2022年、黄金週間最終日は母の日と重なった。
会いに行った
柿生という小さな町の王禅寺というところ。
少し詳しくいえば「王禅寺口」という
バス停近くのホームだ。
そこから徒歩3分もしないところで
僕は2歳から成人までを過ごした。
当時は、青いトタン塀に囲まれた
大きな資材置場にはタイヤローラー、
ショベルカー、H鋼や土管があって、
その端っこの平屋の一軒家に
我々家族が管理人よろしく住んでいた。
今は10軒ほどの二階建住宅が並んでいる。
その20メートルほど隣に松本屋。
コンビニが出来る以前、醤油砂糖にはじまり
箒やチリ紙、文具にお菓子まで何でもある店。
営業時間外も、庭から回って縁側からトントンすれば、
大概はものが買えるシステム。
路地を入ってクランクに歩けば母校。
東柿生小学校は随分年をとった印象。
と、言うてる筆者が初老
昔は高く感じた石垣も低くなっている。
もちろん高さが変わったのではなく
目線のほうが変わったわけだが。
小学校を過ぎて、交番
交番の住所は下麻生。
お世話になった佐藤文具店は、今はなく。
変わらずあるのは農協……
もとい、JAセレサ川崎の東柿生支店。
そして進行方向斜め右に見えてくるのは「福永」。
同級生の一太の店。中華料理店。
「下麻生」のバス停から徒歩1分。
お忍びで行ったがバレて、大将自らスマホ片手に来て、
「森田」と言いながら手渡された。
中学のバレー部の副将で、私がキャプテン。
5月8日、昼に多摩市民館で芝居を一本見てから、
小田急線を向ヶ丘遊園から柿生まで乗って
・・・駅前の変化も半端なく、残っていたのは
みなば(床屋)くらいだった・・・
そんなこんな、全体としては懐かしい風景を歩み、
50年を超す歴史ある町中華の暖簾をくぐったのは
17時を過ぎていた。そう、一太は三代目になる。
あたりが暗くなる頃、店には次々に客。
満卓になる前に腰をあげた。
順番が逆になったが松本屋。
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