シネマと虎とグルメたち

犬童一心監督作品に「ジョゼと虎と魚たち」があった。オイラは「観た映画が面白くて、美味いもの食って阪神が快勝」を望んでる。

病院&映画

2024年05月31日 | 映画
先日、病院での定期検査に出かける。
久しぶりの電車で、車内からマスクをつけた乗客が激減していた。
前日は雨だったせいか、この日の病院は混んでいた。
採血も清算もいつもより時間がかかったが、それでも12時からの上映時刻には間に合った。
映画館に行く途中の「うめきた」開発は植樹も進んでいて完成が待ち遠しい。
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「シネリーブル」だった映画館は同系列ながら「シアター ウメダ」となって雰囲気が良くなっている。
「関心領域」を見たが、ミニシアターとは言え内容の割には観客は多かったように思う。
物語として何も起きない映画だが、その事が恐ろしいことなのだと思わせる。
ガザで起きていることやウクライナの状況に対する僕たちの意識は、所長夫人と大して変わらないのではないかと思わされた。
外は好天に恵まれ、平和な光景が広がっていた。
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韓国へ

2024年03月25日 | 映画

孫たち家族が韓国へ旅立った。
海外旅行も手短になったもので、私のような世代の者の子供の頃には想像も出来なかった。
韓国と言えば、つい先日までメジャーリーグの開幕戦で、大谷、ダルビッシュなどの日本人選手が話題になり、特に大谷人気はすごかったのだが、今は一平さんのスキャンダルで大谷はその渦中にいて、すっかり様変わりである。
少しは静かになったであろう韓国旅行なので、せっかくだから大いに楽しんできてもらいたい。
いつの日か孫たちからの報告を聞くのが楽しみである。
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検査と映画

2024年02月29日 | 映画
月日が経つのは早い。
定期検査の日がまたやってきたので病院へ。
出かけたついでに映画館へ。

差し当たり見る映画もなく、時間的に丁度良かった「梟ーフクロウー」を観る。
朝鮮王朝史の一端だったが、北野武版「座頭市」でもあった。
ロビーではシネ・ヌーヴォで行われる特集上映のポスターが掲示されていた。
高峰秀子さんは私が最も気にっている女優さんである。

今日は4年に1度の肉の日であるが、昨日は一日早い「牛めし」1400円を買って帰った。
昨日は大谷がホームランを打ち、女子サッカーは北朝鮮に勝ちオリンピック出場を決めた。
今日は山本由伸がオープン戦で2回を投げ3奪三振のデビューを飾ったようである。
喜ばしい。
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PERFECT DAYS

2024年02月17日 | 映画
過日に早朝より行ってきました。

PERFECT DAYS (2023) 日本 / ドイツ

監督 ヨルゴス・ランティモス
出演 役所広司 柄本時生 中野有紗 アオイヤマダ
   麻生祐未 石川さゆり 田中泯 三浦友和
   水間ロン 原田文明 三浦俊輔 古川がん
   研ナオコ モロ師岡 あがた森魚 安藤玉恵
ストーリー
東京スカイツリーが近い古びたアパートで独り暮らしをする、中年の寡黙な清掃作業員・平山(役所広司)は、一見、判で押したような日々を送っている。
毎朝薄暗いうちに起き、台所で顔を洗い、ワゴン車を運転して仕事場へ向かう。
行き先は渋谷区内にある公衆トイレで、それらを次々と回り、隅々まで手際よく磨き上げてゆく。
一緒に働く若い清掃員・タカシ(柄本時生)はどうせすぐ汚れるのだからと作業は適当にこなし、通っているガールズ・バーのアヤ(アオイヤマダ)と深い仲になりたいが金がないとぼやいてばかりいる。
平山は意に介さず、ただ一心に自分の持ち場を磨き上げる。
仕事中はほとんど言葉を発することがないが、それでも平山は日々の楽しみを数多く持っている。
たとえば、移動中の車で聴く古いカセットテープ。
休憩時に神社の境内の隅に座ってささやかな昼食をとるときは、境内の樹々を見上げる。
その木洩れ日をみて笑みをうかべ、一時代前の小型フィルムカメラを取り出してモノクロ写真を撮る。
仕事が終わると近くの銭湯で身体を洗ったあと、浅草地下商店街の定食屋で安い食事をすませる。
休日には行きつけの小さな居酒屋で、客にせがまれて歌う女将(石川さゆり)の声に耳を傾けることもある。
家に帰ると、四畳半の部屋で眠くなるまで本を読む。
ある日、平山の若い姪・ニコ(中野有紗)がアパートへ押しかけてくる。
平山の妹(麻生祐未)の娘で、家出してきたという。
平山の妹は豊かな暮らしを送っていて、ニコに平山とは世界が違うと言われているらしい。
ニコは平山を説き伏せて仕事場へついてゆく。
公衆トイレを一心に清掃してゆく平山の姿にニコは言葉を失うが、休憩時、公園で木洩れ日を見上げる平山の姿を見て、ニコにも笑顔が戻ってくる。
しかし平山の妹がニコを連れ戻しにやってくると、平山は捨ててきた自らの過去と向き合うことになる…


