竹取翁と万葉集のお勉強

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山上憶良を鑑賞する  貪窮問答の謌

2010年09月25日 | 万葉集 雑記
貪窮問答の謌

 この歌の題をどのように読むかで、歌の解釈とその世界は異なります。
 最初に当たり前ですが、「貧窮」と「貪窮」では「貧」と「貪」の用字が違います。仏法では「貪」の「貪窮」ですし、社会学派的な立場では「貧」の「貧窮」です。現在は、多数決で「貪」は「貧」の誤字として「貧窮問答」の「ヒンキュウモンドウ」や「ビングモンドウ」と読むようです。仏法では「貪」の貪窮ですと「貪窮問答」は「ドングウモンドウ」と読むようになります。
 同然、漢字の表記や読みが違うように、それぞれに持つ意味は違います。「貧窮問答」の「ビングモンドウ」の世界観は「貧乏」や「困窮」の世界が中心になります。一方、「貪窮問答」の「ドングウモンドウ」の世界観は四苦八苦の一つである物欲である「貪り窮める」姿の「求不得苦(ぐふとくく)」の苦悩を示すことになります。
 少し、ややこしいのですが、中国仏教では困窮の状態の貧窮を「ビングウ」と読みますから、もし、山上憶良が両方の意味で「貪窮」の漢字を使ったのですと、仏教に対する非常な皮肉になります。「貧窮(ビングウ)」に喘ぐ人が、その困窮からの脱出を切に願うことは仏法の八大辛苦の一つである「貪窮(ドングウ)」と云う煩悩に落ちている状態を示すことになります。つまり、仏教には「人のさとり」の道はあっても「民への救い」がないことになります。この姿の基として、日本では聖徳太子の時代から仏教の解釈の選択で在家救済の維摩教や勝鬘教を大切にしてきたところと一致するのでしょうか。このような背景があるためでしょうか、歌の世界の解釈は非常に難解です。
 参考に、この貪窮問答謌は漢詩のような表記方法を取ると、華麗な対句形式が採られていることで有名な長歌です。その華麗な対句形式の表記方法を含めて、歌の持つ意味を鑑賞していただければ面白いと思います。なお、ブログではその機能から対句形式の表現が十分に出来ませんので、省略させていただきます。

貪窮問答謌一首并短謌
標訓 貪窮問答の謌一首、并せて短謌

集歌892 風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比 弖之匝夫可比 鼻批之批之尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞々泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻弖 来立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道

訓読 風交(まじ)り 雨降る夜の 雨交(まじ)り 雪降る夜は 術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取(と)りつつろひ 糟湯酒(かすゆさけ) 打ちすすろひ 手(て)咳(しはふ)かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 鬚(ひげ)掻き撫でて 吾(あ)れを措(お)きて 人は在(あ)らじと 誇(ほこ)ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさふすま) 引き被(かがふ)り 布(ぬの)肩衣(かたきぬ) 有(あ)りのことごと 服襲(きそ)へども 寒き夜すらを 吾(わ)れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ 妻子(めこ)どもは 乞(こ)ふ乞ふ泣くらむ この時は 如何(いか)にしつつか 汝(な)が世は渡る 天地は 広しといへど 吾(あ)が為(ため)は 狭(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は 明しといへど 吾(あ)が為(ため)は 照りや給はぬ 人皆(ひとみな)か 吾(あ)のみや然(しか)る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾(あ)れも作るを 綿(わた)もなき 布(ぬの)肩衣(かたきぬ)の 海松(みる)の如(ごと) わわけさがれる 襤褸(かかふ)のみ 肩にうち掛け 伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解(と)き敷きて 父母は 枕の方(かた)に 妻子(めこ)どもは 足の方に 囲み居(ゐ)て 憂(う)へ吟(さまよ)ひ 竃(かまど)には 火気(ほけ)吹き立てず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く ことも忘れて 鵺鳥(ぬえとり)の 呻吟(のどよ)ひ居(を)るに いとのきて 短き物を 端(はし)截(き)ると 云(い)へるが如く 楚(しもと)取(と)る 里長(さとをさ)が声は 寝屋処(ねやと)まで 来立ち呼ばひぬ 如(かく)ばかり 術(すべ)無きものか 世間(よのなか)の道

私訳 風に交じって雨が降り、雨に交じって雪の降るみぞれの夜は、どうしようなく寒いので固めた塩の塊をしゃぶり、酒かすを解かした酒をすすって、手で咳をし、鼻をびしゃびしゃさせながら、貧相な鬚を掻きなでて、自分を除いて立派な人はいないと誇ってみても、寒いので麻の衾をかぶるようにし、布で作った袖なしのちゃんちゃんこをある限り重ね着てもそれでも寒い。そのような夜を自分より貧しい人の父母は餓えて寒いことだろう。その妻子達は力の無い声を出して泣くことであろう。こんな時、人はどのように過ごしているのであろうか。
あなたが生きて行くこの世の世間(社会)は広いといっても、私にとっては狭く感じてしまう。太陽や月は明るいというが、私の都合に合わせて太陽や月は照ってくださらない。人はみな、こう思うのか。それとも、私だけがこのように思うのか。
たまたま、私は人として生まれてきて、人並みに私も育ってきたが、綿も入っていない布のちゃんちゃんこで、海藻の海松のように分かれ裂けたボロのようなものを肩に掛け、茅葺の屋根だけの丸い小屋の中の土間に藁を敷き、父と母は枕の方に、妻子は足の方に丸く囲んで居て、この世の辛さを憂へ呟いて、竃には火の気の立てずに、飯を蒸かす甑にはくもの巣が張って、飯を炊くことも忘れ、鵺鳥が夜に鳴いている時間に、短いものをさらに切り詰めるという例えのように、鞭を持った里長の声が寝床まで聞こえて呼び立てる。
世の中は、このようなことばかり。これは、どうしょうもないのであろうか、この世の決まりとして。

集歌893 世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
訓読 世間(よのなか)を憂(う)しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
私訳 この世の中を辛いことや気恥ずかしいことばかりと思っていても、この世から飛び去ることが出来ない。私はまだ死者の魂と云う千鳥のような鳥ではないので。

山上憶良頓首謹上

コメント (3)
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