伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

生死の境を彷徨う

2018年12月01日 | 健康雑感

12月1日(土)

 

まずは入院経過から

11月9日(金)   伊東市民病院 午後、特別の身体不調はなかったので自分の車を運転し精密検査受診、すぐ車椅子に乗せられて集中治療室に収容される

11月10日(土)  次第に呼吸が苦しくなり、深夜には呼吸困難となって集中治療室で生死の境をさまよう

11月11日(日)  「大動脈弁狭窄症、冠動脈硬化症・低左心機能」による危篤と診断され、伊東在住の家内、横浜在住の長男・長女、八王子在住の二女が呼び出される。

1月12日(月)  伊東市民病院には心臓外科医がいないため、伊豆長岡順天堂病院に救急車で緊急手術のため搬送、再度精密検査を受けてから集中治療室に収容

11月13日(火)  集中治療室      

11月14日(水)  集中治療室 手術は「大動脈置換術(生体弁)ほか」

         手術に伴うリスク  手術死亡率 54.8% 手術死亡率+主要合併症発生率 69.2% 相当に高い死亡率(japanscoreによる)

11月15日(木)  4時間48分の開胸手術

11月16日(金)  集中治療室

11月17日(土)  集中治療室

11月18日(日)  集中治療室

11月19日(月) 午前中、集中治療室から病棟8階の個室に転出 

11月20日 (火) 個室

11月21日 (水) 個室

11月22日 (木) 個室

11月23日 (金) 個室

11月24日 (土) 個室

11月25日(月) 午前中退院、ようやく我が家へ

リスクの高い手術であったが成功、本日をもって術後18日目、傷日いまも痛む。開胸手術の傷が癒えるには3ヶ月くらいかかるとのこと。


 

思い返せば本年に入ったころから、それまで5000歩以上は歩いていた週1のIKOIウオーキングでは僅かの疲れというか体力不足を感じるようになり4000歩前後にとどまるようになっていたが、これも年齢相当かとさほど気にしていなかった。

9月中旬に風邪を引き、治るまでにいつもより長引くことになったが、その後、急激に体力の衰えをかんじるようになった。上り坂を歩くと息が苦しくなる、胸のあたりに軽い鈍痛を感じる、歩くのが面倒になった。これは今までに感じたことのなものだった。

なんとなく不安になって定期検査日(糖尿、血圧管理)でないのにやまもファミリークリニックで特別な検査を乞うたのがきかっけ。レントゲンとエコー検査の結果、午後には伊東市民病院で精密検査を受けろという。

これまで病院には車で独りで行ってたが、ちょっと引っかかったので、家内を同行し車を運転して伊東市民病院に向かう。

そして即日入院、急激な呼吸困難に陥り、深夜には家内、息子、娘二人が呼び出されるという思ってもみない深刻な事態に。


生まれてこの方、「入院生活」なるものを全く経験しなかった(若い頃「人間ドック」で一泊したことはあったが……)。見るもの聞くものすべてが「初体験」。耐え難い肉体的苦痛のなかで時間だけが目まぐるしく過ぎていった。断片的な記憶だけがちぎれちぎれ飛ぶ。

だが、この瀕死の極限になって、生死の分かれ目に立つ自分が意外に「死」を冷静?な意識でみていたことを知ったのは思いもかけないことであった。

「死」にゆくことへの悲しみもなく、恨みなどもとよりなく、恐れもなく、死ぬってこういうことなんだと平静に客観視する目。

さほどの才能に恵まれることなく、むしろ劣った能力の方が多いことを自覚しながら、自分なりに生きかくも満ち足りた88歳の人生を送れたとは、ゆうことなし。

いまも鮮やかに記憶していることは、この生き死にの際に、私は何と、藤原業平の辞世を思い返していたのである。

「 ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを 」

なるほど業平の歌はこういうことだったのか、と。

嘘のように思われるかもしれにが、これは本当である。


暗く息の詰まりそうな「集中治療室」を出て、新築された病棟8階にの明るい個室に入ったときようやく生きてる実感が湧いた。

伊豆長岡は富士山のよくみえるところ、あいにく病窓から富士山は直接みえないが、秋色を深めた山肌が目の前に。

開胸手術の後は未だに痛む。もとの身体に戻るにはまだしばらくはかかりそうである。

健康を取り戻してみても89歳、これから長寿にめぐまれてもせいぜい5年くらいか。いずれ人間として「死」を迎える。

今回の病が私にもたらしてくれた最大のものはといえば、「死」の模擬試験を受けてきたようななもの。私にとって「死」に不安はなく、その時は安心して受け入れられることを知ったこと。


 

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高齢者の多剤服用について

2018年08月28日 | 健康雑感

8月30日(木)

歳を重ねてくるとどこか身体に不調・不具合が出たりすることが多くなる。そんなとき病院にいって症状を訴えると、いろいろな検査を受けさせられた挙句に新しい病名がつけられて薬を処方されることになる。 

高齢者の生活習慣病や老年症候群に対して医者が言うところは必ずしも同じではなく、処方される薬も微妙に違い、いいなりになっていると服用する薬がどんどん増えていく。特に新しい症状で病院や医者を代えたりするとるとこの傾向は著しい。

人間の身体に異物として作用する薬は「薬」でもあるが「毒」でもあるとどこかで聞いていたが、こんなに沢山薬をのんで本当にいいのだろうか、という不安はかねてからあった。

そんな疑問に答えるように、最近になって厚労省が「高齢者の医薬品適正使用の指針(総論編)」というのを全国自治体に通知していることを知った。

この指針を読むと「高齢者の多剤服用の中で害をなすもの」(「ポリファーマシー」というらしい)を問題視し、これをなくしていこうというもので「高齢者は、生活習慣病等と老年症候群が集積し、治療薬や症状を緩和するための薬剤処方が増加し多剤服用になりやすいのでその是正、適正化が求められる」としている。

指針によると75歳以上の高齢者の25%が7種類以上の薬を、40%が5種類以上の薬剤を処方されているという。

これを読んだ時、私が服用していた薬はなんと6種類(糖尿病の薬メトグルコ250㎎・ジャヌビア50㎎、血圧の薬ミカルディス40㎎・ニフェジビン10㎎、隠れ喘息のための「アドエア吸入薬」、夜間頻尿のための漢方薬「八味地黄丸)。それに常用ではないがときどき飲む薬として就眠薬ゾルピデム5㎎と胃酸を抑える薬オメプラゾール10㎎があり、典型的な「高齢者の多剤服用者」だったのである。

ちょうどその頃、夜間頻尿のため漢方薬「八味地黄丸」を飲み始めており、数か月が経過していたが、狙いだった夜間頻尿の方にはまだ顕著な改善は現れていなかったが、いつも家で測定している血圧と血糖値の方には想定していなかった顕著な効果が現れていることに気付いたのである。(「八味地黄丸」の薬効は夜間頻尿だけでなく糖尿病、高血圧、動脈硬化などが挙げられていた。)

血圧はいつのまにか日本人間ドック協会の新基準(147/94)を下回るようになってきていたし、朝の血糖値は140~150程度におさまり、病院でのヘモグロビン検査では高齢者糖尿病コントロール目標値とされる7.0%を下回るようになってきていたのである。

ならばこの際、重複している血圧、糖尿病の薬を減らすことができるのではないか。指針がいう「服用している薬剤のなかで中止可能な薬剤はないか?」に力を得て、インターネットで服用している薬を検索、その情報を厚労省指針にある別添の表と照らし合わせて自分なりの判断で恐る恐る重複している薬をそれぞれ1種類のみにしてみた。(メトグルコ250㎎、テルミサルタン20㎎の服用中止)

重複している薬の服用を中止してから様子をみると、家で測る血圧や血糖値には特段の変化は現れていないようだし、月1の病院でのヘモグロビンHbA1c検査では数値がすこし下がる傾向にさえあるではないか。

これに力を得て、糖尿病治療薬として長年服用してきたジャヌビア50㎎も量を減らしてもいいのではないかと、医者と相談して半減することにし25㎎に変更してもらって現在に至っているが、その後も特に変化はみられていない。

かくて、現在服用している薬は、漢方薬「八味地黄丸」、ジャヌビア25㎎(糖尿病)、バルサルタン40㎎(血圧)、アドエア(喘息)の四種類、それにたまに胃酸抑えのオメプラゾール10㎎半分、ほとんど飲まなくなった就眠薬となっている。

それまで飲んできた多剤「ポリファーマシー」がわが身にどの程度害を与えるものだったは判然としないが、すくなくとも随分無駄なことをしてきたことだと思う。

厚労省の指針は遅きに失したのではないか。薬の大量販売で利益を上げている医薬業界からの政治的圧力もあってのことか。

ともあれ、これ以上に服用薬を減らすことは考えていない。

なにしろこの年齢である。これからどんな病に侵されるか、どんな不具合・不調が我が身体を襲うか、全く予想できない。

その時はその時、新しい薬に頼らざるを得ないだろうが、今はこの状態で推移していこうと思っている。


 

高齢者の医薬品適正使用の指針(厚労省) 

2018/2/2「八味地黄丸について」 

2016/10/10「高齢者の血糖値のコントロール目標」 

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漢方薬「八味地黄丸」の卓効に驚く

2018年02月02日 | 健康雑感

2月2日(金)

漢方薬に強く惹かれるようになったのは「芍薬甘草湯」の素晴らしい効能を知ってからである。ウオーキングや畑作業などをやりすぎた夜、俄かに脚が痙攣し激痛が走っり居ても立つてもいられなくなったとき、この薬を飲むとほとんど同時といってもいいほど早く効き目があらわれる。

(最近は加齢による我が体力の衰えからか、以前のような即効というわけにはいかず、効果が表れるまで少し時間がかかるようにはなってきてはいるが……。)

