伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

国際比較にみる「日本国」   オリンピック・メダル数からの連想

2012年08月23日 | 三金会雑記

「三金会雑記」101号の原稿素案

 (月末の原稿締切日までまだ間があるが、早めに原稿の素案となるものを書いておく。100号で廃刊の予定がどれだけ延びるのか?101号が最後になるかもしれないが、終わりだけは全うしたい。)

 

国際比較にみる「日本国」      ━ オリンピック・メダル数からの連想 ━

オリンピックは、本来、優れたアスリートたちが世界の舞台で競う「スポーツの祭典」の筈である。だが、TVでロンドン・オリンピックの様子を見ていると、日本人選手の活躍には熱狂するが、日本人選手が出場しないような競技への関心は甚だ薄いように見受けられる。

もちろん私もそうした一人で、個々の選手の勝敗もさることながら、日本国を応援しているといった感じが強く、日本の選手が獲得するメダルの数が最大の関心事で、日頃あまり意識していない「愛国心」みたいなものがそこにあることを自覚する。

今回のロンドン・オリンピックは、参加国204ヶ国(まだ「国」とみとめられていない地域を含む)、1万を超す選手が訪れた過去最大の大会になったというが、日本のメダル獲得数は史上最多の38個、国別では6位となった。

このメダル数が日本の「国力」に見合うものであるかどうかは別にして、スポーツという文化面における日本の国際順位を示しているということはできるであろう。

そんなことを考えていたら、そもそもオリンピックに参加している「国」とはなんなのか、そして世界にあまたある国々の中で「日本国」はどのような位置を占めているのかといったことを知りたくなり、色々な面での所謂「国際比較」を調べてみることになった。

「国家」を定義付ければ、「領土と国民を持つ政治的共同体」ということになる。もっとも実際面では国際連合への参加の有無や参加のしかた、または他国が「国」として承認しているかなど複雑な問題も絡んでくるようだが、「国連参加国」ということでいえば世界に195ヶ国ある。

そこで、これらの国について最初にその構成要素である「領土」と「国民」を調べてみた。

領土

まず国土=領土について。

領土といえば、国が色分けされている見慣れた世界地図が念頭に浮かぶ。

中央の左上部を大きく占めているのがロシアである。ロシアは世界で最大の面積を持つ国で世界陸地の11.5%(1,709万㎢)を占めている。

2位になるのがカナダで6.7%(998万㎢)、3位が中国とアメリカでともに6.5%(963万㎢)、5位ブラジル5.7%(851万㎢)、6位オーストラリア5.2%(769万㎢)で、ここまでが「ビッグ・シックス」。7位のインド2.3%(328万㎢)との差はかなり大きい。
8位はアルゼンチン、9位はカザフスタン、その後には我々にはあまり馴染みのないアルジェリア、コンゴ、グリーンランド、サウジアラビアなどが続く。

そして、日本はといえば、なんと62位、世界陸地の僅か0.25%(37万㎢)を占める極東の小さな島国である。地図で見る限りなんとも心細い存在に見える。

下をみればきりがない。日本より小さな国はその後にずらりと並んでいる。

世界の最小国は「バチカン市国」(「バチカン」ではなく、これが正式名称)で0.00001%、国土はないに等しい。ただバチカン市国は国連参加国だが総会の投票権を放棄した特別な国なので、モナコの0.01%が最小国ということになる。

だが、陸地面積の広狭だけで、国土の大きさを見るべきではあるまい。

人が住めず資源も利用できない炎熱の砂漠や氷に閉ざされた極寒地の広さは、むしろ国の発展に障害にさえなる。

そんなことも考えて、国が支配する領域の広さについてもう少し調べてみた。

領海・排他的経済水域

日本は四囲をすべて海に取り囲まれた「海洋国家」である。ではどのくらい海に面しているのだろうか。「国の海岸線の長さ順リスト」というのがある。

これによると、1位はカナダ(20.2万㎞)、2位がノールウエイ(8.3万㎞)、3位インドネシア(5.4万㎞)、4位ロシア(3.7万㎞)、5位フイリッピン(3.6万㎞)と続き、日本が6位(2.9万㎞)で上位に顏を出す。日本に次ぐのが7位オーストラリア(2.5万㎞)、8位アメリカ(1.9万㎞)、9位ニュージーランド(1.5万㎞)、10位ギリシャ(1.4万㎞)とくる。

