3月15日、バスケの天皇杯決勝。
琉球ゴールデンキングスが
3大会連続の決勝の舞台
2年続けて千葉ジェッツに苦杯を舐め、
今回はアルバルク東京との決戦!
60対49で悲願の初優勝
おめでとうございます
その中継のテロップに
〈最多優勝 日本鋼管〉と。
「へぇ、松下電器じゃないのか」
少し驚きながらも、
川崎で生まれ育ったおらが街のチーム
一番はバレーボール部だったが、
バスケ、野球、サッカーの日本鋼管も
応援していたので、嬉しかった
バスケットボールに限らず、
多くのスポーツがリーグ戦と
トーナメント戦の王者を決して、
サッカーなどはその頂上決戦もある。
そしてトーナメントは
男子は天皇杯、女子は皇后杯と言う。
その日本リーグの最多優勝は
やはり松下電器だった。その数13回。
1967年の開幕時の名称は「実業団リーグ」。
その第1回の頂点に立ったのが、松下。
準優勝は日本鋼管だった。
翌年は鋼管が雪辱し、2〜5回まで4連覇
その5回から「日本リーグ」となる。
ちなみに2、4、5回の2位が日本鉱業、
69年の第3回は住友金属が準優勝。
日鉱が6回に初優勝を成せば、
7、8回には住金が連覇と
草創期は、鋼管、松下、日鉱、住金の
4チームが上位を独占している。
一方、天皇杯の歴史は圧倒的に長く、
今回が100回大会だったのだが、
戦争による中止もあり第1回は1922年。
優勝は東京YMCA、準優勝横浜YMCA。
3位に東京YMCA英語学校と大阪YMCA。
日本の大会なのか、YMCAの大会なのか
目を疑うが、世は大正。
日本バスケの黎明は大森兵蔵が
東京YMCAに紹介した1908年。
盟主・東京YMCAの3連覇で
始まった天皇杯に納得ともいえる。
第4回は立教大、6、8回に早大、
7、9回東京商科大と大学勢が気を吐けば、
なんと1931年10回大会は
成蹊高校が天皇杯を掲げることに!
こ、高校
そんな天皇杯で最多優勝の日本鋼管が
初めて戴冠したのが1950年、第25回。
全文理大を退け、翌年は慶大を下し連覇!
しかし27〜31回は慶、立、立、東京教育、
立と大学勢が力を見せつける。
プロ野球では稲尾和久が西鉄に入団。
21勝を挙げて新人王
翌年は35勝、翌々年33勝で
2年連続の最優秀選手賞に輝き、
日本シリーズでは3連敗のあと
4連勝で「神様仏様稲尾様」と
言われた頃だ。