川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

松阪史跡探訪会第2回史跡めぐり開催される

2014-05-25 23:52:29 | 日記
 
 
                        (古田池で集合写真)

 松阪史跡探訪会の第2回史跡めぐりが平成26年5月25日、35人の市民が参加して開催されました。今回は嬉野方面の次のコースを探訪しました。

出発地―――嬉野考古館(ふるさと会館)―――ピアゴ嬉野店―――忘れ井(宮古)―――天花寺廃寺―――八田城跡――――古田池(昼食)―――釜生田辻垣内瓦窯跡―――上尾土(うえおど)古墳―――天白遺跡―――なめり湖(平家の里・平家六代の墓の説明)―――戸井佐近の墓――――ベルファーム―――出発地 

 今回は全行程を通じて、嬉野町時代に各地の発掘調査に携わられた和氣清章さん(飯南教育事務所主幹)に案内をお願いして詳しく説明をしていただきました。また八田城跡では八田城山公園保全会の原田秀己会長さんに説明をお願いしました。

 今日の参加者の多くは、今回見学した史跡は初めて行くところが多く、楽しんでいただきました。私も今回初めて行くところも何ヶ所かありいい勉強をさせていただきました。
 今回の史跡めぐりに案内をしていただきました飯南教育事務所の和氣清章さん、八田城山公園保全会の原田秀己会長さん、また資料集め等にご協力したいただきました嬉野振興局(前田昭明所長)、嬉野ふるさと会館(佐藤和利所長)、松阪市文化財センター(高橋光彦所長)の皆さんありがとうございました。


1)嬉野考古館(嬉野町)
 嬉野ふるさと会館内にある松阪市嬉野考古館は旧嬉野町内の遺跡から出土した土器や金具類などの展示館である。平成11年12月に、嬉野中川町の貝蔵遺跡から出土した墨書文字土器(レプリカ)や、昭和58年中村川沿いの釜生田辻垣内瓦窯群(かもだつじがいとがようぐん)から発見された宮殿や寺院の屋根の両端を装飾する鴟尾(しび)などが展示してある。墨書土器は2世紀後半~4世紀初頭の墨書文字が記された土器であり、鴟尾は7世紀後半~8世紀初頭(白鳳時代)のもので、現存するものでは日本最大である。
 
      (嬉野考古館で説明を受ける)                  (忘れ井の見学)

2)忘れ井(嬉野宮古町)
 天仁元年(1108年)白川天皇の皇女 恂子内親王(じゅんし(のぶこ)ないしんの
う)は46代斎王にト定され、3年後の天永元年(1111年)に伊勢に群行の途中この地で井水を求められ、二度と都の方を振り返らないという決意をこめて『わかれゆく都のかたの恋しきにいざむすび見む忘れ井の水』と詠んだ。

3)天花寺廃寺(嬉野天花寺町)
 天花寺町の由来となった寺はかなり古く、「天華寺」という字が用いられ、7世紀後半から8世紀初頭にかけてあった寺です。昭和54、55年の発掘調査では、金堂や塔の遺構が確認されており、瓦を始め、セン仏、塑像片などが出土しています。

4)八田城跡(嬉野八田町)
 八田城は、松阪市嬉野八田町の集落の南側に位置する中世の山城で、城のふもとにある松阪市教育委員会の案内板によると、雲出川に支流中村川の南側に位置し、標高は58m、地区の平地からは34mの高さにあり、城跡は土塁に囲まれた主郭を中心とし、小郭、井戸跡、堀切などが残る。この地区には地区名の付いたいくつかの城跡があり、上流側には釜生田城、森本城、滝之川城、下流側には天花寺城、堀之内城、小川城があり、八田城は釜生田城、森本城、滝之川城とともに城跡全域が残っている城です。

 八田の城山は荒れ放題、山が孟宗竹で覆われ面影もなくなってしまいました。廃れゆく田舎の象徴のようで寂しく感じていました。この城山を自然と調和した里山公園として地域の活性化につなげたいとして、平成15年に八田城山公園保全会(原田秀美会長)が結成されました。今も月に1回地区の有志で整備・清掃活動が行われています。

