日前、G20バリ・サミットで、クラウス・シュワブは各国首脳(ほとんどが世界経済フォーラムの「ヤング・グローバル・リーダー」プログラム出身者)に、世界政府の樹立を考慮した将来へのステップについて指示しました。巨大な経済力を持つ非常に強力な民間組織の会長が、世界各国の政府に対して不当な権力を行使し、政治指導者からの服従を得ているのですが、これらの指導者たちは自分の国をエリートの権力妄想に従わせるなどという委託は国民から受けていません。

この事実は、前例のない重大さです。クラウス・シュワブはこう言っています。「第四次産業革命では、勝者がすべてを手に入れます。ですから、もし皆さんが世界経済フォーラムの先発者であれば、皆さんが勝者なのです」(こちら)。

この極めて重大な発言には二つの意味があります。一つ目は、「勝者がすべてを手に入れます」、「勝者」になるということですが、どのような立場で、誰の許可を得てかは不明です。二つ目は、この「第四次産業革命」に適応しない者は、気がつけば追い落とされ、失う――自分の自由を含めて、すべてを失うことになる、ということです。要するに、クラウス・シュワブは、世界の先進20カ国の政府首脳に対して、「グレート・リセット」のプログラム上のポイントを自国内で実行するように脅しているのです。これは、パンデミックの域をはるかに超えています。世界的なクーデターであり、これに対して人々が立ち上がり、まだ健全な国家機関が国際的な法的プロセスを開始することが不可欠です。世界経済フォーラムは破壊転覆的なプロジェクトを実行することができ、国々を統治する人々は皆、この国際マフィアの奴隷になってしまったかあるいは脅迫されているかのどちらかですから、この脅威は差し迫った深刻なものなのです。

これらの発言、そしてシュワブのアドバイザーであるユヴァル・ノア・ハラリに劣らず妄想的な他の人々の発言に照らせば、パンデミックの茶番劇が、統制や強制的な措置、個人の自由の縮小、失業や貧困の増加のための観測気球としていかに機能したかが理解できるでしょう。次のステップは、経済危機とエネルギー危機によって実行されなければなりません。これらの危機は、グローバリスト・エリートの手中にある統率された政府の確立のための道具なのです。

親愛なる友人の皆さん、ここで、私は司教としてお話しさせていただきます。なぜなら、私たちが目撃し、これからも目撃し続けるこの一連の出来事において、その本質的な霊的性質を見ることができていないという事実によって、皆さんの取り組みが妨げられたり、制限されたりする危険性があるからです。

私は、2世紀にわたる啓蒙思想、革命、無神論的唯物論、反宗教的自由主義によって、信仰を個人の問題とみなすこと、あるいは、私たち全員が適合しなければならない客観的真理が存在しないと考えることに慣らされてきたことを知っています。しかし、これは、今日起こっていることのずっと前に起こった、準備としての教え込みの結果であり、18世紀の秘密結社やメーソンなどのグループを動かしていた反キリスト教的イデオロギーが、今日のクラウス・シュワブ、ジョージ・ソロス、ビル・ゲイツのような人々を動かしている反キリスト教的イデオロギーと何の関係もないと信じるのは愚かなことです。動かしている原則は同じです。天主への反逆、教会と人類への憎悪、そして被造物、特に天主の像と似姿として創造されたがゆえの人間に対する破壊的な怒りです。

この明白な証拠から出発すれば、私たちの目の前で起こっていることが、利益追求や権力欲だけの結果であるかのように装うことは不可能であることが理解できるはずです。確かに、世界経済フォーラムにどれだけ多くの人が協力してきたかを考えれば、経済的な部分を無視することはできません。しかし、利益以上に、言及できない目的があるのです。それは、「神学的」な考え方(さかさまになったものですが、それでも確かに神学的な考え方)、つまり、キリストの側と反キリストの側という二つの対立する側を認めるという考え方に由来する目的なのです。

中立はあり得ません。二つの軍隊の間に衝突があるとき、戦わないことを選択する者もまた、戦いの結果に影響を与える選択をすることになるからです。一方、創造主が自然の中に置かれた見事な秩序(星座から原子の粒子に至るまで)を皆さんの高貴で高尚な医療業に認めながら、人間もまた、その道徳観、法律、文化、発見物とともにこの秩序の一部であるということを否定することが、どうしてできるでしょうか? 天主の被造物である人間が、永遠で完全な法に従わないでいると思い込むことが、どうしてできるでしょうか?

