♫あなたひとりに かけた恋
(wawawawa〜)
愛の言葉を 信じたの♪
1969年リリースの歌い出しは
内山田洋とクール・ファイブの
メジャーデビューレコード
『長崎は今日も雨だった』。
彼らの最大のヒット曲でもある。
で、ブログタイトルは
「横浜は一昨日も雨だった」が
実は正しいのである。
5月2日に予定されていた
横浜スタジアムでの
DeNA対巨人戦は雨で中止。
4月11日、我がスワローズと
ベイスターズの試合「も」
雨で流れたのだが、
そのスタンドにいた
プレイボール前あたりは曇天で、
ただいつ降り出してもおかしくない
重い色の空。
夕方から雷雨との予報もあり、
早々と雨合羽を着出す観客も多く
(私もその一人)
その空に雷が遠く鳴りはじめると
降り出すのは早かった。
大粒のポツリポツリは
瞬く間に本降りとなり、
アンパイヤは中断を告げた。
小一時間、通路で待つ観客たち。
中にはスタンドで待機する猛者(?)も。
結局ノーゲームに。
さて、頭に置いた上半身像は
「日本の灯台の父」と呼ばれた
リチャード・ヘンリー・ブラントン。
7年半で実に26の灯台建設を指揮し、
ハマスタのある横浜公園の設計、
日本大通りの街路整備なども手掛けた
英国人の土木技術者。
ちなみに日本大通りは
「にほんおおどおり」。
日本初の西洋式公園から
日本初の波止場まで伸びる
日本最初の西洋式街路。
県庁、裁判所など歴史的建造物が
今尚目に出来るメインストリート。
話を野球に戻す。
燕先発の吉村の調子が良かったので
先をみたかったけれど⋯。
近頃はグッズも多様化して、
中には「なんじゃそりゃ」も
なくはない
「推し」の波が押し寄せ、
アイドルアイテム的なのも
当たり前になった。
おじさんには悲しいかな
違和感が勝つけれど、さておき。
そーゆー流れの先駆を
横浜DeNAベイスターズは
築いた球団の先駆けだろう。
今日現在、ベイは5位。
我がヤクルトは最下位だが、
まだまだシーズンは始まったばかり。