海岸線が長いからといってどうということはないのでは、と思ったが、これが陸地の「領土」に並ぶ「領海」に関連するだけでなく、「排他的経済水域」という重要な面積を決めるものとなる。排他的経済水域とはその国が優先的に資源利用・開発ができる海域のことである。

では「世界の排他的経済水域面積(領海を含む)ランキング」をみてみよう。

1位はアメリカ(762万㎢)、2位オーストラリア(701万㎢)、3位インドネシア(541万㎢)、4位ニュージーランド(483万㎢)、5位カナダ(470万㎢)、6位になんと日本(447万㎢)が来る。日本の後は7位ロシア、8位ブラジル、9位メキシコと続く。

排他的経済水域の面積でみると日本は国土の12倍の広さを持つ大国ということになる。


人口

国が支配する領域の面積より遥かに重要な国家の構成要素はいうまでもなく国民の数、つまり人口である。

世界で最大の人口を有する国は中国である。13億4,800万人。2位はインドの12億2,200万人で、この2国が桁違いの多さである。

3位はアメリカの3億1,300万人、4位インドネシア2億4,100万人、5位ブラジル1億9,500万人、6位パキスタン1億7,500万人、7位バンクラディッシュ1億6,600万人、8位ナイジェリア1億6.000万人、9位ロシア1億4,200万人、そして10位が日本の1億2,800万人である。

なお、パキスタンとバングラディッシュは第二次世界大戦前まではインドとされていたが、戦後に分離独立しており、これを加えるならインド大陸の人口は15億5,500万人近くに達し中国を凌ぐ大人口になる。

 

 

国連参加国195に「地域」を含め、単位として億で数える国が日本を含めて11ヶ国、5,000万を超える国が13ヶ国、1,000万以上が79ヶ国、100万以上が51ヶ国で、その余が100万以下の国・地域である。(日本の県別人口をみると大半は100万を超えている。)

一方では億で数える国もあれば、万にも満たない国もある。それぞれが一国を構え、国連総会でも1票を投ずることができるというのもなんだか奇異な感じがしないでもない。

ちなみに、国連参加国でもっとも人口が少ない国はバチカン市国で800人だがこれは例外として、人口の少ない国は、ツバル1万人とナウル1万人である。

この両国は人口が少ないというだけでなく、変なことで世界の話題になっている著名国である。

ツバル国は太平洋に浮かぶ島で最大海抜5m、平均2mという低い国土のため地球温暖化による海面上昇で国そのものが水没し消滅する危機に曝されている。

また、ナウル国は全土がリン鉱石で覆われた島で、独立後その採掘による収益だけで一人当たり国民所得が世界2位、高福祉の国というときもあったが、今世紀に入り採掘資源が枯渇してからは国家財政は破綻状態にある。

それはさておき、世界の国別人口の多寡でみると、なんと日本という国は「先進国」の中ではアメリカに次ぐ第の人口大国だという事実には改めて驚かされる。

GDP

では、日本の経済規模を他国と比較してみよう。

経済規模の一応の指標とされるのはGDP(Gross Domestic Product)=国内総生産である。

国内で新たに生産されたモノやサービスの付加価値の1年間の合計額のことである。

これは日本の経済力として国民のほとんどが知っていることだが、2011年では、ランキング1位がアメリカで14.7兆ドル、2位が中国で5.9兆ドル、日本が5.5兆ドルで、2010年の2位から中国に越され3位になった。

4位はドイツ3.3兆ドル、5位フランス2.6兆ドル、6位イギリス2.2兆ドルと先進各国が続くが日本との間にある差にはかなりの開きがあり、なんといっても日本は依然として「経済大国」の名を恥ずかしめていない。

 

次にGDPを人口で割った「国民一人当たりのGDP」でみると、日本は45,920ドルで世界ランキングでは18位と低くなる。

しかし、日本より上位を占める国々の多くは人口1,000万を大きく下回る小国々(1位ルクセンブルグ、2位カタール、3位ノルウェイ、4位スイス、5位アラブ首長国連合)で、人口1,000万を超える国と言えば、6位のオーストラリア65,477ドル、9位のカナダ50,435ドル、14位のアメリカ48,386ドル、そして18位の日本45,920ドル。その次19位にくるのがフランス44,008ドル、20位ドイツ43,741ドル、22位イギリス38,592ドルと先進国が並ぶ。

なお、1,000ドルを切り貧困に喘ぐ国のほとんどはアフリカにあり、なかでも最貧国はコンゴ215ドルだという。

 

