平成28年3月27日、松阪市飯南町粥見の粥見神社(林徳昌宮司)で7百年の伝統があると言われている神事「てんてん」が行われました。粥見神社は平安時代に創建されたと考えられており、中世の伊勢の国司北畠親房が尊崇してとも伝えられています。
てんてんは無病息災や五穀豊穣を祈る祭りで、年2回春と秋に行われ、春は大人が、秋は子供たちが天狗や獅子などを演じます。
私の友人の話によると、この祭りはもともと粥見神社近くの下郷地区と向粥見地区の2つの地区で運営していましたが、2つの地区だけではやっていけなくなって、11年ほど前から上郷地区が加わり、3つの地区の番制で取り組むようになったということです。
この神事は松阪市の無形文化財に指定されており、戦時中も絶えることなく続けられている珍しい神事として高く評価されています。
まず神社で祭礼が行われ、巫女姿の女児たちが奉納舞を披露しました。また広場に設けられた舞台でも女児達が浦安の舞を披露しました。毎年春と秋のこの祭りにきますが、今年は市内各地からいつもより多くの市民が集まった感じがしました。
てんてんの舞は神話の天孫降臨(てんそんこうりん)から演出したものとされており、太鼓のリズムが「てんてん」と打つことから付けられた名称であると言うことです。春の例祭に出演する大人の人たちは1月から3月まで週2回練習をし、秋の大祭に出演する子どもたちは8月から11月まで練習をして、1年のうち7ヶ月はてんてんの練習に費やされるということです。
(天狗と獅子が一緒になり舞を演じます) (天狗が鼻をかんだ紙で頭を触れてもらいます)
てんてんに登場する天狗、オン獅子、メン獅子、はなかけ(先駆け)を演じる舞手は地区毎交代で受け持ち、地区の氏子の若い衆の中から選ばれます。この日の朝、冷たい櫛田川でみそぎをして心身を清めて舞を演じます。
今年の担当は上郷地区で、天狗は松本英治(生辺)、オン獅子北川友貴(津下)、メン獅子岩下豊(柳下)、後持ち湯谷 信(津下)、米田明弘(津下)の皆さんでした。
はじめの「はなかけの舞」は天つ神の使いが葦原の中つ国に使わされたが平定できなかった場面で、ヒョットコやキツネの面をつけた大神様の先がけとして地上の様子を見るために使わされた“はなかけ”に、子供たちが扮する悪者が杉葉を投げつけて抵抗します。
次ぎに天狗の「猿田彦大神」が天から降りてきて荒ぶる者どもを鎮めます。天から降りる道中は長いので、途中で草履を履き替えたり、居眠りをしたりします。祭では神殿の石段をゆっくり降りてきます。地上(境内)に降り立った天狗の手招きでオン獅子、メン獅子は石段を降りてきて境内まで降り立った時、天狗と一緒に舞を演じます。
この後天狗が鼻をかんだ紙で頭を触れてもらうと、無病息災と言われ、来場者はこぞって頭を出していました。
最後に舞台の上で天狗や獅子の舞を演じた人たちに感謝状が贈られ、その後「まき餅」が行われました。途中少し雨が降りましたが、祭りは
滞りなくおこなわれました。
この祭りは私のブログ「松阪市内のまつり・祭り・祭100選」に掲載してあります。
てんてんは無病息災や五穀豊穣を祈る祭りで、年2回春と秋に行われ、春は大人が、秋は子供たちが天狗や獅子などを演じます。
私の友人の話によると、この祭りはもともと粥見神社近くの下郷地区と向粥見地区の2つの地区で運営していましたが、2つの地区だけではやっていけなくなって、11年ほど前から上郷地区が加わり、3つの地区の番制で取り組むようになったということです。
この神事は松阪市の無形文化財に指定されており、戦時中も絶えることなく続けられている珍しい神事として高く評価されています。
まず神社で祭礼が行われ、巫女姿の女児たちが奉納舞を披露しました。また広場に設けられた舞台でも女児達が浦安の舞を披露しました。毎年春と秋のこの祭りにきますが、今年は市内各地からいつもより多くの市民が集まった感じがしました。
てんてんの舞は神話の天孫降臨(てんそんこうりん)から演出したものとされており、太鼓のリズムが「てんてん」と打つことから付けられた名称であると言うことです。春の例祭に出演する大人の人たちは1月から3月まで週2回練習をし、秋の大祭に出演する子どもたちは8月から11月まで練習をして、1年のうち7ヶ月はてんてんの練習に費やされるということです。
(天狗と獅子が一緒になり舞を演じます) (天狗が鼻をかんだ紙で頭を触れてもらいます)
てんてんに登場する天狗、オン獅子、メン獅子、はなかけ(先駆け)を演じる舞手は地区毎交代で受け持ち、地区の氏子の若い衆の中から選ばれます。この日の朝、冷たい櫛田川でみそぎをして心身を清めて舞を演じます。
今年の担当は上郷地区で、天狗は松本英治(生辺)、オン獅子北川友貴(津下)、メン獅子岩下豊(柳下)、後持ち湯谷 信(津下)、米田明弘(津下)の皆さんでした。
はじめの「はなかけの舞」は天つ神の使いが葦原の中つ国に使わされたが平定できなかった場面で、ヒョットコやキツネの面をつけた大神様の先がけとして地上の様子を見るために使わされた“はなかけ”に、子供たちが扮する悪者が杉葉を投げつけて抵抗します。
次ぎに天狗の「猿田彦大神」が天から降りてきて荒ぶる者どもを鎮めます。天から降りる道中は長いので、途中で草履を履き替えたり、居眠りをしたりします。祭では神殿の石段をゆっくり降りてきます。地上(境内)に降り立った天狗の手招きでオン獅子、メン獅子は石段を降りてきて境内まで降り立った時、天狗と一緒に舞を演じます。
この後天狗が鼻をかんだ紙で頭を触れてもらうと、無病息災と言われ、来場者はこぞって頭を出していました。
最後に舞台の上で天狗や獅子の舞を演じた人たちに感謝状が贈られ、その後「まき餅」が行われました。途中少し雨が降りましたが、祭りは
滞りなくおこなわれました。
この祭りは私のブログ「松阪市内のまつり・祭り・祭100選」に掲載してあります。