寸評
役所広司ワールドである。
判で押したような日々を送っていることを示すために、何度も同じようなシーンが繰り返される。
その間、平山の役所広司はまったく言葉を発しない。
見ていて飽きが来そうなものだが不思議とそうはならない。
トイレに入っていた迷子の子供に「どうした?」と一言かけるまで随分と時間を要し、そこから再び無口な平山の姿を延々と追い続け、石川さゆりのやっている居酒屋の場面になって、やっと会話らしい会話をするようになる。
カメラはその間も一心にトイレ掃除を行っている平山を追い続けるのだが、人々はそんな平山を気にかける風でもない。
母親は子供を見つけてくれた平山に挨拶もせず去っていく。
清掃中の札があっても平気で入ってきて無言で去っていく人もいる。
公園でとる昼食時にいつも出会う女性とは目を合わせてもおア互いに話しかけることはない。

無口な平山だがいろんな人たちと出会っているのだ。
言葉を交わさない上記の人たちとも出会っていることになるし、変な老人の田中泯のことも気にかけているのだ。
わずかな言葉しか交わさない行きつけの食事処の店員や写真店の主人。
これは人と人との係わりを描いた作品なのだと思う。
同僚のタカシはいい加減な男だが、平山とはそれなりの信頼関係を築いているようで、平山は金を貸してやっている。
タカシが思いを寄せるアヤは平山の人柄が気に入ったのか、ホッペにキスをして去っていく。
驚く平山の様子に場内から笑い声が起きた。
そして姪のニコだ。
母親と違っておじさんが気に入っているらしく、家出して久しぶりの対面を果たしている。
平山の仕事ぶりを見て驚くが、やがて仕事を手伝うようになる。
ニコの母親でもあり、平山の妹でもある麻生祐未とは疎遠であったが、最後には二人して抱き合う。
良かったと思うが、父親とのわだかまりは解けておらず、施設へ訪ねることを拒否しているから、肉親と言っても人間関係は難しい。

平山は眠ると日中に見た景色や人々をモノクロで思い浮かべる。
影は重なっても濃くならないが、平山の中でそれらは色濃くなっていく。
石川さゆりの元夫の三浦友和は平山と景踏みをして戯れる。
その後のラストシーンは平山のアップの長回しだがセリフはない。
ただ満足げな平山の表情をとらえ続けるこのシーンに耐える役所はいい。
一日の中で一瞬の出会いがある。
単純な毎日に見える平山の一日だが、彼にとってはその一期一会の出会いに喜びを感じる充実した一日なのだろう。
僕にもやがてそんな日々がやってくるような気がする。
平山の磨く便器はいつもピカピカなのだが、汚れている便器をピカピカにするシーンがないのはなぜなのだろう。
平山の仕事を伝えるにはあっても良かったように思うのだが・・・。
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哀れなるものたち

