携帯電話の普及で極端に減った公衆電話が日本に初めて登場したのが1900年(明治33年)の今日でした。当時の名称は「自動電話」でした。
ところで、電車の中で数多くの人達が携帯電話を器用にあやつっていますが、非常に興味があるところです。
器用という見方を私はしたのですが、実はこんなデータがあります。
現代の子供は指先が器用かというアンケートで、大人の8割が器用ではない、不器用だと答えています。その理由は、手伝いをせずに指先を鍛える機会が少ないからだ、ということです。
但し、この携帯電話やパソコン、ゲーム機の操作から、子供は器用だと答えた人も2割はいます。
器用さというのは、もって生まれたものではなくトレーニングだという専門家もいます。特に最近は手間暇をかけてやる行為を敬遠する風潮もあります。(便利な道具が増えたことにもよりますが・・・)
我々は小刀で鉛筆をけずったり、自動車のパンク修理や犬小屋作りを手伝ったり、自分の必要なものは自分の手で作る必要がありました。ですから不器用であろうとなんであろうとやるしかありませんでした。何にもやらないという人が少数派だったのです。
こうしてみると私見ですが、世に蔓延する使い捨て文化が、不器用人間の増加を助長しているのではないでしょうか。
ところで、電車の中で数多くの人達が携帯電話を器用にあやつっていますが、非常に興味があるところです。
器用という見方を私はしたのですが、実はこんなデータがあります。
現代の子供は指先が器用かというアンケートで、大人の8割が器用ではない、不器用だと答えています。その理由は、手伝いをせずに指先を鍛える機会が少ないからだ、ということです。
但し、この携帯電話やパソコン、ゲーム機の操作から、子供は器用だと答えた人も2割はいます。
器用さというのは、もって生まれたものではなくトレーニングだという専門家もいます。特に最近は手間暇をかけてやる行為を敬遠する風潮もあります。(便利な道具が増えたことにもよりますが・・・)
我々は小刀で鉛筆をけずったり、自動車のパンク修理や犬小屋作りを手伝ったり、自分の必要なものは自分の手で作る必要がありました。ですから不器用であろうとなんであろうとやるしかありませんでした。何にもやらないという人が少数派だったのです。
こうしてみると私見ですが、世に蔓延する使い捨て文化が、不器用人間の増加を助長しているのではないでしょうか。