私たちが戦うのは、血肉でできた被造物ではなく、権勢と能力、この世の闇の支配者、天界の悪霊だからです(エフェゾ6章12節)。

一方には、聖アウグスティヌスが書いているところの「天主の国」(City of God)があり、他方には「悪魔の国」(city of the devil)があります。私たちは、次のように言うことができるでしょう。この時代、悪魔の国とは、新マルサス主義のグローバリズム、新世界秩序、国連、世界経済フォーラム、欧州連合、世界銀行、国際通貨基金、そして死と病気と破壊と専制政治の思想に従ういわゆる「慈善財団」と明確に特定できる、と。また、ディープ・ステートやディープ・チャーチと呼ばれる組織に潜入している勢力とも特定できる、と。

他の面では、「天主の国」を特定することは、もっと困難であることを認識しなければなりません。宗教の権威者たちでさえ、信者を導くという役割を裏切って、権力に奉仕し、嘘を広めることを好んでいるように見えます。霊魂を保護し聖化すべき人々が、善きキリスト教徒を硬直した原理主義者と呼んで、霊魂を散らし、つまずかせているのです。お分かりのように、攻撃はいくつかの面に及んでいるため、肉体と霊魂の両方を攻撃する、人類にとって致命的な脅威となっているのです。

しかし、宗教的な領域でも現世的な領域でも、権威ある基準点を見いだすことが困難な時であるからこそ、事件の展開の背後にある犯罪心理を理解し、目を開き、認識する人々がますます増えているのです。「陰謀論者」と呼ぶ人々を退けるまでもなく、すべてがつながっていることは明らかです。陰謀はすでにそこにあります。私たちは、その陰謀を考え出しているのではなく、ただそれを非難し、人々がこの自殺的な麻薬中毒から目を覚まして、誰かが世界的なクーデターに終止符を打つよう要求するよう願っているだけなのです。

この社会工学と大衆操作の作戦が疑う余地なく証明しているのは、この犯罪が計画的なものであること、またこの犯罪が現在展開されている紛争についての「霊的な」考え方といかに一致しているかということです。天主の属性である真理は、誤謬によって取り消されることはあり得ず、命は死によって打ち負かされることはあり得ません。思い起こしてください。ご自身のことを「私は道であり、真理であり、命である」と言われた主が、すでにサタンを打ち負かしておられることを。また、残りの戦いはただ、正しい選択をする機会、キリストの御旗の下に、善の側に立つ行動をするように選択する機会を私たちに与えるだけある、と思い起こしてください。

皆さんの行っておられるこの偉大な仕事がやがて期待通りの実を結ぶことを私は信じております。もしもこのまま私たちがキリストに立ち返らないならば、もしもこのまま悪や嘘や自己崇拝と共存できると思い続けるならば、この世がどれほど悲惨になってしまうかを私たちは見ることになるでしょう。しかし、そのような試練の時は、皆さんの仕事の実りで終止符を打つだろうと信じます。

結局のところ、天主の国とは、天主への愛において生き、自制し、この世を軽蔑する人々のモデルであり、悪魔の国とは、自己愛に生き、この世に迎合し、天主を侮る人々のモデルなのです。

皆さんのご清聴に感謝するとともに、皆さん全員に祝福をお送りします。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

英語版
https://www.marcotosatti.com/2022/11/22/vigano-to-medical-doctors-for-covid-ethics-international-pandemic-is-only-the-first-step/

イタリア語版
https://www.stilumcuriae.com/vigano-ai-medici-di-covid-ethics-international-la-pandemia-e-solo-il-primo-passo


【カトリック聖伝のミサ】【修正あり】2022年クリスマスから年末年始のミサの予定

2022年12月22日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
クリスマスから年末年始のミサの予定をお知らせいたします。