 この城山は個人が所有されているものを借り受けるかたちで、平成15年から八田地区のボランテァの人々で城山の整備が始まりました。2年がかりで表登山道や進入路を整備し、木や竹で覆われていた主郭部も整備しました。また物置小屋、便所の設置、見張り台の設置、砦門の設置などが行われました。祭り会場の敷地としてふもとの田を借り受け、池も作りました。

 平成16年の春に初めての「城山イベント」が開催され、平成16年秋のから現在の「八田城山いきいきまつり」始まりました。
 
  (八田城跡では原田会長から説明を受ける)             (古田池公園で昼食)

5)古田池(昼食)(嬉野宮野町)
 古田池は慶安元年(1648)津藩士柴山次郎兵衛、山中兵助、紀州藩士安井五左衛門、丹羽弥四郎らの監督のもと築堤されたため池である。当時の灌漑面積は546町(ha)、導水路延長は2330間(4236m)であり、地域の重要な用水源であった。
 平成4年、県営のため池等整備事業により、近代的なため池に生まれ変わり、池敷の一部が公園として整備された。

6)釜生田辻垣内瓦窯跡(かもだつじがいとがようあとぐん)〈嬉野釜生田町〉
 中村川左岸にある瓦窯跡群で、昭和59年に発掘調査が行われた。7世紀後半代のあな窯3基と8世紀後半代のロストル窯2基が確認されている。この内2号窯から鴟尾3個体分の遺物が確認されている。

7)上尾土(うえおど)古墳群〈嬉野釜生田町〉
 釜生田の集落の西側にあたる丘陵地に位置する古墳群で、標高約70mを最高所とし、丘陵を南北に分断する谷筋を境にして、西側を上尾土古墳群のA支群(6基)、東側をB支群(8基)と呼ばれている。埋葬場所に入れる珍しい古墳でもあります。

8)天白遺跡〈嬉野釜生田町〉
 縄文時代後期中頃(約3500年前)から晩期(約2300年前)かけて造られたもので、現在のところ住居跡が確認されていないことから祭祀場と考えられる。
 平成4年に発掘調査が行われ、配石行こう30ヶ所、土器を埋めた穴26ヶ所など確認された。その後の調査で、遺跡は東西90m、南北100mの範囲に広がっており、平成12年4月に国の史跡に指定されました。
 
          (天白遺跡の見学)                   (なめり湖の見学)
     
9)なめり湖〈嬉野森本町〉
 なめり湖は雲出川上流の中村川にできた一志ダムのダム湖で、「滑湖」という字からきている。
 このダムは、一志南部用水の水源として築堤された灌漑用水専用のダムで、昭和44年(1969)に完成した。ダム湖の周辺には桜が植えられ、花の咲く頃には多くの人が訪れる。また4月上旬には桜祭りが行われる。湖の近くには平家の里があり、日川寺には平家六代の墓がある。
 
10)平家の里(平家六代の墓)〈嬉野森本町〉
 平家の里(日川の里)には平維盛(たいら の これもり)の子六代とその郎党が日川寺を草庵として隠れ住んでいたと伝えられている。今も、平家の子孫が住んでおり、六代及び一族の墓が残る。

11)ベルファーム 〈伊勢寺町〉
 平成16年(2004)4月に開園した農業公園で、敷地面積約29haに芝生広場、池、農場、庭園などがあり、年間を通していろいろなイベントが開催される。その中でも毎年11月に開催される牛まつりは最大のイベントで、同時に開催される松阪牛共進会では、選りすぐられた松阪牛が高値で競り落とされる。
 公園内には四季を通じて楽しめるイングリッシュガーデンや地元農産物の直売所「ベルファーム農家市場」、松阪の土産物を揃えた「松阪商会」、バイキングレストランの「時のぶどう」などの施設がある。


 なお次回の第3回史跡めぐりは今年11月を予定しています。行き先は未定です。主催の松阪史跡探訪会には28人が加入(5月26日現在)していただきました。史跡めぐりには会員外、市外の方など誰でも参加できますが、会員には案内をさしあげます。
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