戦前、日本とアメリカの間に険悪な空気が漂いはじめた時、その空気を和ませようとアメリカから日本に12000体の青い目の人形が送られ、そのお返しに日本の子供たちから手紙をそえてアメリカに送られたのが答礼人形。この青い目の人形とアメリカから日本に里帰りした「ミス三重」などの人形展が4月29日から松阪市外五曲町の松阪市文化財センターで始まりました。
全国に送られた12000体のうち、三重県にも200体がやってきたが、この多くが小学校に贈られました。しかし、やがて日本とアメリカは戦争に突入していった。アメリカから平和の使者として日本に送られてきた青い目の人形は、戦時中敵国の人形として多くが壊されたり、焼かれたりした。学校では子供たちがすすり泣くなかで青い目の人形が焼かれていった。まさに戦争の狂気である。このような状況の中で危険を顧みず、ひそかに青い目の人形をかくまっていた人がいた。嬉野の豊地小学校に残る「グレースちゃん」も県内に残っている9体のうちの1つ。
数奇な運命をたどってきたこの人形たちを展示する人形展は、三重県各地で行われてきており、松阪市文化財センターでは5月4日まで行われます。
全国に送られた12000体のうち、三重県にも200体がやってきたが、この多くが小学校に贈られました。しかし、やがて日本とアメリカは戦争に突入していった。アメリカから平和の使者として日本に送られてきた青い目の人形は、戦時中敵国の人形として多くが壊されたり、焼かれたりした。学校では子供たちがすすり泣くなかで青い目の人形が焼かれていった。まさに戦争の狂気である。このような状況の中で危険を顧みず、ひそかに青い目の人形をかくまっていた人がいた。嬉野の豊地小学校に残る「グレースちゃん」も県内に残っている9体のうちの1つ。
数奇な運命をたどってきたこの人形たちを展示する人形展は、三重県各地で行われてきており、松阪市文化財センターでは5月4日まで行われます。