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シネマと虎とグルメたち

犬童一心監督作品に「ジョゼと虎と魚たち」があった。オイラは「観た映画が面白くて、美味いもの食って阪神が快勝」を望んでる。

鳥谷が甲子園に帰ってきた

2021年05月26日 | 阪神タイガース

プロ野球の交流戦が始まった。
昨夜は甲子園での阪神対ロッテ戦。
ロッテが2点ビハインドの7回表、1アウト1塁⒉塁の場面で鳥谷が代打で登場。
コロナで入場制限がかかっているので甲子園は阪神ファンばかり。
その阪神ファンから盛大な拍手が起きた。
「鳥谷、ガンバレ!」の拍手や。
鳥谷やったらヒットを打たれて1点取られてもかまへん。
阪神ファンは皆そう思ってたやろな。
鳥谷はそこでライトへタイムリーとなるクリーンヒット。
大拍手で、鳥谷敬のタオルを振る人、背番号1のユニフォームを着ている人、メガホンを打ち鳴らす人。
この日、一番の盛り上がりやった。
ピッチャーの西は次のバッターをダブルプレーに打ち取りこの回を終える。
まだ1点勝ってると言う最高の終わり方やった。

よかった、よかったと思ってたら8回は地獄やった。
必勝リレーのはずの岩崎が打たれて逆転負け。
予定外の敗戦でショックが大きい。
昨夜は寝つきが悪かった。

今年も縁日はなしかな?

2021年04月24日 | 阪神タイガース
目に青葉の季節になってきた。
木々の間から鶯の鳴き声が聞こえる。
鶯は見なくなったからあの鳴き声は多分メジロだろう。
5月1日からは「野崎まいり」が始まるが、去年同様コロナの影響で縁日はないだろう。
境内の入り口にはツツジが咲き誇っていた。


昨夜の阪神藤浪はひどかった。
4回を投げてフォアボールが6個。
5回の先頭バッターにデッドボールを与えたとこで交代。
ストライクが入らんかったら野球にならへん。
ノーヒットで点を取られ、押し出しの四球もあった。
しっかりせんかい!
馬場もセカンドへ悪送球するし、満塁で佐藤は打球を後逸し撃ったバッターまでホームへ帰ってきた。
滅茶苦茶な試合やった。
DeNAの連敗に同情したんかな?

桜満開

2021年03月28日 | 阪神タイガース
あちこちの桜が満開を迎えている。
この時期になると桜の木があちこちに植えられていることが分かる。
日本人は桜が好きなのだと思う。
三好長慶の居城であった飯盛山城に続く登山道の入り口でも満開を迎えていた。


春は花の季節。
色とりどりの花を目にすることができる。
寒かった冬から抜け出した解放感がある。

あとはコロナの終息だけなのだが、こちらは再び感染者が増加している。
ワクチンはいつ打てるのかまだ分からない。
花は桜木、人は武士で散り際のよさを讃えているが、私はしぶとくまだ生きている。

明日は開幕

2021年03月25日 | 阪神タイガース
明日はいよいよ開幕。
31マルテ、47川原も先輩に負けず活躍せよ!

31 掛布雅之
三塁ベース付近の土ってそない美味しいんかと思わせるぐらい、いつも自分の守備位置近くの土を手ではいて、その指をペロリとなめて守備体制をとっていた。
「かっかっかっか、かのかっちゃん」などと、殺虫剤のコマーシャルに三枚目的なキャラクターで出て愛されていた。
しかし、一方では「阪神の四番バッターがそんな軽いコマーシャルに出ててええんか」と批判の声もあった。
オールスターの3打席連続ホームランは未だにオールスター記録。
最初にとったタイトルがホームラン王だったばかりに苦労をしたと思う。
首位打者のタイトルが最初なら、一体何本のヒットを打ったことかと思われる。
ドラフト6位が球史に残る選手になったきっかけは、オープン戦で1軍の中軸を打つショートの藤田平が知り合いの結婚式で休み、変わりに使う予定だった野田征稔という選手も母を亡くして帰郷してしまい、仕方なく2軍にいた掛布が1軍に呼び出されて8番で出場したことだった。
その試合で何と4打数4安打の大活躍を見せ、そのまま一軍に定着してレギュラーを勝ち取った話は有名。
たたき上げの名選手達は、ワンチャンスを見事なまでに物にしている。
やわらかい手首とリストの強さ、クルクルっとバットを回してピタッと止まって構える独特のフォームが脳裏に焼きつく。

