フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

イチロー選手

2007-09-20 20:42:18 | Weblog
今シーズンのペナンとレースはセ・パ共に猛烈に熱い戦いが続いています。(中日の1位通過を信じていますが)
クライマックスシリーズの効果ともいえますが、一方で最下位のヤクルトの青木、ラミレス選手の首位打者争いも注目されます。そして特に私が注目しているのはラミレス選手のシーズン200本安打が達成できるかです。残り試合、ヤクルトは17試合、そして現在の安打数が182本です。
今までのイチロー、青木両選手は、左打者で内野安打も相当数ある中での200本安打達成ですが、右のスラッガーのラミレス選手ともなると、又違った価値観が生まれることでしょう。楽しみの1つです。(これが井端選手が対象だと、もっとうれしいのですが)
さて、今日はイチロー選手が1994年に当時、前人未踏の200本安打を達成した日です。そして大リーグに渡ったイチロー選手は今年も含めて7年連続200本安打を続けています。
彼は自分の座右の銘「継続は力なり」からも推測できる様に、続ける事の貴重さを充分理解しているようです。私が知っているだけでも、連続得点、連続ゴールデングラブ賞、日本では7年連続首位打者、など続けた偉大な記録が数多くあります。
その中で地味ながら同じ1994年に記録した69試合連続出塁という記録がありますが、これなどは第1番にあげてもいい記録だと私は思うのですが、いかがでしょう。
さあ、継続してやっている事、皆さんありますか?

追伸。今日のゲームでイチロー選手が首位打者争いのトップにたちました。

名字

2007-09-19 14:43:52 | Weblog
私が12年前にクラウンレコードから出版したデュエット「いつも側にいて」の3番に、「僕の名字を名乗りなよ」という詞があります。
これも1つの愛の告白の名詞といえます。そういえば小さい頃「誰々クンと同じ名字になるんだ!」と言って顔を赤らめていた少女がいました。とはいえ、最近は夫婦別姓の結婚もみられる世の中でもあります。
今日9月19日は、1870年(明治3年)に、戸籍整理の為に太政官布告により平民も名字を持つ事が許された日です。しかし名前だけで慣れていた平民は、面倒くさがってなかなか名字を名乗りませんでしたので、5年後には必ず名字をつける事というお達しも出たそうです。
日本の名字は約25万~30万程あるといわれていますが、そのうちの7000程で全人口の約96%になるそうです。
あるデータの名字ベスト10は、①佐藤②鈴木③高橋④田中⑤渡辺⑥伊藤⑦山本⑧中村⑨小林⑩加藤でした。そして私の「松原」は193位でした。
ところで日本人は名字が一緒という事がわかると、急に親近感が湧き、話がはずむ事がよくあります。それだけに普段から自分の名前のエピソードを1つ2つ用意しておくと更に盛り上がります。但し、新聞などで見出しになる凶悪犯人の名字が自分と一緒だと、ちょっと落ち込みますね。
最後に珍しい名前の読み方を疲労しておきましょう。
一(にのまえ)、前(すすめ)、春夏秋冬(ひととせ)、莨谷(たばこや)、四五百森(よいおのもり)
おわかりになりましたか?

化粧

2007-09-18 16:33:57 | Weblog
今日のゲスト収録で、初代・浪花のチビ玉こと竜小太郎さんにインタビューしました。
もちろん今でも芝居に歌にと、大活躍されていますが、特に得意の女形で妖艶な美しさをふりまいています。女性よりも女性らしい美しさを誇っているだけに、化粧の時間もかなりの時間を要するのではないかと質問してみました。
その返事を聞いてビックリです。
「五分位でしょうか!」と。「えっ!そんな短い時間ですか?」と念を押すと「長い時間をかけていると、かえってきれいじゃなくなってしまうんですよ」という返事でした。
この返事に心当たりがあります。
ラジオと違ってテレビの番組はリハーサルを念入りに行うのが特徴ですが、私の経験でアナウンサーとして同じ事をどうしても二度喋るのは嫌いで、ついついリハーサルと本番では違う喋りをしています。その話内容を比較してみると、リハーサルの方がおもしろい事が数多くあります。リハーサルを終えた後、本番ではこの話を付け加えようと考えれば考える程、シンプルさが失われ、おもしろさが半減してしまうことがあるのです。最初の直感喋りが、結構的を射て、いいコメントになるのですね。
種類が違う話で結論が出る話でもないのですが、そんなことが世の中、結構あるのではないでしょうか?

