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ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム』に関する日本語の記事

2007年07月10日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム』に関する日本語の記事を幾つか紹介します。
 くわしくはリンク先をお読み下さい。

ローマ法王、伝統的ラテン語ミサの自由化を許可
2007年07月08日 19:33 発信地:バチカン/バチカン市国


【7月8日 AFP】ローマ法王ベネディクト16世(Pope Benedict XVI)は7日、ローマカトリック教会(Roman Catholic Church)での数十年にわたる分裂に終止符を打つべく、伝統的ラテン語ミサの自由化を認める自発教令を公布した。


1970年以前のローマ・ミサ典書の使用についての教皇自発教令
(2007.7.7)


 教皇ベネディクト16世は、7日、使徒的書簡「1970年の改革以前のローマ・ミサ典書の使用についての自発教令」を発表された。

 この使徒的書簡に記された自発教令「スンモルム・ポンティフクム」は、教会内の「和解」を目的に、1962年福者教皇ヨハネ23世によって発行されたローマ・ミサ典書、すなわち第2バチカン公会議による典礼改革以前のラテン語による最後のミサ典書の使用についての規範を示すもの。

 教皇は同教令に併せて、この教令の意図するところとその精神を詳しく記した手紙を全世界の司教に宛てて送られた。・・・

 一方、聖ピオ5世によって公布され福者ヨハネ23世によって改版されたミサ典書は決して廃止されていないことを教皇は指摘しつつ、これを特別形式と見なすとしている。これは「唯一のローマ典礼の2つの使用」であり、これによって「信仰の規範」が分かたれることは決してないことを教皇は強調されている。

 この原則のもと、教皇はカトリック・ラテン典礼の司祭が会衆なしでミサを捧げる時は、許可を必要とせずに、聖なる三日間以外は1962年のヨハネ23世のミサ典書または1970年のパウロ6世のミサ典書のどちらを使用してもよい、とするほか、修道会や共同体などにおいても同様のことを可能(ただしそれを常用化する場合などは長上の判断が必要)としている。・・・


ミサ典書についての自発教令:教皇の司教たちへの書簡(2007.7.8)

 教皇ベネディクト16世は、使徒的書簡「1970年の改革以前のローマ・ミサ典書の使用についての自発教令」の発布にあたり、世界のすべての司教に宛て、この教令を発するに至った理由およびその根底にある精神を説明する書簡を発表された。

 「私は大きな信頼と希望を持ってこの使徒的書簡を司牧者である皆さんの手に託します」と始まるこの書簡で教皇は、今回の教令が長い考察と、様々な協議、そして祈りの結果であることを記しておられる。

 そして、1962年のミサ典書をミサ典礼の特別形式として使用することにあたり、教皇は、このミサ典書が法的に廃止されたことは決してなく、原則としてそれは常に認可されているものであることを指摘されている。・・・

 この教皇の司教たちへの書簡は、「護教の盾」さんが日本語に訳されています。

教皇ベネディクト十六世1970年以前のローマ・ミサ典書の使用についての自発教令 SUMMORUM PONTIFICUMの公布に際して教皇ベネディクト十六世から司教達へ宛てられた書簡2007年7月7日

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聖ピオ十世会韓国のホームページ
トレント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

谷大二(さいたま)司教様の「船員の日」メッセージを読んで:谷司教様はどんな「神」に祈るのか?

2007年07月10日 | エキュメニズム関連情報
アヴェ・マリア!

日本カトリック難民移住移動者委員会 委員長 谷 大二(さいたま司教)の「船員の日」 メッセージ 2007年が発表されている。

====引用開始====



 教皇庁移住移動者司牧評議会は、7月8日(7月の第2日曜日)を「船員の日」(Sea Sunday)と定め、世界中の信徒に船員たちのために祈るよう呼びかけています。日本カトリック難民移住移動者委員会も船員たちとその家族のために祈るよう、皆様に呼びかけます。