 12月16日(金) 【修道院】06:45 ミサ聖祭、【大 阪】18:00 ミサ聖祭、
 12月17日(土) 【大 阪】10:30 ミサ聖祭、【修道院】11:00 ミサ聖祭
 12月18日(日) 【東 京】09:00, 11:30 ミサ聖祭【大 阪】10:30 ミサ聖祭【名古屋】17:30 ミサ聖祭
 12月19日(月) 【修道院】06:45 ミサ聖祭(!!)
 12月20日(火) 【修道院】07:15 ミサ聖祭
 12月21日(水) 【修道院】07:15 ミサ聖祭
 12月22日(木) 【修道院】07:15 ミサ聖祭
 12月23日(金) 【修道院】06:45 ミサ聖祭、【大 阪】18:00 ミサ聖祭、
 12月24日(土) 【大 阪】10:30 ミサ聖祭、21:00 御降誕の朝課、24:00 主の御降誕のミサ聖祭および賛課
 12月25日(日) 【東 京】09:00, 11:30 ミサ聖祭【大 阪】18:00 ミサ聖祭
 12月26日(月) 【大 阪】06:30 ミサ聖祭
 12月27日(火)  --😓--
 12月28日(水)  --😓--
 12月29日(木) 【修道院】07:15 ミサ聖祭
 12月30日(金) 【修道院】07:15 ミサ聖祭
 12月31日(土) 【修道院】11:00 ミサ聖祭

2023年
 1月01日(日) 【東 京】09:00, 11:30 ミサ聖祭【大 阪】18:00 ミサ聖祭
 1月02日(月) 【大 阪】10:30 ミサ聖祭
 1月03日(火) 【修道院】11:00 ミサ聖祭
 1月04日(水) 【修道院】07:15 ミサ聖祭
 1月05日(木) 【修道院】07:15 ミサ聖祭
 1月06日(金) 【修道院】07:15 ミサ聖祭
 1月07日(土) 【修道院】11:00 ミサ聖祭
 1月08日(日) 【東 京】09:00, 11:30 ミサ聖祭【大 阪】18:00 ミサ聖祭
 1月09日(月) 【大 阪】06:30 ミサ聖祭
 1月10日(火) 【修道院】11:00 ミサ聖祭
 1月11日(水) 【修道院】07:15 ミサ聖祭
 1月12日(木) 【修道院】07:15 ミサ聖祭

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 :JR「新大阪駅」より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分

 12月23日(金)【大阪】18:00 ミサ聖祭
 12月24日(土)【大阪】10:30 ミサ聖祭、21:00 御降誕の朝課、24:00 主の御降誕のミサ聖祭および賛課
 12月25日(日) 【大阪】18:00 ミサ聖祭
 12月26日(月) 【大阪】06:30 ミサ聖祭

2023年
 1月01日(日) 【大阪】18:00 ミサ聖祭
 1月02日(月) 【大阪】10:30 ミサ聖祭

 1月08日(日)  【大阪】18:00 ミサ聖祭
 1月09日(月)  【大阪】08:00 ミサ聖祭

◎お知らせ:大阪の聖堂では、2023年から
通常の金曜日のミサの時間が午後6時から午後6時30分【初金曜日の御聖体顕示による聖時間はミサのまえの午後5時20分から午後6時20分】に、
通常の土曜日のミサの時間が午前10時30分から午前8時に【毎週土曜日はこれまで通りミサの後に御聖体顕示式があります】変更される予定です。【1月28日は大阪の聖堂にフェレー司教様が来られるのでいつもの通りの午前10時30分を予定しています。】

今年(2022年)中は、ミサ聖祭は今まで通りの時間です。

◎また、コロナ感染の収束を祈願して毎週主日に午前のミサの直後に必ず行っていました聖体顕示式は、コロナ騒動も落ち着きを見ましたので先日の12月11日の主日をもって終了いたします。
主日における御聖体顕示式は、特別な祝日(例えば、御聖体の荘厳祭や王たるキリストの祝日など)にはこれまでのように行いますので、ご安心ください。

【東京】

 12月25日(日) 【東京】09:00, 11:30 ミサ聖祭:入谷ホール2F(会場にご注意ください https://goo.gl/maps/FSsNuh45xtf96og69

2023年
 1月01日(日) 【東京】09:00, 11:30 ミサ聖祭:入谷ホール2F(会場にご注意ください https://goo.gl/maps/FSsNuh45xtf96og69

 1月08日(日)  【東京】09:00, 11:30 ミサ聖祭:曙町会館(https://goo.gl/maps/xKtKk86q54rGTYX39

【名古屋】愛知県名古屋市中村区名駅南1-3-14 石原ビル6階
12月18日(日) 17:30(午後5時半) ミサ聖祭

My dearest Brethren!
I would like to inform you about the Mass schedule for Christmas and New Year.

