読書日記

いろいろな本のレビュー

不死身の特攻兵 鴻上尚史 講談社現代新書

2018-07-17 10:09:56 | Weblog
 8月15日は終戦(敗戦)記念日だが、戦後73年経って、戦争経験者がどんどん鬼籍に入るに従って、「不戦の誓い」が揺らいでいく気がするのは私だけではあるまい。そんな中で「神風特別攻撃隊」所属の佐々木友次陸軍伍長が、1944年11月の第一回の特攻作戦から9回出撃し、陸軍参謀に「必ず死んでこい!」と言われながら、命令に背き、生還を果たした事実を記した本書は、吉田裕氏の『日本軍兵士』(中公新書)と並ぶヒットとなった。このような本が売れて、多くの人が戦争の愚かさを認識することは、「不戦の誓い」を強固にする一助となり、戦争に対する抑止力になることは間違いない。
 佐々木伍長は死んでこいと言われて、「死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」と反論したという。確かに正論だが、当時こう言える兵士はほとんでいなかった。吉田氏の『日本軍兵士』にもあったが、1944年以降に兵士並びに銃後の民間人の死亡が増えていた。これは本土空襲や物資補給のない戦場での餓死・病死が増えたためであった。その絶望的な戦局の中で、「神風特別攻撃隊」が組織され、兵士を理不尽な死に追いやったのである。「お国のために」という大義名分のために。
 軍隊は上下関係が厳密に規定されており、上官の命令は拒否できないのが普通であるが、「死んでこい」と言われながら生き延びた佐々木伍長の事暦を読むと、その時その時の局面で良識のある直属の上司に恵まれたり、飛行機の不時着によって生き延びたりと運がついて回った気がする。それに彼が下士官であったことも大きい。少尉以上の士官であればこうはいかなかったであろう。では、なぜこのような実際的な効果の薄い作戦が生まれたのか。大いに気になるところだが、本書に興味深い記述があった。
 特攻作戦を始めたのは大西瀧治郎中将だが、彼の部下の小田原参謀長が語った話として次の事が紹介されている。大西中将はもと軍需省にいて、日本の戦力については誰よりも知っており、もう戦争は続けるべきではないと考えていた。そこで特攻によるレイテ防衛について、これは九分九厘成功の見込みはないが、強行する理由は二つあるという。一つは天皇陛下がこの作戦をお聞きになったら、必ずやめろと仰せられるであろうこと。二つは身をもって日本民族の滅亡を防ごうとした若者がいたという事実と、天皇陛下が自らの判断によって戦争を止められたという歴史が残る限り五百年後、千年後に必ずや日本民族は再興するであろうということである。大西中将は敗戦時に自決したので、真偽は不明だが、この壮大な国体護持の捨石の発想はいささか一人よがりと言わざるを得ないだろう。いかに上官といえども部下に死を強制することはできないはずだ。命令する側と命令される側、命令する側はこうあるべきだという価値観によって生きているがゆえに視野が狭くなりがちだ。これを著者は「世間」と言っているが、「世間」の中に生きているものは、「世間」の掟を変える立場にないと思いがちだ。愚策がまかり通る所以である。
最後に著者は、命令する側と命令される側という特攻の構図を夏の高校野球に当てはめて語っているが、同感である。著者は言う、「10代の若者に、真夏の炎天下、組織として強制的に運動を命令しているのは、世界中で見ても、日本の高校野球だけだと思います。好きでやっている人は別です。組織として公式に命令しているケースです。重篤な熱中症によって、何人が死ねば、この真夏の大会は変わるのだろうかと僕は思います」と。かつて明治神宮外苑で行なわれた学徒出陣壮行会、東條英機首相の叱咤激励と学生代表の「生ら、もとより生還を期せず云々」の決意表明。そのアナロジーとして高校野球の開会式を見ると、その相似形にはっとさせられる。折しも新聞は100回記念大会の野球記事で日々紙面を埋め尽くしている。これも戦争遂行を賛美したメディアに擬する事も可能だ。今現在、時期とか時間帯の変更を考えている節はない。この酷暑の時期、熱中症の犠牲者が出なければいいのだが。