昨日に続いて過去のホームページからの転用です。
黄金バッテリーと言うぐらいやからピッチャー、キャッチャー共に輝いてないとあきまへん。
この輝きのあるバッテリー、最近はおりまへんなぁ。
南海ホークスの杉浦、野村なども球史にのこるバッテリーやったと思うのですが、キャッチャーに華がありまへん。
ところが、かつて阪神タイガースには文字通り黄金バッテリーと呼ぶにふさわしい二人がおったんですわ。
江夏と田淵、この二人はごっつかった!
江夏の一匹狼の凄みに対し、天才おぼっちゃま田淵の長打力。
個性プンプン、魅力プンプンですわ。
二人の才能が発揮されたのは昭和48年のシーズンです。
テレビ中継は巨人戦ばかりですが、その巨人戦で田淵が打ちまくります。
甲子園の対巨人戦1回戦で新浦に一発かまします。
翌日の二回戦にも一発。
勢いに乗った田淵は続く三回戦で3連発や!
舞台を後楽園に変えた四回戦でも四球をはさんで3連発。
巨人戦になると俄然やる気を出す田淵は、翌日も高橋一三から初回にレフト上段に打ち込みます。
数えると、対巨人戦5試合で7打数連続を含む9本のアーチですがな。
田淵の顔見たら巨人のピッチャーはびびって、腕が縮んで、まともに放れんのですわ。
それを田淵はカキーンと滞空時間の長い放物線を残してスタンドに運ぶわけです。
芸術でんな、田淵のホームランは・・・。
翌年、田淵は「父死ス」の電報をポケットに入れながら、監督の「試合を気にせんと帰ったれ」の言葉をさえぎり、平松から涙のホームランを2発放ちます。
そんなドラマチックな芸当は掛布にも岡田にもでけまへん。
天才のなせる業ですな。
ええなぁ!泣かせますなぁ!浪花節ですわ!
一方、江夏は8月30日に中日相手にノーヒットノーランをやりよります。
この試合はすごいんですわ。
この頃の江夏は浮いていて、江夏が投げると打たんのですな。
この日も9回まで2四球に抑えてるのに、相手投手は苦手の松本とは言え阪神打線も3安打です。
打てないと言うより、打つ気がなかったんでしょうな。
回は進んで11回表を軽く3人で抑えた江夏がその裏の先頭バッターです。
そこで江夏は思うんですな。
「これは自分で打って決めるしかない」と。
思うだけやったら誰でもできますが、江夏には実行力があります。
劇的なサヨナラ・ホームランをレフト・ラッキーゾーンへ自らのバットで放つわけです。
延長11回、1対0のワンマンショーですわ。
試合後、江夏が「野球は一人でも勝てるんや」と言ったと伝わってます。
江夏は誤報だと言っていますが、体をしぼれと言われて「わしは腹で投げとんや」と言ってはばからなかった江夏ですから、言った事にしといたほうがええと思います。
伝説ですわ。
今から思い返すと、打たんのもチームワークやね。
すべて江夏に大記録を達成させるための、阪神流の究極のチームワークですわ。
この年の最終戦を前にした優勝のかかった中日戦で、江夏は「優勝したら給料上げなあかん・・負けてくれ・・」とフロントから言われて激怒します。
江夏は「これはホンマの話やった」と言ってます。
せやけど、「自分は精一杯投げたけど負けた。上田先発の方が良かったと言われてるが、ローテーションも間違いなかった」と潔よう自分の非力を認めてます。
優勝させるんやったら巨人より阪神やと棒球を投げ続ける中日・星野仙一を、江夏の試合は打たん打線が、さらに緊張のあまり打てんかったんです。
この試合を落とした阪神は最終戦で巨人に敗れ、ほぼ手中にしたペナントを失った48年でもあります。
両雄は追われるが如く阪神を出されますが、田淵の22番も江夏の28番も当時を知る阪神ファンにとっては永久欠番ですわ!