フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

呼び名

2007-09-10 16:22:09 | Weblog
落語家の林家木久蔵さんが木久蔵という名前を自分の子供に譲って、自身は木久扇きくおうという名前になるということです。
「きくおう」になるということを聞いて「おう」という字を「翁」でイメージしていたので「扇」と知ってびっくりしました。
この思い込みは年をとったので「翁」だろうと単純に思ったのですが、これは早計すぎたのかもしれません。2006年の平均寿命で男性は79.00と、世界第2位ですから、木久蔵さんはまだまだお若いですね。
そういえば70才を古希といいます。「古来希れまれ」という語源からですが、最近は「キンザラ」というそうです。つまり「近年はざらにある」というところからそう呼ばれるそうです。
現在の辞書にも40才を「初老」と記載しています。地方によっては初老祝いを盛大に行うところもある様ですが、これなどももはや時代に即した呼び名とはいえませんね。
一方気候の呼び名の方は多少のずれはある様ですが、そう今も昔も変化はありません。晴れの特異日などは平均して晴れているようですし、梅雨入り、梅雨明けの時期も極端な違いはないようです。
ただ、地球温暖化のあおりでジワジワと変化を呼びそうな気がするのですが。
今日は昔から台風上陸の多い得意日、二百二十日です。

擬音語、擬態語

2007-09-09 14:25:28 | Weblog
今日9月9日は、重陽の節句、菊の節句です。日本では余りなじみがありませんが、陽数の9を重ねる五節句の一つで、特に中国では菊花の宴などが行われました。
ところでこの「重」という漢字は「ちょう」とも「じゅう」とも読み、アナウンサーなかせの漢字の一つです。我々が子供の頃「重複」は「ちょうふく」と読んだものですが、今は「じゅうふく」でもいい事になっています。
日本語の難しさですが、外国の人にとって最も難しいのが、擬音語と擬態語の多さとそのニュアンスといいます。
擬音語は物音や動物の声などを人の発音で表現したものであり、擬態語は様子や状態を表わします。この擬音語、擬態語は、日本では英語の三倍から五倍あるといわれています。「にこにこ」「にたにた」「にこり」「にやり」そういえば区別は難しいですね。
特に動物の鳴き声などは、各国で表現が違いますし、日本でも時代によって違っていました。犬の鳴き声さえ江戸時代の初めまでは「ワンワン」ではなくて「びよ」と鳴いていた、とある本に書かれていました。
となると、これから騒がしくなる秋の虫の音は、外国の人にとってどんな音に聞こえるのでしょうか。
日本人は、平安時代にコオロギの声から衣服のほころびを冬に備えて「つづりさせ=つくろえ」と聞いていたようですから、すごい感性だと感心します。

見えない家事労働

2007-09-08 16:09:40 | Weblog
「後片付けが終わらない」「毎回つくらなければならない」「温め直しが面倒」「二度手間」
もうおわかりですね。主婦が苦労や負担を感じている、夕食に家族が揃わないことの具体的な理由の数々で、これがストレスを感じる原因にもなっている様です。
そういえば我が家でも、夜の食事を食べるか食べないか、あいまいな返事をすれば家人は極端にいやな顔をします。むしろ一人だけ遅れて食べるよりも、はっきりと外食すると言った方がうけがいいようです。(笑)
時として、夫と比べて在宅時間が長く、家事や育児など日々の活動を家庭の中でこなす主婦の動きは、外に出てしまっている男性族には全く見えなくなってしまっています。
明日、たまたま在宅相談のイベントの中で少しお話させてもらいますが、自分の一生に一度の高い買い物という理由で、夫が張り切りすぎて妻の一日の動きを無視して、設計を依頼することがあるようなので、夫が見えない妻の動きがどうなのか、必ず妻の方の意見を取り入れないと後に自分が台所に立つ事になった場合に改めて苦労することになるそうですよ。
男の合理性には時々落とし穴があります。(反省)

