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麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

リーグとトーナメント〜黎明

2025年03月16日 | スポーツ

3月15日、バスケの天皇杯決勝。

琉球ゴールデンキングスが

3大会連続の決勝の舞台

2年続けて千葉ジェッツに苦杯を舐め、

今回はアルバルク東京との決戦!

60対49で悲願の初優勝

 

おめでとうございます

 

 

その中継のテロップに

〈最多優勝 日本鋼管〉と。

「へぇ、松下電器じゃないのか」

少し驚きながらも、

川崎で生まれ育ったおらが街のチーム

一番はバレーボール部だったが、

バスケ、野球、サッカーの日本鋼管も

応援していたので、嬉しかった

 

バスケットボールに限らず、

多くのスポーツがリーグ戦と

トーナメント戦の王者を決して、

サッカーなどはその頂上決戦もある。

そしてトーナメントは

男子は天皇杯、女子は皇后杯と言う。

 

 

その日本リーグの最多優勝は

やはり松下電器だった。その数13回。

1967年の開幕時の名称は「実業団リーグ」。

その第1回の頂点に立ったのが、松下。

準優勝は日本鋼管だった。

翌年は鋼管が雪辱し、2〜5回まで4連覇

その5回から「日本リーグ」となる。

 

ちなみに2、4、5回の2位が日本鉱業、

69年の第3回は住友金属が準優勝。

日鉱が6回に初優勝を成せば、

7、8回には住金が連覇と

草創期は、鋼管、松下、日鉱、住金の

4チームが上位を独占している。

 

一方、天皇杯の歴史は圧倒的に長く、

今回が100回大会だったのだが、

戦争による中止もあり第1回は1922年。

優勝は東京YMCA、準優勝横浜YMCA。

3位に東京YMCA英語学校と大阪YMCA。

 

日本の大会なのか、YMCAの大会なのか

目を疑うが、世は大正。

 

日本バスケの黎明は大森兵蔵が

東京YMCAに紹介した1908年。

盟主・東京YMCAの3連覇で

始まった天皇杯に納得ともいえる。

 

第4回は立教大、6、8回に早大、

7、9回東京商科大と大学勢が気を吐けば、

なんと1931年10回大会は

成蹊高校が天皇杯を掲げることに!

こ、高校

 

そんな天皇杯で最多優勝の日本鋼管が

初めて戴冠したのが1950年、第25回。

全文理大を退け、翌年は慶大を下し連覇!

 

しかし27〜31回は慶、立、立、東京教育、

立と大学勢が力を見せつける。

 

プロ野球では稲尾和久が西鉄に入団。

21勝を挙げて新人王

翌年は35勝、翌々年33勝で

2年連続の最優秀選手賞に輝き、

日本シリーズでは3連敗のあと

4連勝で「神様仏様稲尾様」と

言われた頃だ。

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サンベルクス

2025年03月05日 | スポーツ

1968年

足立区に八百屋を開業。

1985年

スーパーマーケット1号店開店。

1995年

株式会社サンベルクスに社名変更。

2012年

サンベルクス陸上部創部。

2013年

店舗数30店舗。年商500億円達成。

2015年

ニューイヤー駅伝初出場。

2024年

パリ五輪・競歩男子20km濱西諒が出場。

 

現在東京千葉埼玉にて48店舗

(東京17、千葉19、埼玉12)を展開し、

売上高1,089億円 (昨年2月決算)の

企業の沿革を抜粋してみたが、

実は一度も買物をしたことはない。

身近に店舗がないからに他ならない。

 

だのに調べて書いたのは、

日曜日に開催された東京マラソンで

日本人トップとなった市山翼が

同社陸上部だからだ。

市山は中央学院大学卒業だが、

奇しくも部の最大学閥で、

他に岡本雄大と松島匠の計3名在籍。

(東海大も同数)

岡本は90回、市山は94回の箱根で

花の2区を走っている。

 

流通業の駅伝強豪といえば、

かつてダイエーが2年連続3位

(1997、98年)となっているが、

本業の業績悪化により廃部。

以来流通業に出場はなく、

サンベルクスが17年ぶりとなった。

 

そんな赤と白のユニフォームを

東洋大卒の渡辺奏太もまとっている。

 