次いで「葛根湯」。鼻水が出たり、くしゃみが続いたりするなど風邪に罹ったかなと思ったらすかさずこれを服用する。この薬も即効性があり、そうした症状はすぐに収まる。

漢方薬というものは西洋医学の薬に比べて効くまでに時間がかかると一般にいわれているが、少なくとも私の体験からは「芍薬甘草湯」「葛根湯」に関する限りその即効性には驚きを禁じ得ない。

ところで、最近になってもう一つ新しい漢方薬の効能が私の長年の悩みを解決してくれている。すくなくとも現時点では……。

これまで長く私の健康上の問題となっていたものの一つに「夜間頻尿」があった。昼間はさほどでないのだが、就寝中に何度も尿意を催してトイレに立たねばならなくなるのである。

そんな症状に悩まされはじめたのはかなり前のこと、80歳を超える頃からだったろうか。病気というほど深刻なものではないが、夜間に何度も起きるのは面倒だし、冬の寒ではできるだけ避けたい。

当初はこれを抑えようといろいろな手段方法を試みてきた。夕方からは水分を控える、眠りをよくする方法、指圧などだが、いずれもはかばかしい効果は得られない。

病院では既にいろいろな薬を飲まされてきているのでそれ以上に薬を飲みたくなかったが、やむをえずこの症状を訴えて薬を処方してもらった。しかし薬を服用してみても治ったかと思えばいつのまにか元に戻つていまい、別の薬に代えてもらうという繰り返しとなった。「ノコギリヤシ」「ハルナール」「ユリーフ」の服用を遍歴したが根本的な治癒に至らなかった。

一時的には効いたようでもやがて駄目になる。いやむしろ以前より回数が増加するような気配すらある。なにしろ歳が歳、半ばあきらめ気味で推移したというの実情であった。

2011年3月24日ブログ「夜間頻尿対策」 

2012年1月26日ブログ「『健康保持』を『生き甲斐に』」

そんなときにネットで漢方薬をいろいろ見ていたら「八味地黄丸」の効能についての記事が目に付いた。

「八味地黄丸」は一般には「高齢者向けの漢方薬」と理解されているとのことで、その適応症に「夜間頻尿」がまずあげられていた。そのほかに適応症としては「糖尿病・高血圧・動脈硬化・前立腺肥大」などもある。

なんと、これらいずれの病気は現在私に付けられた病名でそのための西洋医薬を服用しているもの。(糖尿病には「ジャヌビア」「メトホルミン」、高血圧には「テルミサルタン」、動脈硬化には「ニフェジピン」)

漢方薬に副作用はほとんどないというし、「夜間頻尿」をターゲットとして、これらの病状にも効果が期待される「八味地黄丸」をあわせて飲むのはどうだろうか、これは試みる価値は十分にありそうだ。

ということで、医者に相談してこの漢方薬を処方してもらうことになった。昨年8月22日のことである。

その日の糖尿病にからむ私の検査結果は次の通りであった。

血糖値HbA1c 7.6%、尿の糖++、蛋白+ 血圧 150/78

そして前夜の頻尿回数は4回、いつものようにオシッコの方向は曲り、その勢いはたらたらといった状態。

漢方薬には、すばやく効く「瀉剤(しゃざい)」とゆっくり効く「補剤」があるとかで、「芍薬甘草湯・葛根湯」は「瀉剤」だが、「八味地黄丸」は「補剤」の属するとのことで、効果が出るまでには数週から数か月はかかるという。

ちょっと気の長い話だが、なにしろこれまでの病気(といっても特別の自覚症状があるわけではないのだが)にも有効だとするなら頑張って飲み続けることにした。

効果らしきものを最初に意識したのは一か月ほど経ってからだったか。トイレに立つ回数が少し減ったように思え、オシッコの勢いも増し真っすぐに飛ぶようになってきた。これはいける!将来に希望を持って服用をつづけることになった。

そのうちトイレの回数は1回か2回にまでになった。

また、これとは別に驚くべき変化があった。糖尿病のメルクマールになっているHbA1cの値の変化である。

10月10日(服用開始から49日後)には7.6%から7.1%に、12月5日(105日後)には7.0%、そしてなんと今回の1月18日(149日後)の検査では HbA1cが6.5%、尿検査も糖+-、蛋白+-、血圧も144/78と悪くはない。今から十数年前の数値に戻っていたのである。

この状態がこれからも保持できれば、このまま副作用がなく身体にやさしい漢方薬「八味地黄丸」を飲み続け、様子をみながら西洋医薬を少しずつ減らしていけるかもしれない。

 

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長雨の中での生活(エクセルによる健康数値のグラフ作りを学ぶ)

2017年10月22日 | 健康雑感

10月22日    (日)    

今日は「総選挙」、そして明日は台風21号の接近。なにかと慌ただしいが、不在者投票は数日前にやったし、台風に備える特段の仕事があるわけではない。

だが、この長引く雨にはほとほと参る。振り返ってみれば10月に入ってからというもの秋晴れの日などほとんどなかった。半分以上の日は終日雨が降り続いたような気がする。

ウオーキングができない、畑にも足が運べないとなると一日中室内にいるほかない。寝室と書斎とリビングが私の生活空間になる。やれることといえば読書かTVかパソコン・iPhoneということになるが、最近は眼がわるく細かい文字を読むのが苦手になっており読みかけている本がないわけではないが、一向にページが進まない。

結局、パソコンとiPhoneに向き合う時間がやたらに増えることになる。

iPhoneは最近になってソフトウエア・アップデートが行われてIOS110.0.3ではかなり新しい機能が追加されたので、知っておきたい操作がいくつかある。それを画面が小さいiPhone自体で調べるのは容易ではないので、パソコンの方で検索して調べている。調べ方はかなり上手になったが、それでもよく理解できないことが多く、いつまでも続けるには少々気骨が折れる。


そんなところで、昨日からはパソコンでエクセルを弄ることになった。私はワードの使い方にはそれなりに慣れているつもりだが、これまでの私の生活では数値を扱う機会がほとんどなかったこともありエクセルを使うのは苦手、もっぱら数値を入力するだけの作業であった。

幸いエクセルの操作に滅法詳しいMr.ITが近くにおられるのでエクセルでのグラフ作りのご指導を仰ぐことになった。

私が記録する数値といえば金銭出納以外には、もっぱら健康に関する数値。日々の血圧、血糖値、体重などだが、これらの数値をグラフ化すれば、日々老いゆく身体状況を一瞥してみることができる。

今日は、とりあえずMr.ITの指導にしたがい、現在私が一番気にしている血糖値と血圧の推移をグラフ化してみた。

血糖値の重要な指標となるヘモグロビン(HbA1c)で見る数値の推移は長い間7%以下で推移していたものだが、昨年から7%を超える悪化傾向を示すようになり、今年3月には一挙に10.2%という驚異的な数値を示した。これに驚愕して以来鋭意節制に努めた甲斐があって目下はなんとか老人相応の7%の線に収まってきているので、これをグラフ化してみた。 

 

 

 直近の10月10日の血糖値診断紙(高齢者の「血糖コントロール目標値は近年著しく緩められてきた。)

※ 高齢者の血糖値のコントロール目標 2016/10/10ブログ

 

 

 ここ10年間の推移をグラフ化してみたもの(10%を超える異常値から脱出、回復に向かっていることが見て取れる。)

本年3月からの朝の血圧測定グラフ

収縮期血圧は高めで推移してきていていたが、このところ目標としている160mmHg以下にようやく収まりつつある。いい傾向)

 


 

こうしてみると最近における私の体調はおおむね順調に推移してきているといえるか。 

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「30秒でできる朝の習慣25」という記事を読んで

2017年08月04日 | 健康雑感

8月4日    (木)    /

このところ曇や雨の日が多く、たまの晴れ日は夏の炎暑。これでは戸外に出でウオーキングなり園芸作業をする気がなくなる。

そんなことで終日、書斎にこもってパソコンと向き合って時間を潰すことがおおくなった。

さりとて、昔と違って何かを作るため積極的にパソコンに向かうというのではない。パソコンから受動的に情報などを受け取るといった消極的姿勢での向き合いである。要は時間つぶしである。

昨日は、ちょうど内閣改造など話題もあるので気の向くままにいろいろなパソコンニュースをサーフしていたが、ふと、いつも見るニュースのカテゴリー「国内」「国際」「経済」「政治」などのほかに「ライフ」というのがあるので何気なくそれを開いてみた。

これまでも「ライフ」や「生活」などといったカテゴリーがあることは知っていたが、いずれ若い人向けの記事で高齢者、なかんずく「超高齢者」には無縁の記事だと思いパスしていたものである。

たまたま開いた頁であったが私なりに興味を持った一つの記事があった。「30秒でできる朝の習慣25」というのである。

「健康的で爽やかな朝を迎えたいけれど、朝からジョギングに行ったりヨガを始めたりするのはちょっと面倒……。毎日そんなに特別なことをしなくても、日々の習慣をちょっと変えるだけで、一日をもっと気持ちよくスタートできるかもしれません」という前書きのもと、25項目が列挙されていた。( PureWow  : Sarah Stiefvater   )

 

なにより気に入ったのが、「30秒でできる習慣」というところである。

読んでみた。予想していたとおりどうやら若いビジネスマン向けの記事のようで、超高齢者には無縁と思われるものものが多く、これはすべてカットし、私にも役立ちそうなものだけを拾い上げてみた。

もっとも、その多くはすでに私自身が実践中のものなので、これは確認の意味での現状を括弧書きすることにし、これから新たに加えてやってみようとおもう数少ない項目だけを太字で書きあげてみた。

 


 

〇 ベッドの中でストレッチ
(最近になって誤嚥性肺炎防止策として「シャキア.トレーニング」というのをやっておる。)2017-7-8ブログ「誤嚥性肺炎防止策」

〇 太陽の光を部屋に入れる
〇 深呼吸をする
(いつのころか、習慣付いたのはベッドを下りてから書斎に行き、窓を開けて深呼吸3回。そして血圧測定。だからこれはいずれも実施済み)

