シネマと虎とグルメたち

犬童一心監督作品に「ジョゼと虎と魚たち」があった。オイラは「観た映画が面白くて、美味いもの食って阪神が快勝」を望んでる。

キャロルとサウル

2016年02月19日 | 映画

孫の入院騒ぎでしばらく大阪を離れていたこともあって映画館に足を運べていなかった。
天気もよさそうなので久しぶりに早朝より出かける。
TOHOシネマズでやっている「キャロル」の上映時間が9:30なので通勤時間帯にぶつかった。
改札口を出ると流れる人並みは通勤客で、遊び人の私とは歩くスピードが違い随分と足早である。
もともと歩く速度が速いと言われる大阪人だが、通勤時間とあってそのスピードは加速されていた。
私は早めに出たこともあって、散歩気分でのんびりと映画館に向かう。
上映スクリーンは別館で、別館で見るのは久しぶりの事だった。

作品は極上の恋愛映画だった。
しかも女性同士の心の交流を描いていて、昨今ワイドショーをにぎわしているゲス達の色恋沙汰とは月とスッポンほどの差があるもので心打たれた。
ケイト・ブランシェットは貫禄あるわあ~。
最後の微笑にはしびれました。
とびきりの美人でもないし、ナイスボディでもないけれど、体を張っての演技にも魅了される。
吉永さんをはじめとする日本の大女優にはできない演技だと感じた。

早朝上映だったので時間がありもう1本ということで「サウルの息子」を見ることにした。
こちらはスゴイとしか言いようのない作品。
スゴイのはナチス強制捕虜収容所の描き方で、僕はこんなの初めて見た。
ホロコースト作品はたくさんあるけれど、ユダヤ人の処刑をユダヤ人が生き延びるために行っているすさまじい内容だった。
ほとんどがその極限状態での作業場面で、それでもなんとか人間らしさを持ち続けようとする姿に感動した。
内容からすればガラ空きになってもいいような作品だが、そこそこの観客がいて良心的な映画ファンがいることを嬉しく思った。
私が良心的かどうかは、はなはだ疑問である。
どちらも秀作!
(映画の詳細はこちらでフィルムセンター)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽会

2016年02月16日 | グルメ・他

行く予定でなかった孫たちの音楽会をひょんなことから見学できた。
なかなか楽しいもので、年少、年中、年長と技量の差が歴然としていることに驚いた。
1年ごとにかくも進歩するものなのだと痛感した。
合奏でYはシンバル担当だったのだが、一人しかいないパートを間違えないかとハラハラしたがなかなかどうして堂々と演奏していた。
Kはメロディアン担当で、こちらは複数人数で演奏するのだが、メロディアンの全体演奏と含めると2曲をマスターする必要が有り、よく覚えたものだと思う。
今の私には到底無理な芸当だ。
Kは歌う時の姿勢がよく、大きな声で歌っている姿に感動した。
特に「みんなともだち」を手話で歌う姿に涙してしまった。

みんなともだち ずっとずっとともだち
がっこういっても ずっとともだち
みんなともだち ずっとずっとともだち
おとなになっても ずっとともだち

みんないっしょに うたをうたった
みんないっしょに えをかいた
みんないっしょに おさんぽをした
みんないっしょに おおきくなった

みんなともだち ずっとずっとともだち
がっこういっても ずっとともだち
みんなともだち ずっとずっとともだち
おとなになっても ずっとともだち

みんないっしょに プールであそんだ
みんないっしょに ロボットをつくった
みんないっしょに かけっこをした
みんあいっしょに おおきくなった

みんなともだち ずっとずっとともだち
がっこういっても ずっとともだち
みんなともだち ずっとずっとともだち
おとなになっても ずっとともだち

それを手話と共に年長となって卒園を控えた子供たちが美しいハーモニーで歌う。
歌詞の内容を聞きながら一生懸命な彼らの姿(実際は二人の姿)を見ていると自然と涙が流れてきた。
入院した子供に付き添い、彼等をここまで育てた娘を思い、素直に育って卒園を迎えようとしている彼らの姿に感動したのだった。
嬉しい涙だったが、涙もろくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原因不明のウィルス?

2016年02月15日 | グルメ・他
1月度は何かと多忙であった。
人さまから見れば私の多忙は暇人の最たるものに見えるかもしれないが、当の本人にとってみればこれで結構多忙なのである。
帰省していた孫たちが幼稚園の開始に合わせて帰郷していったのが1月6日のこと。
その後学生時代の仲間との新年会があったりしたが、兎に角マイペースに戻すことに専念。
このマイペースというのが人さまには暇人と映るらしい。
映画館には1度しか足を運べなかった。
一日に2本の割合で映画の保存作品を再見し感想文を書き始めた。
今年の目標として300本ぐらいは仕上げたいと思っているので結構ハードなのだ。
そんなこんだで1月が過ぎてしまった。


2月は落ち着いた生活に入りペースアップしようと思っていた矢先に、東京の娘から一番下の子供Tが入院することになったので来てほしいとの連絡が入った。
1歳半なので24時間の付き添いが必要とのことなので、こちらは急遽2日に東京まで駆けつけることになった。
病院に行くとTは点滴のために左手をぐるぐる巻きにされて管を通されている痛々しい姿だった。
どうやら点滴用の注射針は刺したままの様で、そのためのぐるぐる巻きでわずかに指先が除く程度だった。
一向に高熱が下がらず、時として40度、39度から38度の後半を何日も続けている。
ウィルスの検査や、便を培養して菌の検査もしたが原因がなかなか特定できない。
こちらは何か難病にでもなったのかと不安になってきた。
原因不明のまま1週間ほどたって、やっと熱が下がり始め食欲も出てきたのだが何か釈然としないままである。
結局何かよくわからないウィルスにでも感染していたのかも程度で、Tは自力で回復したのかもしれず11日に退院の運びとなった。
自宅に帰ったTは日ごとに体力を回復していき生命力の強さを感じさせた。
入院前に出来ていたことが出来なくなったりしていたが、それも徐々に取り返しているようにも見える。
元気になったTとY,Kの3人兄弟が揃った生活は活気が戻り笑い声が起こる楽しいものだった。

Tの入院期間中、家人は年長となった双子たちYとKのお弁当作りを5時起床で始める生活になっていた。
私は8時半に通園のために二人を送り出し、40分ごろのバスを見送る。
ちょっとした掃除を終えて昼前に病院へ駆けつけ娘と交代する。
私たちは病院で孫に付き添い昼食をとる。
娘はいったん帰宅し入浴やらを済ませ、3時前に帰宅してくる子供を迎えて夕刻一緒に病院にやってくる。
私たちは付き添いを交代し、子供たちと帰宅して夕食、入浴を済ませる。
もちろん彼らの遊びの相手もしなくてはならない。
大変だったが、無事にことが終わてみると楽しかったと思えてくる。
そう思えることになってよかった。
その後のY、Kの音楽会を見学して私たちは15日に帰阪、あっという間の2週間だった。
私の年齢を考えると、病気で駆けつけるというパターンはいつか逆転するのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする