川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

辞めると言う市長と市政の混乱

2015-03-26 21:45:17 | 日記
 3月18日、19日に市内36の小学校で卒業式が行われ、私も地元の小学校の卒業式に地域の代表の人たちと来賓として参列させていただいた。校長が式辞の途中でピアノの弾き語りで、ゆずの「栄光への架橋」を歌い卒業生に贈った、素敵な卒業式であった。
 学校によっては今年限りで退職される校長に卒業証書を贈ったところもあったという。中学校の卒業式も含めて、それぞれの学校で感動の卒業式が行われたことと思う。

 卒業式に参列していてふと思ったのは、学校には生徒や児童がいて、その保護者や教える先生がいて、学校を支える地域の人たちがいる。そしてこの卒業式も学校運営も全て松阪市という大きな傘の中で行われているのである。そのリーダーたる市長の「辞める 辞める」という駄々っ子のような姿と、多くの人達で整然と行われている卒業式の間に大きなギャップを感じた。

 PFIによる図書館改革案が昨年9月議会と11月議会で否決され、山中市長の辞任発言が飛び出した。山中市長にも言い分はあるだろうし、市議会側にも言い分はある。しかしこの議決は二元代表制という地方自治のかたちの中で、議会制民主主義というルールに則って行われた結果である。

 首長が辞めるかたちはいろいろある。任期満了で勇退する場合、現職で選挙に落選して辞める場合、病気など体調面で続けられなくなった場合、リコールや不信任可決で辞める場合、また他の選挙に出馬するため辞める場合などがある。

 議会で議案が否決されることはどこの自治体でも起こりうることである。ただそれによってそこの首長が辞めるという話しはあまり聞かない。17万都市の市長が軽々に辞めるということを言うべきではないと思うが、辞めると言ったからには辞めるべきであろう。
 任期途中でどうしても辞めるというのであれば、「辞める」という言葉は、辞める前に1回だけ言えばよいだろう。何度も何度も「辞める」という言葉を発したり、辞めると言ってから、何ヶ月も続けることは、政治の世界でも、他の業界においてもあまり類をみないだろう。市長の辞める発言で、行政においても支障が出てくる、また市民生活にも影響が出てくるだろう。

 ある市民の人が今の山中市長をさして「死に体」と表現した。大相撲などで足の裏が上を向いていて体制を立て直すことができない状態を死に体というが、今の山中市長を表す言葉だろう。問題はその市長のもとで行政に携わっている市の職員たちは大変である。2月議会でも「辞める市長の答弁はいらない、部長が答えるように」という質問者もあった。図書館改革調査特別委員会の席上でも新市長の方針にまで話しが及んだ。
 6月議会終了時に山中市長から議長に辞表を渡すという話しを聞いているが、それまで市政の混乱が続くことになる。
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