〇 植物に水をやる
(最近になって始めたことだが、書斎の自称「育苗工房」で「かいわれ大根」の連続栽培を行っている。スポイトで苗に水をやっている。)2017-7-16ブログ「かいわれ大根育成(最近の農事をめぐる諸情勢)」

〇 好きな音楽を聴く
(長年続けてきている朝の入浴時の習慣。専らクラシックかイージーリスニングだったが、いまは誤嚥性肺炎防止のためのカラオケを歌っている。)2014-9-9ブログ「浴室で音楽を楽しむ」

〇 シャワーを浴びる
(シャワーではないが、毎朝温泉に20~30分浸かる。なお、この間に浴槽では腹式呼吸、洗場で「真向法」を実施している)2015-12-7ブログ「私の健康法 真向法と調息法」

以上は私がすでに行ってきている朝の習慣。だから特に付け加えることなない。

 


 

この「25の習慣」のなかから学んだあらたな知見とは次のようなもの。

〇 コップ一杯の水を飲む
(これはやったことがなかった。)

〇 口の中をさっぱりさせる。
(歯磨きに代用している「ConCool F」で朝のうがいをすることにする。)

〇 やることをリストにする
(ときどきiPhoneの「メモ」にその日のやることをメモしていたが、これを励行することにする。)

〇 家族に「おはよう」という
(たまに言っていたが、これからは毎日心掛ける。)

〇 30秒掃除する
(これは全く新しい習慣。30秒ならできる)

〇 にっこり笑ってみせる
(これも簡単。やれる。)

 


 

こう書いてみたら、私がやっていることに加わるのは少なく、そのいずれもきわめて簡単なことばかり。だが、それがいい。

 8月1日、厚労省が発表した「2017年 簡易生命表」によると、日本人の平均寿命はまたも伸びて、男80.75歳、女86.99歳とある。これは昨年に生まれた人が何歳まで生きるか、つまりの0歳児の平均余命のことである。

だから、個人的には自分の年齢の「平均余命」が気になる。私87歳の平均余命は5.37年、家内84歳の8.94年とあり、平均的ではあるが私は92.37歳、家内は92.94歳まで、つまり92歳くらいは生きるということになるらしい。

これは嬉しいことなのか、悲しむべきことなのか、なんともいえない。言えることは、その終末期までにどのような生活をするかが答えになるだろう。

過ぎ行く一日をよかったといえるためには、まず一日のはじめを気持ちよく迎えねばなるまい。これからあらたにやることを紙に書いて書斎にしばらく貼っておこう。

その意味で、私にとってこの記事は簡単だが役立った。

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高齢者の血圧管理目標について

2016年10月30日 | 健康雑感

 10月30日    (日)    

高齢者の血圧管理に関する諸見解。

結論的には、これらの見解を参考にその人がそれまで培ってきたものの考え方、人生観から導かれるものによるほかないだろうう。

 

 

 

 『のんではいけない薬』著者浜六郎さんが語る「のんではいけない降圧剤」

 

『のんではいけない薬』著者浜六郎先生が語る「薬の話」


正しい血圧の下げ方・数値とは?医者が知られたくない血圧の真実 #武田邦彦 


『週刊現代』 2016年7月28日号より

 


日本人間ドック学会 新基準 2014年4月4日

 

「朝日新聞」2016/4/5

「産経新聞」2014/4/5


 


 



 

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私の健康法「真向法」と「調息法」

2015年12月07日 | 健康雑感

12月12日     (土)       

天気が冴えない。あたりはすっかり冬の情景、風が冷たいし散歩する気分にもなれない。身体を動かす機会がないから、こんな日は私にとって「不健康日」ということになる。

いつもにように朝風呂で私の健康法「真向法」と「調息法」をやることはやるのだが、風呂の流し場はこの時期になると少し寒いので早々に切り上げることが多い。

身体の健康法が十分でないなら、せめて頭の健康くらいには気を配らねばなるまい。

そんな冬の一日!

そんな次第で、今日はパソコンの前に座ってなにか新しいことにチャレンジすることにした。身体の健康不全を頭の活性化で補うということにでもなろうか。

かなり前になるがMr.ITからPDF文書をWord文書に変換できないだろうか、という質問を受けていたことを思いだした。

私もかつてそうした必要に迫られて調べたことがあり、その時は「有料ソフト」を使う以外に適当な方法が見つけられなかったので、そうお答えをしておいた。

だが、果たしてそうなのか、もう一度「PDF→Word」が可能かどうか初心にかえってよく調べてみることにした。

やる気があれば、答えはおもいのほかに簡単。さほどの時間がかからず解決できた。

なんのことはない。Adobe Reader DC を立ち上げ

① 当該PDF文書を開く     ② 編集で「すべてを選択」    ③ ファイルで「その他の形式で保存     ④ テキストを選ぶ     ⑤ 名前を付けて保存

⑥ テキストファイルをすべて選択     ⑦ Wordに変換

こんなに簡単だったのだろうか? ひょっとしたら Adobe Reader がバージョンアップされて新しい機能が追加されたのかもしれない。

いずれにせよ、難問だったPDF文書の編集が可能になったことは嬉しい。

ところで、1987年創刊から2013年の104号まで長きにわたって年4回続けられた三金会雑記の全号はMr.NBの努力によってDVD一枚にPDF文書として収められている。

これまでこの文書はPDFだったからみることはできても編集することが出来なかった。

だが、ようやく編集かのうとなりブログにも転記できるようになったので、私が現在も続けてきいる「健康法」に関する記事を以下に転載してみた。

なお、この際に付言すると、私の「健康法」は記載のとおり「真向法」と「調息法」であるが、現在は私が勝手に変形し、省略化したもので「真向法」「正心調息法」というには少々口幅ったい思いの独自型である。

いずれも朝の入浴時に真向法は洗い場で、調息法は浴槽で、Phoneで音楽を流しながら行っており、「真向法」の第一、二、三体操は本来の形通りだが、第四体操は洗い場が狭いので浴槽内で脚をおりまげての簡略型で、調息法は「正心調息法」を大幅に修正してその腹式呼吸だけで済ませている。

すべて浴室で音楽を聴きながら温泉につかっての簡略簡便型の健康法、私はこれを「ながら健康法」と自分なりに名付けている。風呂にはいり「ながら」やっているので、負担がすくなく、さほど努力せずとも長年続けることができていると思っている。

 


「三金会雑記」 1995年/12月号   (34号)

     「真向法」という健康法

WHO(世界保健機関)が定義するところによると、六五歳以上は「高齢者(老人)」で「従属人口」だという。これは働かず人に養ってもらう世代ということを意 味する。なるほど、年金が貰えるということは、とりもなおさず若い世代に養って貰うということにほかならない。

三金会の諸兄姉もおおむねこの年齢に達しつつあることは喜ばしいことのようであり、また一面、悲しむぺきことでもあるのであろう。

ところで、老人ともなると自ずと社会的活動が低下し、社会との接点も小さくなる。従って、その共通する話題も身近な事柄に限定されてくるのも自然の勢いといえる。主たる話題は「健康の話と孫の話」だとなにかの本に書いてあった。なるほど雑記の巻頭にある三金会例会での諸兄の会話内容にもそれがうかがえる。もっとも孫のいない家庭もあるから、共通する話題が「身体」のこと「健康」のことが中心になっているようだが・・・・。

話は変わるが、わが家は、定年退職後平成元年に建てたから今年で築六年ということになる。これまでは具合のわるいところは全くなかった。ところが、最近になってにわかに家のあちこちに故障らしきものが出始めた。今月に入って、木製カーテンロッドの支えがはずれた。素人がいじるのは嫌だからカーテン屋に来て貰った。

そしたら今度は窓サッシの鍵の心棒が折れるという事故があった。いずれも大した故障とはいえないにしても、そうした小さな故障が続けて起こったということは、なにやら家全体の老化を示しはじめた兆しのように思われる。

そうした目で子細にわが家を点検してみると、テラスの土台には僅かにクラックが入り始めているし、風呂のタイルの一部の目地に小さなヒビも見つかた。外壁の白色もなにやら少しくすんできているようだ。

目を転じて畑をみても、開設してから三年余にして既に、散水用のホースにも水もれが見られる。丈夫だと折り紙つきのホースだったのだが、太陽にさらされ雨に打たれ続けた歳月はホースを確実に劣化させてきた歴然たる証拠だ。

人間の血管だって同じことだろう。われわれが過ごしてきた六五年の歳月を思えば、少々血圧が高くてもよくぞ頑張ってくれていると感謝と労いの言葉をかけねばなるまい。

若いときの身体の故障は時間さえ経てば確実に回復していた。しかし、この年になると不可逆的というか、もう元には戻らない故障的変化が多くなる。せいぜい、更に悪化させることがないように労りながら、大事に大事に長持ちさせることに心掛けるべきであろう。

誰もがそんなことを心のどこかで感じ、早ければ四〇歳代くらいで、遅くても六〇歳を過ぎれば、何らかの健康法めいたものに関心を持ち始めるのは必至である。健康法なんてものはやらない、などという御仁も、多分それは健康法を続けることができなかっただけのことであろう。

「禁煙なんて簡単だ。俺はもう何度もやってきた」とは、マーク・トウェーンの名句だが、健康法も始めることは簡単、しかし続けることは甚だ難しいということに尽きる。

不惜身命ではないが、なにごとにも見事に割り切って私的生活をエンジョイしているかにみえる編集助手平野君にしたって、毎日夫婦そろって体操をしているという話を聞いたことがある、鍼にも通っているらしい。ローラー式健康器具が座敷に置いてあるところをみれば、多分まだ粗大ゴミにはならずときどきは座ってマッサージ摩擦をかけているに違いない。