47 小山正明
精密機械と呼ばれたコントロール抜群のピッチャー。
しかし一説によると、その小山よりもさらに良かったのが渡辺省三で、一に渡辺、二に小山と言われた。
ピッチング練習をしてるだけやったら面白ないから、先にボールを投げた方が晩飯をおごるという賭けを二人がやった。
そしてピッチングを再開したら一時間やっても決着が付かず、ピッチングコーチの「それ以上やったら肩壊すからやめとけ」で終わったと言う伝説を残している。
それぐらい、二人にとってはストライクを投げることなど朝飯前のことだった。
山内との世紀の大トレードでロッテに行ったが、村山との確執にフロントが小山を切ったとの噂がある。
後年、小山の話を直接聞いたことがあるが、そんな風には言っていなかった。
1962年の東映との日本シリーズで、阪神は2勝3敗1分という王手をかけられた第7戦の先発に小山を立てた。
小山は9回まで東映打線を無失点に抑えるが、試合は0-0のまま延長戦へはいり、10回表についに小山は満塁から犠牲フライを打たれて1点を失っってしまう。
貧打の阪神ではこれまでと小山は勝手に思い込み風呂に入った。
ところが珍しく阪神は粘りを見せて、10回裏に同点に追いついて「さあ、まだまだこれからや!」となったが小山がおらん。
そこで、仕方なく村山を投入したが延長12回にサヨナラ本塁打を浴びて敗れた。
小山は戦線離脱したと騒がれたそんな事件があって、それが原因やったと自分では思っていると言ってた。
一方、渡辺省三はトンボや蝶々がとまる超スローボールを駆使して歴代5位の134勝をあげ、引退後はコーチ、スカウトを歴任しタイガース一筋だった。
しかし1998年8月31日の13時15分頃、神戸市中央区にある11階建ての「入江ビル屋上から飛び降り自殺」と報道される。
数奇な人生を送った選手ということで終る筈だったところ、お嬢さんや奥さんの必死の調査で殺人事件の可能性が出て再捜査が命じられ意外な展開に。
意外な人物の関与もうわさに登っていた。

第一回ドラフトと空白の一日問題

2021年03月24日 | 阪神タイガース
回を重ね懐かしくなった第一回のドラフト会議。
阪神の一位指名は石床。

18 石床幹雄
記念すべき第一回ドラフトの阪神の一位指名選手として名前を残す。
阪神入りを熱望する鈴木啓示に、スカウト河西俊雄も一位を約束していたが、上司の佐川スカウトの意向で球団が指名を変えた為に入団。
一位指名ということで、当然の如くエースナンバーを背負ったけれど、わずか21試合の登板で1勝1敗の成績しか残せなかった。
阪神に裏切られた鈴木はご存知のとおり近鉄に入団。
300勝投手を自ら手放したのが阪神のドラフトの幕開けだった。
ドラフトと言えば逆指名がなかった頃、重複選手はクジ引きで、そのクジに負けつづけたのが長期低迷の原因の一つでもあった。
PL清原のハズレ1位が遠山奨志、野茂のハズレが葛西稔。
野茂をはずした横浜が佐々木でロッテが小宮山、ヤクルトが西村と聞くと淋しくなる。

空白の一日事件を知らない人も増えてきた。
忘れてはならない読売の横暴だった。

19 小林茂
あの読売の横暴の象徴とも言うべき空白の一日問題で、江川とトレードという形でタイガースにやってきた。
ドタバタの記者会見で「結果的に阪神さんでお世話に成る事になりました。トレードを承諾したのは、僕が野球が好きだからであり、同情はしてほしくありません。この結果はグランドでお見せしたい」とさわやかに語って人気沸騰。
安芸のキャンプでは、巨人の横暴の犠牲になったスマートでナイーブそうなハンサムボーイを人目見ようとファンが押し寄せ、県警が出動するフィーバーを引き起こす。
単なるヒロイズムに浸らず村山以来の「炎のエース」と化し、江川を取るために自分を捨石にした巨人に対し牙を剥き、その年対巨人8勝0敗と勝ちまくりシーズン22勝を上げた。
「僕のストレートは打てるとハリさん(張本)が言ったので、そのストレートで勝負しました」という負けん気の強い選手だった。
独特のフォームと意地の熱投とで、在籍5年・77勝の成績以上に強烈な光を放った。
形だけでも一時的に阪神の選手となった江川の背番号は3で、認知などされていないが彼も阪神OBである。


