今日は亡き伯母の一周忌法要の日だった。
二ヶ月に一度の土曜日出勤の日だったが、随分と可愛がって貰い、お世話になった伯母なので法要に出席した。
母とは兄弟で、お互いに母一人・子一人の家庭だったので昔から行き来していた。
幼稚園の時は下宿させて貰って通っていた。
母が実家から独立する時には土地も提供してくれた。
母は四人兄弟だったが、二番目だった伯母が一番長生きした。
随分と病気もして入退院も繰り返していたが、色々と役員もしていてあっちこっちに飛び回って、よく旅行もしていた。
振り返れば幸せな人生を送ったのではないかと思う。
若いときは苦労もしたらしいが、晩年が幸せなほうが良いみたいだ。
法要の後は滅多に合わない親戚が集まっての宴会だ。
こんな出会いを何回か続けていると義理の親戚の人たちとも顔見知りになってきて親しくなってくる。
故人のなせる技である。
これも賑やか好きだった伯母の供養だと、飲兵衛の勝手な言い分である。
二ヶ月に一度の土曜日出勤の日だったが、随分と可愛がって貰い、お世話になった伯母なので法要に出席した。
母とは兄弟で、お互いに母一人・子一人の家庭だったので昔から行き来していた。
幼稚園の時は下宿させて貰って通っていた。
母が実家から独立する時には土地も提供してくれた。
母は四人兄弟だったが、二番目だった伯母が一番長生きした。
随分と病気もして入退院も繰り返していたが、色々と役員もしていてあっちこっちに飛び回って、よく旅行もしていた。
振り返れば幸せな人生を送ったのではないかと思う。
若いときは苦労もしたらしいが、晩年が幸せなほうが良いみたいだ。
法要の後は滅多に合わない親戚が集まっての宴会だ。
こんな出会いを何回か続けていると義理の親戚の人たちとも顔見知りになってきて親しくなってくる。
故人のなせる技である。
これも賑やか好きだった伯母の供養だと、飲兵衛の勝手な言い分である。