こうして人一倍健康に気を使っているからこそ、ああも優雅に過ごせるのであろう。

もともと、健康器具なぞというのは、粗大ゴミになる宿命をもっている。早いのは、買ってから数回使っただけで、そのまま放置されいたずらに納戸に場所を占めた挙げ句の果て粗大ゴミに出されるのが普通である。何年も継続して日常的に使われるなどむしろ驚くぺきことに属するといえそうだ。

繰り返すが、健康法の最大の問題は継続することにある。長い年月にわたって続けることは決して容易なことではない。安い健康器具ほど寿命は短い。高価なものはすこし長く使われるが、それなりの根気と努力がいる。

そういう僕も例外ではない。これまでには健康器具の粗大ゴミを盛大に生産してきたし、やってみたことのある健康法も数しれない。一寸思い出すままに列挙すれば、ローラ式健康器具、青竹踏み、背伸ばし器、たわし摩擦、下半身浴、自律訓練法、ラジオ体操、α波、鍼、くこ、灸、散歩、玄米食、酢卵、酢豆、朝鮮人参、あまちやづるなどなど。恥ずかしながらゴマンとある。(この上に、青野君が最近はやたらと茸ヨーグルトとやらを勧めてくる。)

短ければ二、三日、中には何年か続いたものもないわけではないが、効果があったかなかったかはいずれも定かではない。

そんななかで一つだけ、かなり長く続いたもの、そして今なお続けたいと思っているのが「真向法」(まつこうほう)である。「続けたい」とは、早い話、現在はやっていないということなのだが・・・・

真向法は、健康法としての知名度はあるいは「全国区」的といっていいのかもしれない。隠れた愛好者も多く、ひょっとしたら三金会員にもいるのではと思うほどだ。鈴木前東京都知事がテレビなどで若さを誇示するパフォーマンスとして見せたこともある。最近では、司馬遼太郎「街道を行く 8 」を読み返していたら、次のような文章にも出会った。

「八十歳ですか」と、思いきり値上げしてみた。いいや、ちがう、と相手の人は言い、「九十だ」と、言った。

そのあと、なぜ九十でこんなに元気かという秘訣を教えたい、と言い、よほど気の短い人なのか、当方の返事もきかず、いきなり正座したままあおむけにひつくり返ってしまった。真向法という健康法だとかいって、両脚を水平に開いてぺたんと畳にくっつけるなど、幾種類かの運動を披露した。(豊後日田街道)」

そう、これが真向法である。簡単にできる。実施時間は僅か三分間。場所は畳一畳もあればできるとされている最も簡単な健康法だ。テレビを見ながらでも、風呂場でも、べットの上でもやろうと思えばできる。簡単だからこそ長続きもする。その最終のねらいが、「長生き」でなく「死ぬまで元気」というのもいい。

(図を御覧下さい。)


だが、その効果の程をと聞かれると少々辛い。なにしろ、十五年以上も前に始めたことは確かだが、途中でしばしば中断しており、忠実な実践者だったとはいい難いからである。でも、これをやっていると確かに背筋が伸びて姿勢がよくなるという一事はまぎれもない。また、その効果であるとは断定できないが、僕はこれまで腰痛なるものをまだ経験したことはない。また、メニエル病の後遺症として肩が張るという経験はあったが所謂「四十肩」「五十肩」といわれる厄介な肩凝りはこれまで知らない。

何度か中断しながら再開を繰り返し、断続的とはいえ結構長い間続いた真向法だが、実はそれには一寸した理由らしきものがないわけではない。

それは渋谷にある真向法本部から月一度「健体康心」という機関紙を送ってくれていたお陰だと思うのである。年会費千円で毎月送ってくるのだが、その都度「真向法をやっていますか」と督促されるような気持ちになり、またぞろ始めるということが何回もあった。

もっともこの機関紙、内容はいつもきまって同じ様なもので読むところはほとんどないという代物である。編集が、言っては申し訳ないがお粗末過ぎる。

こんなこともあった。毎号第一面に真向法本部理事の肩書きを持つ大先生が「健康こそ大事」だったかの題で、真向法をやっていればいつまでも健康に過ごせるといった趣旨のお話を長く続けてくれていたのだが、ある時パタリと連載中止になった。そして、その掲載箇所には「先生が健康を害しているため当分連載を中止する」という編集部のお断りが載っていたのである。なにやらブラック・ユーモアめいた話だが、その程度の機関紙である。

でも、その機関紙のお陰で、再開を促され断続的ながらも長く続いたのだから僕にとって十分有益な機関紙でもあったわけである。

しかし、異変が起こった。昨年だったか郵便料金が一拳大幅に値上げされたため、年千円では送料が賄えなくなって機関紙の年会費が三千円となったのである。それを機に購読を止めてしまったのがよくなかった。催促されることがなくなって、以来今日まで中断が続く仕儀となってしまったのだから。

しかし、現在やっていないのは真向法を見限ったわけでは決してない。再開のきっかけが掴めないだけなのだ。

三金会雑記の原稿〆切というのは意外に早く来る。書くべき話に事欠いて苦し紛れに真向法を取り上げたわけだが、よし、そうだ、この原稿を書いたのを機会に、明日から真向法を再開するぞと今心を新たに決意した次第である。

 


「三金会雑記」    2002年冬  62号

     再び「健康法」について

私は間もなく七三歳になる。これまで頭で理解していた観念的な「老い」とは違って、極めて現実的な相貌を帯びた「老い」の実像が間近に肉迫してくる思いにとらわれる日が多くなり、今こそ「健康法」の大切さを考えさせられる昨今となった。

「健康法」といえば、これまではせいぜい中壮年層に焦点を当てたもので、七〇老、八〇老などはその対象から外されていたが、高齢化社会の急速な進行で最近はマスコミでも老人の健康法、なかでも「呆け」防止について語られることが多くなってきている。

つまり「健康法」の中で「老い」を養う「健康法」がようやく市民権を得つつあるようだ。

私は随分以前から健康法には関心があったが、この年齢になってみると若い時とはいささか違う「老い」の観点から改めて「健康法」を見直す必要があるように思えてきた。

かつて「三金会雑記」に私が試みたことのある健康法について書いたことがある。「たわし摩擦」(1987年7月 2号)と「真向法」(1995年12月 34号)である。確かその後、平君から「僕も真向法をやっている」と聞いたことがあった。

「たわし摩擦」の方はとっくに止めてしまったが、「真向法」だけは、これまでに中断した回数は数え切れないが、ともかく断続的ながらも随分長い間続けてきている。

その効果かどうかは定かでないが、人から年齢より若いと言われる度に「真向法」のお蔭だと心の中では思っていた。背筋が伸び姿勢が良くなったのは疑いなく「真向法」のせいである。また病気らしい病気もしないで今日までなんとかやってこれたのも多分「真向法」のお蔭なのだろう。

ただ、健康法としての「真向法」に一つだけ不満めいたものを感じていた。それはこの健康法の創始者とその継承者が今の日本人の寿命からすれば必ずしも長命ではなかった事実を知ったからである。それに千葉に住み真向法グループの支部長を名乗っていた私の先輩格の人も七〇歳代前半で亡くなっており、「真向法」が果たして老人の健康法として万全かどうか、いささか不安がなくもなかった。

そうした折も折り、これぞという別の健康法の存在を偶然に知ることになった。その健康法が「正心調息法」である。「正心調息法」という健康法を信奉するに至ったのは、その創始者が現在百歳、今なお元気溌刺として週一回ゴルフを楽しみ、しかも八七歳、九〇歳、九四歳の時にエイジシュートを三回達成したというおそらく世界でも数少ない記録保持者であるという実例が存在していることが大きい。

その創始者の名は塩谷信男医学博士。ゴルフ界では知る人ぞ知る著名人でもある。東京帝大医学部卒業後八三歳で引退するまで現役の医者だったというキャリアを持つ。

生まれつき健康とはいえなかったのに、この健康法を完成させたのが六○歳、以後は老化どころか年々健康度が逆に向上してきたといい、どんな人でも「正心調息法」さえ続ければ百歳まで元気で自立した生活が送れると公言している。

この先生の引退後の住処が私と同じ伊豆東海岸の熱海というのも私には嬉しい。「正心調息法」とは直接関係ないが老後を養う生活環境が似通っているのが心強い。

この「塩谷式正心調息法」のやりかたは至って簡単。いつでもできる、どこでもできる、誰でもできる、お金もかからない、やる気さえあれば至極手軽に実行できる健康法である。

その基本となるのは「人間の健康に最も大切なものは酸素、人間は普通の呼吸では酸素が不足する。酸素を十分に供給することによって身体も心も健全になる」というもので、酸素をもっとも効率よく吸い込む腹式呼吸法として塩谷博士が完成させたのがこの「正心調息法」だという。

一日二五回の塩谷式の腹式呼吸を繰り返す、所要時間は概ね二〇分。ただ継続することが鍵だと言う。

世の中にごまんとある健康法だが、その中で腹式呼吸法を基礎としているものは甚だ多い。ヨガもそうだし太極拳もそうだ。二木式腹式呼吸法というのもあれぱ座禅もこれに近い。私が励行してきた「真向法」も実は一種の腹式呼吸法といえなくもない。


私が「正心調息法」を知り、始めてから丁度二ヶ月ほどが経過した。いまのところ一日も欠かすことなくなんとか続けているが、お蔭で身体が軽くなり、なにかしら身体の不調感も消えつつありへ気分的にもぐんと安定したように思っている。


百歳まで生きることを目標にしたわけではないが、これからの私の「健康法」はこれ以外にはないと心に決めている。


[追記】

この原稿を書いていたとき、次のような新聞記事が目についた。

「中曽根康弘元首相は現在八四歳にはみえない精気はどこから来るのか。『健康に一番必要なのは、精神の安定。それに呼吸法ですよ。』という。大きく吸った空気を背骨から尻の穴を通して、その下にイメージした深さ三千メートルの井戸に静かに吹き込む。」(二月四日付朝日新聞朝刊)
中曽根さんのやりかたは「正心調息法」とは少し違うが、どうやら基本は「正心調息法」と同じかと思われる。

