女子バレーボールが北京オリンピック出場を決めました
【文中敬称略】
プリンセス・メグこと栗原恵が、ついに本領発揮
24歳。高校生の頃から注目されながら、なかなか結果を残し切れなかったエースが、ようやく最終予選で、盟友カナの分まで頑張って五輪切符を掴んだ、というところか……。
そうそう。
腰痛で欠場のパワフル・カナこと大山加奈と二人を「メグカナ」と称しているけれど、揃って活躍することのできない二人を見ていると、現在プロ野球パ・リーグで首位を走る埼玉西武監督・渡辺久信と、今なお現役で頑張る工藤公康の二人を思い出す。。。
二人は西武の黄金時代の中心となった左右のエースピッチャーで、1986年こそ以下のような両輪の活躍を見せるが、翌年からはチグハグな数字となる。
86年・・・レギュラーシーズンで渡辺が16勝6敗で最多勝、最多奪三振の二冠に輝けば、11勝の工藤は、3敗1分けで迎えた日本シリーズ第5戦でサヨナラヒットを放って流れを変え、チームを逆転日本一に導くとともに、自らも1勝2SでシリーズMVP獲得。
以下、チグハグ時代(?)
87年、工藤の15勝4敗に対して渡辺は3勝8敗。
(工藤は日本シリーズでも好調を保ち、2年連続のMVPに!)
88年からは渡辺が奮起! 15勝7敗*、15勝11敗、18勝10敗*とコンスタントな数字を残す(*印は最多勝)も、工藤は10勝、8勝、9勝とエースにしては物足りない勝ち星に終わる。
91年、今度は工藤が3年ぶりの15勝超えとなる16勝3敗を挙げたが、渡辺は7勝に終わっている。
。。。ってな感じッス。
ま、西武にはこの時代、東尾や郭や潮崎など他にも好投手がウジャウジャいて、野手も石毛、辻、秋山に清原・・・と強烈で、85-88年(4年連続)、90-94年(5年連続)のリーグ優勝と、86-88年、90-92年の6度の日本一という「常勝球団」だったわけで、二人が揃って活躍する必要はなかったのだけれど


さて。実はバレーボールの話で始まったのでした、今日は。
間もなく男子も開幕しますが、北京行きは僕が言うまでもなく厳しいわけです。が、諦めてはいけない!
5勝2敗。星の潰し合いで全勝がなく、6勝1敗が1チーム、5-2が日本含めて3チームいてセット率で2位に食い込む・・・なんて都合良く行けばなあ。
R25(フリーペーパー)に「バレーはかつて日本のお家芸だった」という記事があったが…そんなこと書かれないよーにサ。

【文中敬称略】
プリンセス・メグこと栗原恵が、ついに本領発揮

24歳。高校生の頃から注目されながら、なかなか結果を残し切れなかったエースが、ようやく最終予選で、盟友カナの分まで頑張って五輪切符を掴んだ、というところか……。
そうそう。
腰痛で欠場のパワフル・カナこと大山加奈と二人を「メグカナ」と称しているけれど、揃って活躍することのできない二人を見ていると、現在プロ野球パ・リーグで首位を走る埼玉西武監督・渡辺久信と、今なお現役で頑張る工藤公康の二人を思い出す。。。
二人は西武の黄金時代の中心となった左右のエースピッチャーで、1986年こそ以下のような両輪の活躍を見せるが、翌年からはチグハグな数字となる。
86年・・・レギュラーシーズンで渡辺が16勝6敗で最多勝、最多奪三振の二冠に輝けば、11勝の工藤は、3敗1分けで迎えた日本シリーズ第5戦でサヨナラヒットを放って流れを変え、チームを逆転日本一に導くとともに、自らも1勝2SでシリーズMVP獲得。
以下、チグハグ時代(?)
87年、工藤の15勝4敗に対して渡辺は3勝8敗。
(工藤は日本シリーズでも好調を保ち、2年連続のMVPに!)
88年からは渡辺が奮起! 15勝7敗*、15勝11敗、18勝10敗*とコンスタントな数字を残す(*印は最多勝)も、工藤は10勝、8勝、9勝とエースにしては物足りない勝ち星に終わる。
91年、今度は工藤が3年ぶりの15勝超えとなる16勝3敗を挙げたが、渡辺は7勝に終わっている。
。。。ってな感じッス。
ま、西武にはこの時代、東尾や郭や潮崎など他にも好投手がウジャウジャいて、野手も石毛、辻、秋山に清原・・・と強烈で、85-88年(4年連続)、90-94年(5年連続)のリーグ優勝と、86-88年、90-92年の6度の日本一という「常勝球団」だったわけで、二人が揃って活躍する必要はなかったのだけれど



さて。実はバレーボールの話で始まったのでした、今日は。
間もなく男子も開幕しますが、北京行きは僕が言うまでもなく厳しいわけです。が、諦めてはいけない!