包括的富

ところで、これまで経済的指標とされてきたGDPだけでは、国の豊かさを本当に測ることができるか、という問題がある。

GDPとは1年間に国が産出した経済的な富である。1年と期間が限られているだけでなく、その富も経済だけに限定している。

しかし、「国家の富」とは、年間の所得(フロー)だけでなく、それまで蓄積してきた富(ストック)を含め、その国が持つ様々の物的・人的・自然的資産の総体でみるべきであろう。

 そうした考えから、国連は今年になってケンブリッジ大学のパーサ・ダスグプタ教授の理論を踏まえ「包括的な富 inclusive wealth」という概念を設け、世界の主要な20ヶ国が保有する資産を自然資本、人的資本、物的資本の別に評価・集計してバランスシート化したものを発表している。

Inclusive Wealth Report 2012 と題した337頁に及ぶ膨大な英文のレポートで、私にはこれを読み解く能力も根気もないが、その中からおいしそうなところだけを拾ってみる。

「包括的な富」に含まれる「物的資本」とは、生産された資本、すなわち機械、建物、インフラなど、「人的資源」とは人口の教育や技能の程度などを平均教育期間や労働者の賃金、稼働年数などからから算出したもの、そして「自然資本」とは土地、森林、化石燃料、鉱物などであるが、このレポートによると、2008年のアメリカの富は118兆ドルとなり世界のトップ、しかし国民一人当たりの富としては日本がトップでアメリカを凌いでいる。

また、GDPで日本は中国に追い越されたが、日本の「包括的富」は2008年でみると中国の2.8倍になっているという。

「資産」の中で最大のものは「人的資源」で、イギリスの富の88%、アメリカの富では75%を占める大きさだが、日本の人的資本は他のどの国よりも大きい。勤勉で教育水準の高い人材に恵まれている日本ならでのことである。

また、1990年から2008年までに「自然資本」を消耗させなかった国は20ヶ国中日本を含め僅か3ヶ国だともいう。日本は自然資源を大切の扱っている日本であるらしい。

なんとも嬉しくなるような国連レポートである。

 

平和度

ところで、人間は富や経済だけで生きるわけではない。国民が安心して安全に暮らしていけることが大切である。

このことをすっきりした数字で示すことは難しいが、一つの目安として国際研究機関「経済・平和研究所」が発表する「世界平和度指数」というのがある。

評価の基準は、殺人事件や暴力犯罪の数、受刑者数、戦争や内戦の有無、軍事費、軍人数、難民数などの数字をはじめ、政治情勢、隣接国との関係、テロ活動の潜在的可能性、兵器の輸出入量、武器の入手しやすさ、国連介入度など、多岐にわたる項目を計数化している。

2012年では、1位はアイスランド、2位がデンマークとニュージーランド、4位がカナダ、そして5位が日本である。

上位に来る国々の多くは、島国、半島国などで地政学的条件が有利に働く規模の小さい国で、日本もその例外ではない。

先進国ではドイツの15位、イギリスの29位、フランスの40位などが目につく。

規模が巨大な大国は順位が低くなる傾向があるようで、アメリカは88位、中国89位、ロシア153位といったところ。

最悪の国がソマリア、そしてアフガニスタン、スーダンだというが昨今のニュースで知り得た情報などからこれは納得できる。

なお、この評価項目に風水害、地震などの自然災害は含まれていないが、これを評価基準に加えれば「災害大国日本」はその順位をかなり落とすことになるかもしれない。

 

悲惨度

これとは別に、国の住みやすさについて、古くから言われているものがある。「ミゼラブル指数」という。これは極めて単純な計算で求められる。失業率と消費者物価指数(CPI)を合計した数値である。

人間生活の不幸の度合い=悲惨度を示すといい、これが20%を超えると政変・暴動など統治に変動をきたすと言われているとか。

日本の失業率は先進各国のなかでも低く、しかも安定した水準を維持していている。2011年10月時点の主要国失業率をワースト順に並べると、フランス9.1%、アメリカ8.6%、イタリア8.3%、イギリス8.3%、ロシア6.1%、ドイツ5.8%となっており、日本は4.5%である。

また、先進国共通の悩みである「若年層の失業率」をみても日本は25~34歳が7.8%なのに対し、先に挙げた国々は軒並み10~20%台となっている。

 一方、消費者物価指数(物価の変動を表す指数CPI)についてはインフレ懸念を強めている世界各国と違って日本ではデフレ状態に陥っており、消費者物価指数は上昇よりむしろ下落傾向を深刻な問題としてとらえている。

ミゼラブル指数の是非はともかくとして、この数字で見る限りでは、日本は「悲惨」状態からはもっとも遠い。

 