入学年の出雲4区で三大駅伝デビュー。

続く全日本は5区で二つ順位を上げ

5位で襷を渡したが、箱根は走れず。

2年次はまず出雲アンカー。

3位で島根ワイナリーを駆け出すも

5番目でゴールに運ぶ苦い走りに。

しかし全日本は2区で区間2位、

箱根では7区を区間3位と好走し

重要な戦力との期待が膨らんだ。

ところが翌年は故障で三大駅伝未走。

最終学年の全日本で一走を務め、

トップと16秒差の6位で復調の狼煙。

ラストランの箱根は4区を担った。

が古傷が痛み、10位から14位に後退。

まさかの区間最下位のタイム。

 

襷を受けた宮下隼人(2年)が

区間新の激走で山を駆け上がり

11位まで上げて復路に繋ぎ、

総合10位でシード権を確保した。

まさに「1秒を削る」一丸の

96回大会だった。

 

そしてサンベルクスへ。

第61回東日本実業団駅伝で

6区区間4位で走り、全国切符に貢献。

1区を務めた65回は10秒差の8位と

重責を果たすなど中心選手として

上州路を駆け、今年は3区で11位。

チーム順位を5つ上げている。

ちなみに市山は5区7位で

チームをさらに押し上げ18位に。

 

そんな陸上部を有する

スーパーベルクスは昨年6月、

三軒茶屋に進出!(城南エリア初)

世田パブかトラムで観劇の折に

買物可能ってことだな

 

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柏優吾

2025年03月04日 | スポーツ

ひなまつり。

雨に混じり、雪も舞った東京。

その前日、日曜日はぽっかぽか。

 

そんな中での東京マラソンは、

青学の太田蒼生が前半から中間点まで

トップ集団に唯一人食らいつく

初マラソンとは思えない(或いは

だからこその爆走とも)走りで

沿道及び中継を見つめるファンを

大いに沸かせた。

 

結果は36キロで途中棄権

42.195kmには暑すぎたこともあり。

 

その後は日本人トップが

次々に変わるレースが展開され、

全体10位に伏兵の市山翼

(サンベルクス)が入り、

ベテラン井上大仁(三菱重工)が

追い上げて12位と続いた。

 

このレースとともに「世界陸上」

代表選考レースだった

さる2月24日の大阪マラソンでは

近藤亮太(三菱重工)が

初マラソンの日本最高記録を更新。

2時間5分39秒で

エチオピアのアダンに続く2位だった。

 

4位の細谷恭平(黒崎播磨)までが

大会新となったレースは

青学の黒田朝日が初マラソンを

こちらはしっかり完走し、6位

かつ同じくフレッシュグリーンの

若林宏樹が二週前に叩き出した

学生新記録を塗り替えて

大きなニュースになった。

 

個人的には、9位の柏優吾

(コニカミノルタ)の粘走が

印象に残った。

 

2年前の同大会、東洋大4年だった

柏は日本学生歴代2位(当時)の好走。

遡って夏の北海道マラソンでの

日本人トップの2位に続く

ナイスランで柏の名を轟かせ、

鉄紺ファンは俄に盛り上がった。

 

鉄紺といえば。

所属するコニカミノルタは

東洋大出身者が多い。

 

箱根駅伝の5区・山登りを3度走り、

主将も務めた宮下隼人が22年から、

24年から加わった佐藤真優も主将。

佐藤は東洋大牛久高から入学したが、

現在、同校陸上部監督の山本浩之が

09〜21年まで。

設楽ブラザーズの兄・啓太が14〜17年

(のち日立物流を経て、現在は西鉄)。

 

ニューイヤー王者に8回輝いている

名門陸上部の拠点は八王子だが、

企業本社は千代田区丸の内に構え、

東海エリアの、瑞穂・三河・豊川の

3サイトはすべて豊川市にある。

埼玉出身の柏が選んだのが奇しくも

愛知県長距離の強豪・豊川高校。

高校と豊川サイトは約500mの距離。

 

そんな柏は、3年時の出雲駅伝6区で

三大駅伝デビューを飾り、

区間7位に走りをまとめて

チーム総合3位に貢献。

迎えた最高学年では

全日本8区で区間7位。

総合8位の力となった。

念願の箱根は4区で起用、

チーム順位をふたつ上げて

往路アンカーに襷を渡した。

 

 

長い距離に特性があるから、

駅伝よりもマラソンが今後も柏の

主戦場になるだろう。

派手な走りにはならないが、

鉄紺のDNAで渋いランニングを期待!