敬老の日

2007-09-17 14:34:34 | Weblog
今日は敬老の日の祝日です。
1966年に国民の祝日として、9月15日に制定されました。9月15日は聖徳太子が四天王寺に弱者の救済施設として、悲田院を建立した日でした。
それがハッピーマンデーの法律によって9月の第3月曜日になったのですが、何日と決まっていない事で忘れる事も多い様です。
それだけのせいではないのですが、あるデータによると、おじいちゃん、おばあちゃんにお祝いする人は2割強ぐらいだそうです。ある人は、お母さんに「敬老の日ですね」と電話をしたら、「まだ早い」と叱られたそうですが。(笑)
日本では、老人福祉法によって65才以上の人を「老人」と指定しています。ちなみに意識調査では「70才以上」という意見が57%もありました。
さて「初老」というのはいくつを指すのか。
9月10日の日記でも書きましたが、40才と辞書には記載されています。確かに「四十肩」「四十腰」「四十暗がり(視力の衰え)」「四十がったり(がっくり)」などという言葉は、身体の老化があらわれるのが40才頃だと指摘しています。
しかし、昔から言うように「四十、五十はハナタレ小僧、男盛りは真っ八十」です。自らふけこむ事はありません。
それにしても「敬老の日」のお祝いの言葉は、と悩む人も多いでしょう。「おめでとう!」というのもおかしいし。やはり「いつまでも元気でね」が一番ピッタリですかね。
私も、もうそろそろ言われそうですが・・・。

馬とニンジン

2007-09-16 16:21:04 | Weblog
「天高く馬肥ゆる秋」と表現します。
この言葉は、昔の中国の北西部から遊牧民が精強な騎馬隊を率いて攻めてくる時期をあらわしたものだそうです。つまり秋になると、馬が草を沢山食べる様になり、その元気になった馬に乗って収穫物を奪いに来る季節、略奪の季節ということで、ある意味では注意を促した言葉でもあるんです。
こうした文献をみますと、馬の主食はやはり青草の様ですが、馬といえばニンジンを連想します。馬は好き嫌いの激しい動物で、競走馬を扱っている人に聞くと、エサはエン麦とフスマと青草を混ぜるそうです。その青草の代用としてニンジンを与える事もあるようです。
馬にも色々あり、ニンジンを食べたことのない馬は余り食べないそうですが、子馬の頃からすりおろした物を食べさせ、くせをつけておくと、ニンジンの甘い味につられて好物になります。
大学の馬術部員が語っていました。「ニンジンをやる為に馬と距離を縮めて、とるコミュニケーションが楽しい」と。
お互いの距離を縮める、大切なものだということですね。
となると、我々人間がお互いの距離を縮める一番大切なものは笑顔ですから、「馬にニンジン」「人に笑顔」ですね。
今日、9月16日は「競馬の日」です。

名前

2007-09-15 21:37:12 | Weblog
「つばさ」「たにかわ」「あさま」「くまかわ」「なすの」「こまち」「はやて」まだまだあるんですが、これらは何のネーミングかおわかりでしょうか。
日本の新幹線のネーミングです。「のぞみ」「ひかり」「こだま」と書けばもちろんすぐにわかりますが。
羅列してみると極めて日本的ですね。
ところで昨日、鹿児島県の種子島宇宙センターから、月探査衛星が打ちあげられました。この衛星は、月へむかって周回軌道に乗ったあと、100キロ上空から地形や地層、断層、表面の映像等を観測して地球にデータを送ってきます。この衛星は「竹取物語」の姫の名前から「かぐや」と名付けられました。
日本が月に衛星を送るのは2度目で、1990年に打ちあげられた親子衛星は、「ひてん・はごろも」と名付けられています。やはり日本の昔話の色合いが濃く出ています。
この日本の打ちあげ以降、アメリカ、中国、インドも月へ衛星を打ちあげ、月探査ラッシュが到来しますが、それぞれのネーミングに注目すると、お国柄がよく理解できるのではないでしょうか。
さて「かぐや姫」は育ての親の元を離れ、月に帰るのですが、この探査機は折角帰っても家の周りをぐるぐるまわるだけで、故郷の生活にはまだまだ戻れそうもありません。
ただこれまで知られていなかった月の裏面の情報を手に入れる事ができるので、故郷の新しい情報も発見できるかもしれません。
姫を迎えに来た天人が「きたなき所」とさげすんだこの地球と比べて、故郷の月はどんな姿を見せてくれるのでしょうか。

