シネマと虎とグルメたち

犬童一心監督作品に「ジョゼと虎と魚たち」があった。オイラは「観た映画が面白くて、美味いもの食って阪神が快勝」を望んでる。

ブラック・クランズマン

2019年03月31日 | 映画
「ブラック・クランズマン」 2018年 アメリカ


監督 スパイク・リー
出演 ジョン・デヴィッド・ワシントン アダム・ドライバー
   トファー・グレイス コーリー・ホーキンズ
   ライアン・エッゴールド ローラ・ハリアー
   ヤスペル・ペーコネン アシュリー・アトキンソン
   ポール・ウォルター・ハウザー アレック・ボールドウィン

ストーリー
1970年代半ばのアメリカ。
ロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、コロラド州コロラドスプリングスの警察署で初の黒人刑事として採用される。
ロンの最初の仕事は資料室勤務だったが、そこで他の白人警官から嫌がらせを受け、嫌気がさしたロンは配置換えを希望する。
情報部に配属されたロンに対し、上司は歌劇とされる黒人活動家化―マイケル(コーリー・ホーキンズ)のイベントに潜入させることを計画する。
イベント会場に到着したロンは黒人学生グループのリーダーのパトリス・ダマス(ローラ・ハリアー)と出会う。
カーマイケルはクワメ・トゥーレとアフリカ系に名前を変え、黒人であることの誇りと白人との戦いを訴える。
イベント後に再び会った二人は気が合い、パトリスから白人警官による人種差別を打ち明けられたロンは警官であることを言えない。
ロンは新聞広告に掲載されていた過激な白人至上主義団体KKKのメンバー募集の新聞広告を見つけるや自ら電話を掛け、支部代表相手にまんまと黒人差別主義者の白人男性と思い込ませることに成功する。
徹底的に黒人差別発言を繰り返すロンは、やがて入会の面接まで進んでしまうのだった。
騒然とする所内の一同。
だが、どうやって黒人がKKKに会うのか。
そこで、ロンの同僚の白人刑事フリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)に白羽の矢が立つ。
電話はロン、KKKとの直接対面はフリップが担当し、二人で一人の人物を演じることになる。
任務は過激派団体KKKの内部調査と行動を見張ること。
こうして黒人のロンと白人のフリップがコンビを組み、前代未聞の潜入捜査が開始される。
署ではデビッド・デューク(トファー・グレイス)というKKKの大物の動向が話し合われる。
フリップはKKK会員のフェリックス(アシュリー・アトキンソン)の家に行くが、疑い深いフェリックスはフリップがユダ人かどうか確かめようとする。
またフェリックスの妻コニー(アシュリー・アトキンソン)は黒人の危険性を訴える白人至上主義に凝り固まっていた。

果たして、型破りな刑事コンビは大胆不敵な潜入捜査を成し遂げることができるのか・・・。


寸評
アメリカの人種差別問題を扱った作品は手を変え品を変えて描かれてきたが、アカデミー賞の作品賞を取った「グリーン・ブック」と同様にこの作品も逆転の発想によって描かれている。
「ブラック・クランズマン」はサスペンスとしての緊張度も高いし、クライマックスの展開にも驚かされる。
高い物語性が作品のテーマと表裏一体なのが新鮮な描き方で、出来栄えとしては「グリーン・ブック」よりも高い。
差別を受けている黒人のロンがKKKに電話をかけるのだが、白人を装っているために黒人のアイデンティティを否定するかの如き言葉を浴びせ続ける。
同じく差別を受けているユダヤ人のフリップもKKKに潜入するためにユダヤ人をバカにする言葉を発し続ける。
黒人であるロン、ユダヤ人であるフリップの二人が黒人やユダヤ人を誹謗中傷する言葉は、すなわち現在受けている黒人やユダヤ人への差別なのだと思う。

この映画の魅力は差別する側を悪、被差別側を正として単純に描いていない点にある。
KKKの加入式典後に、メンバーやその家族が和気あいあいと見ている映画はグリフィスの「国民の創生」である。
1915年に制作されたこの作品は映画手法に優れ映画表現を基礎づけた作品とされているが、同時に人種差別を推奨する作品でもある。
参加者は娯楽大作でも観るかのように、ポップコーンを食べながら歓声を上げて観ているという体たらくを見せる。
一方で、白人警官にセクハラされたパトリスは、すべての警官を人種差別主義者・権力の手先と見なし”ピッグ(豚野郎)”と呼び続ける。
ロンが「警官みんなが人種差別主義者だと思うのか」とたしなめても、パトリスは「1人でもいれば十分よ!」と取り合おうとしないし、敵であるロンとは寝ることが出来ないと言う偏狭さを持っている。
パトリスに代表される黒人解放運動に取り組む人々を単純に英雄視していないのが新鮮だ。