 

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「平均寿命」「平均余命」、さてこれから

2015年07月28日 | 健康雑感

8月4日    火曜      

相変わらず炎暑の日が続く。日本全土で35℃から40℃に近い異常な数値を示すところに比べればまだましだが、当地とすればこの暑さはやはり異常だといえる。

さすがにこの暑さではやむを得ない場合は別として外出を控えざるを得ない。

だが、こんな暑さにもめげずに、明日からは子や孫が大挙我が家に押しかけてくる。例年のことではあるが、この暑さではこれを迎えるのも少々気が重い。

私はこの間、書斎に逃げ込めばなんとかなるが、万事世話をしなければならない老妻の負担は重く、多分、一行が帰った後にはしばらく「ぐったり」することになるだろう。

しかし、思えば定年退職後当地に移住して25年、夫婦とも80歳を超えてもなお、元気に大勢の子や孫を迎え入れることができるというのはありがたいことなのかもしれない。

毎年、この時期に厚労省が発表するのが「簡易生命表」である。これによると、日本人の平均寿命は男性80.21歳、女性86.61歳で過去最高を更新しており、女性は3年連続世界一、男性は世界3位(一位は香港81.17歳、二位はアイスランド)だとある。

「平均寿命」(ゼロ歳児の平均余命)の伸びもさることながら、私はいつも同時に発表される「平均余命」(ある年齢層の人がその後平均的に何年生きるか)の方を見て、これから生きるであろう期間の目途を立てることにしている。(これも毎年確実に伸びている)

この表によると、私85歳の平均余命は6.12年とあり、85+6.12=91.12歳まで。家内は83+9.45年=92.45歳まで平均的だが生きることになる。

とすると、私の場合、なんとか東京オリンピックを見ることはできそうである。東京オリンピックとそれまでの日本の変わりようを見ることを一つの目途にとして、それまでなんとか元気で健康で過ごしたいと思う。

元気に過ごせる寿命として「健康寿命」、つまり「日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間」というのがあるが、厚労省は昨年は男子71.19歳、女性は74.21歳としているが、今回は「健康寿命」には触れていない。まあ、今年もさほでの変化はないだろう。

いずれにせよ男性71.19歳、女性74.21歳とは随分短いようにも思われる。我々はそんな年齢期はとうに過ごしてきてしまった。

今の健康状況からみるなら我々夫婦はこれまだよく頑張ってきたといえるが、これからいつまで今の健康状態を続けていくことができるかどうか。

そんなことを思っていたところに、こんな本が目に付いた。名郷直樹「『健康第一』は間違っている」。

筆者は産経新聞で「家庭医が教える病気の話」」(武蔵国分寺公園クリニック院長)というのを連載し、先月107回で その連載を終えている。

時々読んだ程度だが、日本の現医療態勢の下での検査、数値、投薬の在り方に批判的で、内外のエビデンスを論拠に「生活習慣病」の薬は検査値を下げても寿命が延びることはつながらないとし、やんわりとだが年寄りは「薬は飲むな」ということを言っているらしいと私は理解し、私はそれなりに納得するところのある記事だった。

そんなこともあって、題名にひかれて取り寄せ読んだわけだが、300頁に近い本にかかわらずあまり感心しなかった。ちょっと時間の無駄だったか。

どちらかというと私が知っていることが多く、いろいろこねくり回しているが、要は長寿に何の意味があるのか、高齢者は長寿=健康にこだわるな、現在の生活を大事にしろということに尽きるとみた。(それは私も同意見ではあるが……)

]この本は題名はまことによろしいが、内容はダメ。すぐ捨ることにする。

高齢者に対する日本の医療態勢がなにかおかしいことは分かっていた。しかし、この本よりもエビデンスを基にしてより直截に現医療体制に対峙してものを言ってる近藤誠「医者に殺されない47の心得」、中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな」、浜六郎「高血圧は薬で下げるな」などの方がはるかに分かりやすく参考になる。

こちらをもう一度読み返してみよう。

 

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寿命

2014年08月02日 | スマートホンから

3月27日  (木)    

もう10数年も前のことだったか、PPKという言葉が流行ったことがあった。「ピンピンコロリ」つまり老人の生き方は「死ぬまで元気」が理想だというのことである。私も当然ながらPPKを望んでいた一人である。そのため健康に気を使い心身を健全に維持することに心掛けてきた。

最近になって知ったことだが、元気に生活している高齢者の60%は自分の死をPPKだと考えているという。しかし、聞くところによると救急車で病院に搬送され1週間くらいベッドに寝かされてから死亡する人まで含めたPPKは僅か10%程度だという。

つまり、90%の人の終末期は半介護、全介護を経てから死を迎えるということになるらしい。

とすれば、日常的な起居動作の自由を奪われ、場合によっては自力で判断できない状態で死ぬのがむしろ常態だということになる。日本人の平均寿命は80歳だが健康年齢は73歳だということを考えれば納得がいく。

私は今のところ血圧、血糖値などの検査値に異常はあるが特別の病をもっていない。身体的動作にかなりの衰えがあるが、ロコモティブ・シンドロームというほどではない。しかし、だからといって安心はできない。

病がないからといって、己の死を直視する、死と正面から向き合うといった、ことさらに構えた姿勢を持つことはないが、死を視野に入れて日頃から生活することには心がけている。

「大往生するなり医療とかかわるな」というベストセラーを書いた中村仁一医師の講演をユーチューブで聞いた。教えられたこと、考えさせられたことが多々あった。

彼は言う。「老人の務めは老いといかにうまく付き合って生きるか、そしてどのようにうまく死ぬかを若い人に示すことだ」と。

最近は、なんとなく高齢者の生き甲斐ではなく、超高齢者の生き甲斐ということを考えあぐねていた。

70歳台まではまだ日々にやりたいこと、やってみたいことがあったし、それが生き甲斐になると考え、心の安定を保ってきた。

しかし、80歳を超えたあたりから、そうしたことも日常生活のなかに埋め込まれ強いて特別の目標めいたものから遠ざかってきたように思う。そんなときにこんな言葉を聞くと、そうだ、今一度そうした角度からこれからの生き甲斐を見直してみたいとおもうようになったのである。

ひたすら健康管理に気をつかい元気に過ごすことを目標とするのではなく、いかにうまく老いに寄り添い生きていくか、そして自分なりに満足した人生を終えて死を受けえ入れるか、それ自体をこれからの目標にすべきだと。

そうした生き方が超高齢者の端正な生き方になるのではなかろうかと。

「老い行く姿をみせよ。死にゆく姿をみせよ」それが老人の役割なんだと。

齢とともにいろいろなものが失われていく。いかに健康管理に努めても、確実に心身能力は失われていくのだ。

そこで、失われた能力を回復しようとするのではなく、残存した能力を感謝とともに受け入れる、感謝することが大切なんだと。

こんな言葉があるそうだ。「欠けた歯を惜しまず、残った歯を喜び、抜けた髪を憂えず、残った髪を数える」と。

健康は目的ではない、手段である。人生を豊かにいくるための手段に過ぎない。

「その人らしさ」を以て生きていきたい。

 自分が真に望む方向、やりたいこと、やらねばならないことを見定め、それに沿って随時老いの必然がもたらす病、体の不調と共存しながら、しかるべき選択をして終末期に至る。


7月1日付け産経新聞に「明らかになってきた健診の効果」と題した武蔵国分寺クリニック院長名郷直樹という医者の記事が載っていた。私がいつも興味をもって読んでいる「家庭が教える病気のはなし」という連載記事の58回目である。

イギリス医師会雑誌6月に発表されたデンマークでの6万人を対象にランダム比較試験による10年間の追跡調査で健診の効果を検証した論文を紹介し、結果は健診群と非健診群との間に死亡率や心筋梗塞・脳卒中の発症率などになんら差がないというのである。

しかもこれは「もはや驚くべき結果ではなく、これまでの研究と同じ」で、結論として健診に公費を投ずるのはすくなくとも「健康のため」ではないと断じている。

最近、市から高齢者の健診を呼びかける書類がきていたが、これを無視した私の態度は正解だったと思う。

私は糖尿病管理のため2月に一回HA1cの検査と投薬を受けているが、それ以外の血液検査を受けることは毎回断っている。その理由は、検査で癌などの異常が見つかっても特別の措置はせずに放置することにきめているからである。

なにしろ84歳である。痛かったり、苦しかったりするのであれば対症療法はお願いしたいが、手術などの措置は望まない。


これまで、日常生活にかかる生活費については家内任せであまり関心がなかったが、昨今の経済情勢と予想残存生存年に照らしあっわせて、少しは関心を持つべきか、と考えて過去の貯金通帳を拾い出し自動的に引き落とされている銀行口座の金額をチェックしてみて、改めて驚いた。

昨年にくらべて、月々引き落とされるすべての金額が増加しているのである。電気、ガス、水道、ガソリン、電話、ネットなどをはじめ公租公課(所得税、住民税、医療保険、介護保険など)。しかも、その増加も半端なものではなくなりつつあるようだ。

デフレからの脱却がいいことのように思わされたいたが、なんのことはない年金生活者の生活を圧迫するインフレは続いているのである。

デフレの時代からインフレの時代へ、少なくとも高齢者の生活にとっては必ずしもいいことでrはなさそうである。

しかし、それが日本国民全体にとっていいことであるなら、比較的恵まれている高齢者は甘受せねばならないのかも。

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百寿者の生き方

2012年07月24日 | 健康雑感

7月24日  (火)  薄曇り

我が国の百寿者(センテナリアン)の数が激増している。平成3年では僅か3,625人だったのが平成20年には40,399人、10年経った現在では決して珍しい存在ではなく、おそらく5万人をこえているのではないか。