 さて、今年のポスターは七福神をイメージしたものです。「カトリック教会なのに神々のポスターを作るとは何事だ」と怒られそうです。そこで、なぜ七福神なのかを少し説明しましょう。七福神の神々のうち大黒(だいこく)・毘沙門(びしゃもん)・弁才(べんざい)はインドのヒンドゥー教、布袋(ほてい)は中国の仏教、福(ふく)禄(ろく)寿(じゅ)・寿(じゅ)老人(ろうじん)は中国の儒教からきています。この6人の神々に日本の恵比寿(えびす)が入っています。いかにも日本らしい神仏習合的な信仰です。しかし、実にインターナショナル(国際的)ではありませんか? しかも、七福神は船に乗って、と書かれた俵を積んでいるのです。日本は17世紀から鎖国時代にはいりますが、それ以前はペルシャから中国にいたる多くの国々との間に、船による貿易、豊かな交流がありました。アジア各地に日本人街もできていたほどです。この貿易は経済的な豊かさをもたらしたばかりでなく、多くの文化的な豊かさももたらしました。なにしろ、インドや中国の神々が日本の神々と一緒になって、船に乗っているくらいですから。七福神は豊かさをもたらす船員のシンボルだったとも言えるでしょう。

 さて、現代はどうでしょう。私たちの生活物資の90%は海外からの輸入でまかなわれ、その99%は船に頼っています。昔以上に、船員たちの労働に頼っていることになります。しかし、船員たちと私たちとの間に人間的な交わりや文化的な交流はどの程度あるのでしょうか。船員のことに心を配ることはあるでしょうか? 確かに、経済的な理由から船員たちの上陸時間は短くなり、港での憩いのひと時もままなりません。だからこそ、そのひと時を応援するために、船員司牧(AOS)が必要なのです。そして、離れ離れで生活せざるを得ない船員とその家族のために、サポートし、祈る必要があるのです。

 厳しい環境の中で働いている船員たちのために祈ってください。かれらが私たちの生活を根底で支えていることに感謝し、彼らの航海の安全と家族の幸せをに祈ってください。そして、関心のあるかたは、当委員会またはAOS(Apostleship Of the Sea)に連絡をとって、一緒に活動に参加してください。


2007年7月8日
日本カトリック難民移住移動者委員会
委員長 谷 大二(さいたま司教)

====引用終了====


【コメント】

 私たちの生活物資、大自然、命、平和など私たちの存在そのものまで全ては唯一の天主に依存し頼っている。そればかりではない、私たちの超自然の命、超自然の祝福と聖寵は、私たちの主イエズス・キリストによりイエズス・キリストを通して来る。真の天主は肉体を取って人間となり私たちのうちに住まわれた。「そうだ、私たちは、そのみちあふれるところから、恩寵に次ぐ恩寵をうけた。なぜなら、律法はモイゼを通じて与えられたが、恩寵と真理とは、イエズス・キリストによって私たちの上に来たからである。」(ヨハネ1章)

「私にとどまっていて、私もまた彼のうちにいるなら、その人は多くの実を結ぶ。なぜなら、私がいないと、あなたたちにはなに一つできないからである。私にとどまらない人は、枝のように外に投げすてられて、枯れはててしまい、人々にひろい集められて、火に投げいれられ、焼かれてしまう。」(ヨハネ15章)

「永遠の命とは、唯一のまことの天主であるあなたと、あなたがお遣わしになったイエズス・キリストを知ることであります。」(ヨハネ17章)

 真のインターナショナル(国際的)とは、真理において一つとなること、一致することだ。全宇宙を創りそれを保ち給う天主の御子が、人間とその社会問題を解決するために人間となって、ある意味で「国籍の区別のない」聖なるカトリック教会を創った。そこで罪を赦された人々が、全世界どこででも一つの信仰を持ち、一つの言葉を話し、天主にまで到達することができるように。王であるイエズス・キリストがその角石(おやいし)となり基礎をおいた。

 カトリック教会こそ人類が知る唯一の完璧な国際社会組織だ。何故なら、復活して聖父の右に座し給う私たちの主イエズス・キリストが、ご自分の設立した新統治に、天の王の玉座から聖霊を送り給うたからだ。バベルの塔の建設時に受けた天罰と反対のことが起こった。イエズス・キリストの教会は「天主が設計し、建造される、たしかな基礎をもっていた」。「かれは、主なる天主によって父ダヴィドの王座を与えられ、永遠にヤコブの家をおさめ、その国は終ることがありません」(ルカ)天主の御子は、人となり、人類社会の問題を解決するために真の平和のための理想社会(ユートピア)を創った。今から2007年前に真の意味での「新世界秩序」を創った。それが聖ペトロの船であり、新約の第二の「ノエの方舟」であり、母にして聖なるカトリック教会だ。