阪神魂

2021年03月23日 | 阪神タイガース
永久欠番ンの背番号10と11は阪神魂をもった選手でしたが、今一人あげるとすれば岡田です。
長嶋に褒められて喜んでいる選手に対し、巨人のOBに褒められて何が嬉しいんやと言った男です。

16 岡田彰布
打率.290、18本塁打、54打点で新人王に輝いているが、ドン・ブレイザーが最初から使っていればホームランは20本に届いていたはず。
入団時、岡田の本来の守備位置であるサードには大打者・掛布雅之がいる。
ショートには真弓明信、ファーストには藤田平がいて、岡田はセカンドへコンバートされることになった。
ところがセカンドにはヤクルトから移籍してきた首位打者経験のあるデイブ・ヒルトンがいた。
ブレイザー監督は、西武、ヤクルト、南海、阪急、近鉄の競争で勝ち取った岡田を使わず、ヒルトンをレギュラーとして使った。
そのヒルトンは、2割そこそこの低打率にあえぎ阪神ファンの怒りを買う。
何せ岡田は早稲田のセレクションで15打数14本塁打を放ったスラッガーであり、3年秋には3冠王を獲得していたし通算本塁打20本の記録を引っさげて入団した期待の星だったのだ。
球場では岡田コールが起こり、球団には「岡田を使え」という内容の手紙や電話が殺到した。
困った球団は、ブレイザー監督を解任するという荒業で収拾を図り、代わりに指揮を執った中西太が岡田を二塁手の先発メンバーとして起用し、岡田は瞬く間に阪神のスター選手となっていった。
一方球場外ではゴシップの王様だったと思う。
源氏名・長谷川朋なるお方が、自称愛人として総会屋と組んで200万円を脅し取った事件があったかと思うと、女性とデート中を写真週刊誌に撮られ、「岡田・オカマとデート」と報道される。
撮られた岡田曰く、「化粧落としよったらほんまに男やったわ・・・」には大笑い。
憎めん男やし、大阪の男や。
その岡田、お父さんが大の阪神ファンでいつも三塁側の内野席で大人しく見ておられたそう。
相手側スタンドで観てたのは、そこにプロ野球史上最高の名三塁手・三宅秀史がいたからで、だから三宅の16番が岡田に受け継がれている。

阪神優勝

2021年03月22日 | 阪神タイガース
見上げると桜が咲き始め、目を落とすと雪柳が咲き誇っている。
桜の開花に合わせるように阪神はオープン戦で優勝した。
戦力充実で背番号7の糸井もスタメンを外れるくらいだ
背番号7といえば・・・。

7 真弓明信
田淵と交換にやってきたのに、生え抜き選手のような雰囲気を持っていた。
お得意のお家騒動の原因の一つとなっていた派閥を作らなかったせいだとも言われている。
著書も「猛虎は死なず」「タイガースに捧ぐ」と、まるで阪神生え抜き選手のような感じで違和感がない。
85年の優勝の立役者の一人で、トップバッターながら3割30本を記録。
あのバースの「バッター・ボックスに入ると、いつも真弓がセカンドにいた」という言葉にしびれたものだ。
晩年は代打の切り札で神様扱いだった。
『あしたのジョー』の主人公、矢吹丈に風貌が似ているということで「ジョー」と呼ばれた。

10 藤村富美男
初代ミスター・タイガース。
プレーイング・マネージャーだった頃、9回裏二死満塁で「代打ワシ!」と言って出て行き、代打満塁逆転サヨナラホームランをかっ飛ばした豪傑だったらしい。
その劇的ホームランが現役最後のホームランとなった。
亡くなる直前まで自転車で甲子園に通っていたという。
10番は彼だけがつけた背番号で、他に付けたものはいない。
藤村の前に藤村なく、藤村の後に藤村なしを物語る。
たった一人例外的に許されて、あの「巨人の星」に登場する花形満が藤村の10番をつけていた。
巨人の星飛雄馬に比べてあの阪神・花形のかっこよさはどうだ!