2024年02月02日 | 映画
「哀れなるものたち」


監督 ヨルゴス・ランティモス
出演 エマ・ストーン マーク・ラファロ ウィレム・デフォー
   ラミー・ユセフ ジェロッド・カーマイケル ハリー

ストーリー
ある夜、不幸な女性が橋から身投げをし、自ら命を絶った。
ロンドンに住む若き医師のマックスは、風変わりな天才外科医ゴッドから助手の誘いを受け、喜んでその申し出を受け入れた。
彼に与えられた仕事は、不思議な女性ベラの観察記録をつけることだった。
実はベラは、自殺した女性に胎児の脳を移植して作られた人造人間だった。
ベラの学習スピードは凄まじく、様々な物事を驚異的なスピードで吸収していき、それは性的な事柄にも及んだ。
ベラを愛するようになったマックスは、結婚してもベラと一緒にゴッドの屋敷に住みつづけるという条件でゴッドの承諾を得た。
契約書を作成するため、ゴッドは弁護士のダンカンを家に招いた。
遊び人の彼はベラを一目で気に入り、一緒に外の世界を旅しようと誘い、家に閉じ込められていることに不満を感じていたベラは、ダンカンと一緒に旅立った。
ダンカンとともにポルトガルのリスボンを訪れたベラは、外の世界を知っていく。
一方で、ダンカンは性的な事柄に強い興味を持ちながらも貞操観念のない彼女に心を乱されるようになる。
彼はベラをトランクに入れ、無断で豪華客船での船旅にくり出す。
しかし船内である老婆とハリーという男性に出会ったベラは、知的な彼らの影響を受け、急速に成熟していく。
あるとき、ハリーはベラにアレクサンドリアの町を見せると、そこでは貧しさから命を落とす子どもが数多くいた。
厳しい現実を目の当たりにしベラは、ダンカンがギャンブルで勝った金を「貧しい人たちのために使ってほしい」と、すべて船員に渡してしまう。
無一文になった2人はパリで船から放り出されることになった。
ベラはゴッドが持たせてくれていた緊急用の金をダンカンに渡して帰国するように言い、自分は娼館で働くことを決意した。
様々な人との交流を通してベラはますます知識をつけ、聡明な女性になっていった。
ゴッドが危篤との知らせを受けたベラは、ロンドンに戻った。
彼女はゴッドから自分がどのようにして生まれたかを聞き、マックスとの結婚を決意する。
しかし結婚式に思わぬ人物が乱入してきた・・・。


寸評
セックスシーンが多い映画だが、それらはベラが成長していく過程の出来事として描かれている。
ベラは、体は成人だが頭脳は幼児という姿で登場する。
フランケンシュタインのようなゴッド博士の屋敷にいるのだが、そこはモノトーンで描かれている。
ベラは食器を投げ捨てたり嫌いなものを吐き出したり幼児がとるような行動で我儘ぶりを見せているのだが、ある時、自慰行為を通じて幸せを感じ、このことは性を通じて成長していくだろうことを暗示していたと思う。
ゴッド博士の邸宅では鶏イヌなど不気味な動物が遊んでいる。
ベラがゴッドと呼ぶ博士は神(ゴッド)の化身で、神はあらゆる動物を生み出したということで、ベラもその動物の一つなのだろう。
冒頭、博士は教壇で動物と人間の違いは何なのかと問いかけていたが、食べて、寝て、交尾をする姿を思うと違いはない。
家に閉じ込められていることに不満を感じていたベラは外の世界を知っていく。
ここからはカラーとなり、我々に映像体験をもたらせてくれる。

ダンカンはベラの自慰行為を見て外の世界へ連れ出すが、彼にとってベラは性欲の対象者なのだ。
しかし、ベラは娼婦館での経験などを通して男の欲求のはけ口から脱却し、自らを開放して自我に目覚め主体性を獲得していく。
手助けをしてくれたのは客船で出会った老婆だろう。
老婆はベラの性行為に関する投げかけに、すべて経験済みのこととして優しく受け流しているのだ。
大海原を航海する豪華客船で出会ったこの老婆とハリーという男性は魅力的だった。
無一文となったベラは娼婦となって金を稼ぐようになるが、そこで彼女は客が女を選ぶのではなく、女が客を選ぶという意識を持つようになっている。
見終ると、彼女はこの娼館で主体性獲得したのだと思える。
ベラとマックスの結婚式の時にアルフィーという支配欲に固まった男として登場する。
この男の登場で衝撃の事実が明かされ、僕はベラ誕生の秘密に驚きを隠せなかった。
ベラはゴッドの死に立ち合ってゴッドと同じ解剖学の医師を目指す。
彼女も同じ道を歩んでゴッド(神)となったのだろう。
身体と頭脳が一致してベラは美しい笑顔を見せる。
ベラによってアルフィーも変わった動物となっている。
神の前では人間も動物も同じということなのかもしれない。

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今年初の映画へ

2024年02月01日 | 映画
今年も早や2月になった。
1月はいきなり能登の大地震が起き、2日は飛行機事故があり、散々な年明けだった。
政治は混乱を極め情けなくなってくる。
気分転換。
コロナ騒動が起きてから映画館への足が途絶えがちだったので、今年は真面目に通おうかと思って、2月になった今日イオンシネマに出かけた。
映画は「哀れなるものたち」
スゴイ映画だったなあ・・・。
この内容で2時間以上が苦にならなかったのだから、やはり作品には引き付けるものがあったのだろう。
じっくり振り返りたい。