+++ Mass schedule in TOKYO +++

December 25: Nativity of Our Lord: Mass Location 2nd Floor at IRIYA HALL (only for Christmasand the New Year Day)
https://goo.gl/maps/FSsNuh45xtf96og69
09:00 - Sung Mass
11:30 - Low Mass

January 1st, 2023: Octave of the Nativity of Our Lord: Mass Location 2nd Floor at IRIYA HALL (only for Christmasand the New Year Day)
https://goo.gl/maps/FSsNuh45xtf96og69
09:00 - Sung Mass
11:30 - Low Mass

January 8 (Sunday) Mass location: "Holy Japanese Martyrs' Mass Center", Akebonocho Jido-kaikan, 1-12-5 Honkomagome, Bunkyo-ku, Tokyo, (https://goo.gl/maps/xKtKk86q54rGTYX39
09:00 - Sung Mass
11:30 - Low Mass

+++ Mass schedule in OSAKA +++

Fri, December 23: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00
Sat, December 24: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30; Matines at 21:00,
Sun, December 25: Midnight Mass of Nativity at 00:00, and at 18:00
Mon, December 26: Holy Sacrifice of the Mass at 06:30 am.

New Year 2023
Sun, Jan 1: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00
Mon, Jan 2: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Sun, Jan 8: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00
Mon, Jan 9: Holy Sacrifice of the Mass at 08:00

+++ Mass schedule in NAGOYA +++

Sun, Dec 18: Holy Sacrifice of the Mass at 17:30


聖ベルナルドは、私たちの主イエズス・キリストのご来臨を、三つに区別しています。この三つのご来臨について、考察してみましょう。

2022年12月22日 | お説教・霊的講話

私たちの主イエズス・キリストの三つのご来臨についての説教

2022年11月27日 ドモルネ神父

はじめに

聖ベルナルドは、私たちの主イエズス・キリストのご来臨を、三つに区別しています。主がベトレヘムで、人間の本性をもってお生まれになった、地上へのご来臨、恩寵によって私たちの霊魂のうちへ来られる、霊的なご来臨、そして、時の終わりにすべての人を裁くために来られる、栄光のご来臨です。第一のご来臨は、謙遜で隠されたものでした。第二のご来臨は、神秘的で愛に満ちたものです。第三のご来臨は、栄光あるものであり、かつ恐ろしいものです。第二のご来臨は、第一のご来臨の実であり、また第三のご来臨に向けて、私たちを準備するものです。今日は、この三つのご来臨について、簡単に考察してみましょう。

1.私たちの主イエズス・キリストの人間としてのご生涯における第一のご来臨

私たちの主イエズス・キリストの第一のご来臨は、主の地上でのご誕生とご生涯です。イエズスは、御子なる天主であり、天主の第二のペルソナです。主は私たちと同じ人間の本性をお取りになり、ベトレヘムで童貞聖マリアからお生まれになりました。そうして、天地の創造主である天主が、御自ら目に見える姿で、33年間、人間の中でお暮らしになりました。なぜ、主はこの地上に来られたのでしょうか? 皆さんは、もうご存じでしょう。アダムとエワは、最も重い罪を犯したため、自ら天主から離れてしまいました。その結果、彼らは、天主が自分たちに、また全人類に与えると約束なさった永遠の幸福を失ってしまい、全人類は地獄行きの宣告を受けたのです。その時から今日まで、無知と邪悪と道徳的腐敗が、人間社会全体に影響を与え続けてきたのです。