お隣り

2007-09-07 17:20:27 | Weblog
台風一過、また暑さが戻ってきました。まだこの暑さは真夏の様な感じですが、それでも朝夕は少し涼しさを感じる様になって来ました。
そんな時期を秋隣(あきどなり)というそうです。
この2文字を見ていたら、芭蕉の句の「秋深き(秋深し)隣は何をする人ぞ」を思い出します。1694年(元禄7年)の9月の作品ということですが、軽い病気で床にふせって静かにしていると、自然と隣の人の生活の音が聞こえ、隣の人は何をしている人だろうと色々と損像しています、と解釈されています。
私は集合住宅ではないので、両隣の音は全く聞こえて来ませんが、マンションなどでは上階の音がよく聞こえてくる、という話を聞きます。これは単に防音上の問題で気になるわけですが、それ以外昨今はご近所の動向には全く無頓着で極端に言えば顔と名前が一致しないことも多い様です。
無関心なのでしょうね。若いうちはそれでもいいわけですが、後に自分の居場所が住いを中心としたコミュニティーにしかなくなると、途端に孤独を感じるのではないでしょうか。
「恐怖のワシ人間」になってしまいます。奥さんに「ワシも連れてってくれ!」とせがむよりしょうがないのは淋しいですね。
近所づきあいの素晴らしさを今から構築しておくのが賢明です。
えっ!「お隣さんがこれ買ったから、うちも買ってよ」ってせがまれないから、隣の事など知らないほうがいいよ、ですって!?

2007-09-06 14:27:59 | Weblog
台風9号の日本接近で、この時期の素晴らしい夕焼けがみられないのは残念です。
特に夏の終わりから秋にかけての印象的な夕焼けは1年中で最もきれいかもしれません。
夕焼けにむけていた視線を後ろに振り向けると、夜の闇がすぐそこまで迫っています。闇の色はもちろん黒。今日は9月6日(クロ)にちなんで「黒の日」です。それぞれの業界が「黒豚の日」「黒豆の日」などとして宣伝におおわらわですが、黒という漢字はどちらかというと損な感じかもしれません。「白黒つける」という場合は黒は悪役です。「暗黒時代」なども典型的ですが、そう思って辞書をひいてみると、意外や意外、結構有難い意味の黒もある様です。
実業家にとっては何よりも「黒字」がいいですね。「黒髪」もつややかな髪をイメージさせます。かつて黒川紀章さんと番組をご一緒したときに「どうして先生はいつも黒の装いですか?」と質問しました。すると「黒がいちばんシンプルな色なんだよ」という答えが返ってきました。
ものごとには切り口がそれぞれあります。牛も豚も黒の方が高級ですし、ごまや豆も身体に良いそうです。
我々パーソナリティーも黒のように、沢山の切り口を持つ事ができるのかが大事な事かもしれません。

和製英語

2007-09-05 17:24:57 | Weblog
私は時々、放送の中で何でもかんでも横文字で表現してしまういやな世の中になったと嘆いています。
例えば、歌謡曲番組等で、○月○日「リリース」された松原敬生さんの「おまえとともに」を聞いて下さい。こんな表現があります。
この「リリース」という言葉に抵抗があるんです。敢えて「発売」と言い替えているんですが、JポップスのDJの場合は「リリース」という言葉が似合うんですね。
ところで、横文字の中には和製英語が数多く含まれます。日本の野球用語も和製英語が圧倒的に多いのですが(ゴロ・デットボールetc.)日常語の中ではむしろ和製英語の方がピンとくる場合があります。
英語の辞書にも載る様になった「ウォークマン」などは商品名として傑作ですね。ゴールデンアワーという言葉も素晴らしいです。最近よく使われる「マイ~」のうち「マイバッグ」なども「持参用買い物袋」よりうんと理解しやすいものです。
日本の歴史を振り返ってみれば、漢字の言葉にも中国から伝わったものではない和製英語があるわけですから、和製英語もこうして英語風の日本語として歴史の中に組みこまれていくことでしょう。
もちろんセンスのいい和製英語に限ってでしょうが。

井端選手

2007-09-04 12:42:48 | Weblog
ちょっと心配です。井端選手の守備のときのスローイングはサイトスローでずっと投げつづけています。オーバースローで矢の様な送球を見せていただけに余程肩の調子が悪いのだろうと推測します。それでも、あの抜けそうなボールに追いつく球ぎれの強さは希有なものがあるので、どうしても替える事ができないのでしょう。
もうひとつ井端選手の素晴らしいところは、粘りのバッティングです。2ストライクと追い込まれてから四球を選んだシーンを何度もみています。○○選手の様に三球三振なんて見たことがありません。
先日ある新聞に評論家が「被投球数にもっと光を」と書いていましたが、まさに井端選手の真骨頂です。
先発投手に投球を多く投げさせる事にはじまって、他のバッターにその選手の情報をより多く提供できる事など、粘る事は例えその打席を凡退にしても、投手にとっては相当のエネルギーの消化となります。その試合の最初のバッターなら尚更です。
相手チームの投手リレーのやりくりを狂わせる粘りの打席は、時にはヒット1本より価値のあることかもしれません。
その点からいっても井端選手を今、ベンチで休ませる事は出来ないのでしょうね。