平均寿命

経済にも安全にも恵まれた国だからであろうか、日本に住む人間の寿命も長くなる傾向にある。

次に世界の平均寿命を見てみよう。

2010年で世界の国別平均寿命をみると、男女平均で83.6歳、世界1位である。

しかし、2011年の日本人の平均寿命は、男性79.44歳、女性が85.9歳で、それまで毎年記録を更新し続けてきた日本だが、東日本大震災の被災の影響で前年から伸び率が少し縮小している。

 

先進国の平均寿命は概ね80歳を超えているが、アメリカは79歳、中国は74歳となっている。

最も平均寿命が短い国がマラウイで47歳。世界の平均寿命の中央値は72歳、平均値は68歳だという。

だが、この「長寿国日本」に全く問題がないわけではない。「平均寿命」から日常的に介護を必要とし自立できない生存期間を引いたWHOがいうところの「健康寿命」が短くなっているのである。

2004年にWHOの保健レポートでは、日本人の健康寿命は75歳で世界1位であった。しかし、今年になって厚生労働省は日本人の「健康寿命」は男性70.42歳、女性73.62歳と公表した。これは10年近く前に比べて随分短くなっている。

寝たきりでいたずらに寿命だけが延びる「長寿地獄」という言葉さえ連想させる「平均寿命」の延伸なら好ましいものではないであろう。

この点について厚生労働省はWHOの「健康寿命」の定義と今回の定義の違いからきた差だといっているのだが、果たしてそれだけか……。

これは全くの余談ながら、健康寿命に関する厚生労働省の県別調査では、私の住む「静岡県」は男性で2位の71.68歳、女性は75.32歳1位だとある。

私はそんな年齢はとうに過ぎているが、これをもたらしたものが、肥満者割合の少なさ5位、一日に歩く歩数男10位・女5位、食材の豊富さ・温暖な気候・きれいな空気・温泉・緑茶の産地など高齢者の健康にとっての好条件が揃っていいるとの指摘もあり、個人的に嬉しいことである。

 

幸福度

GDPに対してGNH( Gross National Happiness )=国民総幸福量ということが言われるようになったのは、物質的・経済的豊かさでなく、精神的豊かさを国家目標に掲げた20世紀末のブータンから始まったという。

ブータンは貧しい国だが自給自足を中心とした生活や地域のつながりの中で、国民がもっとも幸せを感じる国になることを目指しているという。(最近は商品経済の急速な流入により国民の価値観に変化が生じ、情況が少しかわりつつあるともいう。)

このGNHに刺激されて国の「幸福度」を指数化して国際比較をしようという動きがある。(イギリスの保護団体によるHPI(地球幸福度 happy planet index)など)

経済開発機構OECDは自分の生活の満足度を示す「よりよい暮らしの指標( Your Better Life Index )」なるものを作り、客観的な数字とともに主観的な数字「どう感じているか」「満足しているか」などで評価し国際比較を行うことを昨年から始めている。

これによるとOECD加盟国36ヶ国のなかで日本は21位と低い。1位はオーストラリア、2位がノールウエイ、3位はアメリカだという。

評価の具体的項目は11項目、「住居」「収入」「雇用」「共同体」「教育」「環境」「ガバナンス」「医療」「生活満足度」「安全」「仕事と生活の両立」で、これを10点満点で評価するのだが、日本は客観的な項目では、例えば「安全」が9.9点で1位、「教育」が8.8点で2位となるなど高得点だが、主観的な項目の得点が総じて低い。「生活満足度」も27位と低水準だった。

最も評価が低かったのが「仕事と生活の両立」3.0点で34位と最下位に近い。これは「労働」を日本人がどう考えているかということにも関係があるだろう。

主観的項目は、その人の感じ方や知識、その人が持つ価値観などにも影響されるから、これを数値に置き換えて比較するには少し無理があるのかもしれない。

しかし、「生活の豊かさ」を経済的・物質的とは違った面で考えることは意味あることである。

 

ついでに「国旗」「国歌」

こうやって、他国と比べて日本という国をみてみると、日本はまことに素晴らしい国だと思う。

そして、この国を象徴するのが「国旗」であり、「国歌」である。この国に属している国民なら国旗や国歌にしかるべき敬意を払うのは当然であろう。

しかるに、敬意を表そうとしない輩が少なからず国内に居るというのは一体どういうことだろうか。そんな輩は日本から出て行ってもらいたいものだ。

今回のオリンピックでは、表彰台上方に掲げられた「日の丸」や応援団が振り回す「日の丸」をたっぷり見させてもらったが、この旗のデザインはシンプルだがとてもいいものであることを再確認した。万国旗の中でも一際目立つのは贔屓目だからではあるまい。

