川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

てんてん(春季)開催される

2018-03-25 22:34:49 | 日記
                (太鼓の音に合わせて天狗が天上から降りてきます)

 七百年の伝統があると言われている神事「てんてん」が3月25日に松阪市飯南町粥見の粥見神社(向井庸明 宮司)で行われました。この神事は、里内の悪霊邪気を払い、無病息災や五穀豊穣を祈る祭りで、てんてん保存会(岡田久三会長)が主催して毎年3月の最終日曜日に行われます。この神事は春と秋の2回行われ、春季例祭には大人が、秋季大祭には子供たちが天狗や獅子などを演じます。

 てんてんの始まりはおよそ七百年前の鎌倉時代末期の西暦1310年頃ともいわれていますが、はっきりしたことは不明です。てんてんに使う太鼓内部の修理書きに「貞享(じょうきょう)」3年(1686)の記録があり、今から約330年前からこの太鼓が使われていたと思われます。
 この神事はもともと粥見神社近くの下郷地区と向粥見地区の2地区で運営されていましたが、2地区ではやっていけなくなって、平成17年(2005)ごろから上郷地区が加わり、3つの地区の輪番制で取り組むようになりました。

 
  (小学校6年生女児による浦安の舞の奉納)  (“はなかけ”に子どもたちが杉葉を投げつけます)

 てんてんの舞は神話の天孫降臨(てんそんこうりん)から演出したものとされており、太鼓のリズムが「てんてん」と打つことから付けられた名称であると言われています。
 天孫降臨とは天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、荒れる地上の国・葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)を治めるため、天上の国・高天原(たかまがはら)から日向国の高千穂峰に降り立ったことをいいます。祭では天狗が導きの神「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」を、雄獅子が瓊瓊杵尊を、雌獅子が瓊瓊杵尊の妻となる木花開(咲)耶姫(このはなさくやひめ)を表します。

 てんてんに登場する天狗、雄獅子、雌獅子、はなかけ(先駆け)を演じる舞手は3つの地区が交代で受け持ち、地区の氏子の若い衆の中から選ばれます。春の神事に出演する大人たちは1月から3月まで週2回練習をし、本日の朝には冷たい櫛田川でみそぎをして心身を清めます。

 午後1時から粥見神社の神殿で祭礼が行われ、巫女姿の地元の小学6年生の女児たちが神殿前と広場に設けられた舞台で浦安の舞を奉納します。
 
 
   (地上(境内)で天狗と獅子が舞います)      (天狗の鼻紙で頭を撫でてもいらいます)

 てんてんの神事では、はじめの「はなかけの舞」は天つ神の使いが葦原の中つ国に使わされたが平定できなかった場面で、ヒョットコやおたふくの面をつけた大神様の先がけとして地上の様子を見るために使わされた“はなかけ”に、地区の子供たちが扮する悪者が杉葉を投げつけて抵抗します。
 次ぎに天狗の猿田彦大神が天から降りてきて、荒ぶる者どもを鎮める様子を演じます。この神事では天狗が神殿の石段をゆっくり降りてきます。この天から降りる道中は長いので、途中で草履を履き替えたり、居眠りをしたりします。地上(境内)に降り立った天狗の手招きで雄獅子、雌獅子は石段を降りてきて境内まで降り立った時、天狗と一緒に舞を演じます。
 この後天狗が鼻をかんだ紙で頭を触れてもらうと、無病息災の御利益があると言われ、来場書は頭を紙で触れてもらいます。私も頭を撫でてもらいました。
 最後に舞を演じた人たちや神社の役員で餅まきが行われました。

 練習を重ねててんてんの舞を演じられた皆さん、祭の運営をされたてんてん保存会の皆さん、また神社関係者の皆様、ご苦労様でした。
 飯南地区には私の知人も多く、いろいろな方から声をかけていただきました。また皆さんからこの神事について教えていただき、ありがとうございました。
 
 この行事は私のブログ「松阪市内の祭り100選」に掲載してあります。
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