ドラえもん

2007-09-03 21:39:41 | Weblog
今日9月3日は、アニメ「ドラえもん」の誕生日です。
タイムマシンを使って22世紀から20世紀にやって来たドラえもんの誕生日は2112年9月3日です。
つい最近教えてもらいました。「ドラえもんの体が青い理由」を。
それは事故で耳をなくして意気消沈したドラえもんが「元気の素」と「悲劇の素」を飲み間違えて、余計悲しくなり、三日三晩泣きつづけ、体のメッキがはげてしまったそうです。そしてユニークなのは、泣き疲れて声が枯れたので、声優として大山のぶ代さんが登場したそうです。
さて「ドラえもん」のポケットからでる道具の数は1300以上ある様ですが、もしもらえるとしたらというアンケートで1番人気は「どこでもドア」の様です。私自身もやはりそう答えるでしょうが、よく考えてみると、この「どこでもドア」は身近にありますよね。それは「本」です。
知らない事をほんとに身近で教えてくれるのが読書であり、知らない事を体験させてくれるのも読書です。
更に進んで現代の「どこでもドア」はインターネットでしょう。まさに瞬時に知りたいところへ連れていってくれます。
「ドラえもん」の2112年の誕生日には、1300以上の道具はすべて揃っているかもしれません。
もちろん私が確認するすべはありませんが・・・。

自分だけは・・・

2007-09-02 18:46:01 | Weblog
気がつくとセミの声が聞こえなくなってきました。そのかわり、どこからか風に乗ってキンモクセイの香りが届けられます。
あれ程元気だったセミが、なきがらとなってアリに運ばれていく光景を見ると、自然界のおきてとはいえ残酷な気もします。
我々はどちらかというと、自然は優しくて無害だというイメージを強く持っています。自然の営みを恐れるという気持ちを失っているという方が正しいかも知れません。いや、多少あったとしても自分だけは大丈夫という精神構造なのでしょう。
今日もニュースで相変わらずの飲酒運転事故が何件も報じられました。「自分だけは大丈夫。事故をおこさない」という気持ちがここでも働いたのでしょう。
「自分だけは・・・」 これが落とし穴になります。
今日、防災訓練が行われたところがあります。地震の際に火を消す、これは当たり前ですが、揺れ始めたときに火の近くにいた時はすぐ消しますが、そうでなければまず、身の安全を確保して揺れがおさまった時にすぐ火を消すことにしなければいけません。
「自分だけは・・・」といっても自分も生身の人間であること、これを忘れない様にしたいものです。

アドリブ

2007-09-01 23:54:15 | Weblog
土曜日の休日はテレビで野球観戦ざんまいでした。
残念ながら中日は広島に大敗しました。残念!それでも前田選手の2000本安打の瞬間は思わず拍手をしていました。それ程凄い記録なのです。
さて、たまたまチャンネルをあわせた横浜×巨人戦の1コマ。ノーアウト1塁2塁で、巨人の小笠原選手が絶妙のバントヒット。ノーアウト満塁としました。(結果はこの回無得点) このアイデアは恐らくサインではなく小笠原選手自身のアイデアでしょう。
我々の業界ではアドリブといったところでしょうか。
気のきいたシャレたアドリブは、番組の味付けとしては最高で、やはり私も臨機応変にアドリブを飛ばせたらとチャンスを狙っています。
ところで、今のプロ野球では余りにもアドリブが少なすぎるように感じます。二死走者なしでも一球ごとにバッターボックスをはずして三塁コーチを見ている選手がいます。これなどは高校野球の頃から、サイン通りにしていなければならないという手順通りの姿勢がたたきこまれているのではないでしょうか。
監督をびっくりさせる程のアドリブは野球そのももの奥行きを深くすると思うのですが。