 我々が呼び慣れている「日の丸」は俗称で、正式には「日章旗」という。日の丸から赤い光線が四方に伸びる「旭日旗」は「日章旗」ではない。

ところで一「国歌」とされているのは「君が代」であるが、正直なところ「君が代」の方はあまり私の好みとはいえない。

まず「歌詞」である。「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」というのは難しすぎる。

この歌の由来は「古今和歌集」に収録された和歌である。この和歌は「動きなく 常盤かきには かぎりもあらじ」と続くのだが、こうなるといよいよ難しい。

また、その意味する内容も果たして現代日本に相応しいものなのかどうか?それにメロディだって、なんだかかったるく斉唱し難い。

サッカー試合の前に「君が代」が演奏されるが、日本人選手の多くは微かに唇を動かすだけで本気で歌っているようにもみえないのだが……。

だが、これは全く私の個人的な感想なのかもしれない。

幼少期を戦時で過ごした我々世代は、特に「海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍 大君の辺にこそ 死なめ 顧みはせじ」と歌わされていたことも重なって、深層心理に刻み込まれた痛みが蘇り、この歌を好ませないのかもしれない。

しかし、翻って考えると、「国歌」なんて、どこの国でも多かれ少なかれそんなものなのかもしれない。気分を高揚させ愛国心を掻きたてるようなものばかりではなさそうである。

私は他国の国歌などほとんど知らない。どこかで聞いた程度のものといえば、フランス、イギリス、アメリカ、ドイツくらいのものだろうか。

フランス国歌は「ラ・マルセーズ」。映画などでこの歌が愛国的に歌われる場面に接するとなんだか感動的な国歌のように思える。(バーグマンが主演する「カサブランカ」にそんな画面があった。)

だが、調べてみるとこの歌は7節まであって、そのすべての節に凄まじい血なまぐさい残酷な言葉が綴られている。「血塗られた旗」「くびきに繋がれた我らの首」「首を斬りにやってくる」などなど。

もともとが革命軍の行進曲だったのだが、現在のフランス人はどんな思い入れでこの国歌を歌っているのだろうか。

イギリスの国歌「ゴッド セーブ ザ・クイーン」の出だしは悪くないと思っていたが、これは6節まであって内容は必ずしも優雅なものではない。やはり戦いの行進曲で結構猛々しい。特に6節には「スコットランド人をやっつけろ」とある。スコットランドの人はどう思っているのだろうか?

アメリカ国歌「星条旗 Star-Spangled Banner」はメロディが軽快で、いい歌だと思っていたが、これはもともと酒場で愛唱されたものとかで、4節まである歌詞にはやはり戦いがからんでいる。

戦時中枢軸同盟国だったドイツの国歌「ドイチュランド」はよく聞く機会があった。

ハイドンの作曲とかで曲は素晴らしく、「ドイツよ ドイツよ 世界に冠たる (ユーバー アレス)」という歌詞は恰好いいなと思っていたが、現在のドイツでは、ナチスを連想させる「世界に冠たる」の1節は歌われず、3節の歌詞だけで歌われるそうである。

これにしても2節の歌詞にある「ドイツの酒よ ドイツの女よ ドイツの歌よ」とくるとご愛嬌というか酒場歌のような親しみを感じる。

最近新しく建国された国の国歌は別にして、歴史ある国の国歌というのは古くから国民に愛され親しまれてきたという経緯があるから、その歌詞が必ずしも現代になじまなくても、今更目くじらを立てて、あれこれあげつらう必要はないのかもしれない。

最後に蛇足ながら「「日の丸」を国旗に、「君が代」を国歌に指定した法的根拠を調べてみた。

これは意外に新しく、平成11年「国旗及び国歌に関する法律」で定めていた。その条文は僅か2ヶ条、「1条 国旗は、日章旗とする」「2条 国歌は、君が代とする」とあるだけである。

それなら、これまで使ってきた「日の丸」や「君が代」は一体なんだったのだろう。単なる慣習に過ぎなかったのか?

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1 コメント

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Unknown (エイジング)
2012-08-23 22:07:27
いいお勉強ができました。

足したり引いたり・・・
でもやっぱり日本はいい国だと思います。

特別に神様から目をかけてもらっているみたいな気がしました(笑)
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