忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

明らかに

2012-07-11 | 平和を
 東京電力福島第1原発事故で、国会が設置した事故調査委員会は5日、「明らかに人災」と当局・東電の甘さ批判の報告書を衆参両院議長に提出した。
 [「歴代の規制当局と東電経営陣が、意図的な先送り、不作為、自己の組織に都合の良い判断を行うことで、対策が取られず事故が発生した」などと厳しく批判した。
 独立性と透明性に欠ける経済産業省原子力安全・保安院など規制当局を、事業者の「虜(とりこ)」と表現。] 事故後国内初の関西電力大飯原発再稼動と送電開始の強行は、この事故調報告書が出る前だったことにも原発むらの利権が絡む意図を感じる。
 [【国会事故調報告書の骨子】 ●東京電力福島第1原発事故は自然災害ではなく、明らかに人災 ●第1原発は地震にも津波にも耐えられる保証がない脆弱(ぜいじゃく)な状態だったと推定される ●地震と津波のリスクは想定外ではない ●1号機の安全上重要な機器が地震で損傷した可能性は否定できない ●運転員の判断や操作の非は単純に問えない ●東電や規制当局はシビアアクシデント(過酷事故)対策、住民の安全保護など当然の備えをしていなかった 他 ]
 政府事故調は東電の言いなり、民間事故調は東電が拒否、国会事故調が動いても東電らの全てを明るみにさせない体質はそのまま。
 繰り返される学校生徒のいじめと自殺での、学校と教育委員会に警察までもが責任逃れ。学校はみんなで自由な安心できる場所のはず、被害者の家族が真実を知りたいのは当然だ。
 原発にウソは当然とばかりに偽装安全神話を再稼動させる電力会社と国を信じるのはどうしても無理。早急に脱原発への舵切りをと学校のいじめ問題とも重なり逃げ場のない私は悩む。

下を見ないで

2012-07-10 | 追憶
 大分の親戚の家に苗木をもらいにトラックで行ったのは30年以上前のこと。わが家のトラックを運転してこの町を出たのはあの時の1回限り。
 祖父母が田んぼだった段々畑に夏ミカンを植え栽培収穫していたが、私たちが結婚したのを機に高接ぎと八朔に切り替えた。その後木を植えたが現在はイノシシの遊び場。
 それでも八朔の木も少しは残したので多少は実がなり、自家用に採り数人の知人に配れば無くなる。 剪定で切り詰めずにいたため伸び放題の八朔の木は、5~6mの高さになった。
 『八朔あるけど食べる?』と言って約束した人は家に帰って、私に『○○さんらにあげるけん、八朔採って来てや』と指示すればいいだけのこと。
 手の届く所に実はなってなく高い場所まで登らなければ収穫は無理、日傘を広げたような状態に下の方の枝は枯れ滑り易い幹昇るのは苦難の技と諦める。枯れ枝に足をかけるか根元近くで分かれた幹を利用しなんとか登れる木を見つけ採集する。ロッククライミングの技術があればとも思う。
 石垣の下の段から測れば10m以上になる木も込み合った枝葉に遮られ下が見えないのと事故後怖さを忘れるので救われている。
 少量の収穫でも時間がかかるのと道路までの運搬がまたたいへん。途中までカゴで運んでコンテナをいっぱいにしを繰り返した。コンテナとカゴを満杯に20m余の距離まで運んではまた下に20mほどと道路に近づけて行く。お地蔵さんと話しをしながら一休み。肩に担いだ八朔が1つ落ちて道を転がるのを追いかけた。お地蔵さんのおかげで下まで落ちずに済み、ありがとうを言うためもう1度上がる。いつも庶民全体の暮らしを見つめている地蔵さんと異なり、政治屋はせっかく上に居ても下にはいつも無関心。

ツケがまわって

2012-07-09 | 平和を
 2011年5月24日初版第1刷発行だが、同年6月5日の初版第3刷発行を買って持っていたのをやっと読んだ。 【 原発大崩壊! 】 第2のフクシマは日本中にある 著者/武田邦彦
 [安全神話のツケがまわって来た! 緊急書き下ろし ブログにアクセス集中! 相談メールも殺到! ベスト新書 発行所/KKベストセラーズ
 3.11以後を生きる 私たちの勇気と覚悟が 問われている! 第1章――事態は「想定内」で進行中 第2章――すべての原発は地震で壊れる 第3章――私たちはどうすればいいのか 第4章――原子力政策はどこへ向かうのか ]
 東電のフクシマ原発事故後に原発事故関連の報道番組などによく登場し、反原発的立場で歯に衣着せぬ論法で一際目立っていた。もとは原発推進側でだったのになぜ…とよく他の出席者から皮肉を浴びせられていた。
 そう言えば最近テレビに登場しなくなったようだが、どうしたのかと気になりはじめ本を読む気になった。読みやすい本とも言えるが、裏がありそうにも思う。
 派手な書名や帯の言葉から受ける印象とは違う内容がある気分。武田邦彦博士の脱原発は駄目との主張が正しいのかも私にはわからない。
 安定した電力を維持するためにはウソを無くし絶対に「安全な原発」つくりに頼ることと武田先生。だがそれは原発事故の検証も安全対策の確認もせず、こじつけだけで大飯原発再稼動を強行する日本には無理だと私は思う。