 

 

女の子の節句から、端午の節句

につきものの「柏」に連なりました。

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日曜、代々木のBリーグU18/ボスハンドダンク

2025年02月27日 | スポーツ

 

「インフロニア BリーグU18

インターナショナルカップ2025」。

代々木第二体育館で迎えてくれたのは

冠スポンサー「インフロニア」の

公式キャラクター「キュレたん」。

 

18歳以下の国際大会。

BリーグU18と海外からの同世代に、

今回は初めて高校の部活クラブも参戦。

 

見たのは・・・

大会2日目(2月23日)の、まず第3試合。

U18Bリーグ選抜vs

名古屋ダイヤモンドドルフィンズU18

 

まとまりにおいては単独チームに分があり、

それが今季のU18チャンピオンシップ優勝

となれば、尚更だ。

対してBリーグ6チームからの選りすぐりは

個々の力量なら上回るやも。

 

体育館に着いた時、前半2Qでは

名古屋Dがリードしていたが、

急造ファイブの息が合ってきたのか、

前半終了時、31対29と選抜が逆転。

 

 

ちなみにスタンドは、

サイドのベンチエリア側と

エンドの片側のみを開放し、

残り半分は関係者のみ立入可。

(上の写真の巨大横断幕側に

ちらほら見えるのはスタッフや

出場選手)。

無料な上に3連休でもあったので

観戦OKの客席の7〜8割埋まっていた。

 

あとから知ったが名古屋Dは

9時半からの第1Gに続いての試合で

疲れもあったのか、

結局流れを取り戻せず、敗戦。

しかし選抜以外のチームには勝利し

1位で予選リーグを抜け、

最終的には準優勝 

王者の貫禄をみせた。

 

第4試合は、千葉ジェッツU18

(BリーグU18チャンピオンシップ

2024準優勝)と

美濃加茂高校[岐阜・私立]

(インターハイ準優勝)

 

千葉のエース・関谷間は

スラムダンク奨学生に選出され

渡米が決まった有望株。

なるほど、剛さと精度が

バスケには明るくない私にも

図抜けているのがわかった。

「せきやあいま」と読むらしい。

 

前述の留学の件とともに

観戦しながらスマホ検索したのだが、

BリーグU18のオールスター戦で

公約通り「ボスハンドダンク」

(両手ダンク)を決めらしい。

そのあたりのハートも善い!

 

しかしバスケットボールは、

言わずもがなチームスポーツ

1Qは15対39で美濃加茂がリード、

2Qは千葉が13対11と追い上げるも

38対50でブザー。

そうそう、千葉のブースターが

多数代々木に駆けつけ、

美濃加茂はアウェイな展開。

熱い声援を受け、4Qには

一瞬4点差まで迫った千葉たが、

美濃加茂に勢いが戻って

93対80とうっちゃった。

 

高校サッカーは、Jクラブと高校が

同じ土俵で戦うリーグがあるが

バスケにはまだないようだ。

その意味でも面白かった

 

関谷以外にも魅力的なプレーヤーが

たくさんいて、軽い気持ちで

原宿駅に降りたが大収穫だった。

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日曜、代々木のBリーグU18/ウォーミングアップ

2025年02月26日 | スポーツ

バレーボール観戦に行った僅か3日後、

代々木第二体育館に再び足を運んだ。

今度はバスケ

 

「インフロニア BリーグU18

インターナショナルカップ2025」

土日祝の3日間(2/22〜24)、

8チームが2組に分かれ予選リーグを、

最終日に7位決定戦から決勝戦まで

全18ゲームが行われた。

 

Bリーグから名古屋D、千葉、渋谷、

琉球の4クラブと選抜チーム

(北海道、仙台、秋田、宇都宮、

滋賀、鹿児島の6チーム混成)。

海外からは、独のSKYLINERSと

豪のビクトリア州選抜。

そして大会史上初めて高校の部活から

参戦した美濃加茂高校(岐阜・私立)。

 

尚、8チームによる激闘も過去最大。

 

 

その2日目(日曜)。

第1試合は9時半のティップオフ

さすがにそこまで気合は入っておらず、

3戦目の前半2Q途中に会場着。

 

BリーグU18のチャンピオンシップ

今季の王者・名古屋DとBリーグ選抜。

優勝チーム対リーグ精鋭の勝負と、

チャンピオンシップ準優勝の千葉vs

インターハイ準優勝の美濃加茂高校。

クラブと部活、双方の強豪の闘い!