私は百寿者になりたいとは思わないけれど、この長生きの時代だからどうなるかは分からない。

いずれにしても、あたりを見回して感じるところでは90歳前後まで生きるのではないだろうかと思われるので、常日頃からそのことを念頭に置いておく必要があるだろう。

百寿者を目指そうなどと考えたこともないが、どうせこれからも生きるのであれば━ 生きざるを得ないのであるなら ━それまでは健康に過ごしたいと思う。

そんなことを考えていたら、「人は誰でも『元気な100歳』になれる  長寿遺伝子活性化の秘密 (医学が証明した長寿のヒケツ)」・坪田一男という本を知り、早速アマゾンで取り寄せて読んでみた。

106歳で亡くなった「正心調息法」の創始者塩谷信男博士の言葉だったと思うが、世に色々な「健康法」があるが、その良否の判断はその創始者が何歳で亡くなったかが一つの決め手になる、といった趣旨の発言を記憶している。確かに、「健康法」を創始しそれを実践してきた創始者本人の寿命こそがその「健康法」の実効性を確保するエビデンスそのものであろう。 

だから、「健康法」を説く本や記事を読む場合、その著者が現在何歳なのか知りたいと思う。まだ「老い」を知らない若い医者や学者が統計や文献などをもとに頭だけで書いた「健康法」など、すこし胡散臭い。

だが、この本はどうやら著者の年齢を度外視してもいいらしい。

というのは、この本が6年にわたり対面調査した多数の「百寿者(センテナリアン)」の生き方から共通項を見出し、それにこれまで明らかになった老年医学・抗加齢医学の「老化」に関する科学的知見を加えて、「元気に生きる秘訣」はこんなものだろうとまとめたものだからである。

元気で老後を生きるには、三つのカテゴリがあるようだ。「食事」「運動」「心構え」である。

そこに説かれていることは、私なりにおおいに納得させられる。

結論的に言ってしまえば、かなり甘い採点ではあるが、この本に書かれている大方のことは、私が既に「実践」しているというには少々はばかりがあるが、そうありたいといつも「心掛ける」ものだということはできる。

この中で、特に私が惹かれたのは「心構え」である。

1 ご機嫌で過ごす

自分の生活を楽しんでいる人は長生きする。なるべく好きなものに囲まれ、なにか夢中になるものを見付けておくなど、生活を楽しむ工夫を。またなるべくご機嫌な人と多く過ごし、不機嫌な人を避ける。

2 五感を鍛える

好奇心は五感を刺激し、脳を刺激する。ちょっとした散歩のときも視覚や聴覚、嗅覚を研ぎ澄ます習慣を。

3 笑顔を増やす

作り笑をするだけでも、脳に楽しいという感情を湧き上がらせ、ご機嫌な感情を作り出す。また、笑顔は周囲にも伝染する。普段からなるべく笑顔を心掛けるようにしよう。

4 愚痴らない、怒らない

怒りが増幅すると体内で活性酸素が大量に発生し、細胞を炎症させ、老化や病気の原因になる。血圧も上がる。なるべく普段から怒らない、愚痴らないことが大切。

5 おしゃれを楽しむ (これは私はちょっと不十分)

見た目が若い人は実際に長生きする。身体的若さだけでなく、見た目の若さも重要だ。

 

 

 


 

なお、以下は、この本から私がアトランダムにメモしておいたもの。

〇100歳まで生きようと意欲した結果ではなく、結果として100歳を超えてしまったという人ばかり。

〇百寿者の分類として ①生まれてから大きな病気をせず無病息災できたし人を「パーフェクター」 ②80歳までにおおきな病気を経験しながらも病気をかかえて有病息災で生き延びてきた人を「サバイバー」 ②80歳まで元気だったが、80歳を過ぎて病気を発症、それでも100歳まで生きてきた人を「スローワー」という。

〇アメリカの心理学者バリー・シュワルツ博士によると、人は「マキシマイザー(最大化人間)」と「サアティスファイサー(満足人間)の2種類に分けられる。幸せに生きていくためには、自分の選択に満足する「サティスファイサー」であれ。

〇現在のところ、長寿に関する遺伝子は約30種類以上発見されている。その中心になるものが、Sir2。

〇見た目が若い人は実際に長生きする。 

〇水分をしっかりとることは、アンチエイジングの基本

〇お酒を飲むときは同量の水を摂取しながら飲む。

〇よく噛んで食べる。(唾液にはホルモン様物質が沢山含まれている「パロチン」[IGF-1」)

〇歩く速度が速い人の方が老化が遅く、長生きする。

〇舌を前や左右に突き出したりひっこめたりする運動「舌出し運動」140回

〇すこしきつい運動にチャレンジする

〇長生きのヒケツは好奇心 

〇老化を予防するには、好奇心や探究心を持ち、五感をどんどん刺激して神経細胞を働かせること

〇五感から入力した情報をアウトプット、つまり言葉として出力する。言葉の表現は情緒的な感覚に論理的思考が加わって脳をさらに広範囲に活性化させる

〇意図的にご機嫌な笑顔を作る

〇現代で長生きできるのは「生活習慣を論理的に改善できる賢い人」「賢い奥さんがいる人」

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高齢者の癌について (2冊の本から)

2012年06月29日 | 健康雑感

6月29日 (金)  -

昨今話題になっている本、近藤誠「抗がん剤は効かない」と中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな 『自然死』のすすめ」を読む。

おおいに頓悟するところあり。

平成20年の日本人の死因は、1位が癌(悪性新生物)、2位が心疾患、3位が脳血管疾患、4位が肺炎となっている。1位の癌死は一貫して増加し続けており、全死亡者の30%を占め、そのうち75歳以上高齢者は3分の1になっているという。

高齢になるほど癌死はふえるから、ほとんどの超高齢者は癌で死ぬと考えておいた方がいい。

そうであるなら、超高齢者はその終末において対面する癌をどのように考え、対処するかを日頃から考えておかねばならない。

この二人の医者に共通していることは「癌」は放置しろということ。

現在の医療界の常識に対置する意見だから、批判は激しかろうがその見解を受け入れるかどうかは、その説くところをどのように読み解き、納得するかに係っている。

それはあくまで自分自身の判断であり、その人の「死生観」につながるともいえようか。

この年齢に達するまで、私は友人はじめ多くの癌死した人を知っており、医学会で取り上げられる統計的裏付け(その分析も怪しい)より、見聞きしてきた実例の方がより明確なエビデンスと考えている。その限りで若い人の癌は別にして、高齢者、特に超高齢者の終末の捉え方としては二人の意見に賛成である。

がんを宣告された若い人が一か八かで癌細胞の攻撃(手術や抗がん剤、照射)という処置を選択するほかにないだろうことは心情的に理解できるが、少なくとも行き先の限られた高齢者にとっての選択ではないと思う。

癌になる前からこうしたことを心に刻み、これからのQOLを保持していこうと思っている。

以下、二冊の本のなかから私なりにメモしたもの。

 近藤誠「抗がん剤は効かない」抄

〇抗がん剤や分子標的薬は、延命効果に関しては水も同然。毒性に関しては正真正銘、毒薬や劇薬に分類されているものが圧倒的多数。

〇抗がん剤は延命効果がないというより、一般的に縮命効果があると言った方が正確。(癌が腫瘤をつくる「固形がん」について。血液がんは別。)

〇今日、がんに限らず、高血圧や糖尿病等、種々の成人病の早期発見・早期治療が叫ばれています。しかしこれも、寿命を延ばすという根拠データがない。

〇がん検診を含め、健康診断や人間ドックは受けないほうがよい。

〇がんは「末期発見」が望ましい。

〇がんに起因する症状がない場合には、原発病巣を治療するのも、転移を治療するのも、疑問です。

ことに肺転移や腹膜転移等ある場合、原発病巣の手術をするのは間違いとすらいえる。取るべき症状がない以上、手術しても楽にならず、後遺症で苦しむだけ。命を縮める可能性が高い。

 中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな(自然死のすすめ)」抄

〇ほとんどの医者は、自然死を知りません。人間が死んでいく姿を、見たことがありません。

〇「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです。医療が濃厚に関与することで、より悲惨でより非人間的なものに変貌させてしまった。

〇がんでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず、穏やかに死んでいきます。…年寄の癌の自然死、60-70例を経験した今は、確信に変わりました。

〇本来、年寄は、どこか具合が悪いのが正常なのです。不具合のほとんどは老化がらみですから、医者にかかって薬を飲んだところで、すっかりよくなるわけではありません。

〇感染症と異なり、難病、生活習慣病は、その原因が体質や素質(遺伝子に問題)、悪い生活習慣、老化など多岐にわたり、特定できない。したがって除去、撃退不能のため、完治ということはない。

〇精密検査をすれば、確かに詳しくは分かるでしょうが、その結果を踏まえて好転させる手立てがあるかどうかが重要なのです。

〇エビデンス、集団で比較した場合に、統計的に意味のある差があった、つまり有効だったということです。有効グループの全員に効いたのではなく、効かなかった人もいます。ただ、集団で比較すると効ありといえるだけで、特定の個人、貴方にも有効といっているわけではない。

〇枯れかけている植物に肥料をやるでしょうか。

〇人間は生きていくためには飲み食いしなくてはならない。当たり前のこと。ところが生命力が衰えてくると、その必要性はなくなる。…脱水は、意識のレベルが下がって、ぼんやりした状態になる。呼吸が充分できなくなると、酸素不足、酸欠状態になり、炭酸ガスが体内にたまる。酸欠状態では脳内にモルヒネ様物質が分泌される。炭酸ガスには麻酔作用がある。老衰死は痛みや苦しみもなく、不安や恐怖や寂しさもなく、まどろみのうちに……