涼しさ満喫

2012-07-08 | 共に
 家族一緒で母家と隠居での生活が多く、本来の自宅としてはあまり利用されない本宅は庭にある。縁側に干した布団の上で日光浴ができ、木陰で気分よくぐっすり昼寝もする。
 梅雨の合間に湿った地面に腹這いになっての居眠りも心地よさそう。広島みやげでお婆ちゃん犬に選んだ?小さな鯉のぼりはまだ飾ったまま。

やられたとつぎのひ

2012-07-07 | 日々
 農地での仕事中、首筋にチカッと痛みがあった。ムカデか蜂かだろうとマスク代わりに巻いていたタオルを解き結び目あたりを見たり、襟首は手で探るが何もいない。
 またタオルのマスクを結びすぐ仕事に戻る。しばらく痛かったけれど痛みはなくなる。夜家に帰ってからカガミで見ると数ミリほどの傷が幾つかあったが薬もぬらず風呂にも入った。
 翌日になってよく洗った首筋に汚れを見つけ除けた。その夜も風呂に入って寝たが、多少痛さと痒み始まったのでカメムシにやられたようだと気がついた。
 次ぎの日に当たる今日ははっきりカメムシの被害だと分かる。衣服に擦れるのでどうしても気になる。でも薬をつけるのはなぜか忘れてしまう。
 数年前は背中に入ったカメムシと一緒に寝て毒汁で火傷状態の痛みと痒みが1ヵ月以上続いた。臭いも強烈だけど液は火傷跡のように残り目などは特に危険。
 椿像と書いて亀虫とはイメージが違いすぎる。農産物にも人間にも害虫、ムカデと闘うネコ・メルはカメムシに闘いを挑むかどうかと考えた。

めんこいこうま

2012-07-06 | 平和を
 (一)ぬれた仔馬のたてがみを 撫でりゃ両手に朝の露 よべば答えてめんこいぞ オーラ 掛けて行こうよ丘の道 ハイド ハイドウ 丘の道 (ニ)藁の上から育ててよ いまじゃ毛並みも光ってる お腹こわすな風邪ひくな オーラ 元気に高くないてみろ ハイド ハイドウ ないてみろ (三)紅い着物(べべ)より大好きな 仔馬にお話してやろか 遠い戦地でお仲間が オーラ 手柄を立てたお話を ハイド ハイドウ お話を (四)西のお空は夕焼けだ 仔馬帰ろかおうちには お前かあさん待っている オーラ 唱ってやろかよ山の唄 ハイド ハイドウ 山の唄 (五)明日は市場かお別れか 泣いちゃいけない泣かないぞ 軍馬になって行く日には オーラ みんなでバンザイしてやるぞ ハイド ハイドウ してやるぞ
 家で飼っていた 可愛い仔馬が 戦争に軍馬として 連れて行かれ 乗せられていた船が沈没し死んでしまった。そんな悲しい戦争を絶対にしてはならないという反戦歌だと、ラジオで千住明さんの話から知った。
 戦後に改変された歌詞で童謡として私もよく歌っていたので スティーブン・スピルバーグ監督の映画『戦火の馬』の予告編 が浮かんできた。
 めんこい仔馬は軍馬哀歌で 陸軍省選定の東宝映画『馬』 (監督:山本嘉次郎、 助監督:黒澤明) 日米開戦の年に作られた軍馬映画の主題歌で 作詞:サトー・ハチロー、作曲:仁木他喜雄だが映画には使われなかったとの説もある。
 戦時中に部隊の兵士たちが内緒に好んで唄った軍歌には、軍隊を皮肉ったり反戦歌と言える歌詞が結構あったと聞いている。私の歌うのもどこか悲しい。改悪で憲法9条を無くすことは、日本の若者や子供たちが韓国のように徴兵されることでもある戦争を狙う国づくり。

くせになるのは

2012-07-05 | 共に
 前日に続き次の日も『一緒に行かんかな』 と問われ、「行かん」 と断る。買い物に付き合うだけならいいのだが、2人になれば家でも外でも鋭い小言の連発を受ける役目は避けたくもなる。
 それに今月は小遣いをもらっていない。困らせる言葉もイヤだが小遣い無しの実力行使は予定外で、相手の思う壷だとわかっていても気分的に落ち込んでいる。

 消費税増税他負担増で絞り取られて切り捨てと大金持ちの得する社会。安全よりは金儲けと嘘で固める原発の再稼働実行同様に、TPPや自前で戦争のできる日本にと憲法改悪へ突っ走る。大政翼賛会を理想としているかの国会よりも政党談合行為のまかり通る国政の不気味な先行き。

 それを先取りするかのような家庭での言論の不自由を含め片隅に追いやられた存在に、小遣いゼロの冷たい仕打ち。孫たちに本どころか僅かの小遣いさえやることもでき無くなった。『行かんのやったら 本屋のカード貸して』 私も本を買わずに見ているだけでいいから本屋には行きたいが、お金がないと思えば楽しめない。
 現日本国憲法を奪われると、こんな気持ちになるのだろうかと考えた。たとえ監視付き外出でも断るのが癖になるのは好きではない。