KKKのメンバーであるフェリックスの妻コニーは人種差別主義に染まっている。
普通の主婦が白人至上主義をあそこまで唱えていることに僕は驚きを隠せない。
彼女はベッドの中で「ありがとう。私をあなたの人生に連れてきてくれて。私に生きる目的と方向を与えてくれて」と人種差別がひどい夫に囁くのである。
彼女は黒人やユダヤ人を見下すことで、取り柄がない自分の活躍場所を見出しているような感じがする。
彼らを敵視し排除することに自らの生きる意味を見いだしているというモンスターでもある。
夫のフェリックスも恐ろしいが、僕は妻のコニーの軽薄さの方が恐ろしかった。

KKKは今も活動を続けていて、覆面の中から鋭い眼光を放っている。
黒人解放運動のクワメは武器を取れと扇動している。
その間に暴力が存在していることは紛れもなく、今の世の中にあっては正体不明のテロリストが身の回りに平然と存在していることを感じさせられた。
エンタメ性にも富んだ作品だが、描かれている内容は恐ろしいものである。
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飲み会続く

2019年03月30日 | グルメ・他

一昨日は恒例となっている情報交換を兼ねた飲み会が19:00よりI邸で行われる。
1000円で飲み放題の会だ。
I氏夫人が酒の肴を用意して下さるのだが、その日は春を告げる鰆(さわら)の御造りと、ツクシと釘煮の合わせたものが季節ものとして提供された。
ツクシはこの日のために柳生の里まで摘みに言って行って下さった。
酒の席になると普段は聞けない情報を聞かせてもらえるので楽しい席となっている。

昨日はKさんとの飲み会。
15:30に立ち飲み屋で待ち合わせ。
Kさんは1ヶ月ほどヨーロッパへ遊びに行っていて帰国したばかり。
向こうの様子はLINEを通じてムービーを時々届けてくれていた。
旅の様子を聞かせてもらえて楽しいひと時だった。
Kさんはいつも奢ってくださるので僕は支払いをしたことがない。
2軒目の串カツ屋もご馳走してくださった。
Kさんは5月から2か月ほど、またヨーロッパへ遊びに行くそうで、実に元気な年寄りである。
帰宅すると阪神の開幕戦放送があって、いよいよ始まったと言う感じ。
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翔んで埼玉

2019年03月19日 | 映画
昨日はショッピングモール内にあるシネコンへ出かけた。
シネコン側の入り口だけが9:00にオープンする。
9:20からの「運び屋」を見て昼食を済ませたら、12:15から「翔んで埼玉」をやっていたのでついでに見る。

「翔んで埼玉」 2018年 日本


監督 武内英樹
出演 二階堂ふみ GACKT 伊勢谷友介
   ブラザートム 麻生久美子 島崎遥香
   成田凌 中尾彬 間宮祥太朗 加藤諒
   益若つばさ 武田久美子 麿赤兒
   竹中直人 京本政樹

ストーリー
埼玉県民は東京都民からひどい差別を受けており、身を潜めて暮らしていた。
東京へ入るのにも通行手形が必要で、手形がなければ即強制送還という屈辱の日々を送っている。
東京の超名門校・白鵬堂学院でも、都知事の息子で生徒会長の壇ノ浦百美(二階堂ふみ)によって埼玉県人は容赦ない迫害にあっていた。
そんなある日、アメリカ帰りの謎の転校生・麻実麗(GACKT)が転校してくる。
壇ノ浦百美と麻実麗はぶつかり合うが、互いに惹かれ合うようになる。
容姿端麗で洗練された立ち居振る舞いの麻実麗だったが、実は隠れ埼玉県人で、埼玉解放戦線のメンバーだった。
しかし、そんな麗にいつしか心惹かれてしまった百美は、正体がバレて追われる身となった麗と行動を共にしていくのだったが…。


寸評
ここまでドタバタを徹底してやれば「二階堂ふみもGACKTも立派!」と声をかけたくなるが、年寄りの僕はちょっとついていけない所があった。
東京マラソンを使って群衆シーンを見せていたりするのは愛嬌として、関西人の僕には土地勘がなく、住民感情がよくわからなかった。
埼玉県には何もなくて「ダサイタマ」と揶揄されていることは知っているが、自宅が赤坂のA組から田無や八王子のE組までの区別がよくわからん。
池袋、白銀、西葛西の空気の違いもよくわからん。
草加せんべいは知っているが「しらこばと」が県鳥なんてもちろん知らない。
一強の東京都に横浜を擁する神奈川県がすり寄っていて、関東の三番手を千葉県が狙っているというのはわかる。
埼玉県民の悲願は海を持つことで、千葉は落花生と地引網しかないとか群馬は未確認動物が住む未開の地であり、茨城は粘っこく腐った大豆を好む地域というのは何となくわかる。
「サイタマラリヤ」という埼玉県民だけにみられる恐ろしい病気が有ったりと、ギャグ満載で笑わせるのには吉本新喜劇で鍛えられている僕はついていけた。
そこまでやるなら、落花生を本当に鼻の穴に突っ込み、お尻の穴にも突っ込むというまでやってほしかった。
吉本新喜劇ならやっていたのではないか。
田舎を揶揄することは逆に田舎への愛着表現でもあると思うのだが、ギャグを満載しながら東京に憧れる田舎性を描いた映画として茨城の田舎を描いた「下妻物語」とい傑作があったんだけどなあ・・・。
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運び屋