〇点滴注射もせず、一滴の水もはいらなくなった場合、亡くなるまでの日数は、7日から10日くらい。排尿は2-3日前まである。

〇食べないから死ぬのではない、死に時がきたから食べないのだ。

〇「多少死期が早まるだけの話です」

〇癌になる最大の危険因子は加齢

〇癌、早期発見の不幸、手遅れの幸せ

〇「天寿癌」さしたる苦痛もなく、あたかも天寿を全うしたように人を死に導く超高齢者(85歳以上)の癌。

〇私のところでは、過去に麻薬を使うような末期がんの患者をみたことはありません。老人ホームで、60-70名の年寄のがん患者をみていますと、癌に対してなんら攻撃的治療をしない場合、全く痛みがないのです。(同和園での癌死52名)

〇発見時に痛みはなく、その後、何の手出しもしなければ痛むことはないと分かった。「死ぬのは完全放置の癌に限る」は、確信に変わった。

〇「老い」には寄り添ってこだわらず、「病」には連れ添ってとらわれず、「健康」には振り回されず、「死」には妙にあがらわず、医療は限定利用を心掛けることが大切。

〇年をとるということは、高齢の障害者になるということに他ならない。

〇生活習慣病の特徴は、「治らない」「治せない」「予防できない」「すぐに死なない」です。…なおらなくてもいいと諦め、上手にお付き合いをすることが肝要」

〇以前は「正常値」といわれたが、今は基準値とか基準範囲といわれる。基準値は健康人の95%が含まれる値に設定されている。健康であっても5%の人は外れる。しかも若者のそれである。検査項目は複数である。理論的には10項目で59.87%、健康人10人のうち4人強はどの項目かが基準値を外れる。30項目なら約8割の健康人がひっかかる。

2011年人間ドック受診者300万人で「異常なし」が8.4%だった。検査結果の賞味期限は当日限り。 

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80歳を超えたら「医療棄民」か

2012年01月19日 | 健康雑感

1月19日(木)

毎朝風呂から出た時に必ず測定しているオムロン体重組成計(HBF-362)が作動しなくなった。理由は簡単、何年も使用してきたから電池の寿命が尽きたのである。

早速、単3電池4本を入れ替えたら器械の初期設定が必要になった。日付や時刻の設定は簡単だったが、個人データーを登録する段になって驚いた。年齢の設定ができないのである。

なんと設定できるのは80歳まで、この器械では80歳以上はお呼びでないときた。

そういえば、病院での血液の「生化学検査」測定値をはじめ血圧、血糖などの数値については、昔は年齢別(年代別)に適正値があり違っていたような気がするが、現在では年代別は無視されるか、あっても60歳代、よくて70歳代までしかないのでは…。

80歳の健康の指標となる数値など、現在の医療では全く考えられていないようである。

こうした数値だけではない。少々の身体の異常などを医者に訴えても「お歳ですから」で軽くいなされてしまうようである。

健康維持という観点からみて、平均寿命80歳以上の人は「医療棄民」「医療難民」とみなされているといってもいい。

健康は自分で判断し自分の力で守るほかないようである。

電池を入れ替えながら、ぼやいていたら、家内が昨日かかってきた電話は県共済の医療保険の勧誘でいろいろ言っていたが「80歳以上は入れないのでは」と一言いったら、「失礼しました」といってすぐに電話を切ったという。

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夜間頻尿が治る?基礎体温が上がる?

2012年01月10日 | 健康雑感

1月10日(火)

超高齢者にとっては避けがたいいろいろの「持病」ないし身体の不調を少しでも緩和できる手立てがあればなにはともあれやってみる価値がある。

痛かったり、苦しかったり、痒かったりするのであれば病院でしかるべき処置をしてもらうことになるが、長い間付き合ってきたちょっとした不具合、「病気」というほどでない程度の身体不調なら、生活習慣の改善やら昔からの民間療法、東洋医学とか代替医療とかいわれるもので少しでも効果が感じられれば試してみる価値がある。

西洋医学で使われる強力な薬剤は即効性があっても身体全体を痛める可能性(副作用)は高いと考えられるから、できることなら避けたい。

老人によくみられる夜間頻尿もそうした類のものであろう。症状が軽度の場合はいいとして、だんだん重くなってくると結局は病院で診断を受け、薬が投与されるという流れになる。

私の場合、はじめは民間療法として健康補助食品「ノコギリヤシ」の服用に始まったが、はかばかしくないので、病院で診断を受けて当初は医療薬「ハルナール」、その後は「ユリーフ」に変えてもらい飲み続けてきた。

その効果といえば、就寝後に2-3回くらいトイレに立つくらいになったので、まあ、薬はこの程度効くのであれば良しとするか、と考えていた。

2011/3/24ブログ 夜間頻尿対策

ところが、その後もっと深刻な変形性股関節症で苦しむようになって夜間頻尿などほとんど意識しなくなり、もっぱら股関節のための東洋医学的治療法「KIK療法」に全神経を集中してきたのが昨今だった。(その効果は抜群、完治とはいわないまでもかなりよくなってきている)。

その間、KIK療法の補助措置として遠赤外線治療器「ホットパック」を夜間の暖房器具代わりとして一晩中腰の当てて寝てきた。(身体の深部まで温まるのでそれまで冬季に使用してきていた電気アンカは不要になり、さらにはこの酷寒に季節に寝室のエアコンもつけなくなっている)

この遠赤外線治療器に直接期待した効果は腰や股関節あたりの血行をよくすることだったのだが、ふと気が付いてみたらいつのまにか夜間トイレに立つのが1回か2回になっているではないか。(更に尾籠な話だが、オシッコが曲がらず真っ直ぐに飛ぶようにもなった。)

そんなことで「ホットパック」の効能書きに腎臓を強化するとあったことを思い出し、そのせいかもしれないと思い、それまで飲んでいた「ユリーフ」一日1錠の服用を止めて、経過をみてみた。それでも1,2回というトイレ回数に変化はないようである。

これに力を得て、昨年暮れから「ユリーフ」服用をふっつりと止め、今年に入ってからは念のためトイレにメモ紙を置き夜間トイレに立った時間を記録してみた。
なんと就寝時と起床時(というより目覚め時)を除けば1回で済んでいる。

これはまさしく遠赤外線治療器の効果であると判断した。長年の悩みが思わぬことで解決したのである。すくなくとも現段階では!

 

これにすっかり気を良くして、遠赤外線治療器の効用がほかにもあるのではないかと、自分の身体をあれこれまさぐってみた。

気が付いたのは、最近は便通がとてもよくなっていることである。もっとも、これがその効果だと断言するのはまだ早いが……。

そのほかに、もっとはっきりした効果が認められたものがある。それは基礎体温の上昇である。

「ホッとパック」愛用者の感想に低体温が解消したとあったのを見て、風邪でも引かないかぎり手にしたことのない体温計で自分の基礎体温を測定してみたのである。

朝は36.0℃くらい、日中は36.5℃くらいある。

かなり前のことになるが健康保持に関して「免疫力」に興味を持ち、国際的に活躍している免疫学者安保徹の「体温免疫力で病気は治る」を読んだことがあり、「人間の体温は36.5℃は体内環境として理想的、免疫力が高く健康体」とあったのを思い出し、読み返してみた。

その本の最後の頁に読後感のようにそのとき測定した体温が記録されていた。

なんと、朝35.1℃と書いてある。その基礎体温のあまりの低さにはがっくりきて、この本に書いてあった基礎体温を高める諸方法(運動・食事・入浴・睡眠・気持など)を実践しなければと思つたものの、そんなことはおおかれすくなかれやっていたたことでもあり、改めて特別には取り組まなかったことを思い出した。

ホットパックのお蔭で「基礎体温」36.5℃になったことにすっか自信をつけ、改めて安保徹・清水教永「健康体温36.5度の生活術」、東善彦「遠赤外線と医療革命」石原結実「体を温めると病気は必ず治る」などの本(インターネットで中古品を買えばほとんどただみたいな値段)を取り寄せ再度体温と免疫力を勉強することにした。

遠赤外線が体温上昇に資することはどうやら間違いないらしい。

高度な内容ではないが、体温と免疫力の関係やその関係などについて常識的なレベルでいろいろなことが分かってきたが、なにはともあれかつて35.1℃という低体温が現在は理想とする36.5℃になった事実は間違いなく、これは遠赤外線治療器「ホットパック」には想定していなかった意外な効果で喜びにたえない。

 

なお、かつて「35.1℃」という低体温だったことについて一言。

これは正しく測定された体温だったかどうか、今にして思えば疑問がないわけではない。体温計の測定方法について誤っていた可能性が高い。

体温計の測定法についてメーカーの取扱説明書をよく読むとはっきり書いてあるのだが、ほとんどの人はそこに目をとおしていないのではないか。

ピピッツとなる体温計の示した時の数値は「予測値」であって「実測値」ではない。「実測値」を得るには少なくとも10分は脇の下に入れとく必要があるらしい。私の35.1℃は、どうやら脇の下への入れ方も十分でなかったろうし(その入れ方にもいろいろ指示がある)、時間もピピツと鳴ったとき(3分くらい?)だったから予測値に過ぎなかったと思われる。

体温計など風邪などかかった時に使うくらいで(排卵時期を確認する女性は別)、正確な基礎体温を測ることなどほとんどの人はしないからこうした取扱の不備がでるのであろう。病院でも体温計の測り方を積極的に指導すべきであろう。

体温計の測り方

 

ちなみに、血圧計の正確な測り方についても記しておきたい。

「WHO/国際高血圧学会のガイドラインでは、血圧の測り方して『静かな所で数分間座ってから測定する』方法を推奨している。また、日本の高血圧治療のガイドラインでも『少なくとも15分以上安静座位の状態』で測定することを推奨している」(浜六郎「高血圧は薬で下げるな」p124)とある。現在病院でこんな測り方をしているところはないのではないか?

