南米では移民の歴史を知らずして文化を理解することはできない,とつくづく思った。アメリカ大陸移民史の詳細な研究については専門家に譲るが,ここでは,簡潔に「アメリカ大陸移住年表」(添付)として整理しておく。
◆紀元前~14世紀 -モンゴロイドの移動,アンデス文明時代
1万5,000年前,アジアからベーリング海峡を渡ったモンゴロイドは,その後アメリカ大陸全体に拡散し,1万2,000年前には南米パタゴニアに達した。同大陸には多くの先住民族インデイオが生まれ,その末裔はアステカ帝国やインカ帝国を築いた。
◆15~16世紀(室町時代)-スペイン・ポルトガルの進出,大航海時代
1492年,コロンブスの「アメリカ大陸発見」(大航海時代の幕開け)とともに,スペインは先住民族・先住文明を滅ぼし,植民地化し,強大なカトリック世界を構築。16世紀には,ポルトガルとともに奴隷貿易を通じてアフリカから大量の黒人奴隷を移入し,世界の覇権を握り,富を独占した。
◆17世紀~19世紀前半(江戸時代)-ヨーロッパからの移住,移民の世紀
17世紀初頭の日本では,東南アジア進出があり(江戸初期には約1万人),各地に日本人町が出来た(アユタヤ朝の山田長政は有名)。1635年江戸幕府は海外渡航を禁じ,鎖国した(220年間)。
一方大陸では,1776年北米における英仏の激しい植民地争奪戦の中でイギリスが勝利し,アメリカ合衆国が建国された。1830年代に入ると,ヨーロッパからアメリカ大陸へ爆発的な移住が始まり(合衆国の西部フロンテイア開発,アルゼンチン・チリ・ウルグアイの欧化政策によりヨーロッパ人を積極受入),移民の世紀といわれるようになった(1830年から100年間で6,000万人)。
◆19世紀後半~20世紀前半(明治・大正・昭和)-日本人ハワイ北米から南米へ,満州へ
日本人移民の公的記録が残るのは,江戸末期以降のことである。1853年に黒船来港,1854年の開国を受けて,19世紀後半にはハワイのサトウキビ農園労働者やアメリカ合衆国へ「出稼ぎ移民」が海を渡った。これは,1840年代アフリカからの黒人奴隷が人権問題で禁止になった後,下層労働者としてアジア系(中国やインド)の移民を多く受け入れたが,合衆国内に黄禍論が起こったため中国移民が禁止され,それに代わる労働力として登場したのが日本からの移民であった。
しかし,19世紀末から20世紀初頭にかけて移住人口が増加すると,出稼ぎ移民禁止・日本人排斥運動が起こり,移住対象地は中南米のメキシコ,ペルー,ブラジルへと移って行く。ゴム農園,コーヒー農園の労働者(いわゆる「出稼ぎ移民」)で,あわよくば一攫千金をと野望を抱いた渡航であった。
一方この頃アジアでは,1929年の世界大恐慌を経て,1932年には満州国建設,満州移民が送り込まれた。世は殖産興業,海外雄飛が謳われた時代であり,世界の歴史は第二次世界大戦への道を進むことになる。
その後ブラジルでは,アジアからの移住者が増加すると,1934年「移民二分制限法」を制定して移民制限に乗り出した。これを受け日本政府は,ブラジル移住希望者の受け皿としてパラグアイ国と移住協定を終結し,パラグアイへの移住を進めることになる。
◆20世紀後半~21世紀(昭和・平成)-新しい時代
第二次世界大戦で途絶えた南米への移民は,戦後再開された。パラグアイでは農業移民政策が採られ,開拓が進んだ。戦後の移住史の中ではドミニカ移住者が集団帰国するなど大きな問題も発生している。しかし,多くは開拓の苦難はあったものの努力が稔り,南米の大地に確固たる基盤を築き上げた。この背景には,1974年海外移住事業団から国際協力事業団に改編し,移住者に向けての新たな支援がなされたことも大きい(1994年移住者送出業務は終了)。
その後,東京オリンピック,大阪万国博覧会開催など日本の経済成長が進むと,雇用が少ない南米から日本へ日系二世等の出稼ぎが増大する現象が起こった(この時期ラテンアメリカからも合衆国やヨーロッパへの出稼ぎが増加)。
国策移住から,個人意志に基づく移民へと時代は変わった。現在,日本人の移住を受け入れているのは,カナダ,アメリカ合衆国,オーストラリア,ブラジル,アルゼンチン,パラグアイ,ボリビアの7か国である。
参照:パラグアイ日本人移住70年誌(2007)
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