竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

山部赤人を鑑賞する  紀伊國御幸の謌

2010年11月08日 | 万葉集 雑記
紀伊國御幸の謌
 この歌が、標題のように神亀元年甲子の冬十月の紀伊國への御幸の折に創られたのですと、万葉集には山部宿祢赤人の歌以外に笠朝臣金村の歌も伝えられています。ただ、山部宿祢赤人の歌は「称従駕玉津嶋也」との左注があり、そこから続日本紀などから類推しての神亀元年甲子の冬十月の紀伊國への御幸と推定したとなっています。一方、笠朝臣金村の歌が、そのような左注が無く、神亀元年甲子の冬十月の紀伊國への御幸とされるのとの違いがあります。

神龜元年甲子冬十月五日、幸于紀伊國時、山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 神亀元年甲子の冬十月五日に、紀伊國に幸(いでま)しし時に、山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌

集歌917 安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背上尓所見 奥嶋 清波瀲尓 風吹者 白浪左和伎 潮干者 玉藻苅管 神代従 然曽尊吉 玉津嶋夜麻

訓読 やすみしし 吾(わ)ご大王(おほきみ)の 常宮(とこみや)と 仕(つか)へ奉(まつ)れる 雑賀(そひが)野(の)ゆ 背上(そがひ)に見ゆる 沖つ島 清き渚(なぎさ)に 風吹けば 白浪騒(さわ)き 潮(しほ)干(ふ)れば 玉藻刈りつつ 神代(かむよ)より 然(しか)ぞ貴き 玉津島(たまつしま)山(やま)

私訳 八方を遍く承知なられる吾等の大王の永遠の宮殿として、この宮殿に土地をお仕え申し上げる雑賀野。その雑賀野の背景に見える沖の島。その清き渚に風が吹くと白浪が立ち騒ぎ、潮は引くと美しい藻を刈っている。神代からこのようにこの地は貴いことです。この玉津の島山の地は。


反謌二首
集歌918 奥嶋 荒礒之玉藻 潮干満 伊隠去者 所念武香聞
訓読 沖つ島荒礒(ありそ)の玉藻潮干(しほひ)満ちい隠(かく)りゆかば念(おも)ほえむかも

私訳 沖の島、荒磯の美しい藻が潮干が満ちて潮に姿を隠していくと、その潮に揺れる姿を想像するでしょう。


集歌919 若浦尓 塩満来者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡
訓読 若(わか)の浦に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る

私訳 若の浦に潮が満ちて来たら、干潟は姿を消し、岸辺の葦原を目指して鶴が鳴きながら飛んで行く。

右、年月不記。但、称従駕玉津嶋也。因今檢注行幸年月以載之焉。
注訓 右は、年月を記さず。但、玉津嶋に従駕(おほみとも)すと称(い)へり。因りて今行幸(いでまし)の年月を檢(かむが)へ注(しる)して以ちて之を載す。


参考歌 笠朝臣金村
神龜元年甲子冬十月、幸紀伊國之時、為贈従駕人、所誂娘子笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓 神亀元年甲子の冬十月に、紀伊國(きのくに)に幸(いでま)しし時に、従駕(おほみとも)の人に贈らむがために、娘子(をとめ)に誂(あとら)へて笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌

集歌543 天皇之 行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 點然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手嫋女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝

訓読 天皇(すめろぎ)の 行幸(みゆき)のまにま 物部(もののふ)の 八十伴(やそとも)の雄(を)と 出で去(ゐ)きし 愛(うつく)し夫(つま)は 天飛ぶや 軽の路より 玉(たま)襷(たすき) 畝傍を見つつ 麻(あさ)裳(も)よし 紀路(きぢ)に入り立ち 真土山(まつちやま) 越ゆらむ君は 黄葉(もみぢは)の 散り飛ぶ見つつ 親(にきびに)し 吾は思はず 草枕 旅を宜(よろ)しと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 點然(もだ)もありえねば 吾が背子が 行きのまにまに 追はむとは 千遍(ちたび)思へど 手弱女(たわやめ)の 吾が身にしあれば 道(みち)守(もり)の 問はむ答へを 言ひ遣(や)らむ 術(すべ)を知らにと 立ちて爪(つま)づく

私訳 天皇の行幸に随って、たくさんの武官の者と共に出発して行った私が愛する夫は、雁が空を飛ぶ軽の道から美しい襷を懸けたような畝傍の山を見ながら、麻の裳も良い紀伊の国への道に入っていく。真土山を越えていくでしょうあの御方は、黄葉の葉々が散り飛びのを見ながらそれを親しみ、私はそうとは思いませんが、草を枕にする苦しい旅も好ましい常のことと思いながら、あの御方は旅路にいらっしゃると、私はぼんやりとは想像しますが、しかしながら何もしないではいられないので、愛しい貴方が出かけていったように追いかけて行こうと千度も思いますが、手弱女である女である私は、道の番人が旅行く私に浴びせかける質問に答えるすべも知らないので、旅立とうとしてためらってしまう。


反謌
集歌544 後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山尓 有益物乎
訓読 後れ居て恋ひつつあらずは紀伊(き)の国の妹背(いもせ)の山にあらましものを

私訳 後に残されて一人で貴方を恋い慕っていないで、紀伊の国にある妹背の山の名に因んだ貴方に愛される妹背でありたいものです。


集歌545 吾背子之 跡履求 追去者 木乃關守伊 将留鴨
訓読 吾が背子が跡(あと)踏(ふ)み求め追ひ行かば紀伊(き)の関守(せきもり)い留(とど)めてむかも

私訳 私の愛しい背の君の跡を辿って追いかけて行けば、紀伊の関の番人は私を関の内に留めるでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする