豆の育種のマメな話

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伊豆の里山「竹,今昔物語」

2013-02-26 11:19:11 | 伊豆だより<里山を歩く>

10歳頃まで住んでいた生家(須原坂戸)の近くには,竹の群生地が多かった。

記憶に残る名前は,「孟宗竹」「真竹」「淡竹(破竹)」「女竹」「矢竹」の5種類であるが,正確にはもっと多かったのかも知れない。何しろ,竹は世界中に1,2001,500種,日本にも600種(富士竹類植物園には500種栽植)あると言う。中国や日本は竹文化のイメージが強いが,世界の亜熱帯にも植生が見られるのだ。

 

孟宗竹(モウソウチク,Phyllostachys heterocycla f. pubescens)はその大きさと,台風のときなど風に騒ぐ音が無気味であったが,「筍」「竹皮」「竹材」などに利用価値が高いため,いわば竹林として管理されていた。

孟宗竹の筍は,地面が盛り上がったのを見つけては掘り取る。掘り取る時期や鍬の入れ方,皮の剥し方などにもコツがあった。アク抜きを要し堅い食感だが味わい深く,料理の仕方も多彩であった。一方,淡竹(破竹,ハチク,Phyllostachys nigra var. henonis)や真竹(マダケ,Phyllostachys bambsoides)の筍は伸びたものを手で折り取っても軟らかく,中でも淡竹はアク抜きせずに美味しく食べることが出来た。

 

竹の生長は早い。数日で天を突くほどになった。筍が伸びるにつれ竹皮が剥がれ落ちる。竹皮を拾い集め乾かしたものは,握り飯を包むのに重宝していた(真竹の方が柔らかい)。また,竹皮は細く裂いて草履を編むことも出来た。新しく伸びた竹の稈には白い粉が吹き,指先で文字や絵をかいて遊んだ。

 

真竹は,エジソン電球のフィラメント(京都の石清水八幡宮産で成功)としても知られる。真竹の稈は,弾力性があり曲げにも強いことから,竹籠など加工して使われることが多かった。祖父が,6尺ほどに切った竹を何本かに割り,その割り竹をくねらせながら「竹ヒゴ」に削ぐ作業を,手品を見るように眺めていると,

「木もと,竹さき,と言うて,竹は細い先の方から刃を入れるのだ・・・」と言う。

「木もと,竹さき? ふーん」

この言葉は,後々になって何度も「なるほど」と頷くことになる。薪わりや木材にカンナ掛けする場合,根元に近い方から刃を入れればスムースに処理でき綺麗に仕上がる。一方,竹材では太い方から刃を入れると先端が等分されないことが多いので,細い方から割る。竹はまさに,「破竹の勢い」で割れる。

 

女竹(メダケ,Pleioblastus Simonii)の藪は川辺など広範囲に存在していた。不動尊を祀る滝の上には,矢竹(ヤダケ,Pseudaosasa japonica)の群落が一か所だけあった。矢竹は節が滑らかで,矢,筆軸,釣竿,キセル等に利用される種類だが,子供心に「綺麗な竹だ」と感じ,その群落を秘密にしておくことにした。当時,仲間の間では紙玉鉄砲,杉玉鉄砲を作って遊ぶのが流行っていたからである。

 

ちなみに,紙玉鉄砲は,竹を輪切りにし細長い円筒としたものを胴,その内径より細い竹の棒をピストンにし(手元に握るための太い竹をはめ,ピストンの細い棒が同の先端近くまで届く長さとする),紙を湿らして丸めたものを玉とするものである。まず一つの球を筒の先端まで押し込み,次の球をピストンで押し込みながら空気圧で最初の球を飛ばす遊び道具である。

 

同様に,「杉玉鉄砲」は杉の雄花を玉として使い,「草の実鉄砲」は草の種子(名前を忘れた)を玉にした。「肥後の守」の小刀を手に入れてからは,女竹や矢竹を転がしながら筒を切って,この道具を作って遊んだ。その他にも竹を使った遊び道具は,竹トンボ,凧,竹馬,釣竿,メジロを飼う鳥籠,ウナギやモズク蟹を獲るモジリ(竹筒)などがあった。手が届かない高い所の柿や蜜柑を採るにも,竹の先を割った竿を使った。

 

また,当時の日用品にも手作りの竹製品が多かった。竹籠,ざる,箕,網代,簾,団扇,簀子,箸,しゃもじ,柄杓,火吹き竹,箒,物干し竿,樋など挙げればきりがない。茅葺屋根や土壁など建材としても,野菜の手竹やイネの乾燥架などにも使われていた。

 

不思議なもので,「これらの竹製品を作ってみろ」と言われたら,今でも何とか完成させることが出来る。幼少時に見ていた作業工程が蘇ってくるのだ。

 

幼少時体験は生活の知恵として蓄えられる。例えば藁草履作りにしても,藁を叩き柔らかくして,縄を綯い,足の指に縄をかけて藁を編む工程が,祖父の姿と重なって現れる。下駄づくりも同様,木材をブロックに切り,鋸とノミを使って歯を作り,カンナを掛け,焼いた鉄箸で穴をあけ,鼻緒を通す・・・。

 

一方,近年「竹害」なる言葉が語られるようになった。集落から若者が消え,管理放棄した竹林は他植生を侵犯し,里山にまで拡がり,山一面が孟宗竹に覆われる現象が見られる。

 「これでは駄目だ」と,NPOや行政,森林組合などが主導する「里山の自然回復運動」がようやく緒に就いた。鑑賞に堪えうる竹林に戻し(写真:修善寺の「竹林の小径」),他の植生と共生出来る環境を整備するためには,パンダの餌も結構だが,アクチブな竹の利用促進が重要である。竹材,竹工芸品,竹炭,竹酢液など可能性は大きいが,問題なのは対応できるマンパワーと企画調整力(組織力)だろう。バイオマスとしての活用を研究してみるのも面白い。

 

伊豆の資源はここにも眠っている。どなたか動きませんか?

 

 

コメント
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