京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

京都百景ー祇園町、祇園一力

2016-08-11 21:15:20 | 京都の町 町屋・建造物

久しぶりに徳力富吉郎「版画京都百景」再開です。
今回紹介するのは「祇園町」と「祇園一力」です。


作品「祇園町」昭和8年(1933)





作品解説文
四条花見小路の角である。夜も少しふけて夜泣き蕎麦の屋台が出ている。
舞妓の家路に急ぐ姿も見られる。
都踊り開演中は毎年、四条花見小路角このアーチが建つ。
そして家々に団子つなぎの提灯や都踊りの立札が並び、華やかな色町風景の哀愁といったものが漂う。


昨日撮影の同じ景色





都おどりは現在も開催されている春の風物詩です。
版画は昭和初期の祇園の風情がでていて心地よいです。
今は観光客がごったがえし、情緒溢れる花街の風情が少なくなっているように思います。
当時は入口に警察官が立っていたのですね。今は警備員です。


作品「祇園一力」昭和40年(1965)





作品解説文
「万亭」が本当の名であるが、万という字を、一と力に別けて読む。
この店の紅色の壁は、祇園を象徴する。
主人杉浦岩次郎君に聞くと、この紅壁を塗り変えるのだが、その時分に塗った左官がいなくて、色の調合に一苦労すると言っていた。
この色が浅くても、濃くても祇園町情緒は出ない。いろいろと苦心があるものである。

京の夜や遊びのはての寂しさを
かたるがごとき宗達の幅 勇


昨日撮影の一力赤壁




私にも見慣れている一力の赤壁ですが、色合せの苦労があるとは知りませんでした。
歩行者マークが舞妓の姿ですが、その当時はこういうのがあったのでしょうか。
今は外国人観光客へのマナー啓発立看板が立っています。


もう一枚京都の木版画家井堂雅夫(1945ー2016)の作品です。

祇園一力





追加

東山魁夷の「京都四季」(1969年)にも 「一力(祇園)」があります。
紅壁は芸術家にも魅力的なようです。






精霊迎え 妙心寺

2016-08-11 05:25:48 | 定年後生活

京都では8月13日から16日の五山の送り火に終る盂蘭盆の前、8月7日から10日までの間に精霊を迎える風習があります。
古くよりお盆になると亡くなられた方々の精霊が帰ってくると言われているのです。

私は定年退職後は不信心ながら亡き両親の精霊迎えをしています。
東山の六道珍皇寺と妙心寺に行っていたのですが、今年はあまりの暑さで妙心寺だけにしました。





妙心寺では迎え鐘を撞き、塔婆供養し、灯籠をともして精霊を迎えます。
まだ少しでも涼しいうちにと昨日朝に行ってきました。

妙心寺は臨済宗妙心寺派の本山で私はときどき坐禅会などでお世話になっています。
山門、仏殿、法堂、大方丈、庫裏、浴室、経蔵の七堂伽藍がある大きな寺院です。

南総門から入ります。
まだ早い時間帯のために人出は少なかったです。





参道には露店もでています(朝早かったので店は閉まっています)。





迎え鐘です。この鐘をつき精霊を迎えるのです。





妙心寺のお坊様がテントの中で塔婆を書いてくれます。
私も両親の戒名を書いてもらいました。料金は300円です。










塔婆は法堂に持って行き、中のお坊様に渡して読み上げてもらいます。





法堂や仏殿は各家庭で用意した灯籠が吊るされています。
夜は灯籠がと灯され、伽藍がライトアップされます。





仏殿の仏様





赤い山門










鐘楼





放生池にはハスはなかったです。





塔頭寺院にハスが一輪咲いていました。





8月16日は精霊送りが妙心寺で行われます。
また夜8時には五山送り火が点火され、精霊をあの世とやらに送り帰すのです。
ときどき他県の方から「大文字焼き」と言われることがあります。
京都の人は面と向かっては言いませんが、どら焼じゃあるまいしと内心思っています。