 

この2戦に興味があったのだ

 

と、観戦記の前に「インフロニア」。

大会名の頭についているから

冠企業だろうなぁとは薄々思うが、

聞き覚えがないぞ。

 

筆者の不勉強が大きいのだが

〈東京都千代田区に本社を置く

総合インフラサービス企業〉

これでもピンと来ない。

概要を読み進めると

〈前田建設工業、前田道路、

前田製作所を傘下に持つ持株会社〉

なぁんだ前田道路かぁ……

 

〈2021年10月1日設立〉。

全然知りませんでした。

我が家の電話脇のメモ帳、

前田道路の名入を長く使っていた。

まぁ黒のダイヤル時代だから、

わたしが小中とかの話ですが。

父が小さな土建会社の社員で

たくさん下請けをしていたので。

 

【次回いよいよ観戦記へ】

 

〇補足〇

Bリーグチームの名古屋にのみ「D」を

付しているのは、

名古屋ダイヤモンドドルフィンズと

もう1チーム

ファイティングイーグルス名古屋が

存在するため。

 

せっかくなので他のチーム名も・・・

千葉ジェッツ、サンロッカーズ渋谷、

レバンガ北海道、仙台89ers、

秋田ノーザンハピネッツ、

宇都宮ブレックス、滋賀レイクス、

鹿児島レブナイズ。

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柳田将洋が見られなかった〜SV初観戦余話

2025年02月23日 | スポーツ

柳田将洋、石川祐希、

髙橋健太郎、山内晶大。

日本代表監督・南部正司が

上記4人に命名したのが

「NEXT4」だ。

 

慶應4年柳田、愛知学院3年山内、

筑波2年高橋、中央1年石川という

4人の大学生に協会は未来を

託したのだが、その2015年当時は

「柳田将洋とNEXT3」と言っても

過言ではないほど一人抜けていた。

 

4人ともにポテンシャルはあり、

逆にそれをもってして

力を込めて売り出した訳だが。

特に山内においては

高校から本格的にバレーを始め、

それこそ可能性しかなかった。

 

ただ、ミュンヘン五輪金メダル

松平一家のBIG3(森田淳悟、

横田忠義、大古誠司)から連なる

バレー界のお家芸でもあった。

まだ若き有望株への「注目」を

作り上げてファンを引っ張る手法は。

 

と、このブログのお家芸(?)

「長い前段」になっちゃった

 

 

今季からスタートしたバレーボールの

国内最高峰リーグの「SV」を

2月20日に初めて観に行った話を

前回書いた。その余話になる。

 

東京グレートベアーズのホームゲーム。

残念ながらお目当ての柳田将洋は

試合に出場しなかった

滅茶苦茶ファンという訳ではないが、

暫くバレー観戦から離れて、

知っている選手が少ない中、

美しいバレーをする彼を

やっぱり見たかったのだが……。

 

柳田の写真もうまく撮れなんだ

 

さて季節は巡り。

東京五輪7位、続くパリも7位。

順位こそ同じだが、内容は異なった。

パリ、世界ランキング2位で臨み、

結果メダルには届かなかったが、

「もしや」は感じさせた。

 

男子バレー暗黒の時代は

何年ほどあったのだろう?

光明は見えている

 

OH石川#14(ペルージャ)主将

МB山内#6(ブルテオン)

МB髙橋#10(ジェイテクト)

※ポジション名前#背番号(所属)

 

パリ五輪3人は名を連ねたが

32歳の柳田は選出されなかった。

OH(アウトサイドヒッター)に

髙橋藍ら若手が台頭していた。

 

東京2020は柳田、髙橋健太郎が

逃していた。

4年に一度のオリンピックに

ピーキングするのは容易くない……。

 

試合前、東京GBの主将でリベロの

古賀太一郎と対人する柳田の

一挙手一投足は本当に絵になっていた

 

彼の現役生活はまだ続いていて、

スタメン出場するゲームもある。

この日、見られなかっただけだ。

 

もう一人、グレべ対アローズ戦で

見られず残念だったのが、

川野琢磨だ。

が、長くなったので別稿に譲る。

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SV初観戦

2025年02月21日 | スポーツ

生まれて初めてのSVリーグ。

てか、バレーボールの

SVリーグが生まれたばかりだが

 

代々木第二体育館で、昨夜

東京グレートベアーズ

東レアローズ静岡を観戦。

 

オールドファンには「東レ九鱗会」。

深尾吉英(1968〜)1949生

ミュンヘン金メダルメンバー。

……古すぎか?