 

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ジャヌビアの効果 (ヘモグロビンA1c の推移)

2011年07月07日 | 健康雑感

7月7日(木)

「糖尿病」と病院で診断されてから随分長い歳月が経過している。その間、医者からは幾度となく血糖値コントロールの経口薬の服用を勧められてきていたが、生活習慣をできるだけ改善することで対処したいといつも断ってきていた。

これは渡邉昌「食事と運動で糖尿病を治す」という本を読み、薬を飲まずに「運動」と「食事制限」をきっちり行えば糖尿病を克服できるとする説におおいに納得したところがあったからである。

2009/06/30 ブログ「糖尿病を克服する」

もっとも、この本の説くとおり厳格に「運動」と「食事制限」を励行できたわけではない。自分なりにできるだけやったという程度のものだった。

そのため、その成果は一進一退、いや振り返ってみればよくなるよりも少しずつだが血糖値やヘモグロビンA1cの数値は上昇傾向にあったのである。

それもそのはず、しっかり頑張って血糖値やヘモグロビンA1cの数値が少しでも良くなると、つい気が緩んで飲酒の習慣が戻ったり、「おやつ」を食べたりしてしまっていたからである。 

同書では食事と運動による血糖値コントロールの目標として

「ヘモグロビンA1cを6%台に保てれば、合併症のリスクは平常人とほとんど変わらず、7%台でもリスクが高まるだけ……(同書p61)」

とあったのも甘えさせる原因だった。7%を超えることのなかった私としてはまだまだ余裕があると楽観的に考え、ついついルーズな対応になっていたのである。

最初の頃6%前半で推移していたA1cが、いつの間にか6%後半となっても、まだ甘く考えていた。それが、昨年12月の検査では、一気に7.1%と大台を超えてしまったのである。

この数値に驚き、改めて尿検査の過去のデータをもェックしなおしてみると、こちらの方も気付かぬうちに「異常なし」がいつしか糖+-、+、++となっており、更に最近では蛋白まで+-、+と異常を示すようになっているではないか。

医者から尿から蛋白が出るようになって、このまま放置していたらやがて人工透析するようになるぞ、としっかり脅されてしまった。昨年12月のことである。

そのような段階に至ったからには、もはや薬を飲みたくないなどとはいっていられなくなる。

帰ってインターネットで糖尿病の薬をあれこれチェックしてみた。そして、糖尿病薬の中にこれまでの糖尿病薬とは機序が全く違う副作用の少ない新薬「ジャヌビア」というのが見付かった。

この薬は糖尿病薬の副作用でもっとも気懸りな「低血糖」を引き起こすことがなく、しかも一日1錠の服用で足りるという飲み忘れがない画期的な薬だとある。

医者に相談してこれからこの薬を飲むことにした。

この薬はこれまでの「運動」「食事」によるコントロールをしながら服用すると卓効があるという。一日1錠だから飲み忘れはないし、身体への負担もすくなかろうと、しばらく続けてみることにした。

12月からはじめて7月まで。それがなんと素晴らしい成果をもたらしている。

7月6日の検査結果は、ヘモグロビンA1cは6.4%、尿検査は糖・蛋白に「異常なし」、血糖値(食後4時間)133㎎ 血圧130/80 というかつてなかったような好成績であった。

次表は薬の前にヘモグロビンA1cの血液検査をしてもらった毎月の結果である。

縦軸がヘモグロビンA1cの数値(%)、縦軸が月数である。

4月目(横軸4)の7.1%から飲み始めて以来見事な下降線を描き、6月目(横軸9)の検査では6.4%にとなっている。

これまで血糖値管理の指標として、次のような表が示されている。(日本糖尿病学会)

上段の数値は現在使用されているもので、下段の数値は「新たに使用する国際基準値」だという。

現在使用されている数値については、次のような説明がある。

「正常な人であれば、HbA1c値は 5.8%以下とされています。一方、それ以上の数値ですと、高血糖状態が続いていた、ということになります。この数値が、8%を超えた状態が長く続きますと、色々な合併症を起こすと言われていますので、多くの医療機関では、この数値を下げることに主眼がおかれています。
このHbA1c値は、過去1ヶ月~2ヶ月の、血糖状態を表すので、血糖値よりも正確な血糖状態を教えてくれます。血糖値は、あくまでもその血液検査をした時の血糖状態なんです。」

ところが、下段の数値については

「日本糖尿病学会は5月27日、現行の診断基準を改め、血糖値に加え、HbA1c≧6.5%(JDS値では6.1%)を追加した新診断基準を7月1日から施行することを明らかにした。
 HbA1c値は、日本糖尿病学会が定め国内で広く使用されているJDS値と、米国を中心に世界的に普及しているNGSP値とでは、算出方法と値が異なる。日本のHbA1cは米国よりも0.4%低値であり、米国糖尿病学会(ADA)と国際糖尿病連合(IDF)、欧州糖尿病学会(EASD)によって設置された国際委員会が勧告しているカットオフ値6.5%は、日本の基準では6.1%になる。」

とあり、なんだかことさら素人に分かり辛い表現で書かれてある。しかし、これを単純に理解すればこれまでの日本のコントロールの数値はこれまで高すぎたから0.4%引き上げたということらしいのだが、その後にも国際基準と違うと国際共同試検や研究で齟齬が生じるからとかなんとかいろいろな説明が付け加えられ、一層素人を混乱させるような内容になっている。

要は、ヘモグロビンA1cについて、コントロール評価の優良可不可の基準となるヘモグロビン数値を0.4%引き上げるということに尽きるのではないか。

そうだとすれば、私の6.4という数値は、あと一歩。6.2未満になれば「優」、つまり糖尿病を克服したということになるのではなかろうか?

<参考>  新診断基準に盛り込まれている「HbA1c 6.5%以上」の6.5%は実は欧米を中心に用いられている測定法で出された“NGSP値相当”だ。しかし、現在日本で使用され、日常臨床での検査結果用紙などに書かれているのは、日本の独自の測定法によって出されたJDS値。JDS値とNGSP値には0.4%差があり、NGSP値の方が0.4%高いため、新診断基準に盛り込まれるHbA1c 6.5%(NGSP値)とは、これまで日本で使われてきたHbA1c(JDS値)として表記すると6.1%になる。

 HbA1c(NGSP値)は欧米や中国、韓国など世界的に使用されており、「日本から発表される臨床研究や臨床試験、疫学研究などの結果を見た海外の医師から、同程度の糖尿病患者を対象としていても、『日本では軽症患者を対象としている』『日本人の糖尿病患者は(HbA1c値から見ると)軽症だ』などと指摘されてきた」(日本糖尿病学会理事長の門脇孝氏)

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大櫛陽一「コレステロールと中性脂肪…」

2011年01月18日 | 健康雑感

大櫛陽一・東海大学医学部教授(専攻 医療統計学・糖尿病・脳卒中)「コレステロールと中性脂肪で、薬は飲むな」を読む。

同書より重要部分を抜粋

 「中性脂肪と病気との関係はほとんどない」「中性脂肪は高くても死亡率に影響しない」

「男性では中性脂肪150mg/dl以上では死亡率が低く一定、日本動脈硬化学会の<150㎎/dl以上は脂質異常症>は大きな疑問」「欧米の治療ガイドラインは250-1000mg未満は全く治療の必要性なし、生活習慣の改善も不要、1000㎎/dl以上でも特例を除き薬剤は不要」
 
「コレステロール値が高くても統計的有意な死亡率の上昇はなく、低いと優位に死亡率が上昇する」
「総コレステロール値が高い方(200mg /dl以上)が長生き」「低コレステロール(160㎎/dl以下)は死亡率が上がる」
「正常な人は、加齢に伴って総コレステロール値が上昇する。これは病的な変化ではなく、免疫力を高めるために細胞膜を強くするという必要な変化である」

 
「LDL(Low Density Lipoprotein)は総コレステロールの約6割、(欧米の基準値はLDL値は190mg/dl・総コレステロール値で280㎎/dlに相当)男性では100-160㎎/dlが最適値」
 
「コレステロールは高い方が脳卒中になりにくい」「コレステロールが高くても、血管に炎症がなければ心筋梗塞や脳卒中にない」「高脂血症の方が脳卒中にならない」「高脂血症の方が脳卒中の程度は軽い」

 
「無駄かつ危険な医療で最も規模の大きな医療は高血圧医療である。栄養状態がよくなり、昔のように血管がやぶれなくなって、高血圧の危険性は少なくなっている。しかし、高血圧の診断基準は次々と下げられ、最大血圧で180mmHg以上から130mmHg以上となった。基準を下げれば患者が増え、降圧剤が売れる。無駄な高血圧治療は年間1兆5000億と推計される」
 
 
ここ数年の私の中性脂肪の検査値の推移( とても高いと診断され、検査のたびその数値の上下に一喜一憂していた自分が馬鹿らしくなった。コレステロールについてもほぼ同様。いずれも医者からしつこく勧められていた下げる薬を拒んでいたのは正解だった。)
 

※ 私が承知している限り、薬剤の効果は、もっぱら試験的投薬の実績を統計的に処理して有効・無効、副作用の程度によって判定されるようだ。そうであるなら、大学医学部「医療統計学」を専攻する学者の意見が無視されてはなるまいに。

※ この本は、実名まで挙げて医薬界における「産官学」による救いがたいような癒着構造(製薬企業から学者への多額の寄付金・研究費、厚生省から製薬企業への大量天下り、厚生省・学者が策定する低い健康基準値によってもたらされる膨大な医療予算と個人負担)を指摘している。 Conflicts of interest (利益相反)が野放しの現状で医者の言うことをそのまま信ずることが難しくなった。これからは、自分で関連情報を集め自分なりに納得した上で自分の医療措置を考えねばなるまい。

自分の身体は自分の力で守るほかないとは!

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