そこで、私たちの主イエズスが、私たちを、地獄と、私たち自身の邪悪な行いから救うために、来られたのです。主が来られたのは、天主についての真理、私たちの存在理由、そして、物事の善悪を、私たちに教えられるためでした。主が来られたのは、私たちの代わりに私たちの罪を償ってくださり、私たちが霊魂を清め、聖なる生活を送るための手段を、私たちに与えてくださるためでした。主が来られたのは、永遠の命と祝福に入るための力を、私たちに戻してくださるためでした。聖ヨハネは、こう言っています。「その方を受け入れた人々にはみな、天主の子となる力を授けた」(ヨハネ1章12節)。

私たちの主イエズス・キリストの、この第一のご来臨は、地上に光と平和と救いをもたらしました。この第一のご来臨は、童貞聖マリアを通してなされ、ご聖体を通して続けられています。ですから、イエズスを探し求めるすべての人は、童貞聖マリアとご聖体に目を向けましょう。主を、主の光と平和と救いと共に見いだすのは、特に、童貞聖マリアと、ご聖体においてです。

2.第二のご来臨:私たちの霊魂のうちへの私たちの主のご来臨

私たちの主イエズス・キリストの第二のご来臨は、第一のご来臨に続くものです。私たちの主の第二のご来臨は、私たちの霊魂へのご来臨です。私たちの主イエズスは、すべての人を永遠の命に招いておられます。主は、すべての人に対して、永遠の命を得るための手段を与えてくださいます。しかし、主は、それを誰にも強制はなさいません。この命を得るためには、誰もが、主を信じることによって、知性において主をお迎えし、主を愛することによって、心に主をお迎えし、洗礼を通して成聖の恩寵を受けることによって、霊魂において主をお迎えするという選択をしなければなりません。成聖の恩寵とは、私たちが天主の命にあずかり、その命が私たちに伝えられることです。私たちが成聖の恩寵を持てば、イエズスが私たちのうちに来られ、私たちを聖三位一体と一致させてくださいます。これは、霊的かつ神秘的なご来臨ですが、現実のものなのです。私たちの主が、主をお迎えする人々について、御父に語られた言葉を思い出してください。「私は、あなたの与え給うた栄光を、彼らに与えました。私たちが一つであるように彼らも一つであるように」(ヨハネ17章22節)。そしてまた 「あなたが私を愛されたその愛が、彼らにもありますように。また、私が彼らの中にいるように、私は御名を知らせ、また知らせましょう」(ヨハネ17章26節)。

私たちの主イエズス・キリストの、この第二のご来臨は、特に霊魂に、光と平和と救いをもたらします。これは、至聖なる童貞マリアを通してなされます。実際、イエズスがご自分のすべての恩寵を私たちに伝達されるのは、マリアを通してなのです。私たちの霊魂のうちへのこのイエズスのご来臨は、聖体拝領によって、強められ、増大されます。イエズスの次の言葉を思い出してください。「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私に宿り、私もまたその者のうちに宿る」(ヨハネ6章56節)。ですから、マリアへの大きな信心を育み、頻繁にご聖体を受ける人は幸いです。それによって、イエズスとの一致がますます強くなるからです。

3.第三の来臨:私たちの主の時の終わりにおける来臨

私たちの主イエズス・キリストの第三のご来臨は、その前の二つのご来臨を締めくくるものです。世の終わりに、イエズスは、正義を実現するために、目に見える形で、大きな力と御稜威(みいつ)をもって、地上に戻って来られます。実際、私たちの根本的な存在理由は、天主を知り、天主を愛し、天主に仕えることです。そして、これは、私たちの主イエズスのみを通じて、なされなければなりません。ですから、私たちの主は、すべての人間を裁かれ、ご自分と一致した人を恩寵によって永遠の命に導かれ、他方、それ以外の者たちを捨てられ、悪魔の力にお委ねになるのです。

この日は、罪人たちにとっては恐ろしい日となりますが、天主の子らにとっては素晴らしい日となるでしょう。教会は、正義に飢え渇いているため、この日を切に待ち望んでいます。この日は実際、天主をあざけったり軽蔑したりするすべての人々の終わりとなり、私たちの主イエズス、聖母や聖人たちを冒涜するすべての人々の終わりとなり、あらゆる不正とあらゆる種類の罪の地上での終わりとなり、悪人たちによる私たちの主の弟子たちに対するあらゆる迫害の終わりとなるでしょう。この日、童貞聖マリアは、御自ら次のように言われたように、永遠の命にお導きになったすべての子らに囲まれることでしょう。「私のいうことを聞く人は幸いである。…私を見いだす人は命を見いだし、主の救いを得る」(箴言8章34-35節)。この日、ご聖体は、イエズスの御約束に従って、その最後の実を結ぶでしょう。「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を有する」(ヨハネ6章54節)。