 

その後東レアローズになり、

泉川正幸(1993〜2004)1071生

ピートの愛称の大砲。

加藤陽一(1999〜2002)1976生

海外でプレーした草分け。

「世界を知る日本のサムライ」。

青山繁(2002〜06)1969生

富士フイルム廃部ののち東レへ。

オールラウンダー。

・・・とキリがないのでこの辺で。

 

古豪は一時、実業団リーグにまで降格。

雌伏の10年を過ごすも

1988年、最高峰のリーグに復帰。

04-05シーズン悲願の日本一に立った

 

※括弧年は東レ在籍年。

深尾の退団年わからず

 

 

かたや東京グレートベアーズは

生まれて間も無い

約20年前、東京ガスからFC東京へ

サッカーのFC東京と連携)。

09年にトップリーグ昇格

(当時の名称はV・プレミアリーグ)

するも成績は振るわず。

そんな前身を丸ごとチームし

生まれ変わったのが2022年。

 

23-24シーズンには日本代表のセッター

深津旭弘や柳田将洋を補強。

柳田は「NEXT4」の一人(次回詳細)。

そしてSV元年、トップリーグの

10チームに加わった。

 

第16節。2月19日のGAME1は

東レがフルセットの末、勝利。

 

かつて法政二高から法政大を経て東レ。

アローズの監督も務めた

186cmの小さな大エース菅野幸一郎を

思い出さずにはいられない

177cm楠本岳(天理大在学中)が

この日もレフトから、ライトからは

アラン・ソウザ(元ブラジル代表)が

スパイクを決め、東レが先行。

 

グレートベアーズはリベロで主将の

古賀太一郎を中心に粘り強く守り、

終盤、楠本を大竹壱青がブロック!

流れを変えて25対23で制すると、

その流れを渡さずストレート勝ち。

 

(下は勝利の挨拶をする東京GBの選手達)

 

さて、大竹壱青は父が大竹秀之、姉里歩。

三人とも日本代表経験者だ。

その父は、菅野と同級生で

法二と法大でチームを牽引した。

 

・・・ついつい昔に話が行きがち

この日は、声優の細谷佳正

(『ハイキュー!!』東峰旭や『進撃の巨人』

ライナー・ブラウン役など)と

バスケB1のアルバルク東京の2選手、

マスコットのルークらがゲスト。

 

試合前からDJが会場を盛り上げる

今やスポーツの定番が展開。

入場時には配布されたシートは、

ホームの東京BGの選手紹介や試合日程。

さらに折り畳み可能でハリセンになり、

応援クラップ、広げて応援ボードと

いたせりつくせり。

 

 

ゲームスポンサーはリソルホテル。

シャンプーなどノベルティも頂きました。

 

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親観と久我染み

2025年02月08日 | スポーツ

ドラゴンズ第35代監督の井上一樹も

きのう紹介した西口文也、岸田護

とともにフランチャイズプレーヤー

(そのチーム一筋で入団から引退まで

まっとうした選手のこと)だ。

 

「鹿商」こと名門・鹿児島商から

ドラフト2位で入団した時は投手。

93年、野手に転向すると、

翌年のジュニアオールスターでМVP。

99年は「恐怖の7番打者」と呼ばれ

リーグ優勝に貢献。

しかし17年のプロ生活の大半は

「スーパーサブ」として過ごした。

 

タイトルは・・・

名僧・親観が久我地方を訪れた際、

貧しい暮らしをする庶民に

活路を見い出す為に広めた

特産の自生植物を生かした

柿渋色が特徴の染物「久我染み」を

・・・という嘘八百

親観と久我染み、じゃなく

「新監督が地味」の後編!

 

外れ外れながら、ドラ1で燕入りの

三木肇は、プレーヤーとして

ヤクルト、日本ハム。引退後は

日ハムとヤクルト、楽天でコーチ。

2020年にその楽天で監督を務め、

今季から再びイーグルスを率いる。

 

プロ通算安打は僅か59本。

打率.195は大谷の身長程度。

守備と走塁が長所の選手だった。

 

 

阪急ブレーブスの黄金時代を築いた

故・上田利治は現役3年で56安打。

また「名選手、名監督にあらず」との

名言もあるように、プレーヤー実績と

指揮官の力に比例はない。

 

だから、2025年シーズンのNPB

(日本プロ野球機構)の新監督が

地味だろうと関係ない!