宇宙人新庄

2021年03月21日 | 阪神タイガース
昨日の続きです。

5 新庄剛志
背番号5と言えば新庄。
才能だけで野球をやってたのに「僕、才能がないからやめます・・・」と言ったり、いきなりメジャー挑戦するスタイルに宇宙人だとマスコミから言われた。
そういえば理論家(?)の野村克也監督から色々言われた時も、「僕、一度に言われても解かりませんから一つにしてください」と言って唖然とさせたのは、まさしく阪神の選手。
ふがいない成績でもファン投票でオールスターに選ばれる人気を誇っていたが、そのくせそのファンから「その成績で恥ずかしないんか!」の横断幕を外野スタンドに掲げられた愛すべきキャラクター。
しかし守備だけは天下一品で、メジャーに行っても光っていて、打球の下に入るスピードと肩はファンを魅了した。
ファインプレーが普通の捕球に見えてしまうので、時々わざとそれらしく見せる捕り方をしてたと言うからプロらしい。

5番でもう一人、忘れられないのが藤本勝巳。
四番バッターと歌姫・島倉千代子さんという、とびきりのスター・カップルだった。
僕は二人がテレビのチャリティ・オークション番組に出演していたのを覚えている。
藤本選手は何を出したか忘れたけれど、お千代さんは手鏡を出していた事をはっきり記憶している。
お似合いの二人と思ったけれど結婚生活は長くは続かなかった。
スターカップルという点では田淵とジャネット八田も足元に及ばないし、新庄と大河内志保ちゃんなんてかわいいものだったが、こちらも二組とも離婚してしまった。


福留の8番を継いだ男はスゴイ!

2021年03月20日 | 阪神タイガース
今年の阪神はちょっと違う。
福留の8番を継いだ新人の佐藤に触発されて打ちまくってる。
背番号8が輝いている。
背番号を辿ると懐かしい選手が思い出される。

1 トーマス・オマリー
この男の頭が大きかったのか、いつもヘルメットをちょこんと乗せてるだけで、いざという時に大丈夫かなと心配してました。
3割はいつでも打てるという安打製造機だったけど、ホームランが少ないとヤクルトにトレードに出された。
それならばとホームラン数でのインセンティブ契約をヤクルトと結びホームランも打ちまくった。
阪神もそうしておけば良かったのだ。
ファンからは慕われていて、ヤクルトに行ってからも阪神がボロ負けしてる甲子園のヤクルト戦では、頭にきた阪神ファンが「オマリーに打たしたれー!」と叫んでいた。
たどたどしい日本語での「タイガース・ファンは一番やっ!」は大喝采。
本人は特命コーチとして阪神に戻り、そのキャッチ・コピーでコマーシャルに出るほどの慕われ方。
ジョージ・アリアス専用のバッティングコーチとしての特命を受け、見事2003年の優勝に貢献し、アリアスをベストナインに選出させている。

4 川藤幸三
現役生活19年を阪神一筋で生きた。
その間、規定打席に達したことは一度もないばかりか、生涯で通算211安打だからイチローの一年分。
それでも阪神の顔なのは、引退を宣告された時に吐いた「金やない!野球がやりたいだけや!出来るんやったら金なんていらん!」の一言。
阪神ファンの間に、川藤の給料をカンパしようのキャンペーンがはられた。
吉田監督から監督推薦で選んでもらったオールスターでは代打で出てヒットを打ったが二塁を狙うも直前で楽々アウト。
正座して笑う姿は大いに受けた。
まったく走れないというより走る気のない選手だったが、かつてはファームの盗塁王になったこともある。
選手交代を告げようとする監督を「行ったらアカン!」と羽交い絞めにして行かせなかったり、遠征先でのゲーム終了後のバスで「誰や!あんなとこで、しょーもない(つらない)バントのサイン出したんは!」と怒鳴って、監督に「スマン、スマン、ワシや・・・」と謝らせたりしている。
チームのムードメイカーで名物選手だった。
現在は、「技術的なことはわからん!せやけどあいつはホンマに性格がえーやっちゃ!」という、かなり変わった野球解説をやっている。