帰りにイオンモールに入店していたミスタードーナッツでゴディバとのコラボドーナツを買って帰る。
330円はミスドにあっては高額な品であった。
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怪物

2023年06月16日 | 映画
映画「怪物」を見ました。

「怪物」 2023年 日本


監督 是枝裕和
出演 安藤サクラ 永山瑛太 黒川想矢 柊木陽太 高畑充希 角田晃広 中村獅童 田中裕子

ストーリー
消防車がサイレンを鳴らしながら向かった先には、上部から激しい炎を吹き出す雑居ビルの姿があった。
翌日、早織がクリーニング店で働いていると、ママ友の女性がやってきて、昨夜の火事の出荷元は雑居ビルの3階にあるガールズバーで、湊の担任の保利が通っていたらしいと噂した。
湊が塞ぎこんでいるので心配した早織が問いただすと、湊は自分の脳が「豚の脳」だと担任の保利から言われたと告げた。
早織は校長の伏見に会い抗議したが、学校の対応は事なかれ主義で無難なことばを言ってお茶を濁そうとする。
早織はまた学校へ出かけ、保利を見つけた早織が追いかけると、保利は湊が同じクラスの生徒・星川依里(より)をいじめていることを告げられた。
家に帰った早織は、湊の部屋を覗くと、部屋に点火棒ライターがあったので動揺する。
保護者たちが呼び出され、その前で保利が湊に暴力を振るったことが明らかにされた。
保利は謝罪し、地元の新聞にも大きく報じられた。
それからしばらくの後、巨大な台風8号が日本列島に接近した。
翌朝、早織が目覚めると、湊がいなくなっていた・・・。

保利は覇気がないように見えて誤解されやすいのだが、彼なりに教師として努力していた。私生活では広奈という恋人がおり仲も順調。
学校で起きた事柄も保利の視点から見ると、また違ったものだった。
同じように湊と依里の視点から見れば、また違った。


寸評
嘘、欺瞞、事なかれ主義がはびこっているのも現実の社会だ。
早織はシングルマザーで一人息子の湊を必死で育てている。
しかしその必死さは盲目的に息子を信じさせてしまっている。
子供との信頼関係を疑うことはなく、息子の言うことに嘘はないと確信している。
しかし、子供は巧妙な嘘をつくものなのだ。
事故で亡くなった夫への愛を今も持ち続けているようだが、夫は不倫相手との旅行中に事故死していて、実はその事を息子である湊も知っている。
湊は仏前で見せる早織の態度に疑問をいだいていたのではなかろうか。
校長の伏見に教育に対する熱意は感じらず、自ら先頭に立つことはない。
スーパーで走り回る子供を注意するのではなく、足を引っかけて倒すことで自分の気持ちを表している。
伏見夫婦は孫を誤ってひき殺しているが、運転していたのは夫なのか妻なのか不明である。
もしかすると夫は妻の身代わりとなったのかもしれない。
その態度は学校側の事なかれ主義を助長していく。
事なかれ主義は大人たちの間にあるだけではなく、湊も依里も取り繕うことでもめ事から逃避している。
背景にはモンスターペアレントの存在やイジメ問題がある。
見て見ぬふりをする体質はイジメの実態を見逃がしてしまう。
物語はそれぞれの視点で描かれていくが、多くの謎を残したまま進んでいく。
サスペンスとして謎解きを追求するのではなく、浮かび上がってくるのは人間の愚かさだ。
大人の世界、子供の世界、学校という組織など、存在している社会で行ってしまう人間の愚かな行為である。
真相が徐々に明らかになってくるのは構成上自然な流れである。
たしかに子供たちは怪物的要素を持っているが、ここで言う怪物はむしろ学校側の者たち、いや学校と言う組織そのものだったのかもしれない。
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映画館へ

2023年06月15日 | 映画

ショッピングモールが開錠となる前の早朝一番の映画に出かけた。
モールは10:00オープンだが映画は9:15から始まる。
一カ所だけ入り口が開いており、エレベーターが動いている。
映画は是枝裕和監督の「怪物」。
過日にはベス・デ・アラウージョ監督作の「ソフト/クワイエット」を見に行ったが、これは後味の悪い映画だった。
もっとも、後味の悪さを感じてもらうことが狙いだったのかもしれない。
以前は秀作と凡作を交互に撮っていると思っていた是枝裕和だが、最近はアベレージを保っている。
「怪物だあ~れだ!」
僕は学校ではないかと思った。
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ソフト/クワイエット

