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麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

林戸杲史

2014年06月03日 | 制作公演関連
林戸杲史
「はやしと・たかし」と読みます。
七月の舞台の制作名はこのクレジットで行きます。

小劇場から電撃的に(?)新劇に移った1997年。
けれど、すでに制作すると約束していた芝居、
それから「劇団に入ったのは知ってるけど、
できる範囲でいいから手伝って」という
有り難いお誘いを断りきれず・・・
編み出した名前です。
並び替えると「高橋俊也」になるという、
ま、アナグラムです。

数年前に劇団東演を退団しフリーになったから
そんなことはしなくていいのだが……。

実は前段の仕事の一つが『無頼』。
(1997年3月27日~31日)
その企画者でありプロデューサーが間天憑。
7月9日に開幕する『広島に原爆を落とす日』、
その企画・構成・演出を務める男だ。

2014年。時を経て、非シス人-ナルシスト-の
舞台を観にいったの機に久しぶりに組むにあたり、
懐かしい名前を使ってみようかな?と。

※※※

その『無頼』の当日リーフレットが残っていて、
役者に混じって制作まで文を寄せている。
嗚呼、若気の至り。

《ある国の、ある靴屋にある、くるみ材の
まあるくて、かあるくて、やわらかい
ブーツを履いて、シリアル・クールミントの
叢を歩く》

上記のようなまるで意味不明の「ポエム」
みたいなこと書いていて顔から火が出た。
よくよく頁をみるとテーマが「歩く」だった。

「あるくに」の歩くに始まり七個の「あるく」
をどーやら入れ込んでいるらしい。

弁解すれば。500文字以上書く強者も何人かいて、
残されたスペースが二行くらいしかなかった
という物理な理由もあった
と、俄かに記憶が甦る・・・。

※※※

十七年前の、その舞台の出演者十九名。
うち少なくとも九人はまだ演劇を続けている。
僕の知る範囲でだが。
果たしてこれが多いのか、少ないのか…。


コメント
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