結論

親愛なる信者の皆さん、教会は今日、私たちに最後の審判を思い起こさせ、そのための準備をするように勧めています。私たちの主の三つのご来臨の驚くべき論理を見てください。第一のご来臨では、イエズスは、私たちのもとへと、地上に降りて来られます。第二のご来臨では、主は、私たちのうちにとどまり、私たちを天主のもとへと引き上げてくださいます。第三のご来臨では、主は、私たちを天主の幸福の充満へと導いてくださいます。この第三のご来臨は、最初の二つのご来臨によって、実現されるものです。ですから、私たちが最後の審判の準備をするのは、単純なことです。私たちは、地上の人生の間、私たちの主を、私たちの心、私たちの家族、私たちの社会にお迎えしなければなりません。そうすれば、最後の審判の時に、イエズスは、私たちを迎えてくださることでしょう。「私の父に祝せられた者よ、来て、世の始めからあなたたちのために備えられていた国を受けよ」(マテオ25章34節)。


私たちが地獄の罰から逃れたいのなら、私たちは、罪と、私たちを罪に陥らせるすべてのものから、遠ざかっていなければならない

2022年12月22日 | お説教・霊的講話

罪の機会についての説教

2022年11月20日 ドモルネ神父

はじめに

今日のミサの福音には、西暦70年のエルザレム滅亡に関する、私たちの主イエズスの預言があります。エルザレムはローマ軍によって破壊され、数十万人のユダヤ人が殺されました。これは、私たちの主イエズス・キリストの神性を信じず、天主殺しの罪を犯したことに対する罰でした。イエズスはまた、終末の時代における世界の滅亡を預言されました。これは、地上の人間が犯す非常に多くの罪に対する罰です。これら二つの滅亡は、罪に対する罰であり、大罪を犯しても、心から悔い改めようとはしない人々を襲う恐ろしい罰、つまり地獄の、ごく小さな象徴なのです。

私たちの主は、弟子たちに、エルザレムの滅亡から逃れるために、そこから逃げるように忠告されました。「ユダヤにいる者は山に逃げよ」(マテオ24章16節)。私たちの主は、私たちにも、同じことを言われます。私たちが地獄の罰から逃れたいのなら、私たちは、罪と、私たちを罪に陥らせるすべてのものから、遠ざかっていなければならない、と。今日は、罪の機会から遠ざかっている、ということについてお話しします。

1.「罪の機会」という概念

この「罪の機会」という言葉は、どういう意味でしょうか? それは、私たちのうちに罪深い考えを起こさせたり、私たちが罪を犯すように仕向けたりする、あらゆる状況、あらゆる外的なもの、あらゆる人、あらゆる場所のことを意味します。例えば、私たちを欲望や中傷の罪へと導く人と一緒に時を過ごすことや、カトリックではない宗教に積極的に参加するように導く集会などがそうです。

罪の機会がすべて、同じ強さで、私たちを罪へと導くわけではありません。私たちを罪へと少し導くような、つまり、私たちが罪に陥る危険性が小さい、罪の機会もあります。私たちはそれを、「遠い罪の機会」と呼んでいます。例えば、宴会に出れば、時折、酒酔いの罪に陥ってしまう人のことを考えてみてください。そうすると、この人にとって、宴会に出ることは、「遠い罪の機会」になります。

罪の機会の中には、私たちを罪へと強く導くような、つまり、そのような機会にさらされると、私たちが罪に陥る危険性が高いものがあります。私たちはそれを、「近い罪の機会」と呼んでいます。例えば、ネットサーフィンをすると、そのうち、しばしば不純な映画を見てしまう人のことを考えてみてください。この人にとって、ネットサーフィンは、「近い罪の機会」なのです。