ただただ楽しみである。

 

我が東京ヤクルトスワローズは

高津臣吾体制6年目。

6位、優勝、優勝、5位、5位。

さて。

と一軍は沖縄、二軍は宮崎で始まった

キャンプから数日。

つば九郎の長期離脱が伝えられた。

心配だ。

 

 

また昨日は、名将の誉れ高い

阪神やフランス代表などの監督で

「ムッシュ」、現役時代は「牛若丸」

と呼ばれた吉田義男氏の通夜。

ご冥福をお祈りいたします。

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神官徳が滋味

2025年02月07日 | スポーツ

私の知る神官、詳しくいえば

まだ権禰宜(ごんねぎ)だが、

とはいえやはり徳が高い男だ。

 

権禰宜◎ 神職の職名の一つ。

宮司、禰宜の次に位置する。

 

白装束を脱いでも実に滋味深い、

会ったあと内身がポカポカする

歳下たが、頼りになる・・・

みたいな話じゃない。

 

「神官、徳が滋味」は変換違いで

「新監督が地味」と打ちたかった。

 

 

今年も2月1日のキャンプインとなった

日本プロ野球

今年からチームを率いる新指揮官は、

12分の4.5!

井上一樹(中日)、岸田護(オリックス)

西口文也(西武)、藤川球児(阪神)

三木肇(楽天)[50音順]

 

ゴールデンイーグルス三木は

再登板なので0.5にしてみた

 

個人差はきっとあるけれど、

〈火の玉ストレート〉藤川以外は

地味だな〜という印象だろう。

 

ライオンズ西口は、

スライダーを武器に

通算182勝118敗6セーブ。

最多勝と最多奪三振を2度、

沢村賞も1997年に獲得した

西武のマウンドに21年間立った

エースピッチャーだけれど、

工藤公康、渡辺久信、東尾修ら

西武の主戦投手から監督になった

他の面々よりは知られていない。

 

岸田もオリックス一筋14年、

その大半で18番(2010-19)を

背負った右腕ながら、故障もあり

先発、中継ぎ、抑えと「仕事場」が

定まらず、通算成績は

44勝30敗63ホールド63セーブ。

たらればはないけれど、抑え一筋

24勝23ホールド123セーブであれば

印象は随分変わったはず。

 

さて、藤川を含む西口、岸田の

投手出身の新監督は

どんな野球を見せてくれるかな?

 

つづく

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高橋良昌

2025年01月25日 | スポーツ

佐々木朗希が11番のユニフォームで

記者会見する映像を目にした。

11といえば、まーくんも同じ番号を

背に25年シーズンを戦う。

 

そのニュースで斎藤雅樹、上原浩治らも

背負ったと。確かに斎藤の番号だが、

雑草魂の上原は19のイメージしかない

 

メジャー4球団でも19で投げ続け、

日本復帰の2018年のみの11番で

翌年は慣れ親しんだ19をつけ、

結果的にその年に引退している。

 

そして。

アラカン世代には斎藤と同じ

サイドスローの高橋良昌が浮かぶ。

 

高知商から中央大を経て、

1966年、第2次ドラフト1位で

東映フライヤーズに入団。

15勝11敗で新人王に輝いた

 

というのは今回調べて知ったこと。

なんたって

そのドラフト年に生まれたから

物心ついたときは巨人の、

高橋一三(左腕の21番)と並び

私と同じ姓のピッチャーって認識で

応援していたわけである。

(当時はG党だった

ちなみに本名は高橋善正だが、

1975年に登録名を〈良昌〉とし、

私のなかではこちらがしっくり。

 

またフライヤーズでは18番。

G軍に移籍した73年から11。

 

改名一年目の75年は53マウンド。

小川邦和と並びチーム最多登板で

中継ぎを担ったから、

よく目にもしたのだろうなぁ。

そうそう。

あの頃、父の運転する車の

後部座席でラジオから流れる

巨人戦を聴いたのも懐かしい。

 

ふてぶてしいマウンドさばきと

独特のフォームから繰り出す

切れ味鋭いシュートが印象的で

プロ11年で384試合に投げ、

うち先発は147試合。

通算60勝81敗7セーブ。

当時はホールドの記録自体なかった。

 

ひとことでいえば渋かった。

 

選手としては2球団だが、

コーチとして巨人、中日、日本ハム、

横浜大洋と歴任。社会人のシダックス、

東都六大学の中大でも指導。御年80。

 

阪神の村山実。

ザトペック投法の200勝投手で

阪神の永久欠番や

トルネードでメジャーでも活躍し

近鉄やレイズ、レッドソックスで

11を背負った野茂英雄ら

良い選手は沢山いるけれど、

私の中での〈11〉は高橋良昌なのだ。

 

……どうでも良い話だが

中学のバレー部の中1秋。

公式戦のベンチに初めて入った時の

白地に青ラインのユニフォームが

11番だった。

 

コメント
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