ゴロゴロドキドキ

2012-07-04 | 平和を
 『陽が降りよるぜ 早よせんが!』 外には雨露はそのまま残っているが青空も見える。昨日はどしゃ降りがあり、今日もこれからの天気が気になりテレビで予報を確認する。
 雨が来るかもと思いながら外に出ると置いてきぼりにされていた。軽自動車に草刈り機を積み山に向かうが空は雲におおわれ今にも降って来そう。
 トラック組は紫陽花植えの最中で私は別の場所に行く。知人が草刈りの準備をしていたのでちょっと立ち話、『あれ向こうの山は 雨のよう』 「降らなええがにな 行ったら 雨になるかも」
 エンジンをかける前にパラパラ、トラック組が『もう止めたよぉ 早よ帰ろやぁ』 と呼んでいる。雷の音も聞こえ、家で留守番している犬が気になる。
 捨て犬だった短い間に怖い想い出があるのか雷が大嫌い。家の中に入っていたので今日も私がそばに居る。抱いて撫でてマッサージまでしてやるけど、興奮状態はおさまらない。
 雷に早く遠ざかって欲しいのだが、予定は雷さんの勝手に任すだけ。およそ40分間は動き回るおばあちゃん犬を触りっぱなし私も犬もけっこう疲れた。
 その後も小さく雷は鳴っていたが犬もなんとか落ちついた。合計1時間余を犬と一緒、私も雷さんが怖くなるかも。
 夜に福島原発事故の被害者でもある従姉妹とも話をしたが、落雷で電話がしばらく使用できないと聞く何かとあれからずっとたいへんそう。

しゅごがなく

2012-07-03 | 共に
 『あれやこれやそれでは分からんやろ 細かく全部がはっきり分かるように 言いなはいや』 過去には2人で同じ狭い部屋に居て、近くのものや1つの話題でもひと言でも略すと叱られていた。
 近年あの頃あんなに厳しかった自分を忘れたのか、日常の彼女の発言に主語がなく困ることが多い。私に対する指示を聞き間違えては『何聞いとるがよ!』と叱られる。
 主語を略して述語を聞かされれば間違えるのも当然なのに、バカな私がいつも悪者になる。言った当人があとで気づくことがあるのかどうか、絶対に間違いを認めるとか謝りはしない。
 主語も述語も何も聞かずに結果が出ていないとのお叱りも受ける。他の人に言ったのが私に言ったと変化する。全くの言ったつもりの勘違いもあるはず。
 今日は主語はあったが述語に簡略化があり、言った言わないでもめた。でもとても珍しく短めで済んだのは言わなかった証拠。
 勤め先の上役は『分からなければ 私に 分かるまで聞け』とよく口にしていた。だけど彼女にそれは通用しない。『今言ったやろ』『何回聞いたら 覚えるがよ』 で終わり。
 私は特にだけどお互いに物忘れや聞き違いが多くなる年齢でもある。迷惑ばかりかけているとも認めるが、叱られるばかりでは余計に気も滅入るので少しでも仲よくなりたい。

うれしさいっぱい

2012-07-02 | 共に
 早朝にどしゃ降りがあり、きっと雨は降ると誰もが思いながら7時半前には集合していた。役割分担で各班に別れた共同作業は、の各戸1名の原則参加の行事。
 昔から続く年1回の、道や川などの草刈り、ゴミ・土砂・倒木除け、石積み、橋架け、修理、コンクリート舗装、危険木伐採、集会所とその周囲の掃除片づけ他。
 その年に内で緊急な要望があればそれが優先され、幾つもある農道と林道などはまたとは別の日に各組合の関係者で共同作業を行う。自分たちで維持管理をすることで使い勝手も良いというもの。普段は気がついた人が手入れする。
 市内であれば市か県のする仕事もできる限り自分たちでやる。だが高齢化や参加者の減少と勤め人には慣れない作業はかなりの重労働で今後が気になる。
 『雨が降らなんで 良かったな』 作業終了後の慰労会でも、みんなが同じ言葉を何回言ったことか。雨天決行は視野も狭くなり濡れた手袋に持ち物と足元も滑りやすく危険が増すので、部落区長の安堵感は特別だ。
 初孫ができた『かわいいぜ』と賑やかに喜ぶ話しもあった。男の子か女の子かはまだ不明と聞き、えっ!?どうして。まだ娘さんのお腹にいる胎児が初孫とわかる。
 喜びの共有は楽しい。母子共に元気な誕生の日を待つ。こんな喜びを表してもらうと、私の娘も信じていたのはわかっていた。でも喜びを伝えない私にうれしくないのかと小言。
 生命の大切さの出産までと誕生を思えば喜びは多少控えた。さっきばあちゃんに孫から『ありがとう』の電話、最後に『おじいちゃんと電話代わろか?』と聞かれた孫の返事は『いらない』 とても素直に育っている。