2023年06月02日 | 映画
過日定期検査で病院を訪れた帰りに映画館に寄ってみた。
公的な会合が多かった5月で、久しぶりの映画館であった。
時間的に良かったので12:00からの「ソフト/クワイエット」であった。

「ソフト/クワイエット」 2022年 デンマーク / ドイツ / スウェーデン / フランス

監督 ベス・デ・アラウージョ
出演 ステファニー・エステス  オリヴィア・ルッカルディ  エレノア・ピエンタ
   デイナ・ミリキャン  メリッサ・パウロ  シシー・リー

ストーリー
とある郊外の幼稚園に勤める教師エミリーが、「アーリア人団結をめざす娘たち」という白人至上主義のグループを結成する。
教会の談話室で行われた第1回の会合に集まったのは、主催者のエミリーを含む6人の女性。
マージョリーは勤務先でヒスパニック系の同僚がさきに昇進したことに腹を立て、食料品店の店主で2人の子どもを育てるキムは、ユダヤ系の銀行に融資を断られたことを根に持っていた。
その他、キムに誘われて集会に来た刑務所上がりのレスリー、ブラック・ライブズ・マター運動に異議を唱えるアリス、生まれたときから秘密結社KKKの一員だと話すジェシカが参加していた。
多文化主義や多様性が重んじられる現代の風潮に反感を抱き、有色人種や移民を毛嫌いする6人は、日頃の不満や過激な思想を共有して大いに盛り上がる。
会合の内容を知った教会の神父から「面倒がごめんだから今すぐ帰ってくれ」と言われてしまい、エミリーは自宅で2次会を開こうと提案し、キム、マージョリー、レスリーはキムの食料品店で買出しをすることにした。
そこへ閉店中と知らずにアジア系の姉妹アンとリリーが来店し、思わぬトラブルに発展してしまった。
最悪の空気の中、エミリーの夫クレイグが迎えに来たが、4人の怒りは一向に収まらない。
姉妹の家に押し入り、仕返しをしてやろうと計画する。
クレイグはエミリーに止めるよう説得するが、「妻が侮辱されて何とも思わないの?」と言い寄られ、仕方なく同行することになった。
エミリーたちは姉妹が留守にしている家に忍び込むと、モノを壊しパスポートを燃やそうとするなど迷惑行為を続けていたところへアンとリリーが帰宅してきた。
度を越した4人の行為に激怒したクレイグは、最初こそ証拠隠滅のために姉妹の拘束を手伝うがそのまま現場を去った。
残された4人は口封じのために姉妹を脅し、卑劣な行為を繰り返した。
エミリーたちは極限状態からまともな判断ができず、やがて取り返しのつかない恐ろしい事態を引き起こしてしまう。


寸評
冒頭で教師のエミリーが少年に黒人の掃除係に注意を言いに行かせる。
教師なら自分で言うべきことなのにと思って見ていると、カメラはそこからワンショットでエミリーを追っていく。
教会の談話室を借りての会合なのだが、話される内容は白人至上主義の人種差別容認であり、女性は専業主婦でなければならないと述べ、エミリーが持参した手作りのピザにはナチスのカギ十字がほどこされているなど、現在の社会が目指していることとは真逆の思想の持ち主たちであることが示される。
僕は彼女たちの会話に嫌悪感が湧いてきて、この映画の存在価値を否定する気持ちでいっぱいになる。
やがてエミリーの家での二次会が提案されキムの店に向かうのだが、ずっとワンショットで撮られているために、話はリアルタイムな展開を描いており、場所を変えながらも描かれる彼女たちの姿は普通に存在する人たちだと思わせてくる。
そして起きていることは普通に起こりえることなのだとの想像を生み出していく。

彼女たちがアジア系姉妹の家で行うことはひどい。
傍若無人で明らかに犯罪行為だ。
時々良心的な言動を見せたりするが、結局は誰も暴走を止めることが出来ない。
繰り広げられる行為はヘドが出るようなもので、戦場におけるむごたらしいシーン以上の嫌悪を感じる。
見終ると全くもって腹立たしく、嫌な気持ちで映画館を出ることになったのだが、僕はそこでふと思った。
この映画を認めることが出来ず、嫌な気持ちを持ったということは、僕はまともな人間だったのだと。
人種差別意識は根深く、この映画はごく普通の人が変身を遂げてしまうプロセスをみせ、世の中に内在されている危うさをベス・デ・アラウージョは訴えていたのかもしれない。
ごく普通の人が自分たちが気付かないうちに徒党を組んで暴徒と化してしまっている危うさである。
集団でなくても、個人的に妄想を抱いて首相を襲う輩も出現してしまう世の中のゆがみだ。
逆説的な映画だったと思うが、それにしても後味の悪い映画だったなあ・・・。
もしかするとこの後味の悪さを感じさせるのが狙いだったのかもしれない。
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聖地には蜘蛛が巣を張る

