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伊豆の人-4,下田生まれの儒者,清貧に生きた天才詩文家「中根東里」

2013-02-06 17:06:35 | 伊豆だより<歴史を彩る人々>

元禄7年(1694伊豆下田で生まれ,晩年は下野国佐野(現栃木県佐野市)で暮らし,72歳の生涯をとじた一人の儒者がいた。その人の名は「中根東里」。私がこの名前を知ったのはつい最近の事である。

中根東里の生涯を,辿ってみよう。

 

◆中根東里

・元禄7年(1694)伊豆下田で生まれる。幼名は孫平,名は若思,字は敬父(夫),東里と号す。後の名を貞右衛門。ちなみに,父は重勝,三河の人で伊豆に流れ着いて当地に住み,浅野氏を娶る。

・元禄19年(1706)東里13歳の時,父を喪い(本覚寺に埋葬),禅寺に入り剃髪して証円と名乗る。読経を重ねるうちに,経典の本来の言葉である唐音(中国語)を学びたいと思う。

・正徳元年(1711),唐音を学ぶため宇治黄檗山萬福寺に入り,中国僧から漢学の手ほどきを受ける。書を好み経文を読み尽くさんと欲するが,禅の修行は書見ではないと諌められ,荻生徂徠門下慧岩の名を頼って江戸に出る。

・駒込の浄土宗蓮光寺に寓す。経典,大蔵経を読破したと伝えられ,その噂は江戸に広まった。東里の噂は荻生徂徠の耳にも入り,徂徠は東里を門弟となす(徂徠が鎖国の時代に希少であった東里の言語能力を利用した面もある)。徂徠のもとで古文辞を磨くが,「孟子,浩然の気の章」を読み還俗を決意する。還俗に対して徂徠の怒りを買う。東里は「徂徠の虚名を頼りに名を上げようとした己を恥じ」て,書きためた詩文を全て燃やしてしまう。

・浪人暮らしをしていた細井広沢のもとに身を寄せる。細井広沢は儒学者・書家・篆刻家として知られ西洋天文学にも博識であった。「技を暮らしの足しにせず,技をもって道となす」とする細井広沢の生き方に感銘する。

・正徳6年(1716),23歳の東里は室鳩巣に従って金沢へ下る。鳩巣から貞右衛門の名をおくられる。金沢では,ひたすら四書を読み,研鑚を積む。加賀藩から仕官の要請があったが,「学問して禄を貰う訳にはいかぬ」と,これを断り江戸にもどる。当時の儒学者は高額で仕官するのが常であったから,東里の考えは常識を超えるものであった。

・享保3年(1718)江戸八丁堀の裏長屋で終日書を読んで暮らすが,蓄えも底をつく。享保4年(1719)鎌倉在の弟淑徳と一緒に住むことにし,鶴岡八幡宮の鳥居下で漢籍を読みながら下駄を売り,粥をえて暮らす。ある時,長屋隣人の病を見かね,典籍や衣服を売り払い,これを救った。男の病が回復すると,「このまま長屋にいては,あの男も気まずかろう」と,兄弟は鎌倉を離れる。二年ほどの鎌倉暮らしであった。

・江戸弁慶橋近くの町木戸の番太郎となり,竹皮草履を作り,売りながら,書を取り寄せては読みふける。たまたま隣人の幼児虐待の有様を目にするが,救済することも出来ず,「何のために学問してきたのか」と悩む。そのような折「王陽明全書」に出会い,これまでの霧が消え去るのを感じ,ひたすら王陽明の著述を読みふける。そして,「書物を読んできた自分の使命は,人々にそれを説き,自ら行うことではないか」との考えに至る(知行合一)。この頃から,請われれば町民に書を講じた。

・下野国佐野の泥月庵に移り住み(後に知松庵)町の子供らにに王陽明の伝習録を講義する。以降,東里は30年近くをこの里で暮らした。生涯娶ることもなく,弟の赤子を育てながら村人に書を教え,清貧ながらも人々に慕われて生活を送った。

・宝暦12年(1762)姉の嫁ぎ先であり母が暮らした浦賀に往き,明和2年(176572歳で生涯をとじた。遺品や遺稿と言うべきものも殆ど残っていなかったという。顕正寺(浦賀)に自筆の墓碑がある。

 

磯田道史氏は「無私の日本人」(文芸春秋2012)で,「中根東里という儒者について書きたい。村儒者として生き,村儒者として死んだ人だから,今では知る人も少ないが,わたしは,この人のことを書かずにはいられない・・・」と書き始めている。同書の表紙には「荻生徂徠に学び,日本随一の儒者になるが,仕官せず,極貧生活を送る。万巻の書を読んだ末に掴んだ真理を平易に語り,庶民の心を震わせた」とコピーされている。

 

荻生徂徠や室鳩巣にその才を認められ,天才詩文家・儒者として名前が知られるようになった中根東里であるが,「世間的に偉くならずとも,金を儲けずともよい」と,ひたすら書を読み真理を求め,町民に平易に語り,隣人にやさしい心を持ち続けた生きざは,尊厳に値する。純で優しく,一途で,極限なまでに無私であったから,世間の濁りを純化させることが出来たのだろうか。歴史に埋もれた日本人の一人である。

 

今の世にこそ,中根東里の生き方に学ぶことがありそうだ

 

伊豆に住む従兄弟からの便りで中根東里に出会った。東里の生きざまには強い衝撃を覚える。

 

参照:井上哲次郎「日本陽明学派之哲学」冨山房明治33年(国立国会図書館近代デジタルライブラリー),下田己酉倶楽部「下田の栞」大正3年(国立国会図書館近代デジタルライブラリー),磯田道史「無私の日本人」文芸春秋2012

 

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