2019年03月18日 | 映画
「運び屋」 2018年 アメリカ


監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド ブラッドリー・クーパー
   ローレンス・フィッシュバーン マイケル・ペーニャ
   ダイアン・ウィースト タイッサ・ファーミガ
   アリソン・イーストウッド アンディ・ガルシア

ストーリー
退役軍人のアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は、デイリリーというユリの栽培に情熱を燃やし、品評会などでも高く評価されていた。
だが、仕事一筋の生き方しかできず、品評会の表彰式に出て娘の結婚式には出席しなかった。
その結果、90歳になろうとする今は家族との間に埋めがたい溝を抱え、孤独な日々を送っている。
さらに仕事も行き詰まり、自宅を差し押さえられてしまう。
しかたなく孫娘のフィアンセ披露パーティーが行われている娘の家を訪ねるが、元妻や娘に冷たくあしらわれる。
そんな時、アールは出席者の一人から「車の運転をするだけで大金がもらえる」という仕事を紹介される。
最初は荷物の中身を知らずに運んでいたアールだったが、やがてそれが大量のドラッグであることに気づく。
それでも90歳の老人が疑われることはほとんどなく、順調に仕事をこなしていくアールだったが…。


寸評
イーストウッドが演じるといえば、寡黙で頑固な人物を思い浮かべるが、本作における主人公のアールは最初から軽口を叩き陽気な振る舞いを見せる。
アールはひょんなことから麻薬の運び屋になってしまい、その報酬としてつかんだ大金で孫娘の結婚パーティーの資金を出したり、差し押さえにあった自宅も取り戻し、火事にあって閉鎖の危機にあった退役軍人の施設を再開させるなどする。
やっていることは犯罪だが、アールは人生で失ったものを取り戻そうとしているように見える。
アールが失った最も大きなものは家族である。
アールは何度目かの運送時に運んでいる荷物が麻薬であることを知るが、銃を携えた依頼者の様子を見れば、さいしょからこの仕事はやばいものだと思っていたはずだ。
アールは運送の仕事で全米を走り回っていた時期があったようで、この仕事を引き受けたのは金に困っている以外に「昔取った杵柄で、歳は取ってもまだまだやれる」という自負心が持ち上がったのかもしれない。
そんなわけでアールは、楽しそうに運び屋稼業に精を出すが、その仕事ぶりは自由気ままに目的地を目指すもので、その行いが可笑しいが拍手を送りたくなる行為でもある。
「年寄りをなめるんじゃない」とは言っていないが、そんなアールのつぶやきが聞こえてきそうだ。
アールは警官に呼び止められても動じず煙に巻いてしまい、そんな彼に最初は反感を持っていた見張り役も徐々に親しみを感じて来るのだが、観客である僕も彼の自由人的は行動にあこがれを抱いてしまうキャラクターをイーストウッドが飄々と演じている。

映画では、アールの運び屋稼業の様子と並行して、ベイツ捜査官をはじめとした麻薬取締局の動向が描かれ、麻薬組織と捜査当局をめぐるサスペンスとしての要素が加わってくる。
そんな中で、アールがベイツ捜査官に人生について語る場面など含蓄に富んだ言葉がたくさん飛び出す。
アールの言葉は、若い世代に向けた人生の先輩からのメッセージでもある。
映画におけるアールの人生が、皺だらけになったイーストウッド自身の人生と重なって味わい深く感じられる。
アールは朝鮮戦争に従軍していたようで、戦争を経験した者として怖いもの知らずだ。
命を失う怖さを乗り越えていそうで「100歳まで生きたいと思うのは99歳の人間だけだ」などと言っている。
この世代の男として、仕事一途だったのだろう。
彼よりはるかに若い世代の僕も、現役時代は家族が一番と思いつつも仕事優先の毎日だった。

