南相馬市と飯舘村を中心に
福島第一の原発事故によって傷つけられた人々の心と生活を描くドキュメンタリー。
取材は昨年5月に始まり、延べ60日間撮影を行ったそうです。
あらためてこの写真見ると、
すごい爆発だったんですよね・・・・。
まあ水素爆発なんでしょうけど、
私にはキノコ雲に見える。
どうして広島と長崎で2回も被爆している私たちが
自分たちの手で3度目の被爆を経験しなくちゃならないのか。
痛恨ですよ。痛恨の極み。恥です。
非核3原則とか言っちゃってるのにさ。
あーもう。がっかりです。
もう原爆落としやがってってアメリカに文句言えないよ、っていう気分です。
さて、映画ですが・・・。
3月11日、
地震がどんなふうだったか、津波がどうだったかのインタビューから始まるこの映画。
津波で子供が流されたとかそういう話。
岩手や宮城でたくさん起こった惨劇。
もちろん福島でも起こっているのだけど、
東電の事故のせいで、
福島の震災の様相は他とは違う。
分かっていたことだけど、
それをいま一度はっきりと認識しました。
入村することはできるけど住むことは許されず、
全村避難となっている飯舘村。
みんなで避難するまえに開かれた村民集会の様子や
定期的に自宅の様子を見に帰ってきている人、その家の様子。
飯舘なんて海に面してないから津波に遭ったわけでもないのに
誰もいない場所になってしまった・・・。
南相馬市は人口の3分の1弱が市外非難。
残りは放射能汚染に向き合い、この町で暮らすことを選んだ人々。
家族や地域の絆が断ち切られてゆく中で、町の再生・復興に挑み続ける。
子供も結構いる・・・・。
幼稚園の先生がボランティアと一緒に園児の家の除染活動して回っている。
出ていく人もいれば、引っ越して来る人もいる。
そこに住む人がいる限り、
数は少ないかもしれないけど助けに来てくれる人がいる。
まあ、線量高めのところに住み続けること自体の賛否はあるとしても、
瓦礫の線量がどーのこーのとか、
福島の子をいじめるとか、
アホみたいなことも多い中、
寄り添う人々もいるのだな。
とにかくこのことについて私はもっと勉強したい。
絶対見捨てない。
だってこんなに美しい土地と温かい人たちなのですから。