メンズバレンタイン

2007-09-14 17:17:03 | Weblog
今日9月14日は「メンズバレンタイン」で、男性が女性に下着を贈り、愛を告白する日だと聞きました。1991年(平成3年)に決められたそうですが、まわりの女性陣に尋ねても殆んど認知されていません。
一方では、9月14日を「セプテンバーバレンタイン」と言い、別れを告げる日ともいわれています。こちらは女性の方から別れを告げるのでしょうか。
思わず「どっちにするの」とチャチャをいれたくなりますが、日本の諺の中にも相反する諺が数多くあります。
「人を見たら泥棒と思え」・・・「渡る世間に鬼はなし」
「千里の道も一歩から」・・・「50歩100歩」
「善は急げ」・・・「急がば回れ」
「三人よれば文殊の知恵」・・・「船頭多くして船、山に登る」
など思い付きますが、こうした日本人の物の考え方は、あいまいと思うか懐が深いと思うか、人それぞれです。
私などは、コミュニケーションを取る上でも、時には逃げ道を用意してあげるという、日本民族の優しい知恵と受け取っています。
敗者に対する優しさを、政治家を含め、すべての人が諺からも学んでみてはどうでしょうか。

トランプゲーム

2007-09-13 13:52:08 | Weblog
「職を賭して取り組んでいく」と語り、駄目なら「職責にしがみつくことはない」と海上自衛隊のインド洋での給油活動の継続で決意表明したのがわずか数日前。
余りにも唐突に退陣カードを切った安倍首相。しかしその首相もあっさりと不可解な日にゲームそのものから降りてしまいました。
安倍首相の昨年9月就任以降の1年を見てみますと、どうみても手持カードの切り方が悪く、負けが込んでいるトランプゲームを思わせます。
トランプの本当の意味は「切り札」だそうですが、切り札そのものを持っていなかったのか、見付けることが出来なかったのか・・・。
ポーカーゲームからポーカーフェイスという言葉が生まれました。手のうちを読まれない様に、図太くて表情を変えない顔を言いますが、安倍首相はポーカーフェイスを取る事も出来ませんでした。
さあ、このポーカーゲームでカードの交換を行う様に、次の首相を決める自民党の総裁選びがはじまりますが、カードの交換によって出来る役の強さで野党との勝敗が決まります。交換してみたものの、引いたカードによっては手役がバラバラになる事も多くあります。そうなると、今度は自民党そのものがゲームから降りる事になるかもしれません。
引きの強いリーダーを自民党は選ぶ事ができるのでしょうか。注目です!

ささやかな幸せ

2007-09-12 14:51:25 | Weblog
今朝、久し振りに旧友に出逢い、懐かしく挨拶をすると「時々、テレビ見てます」という返事が返ってきました。覚えてくれていたんだと、とてもうれしかった。
こうしたささやかな幸せが、その日の朝、早い時間にあると、なんともうれしい長い一日を持つ事ができます。
そして改めて言葉の力の持つ不思議な魔力に驚くのです。
最近は色々な物事が、勝つか負けるか、それも大きく勝たなければという風潮が強い、二極化の傾向にあります。そんな世の中でも、こうした日常のささやかな幸せやちょっとした喜びは、殺伐に過ぎる都会の生活に、大きな潤いを与えてくれることを忘れてはいけません。
ましてや、幸せの形は人それぞれで、正解の人生があるわけないのです。ささやかな幸せを相手に与える事で、自身に大きな幸せが返ってくることもあります。
言葉のやりとりで、とくに電話応対の基本的なマナーとして、敬語はもちろんですが、クッションになる言葉使いを憶えておきましょう。
会話の最初に「お手数ですが」「よろしければ」「恐れ入りますが」「今、お時間大丈夫でしょうか?」などを入れれば、柔らかい印象と相手の心をなごませる事になります。
普段のささやかな幸せのやりとりが、決してささやかではないのです。

器用

2007-09-11 17:46:19 | Weblog
携帯電話の普及で極端に減った公衆電話が日本に初めて登場したのが1900年(明治33年)の今日でした。当時の名称は「自動電話」でした。
ところで、電車の中で数多くの人達が携帯電話を器用にあやつっていますが、非常に興味があるところです。
器用という見方を私はしたのですが、実はこんなデータがあります。
現代の子供は指先が器用かというアンケートで、大人の8割が器用ではない、不器用だと答えています。その理由は、手伝いをせずに指先を鍛える機会が少ないからだ、ということです。
但し、この携帯電話やパソコン、ゲーム機の操作から、子供は器用だと答えた人も2割はいます。
器用さというのは、もって生まれたものではなくトレーニングだという専門家もいます。特に最近は手間暇をかけてやる行為を敬遠する風潮もあります。(便利な道具が増えたことにもよりますが・・・)
我々は小刀で鉛筆をけずったり、自動車のパンク修理や犬小屋作りを手伝ったり、自分の必要なものは自分の手で作る必要がありました。ですから不器用であろうとなんであろうとやるしかありませんでした。何にもやらないという人が少数派だったのです。
こうしてみると私見ですが、世に蔓延する使い捨て文化が、不器用人間の増加を助長しているのではないでしょうか。