背番号4で忘れられないもう一人の選手がジーン・バッキー。
ハングリー精神旺盛で、日本に生活の糧を求めてやって来た。
夫人と生まれたばかりの子供と三人で甲子園裏の二階建て木造長屋に住んでいた苦労人だ。
得意球はナックルと今なら危険球の警告が出そうなブラッシング・ボール。
ナックルでは当時のキャッチャー辻佳紀はしょっちゅう突き指をしていた。
一方のブラッシング・ボールは相手チームからピンチになるとやってくると恐れられていて、1968年9月18日に行われた巨人とのダブルヘッダーの2試合目の4回、王に投じた一球から乱闘が起こり、荒川コーチの蹴りで右手指を親指を骨折、選手生命をたたれ近鉄に移籍しても勝てなかった。
王を育てたと言うだけの名コーチ・荒川をノックアウトした代償に、阪神は頼りになる助っ人を失ってしまった。

続きはまた明日。

今年の阪神は強い

2021年03月17日 | 阪神タイガース
26日にはプロ野球が開幕する。
今年の阪神は強いぞ!
藤浪が復活して10勝以上してくれたら優勝や。

新人の佐藤がええがな!
新人とは思えん面構えがええわ。
買った時だけ書いているタイガース日記(https://blog.goo.ne.jp/hal2001ms)の記事が今年は多くなりそうや。
以前にホームページを開設していて、その中にタイガースコーナーも記載していた。
開幕までもう少し日数があるので、そちらに載せていた記事を再登板させてみます。

先ずは「僕が阪神ファンになった日」

8月11日は僕の誕生日です。
しかし昭和38年のその日はさらに特別な日で、僕が阪神ファンになった記念日です。
この夜後楽園球場では阪神・巨人戦が行われていて、僕は親戚の家でテレビ中継を見ていました。

1-1の同点で迎えた8回に巨人が一死ニ・三塁のチャンスを作ります。
阪神はここでピッチャーを本間から村山にスイッチします。
巨人の打者は池沢とかいう勝負にならんバッターです。
村山はカウント2-2からの5球目に、ストレートをど真ん中に投げ込みます。
「三振!」誰でもそう思うわね。
真ん中に入ったらストライクとルールブックに書いたるんやから。
真ん中がボールやったら野球にならんのです。
ところがその時、よくある事なのですが、巨人ファンの主審が「ボール」と言ってしまったのです。

これには、村山、怒りました。
「何であれがボールや!」
監督の藤本、ヘッドコーチの青田も飛んできます。
「わりゃ、どこに目ぇついとんじゃ!」
テレビからは聞こえませんでしたが、多分そう言っていたと思います。
ケンカ腰でもみ合ううちに主審の手が村山の顔に当たった。
「審判が手を出すとは何や!」と青田が詰め寄ったら、身の危険を感じた主審が「村山退場!」
こんなアホな話はない。
村山は手を出しとらん。
逆に審判に暴行されとる。
せやのに退場・・・・。

この時、村山が泣くんです。
捕手の山本の哲ちゃんに後ろから羽交い絞めにされながら、悔し泣きするんです。
口惜しさのあまり、キャッチャー山本の肩にもたれかかり、人目もはばからず涙を流すんです。
僕は直感的に「村山はえー男や」と思いました。
女々しいと思いませんでした。
ひたむきさを感じました。
村山の目から出た涙だけに、なんかやけに説得力がありました。
その時、何を説得されたのかはわかりませんでしたが、後日「阪神は正義のチームや」ということだったと確信します。

僕はもともとは長島ファンでしたが、この日から徐々に阪神に傾倒していきます。
当時の野球選手としては珍しく長い髪を振り乱して、悲壮感を漂わせながら巨人を倒す村山はカッコよかったなぁ・・・。
1970年の防御率0.98は、2リーグ制で唯一の0点台です。
つまり、1点取ったら勝てるピッチャーやったんですな。

巨人の横柄な態度に腹を立てタイガースに入団した熱血漢はもうこの世におられません。
藤村を知らん僕にとっては、村山こそミスター・タイガースで、野球のロマンを教えてくれた恩人だったのです。
居酒屋に行った時などの下駄箱の番号は先ず11番を選びます。