林戸杲史
「はやしと・たかし」と読みます。
七月の舞台の制作名はこのクレジットで行きます。
小劇場から電撃的に(?)新劇に移った1997年。
けれど、すでに制作すると約束していた芝居、
それから「劇団に入ったのは知ってるけど、
できる範囲でいいから手伝って」という
有り難いお誘いを断りきれず・・・
編み出した名前です。
並び替えると「高橋俊也」になるという、
ま、アナグラムです。
数年前に劇団東演を退団しフリーになったから
そんなことはしなくていいのだが……。
実は前段の仕事の一つが『無頼』。
(1997年3月27日~31日)
その企画者でありプロデューサーが間天憑。
7月9日に開幕する『広島に原爆を落とす日』、
その企画・構成・演出を務める男だ。
2014年。時を経て、非シス人-ナルシスト-の
舞台を観にいったの機に久しぶりに組むにあたり、
懐かしい名前を使ってみようかな?と。
※※※
その『無頼』の当日リーフレットが残っていて、
役者に混じって制作まで文を寄せている。
嗚呼、若気の至り。
《ある国の、ある靴屋にある、くるみ材の
まあるくて、かあるくて、やわらかい
ブーツを履いて、シリアル・クールミントの
叢を歩く》
上記のようなまるで意味不明の「ポエム」
みたいなこと書いていて顔から火が出た。
よくよく頁をみるとテーマが「歩く」だった。
「あるくに」の歩くに始まり七個の「あるく」
をどーやら入れ込んでいるらしい。

弁解すれば。500文字以上書く強者も何人かいて、
残されたスペースが二行くらいしかなかった
という物理な理由もあった
と、俄かに記憶が甦る・・・。
※※※
十七年前の、その舞台の出演者十九名。
うち少なくとも九人はまだ演劇を続けている。
僕の知る範囲でだが。
果たしてこれが多いのか、少ないのか…。
「はやしと・たかし」と読みます。
七月の舞台の制作名はこのクレジットで行きます。
小劇場から電撃的に(?)新劇に移った1997年。
けれど、すでに制作すると約束していた芝居、
それから「劇団に入ったのは知ってるけど、
できる範囲でいいから手伝って」という
有り難いお誘いを断りきれず・・・
編み出した名前です。
並び替えると「高橋俊也」になるという、
ま、アナグラムです。
数年前に劇団東演を退団しフリーになったから
そんなことはしなくていいのだが……。
実は前段の仕事の一つが『無頼』。
(1997年3月27日~31日)
その企画者でありプロデューサーが間天憑。
7月9日に開幕する『広島に原爆を落とす日』、
その企画・構成・演出を務める男だ。
2014年。時を経て、非シス人-ナルシスト-の
舞台を観にいったの機に久しぶりに組むにあたり、
懐かしい名前を使ってみようかな?と。
※※※
その『無頼』の当日リーフレットが残っていて、
役者に混じって制作まで文を寄せている。
嗚呼、若気の至り。
《ある国の、ある靴屋にある、くるみ材の
まあるくて、かあるくて、やわらかい
ブーツを履いて、シリアル・クールミントの
叢を歩く》
上記のようなまるで意味不明の「ポエム」
みたいなこと書いていて顔から火が出た。
よくよく頁をみるとテーマが「歩く」だった。
「あるくに」の歩くに始まり七個の「あるく」
をどーやら入れ込んでいるらしい。

弁解すれば。500文字以上書く強者も何人かいて、
残されたスペースが二行くらいしかなかった
という物理な理由もあった

と、俄かに記憶が甦る・・・。
※※※
十七年前の、その舞台の出演者十九名。
うち少なくとも九人はまだ演劇を続けている。
僕の知る範囲でだが。
果たしてこれが多いのか、少ないのか…。