羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

淋しさには名前がない

2011年06月23日 | Weblog
「どうして行きたいのか?」と問いかけてくれる人がいたので、
かねてより用意しておいた回答をじぶんのうちに探す。

ひとりは好きだけれど、さびしいのはキライだから、
「ね」と笑顔で楽しさを分け合える旅もいい。
それも楽しい。

でもたまには静かにひとりぼっちになってみたい。
遠くに山並みを眺めたり海を眺めたりするときは無口になるように、
見知らぬ街やひとたちのなかにいるときも、
ただ「わたし」であればよく、わたしだけに流れる時を感じとりたい。

きっとすごくさびしいだろうと想像する。
若い頃にひとりで出かけていた頃とはまた違うだろう。
日常から出て行く非日常の高揚感とひとりぼっちの淋しさを
見つめてみたい。そういう場所にじぶんをおいてみたいんだと思う。
たぶんそれは、「感性を大切にしたい」ということに似ている。


「淋しさには名前がない」
旅にでる時いつも持ち歩く音楽(眠りにつく時イヤフォンで聴く)に、
もちろんこの淺川マキさんの大好きな歌が入っている。

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