 ところが、谷大二司教様は、私たちの主イエズス・キリストのことに心を配らない。谷大二司教様の船は、ペトロの船ではない。何故ならその船の中には、イエズス・キリストの名前も、その贖いの道具である十字架も見あたらないからだ。谷司教様の船には七福神が乗り、宝と書かれた俵だけが積まれているからだ。谷司教様は、いったいどんな「神」に祈るというのだろうか? 谷司教様の信じる「神」は、神仏習合的な神々であり、司教様は、インドや中国の神々が日本の神々と一緒になったこの世の(文化の??)豊かさを信じておられる。これは私たちの主イエズス・キリストが私たちに教えて下さった信仰でも聖福音でもない。

「彼らは、私があなたから出たものであることをほんとうに認め、あなたが私をおつかわしになったことも信じました。その彼らのために、私は祈ります。この祈りはこの世のためではなくて、あなたがくださった人々のためであります。かれらはあなたのものです。・・・正しい父よ、この世はあなたを知りませんが、私はあなたを知り、この人たちも、あなたが私をお遣わしになったことを知るに至りました。あなたが私を愛してくださったその愛が、彼らにもあるように。」(ヨハネ17章)


聖ピオ十世はこう言う。
カトリックの教えに従えば、愛徳の第一の義務とは、誤った考えをそれがたとえそれがいかに誠実な心から出たものであったにせよ、容認することでもなく、あるいは私たちの兄弟が陥っている誤謬や悪徳に対する理論上のもしくは実際上の無関心にあるのでもありません愛徳の第一の義務とは、それと反対に兄弟の物質的福利と共に、その知的、道徳的な改善を図る熱意に存するのです。カトリックの教理はさらに、隣人に対する愛は、全ての者の父であり人類家族の目的である天主への愛にその源を有していること、またその愛(隣人愛)は私たちがその肢体であるところのイエズス・キリストのうちに存しており、他人にすることはイエズス・キリストご自身にすることに他ならないことを教えています。これ以外の他のいかなる種類の愛も全くの幻想であり、不毛で儚いものです。

「そして今、尊敬する兄弟たちよ、深い悲しみに沈んだ心で私は、シヨンのカトリック主義はどうなってしまったのだろうかと自問します。嗚呼、以前は非常に明るい期待を抱かせてくれたこの組織、活き活きとして勢いがみなぎっていたこの流れは、現代における教会の敵どもによって利用されてしまいました。今やあらゆる国々で企てられつつある世界統一宗教を打ち立てるために、ある大きな棄教的運動の中のあわれな一支流と化してしまいました。そしてこの世界統一宗教とは、いかなる教義、位階制も持ち合わせず、精神の規律も無く、情念に歯止めをかけるものも無く、自由と人間の尊厳の名のもとに(もしもそのような「教会」が立ち行ってゆけるならば)合法化された狡知と力の支配[する状態]ならびに弱者および労苦するものらの圧迫を世界にもたらしてしまうでしょう。」

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ルフェーブル大司教著
『DUBIA 信教の自由に関する私の疑い』

第一章
■ 自由についての一般的考察 「自由」の3つの意味
■ 法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?
■ 良心とは何か。行為の実効的規範とは客観的真実のみ。
■ 良心および強制に関する一般的考察:良心を侵すことになるか。法律上の強制についてどう考えるべきか
■ 基本的諸権利とは何か。その限界は?誤謬または道徳的悪に対する権利は存在するか
■ 誤謬または悪に対する消極的権利は存在するか?また、寛容に対する権利は?

第二章
■ 本来の意味での「信教の自由」:人間人格の尊厳は、真理を考慮に入れない自由には存しない。
■ 19世紀の教皇たちはこぞって、いわゆる「良心と諸信教の自由」を排斥した
■ 諸教皇は、何故「良心ならびに信教の自由」を排斥したのか、理由は?
■ 信教の自由とその新たな「根拠」:およびそれへの反駁
■ 真理探求の自由は宗教的自由の根拠となり得るか
■ 宗教無差別主義について確認しておくべき点
■ 信教の自由は人間人格の基本的権利なのか、歴代の教皇様は何と言っているか?
■ 聖書の歴史に見られる、宗教的事柄においての強制
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非 (つづき)
■ 世俗の共通善、カトリック宗教とその他の諸宗教
■ 真の宗教に対して国家が取るべき奉仕の役割
■ 教会と国家との関係
■ 宗教的寛容
■ 宗教的寛容についての結論

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】