ある種の罪の機会は、誰にとっても、罪の機会となります。例えば、みだらな本や異端的な本は、誰にとっても、「近い罪の機会」です。またある種の罪は、当人の感じ方や性格によって、その人にとってのみ、罪の機会となります。例えば、自分のお金を浪費しなくてもギャンブルできる人もいれば、それができない人もいるのです。

2.罪の機会から逃れる必要性

罪の機会、特に私たちを大罪に導くような罪の機会から、いつも遠ざかっておくことが必要です。預言者エレミアは、「バビロンから逃げ、おのおの、その命を救え」と言っています。バビロンは不義の場所を象徴しています(エレミア51章6節)。預言者イザヤは、こう言っています。「外へ、外へ、そこを出よ、汚れたものに触れるな! その中から出よ」(イザヤ52章11節)。大罪より劇的なものはありません。大罪は、天主に対する重大な侮辱であり、私たちの主イエズスの恐ろしいご受難の原因であり、私たちを永遠に地獄に行かせるものです。ですから、私たちは、大罪を注意深く避けなければなりませんし、私たちを大罪に導くあらゆるものから遠ざかっておかなければなりません。罪の機会から遠ざかっておかないということは、罪を犯そうと間接的に望むことと同じです。ですから、「近い大罪の機会」から遠ざかっていることを望まない人は、その罪を、赦されることができません。その人は、自分の罪を、本当に悔い改めていないのです。例えば、同棲生活を送っていて、それを終わらせたくない人がそうです。

「遠い罪の機会」から遠ざかっていることは、厳格な義務ではありません。しかし、もちろん、そうすることが、強く勧められます。ですから、例えば、ある人にとって、宴会に出ることが酒酔いの遠い機会であるなら、その人は、宴会を避けることが勧められます。

「近い罪の機会」を避けることは、厳格な義務です。聖書の中で、聖霊はこのように警告されています。「危険を好む者は、その中で滅びる」(集会書3章27節)。「松やにに触れる者は、それで汚される」(集会書13章1節)。エワが、すぐに蛇から目をそらさなかったため、不従順の罪に陥ったこと、また、聖なるダヴィド王が、水浴びをするベトサベアから目をそらさなかったため、姦淫の罪を犯したこと、そして、最も賢明なソロモン王が、異教徒の女たちと結婚したため、偶像崇拝の罪を犯したことを、思い出してください。

3.罪の機会から逃れる方法

罪の機会は、速やかに、勇気をもって、絶えず、避けなければなりません。私たちの主の言葉を思い出してください。「右の目がつまずきになるなら、抜き出して捨てよ。あなたにとっては、全身が地獄に投げ込まれるより、体の一部を失う方がましである。右の手がつまずきになるなら、切り捨てよ、全身が地獄に行くより、体の一部を失う方がましである」(マテオ5章29-30節)。

ある日、ドミニコ会の聖なる修道女が、私たちの主の言葉に、文字通りに従いました。あるスペインの王が、この修道女を見て、恋に落ちました。王は、彼女の目の美しさに心を奪われたと、彼女に告げました。修道女は、自分の置かれている危機を理解し、英雄的な決断を下しました。彼女は、自分の両目を抜き出して、こう言って、それを王に送ったのです。「これが、あなたをそれほどまでにお喜ばした両目です。しかし、どうか、私が長い間、主にお捧げしてきた私の貞潔の宝を、私の主イエズスにお引き渡しください」。

結論

親愛なる信者の皆さん、この修道女は英雄的でした。何が、彼女にそのような行動をとらせたのでしょうか? イエズスとマリアへの激しい愛と、お二方を侮辱したくないという固い意志です。私たちが、私たちの主イエズスと、私たちの母マリアを心から愛しているならば、私たちのうちに罪深い思いを起こさせたり、私たちが罪を犯すように仕向けたりする、あらゆる状況、あらゆる外的な対象、あらゆる人や物や場所を、私たちの生活から排除すべきです。今日、自分の良心を調べ、私たちの生活の中に、「近い罪の機会」があるかどうかを確認しましょう。もしそのような機会があるなら、そこから速やかに、勇気をもって、絶えず、遠ざかっている決心を固めましょう。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】