2023年04月30日 | 映画
先日観た映画です。

「聖地には蜘蛛が巣を張る」 2022年 デンマーク / ドイツ / スウェーデン / フランス0427


監督 アリ・アッバシ
出演 メフディ・バジェスタニ ザール・アミール=エブラヒミ
   アラシュ・アシュティアニ  フォルザン・ジャムシドネジャド

ストーリー
イランの聖地マシュハドで娼婦ばかりを狙った連続殺人事件が発生する。
犯人は娼婦を汚らわしい存在として、街を浄化するために行っていると宣言する。
女性ジャーナリストのラヒミが取材を開始するが、市民の中には公然と犯人を英雄視する者も少なくなかった。
そんな中、同じ犯行が続いているにも関わらず、警察の動きが鈍いことに苛立ちを募らせていくラヒミだったが…。


寸評
中東イランで女性に義務づけられている髪の毛を覆う布「ヘジャブ」の着用をめぐり、22歳のマフサ・アミニさんが2022年9月1日当局に逮捕された後に死亡し、警察官による暴行が疑われてイラン国内が騒然としたニュースを思い浮かべる。
この映画でもラヒミが髪の毛が見えているとへジャブ着用をめぐり注意されるシーンがある。
さらにラミヒが予約したホテルを訪れると、宿泊客が独身の女性一人という理由だけで宿泊拒否にあうシーンも描かれている。
ラミヒは自分がジャーナリストであることを示し泊まることが出来たが、「女性に対する嫌悪や蔑視」を意味するミソジニーの世界に、これから彼女がひとり乗り込んでいくことを示し緊迫感を一気に高める。
舞台はイランの聖地マシャドであるが、聖地と呼ぶのをはばかられる、売春や麻薬の売買が横行している暗黒街のようなところだ。
マシャドは宗教都市として聖地であることは間違いはないのだろうが、作品から受ける街のイメージは全く違う。
貧困が根底にあるのだろうが売春が横行していて、女性は夜になると通りで客引きを行う。
ミソジニーストのサイードはそのような女性が許せず、街の浄化のために売春を行う女性を次々殺していく。
映画は先ず売春の様子が描かれ、続いてラミヒとサイードの行動が交差するように描かれていく。
サイードは殺人鬼だが、殺人の動機を浄化としていて普段は普通の男だ。
家庭では良き夫であり、良き父親でもある。
さらには良きイスラム教信者でもあるのだろう。
サイードに関してカメラはごく普通な家庭人としての彼の日常と、異様な犯行を淡々と描いていく。
彼の犯行は家族が留守の間に自宅に連れ込んで殺すぞんざいなやり口なのだが、そのぞんざいさがミソジニーを浮かび上がらせていく。
女性が落としたリンゴの存在などはサスペンスフルだが、この作品はそこを追及しているわけではない。
街の浄化を行っている人間を警察は捕まえる気はないとの街の声もあるし、当の警察官もラミヒに言い寄るミソジニーの世界に居る。
屈辱的な仕打ちを受けたラミヒは自らが囮となって犯人に近づくことになる。
サスペンス性が高まる場面だが、真の問題はその後に描かれていく。

犯人は逮捕されるが、その後に起きることの方がおぞましい。
しかし、それが現実でもあるのだろう。
街ではサイードを英雄視する人々が出現するし、サイードの妻も夫が犯罪を犯したとは思っていない。
更には警察内部でもサイードに協力する者が出てきて、ムチ打ちの刑では芝居を演じ、逃亡を手助けするようなことも言う。
サイードという小さな蜘蛛は、より大きな蜘蛛すなわち国家の都合によって抹殺される。
もっとも恐ろしいことは、サイードの子供たちによって殺人が再現されることであり、息子のアリが2代目サイードになれと言われていて、彼がそのようになりそうなことだ。
日本でも初めて女性参政権が行使されたのは昭和21年4月10日のことだったことを思えば、ミソジニーという蜘蛛はイスラム社会だけではなく、文化に根付いて世界各国で巣を張っているのだろう。
我々も心しなくてはならないと思う。
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