Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

カトリック司祭とは一体何か?いけにえを捧げるために天主に聖別された人か?それとも??

2007年07月06日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

カトリック司祭とは一体何か?
いけにえを捧げるために天主に聖別された人か?
それとも??


カトリック新聞「〝宣教する〟山口ブラザーズバンド神父ら 本格デビュー
東京・高円寺のライブハウス」
より

 音楽を通じての宣教活動を目指す、東京・赤羽教会の音楽グループ「山口ブラザーズバンド」(以下・YBB)が6月22日、東京・高円寺のライブハウスに出演。

 YBBは、街の若者を対象に〝宣教するバンド〟として本格的にライブハウスに飛び込んだ。


山口神父(左から2人目)はローマンカラーで登場

 会場では若者たちが思い思いに酒やタバコを手にステージを眺める。

 その中を、YBBメンバーの山口雅稔神父(36/コンベンツアル聖フランシスコ修道会)がギターを手に、ローマンカラーの司祭服姿で登場。あえて司祭服を身に着けたのは、若者たちが教会に来るのを待っているのではなく、信仰による音の力を信じて、自分たちが若者たちに〝教会を〟届けようという意気込みの表れだ。

8月には、東京の大塚や代官山のライブハウスでの〝宣教演奏〟も計画している。

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聖ピオ十世会韓国のホームページ
トレント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

カトリック典礼が普通に有するべき三つの性質:新しいミサはこの三つの特徴を満たすか?

2007年07月06日 | ミサ聖祭
アヴェ・マリア!

カトリック典礼が普通に有するべき三つの性質

 聖ピオ十世は、聖楽に関する自発教令『Inter Pastoralis Officii』(MOTU PROPRIO "TRA LE SOLLECITUDINI" SULLA MUSICA SACRA)1903年11月22日において、カトリック典礼の持つ固有の特質(le qualita che sono proprie della liturgia)について三つを挙げている。
【イタリア語版は次のバチカン・サイトを参照のこと。TRA LE SOLLECITUDINI

(1)カトリック典礼の最初の特質は「聖性」(santita)である。「聖でなければならない。それで、一切の俗的事物を駆逐しなければならない。」(Deve essere santa, e quindi escludere ogni profanita)
 つまり、天と永遠の真理にかんすることから、この世の世俗の染みがないように一切駆除し、純粋に天上のこと、天主のこと、永遠のことへと向かっていなければならない。

(2)第二に「佳良な形式」(la bonta delle forme)を有し、「真の芸術でなければならない。」(Deve essere arte vera)
 つまり、最善で最高の美の表現であり形式でなければならない。その動き、その跪き、その立ち振る舞い、その音楽、その崇高なラテン語での祈り、その優雅な典礼様式は、真の芸術美を持っていなければならない。

(3)第三の条件は「普遍性」(l'universalita)である。「普遍的でなければならない。」(dovra insieme essere universale)
 つまり、ピオ十二世教皇様の言ったように「教会のカトリック的な一致を明らかにするもの」(『メディアトル・デイ』)である。つまり、地方ごとにやり方が違っていたり、またその日によっていつも新しいものが導入されたりしてはいけない。太陽の昇るところから日の沈むところまで、永遠の天主の聖名に永遠恒久を繁栄する普遍な典礼が捧げられて当然であり普通であるべきである。


 ピオ十二世教皇様は、聖ピオ十世の言っていることを確認してこう言う。「私の先任者ピオ十世が述べた三つの特徴は、全ての典礼奉仕を飾るべきである。つまり、世俗の影響を忌み嫌う聖性、真の正真正銘の芸術が持ち高める高貴さ、地方の正当な習慣を守りながらも教会のカトリック的な一定を明らかにする普遍性である。」

"188. Three characteristics of which Our predecessor Pius X spoke should adorn all liturgical services: sacredness, which abhors any profane influence; nobility, which true and genuine arts should serve and foster; and universality, which, while safeguarding local and legitimate custom, reveals the catholic unity of the Church."
Mediator Dei

 そして、そのためにこそ言語もラテン語であるべきであるし、典礼音楽もグレゴリオ聖歌であるべきだ。

「ラテン語の使用は、教会の極めて重大な部分の慣習であり、一致の明らかで美しいしるしであると同時に教義上の真理が腐敗することからの効果的な対抗策である。」(ピオ十二世『メディアトル・デイ』)

60. The use of the Latin language, customary in a considerable portion of the Church, is a manifest and beautiful sign of unity, as well as an effective antidote for any corruption of doctrinal truth.
『メディアトル・デイ』
Mediator Dei

 「典礼の自己破壊」(ベネディクト十六世)である新しいミサは、一体上の三つの特徴を満たしているのだろうか? 人間中心の騒がしい新しいミサが? 手による聖体拝領の新しいミサが? 常に実験を導入し、教区ごとに司祭ごとにやり方が違う新しいミサが? インカルチャレーションとカリスマ運動とエキュメニズムの新しいミサが? カトリック典礼が普通に有するべき三つの性質を満足させることができない例外的で特別な(extra-ordinary)新しいミサが、何故、一体何故、カトリックの普通の典礼様式(ordinary rite)となりうることができるのだろうか?

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