終盤、アールが妻と対面した時に流れる哀愁を帯びたトランペットの音色は、長年にわたる夫婦の愛憎を見事に象
徴し、死の床にある元妻の「来てくれてうれしかった」に胸が詰り、娘との和解にほっとする。
そしてエンディングに流れる歌の「歳を忘れろ」という内容は、この映画の最大のメッセージだろう。
妻のいる僕は独り者のアールのように歳を忘れてバカ騒ぎは出来ないが、しかし気持ちは若くありたいと思うし、イーストウッドのように映画を撮ることは出来ないが、僕が出来うる何事にも意欲を失いたくないものだとも思う。
ユーモラスなタッチは最後まで続き、娘さんが言う「いてるとこが分かっているだけで安心」には笑ってしまった。
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今年も咲いた

2019年03月08日 | グルメ・他

散歩で花博記念公園まで出かけると早咲きの桜が咲き誇っていた。
寒さも和らいできて春が少しづつやって来ている。
四季のある日本は季節の移ろいに趣がある。
雪を見て震えていたかと思うと、やがて桜をめでるようになる。
夏の暑い日に耐え忍んでいると紅葉の季節がやって来る。
人の力の及ばない自然の大きな力だ。
公園を散歩する人たちが増えてきたが、人は小さな存在なのだと思えてくる。
さくらに負けず、気持ちも少し膨らんできて、そんなことも感じる余裕が出てきた。
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グリーンブック

2019年03月07日 | 映画
病院帰りに映画館に立ち寄る。
今年に入って最初の映画館で、こんなに遅いのは今までになかった。
11時半ごろに着いたので、12:00からの「グリーンブック」を見る。
米国のアカデミー賞で作品賞を取った作品で、平日にもかかわらず一番大きなスクリーンの館内はかなりの観客数だった。
以下感想。

「グリーンブック」 2018年 アメリカ


監督 ピーター・ファレリー
出演 ヴィゴ・モーテンセン マハーシャラ・アリ
   リンダ・カーデリーニ ディミテル・D・マリノフ
   マイク・ハットン イクバル・テバ
   セバスティアン・マニスカルコ
   P・J・バーン トム・ヴァーチュー
   ドン・スターク ランダル・ゴンザレス

ストーリー
1962年、アメリカ。
ニューヨークの一流ナイトクラブで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無教養だが家族思いのイタリア系男。
店の改修で仕事がなくなり、バイトを探していた彼のもとに運転手の仕事が舞い込む。
雇い主はカーネギーホールに住む天才黒人ピアニスト、ドクター・シャーリー。
黒人差別が色濃く残る南部での演奏ツアーを計画していて、腕っぷしの強い運転手兼ボディガードを求めていた。
こうして2人は、黒人が利用できる施設を記した旅行ガイドブック“グリーンブック”を手に、どんな厄介事が待ち受けているか分からない南部へ向けて旅立つのだったが…。


寸評
人種差別問題を描いた作品は重くなりがちだが、「グリーンブック」はユーモアのある場面もあって重くはなく肩の凝らない作品である。
その分、内容的には軽いし黒人差別のひどさをひしひしと感じるものではない。
本年度のアカデミー賞で作品賞に輝いたのだが、僕はそれほどの作品とは思えなかった。
トイレは外にある別の貧弱なものだったり、レストランに入れなかったり、夜暗くなってからは出歩けないとか、黒人専用のホテルしか利用できないとか、あるいはバーでは白人から虐待されるなどの黒人を差別するシーンはあるが、どれもがズシリと覆いかぶさってくるような気がしない。
白人トニーと黒人ドクターのやり取りが軽妙なもので、人種差別の重さを吹き飛ばしている。

ユニークなのは黒人のドクターが白人のトニーを雇っていることで、トニーにとってはドクターがボスということになる。
当時としては逆転しているような関係は、南部に行けば行くほど奇妙にみられる。
黒人奴隷と思われる労働者が奇異な目で彼ら二人を見るシーンが象徴的だ。
がさつだが世間慣れしているトニーと、教養と礼儀を持ち合わせているドクターの対比が面白い。
その面白さを中心にして人種差別が時々描かれているという印象を受ける。
ドクターは音楽家としてはもてはやされるが、一歩社会に出れば差別される被害者である。
成功者に入る彼は、黒人社会からも浮いた存在で、一人でカティーサークを飲んで孤独を味わっている存在だ。
トニーが警官を殴ったことで逮捕された時、電話で助けを求めた相手のエピソードが愉快だ。
14週で2回演奏していると言う伏線が生きているのは言うまでもない。

黒人がたむろするバーでドクターが突然ピアノを引き出す場面に感動したが、僕はラストシーンでトニーの奥さんがすべてを見通していて「手紙を有難う」という場面が一番好きだ。
黒人差別がはびこっていたトニー一家だったが、そのわだかまりが消えていたことを感じ取ることが出来た。
よくできた良心作だが、史上最低の作品賞と揶揄する人もいるというのも納得できる内容だ。
でも、最後までくつろいで見ることが出来る作品ではありました。
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